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二日間異様な風景の夢をみたのでメモしておく 一昨日の夢 大きな宇宙船に乗っていて、訓練をしていたようだけど、成果をはかるテストみたいのでまだまだ未熟だと言われた。 その宇宙船の大きくどどっと横長い窓から見える夜空のような空間の右側から左手へむかって一直線に、たしか四つだったと思うけれど流れ星のような光がゆっくりと平行に空を横切っていた。流れ星のような光は右手端までいったけれど消滅しなかった。 右手上に太陽のように明るい煌々とした光の大玉が、月のように減光、エネルギーを失っていた。その周りには黒い雲がたくさんあって、いまはまだその光を覆ってはいなかったが、時間の経過や雲の動向によっては暗雲に覆われそうだった。 今朝の夢 海岸上空から私は眺めていたが、海は大時化であった だけでなく、霙がじゃんじゃん吹き荒れ、海そのものも凍ってはいなかったがジャリジャリとした細かい氷の粒、霙状になっていた。色のない荒廃したとても厳しい状況だった。 こういう夢は私の個人的な出来事ではなく社会的、世界的状況を暗示しているように思う。 今、台風14号の影響が懸念されるけれど、世界的苦境なのかもしれない。 〖 追記 〗 この4、5日後に再び異様な光景を夢でみた。 先端が長く細くなっていて、下の方は裾広がりのようになっていて、三つぐらいに分かれていて、裾の端っこと先端がオレンジ色をしていたロケット三機のうちの一機が事故っていた。 どこかわからないが、地上に被害をもたらしていた。(以上 9月25日 追記)
2021年09月14日
大型バスのなかがイベント会場になっていた。 高校生が文化祭にやる出し物のようなイベントだった。棚のようなものを使って展示してあったのか……あまり記憶に残ってない。若い女性たちが作ったようだった。展示品など全く憶えてないけれどバスの窓からは明るい陽が差し込んでいたのが印象に残っている。 バスを降りたあと少し先に進むと、四、五年前に一度だけ奇妙な夢をみたT氏から細かい花が丸く囲んである曼陀羅のようなものを渡された。受け取ったはいいが、受け取ったとたんに、それは何かの暗号だか地図になっていて謎解きするイベントだったのか?という考えが急に私の頭の中に浮かんだのだけど、一人で解くの嫌だな、と思ったのに、一緒に解いてくれないかなと思った私の前にいた人はさっさと消えてしまっていた。ゲゲゲ、こういう謎解き苦手じゃん、と思いつつ曼陀羅の真ん中に書いてある文章を読み上げたら、そこに ふりがなが ふってある漢字のいくつかを間違って読み上げてしまい、 ふりがな わざわざふってあったの?…… 間違った読み方しちゃったよ……っと焦っていた。 以前に一度みた夢でもT氏の姿などは全く出てこない珍妙な夢だったけど、今回も曼陀羅を手渡された腕ぐらいだった。それがT氏だとわかることがなぜなのか?と疑問だけど、夢ではそう認識してた。 五年ほど前に短期間ネット交流があって、その後は音信不通なので、お元気そうで何よりです、と夢から覚めて思ったのだった。 ※ イランの大統領選挙終わりました。保守派の聖職者だそうでアメリカとの関係が懸念されているようです。正直な気持ち、ロハニ前大統領の八年間が、最低最悪だったので、誰がなってもこれ以上は悪くならないだろうし、悪くなったらイランかなり危なくなるんじゃない?といった気持ちです。投票率も悪く、コロナ禍ではありますが、その辺りにもイラン国民の政治に対する不満とか希望のなさが伺えるように思います。
2021年06月20日
昨日の朝気になる夢を見たので書き留めておく。 【これまでに危険な行為をして世界的に有名になった男性が、上空から飛び降りるチャレンジを試みたが今回は飛び降りたとたんに彼の失敗は明らかだった。 急降下していく身体は五層ぐらい彼の身体を受け止めるように張られた紙製のポスターのようなアメリカの旗、星条旗だったが次々に彼の身体はそれらを突き破って加速して墜ちていき、最終的に彼の身体は形状をとどめていないほど無惨になって地面の上に着く。】 この半年から数ヶ月の間にアメリカの威信が根底から覆されるような事件が起きないといいと思う。 私はアメリカの肩入れも、イランの肩入れもしない。ただただ両国の国民の平和と安全、人権が守られる世界を望んでいる。
2020年01月23日
5月に二つの夢を見ていた 20170523夢覚書 2017-05-23 01:13:46 今朝の夢 多分日本ではなく、此処だったと思うけど 小路を歩いていたら二人の小学五、六年生から中学一年ぐらいの男の子が二人遊んでいた。 私は彼らにこう言っていた、 明日は雪だから今日のうちに思い切り遊んでおいた方がいい そこで夢から覚めた。 雪は苦難の意味がある。 彼らの未来に一抹の不安を抱いた。 息子が成人するぐらいの世の中が苦難、困難を負っていないといいっと願った。 夢覚え書き20170530 2017-05-30 14:43:52 今日は最悪の目覚めだった。 この前の夢も此処に苦難がもたらされる夢だったけど、 今朝も同じような夢だった。 息子は病気で私は軍服に着替えて戦場に赴くというもの。 十年以内にこんなことが起こらないといいと切に願っている。 けれど夢は単なる夢だから.... っと思い直したのだけれど、 夢を見たあと、イランには2箇所でテロ事件が起きて犠牲者が出て、今朝はイランがシリアにミサイルを発射したと報道していた。 戦争にならないことを願う。
2017年06月19日
昨夜御見舞に伺ったら、義姉1は子宮癌のため子宮を摘出した後は、貧血が酷いようで痩せてしまっていた。 彼女の旦那さんの非常に悪い夢を二か月前、そして約ひと月前に二度も見たのは、彼ではなく、義姉のこの病魔を示していたのだろう....などと思うようになった。 2月9日 8:58 今朝も長い長い夢をみた。サウジアラビアの日用品の多くを生産する工場は中国が掌握していた夢をみた。 両国間には強固な繋がりがあり、そのほかにも何かあったように感じたが、私はどうしても核心には行き着けなかった。 2月9日 9:03 instagramと楽天の画像調整機能使用
2017年02月09日
先月二十日にも長義姉の旦那さんの悪い夢を見ていた。 柘榴のように片方の目が膨らみ血にまみれて弾ける夢。 今朝もまたその人がのったエレベーターが落下して亡くなる夢を見た。 近く渡航予定の末の娘が泣き叫んでいたから近いのか? もし警告夢だとか予知夢だったら、早いと数ヶ月、だいたいは一年ぐらい、遅い時は十年後(一度だけだけれども、十七の歳に見た夢が二十七歳になって正夢となった)で、その夢の意味がはっきり現実世界の出来事としてわかる。 義姉には朝一でメッセージして、できればお布施するようにと、イラン式にお伝えした。 何事も起こりませんようにとただ祈った。 追記: 昨日見たある方の夢では、すぐにはどうこうなる訳では無いけれど、汗のにおいからご持病を感じた。 私の持病も治らない。そういう病は少しずつでも油断すると進行し、進行が早くなってしまう。普段の生活で馴れ合うことなく、できるだけ良好な関係を保てるよう気遣い、付き合っていくべきなのだろうと思う。
2017年01月12日
十月から見た夢の覚え書き 今朝は、義母が大量の野菜と果物を食べて治癒しようとしていた。これは良い夢のような気がする! 10月23日 9:08 今朝は夢の国にさ迷い込んでいた。ある部屋の数箇所をチェックしながら数人で清めていた。浄めは一定期間だけ有効で清めても再び穢れていくのだろうけれど。夢の中では穢れは腐ったアルコール成分のようだった。 10月31日 7:12 深い闇の巨大な老木の根元の異様な盛り上がりは蜥蜴の巣窟。小魚が群れなし横切るように、光に向かって移動してた。波が寄せて引くようにそれが繰り返されてた。蜥蜴の色は黒から光る濃紺へ変わった。 11月4日 7:01 十月二十三日に義母が大量野菜をたべようとしている夢を見てた。その後漢方のようなイランの民間療法、食事療法や薬汁、薬油のようなものと祈祷治療をしていた義母は放射線治療はしてなかった。 その療法に効果があって癌の進行力を示す値が夏のはじめの頃と同じぐらいまで下がって来てた。ところがここ一週間は気がゆるみ再び食べる量が増えて120ぐらいだった血糖値が倍増してしまった。喉元過ぎれば…なのか…。 今朝は一番上の姉の旦那さんが何かを食べ、その後十年ぐらい前に手術した目が、潰れた柘榴のように大きく膨らみ血走り赤黒く化膿している夢を見た。彼も血糖、脂肪、血圧すべてに問題があり肥満。要注意。警告夢だろうと思うのでやんわりと義姉に一応伝えておく。 12月20日 9:27 今日の一曲 Lush life 歌詞内容は共感しないけど〜 過去より今という部分は共感する。 しかし今というものは、過去も未来も含有してるから全くの別物ではなくて同じものの角度が変わったもののように私は感(観)じてる。 曲始まりのベースがカッコ良い!! テヘランは近い山が再び雪纏い、冷蔵庫状態。 今夜は冬至の前夜を祝うイランの行事 shab_e Yalda ミックスナッツ 柘榴 西瓜を食べながら おばあちゃんちで昔話を聞き、 偉大な詩人ハーフェズの詩集で一年の占い、、、日本でいう初詣のおみくじ引きのようなこと....をする。 にほんブログ村
2016年12月20日
