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ちらっとは頭をかすめていたことだけれどま いいか で済ませていましたそんなにも傷つけてしまっていたことずっと胸に抱き続けさせてしまっていたことごめんなさいあまりにも当たり前のこととして無言で受け取るようになっていましたあなたの厚意そんなにも思いがつまっていたとは気づきませんでした驚きました小さなことでもま いいか ではなくきちんと伝えていかなくてはなりませんね神には既に赦されていますがあなたの許しはどうすれば得られるのでしょう
2007.05.27
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民数記1章1-34節より (Biggs,John牧師のメッセージを主観的にまとめたものです)今日はペンテコステ(五旬節)でクリスチャンにとってはクリスマス、イースターとともに3大祝日の一つです。クリスマスはキリストの誕生を、イースターはキリストの復活を、ペンテコステはイエスが天に戻られた後、最初のクリスチャン達に聖霊が与えられたことを祝います。聖霊は三位一体の神であり、旧約では一部の、神さまから招命のあった人だけに与えられたものでした。主はイスラエルの民のために、非常によくしてくれていました。奴隷生活を強いられていたエジプトから脱出させ、紅海を割りエジプト軍から逃れさせ、カナンの地を約束し、荒野で水を与え、毎日天からマナを降らせました。けれど、彼らは与えられていることを当然と思い、そればかりか充分ではないと不平を言ったのです。主はこれを聞いて怒りを燃やしました。私たち自身はどうでしょうか?自分は今までに主からどんな親切、思いやりをもらったでしょうか?また、そのことを感謝しているでしょうか?イスラエルの民は、毎日与えられていたマナに飽きたと言いました。エジプトで食べていた濃厚な味の肉や、刺激的な味のするニラ、タマネギ、ニンニクを食べたいと。主の怒りは激しく燃え上がりました。子どもが何度もわがままを言った時に、親の怒りがだんだん激しくなるのと同じです。主は天の親なのです。主は私たちの必要なものをよく知っています。今日の日を乗り越えるために与えられているものがマナです。それは、物質的、霊的、情緒的、様々な形ので与えられます。憐れみ、癒し、励まし、持病のある人が2,3日体調がいいことかもしれません。祈りによる平安、御言葉を通しての解決かもしれません。マナは、主の祈りでも祈られるように、日ごとの糧なのです。主はそれに対して「ありがとう。」「いただきます。」の言葉を聞きたいのです。マナは実にシンプルで素朴な味です。その味わいを見出すには、時間がかかるのです。私たちに与えられている神からのマナを味わうにも、時間がかかります。マナを詩篇31篇のように味わうには、イエスを味わうことから始めるのです。イエスさまはご自身を「天からのまことのパン(ヨハネ6:32-41)」と言われているからです。例えば、日曜日に神の家族と賛美したり、朝に静かに神との時間をとるのです。モーセはこのような民を自分だけで負うことはできませんと、主に言いました。モーセは既に政令を与えられていましたが、自分の無力さを知り、へりくだって主に叫びました。主は、聖霊に満たされた他の人を与えるよと言われました。主のことばにより70人の長老が集められましたが、そのうち2人は呼ばれたにもかかわらず行きませんでした。主が70人に神の霊を与えたときその2人にも与えられましたが、彼らはその素晴らしい贈り物をどのように他の人のために用いるか関心がありませんでした。クリスチャンである私たちも、こんなことがないでしょうか。聖霊のことを話すとき、自分個人にどんな益があるかに焦点を置きがちですが、聖書ではむしろ、周りにいる人を豊かにするため、お互いに重荷を負うためだと言っています。クリスチャンライフを独りで行うのは、健全ではありません。主の家族の中で行い、キリストの体の部分である自分と体全体が、恩恵を受け合うgive and takeの関係を持つことなのです(1コリント12:1-12)。体の部分が祝福されると体全体も祝福されますが、手足は身体に繋がっていないと枯れるのです。モーセは言いました。「主の民が見な、預言者となればよいのに。主が彼らの上にご自身の霊を与えられるとよいのに。」この言葉が、1500年後のペンテコステに成就したのです。祈りの時を持ちましょう。最近主がしてくださった良いこと、先週のマナの祝福を思い返し、感謝しましょう。私の内に与えられている、素晴らしい聖霊を感謝しましょう。そして、独りで留まるのではなく、主の家族の中でともに主を賛美し、お互いを高め合うことができるように。
2007.05.27
