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今朝方、茨城を震源とするマグニチュード5.5の地震があった。 これは、3.11のカウンターバランスである、内陸型余震であろう。 当時から、いずれ、福島か茨城にM7以上の内陸型大余震が来る、と予想されていたが、まだ、その規模のものは襲ってきていない。 願わくば、この程度の中規模地震で地殻の歪みが小出しにガス抜きしてくれれば災いにはならないのだが。 3.11以来、アリューシャン列島でM7規模の地震が起きたり、新萌岳や桜島が噴火した。環太平洋規模での地殻変動が起こっている、と考える学者もいる。「3.11は、その始まりに過ぎない」というような予言を耳にすると、なにやら背筋が寒くなる。 素人考えでも、太平洋プレートに大きな歪みが生じたのだから、それに接するフィリピン海プレート(西日本)にも何らかの歪みがあっておかしくないと考えられる。 その歪みがいっぺんに解放されたら、南海トラフ型ではない、3.11大余震が起こると考えていいだろう。 いずれにせよ、東南海大地震や首都直下型大地震への備えは怠らないほうが賢明である。 話は、ちょっと飛躍するが… 先頃、フィリピンを直撃した台風30号は、中心気圧895hPa、瞬間最大風速90mと竜巻級の「超猛烈」なものだった。 人心の乱れに眼をやると、一党独裁国の中国で、連日のように反政府テロ騒ぎが報じられている。 歴史を紐解くと、人心の乱れと大きな自然災害が共時的に起こることがよくある。 それは、何らかの自然エルネギーが、あたかも共鳴するかのようである。 日中韓でもガタガタやっていると、本当に国をガタガタ揺るがすようなことになるやもしれない。「泣きっ面に蜂」「踏んだり蹴ったり」というのは、古人が、そういう悲惨な状況があり得る、ということを諺にして残したのであろう。
November 10, 2013
ふだん、野球は全く観ないが、昨日の田中先発で優勝が決まるだろうと期待して観た試合が負けてしまったので、最終決戦になってドラマ的に盛り上がった。1回の攻防で巨人も楽天も死球で出塁という同じような展開になりながら、楽天だけが得点をものにしたのを見て楽天に「運命の女神」が微笑みそうだという予感を得た。球団創設以来在籍している牧田という9番打者が意外性のあるソロホームランを放ったときにも楽天に勢いも運も部があるという感じだった。9回の〆に前日、完投敗戦した不敗のエース田中がマウンドに上がったときは、まさにドラマのクライマックスであった。プロ野球の常識では前日160球完投した投手が翌日も投げるというのは有り得ないが、そこは元甲子園球児、最終回1イニングのセーヴを買って出た。2安打を浴び一発出れば同点という状況に陥りはしたものの、最後は渾身の一球で見事、三振をもぎ取った。まさにエースにふさわしい登板であった。思えば、2006年、甲子園の決勝でハンカチ王子こと斉藤裕樹と投げ合って準優勝と涙を呑んだことがあった。それが、7年後には日本一になり3.11に沈む東北に初めての栄冠をもたらしてくれた。まさに、天晴れなり男・田中将大である。敵将の原監督が、初優勝の楽天と星野監督に祝辞を言ったという報道も、被災者には心温まるエピソードであった。
November 9, 2013
心ある人ならば、なぜ、2万人もの人が、この現代で、自然災害の犠牲にならなくてはならなかったのか、と心を痛め、且つ、素朴に疑問を抱くのではなかろうか。 かの犠牲者の死は何のためだったのか、という問いは形而上的なものである。 人間中心原理的には、とてもその答えは見出せないとあれば、その視座をより高次の宇宙中心原理、ないしは神中心原理から考慮してみる必要がある。 無窮の時間からすれば、我われの生涯なぞ、瞬時に過ぎず、一個人の存在もまた全宇宙の物質、あるいは全生命からみれば微々たるものに過ぎない。より具体的に比喩すれば、一年間のなかでの1秒間、全海洋のなかでの一滴の水滴と想像したらどうだろう。 そして、何よりも、我われは3.11で2万人が死んだという圧倒的事実やその数に目を奪われているが、そもそも、「死」を人間中心原理により、忌避するもの、悪いもの、嫌なもの・・・と、ネガティヴな概念で捕らえる所から誤謬を犯しているのである。 神の視座からは、「死と生」は状態の違いでしかなく、それは、磁石のNとS、電気の+と-、のように、広く宇宙に存する対立概念であり、どちらかに価値があるというものではないのだ。 かつて、航空機事故史上の大惨事だった日航機事故で、遺族のカウンセリングをしたことがあるが、その際、遺族文集で幼い子の手記を見て、ハッとしたことがある。 それは『かみさまへ』というものだった。 かみさま なぜぼくのおとうさんしんだんですか。 ぼくにはわかりません。 でもぼくがしんだらわかるよね。 子どもの直感は、この世的な視座からでは不条理な出来事は理解し得ず、あの世的な視座をもって、はじめて全体性のなかで了解可能なことがある、ということを見抜いているのである。 現代人は科学的実証主義に思考やライフスタイルが偏向しているため、魂の存在や、霊、神、という目に見えぬものを入れ込んで、あるいは信じて、世界や宇宙の全体を見るということが出来ないところに、心穏やかならない日常の根源があるのやもしれない。
June 3, 2012
大飯原発の再稼動を4大臣会議と総理が決断しそうである。 政権交代のマニフェストを何一つ実現させず、沖縄問題や原発事故問題で大いに国益を損ねた現政権のトップが、この重大な決断をするというのであるから、狂気の沙汰である。 総理が「全責任は私が取ります」と言っても、今や大して重いとも思えぬ総理職を辞任するくらいなのだから、それでは、東電の社長が辞任したのと変わりはない。 彼らが辞任したからといって、放射能汚染は何十年も続いて、地元の住民は塗炭の苦しみを強いられるのだ。故郷を失い、仕事を失い、そして生甲斐すら失う。 原発自殺者が61人もいる(2012年5月現在)という重大な事実を前に、単に総理を辞任すれば責任が取れると思っているとしたら、その神経はまともではない。 大飯原発ではフクシマと同じ津波事故は起こらない、と想定している、というのが再稼動根拠らしいが、それ以外の想定外のアクシデントに対しては全く想像力を働かせてはいないようだ。「二度あることは、三度ある」の喩えどおり、スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマと、人類は三度も原発事故を起こしているのに、四度目はない、と楽観視している。 何もやらないどころか、鳩山、菅…と、国益を損じてきたその延長のダメダメ政権が、まともな決断ができようはずがあるまい。 普天間移転、高速道路無料化、子ども手当て、議員定数削減…等々、何一つ実現できず、そして、増税と原発再稼動は躍起になってやろうとしている狂気。 一刻も早く、民主党は政権を退くことこそが、今の日本の国益にかなうことである。
May 31, 2012
3.11以来、原発の避難により、家や仕事、故郷を失って、仮設暮らし、無職・・・と、無為な時間を強いられ、打ち拉(ひし)がれてしまった人は大勢いる。 そして、哀しいことに、そのうち61人もが自殺してしまった。(2012年5月現在) テレビのドキュメントでも放送されたが、ある主婦は「我が家に帰りたい」と悲観して焼身自殺してしまった。夫は、責任の根源は東電にある、として提訴した。 知人の保育士は、職を失って、ハロワで肉体労働を探しているという。息子は転校先でノイローゼになり、自分もいっぱい・いっぱいだと嘆いていた。 自殺した61人は、いわば氷山の一角に過ぎない。 今日も、明日も、先の見えない日々を暮らしている原発避難者たちがいる。 原発事故は、野田総理が宣言したような収束なぞには全く至っておらず、被災者たちにさえ手厚いケアや補償が未だになされていないのが現状なのである。 それなのに、原発再稼動は是か非かもないものである。 クリーンで低コストだからといって、いったん事故を起こしたら制御できなくなるようなものは、人間は手を出すべきではないのだ。
May 30, 2012
今、フクシマは桜前線の真っ只中。花盛りである。 業平の歌に世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし というのがあるが、3.11以前には、本当にこの歌の通りだった。 桜が好きなので、いつも咲き出す頃にはワクワクしたし、満開になれば心が躍り、同時に、早く散らないでほしいと願い、雨なぞが降ると恨めしく思ったものだ。 それが、どうだろう。3.11以後、原発事故後の汚染で、桜が咲いても、ワクワク感やウキウキ感がなくなってしまい、(ああ。咲いてるなぁ…) としか思わなくなった。 これも、東電の大きな罪であろう。 桜だって放射能に汚染された土壌のもとで咲くのは、さぞかし嫌だろう。 それでも、キレイな花を咲かせてくれているのに…。 心が浮かなくなってしまったことが、返す返すも恨めしく哀しい。
May 1, 2012
大飯原発の再稼動問題が連日報道されているが、福島原発被災者として間違いなく断言できることは、再稼動はすべきではない、ということだ。 関電は東電同様に、原発を稼動させないと電力が供給できない、電気料金を上げざるを得ない、と主張しているようだが、今現在、放射能汚染に苦しむ県民として言わせてもらえれば、計画停電の不便さや、1,2割程度の値上げの方が、汚染に晒され、怯え、苦しみ、避難による二次災害で精神疾患になるよりは、はるかにましなのである。 スクール・カウンセラーとして、昨年、一年間、緊急支援カウンセリングで被災地の3校を担当したが、子ども達のトラウマは個人差はあるものの、1年過ぎても不適応が改善しないケースは多々ある。 今日も、中3のときに10キロ圏内から避難、転校して、不適応を起こし、避難所や借り上げ住宅をたびたび引越す、というストレスにより、鬱病を発症し不登校になっている生徒のカウンセリングをした。希死念慮があるので精神科を受診させ、服薬安静させるように家族に話をしたが、母親は「どうして、こんなふうになってしまったんでしょう」と言って泣いていた。 このようなことは、まだ、マスコミにはあがっていないが、現場でのみ知り得る原発被害者の実態の一面なのである。 仮設住宅では、アルコール依存、ギャンブル依存、鬱病、自殺などが見受けられていることも、公に報道されないのは、原発推進派の目に見えぬ圧力によるものなのだろうか、と邪推してしまう。 現政府の4閣僚で再稼動の決断を下す、というのは、まったくの愚挙愚行である。現在、福島はまだ、放射能汚染に晒されており、汚染地区の99%も除染されていないのである。それは、完全除染するノウハウを人類は持っていないからなのである。チェルノブイリの現状を見れば、それは明らかである。 これから、ゴールデン・ウィークになるが、原発被災者の気分はゴールドならぬ「鉛色」である。今、福島市内の花見所は桜が満開だが、その桜のとなりに設置されている放射能ポストは0.6の値を示している。これは通常値の数百倍の放射線量なのである。そのような状況に耐えられぬ人が、昨年、一年で、5万人も県外に脱出したが、逃げるに逃げれない人々は苦渋のなかで今日も暮らしているのである。 ノーモア・ヒロシマ ノーモア・フクシマ 原爆と原発の恐ろしさを、日本人は、もっと骨身にまで知らねばなるまい。 ゴールデン・ウィークには、ぜひ、津波で焼け野原のようになった被災地と、ガイガー・カウンターの針が振れる福島を訪れてみてはどうであろう。直接、肌身で体験されると、百万言の言説よりも骨身に浸みるはずである。そして、人生観が変わるやもしれない。 ちなみに、福島市内のツタヤでは、1週間無料で線量計のレンタルをやっている。