2016年7月、8月夢覚書 以下7月14日記 相変わらずバタバタと時間に従い手足を動かしている。 汗グッショリで一休みしていてふと、 はて、去年の今頃は何をしていたんだっけ? っと。 ところが思考だけではちっとも思い出そうとしても思い出せない、何ひとつ! 私はそういう愚鈍な記憶力しかなくて、 (だから日記のようなものを小学生の頃から書いているのかもしれない。) 現在に繋がっている過去だったら、今という瞬間と突如繋がることで引き出”され”たり、 あるいはふと、霊感のように浮かび上がってくるような、そういうものだけが思い出”され”、 そのほかの記憶は私の意識の湖の底に沈んで行くがままにして、 沈みきったら底に一応あるんだろうけど、湖面からは見えず、光も注がず、潜んでいるだけとなっている。 夢などで思い出させてもらえるのも、深い底に沈んで掬い上げられない、 私の過去の記憶やら経験を哀れんでの、神様のお計らいのような気がしないでもない。。。 今朝(先月14日の朝)は、以前勤めていた私立の女子高校の校長先生の奥様で、 小学校と幼稚園の校長・園長を兼任されていたO先生と、 私が務めた四年間のうち、私が所属していた学年の主任をされ同じ国語科を教えていたT先生(女性)の夢をみた。 (T先生は会社でいうと、三年間私の直属の上司という立場でいらした女性) 最後に私が高校二年生の担任をしていたときには、 校長先生の代行でらしたのか?園長先生がいらっしゃり、九州一周の修学旅行にいった懐かしい思い出がある。 O先生とT先生のお二人は私的にとても仲がよかったけれど、 夢の中でも双子のようにみえる笑顔で私に語りかけてくださっていた。 夢の中でお二人は私に、美の個性を隠すのはおやめない っと教示してくださったように思う。 既製の上着、コートを上に着てしまっては、その下にどんなものを着ていても(下着姿でも)外からはみえないけれど、 それは、オリジナルのもの、オーダーメイドのもの、そして自分の美的感覚に従って選んだ柄やスタイルのものを着ていても、 上っ面をみているだけの人には決して理解してはもらえないのよ っということを仰っていたのだった。 夢から覚めた後、再び私はお二人のご冥福を心から祈った。 再び っと記したのは、数週間前に私は彼女たちのことをふと、想い出してご冥福を祈っていたからのこと。 もしかしたらそれで私のところにわざわざ足を運んでくださったのかもしれない。 以上7月14日記 今朝(8月2日)の夢 両足の指が全て、爪の両側が白く腫れて化膿していた。 痛みはその足の指の状況を視覚的に判断したことで、 こりゃ、、、痛いなあ、と認識したような痛みだった。 右の親指だったか、中指だったか?。。。の爪にちょこっと触ってみたら、 その爪はするりとそっくりそのまま外れてしまった。 こりゃ、酷い!と思ったけれど爪の下をみたら、 弱々しく薄いけれど新しい爪がすでに伸びてきていた。 おそらくもう生命はなかったと思われる旧い爪を、 形だけでも患部を覆っておいてよかった、 そのおかげで今もう柔らかい爪が患部を覆っているんだ・・・ っと思ったところで目が覚めた。 この夢の意味もなんとなくわかった。 爪を失えば歩行が苦痛で困難になるけれど、 全ての足の爪を失ったものの、新しい爪がすでに伸び揃っていて、 しばらくの間、あまり負担はかけられないけれど、 歩き続けることはできるであろうということ。 おそらく爪を傷つけて、抜け落ちるまでの今までのほうが痛みは大きかったかもしれない。 その痛みでさえもわたしはおそらく気がつかないで過ごしていたのだろう。 歩行とはおそらく 旅路 であり 人生 なのだろうと思う。 昨日の朝、息子を学校へ送り届けた時に撮影。8時(サマータイムなので通常時間の7時)まではまだ涼しいので、お散歩がてら徒歩で送る。
2016年08月02日
今朝の夢 海岸にいったら干潮で車を駐車しようとしたら大津波がきた、 その時は車に乗ってなくて、 あっという間に波に巻き込まれ、死を覚悟した。 心の目のようなもので周囲をみると、目の前に高い絶壁があり、 波がその絶壁の上まで私を持ち上げたとき、壁の上に脱げ道があるかもしれない。。。 っと思っていたら目が覚めた。 〜その後に見た夢〜 どういうグループか定かではないけれど、私をある部屋に監禁しようとしていた。 わたしは相手の隙をみて逃げようとしたら、相手は大きな包丁をわたしに突きつけた。 わたしはその人に、わたしを監禁しようとしている人は○○氏? っと訪ねたら彼は、 そうだ っと答えたので、 ○○氏と話がしたい っとわたしがいったら、彼はわたしの提案をきいてくれそうだった。 ****** こんな夢をみるからといって、わたしはテレビも映画も、フィルムもほと~~~んどみない。 日本の大津波の映像をみてそれからテレビをみなくなったから。 それでもきっとあの時の衝撃が、わたしに刻まれているのだろう。 そしてまた、夢というものは物語や映画と変わらない、フィクションだと思っている。 けれど、この二つの夢をみて、 わたしたちは当たり前のように明日を予定するけれど、明日の保証などはこの夢のようなもので、当たり前に訪れ過ぎていくと思い込んでいる明日などというものは、きっと幻想に過ぎないのだろう・・・ っと思った。
2015年11月29日
喜ばれぬ 招かれぬ 場に迷い込む 身の力抜け なよなよと床に崩れ落ち 頭(こうべ)垂れ 声立てるをも能はずして 涙ばかりとめどなく落つ そこ わずかながらも わが居場所はあらずして 夢なりとも こころもとなきわが身と覚ゆ ************ 喜ばれない 招かれていない ところにわたしは迷い込み あまりのいたたまれなさに 全身から力が抜けて へなへなと床に崩れ落ち 気おくれして頭を垂れ 声を立てることさえも気がとどめ 涙だけがとめどなく流れ落ちてきた わたしが迷い込んだ場所には 僅かばかりも わたしの居場所はなく そこは夢の世界ではあったが つくづくわが身、わが存在とは 心もとなきものだ と思われる(のだった) にほんブログ村
2015年10月12日
2週間ぐらい前にへんちくりんな夢をみていた。大学時代に住んでいた安下宿所の廊下のようなところだけれど、私が住んでいたところよりももっと広くて廊下だけれど踊り場のようで、そして大きな窓があって、陽光がたっぷり差し込んでいた。そこには生育したみかんの木よりも、少し小さくて細い感じの木が置いてあった。大きな植木鉢のようなのに植えられていた。その下宿所にわたしは住んでいたのか、いったいどうしてそこにいるのか?定かではなくて、たまたま私の意識がどっかから飛んできてそこへ引き込まれたか?といった感じで、気がついたらその木を眺めていたのだけれど、今思い出すと、廊下に足をつけて眺めている角度からは眺めていなかった。たぶん、わたしの意識は風のようで、風が木の横を通りすぎるように眺めていた。その木にはたくさん枝があったし、その枝には若芽よりも少し成長したぐらいの葉が、たくさん生えているようにみえた。しかしよくみてみると、そのたくさんの若芽は、ちっちゃなイモムシだったか、毛虫だった・・・えええ~~~~~~、この若芽と思っていたものはみんな毛虫????っと思ってギョッとしたところで、私は目が覚めたのだが、あんまり目覚めが良くなかったので、忘れられない夢だったが、記事にはしていなかった。そしたら、昨夜ネットでたまたまみかけた全く存じ上げない方の記事に若葉の時期に毛虫がついてもその後その木は葉を青葉をしげらせていて、それはその木の生命力でそれこそが野生だというようなことが書いてあった。わたしには自分が見たこの夢の意味がさっぱりわからなかったのだが、この記事のおかげでなんとなく理解できたのだった。すずなりの毛虫もろとも芽を吹きぬ若木が命の逞しきこと確かにわたしが2008年から憧れる強さとは、まさにこの生命力にほかならない!ただしあれだけの毛虫・・・・よほど自然治癒力のような強さがないと、青葉を茂らせることは不可能?!夢と全く知らない方の記事がリンクしたのはこれが2回目一体どうしてこんなことがおこるのだろうか?っということも今後わかってくるのだろうか?にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年03月14日
20150311夢覚書下宿先にいるようだったけれど定かではない。両親と母方の祖母(3人とも故人)が何処かへ先にいっていて、私と二人の姉は一緒にいくことができず、それでは後からそこへ向かうからという感じだった。何処へ行くのか憶えていないが、何処かボーリング場のようなところへ遊びにいくイメージがあった。私は下宿の部屋に戻っていた。どういうわけか私はその出かける場所へ布団だか、ベットを持って行きたかったようだった。しかしそのベット(セミダブルぐらいの大きさだった)はところどころ水たまりがあった。あらら??濡れている・・・っとふと上をみると上の明り取りのような窓が開いていて、青空が見えていたが、おそらく昨夜は雨が降ってその窓からベットへ降り注いだのだろうっと私は思った。これでは無理ねっと、濡れた布団を片付けた。片付けが終わって外出着に着替えようとした。ズボンを履き替えはじめ、ふと誰かに覗かれている気がした。後ろを振り返ると、壁の隅に小さな窓があって、男性二人と目があった、すぐにズボンを上にあげたけれど、ああ、太ももを見られたかな・・・っと思った。(この夢に限らず、私は夢の中でシャワーを浴びたり、着替えたりするときに、誰かの視線を感じ、見られているということが度々ある)部屋を出て姉二人のところへ向かう途中で、二人の若い女性にお金をかしてほしいだったか、助けて欲しいと言われた。私は、これから出かけるのであまりたくさんは渡せないなあ・・・っとおもいつつも3万円ぐらいもっている裡の3千円ぐらいは渡したように思う。姉二人とおち合ったときは、両親と祖母が出かけてから、かなり時間が経っていて、今いっても間に合わないか・・・今回はもう遅くて無理ね。っと思っていた。姉二人の方が私よりも、両親・祖母の方へ先に向かっているような気がしたけれど・・・そんな夢だった。今振り返ると、想うことはいろいろある。でもそれは予想の域を出ないものだけれど。