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ゆらゆらと風とたわむれゑのころの幼き頃を忍ばせゆれり 浄至 6月に草取りしていた庭に草が生えてきた、雑草とは言え、まことに強いものだ。去年と同じ場所に同じ草が生えている。エノコログサだ、猫じゃらしでも知られている。風にゆられている姿を見ていると、幼き頃に遊んだ想い出が蘇ってくる。はるか遠く昔であるのだが。これで一句と思ったが、エノコログサは秋の季語になっていた。それで短歌で詠んでみる。
2017.07.16
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白桃の熟し加減は薄皮の中に潜めて我を誘う 浄至しろもものじゅくしかげんはうすかわのなかにひぞめてわれをいざなう親戚より白桃が届く。今年の初物で、いつもおすそ分けして頂いている近所のお宅にも、おすそ分け。さっそくこの白桃で一句かと考えたが、桃の実は秋の季語で使えない。ではと、季語のない短歌で一首詠むことに。写真の白桃は最後の一個、記念に撮影した。これには落ちがあり、まず最初に仏壇にお供えして南無阿弥陀仏。2日めに頂こうかと下げると、あちこち腐っていた。桃は腐るのが早いことを忘れてた。腐った部分を取り去ると、ほとんど食べる部分がなし。一番美味しいことしたのは阿弥陀如来か、まさかね。
2017.07.15
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地獄絵や溽暑の夜の悪夢かな 浄至季語は溽暑(じょくしょ) 湿気が多くて蒸し暑いこと、主に雨明け前の暑さ。南九州は梅雨があけたとか。こちらも梅雨明けが近そうだが、それにしても毎晩の蒸し暑さには閉口している。この蒸し暑さで、毎晩寝付きが悪い、寝付いてもすぐに目が覚める。それもへんな気味が悪く、恐ろしいような、地獄絵を見るような悪夢ばかり。眠りの浅い日が続いては身体が持つのか気になる。早く梅雨よ明けてくれ。写真は藪萱草の花。別名は忘れ草、こんな気味の悪い夢は忘れたい。
2017.07.14
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どんよりと小暑の波のやるせなさ 浄至今日は日曜日、午前中の断続的な強い雨の中、防災訓練を行う。ちょうど九州の豪雨により、かなりの死者が出ているので真剣である。終わる頃には雨も小降り、出ていた大雨警報も解除されていた。雨のため貯めていた洗濯物を一気に洗うも、この天気では乾きそうにも無い。そこでコインランドリーのお世話になる。その帰り、雨の海岸の様子を見に出向く。ちょうど、どっかのサーファーグループが来ていた。空は鉛色に被われ、海も波一つ無く、これでは波乗りを楽しむどころではない。皆、手持ち無沙汰に砂浜に粉ぬか雨に打たれながら呆然としている。せっかくだからとサーフボードに乗って遊んでいる者も。全体にやるせなさのオーラが漂っているような。梅雨明けまでは仕方ないかな、小暑の休日の風景であった。
2017.07.09
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まるかじり夏の淑気のおすそわけ 浄至今日、近所の方からトマトをいただいた。素人による趣味の家庭菜園であるから、画像の通り器量はもう一つ。だが味は最高、まるかじりしてみると、夏の味がほとばしる。スーパーで買ってきた、器量のよいトマトより格段のうまさだ。夏の淑気が身体に染み渡るようだ、そこで一句。現在はトマトは野菜として定義されている。しかし果物であると異議を申し立てている団体があるらしい。野菜か果物か19世紀のアメリカで論争になり法廷で争われる事に。植物学者は果物派、農務省は野菜派となり争った。結局、最高裁まで持ち込まれトマトは野菜として裁定がくだされた。その元は、関税にあったらしい。当時、トマトは原産地である中南米から輸入していた。野菜には10%の関税がかけられていたが、果物には関税なし。そこで輸入業者が果物にして関税を逃れようと政治的圧力をかけたのが発端。現在では品種改良により、フルーツのように甘いトマトが開発されたらしい。そこで、フルーツトマトとして販売されているとか。どうやら、トマトは野菜か果物かで、論争が再燃しそうな。
2017.07.08