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今の内容の仕事には慣れて随分経ちます。いつの間にか、3年以上も雇って頂いています。毎日ではないので、実質的には1年と少し位かもしれません。慣れてしまえば楽な範囲の仕事なので、もう少し仕事の幅を広くしたいなと願っていましたが、それをなかなか自分から言い出すこともできず、やらずに済んでいたこともあってそのまま続けていました。ある日、その機会がやってきました。と思って緊張していたら、結局助っ人が来てくれたので、やらずに済みました。けれど、今度自分がやらなくてはならない時が来た時のために、その仕事について、見たり訊いたりして備えるようにしました。そして今日、その機会が与えられました。今日は、それほどドキドキせずに済みました。ちょっとした不測の事態もありましたが、対応することもできました。この機会が与えられ、また、守られたことに感謝します。機会を重ねることで、ドキドキが冷静さに変えられますように。さらに誠実に対応することができますように。今日の日をありがとう♪
2007.05.25
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自分では、どうしようもないと思っていた状況にあっても、ひとに話を聴いてもらうと、自分とは違う視点で見てくれる。何気なく言ってくれたことが、思いつめてしまっていた自分にはとても思いつかなかったこと、そしてとても大切なことなのに、私には欠けていたことだと気づく。そんな大切なことをしていなかった、そんな大切なことがあったんだ!私に欠けていた、大切な事。教えてくれてありがとう。道は必ず、備えられています。
2007.05.23
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どうしたの?画面にばかり目を向けイヤホンで耳をふさぎ口から漏れ聞こえるのは退廃的な歌疲れてるの?ただそれだけ?これが リラックス法なの?それならいいけど疲れているならしんどいと言ってよ
2007.05.21
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知らぬ間に、一方的な、相手のことを考えない言葉が口から出てきます。相手に共感しようともせず、自分の主張をひたすら押し付けようとしてしまいます。世界は自分中心に廻っているような錯覚を起こし、その感覚から抜け出せません。僅かなことで落ち込み、少しのことで調子に乗り。でも必ず、そのことに気づかされます。すぐに治らないにしても。そこから、また始まります。
2007.05.17
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今日は平日、だけど休日。仕事がお休みで、他の用事もない!それでもやることはいろいろ。洗濯、掃除をして、郵便局に行って、学校にちょっと行くか電話するかどちらにしようかな。御言葉を食べて、味わって・・・、今日は少しゆっくりたっぷりできるかな。あさってのPTA総会での退任挨拶も、そろそろ考えなくっちゃ。口下手なので、メモを作って練習もする?原稿にしちゃうと、棒読みになりそうだし。ウッドバーニングの課題も仕上げちゃわなくちゃ。書きかけの手紙を書いて、ポストに投函して。それから、大切なこと。冷蔵庫と相談しながら、晩御飯の献立を考える・・・。明日は生協の配送なので、冷凍庫を空けとかなくっちゃ。嵩張っている物を使おう。子ども達が帰るのが2時過ぎなので、それまでに。・・・と言いつつ、だらだら・・・。主婦の(私の)頭の中は、こんな感じ。
2007.05.16
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「レンズは平和にフォーカスをあわせる」という題で、映画監督の大林宣彦氏が講演してくださいました。私自身にはない視点をお持ちで、考えさせられることも多く、心の内に留めておくことが難しくなったので、ここに記しておこうと思います。(要約というわけではありません)手を振りながら登場され、始終にこやかで穏やかな口調で、演台から出て舞台の前の方で立たれ、軽やかな話題から入りいつのまにか真剣な内容を、それと感じさせずに主張されるその流れは、さすが映画監督だなぁと思いました。ご自身の内側の葛藤も正直に話された勇気もすばらしいなと思いました。講演最後には、舞台から降りられ、聴衆の1人と予告なく握手されました。帰途に向かわれるときに建物の出口でお見かけしたら、またにこやかに手を振って去っていかれました。-----2001年9月11日、テレビ画面に繰り返し映された映像を見て、始めは新作映画のプロモーションかと思った。