2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全17件 (17件中 1-17件目)
1
朝のニュース速報で知った。やはり、という思いと、どうしてこんなことが、という思いが交錯する。拘束されたというニュースを初めて聞いたとき、わたしの中で彼の行動を裁く思いがあった。「危険だといわれているのに、いったい何しにいったんだろう。安易な気持ちで行くから、そんなことになるんだ。」と。でも、しばらくして考えが変わった。どんな行動をとったにせよ、人間が殺されるべき理由なんてないはず、と。このようなことが、今回に限らず多発する状況こそが、愁うべきことなんだと。あの時あんなことをしなければこんなことが怒らなかったのに。あの時ああしていれば・・・。いくらそう考えたところで、今の状況を大きく変えられない。じゃ、今、ここで、自分には何ができるのか。無力感に襲われる。彼のご家族のコメントが心に残る。「支えていただいた多くの方々には大変な心痛をおかけし、おわび申し上げたい。感謝の気持ちでいっぱいです。このような結果になったが、イラクの人たちに一日も早く平和が訪れることを祈ります」「(息子の)死を無駄にしない生き方を選びたい」怒り、失望、やりきれない思いなどもたくさんあるだろうに。神様今回の事件に限らず、心が痛む事件が頻発しています。そのたびにやりきれない思いに支配されます。どうか、それぞれのご家族の心が癒されますように。イラクに平和がもたらされますように。このようなことをする人たちが、正しく裁かれますように。この言いようのない悲惨な事件をとおして、神様の光が現されますように。あなたの愛と平和で全世界が支配されますように。言葉にならないうめきのような祈りを、イエスさまの御名によって。 アーメン
2004.10.31
コメント(0)
先月末で父が定年退職した。予定より1年ほど早い、突然の退職だった。弟が、定年記念の食事会をしようと言い出して、今日がその日だった。残念ながらもう一人の弟家族は海外勤務中なので参加できず。弟家族とわたしの家族と両親。弟が開始の挨拶をして今までの感謝を述べる。おいしい食事を囲み、孫たちに囲まれて始終にこやかな父。父にとって最大の喜びは、こうして家族が集まることなのだ。ただ、集まって飲み食いするだけでいい・・・。食事も終わり、そろそろ帰ろうかというときに、父が話し出した。「お父さんは社会的には決して成功したわけじゃないが、良い息子娘を持ち、良い女房を持ち、何かあればこうしてみんなが集まってくれる。お父さんは、とっても幸せだ。幸いにもお金で不自由することもなく、子供たちもそれぞれ家庭をもつことができた。財産は残せない、お金を残しても3代でなくなる。これからは自分たちのためにお金を使っていこうと思う。前に聞いた言葉がある。30代までは学び、60までは働き、それからはお世話になった社会に還元していく、と。幸いにも体も年齢相応のガタがきているぐらいで深刻な状態ではない。これからは、お世話になった社会にボランティアなどで返していきたいと思う。これからも、何かあったらみんなで集まろう。家族仲良くしよう。これからも、よろしく。」父からこんな言葉が聞けるなんて、思ってもみなかった。泣いたよ。感謝すべきは、わたしたち子供なのだ。仕事の文句もいわず黙々と働き続け、休日にはどこかへ連れて行ってくれ、母の文句にも口答えせず黙って耐えてきた(ように見えた)父。「円満退職やない。不満退職や。」と、まだまだ会社で働きたかったような父。でも、こんなに幸せなんだからいいじゃない。退職して約1ヶ月で、少しは気持ちの整理もできてきたのだろう。きっと、これから違うところで必要とされると思うよ。本当にお疲れさま。これから、新たな人生だね。-----会場へ行く前の昼間、ウォーキング大会に参加していた父がうちへ寄った。雨で濡れた服を着替え荷物を整理していた。リュックサックに大会のゼッケンがつけてあった。ゼッケンにはコメントらんがあって、父の言葉が書かれてあった。「歩けることに感謝して。」
2004.10.30
コメント(4)
