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◇ 1月31日(火曜日); 旧睦月三日 庚申高校時代に眼鏡を着用に及んで以来、無慮40年ほども「四ツ目」の生活を送っている。勉強をしすぎて眼を悪くした、というのではない。古式に則った東洋風の(つまりは凹凸の少ない)我が顔貌を、めがねのフレームで鋭く切り取れば、多少はメリハリが利いて精悍な趣にでもなるかと思ったのだ。そうなれば、多少は女性に人気が出るだろうとの魂胆もあったが、昔風の暗い教室の所為もあって、程なく立派な近眼になってしまい、眼鏡は必需品になった。肝心の魂胆は毫も実現しないままである。ご多聞に漏れず数年前から老眼が入り、眼鏡も遠近両用になった。それが、最近では本を読むのに不自由するようになってきた。どうも水晶体の焦点調節をする筋肉が若干老朽化してきたような感じである。そうなってしまうと、何が不自由だといって、電車の中で本が読み辛くて困る。通勤電車の混み具合も、僕が社会人になり立ての頃の殺人的な混雑と較べれば、この頃はよほど楽になった。それでも僕の乗る駅からでは、ラッシュ時に座席に座る事などはなっから望むべくもない。だから、乗り口のドアと座席の端との隙間に首尾よく入り込んで、角の小さな三角形の空間を利用して読書にいそしむ事にしている。本のページと眼球との距離は約20センチ強。この距離で活字を追おうとすると眼鏡が邪魔になるようになったのである。慢性活字中毒患者の僕の場合、通勤電車に乗っている間は読書時間として貴重である。一回の乗換えを経て目的の駅に到るまでの乗車時間は、延べにして約45分。往復で1時間半である。つまりは、勤め人でいる間は、人生の十六分の一を電車の中で過ごしているわけだ。これだけの時間を無為に過ごすのは勿体無い。だから、就職以来これを読書の時間に充ててきたのだ。それで、暫く前から電車の中では眼鏡を外すようにしている。本は以前と同じように快適に読めるようになった。ところが、当たり前だが今度は遠くのものが見えない。本から目を上げて、「今何処だろう?」と駅名を探したり、遠くの景色に目標を探したりするのだが、視野の中の形象は判然としない。それで、どうしてもという時には、眼鏡を取り出してかけ直すことになる。歳をとるという事は、どうもこういう細かい手間隙が増えるという事なのだろう。つまり五感それぞれの機能においてLatitude(許容深度)が小さくなるものだから、外出する時には補聴器を装着し、入れ歯をつけ、眼鏡をかけ、関節にはサポーターを巻き、杖を持ち・・・。因みに僕がお世話になっているのは、眼鏡だけである。未だ若いのだ!つまりは五十路を遙に過ぎて、子供時代の裸眼に戻ったのである。眼鏡を外してみると、これが随分快適である。今まで視野の隅を区切っていたレンズの影が無くなったら、無闇に世界が広くなった。その代り今のように木枯らしが吹く時期だと、盾の無くなった目玉は風の直撃を受けて涙が出る。ボロボロ涙を流しながら歩く事になるけれど、こっちは細部が見えないから、行過ぎる人がどんな怪訝な表情をしたって気にならない。平気の平左である。それに景色が綺麗だ。僕の目玉には乱視も入っているから、周囲の光景はジョルジュ・スーラの点描画のように見えて、頗る趣がある。行過ぎる人だって、細部が見えないから皆美しく見える。というより、想像力を働かせる事によって醜くさを見ないで済ます事ができる。大体、世の中には眼鏡をかけて見なければならないものなど、実は余り無いのだ。普段乗り降りする駅ならば、駅名などわざわざ読む必要はない。道を歩いていても、信号の色くらい眼鏡が無くても判別できるし、車の往来や周辺の人の動きも、命に係るほどの事ならば、裸眼の視力でも充分察知できる。それで、このところ朝の通勤時には、電車に乗ってから会社に着くまで、いっそ眼鏡を外したままにしている。要するに、物事をはっきり見るなんて、普段生きていくためには殆ど必要のないことなのだ。逆に美しさを重んじるなら、物事ははっきり見ないほうがむしろ都合がよい。フム、これは中々哲学的な発見である。ところで、僕自身は怖くてコンタクトレンズを入れた事が無いのだが、暫く前から「乱視対応のコンタクトレンズ」というものに興味があった。そうしたら、今では「遠近両用のコンタクトレンズ」もあるのだそうで、いよいよ不思議になった。