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連休明け初めての公園に行った、そして投稿になったが。この間に辺りは眺める所全て初夏の様相になっていた。新緑に快晴の空がこんなに似合うとは、自然とはこんなに美しいものだと思わずにいられない。風も爽やかである、まさに風薫る5月とはこのことか。そして今年初めてのツバメも数羽飛んでいるのを確認できた。花も春から夏へと衣装を替えている。この薫風は花の香りさえ盗み奪って、自らの薫りとしているのかも。
2024.05.14
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公園を散策していたら急に雨が降り出した。隠れる所がないかと、辺りを見渡したら藤棚があったので慌てて飛び込んだ。藤の花がだいぶ伸びていたが、まだ伸びてくるかな、もうすぐ満開になりそう。来週辺りが見頃かなと見ていても雨が強くなる。雨は藤の花より雫になって垂れて来る。雨宿りのおかげはなさそう。また慌てて駐車場まで駆けだしていった、雨は直ぐにやむ通り雨であった。
2024.05.01
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今日は朝から雨、断続的に小雨が降り続き少し肌寒さ感じる。それでも、昼過ぎに雨が止んだのを見計らってスーパーに行く。そそくさとカートにめぼしい物を入れてレジに行こうとしたら、笹ちまきが陳列してあるのに気がつく。そう言えば、今年のちまきまだ食べてないのを思い出し、カートに入れる。夕方になり、ちまきを撮影して食べながらPCに向かい、キーボードを叩いている。ちまきをほどきながら、ほおばれば昔の事ばかり思い出す。それが昔の味と今の味が、心なしか違うような気がするのだ。昔といっても60年くらいの昔だが、もう少しこくのある薄味の品のある甘さだったような、それが今はただ甘さを強くしただけのような、私の味覚が変なのかなとも思えるが、味覚の感じ方は個人差が著しいと聞いているからなんとも言えないが、昔と今の味を比べながら、一句詠んだ追伸 UPして気が付いたのだが、ちまきは夏の季語であった。もう遅いから修正はせず、お許しください。四月尽 に因んだ句にすればよかった。またもや間違いに気がつき、追伸の追伸。漢字の使い方であるが。【廻る】は まわるであり、少しニュアンスが異なるようだ。この句の場合は、【巡る】めぐるが正しいようだ。意味は同じであるが、廻るは同じ場所をまわって行き、元の所へ帰ってくる事、回ると同じ。ところが、巡るは同じくまわってくることであるが、それには探究心とか冒険心とか探索とか、なにか別のものを求めて回る意味があるらしい。漢字の持つ意味は奥がある、使うのが難しいものだ。
2024.04.30
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ももとせの ねむりさませば たけのはな まだゆめみかも しるひとぞなき 【百年ぶりに目覚めた竹の花 まだ夢を見ているのか だれも知らぬ人ばかり 人もここに花が咲いているなんて だれも知らないんだろうな】 竹の花は、だいたい60年から70年くらい経たないと咲かないとか聞いていたが、まだ実際に見たことなかった。ところがいつもの公園で咲いていると新聞に紹介されていた。さっそく一生に1回から2回ぐらいしか見る事ができない竹の花を見なければと、カメラ片手に公園に行く。一斉にツツジの花が咲き始めた中、地味で目立たないが確かに咲いていた、それも群生して。竹の花というよりは笹の花が正解であろう、何でもこの笹はまだ、30年前に公園に整備する以前より自然に群生していて、それ以前の事は記録がないとか。ただ別の公園で記録が残っていて、それは120年前のことらしい。群生していても、中の一本か二本が咲くことがあっても、群生が一斉に咲き始めるとは、全国的にも極めて珍しい現象とか。最近では他の数県で3件の記録があるくらいらしい。もしかすれば一生に一回も見られない現象を見たことになる、よい目の保養ができたものだと思う。花が散ると、この笹は枯れてしまい朽ち果ててしまうとか、だから枯れる前に種を落とし次の世代に種族保存を委ねるとか。ただ成長するのに30年もかかり、そのまたそれから30年から40年後には花を咲かせ枯れる運命に、そうして世代を繰り返しながら生きらえているのだ。厄介な雑草という人もいるが、これを知ると健気なものだと思わずにいられない。
2024.04.29
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冷蔵庫を開けて気が付いた、桜餅を買って置いていたこと忘れてた。賞味期限がすでに切れて三日過ぎている。食べるべきか迷ったが、賞味期限と消費期限では意味が違っていること思い出した。たしか賞味期限は美味しく頂ける期限であり、食べれないわけではない、ただし味は落ちるが。消費期限は期限が過ぎると消費できない、つまり食べるなという意味。どうも農林水産省と厚生労働省の縄張り争いと考え方により、こんな紛らわしい表現になっているらしい。どちらも直接口に入るもの、統一してくれたら有り難いが。結局、捨てるのももったいないので、撮影して食べてしまった。食感は、表面は硬くて少しごわごわしている、中のあんこはまだ柔らかい。味は、さすがに少し物濃きさが感じるが食べるには問題なさそう。身体に異常はない。それでも頬張るたびに、子供の頃を思い出した。育ったのが小さな漁村だったが、新鮮な海の幸はいつでも食べれたが、山の幸は時々であった。子供の頃は甘いものが食べたい盛り、特にこんな桜餅は滅多に食べれないしろもの。最高のお八つであった事を思い出す。少々硬かろうが不味かろうが関係無く、喜んで食べたものだ。現在は、スーパーに行けば年中手に入る、不味ければ食べる気がしない。やっぱり飽食の時代なのか。
2024.04.22
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桜ももうすぐ終わるだろう。花と葉が半々になってきた。北国ではこれからが本番らしいが。花だ花だと浮かれていたが、終わると桜の回りはやっと本来の静けさに戻っていた。それに代わり、別の花が咲き出した。これからが百科繚乱の一番華やかな頃となるが。季語の山笑うが最適な景観であろう。公園にも色とりどりの花が咲き始めた。特に黄色の花が目立っていたので、近づいて見れば山吹であった。山吹色とはこの色だ、これ晩春の花である。そうかこの花が咲き出したという事は初夏はもうすぐだな、季節の移ろいとは早いものだと一人納得する。すぐ近くにはシャガの花が咲き出していたが、夏の季語であるので立夏が来て詠んでみよう。人は花が咲いたと聞くとなぜかこぞって見に来る。愛でるのもいいが花にとっては迷惑だと思うが。それでこの句を詠んでみた。