「やせた?」と、ある人に言われちゃった。体重は変わっていないので、やつれているんだろうか。確かに、子供会行事の前やコープ委員会の企画の前は気が重い日々を送ることが多い。今は両方が重なっているからか、余計そう見えたんだろうか。自分でも薄々気づいてはいたが・・・。それよりも、あれこれ首を突っ込みやりたくなっちゃうのが問題か、自分や家族のの限界も考えずに。 今日はひとつ、やりたかったことを神様に預けて、家族と過ごすことにした。
2004.10.29
コメント(4)
今日職場へ行ったら、名札を頂いた。職名とフルネームが書いてある。さっそく、仕事着のポケットにつけてみた。とっても重く感じた。今までは、ななしのごんべで、いわば匿名で仕事をしてきたのが、「わたしは○○の△△です」と公言しながら仕事をするのだ。決して今まで気を抜いていたつもりはないのだけれど、やはり職名と名前を表しながら仕事をするのは、責任を負うことにもなる。改めて気が引き締まった。知識や技術的にはまだまだ未熟なことは自覚している。この名札に恥じないようになっていきたいなと思う。ふと思った。神様の前では、誰も匿名でいることなんてできやしない。すべて知られているのだから。
2004.10.28
コメント(5)
子育てに関する集まりがあった。「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである。」 出エジプト記20:12 (口語訳)親にとって、父と母を敬うことを子供に教えることは大切なことだ。ドブソン博士「思い切ってしつけましょう」によると、親が子供に伝えておきたい2つのメッセージがあるという。(1)ママはあなたが大好きよ。 あなたはママにとって大切な存在。 あなたのママになれて嬉しいわ。(2)ママは、あなたを愛しているからこそ、あなたがママの言うことを聞くように教えないといけないの。 そうすることでしか、あなたに害を加えようとするものから、あなたを守ってあげることができないからよ。大好きな存在である子供を守るために、しつけなければならない。これって、忘れてはいけないポイントに思える。子供に敬うことを教える方法としていくつかあげられる。1.子供に、従うように教えることは、神様に従うことであることを知る。 2.子供がどちらかの親をばかにした時は、必ず馬鹿にされた親の味方になり、子どもを正す。母親は子供たちに、父親が家庭のかしらであることを教えなくてはいけない。3.しつけ、ルールは子供を安心させる必要な囲い。一貫性、夫婦の間の意見の一致が必要。4.しつけるときは、子供は不従順で反抗しているのか、未熟さゆえの行動かを見極める。5.子供の反抗をしつけるときは、 1.屈辱を与えないように1対1で。 2.間違いを説明する。 3.罰を与える。 4.謝らせる。 5.赦してあげる。(愛していることを伝え、抱きしめ「また仲良くしようね」と言う。)これらのことについて、今日集まった母たちと話した。自分自身が育ってきた家の決まり(ルール)ってある?「よそはよそ、うちはうち。」「父が絶対、父が白と言えば、黒いものでも白。」「後の人のことを考える。(トイレやお風呂を使うとき)」「人様に迷惑をかけない。」じゃ、上のいくつかのポイントについては?夫婦の間で普段から敬っていなければ、2.は難しいね。夫婦の意見の一致を得るには、普段からしつけなどについて夫婦でよく話をしていかなくちゃね。しつけの一貫性って、本当に難しい。ついかっとなって、感情で怒ることがあるよ。反抗か未熟かなんて、どうやって見極めるんだろ。難しいね。5.のように、冷静に罰を与えるなんてやったことないわ。緊急性の高い時もあるし。一つ一つみていけば、難しいように思える。けれど、今日学んだことは、父と母を敬い従わせるっていうことは大切なこと。(そのためには、敬われるような父や母を目指さなくてはとも思った)今までの自分のやり方は、子供の意思尊重、という名目で、随分甘っちょろいものだったのかもしれないことに気づいた。愛する子供たちを守るために、しつける、ことを再認識させられた。
2004.10.26
コメント(2)