どうやって水晶体とコンタクトレンズの「位置合せ」をするのだろう?又、どうやって相互の位置関係を保つのだろう?そうしたら、誰かが「重力を利用して位置決めしているのでしょう。」と教えてくれた。なるほど。確かにそれくらいしか方法は無いだろうな。そうなると、今度はコンタクトレンズの重さが気になる。眼球を覆う涙がコンタクトレンズを支えているのだから、遠近両用のコンタクトレンズの場合、レンズの上下である程度以上の重量差がないと、ちゃんと「起き上がりこぼし状態」を保ってくれないのではなかろうか?それにしても、遠近両用のコンタクトレンズをしたまま、布団に入って読書をしようとしたり、鉄棒で逆上がりしたりする時には不自由だろうなぁ。少なくとも、スペースシャトルに搭乗する時には、「やめた方がいいよ」と云ってあげるべきである。
2006.01.31
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◇1月30日(月曜日); 旧睦月二日 己未然るべき場所に出て何がしかの事を為そうとするとき、昔は裃を着て威儀を正した。今の会社員はネクタイを締めスーツを着用に及ぶ。僕も、試験勉強を始める時は先ず机の整理から始めたものだ。それで、肝心の勉強に取り掛かる頃には、疲れて眠くなってしまった。でも、やはりカタチには拘りたい。洗い立ての真っ白なワイシャツを着込んで、ネクタイをピシっと絞め、スーツで決めると、心もシャキッとして、戦いに望む気構えが出来上がってくる。これはいわば人間としての品格を為すものである。ところがカタチから入ることは、一方では瞬発性を欠くということでもある。このブログにしたって、最初の頃はともかく、段々(1)暦を調べ、(2)記念日などがあればその由来などを調べ、(3)写真を選んで貼り付け、(4)文章を書き始めるなどというカタチがいつの間にか出来上がってしまった。こうなると、時間の余裕がないと、形式を整えることが難しくなって、ブログそのものがかけなくなるという本末転倒が生じる。1月の始め以来ブログからご無沙汰してしまった最大の言い訳が、忙しさとカタチへの拘りである。カタチなどに囚われず、行住坐臥臨戦態勢にある方が実戦的であることは論を待たない。秀吉の朝鮮攻めの時も、わが国の武将は敵前に立つと古式に則って先ず名乗りと呼ばわりをやった。そしたら名乗っている間に、そんな習慣など持たない敵兵にバタバタやられてしまったのである(そうだ)。想像すれば、美しくも滑稽で、いっそ悲しい。品格とはある部分で悲壮なものでもあるのだ。そんなカタチなどアホ臭いと、裃もスーツも無しに、汗臭いTシャツ姿で、寝起きのような髪のまま、礼儀や手順も踏まずに責めかかって一時衆目を席巻したのが、今は拘置所にいらっしゃるかの御仁である。かの御仁には、およそ品格などというものを僕は最初から感じなかった。彼は、今やアフリカの地で絶滅の危機に瀕しているローランドゴリラに見えて仕方が無かったのである。そういうとローランドゴリラから叱られそうだが。裃を着ている連中において、戦後徐々にその中核を支えるべき高潔さや品格が失われ、形骸化したカタチのみが残った。そういう連中のカタチは、社会構造を支配し後進の人にも規制を及ぼす。そんな時代が長く続いたものだから、期待も希望も大それたものを持つことなく、「自分」の好みを追い求めるというのが一般の風潮になった。だから、そういう世代の子供達である今の若者には、閉塞感にイライラしながらも何とかならないものか、何とかできないものかという、変革への兆しのようなものが生じているのだろう。そこに出てきたのが、汗臭いTシャツのローランドゴリラだ。これが、裃に威儀を正したオジサン連中が「呼ばわり」をやっているのを、礼儀も名乗りもものかは、いきなりバタバタとやっつけてしまった。「彼は好きになれないけれど、彼がやっつけたものはもっと嫌いだったから・・・」というのが、多分若者達の一般的な気持ちではないか?一方のカタチ派の方では、自らの領域に土足でヅカヅカ踏み込んできて、汗臭さを振りまく無頼の輩を、余程苦々しく思っていたのだ。彼が高々と吹聴する拝金主義は、実は同時にカタチ派の主義に他ならない。その主義の強固な事、又隠微な徒党を組んで仲間内だけで儲けを占有しようとする性向は、むしろ孤軍のローランドゴリラ君を凌駕する。ただ彼らはカタチを重んじるが故に、本音を隠してきた。