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石碑というものは、後年のために記録させるためにあるためにあります。とはいうものの、かなりの年月が経過した石碑というものは、石が劣化してしまう、というのがあるようで、判読ができなくなってしまったりします。できることなら、定期的に作り直したほうがいいのでは、なんて思ってしまいます。その7に続きます。雨穴著「変な地図」双葉社刊 2025年
2026.05.16
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オフィス用品を扱うA社で、営業職として勤務して勤続7年目のKさん。多くのお得意様に支えられ、仕事にやりがいを持って充実した毎日を送っていました。しかし、競合会社が近くに進出し、A社の経営に陰りが見え始め、不安を抱くようになりました。そのような折(おり)、今後の方針を見極めるために、全社員に向けて業務改善の提案書を提出するようにとの命令が下りました。締め切りは1ヵ月後だったため、安心しきっていたKさんでしたが、その後、仕事が忙しくなり締め切り日を過ぎてしまいました。結局、熟考する時間もなく、思いつきを並べただけの提案書を、Kさんはあわてて出したのです。内容の薄さを上司に叱責されるなかで、Kさんは自己を振り返りました。すると、取引先がやむを得ず約束した時間に遅れたときに、心のなかで相手を責めていた自分がいることに気づかされたのでした。「人の振り見て我が振り直せ」とは、まさに自分のことだと深く反省をしたKさん。「期日や時間を徹底して守る」と決意を新たに職務に邁進しています。・・・私も、会社から1ヵ月の期限がついた課題を課されることがあります。その際ですが、どんなに仕事が忙しくとも、できるだけ早くその課題に着手をして、早く終わらせるようにしております。こうでもしないと、1ヵ月の期限というものは、アッという間に過ぎてしまい、最後の最後で「時間が足りない!」となってしまって、結局は未達で終わってしまう事態に陥ってしまうからです。そうならないためにも、早い時期から着手して、余裕をもって課題をこなして、早く終わらせるようにしていきたいものです。私は、課された課題を早く着手するようにしたいと思いました。以上です。(2009年12月18日)
2026.05.16
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三角点というものがあります。これは、地図の作成のために設置されたものです。測量士はこれを参考にしながら、土地の位置や形を手作業で調べて、図面に記していきます。これをもとにして、建物を作っていくのです。この三角点なのですが、こうした側面があるためか、勝手に動かせるようになってはいないようです。そのために、この三角点の下には、とてつもなく長い支柱で頑丈に固定されている、とのことです。まさに「氷山の一角」といえるようなものとなっております。その6に続きます。雨穴著「変な地図」双葉社刊 2025年
2026.05.16
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お次は、その宿の近くにあるという集合住宅です。ここでは、「その3」と異なり、海が下になっております。ここで左側の建物があったところの左側に、その集合住宅右があるのですが、駅からすぐに設けられた細い山道から行けるようになっております。途中に川が流れており、そこには橋がかけられているようです。その細い山道を通ると、以下のような建物が目につきます。その集合住宅の間取りというのが以下になります。ということなのですが・・・ここに人が住んでいた、ということなのですが、トイレはどうしたのでしょうか。外に集合住宅に住んでいる人のための共用のトイレがあった、ということなのでしょうか。それと、台所と居間は区切られていないようです。その5に続きます。雨穴著「変な地図」双葉社刊 2025年
2026.05.15
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初めて訪れた出張先で、Kさんがタクシーを利用したときのことです。トンネルをくぐり、主要道路から外れた複雑な裏街道を進みますが、運転手は装備されているカーナビゲーションを使用しません。「カーナビは使用しないのですか」と尋ねると、「私は使用しません。新人と交代で車を使うので、彼らのためのものなんです」と運転手は答えました。その運転手はカーナビを使わなくても、地元の道路がすべて頭に入っているといます。お客様に行き先を告げられて「わかりません」では許されないため、新人にたいしては、カーナビを活用させているとのことでした。運転手は、「当社は新人もベテランも、お客様を安心して目的地にご案内するというのが信条です」と言いました。私たち職場人は、新人もベテランも関係なく、お客様にたいして一貫したサービスを提供するプロに徹しなければなりません。Kさんは、職場で先輩に依存しすぎている自身を反省し、運転手から教わった「プロとしての心得」を肝に銘じ、仕事に打ち込んでいこうと決意したのでした。・・・「プロとはどういうものか」と問われることがあるのですが、長く働くことができるようになった私としては、お客様に安心してもらえるような振る舞いをしつつ、結果を出す、というのがある、と思っております。そのためには、自分にある程度の実力を身につけなければならない、というのがあるのかもしれません。時には、相手を不安にさせてしまうことは否めませんけれども、それでもそれを覆すような実力を出すようにしていきたいものです。私は、プロとしての振るまいと結果が出せるようにしていきたいと思いました。以上です。(2009年12月16日)
2026.05.15
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お次は、栗原が滞在することになった宿です。栗原は、現地に行って列車に乗ろうとしたときに女性と出会うのですが、その女性の家というのが、この宿だった、ということです。その場所なのですが、ここでは海のほうが上になっておりますけれども、湖隠駅から降りて海に到達したところにあります。その建物は、以下のような外観となっております。3階建ての建物となっており、その傍らに洗濯物を干すためのところがあったり、家で持っている自家用車が停められていたりします。で、その建物の見取り図は、こうなっております。パッと見たところ、よくある構造のものだったりします。1階には、家族が住むスペースがあります。そこが事務室を兼ねていたりするのですが、こうしたものは、私も実際に見たことがあります。とはいえ、2階と3階は客室となっているのですが、それぞれの階にあるはずの、共用のトイレというものがありません。もしかしたら、客室ごとにあるのでは・・・なんて思ったのですが、この宿は家族で経営している小さな宿、ということで、そこまでの施設はないようです。トイレに行くためには、わざわざ1階にまで行かなければならないので、そこらへんは不便なところがあったりします。その4に続きます。雨穴著「変な地図」双葉社刊 2025年