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忘れ草願いは多し七夕の星空知らぬ昼の花ゆえ 浄至今年も新暦の七夕の天の川は梅雨空ではよくみえない、旧暦のほうが空がよく澄んでいてくっきり見えるからいいのだが、今年の旧暦の七夕は8月28日である。公園で藪萱草を見つける、古名は忘れ草で、和歌で多く詠まれているらしい。萱草を身につけて願えば、いやな事、心配事など憂きことを忘れさせてくれる花となっている、奈良時代に中国の故事が伝わってきた、七夕伝説も中国から伝わってきたらしいが。七夕には笹に願い事を短冊に書いて天の川に願うのであるが、それは夜でないと叶わない。ところで、藪萱草は朝になると花を開き、夕方なると閉じてしまう一日花である。七夕の願掛けは夜の星空が対象である、星空が拝めない萱草では効力はないはずだ。だから七夕の日は萱草の厄日であろう。などなど、つまらぬ事など考えながら皮肉を込めて短歌を詠んだ七夕の夜であった。
2017.07.08
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草取りや花一輪が媚びを売る 浄至台風3号がまとまった雨を降らしてくれた。十分な水を恵んでくれた台風に感謝をしているような草木の青さ。ただ、大雨による洪水で災害を被られた方々の事を思うと、不謹慎ではと・・・。6月はじめに草取りをしていたが、この雨で急に草が伸びてきた。目に付いたものから摘み取っていたが、その中でドクダミが一輪だけ花をつけていた。雑草とはいえ立派な花をつけて、ゴミ溜めに鶴のような趣があり手が止まる。なんか私に媚びを売って懇願しているように思えて、少し考えた。下手に摘まんで草の汁でもつけようものなら、あの臭さがたまらないが邪魔にはなるし。それではと記念に撮影して、可愛そうだが引き抜いてしまう。
2017.07.06
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半夏生人なき影のより所 浄至半夏生になると、陽光も暑さも一段と強くなり人は日影を求めて移動する。しかし、文明の利器というかエアコンがある屋内から出ようとしない我ら。公園は人影もなく静けさばかりが支配している。それにしても暑い日だった、ニュースでは猛暑日を記録したとか。台風3号が近づいているとか、少しはこの暑さを吹き飛ばしてくれないかな。
2017.07.03
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通り雨歴史に宿り光秀忌 浄至今日は光秀忌である。あの歴史に残る、本能寺の変の謀反人役明智光秀が山崎天王山の戦いで敗れ、落ち延びて行く途中、農民の竹槍であえなく最後を遂げた日である。1582年7月2日(天正10年6月13日)のことだ。信長を討ったのが6月21日(同2日)だから、それから11日後の事であったようだ。しかし日本史を替える出来事であり、後の豊臣秀吉が誕生する切っ掛けを作った人物である。未だに、その功績(功績と言っていいのかどうか?)は大きい。今日は、朝から猛暑で11頃には30度を越えてやりきれない、エアコンから離れる事ができなかった。午後2時から30分ほど通り雨になる、かなりの強い雨で久しぶりの雨らしい雨に草木は一息ついているかも。外を見ると庭の白桔梗が、一斉に花を開き始めている事に気がつく。そう言えば明智光秀の紋所は桔梗紋であることを思い出し、今日が命日であることも。そこで、通り雨と桔梗を関係つけて一句ひねった。追伸光秀忌歴史に宿る通り雨に訂正したいが後のまつりだった。
2017.07.02
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月めくり六月尽の景色かな 浄至今日は六月最後の日、六月尽である。とうとう雨らしい雨の降らない6月であった。梅雨とは名ばかりで、蒸し暑さにやりきれない日のことばかり。今日、ムクゲが咲いているのを見つける。一日だけ6月の景色を見て、明日からは7月の景色とは。月めくりのカレンダーを破りながら、なにかと6月の想い出が頭をよぎっていく。
2017.06.30
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空梅雨や咲かねばならぬ責務かな 浄至梅雨入り後、まとまった雨が降らず、いよいよ空梅雨の心配が。九州・太平洋側は週末にかなりの雨で行楽地では影響があったようだが。山陰では、お湿り程度でガッカリさせていた、所によっては快晴だった。今年の冬は33年ぶりの大雪の雪解け水で水不足の心配はなさそうだが。この空梅雨でも、紫陽花は律儀に咲いている。まさにこれぞ責務とばかりに。
2017.06.26
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郭公や空き家の庭の実だくさん 浄至このごろ空き家が目に付く、特に山村には。それでも庭の木には主が植えて育てていたであろう、グミがたわわに実っていた。今年も採る人も無く熟して落ちて土に還るのであろうか。遠くで郭公の鳴き声が聞こえる。この鳴き声を聞くと何となくもの寂しくなる。郭公の別名は【閑古鳥】、判るような気がする。最初季語を茱萸(グミ)としようとしたが。グミは秋の季語であり、立秋までは使えない。そこで郭公に替えて詠んだ。