彼らが後生大事に一生懸命糊塗してきた本音を、このゴリラはあろうことか白日の下に暴露してしまった。近親憎悪に似た憎しみが募るのもむべなるかなである。だから、ゴリラ君が一旦隔離幽閉されると、裃族は大いに溜飲を下げ、密かにザマミロとほくそ笑むことになる。しかし、情けないのはマスコミだ。かつて寵児と持ち上げ、へつらうように取材・報道してきたのが一転、「墜ちた寵児」だの、「暴かれた虚像」だのと激しいバッシングが始まった。株式分割や「法すれすれの経営」までが、非難の対象になっている。それでは、感情論でしかないじゃないか。株式分割も、「法すれすれ」も遵法行為である。違法ではないのだ。およそ商売をするもの、法規制に抵触しないギリギリの線まで肉薄して知恵を絞り、自社利益を増大させるのが当然だし、それが出来るのが優秀な経営者とされるのだ。色々な経済団体のお偉方は、いわばそう云う戦果を以って現在の地位に招かれたわけだ。ゴリラ君の批判、糾弾をそういう領域にまで広げるのは、単なる好き嫌いの話でしかないし、マスコミはむしろそういう混同に陥りがちな大衆の蒙を啓き、何が事実で何が本質であるかを示すのが本来の役割じゃないか。それが、かつて自らが舞い上がって、嬉々としてゴリラ君のプライベートジェットに乗せてもらい、バラエティ番組にスター扱いでご招待していたことなど忘れたフリで、今度は非難糾弾の大合唱というのでは、それこそポピュリズムの権化でしかないだろうに。今の日本で一番深刻なのは、マスコミの品格の無さである。そう思うのだ。
2006.01.30
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◇ 1月29日(日曜日);旧睦月朔 戊午; 旧正月元日、出雲大社福神祭あれよあれよと言う間に一月も終わりになってしまった。今日は旧正月。海の向こうの漢字の母の国では、家族が打ち揃い「恭禮發財!」などと声を掛け合って、新年を言祝いでいらっしゃることだろう。我が民族は、「謹賀新年」とか、「明けましておめでとう」などと、抽象的かつ哲学的な祝詞を交換するのに較べて、かの国では「今年もしっかり儲けまひょうで!」というのが新年の挨拶なのだから即物的・実際的で面白い。だから「謹賀新年」の日本語にはやはり大阪弁が良く似合う。尤も、上のような挨拶を交わすのは、中国と言っても広東省とか香港の辺りだ。北京辺りでは、日本と同様余りあからさまにお金のことを言うのは憚られるようである。別に旧正月とは無関係だが、最近無闇と味噌煮込みうどんを食べたかった。お店に入るとふわっと暖かく鼻を包み込む、鰹出汁の香り。味噌の煮える香ばしい匂い。ふつふつと未だ沸騰しているうちに卓に運ばれる土鍋。独特の腰の強い麺。名古屋の食の名物は、味噌カツとか、海老フリャァ(フライ)とか、色々云われるけれど、僕にとっての名古屋名物は味噌煮込みうどんにとどめをさす。煮込みうどんの類には、カレー煮込みうどん(巣鴨のとげぬき地蔵尊の脇においしい店がある)、うどんすき(これはやはり「みみう」が一番美味しいな)など、どれも美味しい。しかし、これらはどちらも、類似のメニューを他所で見つけるのは、こだわりさえしなければ余り苦労しない。しかし、名古屋のあの味噌煮込みうどんは別格である。あの、味噌と出汁と麺の絶妙なトリオは、ちょっと他所で見つけることは出来ないのだ。あぁ、食べたい!そこでもしやと調べてみたら、会社の近くに名古屋の老舗のうどん屋の出店があることを発見した。東京と言う町は、こういうところが凄い。大抵思いついた店は、探せば殆どどこかにあるものである。そうなるともう矢も盾もたまらず、さっそく食べに行ってしまった。行った先は、神田和泉町。むしろ秋葉原と言った方が分かり易い。電気街とは反対側の、昭和通から狭い路地を入って、三井記念病院に向けて暫く歩いた先に有る。意外なほど小さな店であった。ドアを押すと、あの懐かしい暖かい香りに包まれる。「あぁ、この香りこの香り!」お店は拍子抜けするほど空いていたけれど、2階のテーブル席ではなく、あえて調理場のあるカウンターに寄り付いて、先ずはビールをいただく。肴は、枝豆、板わさ、名古屋風味噌おでんだけ。酒の肴が簡単なものばかりで、種類が少ないところは江戸の昔ながらの蕎麦屋に共通する。つまりは、「当店はうどんを食わせるのが主で、酒呑みの長っ尻はお断り!」という姿勢なのだ。そして、待望の味噌煮込みうどん!先ずは東京での初お目見えだから、最高級(!)