2024.04.15
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三日続いた冷たい雨に、桜が少し長く持ったかな。それでも川には花筏が水面を覆うように漂い流れて行く。今日はやっと春らしい風もなく、穏やかな明るい曇空である。昼過ぎ所用で山陰海岸浦富海岸の近くを通り過ぎさま茶原海岸を撮影した。このあたりは山陰海岸でも一番の美しさだと評判であるが、どうも絵はがきのような美しい写真にはならない。これがプロと素人の差であろう。それにこの海岸は遙か昔の私の遊び場であったので、見慣れておりこれと言った感動はない。強いて言えば懐かしさくらいであろうか。撮影していると、重機音が聞こえてきた。せっかく思い出に浸りながら悦に入っているのに、興醒めである。直ぐ近くで陸橋の建設工事が行われており、そこからの音である。重機音が邪魔であるが一緒にどこからか鳥の聲が聞こえてきたので、そちらを俳句に取り入れ詠んだ。
2024.04.11
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どこに行っても、桜のある所は人ばかり。花見は悪いことではないが、この人ゴミとも言える場所にそんなに行きたくないし、ゆっくり花を愛でる事もできない。どこか人のいない花がゆっくり愛でる場所がないか想い廻らした結果。牧谷の又助池を思い出した。ここはカキツバタの群生地で、まだ時期が早いから静かなはずだ。連休の頃になると花が咲き始め、ここも人出で騒がしくなる、おまけに有料になるから今なら人がこないし無料だ。さっそく今日も花見日和の天気に車を走らせる。到着してみると、やはり人は居ないが花もない。水辺の麗人は、この穏やかな陽光に緑葉の中で、春眠をむさぼっているようだ。 ただ早くお目覚めのお方が一輪だけ。影に隠れるように、さぞかし恥ずかしかったのか。ところがその近くにスノーフレークが数輪たむろしていた。一人寂しかったので、話し相手を探していたのかも。
2024.04.08
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今日は公民館の行事として花見ウオークに参加する。何故参加した言うと、参加者には弁当付きというサービスがあるから、こんな打算的な考え方で参加してもいいのかと思うが。まあ参加すれば主催屋も喜ぶので良いことにしよう。先着35名までの限定ではあるが。現在どこもかしこも桜がほぼ満開、昼が近くなると桜のあるチョットした広場があるとすぐシートを広げて場所取りである。天気もまさに花曇りというか薄曇りの中、午前9時には公民館を出発。目的地まで桜のトンネルを解説者の説明を受けながらウオークである。市内も中心を流れる袋川にの土手に沿って2キロ以上続く桜土手、桜の季節になると市民の花見の会場になり、歩くのもどっかのシートを踏まないか気を使いながら歩かなければならないが、今の時間ならまだ大丈夫。ところが昼間でまだ数時間あるのにすでにシートを広げて場所を確保している強者もいた。ノンビリと花を愛でながらのウオークもまんざらでもない。しかし女性の方々はよくしゃべること、まさに話に花咲くとはこのことか。皆急に騒ぎ出したのなにかと近寄ると、ヌートリアが泳いでいると指さしていた。あれを生死に関わらず市役所に持って行けば5000円もらえるとか、なるほど親子らしいヌートリア4頭が川の流れに乗って泳いでいるのが確認できた。市が迷惑外来種獣として駆除対称になっているらしい。それを過ぎると時々、知人と逢うたびに立ち止まっては話をしている。桜の花も、話の花もまさに満開である。途中休憩していると、川に鴨の親子が泳いでいた、湖山池の鴨とは違い人間をあまり恐れないようで、20mくらい近づくことができる。この鴨おそらく留鳥だろう。昼前には目的地について、待っていた弁当屋がいて皆に弁当を配る。弁当を食べると、少し休憩のち、ここで現地解散となった。せっかくだから元来た路を逆に引き返しながら桜を愛でながら帰路に就く。すでに多くのシートが広げられていたが、準備で先に来た登番がバーベキューの準備をしていたくらいで、まだ歩きやすかった。やっと公民館に帰ってきたが、暫く、あるいていなかったので急にくたびれがでたようだ。推定一万歩くらいはあるいているかもしれない。
2024.04.06
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今日は花の金曜日、桜あるところ花見客で賑やかだろう。特に天気は最高、春らしい陽気に穏やかな日よりである。さぞかし人で一杯で溢れんばかり。老弱男女が陽気に騒いで、これぞ人ゴミ如き。しかしこれに誰も気づいていない。でもこれでいいのだ、今日は花見日和、みんな陽気に騒ごう、ゴミになろう、もうすぐ桜が散るぞ。
2024.04.05
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昨日は雨であったが、今日は曇で風もなく穏やかな日である。あれから花はどうなっているのか公園に行く。たしか一週間くらいは前に来たが、別にあまり代わり映えはしない。あいも変わらず鴨が陸にあがってノンビリと羽根の繕いをしていて、別になにもしないのに、やはり私の姿を見ると一目散に逃げてしまうが。その中で一羽だけ逃げもせずにジーッとこちらを睨みつけている。どうやらこいつ群れのリーダーかも。他の鴨より身体が大きく落ち着いている。どうやら危害を与えないことが判っているのかも知れない。ただ注意深く観察しているようだ。その様子を数枚撮影すると離れて行った。 左から羽根を寛いでいる鴨たち リーダーらしき鴨 陽光桜 しばらく歩いていると、ピンク色の花が咲いている木に気が付く。よく見ると桜のようだが、こんな桜見たことない。ちょうど近くで公園の掃除をしている作業員の方を見つけたので、この花なんと言う花なのか尋ねる。しかしよく判らないのつれない返事。ただ桜であることは間違いないとか。スマホを取り出して探したがよく判らないようだ。仕方が無いので帰って検索で探して見ますとお礼を言ってわかれる。帰ると早速、検索してみた。桜って多くの種類があるもので、これでは覚えきれないはずだ。そのなかからこれと思うものが見つかる。陽光桜(ヨウコウザクラ)ではないか。自信はないが。天城吉野(アマギヨシノ)と寒緋桜(カンピザクラ)の交配種と説明してある。暑さ寒さに非常に強く、とても育てやすい桜で、樹高は15mから20mくらいになるとか。これでは大きすぎてとても狭い庭には適さない種類のようだ。とても妖艶を感じられる気品のある花である。ソメイヨシノに飽きたらこの桜を見に来よう。
2024.04.04
