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武漢からの引揚者とクルーズ船の乗客とかの観察期間には、民間の旅館や官庁関係の宿舎などを使い、半強制的に留め置くことに成功すました。 その後の個人的な帰国者に関しては汚染地区からの人まで事実上野放しみたいです。 病気が発生してから遊びに行った人などは、発送海路が少し違いますから、帰ってきても人迷惑などあまり考えないようです。 確かに今の法制度では強制隔離、足止めは出来ませんけどね。 そえに、しゅうようできr場所の確保も出来ていないようです。 と、言うより「確保する気がない」のかも知れません。 政府、担当省庁もなんだかやる気が感じられませんね。 マスクでも官房長官が「増産するから大丈夫」と言っても、一向に改善されず、医療現場でも足りないようです。 今度は「人工心肺」の増産を「要請」するとか… 「マスク」も「要請」でしたね。 許認可のある部門では高圧的だったりするのにねえ… まあ、権限が与えられ法的に裏打ちされていること以外は「責任を問われたら損」と言う体質が出るのでしょう。 「送れず、休まず、働かず」と言われた公務員の原則は今も生きているのでしょうか? 病院の施設とスタッフが不足すると言われています。 アメリカ合衆国では病院船が配置についたそうです。 病院線ではコロナウィルス感染症には対応しにくいので、一般疾病の患者を収容し病院の収容能力を確保するようです。 日本でも阪神大震災のあととかで「病院線建造」が話題に上がりましたが消えちゃったのでしょうね。 スタッフに関しては医大生の卒業を繰り上げて現場投入する国もあるようです。 日本では元々、研修医が現場を支えている問題がありますし、看護士さんの離職問題もあります。 これも「国家動員法」みたいなのがないので手が出せないでしょうね。 家と言って、「大政翼賛時代」に戻してはいけませんしね。 施設に関しては事実上完成したばかりの立派なものがあります。 都心の一等地の「オリンピック選手村」です。 でも、売却予定なので使わせないでしょうね。 新しい法律では接収できるのですけどね。 他には東京でも廃校になった校舎がいくつかあります。 他には省庁の宿舎などにもいくつも半分遊休建物があるはずです。 これも、表に出さない可能性が強いでしょう。 新規に建設するのなら大きな利益利権を生みますが、そんな時間はないですね。 だから、動かない??? ニューヨークではセントラルパークにテントの病院が作られつつあります。 「野戦病院」ですね。 神宮外苑って学徒動員にも使われましたが、野戦病院が並ばなければよいのですがね。 こんな時代の病院線では困りますけどね。 この「氷川丸」は戦争末期に暴飲線に改装されて居ました、 戦後は復員船として活躍し、その後は横花山下桟橋に係留展示されています。人気ブログランキング
2020/03/31
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夜中にNHKテレビを見ていたら、京都の東・北。西の霊山を巡る映像が流れていました。 それを見ていたら、当然のように「比叡山延暦寺」が入っていました。 京都のシリーズが終わったら、「高野山・金剛峯寺」ニナrました。 そして、最後が「熊野三山・本宮大社・速玉大社・那智大社・青岸渡寺」を放送しました。 シリーズにすると5本だったのでしょうか? ゴロンと寝ながら、「比叡山延暦寺」「高野山金剛峯寺」「那智山青岸渡寺」にお参りできました。 比叡山延暦寺と高野山金剛峯寺では宿坊に泊まったことがあります。 比叡山はアマチュア無線。京都68クラブが全国68大会を開いた時に、高野山金剛峯寺には同じくアマチュア無線和歌山68クラブが全国大会を開いたときと、熊野市議会熊野川水系対策特別委員会が電源開発関西支社に抱く水利権交渉に出掛けた時に泊まりました。 服帽の食事って精進料理でも結構美味しいです。 でも、朝のお勤めがあるので早く起き出す人が多いです。 子供の頃には「身延山久遠寺」でも宿坊に泊まりました。 考えてみると、一度も「朝のお勤め」には出ていません。 こうした大本山では「吉祥山永平寺」にはお参りしましたが宿坊には止まっていません。 延暦寺・天台宗 金剛峯寺・真言宗 青岸渡寺・天台宗 久遠寺・日蓮宗 永平寺・曹洞宗 いかにも日本人らしく「宗派」なんてどうでも良いのです。 「このお経が本物でありがたい」なんて、おかしいでしょう。 「このお経にはこう書いてある」は、わかりますけどね。 世界遺産で言えば熊野と一体の「国軸山金峯山寺」は金峰山修験本宗」と言う山伏・修験道の一寸特殊な宗派ですね。 ここの宿坊には上がらせていただきましたが泊まることはありませんでした。 でこまで行っても野次馬ですね。 でも、「寺院・霊場」は好きな方です。 雰囲気が好きなんです。 ほとんどお願い事したことないです。 ご利益無いかな? 私の好きな、高野山奥の院です。 結界の先の写真はありません。人気ブログランキング
2020/03/31
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テレビや新聞などの報道内容って決して公平、公正、無色ではないです。 独裁国家、戦時下の社会などでは、一面的な報道だけが行われ、それが正義でもあります。 日本では少し前に経験していますね。 今の憲法下では「思想の自由」があり「報道の自由」も保証されています。 何でも自由というのではなく、義務や規律は当然要求されますけどね。 報道機関だからといって、完全に中立であるはずもないです。 アンケート結果などでは実施機関、集計機関によって差が出るようです。 政治的、思想的なものに関しては大きく差が出ることもあって当然ですね。 「無作為で抽出して…」などと言いますが、設問の仕方でも結果は変わるでしょう。 対象とする年齢・性別・地域・階層… サンプリングを無限に広げることも出来ないですしね。 同じような無いようなのに「内閣支持率」なんて、会社で微妙に違います。 こうした傾向は新聞などでは読者も同じ傾向だそうですけどね。 同じ思考回路だからその新聞を選ぶのか、その新聞を読むからそうなっちゃうのか??? 私は半世紀に渡って「赤い朝日」なんですが… テレビの「インタビュー」 ニュースでもこのインタビューがほんの数人分挿入され、それが、報道内容の印象を大きく左右します。 これがまた、本数が少ないのでで仕方ないですが、作為を感じます。 子供の場合、「今の子供ってこんなに能弁なのか?」と思うことも多いです。 大人の場合、やたらと流行りの「忖度」が見えたり… お気に召す内容のやつを拾って流すのでしょうけどね。 私の経験からもそう思えます。 それにしても… 外出自粛中にうろついている若者が… 「僕は一人暮らしだから感染しても他人にそんなに迷惑かけ無いから…」 「家に居ても退屈だから…」 「これくらいなら大勢じゃあないから…」 「不要不急って意味不明だから…」 親の顔が見たい!人気ブログランキング
2020/03/30
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熊野は今でも辺地ですが、昭和の中頃まではもっと辺地・僻地でした。 紀勢本線が全通するまでは磯崎から北、三木里にかけては「陸の孤島」なんて呼ばれていました。 外に運べないところでは、魚が取れてもしょうがないですよね。 列車が走れば「冷蔵車」(レム)なんてのもありましたけどね。 そういう時代は、多く穫れた魚は肥料になったりしました。 北海道のニシンなんて肥料用に捕りまくって「ニシン御殿」を建てたそうですし、宇和島なんかではブリまで肥料になったんだとか… この辺でもみかんの肥料にしたこともあったようです。 そんな調子ですから資源が枯渇して当たり前でした。 それほど大量でない分は「干物」にするしかなかったです。 日本中、漁場には干物文化があります。 前の海によって干物も変わってきます。 そして、この辺のように「丸干し」の多いところと「開き」が多いところ、「塩」だったり「醤油」「みりん」、「味噌」、はては「くさや」のように発酵させるものまで多様です。 この辺の干物・塩干魚丸干し 代表になっているのが…「サイレの丸干し・サンマの丸干」です。 この沖まで南下してきたサンマは油が落ちているので、丸干しに向きます。 寿司になっているのも、油が落ちていて酢でうまく殺せるからです。 「うるめ」「いわし」「あじ」「きすご」「かます」「ムロアジ」「まるあじ」開き 「さんま」「うるめ」「いわし」「あじ」「きすご」「かます」「ムロアジ」「はげ」「とうひゃく」「うつぼ」「トビウオ」「イカ」みりん干し 「さんま」「うるめ」「いわし」「あじ」「まめあじ」「はげ」「ふぐ」「とうひゃく」「さめ」「うつぼ」 だいたいこんなものですが、取り立ててここだけというものは少ないですね。 日本中、海に面した街が多いですからどこの町の道の駅も土産物屋も物産展もよく似た干物が出てきます。 開きが普通のとうkょ腕は、「サンマの丸干」は抵抗感がある人も多かったです。 「これ、ハラワタ入っているんでしょう? 大丈夫???」と、日本橋三越の物産展でよく言われました。 保冷ケースではなく、この偏流に「ヒノキの葉っぱを敷いた平台」で並べましたからね。 三越食品部としては異例の扱いでやらしてもらいました。 11月頭ですが、百貨店は人いきれを防ぐのに冷房が入って以上乾燥状態なので半日で「カンピンタン」になっちゃいました。 一度買ってくれて人は次の年も買ってくれるのですが、文化の違いを越えるのが大変です。 でも、近年は銚子の業者まで「丸干し」作り出しました。 そうなると、首都圏では銚子・焼津などの産地名には「遊木港産」は勝ちにくいです。 三越・幕張メッセ・東京ドーム… せっせと持っていってよその業者にきっかけを作ってやったような気もします。 元々の知名度に加え、業者の力も行政の助成も桁が違います。 高齢化も進んだし、干物屋の廃業も増えてゆくし… 干物まで他所のを買う時代が来そうです。 悲しいですね。人気ブログランキング
2020/03/30
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ウィルスは私達生物とは違うものらしいです。 「生物」ではないという味方をすることも多いようです。 それでも、「生命体」に食らいつき、それを「餌」?にして、分裂して増えるのだとか… 地球上の生物は大昔に「ミトコンドリア」なんて、異物を細胞の中に取り込む事によって、効率的にエネルギーを利用できるようになり、大進化を遂げたと言われます。 でも、「ウィルス」はそうは行かないようです。 この宇宙人のような存在はわれ生命体との共存の道を探しているのかどうかもわからないようです。 餌を食い尽くせば自らが滅びますからね。 生物に「意識」があることもよくわかりませんね。 脳を保たない、目も保たないはずの植物が虫の形の花を咲かせるように進化したりするのも説明つかないですよね。 「神様が作った」と言うのが手っ取り早い説明かもしれません。 科学は随分進化したようですが、意外と「根本」にはたどり着かないようです。 ものの始まりの「宇宙誕生」もどうしても説明できないようです。 「ビックバーン」で始まったと言っても、「そのビックバーンのもとになったのは何?」と言う幼稚園のこどもの「それ何?」と言う質問はきりがないですね。 アインシュタインを始め、色んな天才が出て、少しずつ説明しようと頑張ってくれたようですが、私のような凡人にはわかりません。 昔から、天才的哲学者がものの根源を説明しようとしたようです。 それはギリシャのような哲学になったり、釈迦のような宗教哲学になったりしたようです。 そんな中で、凡人には「宗教」がとっつき良かったのでしょうね。 「解った」のではなく「思い込まされた」のかも知れませんけどね。 仏陀の説くものの真理は宇宙に結びつくのだとか言われます。 ややこしいことを説明するためにいろんな手法・方便を使い、色んなお経が生まれたのだとか… それがよくわからないからいろんな解釈が出てきて、宗派が割れたんだとか… あまり考えるからいかんのでしょう。 「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも「南無大師遍照金剛」でもいいんじゃないでしょうか? でも、こういう思考回路は「不信心」と言われます。 このようなちゃらんぽらんで、比較的柔軟な私でも、やっぱり仏教的思考の中で育ったからか、イスラムの考えに違和感を感じたりします。 これがいかんのでしょうけどね。 「聖人君子」になる気もないですけどね。人気ブログランキング
2020/03/29
