全10212件 (10212件中 1-50件目)
著者の自宅において、排水溝がつまってしまう・・・というのがありました。原因としては、地震による排水溝が壊れてしまった、というのがあります。その原因を知らないでいた著者は、風呂場と洗面所、大処の配水管の詰まりと汚れを掃除しておりました。かくいう私も同様の経験をしたことがあります。私が関東に住んでいたとき、風呂場の排水がうまくいかなくなりました。これではよくない・・・ということで、東急ハンズでスッポンというか吸盤を買ってきては、夜中の風呂場で一人でズッポンズッポンと掃除することにしました。するとすると、スッポンで1回ズッポンズッポンやるごとに、ゴミがどっさりと出てくるではないですか!まさに腸がキレイサッパリにスッキリ!というような感じです。それにしても、出てきた量が腸ハンパない・・・もとい、超ハンパないことになってしまったようで、そのゴミをビニールに入れては処分しました。それ以後は、風呂場の排水はうまくいっているようで、掃除をすることは大事なことだな・・・なんて、今更ながらに思ったものでした。その15に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.12.02
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子どもの頃からの夢である「自転車で世界一周」を成し遂げた中西大輔さん。2009年10月、日本アドベンチャー・サイクリストクラブの第4回「地球ペダリアン大賞」を受賞しました。中西さんは1998年に日本を出発。11年をかけて、130カ国を訪れ、地球約4周分に相当する15万1849キロを走り抜きました。度の途中では、病気になったり危険な場面に幾度も遭遇しましたが、世界各地の素晴らしい風景と、多くの人々との出会いがありました。中西さんは自転車をとおして、世界中の人と交流し、講演を行って、平和と友好の活動をしてきたのです。中西さんのような自転車旅行は、誰でもが体験できるものではありません。しかし、夢に向かって一途に取り組む姿勢は、私たちも見習うべきものです。夢は大きなものである必要はありません。小さな夢を実現させることの積み重ねが、私たちに自信を与え、人生を広く豊かにしてくれるのです。・・・私は、もはや自分の夢を持つこともままならず、実現させることもできなくなってしまいました。そんな私であっても、せめて自分の成長のために、何らかの努力をしなければならないと思っております。そのためにも、泥臭い努力というものをし続ける必要があります。せめて自分をよくするために努力し続けていきたいところです。私は、これからも努力をし続けていきたいと思いました。以上です。(2009年1月3日)
2024.12.02
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奈良の大仏は、あるきっかけによって建立されることになったのですが、それが、735年あたりに、九州から全国に広がり、平城京でも多くの感染者を出した天然痘の大流行であった、とされております。ただ、大仏を作ることにはなったのですが、材料となる金を確保することができなかったようなのです。そんななかにおいて、涌谷で金が採れるというのがあり、ようやく建立の目処がたったようです。そのためか、ベガルタ仙台はそれを由来として、クラブカラーをゴールドとしております(※)。決してイエローではございませんのでご注意のほどを。それと、仮に奈良クラブと対戦したときには、こうしたことで縁がある、ということでダービーめいたものになるかもしれません。それにしましても、かつて天皇杯でこの奈良クラブと対戦したことがあるのですが、仙台に在籍していた岡山一成とシュナイダー淳之介がいたからか、奈良クラブにしてやられた・・・というのはいい思い出ですorzその14に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年※・・・涌谷が日本で初めて金が採れた地である、というのがそもそもの由来です。
2024.12.01
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著者が涌谷を訪れた目的は、黄金山神社を訪れることです。そこにある天平ろまん館で砂金を採る体験をしたりします。で、黄金山神社の名前なのですが、わたしはてっきりおうごんざんと読んでいたのですが、間違っていたようです。ただしくは、こがねやまと言うそうです。涌谷は日本で初めて金が採れたところですので、そこからひっぱられて黄金=おうごんという読みをひきずってしまったようです。その13に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.12.01
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出張が多い部署に異動となり、家を空けることが多くなったDさん。引っ越しをしたばかりの我が家の片づけが、思うようにはかどらずにいました。Dさんは、久しぶりに2日続けて休みがとれたため、荷物の片付けをすることにしました。すると、大きな本棚や見覚えのないダンボール箱など、引っ越しの際にはなかった荷物があったのです。妻に尋ねると、「以前使っていた本棚は、壊れていたため買い換えました。あなたに聞いたら、『いいよ』と言われたので」との答えでした。Dさんは仕事の忙しさに紛れて、妻から購入の相談を受けたことさえ記憶になかったのです。妻は、仕事に奔走するDさんの代わりに、おおよその片づけを済ませ、必要な家財を買い揃えてくれていたのでした。そのおかげで、予定していた作業をスムーズに終えることができました。Dさんは、家庭を振り返るゆとりがなかった自分を反省し、「家族の協力があるからこそ、仕事に打ち込むことができるのだ」と、妻への感謝を深めたのでした。・・・自分だけで作業していたのでは、様々なやるべきことが多すぎてはかどることができません。他の人が手伝ってくれるからこそ、たくさんあるやるべきことが滞りなく遂行できるのです。そういうのがあるからこそ、作業をしているときには、手伝ってくれる人に感謝をしなければなりません。相手に感謝をしつつ、充実した作業をしていきたいものです。私は、手伝ってくれる相手に感謝をしていきたいと思いました。以上です。(2010年1月2日)
2024.12.01
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今回の物語の著者は、町田そのこです。ん?町田??そのこ???どっかで聞いたことがあるようなないような・・・読んだことがあるようなないような・・・あ!そうそう。52ヘルツのクジラたちの作家さんでした。この「52ヘルツのクジラたち」は、都会から逃げるようなかたちで祖母がかつて住んでいた田舎なところに移住する話となっております。これまでは、母と娘をテーマとして書くことがおおかったのですが、今回の物語では、家族というもの、家族のありようというものを模索するようなものとなっているようです。しかも、この物語で初めての新聞連載となるそうですので、心して読んでみたいと思っております。・・・小学生の男の子が作文の宿題に取り組んでいる。課題は、家族について。ただ、その男の子は、この宿題に乗り気でなかったようで・・・・・・今回の物語は、ズバリ家族がテーマとなっております。家族といえば、血が繋がっているだけあって、仲むずつましい関係である・・・というイメージがつきまといます。しかし、現実的には、そういうことにはならないことがしょっちゅうあったりします。そのなかには、悩みがあったり、痛みがあったりなど、いろいろなものがあるようです。今回の物語によって、そうしたものを垣間見ることになっていきそうです。一章に続きます。町田そのこ著・金子幸代画「カレイドスコープ(プロローグ)」河北新報日刊版掲載 2024年11月25日〜2024年11月27日
2024.11.30
