2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全21件 (21件中 1-21件目)
1
今日の礼拝メッセージは「なぜ人を殺してはいけないのですか」という著書があるヒュー・ブラウン氏の体験をもとにコリント人への第2の手紙5章12~21節からの話だった。「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、全てが新しくなりました。」17節非行にはしり、テロ組織にまではいって犯罪をしてきた彼が、刑務所の中で「ベン・ハー」という映画をただ暇つぶしのために観ていた時に、映画の中のイエスさまの十字架の場面に自分も居合わせた感覚を体験された。(私も似たような体験があることが思い起こされ、共感の涙・・・)そこで気づいた、自分の罪とは、非行や犯罪ではなく、神様と離れて自分勝手に生きてきたことだった。非行や犯罪は病気の"症状"であって、"原因"ではなかった。罪に気づき悔い改め、新しい人(神の子)とされてようやく、今までの悪い習慣(犯罪)をやめることができたと。「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために芯でよみがえった方のために生きるためなのです。」15節神の子とは、赦すことができる。(個人的には、"できる"というより"できるように努める"って感じですが)憎しみを平和に変えるのは赦すこと。自分が痛めつけられるより、自分の親しい人が痛めつけられるのを見たとき、その相手を憎しみ、相手を殺すことを喜びとしていた。でも、憎しみは平和を生まない。「平和をつくる者はさいわいです。その人は神の子供と呼ばれるからです。」マタイによる福音書5章9節この箇所の紹介もあった。(あぁ、これは、今年私に与えられている御言葉。今年初めは、こんな重い御言葉が与えられ、理解もできないし何をどうしていいのかわからなかったが、この8ヶ月の間に折に触れこの言葉への理解が深まる話が聞け、またわたしの心や行動も変えられている。予想すらしなかったことだ。)「神は、キリストによって、私たちをご自身と和解させ、また和解の努めを私たちに与えてくださいました。」18節こんなにはっきりと"和解の努め"を私たちに与えられたと書いてあったんだ。再び平和について思いをはせる。世界の国々の、そして、わたしの周りの、家族の、自分の心の・・・平和。赦すこと。
2004.08.29
コメント(6)
息子の自由課題をようやく終えることができた。午前中、息子の"針金貯金箱"の製作指導(息子ではできない作業がほとんどなので、大方わたしの作品)と、もう一方で娘のクッキー製作指導。あちらへ行きこちらへ戻り、口を出し手を出し、昼過ぎにようやく両方とも出来上がった。かなり疲れた。疲れたぁ~、誰か昼ごはん作って!、と寝ころんでいると、なんと子供たちで作ってくれるという。献立は、目玉焼き、きゅうりのスティックサラダ(息子担当)、フレンチトースト。上等な朝ごはんのようだ!2人で台所に入り、しばし格闘。しばらくして出来上がった!ありがとうね。お母さんも、あなたたちのために午前中頑張ったんだよ。作ってくれた2人にも感謝しながら、昼食を頂く。おいしかったよ。こんなこともできるようになったのね。ありがとう。
2004.08.27
コメント(2)
詩篇16章1~9節よりこの詩の著者ダビデはこう言った。「わたしは、あなたに身を避けます。」「私の幸いは、あなたのほかにはありません。」「私は揺るぐことがない。」これほどまでの確信に満ちた神様への信頼、信仰をダビデは持っていた。これを書いたときのダビデはとても辛く苦しい状況だったにもかかわらず。どうしてこれほどまでの信仰を持つに至ったのか。それはダビデの生い立ちにもあったと聞いた。彼は末っ子で、家の中にも入れてもらえず、ずっと羊の番をして大きくなった。自然の中で暮らし、ひつじの出産や死もたくさん体験してきただろう。自然の厳しさ、美しさの中で、生きた神様を体験し、造り主であり唯一の神様への信頼とともに生きる姿勢が培われたのだという。このように、信仰は時間をかけて育てられるものだと。私の中であることが思い浮かんだ。この夏のことだ。あのとき、頭では神様を悲しませる行為だとわかっていながら拒めずに、古い習慣や周りの人の評価を避けどころにしてしまった。心の中で神様に謝りながら。神様を避けどころとしていなかった。人生の嵐に目を向けて恐れるか、生ける神、イエス様に目を向けて信仰するか。主に信頼を置き、どんな状況でも平安であるか。信仰と恐れは相反するものだと聞いた。主に信頼した結果、ダビデは言った。「私の心は喜び、私の魂は楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。」詩篇16:9
2004.08.26
コメント(0)
ある人に加賀乙彦を勧められて、まずは一番短そうな小説を図書館で借りてきた。それが「夕映えの人」だった。読みやすい文体。登場人物の様子がさらっと書かれてあり、主人公の雇われ精神科医がひょんなことから雇われ院長になり、ある事件がきっかけで退職するに至り、その後の人生をも描く。その大きな流れの中で、何人もの人が老いて病み、または突然亡くなっていく。それに伴う、感情や意見のもつれ、立場の激変。子供たちは成長し、家を離れる。さらっとした文章を束ねていくと、奥深く考えさせられる小説だった。他の本も読んでみたいと思った。
2004.08.24
コメント(0)