2026.05.15
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今回の物語においては、登場する物件は三つあります。まずひとつ目が、栗原の母方の祖母の家です。平屋建てになっており、これまで登場したものと比べると、不可解に感じる点はなさそうです。とはいえ、栗原と同行した父親は、本来ならば廊下を通るべきなのに、矢印のように、居間をふたつ通り過ぎたかたちで、中庭に向かっていきました。なぜ廊下を通らなかったのか・・・というのが不思議なところです。それと、中庭に、黒いものが置いてあるのですが、これは一体何なのか、ということです。その3に続きます。雨穴著「変な地図」双葉社刊 2025年
2026.05.14
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職場人として仕事に携わるなかで、後輩社員は上司や先輩から細かな注意や指摘を受ける場合があるものです。注意や指摘が、自分の能力不足によるもので、納得せざるをえないとしても、注意を受けることは多くの人にとって心地よいものではありません。人は機械のように正確には動けない面が多くあります。ちょっとした不注意が原因で間違いは発生してしまうのです。それに対処するには、仕事の区切りごとに確認をする習慣をつけることが重要でしょう。「やったつもり」ですませていないかどうか、振り返る余地を持つことも大事です。「やったつもり」による失敗を減らすためには、念には念を入れ、仕事の詰めを誤らないようにするという心構えが必要です。注意や指摘を受けないよう、「詰めの甘さ」がないか確認し、「もう一度見直す」という習慣をつけて、職務に取り組んでいきましょう。・・・仕事をしていると、時には注意を受けることがあります。そうならないためには、「やったつもり」だと思わずに、念には念をいれて確認しながら仕事をすることが大切であったりします。そのためには、いつもやっている作業というものを、確実に実施するようにして、「やったつもり」という思い込みをなくすようにするほかないのかもしれません。確実に実行するように仕事をして、「やったつもり」と思い込んで失敗をしないようにしていきたいものです。私は、確実な仕事をするように心がけていきたいと思いました。以上です。(2009年12月15日)
2026.05.14
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今回の物語は、変な間取りをしている家を調べてきた栗原が大学生の頃の話となっております。その栗原が、父親とともに祖母の家を訪れた際に、ある地図を入手します。その地図には、山と思しきところに、妖怪の絵がいくつか描かれております。なぜ、そのようなものがあるのかを、栗原が調べることになるわけなのですが、その場所というのが、この地図となります。この場所は、とある県の海のほとりにあります。鉄道がしかれており、駅が三つあります。柿道駅と湖隠駅の間には、母娘山があります。そこをトンネルが貫いております。で、湖隠駅の隣は巻鶴海駅があるのですが、その駅の間の距離は、やたらと短くなっております。しかも、柿崎駅と湖隠駅と巻鶴海駅・・・この三つはいずれも列車との行き違いができるようになっておりますけれども、1時間に1本という列車の本数のことを考慮すると、余剰なものとなっております。走行する列車の数が1時間に数本もある、というのであれば、これっくらいの設備は致し方がない、と思うのですけれども。その他には、母娘山の海側には、集落があったところがありますが、現在はそこには誰も住んでいないようです。それもそのはずで、陸地へのアクセスは母娘山に阻まれており、交通手段は船だけ、というものです。陸地へは、母娘山にある細い山道のみ、であったようです。その2に続きます。雨穴著「変な地図」双葉社刊 2025年
2026.05.14
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今回の章では、島成園こと島成榮が展覧会に作品を出展すると必ず入賞するのが当り前となるほどの人気作家となり、そのためか弟子も多数抱えるようになっていきます。その弟子は、やはり女性ばかりであるのですが、その弟子をみている成榮にとっては、いろいろなことが頭を過ってくるようです。まずは、弟子が実力をつけて自分を追い抜いていく、ということ。そして、成榮自身が結婚を渋っているうちに、弟子のほうが先に結婚してしまう、ということ。こうしたジレンマを抱えながら、作家の活動をしている、ということになっております。かくいう私ですが、いったん躓いた人生を挽回しようと躍起になってもうまくいかないなかで、周囲では私を軽々と追い抜いていっているようです。どんなにもがいても、努力しようが一生懸命働こうとしていても、現状がよくなる、ということはないようです。だからといってふて腐れたり自暴自棄になりそうですけれども、そこはグッとこらえて、現状に甘んじながらも、なおいっそうと努力したり働いたりするほかないようです。とにもかくにも、人間的に成長していきたいな、とは思っております。第五章に続きます。一穂ミチ著・丹地陽子画「灰に塗れ〜Paint it, gray〜(第四章 盛花(せいか))」河北新報日刊版掲載 2026年3月23日〜2026年5月12日
2026.05.13
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とはいうものの、最後の最後において、猿のバケモノが主人公に襲いかかってきたか・・・というと、結局のところ、全くもって登場することはありませんでした。その変わりとして、私は、この物語をとおして、この物語のテーマというものを見出しました。それは、怖いと感じることです。相手から、なにか頼まれ事などをされたとしましょう。理由や事情を知っていたのであれば納得ができるのですが、そういったものを知らされない場合は、なにかあるんだろうかなんて、脳ミソをフル回転してあらぬことを考えまくる事態に陥ってしまいます。これが、怖いと感じるものの正体であったりします。私が相手に何か伝えるときには、相手を不安にさせないために、理由とか事情とか、そういったものをあらかじめ伝えるようにしたいな、と思うのです。京極夏彦著「猿」KADOKAWA刊 2025年
2026.05.13
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「はしたない」という言葉があります。礼儀に外れたり、品格に欠けるなど、人として見苦しいことを指して使う場合が多いようです。かつての日本人は「はしたない」ことは恥として嫌い、厳しく戒め合ったといいます。しかし、昨今の日本人はそうした部分への感性が鈍くなったのか、この言葉自体を使う人が少なくなってきました。名ジャーナリストとして名高い櫻井よしこ氏は、自著のなかで「人前での化粧はなぜ駄目なのか。簡単明瞭です。はしたないからです。はしたないことはしてはいけないのです。これ自体が、日本人の基本的な価値観のひとつです」と明言しています。職場においても間違いを間違いとして放置せず、直ちに改めることは基本中の基本といえます。それはまた部下を育成する上司の大切な役割でもあります。「間違ったことは直ちに改めていく」といった取り組みが職場の雰囲気を高め、そうしたなかで一人ひとりの感性や能力も磨かれていくのです。・・・礼儀に外れたり、品格に欠ける言動をする人間を見ると、はしたなく感じます。さすがにそうした人間を真似るわけにはいきませんし、だからといってガミガミと注意するわけにもいきません。そうした人間を見た時は、「自分はああはってはいけない」と認識して、はしたない言動をとらないように気をつけるほかありません。周囲に流されることなく、せめて自分だけでもはしたない言動をとらないように気をつけていきたいものです。私は、はしたない言動をとらないように注意したいと思いました。以上です。(2009年12月14日)
