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新聞で東郷池湖畔のアヤメヶ池公園の花菖蒲が見頃になった事を知り、さっそく撮影に行く。確かに公園には3000本と言われる、アヤメとかカキツバタに花菖蒲が見頃を迎えていた。多くの見物客が、思い思いに花を愛でながら楽しんでいた。ところが、私にはどれがアヤメかカキツバタまた花菖蒲なのか判らない。公園の入り口に説明板があり解説してあったが、見分けができない。なんでも江戸時代に菖蒲はサムライの勝負に繋がるとして、武家の庭に植えられてその出来映えを競っていたらしい。それが庶民にも広まり一大ブームとなる。それが元々日本に生えていたカキツバタとか同じ種類に近い花を様々交配させて、現在のような花菖蒲になる、しかしどれも同じように見えて、素人には区別ができない。どっちにしろ、その姿は正に和服姿美人で見ていてあきない。別名、水辺の顔佳花である。ところがこの花はもうすぐ見られなくなってしまう、満開になると花びらだけを摘み取るのだ。そうすると花の根っこに栄養分が蓄積され、球根が太り大きくなり、来年に咲く花も大きくなるらしい。それを何世代も続けることで、花びらがより大きく立派な品種になるとか。人間の価値観で大きくされるのもかまわないが、花にとっては大きなお世話ではないかと思うが。
2024.06.10
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今日はどうも天気が不順である。昨日も午前は快晴であったが、午後には曇ってきて夕方には雨になる。一晩中断続的であるが、小雨が降っていたようだ。朝になっても変わらず厚い雲に覆われた空から、時々小雨が降る。気温も低いままだ。北の国からは雪の情報があった。雪にはならなかったから良いとしよう。最近の山茶花は咲き出すのが少し遅くなって来たような気がする。我が家の庭だけの現象かもしれないが、それとも地球温暖化の影響なのか。それでも同じ庭に枯れ木と、これから咲こうとしている元気のいい木が同居しているとは、実に面白い。
2022.12.04
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近くの道の駅を訪れると 全ひな人形とその飾りが網羅された五段飾りが展示してあった。しかしすでに後片付けが始まっていたが。そこでその手を止めて撮影に協力していただいた。三人官女の下の段はすでに 箱のなかに納められているものもあり 歯抜けのようになっていたので撮影のフレームの外にして撮影したものであるが。どうやら三月二日と三日の間だけの展示のようだ。そういえば今日はひな祭りの日だったな。それに長い間ひな人形を飾っておくと 女の子なら婚期が遅れたり結婚しないまま一生をおくるかもと そんなジンクスを聞いたような。ほんとかどうかしらないけれど。ひな壇の横に この雛飾りを展示している説明の看板がおいてあったので読んでみると。あとは私の勝手な深読みと無責任な臆測になる。このひな人形一式は 近くに在住の方の所有で厚意で展示させていただいているものらしい。この方には娘さんがいて 幼いころより毎年飾っていたのだが 成長とともに飾らなくなってしまう。そのうちに結婚されて家を出て行ってしまった。それから随分長い間 物置に眠っていたもの。孫の為に譲ろうとしたが 転勤族のようでいつ引っ越しになるかも アパートも狭く飾る場所も無く 引っ越しに邪魔になるから断られたのかも。そこでひな祭りの日だけでも この道の駅に飾らしていただいて 幼きころの娘さんに似ているかもしれないひな人形の顔を眺めながら 遠くなってしまった想い出を偲んでいるのかも。そんな一句でした。
2024.03.03
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今日は所用で市役所へ行く予定だった。ひな祭りも過ぎ そろそろ一枚脱いでもよかろうとコートなしで外に出る。ところが雨が降り続けていた。なんとも寒い雨だこと。これではかなわない さっき脱いでいたコートをまた羽織ることに。結局 今日は市役所へ行くのを止めた。こんな天気の日は家に閉じこもるに限る。新聞を読んでいたら 今日は啓蟄であると どっかの公園で蕗の薹が芽を出したと 写真入りで紹介されていた。さすがに啓蟄の雨は寒い寒い。まだほんとの春は先のようだ。寒さ暑さは彼岸まで とはよく言い表されていると感心した。啓蟄とは 冬眠していた蛇や昆虫が穴から出てくるの意味らしいが こう寒くて強い雨ては。この寒い雨の中 庭に椿が蕾を付けているのを見つけたので 素早く撮影した。見ようとしていた プロ野球のオープン戦が雨のため中止なっていたので これ幸いと投稿した次第である。
2024.03.05
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黄水仙が咲いているのを見つける。群生して宴を開いているのかも。なぜか皆うつむいているばかり なにか心配事があるのか。そう言えば 水仙の花言葉は【自己愛】【うぬぼれ】であることを思い出した。それはギリシャ神話から来ているらしい。ギリシャにナルキソッスという美青年がいた。彼に一目惚れをした妖精【エコー】は交際を申し込み仲よくなったらしい。ところがそれを見ていた復習の女神【ネメシス】が嫉妬をして彼に自己愛の呪文をかけたとか。それからはナルキソッスは水面に写る自分の姿を愛するばかりで【エコー】を相手にしなくなった。悲しみのあまり【エコー】はどっかに身を隠し姿が見えなくなったてしまった。しかし呼べば返事をしてくれるのだが。これがエコー(日本名こだま)の語源らしい。これらの経緯をしったオリンポスの神々は怒り 彼に罰を与えたとか。以後 彼は水面に写った自分自身しか愛せなくなり 自分に会おうと落ち溺れ死んでしまった。そしてその生まれ変わりが水辺に咲く水仙らしい。水仙になった今でも いつも下を向いて水面に写った自分ばかり見ているとか。これが語源となり 自己中心的なうぬぼれをナルシストと呼ぶようになったとか。そんなナルシストの宴である さぞかし面白くもないことだろう。だから皆うつむいているのだろうか。笑い・・・黄水仙は冬の季語であるから 春の宴とした。ただ黄水仙の花言葉は(もう一度愛してください)とか。まだうぬぼれが強いのかも。水仙の別名は【雪中花】春を呼ぶ花なのだが。
2024.03.09
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今日は花の金曜日、桜あるところ花見客で賑やかだろう。特に天気は最高、春らしい陽気に穏やかな日よりである。さぞかし人で一杯で溢れんばかり。老弱男女が陽気に騒いで、これぞ人ゴミ如き。しかしこれに誰も気づいていない。でもこれでいいのだ、今日は花見日和、みんな陽気に騒ごう、ゴミになろう、もうすぐ桜が散るぞ。