2017.06.25
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あれはだれ脱げば問いかけ衣替 浄至この頃は目の保養をさせていただいております、衣替え万歳。ご婦人方のお召し物ですが、白が基調の半袖またはTシャツ姿。おまけに薄物では、鼻の下が下がりっぱなしで、梅雨の不快指数が若干下がる。ところで、久しぶりに又助池のカキツバタを撮影に行く。その余りの変身ぶりに改めて驚かされる、これぞ衣替えの典型であろうか。初夏にはあの美しさに、和服美人と褒め称えられ人の行列が数多であったが。あれから一月余り、ちょっとグロデスクかと思える。この実にはギッシリと次の世代を継ぐ種が詰まっている。写真はちょうど, before and after のように並べて挿入させた。人間も着る服により、まったく別人に見えることもあるが。
2017.06.22
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雨を待つ願いもむなし夏至の風 浄至今日は夏至、昨日の天気予報では雨が期待できるとの予報だった。確かに、早朝には確かに雨は降っていたようだ。しかし、ほんのお湿り程度、夏至の太陽の下では朝日とともに乾いてしまった。これでは焼け石に水である。それでも、たまに強い風とともに厚い雲が空を被い、少しばかりの雨粒があたる。一瞬であるが、ホットさわやかさが感じられることも。すぐに、湿気による蒸し暑さが戻る。これが梅雨の気候であろうが、もう少し降ってくれたらと天に願うしか無い。
2017.06.21
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生あらば潤い欲す旱梅雨 浄至せいあらばうるおいほっすひでりづゆもう10日間は雨降らず、旱梅雨の様相である。夏草も水を欲しがって萎れてきているような、どことなく元気がない。公園のホタルブクロも同様で、受粉の終わったものはすでに枯れて哀れな姿に。その中にまだ元気な一輪が目にとまる、そこで一句。今日の天気予報では、南の海上の梅雨前線が北上してくるとか。夕方には久しぶりの雨が期待できそうだとか。もう少しだ頑張れよ、とエールのつもりで一句、さて。
2017.06.20
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生きる糧またそれぞれの桜桃忌 浄至いきるかてまたそれぞれのおうとうき6月19日は、太宰治の命日でまた俳句の季語で桜桃忌である。公園でトラノオの花を撮影してPCに取り込む。ところが拡大してみると花の房の先端でアリが密を吸っている様子が撮影されていた。撮影するつもりは無かったのだが、アリは今日を生きる糧を手に入れているだけである。この様子を見ていて、丁度今日は太宰治の命日であり、夏の季語・桜桃忌に繫げて詠んだ。太宰治の生きる糧は小説を書くことであり、精神的に病み小説が書けなくなり、自殺したらしい。昭和23年(1948)6月19日の事でした。
2017.06.19
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生命継ぐ泉ぞここにしべの形 浄至季語=泉(夏) 生命=いのち 形=なり最初に咲いた百合の花はすでに散ってしまった。次に遅れて咲いた百合、品種により開花時期がずれているのだろうか。百合のしべは大きくて観察しやすい。花により雄しべ・雌しべの形が違うが、命を次の世代へ引き継ぐための最善の形なのだ。まさに、生命の泉ではなかろうか。
2017.06.17
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梅雨晴れ間今日も忙しと物干しぬ 浄至6月7日に梅雨入りして、3日ほど梅雨らしい天気模様だったが。そのあと雨らしい雨がふらず晴天が続いている、乾燥注意報が出てるくらいだ。紫陽花が開花したものの、この天気でどうもあのしっとりした美しさが冴えない。やはり、紫陽花は雨がよく似合う。でも有り難いこともある、この晴天続きで洗濯物がよく乾く。毎年、この時期になると乾きが遅くて四苦八苦していたのだが。仕方なくコインランドリーにお世話になっていた。また雨が降り始めるまでに洗える物は洗ってしまおうと奮戦中。しかし、このまま続くと洗う物がなくなってしまいそうだ。それよりも、農家では水不足の心配がそろそろ。やはり、雨は適当に降ってもらいたいものだ。
2017.06.16