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天平宝字2年(758年)6月、42歳の大伴家持は、国守として因幡の国に赴任しました。朝廷内部の政変によって、地方へ左遷されたのでした。赴任から半年が過ぎ、元旦を迎えた雪降る日のことでした。元旦には国庁に国や軍の役人である国司や郡司を招き、正月を祝う宴が開かれます。元旦の雪は吉兆といわれ縁起のよいものです。家持は新年を祝って短歌を詠みました。新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉時(よごと)「元旦の今日、吉兆である雪がどんどんと積もり重なっていくように、国中に良いことがいよいよ重なりますように」という意味です。「言葉には『ことだま』が宿っており、良い言葉を口に出せば良いことが起こり、悪い言葉を口にすれば悪いことを呼ぶ」と、日本人は考えてきました。家持は、左遷という逆境のなかでも、良い言葉でこの歌を詠み上げたのです。今日は一年の始まりです。今年の目標は、掲げましたか。良い言葉を口にして、気持ちを新たに、前に向かって進んでいきましょう。・・・国庁といえば・・・2024年に、多賀城は国府を開いてからちょうど1300年が経過した、ということで、お祭りモードまっさかりになっております。ここで特筆すべきは、政庁の前にあった大通りが復元されたことです。その大通りの幅は非常に広く、さながら映画のセットを思わせるような感じで、まさに国の役所であることを実感させられることになります。この多賀城の一件により、歴史というものは大切にしなければならない、と実感しております。過去にそういうことがあった、という意識を持つことは大事なのですが、それだけではなく、歴史にはよくない記録というものも残されております。これを自分の教訓として見出し、実践していくことが大切であったりします。歴史をきちんと学んでいって、過去に思いを馳せるだけでなく、自分の教訓として捉えていきたいところです。私は、歴史を大切にしていきたいと思いました。以上です。(2010年1月1日)
2024.11.30
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涌谷の地は、もともと、涌谷伊達藩による2万2600石の城下町となっておりました。この地を治めていたのが、伊達安芸宗重なのですが、この人物は伊達騒動の中心人物として知られており、江戸において原田甲斐によって討たれてしまいます。「樅の木は残った」においても、原田甲斐は宗重のもとを訪れるべく涌谷を訪れることになるのですが、その際に松島で一泊することになった際、一人だけ近場にあった湯ノ原温泉で泊まることになるのです。その12に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.11.30
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落語というと、高座に上る噺家ひとりの世界と思いがちですが、実はお客様を大切にしようと、「連携」を重視しているようです。三遊亭楽春師匠は、「足の不自由なお客様が寄席にいらしたとします。すると受付から楽屋に連絡が入り、それをボードなどに残しておきます。私たちがそれを見て、その日一日は足の悪い人が出てくる落語をやらないのです」と言います。サービスや商品を提供するにしても、売り手は鴨野に振り向いてもらって初めて、自社の持つ技術や品質が活かされます。お客様の消費に向けた気分を高め、購買意欲を増進させなければ、企業活動が進展することはありません。企業が部課という単位で仕事を進めるのは、細分化された業務を各部署で共有し連携することで、一人ではできないこともうまく運ぶという強みがあります。そのような状況が日常的にある企業こそが、真に強い企業といえます。お客様や社会のニーズ・状況などを知ることは、企業の発展に役立ちます。「仕事は一人でやるものではない」という意識を、心に強く留めておきたいものです。・・・私は、ナマの落語を見ることがあります。ムチャクチャ知っている噺家さんを前に、目をキラキラさせながらジックリと拝見しております。それはともかくとして、その噺家さんが披露する内容なのですが、必ずといっていいほど、公演が終わったあとに、演じた演目というものを張り紙で出すのです。本来ならば、公演が始まる前にそうすると思うのですが、本文を読んだ限り、「ああこれは納得」と思ってしまいました。ひとえに、来場してきた人にたいして失礼な演目は極力やらないようにするための配慮であったりします。来場してきた人が不快に感じてしまっては、噺家にとっては不本意であったりします。そういう人にたいしても楽しんでもらえるように、演じるネタを選んでいたわけです。かくいう私も、ブックレビューとしていろいろなことを話しておりますが、極力として、読んでいる人にたいして不快を感じないような内容を心がけて書くようにしなければならない、と感じております。読んでもらっている人が楽しんでもらえるように、楽しいものやいいものが書けるようにしたいところです。私は、相手に不快を与えないように気をつけたいと思いました。以上です。(2009年12月30日)
2024.11.29
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Suicaって、非常に便利であったりします。ところが、利用することができるエリアから外れてしまった場合、支払いをすることができません。さすがにそのまんまスタコラサッサとトンズラ・・・とするわけにはいきません。このときは、乗っている列車のなかで、車掌さん、もしくはワンマン運転のときは運転手の人に、あとで精算する用紙というものを書いてもわらないといけないそうです。まあ、エリア外の駅を利用する、ということがわかっているのであれば、切符を買っておく、ということにこしたことはないですけれども。その11に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.11.29
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今年も残りわずかとなり、いよいよ年末の大素地の時期がやってきました。Y氏は家の大掃除に取りかかりました。2時間の予定で始めましたが、物が乱雑に置かれ、ほこりが出てくるばかりで終わりが見えません。倫理研究所の創始者・丸山敏雄は、大掃除のコツを「動くものは皆一度動かしてみよ、下からチリが出る。ズボラをするな、高い所にはハシゴをかけて登ってチリをはらえ」と述べています。Y氏はその言葉を思い出しました。まず、タンスの上や照明器具など、高いところから掃除を始め、最後に床などに落ちたホコリを掃除するという「上から下へ」作戦に変更し、実行しました。また、押し入れの中など移動できるものは、移動してから、奥から手前に掃除することで、昨年までとは比べものにならないくらい効率的に進んでいきました。Y氏にとって、大掃除が1年間の自分を見つめ直す貴重なひとときとなりました。年末は過去を振り返り、決意を新たにする多くの「きっかけ」に満ちています。大掃除をきっかけに、新年へ望む姿勢を整えていきましょう。・・・大掃除にせよ何にせよ、やるやらには正しい手順というものがあるようです。この手順を間違ってしまうと、うまくいくことができなくなってしまいます。正しい手順を確認しつつ実践していって、物事をうまくいくようにしていきたいものです。私は、物事を進めるときに正しい手順で行うようにしたいと思いました。以上です。(2009年12月29日)
2024.11.28
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東北の地は、複雑な地質と火山活動で形成された山々を持っており、そこから、多様な鉱物が産出することができるようになっているようです。ということは、鉱物だけでなく、温泉もそうなのかもしれません。特に、鳴子で多種多様な泉質をほこるのも、複雑な地質と火山活動によってもたらされたものであるようです。その10に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.11.28