2026.05.13
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今回の物語は、河北新報の書評欄で取り上げられておりました。そこでは、猿に関して解説がなされております。尾を持ち森に住む姿は、ヒトに似て非なる知恵を持つ存在として畏怖された、とのことです。しかし、やがて猿は昔話で対峙される対象となり、「猿まね」や「猿知恵」という言葉が示すように、滑稽で卑小な存在へと矮小化されてしまったそうです。そんなことがあったとしても、人間と猿との根源的な緊張関係は、現在でも我々の文化や意識の深層に伏流している、とされております。その10に続きます。京極夏彦著「猿」KADOKAWA刊 2025年
2026.05.13
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我々人間は、死ぬことはただの終わりとは認識しません。死の、その先を想像するのです。私の場合は・・・死んだらその先は時間というものを意識することができないほどの無の世界に没入してしまうのでは、と思うのです。私は、実際に、突然に気を失った、という経験をしたことがあるのですが、その時には無というものを実感しました。そういう経験を踏まえると、生のその前というものも、無という世界のなかにいる、そういう認識を持ってしまうのです。その9に続きます。京極夏彦著「猿」KADOKAWA刊 2025年
2026.05.12
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冨永愛さんは、世界中のファッションショーに出演し、トップモデルとして活躍をしています。そのような彼女にも失敗はありました。ファッションモデルは、晴れやかな衣装を身にまとい、輝かしい舞台を歩き回ります。イタリア・ミラノで行われたショーでのことでした。衣装を身にまとい、さっそうと舞台を歩いているときに、片方の靴が脱げてしまったのです。咄嗟の判断で、もう一方の靴も脱ぎ、何事もなかったかのように最後まで歩き続けました。プロとしてやってはいけない失敗にたいして自分を恥じた冨永さんは、二度と同じ失敗を繰り返さぬよう歩行の研究をして訓練を重ねました。そして、上手に歩く技術を身につけていったのです。「ステージで靴が脱げてしまった」という「猿も木から落ちる」ほどの経験が、自信を成長させたのです。失敗は誰にでもあるでしょう。しかし、それで終わらせては進歩はありません。その原因は何か、どうすればよいのかを考え、失敗をただの失敗として終わらせず、自身の成長の糧にしていきましょう。・・・本文のようなファッションショーのように、生でお客さんのいるところに立たなければならないときは、本来ならば失敗は許されることではありません。しかし、そういう状況だからこそ、失敗は必ず起こってしまうのは否めません。そういうときにあたふたしてしまったら、それこそプロとしてはいただけません。まさに何事もなかったかのようにふるまうようにして、あれこれとアドリブをやるほかないのです。失敗してしまったならば、本文のようにあとで教訓として捉えて研究やら練習やら訓練やらをやるほかないのですが、いざ本番での失敗のときには、とっさの判断というものができるようにしていきたいものです。私は、いざというときには機転を利かせることができるようになりたいと思いました。以上です。(2009年12月13日)
2026.05.12
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寿司屋では、よくアガリムラサキオアイソという言い回しをよくするそうなのですが、寿司屋にとっては何だコイツと思うそうです。こうした言い回しは、通ぶってドヤ顔で言う・・・という印象があるようですので、このときは大人しく一般的な言い回しで言うようにしたいな、と思います。その8に続きます。京極夏彦著「猿」KADOKAWA刊 2025年
2026.05.12
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事故物件というものがあります。自殺や殺人事件などといった物騒な出来事があった物件を指すもので、家賃が安く設定されがちです。この事故物件ですが、病気や老衰などで自然死をしたときにも、そう認定されることがある、とのことです。こうした死に方も、自殺や殺人事件と同類のものである、というのが、せちがらいものがあったりします。その7に続きます。京極夏彦著「猿」KADOKAWA刊 2025年
2026.05.11
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このレビューのように、インターネットなどで様々な意見を発信するのですが、そのうち、一部だけが切り取られて拡散されてしまう、なんていうのがあったりします。そうなってくると、自分が意図しないものが認知されてしまう、というのがあったりします。できることなら、自分の意図がきちんと正しく伝わればいいのですが、時にはそうならないことがあるわけで、気をつけていきたいところであったりします。その6に続きます。京極夏彦著「猿」KADOKAWA刊 2025年
2026.05.11
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この物語では、家族の人間がカルト宗教にハマってしまったので、カルト一般を全て禁止する、というのがあります。たしかに、カルト教団は眉唾モノでありますから、ハマってしまって家庭がおかしくなってしまう、というのがあるだけに、カルトそのものに疑問を抱くことは致し方ないです。とはいえ、そのカルトのうち、妖怪などの想像を要するものまで禁止するのは、どうかと思うのです。明治時代に妖怪といったものを「なかったもの」にしたばかりに、その後どうなったのか、というのを思うと、それがいかに危険なものであるのかを、私は思うのです。その5に続きます。京極夏彦著「猿」KADOKAWA刊 2025年
2026.05.11
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呪われて殺される、というのがある一方で、残虐なことをされて殺される、というのがあります。どちらがいいのか、ということですが、この物語では、呪い殺されるほうが残虐で殺されるよりはマシである、ということになっております。たしかに、呪い殺すというのは、主にフィクションによくあるものですが、残虐で殺されるのは現実にあるものですので、どうしてもそう思ってしまいがちです。その4に続きます。京極夏彦著「猿」KADOKAWA刊 2025年