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今日は朝から雨。せっかく咲いた桜もこの雨では花見客はいない。やさしい春の雨である。散ることもなく静かに佇んでいるよう。つかのまの静寂を楽しんでいるのかも。この雨は生けるものにとっては恵みの雨であり、芽吹いて成長を育むやさしい雨でもある。花見を予定していた花見客とそれを当て込んでいた業者は恨みの雨でもあるが。
2024.04.03
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今日は四月一日、、四月朔の日、そしてエイプリルフールであるが、私にはなんの関係もない。ただいつもの一日の時間が過ぎるだけである。といっても人間社会は会計年度が令和5年度がから6年度へと移ろう大事な節目の日であり。市民生活の諸事が今日を起点に大きく変化する艶めかしい日でもある。たしか三月二九日に桜が開花したと新聞で報じられていたが、まだ桜を見に行ってない。ちょうどテレビでは大リーグの野球中継にプロ野球の開幕戦に高校野球選抜に大相撲と見たい番組が一日中続き、桜のことすっかり失念していた。正に連日、スポーツ観戦三昧であった。選抜は群馬が優勝して終了。今日は午前中で大リーグ中継が終わり、プロ野球は移動日で試合がないので午後は久しぶりに所用で外出。ついでに城跡大手門入り口にある、気象庁指定の桜の標準木を撮影に行く。鳥取はこの桜で開花予想をしているらしい。ここ数日春らしいぽかぽか陽気で、ソメイヨシノはすでに満開で見頃になっていた。やはりこのあたりでは一番の古木で咲くのも早い、たしか樹齢は二百年以上らしいが、幹には苔で覆われている。他の若い桜はまだ蕾が開きかけくらいである。これだと次の嵐がくれば花散らしになるかも。ただ私はこの季節になると、クシャミがよく出る。花粉症ではないが。どうも黄砂に反応しているようでゆううつになる。新聞でも大陸より黄砂が到達して空が少し黄色に見えるとか。ついでにPM2.5まで、まねかねざる客に翻弄されそうだ。そこで久しぶりに短歌風に一首詠んでみた。さてもう一つ、この投稿している画像であるが、今まではかなり古いフォトショップエレメンツで編集していたが、今日からはGINPに変更して編集している。従って少し画像が今までより趣が変わって見えるかも。何しろ無料で最新のソフトが使えるので助かる。フォトショップEが悪くなったせいではなく、そろそろフォトショップEを最新のものに替えようかと、PCコーナーのソフトを見に行くと値段が急に値上がりしていて、手を出すのがちょっとはばかれる。そこでGINPをインストールして使うことにした。もう半年くらい前のことである。最初使い勝手が異なり死苦八句していたが、少しづつ慣れてきて、なんとか使えるようになったので、初めて投稿に使ってみたのだ。
2024.04.01
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長かった菜種梅雨、今日は久しぶりの日顔を見て陽光のありがたさを満喫する。天気予報ではこの週末あたりから、春本番の穏やかでポカポカした陽気が続くとか。これで遅れていた桜前線が急に北上するとか。河原土手に出てみれば、急に土筆が顔を出していたのを見つけた。今まで気が付かなかったのだが、それも数えきれないほど。まるで戦国時代の群雄割拠のようで、さて誰が天下取るのか、背比べである。
2024.03.28
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彼岸が明けても寒さが残る。そしてこの長雨には 恨めしく空を眺めるばかりのこの頃。今日も雨 一晩中ふっていたが 朝からまだ降り続けるばかり。外出も躊躇してしまうのは私だけではあるまい。これを菜種梅雨と呼び、春の季語となっている。さてこの長雨には水鳥も困っているようす。水鳥は、と言っても鳥類全体に言えることだが、尾羽の付け根に油を分泌する器官があるらしい。それをくちばしで取り 体中の羽根に塗りたくり 水をはじきまた防虫により身体の健康を保っているらしい。特に水鳥はこの油のおかげで水に沈むこと無く 水面を自由に動き回れるとか。だから 油の分泌が少なくなると溺れる水鳥もあるらしい。時々陸に上がって羽根を繕うのである。ところがこう雨が続くと絶えず羽根の油が流されてしまい 羽根の繕いの回数が多くなる。そのため雨の当たらない場所に移動しては羽繕いをしている場面をよく見かける。それに気が付かず近くを通りかかった私の前を一斉に飛び去った鴨の群れ。そこをシャッターチャンスとばかりに撮影した。気が付かなかったとはいえ 鴨には悪いことしたかな。
2024.03.26
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彼岸も明けていよいよ春も本番であるはずだ。なぜか今年はまだ寒さが残って 心ウキウキととはいかないようで。二日連続も甲子園選抜が冷たい雨で順延となり 野球ファンをがっかりさせたようだ。今年は我が郷土代表が選ばれなかったので 興味がいつもより下がっていて 私的にはそれほどガッカリ感はないが。といってもさすがに順々決勝くらいになると熱が上がってくるとは思うが。所用の帰りに湖山池の公園へ足を伸ばす。公園入り口にある小さな木の橋が修理工事されている最中で 右半分が通行止めになっていた。朽ち果てようとしていた板が外され新しい木の板に交換されてようとしていた。これから暖かくなると入園者が増えてくるので それまでに交換するのだろう。事故防止には最善の処置である。今日は時々小雨が当たるくらいで 彼岸のあの真冬並の寒さではないが やはり寒い。一週間前に来たときとあまり代わり映えしない景色。それでもなにか春を告げる変化がないかと歩いて見たが さすがにあの寒さでは皆ちぢこまってしまい また冬モードになってしまったのかな。仕方ないので帰ろうと引き返し歩いていると 黄色の花の木を発見した。最初ロウバイかマンサクかと近づいて行くと 急に羽音がして中型の鳥が一目さんに飛び去ってしまった。突然のことでびっくりして鳥の種類までは確認できなかったが。花をよく見ると見たことのない花である。帰って図鑑で調べるとどうやらミツマタのようである。ミツマタの開花時期は3月中旬から4月中旬というからちょうど今頃である。ただし開花期間はかなり短く2週間から3週間と説明してあった。ちょうど開花時期でないとみられないそうだ。道理で今まで見たことなかったのだ。ご存じの通りミツマタは和紙の原料である。因幡でも和紙の工房があり【因州和紙】として知られている。花が何もないが このミツマタの花で確かに春を感じたのである。そして飛び去った鳥の羽音にもどこかしら春の優しさのようなものを感じたのであるが。
2024.03.25