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自動車で営業先を訪問している若手社員のM君。ある年の暮れに、その年の最後の会社を訪問した直後、思わぬ事故を起こしてしまいました。駐車場から出る際に、営業先をすべて回ったという安心感から油断が生じ、コンクリートの壁に営業車のボディーをこすり、傷つけてしまったのです。運転には自信があり、自分は自己など起こさないものと思っていたM君は、動揺を隠しきれない状態で帰社しました。さっそく、このことを上司に報告したところ、「君は元気がいいが、普段から後始末が悪い。車の中の商品管理や車の清掃もいいかげんだ。事故はそのことを、一年の総決算というこの時期に教えてくれたのだ」と言われました。M君は上司からズバリ言われ、返す言葉もなく、日頃の自らの後始末の悪さを反省したのでした。それからのM君は、仕事上の後始末や整理整頓に気をつけるようになり、自動車や物品を大切にするようになりました。・・・何らかの特命を受けて仕事をしているときは、仕事に集中してますのでミスや事故が起きないように注意をはらうのですが、仕事が終わったとたんに、その集中をブツリと切ってしまうがために、よくミスや事故が起こりがちになってしまいます。仕事が終わったからといっても、集中というものは切らさないようにしたほうがいいようです。かくいう私も、週5日働いているときは平気でいられるのに、有給休暇などで1日以上の休みがあるときには具合が悪くなってしまうときがあります。「今週は働く日が少なくてていいぞ」という気持ちが、仕事への集中を妨げているようです。とにもかくにも、仕事をするからには、集中して取り組むようにしていきたいものです。私は、仕事に集中して取り組んでいきたいと思いました。以上です。(2009年12月28日)
2024.11.27
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品井沼という沼があります。というか、ありました・・・と言ったほうがいいのかもしれません。もともとはかなりデカい沼で、吉田川をはじめとした無数の川がつながっていたようで、ちょっとした雨であっても洪水になってしまっていたようです。そのためか、元禄時代に伊達藩の直轄工事によって元禄潜穴ならびに高城川を整備して、品井沼の水を松島湾へと排水するようにしていったようです。著者は、このことを小学生の頃に子供向けの冊子で読んだことがきっかけで、郷土史に興味をもつようになった、と語っております。その9に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.11.27
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2008年の北京オリンピックのフェンシング競技で、日本人初の銀メダルを獲得した太田雄貴氏。学生時代から現在まで、素晴らしい指導者に恵まれましたが、「今の自分がいるのは心の面で厳しく指導してくれた先輩のおかげ」と言います。太田氏が、母校・平安高校のフェンシング部のOBであるその先輩に初めて会ったのは、小学校3年生の時でした。トップクラスの実力を持つ先輩から熱心な指導を受け、剣を交える楽しさを知りました。太田氏は中学生の時に、団体戦メンバーに選ばれず、試合の応援もしないで他校の先生と話しこんでいました。その姿を見た先輩から、「選手として強ければ何をしてもいいわけじゃない」と、ものすごい勢いで叱られました。その言葉が、自分本位の甘い考えから目を覚ますきっかけとなり、真剣に競技に取り組むようになったのです。思い通りに物事が進むと、人としてあるべき姿を忘れ、高慢な態度をとってしまいます。自分を客観的に見つめて、わがままな心を取り除きましょう。・・・たしかに、自分の思いどおりに物事が進むと、どうしても「これでいいんだ」という思いが生まれ、自惚れが芽生えてしまいます。そうなってしまうと、傲慢になってしまいがちです。そうならないためには、どんなに思い通りにすすんでいても、絶対に自惚れないように自戒しなければならないのです。自惚れて傲慢な態度をとっている光景というものは、私の目でじかに目の当たりにしておりますので、絶対にそうならないように厳しく自分を律していきたいところです。私は、絶対に自惚れないようにしたいと思いました。以上です。(2009年12月27日)
2024.11.26
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鹽竈神社は、伊達綱村が修築したもので、奥州一宮鹽竈神社に関して諸説あった縁起を諸学者の意見をまとめて新たに創らせて、別宮に主祭神たる鹽土老翁神(しおつちのおじのかみ)、左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)、右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)を安置し、従来は現在の別宮にあった貴船社と只州宮を現在の古内に遷座するなどして保護した、とのことです。ここでふと思ったのが、鹽竈神社の別宮でお参りすると、金華山でお参りしたこととみなされる・・・なんていうことを、ホシヤマ昭一の「月影に松島」で語られていたものです。金華山では、金を司る金山毘古神 (かなやまひこのかみ)と金山毘賣神 (かなやまひめのかみ)が祀られております。鹽竈神社の別宮で祀られているものとは違うようなのですが・・・鹽竈神社においては、別宮とは「特別な」という意味合いがもたらされているようですので、なんらかの因縁というものがあるのかもしれません。その8に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.11.26
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仙台の沖合に、閖上というところがあります。これでゆりあげといいます。このなかにおいて、閖という字があるのですが、実は仙台四代藩主の伊達綱村によって作られたものであるそうです。もとから、この地はゆりあげと呼ばれてはいたのですが、漢字であてることはしなかったようです。そこで、綱村は、門のなかに水が見えた・・・ということで、門のなかに水を書いて閖上とするように、と指示をだした、とのことです。その7に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.11.25
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今回の章をもって、この物語は終焉を迎えるわけですが、そのまえに、この物語が最終回を迎える前日に河北新報に掲載された記事を紹介することにしませう。今回の物語の主人公である和久宗是は、伊達藩に迎えられていたわけですが、なんと現在の大郷町に住まいを構えていたことがあったそうです。大郷といえば、支倉常長がいたところでありますし、お墓もあるそうです。そんな大郷に、こういうものがあるなんて、初めて知りました。・・・ということで、その宗是は大坂夏の陣において、かつて属していた豊臣軍のことを思うがあまり大坂へと戻ってしまいます。規律正しい徳川軍にたいし、落ち武者同然に落ちぶれてしまった豊臣軍は、外堀を埋められてしまった大坂城があったのも含め、もはやどちらが勝つかはすぐにわかってしまうも同然だったりします。そのようななかで、真田信繁の娘二人が伊達家の片倉小十郎にかくまわれる・・・というのがあるのですが、そこに宗是が絡んでいた、というのがあったりします。果たしてこれは史実かフィクションか・・・そういうのがあるのかもしれませんが、どちらにしても、伊達家・・・いや片倉家と真田家のつながりというものを感じざるを得るものとなっていることでしょう。佐藤巌太郎(さとう・がんたろう)著・江戸川南斎(えどがわ・なんさい)画「筆と槍~天下を見届けた男~(終章 不変・蛍鳴く時)」河北新報日刊版掲載 2024年10月23日〜2024年11月24日
2024.11.25
