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事務所へ行って、母が逢っても良いのかどうか聞いてみる。私さえ良いのなら。と仰るので、もう一度母のところへ戻って、車椅子を私が押して、以前に入所していた、今度は3階へと移動。職員さんに尋ねて、部屋は直ぐに分かった。
既に皆さん昼食は済んでくつろいでいる時間だった。母は全盲だけど、声で友達のことは直ぐにわかったようだ。
当時は、尋常高等小学校に通学で、何故か午前の部と、午後の部にわかれていたらしい。そして、母の家へ集まって、何人かで登校していたらしい。そんなこと私は初めて聴いた。県道沿いの家だったから、集まるには便利だったようだ。
その方のお嬢さんは私より学年が1個上。高校時代は、一緒に音楽部と言う名のコーラス部に所属していたし、地元の文化芸能祭ではずうっとお手前を披露していらっしゃった。。。
母が同級生だというのを知ったのは、いつだっただろう。何度目かの人工股関節のための整形外科病院入院中のときだったかなぁ。たまたま、父と奥さんが同級生という、奥様が入院され、母とは同級である彼女の旦那様がとてもこまめにお見舞いに来ていらっしゃった。そのときに、確かそんな話をしていた気がする。
男女共学なんて、当時信じられないけど、どういうわけか同級会は男女が一緒にやっていて、母は熱心に参加していた方だと思う。父の妹の旦那さんが同級だったこともあるかな。父よりも頼りになったかも知れない。一も二もなく、帰る方向が同じだからと、送迎を買って出てくださっていたから。
同級生とは不思議なもの。本人たちは90歳を超えているのに、途端に当時のことが蘇り、たちまち二人は小学生になってしまう。声も身体付きも変わってしまったけど、思い出は共通していて、先生のこと、他の同級生のことなどお喋りして、また、私が行ったときに逢おうね。と彼女の部屋を出た。
いつかはお別れのときがくるけれど、できればお互いに元気でいて欲しいな。母みたいに、好き嫌いもせずに何でも食べるのが良いのかなぁ。
お手洗いに行きたいという母のことは職員さんに任せて見学していたら、車椅子から老人用の手押し車に支えられるように二本の足で立つ。右だとか左だとか指示されるまま、しっかりした足取りで歩いているのでやれやれ。席に戻るまで待っていて、私は施設を後にした。
何のかんのと言っても、やはり同級生は良いなぁ。それにしても私たちの学年てば、どうして男女の仲が悪いのかなぁ。。。?
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