2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全14件 (14件中 1-14件目)
1
今日は家族総出でイチゴ狩りの日。早朝から車で農園目指して出立。最初はハイテンション(死語)だった子供達も、そろそろ車に乗るのに飽きてきた頃に到着。お値段は平均して2000円弱。少し高めかとも思ったが時間が1時間なのでOKとした。まあ、これで「楽しかった」と書いてもつまらないので(楽しかったのは事実だが)、少し考えた事を書いておこう。・イチゴの種類は「とちおとめ」と「章姫(あきひめ)」の2種類が殆どで、今日行ったところは25%がとちおとめ、75%が章姫という敷地の配分だった。章姫の方が実が大きく、甘さが強い。・値段と配分から考えると、「とちおとめ」の方が高価で、農園としては実が大きいのに割安な「章姫」を食べてもらう方がありがたい(に、違いないと邪推)。・落ち着いて考えると、幾らイチゴが他の果物に比べて値段が高めだと言っても、一人当たり2000円のイチゴを食べる事は、まずない。以上のことから考えると、一番安いのは八百屋でしこたまイチゴを買ってきて腹いっぱい食べる事であろう。という結論に達する。しかし、それではあんまりデリカシーが無いので、値段の上乗せは「自分で一粒ずつ選ぶことができる」ことと「何よりも新鮮である」ことで相殺されるのだろう、と考えた。次回は、「とちおとめ」根こそぎ作戦だ!実際、「とちおとめ」は酸味があるのだが、飽きが来ない。「章姫」の方は非常に美味しいのだが、途中から「甘ったるく」感じてきてしまう。さまざまな事を勝手に考えながら帰路に着いた。あまりに満腹で、しばらくイチゴを食べる事はなさそうだ。下手すると100個くらい食べたのではないだろうか?しかし、イチゴは1粒平均5kcalと低カロリーで、100粒食べてもファミリーレストランのスパゲッティ1皿に及ばない。しかも、ビタミンも豊富だし、良いダイエットになった・・・・と、思う。因みにイチゴにはキシリトールが含まれているので、虫歯になりにくい、というおまけまでついている。だからあらゆる意味で食後のデザートとしてのイチゴは最適なのだ。他の果物も似たような性質を持っていると思うけど。
2006.01.29
今週は合コンを2件セッティングした。こんなペースでやっていたら体が持たない。以前から繰り返し書いている通り、お持ち帰りなどは一回たりともした事が無い(願望はあるが、臆病なもので)。肝臓の話である。もちろん私は従来通り、幹事として店の手配から酒のセレクトから(この間は、フランスに行って良かったと心から思った)、宴席での話題のフリ(パスとも言う)まで、気を配った。出席した女性達も、私は既婚者と御存知なのでそれらしい雰囲気にもならないし気楽である。(自分に魅力が無いのを棚に上げているのは重々承知。でも何故か「お友達を紹介してください!」と頼まれる。しかも結構マジに)女性陣はある会社の秘書課の方々で、気を遣う事この上なし。前半は、その雰囲気に飲まれそうだった男性陣、酒が入ると共にようやくエンジンスタート。ある程度、場が暖まってしまえば後はもう、大丈夫である。酔ってきたら走る速度が速くなるのは男のほうである。私は、暴走しないように見ているだけでよい。しかし、カップル成立確率はさほど高くない。これだけ開催して、成立はわずかに3件(うち、結婚まで行ったカップル1組)。私の力量の無さ、ということであろう。カップル成立はともかく、皆様非常に楽しく過ごしていらっしゃる(と、酔っ払った男女や、翌日のメールで)行ってくださる。第2回開催(同じメンバー)までは、快く開催する事にしている。これは不思議な事に女性陣からのリクエストが多い。一応、社交辞令かどうかの突っ込みは入れているのだが、マジらしいので開催する。3回目以降は私はタッチしないようにしている。もう、いい加減良い大人なのだから、2回も一緒に飲んでメールアドレスも交換しているのだから、自分が気に入った相手には自分でアプローチをかけて欲しいものである。(これは男女共に)昔と違ってメールが普及して、連絡は取りやすくなっているのだから。(昔は電話で直接・・・だった・・・懐かしい)しかし、カップル成立が成り、二人から報告を受けるのは嬉しいものである。はっ!やり手婆になっている!