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著者は、腰が痛くなった、ということで、連れ合い・・・妻?にツボのマッサージをしてもらうことになります。たしかに、ツボを刺激すると、そこに対応する部位の調子がよくなる・・・なんていうのはよく聞きますけれども、非常に不思議に感じてしまいます。もしかしたら、ツボとよばれるところには、対応する部位と神経がつながっていて、刺激することにより、何らかの効果というものをもたらすことになるのでは・・・なんて思ってしまいます。その6に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.11.25
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事業開発や飲食店の運営などをプロデュースする、ソルト・コンソーシアム社長の井上盛夫氏。飲食店経営者らとともに2009年3月、「東京をもっと元気にプロジェクト」を立ち上げました。これからのビジネスは、競争よりも共生が大切だという思いから、今日の経済低迷をプラスに捉え、「嘆くよりもまず動く」ことからスタートしていきました。具体的な内容として、500円で購入したオリジナルのバッジを提示すると、プロジェクト参加店舗では、ビールを100円で楽しむことができます。その結果、仕事帰りの会社員が立ち寄るようになり、店に活気が戻ってきました。その後、飲食店の枠を超え、ファッションや音楽も巻き込んでのイベント企画が、若手経営者から続々とあがるようになりました。変化の激しい時代を生き抜いていくには、消費者と企業の接点から考えることが大切なのです。雪をもって一歩を踏み出す努力をすれば、必ず二歩目につながります。私たちも自ら考え、行動に移していきたいものです。・・・競争というものは大切です。ひとつの店だけですと、自惚れが生まれて、なんの工夫もなくなってしまって殿様商売のような状態になってしまいます。相手がいるからこそ、創意工夫が生み出されていきます。しかし、それが度を過ぎてしまうと、ライバルをネガティブキャンペーンなどで攻撃するようになったりと、あまりよくなかったりします。おなじ競争をするにしても、ライバルをリスペクトする気持ちを持ってやるしかないのです。ライバルを叩いてもいいことはないです。ライバルと共存していきながら、自らのために工夫をしていきたいものです。私は、相手をリスペクトする気持ちを持ちたいと思いました。以上です。(2009年12月26日)
2024.11.25
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貞山堀という運河があります。石巻から松島湾を経て、阿武隈川の河口まで至る人工的なものです。もともとは、江戸時代の慶長年間(1596〜1615)に川村孫兵衛重吉の指揮で、阿武隈川河口から名取川河口まで、木曳堀として開削されます。その後、寛文年間(1661〜73)に、七北田川河口の蒲生から松島湾の塩竈までを新堀として、さらに松島湾と鳴瀬川河口までの東名運河、石巻の旧北上川との接点まで延長された北上運河が開削されます。これらを総じて貞山堀と名付けられたのですが、明治時代の改修時に、伊達政宗の諡(おくりな)である瑞巌寺殿貞山利大居士から、そう名付けられたそうです。ここで興味深いのは、蒲生から塩竈までの運河を作ったことにより、七ヶ浜が島のようなかたちになってしまった、ということです。もともとは、七ヶ浜は陸続きだったようです。その5に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.11.24
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宮城の米といったら、かつてはササニシキが主流でした。しかし、1993年の冷夏によって不作となってしまい、それ以降はひとめぼれが主流になりました。このひとめぼれが誕生する経緯となったのが、1980年に起きた大冷害だそうです。このときにコシヒカリが冷害に強い・・・ということがあり、ササニシキとコシヒカリを組み合わせた品種が検討されたそうですが、どちらともいもち病に弱い、という性質があったそうです。その後、いろいろと検討された末に選ばれたのが、コシヒカリと愛知県で生まれた初星という品種を組み合わせたもので、これがひとめぼれになりました。2024年には、米不足が起きてしまい、米の値段が上がってしまいました。私は、知り合いの農家から直接買っているのですが、2023年では30キロで9000円だったのが、2024年では1万と2000円になっていました。これは、新聞で公表されていた値段(60キロで22968円、30キロにすると11484円)よりも高いです・・・が、このご時世では致し方がない・・・と、家族一同で納得せざるを得ませんでした。その4に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.11.24
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雑踏のなかで肩が触れたときに、当事者同士が睨み合って口論となったり、挙げ句の果てにはつかみ合いになる場面を見かけます。咄嗟の場合、お互いが被害者だと思ってしまうのか、それとも少しでも謝ったほうが負けだと思うのか、責任をなすりつける場合が多くあります。重大な過ちはもちろん、些細な出来事でも、素直に謝るのは当り前の行為です。当り前のことがスムーズにできれば、人間関係は円滑に進むのです。先に「ごめんなさい」と謝ることを、カッコ悪いと思ってはいないでしょうか。「ごめんなさい」という言葉は粋なものなのです。「ごめん」は、許す意味の「免」に尊敬の接頭語の「御」がついたもので、本来は許す人を敬う表現でした。「許しを求める」言い方から、やがて自分の無礼を詫びる表現となっていき、相手に自分の心の広さを示すことができる言葉なのです。日頃から「ごめんなさい」と素直に謝罪できる、心の広さを持ち合わせて生きていきたいものです。・・・なぜケンカになってしまうのか・・・それは、双方とも「自分が正しい」と思ってしまうからなのかもしれません。「俺は間違っていない。お前のほうが間違っている」なんていう思いをどちらも持っていたら、そりゃそうなるでしょう・・・ということです。もしかしたら自分のほうに非があるのでは・・・と思うところがあったら、その場合は、素直に謝るほかないです。逆に、本当に相手が悪かった場合は、きちんとその理由を言ったほうがいいのかもしれません。それでも逆ギレされてしまったら、そのときはサッサと退散するほかないですけれども・・・。それはともかくとして、何らかのトラブルが起きた時には、即座に謝ったりなどして、無駄なことを避けていきたいところです。私は、トラブルが起こりそうになったら回避できるように対処していきたいと思いました。以上です。(2009年12月25日)
2024.11.24
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私は、ひょんなことから車を買い換えることになりました。で、その車が納車された・・・ということで、早速、神社に行ってお祓いをしてもらいました。本来ならば、買った車にお祓いをしなくても・・・なんていうのがあるのかもしれませんが、そうでもしなければ、事故を起こしたり巻き込まれたり、そうでなかったとしても故障したりなどのトラブルが起きたりしてしまいそうな感じがしてしまいます。神社といった権威のあるところに行って、きちんと祓ってもらうことで、事故などをもたらす悪霊を退散させる・・・というのがあるのかもしれませんが、安全に運転できるように神様にお願いする・・・という側面もあるのかな・・・なんて、思ってしまいます。その3に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.11.23