おそらくお金が足りないからと頼まれたときにもっとお金を与えていたほうがよかったのだろう・・・夢の中でお金というのは、苦労や辛苦、重荷なんだろうなというのはずいぶん前から感じていた。所持金全てを与えていたら、私の苦労やストレスは全てなくなっていたかもしれない。しかし・・・お金は辛苦・苦労ではあるが、なんというか、おそらく現世と己を引き止めるもの執着心でもあるのかもしれない・・・っとこの夢をみて初めて感じた。執着という言葉は、ほとんど良い意味には取られない言葉だけれど、私はこの執着心によってこれまで3度命を助けられたことがある。おそらく、、、両親と祖母の向かった先とは死後の世界なんだろう私はそこを、、、娯楽施設かなにかだと感じているらしい。布団というのは財だろうと思う。死後に財なんて持っていけるわけがない。また濡れていてもっていけなかった、その処理で死出の旅に出遅れて見送ることになる。所持していた全てのお金を、若い女性に与えることができなかったのは、先行きを案じたためで、まだまだわたしは現世でやるべきことがあるのだろうし、そしてそれを私自身なんとなく意識しているのだろうな・・・っと想った。おそらく、、、執着心、金銭を含めた財というものを軽視している私に夢は、、、あんたこれがなかったら、あっという間にあの世行き、あるいはこの世にいたって、気分はあの世で、生きてるんだか死んでるんだか、わかんなくなっちゃうじゃない。もうちっと執着心と欲をもって、この世の苦労と背負って、苦労と裏表の楽しみも感じて生きなさいな~ってな感じの夢なのかもしれないっと勝手に想った。今日は3月11日。大震災で亡くなられた方々のご冥福を心から・・・ただし、亡くなった人のためにも精一杯わたしは生きるということは全く思わない。なぜなら、大震災があってもなくても、わたしという命も亡くなった方々と同様、一瞬先には命が奪われるかもしれないから。そしてまた精一杯生きることにも対して、さして(まったく?!)重要性を感じていないから。わたしはわたしができること、することをして日々過ごすのみ。そしてそれこそがおそらく わたし以上でも、以下でもない、等身大の生き方 ということなのだろうっと想うから。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年03月11日
夢覚書いつごろからだろうか・・・多分、3・4年前からだとおもうけれど、大学生で大学の構内で学んでいる自分の姿を夢で何度も、何度も何度もみていた。おそらく5年ぐらい前には、大学に入るために勉強の代わりに試練を与えられている夢も数回みていた。山岳の集落にある学び舎のような中で、そこは学び舎でありながら山あり谷有りで、非常にバランスを取りにくい場所を這っていったり、落ちれば高いところから急直下というところを綱渡りをしたりして、ある場所を目指しているのだった。そんな夢をみてから、大学に入学したときの夢をみて、その後大学に入って数カ月の夢をみて、去年だったか一昨年からは大学の場所がかわったので、半分ぐらいは終わったんだなというのはなんとなく感じていた。最初の場所の夢も数回、場所が変わったあとは4・5回夢をみていた。最初の場所はカレッジぐらいの広さで場所も僻地だった。それが後半期を過ごした?大学はディズニーランドの広さの総合大学のような感じで、それがいつしか、全国の大學が共通する知識や情報の部分で、連携共有するような、かなり大規模なuniversal大學のようなものになっていた。数日前に久々にこの夢の続きをみた。数多の学生が就職活動に躍起になっていた。学生たちは大学のある場所に貼られた求人票に集まって、一生懸命求人票を目で追っていたが、わたしは求人票を真剣な眼差しでみている大学生姿をどこか醒めたように眺めていたのだった。不思議なことに知り合いや、友人は一人もいなかった。これまで大學で学んでいるところなど夢でみていたが、友人、クラスメートなどはできなかった。わたしも卒業学年であるようだったが、一生懸命な皆の姿をよそ目に、就職先を探す意欲をまったくもっていなかったのだった。夢の中では、夢の中の大学生の私と、その私を傍らでみているわたしの意識のふたつをわたしは わたし と感じていた。夢はそこまでで目が覚めてしまったのか?あるいは、そこまでしか憶えていないのか?よくわからないが、記録しておくことにする。夢 というカテゴリーは、これまで私が見てきた夢についての記事となっています。今日の空 民族楽器稽古帰りに撮影 アララ。。 2013って画像に。なんで気づかなかったんだろう。(゚O゚)
2015年02月19日
昨夜、わたしのブログにご訪問なさって、コメントまで頂いた方、昨日だったか、一昨日だったか文字で言葉を交わしたばかりの方のブログをお伺いし、拝見した記事の中に・・・・無条件に愛せ 今 無限に愛せ 今 今愛せ 今 今愛せ大きなうねりとともに男はふたたび消えたもう戻っては来ないのだろうか(中略)冷めたお茶をすすっている場合ではない以上、引用<(_ _)> (こちらの文章は去年11月4日にアップなさっていました。)っと記されてあって、正直わたしはギョ~~~~~~~ っとしてゾぉ~~~~~~~~っとしました。わたしは去年の12月の20日過ぎに、こんな夢をみておりましたから・・・ある方が、とても優しい瞳で私を待っていてくださいましたが、秘書の方を通して私に一緒にいこう、まだ?まだ?っという催促を3回ぐらいなさったのです。でもわたしの手にはお茶碗にいれられた、冷たい甘い紅茶がたっぷりのこっていて、それはその方(わたしに一緒に行こうっとおっしゃっている方)が、わたしのために煎れてくださったものなのですが、それを私は一生懸命飲み干そうとします、でもなかなか飲み終わらないのです。紅茶を飲み干したらいきます。っとわたしはお答えしました。3回目に 行こう っと促されたときには、まだ冷たいお茶を半分しか飲めていないのです、一生懸命ごくごく飲み干しているにも関わらず・・・そしたら、待ちくたびれたのか、その方は、どこか別の場所で待つのか、またないのか?わかりませんでしたが、そこから去って行ってしまいました。私の両手には、まだ冷たい甘い紅茶が半分のこっている、湯呑み茶碗がありました。名も顔もつゆぞ知らぬ胸の裡我はさまよふ夢路てふものにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年01月14日
2014年9月29日夢私は足元に波打ち際のように水が流れる場所にいました。その水は引き潮のように私の前方に向かって流れていました。けれど海辺のように平らではなくて、私は高台にいました。水の流れは、高台から、私の足元を通って、前方の海へと注いでいました。それは、川の浅瀬のように澄んだ水でした。私はイスに座っていました。座っていた椅子を、水が海へ注ぐギリギリのほうにまで寄せて海を眺めながら、イスのバランスを左右に傾けながら、私は遊んでいました。私の他にも観光客のような人もいましたし、後から気がつきましたが、私の家族もそこにいました。イランの北、カスピ海の方のような観光地にいるのかな?と私は想いました。時刻は夜でした、暗闇でしたが、夜の海が見え、私の前方に広がっていました。ところがしばらく前方の海をみていると、、、沖のほうから高波があらわれ、高波は高く、高く、壁のようにムクムクと起き上がりました。これは大きな津波がくるな、、、っと思ったとき、私の背後から、突風が吹き、バランスを傾けていた私のイスを吹きあげました。”まずい” っと思ったけれど、あっという間の出来事でした。私は、迫り来ていた高波と荒れ狂う波に向かって、椅子ごと、海に向かって右側前方に強風に吹き飛ばされ、舞い上がりました。その瞬間、家族も周囲にいた人も誰ひとり、私が吹き飛ばされたことに気がつきませんでした。吹き飛ばされながら、夫に助けを求めたけれど、時すでに遅しでした。私の身体は、宙に舞上げられ、椅子に座っていたところから、20~30mは離れたところにいました。私が吹き飛ばされたことに気がついても、もう誰も私を助けることはできない、ああ、今度こそ確かに私は死ぬのだな と、己の下方(50mぐらい下)に広がる、荒れ狂う海を見ながら、私はおもったのでした。荒れた、濁流のような海面を見ながら、否、これは夢 だ っと私は思ったのでした。そして目を閉じてもう一度、これは夢だ。っと念じたのです。すると、私のカラダは直下して、地面のような感覚の場所に降り立っていたようで、私の意識は、布団の中に横たわっている身体を意識し、そこで目が覚めたのでした。 にほんブログ村
2014年10月06日
