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さだまさしの「遙かなるクリスマス~紅白歌合戦バージョン」の紹介を事前にちらっと耳にして、是非この歌を聴いてみたい、と思った。お節料理を重箱に詰めながら、歌順が気になる。家族は、チャンネルを変えいろんな番組を観ていた。何とかお節を形にしてテレビを見ると、あと数曲だ。お風呂にも入りたいけど、まずはテレビを見るためにスタンバイ。家族は、マツケンサンバが終ると早々に寝室に入ってしまったので、居間で一人静かに鑑賞することが出来た。この歌を聴くのは初めて。しかし、"メリークリスマス"を浮かれている世間の目が向かないところには、悲しい、悲しい、現実が、確かに、ある。自分の楽しみだけを追い求めていていいのか。この季節にこそ、ほかの人の、悲しい思いをしている人のことを思い、その人達の幸せを願い、出来れば少しでも行動することを忘れてはいけない。じ~んときました。さだまさしさんの熱唱が、心に突き刺さりました。大切なことを思い出させてくださってありがとう。
2004.12.31
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今朝、またあのご近所の方がうちに来られた。先日のことがあって以来、初めて顔をあわせるので、わたしの顔はこわばったまま・・・。「こないだは、ごめんなさいね。心配かけちゃったわね。お金の貸し借りは、止めておきましょうね。」と言いつつ、またいくつかの服を持ってきてくれた。「お正月、(実家に)行くんでしょ。いい格好していきなさいよ。服あげたからって、また何か頼むなんてことしないから、また遊びにいらっしゃいよ。これもみんなに分けたいから(娘さんも自分ももう着られないから)遠慮なくもらってちょうだい。」と、それらを置いていった。帰られてからも、戸惑う気持ちが残る。こないだの服も、返した方がいいかなと思ってまとめていたのだけれど、チャンスを逃したままさらに頂いちゃった・・・。言葉どおり受け取っていいのだろうか。客商売をしていた方だから、人当たりがよいだけなのだろうか。心の中は、どうなんだろう?こんな店をやっていたとか、こんなに高い物を持っているとか、誰々の商売の立ち上げにこれだけのお金を出してやったんだとか、わたしのような庶民とは違う世界に生きてきた人だから、話が合わないんだけれど、赤の他人にそんな話をするなんて、この方ひょっとして寂しい人なのかもしれない。ただ、話し相手が欲しい、自分に心を向けてくれる人が欲しいだけなのかも知れない。自分を精一杯アピールしているだけなのかもしれない。単に、わたしの勝手な推測なのだけれど。万が一、彼女の心によくない考えがあるならば、それが取り除かれますように。もしも彼女の心の隙間があるならば、それが埋められますように。
2004.12.28
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娘がわたし宛にクリスマスカードをくれた。「クリスマス(ハート) いいよるに なるように げんきでいてください たのしくいいこと 10かい 20かい 30かい 40かい 1000かいもありますように じゃあおげん気で 」子どもの文章って、素敵!