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出張先で朝からの長い会議を終えたKさんは、東京までの新幹線の指定席券を買うために、駅の窓口に行きました。夕方の混雑した時間帯でしたが、指定席車両は窓側も通路側も座席に余裕がありました。徹夜で会議の準備をして疲れきっていたこともあり、眠って帰りたいと思い、人の出入りのない窓側の座席を取ることにしました。若い女性の窓口係員は、「お疲れのようですが、進行方向右側と左側のどちらがよろしいでしょうか」と尋ねてきました。どちらでもよい旨を伝えると、係員は「では左側のお座席にいたしましょう」ときっぱりと言いました。乗車券を受け取る際、「左側のほうが景色がよいのですか」と尋ねてみました。すると、係員は「進行方向右側おお席ですと西日が当たり眩しいと思いましたので、日が当たらない左側のお席にさせていただきました」と答えたのです。Kさんは、「とっさのなかでお客様の状況を把握できる心配りが素晴らしいな」と感動し、ぐっすりと眠りに就き東京へ戻ることができたのでした。・・・本文のような、ささやかな心配りができるようになりたいな、なんて思ってしまいます。こういうことができるのは、相手のためにやろう・・・という、そんな気持ちがあるからなのかもしれません。そのためには、相手をよく観察しなければならないですし、どのようにすればいいのか・・・というのも意識しなければならないようです。こうしたことを鍛錬していって、相手のために行動ができるようにしていきたいものです。私は、相手のために行動ができるようにしたいと思いました。以上です。(2009年12月24日)
2024.11.23
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宮城県には、大規模な演習ができる自衛隊の演習場があります。そこでは、ヘリコプター、戦車はもちろんのこと、爆弾などをぶっ放したりなどの演習をしております。そこから30キロも離れている著者の自宅からでも、その演習所からの地響きを感じることができるそうです。かくいう私は、高校に通っていたときに、その高校の隣が陸上自衛隊の駐屯地でした。そのためか、時折、そこで演習を行っているらしく、授業を受けている最中に、ドオォォォンといった音が聞こえることがあったりしました。とはいえ、さすがに私がいるところでは、授業として自衛隊の訓練をする・・・なんていうことは全くなかったですし、今でもやることはない・・・はずですので、安心していただきたいところであったりします。その2に続きます。佐伯一麦著「ミチノオク」新潮社刊 2024年
2024.11.23
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アナウンサーのF氏が、長男が通う幼稚園の授業参観へ行ったときのことです。砂場で遊ぶ息子の背中にトンボが止まっていました。それを見た女の子が「Kちゃんの背中に天使の翼が生えている」と言ったのです。その時、F氏の脳裏に、あるドイツの逸話が浮かびました。バスの停留所で乗客が乗り降りし、運転席横のドアが閉まりかけました。その瞬間、一人の男の子が飛び乗ったのです。乗客の誰もが、運転手に怒鳴りつけられると思って注目しました。しかし、運転手は「坊や、翼をはさまなかったかい」と優しく一言。男の子がニコリとしてクビを横に振ると同時に、乗客達は優しい眼差しになったというのです。「子どもは天使」との思いが生活に根付いているからこそ、このような温かい言葉や眼差しが自然に生まれてくるのでしょう。子どもの存在は、世を照らす無垢な光です。F氏は我が子から幸福な時間を受け取ったのでした。・・・今回の本文に出てくる逸話・・・これに似たようなものを、某SNSで目の当たりにしました。どこの国だったのかは失念してしまったのですが、乗り遅れそうになって飛び乗ってきた乗客にたいし、車掌からアナウンスがありました。本来ならば注意するところだったのですが、ここではうまく乗ったことを褒めていたのです。さてここがポイントになるのですが、その電車が走っていたところでは、京都弁のような訛りというか方言であったそうです。つまりは、その褒めていたメッセージには、痛烈な皮肉が内包されていた、ということらしいです。たしかに、発車間際に飛び乗る・・・という行為は、大変危険なものがあります。状況によっては命を落とす可能性があったりします。そうならないためには、余裕を持って電車に乗るか、間に合いそうもない時には乗るのを諦めて次の電車にする、という潔さを持ったほうがいいです。自分のせいで他人に迷惑をかけないように、注意をしていきたいところです。私は、他人の迷惑になる行為を取らないように気をつけていきたいと思いました。以上です。(2009年12月23日)
2024.11.22
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今回の物語では、水野忠邦による改革が行われようとしている状況であるわけですが、結局のところ、この改革は頓挫してしまいます。まあ、歴史をひもとけば、改革というものは数多く起こっております。失敗することが非常に多いのですが、たとえ成功したとしても、そこには犠牲というものが数多くあったりするものです。ときには、改革をしたとしてもしなかったとしても、世の中が変わらなかった・・・ということがあったりします。まさに、この世というものは、どんなことをしようとも普遍のままである、ということなのかもしれません。京極夏彦著「了巷説百物語(おわりのこうせつひゃくものがたり)」KADOKAWA刊 2024年
2024.11.22
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人間関係のトラブルは、職場人に共通した悩みといえるでしょう。些細な誤解が積み重なったり、先入観で相手を見てしまったりと、様々な要因が考えられますが、そこにはまずコミュニケーション不足があります。コミュニケーション指導のプロとして、年間300回以上のセミナーを行っている箱田忠昭氏。改善のポイントとして、1.丁重に接する2.相手を褒める3.感謝する4.微笑みを忘れないという4点を挙げています。なかでも特に注意したいのは「感謝」についてです。感謝の一言がサッと言えなかったり、口先だけの感謝になってはいないでしょうか。希薄な職場環境を作りあげ、それが連携のない仕事に通じ、トラブルを起こすのです。心からの感謝の言葉は、自分を変え、周囲の人たちを変え、仕事の推進力や職場環境をも変えていきます。周囲の人たちの働きによって、ありがたく活かされているのが自分です。多くの支えで仕事が成り立っていることを、深く胸に刻みたいものです。・・・相手から手助けされたときには、必ず感謝をしなければいけません。手助けされたときに、「俺がやろうとしたのに手伝うな」なんて言ってしまったら、手助けした相手は今後一切手助けすることはなくなります。仮に、自分が手助けされたときに、相手からこんなことを言われてしまったら、どう思うでしょうか。イヤな思いを抱くはずです。そんな思いを相手にさせないためにも、相手にはきちんと感謝の念を伝えていきたいものです。私は、相手から手助けされたら感謝するようにしたいと思いました。以上です。(2009年12月22日)
2024.11.21
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この世というものは、自分が思うとおりになるのか・・・といったら、それはそうはならない、というものです。いくら自分がやりたいと思っていても、周囲からは反対されることが非常に多いです。世の中というものは、無数の人の無数の思いが作り上げているものだったりします。今の世の中というものは、今を生きている人たちだけでなく、既に亡くなった数多くの人たちによる無数の思いというもので成り立っている、ということになっております。その8に続きます。京極夏彦著「了巷説百物語(おわりのこうせつひゃくものがたり)」KADOKAWA刊 2024年
2024.11.21