映画としては魅力的な映像だった。けれど、これは違うぞと、そして何が映されているのかわかったとき、「しまった!俺がやった!」と思った。テロリストが、映画としては魅力的な、お客さんの喜ぶような映像を真似して、世界の注目を集めるために本当にやってしまったのだと。映画を撮るのをやめようかと思った。美しい音というのは、生きている証拠、風のそよぎ、花の開花、全てに音がある。けれど、あの映像には、音がなかった。もし音があったなら、それこそ一番嫌な、聞きたくないような音があったに違いない。人間の音が美しい時、それは音楽となり、人間の言葉が穏やかな時、それは歌となり、人間の動きが平和な時、それは踊り(ダンス)となる。芸術とはそのようなもの。それを作り出すのが私の仕事。有名なStar Warsシリーズを撮り、巨大な富を得たジョージ・ルーカスはこのシリーズを10作(?)まで撮ると言っていたそうだが、この事件のあと、6作で製作を止めると発表した。そして、小さなデジカメで、庭の花や虫を撮っていくことにした。名誉も富も捨てて。きっと彼も、俺と同じように思ったのだろうと思う。みんなが武器を捨てたら、平和になるじゃないか。非現実的かもしれない。けれど、夢を信じていきていこうじゃないか、芸術は人を励まし、夢を与えるものでなければ。スティーブン・スピルバーグ監督が「プライベートライアン」という反戦映画を撮った。その映画の中では、首が飛んだり腕が飛ぶような、お客が喜びそうなシーンがある。この映画を故淀川長治氏は厳しくこう言っていた。「この映画は物欲しそうで下品だねぇ。平和を願う映画なら、もっと穏やかな映像で表現しましょうよ。」と。このような映画は、ほっぺたをひっぱたいて「平和ってほら、いいだろ。」と言っているようなもの。子供の頃に見たある映画を思い出す。ひたすら、街に作られた防空壕の中の薄暗い中にいる家族の映像のみ、1時間半。退屈な。外では爆撃音、建物の崩壊の音、悲鳴。最後に戦争が終わり、静かになった。そして、川のせせらぎ、鳥のさえずりが聞こえてくる。と、ずっと母の腕に抱かれていてすやすや眠っていた赤ん坊が、大声で泣き出す。・・・赤ちゃんにとっては、今までの爆音の世界が普通で、静かなせせらぎやさえずりは未知なる不安な音だった。そんな風に感じてしまう赤ちゃんにしてしまう戦争は、恐ろしい。音の効果だけで、戦争の恐ろしさを描いていた。20世紀は戦争の世紀、文明、経済は戦争のおかげで発展してきた。例えばカラーフィルムは、いやな言い方だけども戦争のおかげで、軍の必要があって開発された物。私たちはその恩恵を受けている。もともと戦争のために開発されたものだから、殺戮のためというDNAが残っている。それでもって、どんな平和や愛が描けるかを、私たちは考える。戦争のおかげで発展し金儲けする私たちの怖い社会。神仏自然界の意志に従っていくことは難しい。「転校生」という映画は、50年後の長野県の子ども達に見せたいという依頼があって撮った。けれど、ふと考えた。「50年後は、映画があるかい?たとえあったとして、子ども達は元気で平和に生きていられるかい?」そうあるために、今生きている私たちが何を出来るのか?平和に1歩でも近づければ。毎日すれば、きっとできる!そう信じて、依頼を受けた。悪い敵を滅ぼせば、自分が平和になると考える人がいる。宗教という、人を癒す力のあるものさえ戦争の種となる。でも正直なところ、自分の目の前にピストルが置いてあって、向こうから自分を殺そうとする人がやって来ているなら、自分はどうするだろうか。武器を捨てるということは、これくらいの覚悟が必要になる。実際、自分を守るために相手を撃つ方が現実的かもしれない。自分の命は自分の責任範囲だから、自分は銃を取らずに、死のう。でも、もし子どもが横にいたら。これは、泣きたいくらい難しい問題。戦争に勝って得られる平和は、恐ろしい平和。また新たな戦争が生まれ、必ず人類を滅ぼす。こんな空想をしてみる。滅亡寸前までいって何人か生き残るとする。様々な国籍人種。残った彼らは協力して生きてゆくだろう。その時、こんな会話をするんじゃないか。「俺らのじいさんたちは、戦争なんて愚かなことをしてたんだって?」戦争を捨てて得られる平和こそ。戦争を捨てることで、滅びるかもしれない。そして生残った者達はこう言うだろう「俺らのじいさんたちは戦争を拒否して滅んだんだ。」ある意味誇りかもしれない。 真剣に、おそれを持って考え続けてみる。すると、賢くなり真実が見えてくる。自分だけの平和なら、ヒットラーさえそうだ。自分だけでなく、あなたも、みんなも平和になるように。平和に向かう私たちが呼び覚ましたものが3つある。オンリーワン、スローライフ、温故知新。ナンバーワンでなくオンリーワンを叫びだしたことで、競争を重視しなくなる。