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そば畑紅一点ありひがん花虫の音聴きてまた赤々と 浄至今日は久しぶりの晴れ、もう5日ぶりの好天気。某寺院にて研修あり出席する、テーマは【領解文】を読みその本質を理解する。参加者の多くが、この久しぶりの晴れの日に本堂に籠もるとはもったいないの口調。どうやら、稲刈りに迫られていて気になるらしい。度重なる台風と長雨に、すでに終わっていなればならない稲刈りが遅れているようだ。この週末を狙っているようで、雨が降らなければいいが。帰りに蕎麦畑の側を通ったおり、畑の畦に彼岸花がポツンと咲いている姿を見付ける。やけに気になったので撮影した。帰って一句ではなく一首をヒネってみたが。
2016.09.23
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台風の行方求めて雲流る 窓打ち鳴らし雨音去りし 浄至今日は台風でよく荒れた、最接近した午後1時半頃には和歌山県に上陸したとか。その頃の風雨が一番強く、風速20mくらいの風に視界50mくらいの猛烈な雨だった。各地で洪水警報が発令されていたようだが、幸い鳥取県では避難勧告までは出なかった。午後4時半頃には急に静かになり、雨は弱く風も微風になる。ニュースでは台風は三重県から遠州灘に抜けた模様とか。これから東海地方から関東にかけて荒れそうだ、大丈夫かな。久しぶりに短歌を詠んでみた。
2016.09.20
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実が二つ離るるなかれ野分まえ 浄至台風16号が近づいているようだ、その影響かここ2日間は雨。今日は朝から雨、一日中降り続いている。刻々と台風が近づいて雨足が強くなりつつあるがまだ風はない。すでに九州、四国、瀬戸内側に南近畿は大雨洪水警報が発令されたようだ。公園の樹木に二つ仲よく並んでいる赤い実を見つける、といってもこの写真は3日前の撮影。この台風が去ったあと仲よく残っているかな。
2016.09.18
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亡者の手それとも如来曼珠沙華 浄至彼岸花を見つける、この花が咲き出したらもう彼岸だ。地獄の亡者がこの世に這い出そうと、地面より赤い手を出しているように見えるので、不気味な花だと嫌がる人もいる、またの名は曼珠沙華、とてもめでたい花だけど。サンスクリット語でマンシュサカを漢字で表音しただけなのだが。なんでも、如来がこの世に出現するときに、後光とともにこの花が降ってきて、この世の全ての人々を救い幸福にするらしい、救われたい人にとってはすがりたい花のはずだが。
2016.09.16
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五感をばくすぐり続く花野径 浄至秋の花の公園を行けば、実に多くの花が咲いている。少し見飽きたような気がしないでもないが。その中で、秋の蝶がひらひらと花から花へ飛び回っているのを見つけるとまた格別である。五感に刺激を与えられたようで、実に楽しくなる。
2016.09.14
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ホ句の秋花一輪の雨近し 浄至 ほくのあきはないちりんのあめちかしホ句 = 俳句を発句させるための行為のこと。ホ句の秋とは、秋の季語になっている。秋になり一つ俳句でも詠んでみようかと行動に移すことになる。今日は朝から雨、断続的に続きやっと午後8時には止む。それに我が家の改装で大工さんとの対応に追われて一日が終わる。写真は昨日の午後の撮影で、撮影していると急に雨音が聞こえだした。ちょうど目の前に白い花が一輪だけポツンとさいていたので、慌てて撮影して一目散に車へ戻る。この花を見ながら一句ひねって見ようとしたが、雨脚が早くなっていくので帰ってしまった。改めて写真を見直してみたら、確かにこの花【ヨメナ】ではないか、もう秋本番である。
2016.09.12