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寿司 熊野の寿司は巻きずしと姿ずしです。 巻きずしでは良質の昆布を薄く削ったものを使った「コブの寿司」が他所では少ないものでしょう。 「バッテラ」の上に張ってある昆布で海苔巻きのように巻きます。 魚は「押し寿司」ではなく「姿ずし」にすることが多いです。 そして、何でも寿司にしちゃいます。 今では、「サンマ寿司」が有名で、熊野の寿司といえば「さんま・さいれ」だと思われていますが、昔は、旬に合わせ、穫れたものに合わせ寿司をしたのです。 寿司をよく作るので「ゆず酢」も保存してある家も多かったものです。 「うるめ」… ざんま・さいれに続くポピュラーなものです。 「いわし」… すぐに皮がハゲるのでうんと新しくないと… 「あじ」…小アジに限りますがよく付く売られました。 「かます」…一寸高級扱いされていました。 「きす」…キスゴと言われる小ぶりにやつが好まれました。 小ぶりの魚は片っ端から姿ずしにして食べていましたね。 と言っても、私の世代では作る人が居なくなってゆきました。 小魚ですから小骨の始末が面倒ですからね。 「うるめ」「いわし」は包丁いりませんけどね。 「酢」は「普通の酢」「ゆず」「サンズ」「ポン酢」「みかん酢」、旬に合わせて目先を変えていたようです。 私の祖母は木本では「寿司が上手」といわれてよく作っていました。 当然、本人も大好きだったのですが、「アレルギー」があるので、時々あたって「ホロシ」が出て苦しんでいました。 それでも、作って食べていました。 「命がけで食う」と、言うほどのものではないと思いますがねえ…人気ブログランキング
2020/03/29
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真っ赤なドレスがよく似合う あの子思ってむせぶのか ナイトクラブの青い灯に 甘く切ないサキソフォン ああ ああ 東京の 夜の名残の 午前三時よ ♫♫ ♬東京午前三時♫ 外車王 SOKEN さんから借りました。 キャデラック1976 なぜこの歌??? 最近コマーシャルで赤い服の女の子が出ているのがいくつもありますね。 日常ではワンピースを着る人が減ったし、赤い服など、田舎では見かけません。 それだけに、赤い服のCMが目立とますね。 「グー・ネット」「ドコモ・ギガホ」「資生堂・椿」・・・ それが狙いでしょうね。 ところで、この歌の時代、東京のナイトクラブが午前三時前までやっていたら「風俗愛業法違反」だったのではないでしょうかね。 ミラーボール。生バンドのサキソフォン、チッーくダンス… ナイトクラブが盛んだった時代もありましたね。 なぜ泣くの まつげが濡れてる 好きになったのもっと抱いて 泣かずに踊ろよもう夜も遅い 私が好きだと 好きだと言って フロアは青く薄暗い とても素敵な 東京ナイト・クラブ ♫ ♫ と言いつつ… ナイトクラブに出入りできる身分じゃなかったし… フロアーがあまり暗いのも風営法違反! 行けなかったやつかみですね。
2020/03/28
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私が育った頃と今では木本の浜も随分変わりました。 「東南海地震」「伊勢湾台風」のさいがいから、木本堤防ー有馬堤防の嵩上げ工事、ダムの影響で浜の大ヤセ… 戦後の沿岸漁業や大敷網の不漁… 漁業不信で漁民が陸に上がって土木作業員や都会へ… すっかり船が減って、浜に上げる船など消えました。 地引網も木本の二系統は潜堤工事の時漁業権を買い上げて廃止してもらいました。 志秦自治も有馬も漁をする人も居なくなり廃止なりました。 こうした変化は当然のように揚がる魚の変化に繋がります。 そして、魚屋さんや加工業者さんも変わってゆきました。 「ムロアジ」や「サバ」で節を作っていたところもあったのですが、いつの間にか消えていました。 「削り節」って「鰹節」ではなく、ムロアジやサバの節を削ったのが多かったとか言います。 「花かつお」が出てきて食生活が変わったのですけどね。 かんなをひっくり返して引き出し付きの箱に載せた「鰹節削り」が各家庭にあったのですが、料亭以外から消えましたね。 「カシャゥ・カシャッ・カシャッ」って、削って出しにしたのですが、ちょこっと盗んで食べるのが楽しみで夕食の手伝いなどしました。 熊野でも「固節」まで作っていたのでしょうね。 この辺での魚の食べ方は、「姿ずし」「丸干し」「開き」「みりん干し」ですね。 よそより「姿ずし」「丸干し」が好まれてきたようです。 東京では「小田原」なんて読んで「開き」が多く、丸干しは「目指し」でしたね。 大体、開きも目指しもでかいので美味しくないです。 と言うより、食べ慣れていませんですからね。 もっと北に逝くと、「ほっけ」だとか「身欠きにしん」なんてカチカチが出てくるし、「サイレのカンピンタン」程は美味しくないし… と言うのが「木本人」です。人気ブログランキング
2020/03/28
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大騒ぎして、紀和の果までプランターを置いて、ここの堤防にも幟が上がった「G7・伊勢志摩サミット」 残ったのは財政悪化と予算削減。民間ホテルの大改装、そして木製テーブル… 沖縄やトマムなどでもやりましたね。 回り持ちにして金を使おうというのが見え見えでしょう。 昔、国際会議が出来るように…と、京都に国際会議場を作りましたね。 最近はニュースにも出てこないけどどうなっているのでしょうね。 北海道は中国人とかに横バレているんだとか聞きますがね。 三重県は「島サミット」とやらを誘致したんだそうです。 第9回太平洋・島サミット2021だそうです。 太平洋に点在する島々を集める国際会議です。 かつては南方の島々は、第一次世界大戦後、ドイツの信託統治地だったものを、連合国側で参戦した日本が預かったので、日本人がどっさり移住し、漁業を指導し、学校など作ったので親日家が多いようです。 これも立候補すればいいことあるのかな? 「とこわか国体・2021」も三重県です。 熊野市も会場になっていますが、戦後の復興期に国民を元気づけるために出来た国民体育大会とは随分変わってしまったようです。 これも、便乗公共事業に各県がぶら下がったのです。 そして、「オリンピック2020」が2021年にズレてきました。 外国選手の受け入れを決めている町もあるでしょうね。 これも県に多少は影響あるでしょう。 何でもやりたがる三重県ですが、本業は大丈夫なのでしょうか? 「国体もあるし大変だ!」と言ったとか言わなかったとか… 「北主南従」ですから、南の方は従うでしょう。 せめて迷惑かけないでください。人気ブログランキング
2020/03/27
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海のそばと言うこともあり、魚は海岸線でも山間部でもよく食べられてきました。 家庭に冷蔵庫は普及するまでは鮮度の問題もあり、木本などと飛鳥など山間部とは食べ方にも違いがありましたね。 他所に比べ、この辺は「シビ」をよく使いました。 「シビ」は「マグロ」の古い呼び方なんだそうです。 鹿児島なんかでも「シビ」と呼ぶようですが、この辺ではずっと「シビ」でした。 この辺で好まれるのは「本マグロ」よりは「きはだ」なんかが多かったように思います。 大きな「クロマグロ」はあまり揚がりませんからね。 「とんぼ・びんちょう」は少し安かったですが。刺身以外の使い方が多かったので普通に流通していたようです。 とにかく、何かあれば「シビ」を使うのです。 祝い事でも葬式でも・・・ 「さしみ」「なます」「かきまぜ」「たきめし」「焼き物」・・・ ブロックで買うので、筋っぽい所も上手に使わないと大変だったのです。 最近では「マグロ類」は刺身か握りですけどね。 「なます」を食べることも減ったし、これも「シビ」ではなく、「ツナ」や「生節」になってきました。 「かきまぜ」は「ちらし寿司」に化けてきているし、「たきめし」は「釜飯」に・・・ 今では「刺身になった物」「竿の状態」で売り場に並ぶことが多いです。 使いにくい所と皮のついた「ブロック」は敬遠されるようです。 冬場は「ブリ」ですね。 ハマチの養殖が始まって「ブリの漁獲高」が減って問題になりましたが、昔から「ブリ」が好まれました。 これは「さしみ」「照り焼き」で、「ナマス」などには向かないようです。 「ぶり」なのか「はまち」なのかわからないのが「ぶり」と書かれているこtも多いです。 カツオはこの0辺では「たたき」の習慣が無いので、刺身ですが。なんと言っても「生節」で食べられていました。 「茹でただけの生節」は手でほぐして酢醤油や酢味噌・・・ 「少し焼いていぶした生節」は少し日持ちするし癖が少ないので万能でした。 今の真空パックの物は身が締まってしまうので別物ですね。 それに、今は高くなってしまったのでがつがつ食べるおかずでは無くなりましたね。 今年は高知のカツオが豊漁らしいです。 黒潮はこの沖で大蛇行したままです。 昔のようなカツオ船は居ないのですが今シーズンのこの沖はどうなのでしょう? 「ケンケン」と言われる一本釣りの小型船が磯崎には多かったのですが、これも高齢化で減っています。 昔はこうしたデータもないし、魚探もないし追いかけるのも大変だったでしょうね。 大敷は場所の変更は全く認められないし・・・ あれを動かされたら船が大変なことになりますからね。 でも、データが揃い、魚探が出来、網が丈夫になって魚の獲りすぎ・・・ さらに、中国・台湾・韓国・北朝鮮などが漁業に目覚めちゃったので大変です。 昔ほど魚を食べなくなっていますが、食文化も壊れてきています。 ーつづくー人気ブログランキング
2020/03/27
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今日の米軍の台風予想す衛星写真です。 春分の日が過ぎて北半球の方に日がよく当たるようになりました。 つい先ごろまで南半球でサイクロンが発生していたのですが、これからは北半球になります。 西太平洋では「台風」になります。 年によっては1月に台風が出来ることがあるのですが、今年はこの低気圧もまだ台風にはなっていません。 今年もこの辺から北の海水温が高いので心配です。 これからはこのサイトが役に立ってくれます。 JJoint Typhoon Warning Center 結構早めに予報が出るし、コースも当たることが多いです。人気ブログランキング
2020/03/26
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自治体としての「村」は「鵜殿村」も消えて、三重県ではなくなっています。 「村」と言う感覚は大昔からあって、人々を束ねてきました。 時代とともに小さな集落が集まって範囲を広げたようです。 「字」「大字」「村」そして「郡・こおり」と言うふうなくくりのところが多いようです。 私が子供の頃は、「三重県南牟婁郡飛鳥村大字小阪字平」で育ちましたが、昭和の合併で「飛鳥村」が消えて「三重県熊野市飛鳥町小阪」になりました。 明治以前には村は「お寺」「と「鎮守様」を中心に固まっていたようですが、明治になるとその縛りが薄くなり。代わりに「学校」が求心力の中心になっていったようです。 全国に学校制度が行き渡って、とりあえず子供は全部学校に預けることになりましたからね。 「校長先生」は「村長」「ご住職」に次ぐ地位になった行ったようです。 私が子供の頃の集会の上座には「校長先生」が座っていました。 先生になり校長まで登り詰める人は、旧家・名門の人でしたからね。 その学校がどんどん消えています。 田舎では「村立」「町立」だったのが「市立」とかにはなっていましたが、小中学校の学区は元の村・大字がベースでした。 中学校は自転車通学が出来るということで「村で一校」が多かったですが、小学校はもう少しきめ細かく配置されていました。 飛鳥村では、飛鳥小学校(大又)・小阪小学校・日進小学校の三校があり、隣の五郷村は五郷小学校(湯ノ谷分校と池の宿分校があったことも)と言う形態を百年以上続けてきましたが、平成時代に飛鳥村の小学校は日進小学校の校舎に統合され、新飛鳥小学校となりました。 なにしろ、三校分の児童を集めても、一学年数名まで減りましたからね。 そして、今度は旧五郷村の小学校も中学校も維持できなくなり、飛鳥との統合へ・・・ 旧神川村からも学校が消え、隣の尾鷲でも。旧南北輪内村の3つの小学校が統合していたのが消えるのだとか… 高等学区が全国で毎年消えてゆくし… もうすぐ大学も減るそうです。 「市町村。自治体」が消える時代だそうですから、当たり前なんでしょうね。 1949年 飛鳥村立小阪小学校 校門前での記念写真 入学児童数27名 まだ、制服が揃っていませんし。お下がりがほとんどでした。 今は後ろの校舎も建て替えられ、小学校は統合で廃校になり、新校舎は飛鳥中学校で使われています。 この小学校も卒業の時には「熊野市立小阪小学校」でした。人気ブログランキング
2020/03/26