”脳による知覚とその共有” ということを書いたことに関連があるので、以下の記事(1・2ヶ月前に書いていたんですが、掲載をためらっていました)をアップしておきます。異次元や死後に関しての書類なども2作品ぐらいしか読んだことのない私が、これまた漠然っと、全く何の根拠もなく、感じていることですからあしからず<(_ _)> こころ在る 限り という記事の追記です。故人との思い出というのは、実際に故人の思いや意思・意志がその時どうだったか?は 別として、故人の思い出を抱いている人の解釈・受け取り方ではあってもそれはその人の心に存在していて、何かの折に思い出したときに、影響を与えますからね~。私勉強してないもんで、輪廻転生 というのを認めると、必然的に因果応報も認めることになるんでしょうけど・・・私の考えは、輪廻はたしかにしていたなあ、、、と思うけれど、因果応報という考えが薄くなってます。来世は、過去世によって決まる のであるから、輪廻は因果によって生じるとみるのが一般的なんでしょうけれど、なんか、、、、たとえ私が死んだ後、再びどっかの時代のどっかの誰かに生まれ変わってもそれは偶然且つ必然であった故 とおもうんですよ。亡くなった人のもの(亡霊)であれ、生きている人のもの(生霊)であれ霊魂ってみられるべきものではないのですよ。これらを科学的に証明せよ っというお題は、それこそナンセンス 。なぜならば霊魂がみられない理由は、科学的な理由に因るからです。だって次元が異なるんですもん!でもそれでも科学的には解明できない現象によって霊魂を意識の状態によって、意識レベルをテレビのチャンネルを変えていろんなテレビ番組を見られるように変えて、(あるいはラジオのフェレカンスを変えてラジオ番組が変わるように)異次元の風景をみられることがあるんだと私は感じてます。それは見るだけでなくて聞く、匂いを嗅ぐということまで含まれていて、しかし、これらの知覚、五感によって認識しているっと、身体に慣れてしまった私達には感じられたり、思われたりしてしまうことも、もともと、この次元では存在しないものの存在を認識してしまうことが、意識のレベルの変化によってチャンネルが切り替わってしまうことによって起こったことだから、決して視覚や聴覚などの身体の五感によって認識しているものではないんだと私は思ってます。意識のレベル、意識のチャンネルを意図的に、リモコンを片手にテレビ番組を切り替えるように切り替えられて、異次元を旅することができる人がこの世にはおそらくたくさんいると私はおもっていますが、私はそこまでできませんし、したいとも思いません。なぜなら、私が知るべきこと、見るべきことであったならば私のほうから働きかけずとも知らされ、見させられるものであることを、私は知っているからです。霊魂というものは死者、生者の区別なく存在するのだろうと私は思います。そしてそれに付随しているその人の心や思いも 生きている人の思いがあるように亡くなった人のものも存在しますが、なくなっている人の身体は存在しませんから、思いという意思や意志があっても生きている人の世に実際に影響を与えることは、なかなかできないと思うのです。**************霊魂にしても、幽霊、亡霊にしても存在しているとしたら、なぜ、私達には見られなかったり、存在を感じられなかったりするのか?また、たとえ幽霊や亡霊が存在しても、この世のものに、直接働きかけることができない(一般的に未来を知りたい人に教えたり、恨みを晴らすために何かをしたりすることができない)っと私がかんがえるのはどうしてか? っということについてもう少し記します。今あなたがたが目の前にしている空間、あなたが存在している空間には、あなたとあなたの視界にはいっている空間に存在しているもの、例えば、あなたの家族、パソコン、コーヒーカップ、書籍など・・・だけでなく、同時に四次元、五次元などの世界も広がっていて、次元の異なるものも同時に存在してるように、私は感じています。この三次元の世界だけと思っている世界や空間は、実は角度を変えてみると、全く同じ場所に違う次元の世界が存在しているように私は感じているのです。おそらく身体をうしなって、意識や心や念だけになった存在には、3次元の私達の世界が見えるものもいるっと、私は思うのです。ではなぜある次元の存在は異次元の存在に働きかけることができないのか?2次元である、紙に描いたりんご、如何に本物のように見えても、私達にはつかめませんよね?それからテレビやパソコンの映像の中にも、我々は入っていけません。それは身体が存在しているからです。次元の異なる存在の関係も同じことが言えるのだと思います。身体のある3次元体の私達をつかもうとしても、身体をもたない亡霊や幽霊にはつかめない、彼らにとっては、3次元のものは紙に描いたりんごなのではないか?っと。逆にテレビの映像の方は、身体のない魂、時空を超える彼らはおそらく、テレビの映像を思い描いただけで、、、、瞬間的にそこへ行ってるわね!っと想うのです。(夢の中では、私達はその異次元の壁を楽に超えることができてしまいます。あるいは、意識の状態を異次元のチャンネルに意図的に合わせられる人は、身体をこの次元に置いたままに、意識を異次元に飛ばすことが可能でしょう。)・・・っとここまで書いたんですが、死者がなんとか生きている者に自分の存在を伝えようとするときこの世の一瞬という短い時間に働きかけることは可能かもしれないなあ・・・っという感じは無きにしも非ずっと私は思ってます。私は父の存在を感じたときに、思いもかけず父の自筆の字がかかれたホワイトボードが突然倒れたことがありました。その時のことを記事にしたものは こちら です。まあ、もともとホワイトボードは立てかけられていて、不安定な姿勢ですし、重さもありませんから、そういう風の力で動かせるぐらいの力を、異次元の存在でも、一瞬時にこめることはできるのかもしれない・・・・っとは感じています。 にほんブログ村
2014年09月21日
日本の匂いって?もちろんひとつじゃないです。それは日本で過ごした時間や、場所や、季節などの匂いでもあります。日本の洗濯洗剤で洗ったタオルとか、和食の食材とか、日本の製品の匂いやら、それはそれは、い~~~~~っぱい!その匂いを知覚しただけで、1枚の絵をみるように事細かに、私はある場面での、いろいろな事柄を想い出します。その時のお天気や、空気の状態、温度なんかも、その匂いひとつで脳裏に思い出されるのです。また逆に、ある言葉に脳が反応して、はっきりと”ある匂い”を感じることがあります。匂いや味や音って、五感で知覚するだけじゃないようなのです。五感で感じたものを脳は記憶していて、言葉を思い出すように想い出させ、実際その場に匂いのする食べ物や、植物がなくても、動画をリプレイするように思い起こさせるようなんです。なぜなら私は夢の中でも、匂い、味、音、色、そして肌で知覚する感触のようなもの(ザラザラやサラサラの感じ)まで知覚していて、夢から覚めたあとでも、それらのことを記憶しています。霊現象といわれるものは、異次元の存在を見るとか、物音が聞こえるだけでなく、匂いを感じることがあると私は思っています。この場合見ている、聞いている、匂いを感じているのは目や耳や鼻ではなく、脳がダイレクトにどっかから発信された電波のようなものをキャッチして、知覚しているような感じです。異次元のものを見て、聞いて、匂いを感じたときは、私の場合は、これは次元の異なるものだろう、これは五感、カラダで知覚していることではないだろう、っということを察しますから、それらのものを、この次元のものと思って誰かに話したり、となりの人に尋ねたりすることは、まずありません。なぜカラダではなく、脳を通してある感じを覚えるのか?その土台となっているのは、、、脳が記憶したデーターの共有 というものかもしれない、っと最近感じています。そんなことを考えると、もしかしたら・・・死後はもちろんお金や家は、持っていけませんが、人の心に共通している喜怒哀楽、強い心象だけでなく、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の五感、カラダを通して知覚して脳に刻まれた感覚の記憶も、カラダが滅した後にも、持っていけるのではないか?っと私は考えているのです。そして私が死んだとして・・・私の魂は、生前カラダを通して知覚して、脳に刻まれた感覚を、息子なり、誰なり、この世界に存在する者の脳の中に記憶されている感覚を通し、利用(共有)して、あることを伝えることが、できるのかもしれない??!!!なんて漠然と、けれど大真面目に・・・奇人変人の我は、想うのでした。にほんブログ村
2014年09月19日
画像は コチラ 無料壁紙より拝借お彼岸にはまだ早いようなのですが、数日前には亡き両親が揃って、そして今朝は一昨年になくなった母方の伯母と母方の祖母(祖母は母がなくなってすぐに他界)が夢にでてきました。※ 私と息子が外出して戻ってきたら、両親は揃って あゝ帰ってきたのね!戻ってこないかと思った・・・っと泣き出しそうなほど喜んでいました。私は、え?なんでそんなに心配してるの?まだ夜の8時にもなってないのに?すぐに帰ってくるって言っておいたのに???っとビックリしていました。(以上メモ替わりに内容を記します)こちらとあちらをつなぐ道の扉の鍵はおそらくもう開いているか、緩んでいるのだろうと思います。それとも私がウロウロ徘徊しているのか・・・(’◇’)?!とくにお彼岸を意識しているわけではないんです。春のお彼岸はイランの新年と重なるので、思い出すことが多いのですが・・・亡くなった方へのメッセージ、(30年前に亡くなられた方、もっと昔でも全くもって構いません。あちらとこちらでは時間の流れが異なりますので!)今の時期は壁が薄いのだろうと思うので、メールをタイプするように、心から発信なさって亡くなられた方が心安らかにいらっしゃるよう、お祈りして差し上げてくださいませ。*** *** ***ふと思ったのですが、異次元への扉が開くのと、地球と太陽の位置が関係してるのかな・・・?などと思ったのです。そしてそれはお盆やお彼岸の近くになると、こちらとあちらの壁が段々透けていく?のかな。早いときで1ヶ月も前から私はそのことを感じることがあります。↑ これらのことは私が、漠然とそう感じているだけですので、あしからず。にほんブログ村
2014年09月14日