2026.05.11
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ある日の朝礼で、S氏は不思議な感覚を味わいました。朝礼リーダーになっていたS氏は、普段以上に大きな声を出し、参加者がスローガンを発する声がひとつになるよう、氏から声を合わせるようにしました。全員の声がピッタリ一致して声を出していた時でした。S氏はこれまで味わったことのなかった心地よさを感じ、心が明るく元気になったのです。この現象は、脳の研究でも解明されています。東邦大学医学部教授の有田秀穂氏は、自分以外の誰かとコミュニケーションが密になると、脳の前方に「共感脳」とよばれる部位が活性化され、癒しの効果につながるといいます。自分の行為が人に感謝されることで、自信も幸せな気持ちになれます。これが、人間が発達させてきた「脳」が選んだ幸せの形なのです。したがって、「共感脳」を適度に刺激するきっかけが、S氏の参加する朝礼にはあったといえるでしょう。声を合わせて挨拶をしたり、相手の話にうなずくなど、自分から相手に共感する働きかけをして、幸福感あふれる職場を築いていきたいものです。・・・私の場合は、本文とは真逆の出来事を体験しました。要するに、相手から感謝されずに有り難迷惑に思われてしまった、というものです。こういう体験をすると、私はイヤな気持ちになってしまいます。できることなら、誰かから助けられたら、感謝をするようにしなければならないのです。相手に感謝をすると、やってくれた相手は「やってよかった」と思ってくれます。これが共感脳のことになるわけですので、できるだけ感謝をするようにしていきたいものです。私は、相手から助けられたら感謝するようにしたいと思いました。以上です。(2009年12月12日)
2026.05.11
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ゾンビ、っていますね。一度死んで腐乱するのですが、そんななかでも生き返ってしまう、というものです。その一方で、幽霊というのがあります。こちらは肉体はないのですが、死んだ人の魂が目に見える形になるわけです。これを踏まえて、ゾンビになった人はもう死んでいるわけだから、幽霊が存在するなら、みんな化けて出てきたっていいのでは?、なんていうのがあったりしますが、実際にはそういうのはあり得ません。ゾンビになったり幽霊になったりする人は、かなりの怨みが深かったりするのですが、そういった存在が、怨みの対象に何かをする、ということはないのです。とはいえ、だからといって、相手に怨みを持たせるほどの非道をしてもいいのか、といったら、それもまたいけないのです。できることなら、殺さない、ということは当然として、相手に怨みを持たせるような言動は慎みたいものだな、と思うのです。その3に続きます。京極夏彦著「猿」KADOKAWA刊 2025年
2026.05.10
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今回の物語は、怪と幽という雑誌において、Vol.017からVol.20にかけて連載されていたものです。私はその連載を読みまして、レビューとしてまとめております。第一回第二回第三回第四回このときの連載においては、第四回で最終回となります。主人公の女性が目的地に到着することができたのですが、そこの住人が首を吊って自殺をしてしまう、という場面で終了、となります。このときのラストは、こうなっております。「警察って・・・救急じゃなくてですか」「もう亡くなっておるし、一応変死ではあるから・・・」首吊りですよと別の老人が言った。これがですね、単行本となった際にですね、ちょっと変わっております。「警察って・・・救急じゃなくてですか」「変死ぃ」山川は裏返った声を発した。「もう亡くなっておるし、一応変死ではあるから・・・」首吊りですよと別の老人が言った。単行本においては、「変死ぃ」山川は裏返った声を発した。と、この部分が追加されております。しかも、単行本においては、284ページの中盤になっており、ここでページが切り替わる、ということにはなっていないようです。ちなみに、Vol.017では主人公の女性が目的地に向かうべく自宅から出て、新幹線で岡山に到着するまでを、Vol.018では岡山に到着後に主人公の親戚並びに弁護士と出会う直前まで、Vol.019では、その弁護士と会ってから目的地に向かい、途中でフードコートのようなところで食事をし、ホテルで一泊するところまで、そして最終回となるVol.020では、ホテルから出発してから目的地に到着するまで、となっております。この物語はしめて363ページありまして、連載で終了した場面からラストまでは79ページあります。ということは、ラストまではそんなにない、ということになります。はたして猿のバケモノは出てくるのか・・・というのが、この物語のカギとなりそうです。その2に続きます。京極夏彦著「猿」KADOKAWA刊 2025年
2026.05.10
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文化庁が、全国の16歳以上の男女・3480人を対象に「国語に関する世論調査」を行いました。この10年で、「言葉で伝えるより、察し合って心を通わせることを重んじる」人が、1.4倍に増えたという結果が出ました。調査は面接方式で、「人と付き合う時、互いの考えをできるだけ言葉にして伝えるか、全部は言わなくても互いに察し合うことを重視するか」と問いました。回答は、「言葉にする」は38%で、前回の調査(1999年度)から12ポイントも減少したのにたいし、「察し合う」は10ポイント増えて34%でした。この結果について同庁では、「KY(空気が読めない)と言われることを恐れ、場の空気に合わせようとする風潮の表れでは」と指摘します。人づきあいでは、お互いの気持ちを察し合う能力に欠けると自分勝手になり、場の空気に合わせるだけでは、自分の意志はいつまでも相手に伝えられません。空気を読む受信能力と、言葉による思いの適切な発信が必要です。言葉と察し合いのバランスをとって、心地よい職場の空気をつくりたいものです。・・・できることなら、自分がやっていることにたいして察してほしいと思うのですが、現実的には、そううまくはいきません。これが、自分がとっている言動が正当化できるものであればいいのですが、なかには、正当化できないときでも察してほしい、なんて思ってしまうこともあります。それは、よく言われている「忖度(そんたく)」というものであるのかもしれません。そうしなければ、正しいと判断している自分のほうが間違っている、と認識させられてしまうのです。こうしたことがないように、正しいことは何なのか、ということを、常日頃から考えていきたいものです。私は、正しいことは何かをいつも考えるようにしていきたいと思いました。以上です。(2009年12月11日)
2026.05.10