毎年この時期には、夫の職場のおまつりがある。福利厚生の一環だ。朝から家族で出かけていって、お楽しみのプログラムを回る。今年ははじめて開会前に到着したので、余裕を持って回ることができた。わたしの一番の目的は、体力チェック!毎年、行うのだ。項目は、握力、背筋力、垂直跳び、立位体前屈、腹筋持久力(30秒で何回できるか)、(今年はなかったが)伏臥上体そらし、そして最後に体脂肪チェック。各項目は、女性の年齢平均以上で、まぁまぁ納得。体脂肪率も女性でちょうどいいくらい。しかし、わたしの身長の理想体重って、現体重よりも約10kgも多い。わたしが理想体重になったら、完全に"体脂肪オーバー"じゃない?これって変だなと思う。今回は、握力を計る時に体に力を入れたはずみに、側腰の筋を痛めてしまったようだ。ストレッチは一応したんだけれど、横は伸ばしていなかった・・。甘かったな。(毎年、どこか痛めちゃうのよね。若くないってことよね)ナインゴールをやっていたので初挑戦。5球中3球入って、景品をゲット!全くの、ビギナーズラックよね。後から欲を張ってもう一度挑戦したら、1球も入らなかったわ。子供たちは、変わり自転車に乗ったり、フワフワで遊んだり、楽しんでたよ。雲ひとつない穏やかな秋晴れの下で、家族で食べたお弁当はおいしかった。満たされた一日でした。
2004.10.24
コメント(2)
テレビを見ていたら、急に画面がニュースに切り替わり、先ほどの速報テロップの重大さを感じた。新潟には、昨秋訪ねた友人夫婦とそのそれぞれのご両親が住んでいる。ニュースに釘付けになりながら、案じる。子供たちは、ドラえもんの特番が急に中止になってしまったため、怒りまくっている。中断になった番組の再放送予定もわからないからだ。大人からすれば、大きな被害が出ていて余震も続いている新潟のことを思い、笑いながらドラえもんを見ている場合ではないのだが、子供はこういうときは平和だなと思う。しばらくニュースに見入り、思い切って新潟に電話してみた。回線がいっぱいで繋がならいだろうと思っていたが、すぐにつながって声を聞くことができた。とりあえずほっとした。ものすごい揺れだったと言う。そして、ご両親には連絡がつかないと言う。大きな余震が続く中、さぞかし心配だろう。無事に避難していますように。安心できるものが与えられますように。必要な物資や人手が届きますように。何かわたしにできることがあれば、それが示されますように。祈りつつ。
2004.10.23
コメント(6)
「みこころにかなう生き方をするように。」昨日、美智子皇后が古希を迎えられたそうだ。おめでたいことだ。夕方テレビを見ていたら、美智子さんが結婚した時の映像が流されていた。そのときお父様が美智子さんに言われた言葉が、「天皇と殿下のみこころにかなう生き方をするように。」というものだったそうだ。驚いた。「みこころにかなう」なんて言葉、教会関係の人からしか聞いたことがなかったから。それ以前には、そんなことも考えていなかったしそんな言葉も知らなかった。「みこころにかなう生き方」誰のみこころにかなう生き方をめざすのか。自分が尊敬する人。憧れの人。その人の"みこころ"を理解しているか。理解しようとしているか。自分に問うてみる。今までの自分は、「自分のみこころ」つまりは自分勝手に生きていたか、「他人の評価」つまりは人の目を気にして生きてきたんじゃないかと思う。今でも、きっと。一貫性のない、その場しのぎの・・・。でも、第三の(本当は第一であるべき)選択肢があることを知った。「神のみこころにかなう生き方。」神を愛し、隣人を愛し、希望をもち、平和をつくる心。(かすみ草的解釈)義務でもなくいやいやでもなく・・・。
2004.10.21
コメント(11)