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春分の日は寒かった さすがに雪は降らなかったが一日中雨 冷たい雨 雷さえ時々聞こえていた。それにしても 彼岸にこれだけ寒くなるとは 久しぶりの経験である。おかげで風邪をひいてしまったようだ。前日に墓参りをすませておいたが これが原因かも。外出せず甲子園に尊富士が大活躍している大相撲に大谷とダルビッシュが出場する 野球中継を一日中見ていた。これが幸いしたのか今日は体調は良くなっていた。その寒さにも負けず庭の沈丁花が見頃になり 辺り一帯香りをただ酔わせていた。香のおかげで沈丁花は寒くないのかな。そういえば このブログのカウンターが丁度十一万になった。他のブログを見たら何十万にもなっているのに たしかこのブログに登録したのは同じような頃だったような。やはりもう一年以上休止状態だったのが原因だろう。それに半年くらい休止したことが何回も。仕方ないが それでも我が道を行くである。
2024.03.21
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今日の湖山池 少し風強く肌寒さ有り。天気予報によると天気は崩れ 週中頃には急に寒くなり 雪が降るかもとか。彼岸とはいえ 昨日の暖かさとは 打って変わってこの寒暖差は身には堪えそうだ。明日には墓参りしておかないと。たしか鴨は渡り鳥であったはずだがと思っていたが。北帰行で去っていった鴨がまだ池で多くたむろしていた。そうかこれが留鳥なのかと勝手に納得。私が近づくと一目散に逃げてしまうので UPして撮影できないが。なぜ渡らないのかと調べて見た。それには次の条件で留鳥となるらしい。まだ幼くて長距離を飛ぶ体力がない この場合は母鳥も残るらしい。もしくは高齢になり体力が衰えた鴨の場合。鴨の寿命は10年から15年くらいらしい。ただ動物園などで大切に飼育していれば20年くらい生きるらしい。記録によると29年の例もあるらしいが。そして病気や怪我で飛ぶ力がない場合。運良く早く治癒した場合は 遅れて北帰行に出発する鴨もあるらしい。最後にエサが豊富 もしくは人間がエサを与えるため飛び立つ必用がないばあい。どうもこの人間のせいが強く影響しているのでは思うが。特に人間に慣れすぎて 近寄っても逃げ出さない鴨は これは問題であるが。概ね5月になっても残る鴨は留鳥と呼ぶらしい。そして季語も春に。鴨の鳴き声を聞くたびに どこかもの淋しさを感じてしまう。これは 去ってしまった友を偲び鳴いているのかも。晩秋になればまた会えることを 拠り所としているのか。
2024.03.18
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今朝から晴れて気温も高く 今年一番の暖かさになろうと天気予報。そんな日よりに誘われて 新聞で大樹寺の有楽椿が見頃を迎えていると報じられていたので さっそく見物に行く。コロナ禍でここ数年外出を控えていて このお寺を訪ねること遠慮していた。それにこの陽気では 長い間閉じこもり気味であった我が身もさすがに限界がきたのか 外へ出たがっているかのようす。なにかしら心うきうきとさせるような。 大樹寺の玄関前の有楽椿この椿は茶人の織田有楽齋の庭に植えられていて。有楽齋が好んでこの椿を眺めていて こんな名が付いたらしい。織田有楽齋は名の通り 織田信長の弟で家康とは茶道を通じて関係が深く。関ヶ原では東方についたので それなりの領地を拝領して大名となっていた。また茶人としては あの千利休の高弟の一人であり【有楽流】を開いた高貴な存在であったらしい。東京の有楽町の名は 有楽齋の居宅がこの通りにあったのでこんな名がついたらしい。樹齢400年以上のこの椿 幹回りが1.9mもあり日本最大級とか。来週からは彼岸 暑さ寒さは彼岸までとはよく言ったものだ。準備をしなけなければ。
2024.03.15
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久しぶりの好天で うららかで陽光に包まれた暖かい日である。 先週にはまだ蕾であった 乙女椿が開いてた。 しかし その花びらには少し傷があるような もう散りかけているのかな。 そのなんともいえない 優しく気品に満ちた姿に哀れを感じてやまない。 そうか これは恋の傷であるのかも などと勝手に想い入れしながら撮影した。 まさに花の命は短しであろうか。
2024.03.14
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今日は東日本大震災発生から13年。各地で追悼式が行われていることだろう。あのとき私はどうしていたのだろうか。思い出してみると 京都にいたのであるが。我が家の菩提寺の本山が京都であり その本山で三泊四日かけて ささやかな修行を遂行していたが その最後の日の終了式が終わり車で帰路に就いて30分も経ってない頃だと思う。たしか地震発生したのが3月11日午後2時46分だから そうだと思う。だから午後9時に我が家に帰宅するまで地震の事はまったく知らず驚いた事を覚えている。それからはテレビに釘付け 絶えず放映されていく惨劇とその甚大な被害の有様に 声も出せずただ呆然とテレビを見ていた。自分ではどうすることもできないが せめてと画面に向かって手をあわせ本山で修行の通り【何阿弥陀仏】 と唱えていた。それから数日間はその繰り返しである。そうかあれから13年かと 改めて思い出せば まだ避難生活をされている人たちのこと また 二万人近くの犠牲になられた方 まだ2500名余の行方不明者の事を考えるに心がいたたまれない。それに今年の元旦の能登半島地震の発生により多数の犠牲者も出ており まさしく日本は地震大国であると有り難くない名をいただいている。これらの地震で不幸にも犠牲になられた方々には 心より哀悼の意を述べたいと思う。合掌念仏を 唱えて思う 弥生月 忘れ得ずして また手を合わせ 淨至 写真は省略 久しぶりに短歌にして投稿した。ちなみに 淨至 は修行のさい本山から授かった法名である。以来 様々なところで 号として使わせていただいている。
2024.03.11
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黄水仙が咲いているのを見つける。群生して宴を開いているのかも。なぜか皆うつむいているばかり なにか心配事があるのか。そう言えば 水仙の花言葉は【自己愛】【うぬぼれ】であることを思い出した。それはギリシャ神話から来ているらしい。ギリシャにナルキソッスという美青年がいた。彼に一目惚れをした妖精【エコー】は交際を申し込み仲よくなったらしい。ところがそれを見ていた復習の女神【ネメシス】が嫉妬をして彼に自己愛の呪文をかけたとか。それからはナルキソッスは水面に写る自分の姿を愛するばかりで【エコー】を相手にしなくなった。悲しみのあまり【エコー】はどっかに身を隠し姿が見えなくなったてしまった。しかし呼べば返事をしてくれるのだが。これがエコー(日本名こだま)の語源らしい。これらの経緯をしったオリンポスの神々は怒り 彼に罰を与えたとか。以後 彼は水面に写った自分自身しか愛せなくなり 自分に会おうと落ち溺れ死んでしまった。そしてその生まれ変わりが水辺に咲く水仙らしい。水仙になった今でも いつも下を向いて水面に写った自分ばかり見ているとか。これが語源となり 自己中心的なうぬぼれをナルシストと呼ぶようになったとか。そんなナルシストの宴である さぞかし面白くもないことだろう。だから皆うつむいているのだろうか。笑い・・・黄水仙は冬の季語であるから 春の宴とした。ただ黄水仙の花言葉は(もう一度愛してください)とか。まだうぬぼれが強いのかも。水仙の別名は【雪中花】春を呼ぶ花なのだが。