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窓開ける忘れ団扇の依り処 浄至 まどあけるわすれうちわのよりどころ今日は朝から良い天気、久しぶりにエアコンを止めて窓を開け放す。家の中に秋風が通り抜けて行く、さわやかなことこの上なし。部屋の隅っこに団扇があることに気がつく、忘れ団扇は秋の季語になっていたこと思い出す。それではと一句ひねってみたが。今朝の新聞で広島カープの優勝が大きく報じられていた。昨夜の巨人戦を見ていたがすごい騒ぎよう、まるで台風のようだった。台風といえば、台風14号が発生したらしい、また上陸しなければよいが。
2016.09.11
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脅し銃湯けむり撫でてやわ谺 浄至 おどしづつゆけむりなでてやわこだまハワイに行く、ハワイと言っても鳥取県の中部にあるハワイ温泉の事であるが。よくハワイと言ったらアメリカのハワイを連想するらしいが、漢字で書くと羽合温泉である。2~3年前、某携帯電話会社の宣伝で紹介されたので、知名度が少しは上がったようだが。アメリカのハワイ州とは同じ名が縁で姉妹縁組され、様々な交流がされている。脅し銃(おどしづつ)とは、鳥威しの一つで以前はカーバイドガスを筒の中で爆発させて鳥を追い払っていたが、現在は様々なタイプがある。羽合温泉の周辺は穀倉地帯で主に水田となっている。秋の稲刈りが近づくと、様々な鳥威しが見かけられるのだが、今日は羽合風土記の丘公園より眺める。脅し銃の音は微かに聞こえるのだが、広い平野部のためコダマもすぐに減衰がち。それに山陰自動車道も通っていて、車の騒音で消され気味。ちょっと情緒がなくなったなー。
2016.09.10
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ゴシップや色なき風に揺れなびく 浄至テレビを見ていると、芸能人とか有名人などの噂等をネタにした番組をよく見る。ネタにされている側にとっては、たまったものではない。自分が知らないか、身に覚えのない事まで、一人歩きして既成事実にしてしまう。またこれを見ながら喜んでいる、視聴者もいるのだから最悪。と言って、ゴシップをされる事を望んでいる強者もいるらしいが、人間社会とは複雑である。公園では芒が穂を出し始めていたが、そのとき一陣の風が吹き、芒の穂を同じ方向になびかせた。なにか、噂話に一喜一憂している、視聴者とネタにされた方々の関係を垣間見たような。胸の中にはもう木枯らしが通り抜けたような、急に寒気がした、風邪ではない。
2016.09.10
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我ここに誰か呼びたり秋の聲 浄至今日は、台風13号の影響か気温が上がらず、午前中は雨だった。それでも久しぶりの雨らしい雨に、草木は生き生きとしているようだ。と言っても白露の気候では、大暑の頃の元気な青さはないが。公園で吾亦紅を見つける、小さくて派手さはなくて目立たない。しかし、なぜか心を安らかにさせる不思議な花だ。誰かに呼ばれたような気がした、秋の聲だったかも。
2016.09.09
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台風や白露ごとき雨の跡 浄至今日は24節季の白露、大気が冷えてきて露を結ぶ頃の意味らしい。前回の台風では久しぶりの雨かと思えば、急に消えてそれもならず。今日は台風13号の影響で降水確率は80パーセントと言うので、期待していたけれどお湿りにもならない程の雨粒の跡、8月は平年の3割程度の雨であったので、期待していたのだが。東北・北海道に九州は、逆に大雨の被害が出るくらい、この極端な天気には困ったものだ。1週間ぶりの投稿である、何かと多忙でご無沙汰してしまった。
2016.09.07
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防災や九月の柵の大見出し 浄至今日は9月1日、九月柵とも言う、そして防災の日でもある。今朝の新聞の一面は、北海道・東北の災害で大見出しであった。なんとも、防災の日にこんな記事とは皮肉である。不幸にも犠牲になられた方々には慎んでお悔やみを申しあげます 合掌柵が間違ってました、正しくは朔でした。お許しください。
2016.09.01
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八月尽未練積み込むランドセル 浄至今日は二百十日であるが、八月最後の日、8月尽である。たしか学生は明日から二学期が始まる、さぞかし気が重いであろう。ランドセルには、未練ばかり詰め込んでいるのでは。近くの小学校では今日から始まったらしく、ランドセル姿が目立っていた。写真はハマナスの実、夏の想い出が詰まっているのかかなり大きくなっていた。中五は、未練納めて がよかったかな。