そろそろ夏休みも終りだという今日、ようやくラジオ体操が始まった。わたしが子供のころは、夏休み40日間毎日あって、いろんな世代の方々が集っていたように思う。開始はラジオ放送に合わせて6時半きっかり。近年は新学期に向けての早起きの練習という意味合いか、夏休み終わりの一週間ほどしかしない。土日は休み。全く子供向けの行事になってしまっているように思う。参加者も子供と子供会役員の母達だけ。開始は7時。テープという便利なものがあるため。早起きで子供たちは眠そうな顔。「おはよう!」と声をかけても、黙っている子が多い。目も合わない。これはラジオ体操のときに限らないけれど。でもね、ほんとはね、お年寄りからお父さんお母さん世代も集まって、「おはよう!」って挨拶しながら、ラジオ体操という、朝のひとときを持ちたいんだ。それが"地域の力"の元だと思うんだ。子供の行事だから、母親たちに任せて置いたらいいんだ、と思わないで、だれでも地域の子供たちの顔を見に来てくれたらいいのにな。
2004.08.23
コメント(6)
生まれて初めて、広島に行った。子どもたちを連れて日帰りで。目的は原爆ドームと碑めぐりと広島平和記念資料館と袋町小学校平和資料館。広島市内に入って、川の多い街だなと思った。聞くと、三角州の街だという。原爆が落とされた後、大勢の人々が熱さと渇きのため水を求めて川に入りそこで亡くなったという話が思い出された。現地のボランティアガイドによる数々の碑の説明。その方の穏やかな口を通して、ヒロシマの思いが伝わってきた。「この悲惨なことを繰り返してはならない。」「この苦しみを述べ伝え、語り継がなければならない。」「これを知った人がまた他の人に語っていって欲しい。」8月6日に原爆が落とされ、その年の末までに約14万人もの人が亡くなったという。半径2km内の市街地の建物が跡形もなくなり、一瞬のうちに蒸発して消えてしまった人々も多数いた。一つ一つのいのち、一つ一つの人生、暮らしが、ともに無くなった。今なお、原爆症や原爆を原因とする(とは政府に認められていないが)複数の癌などで苦しむ人も多い。新幹線に乗ってはしゃいでいた子供たちも、何か感じただろうか。またいつか、見聞きしたことを思い出すだろうか。
2004.08.22
コメント(0)
7月31日に「大和川を語る ミニフォーラム」に誘われるまま参加した。子どもたちを連れて。近所に住むK先生(8月11日もお世話になった)による「堺と大和川」というテーマのお話が中心だった。子供たちは大人ばかりの会場にじっと座っていられるわけもなく、ロビーで遊んでいた。話が終って会場から出た時に、一人の年配の写真家に声をかけられた。子供が好きだから、何枚か写真を撮らせてもらった。送りたいから住所を教えてほしいと言う。そのフォーラムに関係のある方のようだった。驚きながらも、住所と名前をしたためて手渡した。すると、「お母さんの写真も撮ってあげよう」とおっしゃる。「わたしはいいです。」と恥ずかしがって断ったが、あまりにもおっしゃるので撮っていただくことにした。けれど、普段着のまま、化粧はとれ、髪の毛も汗でぼさぼさ・・・。親子写真と、(いいと言ったのに)私一人の写真を撮ってくださった。その場で少しお話して、名刺を頂いて、握手をしてお別れをした。そして今日、お電話があった。写真ができたので、取りにこられないかと言う。自転車でもいける距離だったので、お家の近くまで取りに行った。子どもを連れて行きたかったが、たまたま子供の友達が遊びに来ていたので、置いていくことにした。残念。あー本当に写真を下さるんだ。どうして見ず知らずの、通りすがりの私たち親子にこんなに親切にしてくださるんだろうと思いながら。待ち合わせの場所に、間もなく来られた。自転車に大きな荷物を載せて。え、まさか、あれが写真?!その通りだった。彼の今までの作品のうち、賞をとったものを大きな額に入れて1枚。同じサイズの別の作品やら、サイズ違いの作品が数枚。彼の写真が載った印刷物のカラーコピー類多数。(大和川の広報やS市の広報など)そしてわたしたち親子の写真全てを2L判に、何枚かを八つ切りサイズに。こんなにたくさん。うっかりして、手ぶらで来てしまった・・・。なんてこと。しばらくお話をした。子供が好きで、今は奥様と二人暮し。いつ死んでもいいと思っていらっしゃること。(毎日を、今の瞬間を大事に生きていらっしゃるのを感じた)奥さんには自分が惚れたから、立場が弱いんだと笑いながらおっしゃる。(とても仲良く寄り添っていらっしゃるご夫婦なんだなぁ。)病気のリハビリで写真を始められたこと。全ての写真の裏にはコメントが書いてあって、とても温かい心を感じた。そして、住所とご夫婦のお名前。「ともに生た人生です!」の言葉とともに。「しっかり子供さんを育ててね。いい子に育ててね。」別れ際に握手とともに頂いた言葉。言い方によってはプレッシャーにもなりうるこの言葉が、このときのわたしには大きな温かい励ましとなった。子供が好きで、子供が育っていくことをこんなに楽しみに、期待しておられる方がいることを肌で感じた。さよならの挨拶をした後もわたしの姿が見えなくなるまで見送ってくださった。謙虚で温かで礼儀正しい方。精一杯生きていらっしゃる方。帰り道、何故かとても嬉しくて涙が出そうになった。この写真家の方のように、わたしたちのような子育てで必死の世代や子供たちの成長を、温かく期待して見守ってくれている人がいたなんて、今まで気づかなかった。子育ては、子供のためや自分のためでもあるけれど、もっともっと大きな意味があるような気がしてきたよ。"しっかり"愛情をもって子育てしなくちゃ。愛情をもって子育てしよう!愛をもって遊び、喜び、食事をともにし、叱り、躾け、教え、導き、見守る。子育てって、なんて嬉しい、希望のある営みなんだろう!