2004.12.26
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近所のショッピングセンターでのキャロリングに参加した。子どもたちも同伴してくれた。1度しか練習できなかったので、行く前に家で一通り復習してみた。集合場所に行くと、既に何人かメンバーが集まっていた。その場でローブを羽織り、天に心を向けようと勤めた。始まると、緊張&雑念のためか心があちこちに飛び回ってしまい、知人の顔が目に入るたびに心が揺らいだ。あー上よ!上を見て!自分に言い聞かせながら歌詞を追うのがやっと・・。でも、全6曲の2クール目にはいると、そんな気持ちは不思議となくなっていた。この空間いっぱいに、この喜びよ伝われ!そんな気持ちだった。リードしてくれたTさんの横に小さい女の子が来て、体を揺らしながらいっしょに歌ってくれていた。それを見ていると、心が躍り、歌うことが嬉しくて嬉しくて。結局その子、3クール目にもいっしょに歌ってくれたんだよ。3クール目は日も陰ってきて、屋内とはいえ心なしか薄暗くなってきた。そんな空間で歌う聖夜の調べ。気持ちは、イエス様が生まれた、その夜にいるよう・・・。子どもたちは、歌の最中にトラクト(案内チラシ)を配り歩いてくれたり、本屋に立ち読みに行ったり・・・。近所の人、知り合い、友人、何人か聴いてくれていた。緊張もしたけど、嬉しかった。ありがとう。素敵な時でした。こんな機会に参加することができて、感謝です。
2004.12.25
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ちょっとばかしのご馳走を用意していた。夫も早く帰ってきたので、家族そろってクリスマスの料理を囲むことが出来た。子どもたちは、自然に食前の祈りを捧げていた。家にあったワインを片手に、若鶏の丸焼きとポテトフライと、海草サラダと、ピラフ風ご飯。デザートの生クリーム入りシンプルケーキを、紅茶とともに頂いた。部屋の明かりを消して、リースで飾った蜜蝋(ミツロウ)のロウソクに火を灯して。小さな、小さな、でも中心は眩しすぎるほどの明るさと熱を帯びた灯を見つめながら。BGMもなく、静かな、静かな、夜。家族の、時間。感謝します。-----サンタクロースも、ちゃんと来ました。子どもたちと、夫にもプレゼントを届けに。わたしも、「大人だからいいや」と言わずに、お願いすればよかったな。
2004.12.24
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今日は教会のクリスマス会。ポットラックにゲームとお楽しみが続き、大いに楽しんだ。そしてキャンドルサービス。部屋の明かりを消して、一人一本のロウソクを持つ。牧師が持つロウソクから隣の人へ、後の人へと火を移していく。自分の火はそのまま燃え続け、新たな火が興る。一つの光が、次々と伝わっていき、暗かった部屋が多くの光に満ち、"こんなに!"と思うほど明るくなった。ふと御言葉が頭に浮かんだ。「あなたがたは、世の光である。・・・あなた方の光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、点にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」マタイによる福音書 5章14、16節わたしたち一人一人の光は小さくても、一人から隣の人へ伝わっていけば、この部屋を、そして世界さえ明るく照らすことが出来るんだ!そんなことを思い、感動しちゃった。一人一人の光。小さくても伝えよう。きっといつか、世界に満ちると信じて。
2004.12.23