2024.03.09
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ネコヤナギ ヒメオドリコソウ イヌフグリしばらく続いた寒さと雨に まだ春は遠いかなと思っていたが 思いがけず良い天気に恵まれた今日。気温も12度くらいにはなり早春ならではの陽気になると天気予報。でもこれは長続きしないらしい。では天気がまた悪くならないうちにと 久しぶりの日顔にちょっと出かけることにした。湖山池のほとりの公園である。ここには多くの植物が自然のままに育つように管理されている。もちろん人工的に改良された花木品種もあるが。やはり自然のままに生息している植物が私としては好む。湖山池は日本有数の渡り鳥の越冬地となっているらしい。しかしすでに北帰行が終わり 池にはほとんど鳥はいなくて静かである。あれだけ水面にいたのはなんであったのかと思わずにはいられない。水面が早春の陽光で輝いているだけである。早春の花はなにかないかと探すと。あったあったネコヤナギである。水面からの反射を受けて輝いて見えた。そしてその根元にはヒメオドリコソウにイヌフグリが。とても小さな花であるが これも早春に咲き始めるれっきとした名花ではないか。これを雑草とよぶ人もあるが。ほかにも 名は知らないが様々な芽吹きを見つけることができた。やはり春は確実に近づいていると確信した日であった。私としては珍しく三日連続して投稿してしまった。ヒョウでも降らなければよいが。笑い・・・
2024.03.07
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白兎海岸の白兎神社本殿 今日の白兎海岸淤岐島御手洗池(不増不滅の池) 神社入り口で見つけた 大国主命とサメ(ワニ)に乗った白うさぎの張り子の像昨日予定していた 市役所へ行く予定が止みそうにない冷たい雨に断念した。今日は雨もたいしたことないので市役所へ。さて所用も終わり帰りに白兎海岸へ足を伸ばした。2月18日に投稿したが もう一つの白兎神社を訪れたが やはりこちらの神社へも参拝の必用があるだろうと思ったしだい。やはり天気が悪いと参拝客もない深閑としている。一人貸し切りのようだ。それでももう一つの白兎神社とはまったく違う 大きく綺麗で立派だ やはり参拝客の差でこうも違ってくるのかなと思う。お客様は神様としかいいようがない。淤岐島とか御手洗池とかはよく知られているから説明の必用ないと思うが。石段を降りるとカカシような人形があったのでよく見ると なんと大国主命(七福神の大黒様ではない よく間違われる)と因幡の白うさぎがワニ(サメ)に乗った張り子だった。かなりユーモアのあるお姿だ。恐らく観光協会の関係者か近くの有志が作ったものだろう。おもわず笑ってしまった ちょっと失礼かな お許しください大国主命と白うさぎ。古事記ではこれが縁で大国主命は因幡の絶世の美女【八上姫】と結ばれることになるらしい。まことにハッピーエンドな神話である。この物語から現在ではここが良縁と恋愛成就の聖地としてパワースポットとなっている。いつも観光客で賑やかなのだが さすがにこの天気では仕方ないか。
2024.03.06
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今日は所用で市役所へ行く予定だった。ひな祭りも過ぎ そろそろ一枚脱いでもよかろうとコートなしで外に出る。ところが雨が降り続けていた。なんとも寒い雨だこと。これではかなわない さっき脱いでいたコートをまた羽織ることに。結局 今日は市役所へ行くのを止めた。こんな天気の日は家に閉じこもるに限る。新聞を読んでいたら 今日は啓蟄であると どっかの公園で蕗の薹が芽を出したと 写真入りで紹介されていた。さすがに啓蟄の雨は寒い寒い。まだほんとの春は先のようだ。寒さ暑さは彼岸まで とはよく言い表されていると感心した。啓蟄とは 冬眠していた蛇や昆虫が穴から出てくるの意味らしいが こう寒くて強い雨ては。この寒い雨の中 庭に椿が蕾を付けているのを見つけたので 素早く撮影した。見ようとしていた プロ野球のオープン戦が雨のため中止なっていたので これ幸いと投稿した次第である。
2024.03.05
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近くの道の駅を訪れると 全ひな人形とその飾りが網羅された五段飾りが展示してあった。しかしすでに後片付けが始まっていたが。そこでその手を止めて撮影に協力していただいた。三人官女の下の段はすでに 箱のなかに納められているものもあり 歯抜けのようになっていたので撮影のフレームの外にして撮影したものであるが。どうやら三月二日と三日の間だけの展示のようだ。そういえば今日はひな祭りの日だったな。それに長い間ひな人形を飾っておくと 女の子なら婚期が遅れたり結婚しないまま一生をおくるかもと そんなジンクスを聞いたような。ほんとかどうかしらないけれど。ひな壇の横に この雛飾りを展示している説明の看板がおいてあったので読んでみると。あとは私の勝手な深読みと無責任な臆測になる。このひな人形一式は 近くに在住の方の所有で厚意で展示させていただいているものらしい。この方には娘さんがいて 幼いころより毎年飾っていたのだが 成長とともに飾らなくなってしまう。そのうちに結婚されて家を出て行ってしまった。それから随分長い間 物置に眠っていたもの。孫の為に譲ろうとしたが 転勤族のようでいつ引っ越しになるかも アパートも狭く飾る場所も無く 引っ越しに邪魔になるから断られたのかも。そこでひな祭りの日だけでも この道の駅に飾らしていただいて 幼きころの娘さんに似ているかもしれないひな人形の顔を眺めながら 遠くなってしまった想い出を偲んでいるのかも。そんな一句でした。
2024.03.03
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昨年の秋に訪れたお寺へ。もう住職とも馴染みになってしまったようだ。たしか秋に来たときは見事な紅葉の紅葉に撮影して 帰ってブログに投稿したのだが(2023年11月24日)。2月も下旬になると さすがに寒さの中にもどことなく春の気配を感じさせる。しかし寒い 思わず背中を丸めて境内へ入る。住職の言うには 例年ならまだ屋根からずり落ちた雪が背丈くらいにあるのだが 今年は暖冬のようで積み上げた雪が殆ど無いのだとか。しかし寒さは暖冬とは言え寒い。それでも玄関前の紅梅に気がつくと思わず丸めていた背中を伸ばして近寄ってしまう。少し散り始めていたが これぞ梅だと見入ってしまった。近くに白梅もあるが やはり紅梅から感じる気品に満ちた趣は早春の女王である。
