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2007年を振り返ってみる。前半は、PTAの大役を無事終えることができました。後半、新たな役割が与えられ、毎日がてんてこ舞いでした。継続してきた仕事や役割においても、環境の大きな変化のうねりがありました。神さまからの力と守りがいつもあったと実感。そうでなくては、自分が思っている体力、気力、能力の限界以上のこれらのことが並行してできるわけはありませんでした。時間配分も、完璧に与えられました。家のことは、かなり後回しになっていましたが。自分が自分でないかのように、動けていました。自分も家族も、健康も心も守られました。私の2007年の漢字は『守』です。感謝あふれる、年の瀬です。
2007.12.31
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キリストは、人となり、天から降りてこられた。人の痛み、苦しみ、悲しみを味わわれた。人の痛み、苦しみ、悲しみって、なんて私にはわからないのだろう、と思うことがあります。キリストが天から降りてこられたように、私も相手の目まで降りていかなければ。あれ?何か違う。降りていくということは、自分は上にいるつもりなのか?そうじゃない、相手も人間、私も人間、同じはずじゃないか!!一体何様のつもりなのだろう?!ひどい、勘違いです。「何事でも、自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれたものと思いなさい。」(ピリピ2:3)
2007.12.27
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Merry Christmas!クリスマスおめでとうございます。街にはイルミネーションの光あふれ、プレゼントを交換し、人を愛したくなります。それは、イエスキリストが人となり、この世に降りてきてくださったゆえ。やみの中に輝く光として、ご自身がプレゼントとなり、どんな人をも愛された。このクリスマスシーズンは、あのときのマルタのようでした。イエスさまが横におられることを知っていながらも、バタバタと忙しくしていました。 "Slow down and relax!"そう言われるまで、気づきませんでいた。 何もせずに、ただ受け取るだけでよかった時でさえ、何かしなくてはときょろきょろしてしまっていました。pot luchの料理を作り、小さな奉仕をし、賛美し、プレゼントを用意し、クリスマスカードを作り、家族へのケーキとご馳走を作り、自分の思い通りに整えようとしました。イブの食卓の後、風邪というプレゼントを受け取りました。これでようやく動きを止め、静かにクリスマスの喜びと感謝を捧げられます。
2007.12.25
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献立鶏の丸焼き (温めるだけ)サラダ(グリーンリーフ、ミニトマト、ブロッコリー)塊ベーコンのポトフマロンクリームのココアロールケーキ (手作り)ロールケーキを食べる時には、ツリーとキャンドルに明かりを灯して。たいへん、おいしゅうございました
2007.12.24
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娘がサンタクロースにクリスマスカードを書いています。Merry Christmas!とプレゼントのお願い。日本語で書いてみたけれど、サンタクロースは日本人じゃないと気づく。「サンタさんは日本語読めないかもしれないから、ローマ字でも書いとこう!」日本語と、4年生になって学校で習ったローマ字の併記のカードとなりました。それを、寝る前にベランダに置きます。明日の朝にはきっと、サンタクロースが受け取っていることでしょう。
2007.12.23
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「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。 あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」いたってシンプル。それが、なかなかできない。自分の努力では。でも大丈夫。とりなし、助けてくださる神さまがいるから。主に、寄りすがっているなら。お手上げです。助けてください。憐れんでください。
2007.12.16
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6日後の夕方、忘年会をします。って言われたって。その日は朝から重要会議。面々が勢ぞろいする日。その会議の後、忘年会らしい。その日は夕方、子ども達の個人懇談。その日ぐらいしか時間を当てられそうにになかった。半月以上前に、希望日を出した。個人懇談終わってから、途中参加できないこともない。しかし、朝から家を出てそのまま忘年会だなんて、主婦にはきついなぁ。これが、仕事の世界だと、つくづく思う。家事や育児を担いながらの仕事がきついのは、こういうこともあるだろう。家事を担っていなければ「○日、忘年会やから晩御飯いらんわ。」の一言で済む。「その日は勝手に食べてくれぃ。」と、言ってみようか。年に2,3回のことなのに、楽しむための忘年会なのに、ちょいと憂鬱・・・。ちょっと愚痴ってしまいました。許してね。
2007.12.12
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一体 どれほどのことを 知っているというのだろう。一体 どれほどの人を 知っているというのだろう。一体 他人のどこまでを 知っているというのだろう。それなのに、羨んだり、妬んだり、軽蔑したり、裁いたり、優越感を覚えたり、腹が立ったり、批評したり。まったく なんて些細なことなのだろう。そう思ったとたん、これらの感情が、間抜けなものになる。けれど、心の中を占めている。たたかう、たたかう。感情と、プライドと、自分の小ささと、神さまの大きさ。Load, may You increase, we be decreased.
2007.12.12
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思いのままに 枝を伸ばしその先で 小さな花を 咲かせる根元は 一つ命の水に 浸かりながら枯れても なお使える
2007.12.11
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「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたそのはじめの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。」(ダニエル10:12)「わたしは誠実を喜ぶが、 いけにえは喜ばない。 全焼のいけにえより、 むしろ神を知ることを喜ぶ。」(ホセア6:6)「あなたがたの着物ではなく、 あなたがたの心を引き裂け。 あなたがたの神、主に立ち返れ。」(ヨエル2:13)「神へのいけにえは、砕かれたたましい。 砕かれた、悔いた心。 神よ。あなたはそれをさげすまれません。」 (詩篇51:17)いま、私に、語られていること。いま、私に、働かれていること。
2007.12.11
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混んでいる電車に乗りました。降車駅近くになったので、電車が減速するとともに扉の近くへ移動しました。すると傍にいた紳士が、さりげなく、しかしタイミングよく、座席の背もたれの手すりを空けて(譲って)下さりました。感謝の会釈をしたとたんに電車のブレーキが強まり、停車した拍子によろけてしまいました。その瞬間、先ほどの紳士が後から私の両肩を支えてくださりました。全く自然なことのように。そんな事をしてもらったのが初めてだったので、照れるやら嬉しいやら。重ねて「Thank you! ありがとう。」と言って、電車を後にしました。「その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。 主がその手をささえておられるからだ。」 詩篇37章24節帰宅後、こんな言葉を目にしました。
2007.12.06
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隣人の痛みがわかるようにとこの痛みが与えられたのかもしれないそれなら隣人の痛みをも我がこととして
2007.12.06
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外出先から家に入ろうとしたその時、近所のおばちゃんが通りかかりました。いつものように挨拶をして、玄関の戸を開けました。おばちゃんが、さらに話し掛けてきました。「(お仕事するようになって)どんどんきれいにならはりますねぇ。」「そうですか?ありがとうございます♪」と、少し照れてお返事しました。季節の残り物処分バーゲンで1/4ほどの値段で買った、それでも普段着よりちょっとましに見えるトレンチコートを羽織っていたからじゃないかな。それと、礼拝帰りだったのでキリストの光を(少しでも)帯びていたか?!どちらにしても、ちょっと嬉しい出来事でした。
2007.12.02
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