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近所に何ヶ月か前に越してきた人がいる。挨拶だけの顔見知り。一度、何かのきっかけで自家製のお漬物を持ってきてくださり、その時に身の上話を聞いたことがある。もう所帯を持っている娘さんが太ってしまい、着られなくなったいい服がたくさんあるから、一度見にいらっしゃいと、何度か言われていた。今朝、子どもを送り出してほっとしていたら、その方が来て、今日いらっしゃいと言う。言われるまま、お邪魔してみた。コーヒーを入れてくれ、服を何着か見せてくださり、娘さんの写真を見たり、座ってまた話を聞いていた。と、突然何かの紙切れを持ってきた。それを見せながら「今月○日にお金が入る予定なのだけれど、それまでとても苦しいので1万円貸して欲しい、お金が入ったら5000円利息をつけて返すから。と言う。一瞬凍りついた気がした。けど、はっきり「出来ない」と断った。信頼できる材料が何もない。「近所に住んでいるし逃げも隠れも出来ないから、」と言うが、お金のことは、怖い。そのために、服をあげるなど言ったのかとも疑ってしまった。気まずい雰囲気になったが、出かける用事もあり、「これで」と立ち上がった。「今言ったことは気にしないでね。」とは言ってくれたが、真意がわからず、心が乱れたままだ。服は言われるままもって帰ってきてしまったが、このままでは着る気もしないので、放っておくことになるだろう。あるいは、返すことになるかもしれない。思い切って、断ればよかったのだろう。でも、今までの好意的な行動は・・・。ああ、また悩みが降ってきた・・・。祈りつつしばらく様子をみなくては。
2004.12.20
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ここまで、当日の内容、出演者やゲームを決め、準備物、飲み物食べもの、プレゼント、おやつ、ケーキなどを手配するのが大変だった。前日の夜に集会室の飾り付けをして、終ったら10時前。うちの子どもたちは2人で留守番。(ゴメンね~)うまくいくのかドキドキしながら迎えた朝。そろそろ時間になり、子どもたちが集まってきた。司会は今回去年の役員のお母さんにお願いし、打ち合わせもしていたのだが、結局途中から、狭い部屋の中で子どもたちのエネルギーが大きくなってきて、進行補助の役のわたしが彼女の役をとってしまった形になってしまった。悪かったと思う。せっかくお手伝いをしてくれているのに。松ぽっくりツリーをみんなで作ろうと説明を始めると、高学年の男の子達は「え~」「しょうもな~」などと言っていたが、いざ作り始めると真剣に作っていたよ。かわいいもんだなぁお思った。作り終わって少しゲームをした後、近所のピアノの先生ご夫妻によるチェロとキーボードの伴奏により、クリスマスの歌を子どもたちと皆で合唱。今日は礼拝に行けないなぁと思っていたけれど、こんなところで賛美できるなんて!感謝な時だった。喜んで思いっきり歌っていたら、わたしの前に座っていた子がちらちらと後ろを振り返る。そんなにわたしの声、大きかったかしら?(でも、天に向って歌ってるから不思議と恥ずかしくなかったのよね)最後に教え子の一人とチェロとの「アヴェ・マリア」合奏。役員の大人たちは、その音色に酔いとっても楽しんでいたのだけれど、子どもたちは途中からごそごそ・・・。今度は、あらかじめエントリーしてくれた子どもたちによる手品、お笑い劇。子どもたちは子供たちの出し物(大人が予想していたよりはるかに長い時間だったのだが)には興味深々で、見事に集中して見入っていた。お笑い劇など、大人には理解不能な内容だったのに、子どもたちにはえらく受けていた。子どもには子どもをひきつける魅力があるんだなぁ。感心。軽食をはさんで少しゲームをし、再び別の子どもたちの手品となぞなぞ。再び会場は一体となり集中していた。さらにゲームをし、プレゼント引き換えのためのくじ引きをして、一旦終了。帰りに、くじをプレゼントを引き換えて、松ぽっくりツリーとケーキとキャンディーレイを持ち、解散。こう書いてみるとあっさりしているが、役員たちもエネルギー全開で終ったら皆"ぼ~っ"としていた。終ったら役員でちょっと休憩をしようと、昨日焼いたガトーショコラを出した。コーヒーで一服。反省会をしようにも、皆放心状態で話にならない。子どものパワーに対抗しようとすれば、精神精力使い果たす。子どもって一人一人素敵すぎて、いい加減にはあしらえないのよね。行事はあと一つ。新年明けたら、そろそろ来年度の役員探し、新入生の勧誘など。もう少しだなぁ。
2004.12.19