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今回の本のレビューとして、これが最後となるのですが、よく、泣けたと語りたくなるのですが、これもやめたほうがいいようです。これは、評者が書くことではないようで、大きなお世話だ!と思われてしまいます。自分が対象となる物語に触れて、どう感じたか、ということです。そのうえで、実際に自分が涙をした場面に関して、そのときの想いをつづる・・・それが、レビューを読んだ人がグッとくることにつながっていくことでしょう。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.10
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本や映画などの論評をすると、評点をつけたくなるのですが、それはやめたほうがいいようです。何様のつもりか、なんて思ってしまいます。そのほかに、「ぜひ本書を読んで確認してほしい」なんていうのがあったりしますけれども、これは自分の評を書かないことになるそうです。たしかに、ネタバレをしたらどうなるのか・・・なんて思ってしまうのですが、そんなことを気にせずに、自分が思ったことを正直に話したほうがいい、ということなのでしょう。その17に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.09
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外科医のA氏は、救急外来で宿直勤務をし、仮眠をとってから近くの喫茶店へ朝食を摂りに行きました。すると、コーヒーとサンドイッチを運んでくれたウエイトレスから、笑顔で「いつもご利用ありがとうございます。たいへんお疲れのご様子ですが、お加減はいかがですか」と思わぬ一言をかけられたのです。このところ勤務状態がハードで、疲れを感じながら仕事を終えたA氏。ウエイトレスの言葉と笑顔に、それまでの疲れが吹き飛んだようで、うれしくなりました。同時に、「よく気がついたな」と感心させられました。お客様を丹念に観察し、日々真心で接しているからこそ、食事を運ぶ短い時間のなかで、このような温かな言葉が出るのだと思いました。以来、A氏は患者さんに接する際には、病気以外にも「その人自身を見よう」と気持ちを新たにし、気配りを忘れずに診察をしています。・・・私が某喫茶店で飲み物などを頼んだ際に、店員からちょっとした会話をふってくることがありました。その会話は、何気ないものであるのですが、なにかいい感じがするな、と思って、私はその会話に返答しました。このように、ちょっとした会話をふる、というのはいいのかもしれません。それが温かい人間どうしのやりとり、というものにつながっていきますので。私は会話が成立しないことを経験したことがありますけれども、できることなら、自分のほうから会話を成立させるように、なんとかして返答するようにしていきたいものです。私は、会話のやりとりができるようになりたいと思いました。以上です。(2009年12月10日)
2026.05.09
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現在では、こうしてパソコンで文章を書くことが多いですけれども、本来ならばワードプロセッサー・・・ということで、Wordや一太郎といったワープロソフトを使いがちですが、著者は、できることならテキストエディターで書いたほうがいい、とのこと。著者の場合は秀丸エディターを使っているそうです。私も、WindowsのPCを使っていたときには、その秀丸エディターを使っていたことがあったのですが、今ではMacを使っている私としては、秀丸エディターがMacに対応していない、というのがあって、テキストエディターを使っておりません。その代わりとして、著者が推奨していないWordを使っております。ただ、その使い方なのですが・・・このように、Wordをテキストエディター風にアレンジして使っております。表示をWebレイアウトにしたうえで、フォントを教科書体にしております。こうすることによって、綺麗な文字で文章をしたためることができるようになっております。その16に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.09
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小説などの物語に関して語るときには、その物語が書かれている本の装丁を語ってもいい、とのことです。本の内容と密接にリンクしているときは、書く必然性がある、とのこと。これに関しては、私が主に印象があるのは、京極夏彦です。京極の作品は、1000ページを超えることがあるほどの長編を数多く手がけております。そのせいか、見た目がレンガやブロックに見えるほどの凶器本になることがあるのですが、そのなかで絶大なインパクトがあるのは、ヒトごろしです。その、単行本のほうです。もう・・・見た目がブロックそのものです!しかも、カバーをはずすと、血糊みたいなものがあったりして、物騒さがさらにアップ!2026年現在でも買うことができるようですので、圧倒的で物騒な逸品を手にしたい方であれば、挑戦してみてはどうでせうか。その15に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.08
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どのような仕事でも、実務に取り組み成功体験を積み重ねていくなかで、実力が養われていきます。実力とともに、プロとしての意識も高まっていくものです。加えて、理想と目標を多面的に捉え、合理的に処理する能力を向上させるためには、集合教育が有効です。時には、社外研修を受ける必要性もあります。しかし、研修の効果は短くて1週間、長くて1ヵ月続くかというところでしょう。研修での決意と計画が、いつの間にか日常の業務に流され、現実の壁に阻まれてしまうのです。挫折の要因は、楽観的な現状分析、単純な実行手段、高すぎる目標設定、無理な時間設定など、計画の甘さにあります。それにもまして、「研修の決意だからまあいいや」とプロの誇りを投げ捨てることが影響します。プロとしての誇りを取り戻して、再び実践計画を修正しながら、目標に食らいついていく意志の強さが必要なのです。社外研修のあとには、実はプロとしての誇りこそが、最も問われているのです。・・・たしかに、いざ目標を掲げたとしても、やらなければならない日常業務をこなしているうちに、その目標がないがしろになってしまうのは否めません。その要因としては、いろいろあるのですが、仕事をしているうちに、一度決めた目標をいつの間にか忘れ去られてしまう、というのがあるのかもしれません。自分が決めた目標を、日々こなさなければならない仕事をし続けても忘れないためには、どうすればいいのか、ということを意識しなければならないようです。自分が決めた目標を忘れないようにして、自分がやっている仕事の意義を意識していきたいものです。私は、自分が決めた目標を忘れないようにしたいと思いました。以上です。(2009年12月9日)
