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命懸け
気紛れ
偶然
行き当たりばったり
風の悪戯
そんなものは
頼りにならない
なんてことは 重々 承知 してるの
それでもそれを
頼みの綱 にしているのは
それしか私には
残されていないからよ
大馬鹿者
それも わかってるわ
でも
それ を捨てたら
人生は 楽
でも
それ を捨てたら
私 じゃなくなってしまうじゃない?!
2011年11月23日記
”命懸け”に対して2012年の4月に・・・
○○命って、その人のためなら命を差し出せる、死ねます・・・
なんてことじゃないと思う。
命を誰か、何かのために差し出せるって、ある意味自殺よりも、
名目があって、"美しい"しね。
私は思う、
命懸けって相手が、自分が、どんな状態、状況であっても、
見守り続け、心を添い遂げることじゃないかって。
私が今、ここにいるのは、
自殺には
負けを負けとしてみとめられない惨めさ
を感じたからかもしれない。
負けること自体は、決して惨めじゃない
負けを負けとして認められないことが惨めで、
どうにもこうにも、それだけは
私は 我慢がならなかった
んだと思う。
そう 私の性 さが が叫んでいたんだと思う。
私はどうも 馬鹿みたいに懸命 にはなれるけど
賢明 には生きられない
自覚している。
でも治らない。
それを捨てたらどんなに楽だろうか?!
わかっている。
でも治せない。
でも、そんな自分を捨てて生きても無意味なんじゃない?!
今だってそうだ。
ほんの偶然 に身を委ね、心委ね
サダメのオッサンの気まぐれ次第だな、こりゃ・・・
ってなことに "命懸けてる" んです。
命懸けて、
日常っていう "化け物" と 日々対峙して "生きてる" んです。
っと追記した。
私はどうしても 、”人を疑う” ことができない。
勿論、状況や、その人の素行をみて、
”こいつは信頼ならぬ!”
っという場合は別だけれど。
そうではない場合はまず、人を疑えず、
それが原因で痛い目に遭うときが多々ある。
疑うことができずに、馬鹿を見るのだ。
痛い目というのは生ぬるい表現で、
泥の入ったバケツを頭上からぶちまけたり、
崖に向かって揺さぶられたり、
奈落の底へとストンと堕ちていったり、
そこで 蛇・蛙・魔物 を見ることもある。
これは恐ろしいことに、けっして大袈裟な表現じゃない 。
大馬鹿者 とはこういう者を言うんだろう。
それでも懲りない。
それでも自分のスタイルを変えないし、変えられない。
なぜなら
その部分を変えてしまったら、
私の 人格が破壊 されてしまうことを
私は知っているから。
それは、
実際に、現実的に、
自分の状況が窮地に陥るよりも
はるかに、はるかに、恐るべきことであるのを
私は知っているから。
熱の球 2017年11月21日
蜘蛛の巣の空 2017年06月12日
螺旋 (二) に記事を更新致しました 2017年01月10日
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