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梅雨入りやうっとうしくて六十路肩 浄至 六十路肩(むそじかた)6月7日、中国地方が梅雨入りとなった。覚悟はしているが、ついに来たかと思うと、何故かうっとうしく感じる。同日、肩の痛みに医院で診察を受ける。骨には異常なく、リハビリと湿布の絆創膏を受け取り帰る。翌日、整体院で治療。梅雨入りと同時に六十路肩(六十肩)とは、うっとうしさが倍増しそう。幸い初期の段階で、痛みは軽く短期間で治癒しそうだ。
2017.06.09
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こえたかきたまおとかるきぼうしゅかな 浄至今日は町内会の親睦グランドゴルフ大会に参加する。皆、気の知れたお馴染みさんであるので、上手いとか下手とかはそっちのけで大いに楽しむ。幸い、天気は快晴だが思ったほど暑くもなく、心地よい薫風のなか一打一打に声が高く響く。楽しい芒種だった。
2017.06.04
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この花も朽ち果てながら梅雨近し 浄至先月の上旬に咲き始めた百合の花、現在は画像のような姿に。もう少しで朽ち果て散って行くだろう。もうすぐ梅雨入りだ。久しぶりの投稿、もう5ヶ月ぶりか。
2017.06.02
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しおれ気味飾りは飾り四日かな 浄至正月も四日になると、正月気分も少し飽きてくるというか、白けてくるようだ。テレビ番組も通常編成になり、スーパーの売り場は正月関係がほとんど姿が消えてしまっている。ただ玄関飾りはトンドまでは外せないのだが、大晦日に飾った時より鮮味が薄らぎしおれ気味。さすがに飾りは飾り、最後まで自分の職務を全うするまで、威厳を保ち続けているようだ。
2017.01.04
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風邪の神居座り続け三日はや 浄至正月もはや三日となる。風邪はまだ治まらず、喉の痛みに不快そのもの。それでも、生姜湯でなんとか過ごせる。写真は撮影する気にならず、今日は写真なしでUPした。
2017.01.03
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二日目や喉の痛さに飲む湯あり 浄至今日は正月二日、風邪はまだ治まらず。やけに喉が痛い、こんな時には生姜湯がよく効くと聞いていたので、近くのスーパーで買ってくる。様々な生姜湯があったが適当に選んで、さっそく湯で溶いて飲んでみる。なるほど、喉の痛さが我慢できる程度に和らいできたので効果はあるようだ。今度は別の生姜湯を試してみるかな。
2017.01.02
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酉発ちぬくさめも立ちつ茶を点てる 浄至とりたちぬくさめもたちつちゃをたてる明けましておめでとうございます本年もよろしくお願いいたします 酉年元旦ついに平成29年(2017)酉年が発ちました。今年の第一声はくさめ(クシャミ)であった。大晦日から、喉が痛い、足の関節が浮いたような感覚であったが、案の定風邪のようだ、元旦からこれでは今年はどうなるのであろうか。師走に入り、なにかと忙しく感じて投稿がご無沙汰になっていた、久しぶりの投稿が風邪の句とは。年末になって緑茶に興味を持ち、煎茶を点てて一人楽しんでいる。と言ってもカフェインの濃い玉露は遠慮しているが。昨年カフェインの過剰摂取で、気の毒に亡くなられた方がいるとか、マスコミで話題になっていた。コーヒーを毎日大量に飲んだあげくの話だが。緑茶にもコーヒーほどではないが、カフェインが含まれているらしいから、飲み過ぎないようにしなければ。そこで、飲み物でカフェインの含有率を調べたら、多い物から順番に。玉露、ドリップコーヒー、インスタントコーヒー、紅茶、煎茶、正し煎り方によりかなりの差があるらしい、結局飲んで美味しく感じる物ほどカフェインが多く含まれているから注意が必要のようだ。特に育ち盛りの子供とか妊婦は影響大で控えるほうが賢明とか。と言いながら、元旦から煎茶を点てながら一句詠む。煎茶用に、宝賓とか絞り出しの急須を揃えたのであるが、上手に点てれた時のお茶の美味しさは格別である,風邪のことなど忘れさせてくれる。
2017.01.01
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残り日や寂しさ募り寒の雨 浄至今日は朝から寒い雨、気温は10度にも満たないし、シトシトと降り続けるばかり。山陽側の親戚からの電話だと、朝から良い天気だとか。山陰と山陽の気候の違いを思い知らされる。12月もすでに三分の一を過ぎると、忙しさが募るばかりだ。写真の楓の木は二日前の撮影、画像の右下に五日前の同じ楓の木を挿入した。日増しに葉の数が減ってきている。今日の雨で、さらに減らしていている。これを見ていたら、忙しさよりも、一年の残り日を減らしていく寂しさが募るばかりであった。