2004.08.21
コメント(0)
聖路加国際病院理事長・名誉院長日野原重明氏の生き方上手を読んだ。ベストセラーになり話題になってから何年か経つが、初めて手にする。きっかけは親しい人の還暦祝いにこの本を贈った。下心として、あとでかしてもらって読もうと思ったのだ。そういうわけで、思惑通り、借りて読むことが出来た。「生き方上手」決して世渡りを上手に、ということではない。以前読んだ「いのち生ききる」と重なる内容もあったが。いくつか心に留まった文章の本の一部をを引用してみる。「『希望』はあまり多くを望みません。・・・今あるもの、あることに感謝し、『その半分でも満足です』といえる控えめさを持っています。・・・同じ『望む』というのでも、ないものを無理にでも手に入れようとする『願望』とは大違いです。『願望』は欲深で貪欲なのです。自分や子供の能力を顧みずに高みを望んだところで所詮むなしい望みに終わるものです。その非を自分に求めようとはせず、あの人がこうしたからできなかったと人を憎み、あるいは社会を呪う。こうして心はすさむばかりです。・・・自分に与えられた現実を受け入れることができたなら、それはなかば希望を手に入れたようなものです。私たちは、願望の中に生きるのではなく、希望の中に生きたいものです。なぜなら、幸福はそこにあるからです。」(ある凶悪事件の犯人の生い立ちが頭をよぎった。)「面倒でも手をかけなければ、家族は冷え切ってしまう」(家族はあるものじゃなくて、育むものだとつくづく思う・・・)「人生は、一言で言えば習慣です。」(今日のこの習慣がわたしの人生を作り上げている!)「失うことを恐れるより、与えることで喜びは生まれます。・・・ごちそうなら食べ過ぎれば胃もたれを招き、ふくらみすぎた財産は不安を生みますが、心は満たされれば、どこまでもすがすがしく爽やかで、生きていることの喜びを実感できます。」(それが、なかなかできないのよね・・・できたらすばらしいんだけれど。知らずに握り締めていることもあるし)「日本人が今より謙虚であったころ、つまり人間のひ弱さを自覚していたころには、ごく自然に肩を寄せ合い、助け合っていました。国が豊かになるにつれ、自らの力を過信し始め、サービスはもっぱら金で買うというようになってから、社会は少しおかしくなってしまったようです。」(物質的に豊かになり、ほとんどのことがお金で買える時代でも、お金や物で心の満足感を満たすことができないと、気づいていない人もいるかもしれない。お金や物で人の心をつかもうとする人もいる。)「どんなに最先端の医療をもってしても、死を征服することはできません。命に対してますます謙虚になるよりほかありません。」(家族も立ち会えない、無理な延命治療に、疑問を感じてきた・・・)「きちんと別れることができれば死もまたやさしい。」「『ありがとう』のことばで人生を締めくくりたいものです。」(不慮の事故ならまだしも、病気ならそんな死を迎えたいなぁ。こころから「ありがとう」と言えるだろうか。死ぬ前にとってつけたように「ありがとう」と言うのは無理だから、常に「ありがとう」の心をもっているようにしたいな、私を囲む人たちに)「この生かされているからだは土の器のようなもので、壊れたら、その時が死ぬとき。・・・いのちとは器そのものではなく、器の中の水であって、いかにきれいな水を満たすかが大事なんだ。」(なんだか心にくることば。器・・・きれいな水・・・)「人生にはむだというのはないもので、しかし、後にならないと、その意味がわからないということがたくさんあるのです。つらいことでも苦しいことでも、『体験』したことは、間違いなくその人の強みになります。」(神は万事を益としてくださる、と聖書にも書いてある。また、弱い時には強い、とも書いてあったように思う。どこだっけ?)「小さな円を描いて満足するより、大きな円の、その一部分である弧になれ」(牧師であったお父さんが説教で引用した、英国の宗教詩人ブラウニングの詩の一部)(自分が、たとえ弧に満たない点であっても、それが大きな円の一部であったらなんてすばらしいだろう。視野の大きさ、心の広さを持ちつつ行動できたら・・・)聖路加国際病院のことが印象に残った事件がある。地下鉄サリン事件だ。あの時、多くの被害者を受け入れ治療にあたった。変わった名前の病院だなと思っていた。路加(ルカ)は医者だった。そして、この病院もすばらしい精神をもって建てられていることを、この本によって知ることができた。ところで、この本を贈った当の本人の感想は「普通のことがかいてあるねー。」だった。普通のこと?!それだけ?読みやすい文章でさらっと書いてあるからそう思ったのかな。全然心に響かなかったのだろうか。あー期待がはずれた。人間の計画は浅はかだわ。神様の計画にゆだねるしかないね。