2024.02.26
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想いありいにしえ人や春半ば 神話【因幡の白うさぎ】の白うさぎを御祭神とする神社が白兎海岸にあることはよく知られている。ところが ここから南東約20㎞のところに もう一カ所【白兎神社】が存在する。八頭郡八頭町福本の白兎神社である。一時どちらが 本社で分社なのか研究者で論じ合ったことがあるが いまだに決着つかず現在に至る。いつか何らかの資料が発見され決着付くと思うが なんとも楽しくなる歴史的ロマンである。なんとなく 卑弥呼の時代の【邪馬台国】探しを彷彿させるようで面白い。くわしいことは専門家に委ねることにする。 今日は久しぶりの快晴で暖かな日よりに誘われてこの 福本の【白兎神社】を訪れる。もちろん狛犬も兎となっている。白兎海岸の白兎神社は国立公園の中にあり観光スポットなので 行政の補助もありよく管理され立派である。ところがこちらは観光地ではなく 田んぼに囲まれてて一つポツンと寂しくて小さく質素なたたずまいの祠である。ところどころ朽ちて痛々しいほどである。地元の住民により細々と手入れされているらしい。昔は神社とはこんなものであったのではと思うが。私はこちらの神社の方が好きである。質素であるが地元住民の信仰が強くなければ存在できないと思うが。追記 UPさせて気がついた、なんと俳句の主題が表されていない、これはちょっと問題である。でも 写真を見れば一目瞭然であるので、これはセーフだと思う。と独断で身勝手な解釈であるが・・・。
2024.02.18
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2024.01.07
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この頃迷惑メールで困る 特に12月に入ると多くなってきた。税務署を語る詐欺メールにETC案内サービスからの偽メール。様々な銀行の名をかたる詐欺メール アマゾンからの偽メール。全て迷惑メールである。心当たりがなければ すぐに読まずに即削除 これに限る。年末の忙しさに 拍車を掛ける迷惑メール。困ったことだ。まさに師走だ 写真は庭にある木の実 名は知らないが 人間の事など知らぬかのよう。今年も律義に実をつけた。年末になると多忙になる何故だ。
2023.12.12
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冬季雷(とうきらい) 冬の季語 冬の海岸沿いに発生する気象現象 特に日本海側で起こるらしいこれは日本とノルウエイでしか見られない珍しい現象だとか。急に気温が下がり 雷が鳴り出し激しい雷雨にそして霰とか雪になることも。大陸からの強い寒気とまだ暖かい気流が高空でぶつかる現象らしい。電気工事関係者 特に高圧線管理している者とっては最大の試練になる。その落雷の威力は夏の雷の何倍もあるとか。冬季雷が始まるとかなり神経をとがらせて過ごしているとか。俳句の季語に 冬の 山眠る 春の 山笑う がある。これを今日の天気と樹木の現況を絡めて詠んでみた。庭の椿が咲き出した そして山茶花の蕾を見つける。でも直ぐ側には葉を落としながら眠りに就こうとしている樹木がある。まさに眠り行く者と笑う者が同居しているのではないかと思えてならない。これも自然の理ではあるのだが。急に雷が鳴り出したので慌てて家に入る。今年も来たか いよいよ冬も本番に もうすぐ師走に入る。
2023.11.29
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いざとばんこはるびよりぞたびたちぬやはり小雪を過ぎると低地でも 紅葉が一段と鮮やかさを増してきた。所用であるお寺を訪れると 境内の鮮やかな楓が目に入ったので 思わず写真を写す。よく見ると風と共に飛び立とうと思われる 楓の種を見つける。小春日和の今日 まさに いい日旅立ちではないか。先日亡くなった 谷村新司の歌を思い出す。「早く旅立てよ 明日からは急に寒くなるぞ」 と呟きながら 本堂に入っていった。
2023.11.24
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ストーブの炎ゆらゆら野球界今年もプロ野球の試合も全て終わり プロ行きを希望する者の新人指名会議(ドラフト会議)も終わる。 今度は引退を表明した者を除いた 本人の希望か それとも球団の都合なのかトレードとか戦力外通告を受けた者が野球界に残ることを選択した者の悲喜交々が始まった。当事者にとっては深刻な問題であり不謹慎かもしれないが 実に面白い。 これを野球関係者とかファンの間ではストーブリーグと呼ぶ。冬になりストーブに集まり野球談義をしながら 皆無責任で身勝手な予想するからこんな名がついたらしい。野球が好きな者にとっては誠に楽しいものだ。さて来春にはだれが どこの球団のユニフォームを着るのか実にわくわくしてくる。勝手にひいきにしている選手とか球団は特に気になる。そういえば MLBに行った大谷翔平は今年のMVPに選ばれたが FAになりどのチームとも自由に契約ができるようになった。なにしろ現在のMLBの最高の選手で有り 恐らく100年に一人の希有な存在であり 投打ともトップクラスであり どのチームも喉から手が出るほど欲しい選手である。ところがその契約金も桁違いな高額で有り さすがにそんなに出せる球団は少ない。それでも5~6球団の名が上がっているらしい。今年のストーブリーグは話題に事欠かないのだ。
2023.11.20