April 27, 2012
先日、宗教家・高橋正雄氏の生前書かれた直筆色紙を見た。「在るものみな美しく 起こることみなよし」と書かれてある。3.11の大川小学校での80人もの児童が亡くなった大災害で、はたしてこの歌を肯定できるか、というのはまさしく宗教的な命題かもしれない。スピリチュアルな解釈では、亡くなった子どもたちは家族や社会に、教訓を残すため、はたまた、生き残った者の魂の陶冶のために、生まれてくる前から自分のこの世での人生を計画してきたという。日常に形而下的な生活をしている人にはこのような形而上的な宗教的概念は受け容れがたいかもしれない。3.11で2万人近くの犠牲があって、今尚、仮設暮らし、原発の汚染に悩まされている被災者が「在るものみな美しく 起こることみなよし」となるには、もっと多くの時間が必要かもしれない。
April 4, 2012
3.11以後、未だに震度5ほどの余震が収まらない。 東南海地震による巨大津波が30メートルを超える地域もある、という推測値も発表され、明日にでも起こって不思議ではない首都直下型と合わせて、列島全体が大いなる揺れのなかに在る。 新潟は、過去、たびたび震災の憂き目に遭ってきたが、かの地の聖人・良寛禅師は、当時、大地震で被害に遭った人に「災難を逃れる方法はないか?」 と訊ねられ、「災難にあう時はあうが良く候、死ぬ時は死ぬが良く候」 と応えている。 運命をそのまま享受することが妙法だというのである。 けだし名言であるが、達観していない凡夫の我われには、「えー。それはないでしょう」 と思われるかもしれない。「運命」という字をよくよく見ると、「命は運ばれている」とも読める。 たしかに、我われの命は、目に見えない何ものかに運ばれているのかもしれない。 お天道様は、善人にも悪人にも公平にお照らしくださる、というフレーズを子どもの頃、年寄りから聞かされた覚えがある。 雨もそうだ。誰の頭上にも公平に降り注いでくれる。 そこから、大きな心をもって隔てなく人を愛しなさい…という、宗教めいたフレーズになったような気がする。 台風・地震も公平に誰の元にもやってくる。 自然現象とは分け隔てなくやってくるものなのである。 それは、自然現象としての「死」が誰にも公平にやってくるのと似ている。 とすれば、やはり良寛師の言うごとく「災難にあう時はあうが良く候、死ぬ時は死ぬが良く候」 ということかもしれない。
April 3, 2012
あの3.11から1年が過ぎた。国内外で様々な追悼の儀式が催された。行方不明者合わせて1万9千人近い犠牲者がでた3.11は、戦後の日本で最大の災害である。そして、犠牲者は数々の貴重な教訓を残してくれた。思うに、我われは「自分の街」や「自分の土地」と思い込んでいるけれど、地球的に見れば、生存している個々の短い生涯の間、借りて住まわせてもらっているに過ぎないのである。『借りぐらしのアリエッティ』という物語は、そのことを人間にも知らしめているのである。かつて古代都市ポンペイは一夜の火山で消滅した。自然災害の被害者規模でいうなら、2004年のスマトラ沖地震では死者22万人、さらにそれより多い死者83万人と記録されている華県地震(1556年)や非公式ながら死者60万人以上といわれる唐山地震(1976年)というのが人類史上には起きている。また、有史以前には恐竜を絶滅させたといわれる巨大隕石がユカタン半島に落ちているし、1908年にはロシアのツングースカにも落ちている。人はいずれも人間目線で自然「災害」と呼ぶが、地球目線や宇宙目線では、そのような現象は生き物の都合などにはお構いなしに日常的に起こっていることなのである。月を見れば多数のクレーターがあり、それだけの隕石が衝突してきたことが解るだろう。我われは、偶然この世に生まれ来させられて、この世で過ごさせられ、そしてこの世を去らさせられる。何者の意思かは知らぬが、命とはそういう不条理なものでもある。
March 12, 2012
被災地の瓦礫処理が1年経っても数%しかなされていない。広域処理に協力を申し出る自治体が少ないからである。世界的な未曾有な大災害、日本の危機と言われながら、やはり被災地以外の地域では、ウチには持ってきてもらいたくない、というのが正直な心境なのだろう。殊に、福島県の瓦礫は放射能汚染されているので、どこともお断り、という始末である。そればかりか、まるで福島県民が中世の賤民であった穢多(えた)のごとく、「穢れ多きもの」として扱われたり、子どもたちが転校先でいじめられ差別されるというのは、なんとも哀しくて日本人でいるのが情けなく、嫌になる。福島県民が宮城や新潟、千葉に避難したとき、車に「福島県民は入ってくるな!」と落書きされる中傷・差別事件がいくつもあった。これは現代の同和問題である。不潔恐怖や潔癖症の多い日本人は、とにかく汚れたもの、穢れたものを極端に忌避する民族である。かつては、女性すら、月経がある故に不浄のものとして神域に立ち入ることができなかった。その風潮が相撲界には未だに残っており、神聖な土俵には女性を上げない、というので、現代では物議をかもしている。今更ながらの反省だが、米軍の7割を一手に抱えて苦労している沖縄県民の気持ちがよく解る。福島問題は沖縄問題と同じなのだ。自分の所さえキレイなら、住みよいなら、他はどうでもかまわない、というのが今の日本人の醜悪なところである。福島原発事故直後は、日本という国や日本人そのものが汚染されて穢れた、と世界からは一時忌避された。そして、国中の観光施設が打撃を受けた。福島の観光地や特産物は、未だに国内で風評被害にある。可能性の高い西日本大震災や首都大震災、あるいは身近な原発の事故があったら、今度は国外に避難して、今の福島県民と同じ苦しみを味わうことになるかもしれない。日本中の核廃棄物を貯蔵している青森の六ヶ所村の処理場が、ひとたび事故にあったら、日本全部が放射能に汚染されるだろう。そこへ可能性0とはいないテロ攻撃やミサイル攻撃を受ければ一巻の終わりである。偶発的な人工衛星の落下や隕石が衝突しても同様である。原発は、専門家からも「トイレのない家」と同じだ、と言われてきた。汚物処理ができないのに、快適な生活のためにはエネルギー生産をやめようとはしない。そして、事故になってから、放射能汚染水の流出を止めるのに、新聞紙や紙オムツを亀裂箇所に詰め込んでいるのだから、お笑い種である。巨大地震、巨大津波、原発事故という複合災害を受けた福島の苦しみを、一億人が担ってくれる、というのは幻想でしかなかった。国民は喉元過ぎれば熱さを忘れるで、テレビ番組では、相変わらずの「お笑い」と「スポーツ」と「韓流ドラマ」に現(うつつ)を抜かしている。
March 10, 2012
原発事故の第三者による関係者聞き取りをまとめた「事故報告書」の一部が、各メディアで報道された。なかでも情けなかったのは、菅総理がヘリ視察に同行した原子力安全委員会委員長の斑目春樹に「ぜったい水素爆発はないでしょうね」と確認したときに「ぜったいありません」と断言したが、その後、爆発に至り、総理が「ぜったいない、って言ったじゃありませんか」と詰め寄ると、斑目は「あ~」と言って、頭を抱えたという。ほんとうに情けない専門家の姿である。それが、いまだに安全委員長を務めており、原発再稼動の是非に関与しているから、おぞましい事態である。先日も、「爆発当時のことを全く記憶していない」と発言して物議をかもした。彼はジャーナリストの広瀬隆氏に「デタラメハルキ」と呼ばれ、御用学者の「A級戦犯」とされている。***********もうすぐ、3.11がやってくる。政府は東京で慰霊祭をやる、という。なんだか、被災地の人間としては、とても違和感を感じた。どうせやるなら、東北でやれ。福島原発でやれ。と言いたい。なんだかんだ言っても、やっぱり、東京目線なのであろう。3.11には、おそらく、ほとんどの国民が2時46分に黙祷を捧げるのだろう。それが国民性であり、日本教なのだから…。でも、被災地はまだ復興どころか、復旧もままならぬ状態の処が多々あるのが現状だ。死者への哀悼も大切だが、今尚、辛い気持ちで生きている被災者に対する手厚い対処も継続して続けてもらいたいものだ。原発汚染地に住んでいるのに、個人宅には、東電からは1年たっても、何の謝罪もなければ賠償の連絡もない原発誘致を進めてきた県からも、国策として推し進めてきた国からの謝罪も補償も個人宅にはない。黙祷すれば済んだと思ってもらっては困るのだ。「すみません」と言いながら、「すまそう」とするのが日本人の悪癖である。黙祷すれば、謝れば、禊(みそぎ)が済んだかのように思うのが、日本人のご都合主義、お茶を濁す、なし崩し、という悪癖である。日々、3.11が迫ってくるにつれ、気持ちの動揺を覚えるのは、被災者としての記念日反応かもしれないが、それは単に大災害のフラッシュバックというのではなく、政治家、専門家のデタラメさに心底手痛い思いをしたからかもしれない。
March 2, 2012
早いもので、あの日から1年が経とうとしている。去年の3月11日の2時46分。忘れもしない、震度6が3分も続いたあの日を。「死の恐怖」を感じた大地震だった。そして、テレビをつけると、見たこともない大津波のライヴ中継が目に飛び込んできた。大変な天変地異が起こったことに戦慄を覚えた。その日のうちに、震度5の余震が数たびも襲ってきた。テレビの緊急地震警報が数分おきに鳴り続けた。翌朝まで200回あまりの余震に見舞われ、うつうつとして熟睡できずに一晩が開けた。そして、原発の大爆発。もう、福島は終わった、と絶望感に襲われた。でも、子どもたちだけでも、なんとか逃がさねばと、ない頭をフル回転させて、緊急逃走経路を考え、京都の知人宅へと疎開させた。爆発の翌日、福島市は、25μs/hという大変な放射能汚染に見舞われた。2時間、屋外にいるとレントゲン1回分の被爆量になる。当然、屋内退避で、外へは出れない。しかし、水はでない、食料には限りある。救出がなければ、このまま、家族全員餓死することも最悪ありえた。まさに、かつて経験したことのない生存への絶望と恐怖であった。あの3.11が、また、やってくる。なんだか、フラッシュ・バックを起こしそうで怖い。今でも、戸外の放射線量は通常の100倍近い値なのだ。どうにか、気にせずに生きていられるようになっただけで、それに耐えられない人たちは5万人も県外へ脱出した。もうすぐ3.11がやってくる。なんだか、被災者には辛いカウント・ダウンである。
February 29, 2012