2024.04.05
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今日は朝から雨、断続的に小雨が降り続き少し肌寒さ感じる。それでも、昼過ぎに雨が止んだのを見計らってスーパーに行く。そそくさとカートにめぼしい物を入れてレジに行こうとしたら、笹ちまきが陳列してあるのに気がつく。そう言えば、今年のちまきまだ食べてないのを思い出し、カートに入れる。夕方になり、ちまきを撮影して食べながらPCに向かい、キーボードを叩いている。ちまきをほどきながら、ほおばれば昔の事ばかり思い出す。それが昔の味と今の味が、心なしか違うような気がするのだ。昔といっても60年くらいの昔だが、もう少しこくのある薄味の品のある甘さだったような、それが今はただ甘さを強くしただけのような、私の味覚が変なのかなとも思えるが、味覚の感じ方は個人差が著しいと聞いているからなんとも言えないが、昔と今の味を比べながら、一句詠んだ追伸 UPして気が付いたのだが、ちまきは夏の季語であった。もう遅いから修正はせず、お許しください。四月尽 に因んだ句にすればよかった。またもや間違いに気がつき、追伸の追伸。漢字の使い方であるが。【廻る】は まわるであり、少しニュアンスが異なるようだ。この句の場合は、【巡る】めぐるが正しいようだ。意味は同じであるが、廻るは同じ場所をまわって行き、元の所へ帰ってくる事、回ると同じ。ところが、巡るは同じくまわってくることであるが、それには探究心とか冒険心とか探索とか、なにか別のものを求めて回る意味があるらしい。漢字の持つ意味は奥がある、使うのが難しいものだ。
2024.04.30
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気ままに、下手なら下手なりに俳句・短歌などを楽しんでいます。さて始めましょうか。騒音も空に溶けゆき稲刈機 淨至今日は朝から快晴、誠に凌ぎやすい快適な日である。水田地帯では、稲刈りの真っ最中でコンバインがフル稼働。畦のコスモスが風に揺れている。それにしても、真っ青な空にコンバインの音も吸い込まれているような。こんなに暖かくて、よく晴れた日はこれからは滅多にないだろうな。
2019.10.10
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木の実の名は知らないが 一本の木に一つだけ隠れるように残ってる。まるで一人生き残った事への凱歌が聞こえそうだが。しかし 木の実は鳥についばまれるか動物に摘み取られ 種を遠くに運ばれる または 落ちて朽ち果てる事により大地に子孫を残し繁栄させることが責務である。しかし このままでは それも果たせないのではと思うが。それは悲しい事である。私的には哀歌に聞こえてくる。しかしここは公園である、人間がなんとかしてくれるだろう。
2023.11.04
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白兎海岸の白兎神社本殿 今日の白兎海岸淤岐島御手洗池(不増不滅の池) 神社入り口で見つけた 大国主命とサメ(ワニ)に乗った白うさぎの張り子の像昨日予定していた 市役所へ行く予定が止みそうにない冷たい雨に断念した。今日は雨もたいしたことないので市役所へ。さて所用も終わり帰りに白兎海岸へ足を伸ばした。2月18日に投稿したが もう一つの白兎神社を訪れたが やはりこちらの神社へも参拝の必用があるだろうと思ったしだい。やはり天気が悪いと参拝客もない深閑としている。一人貸し切りのようだ。それでももう一つの白兎神社とはまったく違う 大きく綺麗で立派だ やはり参拝客の差でこうも違ってくるのかなと思う。お客様は神様としかいいようがない。淤岐島とか御手洗池とかはよく知られているから説明の必用ないと思うが。石段を降りるとカカシような人形があったのでよく見ると なんと大国主命(七福神の大黒様ではない よく間違われる)と因幡の白うさぎがワニ(サメ)に乗った張り子だった。かなりユーモアのあるお姿だ。恐らく観光協会の関係者か近くの有志が作ったものだろう。おもわず笑ってしまった ちょっと失礼かな お許しください大国主命と白うさぎ。古事記ではこれが縁で大国主命は因幡の絶世の美女【八上姫】と結ばれることになるらしい。まことにハッピーエンドな神話である。この物語から現在ではここが良縁と恋愛成就の聖地としてパワースポットとなっている。いつも観光客で賑やかなのだが さすがにこの天気では仕方ないか。
2024.03.06
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今日は四月一日、、四月朔の日、そしてエイプリルフールであるが、私にはなんの関係もない。ただいつもの一日の時間が過ぎるだけである。といっても人間社会は会計年度が令和5年度がから6年度へと移ろう大事な節目の日であり。市民生活の諸事が今日を起点に大きく変化する艶めかしい日でもある。たしか三月二九日に桜が開花したと新聞で報じられていたが、まだ桜を見に行ってない。ちょうどテレビでは大リーグの野球中継にプロ野球の開幕戦に高校野球選抜に大相撲と見たい番組が一日中続き、桜のことすっかり失念していた。正に連日、スポーツ観戦三昧であった。選抜は群馬が優勝して終了。今日は午前中で大リーグ中継が終わり、プロ野球は移動日で試合がないので午後は久しぶりに所用で外出。ついでに城跡大手門入り口にある、気象庁指定の桜の標準木を撮影に行く。鳥取はこの桜で開花予想をしているらしい。ここ数日春らしいぽかぽか陽気で、ソメイヨシノはすでに満開で見頃になっていた。やはりこのあたりでは一番の古木で咲くのも早い、たしか樹齢は二百年以上らしいが、幹には苔で覆われている。他の若い桜はまだ蕾が開きかけくらいである。これだと次の嵐がくれば花散らしになるかも。ただ私はこの季節になると、クシャミがよく出る。花粉症ではないが。どうも黄砂に反応しているようでゆううつになる。新聞でも大陸より黄砂が到達して空が少し黄色に見えるとか。ついでにPM2.5まで、まねかねざる客に翻弄されそうだ。そこで久しぶりに短歌風に一首詠んでみた。さてもう一つ、この投稿している画像であるが、今まではかなり古いフォトショップエレメンツで編集していたが、今日からはGINPに変更して編集している。従って少し画像が今までより趣が変わって見えるかも。何しろ無料で最新のソフトが使えるので助かる。フォトショップEが悪くなったせいではなく、そろそろフォトショップEを最新のものに替えようかと、PCコーナーのソフトを見に行くと値段が急に値上がりしていて、手を出すのがちょっとはばかれる。そこでGINPをインストールして使うことにした。もう半年くらい前のことである。最初使い勝手が異なり死苦八句していたが、少しづつ慣れてきて、なんとか使えるようになったので、初めて投稿に使ってみたのだ。