2016.08.31
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穏やかに厄日のお茶の美味きかな 浄至今日は二百十日で、台風がよく襲来して稲の被害が出たので、農家の方にとっては厄日になるらしい。そこで、二百十日と一緒で、厄日は秋の季語になっている。今年の西日本の二百十日は、幸運にも良い天気で皆さそかし美味いお茶飲んでいることだろう。しかし台風10号に襲われた地方の方々の事思うと不謹慎かと、素直に喜べないのも事実。複雑な心情の二百十日であった。写真は、鳥取市郊外の農村、撮影している後ろでは、近くの農家の方だろう、コンバインの試運転をしていた、そろそろ稲刈りがはじまりそうだ。
2016.08.31
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秋めくや命の糧のあり処 浄至今日は昨日とは違い朝から晴れ、残暑がぶり帰りそうな陽気、それでもさわやかさを感じる。関東、東北では台風10号の接近・上陸で被害が出ているとか、こちらの穏やかな天気と比べて気の毒としかいいようがない。湖山池湖畔の公園でアオサギをすぐ近くに見つけ、素早く撮影。いつもなら、人が近づくとすぐに逃げてしまうのだが、約5メートルくらいか、なにか獲物に気を取られていたのかも。アオサギも今日の獲物を狩らないと命に関わる、その目は鋭かった。
2016.08.30
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蝉落ちて供花となりし土手の花 浄至今日は一日中雨、一段と涼しくて凌ぎやすかった、秋彼岸の頃の気候だったらしい。写真は27日、丸葉玉簪(マルバタマノカンザシ)が見頃になったと聞き撮影したもの。そこに飛んできた蝉が落ちてそのまま息絶えた。その様子が玉簪が供花となり弔っているように見える。そう言えば、玉簪は昼には萎むが、夜になると開き芳香させる花。それはまるで通夜のようにも思える、落ち蝉も本望だろう。玉簪の花言葉は静寂とか静粛だったはず、通夜にぴったりだ。今回の写真には、ドロップシャドウを付けてみた。ちょっと立体感が出てきたな。
2016.08.29
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花愛でる秋の初風道連れに 浄至台風の影響か、残暑の中にそれとなく涼しさを感じるようになる。暑さに絶えてきた身体がもホットしているようだ。新涼ともいえないし、涼風でもなく、どことなく身体に受ける風の暑さが和らかく感じる。これを秋の初風と呼ぶのかもしれない。写真の花の名はわからないが、指の先くらいの小さな花である。だれか、孔雀草ではないかと言っていたが、はたして。この頃、夏バテか身体がだるく感じる、投稿への意欲も減衰気味である。この句を改めて読み直してみると、写真俳句ではなくて絵手紙のように思えてならない。
2016.08.28
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五輪熱ひとまず下げて処暑の記事 メダリスト持たざる者に残暑刺すやっと終わったリオ・オリンピック、毎夜遅くまで観戦していた、寝不足気味もようやく解消。この寝不足で、投稿もままならまま休眠状態が続く。今日の新聞記事でメダリストが写真入りで掲載されていた。これで、オリンピックの熱も下がったようで、これで正常な眠りにつけそうだ。しかし、残暑はまだ続きそうで、はたしてどうなるか、ともかく久しぶりに二句投稿する。メダルを逃した者はさぞかし残暑が身に染みるだろう、東京に期待しましょうか。
2016.08.23
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オリンピックの開会式から遅くまでテレビ観戦。朝の眠いこと、今日は立秋といえ残暑は耐えがたく。おまけに、甲子園も始まり、暫くは寝不足が続きそうだ。写真もないので、文字だけをUPさせた。
2016.08.07