2016.12.11
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散り惜しむ匆々赤き木の葉髪 浄至(ちりおしむそうそうあかきこのはがみ)季語 冬 木の葉髪 冬になると抜け毛が急に増えてくる。 抜け落ちる毛を散りゆく木の葉に重ねて詠んだ語。匆々(そうそう) = 日々の生活の忙しさの中、急に月日が経っていることに気がつき、人生の主な節め、一年の出来事などを思い出しながら追憶に浸っているようす。ほとんどの樹木は枯れ葉も落ち、裸木になっているこの時期。それでも、散り惜しむかのように、まだ鮮やかな赤々ととした木の葉を残している木を見かける。そんな木を見ていると、この一年の出来事が鮮やかに蘇るような、それが抜け毛の一本一本に託して消え去っていくような寂しさが募る。これ年末の傷心現象なのでしょうか。幸いなことに、我が輩はまだ髪の毛は生えそろっていてハゲのの心配はなさそうだ。
2016.12.06
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それぞれが忙しめきたり十二月 浄至ついに十二月に入った。この声を聞くとやけに忙しさを感じてしまう。商店街も、急に雰囲気が変わり忙しさを助長させてしまうようだ。流れてくるメロディーも、クリスマスとか正月の曲ばかり。店先の商品も赤と緑が基調のクリスマス関連が主。そんなに忙しくしなくてもと、マイペースなのは私だけであろうか。紅葉の枯れ葉も、まだ頑張っているのだから。今日はこの時期としては珍しい朝から快晴、穏やかで暖かい冬日和。巷の忙しさとは裏腹の、いたってのんびりした日である。
2016.12.02
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胃カメラに秘密覗かれ隙間風 浄至今日は11月最後の日、いよいよ明日から12月・師走、今年も押し迫ってきた。そんな今日は、予約していた胃カメラ検査の日、朝は絶食して医院に行く。勝手に胃をまさぐられるのは気持ちのいいものではない、これを他人に覗かれるのもまたいやなものだ。しかし、自分の胃の中をカメラを通してであるが、見る事は悪い気はしない。他人はどう思っているのか知らないが。写真は鷺が電柱の先に留まって、何かをジット見つめているのであるが、どこかの秘密を覗き見しているようにも思える。まるで、心の中まで隙間風が入ってくるような寒さを感じるのであるが。それは、胃カメラが喉から胃袋に進入してくるような不安にも似ている。幸い異常なしで終わり、気持ちよく新年を迎えられそうだ。
2016.11.30
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そこそこに花あるらしき庭枯るる 浄至今日も寒い一日であった、おそらく気温は10度を越すことはなかっただろう。午前中は小雨が断続的に降り続いて冷たい雨であった。午後になり公園を訪れると、どっかの小学校1年か2年くらいの生徒の団体が先生に連れられて歩いていた、さすがにいつもは閑かな公園も賑やかである。団体が通り過ぎて閑かになり歩いて見たが、花はほとんど枯れ朽ち果てた冬の園になっていた。それでも、僅かに咲いていた花が花園としての面目をたてていた。
2016.11.29
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寒風や温き紅色撫でていく 浄至(かんぷうやぬくきべにいろなでていく)今日は曇り、寒い日であった、樹木もほとんど葉を落として裸木になりかけている。そんな中、生け垣に見る紅色は貴重な彩りである。この寒い風もこの紅色を撫でて行けば、少しは温くなるのではと思いたいが。山茶花の季節が来たようだ。追伸 もう少し添削の必要があった。 寒風や紅を撫でれば温きかな 寒風や紅に染まりて温きかな にすれば俳句らしくなったかも。
2016.11.29
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欠礼や寂しささらに冬ざるる 浄至今年も小雪を過ぎると、親戚・知人・友人等から欠礼の葉書が届きだす。特に遠方により会うこともままならず,賀状のみにしか交流できない者からの突然の欠礼は、胸にグサッとくる。また一人他界したかと思うと、この寂しさはどう表現すればいいのか。これが複数となると、なおさらである。今日は一日中寒くて断続的に雨が降る、北の国では吹雪になっているとか。今日も欠礼が届く。庭の朽ち果てようとしている落ち葉を眺めていたら、冬の寒さとともに寂しさも募るようだ。私自身も、そんな年齢になったのであろうか、まさに身も心も、そして季節も冬ざるるである。