2024.04.01
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どこに行っても、桜のある所は人ばかり。花見は悪いことではないが、この人ゴミとも言える場所にそんなに行きたくないし、ゆっくり花を愛でる事もできない。どこか人のいない花がゆっくり愛でる場所がないか想い廻らした結果。牧谷の又助池を思い出した。ここはカキツバタの群生地で、まだ時期が早いから静かなはずだ。連休の頃になると花が咲き始め、ここも人出で騒がしくなる、おまけに有料になるから今なら人がこないし無料だ。さっそく今日も花見日和の天気に車を走らせる。到着してみると、やはり人は居ないが花もない。水辺の麗人は、この穏やかな陽光に緑葉の中で、春眠をむさぼっているようだ。 ただ早くお目覚めのお方が一輪だけ。影に隠れるように、さぞかし恥ずかしかったのか。ところがその近くにスノーフレークが数輪たむろしていた。一人寂しかったので、話し相手を探していたのかも。
2024.04.08
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冷蔵庫を開けて気が付いた、桜餅を買って置いていたこと忘れてた。賞味期限がすでに切れて三日過ぎている。食べるべきか迷ったが、賞味期限と消費期限では意味が違っていること思い出した。たしか賞味期限は美味しく頂ける期限であり、食べれないわけではない、ただし味は落ちるが。消費期限は期限が過ぎると消費できない、つまり食べるなという意味。どうも農林水産省と厚生労働省の縄張り争いと考え方により、こんな紛らわしい表現になっているらしい。どちらも直接口に入るもの、統一してくれたら有り難いが。結局、捨てるのももったいないので、撮影して食べてしまった。食感は、表面は硬くて少しごわごわしている、中のあんこはまだ柔らかい。味は、さすがに少し物濃きさが感じるが食べるには問題なさそう。身体に異常はない。それでも頬張るたびに、子供の頃を思い出した。育ったのが小さな漁村だったが、新鮮な海の幸はいつでも食べれたが、山の幸は時々であった。子供の頃は甘いものが食べたい盛り、特にこんな桜餅は滅多に食べれないしろもの。最高のお八つであった事を思い出す。少々硬かろうが不味かろうが関係無く、喜んで食べたものだ。現在は、スーパーに行けば年中手に入る、不味ければ食べる気がしない。やっぱり飽食の時代なのか。
2024.04.22
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佐保姫の歌声ひびけ山河あり 淨至今日は、朝から晴れで昨日よりは気温が上がったようだが、それでも風が吹けば肌寒い。公園で今年初めての、土筆を見つける。日当たりの良い南向きの斜面は、さすがに早いようだ、日当たりの悪い場所はまだまだ。佐保姫はやっと、因幡にも春を手配してくれたようだ。土筆が出れば、春の訪れを強く感じる。梅も春を感じさせるが、それも寒さと同居の中の早春の趣がある。土筆には、もう少し暖かい春暖を感じさせるのは、私だけではあるまい。
2019.03.08
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ひぐらしや肌にもやさしめぐみ雨 淨至昨日からの久しぶりのまとまった雨に、大地も樹木も一息ついているようだ。九州地方では、大雨の警報が出ているのに不謹慎かもしれないが、ともかく恵みの雨だ。この雨とともに猛暑も真夏日も消え気温27度と比較的凌ぎやすくなった、夏日である。小雨の続く公園の姫リンゴには、今年も小さな実のりに秋の訪れを示していた。それでも、この雨の中、近くの森からアブラゼミの蝉時雨はなんとも暑苦しく感じる。ところが。急にカナカナとヒグラシの声が聞こえた。ヒグラシは夏の終わり頃になると鳴き出すらしい。その声にはそれとなく哀れみと、つかの間の涼感を感じさせる。そして肌に当たる雨つぶに、視覚に触角と聴覚から、猛暑に耐えてきた身体より吐息が聞こえそうである。
2019.08.29
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下手なら下手なりに短歌・俳句など、心赴くままに巣籠もりや 光欲すれど 梅雨の空 淨至コロナコロナで外出はできるだけ避けて家の中に閉じこもる。いわゆる巣籠もりの筐体が続いて、もう5ヶ月経ってしまった。そろそろ限界に近づいてきたようだ。それでも、生活必需品の調達に近くのスーパーには行ったのだが。そして気分転換に近くの公園を散歩する、勿論マスク付けて。しかしそれも億劫になってしまう。昨日、中国地方が梅雨に入ったもようと当局の発表。さすがに梅雨の空だ、朝からドンヨリした曇りにシトシトと小雨が降り続く。これでは外に出るのもはばかれる。庭の紫陽花が三つくらい咲いて居るのに気がつく。さすがに雨の女王だ、梅雨入りとともに咲き出した。今年も憂鬱な季節がきた。気が滅入ってしまいそうだ、どっかでストレスの発散しなければ。サンサンと輝く太陽の光の中、マスクなしで思いっきり歩きたいものだ。
2020.06.11
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ふゆざるるあしをとめさすいのちかな 淨至野山は冬が深くなりつつあるようだ すっかり紅葉は色あせていく それでもまだ最後の命を燃やしている木々もあるようだが これを冬ざるると言うのであろうか いや 標高の高い山はそうでもこの低地の平野部はまだ早いのかもしれないが 山間地の遊歩道はすでに枯れ葉で覆われている歩いていると ふと足を留めさせる小さな赤い実を見つけた どうも冬苺のようだ 小春日の陽光に当てられてまだ元気そうである 周辺の冬模様の中 ささやかではあるが命の炎をまだ燃やしているような 頑張れよとエールを送りたくなった今回はPhotoScapeというフリーソフトを久しぶりに使って投稿した今まではPhotoShopElements(PSE)を使っていたが かなり古いバージョンで たまには他のソフトも使ってみようかと思ったしだい 最新のPSEでもいいのだがさすがに有料は避けたいので 他に無料のソフトがいくつか検索で見つかったので 試してみようかと思う
2022.11.17
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11月とは思えぬ程の暖かさの日 これぞ小春日和といううのだろうこの陽気に誘われて 湖山池湖畔の公園に行ってみた花がメッキリ減って来て ここならまだ咲いているかも花が咲いているかもと思えば行って見たくなる これも性というのかもやっと見つけた 確か磯菊ではと思うカメラを向けると 蜂が留まっていた近づいても逃げようとしない 蜜の取り込みに集中して気が付かないのかそれとも 気温が低いため身体が動けないのか確か蜜蜂には西洋蜜蜂と日本蜜蜂があるらしいが私には区別つかない冬でも花があれば行かねばなるまい これも蜂の性(本能)なのかも