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季語あらば 秋にもできず 夏の果 浄至2日後には暦の上では秋となる。それで困った、すでに自然では秋の季語となる花が咲いている。でも立秋にならないと、秋の季語は使えない。いっそのこと、山頭火とか放哉のような自由律俳句でもひねってみるかな。写真はオミナエシで、秋の季語になっている。俳句とは、なんとも難儀なものなんだ。
2016.08.05
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当選者 公約剥がす 秋近し 浄至もうすぐ立秋、暦では秋となる。この夏は大きな選挙が二つあり、巷を賑わせていました。それも結果が出て、少し静かになりいよいよ秋を待つばかり。選挙演説ではたいそうな話をぶちまけて公約していました。当選者は、その公約をどのくらい実行できるのでしょうか。写真の花の名はピラミッド紫陽花またはハイドランジア・パニュキュラータ。それよりも、糊の木と言った方が早いか、和紙を漉くさい使われた糊の原料。写真の花は園芸種であるので、野生の花は少し小さく地味であるが。公約は密かにそれとなく剥がす必要がある。この花の糊を使った和紙は強力で剥がすことが極めて困難である。さて当選者の今後の言動に注目、気になる秋になりそうである。
2016.08.05
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細やかに希望納めし秋隣 浄至あるご夫婦が、趣味の焼き物と竹編み細工の作品展を開催していたので、会場を訪れる。趣味とはいえ、かなりの腕前に感心する。特に夫人の趣味、竹編み細工が気にいってしまう。素朴の中に暖かさがあり、これぞ生活の中の造形美ではないかと思う。まだ数多くあるのだが、紹介できないのが残念。8月に入り、このブログの管理画面が変わりちょっと手間どる。一部は使い勝手が良くなったが、また悪くなったような部分も。慣れれば気にすることもなくなると思うが。
2016.08.03
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百日も飽きては探し衣替 浄至 百日紅をよく見かけるようになり、夏真っ盛りを感じる。しかし百日も、あの紅色を見なければならないと思うと、暑さが倍増するようで。もう少し涼しく感じる色はないものかと思わずにはいられない。百日紅も衣替えできないものかな。
2016.08.02
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滴りが数多に落ちて履けぬ靴 浄至昨日は山仲間と滝に行く。写真は岡山県鏡野町の【岩井滝】、落差10mと大きくないが、納涼には最高。また滝の裏側に入れば、また格別。弁当を広げてて休憩。ところが急に雷が鳴り始めると、ポツポツと微かに降り始める。これは大変と弁当そこそこに帰り支度。ところが、この涼しさに脱いでいた靴が履けない。もう少し居たいのだが、仕方なく無理矢理履いて降り始める。帰りに一言、『ここは子宝の滝で御利益がありますよ』。曰く『後期高齢者に関係ない』、みんな大笑いしながら下り始めた。下って見ると下界はよく晴れて暑かった。
2016.07.31
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解放感 桎梏外して 蝉発ちぬ 浄至 かいほうかんしっこくはずしてせみたちぬ 桎梏(しっこく)=足かせ・手かせをはめられている状態。 身体を拘束されていて自由がきかないこと。公園で蝉の抜け殻を見つける。そのすぐ上の桜の木の幹に瀬が止まって、鳴いていた。鳴き声からミンミン蝉かも。おそらくこの抜け殻の主であろう、今朝羽化したばかりと思う。殻にいたときは飛ぶことも、鳴くこともできず土の中で暮らしていたので、その解放感は計り知れないのでは。思い切り鳴いてくれ。
2016.07.29