2006.01.28
久々にムッツリネタ。自分、性欲は人より強いほうだと思うが、性豪ではない。連日の夜の営みは、現在では難しい。が、不思議なことにソロ活動の場合、結構回数がこなせたりする。例えば、家族が家内の実家に行っている間にビデオを借りたりして、ほんの数日後に返却する頃には、それなりに痩せていたりする。疲労が蓄積している時に、一気に性欲が爆発することもあるが、これは体が限界を訴えて「やばいぞ、せめて子孫を残せ」と言っている事由なので、ちと違う。んで、この事項を考えてみると・・・女性に対しての場合、私にはそれなりに強迫観念があるらしい。硬くしないといけない、とかまあそんなことだ。別に人並みはずれて大きいわけでもないし、テクがビデオ男優なみにあるわけでもない。最後の頼みが硬度と角度くらいなのである。それが必要だと思い込むことで、却って2回目以降はそれが維持できなくなっているのだ。ソロ活動の場合、自分が快感を得られればそれで良いのだし(逆にそれ以外の目的は無い)、どんな状態であろうが構わないわけである。物理的に無理ではないのだから、じゃあ女性に対しても出来そうなものだが、そんなに世の中上手くはいかない。やはり、自分のツボを知っているのは自分自身で、自分以外の人間には押せないスイッチがあるのかもしれない。他人にも容易に押せるスイッチがあれば良いのだが。そういう意味では、本当のテクとであったことが無いのかもしれない。が、それが良いことか悪いことかは別議論。取り留めなく、自分に言い訳をするが如く、の今日の日記である。
2006.01.25
昨日、職場の同僚が亡くなった。闘病中であることは知っていたし、見舞いにも行ったのだがその時は明るい表情だったので、「快復も近いかな?」と思ったほどだった。しかし、その実態は地元の病院からは匙を投げられ都内の某有名病院に転院したが、手遅れだったらしい。同じアパートに住んでいる方でもあったので、昨夜の通夜、今日の告別式と参列させていただいた。年配の方で、ご子息、ご息女は全員経済的にも社会的にも自立していらっしゃるのでその面での心配は無いらしい。死ぬとき、人は何を考えるのだろう?自分の未来(霊になるとか、天国へ行くとか)だろうか、自分の思い出だろうか、それとも残された家族のことだろうか。いくら議論しても、結論が出ることの無い疑問なので考えるのも止めることにするが、後悔する人も決して少なくはなかろう。私自身も、ある病気と共生しているが(日常生活には支障無いし、スポーツも普通に出来るが)人の命とは分からないもの。いつ何が起こるかなど、分かろうはずも無い。その時に「後悔」の二文字だけは浮かべたくない。縁起でもないことだが、自分の今の状況を考えると、死ぬわけにはいかないな、と強く思う。しかし、「あの時、ああしておけば」という「たられば」は、一つも無い(と、言っておこう。将来、訂正はあるかもしれないが)。以前、ある歌で「笑って死ねる人生、それさえあれば良い」という歌詞の歌があった。当時はそれなりに共感したものだが、今では共感できない。「笑って死ねる」のは「失うものが無い」ことであり、愛した人やその他の「残したもの」への想いが無ければ、それはおかしい。以前にも書いたことを繰り返しておく。小学校の卒業文集で書いた「将来何になりたいか?」の答え。「自分を客観的に見られる人間になりたい」それは未だに達成されていない。そして今のテーマである「人の記憶に残る人間になる」もとても達成されているとは言えない。自分の死後も友人たちに「あいつに久しぶりに会いたいなあ、生きていたらどうしているのだろう?」と、言われる男でありたい。
2006.01.23