ファストライフでは早く結論をと急きたてられていたけれど、スローライフで立ち止まってみる、考えてみることが出来るようになる。一つずつ見つけてきたものを生かし新しいもの(平和)を見つける温故知新。21世紀は、ゆるし合って深め合おう。古今東西映画が描いてきたテーマ、人は傷つけ合って、ゆるし合って、愛が芽生える。人間の性善を信じる。でも、私自身は性悪。妬みや人の不幸を願う気持ちもある。いや、これではいけない!そう思っているうちに、友の成功を喜べるようになる。これではいけないと、考えれば、性善に鍛えられる。考えることをやめれば、性悪になる。自分の平和はあなたの平和。自分の平和よりあなたの平和。そんな風に考える自分は、あなたの中にある。そう信じることが、平和を手繰り寄せることになる。どっちが正しいかわからないけれど、どうせ間違えるなら銃を捨てたい。なぜなら、美しいから。美しいものは間違いではないと信じる。信じるとは、そちらに歩いて行くこと。
2007.05.15
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創世記17章15~19節、18章1~15節、21章1~7節より (Biggs,John牧師のメッセージを私なりにまとめたものです)ミシガン州のある研究者によると、子どもは一日に150回笑うそうです。では大人は?一日に15回だそうです。大人になるにつれて生活は忙しくなり、気難しく、皮肉な性格になっていくのです。子どもの笑いは純粋で無邪気で幸せな笑いですが、大人になると照れ隠しや居心地の悪い時、信じがたいことに対しての笑いが多くなります。今日の箇所では、100歳のアブラハムと90歳のサラに神が男の子を与えると言われ、疑って神を笑っいました。そして、1年後に男の子が与えられたサラは、喜びに満たされて神とともに笑ったのです。神さまは24年前に、アブラハムとサラに子どもを授けると約束されましたが、まだ成就していませんでした。アブラハムは待ちきれず、女奴隷ハガルによってイシュマエルという子をもうけており、これを祝福してもらおうとしました。でも、これは神の計画ではなかったため、後々複雑なことになったのです。神は「いやいや、神の計画を待ちなさい。私を笑ったが、待ちなさい、間もなく私と笑うようになるのだから。」神さまは私たちにも、このように言われているのです。アブラハムは、もっとすぐに約束を叶えてくださるに違いないと思っていたので、失望していました。それにもかかわらず、アブラハムは信仰の父として模範となっています。それは、彼らが、主ご自身に希望を置き、しがみ続けることを止めなかったからでした。主を完全にあきらめようと思ったことはなかったのです。アブラハムは25年待ちました。多くの人が、神さまはすぐに○○してくれるだろうと思い込み、その通りにならずに失望し、(信仰の)レースをあきらめてしまうのは残念なことです。アブラハムの笑いは、サラにうつりました。猜疑、皮肉、否定的な笑いは、家族や子どもにうつるのです。神は、ここでアブラハムに言われました。「サラは何故笑うのか。」アブラハムには、サラの中に否定的な感情の種を蒔いた責任があったのです。私たちは子ども達にどんな種を蒔いているでしょうか。口では信じると言っていながら、心の中で疑っていないでしょうか。子ども達は、私たちの中にどんな笑いを見るでしょうか。皮肉、あるいは希望の種は毎日蒔かれているのです。言葉と心はマッチしているでしょうか。それらがマッチしてくると子ども達はそれに気づき、良い種が蒔かれ始めるのです。子どもに、神と共に笑ってほしいと願うなら、自らが神を笑う者ではなく神と笑う者とならなくてはならないのです。約束から25年、神さまは約束されたとおり、仰せられたとおりにサラは男の子を産みました。約束の成就は、神さまにとって難しすぎることはありません(18:14)。神さまはいつも私たちへの約束を守られます(21:1)。サラは、変化しました。新共同訳では「神は私に笑いをお与えになった。」と訳されています。疑いの心が喜びの笑いになりました。それはまわりに命を与える笑いです。私たちがそんな風に笑うなら、家族にもそれが伝染するのです。サラの話は、わたしたちの話です。25年待つ必要もなく、今から笑うことができるのです。-----笑いについて、ドキッとさせられるメッセージでした。自分は一日に何回笑っているのか。その笑いは、皮肉、疑いなのか喜びなのか。確かに、自分が純粋に、あるいは喜んで笑っている時には、家族の雰囲気が和やかです。逆に、何に対してであっても皮肉や疑いの笑いには、冷たいような尖がったような雰囲気があるような気がします。日々の生活を見直し、神様に改善を助けていただく必要がありそうです。
2007.05.13
