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最新の「アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 」シリーズのリンク先をラストに載せました。
ガウディの病歴を調べていたら、ガウディの人生が少し見えてきた気がする。
ガウディ博物館 4 (ガウディの病気)
グエル公園(
Parc Guell)
ガウディ博物館(
Casa Muse Gaudi)
ガウディとリウマチ
経済的に余裕の無かった20代。
仕事もボチボチ順調で、経済的余裕と共に恋もできるようになった30代。
名声を得始め仕事は順風満帆に進みながらも一方サグラダ・ファミリア建設は何度も中断の危機に瀕しそれに奔走し始めた40代。
しかし 50代からはスペイン自体の政治不安によりアナーキストが横行、教会が否定される異常事態の時代に突入。彼の仕事に多大な悪影響を及ぼした苦節の時代
に入る。
建築と言う分野は、当然経済状況と無縁ではない。
バルセロナのみならず、国家の財政が逼迫する中でガウディの仕事は少なくなって行くのである。
そして 60代は彼をとりまいていた大切な人を次々に失い孤独になっていく時代
である。
さらに第一次世界大戦をその間に挟み、予算がなくなったサグラダファミリア建設が中止に追い込まれ、 献金集めに奔走する時代
でもある。
信仰の為ではなく、サグラダファミリアの事だけに専念せざるお得なくなった時代背景がそこにあった
のだ。
ガウディの生きた後半生はスペイン激動の時代
である。
ガウディを知るには当時のスペインの社会状態をもっと知る必要があるようです
。
イスラム的な意匠のランプ
同一シリーズのアール・ヌーボー(art nouveau)の意匠の椅子と家具
アール・デコ(art deco)の電気
ガウディとリウマチ
ガウディの生きた時代を知る事は必要ですが・・・。
ガウディが6歳の時に患った若年性関節リウマチはその後はどうだったのか?
若年性関節リウマチの場合原因は不明
で人によりまちまち、薬物治療と理学療法があるそうですが 今でも根本的な治療法は確立されていないようです。
当然当時の治療も完治というより痛みを無くすとか、症状が現れなくなることを目指した治療法しかなかっただろう事が推察されます。
もっともこの病気は 一度きりの症状で完治する人もいたり、一度収まり、再び再発するかもしれない人や、良くなったり悪く なったりを繰り返す人などがいるらしい
。
青年時代
どの程度改善されていたか? 記している所はあまりなくほとんど想像の域ですが 、「再発を恐れていた。」・
・と言う一文から
多少良くなりながらも、常に不安を持っていた
事が伺えます。
生涯独身であったガウディはこの病気故に結婚に踏み切れなかった? 可能性はあったかもしれません。
晩年
再発。
医師のすすめでリウマチを抑制する為に長めの散歩や定期的ハイキングにも出かけたり食物療法として厳しい菜食や断食の他、薬物治療をしていた
事がわかっています。
グエル公園を散歩するのが毎日の日課であったと言うのもその為だったと思われます。
しかし、 健康の為の食事療法が逆に体の抵抗を無くす・・と言う事態
で、1910年ガウディ58歳の春、菜食による 栄養失調と過労により脳貧血にかかり療養
に出かけた記録
があります。
そして翌年1911年にはリウマチには関係ありませんが、マルタ熱病(ブルセラ症)にかかりピレネー山脈の方にやはり療養に出かけた記録もあります。
la Torre Rosa(ラ・トーレ・ローザ)に居住していたこの時代はガウディにとっては、
実は身体的にも試練の時
だったようです。
最晩年
、
ガウディのリウマチがどのステージであったかは不明ですが、(3,4あたり?)
この病気が進行すると関節が破壊され日常生活や仕事に支障が生じ、介助も必要になるそうです
。
クラスII(軽度障害)・・多少の障害はあるが普通の生活ができる状態、
クラスIII(制限)・・身の回りのことは何とかできるが、外出時は介助が必要な状態、
クラスIV(不能)・・ほとんど寝たきりあるいは車椅子生活。身の回りのことは自分ではほとんどできない状態。
(中外製薬の関節リウマチ症状より)
こうした症状を考えて逆に推察すると、 ガウディか住み慣れたla Torre Rosa(ラ・トーレ・ローザ)を出て、サクラダファミリアに寝泊まりせざるおえなかったのは、そこから通うのは無理であった・
・・と言う事です
。
一人で日常の事をこなすのもすでに無理があった?
やせ細った体・・ きちんとした食事も一人ではできなかったのではないか?
不運なガウディの最後もそうです。
ミサに行く為の外出も、本当は一人で出られる体ではなかったのではないか?
路面電車の軌道に足をとられて転んだのも、本当は 足が言う事を利かないくらい動かなくなっていたのではないか?
・・・と、推理してみました
四つの袖を持つ立体十字架
コロニアル・グエルの礼拝堂の十字架?
さぐらだファミリアの降誕の門頂部にある宇宙のコピー
ガウディの恋なども取り上げてみたいと思いましたが、いずれ・・。
Casa Muse Gaudi(ガウディ博物館)おわり
Back number
リンク アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 1 高級住宅
リンク アントニ・ガウディ(Antonio Gaudí) 2 コロニア・グエル教会とカテナリー曲線
リンク ガウディ博物館 1 (グエル公園)
リンク ガウディ博物館 2 (ラ・トーレ・ローザ・la Torre Rosa)
リンク ガウディ博物館 3 (ガウディ家の人々)
ガウディ博物館 4 (ガウディの病気)
リンク グエル公園(Parc Guell) 1 (2つのパビリオン)
リンク グエル公園(Parc Guell) 2 (ファサードのサラマンダー)
リンク グエル公園(Parc Guell) 3 (大階段のタイル)
リンク グエル公園(Parc Guell) 4 (列柱ホール)
リンク グエル公園(Parc Guell) 5 (ギリシャ劇場)
リンク グエル公園(Parc Guell) 6 (擁壁と柱廊)
リンク グエル公園(Parc Guell) 7 (テクスチャーにこだわった柱廊と陸橋)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 1 (外観)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 2 (パティオ)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 3 (屋上1)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 4 (屋上2)
リンク アントニ・ガウディ カサ・ミラ 5 (屋根裏の梁)
関連
リンク コミーリャス(Comillas)エル・カプリーチョ(El Capricho)
リンク ガウディの椅子
リンク モンセラート(Montserrat)
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