久しぶりに怪談らしき怪談を読んだ。それは、原田宗典『人の短篇集』のなかの一篇で、『編集者の彷徨』という作品である。安手のホラー物のように、安直な幽霊もおどろおどろしいモンスターまがいの化け物こそ登場しないが、「不条理な出来事こそが怪談」という見事な筋立てである。怪談ファンとしては、ちょっと突っ込み所もあって、そんな箇所を補足しつつ登場人物の「彼」と「老大家」に名前を与えて改変してみた。******* 新人編集者の只野佑介は、大手出版社で文芸誌に配属され、何人かの作家を担当することになった。 そのなかに、なかなか原稿を書かない、ということで知られた老大家の遠藤がいた。 学生の時以来、遠藤文学のファンであった彼は、大家と縁ができたことを幸運に思い、原稿の催促はさておき、菓子折りや酒を持参しては、都内にある遠藤のマンションに足繁く通った。 そんな大家詣でがしばらく続いた頃、編集部に佑介への電話が入った。「実は、三十枚ばかりの短篇を書いたので、取りにいらっしゃい」「は?」 佑介は一瞬きょとんとした。「今、僕は苅葉野渓谷の別荘にきているんだ。 これから、これないかい?」 という、予期せぬ申し出であった。 佑介は二つ返事で「今から、伺います」 といくらか興奮して応えた。 編集長は、苦笑いをしながら「ま、ビギナーズ・ラックというやつだな・・・。 行ってこい」 と冷やかした。 佑介は、遠藤先生と心が通じたような気分になかば酔いしれて上機嫌に社を飛び出した。 東京駅から1時間ほど在来線に乗り、初めて乗るローカル線に乗り換えた。 有名な観光地でもない苅葉野駅に着いた頃は、すっかり日も傾きかけていた。 駅から、遠藤から聞いたとおりボンネット・バスが別荘地がある「林道前」まで出ていた。 過疎地の夕刻、バスに乗ってかの地に向かう乗客は佑介のほか一人もいなかった。 佑介は車内で揺られながらも念のために地図を広げて「林道前」から別荘地まで一本道であることを再確認した。 遠藤は電話口で、一本道の行き当たりに太くて折れた赤松が目印だから、と説明した。 バスは田舎道を半時間ほど走ると、やがて目的地に到着した。 遠藤の別荘は、そこからさらに4,5キロの距離があるとのことだった。 車は通れそうにもないようななだらかな山道を佑介はとぼとぼと歩いた。 あたりは鬱蒼とした林木にかこまれて、夕刻にひとりで歩くのは心細いほどだった。 足がだるくなるほど歩き続けて、ようやく佑介は、かの折れた赤松の目印まで到着した。 それと確認するには、よくよく目を凝らさなければならないほど、夕闇が降りかけていた。 目の前にたしかに木造の平屋の別荘があった。 佑介は微かな門灯を見つけると、ホッとしながら、いくらか急ぎ足になり玄関のチャイムを鳴らした。 しばらくして、「はい・・・」 という、か細い女の声がした。 佑介は、てっきり遠藤先生が出迎えてくれるのだとばかり思い込んでいて、アラッと内心軽い驚きを覚えた。「こんばんは。平成社の只野です」 と挨拶した。 扉は少しも開けられず、声だけが「なんのごようでしょうか・・・」 と、やっと聞き取れるほどのか細さで言った。 佑介は一瞬面喰って、「あの・・・。 先生の原稿を頂きに参ったのですが・・・」 と、言葉を継いだ。 しばらく間があって、女は凍ったような声で「しりませんけど・・・」 と、扉の内側から応えた。「えっ?」 佑介は驚いて「こちらは遠藤先生のお宅ではないんでしょうか?」 と尋ねると、しばらくして「ちがいます・・・」 と返ってきた。 佑介は愕然とした。(道を間違ったのか・・・。 でも、たしかに一本道だったし・・・。 目印の折れた赤松もあった。 だのに、なんで?・・・) 佑介は、再度、扉の向こうの女に尋ねた。「あの・・・。 小説家の遠藤先生のお宅は、ご近所でしょうか?」 また、焦れるような間が空いて「しりません・・・」 という絶望的な声がした。 扉を開けぬのは、不審者を警戒してのことだろうが、佑介は意を決して「すみませんが。お電話をお借りできないでしょうか」 と声の主にお願いしてみた。 すると、ややあって、カチャリと内側から鍵を外す音がした。 木の扉がほんの少しだけ開くと、「どうぞ・・・」 という声だけがした。 女は依然として姿を見せなかった。 佑介は、「失礼します」 と、扉を開け、玄関のたたきに立った。 そこは10ワットほどの豆電球がついただけの仄暗い玄関だった。 そこにつづく廊下の先は真っ暗で様子がわからなかった。 女は暗い廊下に立っていて、か細い指先で無言のまま、下駄箱の上の電話機を指差していた。 その女は痩せこけて、長い髪が両側から顔まで垂れていて、目鼻がはっきり見て取れなかった。 佑介は不気味に感じながらも、逸る気持ちで老大家のところに電話を入れた。 しばらく呼び出し音がして、聞きなれた遠藤の声が耳に飛び込んできた。「只野君。今、どこだね」 と大家が尋ねたので、佑介は自分が言われたとおり「林道前」で降りて、赤松の折れた所に到着したが、先生宅ではない、と言われた・・・という事の顛末を話した。 受話器の向こうで、老大家は訝しげに「君は、そこが木造の平屋って言ってるけど、ウチはレンガ作りの二階建てだよ」 と、応えた。 佑介は頭が真っ白になり、一瞬、ホワイトアウトかブラックアウトに陥ったような不思議な感覚にとらわれた。「えっ? じゃ、ここは、いったい・・・」 と、疑念が涌いて出たときだった。 女がそばに立っていて、長い髪から片目と唇をのぞかせて、ニンマリと微笑した。
February 12, 2012
11人の死亡者と29人の行方不明者を出した地中海クルーズの豪華客船コスタ・コンコルディアの事故には呆れかえった。 船長が、座礁した島出身のクルーのために、わざわざ規定の航路を外れて沿岸まで近寄ったのだが事故原因だというから、馬鹿としか言いようがない。 しかも、この馬鹿、事故後に一切の指揮を放棄して、さっさと我先に避難し、沿岸警備隊に指揮に戻るよう促されても拒んで、「家にでも帰るつもりかッ! 早く船に戻れッ!」と叱責されている録音が全世界に公開された。 イタリアの新聞では「1人(船長)は我われに恥をかかせ、 もう1人(警備隊長)は名誉を取り戻してくれた」 と書いている。 タイタニックの船長の名は知らないが、コンコルディアの船長・フランチェスコ・スケッティーノ(52)の名前は忘れないだろう。 フランチェスコといば、無私の奉仕活動で人々を救った聖フランチェスコから取った名であろうに、イタリアの聖人フランチェスコも、その名を汚されて、さぞかし嘆いていることだろう。 スケッティーノという響きは、日本語では「助っ人」を連想させるが、どっこい、助っ人どころか、落語で言えば「頬っ被りの随徳寺」である。 しかも、こともあろうに、「自分は数千人の乗客の命を救った」 と嘯(うそぶ)いているらしいから、この男、念のいった馬鹿である。 おそらく、業務上過失致死で禁錮刑に処せられることは間違いないだろう。 乗客の証言によれば、事故発生時、船内のレストランでは、『タイタニック』の主題曲「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」が流されていたらしいが、それが本当なら、これ以上の皮肉はなかろう。 しかし、この出来事は、単なるイタリアでの一事象と看做すことはできない。 いかにコンピューター制御されている最新メカニックを備えていても、ひとたびヒューマン・エラーがあれば多くの人命が損なわれるのである。 福島原発事故を体験した我われは、それを人事とは思えない。 しかも、豪華客船が目に見えぬ暗礁によって沈没した、というのは、なにやら、物質文明の繁栄に浮かれている人類の姿にシンクロしているように見えてならない。 タイタニックの事故は、奇しくも1912年に起こった。今から、ちょうど100年前である。 当時の最先端技術による豪華客船も、氷山という自然によって沈没した。 まるで、奢る人間に対して自然(もしくは神)が、それを戒めているかのように見えるのは、あながち穿ち過ぎとは言えまい。
January 20, 2012
アマゾンで新刊予約した香山リカの本が届いたのでさっそく読んでみた。3.11以後、精神科医としてどんなことに気づいたか、ということが平易に書いてありまあまあ参考になった。避難所の人たちをインタビューして、けっきょく、人は雨露の凌げる所と、暖かい毛布と、いくらかの食べ物があればいいのかもしれない、というのが印象的だった。換言すれば、衣食住が確約されているだけで人は幸せなのだろう。今日、日本の家庭には物が1.000点以上あるというくらい豊富な物品に囲まれて暮らしている。かく言う我が家でも、車は3台もあるし、テレビは6台、パソコンは5台もある。本一冊、CD一枚をそれぞれ一品と考えたら、それだけで2.000点を超えてしまうほどだ。それでも、新しい本やCDが出たといっては、すぐに欲しくなるのは、物の豊かな先進国に住む現代人の物欲なのかもしれない。世界の20億もの人は一日2ドル以下で生活しており、さらに1億人ほどは1ドル以下で生活しているという。一冊1.200円の新刊は16ドルほどなので、それで2週間生活している人々もこの地球上にはいるのである。3.11以後、当たり前に物が食べれて、本が読める、というこの国の幸せを十分にありがたく思って暮らさねばと思うようになった。
October 8, 2011
ギリシャ危機の要因を分析した各分野の専門家たちは一様に「放漫財政、政治腐敗、世襲政治」などを指摘している。これは、日本にそのまま当てはまることである。財政法では、「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」となっており、国債発行を原則として禁止している。但し、「公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」という条項があるので、例外的に建設国債の発行を認めている。国債は将来の世代の負担となるが、公共事業により建設される社会資本は将来の国民も利用できるから、建設国債は正当化できるというのである。よって政府は、その大義名分から補正予算で赤字国債の発行を認める1年限りの特例公債法を制定し、赤字国債を発行するのである。今年に限っては、3.11の復興費として青天井の予算を計上しているので国債発行も膨大になるだろう。それを見越して便乗計上している省庁があるやもというので役人もとんでもないものてある。現在でも、総額1150兆、国民一人当たり900万の借金をしている計算なのである。ギリシャの経済破綻に対してさるアナリストからは「国民が政治家たちを選んだのだし、 もっと国民も身の丈に合った 暮らしをするべきだ」という厳しい意見もあった。
October 6, 2011
今年は3.11を体験した大変な一年だったが、今、世界情勢はギリシャの財政破綻危機とアメリカでの反格差社会デモという、世界的大変革の潮流が燎原の火のように目前に迫ってきている予感がする。今年は3.11に始まって中東の「アラブの春」革命が起こった。王政や特権階級に支配されていた民衆の憤懣が爆発したのだ。そして、今、アメリカでも失業率が10%近くになり若者たちが「99%の自分たちが1%の富裕層に支配されている」と訴え始め、デモのムーヴメントは全土に拡散しつつある。ウォール街を占拠した人々は「アラブの春」の手法であるネットによりより多くの賛同者を求め、当局との一触即発の暴動か内戦にもなりかねない。多くの失業者や貧困世帯をよそ目に、金融関係者たちが莫大な収入を得ていることに庶民の怨嗟の感情が今まさに爆発しようとしている。一方、放漫財政でデフォルト(債務不履行)瀬戸際のギリシャに対して、EU連合の支援の決断は足並みが乱れ、手遅れになる可能性が濃厚になってきた。最後の切り札であるIMFの介入がもし後手に回ったら、デフォルトに陥ってギリシャ国債を保有するフランス、イタリアなど周辺国の金融機関は大打撃を受け、連鎖的に世界的経済不安を起こす可能性がある。1ドル76円、1ユーロ100円という現在、欧米の基軸通貨は不安定化している。ギリシャの財政破綻が世界的な株価の大暴落や最悪の場合、市場崩壊という未曾有の経済混乱を招く恐れすらある。氷点下になった池の水が一枚の木の葉が落ちた刺激により一挙に凍結する過冷却現象というのがある。今、世界はまさに、欧米で大きな変革が起ころうとしている前夜なのかもしれない。
October 5, 2011