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熊野の海は埋め立てられたり公害があったりというような変化はありません。 ダムが出来て熊野川の水質が少し悪くなったのは考えられますし、下水道無しで生活排水が流れ込むようになり少し富栄養化が進んだくらいでしょう。 元同僚だった大敷網の大将が、「網がよう汚れるようになったし、汚れが臭い」と言っていました。 綺麗な海に見えてもそうした変化はあったようです。 でも、本州製紙、巴川製紙の製紙会社も無くなったし、紀州製紙の排水も公害対策されて昔よりは一部改善されてのでしょうけどね。 温暖化は確実に進んでいますし、漁師さんの高齢化も確実に進んでいますから、沿岸漁業の先行きは明るくないです。 私が子供の頃は戦後の食糧難時代などに乱獲したせいか水揚げが極端に落ちたようです。 この辺では底引き船、トロール船は走らないのですが一時期は走ったとか・・・ 大敷なども勢いが無くなって網元が減っていったのです。 地引き網も木本だけで二張りあり、口有馬や志原尻にもあったのが我が家の子供が小さい頃には「観光地引」になり、今では一つもありません。 地引は専業漁師では無く、半農半漁のものが多かったのですけどね。 そんな変遷もあり、出回る魚も少し変わってきました。 昔は地場物だったのですが、今の店頭では世界中の魚が並びますからね。 最近ではほとんどお目に掛からなくなった物・・・ 「あたがし」・・・ガシなんて言われる磯の赤い魚で冬場には煮付けなどでよく食べられていたのですが、今では高級魚扱いですし、小さなのが唐揚げになったり・・・ 「うつぼ」・・・干物で出回ったのですが、骨が多いので骨切りしないと駄目だからか出回らないし、「珍味」になっちゃいました。 「さめ」・・・東北の方?とかでは食べられるそうですが、少しアンモニア臭もあるのでみりん干しや醤油干しで出てきたのが無くなりました。子供の頃にははまで「フカヒレ」を干しているのも見かけたのですけどね。 減ったもの… 「さいれ」・・・サンマはこの三年ほどまともに揚がりません。「熊野の味」の筆頭なのですが、全く駄目です。「木本さんま祭り」で振る舞われる1000本の丸干しも「千葉産」「長崎産」などです。干すのは地元ですから味は熊野好みですが・・・ 他にも・・・ 「さらたけ」・・・スルメイカの子供も波があります。まあ、子供の頃に獲って良いのかどうかわかりませんが、この辺の人の好物で「熊野の味」です、青葉の季節のたべものです。 「きす」・・・キスゴとも言われますが、昔は木本の浜でも釣る人が見かけられたのですが、見かけなくなりました。 地場物が減っても今の子供は「サーモン」が好きみたいですし、海で魚が居るうちは食卓は今のところ困らないようです、 しかし、黒潮海水温の上昇、親潮の温度上昇・・・大変な時代のようです。 ーつづくー人気ブログランキング
2020/03/26
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今度は「女子プロレス」ですか? 「マスク配ったし、扇風機回したし…」 だ、そうです。 一見紳士風の主催者… まあ、興行打たないと破産するのかも知れませんけどね。 現状がわかっていませんね。 わかる気もないでしょうけどね。 「反社会的行動」なんて、頭の片隅にもない連中でしょう。 そして、「K1」同様、観客も完全におかしいですね。 こうした団体って「同類項」なんですね。 他所の国の街の風景など見ないのでしょうね。 自分らだけで完結できるならまだしも… 数人感染するだけでもどれだけ危ないことか。どれだけコストがかかるか… 感染しても「うつしてやる!」と言う可能性もあるでしょう。 「地獄少女」じゃあ無いですが… 「一回死んで見る???」 オリンピックも予想通り延期なりました。 本音かどうかわかりませんが、「ピークを合わせるために死ぬ思いで頑張ったのに…」と、文句を言う選手って何??? 出てもらわなくっていいんですよ。 新型コロナの危機が世界を覆っているのに・・ こうしたのも「同類項」なんでしょうね。 でも、「簡約」して除外することで見ませんね。 括弧の外にだしても、人権侵害と「喚く連中なのかと思います。人気ブログランキング
2020/03/25
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明治以降は二本足の鳥以外の4本足の動物も食べ始めたようです。 とは言いつつ、猪や鹿は食べていたのでしょうね。 たまに捕れる獣も毛皮だけ利用するなんて考えられませんからね。 私が小さい頃には山の獣は減っていたようです。 小阪にも猟師さんが何人も居て、紀州犬を使って、猪・鹿・熊など追っていましたし、ちゃんと鉄砲を持っていました、 猪の罠・檻も仕掛けられていました。 でも、今ほどには獣は居なかったようです。 戦時中から戦後の食糧難時代に獣は重要な栄養源でしたから、かなり、追いかけ回したのでしょう。 「カモシカ」なんかも随分食べちゃったようです。 「カモシカ」はスキーに行く途中などでも見かけましたが、谷川の反対にいても車を停めると立ち止まってこっちを見て居るようなやつですから、撃ちよかったのでしょうね。 おまけに、肉は「牛」と同じようで猪よりはうまいですからね。 子供の頃はあまり肉が好きでは無かったのですが、やっぱり、鹿や猪の鍋はご馳走でした。 昔は「牛肉」なんてものすごい贅沢品でした。 木本の岡田肉屋がほとんど扱っていたのですが、昔の肉はものすごく硬いのが多かったです。 農作業で使っていた「役牛」の年老いたのが塗擦されて出回りましたからね。 よく太った良い牛は「博労」が買い取って、その当時でも「松阪牛」として連れて行き、半年・一年肥育し、ビールを飲ませマッサージまでしたそうです。 今は有馬岡田屋さんの牛は松阪に負けないと言われますが、昔は、そんな余裕がこの辺には無かったのでしょう。 「カシワ屋」というのもありました。 これも、「婆鳥」が多かったので硬めだし、脂のにおいもきつかったです。 「ブロイラー」なんてのが出回って日本人の舌が変わったようです。 「豚」って普及するのは遅かったようです。 「豚」=「日本脳炎」なんて図式もありましたしね。 「ウサギ」「七面鳥」なんてのはあまり買われていませんでしたし。鶏でも「軍鶏・シャモ」は博打の喧嘩に使うので禁止されても飼う人は居ましたね。 喧嘩の後でつぶすと美味しいんだなんて聞きましたが、回ってきたことは無かったです。 その頃はこの辺の犬は「紀州犬」がほとんどで、今の「白」以外に「赤」や「ゴマ」も居たのですが、いつの間にやら「馬面の白」ばかりになっちゃいましたね。人気ブログランキング
2020/03/25
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桜が咲いてきたというのに寒くなりました。 熊野は染井吉野の開花が遅いところです。 毎年書くのですが、この辺は秋から冬の入口が中途半端に温かいので染井吉野の蕾が「冬が来た!一眠りして春の用意を!」と、思わせられないのだそうです。 だから、東海地区、関西地区では南方なのに開花がうんと遅いのです。 春に温かいだけでは駄目なんです。 昔、麦を蒔く前に風呂に浸けました。 温めて夏が過ぎたと思わせたようです。 ならば、染井吉野を冷やしてやれば… と言っても、草花ではないですからね。 その分、山桜の方で、「染井吉野なんて新参者に負けるか!」と、早咲きが出来たのでしょう。 それが「クマノザクラ」ですね。 「花冷えの宿」♫You Tube♫人気ブログランキング
2020/03/24
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熊野市もミカンの産地です。 栽培面積、産出量、知名度も大きくありません。 戦後、農林省が柑橘類による農村生活の安定を目指して「パイロット事業」に着手した時、いち早く、金山地区が手を上げ、事業採択され、その後に御浜町も採択され、一大ミカン産地になるはずでした。 その頃よく言われたのは「国の言う事業に手を出したらあかん!」と言うことです。 「みかん」「しいたけ」「しきび」「セレベス芋」「梅」・・・ ノウハウの無い所へどんどん勧め、植えさせるけど上手く行かないし、巨費を投じて全国に展開するので生産過剰になって価格は暴落するし・・・ ミカンも「金山パイロット」は温州ミカンでしたが、御浜のパイロットが動く時には「温州が生産オーバーだから晩夏を植えろ」と言われたようです。 温州が過剰になっても「晩柑」が売れるはずは無いです。 さらに、貿易摩擦のアオリで「グレープフルーツ」などの輸入が開始されたし・・・ 「金山パイロット」のような先行した所でも、苦労を重ねて開拓してもずっと赤字経営というのが現実です。 戦後のミカン農家は何とか売れるミカンを・・・と言うことで、品種改良に走りました。 半世紀ほどの間に70も80物品種が登場したようです。 私が子供の頃には、「温州」「夏みかん」「八朔」「伊予柑」「春光柑」「三宝」「文旦」なんてのや「ゆず」「ポン柑」「酢橘」なんて調理用が主な物でしたが、「温州」でも「崎久保」「宮川早生」なんてのが出て、その先は栽培法網もハウス・マルチなんて出てくるし・・・ 色んなミカン類の交配や枝変わりで品種が増えるは増えるは!!! 夏みかんでも、右の「甘夏」が出てさらに左の「紅甘夏」だ出てくるし、他にも何種類もあるようです。 「品種登録」が出来るようになっていて、つい先頃までは北山村の「じゃばら」は保護されていたようですが。晩柑類はどうなったのでしょうね? 「高接ぎ」「芽接ぎ」で台木の枝を色んなのに変更できる柑橘類の生命力が品種乱立に繋がっているのでしょうね。 南紀というミカンの産地にいても今のミカンの種類は判りません。 ネットで出てくる品種の3/4は見たことも食べたことも無いです。 「世界のミカン」では無く「日本のミカン」です。 いくら何でもこれでは消費者に受け入れられないでしょう。 最近はすっかり見かけなくなった「春光柑」も直売署などではたまに見かけますね。 ミカン類の一覧などの調理用などとところでは「じゃばら」は出てきますが、「新姫」は出てきませんね。 まだまだ、認知度は低いようです。人気ブログランキング
2020/03/24
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熊野は目の前に太平洋・熊野灘が広がっています。 海岸線の南半分が七里御浜、鬼ヶ城から北の半分はリアス式海岸です。 穫れる魚は黒潮に乗ってくるものと、北から南下してくる回遊魚と磯に付いた魚の両方が穫れます。地形が複雑ということもあり、七里御浜では「地引網」磯の方では「エビ網」なんてのもありました。 そして、漁業組合も今は合併しましたが、つい先ごろまでは六漁協もありました。 獲れる魚種が多いはずなのですが、三陸沖のような親潮と黒潮のぶつかるところのようには行かないようです。 古くは「鯨漁」もたまにはあったようですが、私の時代にはありませんでした。 「大敷」「ケンケン・一本釣り」「エビ刺し網」「サンマ棒受網」「はまち・鯛養殖」などが主ですが、近年に「マグロ蓄養」も始まっているようです。 大きな船を着けて水揚げした魚を陸送するような良港がないので遠洋漁業は育ちませんでした。 私が子供の頃には「カツオ漁船」がたくさんあって、親地町の子供達が堤防の上で丸太をカツオに見立てて、釣り上げては脇に抱きとめる練習をしていました。 大型船ではなく近海用のカツオ船でしたが、知らない間になくなっていました。 この写真は木本脇の浜、今は木本港漁港区になっているところに停泊していた木本漁港所属の漁船です。 こんなにあったのです。 他に、大泊、小泊(磯崎)、波田須、新鹿、遊木、二木島、甫母、須野、有馬、志原尻などに船があったのです。 小さな漁村ばかりですが、魚は上がりましたから、山間部にも「魚売り」が入ってきました。 山道を歩いて越えてきていましたが、一山越えるだけで大又、小又、小阪、日進、神川等についたのでそれで生計を立てている人も結構いましたね。 そして、こうした集落ではそこそこいい魚が入ってきていたのです。 「魚や山で買え!」なんて言葉もありました。 冷蔵庫などない時代ですから、「無塩」は新しいものしか運べませんでした。 二山三山超える下北山になると「シビ」も「塩シビ」になった時代です。 「シビは茶漬けで食べるもの」と思われていましたからね。人気ブログランキング
2020/03/24
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私の言動も結構、反体制ですが、反社会的だとは思っていません。 しかし・・・ この連休のニュースを見ていると「反社会的行動」とも言えるものが見受けられます。 今は「反社会」というと「暴力団」とかいう風に使われますが、もっと広い意味でしょう。 自由に買い物が出来、散歩も出来る程度の生活行動の自粛制限が守れない集団があちこちで・・・ まあ、マスコミも悪いです。 世界の風景を流す反面、日本の自粛を評価するどころか「困ったものだ」「緩めるべきだ」なんて発言を流してきていますからね。 コロナウィルスが本格的に暴れ出したら、本格的に社会生活、日常生活が破壊され、買い物どころでは無く、イタリアやフランス、アメリカのように死者の山を築くようになるはずです。 地下アイドルのコンサート??? コンビニの保冷庫に横たわったり、魚をゴミ箱に捨てて戻したりの世代・集団の延長でしょうけど、情けないですね。 アイドルを追いかけたいのも判りますけど、事態が判っていない・・・ テレビは見ない新聞は読まない、スマホでもニュースは信頼性など考えないSNSで受けているやつだけしか見ない・・・ つい先頃の「ライブハウス」の集団感染も他人事みたいです: まさに、「一回死んでみる?」と言いたい連中ですが、この疫病はあの連中は罹って、ばらまくことはあっても死にませんね。 「格闘技」のイベントが強行されたとか・・・ やる方もやる方ですが、見に行くのに子連れ??? 演技の暴力劇を本物と思い込んで熱狂するのは昔のプロレスと同じようです。 しかし、子供まで連れて・・・ 先が思いやられますね。 でも、こうした親って、モンスター並みにいっぱしのこと言うんですよね。 「非常事態」を宣言するのには反対なんですが、宣言以前にこうした集団や行為を停止させる為の法整備は必要でしょう。 もちろん、しっかり法運用の暴走を防ぐことも大事ですけどね。人気ブログランキング