今、メディアは某IT企業の社長の話、一色である。他に報道することは無いのか?というくらいである。いつも思うことだが、ほんの数時間で劇的な状況変化があるとは思えないのだが、「しつこい」と思うくらいに同じ話である。ハイジャック事件とか、一刻を争うような事件であり、且つ劇的な救出劇などの可能性の有る事件であれば、逐次「現場からお伝えします」があっても納得するが、別に現段階で六本木ヒルズ前にへばりついて(記者には必要なことだろうが)、何の進展も無い捜査に対して同じことばかりTVで繰り返されても「もう、ええわ」になってくる。TV局はコメンテーターを変えたりして、一応の対策はとっているようだが退屈なことに変わりは無い。んで、スポーツ紙の話。面倒なので、話題になっている社長の名前を仮に「カリエモン」としよう(仮の名なので)。でかでかと1面トップの見出しに「カリエモン逮捕!!」とか書いてあるが、スポーツ紙は普通、二つ折りにして売られていたり、或いは筍状になっていて、見える部分だけでは見出しの全てを読むことは出来ない。案の定、それに釣られて(か、どうかは知らないが)買った人が読んでいるのをチラ見すると(これくらいは良いだろう)、見出しの下のほう(「逮捕」と「!!」の間に、ちいさーく(フォントで言うと半分以下)「も」って書いてある。逮捕もありえる、という内容にガラリと変わっていた。笑ってしまった。そういえば、13年ほど前、かつてのNBAスーパースター、マイケル・ジョーダンの父が何者かに射殺された事件があった。この時の私はまだ若く、見出しのトリックに見事にはまり「なぬ!マイケルが!!」と、勇んで買ったのだが、やはり「ジョーダン」と「射殺」の間にちっちゃーく(表現を変えてみた)「父」の字。もう、騙されまへんでぇ。
2006.01.20
昨夜は大阪にいる友人(女性)と食事を共にした。だんなさんが東京へ単身赴任をされているので、何度かだんなさんとも食事をしたことがある。今回も、てっきり3人で食事だと思って待ち合わせ場所に行ったら奥様一人。「あれ???」んで、話を聞いてみると、題記の通り。確かに年齢も16違うし(だんなの方が年上)、遠距離だし。というのは分かるが、奥様のほうがだんなさんに「ときめかなく」なったらしい。久しぶりに会っても、気分も乗らないし、友達と遊んでいるほうが楽しい、とか、だんなさんの嫌な点が目に付いて仕方なくなってしまったらしい。一旦、その人の何かが気になりだすと、今までなんとも感じていなかった点まで一気に冷めてしまうらしい。女性の心理は複雑きわまるのでなんとも分析しがたいが、こんなテンションになってしまっては、もう修復できないのではなかろうか?だんなのほうも薄々は感じているらしく、ろくに連絡もないという。正月も別々だったそうだし。改めて夫婦でいることの意味はあるのだろうか?かといって、別に好きな人がいるわけでもないし、どうしたものか、という話であった。話を聞くくらいしか出来ないので、特にこれといった言葉は掛けていないが、「夫婦間にもある程度の緊張感はあったほうが良いのかな?」と感じた。相手が空気のような存在になってしまって、存在に感謝する心を失ってしまったら、相手に対して魅力も感じなくなってしまうのだろうか?だんなが探偵でも雇っていると、こじれるので早い時間に解散。帰宅した後に、私が家内の肩もみをしたことは、言うまでもない。
2006.01.18
金曜から体調がおかしかったのだが、出張だったのでそんなことも言っておられず、土日も前の日記の通り怒涛に過ごす。出張は月曜か金曜に限る。宿泊が着けば尚よし。が、金曜日に行ったところは餃子の街。駅前から何から、餃子だらけである。と、いうことは・・・にんにくの消費量も日本一なのか???同じ関東圏なのでとーぜん日帰り。が、餃子はしっかり食ってきました。ううむ。その街の方々には悪いけど、かみさんの作る餃子のほうがおいしい。日曜は後輩カップルが来ていたのだけど、久しぶりで非常に楽しかった。何と3人で(家内は殆ど飲めないので計算から除外)4本のワインが空瓶に。少し呑みすぎだよなあ。お開きの後、爆睡でした。自宅で友人と飲むと、ついつい呑みすぎるパターンが多い。帰りのことを考えなくてよいからだろう。お金もそんなにかからないしね。でも、酔い覚めもしっかりするためには、家の外で「気を張って」飲んだほうが良いかも知れない。今朝ですか?二日酔いにもならず、すっきりしてましたよ!