2026.05.08
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引用というものがあります。本に書かれている文章を、そのまま転載するものです。・・・と、こうしてみると、これはよくないんじゃないか、と思ってしまいます。なんていったって、無断転載を禁ずなんていうのがあったりしますので、思わず躊躇してしまうのですが、著者としては、積極的にやったほうがいいそうです。むしろ、積極的にやらないと、あんまり信用したくなくなる、とのことです。本文の引用とは、試食みたいなもので、著作から一番オイシイと思われる文章を抜くわけです。その引用部分にひかれて買う人もいるくらいです。そのためか、気にすることなく、盛大に引用をしたほうがいいようです。その14に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.08
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柱というものがあります。文章のなかで言いたいこととなる話題のことです。文章が長くなってしまった場合、一つの柱だけではつらいものがあるそうです。そんなときは、少し話題を転換して、柱というものを2、3本立てるようにしたほうがいいようです。その際には、梁とよばれるものを用意します。これで「はり」と呼びます。用意した柱に関連する話題ですね。そうすることによって、パッと見たところ関連性のないように見える柱が、つながっているように見えてくるようです。その13に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.07
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国内外で60店舗を展開する、お好み焼きチェーン店の「千房」は、経営者と社員の「共育」を理念に掲げて成長してきました。外食産業は、慢性的な人材不足に悩んでいるといわれています。社員の定着率の低さなど、開業時から千房を取り巻く環境も厳しいものでした。入社を求めてくる若者は、やる気がなかったり、挨拶もできない人たちばかりでした。社長の中井政嗣氏は、学歴も成績も一切問わずに採用し、そのような若者たちに本音で向き合いました。「挨拶や返事すらできなかった子が成長してくれたら、自ずと自分も成長する」と、実体験から氏は語ります。「社員のやる気を引き出せる環境がつくれないのは、トップが悪い。どんな人間でも、しっかり見てもらってきちんと褒められれば、何事にも自信がつき、前を向いて頑張れる」と、中井氏はやる気を伸ばす「共育」を実践します。人に本気で向き合うには、一緒に工場していくという心構えが大切です。経営者は社員を、上司は部下を、愛情を持って育てたいものです。・・・人を育てるというのは、非常に難しいものがあったりします。「ああしろ」「こうしろ」なんていいながら指導しても、うまくいかなかったりします。こういうときは、こちらからどうのこうのと言わずに、相手が求めたときに応えるようにしたほうがいいのかもしれません。そのときには、相手は学びたかったり、成長したかったりする気持ちがあるからそうするのでしょう。こちらからガミガミ言わないように気をつけて、相手から聞かれたら応じるようにしていきたいものです。私は、相手から聞かれたときに応じるようにしたいと思いました。以上です。(2009年12月8日)
2026.05.07
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マンガや音楽の演奏などで、よく元からある作品をまねることをよくやっているのですが、そういったことを積極的にやったほうがいいようです。まねるから学ぶ。学ぶから変われる。オリジナルになれる。だから、続けることもできる。ということなのでしょう。そういえば、AKIRAの作者である大友克洋も、まねることを積極的にやるように、ということを語っておりました。その12に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.07
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「ですます」調は敬体とよばれるもので、「である」調は常体とよばれております。論評のときは、どちらを使ってもいいそうです。私の場合ですと、この「ですます」調と「である」調を、明確にわけております。「ですます」調は、主にこのように、フリーで語るときに使っております。それにたいして「である」調は、あらすじを語るときに使っております。そのかわり、「この物語に関して」ということで、あらすじをざっくりと語るときは、「ですます」調で語ることにしておりますけれども。その11に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.06
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へつらいというものがあります。自分が思ってもいないことを、自分の利益のためにする行為です。それだけでなく、作者をおだてたり、世間に合わせたりもしていたりします。これによって、心にもない言葉で、皆を欺いたり、スキにつけ込んだりするそうです。その10に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.06
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論評をする際には、自分のことを書くことはよくあるのですが、その一方で、自分事を書く、というのがあったりしますが、それはいけない、ということです。つまりは、私はこう思うみたいなことを語ってしまう、ということです。とにかく最&高!とか、もうね、たまらないんですよ!とか、やたらと馴れ馴れしく、一人でおもしろがっているタコ踊りな文章になりがちだそうです。それと、ぜひという言葉をやたらと使いたがる、のもそうだったりします。私は、できる限りそういうことにならないように気をつけてはおりますけれども、そう感じてしまったならごめんなさいです。その9に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.06
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評論家の真価を決めるのは、全く情報がないものに、何を語れるのかということだそうです。文字資料がなくて名前も知らない人物を、目隠しプレイのような状態で触れたうえで、何が言えるのか、ということです。私の場合、この本の著者は存じてはおりませんけれども、すでにこうして7つも話題をこしらえておりますので、大丈夫だと思っております。その8に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.06