2022.11.26
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じゅうにがつ らぼくのしたに てんかかな十二月の初日は、朝から風雨強く気温も低くさすがに冬らしくなってきた。家から外に出ることちょっと億劫気味。そこで暇に任せてもう今日はもう一句投稿することにした。数日前の小春日和の日に撮影していた、ツワブキの花である。いつも木の下で影になり目立ないので、だれも気が付いてくれなかったのではと思う。木の葉が落ちてやっと日の目をみたようで喜んでいることだろう。でも盛は過ぎて花びらも欠けているものもある。これでは投稿には使えないと没にしていたが、この際せっかくだから使うことにした。この花を見つけた時の様子を俳句に詠んでみた。まさにもうすぐ散ってしまうのだが、それでも僅かな間だが天下を取ったかのような心地だろう。まるで明智光秀の三日天下のような。十二月と裸木で重季になっているが、上句に十二月、中句に裸木を持ってきた。この場合は十二月が強いと思われる。従って十二月を季語とすると判断した。
2022.12.01
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12月になると、紅葉も枯れ葉に変わり、そして散って逝く。しかしまだ散らないぞと楓のど根性を見たような気がしたこの写真。我が身は朽ち果ててはいるが、途中のやはり朽ちようとしているが、まだ小枝にへばりついている楓の葉にひかかり、かろうじて落ち葉にならずにすんでいる楓の葉。人間にもこんな人物がいたような。結局は一緒に落ちるのだが。まさに強者の最後のあがらいかも。
2022.12.05
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画像の木の実の名が判らなくて検索で探したが、結局判らず。画像に一句挿入してUPさせておいた。 年末になると、やけに赤い実の木が珍重されるのか、よく見かけるようだ。なんでも冬になると花の数がメッキリ少なくなる。それで赤い実の木を好んで植えるとか飾り、心だけでも寒さを凌ごうとしたのかと思う。いつのまにか正月の縁起物として定着したのかも。しかしそれは江戸時代までの話。明治時代になると西洋の文化の取り入れと共に温室も知られるようになり、あちこちで作られるようになると、冬でも春の花が見られるようになった。しかし定着した縁起物として、赤い実そのものを楽しむようになり現在に至るようだ。しかし野鳥にとってはエサの無くなった厳寒の野山で生き抜くためには、この赤い実は貴重な食料となり、危険を冒して人間の住む里に下りてきて食べる。よく知られているのが万両に千両だが、続いて百両、十両、一両なんかもあるらしい。しかしそれはこじつけの名で正式な名はあるのだが。だれかが勝手につけたのだろう。いろいろな赤い実は鳥に食べてもらいがために進化して赤くなったと聞いたことがある。それから南天の実は鳥にとっては好きではないらしい、しかしエサが無くなると好き嫌いといっておれず、最後には南天の実も食べるとか。食べられた実は消化されるのだが、中の種は消化されず糞として排出され、落とされた場所が運良く発芽に適しておれば、そこで子孫を増やしていくのである。
2022.12.10
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すえのあき いやひけりなる ちまたかな【弥日異り】とは 日が変わるごとになにかが昨日とは異なり変化しているという意味今日は文化の日 と言っても別に文化にちなんだ活動らしき事は実践していないから関係無いが。しかし考えて見れば この写真俳句・短歌はりっぱな芸術活動ではないかと思えるので これも文化の日に相応しいのではと一句詠み投稿した ブログに投稿作業中に日付が変わってしまったが。最初は季語を初冬としたが 立冬までは秋なので末の秋とする。今年の立冬は11月8日でもうすぐ。
2023.11.04
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いにしえのひとのありしとかくれでら もえつかれつつもみじぞしのぶ久しぶりに山間部の清徳寺を訪れる。この小さな鄙びた山寺は和同2年(709)行基により開山の古刹。ご本尊は百済より伝わった阿弥陀如来の仏像らしいが 当時は廃仏政策で壊されそうになり それを知った善光が信濃のお寺に移し難を免れたとか。それが今の『長野市の善光寺』である。現在もそこに安置されているらしいが。のちに源氏に敗れた平家の武将 小松氏が隠れ住んだとか(写真の五輪塔がその一族の墓) また幕府から逃れた 後醍醐天皇も一時隠れていたとか その時にお手植えされた銀杏の大木は天然記念樹木となっている。以後幾度かの火事で焼失 廃寺同然だったが 明治になり小松氏と善光の子孫により現在のお堂が再建され現在にいたる。またこのお寺は紅葉寺として有名であり 毎年多くの人が訪れるが いつも混雑していて出入りが大変である。週末はよく混むので平日に訪れたのであるが。境内には当番の管理人と携帯のエレクトーンを奏でていた御婦人と私の3人だけ。周囲を囲むような紅葉の中 静かにメロディーを聴きながら カメラのシャッターを押す。管理人によると紅葉の盛は過ぎて もう2週間早ければ最高だったとか。もっとも混雑を避けて今日になったのだから仕方はないが。おまけにてんきは曇ではどうも紅葉が映えないからもう一つである。直ぐに帰ったのである。帰ってから数日たち一首ヒネって今日投稿してみた。できはそれなりに。この鄙びたお寺の紅葉よ遙か昔の住人を覚えているのか もし覚えているなら教えてくれ。ちょっと気取って詠ってみた
2023.11.18
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ストーブの炎ゆらゆら野球界今年もプロ野球の試合も全て終わり プロ行きを希望する者の新人指名会議(ドラフト会議)も終わる。 今度は引退を表明した者を除いた 本人の希望か それとも球団の都合なのかトレードとか戦力外通告を受けた者が野球界に残ることを選択した者の悲喜交々が始まった。当事者にとっては深刻な問題であり不謹慎かもしれないが 実に面白い。 これを野球関係者とかファンの間ではストーブリーグと呼ぶ。冬になりストーブに集まり野球談義をしながら 皆無責任で身勝手な予想するからこんな名がついたらしい。野球が好きな者にとっては誠に楽しいものだ。さて来春にはだれが どこの球団のユニフォームを着るのか実にわくわくしてくる。勝手にひいきにしている選手とか球団は特に気になる。そういえば MLBに行った大谷翔平は今年のMVPに選ばれたが FAになりどのチームとも自由に契約ができるようになった。なにしろ現在のMLBの最高の選手で有り 恐らく100年に一人の希有な存在であり 投打ともトップクラスであり どのチームも喉から手が出るほど欲しい選手である。ところがその契約金も桁違いな高額で有り さすがにそんなに出せる球団は少ない。それでも5~6球団の名が上がっているらしい。今年のストーブリーグは話題に事欠かないのだ。
