[Stockholm syndrome]...be no-w-here

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2026.05.11
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アンナ・ジャービスは、1905年に亡くなった自身の母親、アン・リーブス・ジャービスを偲んで母の日を考案します。アンは並外れた女性で、1858年にウェストバージニア州で乳幼児死亡率の深刻さに対処するため『母の日活動クラブ』を組織し、地域社会に衛生と清潔な水について啓発活動を行い、南北戦争後には北軍と南軍の家族を再び結び付けるために「母の友情の日」を企画しました。彼女には13人の子供がいましたが、成人まで生き残ったのはわずか4人でした。アンナは母親に心から愛情を注いでいました。

アンが亡くなった時、アンナはその悲しみを、母親を称える全国的な日を制定するための運動へと昇華させます。1914年、ウッドロー・ウィルソン大統領が公式宣言に署名しました。挨拶状会社は直ぐに気付きました。花屋も気付き、菓子業界も気付きました。チョコレートの詰め合わせが届き、レストランのブランチもそれに続きます。現在、米国民は毎年母の日に200億ドル以上を費やしています。

1920年迄に、アンナは商業主義に嫌悪感を抱き、花や贈り物を買うのを止めるよう人々に呼び掛け始めます。彼女は、花屋やカード製造業者、菓子業界を詐欺師、山賊、海賊、悪党、誘拐犯、白蟻と呼び、彼らの貪欲さが最も素晴らしく、最も高貴で、最も真実な運動と祝祭の一つを損なうと非難しました。彼女は私財を投じて祝日の廃止を求める法的キャンペーンを展開し、戸別訪問で署名を集め、菓子職人の大会に乱入し、国民の祝日を合法的に取り消そうと試みました。

1943年、彼女はペンシルベニア州ウェストチェスターの療養所に入院し、1948年にそこで亡くなりました。彼女は失明し、無一文で、自らが創設した祝日から何の利益も得る事なくこの世を去りました。晩年に彼女と面会ができたあるジャーナリストは、彼女が酷く苦々しく「母の日を始めたことを後悔している」と語ったと報告しています。そして、この物語の中で最も驚くべき点は、彼女が療養所の費用を支払えなくなった時、花卉業界と挨拶状業界の幹部達が秘かにその費用を支払ったという事実です。






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Last updated  2026.05.11 13:23:59


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