7月25日の記事のコメントにも以下のように記したのだが・・・*** *** ***最近は、夢ばかりです。かつての同僚の大先輩・・・私が退職するときに60歳前後だった方々の夢をみます。おそらくお亡くなりになっているのだとおもうのですよね。母の夢も続けて2日みました。こちらと彼岸は、案外近いのですよ。どういうわけか、まだお盆には早いのに、私のアンテナはあちらの世にチャンネルが近くなっているようで、夢をみると、それがピッタリあってしまうようなのです。目覚めたあとはご冥福をお祈りしてます。*** *** ***この時の母の夢は、どうも母は未だに 自分が頑張らなければ娘たちは・・・っという強い想いを持っていて、彼岸でもその思いに囚われているような気が私はしていた。母は急逝したけれど、母がなくなったあと1年ぐらいしたころだったか?真っ白いブラウスを身にまとった母の夢をみたことがあり、母は いつでも苦しいときには、 神は偉大だ と唱えなさいね と私に夢で伝えてきたことがあったから、母は自分の死を受け入れているのだろうと私は確信していたのだ。が・・・ どうやらまたこっちにもどって来ているような気がしたのだった。目が覚めたときに、”お母さん、もう心配しなくていいのよ、3人とも娘は大きくなって、そして嫁にいったんだから、もう、お母さんが心配することはないのよ・・・”という気持ちを伝えたのだった。それで、先日実の姉ふたりとチャットしていたときに、連続して母の夢をみてどうも母は・・・ということを知らせた。そしたら下の姉は思い当たるフシがあるようだった。実は私も、、、母は下の姉のことが心配で、彼女の傍らにいる、そして下の姉を心配しているうちに、昔の自分の強い情を想い出し、母は自分でも気がつかぬ間に、それにとらわれているのではないか?っと感じていたので、姉二人も、母にもう心配しなくていいのよ、ということを伝えて欲しいとお願いしたのでした。そしたら今朝再び母の夢をみた。母は私が5・6歳ぐらいの時の若い母で、ノースリーブのロングワンピースに厚底のサンダル靴をはいて、フィンガーファイブの あきら のようなサングラスをかけて、ショートヘアーにしていた。夢の中で髪の毛を長くしているのは、苦労や心労が強いことを意味するので、短い髪の母は、心労から解放されたのだろうと私は思っている。そして、私服ではまず、着ることはなかった黒い色を身につけていた。母は、夢の中で私と息子がいた道路の反対側にいて、道をわたってこようとしていた。そしたら、父が母が来た道路と交差している小路から現れた。父も母と同じぐらいわかく、やはり墨染のTシャツをきていた。こちらにやってこようとした母に、父は何か語りかけ、道をわたってこないようにしているように、私には感じられた。私はこの夢をみて、母はこの世の心配事(姉のこと)から解放されて、父の存在に気づき、自分が亡くなっていたことも思い出して、父とともにもといた彼岸へ、戻って行ったのだろうと私は思ったのだった。Kuche Marvi (768x1024) posted by (C)maryam f dにほんブログ村
2014年08月01日
今朝、久しぶりに面白い夢をみて憶えていたので、メモがわりに記す。いつか、この夢の意味がわかるかもしれないっと思って。夢は相変わらずみているのだが、最近は夢を憶えておこうという気が薄れたからか、こんなところにいたなあ・・・っと目が覚めたときに思うが、それ以上詮索しないことが多い。今朝もうろ覚えだがそれでも憶えているところを書こうと思う。こうして書いていて思ったのだが、最近私は夢で少し先の世界へ行っていることが多い感じがする。おそらく亡き母と一緒にいた。どこか、、、町おこしのテーマパークのようなところのゲートを通っていた。中には子供服を売るお店があった。2階建てでたくさん子供服が置いてあるのをみた。私の視点はどうもその店の2階と同じ高さにあった。あれ?甚平さんが売ってる。息子が欲しがるかな?っと思ったら、横に母がいるのに気がついて(夢のときにはこの時に母を認識した)母は、あの甚平さんを息子に買ってやりたいと思っているのも感じた。母と二人で、人工的な公園の池のようなところだが、公園の池よりは、小さなプールぐらいの大きさ円形で深さはないが、直径7.8mあっただろうか・・・にいた。水は浅いけれど、その中に座っていた。けれど不思議なことに水の感触もなく、濡れたりすることはなかった。少し離れたところに、噴水をおいてあるような、少し高くなっている場所があって、そこには子供達が50人ぐらい集まっていた。その中を息子がひとりの男の子に追いかけられていたのだが、実に器用な身のこなしをして逃げていた。追いかけていた男の子は、どうしても、どうしても息子を捕まえることができなかった。追いかけっこをしていたところは、カウンターテーブルのような高さの狭いところで、やはり円形をしていた。息子はそこを器用にすばやく、ぐるぐる回って走っていた。私は息子がその上から足を踏み外して怪我をしないか!!っと気が気ではなかった。しかし最後まで息子は捕まることはなかった。それを評価されて、追いかけっこが終わったあと、息子は子供達の誰かから、大きなケーキのような菓子パンをふたつ手渡されて、私のところにやってきて、それを あげるよ! っといって私に渡した。手渡されたパンをビニール袋を開けてみたら実に美味しそうなパンだった。それを母に勧めたけれど、母はいらない っといった。私はそのパンを一口食べたか食べなかったか記憶にない。視点がその小さなプールのような池に移った。水はとても綺麗で澄んでいた。不思議なことにその池の中にはたくさんの木が生えていた。まるで根っこがそのまま枝になり、枝がどんどん分かれていってたくさんの木になったようだった。水中はそういう枝でびっしりだったけれど、まだそれほど水上にでて枝を伸ばしているわけではなかった。私の近くから男性の声がきこえた。隣に存在を感じるというよりは、テレビの中のナレーターの声を聴くように、どこからともなく私に語りかけていた。その声は、、、、この村は、以前自然災害にあい、村で大切だった(何で大切だったかは定かではない、民芸品なのか、生活なのか?、ただ未来世界だったようだったので、薪にしていたわけではないのはわかった。おそらく村の産業の資源だったのだろう。)この木が壊滅状態になってしまっていた。人々はこの木を復興させようと、何年も、何年も一生懸命になって作業していた。ところが不思議なことに、この池から、人が何もせずとも枝が生えて、枝は瞬く間に枝分かれして、そこから新芽が出てきて、その枝はまたいくつもに分かれ、急速に広がっていったのだった。みると、水の中から息子の脚のような細い枝がみえ、それが次々に枝別れしていって生育していく様がスライドショーの画像のように私には見えていった。どうやらここは日本のある町のようだった。なぜならその木の名前はどういうわけか、 ”つむぎ(積む木・積み木)”という名前だったからだった。夢の中では 紬??? っと想って あれ? っと思ったのだが、あれは 積み重なるように生えていく木 という意味もあったのかもしれない・・・っとこれを書いていて想ったのだった。なんとなく・・・今後日本が震災で大被害を受けた土地の復興が、思いもかけず、急速に進んでいく、しかも人為的にではなく、自然の力、土地の力、水の力で、それが町、村の復興を支えるのではないか?っと想った。ぜひ、そうあってほしいもの・・・っと私は願っている。頑張れ、ニッポン!!大和の土地、大和の国、大和の国の人々!!✿おそらく林檎の花❀ にほんブログ村
2014年04月20日
一昨日見た夢小川のようなところに、女性数人と私がいた。小川をよくみると、青白っぽいサワガニが沢山いるのがわかった。私はそこにいた女性にあら、カニが沢山いるのね~っと言ったのだが、彼女たちには見えなかったようだった。そして、えっ?こんなに沢山いるのに見えないの?私は自分の足元にいた一匹を掴んで彼女たちに見せようとした。掴んだカニは私の左腕に爪をたて、その爪は白い薔薇の花びら程の大きさだった。痛みはなかったが、毒がある。。。っと感じた私はその白い爪を抜き、傷口を強く押した。そしたら、トロトロとした水っぽい黒い色をした液体が私の腕を覆った。それを拭って、まだ毒が残っていると、再び強く傷口を押したら同じぐらいの量の液体が出てきた。そこで夢から覚めた。蟹: 争いごと っという夢だったのだが、 この夢は、なんとなく空手に関することではないか?っという気が私にはする。 私に関することなのか?夫に関することなのか?わからないけれど、とにかく、ふと気がついたことがあっても、それに誰も気がついていなくても、それを顕わにしてしまうような言動は控える。しばらくの間は傍観するに止め、行動に移さないようにしたほうがいいかもしれないっということを感じ、それを夫にも伝えた。にほんブログ村
2014年01月28日
IMG_3374 posted by (C)maryam f d夢は、現世よりも 意識 が強まる世界ゆえに、夢は、幾重もの次元とlinkしている意識による 啓示 である場合も多々ある。こいつは知らせねば あるいは 知らせてね!っということで夢を見る場合もある。イラン貨幣が暴落する前に、価値があったものが、紙切れ同然になるっというイメージの夢を私は見ていたことがあった。(この夢のことも記事にしてある)しかもそれは私に必要ではなく別の人に対する、知らせねば あるいは 知らせてね! だったりもする。そう言う意味では上様(異次元からの意?)は、私の脳みそや、夢を見る という点での私の視覚を媒体にして何かを伝えているとも言える。夫婦や子供の場合は、最も近い あなたであるわたし であり、家族というのは、一心同体・運命共同体 というところがあるからか、これは私がよく あなたもわたしも元は一緒!っといっていることを miniature にしたようなものだからなのだろう、夫が今後出会う、彼にとって(彼にとっては、私にとってになるのだが)重要な出逢いの場合、あるいは 重要な出来事の場合は、私を媒体にして夢の中で伝えてくることが多々ある。一度や二度なんてもんじゃないほど!その夢の中で私は、 彼(夫)の視点や立場 で物事を眺めてもいる。最初の頃は、おそらく私自身の予知夢か?っと思ったけれど、登場人物や、夢の中での場所を考えてみるとどうもこれは私ではなく 夫(あの人) のことだろう・・・っと分かる。そういう夢を夫に話すと、私よりもその夢の場面、登場人物夢が暗示しているであろう内容を明確に理解することがほとんどで、夢を見た私の方が、夢での場面や印象が強いので、現世における夢の意味の想像がつかないこともある。