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いにしえのひとのありしとかくれでら もえつかれつつもみじぞしのぶ久しぶりに山間部の清徳寺を訪れる。この小さな鄙びた山寺は和同2年(709)行基により開山の古刹。ご本尊は百済より伝わった阿弥陀如来の仏像らしいが 当時は廃仏政策で壊されそうになり それを知った善光が信濃のお寺に移し難を免れたとか。それが今の『長野市の善光寺』である。現在もそこに安置されているらしいが。のちに源氏に敗れた平家の武将 小松氏が隠れ住んだとか(写真の五輪塔がその一族の墓) また幕府から逃れた 後醍醐天皇も一時隠れていたとか その時にお手植えされた銀杏の大木は天然記念樹木となっている。以後幾度かの火事で焼失 廃寺同然だったが 明治になり小松氏と善光の子孫により現在のお堂が再建され現在にいたる。またこのお寺は紅葉寺として有名であり 毎年多くの人が訪れるが いつも混雑していて出入りが大変である。週末はよく混むので平日に訪れたのであるが。境内には当番の管理人と携帯のエレクトーンを奏でていた御婦人と私の3人だけ。周囲を囲むような紅葉の中 静かにメロディーを聴きながら カメラのシャッターを押す。管理人によると紅葉の盛は過ぎて もう2週間早ければ最高だったとか。もっとも混雑を避けて今日になったのだから仕方はないが。おまけにてんきは曇ではどうも紅葉が映えないからもう一つである。直ぐに帰ったのである。帰ってから数日たち一首ヒネって今日投稿してみた。できはそれなりに。この鄙びたお寺の紅葉よ遙か昔の住人を覚えているのか もし覚えているなら教えてくれ。ちょっと気取って詠ってみた
2023.11.18
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最近 line と Yhoo が合併して lineYhoo(ラインヤフー)になった。あまり使わないのでどうでもいいのだが。それでも いつもラインで連絡してくる者がいて 登録していないと支障がでるので登録だけはしていた。無料であるのでほっといてもいいのだが。これからも継続して使えるようにするためには それなりの継続意思の届けが必要で それはラインのホームページで簡単にできる。これをしないと たしか 11月1日より使えなくなるらしい。すでに使えなくなっていたが。そこで今日 継続手続きをすましておいた。思ったより簡単にできたので肩すかしのようだ。利用することは滅多にないのだが それでも これで安心だ。
2023.11.10
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ついに立冬だ 11月に入ってもまだ冬とは言えず 投稿を控えていたが これで冬の季語が使える。この僅か数日の間の時間がなんとも艶めかしいものだ。やはり俳句は旧暦で11月の呼び名も昔の しもづき がしっくりくるようだ。暦で立冬の文字を見たら なぜか鍋が食べたくなった。それではとスーパーで食材を買ってきて 野菜と魚を切り 手っ取り早く簡単にできる 寄せ鍋を作ってみた。やはり冬の夜は鍋に限る。写真は公園で見つけたツワブキ。これも食用になるらしいが。初冬の花と言えばツワブキである。日増しに花が鮮やかになってきたような。今日は花より団子で ツワブキの句はまた今度。前記事もそうだが 今回の俳句も上五と下五を入れ替えたほうが良いとアップしてから気が付いた。あとの祭りである。
2023.11.09
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木の実の名は知らないが 一本の木に一つだけ隠れるように残ってる。まるで一人生き残った事への凱歌が聞こえそうだが。しかし 木の実は鳥についばまれるか動物に摘み取られ 種を遠くに運ばれる または 落ちて朽ち果てる事により大地に子孫を残し繁栄させることが責務である。しかし このままでは それも果たせないのではと思うが。それは悲しい事である。私的には哀歌に聞こえてくる。しかしここは公園である、人間がなんとかしてくれるだろう。
2023.11.04
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すえのあき いやひけりなる ちまたかな【弥日異り】とは 日が変わるごとになにかが昨日とは異なり変化しているという意味今日は文化の日 と言っても別に文化にちなんだ活動らしき事は実践していないから関係無いが。しかし考えて見れば この写真俳句・短歌はりっぱな芸術活動ではないかと思えるので これも文化の日に相応しいのではと一句詠み投稿した ブログに投稿作業中に日付が変わってしまったが。最初は季語を初冬としたが 立冬までは秋なので末の秋とする。今年の立冬は11月8日でもうすぐ。
2023.11.04
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今日から11月 気が付けばもう10ヶ月も投稿していなかった。ご無沙汰だったので忘れてしまい フォトショップで写真の編集に手こずる。できるだけ投稿しようと思ってはいるが。まあ気にせず気の向くままに続けようか。所用のついでに白兎海岸を訪れる 十一月は名ばかりの穏やかで暖かい日である。神話因幡の白うさぎの舞台である淤岐島も静かに佇んでいた。今日は汗ばむほどの暑さを感じる。これも地球温暖化の影響であろうか。やっぱり11月なら 11月らしい汐風であって欲しいものだ。
2023.11.01
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よのうれいじょうかせしめよしらゆきの 淨至週末の寒波襲来に、この冬初めての積雪を記録した。一面の雪化粧に、世の中が浄化されたのではと思うほどの神々しさを覚える。現在の国内外の様々な争いにコロナ禍など、あふれてくる憂いの情報に社会の虚しさを感じる。せめてこの雪が少しの間だけでも憂いを覆い被せて、忘れさせてくれないかなと思うばかりである。それから三日目、寒さも緩み少しずつ雪も消えてゆく。また景色が変わってきた。憂いも見えてくるような。大雪に見舞われた北国の人々はまだこれから雪との戦いが待っているのだが。
2022.12.20
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今週になってメッキリ寒くなった、あまりにも寒いので外には必要最小限しか外出しない。おかげで撮影の機会もなく投稿する記事もない。こまったものだ。それでテレビで今年のプロ野球の再放送ばかり見ている、そんな毎日である。お茶を飲みながらテレビを見ていて思ったのであるが、煎茶でも紅茶でもいれかたにより味がかなり変化することに気が付く。それではと水温計と100分の1グラムまで測定可能な計りを購入してきて、湯量も温度も淹れる時間も正確に計りお茶の袋の説明書き通りに試して飲んで見た。確かに今までの適当に目分量で淹れてた時よりも美味しくはなったが、どうも今度はそんな手間暇が面倒になった。結局また目分量で適当に淹れて飲んでしまう。それでもそれを続けていると少しづつ美味しく淹れれるようになった。他の方はどうかしらないが。そんな毎日で思ったのであるが。日本には有名なお茶の産地がある。たしか八女茶に静岡茶、宇治茶に知覧茶の四大産地、その他に生産量は少ないがお茶の産地がある。ではそのお茶は産地によりどんな味になるのだろうと思ったしだい。時々異なる産地のお茶を飲んでいるが、どうも私の舌ではその味は皆同じに感じてしまう。やはりその道のプロでなければ違いは判らないのだろう。結局一般の素人は飲んで美味しければ、産地にこだわる必要ないのだ。それに、日本茶にも玉露に煎茶に抹茶、焙じ茶に玄米茶、番茶に麦茶等々様々あるが、これに中国茶に紅茶にも産地とか加工法により様々ある、さすがにこれ全て飲める機会があるわけがないが、お茶は奥が深いと感じてしまった。