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一年を振り返ってみた。使い古したスケジュール帳を見ながら1年の出来事を思い出す。娘の幼稚園生活最後の3ヶ月、母の会に携わりながら自分の中でも気持ちの整理。こんなに大好きな幼稚園とのお別れが私自身もっと寂しいものになるかと思っていたけれど、卒園式では「この幼稚園で、母も子も精一杯楽しめて、もうやり残したことはないなぁ。」と思え充実感とともに園を去った。3月に生協の平和関係のイベントの舞台で「ぞうれっしゃがやってきた」合唱に参加、昨年末からの練習を経て、当日は娘と参加。少しは戦時中の子供たちの思いを感じることが出来たかな。7月には初めて平和集会、ピースリレーに参加。それも子連れで、うぐいす嬢(?!)初体験。初めてで上手くいえなかったし、内容については色々思うところもあったけれど、ひとつのよい体験だった。今年私に与えられたテーマは「平和」だった。こんなに重いテーマに自分の無力感だけに押しつぶされそうだったが、1年経ってみると、平和に対する自分の思いが随分変えられたと思う。このことについては、改めて書く機会があればいいなと思う。4月には念願の再就職が叶い、家からの距離も時間帯も都合のいい職場が与えられた。職場の人たちとも、馴染んできた。4月からは子ども会の役員になり、役員会がなかなか思うように進められなかったり意見が出なかったり、「どうすんねん!」って思うこともあるけれど、いろんな学年のいろんな子ども達とあって時間を過ごし話すことがとても楽しい。それに、いよいよ困っても嬉しいことに誰かが必ず助けてくれるのよね。引き続き生協の委員もやっている。下の娘が小学校にあがったことで時間的気分的な余裕が出来て、去年とはうって変わって、活動自体を楽しんでいる。もう、趣味、道楽の感覚よね。新しい場に出る機会もあって、時間的にはやりくりが大変ではあったけれど、結局その機会さえ楽しんじゃった。八方ふさがりになって「どうしよう」って落ち込んだ時も、やっぱり助け手が現れるのよね。で、みんなと共にやり遂げたあとは充実感いっぱい。家庭もそこそこ円満。経済的にもとりあえず満たされている。小学生の子供に関しては時々問題も発生するけれど、またそれで新たなことに気づいたりしている。こどもたちの夏休みには、こども2人共キャンプに参加したり、祖父母の家に泊まりに行ったりで、夫婦水入らずの時間をゆっくりとる時間が取れた。教会にも、月2~3回行けている。奉仕(お手伝い)も喜んでする機会が与えられ、また、奉仕をすることによって心が満たされ、更なる気づきが与えられる。そのくり返し。出会い、協力、一致、挑戦、祈り。で、結局漢字一字で表すとなると、いくつかの候補が上がった。楽、充、満、忙、共、仕、幸・・・。でも一番は『満』かな。満足、円満、満たされ・・・満腹(?!)。来年はどんな一年だろう。
2004.12.15
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昨日は某忘年会があった。宴の終わりに一人の人が、紙とペンを配りだした。何をするのかと思っていると、「今年一年の自分を漢字1文字で表してみてください」と言われた。そういえば、毎年この時期に清水寺でやるよなー。それの、自分版ってとこね。一年を振り返りけじめをつけるのにいい機会だ。ひととき、じっくり自分の一年を振り返ってみた。年の前半のことはあまり覚えていないのだけれど、いくつかの漢字が思い浮かんだ。けれど、1文字に思いをこめるのは難しい。そのなかから、えい!と1文字を選んだ。それが何かは、明日の日記で・・・。ちなみに、その場にいた人たちが出した漢字は・・・(わたしのも含む)忙、笑、和、会、幸、満、歩、繋清水寺の、今年一年の世相を表す漢字は「災」だそうだ。災い転じて福となりますように。
2004.12.14