台風12号では100名以上の死者・行方不明者を出したが、今回の15号でも、またしても17名もの犠牲者を出した。首都圏を直撃して一時的に交通が麻痺し、帰宅困難者が出たのは3.11のときと同じように都会の脆弱さを思わせた。福島にも台風は直撃し、子どもたちとテレビを見ながら「こんなときに、また、 あの緊急地震速報のピロリロリーンが 流れたら、泣きっ面に蜂だよなー」とか、冗談を言っていたら本当に10時半にピロリロリーンが鳴って、一瞬、身構えた。北茨城が震源のM5.3で最大震度が5程度だったがそれでも、やはりドキリとはした。内陸型だったし、3.11のカウンター巨大余震は福島か茨木か東京のいずれかと言われているから、その兆候の現れはじめかと3.11以来、緩んだ気がいくらか引き締まった。例年なら、あと10ケは台風が来るだろうし、そんなとき、M7クラスの巨大余震に見舞われたら、まさに「泣きっ面に蜂」、「弱り目に祟り目」である。でも、昨晩の台風の渦中の中規模余震は、それに備えておけ、という教訓を残してくれた。福島県須賀川市の仮設住宅では、今回の台風で床上浸水をして、住民は二重避難を強いられた。まさに「泣きっ面に蜂」、「弱り目に祟り目」である。***台風の映像を見るたびに思うのだが、強風の中、外に出たら傘がオチョコになるのが目に見えて解っているのに、何ゆえに、人は暴風・豪雨の中を傘一つで行くのだろう。傘屋はさぞかし儲かるだろう、と卑俗なことも思い浮かんだりもするのだが・・・。それと、近所の川や水路が心配だからといって、眺めに行っては、自らが難に遭ってしまう人が毎度のごとくいるのも不思議である。いずれも、人の心理なのかもしれないが。
September 22, 2011
福島市内の地価が軒並み下落した。放射能汚染の影響は明らかで、資産価値が目減りしたのはいかにも残念である。原発近隣の街はさらに悲惨で、土地付一戸建てを有していてもその資産価値は0に等しい。売るにも売れないからである。なのに、東電は3年後には賞与を復活するという。被害者意識に配慮しないこの無神経さ、鈍感さ、自己保身はなんなのだろう。本来なら、会社の総資産を整理して被害者にすべて差し出し、自らは廃業するのが筋だろう。それが嫌なら全社員一律年収240万くらいにしたらどうだ。役員や管理職なぞは1.000万以上取っているのだろう。片や、原発による避難で職を失ったり、汚染で家畜や農地を放棄しているというのに。被害者へ送りつけた補償手続きの手引書は150ページもあって専門用語を多用し、その難解さ、煩雑さは高齢者や主婦たちを困惑させている。まるで役所仕事であり被害者の心情を斟酌する配慮など微塵も見られない。これが非人道的企業の為すことである。
September 21, 2011
3.11以降、ほんとうの「しあわせ」とはなんだろうか・・・と、しみじみと考えてみた。そしたら、神は細部に宿る、という言葉にも似て、日常茶飯のなかにこそあるのでは、と気づくことが出来た。哲人・歌人・碧水先生もそんなお歌を多く詠んでおられる。やはらかき土ふみしめて歩みゐる このしあはせを しみじみ思ふ一生に一度の 今朝の賜びし食事 とらせてもらふしあはせを思ふわが無学しみじみ思ひ 学び得るしあはせ あらためてかしこみ思ふあたたかき湯にひたりゐるしあはせの このやすらぎの 涙ぐましき今日も老いのからだ 臥所(ふしど)に横たわるしあはせを思ふ わが目つむりて幼らに逢ひ 童心に洗はるる老いのこころの このしあはせや筆と遊ぶわが幸せよ その出来のよしあしはおきて ただたのしきありがたい と思ひ得ることはしあはせと 涙ぐましくしみじみ思ふよき師匠もつは最高のしあはせと くりかへしいふ 顔笑む友の 碧水歌
September 16, 2011
ありがたい勿体ないといふ言葉 豊かさになれ 忘れてはならぬありなれて 天地の大恩を思ふこころが うすれてはならぬあり馴れて 電気の恵み思ふこころ うすれ失せてはならぬと思ふ衣食住みなものいはず さはあれど すべてお世話になりつづけをり世話になるすべてに礼をいふこころ もちて節約 なさしめ給へ 碧水歌
September 15, 2011
私の今の心境を代弁しているかのような歌人・金光碧水先生のお歌がいくつかある。すべて世話になり来ての今のわがなげき 礼をいひつつ しのぎゆかせ給へ自然破壊が起こせる惨事 人間への自然の警告と 思ふといふか自然への畏敬欠如による行為 かなしきことに みなつながるか自然とともに 存在せしめられてゐるわれなり すべて世話になりつつコンピューター時代 こころのあり方が 問はれはじめて居る今といはん人間の思ひあがった身勝手な 浪費汚染を いかにかいはん人間の勝手度を超え 自然との共存調和 くづれて行くか
September 13, 2011
日頃、曽野さんのエッセイを愛読しているので緊急出版されたこの本をさっそく発売日に購入した。作家として、野人として、歯に絹を着せない喝采したくなるような意見の数々には溜飲が下がる思いがした。3.11から半年も経つのに被災地は、瓦礫が少し片付いたくらいで未だに生々しい地震と津波の傷跡はそのままになっている。そして、福島の原発避難地区はまったくの手付かずのまま今も放置されている。この半年間、国はいったい何をしてきたのだ、と声を大にして言いたい。自衛隊の災害支援以外何もしていないだろう。いたずらにパニクり、情報を操作し、風評被害を助長し、被害者の傷ついた心に追い討ちをかけただけだろう。その意味で、菅前総理と民主党政権の罪は重い。これから、季節は秋からまた冬に向かう。生まれ育った地に帰れない、戻れない家のローンがある、仕事がない、コミュニティが崩壊した、学校が消滅した、内部被爆した、先が見えない、確かな情報がない・・・と、不安材料が山ほどある被災地にこれから寒く、暗い、東北の冬が来るのだ。出口の見えない冬に、人々が悲観的になり、仮設住宅や避難先で閉塞的に暮らしている老人や中高年たちに孤独死や自殺が頻出する懸念すらある。それでも、国は、政府は、被災者側を見ずにいるのだろう。きっと、見殺しにするのだ。とにかく、早く、復旧、復興に手を打ってほしい。今は、国難の時なのだから、他府県の地方交付税をいくらかでも減らしてもらってでも被災地に回してもらいたい。兆単位規模の予算が被災地には必要なのである。***6月24日には、アラスカのアリューシャン列島でM7.2の地震があった。どうも、環太平洋規模で地殻変動が起こっているようである。「3.11は、はじまりに過ぎないのではないか」という意見もある。とすれば、やはり東南海巨大地震は必ずや来ると備えていたほうが間違いがないだろう。この上、西日本がやられたら今の国情、政府力では国民は、しばらく塗炭の苦しみを味わうことになるだろう。
September 12, 2011
悪夢のような3.11の巨大地震・巨大津波、そして原発爆発から早、半年が過ぎた。今朝のトップニュースは野田新政権の鉢呂経産相大臣が辞任したというものだった。原発被災地を「死の町」と貶め、現地を訪問中に、記者相手に防災服の袖をこすり付けて「放射能移してやる」と、はしゃいだというから念の入った馬鹿としか形容しようがない。馬鹿は隣の火事より怖い、というがまったくである。米大統領の専用機エアフォースワンの飛行計画画像をネットに流した大馬鹿管制官といい、どうして公僕がこうも馬鹿なのか愛想がつく。大の大人が、しかも原発所轄省の大臣が、みっともなく泣きじゃくってお詫びしてる姿は恥晒しもいいとこだ。前政権の松本龍といい、どうしてこうも民主党内の民度が低いものか。鳩山時代の無能官房長官で国対委員長・平野が「今の内閣は不完全・・・」と公言し、厚生大臣の小宮山の「タバコは(私的には)700円にしたい・・・」政調会長の前原の「自衛隊は武器使用もする・・・」という軽挙妄動の数々・・・。もっとも、小鳩菅という非常識・厚顔無恥・破廉恥連がいまだに退場せず、連綿として党内に居座っているのだから民主党という所帯の程度の低さも解ろうというもの。一刻も早く、解散総選挙をして自・民・公以外の新しい第三の政党に登場してもらいたい。震災・原発事故から半年して復興はおろか、復旧すらできていないのが被災地の現状である。いたずらに対策会議を乱立させ往生際悪く首相の座にしがみついていた菅のために、復興は数ヶ月レベルで遅れたのは間違いない。原発事故の初期対処をあやまって福島の人間を途端の苦しみに追いやったのも、菅の仕業である。それによって、国益すら大いに損なわれただろう。「私の評価は、後世の歴史の判断に任せる」と彼は言ったので、今、ここで後世に残るようハッキリと記述しておこう。菅直人は、政治能力においても、その人間性においても、歴代最悪の総理大臣だった。原発事故で被災した福島県民および3.11津波被災をした東北各県民の総意としてそう断言しておこう。9.11以降のアメリカはこの10年で完全におかしくなった。イラク、アフガンでの100兆円もの戦費消費、6000人もの若者兵の犠牲、1000人もの退役兵自殺・・・とアメリカは消耗した。国内ではイスラム教徒への差別で自由と慣用の精神はなくなり、自国中心主義の国家の病理が悪化したとも言えるし、帝国の衰亡とも見える。やはり建国300年足らずの歴史を持たない新興国が世界のトップを走り、リーダーたらんとしたことが所詮、無理だったと言えよう。それに振り回された日本国の政治屋や役人たちも情けないが・・・。イラク、アフガンで失った人の数は推定で22万人とも言われている。9.11のテロでは3.000人が亡くなったが倍返しどころか、100倍返しという過剰防衛である。ハワイの真珠湾沖の仇討ちでも東京大空襲での10万人殺戮や広島、長崎での核爆弾殺戮と…彼らのやることは、インディアンを虫ケラのように大虐殺した騎兵隊の時代と何らかわりがない。これが歴史の浅い未熟な国が露呈した粗暴さなのである。9.11から10年経てもアメリカは、まだ大切なことに気づいていなし、3.11から半年過ぎた日本も、まだ本当には目覚めていない。アメリカにおいては、新たな試練が、そして、日本においては、首都大震災か西日本大震災のようなダメ押しの一発がなければ国民総改まりの姿勢にはならないのだろうか。3.11から半年目/9.11から10年目というのが重なったのは偶然なのだろうか、と心に引っかかった人がいよう。神意というものがあるのなら、何をか愚かな人に知らしめようとする天の配剤なのだろう。
September 11, 2011
我が家に息の長い被災地支援を続けてくれている赤穂在住の元同僚から彼女の故郷・山口の珍しい「秋吉梨」というのを送っていただいた。福島市にはフルーツラインという果樹園が一帯にならぶ郊外の道路があり、秋になると梨もたわわに実り道端のあちこちで即売されている。しかし、この秋は放射能の影響がフルーツラインにも影を落としている。7月には、全国2位の桃の名産地・福島にやはり尼崎在住の元同僚から和歌山の桃を送ってもらった。3.11で被災したとはいえなんだか、不思議な年である。明日9/11で、ちょうど半年になる。奇しくも、9.11からも10年の節目のようだ。アメリカでは「セプテンバー・イレブン」と呼んで、そこから国情が変化した。日本も「マーチ・イレブン」で同様に、一億総支援、節電・・・と、ライフ・スタイルに変化をもたらした。天災・人災・テロで多くの人が「月の11日」に亡くなったというのも不思議な符号である。
September 10, 2011