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朝の体操、まだ続いています。ひょんなきっかけから始めたのですが、無理がないのか、3ヶ月ちょっと。たまには寝過ごしたり、体調不良で出来なかったこともあるけど。朝6時25分にラジオのタイマーをセットしています。ちょうどニュースと天気予報です。その間に着替えるとラジオ体操の歌が聞こえてきます。家族が横で寝ているのでさすがにこれは歌いませんが、いっしょに大声で歌ったら気持ちいいかもね。あ、でも賛美のほうがいいね~。そのまま10分間の体操をして、ラジオはそのままつけっぱなします。朝の番組、ニュース、天気予報、交通情報など、淡々とした穏やかな声が流れていきます。民放と違って、騒々しくなくていいです。やかましいCMもなく、落ち着いて聞けます。時には耳を傾けて聴きます。そういえば、NHKラジオは受信料って要らないのよね?TV番組と比べると、製作費がそれほどかからないのでしょう。NHKテレビ受信料は、義務化されるのでしょうか、罰則規定もできるのでしょうか。気になるところです。(NHK番組は好きなので、口座引き落としで一応払っていますが)
2007.05.13
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今日は母の日。夫と私の母達には、例年通り花鉢を贈りました。ふと思い返します。自分が母になると知ったときのこと。純粋な喜び、驚きと共に、自分のような者が母としてこれから一生やっていかなくてはならない、その無限の責任もまた感じました。宿った子をこの世に産み出した日、母としての初めての最大の事業を終えた喜びと誇りに満たされました。けれど、実際に赤ん坊と共に家に帰ると、ひとりの人間としての赤ん坊と、今までの自分の生活をどのように折り合っていったらいいのか、途方に暮れました。正直、家事と育児の両立は出来ない!と思いました。父親である夫は当たり前のことですが、今まで通り朝は私を置いて仕事に行きます。この、どうしていいのかわからない赤ん坊を残して。毎日どうやって夜まで過ごしていたのか、思い出せませんが・・・。妊娠半ばまで毎日仕事に行っていた私には近所に知り合いはいませんでした。そんな孤独な辛い日々もありましたが、はるか昔のことのように思えます。11年程前のことです。今2人の子ども達は、顔を見ると「好き!」と言ってくれます。もうすぐ思春期を迎える彼らです。また新たな付き合い方を模索していかなくてはならない時期が来るのでしょう。母とされて11年以上、私の中の"母"の部分を取り去ることなんか、考えられないのです。母として、人間として、子どもと共に、子どもを通して、成長させられたように思います。・・・私の母も、そうなのでしょう。母の日は、母としての自分に思いを巡らせ、自分の母にも思いを巡らせる、大切な日です。-----昨日、一日早く子ども達がお小遣いからプレゼントをくれました。一緒に買い物に行った時に「1000円貸して。」と、何やら内緒で買っていました。帰って間もなく、2人そろって渡してくれました。貸した1000円と共に。息子は、赤いガーナチョコ、娘は小豆入りの抹茶プリン。そういえば、買い物の途中で抹茶キャラメルを見ながら「お母さん、抹茶好き?」と訊いていました。何かをプレゼントしてくれようという、その気持ちがとっても嬉しいよ!
2007.05.13
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子ども達との買い物の帰り、近くの公園の薔薇園たちに誘われて、自転車を停めました。まぶしい光の中、色とりどりの薔薇たちが咲き誇っています。いえ、薔薇たちは決して自らの姿を誇っているわけではないのでしょう。与えられている命を輝かしているだけかもしれません。薔薇の花一つ一つに目を留めるように、薔薇の間を歩きます。時々、花の香りを確かめます。色によって、種類によって、香りの立ち方、香りの質が、明らかに違います。いかにも薔薇という芳香のもの、フルーティーなもの、淡いもの、それぞれのよさがあります。娘が「こっち、来て!」と私を呼びます。「何か発見?」さっそくそちらへ向かいます。「ほら、ミックスジュース!」「え、どういうこと?どこどこ?」行ってみると、淡いオレンジ色とクリーム色と混ぜたような色合いの薔薇の前。「ほら、ミックスジュースの匂いがするよ!」花を近づけてみると、まさにミックスジュース。甘くてほんのりすっぱいような爽やかさも混じっています。ちょうどおやつ時。娘が言うには、色も香りもミックスジュースなのだそうです。「これだけたくさんの薔薇の中から、よく見つけたね~!」思いがけず薔薇園の中で、ミックスジュースを頂くことができました。ごちそうさま!