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毒舌や花の好きずき夏の蝶 浄至毒舌が評判の評論家がいたが、いつのまにか名を聞かれなくなった。一時的にはもてはやされるが、過ぎると嫌悪感が出てしまうのか。さてこの花は、盛りは過ぎようとしているが、この大暑に咲いている貴重な花。夾竹桃であるが、猛毒を持つことで有名。花にも、茎にも、幹にも、そして根っこにも、おまけにその周りの土にまで毒があるとか。それで花には虫も寄りつかない。東南アジアが原産であるらしいが、向こうには花粉の触媒体がいるらしく自然に繁殖できる。ところが日本には、触媒体になる蝶とか昆虫が近寄らないため受粉できないとか。そのため、寿命がくると子孫が残せず絶えてしまうらしい。それで人間が挿し木とか接ぎ木等などで増やし、生き長らえているとか。この葉っぱを僅かでいいから、牛の飼料に混ぜて食べさせると、ほとんど中毒死に至るとか。あまりの猛毒に、公園の樹木として危険であるから全て伐採の条例をだした福岡市。ところが市民の猛反発にすぐに撤回したとか。やはり、蓼食う虫も好き好き、というか、世間とはこんなものか。口に入ら無ければ安全ではあるのだが。
2016.07.28
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せせらぎが聞こえて汗ふく嬉しさよ 浄至
2016.07.27
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夏来れば うさぎの傷の 痛さかな 浄至白兎神社の池には、ガマの穂が見かけられなくなった。しかし、プランターには種から育てているのか、ガマを見ることができる。そこで、ガマの穂を撮影した。しかし、白うさぎもかなりのプレッシャーだろうに。毎年、ガマの穂が出だす夏になると、昔の傷跡を思い出させてしまう。今年のその痛さは、いかがなものか。ガマは、カルテのようなもの、いつまでも残るだろうに。
2016.07.27
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心荒ぶる 白兎の守の 喜雨ならば 御簾草なくば 尊ぞ哀れ 浄至 (うらさぶる はくとのもりの きうならば みすくさなくば みことぞあわれ)ひさしぶりに今日は雨、喜雨に草木は喜んでいるだろう。しかし御簾草(みすくさ・ガマの穂の別名)がなくばさぞかし大国の主の尊が悲しむだろうに。喜雨よ、もし白兎の守護神ならば、ガマを蘇らせてくれ 初めは俳句にしたが、心荒ぶる は和歌によく出る言葉、仕方ないので和歌っぽく短歌にした。久しぶりに白兎神社に参拝する。この神社のご祀神は勿論【因幡の白うさぎ】である。古事記にも掲載されている、あまりにも有名な神話の主人公。先日、このブログで白兎とガマの穂が俳句になっていたので気になって参拝する。神社には興味はないが、ガマの穂が年々減って来ているらしいと聞いていたので。神社のすぐ前の池は【不増不滅の池】と言って、不思議にどんな大雨になろうと、日照りが続こうと、池の水面が一定しているのでこんな名前がついたとか、またの名を【御身洗しの池(みたらしのいけ)】と呼ぶ。サメに身の皮を剥がれた白兎が、ちょうど通りかかった大国の主の尊に教授され、この池の水で身を洗いガマの皮で包むと元の身体に戻ったという童謡の通り、それがこの池である。周囲60mくらいの楕円形の池で、周囲にはガマの草がうっそうと群生していたようだが、現在はほとんど見えない。原因はよくわからないが、もし尊が眺められたら、さぞかしお嘆き召されただろうに。
2016.07.26
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すゞ風の吐息もひとつときはなし 浄至今日やっと暑中見舞いを投函した。すべて自作だが、それにしても最近のプリンターには驚かせられる。印刷業者の作ったものと見違えるくらいの印刷のできだ、カメラアイは最悪だが。ところが、投函したあとで気がついたのだが。まず俳句の季語 すゞ風 が間違っていることに気がつく。すゞ風 は初秋の季語で、現在はまだ晩夏であり使えない、残暑見舞いなら最適なのだが。それに下五の、 ときはなし、は漢字でないと紛らわしいのではと。時は無し、とも、とき放し、時話、にもとれるではないか、とき放し が正解なのだが。すべて後の祭り。風涼しがよかった。
2016.07.25
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滝しぶき荒々しさも優しさも 浄至暑中見舞いの写真を撮影の為、雨滝に行く。帰って来て、編集が終わりプリントするも、変な印刷画面になる。原因はわからず、仕方なく思い当たる原因を一つ一つ、調整していく。その間に、試し刷りのため写真用紙を何枚も無駄にすることに。結局、正常になったのは夜になっていた。後は明日に、しかしインクもかなり減らしたのだが。
2016.07.24