2016.11.25
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夏みかん 酸っぱさ甘さの 口の形 浄至 (なつみかんすっぱさあまさのくちのなり)今年もミカンの木に大きな実を付けて枝が折れそうなくらい。この木は近所のお宅の庭にあるのだが、夏みかんらしいがハッサクかもしれない。見分けが付かないので限定はできない。夏みかんなら、あの酸っぱさを思い出してしまい、口の中が変になりそう。食べてみれば判るのだが、勝手に食べるわけにいかない。この頃、品種改良され甘い夏みかんがあるらしいが、いったいどんな味なのか。味により口の形が違ってくるので、想像しただけで可笑しくなる。
2016.11.23
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神使にも 赤き狩衣や 紅葉いずる 浄至しんしにも あかきかりいや もみいずる神使 = 神の使いとして、神の世と現世との境界にて人間に接触しながら神の取り継ぎを行う者。 主に動物であるが狛犬もその一つ。神社によっては猪・兎・牛・蛇・鶏等がある。狩衣 = 神職者が神事の時に身につける着物。 古来より貴族が狩に行くときに着ていった着物、あまりにも動きやすいので普段着として 使われ始めた、いらい神職者の正装となる、現在の宮司の装束。
2016.11.22
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もみじ葉も いと寂しかり 隠れ寺 古人の 影ぞ探せむ 浄至因幡で一番の古刹であろう、清徳寺を訪ねる。紅葉の名所であるのだが、やはり天候によりその趣は雲泥の差があるようで。今日は最悪であった。雲が厚く、薄暗く、今にも雨が降りそうではせっかくの紅葉もまったく映えない。開山が和銅2年(709)だからもう千三百年の歴史がある。と言っても、写真のごとく、今にも倒れてしまいそうな古い本堂だけの小寺ではあるが。しかし、あの信州善光寺の奥の院格を持つ。源平時代に平家の武将が必勝祈願にわざわざ訪れたり、当時の著名な高僧が修行していたとか、かなりの寺格を持つお寺のようだ。写真を5枚ほど撮影したら、急に雨が降り出したので慌てて帰路につく。なにしろ、山の谷の一番奥にあり近くに民家が3軒ほどの寂しいところ。住職も大変だろう。気取って短歌を詠んでみたが、どうも文法に問題がありそうだ。間違っていたらすみません。
2016.11.20
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留守神や 祝詞も弱し 地鎮祭 浄至(るすがみやのりともよわしじちんさい)10月は神無月と言って、万の神様が出雲に集まってサミットを開くとか。それで出雲だけは神有月と呼ぶとか、では新暦・旧暦どちらの暦を使えばいいのか迷う。自分的に季節の趣を考えれば、ピッタリくる旧暦を使うことにした。建前の地鎮祭を見かける、見慣れた光景だが神が留守なのにちょっと疑問(仏式もキリスト教式もあるらしいが)、では誰が神の代わりをするのか調べると、カマドの神と恵比寿の神が留守居役として残り代行するらしい。そんなこと考えたら、なんか神無月の地鎮祭は御利益はあまり望めないのではと思う。聞こえてきた祝詞も、妙に弱々しく感じる。側で見つけたコムラサキシキブの実が神々しく見えるのだが。
2016.11.19
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山里も 報恩講や 三奉請 浄至季語は冬 = 報恩講報恩講(ほうおんこう)= 浄土真宗の宗祖【親鸞聖人】の命日に行う儀式・法事。浄土真宗所属寺の一年で一番大切な行事、毎年10月から12月にかけて各寺院がさみだれ式に行う。本山では御正忌と呼び、旧暦の命日の1週間前から命日の11月28日まで行う。三奉請(さんぶじょう)= 報恩講開始前に唱える偈文(げもん・歌)。 「これから法要を始めますから、阿弥陀如来様、釈迦如来様、十万如来様(全ての 如来様)、どうか道場にお入りください。」の意味がある。街中でも山村でも、初冬になるとこの三奉請を聴くことがあるので、すぐに報恩講であると気がつく(門信徒であれば)。かなり唱え難く、お世辞にも上手ともいえない、下手な住職もかなりいるようだ。木守柿を見つけ撮影していていて、どこからか聞こえて来た次第。これを聴くと、もう冬になったのだと、どこか寂しさを感じてしまう。
2016.11.18