2007.05.12
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2年間という期限付きで与えられていた役割も、あと1週間で終わり。今日は新旧PTA役員懇親会を開きました。転出された元教頭先生も遠くからいらしてくださいました。嬉しいな。幹事をやったので、つつがなく終るようにと少しは気の重みもあったものの、あと一週間という解放感がまさっていました。懇親会の場も、和やかに、先生方もリラックスされていました。新PTA会長さんと新教頭先生は、熱心にPTA活動について質問議論されていました。意欲が感じられて頼もしく思います。この1年は、一つ一つの行事が終わる度に肩の重荷がなくなっていき、ようやく軽やかになれました。あと来週のPTA総会で、議長として進行を行い(台本あるし)、退任役員を代表して退任の挨拶をするだけ。そのときそのときは大変だなと思うこともありましたが、過去のことは忘れてしまうたちなので忘れました。昨年度の初めにPTA広報へのひとことで、「1人の100歩より100人の1歩ができれば」というようなことを書いたのですが、私が言うまでもなく、先生方、役員、学級委員、保護者、地域の方々それぞれの立場で子ども達と学校の事を見守ってくださっているのだと、肌で感じることが出来た、副会長という役割でした。気付かなかっただけなんですね、誰か一部の人だけが頑張る活動ではないということを。PTA組織は保護者と先生という違う立場の人たちから成っています。それぞれの立場から意見を出し合って、よりよい方向を模索していくことをしたかったのです。保護者vs.学校という構図にはしたくありませんでした。どれ位実践できたかはわかりませんが。ともかく、あと一週間。解放されたあとは、また新たな役割、引き続く役割に心を向けます。
2007.05.11
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テサロニケ人への手第一2:17~3:13より (Maxton,Esther師のメッセージを主観的にまとめたものです)パウロが迫害の中にあったテサロニケの教会へ送った励ましの手紙です。パウロがどのように兄弟姉妹の霊的成長を養ったのかが書かれてあります。ほんの僅かの間しかパウロはテサロニケに滞在することが出来なかったけれど、その後テサロニケの教会の人々は成長し、その地方の信者の模範となったのです。この、新しいクリスチャンの成長をパウロは誉れ、喜びだとしています。パウロは彼らの様子が気がかりで居ても立ってもおられず、自分は行ける状況でなかったのに仕方ないとあきらめず、自分の代わりにテモテを遣わしました。テモテを遣わせるとは、パウロ自身にとっては強力な右腕を暫し失うことになります。不安もあったことでしょう。けれどパウロは、自分の快適さを手放し、他の人のために自らの手を引くことを選びました。テサロニケの教会を強め励ますために。クリスチャンは神の家族とされ、お互いに信頼し合う、チームプレイなのです。そのためにも、キリストにある兄弟姉妹の霊的な成長を、誰かがやってくれるというのではなく、自分が心に留めることが必要なのです。クリスチャンの生き方は苦難に会うようになると、パウロは前もって言っておいたのです。肉は弱く、困難が大きかったり、励ましが少ない時には誘惑に負けることがあることを、パウロは知っていました。誘惑によってパウロの撒いた信仰の種が無駄にならないようにとテモテを遣わしたのです。日本ではあからさまな迫害というものはないかもしれません。けれど「皆と同じようにする」という誘惑は大きいのではないでしょうか。それをすることで、ひょっとしたらキリストから離れることになるかもしれないのです。パウロは自分が与えた信仰の土台、正しい教えの上に堅く立ち、揺るがされることのないように、テモテを送り、確認し、手紙を書き、祈ったのです。テモテはパウロに、テサロニケの教会の信仰と愛について良い知らせを持ち帰りました。そのことで、パウロは迫害の中にあっても、慰めを受けました。彼らが、主にあって堅く立っていて他のクリスチャンの手本となっていてくれるなら、生きがいがあるとさえ言いました。彼らのことで喜び、神に感謝しました。失業したひとりの男の人がいました。長い求職活動の後ようやく彼は工場に再就職しました。それは彼にとって想像以上のきつい肉体労働でした。職場の人間関係も心地良いものではありませんでした。我慢に我慢を重ねましたが、とうとう「明日、この仕事をやめよう」と思いました。その日、ジムのひとりの女性が初任給を持ってやってきました。封筒を受け取り中を見ると、メモが入っていました。「教会であなたをお見かけしました。毎日あなたのことを祈っています。」