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腹の内見たくもないがサングラス 浄至港を訪れたら、こんな漁船の姿を見かける。現役の頃を推測してみたが、どうも考えるだけで哀れに感じてしまう。腹の中まで、無残な醜態をさらけ出して、人間の心の中もこんな有様であろうか。見たくもないが、チョッピリ気になる好奇心。
2016.07.23
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枝ゆらし木漏れ日濡らし蝉時雨 浄至試しに写真の中に短冊を挿入してみる。短冊には、古来より定められている作法の通りに俳句を書き込む。
2016.07.22
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形見分けもの思わせて蝉の聲 浄至 昨日の投稿では、蝉の騒音を句にしたが。今日は同じ蝉でも、どこか哀愁を帯びるような蝉の聲を句にした。昨年、実姉が他界したが、義兄がその形見分けを持ってきた。部屋の整理をしていて見つけたそうだが、金銭的にはなんの価値もない物だ。しかし想い出となれば、やけに頭に残る、そしてもう初盆である。一匹のヒグラシの聲であろうか、山道を歩いているとふとそんなこと思い出させる。古の歌人は、その哀愁をさそう鳴き声に和歌を残している。 ひぐらしは 時にと鳴けども 片恋にたわや女(め)我は 時わかず泣く 万葉集 作者不詳 想いを寄せる男性は長いこと来ないし 今夜来るというあてもない片思いであるが、 ヒグラシのように毎日泣き続けてきた女の、ある日の切ない夕方を詠ったもの。なんとも哀愁を誘う、女性の歌ではないか。
2016.07.22
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せせらぎも怒濤に響き蝉時雨 浄至 梅雨明けとともに、蝉時雨が一段と力強くなってきました。写真は芦津渓谷の上流、すっかり蝉に支配されてしまっているような。まさに騒音。
2016.07.21
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夕餉時 喰われし者の 夏見舞い 浄至昨夕の続き。夕日を見て帰ろうとすると、堤防に一匹の猫がジーっとなにかを見つめている。どうやら夜釣り人の魚を狙っているようだ。さてこれが今日の夕ご飯になるかどうか。河口付近の、このあたりは夜釣りに絶好の場、釣り客の捨てた雑魚を狙って猫が来る。明るい時には、鴉とかトビ・アオサギなんかと取り合う場面も。だいたい鴉に軍配があがるようだが、夜になれば猫の天下。今日は喰われる側になって一句詠む。今日のご馳走は喰われる者からの夏見舞いかも。
2016.07.20
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黄昏や 輪廻のままに 梅雨は逝く 浄至昨日の夕日はきれいだった。梅雨の夕焼けは霞んでいるか、雲に隠されて見ることができなかったので、特にそう感じたのか。梅雨明け後の最初の夕焼けであった。夕焼けを見ていると妙に黄昏れて、しんみりとしてくる。明日になれば生まれ変わるように、また陽は昇りまた陽は沈む。これ輪廻の世界ではないか。
2016.07.20
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海の日や しじまに漂う 神話喜懼 浄至 (うみのひやしじまにただようしんわきく)季語=夏・海の日 しじま=静寂 喜懼(きく)=人間には、得たいのしれないもの、人智を超えたものに対して、それを感じまた遭遇した場合には、幸運とか喜びを感じるが、同時に恐怖とか怯え・懼れ(おそれ)も感じるの意味。今日は多忙のため外出せず、やっと終わってみたらすでに夕方になっていた。夕食の食材の買い出しのためスーパーまで車を走らせる。ニュースで今日は海の日であり、そして中国地方が梅雨明けしたと知る。と何を思ったが急に海を見たくなって、ついでに帰りに白兎海岸に足を伸ばす。海岸が近いので助かる。もう日が暮れかかっていたので、海岸には人影はなく静寂に包まれていた。風もなく、波も穏やかで波音も聞こえないくらい。因幡の白うさぎの神話の舞台となった、淤岐島(おきのしま)の島影がシルエットになって見えた。神話とは、おとぎ話でもあるが、人間の弱さと、喜懼(きく)を説いたものである。中七を八文字にしてしまった、気がつかなかったのだが、このままで行く。まだ添削の必要があるのだが。