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クリスマスの25日、近くのショッピングセンターで、教会のメンバーがキャロリングをすることになった。自由参加で、12月から礼拝後のミニ練習が始まった。今週は礼拝後少しゆっくりすることが出来たので、当日の参加はまだ未定ながら「とりあえず歌おう。」と参加した。楽譜を持ち指揮の人を見て歌詞を味わいながら・・・心は天に・・・とまではまだいかなかったけれど。なじみのある歌(クリスマスソング)ばかりではあるけれど、正確にそして歌詞をはっきりと歌おうと思ったら、かなりの集中力がいる。それでも、みんなを上手に乗せてくれる指揮の人につられて心地よく歌えたよ。上手いとか下手という問題はぬきにして。約40分ほどの練習が終ると、心地よい疲れ。キャロリング当日、なんとか都合をつけて参加したい!と思った。人前で歌うのは苦手なんだ、本当は。上手くないから。歌を通しての伝道なら、人に向っても歌わなくちゃいけないんだろうけど、そんな風にはまだできないなぁ。けれど、人に向ってじゃなくて、天に向ってなら人前でも歌えるよ。(あ、でも一人じゃできないなぁ)あ~、なんだかわくわくしてきた!何となくという動機ではあったけれど、練習に参加できて、よかった。
2004.12.12
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朝から、家族で喧嘩が始まった。朝食の時に食べるパンのことで。昨日、子ども達とちょっと高級なパン屋で朝食用のパンを買ってきた。子供たちは自分で選んで、夫のはわたしが選んで。朝、息子が食べたかったパンがひとつなくなっていた。昨夜遅く帰った夫が、わたしが「H(息子の名)のだよ。」という前に食べてしまった。そのときすでに、朝の喧嘩は予想済みだった。案の定、息子は怒り、夫は言い訳しながら謝った。それでも息子の怒りが収まらないのに腹をたてた夫は、夫用に買っておいたパンさえ「食べない。」と言い出した。朝から、両方をなだめる羽目になった。ふと頭の中に浮かんだ。「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って思いわずらうな。・・・あなたがたの天の父は、これらのものがことごとくあなたがたに必要であることをご存知である。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」マタイによる福音書6:31~33ああ、なんてつまらないことで争っているのだろう。そのパンを食べるのをとっても楽しみに朝起きてきたのはわかる。でも、お父さんは謝っているし、パンはまた買うことだってできる。それなのにふたりとも怒ってしまうなんて。結局何とかおさまって、それぞれを送り出した。-----夜、夫が帰宅した。ちょっと照れながら、昨日のパン屋で同じパン(+α)を探して買ってきてくれた。悪かったなと思っているんだと感じられて、涙が出るほど嬉しかった。息子ももちろん喜んだ。その夜の晩御飯は、みんなでとてもおいしく頂けた。家族の愛という、味付けで。
2004.12.09
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最近、毎日"新聞もゆっくり読む暇もない"と思っていた。けれど、毎日そんなに忙しいという実感もなかった。が、ふと気づいた。ちょっとした空き時間、趣味に使っていることが多くなっているんじゃないか。その結果、新聞をゆっくり読むことが後回しになって、1日の時間切れとなる。あるいは、エネルギー切れとなる。最近費やすのが増えた時間・・・。パソコン(前から?)キーボード弾き。たまに、編物。(これも早く編んでしまわなくては、必要なものだから)やりたいことを先まわしにしてやってしまう、そしてそのような時間は意識せずにあっという間にすぎてしまう。その結果、"新聞も読む暇がない"状態が続いていたんだなぁ。ちょっと反省。
2004.12.07
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コープ委員会でつどいをした。メインテーマは「飾り切り」お弁当用にソーセージの、おせち用にかまぼこの。一部を紹介。 ソーセージは部品を切ってスパゲティーを差してつなげていく。お弁当に入れると、食べる頃には水分を含んでそのまま食べられる。爪楊枝だと、一緒に飲み込んでしまう恐れがあり、危険だもんね。かわいい、ライオン、ゾウ、ラッコ、ウサギ、チューリップなどが出来上がった。かまぼこは、ネットで飾り切りを調べて皆で挑戦。どれも、見た目は豪華だが意外と簡単にできた。たかが蒲鉾、されど蒲鉾。豪華に見えるじゃん!