以前、全くお顔もしらないブロ友さんの夢をみたときも、その方のお姿を夢見たというより、ある場面は、私はその方の視点(カメラ)で夢の中の景色や状況をみていた。(ただし、それがわかったのは、その人がその夢の場面で眺めていた場所を撮影した画像を見たときに初めて理解したことだが)そういう誰かの視点と、もう一つその場全体を広く見渡している、ある意識による視点が混在しているような夢だった。その夢をみた1ヶ月後にその人がそれを経験したことを想うと、私は夢の中で、確かに時間も空間も、(所謂個人という意味の)己の枠さえも超えていたということになる。この時夢の場面でみた場所は、日本だったが私が一度もいったことのない土地だった。私の中の ある意識 が 一体どうして 夫や、その顔も知らぬブロ友さんの視点 と重なるのかは未だにわからないが・・・意識 が多次元にlinkし、時空という壁を簡単に乗り越えられるのだろう、っということは理解できた。最近だと、ブロ友さんのこうこさんが高幡不動にお参りに行かれる記事を1回拝見した頃だったか?ある夢をみていた。この夢はこうこさんに関する夢だろう、っというのは、一度でも高幡不動へのお参りの記事を私は拝見していたので、目覚めたときにわかっていたのだが、しかし、一体なんだったんだろう?っと言葉にしてその夢を説明することは難しかった。私は大学時代に確か一度だけ、今は亡き伯母と高幡不動に行ったことはあったが、ただ、花(菖蒲だったか、紫陽花だったか?も、記憶にない(;_;))が、美しかったのを憶えているだけで、夢にみた場所をまったく記憶していなかったし、夢に出てきた場面があとから判明した時も、私は通りすがったことさえあるのか、ないのかわからないし、記憶として残っているのは、こうこさんの夢だろう・・・っと想って見た夢の、それも高幡不動に近いある場所というよりも”位置”だけだった。夢にみたある場所がどこであったのかがわかったのは、その後こうこさんが、お参りの記事の続編に掲載なさった画像の一枚を拝見した時だった。高幡不動参道と記されたゲートの左側の一角を、私は夢でみていたのだった。私の夢の中では高幡不動参道とかかれたゲートの左側の角に、道祖神か何か?が祀られているようだった。miniatureのように小さいながらも、そこにはきちんとした鳥居があり、聖域であるちっちゃなspaceには一つの白い可憐な花が祀られていた。不思議なことにその白い可憐な花には葉がなく、葉も複数の花で象られていた。その鳥居があった場所から1・2軒先からは、小川なのか?でも排水路のように、水が乳白色に濁る様に流れていて、どうも私にその場面をみせている何か?はその川?水の流れの汚れは人の営み、商売?のせいでそうなったというのを伝えてきていたのかもしれない。道祖神が祀られていたところに流れるように、人が商売のために、排水路をつくったのか?あるいは元々小川と道祖神があったのか?夢では判明しなかったのだけれど、そこにあった聖域は人の営みの中に揉まれて、姿をなくしてしまったのだろうと想う。けれどそのかつての場所に、現在もとどまっている エネルギー は存在するのかもしれない。それが何を意味しているのかさえ、残念ながら私にははっきりわからなかったのだが、わからなくても良いことだと想っている。ただ、 何か? が私にそれを伝えてきたので、私のお役目は、それを私の言葉でこうこさんに伝えるだけなのだから。その道祖神はこうこさんがお参りなさる姿をとても喜んで眺めていらっしゃるようだった。清楚可憐 という言葉が相応しく、かつてそこに祀られていた何か? からはそこを追いやられ、人に自分の居場所であった聖域を消滅させられたからといって怨念を抱いているというような意識は、私には微塵にも感じられなかった。ただ、その場所におわしたことを、そしてそこから こうこさんが清い心でお参りにいらっしゃる姿を嬉しく見守っているっということを伝えて欲しかったのかもしれない。にほんブログ村
2014年01月22日
IMG_0184 posted by (C)maryam f d我々が脳を媒体にして、多次元とlinkしていると述べる明確な根拠はないが、脳みそをある状態にすると、ある意識の状態を作り出せるということは感じている。たとえば、脳みそを 夢の意識の状態 のフェレカンスに合わせると、見た夢をリプレイできることが多くある。おそらく信じ難く、私が空言を書いていると思われる方も多いということは私も承知しているけれど、普段の生活の中で、できるだけ心をぬるま湯に突っ込んで、心の働き、感情の起伏を抑えていくと、心の働きゆえに、日常では深い湖の底に石をつながれ突っ込まれてしまった意識 を 潜在意識から顕在意識 に引き上げることが可能で、表面化させた状態の意識で、夢と現を眺めてみると見えて来ることで、特殊なことではない・・・と私は思っている。誰でもこの意識は持っており、ただそれは湖の底で静かに姿を潜めているだけだから。しかし、意識を自由自在・変形自在にさせるには、ある訓練が必要なのだろうとは思うけれど。私も意識の存在には20年も前から気づいてはいたが、それを顕在させる試みは、つい最近始めたばかりなのでこのことに関しては記すことができない段階。意識 というものは、幾重もの次元に通じている故に、想像を超えてずっと広く、深く、高いものなのだろう・・・っということを感じている。おそらくそれは 己 とか 我 とか言われる魂の個別性を、遥かに越えるものではないか?っという気がしている。私はここ1年ぐらい、ボケっとしているときに閃光をみることが増えている。それは突然あらわれ、始めのころはフラッシュのように瞬間的な、短いものだったが、最近は1・2秒ぐらいは明るい状態の光を感じる。これは見ているのだか、感じているのだかわからない。五感を通じてではなく、脳みそのどっかがダイレクトに知覚しているように感じている。そしてここ半年ぐらいは、あるメッセージが繰り返し、繰り返し私を包み込むように送り込まれてくる。そしてそのメッセージはいつも同じで愛しているっといういうもので、突然満ち潮のように押し寄せてくる。この ”愛している” というのは I Love You とは訳せないもので、主語も、目的語もない文字通り唯、”愛している” っというメッセージ。私はあなたを愛している、あなたは私を愛している私は世界を愛している、世界は私を愛している宇宙、彼、彼女、それ、これ、あれ、、、、、あらゆる主語と目的語が可能な愛している っというメッセージ。このメッセージに一番近いものは、数年前にみた夢で誰かを探して、苦労して辿り着いた場所は海岸でその人の姿はなかったが、その時海は引き潮だったのか、広大な干潟と、その奥にある海の輝きのまぶしさに驚いたものだった。驚いたら、そのまま私は知らぬ間にどんどん意識が上空へ舞っていてあっという間に、下方に広大な輝く海を、光り輝く鏡のように感じるところまできていた。私が向かっている上空は、熱は感じないものの、おそらくこの世ではありえないような、ものすごい光を放っていて、その莫大・広大・見たこともないような光を、下方にある海は、鏡のように反射して輝いていたのだった。その中間点にいる私は、双方からの光で清められ、禊をしているような気がしていた。(この夢のことは 禊 というタイトルで詩にしてある。)ものすごい光であったけれど、不思議なことに眩しくなかった。それは、私自身もその光の一部になっていくような、光を海のように反射するのではなく、吸収する、あるいは光に私が同化していくような感じだった。そして、 愛している っというメッセージと、この時の夢での体験は、全く同じことのような気がして私にはならないのだ。にほんブログ村
2014年01月21日
ダマヴァンド山 posted by (C)maryam f d普段から心をボケ~~~っとさせていることで、夢の中でもボケ~~~~っと眺めていることができるようになったからか?夢をみてもあまり気にせずに(心にかけないようにしながら)夢を見続けているうちに、どんな夢をみるか?夢の中でどんな言動をするか?っということと、現世での通念、(現世での通念というのは、肉体を有するがゆえに当たり前のように想っている事、たとえば、重力の影響や、今・ここっという時空に肉体としての我々が存在すること、我々はそれらの定義なしでは存在できないものであるっという一般的認識。)というものが、密接に関わっているんじゃないか?っということに気がついた。夢を見ていくうちに、これから気がつくことも多々出てくるのではないかと思う。現という日常の体験や経験、あるいは書物から学ぶように、ある意識として夢の中で存在できるようになると、夢幻??などといわれている空間に於いても、今までわからなかったこと、気がつかなかった事など、いろんなものが見えて来るんじゃなかろうか?っと私は感じている。私は空手から非常に多くのことを学んだ。その中で最重要なことは 弛緩 ということだった。空手や組手 で最重要が 弛緩??? っと思われる方も多いかと思うが、視界という意味では、相手の顔、相手の目、相手の胸元を見るというのではなく、視点を定めずにボ~~~っと眺めている方が、視野が広くなるのは確かなことなので、是非試していただきたい。それは視界というだけでなく、極限状態の時ほど 心がぼ~~~~っとしている方が、火事場の馬鹿力 が出しやすいことに気がついたのだった。心、感情を動かさない方が、的確な状況判断ができるのだ。感情に捕らわれず、状況を眺める意識 と、状況を踏まえそれにどう対応するか思考して、体に指令をだす脳みそ との、連携が良くなるようで、感情が動いていないと、身体に力も入らず、脳みその指令通りに体がよく動く、っということに私は気がついたのだった。そしてこれは夢の中にいるときも同様だった。