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弄月や 狐火ごとき 闇灯り 浄至弄月(ろうげつ)= 極めて簡素に月見を楽しむこと、十五夜の観月会ほどの大げさな催しではない。狐火 = 冬の季語やっとスーパームーンを見る事ができた、今夜の居待月。午後10時頃になり空も晴れ、ちょっと上部が欠けてはいたが久しぶりの月を見る。しかし写りはどうも、私の腕もカメラの性能もレンズのことも考えたら、これが限界か。月の兎のような影は確認できなかった、すこし湿気があるせいかも。コウコウとした月の光ではない、まるで狐火が発するような弱い光で辺りを照らしていた。それでも社会の闇を照らしているようにも思える。
2016.11.18
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冬の陣 皇帝ダリア 高見なり 浄至NHKの大河ドラマ【真田丸】も、いよいよ佳境になったようだが。時は、慶長19年10月1日から始まった豊臣と徳川の鬩ぎ合い、大阪冬の陣。旧暦の日付だから、新暦なら1614年11月2日からになる。今日の11月17日は、ちょうど攻防も血生臭くなった頃になる。詳細は割愛するが、この頃になると皇帝ダリアが家の2階くらいの高さに大きな花を咲かせる。昨日も、快晴の空に恐らく4m位の高さに花を咲かせているのを見付ける。やはり、冬の陣を高見の見物したいが為咲くのであろうか、などと考えながら一句ひねる。
2016.11.17
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夕焼けや スーパームーン 期待かな 浄至今年は68年ぶりのスーパームーンが観測できるとかで天文ファンは活気ついているとか。今月の満月は14日だった。その日の夕焼けはご覧の通りで、これなら期待できるかと思っていたが。撮影して暫くすると、急に空が厚い雲に覆われて、暗くなると雨が降り出した。期待させておいて、肩すかしだった。次の日、15日は、満月の次の日だから十六夜の月(いざよいのつき)と言うが、朝から曇り時々小雨が夜まで続く。そして今日16日は、二日目だから立待の月(たちまちのつき)と言う、なんと情緒ある呼び名だ。一日中快晴で期待させるも、夕方になると急に曇ってきてまたもや肩すかし。なんとも意地の悪い天気だ、画像の文字もだんだん小さくなってしまう。さて明日の月は、満月から3日目の月で居待月(いまちづき)と呼ぶらしい。明日に期待しよう。ちなみに、満月から4日目の月を寝待月(ねまちづき)と呼ぶらしいが、あまり期待しない方がいいようだ。
2016.11.16
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振り向けば 石蕗の花あり 救急車 浄至石蕗(つわ)= 石蕗(つわぶき)のこと、季語は冬公園の側には県道があり、かなりの交通量がある。歩いていたら急にけたたましい音が県道を走り去って行く。救急車の音に、だれか知らないが気の毒にと振り向けば、石蕗の花が咲いていた。運ばれて行く方は気が気ではないだろうに思う。石蕗の花言葉は、『いつでも笑顔をわすれない』と『謙遜』。励ましの言葉とも、少々の病気など我慢しろ、ともとれる、ちょっと微妙だ。
2016.11.15
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影は濃き 呼び声忙し 冬の暮れ 浄至立冬を過ぎると、一段と日の暮れるのが早くなったようだ。池の畔で遊んでいた子供、夕日が沈みかけてきたので親が呼びに来た。その声は少し早口である、子供はもう少し遊び足りなさそうもう少しで師走、そろそろ忙しさが出てきたのか。
2016.11.15
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なゐの傷 我関せずと 浮寝鳥 浄至 なゐ = 地震(古語の呼び名)地震のあと久しぶりに湯梨浜町の東郷池を訪れる。文化財になっている四つ手網の小屋が傾いて無残な姿に。それとは関係なしに、桟橋には鴨が羽根を休めている。まさに我関せず。ここは震源地から約5キロ東になるから、このくらいですんだのかも。震源地付近の民家の屋根は、ほとんどブルーシートで覆われていてた。遠くから見ると青い花が咲いているような。その写真を使おうと思ったが、他人の不幸を笑っているようにも思えてやめる。地震のあと、しばらく投稿を休んでいた。その間に暦の上では冬になっていて、季語を考えて使わなければ。
2016.11.13