2004.08.18
コメント(4)
今日の夕刊囲み記事より。震災からの10年を語る-3-「安全」への意識改革を、というタイトルで国際基督教大学教授・東大名誉教授の村上陽一郎氏の話が載っていた。以下、主観的に要約する。1980年代初め、他の業界に比べ安全性の追及が立ち遅れていた医療現場に危機感をもったのをきっかけに、安全の問題に取り組みようになった。そして阪神大震災、「この震災は、単なる自然災害ではない。」という思いを強くした。かつて、人間の安全を脅かすものは、主として自然だった。しかし、いまや自然だけでなく、人間の生み出したもの、「文明」社会そのものが脅威となっている。「安全が維持されている時こそ、更なる努力が大切。結果的に何も起きなかたら、対策は無駄になる、という考えは捨てなければ。安全にかける投資に無駄はない。-----阪神大震災をきっかけに「危機管理」という言葉がよく聞かれるようになったと思う。それは、村上氏の言うようなことではないだろうか。何も起こらなかったら無駄になる、では、安全は確保されない。南海地震も30年以内に起こると予想されている。子供の毎日の通学においても、国内で戦争がない平和な日本においても、安全だといい続けてきた原子力をはじめとする発電所の運転維持に関しても。「安全が維持されている時こそ、更なる努力が必要。」という言葉は、はっとさせられる。放っておいたら安全は失われる一方なのだ。今のままでいい、と思うことが滅びへの第一歩となるかもしれない。何においても。
2004.08.17
コメント(0)
夏休みも残り半分を切った。プリントなど、「宿題やっときやー。」と言って勝手にやってくれるものはとっくに片付いている。問題は、自由課題や読書感想文、音読。音読などは、2日に1度でもやっておけば終るのに、全く手をつけていない。最後の数日でずっと聞き続けるなんて、やだよ。自由課題、読書感想文は、親の手伝いがいる。独りでは何をどうしていいやら途方にくれてやる気さえ起こらないだろう。自由課題は、図画工作、習字、自由研究の中から2つ選ぶ。課題選びからお手伝いだ。本人の希望と能力を考えて、案を出していく。「貯金箱を作る。」と本人が言ったのはいいが、「何で作る?」と尋ねると「針金。」針金ぇ~?!以前私がアルミワイヤーで小物や籠を作ったときのことを思い出す。大人の私でさえかなり扱いに手間取ったのに、3年の息子が出来るわけがない。他の素材に変えるための説得を試みたが、どうしても針金で作ると言う。それほどまでに言うなら、と、細い針金を買いに行った。どんな形にしたいか、イメージ画を描かせる。それを元に、針金をどうやって組み立てるか、わたしが考える。子供の製作というより、親子の合作だよな。夏休みの宿題の展示の際の説明にちゃんと「親子で合作」って書いておいてよね。ペンチで一定の長さに針金を切らせ、一定の長さで折り曲げ、組んでいく。思ったより梃子摺る。色々工夫してみる。私が・・・。散々針金と格闘した挙句、紙にそことなる部分の針金どおりに線を引いて、それにあわせて針金を貼っていくと作業がやりやすいことがわかった。私が一人で作るならまだしも、子供の製作なので、子どもにさせなくてはならない。それがまた非常に難しい。私が一人で作るほうがどんなにか簡単か。読書感想文にしても、親の私が書かせ方のポイントを教えて欲しいものだ。自分が読んで書くほうがどんなに簡単か。子供の意志を尊重しつつ、子供が完成させるのを親が手伝うって、本当に難しいね。子供が親の手伝いをするなら簡単なのに。でも、それをしてしまうと子供は学んでいけないだろう。
2004.08.16
コメント(2)
親しい人と外出をした。お昼の時間にかかるので外食することにした。余りなじみのない街で「リニューアルのチラシが入っていた」との情報を元に、何とか目的の店を探し出した。店の門が閉まり張り紙がしてあった。「リニューアルのため閉店中」お盆時期の稼ぎ時だというのに。田舎は仕方がないのかな。近くには大衆食堂のようなところか以前に何回も利用した店しかなく、彼女は違うところに行きたがった。そこから約1時間の帰り道で目ぼしい店を探しながらドライブすることになった。川沿いなので、鮎料理がいいなといいながら。行きしなとは違う町を通って家のほうへ車を走らせる。田舎道だということもあって、なかなか目ぼしい店どころか食べもの屋さん自体が見当たらない。途中の町に道の駅があるという案内があったので、寄ってみた。そこにあったのはその町の特産の但馬牛料理のみ。