今日はコープ委員会をする予定だった。先日の地域委員会(委員長会議)の内容をおさらいしつつ、自分のところの委員会での優先議題を洗い出して・・・、と準備をしていた。と、「とっても大きな台風が近づいていて、その日一日家に出ないほうがいいって予報で言ってるよ。」との電話を受け取った。はっと気がついた。台風が火曜、水曜あたりに来ることは、何となく知っていた。そしてコープ委員会が水曜にあることもわかっていたが、その二つが頭の中でつながっていなかった。どうしよう。緊急議題が2つもあるのに、今日委員会をやらなければ、わたし一人で判断して進めるんかぃ?!そんなことでけへん。でも、小さい子供を連れている委員さんも多いし無理はできない。なんせ、大きくて強い台風が来るのだ。朝7時の時点で警報が発令されていれば迷いなく中止。けれど、警報は出ていなかった。でも、警報が発令されるのは時間の問題。午前中か、昼過ぎか、夕方か。迷った挙句、無理をして出てこない、最重要議題のみでさっさと帰る、という条件で開催を決めた。果たして、これでよかったのか・・・。結局来る事ができたのは8人中3人だけ。とりあえず決めて、決まったことを連絡網で回してもらった。次回集まれるのは8日後。企画のあとに時間が取れるかどうか・・・。いくら綿密に計画を立てても、台風の前には"無"に等しいよなぁ。テレビの台風情報を見ていると、空港や駅などで「重要な打ち合わせがあるのにこれでは困った。」というコメントをよく聞く。命あってこそ、困ることもできる。自然災害の前には、計画すら"無"として受け止めざるを得ないときもあると感じた。次々とやってくる台風や自然災害に対して、普段神を口にすることもない人が「神様が怒っているんと違うか。」というのを聞く。わたしには、本当に神様が怒っているからなのか判断できない。人間が自然に反して造った"コンクリートの堤防"によって川の氾濫守られた人々も多いと思う。そのことも、感謝する。家の玄関前にはコンクリートの巨大な堤防の間を流れる川の景色が広がっている。水位がどんどん上昇するのを目の当たりにしていると、この堤防がなかったらと、ぞっとする。荒れ狂う台風に巻き込まれ被害に遭われた人々を想い、祈らなければと思う。
2004.10.20
コメント(0)
台風が近づいている。台風が近づくと、マラソン中継をただ追うように、テレビをつけて台風情報を追う。そのなかで、自主避難した人についての情報があった。「どこそこで何世帯何人・・・。」はっと気がついた。世帯数と避難人数にそれほど違いがないところが多いのだ。といことは、自主避難する人たちは独りあるいは2人ほどの世帯の人が多いのだろう。早めに自主非難しようと思う人は、心細いんじゃないだろうか。避難所に行って誰かと一緒にいるだけで、少しは安心するのだろう。家に残り、土砂に埋まってしまった人も多い。「家を守らねば」という思いだろうか。台風のたびに、屋根や用水路などを見に行って命を落としてしまう人も多い。気になりだしたら、命のことなど考えられずにいても立ってもいられなくなるのだろう。今まで、それほど差し迫った危険を身に感じたことはないが、もしわたしがそんな状況に遭えば、いったい何を気にし、何を求め、何を守るのだろう。想像すらできない。
2004.10.19
コメント(0)
昨日のお出かけ。実は木曜日に突然夫が「今度の土曜日、白浜の温泉へ行こうか。」と言い出した。日帰りならと思ってよくよく話をすると、「温泉へ行くなら泊まりでないといった気がしないなぁ。」と言う。2日前に言われたって・・・日曜日にはもう半月も前から予定を入れてしまっていたのに・・・。急にキャンセルもできないなぁ、こんな理由じゃあ、と思い返答を渋っていると、カレンダーを見て「あ、日曜日予定があるんか。思いつきやから、気にせんでいいで。」と言ってくれて、ほっ。その代わりと言っちゃなんだが、大阪市立東洋陶磁美術館へ行くことになった。特別展の青磁を観たいと、夫が以前から言っていたのだ。子供たちを連れて電車を乗り継ぎ、先日の台風で水に浸かったバラ園を通り到着。中に入って、その建物の造りに驚いた。ホールや廊下の壁と床はすべて石でできている。自然採光を取り入れた中ほどのホールや展示ケースもあった。ホールの装飾も立派な美術品。ここに座っているだけでもゆったりとした気分になり、時の流れを感じさせない落ち着きが得られる、そんな空間。これらの展示品は昔の大阪商人の、そしてそれを引き継いだ財閥系グループのものであったのを、大阪市へ寄贈したという。昔の"民(みん)"の力と心意気はたいしたものだったんだなと感心する。展示品のなかには国宝や重要文化財もあり、そのコレクションの質の高さはたいしたものなのだろう。詳しい知識はないが、いいものというのは心をつかむものだなと思う。しばし見入って、満ち足りた気分。