の「親子煮込み」をいただくことにした。つまりは、かしわ(鶏肉)を入れ、生卵を落として煮込んであるのだ。やがて、一人宛の小ぶりの土鍋が鍋敷きに乗って運ばれてくる。蓋を取ると味噌出汁の表面にはいたるところにあぶくが盛大にフツフツ立っている。「あぁこれこれ。これでなくちゃ!」鍋の蓋を取り皿代わりに、麺を取り分けて出汁も少しかける。フゥフゥ冷まして、口に運ぶ。「あぁ、この味この味!美味しいなぁ。」名古屋の味噌煮込みうどんは、鍋焼きうどんなどと違って具沢山ではない。麺の他は長葱(中部地方は葱の青い部分を使う)と蒲鉾位である。これにかしわや卵が入ったりするが、あくまでもこれらはオプションである。油揚げや椎茸や何やかや、色々なものを入れると微妙に味が崩れていくようである。うどんの他には、せいぜい薬研掘を振るくらいにしておくのがよろしい。僕はかつてこの味の再現を何度か試したことがあるが、これはもう不可能であることが分かった。八丁味噌を代表格とする中部地方の赤味噌は豆味噌で、豆味噌は煮込んでも味が落ちない。ところが、赤味噌は出汁をとるのが難しいし、それだけでは微妙な苦味が舌に残ってしまう。食べ始めは良いが、食べ進むにつれて、この苦味が気になるのである。老舗の味噌煮込みうどんに使用する味噌は、赤味噌だけでなく白味噌も調合して、更には他にも何か隠し味が入っている。だから、苦味は感じないし、出汁は最後まで飲んでしまっても美味しいのである。この辺は、やはり門外不出、秘伝なのだろう。随分久しぶりの、しかも東京での本格的な味噌煮込みうどんは、どぇりゃぁうみゃぁでかんわ!ところで、名古屋で有名な味噌煮込みうどんの店は、二つある。「○×△総本家」と「○×△本店」と、屋号は同じだからややこしい。総本家は、麺打ちに蕎麦粉を使うが、本店は使わない。本店は、季節によって牡蠣を入れたり、他の食材を乗せたりと相対的にメニューは豊富だが、総本家は、いわば「す」の味噌煮込みと、「かしわ入り」、「卵入り」、「親子」と四種類しかない。総本家は、多店舗展開戦略のようで、東京にも神田和泉町と浅草田原町に出店しているが、本店の方は名古屋と岐阜に数箇所しかお店を出していないようだ。そして、多店舗展開の総本家をやんわり批判している。一方の総本家は、「紛らわしい屋号の店にご注意ください」と、本店を牽制する。昔は同根だったのか、何となく近親同士の意地の張り合いのようだ。まぁしかし、以前は帰省したり出張のついででもなければ口に出来なかった、「あの味あの味!」が極近くで味わえるようになったのは、嬉しい限りである。
2006.01.29
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◇1月4日(水曜日);旧師走五日 癸巳; 初巳、天一天上当たり障りのない世間話をするには、先ずお天気を話題に取り上げるのが定番だ。何しろ、これは一年中使えるネタだから、便利この上ない。次に盛り上がって差し障りのない話題は、世代によって異なるのだろうけれど、僕の年代の場合だと、血糖値とか、中性脂肪値とか、ガンマGTPとかいう、所謂病気の話だな。それから、サプリメントの話題だ。これは、大体がもうどこかしら故障を起こしている身体の持ち主ばかりだから、やむを得ない。以前には、ノコギリヤシとセサミンの併用が、頻尿や残尿感の緩和に効果があるという話題で、一時間以上盛り上がることが出来たから、考えてみれば情けない話ではある。お正月のこの時期に、季節限定で使えるのは、お雑煮の話題である。お雑煮の分類法は、概ね四つくらいのカテゴリーから構成される。先ずは、御餅は切り餅か丸餅かに始まり、次に焼餅か煮餅か。そしてすまし仕立てか、味噌仕立てか、そして中には何を入れるのか。そういった類の分類法である。これが地方によって随分の変化がある。鶏が入ったり入らなかったりというのは基本だが、ところによっては鮭とイクラが入ったり、ブリが入ったりすることもある。中には小豆仕立てというお雑煮もあるそうだが、これはちょっと想像するだけにしておきたい。(要するにお汁粉の亜流みたいなものなんだろう?)僕の場合は、父親が東京出身だった所為で、元旦はすまし仕立てに焼餅を入れて、具としては鶏肉、大根、人参、里芋、それに蒲鉾が入り、青みとしては小松菜。これに削り鰹を盛っていただくのが慣例だ。二日目には、岐阜っ子の母親譲りである、八丁味噌仕立てをいただく。