2023.11.20
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昨年の秋に訪れたお寺へ。もう住職とも馴染みになってしまったようだ。たしか秋に来たときは見事な紅葉の紅葉に撮影して 帰ってブログに投稿したのだが(2023年11月24日)。2月も下旬になると さすがに寒さの中にもどことなく春の気配を感じさせる。しかし寒い 思わず背中を丸めて境内へ入る。住職の言うには 例年ならまだ屋根からずり落ちた雪が背丈くらいにあるのだが 今年は暖冬のようで積み上げた雪が殆ど無いのだとか。しかし寒さは暖冬とは言え寒い。それでも玄関前の紅梅に気がつくと思わず丸めていた背中を伸ばして近寄ってしまう。少し散り始めていたが これぞ梅だと見入ってしまった。近くに白梅もあるが やはり紅梅から感じる気品に満ちた趣は早春の女王である。
2024.02.26
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今日は東日本大震災発生から13年。各地で追悼式が行われていることだろう。あのとき私はどうしていたのだろうか。思い出してみると 京都にいたのであるが。我が家の菩提寺の本山が京都であり その本山で三泊四日かけて ささやかな修行を遂行していたが その最後の日の終了式が終わり車で帰路に就いて30分も経ってない頃だと思う。たしか地震発生したのが3月11日午後2時46分だから そうだと思う。だから午後9時に我が家に帰宅するまで地震の事はまったく知らず驚いた事を覚えている。それからはテレビに釘付け 絶えず放映されていく惨劇とその甚大な被害の有様に 声も出せずただ呆然とテレビを見ていた。自分ではどうすることもできないが せめてと画面に向かって手をあわせ本山で修行の通り【何阿弥陀仏】 と唱えていた。それから数日間はその繰り返しである。そうかあれから13年かと 改めて思い出せば まだ避難生活をされている人たちのこと また 二万人近くの犠牲になられた方 まだ2500名余の行方不明者の事を考えるに心がいたたまれない。それに今年の元旦の能登半島地震の発生により多数の犠牲者も出ており まさしく日本は地震大国であると有り難くない名をいただいている。これらの地震で不幸にも犠牲になられた方々には 心より哀悼の意を述べたいと思う。合掌念仏を 唱えて思う 弥生月 忘れ得ずして また手を合わせ 淨至 写真は省略 久しぶりに短歌にして投稿した。ちなみに 淨至 は修行のさい本山から授かった法名である。以来 様々なところで 号として使わせていただいている。
2024.03.11
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彼岸が明けても寒さが残る。そしてこの長雨には 恨めしく空を眺めるばかりのこの頃。今日も雨 一晩中ふっていたが 朝からまだ降り続けるばかり。外出も躊躇してしまうのは私だけではあるまい。これを菜種梅雨と呼び、春の季語となっている。さてこの長雨には水鳥も困っているようす。水鳥は、と言っても鳥類全体に言えることだが、尾羽の付け根に油を分泌する器官があるらしい。それをくちばしで取り 体中の羽根に塗りたくり 水をはじきまた防虫により身体の健康を保っているらしい。特に水鳥はこの油のおかげで水に沈むこと無く 水面を自由に動き回れるとか。だから 油の分泌が少なくなると溺れる水鳥もあるらしい。時々陸に上がって羽根を繕うのである。ところがこう雨が続くと絶えず羽根の油が流されてしまい 羽根の繕いの回数が多くなる。そのため雨の当たらない場所に移動しては羽繕いをしている場面をよく見かける。それに気が付かず近くを通りかかった私の前を一斉に飛び去った鴨の群れ。そこをシャッターチャンスとばかりに撮影した。気が付かなかったとはいえ 鴨には悪いことしたかな。
2024.03.26
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彼岸も明けていよいよ春も本番であるはずだ。なぜか今年はまだ寒さが残って 心ウキウキととはいかないようで。二日連続も甲子園選抜が冷たい雨で順延となり 野球ファンをがっかりさせたようだ。今年は我が郷土代表が選ばれなかったので 興味がいつもより下がっていて 私的にはそれほどガッカリ感はないが。といってもさすがに順々決勝くらいになると熱が上がってくるとは思うが。所用の帰りに湖山池の公園へ足を伸ばす。公園入り口にある小さな木の橋が修理工事されている最中で 右半分が通行止めになっていた。朽ち果てようとしていた板が外され新しい木の板に交換されてようとしていた。これから暖かくなると入園者が増えてくるので それまでに交換するのだろう。事故防止には最善の処置である。今日は時々小雨が当たるくらいで 彼岸のあの真冬並の寒さではないが やはり寒い。一週間前に来たときとあまり代わり映えしない景色。それでもなにか春を告げる変化がないかと歩いて見たが さすがにあの寒さでは皆ちぢこまってしまい また冬モードになってしまったのかな。仕方ないので帰ろうと引き返し歩いていると 黄色の花の木を発見した。最初ロウバイかマンサクかと近づいて行くと 急に羽音がして中型の鳥が一目さんに飛び去ってしまった。突然のことでびっくりして鳥の種類までは確認できなかったが。花をよく見ると見たことのない花である。帰って図鑑で調べるとどうやらミツマタのようである。ミツマタの開花時期は3月中旬から4月中旬というからちょうど今頃である。ただし開花期間はかなり短く2週間から3週間と説明してあった。ちょうど開花時期でないとみられないそうだ。道理で今まで見たことなかったのだ。ご存じの通りミツマタは和紙の原料である。因幡でも和紙の工房があり【因州和紙】として知られている。花が何もないが このミツマタの花で確かに春を感じたのである。そして飛び去った鳥の羽音にもどこかしら春の優しさのようなものを感じたのであるが。
2024.03.25