2022.12.16
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画像の木の実の名が判らなくて検索で探したが、結局判らず。画像に一句挿入してUPさせておいた。 年末になると、やけに赤い実の木が珍重されるのか、よく見かけるようだ。なんでも冬になると花の数がメッキリ少なくなる。それで赤い実の木を好んで植えるとか飾り、心だけでも寒さを凌ごうとしたのかと思う。いつのまにか正月の縁起物として定着したのかも。しかしそれは江戸時代までの話。明治時代になると西洋の文化の取り入れと共に温室も知られるようになり、あちこちで作られるようになると、冬でも春の花が見られるようになった。しかし定着した縁起物として、赤い実そのものを楽しむようになり現在に至るようだ。しかし野鳥にとってはエサの無くなった厳寒の野山で生き抜くためには、この赤い実は貴重な食料となり、危険を冒して人間の住む里に下りてきて食べる。よく知られているのが万両に千両だが、続いて百両、十両、一両なんかもあるらしい。しかしそれはこじつけの名で正式な名はあるのだが。だれかが勝手につけたのだろう。いろいろな赤い実は鳥に食べてもらいがために進化して赤くなったと聞いたことがある。それから南天の実は鳥にとっては好きではないらしい、しかしエサが無くなると好き嫌いといっておれず、最後には南天の実も食べるとか。食べられた実は消化されるのだが、中の種は消化されず糞として排出され、落とされた場所が運良く発芽に適しておれば、そこで子孫を増やしていくのである。
2022.12.10
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うさのかずさけばしるらむさざんかのちってはらせばまたさきちりぬ 淨至24節季の大雪に山茶花の花が咲いていた(上の画像)。下の画像はその二日前であるから寒い日が続いていたので、さすがに冬の花だ、このくらいでは関係無いのかな。山茶花は同じ木からいくつも蕾が出て来て咲けば散り、また咲けば散って行き、長く花期が楽しめる花として知られている。この人間の憂い、争い、煩悩の数、その荒(うさ)を捨てるかのように散ってゆくのかも。なんとも悲壮感というか淋しさを感じさせる花ではないか。
2022.12.08
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蜘蛛は一部の種を除き、初冬になると種を繋ぐ卵を産み一生を終わるらしい。だからその前に栄養を補給しなければならず食欲旺盛になる。このジョロウグモはまだ小さくて卵を埋める状態でないのかしらないが、梢の間に巣を張ってまだ頑張っている。もうすぐ冬将軍が来るぞ。それとも果敢に将軍に挑むのか。
2022.12.06
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12月になると、紅葉も枯れ葉に変わり、そして散って逝く。しかしまだ散らないぞと楓のど根性を見たような気がしたこの写真。我が身は朽ち果ててはいるが、途中のやはり朽ちようとしているが、まだ小枝にへばりついている楓の葉にひかかり、かろうじて落ち葉にならずにすんでいる楓の葉。人間にもこんな人物がいたような。結局は一緒に落ちるのだが。まさに強者の最後のあがらいかも。
2022.12.05
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今日はどうも天気が不順である。昨日も午前は快晴であったが、午後には曇ってきて夕方には雨になる。一晩中断続的であるが、小雨が降っていたようだ。朝になっても変わらず厚い雲に覆われた空から、時々小雨が降る。気温も低いままだ。北の国からは雪の情報があった。雪にはならなかったから良いとしよう。最近の山茶花は咲き出すのが少し遅くなって来たような気がする。我が家の庭だけの現象かもしれないが、それとも地球温暖化の影響なのか。それでも同じ庭に枯れ木と、これから咲こうとしている元気のいい木が同居しているとは、実に面白い。
2022.12.04
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2022.12.03
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2022.12.02
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じゅうにがつ らぼくのしたに てんかかな十二月の初日は、朝から風雨強く気温も低くさすがに冬らしくなってきた。家から外に出ることちょっと億劫気味。そこで暇に任せてもう今日はもう一句投稿することにした。数日前の小春日和の日に撮影していた、ツワブキの花である。いつも木の下で影になり目立ないので、だれも気が付いてくれなかったのではと思う。木の葉が落ちてやっと日の目をみたようで喜んでいることだろう。でも盛は過ぎて花びらも欠けているものもある。これでは投稿には使えないと没にしていたが、この際せっかくだから使うことにした。この花を見つけた時の様子を俳句に詠んでみた。まさにもうすぐ散ってしまうのだが、それでも僅かな間だが天下を取ったかのような心地だろう。まるで明智光秀の三日天下のような。十二月と裸木で重季になっているが、上句に十二月、中句に裸木を持ってきた。この場合は十二月が強いと思われる。従って十二月を季語とすると判断した。
2022.12.01
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画像は無料素材サイトよりダウンロードさせていただきました今日より12月、師走柵の日。新聞の折り込みチラシで見つけた、どっかのスーパーの野菜の売り込み宣伝。その中に画像なしのセロリが紹介されていた。今でこそ珍しくはない野菜ではあるが、何でも普通に出回り始めたのは昭和30年頃らしい。私がまだ幼い頃に初めてセロリを食べた、その味と食感に、美味しいとは思えずはき出ししまった記憶がある。他にもこんな味は好きになれず野菜嫌いになってしまった子供もいる、たとえばピーマンとか人参とか。ところがある一定の年齢になると逆に好きになる者もいる。私もその一人になるだろう、大好きとは言えないが。軽く茹でて食べると最高である。また他の野菜と一緒にサラダとして生で食べても美味しい。子供の頃とは様変わりしてしまった私である。
2022.12.01
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