当てにしていた鮎なんか全くなかった。前日に焼肉を食べていたこともあって、彼女はそこで食べることに難色を示す。仕方なく元の道へ戻り、また家のほうへ車を走らせる。次の町に確かそうめん博物館があって、そこで色々なそうめんが食べられる、という話が出た。とりあえず次の町を目指す。カーナビをいじっていた私は、突然叫ぶ。「あー、それってもう随分前に通り過ぎた道を曲がらなくちゃいけなかった!」昼時を過ぎているし家までだいぶ近づいているので、今更戻る気力は誰もない。運転手も疲れているが黙々と安全運転に努める。私は、彼女が納得いくのならそれでいいと思っていた。次は家のすぐ近くまで戻ってカニ料理屋に行こうという話になった。間もなくカニ料理屋に到着したが、混んでいて待ち時間が20分だという。20分も待てないという彼女は、うろ覚えの情報で近くの創作料理屋に行こうと提案した。しかし、わかっているのは店の名前と「山と住宅の間」ということだけ。そして、その辺りにはあちらにもこちらにも小山がある。運転手は疲れて、「店探しながら運転でけへんから、ちゃんと見といてな。」という。隋分あちらこちらの道を走った挙句、見つからなかった。家まで2kmもない場所。家まで帰って、家の前の焼き鳥屋に行くことになった。この珍道中の間、腹が立つことはなかったが、なんだか、彼女がかわいそうに感じてしまった。納得のいく店を追い求めて、なかなか行き着かずにがっかりしたり焦ったりしたことだろう。自分もお腹がすいてくるし。こだわりを持つことで、かえって精神的にもしんどかったんじゃないだろうか。いっそ、そのこだわりを捨てていれば、意外な店で意外なおいしさを見つけていたかもしれない。こだわって探し当てて行き着いた店であっても、料理やサービスの何かが納得いかなければ、また苦い思いが残ることだろう。もっと楽になれるのに。もっと楽になって欲しいのに。そんなことを思いながら、ありがたくランチを頂いた。
2004.08.15
コメント(2)
契約している駐車場のこと。今までは機械式の2階だった。3階部分があるので影になり、夏でも乗り込むときに涼しかった。でも機械の操作に時間と手間がかかり、2人の子供が小さいうち(眠ってしまった時)や雨の日は大変だった。両腕に2人の子供と荷物を抱えながら機械の操作ボタンを押したことも多かった。土砂降りの雨の中車から出て2階部分を下ろし、また車に乗って車を台に載せ、車を降りて傘をさしながら操作ボタンを押し続けることも。不便に思っていたが、3月22日の私の不注意による事故で車のドアを壊してしまったことで、1階に移してもらうように要望を出す決心がついた。4月に要望を出し、空きがあるまで待つこと3ヶ月。ようやく1階に移ることができた。最近車高の高い車が多いのでなかなか空きがなかったのだ。車高が低いのに1階に移るなんて申し訳がない気がするが。駐車場代は同じでこの手間の違いは大きい。しかし、移った先の1階は青空だった。つまり屋根(2階部分)がない。車に乗り降りする手間と時間、周りの車の出し入れへの気遣いは格段に省かれたが、この季節、乗り込む際の暑さ(熱さ)といったら!更に、2階の時には車上荒らしに遭う可能性はほとんどなかったが、1階は可能性が高くなるだろう。どっちがよかったのかねぇ。
2004.08.13
コメント(2)
子供のころ数年間毎年、某原子力発電所の近くの海岸に海水浴に行った。水晶浜という名の砂浜の目の前の半島の先端に円筒形の建物があって、あの中で原子力発電をしていると思うと、人間ってすごいなぁと思っていた。何度かPR館にも行ったし発電所の見学もしたことがあった。その頃の楽しい思い出とともに、原子力発電所は私の記憶に留まった。大人になり、ふと、疑問をもった。チェルノブイリ発電所の大規模な事故、スリーマイル島発電所の事故。東海村(だったか?)での被曝事故。美浜原発での蒸気漏れでの11人死傷の事故。彼らの体が回復するように、家族の、ご遺族の心が癒されるように。ショックだった。安全を売り物にしていた発電所で続々と事故がおきる。いい面か知らなかった、知らされていなかったのだと感じた。原料コストが安いというパンフレットには、放射性廃棄物の処理費用のことなんて書いていなかった。資源の乏しい日本に適した発電という文面に放射性廃棄物の処理方法なんて上っ面しか書いていなかった。コンクリートで固めて地下に埋めれば安全と。それが某国に渡り、結果として劣化ウラン弾の原料になっているだなんて。もちろん、そんなことを電力会社は認めているわけではない。某国に運んだ後は知りませんって。原子炉の寿命はそろそろ限界かも。そもそも、目に見えないほどの小さな原子に秘められた膨大なエネルギーを人間が制御しきれるものなのだろうか。驕りではないだろうか。安全というのは、電力会社が自分に暗示をかけていたに過ぎなかったのか。これからは、新たなエネルギー源開発より、エネルギーの使用自体を減らしていかなくてはならないことは明らかなのに。石油も天然ガスも有限だ。と、行き着く先は各自の意志による、できる範囲での省エネをしよう、ということになる。自分の身体のエネルギーを、燃やしてみようか。