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今日は朝から雨。せっかく咲いた桜もこの雨では花見客はいない。やさしい春の雨である。散ることもなく静かに佇んでいるよう。つかのまの静寂を楽しんでいるのかも。この雨は生けるものにとっては恵みの雨であり、芽吹いて成長を育むやさしい雨でもある。花見を予定していた花見客とそれを当て込んでいた業者は恨みの雨でもあるが。
2024.04.03
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今日は公民館の行事として花見ウオークに参加する。何故参加した言うと、参加者には弁当付きというサービスがあるから、こんな打算的な考え方で参加してもいいのかと思うが。まあ参加すれば主催屋も喜ぶので良いことにしよう。先着35名までの限定ではあるが。現在どこもかしこも桜がほぼ満開、昼が近くなると桜のあるチョットした広場があるとすぐシートを広げて場所取りである。天気もまさに花曇りというか薄曇りの中、午前9時には公民館を出発。目的地まで桜のトンネルを解説者の説明を受けながらウオークである。市内も中心を流れる袋川にの土手に沿って2キロ以上続く桜土手、桜の季節になると市民の花見の会場になり、歩くのもどっかのシートを踏まないか気を使いながら歩かなければならないが、今の時間ならまだ大丈夫。ところが昼間でまだ数時間あるのにすでにシートを広げて場所を確保している強者もいた。ノンビリと花を愛でながらのウオークもまんざらでもない。しかし女性の方々はよくしゃべること、まさに話に花咲くとはこのことか。皆急に騒ぎ出したのなにかと近寄ると、ヌートリアが泳いでいると指さしていた。あれを生死に関わらず市役所に持って行けば5000円もらえるとか、なるほど親子らしいヌートリア4頭が川の流れに乗って泳いでいるのが確認できた。市が迷惑外来種獣として駆除対称になっているらしい。それを過ぎると時々、知人と逢うたびに立ち止まっては話をしている。桜の花も、話の花もまさに満開である。途中休憩していると、川に鴨の親子が泳いでいた、湖山池の鴨とは違い人間をあまり恐れないようで、20mくらい近づくことができる。この鴨おそらく留鳥だろう。昼前には目的地について、待っていた弁当屋がいて皆に弁当を配る。弁当を食べると、少し休憩のち、ここで現地解散となった。せっかくだから元来た路を逆に引き返しながら桜を愛でながら帰路に就く。すでに多くのシートが広げられていたが、準備で先に来た登番がバーベキューの準備をしていたくらいで、まだ歩きやすかった。やっと公民館に帰ってきたが、暫く、あるいていなかったので急にくたびれがでたようだ。推定一万歩くらいはあるいているかもしれない。
2024.04.06
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三日続いた冷たい雨に、桜が少し長く持ったかな。それでも川には花筏が水面を覆うように漂い流れて行く。今日はやっと春らしい風もなく、穏やかな明るい曇空である。昼過ぎ所用で山陰海岸浦富海岸の近くを通り過ぎさま茶原海岸を撮影した。このあたりは山陰海岸でも一番の美しさだと評判であるが、どうも絵はがきのような美しい写真にはならない。これがプロと素人の差であろう。それにこの海岸は遙か昔の私の遊び場であったので、見慣れておりこれと言った感動はない。強いて言えば懐かしさくらいであろうか。撮影していると、重機音が聞こえてきた。せっかく思い出に浸りながら悦に入っているのに、興醒めである。直ぐ近くで陸橋の建設工事が行われており、そこからの音である。重機音が邪魔であるが一緒にどこからか鳥の聲が聞こえてきたので、そちらを俳句に取り入れ詠んだ。
2024.04.11
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ももとせの ねむりさませば たけのはな まだゆめみかも しるひとぞなき 【百年ぶりに目覚めた竹の花 まだ夢を見ているのか だれも知らぬ人ばかり 人もここに花が咲いているなんて だれも知らないんだろうな】 竹の花は、だいたい60年から70年くらい経たないと咲かないとか聞いていたが、まだ実際に見たことなかった。ところがいつもの公園で咲いていると新聞に紹介されていた。さっそく一生に1回から2回ぐらいしか見る事ができない竹の花を見なければと、カメラ片手に公園に行く。一斉にツツジの花が咲き始めた中、地味で目立たないが確かに咲いていた、それも群生して。竹の花というよりは笹の花が正解であろう、何でもこの笹はまだ、30年前に公園に整備する以前より自然に群生していて、それ以前の事は記録がないとか。ただ別の公園で記録が残っていて、それは120年前のことらしい。群生していても、中の一本か二本が咲くことがあっても、群生が一斉に咲き始めるとは、全国的にも極めて珍しい現象とか。最近では他の数県で3件の記録があるくらいらしい。もしかすれば一生に一回も見られない現象を見たことになる、よい目の保養ができたものだと思う。花が散ると、この笹は枯れてしまい朽ち果ててしまうとか、だから枯れる前に種を落とし次の世代に種族保存を委ねるとか。ただ成長するのに30年もかかり、そのまたそれから30年から40年後には花を咲かせ枯れる運命に、そうして世代を繰り返しながら生きらえているのだ。厄介な雑草という人もいるが、これを知ると健気なものだと思わずにいられない。
2024.04.29
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観梅やせせらぎの音友として 淨至郊外の川土手の公園の梅林にて、紅梅を見つける。すでに、散り始めの花が混じっていたが、さすがに紅梅はひと味ちがう。白梅の、あの気品に満ちた美しさとは異なり、まことに艶やかである。公園に一人だけ、せせらぎのたおやかな音の中、観梅を楽しめる。
2019.03.14
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季の花や仏色いろどり彼岸入る 淨至お寺関係の諸事ばかり続いて忘れていたが、今日は彼岸の入りである。我が家の庭に、黄水仙が咲いているのを見つける。これで一句かと思ったが、彼岸の入りを優先させて詠んだ。仏色とは、よく寺院で五色の旗が掲げられているのを見かける。これ仏旗もしくは五色幌と呼ぶ、垂れ幕になっているものもあるが。青・黄・赤・白・橙の色が横並びの模様になっている。この色には意味があり、全てお釈迦様の身体を表している。その中の黄色は、お釈迦様の身体の色で。過酷な修行に耐える頑強な身体と揺るぎない意志を表すものである。世界仏教会が制定した、世界共通の旗である。その他の色は、青は頭髪で定根を、赤は血の色で精進を、白は歯の色で清浄を。そして、橙は袈裟の色で忍耐を。最後の縦模様は、お釈迦様の教えの輝きを表している。黄水仙の色は、まさにお釈迦様の身体の色ではないか。過酷な冬を耐えて咲いた、頑強な花である。殺風景な我が庭に、彩りを与えているようだ。