2020/03/23
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私は大又川に育てられました。 真冬は流石に冷たいのであまり川には出ませんでしたが、水が温みだすと川に出て魚を追い始めました。 春先はほとんど釣れないのに「アメノウオ」を狙いました。 今のような良い竿に疑似餌ではありませんから中々かかりません。 餌は「がろじ」でした。 「がろじ」は「トビケラ」の幼虫で「ゴロ」の間も蜘蛛の巣の様な網を張って酢を作っています。 黒い虫で、噛み付く心配がないので扱い良いやつです。 四万十川の方では「ザザムシ」と呼んで佃煮にして食べます。 うまいものではなかったです。 あっちでは川のものを何でも食べるようですからね。 この「ガロジ」は随分減りました。 砂や泥が増えてゴロが埋まったせいなのか、農薬のせいなのか洗剤のせいなのか???? 巻き貝の「ゴジナ」(かわにな)も激減していますから、川が変質したのでしょう。 先に書いたように、「ウグイ」や「ハイ」の大きなのが居なくなったのはそのせいなのだと思います。 昔は川で洗い物をしました。 洗濯までしたのですが合成洗剤ではなく石鹸でしたから環境への負荷は少なかったでしょう。 農業用水で食器を洗う家もありましたがこれも洗剤なしですから、残飯や味噌の数が流れても川への負荷にはならず、魚の餌になったでしょうね。 川が汚れだしてから言われだした「BOD」なんてのは、昔の田舎の川では問題なかったのでしょう。 大又川に米の研ぎ汁が流れたら魚は大喜びでしたからね。 暖かくなると暇があれな手製の釣り竿で「ウグイ」「ハイ」を釣って遊びました。 猫の「クロ」も大又川の魚で栄養補給していました。 夏になれば「ヘシ・かなつき」を持って上流から下流に下りながら魚を突いていました。 5寸くらいから上しか狙いませんし、「タイショウバイ」など馬鹿な魚を追いかけたら馬鹿にされました。 「タイショウバイ」は手づかみで捕るものでした。 今の大又川では「タイシュバイ」も「赤バイ」もいないし、5寸を越すような魚も激減しています。 おまけに「鮎」は圧しで点いたら怒られますしね。 梅雨前からは「うなぎ」のシーズンになり、「ウナギ釣り・夜づけ」「もどり」、真夏には「ゴロ掘り」でうなぎを追いました。 いつの時代も悪いやつが居て、「毒を流すやつ」「バッテリーを使うやつ」「カーバイト爆薬を使うやつ」が居ました。 「水生生物調査」が始まった頃に大又川で自主的な調査をしましたが、当然のように「きれいな川」でしたが、昭和30年頃までの大又川とは目に見えないところで随分変わっていました。 「ガロジ」は減り「川ムカデ?タマチ」なども減り、「ガブ・川ハゼ」まで減っていましたからね。 人間が川に降りなくなって川が痩せたようです。 川がガキを育て、ガキが川を守っていたのでしょうか?人気ブログランキング
2020/03/23
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先日。「ドリトル先生」の映画を見ました。 「Dr. Dolittle」エディ・マフィー主演の新しいやつです。 少年用の小説とは少し設定が違い、ドリトル先生が黒人になっています。 少年向けの小説ですから。「動物の言葉がわかるお医者さん」と言う奇想天外のはなしですが、ほのぼのとします。 と、言うのも、子供の頃に「ドリトル先生アフリカ行き」「ドリトル先生の郵便局」「ドリトル先生航海記」なんてシリーズをワクワクしながら読んだからです。 あの頃はこうした本が夢の世界を開いてくれました。 挿絵も白黒だし… それでも、目の前に生きた動物が出てきて喋ってました。 学校の図書館は今のように沢山の本はないし… お袋が本が好きだったこともあり、本はそこそこ買ってもらえました。 その積み重ねが私を作ったのかも知れません。 娘はメチャメチャ本が好きで学校の図書館から市の図書館まで読み漁っていました。 少年少女小説が主だったようでしたが、作文も好きでした。 そこは私に似たのかな? 私よりずっと素直ですけどね。 「本」って、物語は空想でも、目の前にそれを閉じ込めた実物がありますね。 表紙を見ただけで中が浮かんでくる、ぱっとめくって目的のところに飛べる… スマホで読む物語はそうは行かないですよね。 映画も自宅でテレビやNETやDVDで見れば便利ですが、心にはどこまで残るでしょうね? 「新明治座」でみた「砂漠は生きている」の総天然色テクニカラーの美しさは今でも驚異です。 日比谷映劇、スカラ座…夢がありました。 これも変質してしまったようですね。 ITだAIだ5D・・・この変化って人間を本当に幸せにするのでしょうかね? 「1億総白痴化」どころか「75億総白痴化」でコンピュータだけがほくそ笑むのかも… SFってどんどん現実になっているし… 何回も書きますが、「マザー」等というコンピュータに人間が支配される話があります。 嫌ですね! 怖いですね!人気ブログランキング
2020/03/22
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今年、2020年のキショウハdうかという予想があちこちで出ています。 下に二月の全世界の海水温平年差マスヲのs。 とにかくどこもかしこも高めなんです。 まさに、地球温暖化ですね。 おまけに衛星写真では今年に入って日本に関係あるアリューシャンとかの海域はずっと上天気ですから、じわじわと温まってくるでしょう。 三月ですが、早ければ4月からは台風シーズンです、 細かいのが次々生まれて海をかき回してくれると良いのですが… でも早めの台風が発達するとフィリピンが迷惑します。 近年は「エルニーニョ」「ラニーニョで説明できる気象ではない湯です。 インド洋の「ダイポール現象」の去年の秋から少々おかしいようです。 秋から暮れにおかしいと日本の梅雨に影響するらしいです。 偏西風を動かしちゃうそうですから台風の進路も変わるのでしょうね。 偏西風が南におりていれば台風は起きを通るのが増えるでしょうし、北に上がって頭を押さえると中々進まなくなって「雨台風」が暴れるし… まあ、心配しても仕方ないですね。 「予報をよく聞いて逃げてください」としか言えないでしょう。 「暴風雨」「豪雨」「洪水」「津波」 中々逃げませんからね。 一生に何回も遭遇する人は少ないです。 「東南海」「南海」は生まれていましたが記憶できる歳でもないし、木本はさほどの被害がありませんでした。 「伊勢湾台風」「12号台風」は経験していますが、これも、木本はほんの一部に被害が出ただけでした。 私も、災害に関しては他の人より少し目撃体験がある程度です。 興味があるので情報は集めますが、現実にぶつかったら若い人のように逃げるのは不可能でしょうね。 今の状況だとこの家の場所は台風の高波と東南海地震の津波では大丈夫そうなんですけどね。 三陸のときのように津波の大波まで20分も30分もあれば年寄でも逃げられますが、4分とか10分では無理でしょう。 2~3分間も揺れるのですからね。 堤防の樋門を閉めてあるので花火の時以外は普通の津波は大丈夫のはずです。 でも、花火と津波がぶつかる確率はそんなに低くないんですよ。 準備など含めると一年に2日ほど樋門が開いています。 30年に80%だとすると… 365×30=10950日 262.800時間 その間で50時間開いていると… 0.019%もあるんですよ。 30年に交通事故に合う確率は 10%ほどだそうです。 まあ、これも数字の話ですけどね。 でも統計的な数字、確率がすべてのベースです。 普通の災害に合う確率は場所によってうんと高くなります。 熊野は大河がないので洪水の率はそんなに高くないですし、十津川方面のような山抜けも少ないですが、この異常気象ですし、スーパー台風まで予想されていますから… 私が体験することは殆どないとは思いますけどねえ…人気ブログランキング
2020/03/22
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かつて、世界の男性を喜ばせた、「プレイ ボーイ」が紙の媒体から撤退するそうです。 1953年からだそうですから色んな美女が紙面を飾ったでしょうね。 一号には「マリリン・モンロー」が載ったそうです。 日本でも「週間プレイボーイ」が出ましたね。 集英社・1966年だそうです。 平凡出版の「平凡パンチ」に対抗したらしいです。 この両社は「平凡」「明星」以来のライバルですね。 私の少し上の人達は「平凡」「明星」に影響うけたようです。 「マドロス」の格好とか「ポニーテール」とか・・・・・・ 私は「週間プレイボーイ」や「平凡パンチ」もあまり見て居ません。 アメリカ版の「PLAY BOY」も買って読むほどのことは無かったですね。 グラビア誌では「LIFE」は写真部に持ち込まれるので見ましたけどね。 「MAGNUM写真集団」には憧れましたしね。 一般的に有名な名カメラマンは「ロバート。キャパ」でしょうね。 私が恵比寿でやったスナック喫茶は「マグナム」という名前でした。 「マグナム」には色んな意味があるし、写真集団と結びつかないで、ピストルとかスラングの方とか「でかい」と言う意味で受け止められたようです。 写真週刊誌と言えばあまりよろしくないイメージもあるようですね。 「フライデー」「フォーカス」がイメージを作りましたからね。 最近では普通週刊誌の「週刊文春」「週刊新潮」などがパパラッチになって居るようですね。 紙の媒体は喫茶店や歯医者の待合室などくらいしか必要とされなくなってきているのでしょうね。 紙の媒体にも良い所があるんですけどねえ・・・ 歳を取ると「スマホ」ではきついです。 写真もサービスサイズの半分ではねえ・・・ まあ。紙と違って動くのも多いですけど・・・ 新聞も減って居るようですし・・・ テレビも見なくなってきているようですし・・・ SNSの好みのものしか見ないで「フェイク・ニュース」を信じ込む若い人が増えて居るようです。 こんな時代に「ヒトラー」が出てきたら・・・ 「こわいですねーーー!」 こんな映画解説ありましたねえ・・・人気ブログランキング
2020/03/21
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全国的に「花見」が自粛されています。 この辺には今のところ感染者は居ないようですが、花見は軒並み中止のようです。 今は、「クマノザクラ」が満開ですが、「染井吉野」には少し早いようです。 この地方は「ソメイヨシノ」の開花が遅めです。 神川町の「桜覧会」は来週日曜日10時から22時頃まで、旧・神上中学校で行われる予定でしたが、中止になりました。 井戸川土手の井戸の花見も提灯の飾り付けが始まりましたが、花見は中止だそうです。 主催者は両方とも民間ですが、会場が熊野市立神上中学校グランドや三重県熊野庁舎駐車場ですから、貸して貰えませんよね。 神川は勝手に行って個人で毛氈敷いてやる分には叱られはしないでしょう。 隣村の奈良県吉野郡下北山村池原の「第37回桜祭り」4月5日日曜日も中止です。 こうした、大きい「花見」は全部中止でしょうね。 酒飲んで大騒ぎするので無ければ、南紀や東紀州では安全だと思いますよ。 この木は「クマノザクラ」だと思われます。 十日前頃からあちこちで開花し始めました。 ソメイヨシノより遙かに早いです。 新品種だそうですが、普通の山桜との違いは少しみたいです。 紀伊山地は野生の桜が多いところですから、品種が枝分かれしてもおかしくは無いです。 「染井吉野」は江戸時代に江戸郊外の「染井村」で品種改良された物だそうです。 吉野山から来たのでは無く、綺麗だから全国に広がって吉野にも里帰りしたそうです。 この子も他所へお嫁にやったら、もっと綺麗になって里帰りしてくるかも・・・人気ブログランキング
2020/03/21