人は飛べない っという囚われは、夢の中で顕著になる。飛べるなんて思うのは馬鹿げている、っと思っている人は夢の中でどんな緊急事態が起きようとも、飛ぶことはできない。だから、”弛緩” ということは、現だけでなく、夢・異次元に於いても、重要なポイントではなかろうか?と私は感じている。(これを感じたからこそ、常に心をぬるま湯に浸けておくべし!っと私はこれだけ執拗に、書き綴っている。弛緩を妨げるものは、感情の動き、動揺にほかならないから!)先ほど、感情に囚われず、心を弛緩させると、状況を眺める意識 と 状況を踏まえそれにどう対応するか思考して、体に指令をだす脳みそ との、連携が良くなるようで、感情が動いていないと、身体に力も入らず、脳みその指令通りに体がよく動くっということを記したが、脳みそ というのは不思議なもので、思考は感情とも違うし、心とも違う。しかし脳みそは、身体や本能と重なる部分もあるし、心と重なる部分もある。脳みそは心と体の間に入って、それらを統括しているイメージか?だから脳が感情に支配されると、大変なことになるのではないか?同じように、体・本能に脳が支配されても、大変なことになるのではないか?脳は感情・心の動きを眺めてないと、的確な判断ができなくなり、身体をうまく動かせなくなるし、体の欲求ばかりをきいていても駄目・・・現と夢との間に、壁を設けなければ、このように現世で察知したこと(組手をしていて気がついたこと)を、夢の世界で試すことができ、夢と現の連携プレーが可能になる。その連携のヘッド となっているのは、、、、まさに ヘッド と呼ばれる 脳みその働き ではなかろうか?っと私は睨んでいるところ。脳みそを媒体にして、瞬間(幾重もの次元)と我々はlinkしているんではないか?っと。厳密にいえば、、、、脳というのは肉体を有する期間限定の媒体ということで、脳も身体もなくなった、肉体の消滅である、死を迎えた状態であっても生前に 脳みその働き として行われた 幾重もの次元とのlinkする という働きは停止することはなく、ある方法で常に多次元と結びついて、送受信しているものではないか、と想っている。そしてこれが、 死は肉体の消滅ではあるが、完全なる終焉ではないっと私が感じている理由でもある。(脳と多次元との結びつきの詳細は、日常では深い湖の底に沈んでいる、潜在意識がよく知っているような気がしてならない・・・)そして身体を有している間は脳を媒体にしている多次元とのlink機能は、いつでも、どこでも変わらない 魂の特質 とも関係しており、脳を媒体にした ある働きの経過 を多次元との送受信によって記録している、ある記憶保管場所(異次元のどっか)と連結しているかもしれないっと感じている。この送受信のことを私はinspiration(霊感)と思っている。にほんブログ村
2014年01月20日
Baidu IME_2011-12-20_10-49-58 posted by (C)maryam f d ここ1年程は、夢をみても気にしないようにしていた。夢は心が動くと見るものだろうと思ったからで、私はできるだけ心は動かさないように、、、っと心がけていたから。そして、夢は記憶に残っていたが、よほど、印象的な、変わり種の夢でなければそれらは記事にしないでいた。しかし、2013年の12月頃からか、再び頻繁に夢をみるようになった。私は2ヶ月程前(2013年の11・12月)に以下のような夢をみた。私は、学園都市のような、大学が一箇所に集まった街のようなところに居た。この総合大学都市のような場所は数年前から夢に頻繁にでてくるようになった。数年前は、私は入学したてのようだったが、最近は大学3・4年生ぐらいになっているように感じている。学園都市の風景は夢によってかなり異なるのだが、共通しているのはそこはディズニーランドのようなだだっ広い場所ということだった。私は講義を受け終えて、帰宅するところだったが、課題をこなすのに必要な書籍が入った鞄を学園内に忘れてきてしまったのだった。それに気がついたときにはもう夜になっていて、大学は閉鎖され、かろうじてスクールバスのようなものが運行している時間だった。私はそれがないと課題はできないし、どうしても課題はこなさないといけない、帰宅が遅くなれば、父が心配するだろう(私は大学時代は安アパートで一人暮らししていたのだが)しかし、どうしても書籍がはいった鞄が必要だ、守衛さんに頼んで中に入れてもらうにはどうしたらいいだろうか?守衛さんがいるゲートを探して歩き、守衛を見つけ、頼んでみたのだが、守衛は、こんな時間にゲートを開くことはできない っと言っているようだった。私はどこか、、、、学園内に入る抜け道はないものだろうかと思案するが、抜け道を見つけて敷地内に入ったものの、出られなくなったら、家に帰れず、父が非常に心配するだろうし、、、っと冷静且つ論理的にカバンを手にする手段を”あれこれと思考”してた。しかし、どう考えても鞄をいれたロッカーまで行く着く手段はないと諦め、最終のスクールバスの座席に座って、ボケ~~~っとしていた時だった。私の傍らにはいつの間にか、息子ぐらいの小学校3・4年生ぐらいの男の子がいたのだった。その子は、すました顔で私に向かってはいよ!っと言って私に鞄を渡した。それは確かに私の鞄ではあったけれど、そのカバンには課題で必要な書籍は入ってなかったのだった、ありゃ、そのカバンじゃないんだな・・・っと私が想った瞬間に、それじゃ これ?ってその子は私の目の前で、私が手に入れたかった鞄を出現させたのだった。そして彼はほら、こうやるのよ、ここでは想ったことが、想い浮かべたように想ったようになるの・・・と言ったのだった。***************この夢で、私達の意識を囚われの状態にしているものは、肉体ゆえの重力だけでないっということが私にはわかった。現実の中で飛べると信じるかどうか、ということが重要ではない。夢の中で飛べること、水面を歩くこと、瞬間移動すること、欲しいものを思い浮かべるだけで、掌におさめることができるっと、”知ること”が重要なのだ。但し、これが夢の中で自在にできるようになるには訓練が必要であろうと思う。夢の中では自由自在っと豪語している私も、いざ夢の中で何かを探そうとすると、、、現世の理にこだわるのだから、言うのと、やるのは大違いなのだ。現世では肉体とともに、時間と空間にも我々は縛られているのだが、夢の中では肉体も、時空のあり方も イコール 意識のあり方 なのだ。意識が自由自在、変形自在であればあるほど、姿かたちも、時空も無限に広がっていける世界である っというのが夢(異次元・思念の世界)の通念なのだ。私の助っ人さんとも言える、オチビさんは夢の中で、私にそれ(夢・異次元での通念)を教えてくれたのだと思う。少し前にも意識が変形自在 であるためのことについて触れた1.心をぬるま湯につけておいて、できるだけ感情を動かさないようにする2、現象・事象を、幸不幸など相対的にみないこと3、日々を、時間を、瞬間の連続という意識ですごしてみるっと書いたのだが、このことに関連して次回は、夢と現の連携・脳みその働き ということについて触れたいと思う。にほんブログ村
2014年01月19日
2011年5月23日に以下のような記事を書いていた。この時に打たれた膝は、現在は回復しているが、この後水がたまり、かなり長い間私を煩わせることになった。***************夢の中でのルール 夢の中での限界 魂関係 昨日ディフェンスでうけた膝の大打撃は大袈裟ではなかった。あれからずっと夜中も痛む。膝の内側を打たれたはずなのになぜか膝の裏の外側、ふくらはぎの外側から下へずっと足首の外側の筋が痛む。止めてよかった。限界を知ってよかった。でなかったらしばらく練習できなかっただろう。今でも練習するには支障があるように思われる。限界ということで、、、、今朝の夢は私に 夢の中でも 限界があることを指し示していたように思う。今朝の夢山頂へと続く長い長い階段があってその麓に私と誰かがいた。私はここから真っ直ぐあがると山頂に至る。私は息子とここへきて頂上まであがったことがあるとその誰かに語った。誰かはわからない。男か女かも?しかしあがっていったらまもなくすると、なぜかその階段は非常に道幅が狭くなり私はぎりぎり無理をすればあがっていけるだろうけれどその人と一緒にあがるのは無理だと思われた。私はそのことをその人に告げた。息子と登ったときはただの階段だったのだが、多少高い階段だったが息子と私は空手の練習をするように軽やかに登ったのに。彼(女)にはその道は開かれていなかったのだった。そのあと誰か(私より偉い人)の前で、、、私は絵を描いた、私のほかにももうひとり女性がいて描いていた。私の絵はいつも私が描くようにゆっくりでなくさっさっさとクロッキーするように描いた、私にとっては大した出来ではなかったがなぜかその男性の偉人は私にわからないように私と彼女の作品をゆっくり二つに折りたたんでポケットにしまった。私はインドネシアかマレーシアにいた。現地人のイスラムの少女は私を中国人移住地域へと導いた。彼女はそこで 武道か舞踊を習いたかったのだが、彼女は自分の言葉と英語しかわからなかったため中国人たちと意思の疎通がうまくいかず、コミュニケーションもうまくいかず悩んでいた。それを打ち明けたとき私ははじめて彼女が私に助けを求めていたのだとわかった。夢の話はこれでおしまいなのだが、どうやら夢の中では人間関係ならぬ魂関係というものが存在するらしい。最近私は夢でいろんな魂に出会う、そして多くの魂から、助けを求められている感じがする。その魂は生きている魂なのか亡くなっている魂なのか未熟者にはわからない。しかし、しかし、夢の中でも限界がある と思ったのだ。私は3週間ぐらい前に見た夢の中で、 息子ぐらいの男の子を自分にいる側に引き入れるために、いくらガラスの戸をあけようとしたが開けられなかったことからもわかる。そして今回の夢の中では、山頂に至る階段も私と息子には開かれていたがそこへいきたがった 誰か には 道は閉ざされていたのだ。たとえ私が案内役を頼まれても、いくら手助けしようとも・・・夢の中でさえも、きっと助けられることと助けられないこともあるのだろう。そんなことを私は はっきり 感じた。でもまだ夢の中でのルール、理とはどのようなものなのか?は理解してはいないけれど。そういうルールの存在を初めて 感じた。****************以上引用(多少内容が理解しやすいように訂正している) その2につづく にほんブログ村