牛歩台風12号の被害で100名を越す死者、行方不明者が出ている。台風は、来ると分かっていても、またしても「想定外」の雨量で大水害をもたらした。家が崩壊し、車がガレキと化している映像は3.11の津波が引いた跡のようで胸が痛んだ。3.11以後では、最も大きな自然災害になった。津波も、大地震の後にやってくる、と分かってはいても、あれほどの2万人もの犠牲者が出た。逃げ遅れたお年寄りや子どもたちという災害弱者が大勢いた。1.800ミリというと1.8メートルになるが、今回の雨量が、大阪や東京という首都圏を直撃したらどうなっただろう。地下鉄、地下街は言うに及ばす水没したことだろう。至る所の河川が堤防決壊し、大氾濫して交通網は遮断され、下手すると陸の孤島化し、スーパーやコンビニもやられるので食料調達ができなくなり本格的救助活動の手が自分の所へ届くまで数日間はストックしてある食料で命をつながなくてはならない。もっとも、1週間食べなくても健康な大人なら衰弱はするだろうが死ぬまでには至らないが、乳幼児、病人、老人には致命的ダメージになる可能性がある。かくばかりに想定外の台風一つでも都市は機能不全に陥り麻痺してしまう危険性を絶えず孕んでいるのである。
September 5, 2011
9/1は防災の日だが、3.11があったので、例年になく、今年は身を入れて取り組む人たちが多かろうと思う。「天災は忘れた頃にやってくる」という格言がある。気象庁の地震観測データを見ると3.11以後に、西日本の各地で微弱ながら地震が群発しているのがわかる。2011年1月に、鹿児島県と宮崎県にまたがる霧島連山の新燃岳が52年ぶりに爆発的噴火した。これは環太平洋が、まさに変動期に入っていることの予兆なのかもしれない。東北太平洋沖の三連動型巨大地震のカウンターバランスとしてのM7~8クラスの内陸型巨大余震はまだ起きておらず、太平洋プレートと北米プレートに接するフィリピン海プレートの歪みエネルギーもまだ十分に発散したとは言えないだろう。したがって、東南海の三連動型巨大地震が明日起きてもおかしくない、と専門家は言う。そして、首都直下型巨大地震も・・・。3.11のときの震度5で東京では交通が麻痺し大勢の帰宅困難者が出た。もし、これが3.11のときのように震度6~7が3分も続いたらどうだろう。至る所から火の手が上がり、人々はパニックとなってまるで東京大空襲のような惨状になるのではないだろうか。想定では、1万人の死者が出るだろう、としているが果たして、一千万人が密集している所で0.1%程度の被害で済むのか疑問である。もし、そこに10m以上の巨大津波でも起ころうものなら海抜0mの臨海地区だけでなく都心まで壊滅するだろう。3.11では、三陸の一部で海抜60メートルまで津波が到達している。もはや、災害に想定外はない、と日本人は3.11を教訓としたことだろう。東南海の超巨大地震が起こってもしも、第二の原発事故が起こったら「西日本大震災」となって、また、あの忌まわしい「ポポポ、ポーン」のCMが連日流れるのである。
September 1, 2011
甲子園の決勝で大敗したものの、準優勝旗を青森に持ち帰った光星学院が、レギュラー部員が飲酒をしていたというので当該生徒が帰校後、停学になった。高野連の裁定は、準優勝剥奪ではなく厳重指導のみで、秋季大会の参加も認めたという。被災地東北への配慮もあったのかもしれないが、なんだかモヤモヤして気持ちが悪い。いっそのこと、準優勝剥奪として「ダメなものはダメ」という父性原理を貫いて教育界への「頂門の一針」としてほしかった。母性社会日本のお茶を濁す、なし崩しにする、曖昧にする…という、病理のひとつの表れかもしれない。『週刊ポスト』によれば、野球部員の8人が関西人らしい。私学だから、学校の宣伝のためには部活を全国レベルにして名を上げようというのは常套手段だと思うのだが、高校生スポーツの精神からすると「なんだかなぁ…」と感ずる。私学においては、スポーツ推薦生徒は得てして授業料免除や定期試験の点は悪くとも進級させるなど、特待生待遇をしている所が多い。だが、野球さえやっていれば酒を飲んでも、喫煙しても、暴力行為をしても、許されると思ったら大間違いである。そのことを学校は子どもたちに第一に学ばせなければならないだろう。人づくりのために野球というツールがあるのに、本末転倒の有様になっている。最近では、大学の体育系クラブが集団で輪姦して廃部になった所もあった。スポーツで精神を鍛錬し、人間性を練磨すべきはずが、スポーツで鬱屈し、ねじ曲がって、反社会的行動をとるのは集団心理も働いて青年期の人格の未熟さ、自我の脆弱さが露呈するのだろうか。
August 29, 2011
福島市は、いまだに1.0の放射線値で、通常の百倍近い値にある。3.11から半年近く経つのに未だに本格的な除染作業には着手すらされていない。予算がない、汚染土壌のもって行き場がないという。福島は汚染されたまま、にしておくというのである。管総理は、汚染廃棄物の処理場を県内に、と知事に要請したそうである。県民の抵抗は必至だが、しかし、現実のところ、他府県が受け入れてくれるはずもない。ならば、原発周辺地には気の毒だが高濃度汚染区域は国が買い上げて廃棄物を集積し、廃炉作業と同時進行で石棺化したらいいだろう。これから数十年、汚染に関してはスッキリして暮らすことは諦めよう、と腹を括った。日本人は、神世の時代から禊(みそぎ)をして不浄を払うが、蔓延した放射能だけは拭いようがない。これからは、モヤモヤを抱えて生きる、不浄を厭わず清濁併せ呑む覚悟と生き方をする強さを身に着けた日本人に進化しなくてはならない。****民主党政権に交代して国益が大きく損われたにも関わらず、今また、拙速な次期総理の決定戦を見せられている。被告人の小沢や、無能で厚顔無恥の鳩山などとっくに引退してしかるべき両人が政治の動向を司っているのは世界の常識では、まさにクレイジーであり、ホープレスな状態である。他国のように民衆が暴動を起こしたりテロ行動をしたくなる心理のいくらかは理解できるような気もする。3.11のカウンターバランス型の内陸型巨大地震はまだ到来していない。首都直下型の可能性も高いし、東南海の連動型巨大地震による西日本大震災の可能性だってある。日本はまだ半壊状態なので完全に壊滅しなければ国民の目は見開かないのだろうか。海江田総理になったとてどんな日本再生が期待できるというのだろう。「だめでした」と、また公衆の面前で泣かれるのがオチではなかろうか。
August 28, 2011
未曾有の大災害後のPTSDの一つに「サバイバーズ・ギルト」というのがある。なぜ、自分だけが生き残ってしまったのだろうか、という自責の念である。殊に、家族の誰かを失ったケースによく生じることがある。しかし、被災地の人間は多かれ少なかれ「なぜ、私は生き残る側になったのか」という実存的な命題を背負わされている。本来なら、多感で繊細な日本人全体が感ずるべきことかもしれない。精神科医の故・神谷美恵子はハンセン氏病の病棟に一生関わりながら「なぜ、私でなく、あなたが・・・」と常に感じていたという。このような感性とその身を殉じた献身的生涯があってこそ「日本のマザー・テレサ」と今日讃えられる所以である。*********民主党の次期総理候補を巡ってあまりにも美しくない、情けない政治家たちの姿を見るにつけ被災者として辟易とする。国益を大いに損なった嘘つき鳩山や党員停止処分になっている小沢らが暗躍どころか、嬉々として、表舞台で勢力争いに加担しているのだから、民主党も旧自民党となんら変わらなく病んでいる。週刊誌の中刷りで代表戦候補者の馬渕・鹿野・野田・海江田の頭文字をとって「馬鹿の海」とやったのは上手かった。まさしく、である。まともな人、真のリーダーを生み出すための、産みの苦しみを日本国という有機体がいま味わっているのだろうか。
August 27, 2011
先日、原発避難地区からサテライト校に来ている女子生徒たちのカウンセリングをした。その中に、国連のパン・ギムン総長が福島を訪問したときに高校生代表としてメッセージを読んだ子がいた。当人は、それが世界に向けて発する被災地の若者の声であるということをあまり意識していなかったようで「英作文が大変だった…」と洩らしていた(笑)。それで、半ば冗談で「人類初の複合大災害で 被災地の高校生代表としての 国連総長へのメッセージなので 将来、教科書に載るかもしれないよ」と言ったら、「まさか…」と笑っていた。本人の承諾を得ているので全文を転記してみよう。*****3月11日、14時46分。私はこの時間が来るまで、何も深くは考えずに目の前にある課題を一つひとつこなしていくだけでした。特に大きな問題もなく、平穏な日々を送っていました。しかし、震災に遭って、原発事故のため家に帰れなくなってしまいました。毎日毎日、両親に訊くことは「いつ帰れるの?」になってしまいました。避難生活が、あっという間に経ち、1ヶ月になる時、段々と焦りが出てきました。自分がこうしている間にも、他の人たちは普通に勉強しているのに自分は学校にも通えず、勉強道具すらない状況で、どんどん遅れていってしまうのではないかというものです。5月9日から、サテライトという形で通学できるようになったことはとても感謝しています。そのおかげで、少しでも震災前のような生活を送れています。勉強も先生方のおかげで、元の学校のような丁寧な授業を受けることができています。多くの方々の協力と支援があったからだということを、私たちは生涯忘れません。自分が、まさか被災者になる日が来るなんて、まったく想像もつきませんでした。そして、このような状況で、自分にとって何が正しい道なのか、さっぱり分からなくなりました。しかし、被災して分かったことがあります。それは、普通に生活したり、普通に学校に行って友達と一緒に授業を受けたりすること、人は普通に生きていくことが一番の幸せだということです。また、将来のことも真剣に考えることができました。今、このようなことにやっと気づいたのです。世界中の人たちが、私たちの希望のない未来を切り開いてくれたことを幸せに思います。もしかしたら、17年間住み慣れた自分の家へ帰れないかもしれない。3月11日にいつも通り「また明日ね」と言ったままの友達にももう会えないかもしれない。しかし、どこにいても友達だということ、F高校生であるということはずっとずっと変わらないことを信じていきます。今はまだ、完璧に前を向いて歩こうということはできませんが、自分が辛くて泣いた日々を糧にして、どんな逆境にも負けない強い人間になりたいです。
August 26, 2011
2学期を前にして学校カウンセラーの研修会に参加してきた。各校のカウンセラーが3.11以後の子どもたちの心のケアの実情を話し合い、新学期の始まりに向けて心の準備を新たにした。講師の先生の「3.11のハネムーン期は終わった」という言葉が印象的だった。子どもたちは3.11直後、驚くほど毅然として「いい子」に振舞っていた。現場の教師たちも、特に表面的には問題がない、と見ているが、非言語式心理テストには無意識レベルで退行し、心的エルネギーが低下していることが有意に示されている。ということは、夏休み以後、なんらかの行動化や身体化が表出される危惧がある。しかし、それを「PTSDという不適応」とネガティヴにはとらえずに、これだけの大災害なのだから出て当然と、冷静に受け止めていかなくてはならないだろう。カウンセラーどうしでも「正直、自分もけっこう被災している、 と実感することがある」という話が出ていた。そして、そろそろ、「ガンパロウ福島!」というエールが重荷になってきたという率直な意見もあった。かく言う自分も、そうかもしれない。そこで、たまには「やってられんよ福島」と、わめいてもいいんじゃないか、と大学の先生が言われたので、研修者一同、そりゃいいや、ということになった。*****街には、方言でのスローガンが目に映る。「さすけねぇ」は「差しつかえない」、即ち、「大丈夫だ」という意味である。「がんばっぺ」(頑張ろう)という言葉がいちばん多いかもしれない。