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人類対ウィルス 相手がウィルスなのに世界中の国に宣戦布告するような行動にアメリカ合衆国が出ました。 EU内での対決も表面化しかけてきたし・・・ イタリアの惨状に対し原因がEUにあると言う考えが出てきたようです。 「一帯一路」に要因があったとは言いづらいでしょうけどね。 EUの基本理念がウィルスで否定されてしまいそうです。 さらに、アメリカ大統領の「全世界でのビザの発給を停止する」と言う宣言は「全世界に宣戦布告する」と言うに等しい物です。 まあ、何でもセンセーショナルに発表して人気を得てきた人ですから、ああなるのでしょうけど・・・ いくら喧嘩が強いといっても・・・ ドイツなんかも「これは第二次大戦以来最大の危機だ」と言うし、「これは戦争だ」という発言がどんどん出てきているようです。 政策に行き詰まったり人気が落ちたりすると戦争を起こすのが歴史では常識です。 しかし、敵を間違えてはいかんでしょう。 この際、多少の利害が違っても人類が連合軍を組まないと駄目ですよね。 こんな時でも「ディール」が先に立つのでしょうか? ワクチンとか新薬開発で巨大な利益を上げてきているのが合衆国なんですよね。 世界の医療費をパンクさせる新薬の金はほとんどアメリカ行きみたいです。 今回もあの大統領なら大きな取引になればご機嫌なんでしょう。 でも、開発が他に国で成功したら??? 怖い話になりそうです。人気ブログランキング
2020/03/20
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新型コロナウィルス関連の報道を見ていていらつくことがあります。 専門者会議とか知事産の意見に賛同するわけではないのですが、キャスターやコメンテーターの発言がかなりひどいです。 初期の厚生省役人の発想と同じようなものです。 「大勢集まると危険」というと、「何人くらいで危険なんですか?」などと聞きます。 今の熊野の人だけ100人集めたのと、ヨロッパ帰りの人や湖北省帰りの人を10人集めたのを比べれば、確率的には後者のほうが人数が1/10でも危険度は10倍も100倍もあるでしょう。 ウィルスを持った人が居なければ1000人でも問題ないですが、他の病気の率は上がりますけどね。 こうしたことはあくまでも確率の問題です。 厄介なのが「不良分子」が見分けられないことですね。 だから、できるだけ避けるしか無いのです。 「不要不急の外出は控えるように」と言えば… 「そんな事言われても仕事もあるし…」 馬鹿でないの? それは不要の外出ではないでしょう? なるべくうつされないよう、うつさないようということですから、止められる幼児なら今はやめたほうが良いということでしょう。 そうした意識の変化で北海道では人手がめっきり減って、感染者も増えなかったでしょう? 要らん人が10倍うろつけば広がる確率は10倍上がるし、2倍長い時間うろつけば更に2倍分上がるわけです。 たまたま、罹患者でウィルスを外に出す人が居なければ確率はゼロに下がるのですけどね。 「自粛したら経済が破綻する」というのもありますが、爆発的に広がったらそれ以上に経済は壊滅しますよ。 できるだけ自粛して、家飯を増やしテイクアウトにするほうが良いはずです。 これだって、確率の問題ですけどね。 ??? 私達の時代と違い「確率・統計」って数学で習っているのでは? あの危険度・近づくなの図式って、私達の頃に無かった集合、仲間はずれと同じでしょう? 数産の教科書にあったけど受験にないので習わなかった世代でもわかる話なんですけどね。人気ブログランキング
2020/03/20
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熊野市には太平洋と熊野川水系の長い川と。山から一気に海に流れ込む短い川があります。 急峻な山なのと山のなりたいからか天然の湖はありません。 山の中にはダム湖はいっぱいあるのですが、湖産のぎょいは存在せず、鰻や鮎の遡上を邪魔した上に、持ち込まれたブラックバスやブルーギルのせいで破壊しつくされた生態系になっています。私が子供の頃にはダムの建設が始まり天然鮎の訴状もなくなり、琵琶湖産の鮎の放流が始まりました。 そして、「オイカワ」が増えて「たいしょうばい」と呼ばれていました。 オイカワ WEB魚図鑑より オスです。 こいつはでかくてドングサイし滑らないので手づかみし良い魚でした。 しかし、骨は硬いし見はぶよぶよだし…猫でも好みませんでした。 大又川・北山川水系の清流を抱える割に、流域では川魚を食べる習慣はなかったようです。 十津川なんかには「なれ寿司」の文化があるのに、すぐそばなのに作りませんでした。 子供の頃には年中川で遊んで魚を撮っていましたが、焼いて干して天ぷらなどにはしましたが、「ウグイ」がメインでした。 「鮎」は干して置き、「そうめんのだし」や「昆布巻きの甘露煮」にしましたが、すでに放流物になり子供以外は鑑札が居るようになっていました。 「ウグイ」はちょうど今頃、桜が咲く頃に産卵が始まり「マイウグイ」と言う手段になりました。 昔は8寸もあるウグイがいたし、5寸は当たり前でしたが、今は三寸とか…寂しい話です。 魚を捕る子供も居ないのに…餌が減ったのでしょうね。 鰻も鮎も細々と放流していますが、捕る人も居なくなってきています。 食べる習慣のなかったところですし、捕る人まで居なくなると川日はづく人も居なくなります。 河原に降りる道がどんどん消えているようです。人気ブログランキング
2020/03/20
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「お彼岸」です。 「春分の日」の方が今では身近? それよりは単純に「お休みの日」と思う人のほうが多いかも知れません。 「彼岸」は仏教的なもので、対義語は「此岸・しがん」です。 「彼岸」はあの世で、苦しみなど無いところで、「此岸」はこの世で苦しみに満ちているのだそうです。 そして、死んだら苦しみなどない国、「極楽」へゆきたいらしいです。 「小乗仏教」では出家すれば良いらしく、男の子は少年期にほぼ全員出家します。 日本などの「大乗仏教」では「般若心経」を唱えればよいそうですが、宗派によって違いますね。 「極楽」の場所も「天国」のように上にあったり、西の方「西方浄土」だったり、南の方の「補陀落」だったり、挙げ句は地獄に落とされたり… 三途の川の渡し船で行き先を間違えるとどこに送られるやら… この辺がすがっている「ユネスコ文化遺産・紀伊山地の霊場とその参詣道」はそうした思想の塊ですね。 神仏混合ですから、主な霊場は神社なのに、参詣する側は「あの世のことをお願いする」場合が多いようです。 日本の神様って下々のことにはあまり関わらないようですがね。 熊野ではこの世もあの世も救われるとか… 吉野では「金峯山寺」ってお寺なのに修行は神道的みたいですし… 那智では「補陀落山寺」なんて「補陀落信仰」がありますし… 世界遺産指定運動の頃からは、ご利益をもらったのは「三重・和歌山・奈良の三県とその地方自治体」だったようです。 これが那智駅近くの「補陀落山寺」です。 あまりいい話のある寺でもなし、古道客のおこぼれも少ないようです。 このお寺の年をとった住職さんは船に乗って、南の海にあるとか言われる「補陀落浄土」を目指したんだそうです。 最後の住職さんの話は調べれば出てきますが、「ありがたくない」ものです。 「彼岸」=「墓参り」の図式も消えつつあるようです。 「墓じまい」「無縁様」が猛烈に増えていますからね。 オンラインで呼び出せる永代供養なんて普通になるでしょうね。 でも、それも開かなくなると思いますが… 彼岸が二回、お盆が一回、月命日があって、祥月命日、さらに年忌があって… 終戦の日・原爆の日・各地の災害の日もあります。 NETアプリにすると追いかけ回されるので消去されるかも知れませんね。 不謹慎みたいですけど、そんな世の中でしょう。 鎌倉時代・江戸時代…明治ー大正ー昭和ー平成と、どんどん変わっちゃいましたからね。 この話題って一杯ありそうです。人気ブログランキング
2020/03/20
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目下、春場所中です。 終盤に入って来ましたが、「無観客」なのでテレビは静かです。 歓声がないので、解説が下手だと下手さ加減が目立ちます。 現役の時、相撲強かったからと言って名解説者でもないですね。 力士にあまり興味がないのではないか…と思わせる応答では困ったものです。 大関は一人しか居ないし、横綱も寿命が近づいているし… 相変わらず怪我人が多いし… やたらと小兵に人気が集中したり… キワモノに人気が出るのには疑問符が付きます。 お相撲さんには、「あんこ型」と「ソップ型」があるみたいです。 「あんこ型」は魚の「あんこう」から来たのだそうです。 下半身がでぶでぶ太ったのが「鮟鱇」に似てるんだとか… でも、今の「あんこ型」って「怒った時のふぐ」みたいです。 「良い体格」を通り越して居ます。 「太り過ぎ」が指摘されるようになって20年を越すでしょう。 「ライザップ」しなくて良いですが、医者から指摘され、怪我が多発しても、治らない、直さないのですね。 テーピングとサポーターだらけの力士は駄目でしょう。 「ソップ型」はオランダ語から来たのだそうで、「スープを取っただしがらの鶏」なんだそうです。 昔、「千代の山」なんて横綱がいました。 そう言えばあの「千代の山」は映画に出ていました。 髭モジャ「朝潮」なんてのもソップ型でした。 筋肉質でごつく、強そうが力士は減りましたね。 「栃ノ心」はこの型ですが大怪我しちゃいましたしね。 私が子供の頃、冬場の昼休み時間の遊びは「相撲」でした。 星取表も作ったりしましたからね。 その後に入ってきたのが、「力道山」のプロレスですね。 これは真剣にやると危ないので… まともに相撲をとった世代なので、息子たちが高校生になって上背も私より大きくなっても相撲では勝てました。 受け止めて組んじゃえば技など知らない相手は楽なものですからね。 相撲世代っていつ頃までなのでしょう?人気ブログランキング
2020/03/19
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野草の中で子供にとって身近だったのは、「よもぎ」ですね。 親たちは「よもぎ餅」の材料、子供には「傷薬」として、どこに居ても手に入る大事なものでした。 血管収縮作用と殺菌作用があるのかもしえませんが、葉っぱをつばで揉んで使いました。 今の親なら「汚いから止めなさい」と言うかも知れませんが、昔はそれで治してきたのです。 でも、かなりシミますよ。 もう一つのよもぎの使いみちは、水中メガネの曇り止めです。 揉んでガラスに塗りつけると息で曇るのが防げます。 これは海の海女さんも使うとか… さらに、根っこと「ガロジ」のちぎったのを使って「ガブ」も釣りました。 河原にも一杯生えているので色々使いみちが増えたのでしょうね。 薬としては「おおばこ」「せんぷり」「こなすび」「じゅうのう」「ゆきのした」「どくだみ」「かんぞう」イrんなのが使われていたのですが、知らない間に「置き薬」や「市販薬」に変わってしまいましたね。 「アロエ・医者いらず」は寒さから飛鳥では育ちませんでした。軒先とかにぶら下がっていたのですけどね。 「山いちご」「野いちご」なんてのも今の子は食べないのでしょうね。 まあ、変なものは口にしないほうが良いのでしょうけど、サバイバルもできなくなるでしょう。 「猫じゃらし」の穂が出る前のやつ、「笹竹のたけのこ」、「ツツジの葉っぱの虫こぶ」「柳の虫」「蜂の子」「いなご」・・・食えるものは一杯あります。 セミ・コウロギ・ゴキブリまで食うところがあるのですからね。 「栗」「あけび」「柿(渋柿は泥田に漬け込む)」「未熟なそら豆」「完熟で黄色くなった梅」「むかご」…随分食べたんですね。 原始時代の子供じゃあ無いですよ。 これでも戦後育ちです。 「タニシ」「ゴジナ」は茹でて食べましたが、大又川には流れのない「淵」が殆どないので「タニシ」は佐渡管内の「長淵」へ盗みに行きました。 竹を割って先を十文字に少し開いて、とんと突いて挟んで捕りました。 こうしたものは年長者から下へと伝承されていったのです。 私達の頃で「ガキ大将」がいなくなり、伝承も途絶えたのでしょうね。人気ブログランキング
2020/03/19
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ビルなどでは建物の基礎に建てられた年のプレートがはめ込まれています。 ロンドンとかローマに行くととんでもない年号が刻まれていたりしますね。 江戸時代前期の建物がホテルとして営業していたり… 我が家は・・・ Builted in 1972 です、 築後48年ですから、木造住宅の耐用年数を超えてきています。 温水の配管とガスの配管はだめになって一部新しくしました。 目下、屋根の吹き替えと壁のペインティングをやっています。 この建物は設計したときはまだ新婚だったので、水回りのある後ろ半分建てて、子供が出来て前を建て増しましたから。前半分は1979年かな? 新しい方でも40年になりますね。 台所の蛍光灯が久しぶりに切れますた。 「ラピッドスタート」と言う当時では新しいものでしたが何回か切れました。 ほぼ全館白熱灯で設計したのですが、台所は蛍光灯でした。 玉の交換にかかるとソケット部分が劣化していました。 止めビスの問題だけなので、補修して継続することにしましたが、やっぱり、経年変化は出てきますね。 カバーの落下防止の紐も切れるし… 虫の侵入防止のスポンジは劣化で粉となって消えているし… ??? 1979年のこの器具のトランスにPCBは使われていないのかな? PCBの入っている器具の処分期限はもう切れる??? 外壁材の断熱、1972年だとアスベスト禁止の1975年より前ですね。 詰め物はグラスウールですがアルミ外壁の裏打ちは??? 記憶にありません。 紀州桧の家は災害がなければ普通に百年以上持ちます。 田舎では百年を越す家がゴロゴロしていますからね。 家の寿命は人間より長いですが、今の時代、その家を受け継ぐということが少なくなっていますね。 田舎では中年になって家を建てたけど、子供が帰ってこないので、築後20年ほどで空き家になっているのが結構あります。 その中古住宅も売れません。 日本人は中古住宅が嫌いですしね。人気ブログランキング