2016.07.18
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薄化粧 秋色軽く 夏は行く 浄至梅雨明けまだかと待つこの頃ですが、さすがに晩夏になると、すでに秋は始まっているようです。いつのまにか、青楓の中には少し色づいているものも。秋モードの先取りかな。
2016.07.17
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洗濯機 梅雨を集めて憂さ晴らし 浄至今日は昨日と替わって朝から良い天気、久しぶりの晴れだ。なにか湿気も少ないようで、気温のわりには凌ぎやすい。それではと、梅雨でたまっていた洗濯物を洗うことにした。と言っても量は思ったほど無かったが。洗濯機に入らないような大型の物はコインランドリーへ。これで、暫くは梅雨が続いても大丈夫。
2016.07.16
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夏も果て 色あせてなお自尊心 浄至梅雨明けを一日千秋の思いで待っているのですが、どうももう少し伸びそうだと天気予報。すでに72候の小暑も末候になろうとしている、来週は大暑となり、いよいよ夏の果てとなる。紫陽花もすっかり色褪せて、往事の面影は残すも果てるのを待つのみ。すでに気の早い秋の花が咲き出しているのに、自尊心はまだ健在なのかな。
2016.07.16
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時雨空 泰山木の花映えて 淨至今日も朝から小ぬか雨、そろそろ梅雨明けしてもいいと思うのだが。公園の樹木は花を落とし、万緑の世界であった。その中で、ただ一つ泰山木の花の白さだけがよく目立つ。この暗い梅雨空を少しは明るくしているようだ。
2016.07.15
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軒下の 予期せぬ出逢い 五月雨るる 浄至突然の雨に近くの建物の中とか、それがだめなら軒下に慌てて駆け込む。こんなことよくあることだが、それが思わぬ出逢いをつくることも。それが縁で、人も羨むよい関係になることもあるらしい。私の場合、駆け込んだ東屋に先客がいた。五月雨に羽根を濡らした蝶々が、テーブルの上で雨を凌いでいた。いつもなら、すぐに逃げてしまうのだが、濡れた羽根では飛ぶことができないのだろう。それに外は土砂降り、これでは逃げる事はできない、私の姿を見ても身動きしなかった。これ幸いとすぐ近くで撮影する。別に殺生する気もない、暫く一緒に雨宿りをしていた。小降りになったので小走りで去ったのだが、あの蝶々あれからどうしのだろうか。
2016.07.14
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そぞろ神 投入堂も 山霧らふ 浄至 (そぞろがみなげいれどうもやまぎらふ)そぞろ神=なにか落ち着きが無く、なにかをしておれずにはいられなくする神。山霧らふ=季語は夏・山霧 霧が山を覆っていく様子。昨日、日本遺産の三朝町の投入堂を撮影するも、あいにくの五月雨に難儀する。元禄2年5月27日(新暦では1689年7月13日)。俳聖・松尾芭蕉が奥の細道で詠んだ名句、 閉けさや 岩にしみ入る 蝉の声 芭蕉出羽の国(現在の山形県)の立石寺で詠んだものだが、あまりにも有名です。いまから327年前の7月13日のこと。では、それにあやかり同じ月日でもあり、近くに立石寺を彷彿させる場所はないかと捜す。それで三朝の投入堂を思いついたのだが、到着してみると土砂降り、これぞ五月雨である。近くの東屋の中で雨が止むのを待つも、投入堂は雨雲の中でなにも見えず。仕方ないので帰ろうとすると、雨が小止みになり少し霧が晴れきた。見上げると、だんだん投入堂が見えてくるではないか。でも雲の流れは早く、すぐにまた降り始めるだろう。素早く撮影したが、ボンヤリとしか見えず、雲(山霧)に包まれ行くその姿は神々しくも感じる。ただ蝉時雨は聞かれなかったのがおしい。案の定すぐに激しく降りだしたので、そそくさと帰路につく。
2016.07.14