2004.08.12
コメント(4)

日本一汚いことで有名な大和川。この川はずっと昔から今の姿であったわけではない。中甚平という方が当時の幕府に陳情し、今からちょうど300年前に付け替えが行われた。それまでは今の柏原市から北上し、河内を通り淀川に合流していた。そのため、河内では大雨のたびに大洪水となった。付け替え後大和川は大阪湾に流れるようになったが、このことは周辺の環境や歴史に大きな影響を及ぼした。貿易、商業が盛んだった堺港は、大和川が運んでくる土砂によって砂地が広がり、港としての機能が失われていった。海岸線も沖のほうへ移動していった。詳しい知識がないので、前置きはこの辺にしておく。今年は付け替えから300年に当たるので各地で記念のイベントなどが行われている。その一環として、堺キッズプロジェクト、という取り組みもある。つい3日前に、これに関わっておられるある小学校の先生から連絡があって、大和川かんさつ会を行うから来ないかと言われた。場所が家のすぐそばだったので二つ返事で参加することにした。当日、観察ポイントの陸橋下に子供2人と一緒に集合。間もなく、電話をくださったK先生がこられた。 講師は環境科学博士・大阪産業大学講師、谷幸三さん。大きな声の面白いおっちゃんだ。川の水質と水生生物の種類との関係に詳しい。川で見られる水生生物の種類によって水の汚染度が1(きれいな水)~4(大変汚れた水)の4段階に分けられるそうだ。大きな声での挨拶をし、観察開始。各自が川の砂をすくいさらして砂の中に紛れる小さな生き物を探す。始めは川に足をつけるのもためらわれた。なんてったって水質ワースト1の大和川。しかし、化学物質による汚染ではなく、富栄養化の汚染ということを聞いて、勇気を出して足を入れる。生ぬるい。14:45現在気温33℃、水温32.5℃だった。しばらく探していると、なにやら動くものが・・・。 右の方の細長いのがビロードイシビル、左の方のがアオモントトンボのヤゴだそうだ。しばらく探して、最後に谷先生が解説をしてくださった。川について、トンボについて、カニについて。テナガエビ、モクズガニ、ヒル、クロイトトンボのヤゴ、ウスバキトンボ・・・。アオサギやフナもいる。先生が言われるには、近くでアユの産卵が確認され、もう少し下流ではウナギやチヌの稚魚がいるらしい。そういえば、子供たちの小学校の校歌には「チヌの海」という歌詞がある。水生生物から見た大和川の汚れ具合は、2少し汚れた水~3汚れた水、だった。30年程前に比べたら随分水質が改善されているそうだ。もっときれいになって、泳げるようになればいいな。大和川クイズもあって、楽しい学習だった。1.大和川流域の人口は?2.大和川の汚染原因は産業排水何%?生活廃水何%?3.大和川から回収されたごみは5年間でゴミ袋36万袋。では、毎日(1日当たり)何袋分?4.水は栄養がありすぎると濁り、魚が住めなくなる。 味噌汁1杯を魚が住める水にするには、風呂おけ(300L)何倍分の水で薄めなくてはならない? 油500mlは?[答え]1.200万人以上2.産業排水20%、生活廃水80%3.毎日200袋4.味噌汁→風呂おけ4.7杯(1400L) 油→風呂おけ330杯(10万L)
2004.08.11
コメント(0)
夕飯の支度をしていると、娘が「何かお手伝いなぁい?」と尋ねてくれた。「そうねぇ。そうだ、玉葱の皮をむいてくれる?」「わかった!水泳帽をゴーグルはどこ?」「へ?たまねぎの皮をむいてって言ったんだよ。」と、答えてふと思い当たった。私が玉葱を切っているといつも玉葱に向って「こら!」と言ってくれる娘。決して私が玉葱にいじめられて泣かされている訳じゃないんだけれどね。だからきっと、自分が玉葱に泣かされないようにゴーグルで備えようとしたんだね。ゴーグルをつけるには水泳帽がないと髪の毛が引っ張られて痛いもんね。皮むきを頼んだ一瞬のうちにこれだけの考察をした娘を、すごい!と思ったよ。その後、水泳帽をかぶってゴーグルをつけて完璧に装備した娘は、たまねぎの皮をきれいにむいてくれたよ。ありがとう。
2004.08.10
コメント(2)