本来岐阜のお雑煮は、切り餅の煮餅なのだが、これは僕の好みで焼餅にする。その他の具材は元旦と同じである。三日目は、カミサンの両親が大坂出身の所為で、西京味噌仕立てで煮餅入りの甘ったるいお雑煮が出てくることがあるが、これは僕が嫌いな所為で、最近はいただいていない。ところが、岐阜に住む妹によると、上の八丁味噌仕立てのお雑煮は、岐阜の正統派のお雑煮ではないそうだ。岐阜地方のお雑煮は、すまし仕立てで、切り餅の煮餅。この餅を、中まで柔らかくなっても、餅の角が崩れないように煮るのが、良き嫁の手腕だったのだそうだ。へぇーえ。嫁の手腕は、別にどうでも良いが、八丁味噌ではなくすまし仕立てだったとは!妹によればあれは母親の我流だったのだと言う。・・・・知らなかった。でも、恐らくは方々の家庭でも似たり寄ったりなんだろう。何も、何県だからといって、お雑煮のレシピが条例で決まっている訳でもない。各家毎に、親やその前の世代、又その前の世代からの一子相伝のレシピに、各世代各人の好みをアレンジしながら、今年のお雑煮をこしらえいただいていらっしゃることであろう。だから、お雑煮はおよそのところは地域性を持ってはいるけれど、細部においては家庭によって千差万別。実情はそういうところじゃないかと思う。しかし、そう考えるとお雑煮こそが今や希少となった「我が家の味」、「親の味」と云う事になるのだろうな。今やコンビニで出来立てご飯や、お節料理まで買える時代だ。何でも好きなものが買えて、「チン」が出来るものだから、普段は食事など殆ど家族ばらばらに、自分勝手に食べるのが当たり前のようになってしまった。しかし、流石に年の始めのお雑煮だけは、余程のことがない限り家族が同じ食卓を囲んで食べる。このしきたりは、未だに殆どの家庭に残っていることであろう。そうやって考えると、お雑煮はエライ。わが国の伝来の伝統を継承するヒーロー(ヒロイン?)である。お雑煮こそ、わが国の料理の中でもっと尊敬されて然るべきものであろう。「お雑煮のエラさ」、この話、今年どこかの新年会でしてやろう。
2006.01.04
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◇1月3日(火曜日);旧師走四日 壬辰; 福岡宮崎宮玉せせり関東地方は三が日の最後になって、やっと晴れた。それでも、西に富士を望む方角には雲が垂れ込め、その雲も縁の薄ぼけた雪雲である。ところで以前から不思議に思っていたことだけど、車の電子キーというのは、電池が切れてしまったらどうするんだろう?最近、我が家の車の電子キーの電池が切れそうになっているようだ。我が家では、車は一台しかないけれど、キーは二つあって、カミサンと僕のそれぞれがマイキーを持っている。要するに、キーを持つところが分厚くなっていてドアを開けるのと占めるのと、二つのボタンがある奴だ。車から数メートルの範囲内でボタンを押すと、超音波だか電波だか(多分超高周波の電波ではないかと思うのだが)がキーから発射されて、押した方のボタンに応じて、車のドアのロックが掛かったり解除されたりする。それが昨年の暮れ頃から、僕のキーを押してもドアが反応しなくなった。車の直ぐ傍まで近寄っていって一生懸命押しても、ドアはうんともすんとも言わない。一瞬途方にくれた。しかし、何のことはない、ドアの鍵穴にキーを突っ込んで回せば良いのだ。間抜けにも車の直ぐ傍で、キーのボタンを繰り返し押し続けていたのだ。キーの先には普通の機械式の鍵が付いているから、それを鍵穴に押し込んで回せば、ちゃんと使える。慌てることは無かったわけだ。しかし、物事が便利になると、他のやり方をとっさに忘れてしまう。大体、最近の機械は押しなべて「便利」になりすぎだ。昔は、バッテリーが弱ってくれば、自動車パーツ店に行って買ってきて、平気で自分で交換したし、ラジオだって半田ごてを持ち出して自分で治した。しかし、最近は色んなところが電子化され、小型化され、その結果何が何だか素人には分からなくなってしまった。車のナビシステムが壊れて治せる人なんかは、おそらくフツーにはいないだろう。そうして、いざそれが壊れると、本来のやり方を忘れてしまっていたりする。便利になるということは、Alternativeつまり代替手段を忘れてしまう、或いは想像力や創造力をスポイルすることでもあるようだ。ところで、電子キーには電池が入っているんだと思う。