マックの文弊録
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【1月23日(月曜日) 旧壬辰一月一日 癸未 先勝 月齢29.4 朔】 今日の月は朔、つまり新月である。 と、いうことは旧暦(太陰暦)では新しい月の初日で、つまりは旧一月一日。お正月元旦であるわけだ。お隣の中国では未だに太陰暦で一年の最初を寿ぐのが主流である。この時期かの国では、郷里で一族郎党が集まって新年を祝うというので、民族の大移動が現出する。日本では年の初めを太陽暦で祝うようになって最早久しい。遡れば明治政府の力ずくの欧化・開明化の賜物である。旧正月のこの日、関東太平洋岸でも夕刻から雪の予報が出ているが、さてどうなることやら。最近の天気予報は悲観的に傾くようで、殊更に悪天候を予報しがちである。後で大雨や大吹雪になって予報の甘さが批判されるより、少し大げさに言っておいて結果大したことが無ければ、揶揄はされても非難は免れる。背後にそういう計算があるとすれば、このごろの政府・政治家と同じで天気予報までがポピュリズムに堕している事になる。ところで閑話休題。「男子厨房に入らず」という言葉がある。料理を作るのが好きな私には、この言葉が以前から気になっていた。この言葉、「男子たるもの、台所などに立って料理の如き瑣末事にかまけていないで、須く天下国家の事に衝るべし」という意味合いがある。料理などは所詮女子、小人の携わるべき雑事である。少なくとも普通はそういうニュアンスで語られ、聞き取られる。つまりは、封建時代の男尊女卑の思想なのだ。そう思われている。調べてみたらこの言葉は、中国の孟子の言葉で、君子の道を説いているのだという。孟子の原文は、「君子之於禽獸也、見其生、不忍見其死、聞其聲、不忍食其肉、是以君子遠庖廚也」である。つまりは、「鳥や獣が生きているところを目にすれば、その死を見るに偲び難い思いを抱く。その声を聞けば、その肉を喰うに忸怩たる気持ちが起きる。よって君子たるもの厨房には近づかない方が良い。」と、こういう意味が本来らしい。昔の中国の厨房はまた、鳥や獣の屠殺場でもあったのだ。君子は民草の上に立ち、彼らを統べる存在だ。彼が命令を出せば、人々はそれに従う。それが、民草の大事な生きる糧でもある鳥獣を哀れんで私の情に駆られ、よしんば屠殺を禁じたり、食肉の売買を差し止めたりするようなことがあっては、正しい政道が覚束ない・・・なるほど。わが国でも綱吉公はそこで誤って悪法を発したわけだ。しかしこの言葉、随分身勝手な感じもする。考えてみれば、この言葉の主語が「君子」であり、後世では「男子」であるところに、違和感の理由があるようだ。鳥や獣の肉のみならず、食材の大半は自然にあるがままでは我々の食には適さない。獣は屠らなくてはならず、鳥は縊らねばならず、魚も捌かねばならない。穀類や芋類だって、刈り取り、皮を剥き、切り刻まねばならない。その上で火にかけて調理しなければならないのだ。それを、大局を失わないために、君子や男子らは、自らはそういう現場を遠ざかり避けて通るべし、というのだ。なんだかムシの良い話だ。細部の現実に直面しないままに、或いは見もしないままに大局を論じて恥じないところは、わが国の政治家や高級官僚の悪癖である。これは昨年の3・11以来、災害処理や原発事故対策に際して我々が親しく目のあたりにしたところだ。被災地のみならず沖縄の人たちも同じ理由で怒っていらっしゃる。人間は自然を改変し、自然の恵みを蚕食しつつ生きてきたし、これからも生き延びていかなければならない存在である。牛肉を戴くには牛を屠らなければならない。食肉牛を屠殺場に連れて行く時には、命の終焉を察知した牛は哀しげに鳴くそうだ。君子たるものそれを見ずして、哀切の咆哮を聞かずして、大局を得る事はできないだろう。事ほど左様に、人間は他の一切の犠牲の上に在るものだし、これは同じ人間同士の中においても同じである。そう考えると、むしろ「君子は厨房に入るべし」であろうと、私は思う。何れにしろ老孟思想のお蔭で、それとわが国の戦国時代以降の男尊女卑の考え方も相俟って、第二次世界大戦の頃までは、厨房の地位は低かったようである。そこで働く主にご婦人のみならず、料理人の地位も低く、一個の男子が料理人になるのは、武家の男子が商人に身を窶すよりもはるかに身を堕すことだと看做されていた。わが国で最も格式があるとされた帝国ホテルにおいてすら、創業時の経営陣やスタッフの記録はあっても、厨房関係についてはほとんど記録が無く、初代の料理長の名前すら記録されていなかったそうだ。文字通り「男子厨房に入らず」だったわけだ。然し、時代をもっと遡って平安時代にまで行けば、光考天皇(第58代:830~887)がおわします。この方は手ずから大いに料理を好まれたようで、彼の炊事好きの所為でお住まいの部屋の辺りが煤で真っ黒になっていたため、「黒戸の宮」と呼ばれたそうだ。この天皇が百人一首に遺した御歌、 「君がため 春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ」は、ひょっとしたら春未だ浅き野面に出て、「今日は一つ美味しいおひたしでも拵えてやろう」とセリかナズナでもお摘みになっている時にでもお詠みになった歌かもしれない。この頃には君子でも男子でも、厨房に入っても恥ずるところ一向に無かったのだろう。光考天皇は藤原山蔭に命じて「四條流庖丁道」を編ませていらっしゃる。これは、饗応饗膳の作法や料理法を体系化したもので、今も日本料理の流派として受け継がれているのだ。つまりは、「男子は須く厨房に入るべし。」そして、「君子は身を以って小局を経ずして、大局を吹聴するを得ず。」なのだ。
2012.01.23
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