2019.03.18
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やさしさや耐えしのび足る処暑の息 淨至久しぶりの投稿になる。今日は処暑。野辺に見つけたナデシコに、何故か心も和らぐ。暑さに耐えてきた身体もホット一息ついているようだ。といっても、暑さはまだ続きそうだが。
2019.08.23
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下手なら下手なりに短歌・俳句など、心赴くままにまた久しぶりの投稿になった年末年始は気忙になり おまけにこの間に 親戚に不幸があり 法事も入り発句の機運を削がされてしまった年賀状もなんとか間に合ったが 急に欠礼の便りも例年になく多く届く完成していた賀状も多くが無駄になるというわけで正月の幕が取れたので 寒中見舞いの作成に入る意外と寒見舞いも手間暇かかるものだ業者に注文すれば楽なのだが 例年になく多いといってもそれほどの数もない写真俳句の投稿で世話になっているソフトとパソコンを利用して自作したwebで寒中見舞い用の無料テンプレートが紹介されているので助かるそれらを加工したのが上の画像であるそれでも 文章はそれぞれ変更してあるなにしろ宛先の事情がそれぞれ異なるので 言葉を選ばなければならないその言葉探しに手間暇かかるのだ全てに当たり障りのない文章はあるのだが それだけは避けたいがためそして全てに 俳句を挿入しておいた ひと言を探しあぐめん寒見舞いこれで令和2年の正月は終わる
2020.01.16
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下手なら下手なりに短歌・俳句など、心赴くままに胃カメラや鬼は逃げたか春に入る 淨至UPが遅くなったが 立春に胃カメラの検査を受ける別に悪い所はないのだが 定期検診の検査項目に入っていたので念のためだが最近の胃カメラは胃への挿入がかなり楽になってきた以前は太いチューブを口より入れていたが 喉を通る時のあの不快感はなんとも言えない時々嗚咽感もともなうことも現在は、かなり細くなったチューブを鼻から挿入するためかなり不快感は軽減されて来た改めてモニターで我が胃袋の中を見ると 気持ちの良い物ではないものだ医者がモニターを診ながら「所々で炎症起こしてますねー」なんの事はない 数日前に新年会があり ちょっと飲み過ぎたかも検査が早く分かっていれば もう少し遠慮したのだがそれ以上別段に異常が確認できなかったのだが すぐに どっかの検査機関に送り他の検査と総合的に診察するので 結果はもう少し後とのこと それから数日 胃の調子が悪かったカメラを入れる前に何種類かの薬品を飲まされたので それが悪さをしたようだ現在はすっかり正常になっているのだが 今度は新型肺炎コロナウイルスのニュースばかりで マスクが気になりはじめた何件かのドラッグストアストアを廻ったがどこも売り切れ 入荷のめどたたずばかり幸いにも いまのところ鳥取では感染者が出てないので 他の感染地ほどの危機感はない町を歩いていても マスクをしている人は2割程度かな早く終息して欲しいものだ これから少しずつ暖かくなると イベントが盛んになるこれでは人が多く集まるようなイベントには 怖くて出向くこともできない今年の節分は 胃カメラを明日に控えなにも食べれないので 豆を食べてないそれでも 心から福は内 ウイルスは外 鬼も外これで胃の中の鬼は逃げたかな
2020.02.08
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2022.11.23
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2022.12.02
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今週になってメッキリ寒くなった、あまりにも寒いので外には必要最小限しか外出しない。おかげで撮影の機会もなく投稿する記事もない。こまったものだ。それでテレビで今年のプロ野球の再放送ばかり見ている、そんな毎日である。お茶を飲みながらテレビを見ていて思ったのであるが、煎茶でも紅茶でもいれかたにより味がかなり変化することに気が付く。それではと水温計と100分の1グラムまで測定可能な計りを購入してきて、湯量も温度も淹れる時間も正確に計りお茶の袋の説明書き通りに試して飲んで見た。確かに今までの適当に目分量で淹れてた時よりも美味しくはなったが、どうも今度はそんな手間暇が面倒になった。結局また目分量で適当に淹れて飲んでしまう。それでもそれを続けていると少しづつ美味しく淹れれるようになった。他の方はどうかしらないが。そんな毎日で思ったのであるが。日本には有名なお茶の産地がある。たしか八女茶に静岡茶、宇治茶に知覧茶の四大産地、その他に生産量は少ないがお茶の産地がある。ではそのお茶は産地によりどんな味になるのだろうと思ったしだい。時々異なる産地のお茶を飲んでいるが、どうも私の舌ではその味は皆同じに感じてしまう。やはりその道のプロでなければ違いは判らないのだろう。結局一般の素人は飲んで美味しければ、産地にこだわる必要ないのだ。それに、日本茶にも玉露に煎茶に抹茶、焙じ茶に玄米茶、番茶に麦茶等々様々あるが、これに中国茶に紅茶にも産地とか加工法により様々ある、さすがにこれ全て飲める機会があるわけがないが、お茶は奥が深いと感じてしまった。
2022.12.16
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最近 line と Yhoo が合併して lineYhoo(ラインヤフー)になった。あまり使わないのでどうでもいいのだが。それでも いつもラインで連絡してくる者がいて 登録していないと支障がでるので登録だけはしていた。無料であるのでほっといてもいいのだが。これからも継続して使えるようにするためには それなりの継続意思の届けが必要で それはラインのホームページで簡単にできる。これをしないと たしか 11月1日より使えなくなるらしい。すでに使えなくなっていたが。そこで今日 継続手続きをすましておいた。思ったより簡単にできたので肩すかしのようだ。利用することは滅多にないのだが それでも これで安心だ。
2023.11.10
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この頃迷惑メールで困る 特に12月に入ると多くなってきた。税務署を語る詐欺メールにETC案内サービスからの偽メール。様々な銀行の名をかたる詐欺メール アマゾンからの偽メール。全て迷惑メールである。心当たりがなければ すぐに読まずに即削除 これに限る。年末の忙しさに 拍車を掛ける迷惑メール。困ったことだ。まさに師走だ 写真は庭にある木の実 名は知らないが 人間の事など知らぬかのよう。今年も律義に実をつけた。年末になると多忙になる何故だ。