2020/03/18
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ここで「野山」と書いてありますが、飛鳥では「のやま」ではなく「のさん」と呼びます。 杉桧や松山では無い、草刈り場や雑木山などを呼ぶことが多かったです。 「草刈り場」は堆肥用や牛の餌用の草を刈る場所で、山裾の部分や川原の草原部分でした。 大又川は急流で深い谷ですから草が育つ川原はすごく少なく、護岸を守るために「川原竹」を植えた部分が多かったです。 岸を守るのと農作業で使う竹の棒を採っていました。 河川敷でもそれぞれ持ち分は決まっていました。 子供達は、愛用の「肥後の守」を使って「自分用の刀」を作り、腰に差して歩いていたのですが段々そんな遊びする子が減りましたね。 きちんとしてルールがあって、「叩いても良いけど突きは厳禁」でした。 上の子から順繰りに教えが伝わったので、竹の棒のチャンバラでたんこぶだらけになっても大怪我は無かったのです。 泳ぎの作法や木登りの作法も伝わっていたのですが、「ガキ大将」が消えると共にそうした明日日のルールも消えて、子供の重大事故が増えたのです。 昭和32年頃の飛鳥中学校と小阪の吊り橋です。 川原のところまで埋め立てて運動場が広くなった時で、今は川っぷちの部分が国道42号線になっていますし、人物の後ろ部分に1958年に今も残る体育館が出来ました。 この埋め立てには生徒がかり出され、大又川からゴロ石を運ばされました。 毎日毎日200人ほどの子供が石を運んで工事費を安くしたのです。 いまだと、子供をこき使うのと河川の石を採取する両方で大問題になったでしょうね。 出来たばかりの熊野市も金が無かったですからね。 この頃、秋になると「野山」では山芋の葉っぱが色づいてきて「山芋掘り」が盛んでした。 私なども「図画の時間」には写生しないで山芋を掘り図画の先生に届けました。 うまく掘れたら具画を出さなくても点が貰えました。 古き良き時代ですね。 この時代だと、春の「ワラビ・ゼンマイ・ゴンパチ」の他に「ヨモギ」も大事な野草でした。 やたらと餅をつくところですし、「よもぎ餅」がよく搗かれましたからね。 新ヨモギの他に蒸して乾燥しておく「乾燥ヨモギ」も作られていました。 そして、大事だったのが「お茶」ですね。 茶畑などは無く、畑の隅や石垣などに植えられたお茶が大事な物でした。 大きめに育った所を摘み取って蒸してもんで乾かした「番茶」にしましたが、一番茶ですから売っている番茶とは比べものになりません。 飛鳥や五郷のお茶はおいしいので「奥のお茶」と、木本の人などは貴重品扱いしましたね。 今でもお茶を摘む人は居ますが随分減ったようです。 何しろ足場の悪い所に植えてあるので摘むのも大変なんです。 それに今のガスコンロではうまく加熱できません。 お茶を煎る「ほうろく」は三丁目の「丸田商店」では今でも売っていますよ。 大正から昭和への建築もどんどん姿を消しています。 あと10年経つと木本の町家も随分姿を消すのでしょうね。 あまり住みよい家ではないですけどね。人気ブログランキング
2020/03/18
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「花見だ!」なんて話題がテレビで流されていても、高山で雪が積もったり、寒いですね。 酒飲みではないので、「花見の宴」にはあまり縁がないです。 写真を撮るのなら、大泊駅の桜で十分ですし… 酒飲みって幸せな種族ですね。 正月に始まって昔からの行事でも新しい行事でも口実に出来るし、暑くても寒くてもきっかけになるし…大晦日の除夜の鐘が鳴るまでずっとスタンバイ状態ですものね。 今年も… 「人がおらんで寂しいのう!」と、言いながら飲むんでしょうね。 「アルコールでコロナを退治するんじゃ!」と、気勢を上げる人もいるでしょうね。 私もかつては「酒飲み」でした。 「トリス」「オーシャン」「ニッカ」のハイボール 寿屋のトリスおじさん時代からサントリーに変わる時代ですね。 ビールではサントリーが出てきて、北欧風の苦味のないものを「スコール乾杯!」なんてキャッチフレーズで売出しにかかりましたが思うようには売れませんでしたね。 次に飲んだのが「ジントニック」「ジンロック」… ブランデーはまともなのは高いし、安いのはひどかったです。 米軍基地からの流出品「PX物」で「オールドパー」や「ジョニ赤」なんてのも… 一升瓶に入ったウィスキーなんてのがバーでサントリーの瓶なんかに詰め替えられた時代もありました。 私が海外に出始めた頃は、酒と煙草を免税で持って帰るのが常識でした。 洋酒の関税は高かったですからね。 私が飲まなくなった頃から、ビールがややこしくなりました。 「ヱビスビール」の復活までは良かったのですが、その後から始まった、「第二のビール」「第三のビール」「ノンアルコールビール」わけがわからんです。 あんなに種類あってどうするのでしょうね? 乱発してもフアンは増えず売上が落ちているんだとか… 私にはわからんです! これはサントリーがビールを発売した当時に販促用に配った物です。 後ろ側にはサントリーの紋章がついています。 プリントでは無く浮き彫りです。 恵比寿で店をやっていた頃、新製品と言うことで「サントリービール」を出したのでどっさり貰いましたが、持って帰って残って居るのはこれ一個だけです。 当時のコカコーラの10オンスタンブラーもあります。 ちょっと貴重かも・・・人気ブログランキング
2020/03/17
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江戸時代は置くにして、明治以降でこの辺の食生活ってどんな風に動いたのでしょう。 基本的には「地主」「小作人」の身分があり、商業でも「主人」「奉公人」の寛解、職人の世界でも「親方」「職人」の制度がずっと生きてきました。 戦争が終わって「農地開放」「労働基準法」などの法整備までとその後では社会構造が違いますから、その影響が日常生活に大きく作用したでしょう。 都会では[会社」「月給取り」が増えてもこの辺では少なかったでしょうからね。 家と言って、大地主が居るでもなし、大店もあるではなし… それでも木本にも新宮にも料亭があり置屋もあり… 階層社会がありました。 明治になると「四足」を食べ始めましたが、祖父の若い頃には家の中では「すき焼き」などしなかったし、本当に鉄の鋤の刃の上で肉を焼いたこともあったそうです。 でも、鍋の肉は牛ではなく「かしわ」が主だったそうです。 鶏は放し飼いで夜は家の中の梁などに留まって寝ていたそうです。 地主の家では牛が飼われ財産だったのです。 地主でも麦飯が普通で、その比率が家の置かれた状況で違ったそうです。 アワやヒエも食べられていたい里芋なども主食級だったようです。 畑でも自由にならない時代もあったのですから庶民の食生活って今では想像できないでしょう。 「油屋おこん」の話ではないですが「身売り」も当たり前だった貧乏な田舎だったのです。 そんな時代、山間部のおかずは??? やっぱり、「漬物」「味噌汁」たまに「干物」だったのでしょうね。 山働きでも、朝のお粥の実の部分を絞って「わっぱ」に詰め、漬物と味噌を乗せて持っていったそうです。 戦後になってくると、ご飯が麦飯になり、「サイレのカンピンタン」の1/3くらいがおかずだったそうです。 こうした時代の漬物は各家で腕をふるってつけていたはずです。 高菜でも、今は新漬けですが、発酵して黄色くなった「古漬け」が主ですから、腕の差が出ますからね、 今では家庭でつけない「こんこ・大根漬け」も着けられていました。 「真菜」も漬けるし、里芋の茎は「芋がら」として干すし… ゼンマイは保存食でできるだけ春にとって蓄えていました。 それの採取は入会権のように認められていたようです。 春の筍やわらび・ゴンパチも大事な食料でした。 今では嗜好品になってしまったものが昔は必需品で生活を支えていたんです。 私が物心つく頃は戦後で少しずつものが出てきた時代ですが、近所のおばやんや嫁は春になると大きな袋を持って、雑木山や草刈場、道路脇の日の当たる斜面などで「わらびやゼンマイ・ゴンパチを競って採っていました。 ことにゼンマイは茹でて揉んで乾燥させれば一年中食べられるので、田んぼの石垣や溝の石垣に生えるのまで積んでいました。 私なども遊びを通り越すほど一生懸命に摘んで回りました。 だから、今でもどこに生えるかを見分けられます。 その名残で、毎年一回は権八ぃや蕨を摘んできます。人気ブログランキング
2020/03/17
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学生の頃、何度か乗った列車です。 上野発青森行夜行列車でした。 昔はこうした列車の出発時間を覚えている時刻表マニアでもありました。 「十和田」は常磐線経由だったのです。 東日本震災以来運行停止になっていた常磐線が再開したというニュースで思い出したのがこの列車でした。 前回の東京お輪ピンクの開会の夜、上野駅から青森に向かったのが「急行・十和田」でした。 10月11日朝、青森に着き奥入瀬へ… 紅葉の始まった奥入瀬から十和田湖子ノ口へ… カメラはNIKON F とTOPCON ホースマンプレス フィルムはカラーはAGFAでした。 十和田湖に比べ少し海抜の下がる奥入瀬の紅葉は早かったように思います。 夏の恐山の大祭に向かった時も「八甲田」ではなく「十和田」に乗りました。 北海道に行く時は「八甲田」だったようなに思います。 常磐線の方は距離が空くし短いのは関係なかったのですが… ということで、50年経っても常磐線=急行十和田が頭に残っています。 駅弁マニアとしては夜行急行は旅を急ぐだけのものでしたから、黒磯のなめこ汁を飲むために昼間の東北線に乗ったこともあります。 旅の楽しさってそんなところにもあったのです。 今では窓も開かないからホームの駅弁売は居ないし、紀勢線などは車内売まで消えちゃいましたね、 古い客車時代の度ってそれなりに良かったですね。 時間が掛かるから「夜行列車」が多かったし・・・ 急行停車駅の「駅弁」は楽しみだったし・・・ 駅弁売りの居そうな位置に移動して停まるのを待ちかねて窓を開け・・・駅弁売りのおじさんも動き出した汽車の窓からおつりをくれる・・・ 駅蕎麦のある駅では飛び降りて蕎麦を頼み、動き出した汽車を横目に食べ終わり飛び乗る・・・ それが「旅の通」だったのです。 今では窓も開かないし、扉が閉まっちゃうし、そんなの味わえません。人気ブログランキング
2020/03/16
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私は昭和生まれです。 明治と大正の世界は話や本でしか知りません。 育った昭和時代は太平洋戦争ー終戦ー復興と大きく動いた時代でした。 封建時代から民主主義へ… 軍国主義から恵和主義へ… 和食から洋食・中華へ… 下駄や草履から靴へ… 150年も経つのですから一杯変わっても不思議ではないですね。 黒船が来て、明治維新、文明開化、日清・日露戦争から激動の時代だったわけです。 この辺のような田舎でも学校はきちんと出来るし、鉄道も伸びてくるし、道路も入ってくるし… 道がなければ索道や巡航船を走らせるし… 北山や十津川の木材でも大阪に送り出すように流通網を作ったんですね。 日本人のバイタリティってすごかったんですね。 その間に、私達庶民の日常生活、食生活も「随分変わったのでしょう。 日本の食文化を大きく変えたのは「砂糖」だとも言われます。 近代に入り南から「サトウキビ」の砂糖が入り、北では「てんさい糖」が作られだしたので、味付けが大きく変わったようです。 発酵技術の進んだ日本では「醤油」・「味噌」・「酢」・「酒」と優秀な調味料はあったのですが、「甘味」には弱かったのですが、「砂糖」が入ってくると、今のような柔らかで華やかな味が広がったようです。 そんな流れとともに食べ物も随分変わったのででょうね。 私は1943年以降の人間ですが、戦争の最後と戦後の食糧難の時代以降で成長しました。 その70年余り時間だけでも「食生活」は随分変わりました。 祖父の時代から、聞きかじったことを含めこの辺の食生活について、次から、少し書いてみようかと思います、人気ブログランキング
2020/03/16