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書評を書く人でしたら、自宅には1000冊も蔵書をするべきである、とのことです。人文系のまともな研究者の場合は、その倍の10000冊も・・・なんていうこともあるそうです。とはいえ、私の場合ですと、1000冊も10000冊も蔵書をすることは不可能です。今までここで取り上げられた本をずっと家に置いたとなると、その時点で私の部屋は本だらけになってしまって、まともに寝たり、まったりと過ごしたりすることができなくなってしまいます。そのため、半年に一度、定期的に某古本屋で、これまで読んだ本を売るようにしております。そのかわりとして、読んだ本は読みっぱなしにはしないで、こうして文章にしたためて、記録として残すようにしております。その7に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.06
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大実業家アンドリュー・カーネギーは、常に新しいことを学び、いつでも「代理」として仕事ができるよう、準備を万全にしてチャンスをつかみとりました。貧しさのため学校に通えず、工場で働き始めたカーネギーは、雇い主の代筆を引き受けたことをきっかけに出世しました。以来、様々な仕事の代理を任されては、自身がつくまで練習を繰り返しました。その結果、類いまれなるステップアップを成し遂げ、鉄鋼王と呼ばれるまでに上りつめたのです。常に変化を遂げているビジネスシーンにおいて、指示されたことだけをこなしているだけでは、大きな自己成長は望めません。チャンスへの対応も自然と鈍くなり、消費者が求めている部分も気づきにくくなります。また社員の欠員などにより、管轄外の仕事が急に飛び込む可能性もあります。常に代理役ができる人員体制が整っているかが、会社の安定度に影響します。自分が任された仕事だけに満足するのではなく、いつでも代理が務まるよう周囲の仕事に目を向け、自己の幅を広げていきましょう。・・・仕事をしているなかで、割り当てられたものをこなすことは大切です。しかし、それだけでいいのか、といったら、そうではないと思うのです。仕事をこなすだけでなく、勤務をしていない時に努力する姿勢を持たなければならないようです。そうすることによって、人間的に成長できるようになりますので、自分のためになることを積極的にやっていきたいものです。私は、仕事をしていない時には努力をし続けていきたいと思いました。以上です。(2009年12月7日)
2026.05.06
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評とはどういうものなのか、ということですけれども・・・それは、評をする人物が、何を感じたか、何を読み取ったか、というものを指すことであるそうです。よく、論評をするということで、あらすじを書くだけ、というのがあったりするそうなのですが、それだけではいけない、ということらしいです。その6に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.05
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今回の物語なんですけれども、私が観たものとしては「ルーブルへ行く」「懺悔室」に引き続き三つ目となります。最初の作品を見た時には、圧倒的な映像美に魅了されてしまいました。ホンモノのルーブル博物館!ホンモノのモナリザ像!そのうえで、ホンモノのスタッフ陣、ホンモノのキャスト陣も加わって、ドラマ嫌いな私であっても思わずのめり込んでしまいました。惜しむらくは、この物語がテレビドラマである、ということ。できることなら、映画で観たかったな、なんて思ってしまいます。・・・露伴の担当編集者である京香は、他に担当している作家のマンガを露伴に見せていた。たしかに、そのマンガはピカリと光るいいものがあるのだが、それ意外は凡庸でありきたりだ、と露伴は酷評するのである。その作家を担当している京香でさえ、その作家と実際に会ったことがなかったためか、自らその作家を訪れることになったのである。・・・その作家は、超絶にヤバいものがあるようで、相手の唾液をなめることで相手の声をものにすることができます。ただ、その効果は一時的なものとなっております。その効果を永続的なものにするためには、相手の舌を食べてしまう、とのことです。それによって、相手の言いたいことを自分のものにして、それをもとにしてマンガを創作していっているようです。マンガをはじめとして、あらゆる作品というものは、できることならオリジナルなものがいいです。しかし、いくらオリジナルなものがいい、とはいっても、まっさらな状態で新たな物語を作ろう・・・なんていうことをやろうとするのは無謀そのものである、と私は思うのです。物語というものは、モチーフというものがあって、それに独自の設定を肉付けすることでできあがるものである、と思います。そのためにも、取材という名目で、様々な人から話を聞く、というのも、必要なものであるな・・・なんて、今回の物語を観て痛感しました。さすがに、この物語のように、相手のツバをなめたり、ましてや相手の舌を食べよう・・・とは思いませんけれども。
2026.05.05
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よく、書評を見ていると、○○ワールドが全開!なんていうものを見かけることがあります。そういうものは、できる限り書かないようにしたほうがいいようです。読者に知識があることを前提にしている、書き手の甘えである、とのことです。たしかに、書き手によって作風が左右される、ということはよくありますので、その書き手らしいな、ということを言いたいために、「○○ワールド」と評することになったのでしょう、多分。今回の本では、東野圭吾のことが取り上げられておりますけれども、私にとっては、東野はもともとはエンジニアをしていた、という経歴がありますので、作品のなかに理系の要素が盛り込まれることが多い、という印象があります。その5に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.05
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本によっては、取り上げられた本のリストが巻末にあったりします。このリストに取り上げられた本や作品を全て読む、ということをよくやっていたりします。私の場合ですと、物語でとりあげられた作品を全部読んだ、という暴挙をやったことがあります。まずは京極夏彦の「どすこい。」と「南極」。いずれも、元ネタの作品があるパロディー小説となっておりますが、私はその餌食(!)になった作品を全て読破せしめたことがあります。それと、蒼月海里の「幻想古書店で珈琲を」・・・これ、何冊か刊行されておりますが、取り上げられた全ての作品を読破せしめたこともあります。このように、物語で取り上げられた元ネタの作品を読む、というのも一興だったりします。その4に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.05