2023.12.12
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2024.01.07
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今朝から晴れて気温も高く 今年一番の暖かさになろうと天気予報。そんな日よりに誘われて 新聞で大樹寺の有楽椿が見頃を迎えていると報じられていたので さっそく見物に行く。コロナ禍でここ数年外出を控えていて このお寺を訪ねること遠慮していた。それにこの陽気では 長い間閉じこもり気味であった我が身もさすがに限界がきたのか 外へ出たがっているかのようす。なにかしら心うきうきとさせるような。 大樹寺の玄関前の有楽椿この椿は茶人の織田有楽齋の庭に植えられていて。有楽齋が好んでこの椿を眺めていて こんな名が付いたらしい。織田有楽齋は名の通り 織田信長の弟で家康とは茶道を通じて関係が深く。関ヶ原では東方についたので それなりの領地を拝領して大名となっていた。また茶人としては あの千利休の高弟の一人であり【有楽流】を開いた高貴な存在であったらしい。東京の有楽町の名は 有楽齋の居宅がこの通りにあったのでこんな名がついたらしい。樹齢400年以上のこの椿 幹回りが1.9mもあり日本最大級とか。来週からは彼岸 暑さ寒さは彼岸までとはよく言ったものだ。準備をしなけなければ。
2024.03.15
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長かった菜種梅雨、今日は久しぶりの日顔を見て陽光のありがたさを満喫する。天気予報ではこの週末あたりから、春本番の穏やかでポカポカした陽気が続くとか。これで遅れていた桜前線が急に北上するとか。河原土手に出てみれば、急に土筆が顔を出していたのを見つけた。今まで気が付かなかったのだが、それも数えきれないほど。まるで戦国時代の群雄割拠のようで、さて誰が天下取るのか、背比べである。
2024.03.28
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震災の涙かくすな春の雨 ひつぎか浄土か海は白波 淨至 浄土(くに)と読む3月11日の今日は東日本大震災の日、あれからもう8年も経っているのだ。当日、私は菩提寺の本山でささやかな修行を終え夜に帰宅したばかりであった。帰宅するまで地震のことなど知らなかった。ニュースで繰り返し放映されている、その惨劇を声を出せぬまま見入っていた。それらの事をいまだに鮮鋭に記憶している。死者二万五千・いまだに二千五百の行方不明者がいるとか。それに原発の破壊により、我が家に帰れない避難民も五万二千名とか。東北の海は棺に化して、悲しみを誘う。今日の日本海は少し荒れ気味。太平洋と繋がっていること思えば手を合わせずにいられない。亡くなられた方々へ、改めて哀悼の意を表したいと思います。 合掌
2019.03.11
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こはおやのおいながめつつかきじゅくすこれ人間の人生に通ずるのではと思う 自分の身を削りながら子の為に一生を送り そして老いて行く子はその姿を眺めながら何思うのか 自分の行く道と判っていても前投稿よりも少し小さくして見たが まだ大きいかな
2022.11.15
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画像は無料素材サイトよりダウンロードさせていただきました今日より12月、師走柵の日。新聞の折り込みチラシで見つけた、どっかのスーパーの野菜の売り込み宣伝。その中に画像なしのセロリが紹介されていた。今でこそ珍しくはない野菜ではあるが、何でも普通に出回り始めたのは昭和30年頃らしい。私がまだ幼い頃に初めてセロリを食べた、その味と食感に、美味しいとは思えずはき出ししまった記憶がある。他にもこんな味は好きになれず野菜嫌いになってしまった子供もいる、たとえばピーマンとか人参とか。ところがある一定の年齢になると逆に好きになる者もいる。私もその一人になるだろう、大好きとは言えないが。軽く茹でて食べると最高である。また他の野菜と一緒にサラダとして生で食べても美味しい。子供の頃とは様変わりしてしまった私である。
2022.12.01
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想いありいにしえ人や春半ば 神話【因幡の白うさぎ】の白うさぎを御祭神とする神社が白兎海岸にあることはよく知られている。ところが ここから南東約20㎞のところに もう一カ所【白兎神社】が存在する。八頭郡八頭町福本の白兎神社である。一時どちらが 本社で分社なのか研究者で論じ合ったことがあるが いまだに決着つかず現在に至る。いつか何らかの資料が発見され決着付くと思うが なんとも楽しくなる歴史的ロマンである。なんとなく 卑弥呼の時代の【邪馬台国】探しを彷彿させるようで面白い。くわしいことは専門家に委ねることにする。 今日は久しぶりの快晴で暖かな日よりに誘われてこの 福本の【白兎神社】を訪れる。もちろん狛犬も兎となっている。白兎海岸の白兎神社は国立公園の中にあり観光スポットなので 行政の補助もありよく管理され立派である。ところがこちらは観光地ではなく 田んぼに囲まれてて一つポツンと寂しくて小さく質素なたたずまいの祠である。ところどころ朽ちて痛々しいほどである。地元の住民により細々と手入れされているらしい。昔は神社とはこんなものであったのではと思うが。私はこちらの神社の方が好きである。質素であるが地元住民の信仰が強くなければ存在できないと思うが。追記 UPさせて気がついた、なんと俳句の主題が表されていない、これはちょっと問題である。でも 写真を見れば一目瞭然であるので、これはセーフだと思う。と独断で身勝手な解釈であるが・・・。
2024.02.18
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久しぶりの好天で うららかで陽光に包まれた暖かい日である。 先週にはまだ蕾であった 乙女椿が開いてた。 しかし その花びらには少し傷があるような もう散りかけているのかな。 そのなんともいえない 優しく気品に満ちた姿に哀れを感じてやまない。 そうか これは恋の傷であるのかも などと勝手に想い入れしながら撮影した。 まさに花の命は短しであろうか。
2024.03.14
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