駐車場など沢山の車が留められている所でボタンを押しても、他所の車のドアが開いてしまうことはない。ちゃんと我が車が、「ここに居るよ!」とでも云うように、ライトを点滅させて反応してくれる。だから恐らく、キーからはパルス状の信号が送られているのだと思う。そうなると、電池が切れたらどうするんだろうと思うのだ。車屋に持っていって電池を交換してもらうのだろうか?外に出かけて、目的の場所に車を止めて、キーのボタンを押したらちゃんと反応する。ロックも解除も何事も無くやってくれる。用事を済ませて帰っても同様である。さて、これはどういうことなんだろう?電子キーは寒いと反応が鈍くなるのだろうか?若しそうなら、走っている間にキーも車も暖められて、正常に反応するようになったと言うわけだ。しかしそうだとすると、カミサンのキーに何も問題が生じていないのは不思議だ。或いは、電子キーの電池は充電式なのだろうか?そうなると走行中に、差し込まれたままのキーに、車から充電しているということになり、典型的な週末ドライバーの僕のキーの「バッテリーが上がってしまった」のは、納得できる。しかし、キーには充電用の端子は見当たらない。金属部分は単なる一枚の板であり、陽極と陰極に分かれてはいない。となると、電磁誘導の仕掛けで充電しているというのだろうか?それはちょっと考えにくいことである。と、云うわけで、今のところ車の電子キーの電池は、僕にとっての謎なのだ。
2006.01.03
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◇1月2日(月曜日);旧師走三日 辛卯; 初荷、初夢、書初め、皇居一般参賀関東地方は今朝も曇天で明けた。その内雨まで降り出した。秩父宮ラグビー場での同志社 vs. 関東学院戦も、箱根駅伝のレースも雨に濡れて寒そうである。元旦をゆっくり休んだ二日目の今日は、年の初めに色々な事を始める日でもある。冒頭に掲げる「初」の字を、昔は気持ちも新たに体験したものだ。しかし今では僕自身もそうだが、こういうことをちゃんとやる人は少ないのだろうなぁ。嘆くべきは伝統の継承というものの実情である。国や国民をまとめる力、或いは我々が日本に帰属意識を持つよすがは、敵国の存在や軍事力ではなく、本来その伝統にあると言うのにである。以前にこのブログでも取り上げた、女系天皇に関する議論も、この「伝統」を軽んじるところに、僕としては異議を唱えるのである。元旦、どこかの大新聞に「幼稚園の義務教育化を政府与党が検討」という記事があって、ブログの世界での我が畏友である、釈迦楽教授が嘆いておられる。因みに我が家では父の代から「伝統的に」朝日新聞だが、この新聞にはそういう記事は無かった。教授は、「元来子供は家庭で親が躾け、教育すべきものである。」として、「学校はもともと様々な教科を教えるだけの場所であって、基本的な礼儀作法だとか、人間としての人格形成だとか、そういうものは親が責任を持つべきもんです。それをやらないから、いずれ『他人任せ』で大きくなった子供から手痛いしっぺ返しを食うことになるんですよ。」とおっしゃる。また続けて、猫も杓子も高校に進学し、同年代の50%もが大学にまで行ってしまうことにも怒っておられる。「大学という名の施設に在籍している学生の6割くらいは、大学に来る必要もなければ、それだけの学力もない連中と言っていい。」ともおっしゃるのは、現役の教官として大学の現場で教鞭を取っておられるお立場からの実感であろう。僕も釈迦楽教授のご意見には同感である。と、いうより教授のお怒りの源泉は、全く僕自身のそれと同じであると云い得る。大体において、幼稚園や小学校における「悪しき平等主義的教育」には、かねてより我慢がならない。運動会から騎馬戦が消え、リレーでも徒競走でも「皆勝て」などという馬鹿な事をやっている。校庭に茣蓙を敷いての、家族とのお弁当の時間は無くなり、児童は教室で、親は親で別々にお昼を食べる。これらは全て、子供に優劣をつけることなく、親のいない子や、離婚して片親しかいない子が寂しい思いをしないようにとの、「配慮」のせいだという。余計なお世話だろう!そうやって、幼稚園や学校の中だけ、幻想としての「平等」の世界を作っておいて、卒業となると実社会の現実の中に、無防備なままの子供を放り出してしまうのである。実社会は、熾烈な競争社会であり、勝者と敗者の差が歴然と示されるところであるのは、周知のことである。