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すなおかをいくつこえしかなみおとのまぢかにきこえてうみまだみえず 枝野登代秋 歌低迷していた、鳥取県の短歌界の底辺を広げた優れた歌人であった枝野登代秋の歌。島根県の松江市出身であったが、鳥取市に移住してきて短歌の創作と指導をはじめ。鳥取短歌会の刊行誌【情脈】を発行はじめる、昭和3年のことである。昭和43年に没するまで、一生を短歌に尽くした偉人である、彼の歌碑が砂丘西入口にある。彼がいなければ鳥取県の短歌界は低迷したままであっただろう。彼が歩いたであろう砂丘を歩いてみながら一句詠んでみたが、どうにもならぬ出来だった。踏みしめて砂丘の記憶や秋日和 浄至
2016.10.20
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そこかしこ花も実もあり野路の秋 浄至この頃、空き地とか野辺なんか歩いていると、名も知らぬが花とか実を付けた草を見かける。春の野辺は花ばかりであるが、秋の野辺は花とともに多く様々な実をつけて興味深い。名がわからないのが多くて、残念である。
2016.10.17
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緑化祭 侵略種にも 秋の風 浄至今日は湖山池の公園で【花と緑のフェア】が開催されていたので見学に行く。午前中はよく晴れていたが、午後には曇り夕方には雨の予報、ではと開園すぐに入園する。会場は様々な業者が所狭しと出店していて賑やかなこと、普段は閑かなのだがなんとも情緒のないことか、これでは一句詠む気にならない。公園を一周しながら撮影していたが、徐々に来園者が増えてきたようなので、そそくさと帰る。確かに、造園・緑地・盆栽・園芸業者などの丹精こめた花とか木は見事である。そのすぐ側の花壇には、あの目障りなセイタカアワダチソウが繁茂していた。せめて、祭りの間でも伐採しておけばよかったのかも。法律的には要注意外来種に生態学的には侵略的外来種に指定され駆除の対象なっているのだが。人間の営みに関係なく、秋の風は平等に吹いていた。この帰化植物はどうやら市民権を得ていて、生け花とか花壇に植えられているようだ。気にならないのかもしれない、気になるのは私だけかも。今では秋の風物詩になっている。
2016.10.16
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街灯 安らぎ一つ 秋の暮 浄至今日は昨日とは違い、暖かい一日であった。天気も晴で、こんな日はどっかに遠出と行きたいが、そうも行かず。藪用ばかり続いて一日が終わる。夕方の西の空があまりにも美しいので撮影して一句詠んでみる。
2016.10.14
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身に入むや万の神の天地かな 浄至みにしむやよろずのかみのてんちかな今日は午前中はよく晴れていたが、午後になると曇ってきた。この秋一番の寒さにコタツを出そうとしたが、まだ準備をしてなかった。この寒さ身によく染むことか。十月は神無月といい、出雲に全ての神様が集まって会議するため神様は留守だとか。この天地は神様が創造されたもので、それぞれの担当の神様があるらしい。それでは、神様が留守の場合はだれが留守番しているのであろうか。
2016.10.13
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にじみ出る花の香侘し長雨の金木犀の匂ひ残さず 浄至 吟秋雨前線の影響で長雨が続く、9月もあと2日。庭に金木犀が咲いているのに気がつく。雨ばかり気になって天ばかり見ていたからだが、いつ咲いていたのかな。金木犀の香りは雨に弱くて、匂いが雨に消されてしまうらしいからか。花もさぞかし、匂いがいのないことだろうに。我が家は現在改修のため大工さんが工事中、そちらに神経使っていて投稿まで気がまわらず。数日間お休みしてました。その間に季節はさらに秋が深くなってきたようだ。
2016.09.29
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そば畑紅一点ありひがん花虫の音聴きてまた赤々と 浄至今日は久しぶりの晴れ、もう5日ぶりの好天気。某寺院にて研修あり出席する、テーマは【領解文】を読みその本質を理解する。参加者の多くが、この久しぶりの晴れの日に本堂に籠もるとはもったいないの口調。どうやら、稲刈りに迫られていて気になるらしい。度重なる台風と長雨に、すでに終わっていなればならない稲刈りが遅れているようだ。この週末を狙っているようで、雨が降らなければいいが。帰りに蕎麦畑の側を通ったおり、畑の畦に彼岸花がポツンと咲いている姿を見付ける。やけに気になったので撮影した。帰って一句ではなく一首をヒネってみたが。
2016.09.23
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