わたしのこだわりブログ(仮)

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2015年05月21日
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カテゴリ: 神社仏閣



本当に偶然なのですが、今回 京都の国宝「三大唐門」を巡っていました。
別名 「桃山の三唐門」。大徳寺、西本願寺、豊国神社の唐門がそうです
それらに共通していたのが豊臣秀吉です。

大徳寺の唐門は秀吉の館の一つだった京都の聚楽第(じゅらくだい)にあった もの 拝領した・・と大徳寺のパンフに書かれています。
聚楽第は秀吉が居城として京都の町に築いた城ですが、甥の豊臣秀次に譲ったものの、彼を切腹させた後に徹底的に破壊した・・と言われる竣工してたった8年で消えた幻の館です。(現在の二条城より北の位置)

西本願寺の唐門 は、私感では最も見た目豪奢な門です。
この唐門に関しては、 京都の地に本願寺が移動してきた1591年(天正19年)に竣工されたもの のようです。
それにしてもウィキペディアには秀吉が大阪天満にあった本願寺を京都に呼んで創建させた・・と書かれていますが、本願寺発行の本の方に秀吉にかかわる記載がありませんでした。 ( ・_・?) ハテ?

そして 今回紹介する豊国神社の唐門は 、鳥井から正中、社殿の前にありました。
豊国神社は明治に再建されたものですが、その唐門の出所は、 遡れば秀吉が亡くなった時に居た伏見城の遺構だった? と言われています。

それにしても天下統一を果たした豊臣秀吉ですが、これだけ京都の町に秀吉の残した遺構が多いにもかかわらず、織田信長よりも京での人気はかなり地味な感じがします。

豊国神 社(とよくにじんじゃ) 1

「桃山の三唐門」について
豊国神社
別格宮弊社(べっかくぐうへいしゃ)
豊臣秀吉
豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)


豊国神社(とよくにじんじゃ)、通称「ほうこくさん」

大和大路通り
pict-豊国神社 1.jpg
1880年(明治13年) 明治天皇のご沙汰に寄り別格宮弊社に列せられ、社殿は旧、方広寺大仏殿跡地に再建されたのが現在の豊国神社 である。
前回紹介した豊国廟は、それから遅れる事、1898年(明治31年)秀吉公300年祭に遭わせて再建されたもの。
pict-豊国神社 2.jpg
御祭神はなんと豊臣秀吉です びっくり 人間なのに?
以前御霊信仰で祭られた神田明神の平清盛 公や、北野天満宮の菅原道真 公などスペシャルな場合はありましたが・・。 朝廷が許可を出すと明神になれるようです

別格宮弊社(べっかくぐうへいしゃ) は明治維新以降に作られた神社の等級や格を仕分けた社格制度の中で生まれた部門で、「 国家に功績を挙げた忠臣や、国家のために亡くなったや兵士を祭神として祀る神社 」。武将が多いようです スマイル
東照宮・・徳川家康   建勲神社・・織田信長   上杉神社・・上杉謙信  etc
因みに靖国神社も別格宮弊社の扱いです。

pict-豊国神社 3.jpg
唐門のせいで一瞬寺にも見えてしまいます。

豊臣秀吉(1537年(天文6年2月6日)~1598年(慶長3年8月18日))

豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)
1598年(慶長3年8月18日)太政大臣を辞職し、8月に伏見城で薨去(こうせい)。
しばらく秀吉の死は隠されたそうです。
そして翌年 1599年(慶長4年)東山大仏(方広寺)の鬼門に位置する阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)に八幡宮(はちまんぐう)を建立し、自身の墓所とするよう遺言 していたと言われています。

一節には秀吉の死を隠したまま、墓所の社殿の建設は始まり、太閤坦(たいこうだいら )に日本初の権現造り社殿が造営されたそうです。

秀吉の指示した、八幡神(やはたのかみ)は当時、武家の守護神になる神様として信仰を集めていたようです。
が、想定外? 後陽成天皇より「豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)」の神号を与えられ、新八幡宮にはならなかったのです


社殿の前には先に紹介した国宝の唐門
pict-豊国神社 4.jpg

唐門(からもん)・・・唐破風(からはふ)と呼ばれる屋根の形状からそう呼ばれる。
下の写真に ライン をひいてみました スマイル  この独特の形状が唐破風です。
pict-豊国神社 5.jpg
かつては彩色があったかもしれません。
pict-豊国神社 6.jpg
ここから先、一般の参拝で立ち入りはできませんでした。
何か行事の支度をしていたのでその為でしょうか?
pict-豊国神社 7.jpg
当時30万 坪(100万平方メートル)あった豊国社は徳川家康の時代になると跡形もなく壊され消滅し、人々から忘れさられたと言います。

拝殿。奧が本殿

pict-豊国神社 8.jpg

宝物館の肖像画より
pict-豊国神社 12.jpg
関白時代の秀吉公御画? 作品は江戸時代のものらしい。美化しすぎ?

晩年の秀吉公
pict-豊国神社 13.jpg
秀頼の8歳の手形入りの掛け軸である。これが最も実物に近い肖像画なのでは? これでも美化されてる?

秀吉の枕
pict-豊国神社 14.jpg
「夢を喰らう」と言われる獏(ばく)は中国より伝わる伝説の動物。
そもそも「夢を喰らう」ではなく、「悪夢を祓う」が本当らしく、邪気を払う事から晩年の秀吉が愛用していた枕らしい。
寝具に用いると病や悪気を祓う事から秀吉が病気で苦しんでいた事がうかがえる。

2部につづく 同時にのせます。
リンク ​ 豊国神社(とよくにじんじゃ) 2 (強者の夢の跡を消し去った家康)






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Last updated  2020年10月23日 05時10分05秒
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