2004.12.06
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こどもたちが小学校にあがり、親から見えない生活の部分が多くなった。それとともに、トラブルや問題、気になることもときどき起こるようになった。問題が起こると、まず「何でこんなことが起こるんだろう?!」と嘆く。状況を確認し、見極め、判断し、できるだけ適切に対応する。非常に難しいことだと思うし、「これが正解。」もない。ある程度解決の道が見えるまでは、そのトンネルに出口がないように思える。けれど、気づいたことがある。問題が起こったときには、我が家を見直す絶好の機会でもあるということに。こどもたちとのルール、約束など、普段から言っていることもある。でも、トラブルは、その守備範囲外で起こることが多いように思う。つまり、想定していなかった事態。だから、問題なのだけれど。だからこそ、「空白部分」を埋める新たなルール、約束が必要になることだってあるかもしれない。こどもたちを縛り付けるためではなく、危ないものから遠ざけ、自分たちの身を、生活ペースを、守るため。いま、非常に気にかかっていることがある。そのことを思うとき、我が家の今のルールでは子供たちを守りきれないかもしれないと感じた。問題が起こる"隙間"の存在も明らかになってきた。気づいた時が、変え時。今が、そのときなのかもしれない。新たな、親子のルールを構築するために。
2004.12.04
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今日の学びは創世記16章1節~18章15節タイトルは「契約を受け継ぐものはイサクによるアブラハムの子孫である。」神がアブラハムに多くの子孫を与えると約束してから10年経っても、アブラハムと妻サライの間には子供がなかった。サライは、アブラハムの子孫が与えられるために何とかしようと、自分の女奴隷ハガルを夫アブラハムに与えた。ハガルはすぐに身ごもった。ハガルは、待ち望んでいたアブラハムの子供を自分が身ごもったことで、女主人であるサライを見下げるようになった。サライはアブラハムに文句を言ったが、アブラハムは「彼女をあなたの好きなようにしなさい。」と言ったので、サライはハガルをいじめ、とうとうハガルはサライのもとから逃げた。そんなハガルをも、主は憐れみ、祝福を与えた。彼女のもとへ主の使いが来て、「女主人のところへ帰りなさい。あなたの子供はわたしが大いに増やす。」と言われた。彼女はイシュマエルという男の子を産んだ。アブラハムは86歳だった。アブラハムが99歳の時、主は再び現れ、約束を具体的にされた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全きものであれ。"わたしは"・・・子孫を増やし、土地を与え、祝福を与える。」「"あなたは"・・・わたしの契約を守らなければならない。わたしとの間の契約のしるしとして割礼を受けなくてはならない。」「妻サライはサラ(王女)となる。わたしは彼女を祝福し、彼女によって一人の男の子を与えよう。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちは彼女から出てくる。・・・その男の子をイサクと名づけなさい」と。アブラハムは笑い、心の中で言った。「自分は100歳、サラは90歳なのに。」サラも、主のみ使いがこういうのを聞いて笑った。しかし主は「主に不可能なことがあろうか。」と叱りを受けた。-----神様の約束があるのに、なかなか叶わないとき、自分で(自分勝手に)解決しようとしてしまいます。良かれと思った(自分勝手な)解決法が、更なる問題を起こしてしまうこともありがちです。その結果でさえ、神様は祝福してくださっている。アブラハムとサライにとって、大変辛い年月だったろうと思います。自分たちはどんどん歳をとっていくし、自分の何か問題がある生で約束が受け取れないんじゃないかと焦る気持ち。どうして、こんなにも長い年月、神様は彼らを待たせたのでしょうか。それはわからないけれども、全能の神様はちゃんと約束を与えてくださいました。「主に不可能なことがあろうか。」辛い時、長い間待ち望んでいる時、本当にこう思えるでしょうか。もし、心からそう思えるなら、辛さに耐えられるのかもしれません。昔々の話、ではあっても、今生きるわたしの生活の中でも響いてくる話だと思いました。
2004.12.03
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「ここだけの話。」「誰にも言わないでね。」「内緒にしておいてね。」っていうのが苦手だ。口が軽いわけではないけれど、内緒にして欲しいなら言わなきゃいいのに、とも思ってしまう。でも、聞いておかなくてはならない間柄という場合もある。また、立場上知ったことについてほかの人にはもちろん言わないようにしている。けれど、「誰にも言わないでね。」「内緒にしておいてね。」という言葉は、かなりわたしの心に緊張を強いられる。わたしだって完璧な人間じゃない。つい、他の人に言ってしまいたくなる衝動に駆られることもある。そのときが、戦い時だ。心の中で葛藤する。家族にならいいだろう、ほかに漏れるはずもないし、と思ってしまうこともある。けど、ふと思いとどまる。ここで家族と言えども、言ってしまったらほかの人に対しても歯止めがきかなくなるかもしれない。どこであっても、噂話の種を蒔いてはいけない。ぐっと、思いとどまる。誰かに話したくなる衝動が起こるたびに、心の中で戦いが起きる。いっそ、忘れてしまえればいいのに。ああ、辛いなぁ。
2004.12.01
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