August 25, 2011
カウンセリングの認知療法でよく使う言葉を表にしてK高のカウンセリング室に貼ってみた。 そしたら、今の原発の未収束の不安な状況にも当てはまるかもと思った。 大丈夫かな→大丈夫かもしれない→たぶん大丈夫→絶対大丈夫と未来の方向性を強く信じなければノイローゼになってしまう。 心配性やペシミストの人は大丈夫かな→ダメかもしれない→たぶんダメだ→絶対ダメだの陥穽に落ち込んでしまうのだ。 「明るい未来を信じる」「先を楽しむ」というのは、心的エネルギーがいるのである。 とりかへすこと あたはざることなりけり ここからのことよかれと祈る 碧水歌
August 22, 2011
ふだん野球は見ないが甲子園の決勝に東北勢が進んだので試合開始から観戦した。東北勢は過去、6回決勝に進みいずれも優勝を果たしていない。記憶に残っているのは、延長18回引き分けの死闘を演じた三沢高校の太田投手、いわき高校の小さな大投手・田村、そして、東北高校のダルヴィッシュ。今回は、なでしこジャパンのとき、被災地日本へ神風が吹いてミラクルが起きたように、今度もまた、神も被災地東北を哀れんで初優勝校をもたらしてくれるのでは…と期待をしていたが、あにはからんや一方的なワンサイドになるとは。完膚なきまで打ちのめされた完敗だった。日大は10年前に一度優勝している監督を擁しており、被災地側は若干日照時間も短く雪による冬の練習時間も短い、という7:3くらいのハンデがあったかもしれない。頼りになるデータは投手の秋田が失点1という好投をしていたことだった。2回裏に、日大の内野ゴロが一塁手の前でイレギュラーしてヒットとなった。光星側にはアンラッキーで、それは、わずかながら嫌な予感をもたらした。そして、三塁手の送球が暴投した。しかし、後続を断ってどうにか0点に抑えることができた。県予選ではエラー0という鉄壁の守備が、なんだかバタバタして目に映った。3回に、なでしこのエースと同名の澤選手が初ヒットを打ちここから得点チャンスが来るのでは、と期待を抱いたが、これが牽制で塁殺された。勝利の女神はチャンスを逸したことで二度と微笑みかけることはなかった。この回の守備で、バッターが入る前の肩慣らしのキャッチボールでキャッチャーがとんでもない所に返球してピッチャーが取れず苦笑いするシーンがあった。これを見たとき、ナンダ?と思った。緊張しているのか、脱力しすぎているのか、いずれにせよ、選手たちが平常でないことがわかった。アナウンサーは「秋田投手はテンポよく投げていますね」と見ていたが、どこか落ち着きがなく、間が早く感じられた。事実、日大の吉永投手は腰の据わった、じっくりとしたテンポで丁寧に投球していた。そしてデッドボールを出し、ポテンヒットと続いて、目の覚めるようなライナーのセンター返しのホームランを浴びた。それでも、まだ3点差で甲子園では勝敗が決する点差ではなかった。しかし、その後、セカンドが2回エラーし、ピッチャーもワイルドピッチがあり、失策に次ぐ失策で、まさに自滅のパターンだった。5回、タイムリーヒットと思われ唯一の本塁狙いはホームランを打ったライト高山の好返球で刺された。そして、7回の打者5人の連続ヒット、ツーランホームランでとどめを刺された。0-11となり、エースは降板し、セカンドも交代したが、時すでに遅しで、逆転の望みは断たれた。エース吉永は、最後までリズムを崩さずに、落ち着いていた。そして、4011校の頂点に立った。大差がついたワンサイド・ゲームだったがある意味、ドラマチックであった。なでしこのような奇跡は起こらなかったが被災地の代表校が、決勝まで残ったのが奇跡だったのかもしれない。そして、彼らの健闘を被災地の人間なら、誰もが喝采するだろう。
August 21, 2011
文系のインターハイといわれる全国高校総合文化祭の「ふくしま総文」の「器楽・管弦楽」部門を初めて聴きに行ってきた。3.11以前から予定が決まっていて今回は36回史上はじめて開催が危ぶまれたが地元高校生の懸命の努力によって中止を免れた。全国からの選抜されたオケやギター、マンドリンなどのアンサンブルが楽しめた。それぞれの学校が被災地・福島のために心をこめて演奏してくれて聴いていて、何度も涙がこぼれそうになった。県民が原発事故で10万人も県外に脱出したというのにそこへ全国から9000人もの高校生が来てくれたのだ。ある長崎の女の子は親の反対を押し切って来たという。「自分たちにできることは音楽を通して、被災者にエールを送ることだ」という心意気が涙がでるほど嬉しかった。迎える側の福島の高校生もみなボランティァで会場設営から運営に懸命に取り組んでいた。トリの福高・橘・安高・黎明の県内トップ4の合同オケ127名によるワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタジンガー」前奏曲も圧巻だった。福島の高校生の心意気を全国の仲間に示したような見事な演奏だった。*****高校生が、かくも素晴らしき支援をしてくれているのに東海テレビでは岩手県産『ひとめほれ』に対して「怪しいお米 セシウムさん」などというトンデモないテロップを誤って流したというから、大人の馬鹿さ加減、あまりの低脳ぶりには呆れるより他ない。リハ用に下請け会社が作ったらしいがそれにしても、どういうつもりでこういうものを作っているのだろうか。内部で、「こんなんだったら、面白かろう」と笑っていたのだろう。「人の心には鬼が住んでいる」とはよく言ったものである。
August 7, 2011
3.11以後に書かれた精神科医の香山リカの本を読んでみた。「原発うつ」という言葉が目新しかった。世界的にも原発事故とメンタルヘルス関連の研究は少なく、唯一、チェルノブイリ事故後、有意に「うつ」や自殺率が高いという論文があるようだ。「目に見えない」「先が見えない」「誰を信じてよいか判らない」というのは、人間にとって最も過酷なストレス負荷になる。原発ストレスに対応するマニュアルはまだ世界には存在しない。…という著者の指摘は被災地に住む人間にとっては重くのしかかる現実である。今話題の牛肉汚染は遠く松坂牛にまで問題が及んでいる。お茶は静岡まで汚染され、東京の一地区の水が一時基準値を上回った。ということは、近辺の路地もの野菜が影響がないはずがなかろうと思うのだが。基準値ギリギリなので出荷規制や報道されないだけなのだろうか。こういう疑心暗鬼も人の心にはけっこうなストレスになる。福島原発は廃炉が決まったが、収束宣言が出されても、県土を除染するのには数十年はかかるだろう。子どもたちの健康チェックも数十年から一生涯にわたって経過観察を見なければならない。日本中の至る所に原発がある限りどこかが、また「想定外」のことで福島の二の舞にならないとも限らない。もしも、青森の六ケ所村に貯蔵されている全国の核廃棄物が「想定外」の事故で飛散したら、日本全土はおろか地球規模で汚染されてしまう。そんな危ういものを東北は抱かされているのである。否。日本が抱えているのである。
July 28, 2011
一昨日の中国新幹線の大事故は多くの死傷者を出した痛ましい事故であるのにその事故処理ときたら杜撰すぎて呆れるほかはない。事故の翌日に、早々とダイヤが復旧して何事もなかったかのように通常運行がなされている。JR福知山線事故では運行が再開されるまでに55日間も検証に費やしている日本とはなんという違いだろうか。1988年には、高知学芸高校の中国修学旅行での列車事故があり29名の生徒が犠牲となった。この当時から、中国の鉄道は拙速なインフラ整備により事故が多発しており、幾百人もの犠牲者をだしながらもそのたびごとに鉄道省大臣が更迭されて幕引きとされている。中国鉄道はダイヤの遅れは日常で、列車区ごとの縄張り争いや、労働者の低いモラル、設備の手抜き工事などあれから20年以上経っても未だに安全性を省みない。したがって、これからも人為的なミスにより事故が多発するだろう。******原発事故の後遺症に福島県民は未だに苦しめられている。ヒューマンエラーによる中国新幹線の大事故を東電や日本政府はどうこう言う資格はなかろう。落雷による天災を事故のせいにしたがる中国の姿勢と想定外の津波による天災を事故のせいにしたがる東電・政府とは五十歩百歩である。日本国民も中国国民も馬鹿ではないはずだからしっかと政府の対応を見てネットやデモや選挙で民意を示していくことになるだろう。これまで、国民はおとなしく黙っていたことで放射能汚染という自らの生存を脅かされる大難題を目の前につきつけられたのだ。今は、ひとりでも多くが真っ当な国、美しい国への再生のため立ち上がり、物申さねばならない。全国のがん患者自らが立ち上がって政府を揺り動かした結果、がん対策基本法ができて、先進医療の地域格差が解消されがん難民を減らした、という事実がある。
July 26, 2011
なでしこジャパンが世界の頂点に立った。暁の3時45分から観戦した。アメリカに先制されたときには「あ゛~!! …」と、中3の息子と二人して落胆し、同点ゴールで挽回した瞬間は「やった~ッ!!」と、歓声をあげてハイタッチした。まるでスポーツバーのノリである。延長戦で先制されたときには心がポキリと折れかかり正直、もうだめかもしれないという諦めが心をよぎった。延長後半の終了間際、これが最後のチャンスかもしれないという日本のコーナーキックで息子と二人で手を合わせて、神様に「どうぞ奇跡を起こしてください」と祈った。そしたら、神風が吹いた。澤の信じられないミラクル・ゴールが決まった。日本中が狂喜乱舞した。澤の起死回生のガッツポーズには胸が熱くなり、涙がこぼれた。しかし、PK戦になると、男子W杯アルゼンチン戦での駒野選手のミスが頭をよぎった。「また、駒野のときみたいに ならないといいが…」と息子も同じ不安が脳裏に浮かんだようだ。先攻のアメリカのボールをキーパーの海堀が足で蹴りはじくというスーパー・ファイン・セーヴを見せた。歓声と共に息子とハイタッチをした。神風はまだ吹いていた。後攻の日本が軽く決め優位に立った。苦しんで苦しんだこの試合ではじめて勝てるかもしれないという希望がわいた。そして、アメリカの二番手が大きくゴールポストを外した。これこそ、まるで駒野選手の再現のようだった。アメリカの3番手も海堀が読み勝ってファイン・セーヴした。世界ランク1位のアメリカが明らかに動揺していた。エース・ワンバク選手が1本決めたものの日本は2-1で絶対的アドバンテージに立った。そして、ファイナルの1本が若干ハタチの熊谷に回ってきた。アップで見る彼女はニキビだらけでまだ思春期の面影を残しているが、キリリと引き締まったいい表情で軽く天を仰いでゆったりとボールに向かった。敵側キーパーはコースを読んでいたが熊谷のボールはゴール左上コーナーのピンポイントに鋭く突き刺さった。なでしこ達が世界の頂点に立った瞬間だった。「柔よく剛を制す」のとおりアグレッシブなヤンキーガールたちにたおやかな大和撫子たちが粘りにねばって競り勝ったのだ。世界中の観衆が賞賛した歴史に残る名勝負だった。3.11以来、はじめて胸のつかえが下がるような心から喜べる朝を迎えることができた。おめでとう。大和撫子たち。そして、ありがとう。何よりも、誰よりもいちばんの勇気と希望をあなた方は与えてくれました。
July 18, 2011