次に、大阪府立中ノ島図書館に入る。中に入るのは初めてなので、館内見学。板張りの廊下のミシミシいう音や油の匂い、好きだなぁ。建物中央の回り階段もすばらしい。いい時代を思い起こさせるこういう建物がとても好きだ。(余談だが、わたしが通っていた高校にも、このような古い建物があった。数年前の建て替えによって、今は跡形もないのが寂しい)これも、大阪府がその昔図書館を作る計画を立てた時に、時の財閥当主が建物の寄付を申し出たと言う。儲けるだけ儲けるのではなく、設けたら地域社会に還元するということは、見習うべきだと思う。大阪にはこのような"民"の力による公共事業が多くなされてきたと聞いたことがある。すばらしい伝統のある町なんだと感心する。重厚な建物は、そこにいるだけで感じられる空気があるよなぁ。歴史の重みというか、それを建て、守ってきた人間のすばらしさとか。家に戻ると、コンクリートとビニールクロスに囲まれた部屋が待っていた。
2004.10.17
コメント(0)
時間に関して思うことが多い。用事をしている時やゆっくり新聞を読んでいる時に、「おかあさ~ん」と来られると、「ああ、また時間をとられた。」と思ってしまう。後に残るのは、不満ばかり。「~~したかったのに・・・。」「~~してたのに・・・。」でも、ちょっと発想を変えることもできるんじゃないかと気づいた。その時間を(子供に)捧げることにすればいいんだ。もしそう思えたなら、後味がぐんとよくなりそう。そして子供に捧げた時間は、きっと無になることはない。10回に1回ぐらいは、「捧げる時間」と思えたら、日々の生活も違ってくるかもしれないな。
2004.10.16
コメント(6)
旧約聖書創世記を読むと、全人類はアダムの、そしてノアの子孫だということになる。そして、アブラハムとわたしたちの関係は?アブラハムの子であるイサクの子、ヤコブがイスラエルと呼ばれるようになる。「彼らはイスラエル人であって、子たる身分を授けられることも、栄光も、もろもろの契約も、律法を授けられることも、礼拝も、数々の約束も彼らのもの、また父祖たちも彼らのものであり・・・しかし、神の言が無効になったというわけではない。なぜなら、イスラエルから出たものが全部イスラエルなのではなく、また、アブラハムの子孫だからといって、その全部が子であるのではないからである。・・・すなわち、肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである。」 ローマ人への手紙9:4~8「あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。・・・もはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは見な、キリスト・イエスにあってひとつだからである。もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。」ガラテヤ人への手紙 3:26~29では、何を相続するのか。主は主の使を通してアブラハムに言われた。「わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫を増やして、天の星のように、浜辺の砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである。」創世記22:17~18肉の子孫は肉の(物質的な)祝福を、信仰による子孫は信仰による(霊の)祝福を与えられるという。細かい話は忘れてしまったが、おおまかなところで"なるほど~"と思う。「もし根がきよければ、その枝もきよい。しかし、もしある枝が切り去られて、野性のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。・・・彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。・・・」ローマ人への手紙11:16~27ここに書かれていることで、肉の子孫として選ばれた民と霊の子孫である者たちの関係がよくわかる。でも、霊の祝福を相続できるんだ。アブラハムに約束された祝福を。霊の子孫(信仰の家族)繁栄、霊の国を受け継ぐものとして。