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オリンピックは予想通りまともには開催できなくなりそうです。 これはウィルスが武漢で発生し、蔓延し始めたときに予想dされたことです。 良くも悪くもオリンピックは巨費をつぎ込んだ世界のお祭りです。 うまく行かなかったら下手すると主催国の政権が揺らぐくらいのものです。 戦争で流れたこともありますが、「平和の祭典」が理想ではなく「平和でないと出来ないお祭り」なんですね。 今回の騒動は世界を巻き込む疫病騒動で、中国部感だけで住んでいるうちは良いですが、日本に入り、韓国に広がった段階で先行きがおかしくなっていました。 国内の移動禁止、外人の入国制限… 流行・拡散がいつ収まるか不明。以前の疫病流行の収束までの長さからも、7月に世界中の人が集まれるはずがないでしょう。 おかしくなり出してから、「アスリートがかわいそう」と、よくいわれます。 今のオリンピアードはほとんどプロですよね。 サツマイモかじりながら泳いだ「古橋廣之進」さんとは違うでしょう。 夕方まで働いてから練習した「東洋の魔女」とも違うでしょう。 大変な努力をして成功したアスリートは尊敬に値しますが、その背景も考えないと… ボクシング・レスリング・テコンドー・バスケット… 競技団体や選手の醜態はきりがないくらいですよね。 今に始まったことではありませんけどね。 オリンピックを機会に体質を正常化するどころか、便乗でアリーナを建て直したり… 強化費を食い物にしたり… 前回のオリンピックでは「五輪」を錦の御旗にして東京を大改造しましたが、今回は随分無駄遣いに回りましたね。 オリンピックって「アマチュアの祭典」だったはずなのですけどねえ… 東側諸国が国を上げて選手育成を始めた頃からおかしくなり始め、クーベルタンさんの理念など消えちゃいましたね。 日本人は素直ですから、「オリンピック」と言われると、アマチュア的で純粋な大会と思い込まされたままのようです。 ただ… この流れで行って、中止なんてことになると、「無駄遣い」が「無駄遣いのまま」になっちゃいます。 「プロ集団のための競技会」ではなく、「みんなのオリンピック」 に戻って欲しいものです。人気ブログランキング
2020/03/15
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紀伊半島は付け根の日本構造体直線から南は、交通面でも九州から大阪、名古屋、東京を結ぶ線上からは外れています。 海路では目の前を外国船も通りますが、寄港する港も殆どありません。 空路も白浜に飛行場はありますが、ほかは救急ヘリ用のヘリポートしかありません。 鉄道は全線通して乗る人のいない紀勢線だし、道路m通しで走る人の居ない国道42号線です。 日本列島の真ん中にあり、世界につながる太平洋に面しているのに、「日本一ん僻地」です。 この大きな紀伊半島は有史以来開発の手が入ったことはありません。 列島改造論の頃に近鉄と南海が少し色気示したことありますが、早々と引き上げたくらいです。 観光だインバウンドだと言っても静かなままです。 だからこそ「熊野古道」なんて古い峠道が残っていて、「ユネスコ世界文化遺産」に指定されたのです。 こんな条件ですから、「新型コロナウィルス」が入ってくる率も低いはずです。 せっかくの受験なのに、わざわざウィルスを仕入れに行く人もいるようです。 一旦持ち込んだら人混みはないけど、町での対話なんて結構多いです。人気ブログランキング
2020/03/15
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「坊っちゃん」の中で有名な場面です。 この辺なら… 「いなご、じゃぎゃえ」かな? イナゴというやつは農薬のせいで随分減った昆虫です。 私が子供の頃、秋にな理、稲が黄色くなる頃にはイナゴも体が黄色くなりました。 たんbの傍を通ると、バタバタ…と飛び立ったものです。 学校帰りなどには「肥後守」を使って竹を割り、長めの串を作ってイナゴ位を串刺しにして持って帰りました。 こいつに醤油をつけて「くど」のから消しを使って焼いて食べました。 香ばしくて、タンパク質いっぱいのおやつになりました。 日本の蝗と少し違うやつが時々大発生して草も作物も食付して大変なことになるようです。 去年あたり大発生したやつがアフリカからインド・パキスタン方面にやってきているようです。 こいつ等は、とんでもない数で集団で大移動するようですし、見るからに硬そうで、串焼きや佃煮にできそうにもありません。 見渡し限り埋め尽くすのですから、農薬散布したら環境破壊もものすごくなるでしょう。 中国が「アヒル」をパキスタンに贈って、退治に役立てようといっていrようですが、アヒルもくい飽きちゃうんじゃないでしょうか? 群れの移動を追いかけてくれるのかな? 自然界では、何かが大増殖すると、それを食ったり寄生したりする天敵が増殖して絶滅に近いくらいに数を減らすそうです。 でも、なかなかそうはうまく行かないようですね。 その天敵も普通の動物などなら良いですが、変な「ウィルス」なんかだと怖いですね。 「蚊」「蚤」なんてのは人間に伝染る病原体を運びますから、昆虫の大発生も何を持ってくるやら… 「杞憂」なら良いのですがねえ…人気ブログランキング
2020/03/14
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呼び名について前に書きましたが、もう少し書きます。 熊野市でも地域のよってかなり違いますが、よく似たところもあります。 ここでは飛鳥町小阪弁を中心に書きます。 人間もブリではないですが大きくなると呼び名が変わります。 当然、男と女では違います。 男の場合 幼齢期~青年期 ぼう ーー あに、じろう(じー)・さぶ・しろう 青年期期 あに、あにさん・じろう、じろのあにーーーおじ 老齢期 じじ じさま 女の場合 幼齢期 あま 青年期 あま、ねえさん 嫁期 ねえさん ねさま あねさ よめ 老齢期 ばば ばさま この辺りはびっくりもしませんが、女性の場合老齢期に入るとかなり違いが出ます。 昔の婆さんは自分のことを「おれ」ということが多かったです。 そして「よめ」の頃には吸わなかったタバコを人前でも吸うようになります。 男は「キセル」でしたが、婆さんは「葉っぱタバコ」でした。 「樫の葉はうまい」 「椿は苦い」などと言っていました。 祖母の姉妹が木本へ来ると葉っぱを探しに山まででかけました。 樫の葉っぱを採ってくると小遣いくれましたからね・ タバコは「ききょう」「みのり」なんて刻みでした。 一体、どこから「おれ」になり「タバコ」を吸うようになるのかわかりません。 「男がえばっている」と言われた時代でも、知らない間に女が強くなったようです。 秀吉も武田信玄も女房殿には弱かったそうですからね。 怖い嫁が居なく鳴ったら長生きしそうなものなのに、残された男は早死しますね。 亭主が居なくなった女性は長生きしますね。 なぜなんでしょう? 人気ブログランキング
2020/03/14
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東日本大震災の復旧工事では当初から詐欺が横行し何億、何十億という金が消えていました。 原発関連でもスタートから今に至るまで、そして、孫末代までおかしな金が闇に消えるでしょう。 関西電力の金の動きなど可愛いものなのだと思います。 少しだけ熊野原発に関わったものとしては不思議でもなんともありません。 そこまで行かなくても、復興関連公共事業も「便乗」が多いのは指摘されてきましたが、テレビで見てもおかしなのが多いですね。 災害でない時の公共事業、箱物にも身の丈にアワないものが多いです。 視察に行った先で、「ええかげんにせえ!」と言いたいものも多かったですが、東日本の復旧では「すごい」と言うのが多いです。 熊野市と同じ規模の市なのにとんでもなく立派な文化会館・・・ 維持できそうにない物品販売所・・・ どう見ても使う人が出てこない広大な人工高台の工業用地… 過疎高齢化が進んでいるのに、元通り以上の宅地造成… 気の毒だし、なんとかしないといけませんが、「何を考えとるんじゃ?」と言いたいのが多いですね。 ダム建設のあとで土建屋を喰わせるために土木事業をどんどんやりましたが、東北でも土木業者だけが飯の種にしている感じもします。 こうした構図は変わりませんね。 ああした「立派なもの」って、誰が欲しがって、誰が思いつくのでしょう? 本当に居るところには災害復旧費が回ってこないのにねえ…人気ブログランキング
2020/03/13
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方言って、活字にしにくいものです。 地元の人間でも紙に移しにくいものですから、議会の議事録のような「逐語議事録」になると大変です。 よその業者さんに委託していると、訛りがきつい人の部分ではカタカナが増えます。 外来語並みですね。 「おーい、何処行くんじゃら?」 「おう、そこまでじょ!」 「誰らいへ行くんじゃら?」 「わっらに教えたらんわ!」 「ケチじゃにゃあ!」 「われも俺になんにも教えてくれんぎゃあ! 尻クソくらえ!」 「なんじゃあ? どし割ったろか!」 飛鳥弁小阪)弁で男同士はこんな調子でした。 この辺ではだいたい荒い言い回しが多かったのですが、段々、方言が薄れておとなしくなりましたね。 荒く聞こえるけど、持って回って底意地の悪いことを言う都人よりは良いかも知れませんね。 そもそもこの辺は紀伊山地・吉野の山賊と熊野灘の海賊の混血が多いはずですからね。 それでも下北山あたりではすごく上品なな言葉もありました。 今の北山ではあまり聞けないかも知れませんけどね。 「ようござったの」等という「ござる」を使う年寄がいました。 「ゴザってゴザってござる」なんて熊野では冷やかしていましたが… 時代が下ると「ござったなの」が「来たんこう!」に変わっていったようです。 私は吉野郡下北山村と南牟婁郡飛鳥村の混血です。 まあ、両方「山賊系」ですね。 言葉は飛鳥(小阪)・木本(本町)と交流のあった東京・奈良・上田・大阪・沼津・写真部の連中などの影響を受けたごちゃまぜです。 おかげで何処の言葉を聞いてもあまり違和感を感じません。 でも、昔は「わからん言葉」が結構ありましたね。 標準語化して味気なくなったところもあるでしょう。 ことに、若い女の子の言葉は方言のほうが可愛いことが多いようです。 「やだくって…」なんてね。 どこだかわかりますか? 信州上田の言葉です。 「岩波文庫が全国で一番売れる理屈っぽい県」と言われていましたが、方g店では可愛いのもありました。 こうした言葉がどんどん消えてゆくのも寂しいですね。 家と言って、飛鳥弁を積極的に使う気にもなりません。人気ブログランキング
2020/03/13
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コロナがイタリアに入り込んで広がりそうだ…と言うニュースを見たとき思いました。 「イタリアなら広がるぞ!」 イタリアって一寸変わった国でした。 都市国家の歴史が長く、統一国家になったのも遅かったです。 とにかくまとまらなくて、多頭乱立で政権が全く長続きしませんでした。 花柄の「リラ」は国境を超えてフランスに入ると両替も嫌がられました。 人間は陽気で食べ物もうまい… でも、もう一つ信用できない… 昔のイタリアについての知識って… 「ナポリタン」「マカロニウエスタン」 「ゴンドラの唄」「マンボ・イタリアーノ」 「鉄道員」「わらの男」「刑事」 意外と馴染みの多い国なんです。 なぜ、「コロナが広がる」と思ったかっていうと、旅での経験もあります。 町中でくっつきあってチュッチュしているのがやたらと目に付きました。 町中を歩いていると、いきなり二人の酔っぱらいのおじさんに肩を組まれて大声で歌を歌出されました。 よくよく聞いてみると…「MIO TOKAINO SORAAKETE]と言っているようでした・ 「見よ東海の空 明けて♫」と歌って見ると、大喜びで肩を組んで踊らされました。 若い頃に練習艦隊で日本に寄港したことがあったとか… 「愛国行進曲」ですね。 スイスの鉄道でルッチェルンに向かう車中でイタリア系のおじさんと同席になった時は持っているお菓子をどんどん勧めてくれて、「知っているホテルがあるから紹介する」と新設にまくしたてられました。 これは丁寧にお断りして駅のインフォメーションで紹介されたホテルに逝くと、そのおじさんが居たなんて落ちも付きましたけどね。 とにかく、レストランや町中でもやたらと距離感の近い国でした。 だから、「コロナが広がって粗利前」と思ったし、事実広まっていますね。 刑務所での暴動や囚人の家族の抗議風景見ても、あれでは止まらないでしょう。 フランス人もイタリア人ほどじゃないけど、接触の多い方ですね。 私は、「ラテン系」と言われることもありますが、ブッチュには縁がないです。 本人は「ゲルマン系」に近いと思っていますからね。人気ブログランキング">
2020/03/12