どんなにか彼は励まされたことでしょう。教会の基礎を築いたパウロのようなリーダーですら、励ましが必要です。誰かが祈ってくれていると知っていることが、どんなにか励ましとなるでしょう。お互いに誰かのために祈り、電話や手紙や何かひとことでも、祈っているよと伝えることは、とても大切なことなのです。パウロ達は彼らのことを、昼も夜も熱心に祈っていました。それは、彼らがトラブルの中にあったからという訳ではなく、彼らの信仰が保たれ、お互いの、また他の人への愛が増し、物質的必要のためだけではなく霊的必要のためにも、自分の快適を手放し、あるいは自分の時間を後回しにして絶えず祈っていたのです。他の人のために祈ることは、重要なミニストリーです。直接誰かの手助けをすることは出来なくても、その人のために、自分のことを後回しにして、祈りの時間を持つことは出来るのです。この箇所からパウロのテサロニケの教会への、親の子どもに対するような愛(1テサロニケ2:7,11-12)を窺い知ることが出来ます。ところで、テサロニケの教会は他の教会の模範となるほどのstrong churchでした。そんな教会に対しての、信仰の不足を補いたい(3:10)という祈りはどう思われるでしょう。私なら、どう思うでしょうか?長くクリスチャンとして歩んでいるし、ちゃんとしたクリスチャンなのにと、むっとするかもしれません。でも事実、人間は弱くまた欠点もあります。このように祈ってもらうことは、大切なことなのです。・神が、あなたがたの信仰の不足があればそこを補ってくださるように。・神が、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ち溢れさせてくださるように。・神が、あなたがたの心を強めてくださるように。・神が、あなたがたが父なる神の御前で、聖く責められるところのない者とされるように。これらがパウロの祈りのポイントです。そして私たちもこのようにお互いに祈ることが必要なのです。
2007.05.06
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スルッとKANSAI第3弾は、みさき公園。南海電鉄ばっかり。家の最寄り駅は、スルッとKANSAIが使えないJRなので、バスに乗って南海の駅へ。この路線も3日連続。開演直後に到着したら、まだ人もまばら。混む前に乗り物へGO!何年ぶりかに遊園地に来たので、乗り物件をどれくらい買ったらいいのか見当がつかない。足りなくなるごとに1000円(1100円分)ずつ買い足していった。中途半端にあまらせたくないので、先に何に乗りたいか訊ねておく。でも、そこは子どもと大人の頭の構造が違う。子供の予定は未定なのだ。そして、後から後から追加される。ハァ~、仕方ないね。私の中のけちけち虫が頭をもたげていたけれど、夫がそれとなく閉じ込めてくれた。「お金ないわけじゃないんやし、子供の日やからええやん。」ああ、ありがとう。不必要な節約精神が大手を振るところだった。そこからは、子どもたちの気のむくまま、園内をうろうろ。私も、息子が生まれて初めてジェットコースターなるものに乗るのに付き合わされた。20年近くぶり?!大丈夫かな?絶叫系ではなかったので、終わってみると意外と物足りなかった。動物園を回り、ふれあいコーナーで幸せそうに動物と触れ合う子ども達を、暑い中ぐったりしながら待っていた。風邪気味の夫もかなりしんどくなってきたよう。結局夫は先に帰り、子ども達と私だけ最後にイルカショーだけ見て帰ることにした。イルカショーは、時間を待ってみた甲斐があった。トレーナーのお姉さん達も、彼女達の仕事でありながら、イルカとの時間が心から楽しんでいるようだった。子ども達も大満足、私も。帰りの電車はまた、3人で爆睡。これもまた3日連続。あとで娘と話をした。「お母さん、将来何になりたい?・・・Sちゃん(娘のこと)ね、イルカかおサル。」「イルカかおサルって・・・じゃ、お母さんはマンボウ。」帰宅後ニュースを見て、ぞっとした。同じ日に、ジェットコースターでひどい事故が起こった。なんてこと!やりきれない。楽しいはずだった、休日。浮かれていた気持ちが、引き戻された。
2007.05.05