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ここ数年の新入社員の特徴として、「指示待ち社員」が増えているといいます。上司が事細かな仕事の指示をしないと動けない社員のことです。上司は新入社員にたいして、組織の一員として最大限の力を発揮することを期待しているため、ジレンマのある課題となっています。経験や年代の違いから、新入社員にたいして「こんなこともわからないのか」「どうせ指示しても理解できないだろう」などという一方的な思惑により、主従の円滑な人間関係が阻害されてしまうケースもあるようです。「指示待ちは悪い」と一方的に決めつけてしまう前に、確認すべき事項もあります。たとえば、「両者の間に、仕事の方針や作業手順が共通に認識されているか」などがあるでしょう。新入社員としても、上司への行き過ぎた遠慮は排しましょう。必要なことは聞く、発言すべき時は発言するなど、日々の積極的な姿勢が、仕事を追う「気」を養ってくれるはずです。・・・いくら「指示待ちが悪い」なんて言われても、いざ自分のほうから自主的に動いたとしても、「なんで勝手に動いたんだ」なんて叱責を受けることがありますので、そうそうと自分からは動くことはできずに、上司から許可を取ってから行動するほかないです。入社してから間もない頃は、その職場に慣れていない、ということもあり、最初のうちは上司から指示を仰ぐことは致し方がないことです。しばらく経ってから、職場の状況が把握できるようになってから、初めて自主的に行動したほうがいいようです。働いているうちに勘所がわかるようになってきますので、そうなったら積極的に自主的に動いていきたいものです。私は、積極的に行動ができるようにしたいと思いました。以上です。(2009年12月21日)
2024.11.20
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憑き物落としである陰陽師の中禪寺洲齋は、娘である寿々(すず)を殺されてしまいます。その娘を弔うことになるわけですが、陰陽師なりの弔い方があるのでは・・・なんて思うのですが、そこらへんは陰陽師の世界で決められたやりかた、というのはないようで、ただたんに悼めばよい、とのことです。洲齋は、自分のしたいようにするだけであったりするようで、ここでは墓地に埋葬するにとどめているようです。その7に続きます。京極夏彦著「了巷説百物語(おわりのこうせつひゃくものがたり)」KADOKAWA刊 2024年
2024.11.20
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カメラ用レンズの製造、販売を手掛けるタムロンの社長・小野守男氏は、社員第一主義を掲げ、利益の多くを社員に還元し、社員の士気を高めています。小野氏は本社社員600名を一人ひとり社長室に招き、面談を4年間継続しています。社員の顔は名前を覚えるのはもちろん、社の将来を背負う人材を見極め、意欲と資質を兼ね備えた人材に目星をつけ、適切なしゃん教育を促します。同社では以前、全社会議で業績の良い部署が悪い部署を、執拗に責める風潮がありました。そこで小野氏は、そういった状況を払拭するために、会社の評価方法そのものを変えました。部門別に評価するのではなく、会社全体に利益をもたらす「全体最適」に重点を置きました。赤字の部門があれば皆で助け合い、会社全体が黒字になった場合は、利益を全社員に分配するという仕組みです。全部署・全社員が一丸となって仕事に取り組むことは、企業として必須です。「全体最適」の意識を持って、強力な組織を築いていきたいものです。・・・私のような人間は、会社の人材としてはどう見られているのか・・・と思ったら、よくは思われていないのかな・・・なんて思ってしまいます。しかし、そんななかであっても、どうにかして会社に貢献できるかを模索はしていたりします。きちんと仕事をこなすことはもちろんのこと、困っている人がいたらできる範囲内で手助けするようにしております。もちろん、「自分が自分が」と我を張っていたら、それこそ足元を掬われてしまいますので、さりげなくやるように心がけるほかないです。こうした取り組みをし続けていって、本当に会社に貢献ができる人間になれるようにしていきたいところです。私は、会社に貢献できる人間になりたいと思いました。以上です。(2009年12月20日)
2024.11.19
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せっかくこうして生を受けたわけですので、できるかぎりは幸福でありたい、と思ったりします。その際ですが、より多くの幸福を得ようとするならば、より多くの徳というものを積まなければならないようです。自分が得た幸福が他人を犠牲にしたものだったら、その幸福はいつしか破綻してしまいます。相手をたたせるように徳をたくさん積み上げることによって、自分が得る幸福がゆるぎないものになってくる、ということになるようです。その6に続きます。京極夏彦著「了巷説百物語(おわりのこうせつひゃくものがたり)」KADOKAWA刊 2024年
2024.11.19
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世の中には、法で裁けない相手というものがおります。こちら側で罪を犯したならば、必ず罪に問われることになるのですが、人によっては、どんな大罪であっても、罪に問われることがなかったりします。こういうことが起きると泣き寝入りしてしまうことになります。そうすると、こちらから仕返しをしたくなったりしますが、それは極力やらないようにしないほうがいいようです。自らの手で仕返しをしようものなら、その時点で修羅の道を歩むことになる、とのこと。仕返しというものは、愚かな行いである、ということを自覚しなければならないようです。その5に続きます。京極夏彦著「了巷説百物語(おわりのこうせつひゃくものがたり)」KADOKAWA刊 2024年
2024.11.18
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よく、ウソをつくことがよくあったりします。ただ、このウソなのですが、どんなウソであっても、必ず綻びというものがあるそうです。逆に、どれだけ嘘くさく信じられない出来事であっても、真実であった場合、その綻びというものはない、とのことです。まあ、「事実は小説よりも奇なり」というのがあったりしますが、そういうものが実際にある、というのは、驚愕を覚えるところであったりします。その4に続きます。京極夏彦著「了巷説百物語(おわりのこうせつひゃくものがたり)」KADOKAWA刊 2024年
2024.11.18
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競泳の萩原智子さんは、180センチの長身を活かした泳ぎで、2002年の日本選手権では、自由形、背泳ぎなどで史上初の個人4冠を達成しました。しかし、2年後のアテネオリンピックには出場できず、現役を引退。その後、水泳教室で普及活動に打ち込む一方、水泳を取材する立場として活動しました。そして2008年、取材者として北京オリンピックを訪れた際、選手たちの泳ぐ姿に、「また戦いたい」という思いが募ったのでした。萩原さんは、母校・山梨学院大学の学生らと一緒にウェイトトレーニングによる体づくりと泳ぎ込みを行い、レース復帰の準備を着々と進めてきました。現役復帰宣言後の初の全国大会では、自己ベストをマークした萩原さん。以前はプレッシャーを感じやすく、記者やカメラマンを苦手としていましたが、自身も記者を経験したことで、そうした苦手を克服できるようになりました。「29歳で再挑戦する姿に勇気をもらったと言われるのが、今一番の褒め言葉です」と語る萩原さんです。・・・私なんて、本文のような思いを抱いても、自分の夢を実現することは不可能となってしまいました。しかし、だからといって、ここでふて腐れるわけにはいきません。今の状況のなかで、自分ができることをやっていくほかないのかもしれません。自分に与えられた仕事をきちんとこなしつつ、自分ができる取り組みを愚直にやるしかないのです。自分の成長のためにも、泥臭く取り組んでいきたいものです。私は、自分ができることを続けていきたいと思いました。以上です。(2009年12月19日)
2024.11.18