2004.10.13
コメント(0)
子供が生まれた瞬間から、いやお腹に宿った時から、折に触れてこの問いは続いていると思う。親として何ができるか。親として何を伝えるか。今日の、子供のための祈り会のテーマは、最も子供に伝えたいこと。まず、どんな国でもどんな家庭でも裕福でも貧乏でも、人間が共通して抱く"問いかけ"ってなんだろうと、それぞれが考える。自分が今まで生きてきて、そしてひょっとしたら今でも抱いている"質問"とは?私の場合、子供のころから、「自分はなぜここに在るのか」「死んだらどうなるのか」「何のために生きるのか」という思いはあったと思う。そして、答えを見つけられないまま、考え出すと不安に陥っていた時もあった。ほかの人は、「うそはどこまでついたらいいのか」「自分は誰に愛されているんだろう」「自分に価値はあるのか」などなど。ドブソン博士の"Life on Edge"による"人生における、大切な質問"とは以下のようなものがあるという。・自分は誰なの?・自分はどこから来たの?・この世に、していいこと悪いことってあるの?・神様はいるの?そうなら、神様は自分に何を求めておられるの?・死んだらどうなるの?・永遠の命ってあるの?どうやったらもらえるの?・生きることの意味って何?これらの答えはすべて、聖書にあるという。そうか~、これらのことに答えを見出せないと、人生空しいと感じるよなぁ。自分の子供のころを顧みる。人間、死ぬ間際になって思うこと、「もっと一生懸命働いておけばよかった。」とか「もっとお金をためておけばよかった。」とか「もっと有名になっておけばよかった。」とかそんなことではないだろう。安心して死にたい、自分が死んでも子供や家族や親しい人に安心してもらいたい、と多くの人は思うのだそうだ。どうすれば。財産や名誉を残せばいいのか?これらの質問の答えを、まず自らがはっきり見出し、それを子供に伝えていくことが大切だと聞いた。"死んだら終わり"と、よく聞く。でもわたしは"死んでも終わりじゃない"と信じる。死んでも天国でまた子供や家族や友達と会えると信じたい。希望があるから。"死んだら終わり"だったら、生きることが虚しくなりはしないか。子供たちが、安心して希望を持って生きていくことができるようにするのが、親の努めだと、そう強く思わされた。「今日、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間において覚えとし、またあなたの家の入り口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。」 申命記 6:6~9 (口語訳)
2004.10.12
コメント(4)
洗礼式っていうのはクリスチャンにとって、とても大切な儀式だ。自分の信仰を口であらわし、水に沈んでイエス様とともに1度死に再び水から上がってイエス様とともによみがえるということを象徴している。よみがえった自分は、罪に覆われた古い自分ではなく、罪を贖われ清められた新たな自分。もちろん、洗礼自体に奇跡があるのではなく、象徴として。結婚というものも、事実婚だったり結婚式をしたりあると思う。信仰も似ている気がする。結婚式に相当するのが洗礼式かなって。(違うよ、って思う方、いるかもしれませんね。まだまだ未熟なものでお許しを。)イエス様が自分の罪を贖うために十字架にかかってくださった、たとえ2千年ほど昔のことにしても、自分のこととしてそう信じる人はみな救われる、と思っている。「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」 ローマ人への手紙 10:9~10(口語訳)今日の洗礼式の場所は、山間の小川のほとり。狭い河川敷に集まり、式が進んでいく。木々の間に見える青空に向っての賛美、天に向って歌う。思いを一つにして、天に向って祈る。そしていよいよ。ひとりずつ、水に入る。目の当たりにしている現実なのに、綺麗すぎて絵の中にいるよう。スローモーションで時が流れる。見ている私自身、思いを新たにさせられた。洗礼式って、周りの者たちをも新たにさせる力があるようだ。おめでとう。豊かな祝福がありますように。