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スルッとKANSAI第2弾は世界遺産でもある高野山。バス、南海電鉄と乗り継ぎ、橋本から乗り換え、極楽橋でケーブルに乗換え。乗り換えるごとに車両の数が2両、1両と減り、橋本からは通勤通学の満員電車のよう。そのまま単線を40分ほど行くのは、結構きつい。おまけに山をぐんぐん登っていくものだから、電車は軋み左右に揺れ、山側に乗っていた娘はとうとう気分が悪くなってしまった。谷側なら景色が見えてましだったかも。途中の駅で下り電車のすれ違い待ちで、少し外に出て休憩。なんとか持ち直しました。極楽橋からのケーブルカーは満員のため1台乗り過ごして2台目で上りました。こんな乗り物がない時代は歩いて登ったことを思えばずいぶん楽して登っているはずなのですが、それでもきつい、人ごみがさらに気分を悪くします。高野山駅にようやく着いたら、今度はバス乗り場でまた長い列。結局高野山ではどこへ行っても、バスを待つにも乗るにも人ごみにまみれてしまいました。でも、さすが世界遺産の地域。道路の両脇は延々と各種お寺が立ち並びます。どれも古い建物ばかり。空海の開山から約1200年というその時空が感じられます。そこに集まる、たくさんの人々、車、バイク。年配の人が多かったように思います。杉木立の中に立ち並ぶ、たくさんのお墓。歴史の苦手な私でも知っている有名な武将の墓もたくさん。新しいものでは、企業の創業者の方々とか。古いお墓は苔生し、杉の樹の成長に押されて墓石が傾いているものも多数、誰も訪れていないようなお墓も多数。この地にお墓を建てたからには、たいそうな思いが込められているのだろうが、それとて永遠ではないのだなぁとしみじみと思う。結局拝観料のいるような所には入らず、昼食も持ってきたおにぎりとから揚げと、箸休めに満開のボタン桜と枝垂桜で済ませ、職場へのお土産(いつも他の人に頂いているので)のみ購入。最後に人気のないお寺は、静かでよかった。古い古い塔の形の美しさに見入る。シャクナゲがちらほら咲いていたが、満開だったらさぞかし華やかだったろう。人も多くなるけど。親も子も大変疲れ、帰途の電車の中ではまた家族4人して爆睡。遊びも疲れます。けれど、貴重な家族揃っての時間です。今日の夕食も簡単に、ホットプレートでのお好み焼きで済ませました。
2007.05.04
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後半4連休、今年は特に予定を立てていなかったけれど、先日立ち寄った駅で見たチラシに惹きつけられた。スルッとKANSAI3dayチケット。使えるエリアを見たら、かなり遠くまで行けます。バスも乗り放題。これはかなり使えそう!思い切って家族4人分購入した。どこに行こうかと家族会議。遠すぎると行くのに時間ばかりかかるし・・・とりあえず1日目は南海電鉄で和歌山市へ。少し前の新聞の日曜版に紹介が載っていた和歌山城へ。天守閣からの眺めがいいらしい。和歌山市駅で降り、歩いてもいける距離をバスに乗って城へ。新緑の季節、浅緑がまぶしい!人も多くない!(←これ、大切)お城のたたずまいはこじんまりとして緑に囲まれていて、いい感じ。古き物の美しさ。内部は博物館とされていたので、外観とのギャップに少し戸惑う。大阪城ほどではないけれど。期待していた天守閣からの眺めは、空が霞んでいたため絶景とは言いがたかったけれど、それでも気持ちよい景色だった。昼食は、和歌山ラーメンの店を探し、堪能した。でも、近所でもかなり美味しいラーメン屋があるので、味はまぁまぁといったところ。ラーメンを食べながら、思いを馳せていた。ラーメン屋さんって、毎日毎日何時間もかけて毎日同じ味になるようにスープを取り、麺を茹で、振る舞っている。いくらラーメン好きでも、毎日毎日同じことをし同じ味を完成させていくという仕事は、並みではないだろう。同じことをしていたらすぐに飽きてしまう私にとっては、全く想像すらできない仕事。いつも同じ味であたりまえ。今日はちょっとスープが違う、となるとお客さんは来なくなってしまうだろう。大変な仕事だなぁ、と敬服。ご馳走様でした!昼からは養翠園に行こうと、駅まで戻りバスを調べたところ、1時間に1本しか出ていない。こりゃ、行き難いよ。急遽行き先変更し、紀三井寺へ。こちらはバスの本数も多そう。山の中腹なので、またよい眺めがあることだろう。階段を上り、古い樹木や海を望む景色を楽しんだ。参拝はしないけれど、こういう古い建物や樹木のある静かな一帯には、心静まる雰囲気があるなぁと思う。そして、何かを求めて来ておられる方たちを、思う。本当に頼れるお方は"ここ"におられるのではなく、いつでもどこでもあなたを愛しておられるのだよと。自宅用お土産に、見たことのない春光柑というみかんを買い求めました。あっさり、すっきりとした甘味と酸味が絶妙。4月いっぱいで収穫時期のほぼ終わりだそうです。帰りの電車の中では、家族揃って爆睡。座れてよかった。晩御飯は、簡単に鰆のきのこ出汁煮、海草豆腐サラダとなめこ汁で済ませました。やっぱりお家ご飯は、落ち着いていいねぇ。
2007.05.03
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