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言葉は地方により、地域により、家により違います。 「紀州弁」と言われても、「のう」くらいは共通ですが、めちゃめちゃ違いますね。 田辺・串本・新宮・熊野・尾鷲に分けても違うようです。 その中で、「新宮の言葉は荒い」「尾鷲は品がない」などと熊野市では言います。 あっちはこっちをこなします。 熊野市の中でも昔は通じないくらい言葉が違っていなのですけどね。 木本でも、本町と親地町では違いましたね。 泊村でも大泊と小泊では違ったし、飛鳥村でも大又・小又と小阪と日進は違いました。 よくわかりませんが有井村なんかも有馬と井戸ではかなり違ったのでしょうね。 私は飛鳥の小阪と木本の両方で育ちました。 私が小さい頃、耳にした言葉、明治生まれの人達の言葉は私達と随分違いましたね。 古い言葉は別にしても私の周りでも色々ありました。 第一人称はあまり違わないようです。 わし・おれ わしら・おれら・おっら・・・昔は女の人も歳を取ると「おれ」を使っていました。 第二人称は随分色々ありますね。 単数 あんた・おまえ・われ・おまん・うぬ・おどれ・あじ・きさま・ 複数 あんたら・おまえら・わっら・おまんら・うぬら・おどれら・あじら・きさまら おまん=木本 うぬ=新鹿方面 おどれ=全般 あじ=大又 隣村の五郷・神川や有馬や井戸、金山などよくわかりません。 新熊野市となると11ヵ町村半集まっていますからね。 二人称になると喧嘩腰のときにも使うのでどこでも悪い言葉が増えるようです。 方言で違いの多いのが語尾です。 この辺では、のし・のう・にゃあ・ぎゃあ・ じゃっかの?・じゃろか? 「にゃあ・にゃあ」「ぎゃあ・ぎゃあ」 猫か! 他所の人にわからないのが、 おびえる・こわい・ずつない・・・なんてのやら あたたい・ 喧嘩言葉では… どしわったろか!・かちきったろか!・ぶちっきたろか! 結構きついですね・ 本人らはそんなには思わないのですけどね。 人気ブログランキング
2020/03/12
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CVID(新型コロナウィルス)はパンデミック(pandemic)の状態ではないと、大流行の宣言を出し渋っていたWHOも、中国・漢国・日本・イタリア・イラン・アメリカなどで広がりが止まらなくなり、国境閉鎖のような状態が続出になったので、当当選mん元しましたね。 WHOが宣言しただけで物事が大きく変わるわけではないですが、これで、各国は人の往来を大ぴらに止めることが出来ます。 そして、解除宣言が出るまでそれが続きます。 ということで。「東京オリンピック」は7月には開会できなくなりますね。 折しも、3月11日ということで「福島原発事故」が大きく取り上げられていますがあの事故を隠す大きな嘘で始まった東京五輪ですから、この日に大きなブレーキが掛かったのも因縁でしょう。 聖火リレーも不自然に復興を演出しようとしていますしね。 オリンピックは国境を超えて選手やスタッフ、観客が自由に往来することに意義があるのです。 「お前の国は汚染国だから来るな!」 「お宣告へは行けない!」 「感染者と一緒には競技できん!」 「日本へ早めに来て二週間は健康状態観察せよ!」 なんて状態では開催できません。 全世界が安全になるまでという事です。 WHOの存在も大きいはずです。 私が子供の頃に習った「WHO」は国連の大事な機関でしたからね。 「健康とは、完全な 肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」と言う憲章がこの期間を表すそうです。 今は言わなくなりましたが… 「健全な精神は、健全な肉体に宿る」なんてキャッチフレーズも使われましたね。 これはヒトラーが使ったことありますね。 WHOとIOCって、同じ基盤に立っている感じもします。 ともに、訳のわからん機関です。人気ブログランキング
2020/03/12
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今日、15時30分頃のスーパー売り場です。 メーカーをとかくいわなけらば、ティッシュペーパーもトイレットペーパーも山積みです。 誰も手にも取りません。 一杯あるのがわかれば安心なんでしょうね。 残念ながらマスクはまだ出てきませんね。 掛けなくて良い人が掛けるからです。 それに、官房長官が当初から嘘言ったのがいけないんです。 掛けなくて良いってもっと頑張って言わなければねえ… それに、「医療現場で足りない」と言われているのに、政府で買い上げて北海道で個別に配るなんておかしなことやりますしね。 香港じゃないですが、「マスク掛けて顔を隠してはいかん!」と言わなければ、この先日本社会はおかしくなりますよ。 街中「芸能人」になっちゃいそうです。人気ブログランキング
2020/03/11
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有給休暇のある勤め人は、8330円 フリーランス、自営業は 4100円 この差もよくわかりません。 担当翌人も説明できないんだそうです。 計算の基礎など無いでしょうからね。 ところで、前に見触れましたが、この給付金はおかしなことを引き起こしそうです、 マスクの転売に思い罰則をカスと言っていますが、この不正にもきついお仕置きが必要でしょう。 そもそも、申請が正しいかどうかの確認はできないでしょう。 有給休暇を与えていない事業主がウソを付くこともあるでしょう。 フリーランスの人って確定申告とか指定ない人も多いでしょう。 どっちにしても、何日休んで被害がどうなるのかもわからないままで決めちゃったのですからね。 これは学校が休みになったことに対する補填なので、子供が居なければ対象になりませんね。 子供が居ないけど、出勤停止や解雇になるパートや派遣社員はものすごい数になるでしょう。 直接国が引き起こした災難ではありませんが、オリンピックだカジノだ万博だ国体だなんて言っているときではないでしょう。 「国難」です。 この時期に、「春闘」のニュースが流れますが、労働者の4割以上は縁のない話でしょう。 回答が低いと言われますが、一般からミリと上流階級の話に見えるでしょう。 年金はまた下がるのでしょうね。人気ブログランキング
2020/03/11
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熊野の旅 今回、ここは大丈夫ですが… 宮城県沖の地震では大変なことになっていますね。 今日は議会があり、地震発生時は「平成23年度熊野市一般会計予算」の委員会審議中でした。 地震の一報が事務局から入り、その後でサイレンが鳴り、さらには「津波警報」になりました。 委員会審議を打ち切って散会し、私も家に帰りました。 私の家は海に面しているので「東南海地震」だとあまり安心できない所です。 今回の津波予報が2mと言うことなので一応大丈夫レベルです。 二階に上がり、海の観察をしていると4時15分頃でしょうか、600mほど離れた鬼ヶ城の磯に若干の潮位の異常が見られました。 私の目では50~60cm程度に見えましたが、発表では80cmだったとか… 帯状に押し寄せるような津波ではなく、じわじわと上がってゆく感じでしたが、磯の濡れ具合で分かりましたね。 二波までの時間も短かったですが、その程度で収まりました。 買い物に出ようとしたら、隣のモスバーガーは営業を中止していました。 そして、海から離れているスーパーオークワ熊野店も買い物中に閉店を通告されました。 こうした店舗では、きちんと「警報」に対応しているようです。 しかし、海岸を走る国道42号線などでは何の変化もありませんでした。 いつもそうなのですが、地震も警報も完全になめられているようです。 知り合いとかの問い合わせもそこそこ入りましたが、津波は地形と方角によって随分違うので厄介です。 震源がまっすぐ先でも、遠ければ変化するのに、今回は房総半島と伊豆諸島を回ってくるので本当にどの湾が高くなるやら… 今回はどうたら被害が出るまでは無いようです。 どうも、私が生きているうちに「東南海地震」が起きそうです。 困ったものです。 おまけに、こればっかりは聞かれても何時なのかは分かるはずも無し…おまけに、対策は…『とりあえず逃げてね』としか言えないのですからね。 「他には…」と、言われても、「津波」に関しては人力で逆らえる部分なんて余りありませんからね。 最近でも、「インドネシア」「中国」「ニュージーランド」など日本のプレートに関係ある所での大地震があるのにねえ… 自分が潰されるまで他人事らしいです。 これがその日の記事です。 房総半島、伊豆七島などがガードしてくれたらしくこの辺での潮位変化はわずかでした。 漁船は一斉に起き出ししました、 でも、リアス式区域でも津波避難はほとんどなかったようです。 高波警報、大雨洪水警報でも避難しませんね。 この辺でも、「昭和東海地震」「伊勢湾台風」「大夫12号関連水害」「紀伊半島水害」などたくさんの災害が起きたのですが、ほとんどが忘れられています。 怖いこと、苦しいこと、痛いこと… 忘れられるから生きられるとも言いますが…人気ブログランキング
2020/03/11
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昔の富士フイルムのコマーシャルにありました。 「私にも写せます!」 1965年 フジカ・シングルエイト 扇千景さん です。 もう、シングルエイトなんて忘れられているでしょうね。 普通の写真機でも助成が使うことの少なかった時代に、動画s、8mmをカセットポンにした時のコマーシャルです。 こんな時の、「私にも写せます!」は良いのですが… とんでもないおっさんが居ますね。 「私にも伝染せます!」 ああいう手合には、「傷害罪」なんて話しても駄目でしょうね。 「損害賠償」も自動車事故同様、判決が出ても払わなけれな取れないでしょう。 応えるとしたら・・・ 「市中引き回しの上百叩きの刑」でしょうか? こんな刑は人権無視・虐待になるから出来ないでしょうね。 我が家のシングルエイトはどこへ言ったのでしょう? 映写機やフィルムは分かるのですが…人気ブログランキング
2020/03/10
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紀伊半島をネックレスのようにぐるりと回っているのが、鉄路では「紀勢本線」、道路では「国道42号線」です。 鉄道の方は明治以来少し図と伸ばされてきて、大阪方面からは「紀伊木本駅」までが戦前に完成し、「紀勢西線」と呼ばれました。 名古屋方面からは亀山から南下し、伊勢に向かう参宮線とは「相可口」で別れて尾鷲を過ぎ「三木里」までが出来ていました。 不通区間の工事は戦争もあって放置されていましたが、戦後に再開され1959年(昭和34年)に繋がり、紀勢本背が完成したのです。 全通と同時に「紀伊木本駅」が「熊野市駅」と改称されました。 そしてこの区間は約6割がトンネルです。 トンネル内は温度変化が少ないということで、当時としては珍しく長尺の線路がつかわれ「ガタン・ゴトン」と言う列車独特の音がほとんどしませんでした。 蒸気機関車が常識だった時代ですが、新宮から亀山方面に向かう区間は「煤煙」が出ないということで「ジーゼル機関車」が導入されました。 紀勢東線時代でも、尾鷲から大内山までにはトンネルが多くて、膝には石炭の粉が積もるし、臭いし、駅弁は「ごま塩弁当」になったのですから、熊野市駅ー尾鷲間のトンネルが加わったら、機関士が窒息したでしょう。 こうして、待ちわびていた鉄路が繋がったのですが、開通以来、ずっと赤字路線です。 鉄道の廃線の嵐が拭き上げたときには「紀伊半島をぐるりと回れ鉄路だから…」ということでなんとか生き延びました。 国鉄分割では和歌山ー新宮は西日本旅客鉄道に、鵜殿ー亀山は東海旅客鉄道と、分離されました。 西日本側は電化され、東海側は無電化で残されました。 会社は違うし、車両も共通性がないし… ダイヤも乗り継ぎなどまともに出来ていまいし… まあ、この路線を通しで乗る客なんて居ませんけどね。 紀勢東線側はジーゼル機関車の引っ張る客車の急行・夜行寝台からジーゼル特急・急行になり、「ワイドビュー南紀」が投入されてきましたが、30年ほど経って新型が入ることに鳴ったようです。 前の記事の「HC85・ハイブリッド」です。 バッテリーを積んでいるので発射時などではエンジン音が軽減され、ブレーキングのときには電車同様発電するようです。 線路脇で写真を撮っていて分かるほどのことはなかったです。 写真は3月8日の試運転HC85が熊野市駅の到着した直後です。 走行中の写真を撮ってから5分ほどですが、乗務員の方が乗り換えて、ヘッドライトが点いていた下り方面先頭車がテールランプの赤に変わっています。 ということは、熊野市駅で折り返し、新宮までは行かないということです。 新宮駅は西日本旅客鉄道です。 熊野川の鉄橋の真ん中辺で会社が変わりますから試験車両もここで折り返すのでしょう。 色んなことで会社が違うことがネックになることもあります。 電気も電話も行政も…人気ブログランキング
2020/03/10
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