2006.01.16
今週の週末は、なかなかによろしい。長男の絵が、県の作品展に選ばれて展示されるらしい。燦然と輝くバカ親の私は、当然、見に行くつもり満々である。日曜は、後輩のカップルが我が家へ遊びに来る。二人ともフランスまで遊びに来てくれて、日本語を忘れかけた(ウソ)私を和ませてくれた。後輩の同期によると、彼のほうは大の私(都Alion)ファンらしい。別に、何かしてあげたとか、そんな記憶は無いのだが、何故か慕ってくれている。将来、日本を背負ってたつ人物(になるはずである)に、そう思われるのは悪い気はしないが・・今のうちに、お世話させていただこう。ここで重荷に感じないのが、私の不感症たる由縁。他人の行為は、甘んじて戴く。が、自分の「譲れない」テリトリーに入ってきたものには激しく牙をむく。後は「中立地帯」なので、結構無頓着。後輩達とは、フランスから持ち帰ったワインでも飲みながら、また四方山話に花を咲かせることだろう。ゆっくりと横になる時間はなさそうだが、良い週末が過ごせそうだ。
2006.01.12
3連休が終わった。実に、体力を消費した3日間であった。昨日くらいはゆっくり・・・と思ったのも束の間、チビッコギャング達の襲撃にあえなく公園へ連れ出される。私の一つのポリシーとして「やるからには」というのがある。例えば剣道をやるにしても、いい加減な気持ちでやっていると上達もしないし、何よりも怪我の基である。勉強しかり、遊びだってそう。と、言うことで子供と遊ぶのも楽しく、厳しくがモットーである。ただ、楽しければよいのではない。キャッチボール一つにしても、「意識して」行うのと「ただ単に」やっているのとでは、大きな違いが有る。また、何か社会(別に家庭でもよいが)で、自分の意に沿わぬ結論が出ることがある。それをいつまでもグジグジ言っているのは性に合わない。組織の一員でいる限り、「やるからには」その方向性で最善の道を選択するしかない。これがイヤなら組織を抜けるしかなかろう。恋愛とて同じこと。以前から言っているように「オトコは引き際」であるから、どうせ別れると結論が見えている別れ話で、グダグダ言うべきではない。辛い思いをするのは自分ひとりで充分である。笑顔で御礼の一つでも言って、というのがあるべき姿だと思う。とは、言うものの、ここまで考えられるようになったのも30を越えてからだ。辛い思いを100%したくないのなら、恋愛自体を避けることが、一番手っ取り早い。しかし、殆どの人は恋せずにいられない。「やるからには」常に最善を尽くすのが筋であろう。(若い頃は「重たすぎ」の扱いを受けたが)だが、物事には限度ってものがあるので、何事も「バランス」が大事なのだ。
2006.01.10
今日は地元の剣道連盟のお手伝い。とある試験(審査会)の審査員として出席した。審査員である以上、合否を判定しなくてはならないわけで、これはちと、荷が重かった。他人のことをどうこう言えるレベルではないのに、人様の採点をするなんざ、論外なのではないか?と自問自答。中途半端にうまい人の方が、自分を棚上げできるので審査員には向いているかもしれない。私も昔なら、喜んでやっていただろう。しかし、ここまで長く剣道と付き合っていると、どんどん自分の未熟さを通関する機会が多くなり、とても他人どころではない。道場で普段から子供達を指導されている先生達は、すごいバイタリティーの持ち主だと舌を巻く。受審者は主に子供達(中学生)だが、たまに高校生や大人もいたりする。普段から稽古に励んでいる人達であろうから、気持ちとしては全員合格にしてあげたい。しかし、それでは何のための審査会かも分からないし、そもそも剣道って?という疑問すら生じてしまう。そんでもって審査終了。胸は痛むが結果は結果。約半数が不合格となった。涙をこらえながら防具の片付けに入る子もいる。その目の前を歓喜の声を上げて合格手続きをしている子達がいる。何とも残酷な光景である。しかし、不合格だった子達にとって、今後剣道が上達するために必要なプロセスなのである。自分の悪かったところがどこなのかを見直し(或いは自分の先生に訊いたり)再び「やったるで!」