そこに、何の訓練を受けていない、温室育ちの子供達を放り込むのが教育だというのであろうか?思えば、こういう戦後平等主義の悪弊は、本来社会や人間において多様であるべき価値を集約してしまい、均質化してしまった。それが「一億総中流化」というおかしな社会を作り上げてしまい、そういう環境が今の子供の「親の世代」を育み、ひいては現在のすさんだ若者世代を作り上げたのだといえる。しかし、だ。幼稚園の義務教育化という具体的な話となると、僕には釈迦楽教授とはいささか意見を異にするものである。先ず、教授のおっしゃる「躾や教育は本来親が家庭ですべきもの」ということである。これは正論ではあるが、その為には親の実力が問われることになる。しかし、問題は実は「親の世代」にあるのである。親自体が、躾や教育を子供に施す能力を持たないどころか、むしろそういう躾や教育を受けねばならない様な状況にあるのである。だから、教授のおっしゃる極く真っ当な主張を実践しようとすれば、先ず概ね昭和50年代以降に生まれた親の世代、つまり「真正団塊ジュニア世代」約一千万人の再教育から着手しなければならないということになる。これは、甚だ現実的ならざることである。こんなに大勢のしかも既に考え方の固着してしまった連中の再教育など、自ずと不可能であるし、これに費やす税金の無駄である。であるなら、親の世代など見切ってしまって、変化成長の可能性のある幼少の子供達を対象に、日本人としての基本的な躾や基礎教育を施す方が、効果的であるし未だ希望が持てるのである。第二に、少子化の流れの中で、現在全国の公立小学校の設備にはかなりの余裕が生じている。教師も余剰化の傾向にあるという。そういう設備や人材を転用することで、幼児教育の環境を作るための予算は僅少に抑えることができ、国や地方自治体の負担増は少なくて済むであろう。地域によっては、伝統ある懐かしい小学校の統廃合の流れを食い止める効果もあるかもしれない。第三に、高齢者の生きがいの問題である。今のまま行けば、増加する一方の高齢者層は国の負債になってしまう。こういう高齢者をして、幼児教育の講師として積極的に参加してもらうのである。彼らは二世代以前からの伝統を受け継ぐ人たちである。こういう人たちに、親の世代の代わりに、わが国の伝統や、小市民としての躾を伝授してもらうのである。幼い子供達と日常的な接触を持つことによって、高齢者の方々も積極的な生きがいを感じることが出来、ボケや寝たきりの状況も相当に改善されることであろう。何より、子供達は彼らに接することで、親の世代では死滅してしまった、古来の遊びを再体験し、日本の伝統を改めて学び、自ずと長幼の序を身に着けることになるであろう。少し年長の子供達には、農作業や、鍛冶、陶芸、木工などの体験学習をさせるのも良い。のみならず退官した老教授に、数学や理科の本質や面白さを易しく説いてもらうのも、大いなる効果があるはずだ。そうやって考えると、上手い仕組みさえ作れば、幼児教育の義務化は、あながち悪いことではない。いずれにしても、国は法制化さえ終われば、後は余計な口を出さぬことである。幼児教育のカリキュラムなど、文部科学省などという夜郎自大が仕切ることは断じて許さない。国は大方針を定めるのが役割だ。今この国には、国民の一人ひとりが日本人としてのアイデンティティを自覚できるほどの方針が無い。国を統べるものは、わが国の将来を正しい方向に導くべき目標を模索し、国民に問い、一旦これが定まり、その運営を負託されれば、その推進に粉骨すべきものである。個々の細部においては、市井の識見ある者に委ねられるべきであり、前例主義に囚われた官僚などの容喙を許すべきではないのだ。すなわち幼児教育においてもその細目は、第三セクターなどの形で、権力や体制に依拠しない識者によって決め、運用されるべきである。何れにしろ、ジュニアとシニアの間を繋ぐ事によって、シニアを国の資産に転換でき、小国民の間に価値の多様化、伝統というものの意義、社会における序列・儀礼というものを根付かせることが出来れば、この国も暫く先になれば少しは良くなってくるであろうと思うのだ。今の幼少年の親の世代、つまり真正団塊ジュニア世代を作ってしまった親の世代であり、いささかの責任を実感する団塊の世代の一員としては、かような趣旨で幼稚園の義務教育化については、賛成なのである。
2006.01.02
