わたしのこだわりブログ(仮)

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2009年04月24日
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シドニーの消防車
ん?   はしごがない? 

シドニーの消防車
上に小さいのは一応あるみたいですが、本当に消防車なのでしょうか?
日本と同じ赤ですが、親近感はないですね。

シドニーの消防車
CITY OF STDNEY    COMMANDER   と書いてありました。
これは司令塔となる車だったのかな?  シャッターの向こうはどうなっているのか????

消防の歴史を調べようと思ったが資料がない。日本について少しわかった事だけ・・・。
慶安3年(1650)、幕府は4,000石以上の旗本2人を火消役に任命。これが定火消と称する幕府直轄の火消組織のはじめかも。
旗本の下にはそれぞれ与力・同心が付属し、臥煙(がえん)と称する火消人足が働く。最初2組で発足し、明暦の大火後(1658)に4組に増設。(定員は512人?)1組平均128人の大部隊である。この火消屋敷は現在の消防署に相当し、江戸城周辺の麹町、御茶の水、佐内坂、飯田町に配置され、江戸城防備が任務であったとされる。(消防火災博物館より)

とかく江戸は火事が多かった。特に11月から5月の冬場。「関東のからっ風」と言う言葉があるが、冬に強い山越えの季節風が吹き、東京はとても乾燥する。そのせいだからなのか? 歴史を見ても大火と呼ばれる大型の火事は本当に多い。(江戸時代260年の中で大火は90件位あるらしい)今もそうだが、住宅やビルが密集していた事、そして何より燃えやすい木造建築で、日本の家屋はできている。今のような消防車のない時代、隣が燃えればドミノ倒しのごとく燃えていったのもわかるが・・。
以前読んだ本でヨーロッパのある街(どこか忘れた)で大火が発生し、街そのものが全滅したそうだ。それを教訓に街は燃えない石造りの素材を選び家を建築。そして、最後の一つの石が教会に積み上げられるまで30年以上の年月を要したという。家は欲しいが、急がば回れで、十分考え時間をかけても二度と火事をおこすまいと言う考えの表れだ。素晴らしいと思った。それに引きかえ、日本人はとことん甘いなと思う。「燃えたらまた建てればいいさ。」的考えなのか?  単純なのか? 学習能力が低いのか? 消防士さんまかせにしないで少し自衛しなければいけないですね。
2月にオーストラリアで大きな山火事があった。火事は放火で(2人逮捕)、181人の人が亡くなっていると言う。(動物はもっとだ!)最後まで自分の家を守るために防衛していて逃げ遅れた人達がほとんどだ。日本ならまず先に避難させられるが、国柄? 自分の家は自分で守れ!  と言う考え方が根底にあるのか、いづれにしろ思うところの多い火事であった。   亡くなられた方のご冥福を祈ります。

追記: 
「火事と喧嘩は江戸の華」と言う言葉があるが、江戸っ子は野次馬根性が強い。(決して冷やかしではない)火事のサイレンが鳴ると家の家族は全員外に出て、どこの方面が火事か探す。火の手が見えようものなら弟は自転車でとんでいった(小学生の頃)。サイレンが鳴っているうちは夜中でも寝られない家族だった。






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Last updated  2009年04月25日 04時22分39秒
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