今日は午前中仕事なので、子供たちでお留守番。帰りは昼過ぎになるので、「冷蔵ピザを焼いて食べておいてねー」と言い残して、仕事へ。帰ると、ピザを食べたあとで、2人で仲良く遊んでいた。(宿題は進んだのかな?)何となく使ったはずのお皿がない気がする・・・。夕方になって息子が「今日のお昼、洗い物も2人でしたんだよー。」「あ、そうかー。それで何となくお皿が少ないように思ってたんだー。ありがとう!偉いねー、そこまでしてくれるなんて。あなたたちがね、おばあちゃんちにお泊りしたりキャンプに行っていた間、家のお仕事、お母さんがぜーんぶしていたから、しんどかったんだー。いつもあなたたちがいっぱい手伝ってくれてるんだなーって思ったんだよ。」いつのまにか、家の中で欠かせない働き手になっている子供たち。自分で仕事を見つけて、頼んでもいなかった洗い物をすることも、できたなんて。(かといって、洗濯物が取り入れたままで山積みになっていても、知らん顔だけど)大きくなったもんだなぁ。成長したなぁ。
2004.08.09
コメント(4)
創世記3章。ここにはエバが蛇(サタン)にそそのかされて、神様に「食べてはいけない」と命じられていた木の実を取って食べ夫(アダム)にも与えた。「それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづりあわせて自分たちの腰のおおいを作った。」創世記3:7ここで神様によいものして造られたはずの人間に"罪"がはいった。神様に従わなかったばかりでなく責任転嫁をした。アダムは神様とエバに、エバは蛇に。地と蛇にはのろいかもたらされ、男と女には裁きが下された。人間には死が与えられ、エデンの園から追放された。と、ここまでは何度か読んでいて頭に入っていた。が、ここで心打たれた出来事があった。「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。」創世記3:21この言葉が頭から離れなかった。神様との約束を破り神様を悲しませたそのあとでさえ、神様派私たちの祖先である彼らをこんなにも愛し哀れんでくださった。皮の衣をこしらえ、他の生き物の命を代償にしてでも彼らの恥を覆ってくださったんだ。そして、人間に与えられた"死"。エデンの園からの追放。エデンの園には、"いのちの木"があってその木のみを食べれば永遠の命が得られる。しかし、もし人間が"罪"を背負ったまま永遠を生きることになったら・・・どんなに辛いことか。それを避けるために死を与え、エデンの園から追放された。これも神様の哀れみだったと、初めて知った。神様は、罪を持ってしまった人間をのろわれなかった。その後更に、人間に、やり直す大きなチャンスを与えてくださった。さらに大きな代償をもって・・・。こんな大きな愛を人間は受けていた、今も・・・。なんて嬉しいことじゃないですか。いつでもその愛を感じ、喜んでいられますように。
2004.08.07
コメント(0)
予定時間に解散場所に迎えに行った。交通事情のため、約30分遅れて到着。待っているとバスが2台、減速して、止まった。バスの中には家族を探す、顔、顔、顔。たくさんの顔の中で、我が子は一瞬で判別できる。上の息子だ、元気に手を振ってくれた。もう一台のバスには下の娘、あ、笑顔をみせた。よかったなー、連絡がなかったから、何とかやっているとは思っていたけれど、親を離れて3泊のキャンプ。頑張ったことだろう。バスから順番に降りてくるのがもどかしい・・・。あーお帰りー!元気だった?息子は夜のテレビ番組が気になって、早く帰ろうとせかす。娘は疲れすぎて無口だし話しても要領を得ないし、機嫌が悪い。キャンプの話は、明日ゆっくり聴こう。息子は、生活リズムをつかみ損ねたようで、珍しく便秘になってしまったそうだ。娘は、1年生なのに張り切ってカヤック(1人乗りボート)を漕いだ日と翌日に、疲れからか運動誘発だったのか軽い喘鳴があって、2回ベネトリン吸入のお世話になったそうだ。行く前から風邪気味で咳をしていたこともあったのだろうか。ありゃりゃ・・・。1年生にしてはハードなキャンプだったようで、張り切ってはいたけれど3日目ら「元気がない」と自分で日記に記していた。何はともあれ、無事に帰ってきて、また明日からガミガミバタバタの日々が戻ってくる。これが日常、これもしあわせ。二人は別のグループで別々にお土産を買いに行ったはずなのに、2人とも同じおみやげを「お母さんに」って言って買ってきてくれた。貝で作った指輪。ありがとう、わたしにお土産を買ってきてくれるなんて初めてじゃないだろうか。嬉しいよ。今晩と明日はゆっくりしようね。(宿題も気になるところだけれど)明日は洗濯物が大変だぁ~。(2人分書ける4日分!!)