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20年ほど前は見渡す限り不毛の沙漠だった、中国・内モンゴルのクブチ沙漠に、緑の森が広がりつつあります。クブチ沙漠の緑化は、日本砂漠緑化実践協会初代会長の故・遠山正瑛氏が、86歳の時に一人で挑んだことが始まりでした。氏の活動に賛同した倫理研究所は1999年、クブチ沙漠の一角に「地球倫理の森」を創成し、毎年、緑化隊を派遣して植林活動を続けています。10年の間に、第1次緑化隊から第44次隊まで約1500人を派遣し、地元の中国の人たちとの共同作業で、30万本のポプラの苗木を植えました。この緑化活動は、沙漠を緑に変えたばかりでなく、中国人関係者の感情を変えました。緑化隊の明瞭・愛和・喜働の実践や人柄、態度に接するうちに、「これが本当の日本人の姿だ」と感じ、尊敬する気持ちが湧いてきたというのです。沙漠の緑化は、乾いた沙(すな)だけでなく心にも潤いを与えたのでしょう。「継続は力なり」といいます。10年間の地道な実践の積み重ねが、「地球倫理の森」を「沙漠緑化のモデル」「日中友好のシンボル」に育てたのです。・・・私の場合は、出会った人全員から避けられる傾向にあります。そんななかにおいても、誰からも慕われるように泥臭く努力するほかはないようです。長い間の地道な実践の積み重ねで、本当に慕われる人間になれることを期待しつつ、努力し続けていきたいものです。私は、ひたむきに努力し続けていきたいと思いました。以上です。(2009年12月6日)
2026.05.05
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サラダ油をさすというと、料理のことかな、なんて思うのですが、これはターンテーブルという、DJがよく使う機械に、そのサラダ油をさしてしまう、というものです。機械用の油・・・潤滑油でしたら問題はないのですが、サラダ油をさしてしまったら、壊れてしまうことは間違いないです。これをやった人は、現在では日本のDJの草分けのような存在となっているそうです。ここからは、そういうことをやるほどに、誰に教わることもなく、自分で試行錯誤をして、ああでもないこうでもないと、苦しんで、工夫して、自分独自の方法論にいきつくようにする、ということなのです。時には恥をかくこともあるかもしれませんが、それほどのことをやることで、達人の領域にまで行き着くことができるのかもしれません。その3に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.04
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現在では、AIが普及しております。やりたいな、と思うことをいろいろと注文をつけると、そのとおりにやってくれる、というものとなっております。しかし、そんなAIでも、やれないものが三つあるそうです。ひとつが、発見。我々ですと、本を読んだときの感想というものを抱くことができるのですが、AIでは冷静で理知的な文章ができあがるのですが、そこには、発見した喜びや感動といったものが見られないようなのです。もうひとつが、正確。AIは、たしかに正確で間違えることはありません。しかし、文章に書かれてはいないものの、その文章に内包されている感情というものが、その正確さを指すようで、AIはその正確さを持つことができない、とのことです。最後のものが、体験です。AIは、いかんせんコンピューターそのものですが、人間の身体というものは持ち合わせておりません。目で見て、耳で聞いて、匂いを嗅いだり、味を味わったり、ものを触れたり・・・そんなことはAIにはできません。そして、そこから感じたものを文章にしたためる、ということができないでいるわけです。そんなわけで、読んだ本の感想文をAIまかせにしても、人間的な感情を感じるようなものはできない、ということになるのでしょう。その2に続きます。近藤康太郎著「本をすすめる」本の雑誌社 2026年
2026.05.04
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世の中に出回っている本は、無数にあります。そんなわけで、たくさん本を読めばいいのか・・・ということなのですが、必ずしもいいわけではないようです。たくさんの本を読んではいても、全ての本の内容を把握できるか、といったら、そうはいかないみたいです。1冊の本をじっくりと読んでは、そこに書かれている内容をガッツリと把握する、というのがいいようです。私も、かなりの本を読んではいるのですが、さすがに読んでオシマイ・・・ということは、決してやっておりません。読んだ本の内容をメモ書きしたりして記録しておき、それをもとにしてレビューとしてまとめておりますので、まあ大丈夫だろうな・・・とは思いますけれども、読んだら読みっぱなしにはしないように気をつけていきたいと思っております。伊藤氏貴(いとう・うじたか)著「読む技法」中央公論社刊 2025年
2026.05.04
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芥川龍之介の作品に、藪の中というのがあります。とある殺人事件があるのですが、この事件に関わった7人が、この事件の証言をすることになります。その7人のうち、4人は証人で、3人が容疑者となります。この7人が、それぞれ独自の証言をするわけですが、それぞれの視点で語ることになります。この「藪の中」において、事件の真相はとてつもない混乱に陥れることになってしまいますが、物語によっては、あらゆる視点で語られることになり、物語に深みを増すことにつながって、いいこともあったりすることもあるようです。その8に続きます。伊藤氏貴(いとう・うじたか)著「読む技法」中央公論社刊 2025年
2026.05.04
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今回の本には、映像化ができない作品がいくつか取り上げられております。まずは、色の描写があるものです。ある特定の物を印象づけるために、あえて色をくっきりと強調する、というのがあります。この場合、物語のはじめのときはモノクロにしておいて、特定の物が登場したときに、その物の色をつける、というのがあるのですが、こういうのがたくさんあると、「あ、あのパターンか」なんて見透かされてしまいそうで、あんまり映像化することはないかもしれません。もうひとつが、物語の核心となるものを、最初から映像で見せたくない、というのがあります。物語の最中に、「なんでこういうことになるんだろう」なんて思わせておいて、最後の最後でなぜそういうことになったのかを説明したほうが、「ああなるほど」と納得することができるのですが、映像化するとなると、その核心となるものを最初から見せつけることになってしまって、興醒めなことになってしまう、というのがあるのかもしれません。その7に続きます。伊藤氏貴(いとう・うじたか)著「読む技法」中央公論社刊 2025年
2026.05.04
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