と思えるかどうか、非常に重要な分岐点である。最近の子供達は根性が無く、厳しく指導するとすぐ、やめてしまうらしい。もちろん、今でもビシビシやっているところもあるが。こういったときに、親の対応は重要である。ひどい親になると、審査員のところまで連絡してきて、「何でうちの子が堕ちたんだ!」とか苦情を言う人もいるらしい。合否の判定で、一々その理由を開示したりする試験があるものか。そうではなくて、落ちたと言う事実を受け止めて「そうか、じゃあ、次はもっと頑張って稽古して、次こそ合格しような」と、モチベーションを支えてやるのが親の役目である。最近の親は子供を叱らないらしい。今日も試験と並行して行われた稽古会で、稽古着袴姿で遊んでいる子達がいた。小学校の低学年っぽいので、おそらく親も同伴のはず。しかし、いつまで経ってもキャッキャキャッキャ遊んでいるだけ。見かねて、怒鳴りつけてしまった。「何しに来とんのじゃ、コラァ!」ビビる子供達。TPOをわきまえるのも剣道の教育の1つである。
2006.01.08
最近、何故か「ドカベン」を読んでいる。何で今更、というのは自分の中にもあるが、はるか昔に読んだものをもう一度読み返してみると、違った印象を受けると言うのはよくあることで。大人になって読み返すと、水島新司の偉大さが良く分かる。現在に至るまで続いている「ドカベン(現在はプロ野球編)」だが、その前の高校時代までの6年間を描いた内容に関しても非常に緻密に計算されたストーリーがある。ちゃんとした構想があってその「前フリ」的な出来事がちりばめられていて面白い。日本はアニメ大国だから漫画の数なんて、幼稚園の砂場の砂粒の数くらいあるはずだが、「名作」と言われるものは少ない。自分が子供の頃読んだ本、或いは漫画を、この年になって読み返したいと言う衝動が起こるものが余り無い。当時は「乱読」であり、ストーリーはある程度頭に入るが、何かを感じ取るには幼すぎたようだ。私も高校時代はノーベル文学賞の受賞作などを読み漁ったものだが、肝心の内容に関しちゃ、なーんも覚えちょらん。そして、今再び手に取ろうと思わない。つまり「すげー面白かった!」という感銘は当時、受けなかったのだ。今になって初めて読んだのなら、きっと涙を流すのであろうが、「一回読んでしまった」という意識がこれを邪魔する。何度もこの日記に書いている事だが「歳を経ないと解らないことは、本当にある」のである。因みに今日から3連休だが、父親業に休みは無い。明日は父親の役割ではないが、地元の剣道連盟の行事に駆り出される。こんな私が人の合否を判定するなんて。私はまだ、人の事をとやかく言えるだけの人間ではないのだ。
2006.01.07
昨日、後輩の女性(会社は違う)からメールが入った。「メールでは難のあるお話なので、飲みませんか?」だった。そこで、私の考えた事とは・・・後輩「私、実は結婚する事になりまして・・・」私「それはまた、めでたいねえ。ほいで、相手の方って?」後輩「それは先輩の知っている人で・・・実は来ているのですよ」私「えっ!それなら合流してもらいなよ」後輩「良いですかぁ?」私「どうぞどうぞ」ってなことを想像しながら電車で待ち合わせ場所に向う。途中で仲人とか頼まれたらどうしよう、とかお祝いに何を買おうかとか、一通りのシミュレーションを済ませて食事に臨む。しかし・・・・全くそれらしい告白の気配が無い。で、ちょっと訊いてみる。私「あのさあ、今日って、何か私に特別な報告とかがあるってことはないの?」後輩「え?ありませんよ。ここ最近、鬱病みたいになっていて、前向きな人と話をしたかったんですぅ」私「・・・・・」メールでは話せない内容と言うのは、彼女の精神状態やそれを克服するまでの苦労、そして精神論、といったコンテンツであった。拍子抜けしたというか何と言うか。結局は何て事の無い食事になった。まあ、後輩も元気になった事だし、それはそれでよしとするか。「振られた!」とかで泣きつかれるよりもずっと良い。年も明けたし、私も何か、1つ抱負でも抱えてみる事にしようかな?