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下総国(しもうさのくに)にて狐狩りをしている稲荷藤兵衛(とうか・とうべえ)は、老中水野忠邦による大改革を妨害する人物をあぶり出すように依頼される。ただ、これを実行するにしても、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が巣くう状況であるらしく、かなりの困難が待ち受けていている。そんななか、山岡百介なる人物が、これまでの事態に深く関わっている、とのことである。さらには、まかしょとよばれる人物が暗躍している、とのことであった。その3に続きます。京極夏彦著「了巷説百物語(おわりのこうせつひゃくものがたり)」KADOKAWA刊 2024年
2024.11.17
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あ々神様・・・私(わたくし)めの世迷い言をお許しくだされ・・・今回の物語のシリーズ・・・私はてっきり完全に完結したものと思っておりました。なんでも、続巷説百物語によって山岡百介が又市と別れ、後巷説百物語によって百介が亡くなってしまいますから。とはいえ、そのあとでも前日譚として続編というものがいくつか刊行されておりましたから、今回の物語も刊行されたのは納得がいく、というものです。ただ、今回の物語が、完全なる完結編となってしまっているようで、これまでにあったエピソードが垣間見ることができたり、このシリーズで登場してきた人物もちらほらと登場してきたりしているようです。その2に続きます。京極夏彦著「了巷説百物語(おわりのこうせつひゃくものがたり)」KADOKAWA刊 2024年
2024.11.17
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ある日の夕方、M子さんは7歳の娘を自家用車に乗せて買い物に行きました。その帰路、土手沿いの道の溝に、左側のタイヤを脱輪してしまいました。突然の出来事に困惑していると、部活動でランニング中の女子中学生たちが通りかかりました。すると、生徒の一人がM子さんに「大丈夫ですか。今、部員が応援を呼んできますので」と声をかけてくれたのです。さらに別の生徒たちは、「大丈夫だから、心配しないでね」と娘の面倒を見てくれたのです。やがて応援に駆けつけた大人たちとともに、生徒たちは車の救出に成功しました。ホッとしたM子さんの横で、生徒たちは、協力してくれた大人たちに「ありがとうございました」と爽やかな笑顔でお礼を言って立ち去りました。「今の若者は自分勝手だ」という意見を聞いたりします。しかし、困っている人を見かけても知らないふりをして通り過ぎてしまうのは、私たち大人のほうです。彼女たちの爽やかな勇気ある行動に、心から声援を送りたいものです。・・・困っている人がいたら助けてあげたほうがいいです。なかには、困っている人がいても見て見ぬふりをするか、やろうとしても途中でやめてしまって立ち去る、なんていうケースがあったりしますが、そういうのを目の当たりにすると、「それはあんまりだよな」なんて思ってしまいます。できる範囲内で助けてあげて、相手のためになれるようにしていきたいものです。私は、自分ができるなかで相手の手助けができるようにしたいと思いました。以上です。(2009年12月18日)
2024.11.17
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店を前代から引き継いだとき、ある問題が起きます。それは、古くからのお客さんをかなり失ってしまう、というものです。前代の頃のお客さんって、当然ながら、前代を慕ってつきあっていたようなものです。で、新しい次の代に替わったとたんに、前代につきあっていたお客さんは、次第に離れてしまうようなのです。次の代に替わっても引き続きつきあってくれる・・・というのは、よほど引き継ぎがよかったか、次の代の人とも慕ってつきあっていた、というのがあるのかもしれません。そんなわけで、いきなり次の代に替わったときには、新たに商売をやり直すような感じになってしまうようです。三上延著「ビブリア古書堂の事件手帖Ⅳ〜扉子たちと継がれる道〜」KADOKAWA刊 2024年
2024.11.16
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オフィス用品を扱うA社で、営業職として勤務7年目のKさん。多くのお得意様に支えられ、仕事にやりがいを持って充実した毎日を送っていました。しかし、競合会社が近くに進出し、A社の経営に陰りが見え始め、不安を抱くようになりました。そのような折り、今後の方針を見極めるために、全社員に向けて業務改善の提案書を提出するようにとの命令が下りました。締め切りは1ヵ月後だったため、安心式っていたKさんでしたが、その後、仕事が忙しくなり締め切り日を過ぎてしまいました。結局、熟考する時間もなく、思いつきを並べただけの提案書を、Kさんはあわてて出したのです。内容の薄さを上司に叱責されるなかで、Kさんは自己を振り返りました。すると、取引先がやむを得ず約束した時間に遅れたときに、心の中で相手を責めていた自分がいることに気づかされたのでした。「人の振り見て我が振り直せ」とは、まさに自分のことだと深く反省をしたKさん。「期日や時間を徹底して守る」と決意を新たに職務に邁進しています。・・・1ヵ月という期限を持たせた課題というものは、よくあったりするもので、私もご多分に漏れずこの課題を受けることがあります。この時なのですが、1ヵ月というものは長くみえるのですが、実際にはアッという間になくなるほど、意外と短く感じてしまいます。そのためか、「1ヵ月もあるからまだいいや」なんて思っていると、たちまちこの1ヵ月は素早く過ぎてしまいます。締め切り目前になると、その課題の量というものはドッシリと重く感じてしまいますので、最後の最後で泣きを見ないためにも、始まってからすぐに取りかかるようにしていきたいものです。私は、期限つきの課題が課せられたら、真っ先に取り組んでいきたいと思いました。以上です。(2009年12月17日)
2024.11.16
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なんらかの事情で本を読めなくなってしまうことがよくありますが、ある時ふと再び読み始める・・・なんていうことがあったりします。かくいう私も、ここ最近は読み進めることができなくなってしまっておりました。残業が多くて読む時間がない!というのがあるのですが、この夏の暑さで体調がよろしくなかったりして、睡眠時間を確保するために本を読むことがままならなかったりしておりました。とはいえ、ここ最近は、本を読むペースが速くなるようになりました。そのきっかけが、宮島未奈の「成瀬は信じた道をいく」です。成瀬の豪快な性格で我が道を行く姿が清々しく、イッキ読みしてしまいました。この楽しさが、それ以降の作品を読むためのやる気にもつながっていったのでは、なんて思ってしまいます。その4に続きます。三上延著「ビブリア古書堂の事件手帖Ⅳ〜扉子たちと継がれる道〜」KADOKAWA刊 2024年
2024.11.16
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初めて訪れた出張先で、Kさんがタクシーを利用した時のことです。トンネルをくぐり、主要道路から外れた複雑な裏街道を進みますが、運転手は装備されているカーナビゲーションを使用しません。「カーナビは使用しないのですか」と尋ねると、「私は使用しません。新人と交代で車を使うので、彼らのためのものなんです」と運転手は答えました。その運転手はカーナビを使わなくても、地元の道路がすべて頭に入っているといいます。お客様に行き先を告げられて、「わかりません」では許されないため、新人にたいしては、カーナビを活用させているとのことでした。運転手は、「当社は新人もベテランも、お客様を安心して目的地にご案内するというのが信条です」と言いました。私たち職場人は、新人もベテランも関係なく、お客様にたいして一貫したサービスを提供するプロに徹しなければなりません。Kさんは、職場で先輩に依存しすぎている自身を反省し、運転手から教わった「プロとしての心得」を肝に銘じ、仕事に打ち込んでいこうと決意したのでした。・・・タクシーの運転手もそうなのですが、職場においては知識を全て知っていることが前提となります。そうなると、私にとっては、そこらへんが心もとなかったりします。あまりにも知らなすぎて、そこで足元をすくわれることがしょっちゅうあったりします。そうならないためにも、知識を覚える工夫というものが必要になるのかもしれません。一度で全て覚えることはできませんので、何度も何度も繰り返して覚えるようにしなければならないのでしょう。全ての知識というものは膨大にありそうですので、それを習得できるように日々の学習を続けていきたいものです。私は、知識を覚える努力をしていきたいと思いました。以上です。(2009年12月16日)