3.11から4ヶ月経ったが街のあちこちには今でもさまざまな幟が立っている。市民はじっと歯を喰いしばってがんばって生活しているのだが政府も東電もちっともがんばっていない。(作業員は別として)放射線はいっこうに減らないし保障手当ても行き渡っていなく市民の精神的苦痛にはまったく賠償すらされない。子どもたちの尿からセシウムが検出されたのにニュースでも国でも大騒ぎになっていないのはどうしたことだろう。もう麻痺してしまったからニュース・ヴァリューがないとでもいうのだろうか。汚染牛を食べてしまった人たちも全国に幾人かいよう。この美しかたった島国の水が、空気が、森林が原発という「金のなる木」に踊らされた族(かやら)の手によってかくも取り返しがつかない処まで汚染されてしまったのだ。もう、この国に放射能を蓄えておく場所はいらない。
July 16, 2011
松本復興相の暴言が批判されているが、被災者として本当に腹立たしい。国のお偉いさんがはるばる東北の辺地に助けに来てやってるんだという上から目線、東京目線で被災地を完全に見下している。就任時からしてサングラスをして与太者面で「被災者の心に寄り添いたい」などとよくも言ったものだ。この男、福島第一原発なみの壊れた、どーしようもない汚染されたやつである。馬鹿が任命したとっておきの大馬鹿なのだろう(笑)。サッカーボールを蹴ってパフォーマンスしたり意味不明のサングラスを記者会見の途中でかけたりこの男に、まったく中身なんてない。そして、記者に向かって「学習しろ」とは笑止千万である。てめぇ、が学習しろ!!この男、まだ大臣に居座るつもりだ。さすがに総理肝いりの大臣様だ。こういう男にこそ、福島第一原発に防護服なしで除線作業をさせたらいいと思うのだが。さすれば、無能な国会議員が一人減り原発収束が早まって一挙両得、一石二鳥になる。
July 5, 2011
落語家・立川談志家元の名言に「貧乏とは、飢えと寒さ」であり「経済とは、衣食住の確約」である、というのがある。思うに、日本人で今、「飢えと寒さ」に喘いでいるというのは、いないのではなかろうか。もっともこの状況に当てはまりそうなのが北朝鮮ではないかと思う。***********『北の国から』という秀作ドラマがあるが、その第一話は、北海道の富良野の奥地でガスも電気も水道もない所で幼い子ども二人を抱えて離婚した父親が家を作るところから生活を始めるのである。最初、都会育ちで、塾通いもしていた知的優位の小学生の長男は、文句タラタラで、東京の母親の元になんとか帰ろうと画策する。地元生まれ育ちの父親はさすがに厳しい状況に同化するのが早いが次に同化するのが、幼い娘である。産み出し、育むという点で、母なる大地と密接な関係のある「女性の強さ」がこの少女・蛍に象徴されているように感じた。***********ドラマの前半の方で、都会に住む離婚した妻が訪ねてくるシーンで父親が「こういう生活をしたことが、きっといつか、子どもたちの役に立つと思う」と言う。都会から来た母親は電池式のラジカセをさりげなく子どもたちに置いていく。それまで、1キロも離れた沢から毎日水汲みをしていた家族だが、ある日、父親の考えで、ビニルパイプを森に通して沢から水を引くことになる。幾度も失敗を重ね、試行錯誤した結果、とうとう水が通るようになる。水が流れ出た瞬間、子どもたちも父親もそれまでの水汲みの重労働から解放されたという喜びからか、手を取り合って狂喜乱舞する。たまたま居合わせていた子どもたちの担任の若い女教師(彼女もまた、受け持ちの子に自殺され傷心の想いで都会からやってきた)がその様を見て、父親に「あなたたち、素敵です…」と言う。***********『バカの壁』の養老氏は「今、子どもたちを健やかにするには?」と問われて「昔に、戻したらいい…」と応えていた。ゲームをやっていると一見反射神経を養っているような錯覚を覚えるが、あれは単一な反応しか鍛えられていない、と養老氏は指摘する。自然界や人生で起こることはあれほど単純でなく一つひとつに複雑な応答が要求されるものだ、という。今の子どもたちは、なにもかも出来上がってきた所に生まれついたので、火をつけることもできなければ、その火を使って煮炊きもできない。80年頃の『北の国から』にも、都会育ちで勉強のできる純が、マッチから種火を作って薪になかなか火をつけることができずに、父親に再三叱られるシーンがあり、ドラマの父親が言った「生きる力」をつけてやる、というセリフの重みを感じた。
June 17, 2011
庭のユスラウメが赤々と実りだしたが、今年は、放射能が未だに1.3μs/hあるので収穫を断念した。小粒のサクランボのような味でその可憐な実を摘み取るのを毎年、楽しみにしているのでまさに断腸の思いである。「バカヤロー原発!」と怒りを新たに表明しておこう。奇しくも、今朝一のニュースでイタリアの国民投票で原発反対が9割をしめたという。ドイツ、スイスも原発廃止に舵を切った。「神の火」に人は手出しをしてはいけなかったのである。産業革命来の物質主義、生産主義は、このあたりで終焉させて、人類は環境革命というあらたなライフ・スタイルを確立させるべきである。次期総理候補の名に福島出身の玄葉氏という声もちらほら上がっているようである。果たして、日本も原発を全廃する決断ができるのか。
June 14, 2011
3.11から早くも3ヶ月が過ぎた。近頃、人と会うと「早いですね…」という挨拶が決まり文句になっている。3ヶ月経って事態はどれほど改善したか。正直いって、被災地は復興はおろか、まだ復旧のレベルでさえない。まだまだ救済段階だというのに政権闘争でガタガタやっている国家中枢を見るに失望から絶望を感じざるをえない。電力不足は玉突き効果で関電まで15%節電が必要になりそうだという。企業ではサマータイムが導入され始めたし土日勤務、平日休業の工場稼動もなされている。この夏、間違いなく猛暑日は幾日もくるだろう。福島市ではもう25度を超える夏日が10日以上となった。30度超えの真夏日は3日もあった。ここのところの連日の27度程度でも二階の日当たりのよい寝室は遮光カーテンをしても屋根の照り返しで30度にはなってしまう。例年なら網戸を両サイド開放しておくと25度を下まわりしかも虫やカエルの鳴き声を耳にしながら心地よく涼やかに眠れるのだが放射能による大気汚染が通常の150倍なので、それも叶わず仕方なくエアコンを短時間かけている。汚染度が3.15原発爆発時には通常の2500倍あったのが今は150倍になったとはいえ余命少ない中高年にはいいとしても幼い子どもたちを持つ親たちには心が押し潰される思いで辛かろう。内陸型直下型の大余震も未だに到来していない。これは、必ず来ると警戒している。太平洋沖震源の小規模余震は毎日、数回は震度2-3程度で起きていて、もはや日常茶飯事になっている。その親玉はさすがにデカイだろうとは思うが…。おそらくM7-8クラスになるかもしれない。最悪のシナリオは大余震が首都直下型になってそれと連動してフィリピン・プレートの東南海が3連動するというものである。こうなったら、目も当てられないだろう。日本経済は、ほぼ壊滅状態に陥ること必至である。テレビに、またあの耳タコになった「ポポポーン」のCMが復活しないことを祈るばかりだ。未曾有の想定外のことは起こり得るのだ、というのが3.11の教訓である。福島では、超巨大地震、超巨大津波、原子炉3機メルトダウンという人類史上初の複合・超巨大災害が現実として起こったのだ。各地に原発を抱え活断層とプレート継ぎ目に乗っかっている日本人にはどこにも逃げ場がないのである。
June 10, 2011
石巻市の大川小では全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明になった。地震発生後、津波が来るまでに50分もあったが、高台への非難誘導が遅れたのが原因だった。三陸地方には「津波てんでんこ」という言い伝えがある。津波が来たら肉親に構わず各自てんでんばらばらに高台へと逃げろ、という意味である。大川小では、地震後に校庭で悠長に点呼を取っていたというから日本的教育的ではあるが、地元の経験則から生まれた「津波てんでんこ」の教えが生かされなかったことになる。また、この日、学校長は娘の卒業式のために有給休暇で不在だった。リーダー不在が統率のとれた退避行動ができなかった一因かもしれないが、教頭がそれに変わり指揮をすべきだった。裏山は倒木の危険性があって回避すべきだ、とかいう議論が教員間であったようだが、緊急時にするような議論ではないし、市教委の避難マニュアルも不備だったという。現に、早期避難でほとんど犠牲者を出していない学校が大多数であった。2万数千人という犠牲者が出ているから大川小の74人の犠牲は新聞の小欄でしか報道されていないが平時の日本なら、子どもがそれだけ亡くなったら大事件であろう。教職員も9人も亡くなったので痛ましい災害であったが学校人には「子どもの命を預かっている」という重い責務があることを全国の職員には胸に留めておいてほしい。
June 5, 2011
今朝の読売新聞の冗談コラム『USO放送』には笑ってしまった。 鳩山前首相 殿 「トラスト・ミー」 菅総理鳩山は「ペテン師」だと憤然としていたが、テメエのことを棚にあげて何を言うとるか、とあまりの低脳ぶりに呆れてものが言えない。平成の脱税王と揶揄され、秘書問題は議員も辞職すべしと野党時代に責めておきながら、いざ自分のこととなると職責を全うすることで責任を果たす、と開き直る厚顔無恥ぶり。基地は県外に移転させる、と豪語しておきながら勉強不足だった、と一転知事に泣きついて哀願し、沖縄県民からは罵倒され大馬鹿扱い。2チャンネル用語ならまさしく「基地外」ぶり。そして、大統領宣誓や法廷証言では聖書に誓う一神教社会において「Trust me」という言葉がいかに重いかも考えずその元首に対して首相として安易に吐いてしまう軽挙妄動さ。総理を辞任したら議員も辞めると公言しておいて、ほっかむりを決め込む図々しさ。これをペテン師と言わずしてなんと呼んだらいいのだろうか。そして代議士会ではスタンドプレーをして小沢派からは余計なことをしてくれたと「はしご外し」の汚名を着せられた(笑)。謀略を崩されてオカンムリの小沢には「私も裏切られた。 なんとか、早く辞めさせるので…」と平謝りにあやまっているという。醜態丸出しのピエロである。不信任案攻防をめぐる菅の綱渡りも狡猾だが卑劣でもあり、しかも目が泳いでいてもう一国のリーダーとしては原発被災者としてはとても命を預けるには信頼が置けない。鳩菅小沢の民主党は機能不全政党であるということがこの難局で露呈した。早く、総選挙でもなんでもやってこういう政治家たちにはさっさとご退場願い新しい人、まともな人を国政に送りたい。
June 4, 2011
今日、内閣不信任案が採決される。民主党からも造反組が出るとかで、党分裂の波乱を含んだ政治ショーが展開されそうだ。10万人もの避難民をさしおいてこの期に及んで猿山のボス争いをしているようで政治家どもの意識の低さには呆れるほかない。鳩山は沖縄問題を混乱させて「やめる」と言ったのに厚顔にもまだ執着して政治ごっこをしている。小沢も被告人であるのに120人もの子分を従えているから自分の一存で政局を流動化させられるとの驕りがある。谷垣は、今日の原発事故の根源が元々、自民党がもたらしたものであることを認識して大口を叩いているのだろうか。公明党に至っては創価学会母体の政党であることは中学生でも周知の事実で憲法の政教分離に反した違憲政党である。幸福実現党やオウム党と同等なのである。こんな政界をどうガラガラポンしようが汚染された土壌はどう組み合わせても汚染されたままなのである。今こそ、現政界外から第三の党、リーダーが出現せねばこの国は、駄目押しの大災害の到来後に劣等国に沈潜するだろう。個人的には「いでよ真の国母」と女性宰相を待望している。なんだか、このままだと信任案のゆくえがどうなろうと「見えざる神の手」が働いて何もかもが一極集中している首都にとてつもない災害が起こりそうである。国民の真の怒りが政治家たちを震え上がらせるには我われは、まだまだ追い込まれていないのかもしれない。