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◇1月1日(日曜日); 旧師走二日 庚寅; 元旦いよいよ西暦2006年、平成十八年 丙戌(ひのえ ゐぬ)の年が明けた。関東地方太平洋側は、東北・北陸や山陰地方の連日の大雪を尻目に、大晦日までは意地みたいにピーカンの日が続いていたのに、年が明けたら一転うそ寒い曇天に変ってしまった。元旦はやはり晴れてくれないと、新玉の年の晴れがましさも二等くらい減じてしまう。カミサンが「お酒のおつまみが無いから買ってきて」とのたまうものだから、「元旦に開いている店なんてあるのかい?」と聞いたら馬鹿にされた。今時は、大抵の店は元旦から開いているのだそうだ。そういってカミサンは今朝とどいた分厚い新聞から、何枚も何枚もチラシを取り出し、「ほら、あのスーパーもやってる。このスーパーも。○△■寿司もやってるよ。ほら靴屋もやってるから、靴買えるよ。洋服も買える。電気屋もやっているから、パソコンも買えるよ・・・・」と際限も無い。「久しぶりに我が家でのお正月だから、分からないのでしょう。岐阜の田舎と較べたら駄目なんだから。」と。何なんだこれは!子供の頃、元旦と云えば閉じた鎧戸に新年の挨拶を貼り付け、どの店も押しなべてお休みしていたものだ。初詣に向かう道すがら、ひっそり閑として前日までの喧騒が嘘のような商店街を抜けていくと、お正月は非日常的な「ハレの日」であることがしみじみと実感でき、おろしたての着物の感触と共に、新鮮な気持ちになったものだ。学生時代、帰省をしないお正月などは、暮れの内に食料を買い込むのを忘れると、随分ひもじい思いをした。それが、この頃はコンビニが方々にあって、これは24時間365日営業している。でも、未だコンビにならお正月に営業していても許せる。元々コンビニはそういう趣旨で作られた店だ。しかるに、巷のスーパーや靴屋や洋服屋までもが、何が悲しくて元旦から営業しなきゃいけないのだ。元旦は、あまねく静かに休んで新玉の年を言祝ぐ日なのだ。初売りは三日か、せいぜい二日からやるものだろうに。第一つい昨日までは、「お正月の準備は出来ましたか?」と騒ぎたててものを買わせていたのだ。それが一夜明けて今度は越天楽を店中に流し、「おめでとうございます」で初売りかい?どの道売っているのは、晦日以前に仕入れたものだろう。これじゃぁ、静粛なるお正月気分など有ったものではないな。家の近くの禅寺の庭には、ムクロジの木が植えられてある。随分背の高い木である。ムクロジは秋になると実をつける。寒くなって葉が皆落ちてしまっても、青空を背景にして高い枝に実が付いている様は中々良いものだ。ムクロジの実は徒党を組まない。一個一個がそれぞれに枝の先を占領している。それが、更に時が経つと、地面にコロコロ落ちてくる。ムクロジの学名はSapindus mukurossiという。Sapindusは、Sapo + Indus。SapoはSoapと同じ言葉で、サポ→サボン→シャボン。つまりは石鹸と言う意味だ。ムクロジの学名は「インドの石鹸」という意味である。ムクロジの果実の果肉の部分にはサポニンという、これもシャボンと同源の名前の配糖体が含まれていて、これが石鹸と同じ界面活性の性質を持っている。それで、百年くらい前まではムクロジの実は本当に石鹸として使われていたのだそうだ。ムクロジの実は真っ黒で硬い。これを錘にして、羽根を縫いつけたのが追羽根の羽根になる。昔は元旦と言えば、珍しくも家族が顔を並べ、炬燵で蜜柑を食べながらすごろくをしたり、トランプをしたものだ。普段は子供の相手などする気遣いもない父親が、珍しくもぎごちなく「おい、百人一首でもするかい。」などと混じってくるものだから、子供心にも気を遣って「微笑ましい親子ごっこ」に付き合ったものである。外には近所の女の子同士が追羽根を突く、カンカンという高い音も聞こえていた。あのカンカンというのは厄除けの音であると共に、ムクロジを錘にした羽根はトンボの象徴だったそうだ。羽子板に突かれた追羽根が、カンカンと空中を行きつ戻りつする様は、トンボが田の害虫を捕らえて食べてくれるのに似て、その年の豊作を祈願する意味があったのだという。ところが昨今の少子化の影響が我が家の周辺にも及んだのだろうか、今では近所に追羽根の音など聞かれなくなってしまった。
2006.01.01
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