2006.01.06
「子供は遊びの天才」とよく言う。まあ、その通りなんだが自分の子供が友達と遊ぶのを見ていても非常に楽しい。大人には考え付かないような遊びを考案し、自分達でルールを作り、臨機応変にルールを変更していく。ただ、最近少し気が付いたことがある。集団で遊んでいる時に、何か遊びを考えたとする。リーダー格の子が、ルールの原案めいたものを提案し、周囲がそれに賛同する形で遊びは始まる。しかし、子供のリーダー格の子は、どこかしら「自分に有利なルール」を盛り込んでいることが多々見受けられる。ドラえもんで言えば、ジャイアンが野球をやる際に「ここまでボールを飛ばしたらホームラン」という線引きを、のび太やスネ夫には絶対無理な距離にしてしまうようなものだ。しかし、それは健全な集団の中であれば周囲の反対によって(得てして、やっている最中に自分達の不利さに気が付くのだが)是正されていく。大人から見れば、実に他愛ない(というか下らない)ルールだったりするのだが、これは子供同士にとって、非常に有意義な訓練だと思う。リーダー格の子にとっては「どこまでなら、周囲は自分についてくるか」の良い試金石になるし、他の子供達にとっては「他人のズルを見抜く」良い訓練になるはずである。だから彼らが遊んでいて、よその子が上記のようなルールを提案したとしても、私は一切聞いていないフリをする。大人の視線を感じると彼らは萎縮してしまうからである。それを感じ取れない我が子が悪いのである。一時が万事では無いが、そういう訓練も、時には必要だと言うことを言いたいのである。ただし、明らかなイジメ(逆に、一人だけクリアできない条件を出すとか、鬼ごっこで「こいつが鬼になったら」というハンデを負わせる)時には、頑固オヤジ、出動である。因みに、私は他人の子であろうと叱るし、その際に髪の毛をひっ掴むのも平気である。逆にケンかになれば、親の出る幕ではない。問題解決の手段として、子供達自身がそれを選択しただけのことである。刃物とか武器を持ち出したら、二度とそんな気を起こさないようになるまでぶん殴ること必定だが。最近、子供を狙った卑劣な犯罪が毎日のように報道される。学校への親の送り迎えの負担などが問題視されているが、これは逆に「やってはいけないこと」を教えるチャンスでも有る。我々が子供の頃に習った「知らない人には付いていかない」「知らない人から貰ったお菓子は食べない」等の基本を見直す機会である。個人主義という名の利己主義がはびこっている現在、知らない人から声を掛けられること事態が少なくなり、子供達は対応できずにいる。犯罪はもちろん許されるべきものでは無いが、余りに無防備な状態も決して健全とは言えまい。卑劣な犯罪の影には、人権と言う言葉の意味を間違えている大人たちと、子供を無防備にさせている大人たちが作り出した環境がある。(だって、昔だったら子供誘拐して殺めてしまったら、即刻打ち首獄門ですよ。精神状態が云々とか話題にもならなかったはず)今日はちょっと攻撃的だったかな。でも、子育ては楽しく、厳しく行うべきである。おっと、来週は子供達の「送迎当番」の日がやってくるのだった。気をつけよっと。
2006.01.05
年末年始、ものすごい忘年会&新年会のラッシュだった。やっと関東での忘年会ラッシュを抜けきったと思ったら帰省先の京都でもラッシュ!そして家内の実家では、義父が焼酎片手に待ち受ける・・・そして昨日は某官庁に勤める先輩の壮行会。いやあ、さすがに参った。とにかく健康で乗り切ることだけを優先して、ひたすら酒量を抑え、睡眠時間を確保することに専念。これが日記更新を怠った理由です。これで体重増が無かったのは奇跡に近い。女性の友人と二人で食事にも行ったけど、特に艶っぽい話も無く、バカ話で時間は過ぎる。とにかく、こんなにバタバタしたのは久しぶりである。昨年がのんびりしすぎたせいか(忘年会なんぞ1回も無かった)?そんな中でも時間を作って家族で初詣。激混みの駐車場。俺の足を踏めと言わんばかりの人だらけの境内。おまけに路駐の嵐。大都会は好きなのだが、ここまでの混雑はさすがに、蹴散らしたくなる。そういえば、昔アメフトをやっていた頃(10年以上前)の話。友人がコンパニオンをしていた東京モーターショーに男女取り混ぜ4人くらいで冷やかしに行ったときのこと。某人気コーナーに人が集中し通勤ラッシュの山手線状態に。さっさと避難したかったのだが、人は押し寄せるばかりで密度も急上昇。ついに女性の友人が「痛い!」と泣き出さんばかり。やむなく戦闘体制に入り、あらん限りのダッシュ力で人波を押し返して脱出成功。周りには、転倒した方々の残骸が・・あっしも若かったなあ。さて、初詣。一応、お約束ってことでおみくじを引く。さすがに凶はいなかったが、家族は小吉、吉、末吉とびみょーな所。「お父さんは?」と言われ「お前ら、まだまだ甘いのう!」と啖呵をきって引いたところ、何と大吉。「すげー!お父さん!」と盛り上がる家族。来年から、おみくじを引くのはやめよう。凄くないところをさらけ出すだけだからな。
2006.01.04
全14件 (14件中 1-14件目)
1