June 2, 2011
1.話をよく聞いてあげる (ただし、無理に聞きだそうとしない)2.誰でも起きることで、必ずよくなる、と安心させる3.話したい時はいつでも話をしていい、と伝える3・11のような未曾有の災害に遭うと、誰もが心理的に退行しやすくなる。そして、不安を抱えて苦しむことになるが、その不安を誰かに解ってもらいたい、誰かと共有したい、と深層意識が働くものである。 ただ、3・11の場合、当該教師も養護教諭も被災者なので、自らも不安や何らかの葛藤を抱えていると思う。ことに、原発事故による放射能汚染で、安心して職務を遂行できない、という先生方が少なからず各校にいることを知っている。しかし、例えるなら、教員の立場とは、乱気流で不安に思う乗客に、安心感・安全感・大丈夫感を提供するキャビン・アテンダントのようなものである。自らが不安がっていたのでは、乗客を安心させることなぞは出来なかろう。そこは、プロの笑顔で「大丈夫ですから、シートベルトをお締めください」と安心感を提供しなくてはならない。「一所懸命」という言葉があるが、それは、今ここで、我われは、命懸けで職務を遂行しなくてはならない、ということである。1.話をよく聞いてあげる、というのは、たやすいようで、なかなか難しいことである。殊に、教師は、教えるのが商売だから、つい何かを相手に言いたくなる。かつては、生徒に延々と説教をしておいて、「カウンセリングしています」という先生がいて、驚いたことがあったが、さすがにSCが導入されてからは、そのようなトンデモナイことは、なくなったようである。 カウンセリング用語に「積極的傾聴(Active litening)」というのがあるが、まさに、虚心坦懐にして相手の話を肯定も否定もせずに、聴くことに徹するのである。「聴く」というのは「聞こえる」の「聞く」よりアクティブな姿勢であることは了解できよう。無理に聞き出そうというときは「訊問」の「訊く」になる。日本語はちゃんと分類しているから大したものである。「コップの理論」というのがある。コップとは学者名ではなく、ガラスのコップのことである。片方に満水のコップがあり、片方に空のコップがあるとする。満水のコップとは、生徒の不安がいっぱいの状態とすると、それを空のコップにいくらかでも移させてあげるのが、傾聴の意味であり効果なのである。 説教したり、何かを教えよう、とするのは、満水のコップにさらに水を継ぎ足そうとすることであり、当然、あふれ出て入りようがない。もっとも、聴く側のコップを空の状態にしておく、ということは、現実には至難のことで、仕事や雑務に追われ、家族のことで悶々としていては、同じく水がいっぱいで、生徒からの水を移すべき容量がないかもしれない。じっくり人の話を聴く、というのは、教師側に、ゆとりがなければ難しいのである。 また、幾人もの生徒の不安を聴いているうちに、先生自身のコップが満杯になってしまって、しかも、その水たるや黒々とした不安の塊なので、その毒で中毒になることもある。実際には体調を崩したり、家族に八つ当たりしたり、ということが起こる。そんな場合は、SCに相談したらいい。2.このような非常時には、生徒は被暗示性が強いので、自らの心身の異常にとらわれ、さらに症状が悪化するという悪循環に陥りやすい。それゆえ、そういうことが起こることが正常で、健康な反応であること、誰でも起きることで、必ずよくなる…と、暗示をかけるように保証することが大切である。このとき、教師自身にも不安があっては説得力がない。それには、状況は必ずや好転する、復興する、という自らに自己暗示をかけて、それを強い信念としなければならないだろう。 かつて、新任教員研修会で、新卒の若い先生方に、先述の例をあげて「現場ではスチュワーデス・スマイルを忘れないで」と檄をとばしたことがある。(当時はまだCAという呼称がなかった) 3.話したい時は、いつでも話をしていい、と伝えることも大切である。この言葉は、生徒たちに安心感・安全感・大丈夫感を担保する。と同時に、この言葉は教師に対する信頼感をも高めてくれる。事例研究では、援助者との良好な関係が築けた場合には不適応症状が減少するという報告がある。1~3の他にも、重要なことは、PTSD生徒の周りに、理解者のネットワークを作るという環境調整である。学校には、担任、顧問、教科担当、養護教諭、教頭、校長、SCなどがいる。生徒がもっとも安心して心を開きそうな相手をコーディネートするということも大事な作業である。そして、保護者にもPTSDの病理・心理を充分に理解してもらわないと、安易な叱咤激励をされて「抑うつ」状態が悪化したりする場合もある。
May 31, 2011
「大地が揺れると、心も揺れる」という。3・11大災害は、地震・津波・原発という人類史上、未曾有の複合大災害である。被災体験をしたどの生徒にも、大なり小なり、何らかの心的外傷をもたらしたものと考えられる。殊に、自我強度の脆弱な子や「うつ」的な気質を持った子、広汎性発達障害の子などにとっては、深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)発症の危惧がある。PTSDは被災者に必ず出現するものではなく、95年の阪神大震災後の子どもを対象とした調査では、2ヶ月時で13%、6ヶ月時には9%の出現率であった。3・11後の福島市の避難所でも、やはり同程度の出現率が見られた。大雑把に言えば、被災者の1割弱に出現すると考えたらいいかもしれない。PTSDには主に3つの徴候が1ヶ月以上継続して観られる。1.フラッシュバック2.関連刺激の回避3.過覚醒 1.フラッシュバック (flashback) とは、強い心的外傷(trauma)を受けた場合、後にその記憶が、突然、鮮明に思い出されたり、夢に見たりする現象である。フラッシュバックには、恐怖感や不安感を伴い、恐ろしい出来事や体験した苦痛が、何度もよみがえったり、それを生々しく再体験する。3・11以後、巨大地震や津波に襲われる悪夢を何度も見る、というケースが多い。ただし、繊細な子では、直接経験していなくとも、テレビやパソコンなどで津波の映像を見て、二次的な形で悪夢を見るケースもある。 2.関連刺激の回避とは、災害を想起させるものを避けたり、不安になると無関心・無感動というような反応性の麻痺が起こったりすることである。実際に津波に巻き込まれた子は、テレビで津波の画像を見るのも、話をするのも忌避する傾向がある。3.過覚醒とは、恐怖やショックを受けると脳は興奮して緊張状態が続き、入眠困難や中途覚醒などの睡眠障害が生じたり、落ち着きがなく、集中力が低下し、些細なことで驚愕する、などの行動が観察される。他にも3・11災害で、PTSDを思わせる徴候としては・成績が下がる・登校意欲、活動意欲がなくなる・過食・拒食がおこる(体重の増減)・対人関係が悪くなる・不自然に甘えた行動(退行)・孤立感や疎遠感を感じる・自分ばかり助かって罪悪感を感じる などがあるが、一過性である場合もあり、1ヶ月以上継続しているときにはPTSDを疑い、スクールカウンセラー(SC)に報告するか、SCがいない場合は、保護者に連絡し精神科受診を奨めたほうがよい。(ただし、心療内科を奨める場合、個人クリニック等で心療内科を標榜している内科医は 専門外なので、精神科医のいる心療内科を奨めていただきたい) PTSDはトラウマの程度が軽いものであれば、一過性のものとして4週間以内でほぼ収まるものだが、トラウマが重篤な場合には年単位かかることもある。また稀に、外傷後、1年や2年後に発症するケースもあるので留意されたい。3・11では、津波被害で家屋を失ったり、肉親を亡くした、というのは重篤な対象喪失のケースといえる。原発事故による放射能汚染は、目に見えず有害なものが、何年も長期にわたって影響を及ぼすものなので、これも深刻なトラウマを形成しやすいといえよう。殊に、避難地区から退避してきた生徒たちは、自分の家や故郷、母校などの喪失体験がトラウマになりやすい。ふだんから知覚過敏な傾向があり、認知の偏った広汎性発達障害の子は、余震でパニック行動を起こしやすい。実際にいくつかのケースが報告されている。PTSDの症状は、うつ病とも似ていて、実際に抗うつ剤(SSRI)で軽快する場合も多いので、やはりSCや精神科医にリファーするのがベストである。参考に「うつ病」の特徴をあげておく。「うつ病」の主な症状・睡眠障害・気力の減退、無気力・哀しい気分、涙がこぼれる、絶望感 ・疲労感、脱力感 ・身体の不調感(不定愁訴)・食欲不振(過食の場合もある) ・人生の敗北感、失敗感 ・集中力の低下・貧困妄想・自罪的感情 ・希死念慮
May 30, 2011
谷崎潤一郎に『陰翳礼讃』という随筆がある。いにしえ人は夜の灯りを蝋燭や行灯で採っていた。明治になってランプとなり大正には白熱灯に変わり昭和には蛍光灯になった。平成の主流はLEDだろうか。谷崎は、昭和8年頃に採光様式の変遷とともに我われの生活に陰影が無くなり日本独自の美意識が失われてきたのではと指摘している。たしかに、蛍光灯下で源氏が姫たちを口説くのを想像すると、いささか興醒めであろうしかがり火で観る能狂言の幽玄さはスポットライトでは味わえないだろう。茶席の夜噺も燭台の仄暗い揺れる灯でこそ露を打たれた花は妖しく映え一椀の黒楽茶碗も詫びの存在感を増すものである。隅々まで明るくして暗闇を放擲してきた現代人の生活は、たしかに快適には違いなかろうが「ふたつよいこと さてないものよ」で日本古来の詫び・寂び、粋という伝統美を忘れさせてしまった。電力危機で、節電というライフスタイルが突如に降りかかってきたような災難として受け止めている人々も多かろうが、「ふたつわるいこと さてないものよ」と思い替えをしてみれば、谷崎が指摘したように陰影の美をこの機会に見直すチャンスとポジティブにとらえてはどうだろう。***人間の体内時計は25時間周期なのだが社会は24時間でやっている。したがって、この1時間のタイムラグを我われは毎朝、覚醒とともに自然光を感知して間脳でリセットしているのである。本来、光のないはずの夜に過剰な光刺激を目から入れると睡眠覚醒リズム障害(SARD)という睡眠障害を生じることがある。不登校の子どもたちが夜、ゲームやケータイやDVDに熱中して直接光源を過剰に取り込み昼夜逆転になってしまうケースが6割くらいあるという報告がある。そして、不夜城の都会にはSARD患者が有意に多く発生している。ほんとうに健康な暮らしとはお天道様が沈んだら寝て夜が明けたら起きる、という自然のリズムに合わせることかもしれない。***最近、どこの大型スーパーに行っても照明を半分にしていて薄暗い。店のイメージ、商品イメージが輝かなくなることは損失のように思うがそれでも、慣れてくると今までが明るすぎたのだと思えるようになってくる。3.11を機に家庭内の電球や蛍光灯を一段暗いものに変えてみた。はじめは薄暗い感じがするがしだいに慣れてくるとそれが当たり前になる。欧米のホテルはどこも薄暗いものだ。中には天井に灯りがなくて「どうしてだろう?」と思いたくなる所もある。元来、欧米人は瞳が薄く光に敏感だからサングラスを多様したり夜もさほどの照明を必要としないと言われるが、ヨーロッパ人は絵画や彫刻などの美術品や生活調度品が、適度な陰影があってこそ美が輝くことを知っているのではないだろうか。
May 29, 2011
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