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早々に 秋の花連れ 晩夏入る 浄至撮影は昨日、晩夏になったばかりだが、すでに公園には秋の花が咲き出した。せめて立秋になって咲いてくれればいのだが、ナデシコを見つける。このまま俳句にはできないし、一思案。一応、晩夏とは梅雨明け後になるはずだが、今週末にはもしかすれば。
2016.07.13
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無精髭 天牛騒ぐ 散歩かな 浄至 ぶしょうひげてんぎゅうさわぐさんぽかな 季語 【天牛てんぎゅう】 髪切り虫 のこと 公園へ行く、花は徐々に晩夏へとその姿を変化させている。歩いていると、奇妙な声が聞こえ来たのでそっちの方向へ近づくと泣き止む。聞こえたあたりを観察すると、一匹の虫を見つける、よくみると髪切り虫だ。この無精髭を、切れ切れと言われているようで、ちとうるさい。改めて見直すと気持ちのいいものではないが、特徴のある身体の模様には感心する。しかしあの鳴き声はまるで不協和音のようで、いただけない。帰って調べると、ゴマダラカミキリだとわかる。果樹園芸農家には忌み嫌われている虫で、木の幹に穴をあけ卵を産み。幼虫は木の随から栄養を食べながら親になるそうだ。しかしその間に木を弱らせ、枯れさせてしまうとか。そして木に穴をあけて飛び出し、交尾すると死んでしまうとか。木の中に1年から2年かけて親になり、そしてわずか2週間で命つきるとか。そんなことわかると、ちょっと哀れさえ感じる。
2016.07.12
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夏草や 打音数えて 帳待ち 浄至 なつくさやだおんかぞえてとばりまちそろそろ暗くなり始めたころ、小学校の校庭で球児が野球の練習をしていた。日暮れが遅くなっているので、かなり遅くまでできるようだ。試合が近づいているのだろう。その校庭の隅っこで夏草がかなり生えている。その元気のいい声と打音を聴きながら帳を待っていた。そう言えば、甲子園の地方予選もそろそろだ。
2016.07.11
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親子連れ 面影濃くて 夏夕日 浄至今日も暑かった。夕方、近くの公園にいると兄妹らしき5歳と3歳くらいの子供が遊んでいた。そこへ母親らしき女性が呼びに来た。この親子三人はよく似ていてほほえましいことか。これぞDNAの繋がりそのものではないか、と確信する。ちょうど足下にネジバナを見つける。今にも踏みそうであったがこれ幸いと撮影する。見れば見るほど、DNAのらせん状の形に似ているでないか。
2016.07.10
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弔いは 夜の合掌 蛇の膳 浄至 とむらいはよるのがっしょうへびのぜんなんとも、後味の悪い句になってしまった。山道で合歓の木を見つけるが、その下に蛇がカエルを飲み込む場面に遭遇する。これも業といううものか、我が生きるため他の者を食さなければならないこの現実。蛇にとっては、まさに醍醐なる御膳、カエルにとっては命つきるとき。夜になれば合歓の木が、花を閉じて合掌してくれるだろう。しかし、合歓の木の花も、あまり若くはなさそう、散るのが近いかも。これもこの世の定めなり 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 合掌
2016.07.08
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夏日影 孤高の花に 陰知らず 浄至今日も暑い、ちょっと山間地へ行く、すでに海抜600mくらになるかな、気温27度と35度に近い下界とは別世界だ、日影に入ると涼感はまだ3度くらいはさがるかも。峠道も強い光線で影が濃く照らされている、その中で、一本だけ小オニユリが咲いていた。他の草は丈が低く青々していてたが、その中で百合の花だけが高く夏草をはべらしているよう。それは気高くも孤高をよしとして太陽光線を全て吸い取っているような。まるで、自分には隠さなければならない陰はないとばかりに明るく輝いていた。影と陰の使い分けには注意影は光そのものであり、陰は光があたらない部分、闇である。
2016.07.06
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