2024.11.15
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扉子と栞子に智恵子は、3人とも17歳の頃は全く同じ容姿をしております。長いストレートヘアーにメガネ。制服はそれぞれブレザー、夏服の白いセーラー服、冬服の黒いセーラー服と、さすがに異なってはおりますが、それでも瓜二つ・・・どころか瓜三つだったりします。3人が一緒にいると、まるで一人の女性が時間を超えて一同に介したかのようだったという語りがあるほどです。この3人とも、ある能力があったりします。それは、読書が無性に大好きであることと、驚異的な記憶力がある、ということです。ただ、それが災いをもたらすことがあるらしく、他人を知ろうとしようとして、不用意に人の心を読み取ったり、指摘をしたりしてしまうようです。そういうのがあるためか、扉子も同級生とケンカをしてしまって、相手から拒絶されてしまったりしております。その3に続きます。三上延著「ビブリア古書堂の事件手帖Ⅳ〜扉子たちと継がれる道〜」KADOKAWA刊 2024年
2024.11.15
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職場人として仕事に携わるなかで、後輩社員は上司や先輩から細かな注意や指摘を受ける場合があるものです。注意や指摘が、自分の能力不足によるもので、納得せざるをえないとしても、注意を受けることは多くの人にとって心地よいものではありません。人は機械のように正確には動けない面が多くあります。ちょっとした不注意が原因で間違いは発生してしまうのです。それに対処するには、仕事の区切りごとに確認をする習慣をつけることが重要でしょう。「やったつもり」ですませていないかどうか、振り返る余裕を持つことも大事です。「やったつもり」による失敗を減らすためには、念には念を入れ、仕事の詰めを誤らないようにするという心構えが必要です。注意や指摘を受けないよう、「詰めの甘さ」がないか確認し、「もう一度見直す」という習慣をつけて、職務に取り組んでいきましょう。・・・仕事において、いつもと同じ作業をしているにもかかわらず、たまにミスを犯すことがあります。どうしても、人というのは機械のようには正確には動くことができず、ちょっとした不注意が原因で間違いが起こりやすい、ということなのでしょう。そういうのがあると、仕事の区切りごとに確認をするようにして、仕事の詰めというものを誤らないようにしなければなりません。私もよく詰めの甘さというものがあったりしますので、作業のたびに振り返って確認するようにしていきたいものです。私は、作業をしているときに確認するようにしたいと思いました。以上です。(2009年12月15日)
2024.11.14
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今回の物語は、とある資産家の邸宅でパーティーが開催されることになり、扉子と母親の栞子、そのまた母親の智恵子が招待されます。そんななか、この三人がそれぞれに関わった夏目漱石の作品が絡んだ出来事というものが、このパーティーに招待された目的に関連しているようです。その2に続きます。三上延著「ビブリア古書堂の事件手帖Ⅳ〜扉子たちと継がれる道〜」KADOKAWA刊 2024年
2024.11.14
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「はしたない」という言葉があります。礼儀に外れたり、品格に欠けるなど、人として見苦しいことを指して使う場合が多いようです。かつての日本人は「はしたない」ことは恥として嫌い、厳しく戒め合ったといいます。しかし、昨今の日本人はそうした部分への歓声が鈍くなったのか、この言葉自体を使う人が少なくなってきました。メイジャーナリストとして名高い櫻井よしこ氏は、自著のなかで「人前での化粧はなぜ駄目なのか。簡単明瞭です。はしたないからです。はしたないことはしてはいけないのです。これ自体が、日本人の基本的な価値観のひとつです」と名言しています。職場においても間違いを間違いとして放置せず、直ちに改めることは基本中の基本といえます。それはまた部下を育成する上司の大切な役割でもあります。「間違ったことは直ちに改めていく」といった取り組みが職場の雰囲気を高め、そうしたなかで一人ひとりの感性や能力も磨かれていくのです。・・・職場のなかで、間違ったことをやることはしょっちゅうあります。その際に、間違いを間違いとして認め、きちんと正していくことが大切になっていきます。同じ職場に長くいると、しょ〜もないメンツやプライドが生まれてしまい、それが間違いを間違いとして認めなくなってしまう・・・なんていくことがあったりします。そうなってくると、職場に悪い影響を及ぼすのです。長く働いているからこそ、謙虚な姿勢を持たなければなりませんし、間違いは間違いである・・・ということを認識していきたいものです。私は、間違いがあったら直ちに認めて直していきたいと思いました。以上です。(2009年12月14日)
2024.11.13
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著者は、木曜の夕方くらいから週末気分になってくるそうです。かくいう私は、木曜が来たら週末の気分になってしまいます。なぜなら、月曜から金曜までの5日間の平日となっていたら、木曜日は平日の後半にあたるからです。木曜がくると、あと1日我慢すれば週末が来る・・・という感覚でいたりするのです。小川糸著「なんちゃってホットサンド」幻冬舎刊 2024年
2024.11.13
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冨永愛さんは、世界中のファッションショーに出演し、トップモデルとして活躍をしています。そのような彼女にも失敗はありました。ファッションモデルは、晴れやかな衣装を身にまとい、輝かしい舞台を歩き回ります。イタリア・ミラノで行われたショーでのことでした。衣装を身にまとい、さっそうと舞台を歩いている時に、片方の靴が脱げてしまったのです。咄嗟の判断で、もう一方の靴を脱ぎ、何事もなかったかのように最後まで歩き続けました。プロとしてやってはいけない失敗にたいして自分を恥じた冨永さんは、二度と同じ失敗を繰り返さぬよう歩行の研究をして訓練を重ねました。そして、上手に歩く技術を身につけていったのです。「ステージで靴が脱げてしまった」という「猿も木から落ちる」ほどの経験が、自身を成長させたのです。失敗は誰にでもあるでしょう。しかし、それで終わらせては進歩はありません。その原因は何か、どうすればよういのかを考え、失敗をただの失敗として終わらせず、自身の成長の糧にしていきましょう。・・・何かをやっていれば、失敗というものはついてきてしまいます。そういうものは、できることなら避けたいところですが、それでも起きてしまうのです。こういう失敗は、原因があるから起きるわけですから、その原因を追及して、改善できる方法を見つけ出し、そして実践していくのです。失敗はやりたくないですし、できることなら同じ失敗はやりたくないです。しかし、気をつけても起こしてしまいますので、失敗が起きてしまったらその都度改善するようにするようにしていきたいところです。私は、失敗したら必ず原因を追求して改善していきたいと思いました。以上です。(2009年12月13日)
2024.11.12
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