2004.10.11
コメント(2)
(本当は11日に行ったのだけれど、いつ行ったのかは重要ではない)家族で近場へお出かけ。車を西へ走らせ南港へ向う。目指すはなにわ海の時空館。一通り観た印象としては、大阪市が(市制100周年事業の一環として)復元した菱垣廻船を入れて展示するためだけに作ったような施設だと思われた。それにしてはお金かけすぎなんとちゃうん?わざわざ海底トンネルを掘って陸にある入り口と展示館をつながんでも・・・。海底トンネルの天井には何箇所か窓があって、大阪湾の海が見えるというけれど、ヘドロのようなものが漂う濁った海中を見せるのは逆効果のように思えた。いや、これを見て、一人一人を"海を綺麗にしなあかん!"と奮起させるためなのかもしれない!大阪市の狙いはいったい・・・。入館料を払った挙句、いくつかの体験・映像コーナーがあるが、それぞれ300~400円。実際に利用している人は、残念ながら見なかった。(もちろん我が家族も)50円とか100円ぐらいなら「ちょっとやってみよか」と思うだろうに。唯一、大阪市の施設の良いところは、小学生以下無料ということ。ちょっとだけ助かる。これらが、大阪市民の方々の貴重な税金で支えられているということに、感謝しよう。ありがとう。帰りに、すぐ近くの南港野鳥園に寄ってみた。埋立地の端に木々の生い茂る公園に丘と人工干潟がある。干潟に直接入ることはできなくて、そこに集う野鳥を観察する場所がある。人気もあまりない。都会のすぐ近くで静かに木々に囲まれて時間を過ごすには良いところだと思う。木々の間からは、コンテナ用クレーンがいくつも見える。静かだ。すぐ向うは都会の雑踏だというのに。近く管理棟をリニューアルするらしい。確かに、錆びれていた。(今日は辛口だった)
2004.10.10
コメント(0)
今日はコープ委員会のバスツアー。産直(産地直結)豚肉のメーカーである大里ミートセンター(OK牧場、三重県津市)を尋ねた。雨が降りそうな天気の中、予定参加者全員を乗せて津市へ向う。順調に走って現地に到着。丁寧なお出迎えを受けたあと、豚舎の近くまで行って説明を受ける。雑菌が入るので豚舎には一般の人は入れない。従業員も、シャワーを浴びて着替えて入る。トラックも車両の消毒をしてからでしか入れない。抗生物質の乱用を避けるために、清潔な冷暖房完備の豚舎となっている。その代わりに、生後3週間ほどの子豚を連れてきてくれた。かわいい子豚に触り、その温かさを感じる。そのあと、加工場で細切れ肉の袋詰や餃子の生産風景を見学。工場内に入るのに、作業着を着て防止とマスクをして、さらに掃除機で服の表面を吸い取りエアシャワーを浴びて入るそうだ。説明を聞いたあとは、お楽しみの昼食。ご好意で用意してくださった焼肉用の豚肉をたらふく食べた。昼食後は本日のハイライト。豚の解体即売!半身の枝肉となった豚さんが、テーブルの上に横たわっている。先ほどのの子豚も、何ヶ月かすればこんな姿になるんだなぁ、なんて思う。子豚の温かさが、手に残る。そうだ、旧約聖書にはノアの大洪水の後、神様が人間に肉を食べることを許されたと書いてある。ただし、血を抜いてから。この肉は「食べてもいいよ」って言われた肉なんだ。大切に食べなくちゃ。そんなことを思いながら、手際よく各部位に解体されていく豚肉と職人さんのナイフ捌きに目が釘付けとなる。小袋に分けられた豚肉は、一袋200円という破格の値段で分けていただいた。この有り余るご好意には感謝しても仕切れない。これは、生協とこのメーカーとの長年の信頼関係によって培われたものなんだなと思う。おなかも心も満足して、バスは帰途に着く。事故もなく、体調不良もなく全員それぞれの家へと帰っていった。肉といえば、スライスされトレイに載ってあるものだという感覚が常々あるが、こうして産地を訪れると改めて、生き物を食べているんだと実感する。そして、良い肉を生産するために良い豚を育てていらっしゃるという、生産者の方々の日々の努力を垣間見ることができる。子供たちも連れて行ったのだが、それぞれに何か感じただろうか。
2004.10.02
コメント(0)
全17件 (17件中 1-17件目)
1


![]()