2004.08.06
コメント(2)
職場でお客様が途切れてちょっと時間が空くことがある。そんなときには、職場の人と様々な話題になる。スポーツ、ドラマ、芸能人、事件、政治、社会、日常生活、映画、子供、学校、芸術・・・。職場のメンバーは、子供さんも大きくなった男性店長、お孫さんのいる女性が2人、小学生の母が3人。店長以外は入れ替わり出勤する。当然メンバーによって、話題もかなり違ってくる。さて、小学生の母が3人集まると、ドラマや俳優の話が多い。でも、ほとんどテレビを見ない私には全くついていけない、蚊帳の外だ。店長はスポーツが好き。年配の女性たちは勤めが長いこともあってか、話が合う。しかし、スポーツの話題も、自分がするのは好きだが、観戦したり応援したりしない私にはちんぷんかんぷん。友人と話していても、こんな風に感じることが多い。美術館に行くのが好きだが、画家や絵や○○派ということに無頓着なわたしは、美術好きな友人とも話が合わない。なんせ、関連知識がほとんどないのだ。絵が好きだといっても、こんなに知識がなくてほんとに好きといえるのかなと心苦しくなってくる。いやー、私ってつくづく話題に乏しい人だなと思う。普段は全くそんなこと考えもしないが、たまーに、こういう場面に自分がいると、どこかへ逃げたくなるよ。私の唯一の情報源は新聞。(スポーツ欄はあまり読まないけれど)そこに書いてありそうなことなら、ちょっとは話題に入れる。はぁ~、わたしと一緒にいる人たちって、楽しくないだとろうなーと思うが、それがわたしなんだとも思う。楽しい話題を求める人には、悪いけれどね。
2004.08.05
コメント(2)
朝、子供たちをキャンプの集合場所に送っていき、夫は今夜は出張で外泊。今日は晩御飯のことも考えずにのんびり出来る!前から気になっていた"栄光のオランダ・フランドル絵画展"に行くことにした。電車で丸々1時間強。電車の中ではぼーっと本を読んでいたので気づかなかった母校。目的駅について「しまった!久々の景色をよく見ておけばよかった。」学生時代にはよくうろうろした街。卒業後は、そして震災後も来ることがなかった。懐かしい風景、山々、海風。平日のため館内はまぁまぁ空いている。説明ガイドブックを片手にゆーっくり見入る。美術の歴史や画家や○○派などという知識は全くないが、絵そのものをじっくり見る時間が好きだ。画家は何を思って描いたのだろうと想像しながら。解説文にも載っていないような細かい部分の発見が、ちょっと嬉しかったりする。花瓶いっぱいの花の絵に実は色々な昆虫がかかれてあったり。遠くから全体を観、近くによって細部を観る。常設展も入れたらゆうに1時間半館内にいた。目的はそれだけだったが、せっかくおしゃれな街に来たのだから、ちょっとお茶でも、と思ったが、ちょっと歩くだけで有名洋菓子店やパン屋の喫茶やカフェがそこかしこにある。自宅用のパンを数切れ買って、休憩する店を探した。結局有名洋菓子の喫茶店は値段も一流で、小心者の私には入る勇気がなかった。独りで入ってもねぇ。(単にけちなだけ)結局そのあたりでは有名な某パン屋のカフェに入った。カフェラテとおやつパンを口にして、帰る英気を養う。主婦のサガで持参したおにぎりは、結局口に入らずじまいだった。お茶ももちろん持参。重いのに。しかし、足が疲れた・・・。帰りもほぼ1時間で駅から駅に着いた。貴重な、独りの1日。夜はまだ続く。夜は、たまたま同じ日に他のキャンプに子供たちを参加させたママ友たちの集まりがあるかもといううわさを聞いて、連絡を取り、急きょ参加。でも、明日は仕事なので早く帰ったよ。暗い家に帰り、独りで入浴し、布団に転がって、ゆっくり聖書を読む。ああ、至福の時間。寝る前に布団に転がって本を読むのが大好きなのに、子供ができてその時間が取れなくなったため(同じ部屋で寝ているから)さっぱり本を読まなくなってしまった。さあ寝よう。いま、離れたところにいる夫と子供たちにも、Have a good night!
2004.08.03
コメント(2)
大の虫好きの家族みんなで、大昆虫王国展に行ってきた。夏休み真っ只中の日曜日、開場すぐに到着してたのに、たくさんの人、人、人。それでも、親も子供も昆虫見たさに意欲的に人の合間を縫って展示に見入る。めったに見られない虫、虫、虫。物販もあって、いろんな昆虫グッズや化石、標本類も豊富だった。本当はね、珍しい綺麗な蝶の標本、欲しかったの。でも、小さいのでも3000円から大きいのや6種セットガラスケース入りになるとウン万円。立派な落ち着いた応接室でもあるような家に住んでいれば買ったであろうが、うちではたんすの上に置きっぱなしで誇りまみれになるのが関の山。断念した。主人も欲しそうだった。しばらく二人で見入って、吟味していたの。タランチュラや珍しい甲虫類の標本もたくさんあったよ。人ごみにちょっと疲れたけれど、満喫!こんなに様々な姿の生き物(昆虫だけでも)を間近で観て改めて自然の偉大さを思ったよ。夏休みの一コマとして子供の心に残ってくれたらいいな。
2004.08.01
コメント(2)
全21件 (21件中 1-21件目)
1
![]()

![]()