2014年01月18日
IMG_2140 posted by (C)maryam f d私が記してきた一連の記事から、人を迷わし、誑かす思想 っと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これまで何回かに渡って述べてきたのは 認識を打ち破れ! っと私が書いたのには、こんな想いがあるからなんです・・・っということでした。*****死については全ての終わりっと考えていらっしゃる方へ:私は、眠っているとき、に見えていない 今生(こんじょう)・現実の日常生活 というものは 幻 だと想ってます。この世で意識不明・心臓も、呼吸も止まっている臨死状態(高校二年生の時に経験しました) と一般に言われている状態に私がいたとき、私には肉体はありませんでしたが、 ”意識” だけがありました。私の意識はいわゆる 現実 と言われている世界には確かにありませんでしたが、それは現実と言われる世界を認識する 意識 がなかっただけで、”別の次元での意識” はありました。その時私の場合は、実在といわれている現実世界の風景は、夢がごとくすっかり全てが消えてましたが、はっきりとした、明瞭な意識はありました。死といわれている状態も同じです。肉体の消滅でしかなく、”魂””意識” は消滅しません。 (魂と意識 は 私の中では異なるのですが、ほとんどの場合ワンセットで活動してます。)→ 唯、私が体験したことを、他人様に押し付ける気持ちは毛頭ございません。死は終わり 現実世界だけが実在するもの といった、うつつ で当たり前に認識されること、このように認識されるべき!だと当たり前にこの世で思われている、ことこそが私には まやかし だと感じられるだけで、そんな風に感じること、そんな風に感じている者が存在すること、をお伝えしたかっただけなのです。私にとっては うつつ にいると、どうも圧力や縛られることだらけ・・・に感じられてならないのです。そういうふうに感じている、奇人変人も存在する、っということを、私はお伝えしたかったのでした。私の、異端性 は今始まった訳ではありませんが、この年になってようやく人様にそれを明かすことを恐れなくなった、、、っとは言えるとは思います。*****誤解を恐れず言えば、人を誑かして悪い道へ落とす、そういう力がある教えもあると言うことです っというcommentがあったことに関して: 誑かす教え、、、(これは私の記事を暗喩しているのかもしれませんが、)そういうものは、別に 怪しい宗教だけではないですよね。信じてみたい という気持ちが人にはありますから。 学校でも 信頼 誠実 愛 なんてものを小学校でも中学校、高校、大学でも教えるわけです。信じたあとに裏切られたり、叩きのめされた後、どうしたらいいか?ってことも教えずに、人を信じなさい、それが人としての道だ!っといった感じで・・・ そして実社会にでてみると、 信じた方が痛めつけられ、心をズタズタにされることも多いんです。みな エゴ を持ってますから、これは当たり前といえば当たり前かもしれません。しかもそれはちょっとした友人とか仲間、知人といわれる人ではなく上司とか、先輩などという人から、”教育” という名のもとに 叩きのめされる場合もあるわけです。そして 信じた私がバカだった・・・ と思いつめるんじゃないでしょうか?そういうことから酷く心を傷つけられ、打ちのめされた経験は私にも多々御座いますが、そういうことが多々あるから、 人を信じるな! と私はいってるんじゃないんです。(相手は教えてあげてるから有難いと思え、これは愛の鞭!っと本気で思って、ご本人様は無意識で、相手の心を傷つけている場合も多々ありますから。)そういうことは日常にゴロゴロしていたりします。世界の嫁姑問題の大半などはこういうもんではなかろうか?と想うぐらい本当にこういうことはゴロゴロしてます。もちろん嫁姑問題に限った話でも御座いません。親方と・弟子、教育機関や会社の後輩・先輩、教師と生徒、親と子・・・自我 が芽生えたときから、こういう問題は避けて通れないのが、人の道 とも言えるでしょう。でも、そういう相手様ご本人も愛のムチと錯覚して、痛めつける厚意の好意の行為 に、不本意にも自分(私)がすっかりそれを優しさなんだ、ありがたいことなんだ!などと、信頼を置いたり、誠意を示したりしたことによって、あとからひどい目に遭う、心が悲鳴を上げ、ちぎれちぎれになるほどに痛めつけられたり、窮地に陥っても、信じた私がバカだった! などと、心を打ちのめされるのではなく、心はぬるま湯に漬けておけばいいんじゃないか?と申し上げているんです。人の世というのは 冷酷 な部分もあって、レイプされたり、事件に巻き込まれても、自己管理が悪いとか、いじめを受けても いじめられる方にも原因があったとか、地震災害を受けたことにも、天からの戒めだ!などと被害者の心を粉々にするようなことを言う輩が沢山いますから!!!眺めている意識 別の位置にいる意識 は どんな事柄からも、どんな人からも、傷つけられたり、ダメージを与えられることはないのだろうそんな風に私は感じています。(魂の方は 心 とワンセットであることがほとんどなので、ひどく傷つけられることが多々ありますが。)無実の罪を着せられて自殺を装い殺された私、子供ができず、三行半を突きつけられ夫と引き離されて、それでも夫への愛が深く、あまりの哀しさと恋しさから気が狂った私、ヨーロッパのどこかの国で、8歳ぐらいの女の子だった私が大男に追われて、散々命の危険、逃げる恐怖を味あわされた末に、大きな腕で無理やりにつかまれて、捕まえられ、彼に向かって泣き叫び、彼に”もしも手を離さなかったらあなたの血管に歯と爪を食い込ませてやる”っと叫んでも逃れることができなかったような、その時代、時代に生きた遠い過去世において、確かに私の魂は、心とともにひどく傷ついているのだろうと感じたのです。しかし、その悲惨だった自分の前世をたとえ夢であっても、どこかで眺めている、ある位置にいる 意識 を認識することで、その深い心の傷から離別することができるのではないか?夢の中で意識であった私は、この女の子が追っ手から身を潜めて、恐怖におののいているときに、地面すれすれに身を伏せている彼女を、自分の身体のようなオーラーのような意識で外側からすっぽりと抱きしめるように覆って、追っ手の目から護ってあげることもできました。現実だったら彼女の身体を追跡から護ることはできませんが、そのオソロシイ経験によって、遠い過去の一点において、それを経験したときから、傷ついたまま凍りついてしまった彼女(彼女は別の時代の私なのですが)の心 を、意識である私 は ”時空を超えて” 護ることができるのです。おそらく私は夢の中で、過去世で幼い時に酷く傷つけられた自己の心・魂を、ある位置にいる 意識 によって救済していたのではないか? と想われるのです。異次元・多次元とlinkしている意識には、長い時を経て傷ついた心、その心を負っている魂を、労わり、温め、認め、抱きしめ、救うことが可能で、自身のある意識は、己の心 と 己の魂 を理解し、救済し、解放させることが可能であるっと私は想っています。にほんブログ村
2014年01月11日
IMG_2142 posted by (C)maryam f d塞翁が馬 は終わりがないんです。結果よければすべてよし! っといいますが、結果を何処と規定するのか?原因が結果を生み、その結果がある原因を生み、そのある原因がまた別の結果を生む・・・・これが因果関係の正体です。っと前回記しましたが・・・物事を線で考えていくと、 疲れてきますよ!私は 死 さえも 終わりだとおもってません。肉体は消滅しても、魂、私というものは 不滅 です。死は肉体の消滅ですが、、、、別の次元での始まりなのです。だからこそ 線で物事を考えると、、、、キリがない!まるで、底なし沼に脚を踏み入れて、囚われているような、宇宙に終わりはあるのだろうか? って考えるのと変わらないようなそんな感じがしてます。輪廻転生 でさえそうです。因果応報に囚われると抜け出せない。輪廻転生はあるのでしょうが、そのことに囚われるのはいけない・・・前世の悪行が、今生に影響しているのだろう、、、っと自分が今、難病に冒されているのは、前世の悪行のためであるっと、自身を責めている同級生がいますが、難病に耐えている上に、自身を責めるんです。しかし、私はそうじゃないと思っています。自身を責めることなどない っと。因果応報というより、今生や来世に影響を及ぼしているのはその時代、時代に、受けた心の衝撃や、心の辛苦、痛み なのではないか?っと私は想ってます。それが魂に付随して傷を負っているように感じます。私・ワタシ・わたし という魂は不滅 と書きましたが、一体どんな事柄があってここまで心と体が傷ついたのか?っという細かな鮮明な記憶は、生まれ変わる時になくなっても、心と体が傷ついた、辛苦、痛み、衝撃の 傷跡 を 魂の中に刻み込まれて生まれ変わるからではないか・・・ っとワタシは感じています。前世や、その前の前の前の前の前の世でも深い心に受けた、あるいは作られた傷は生まれ変わったときの状況や、体験によって再びその部分を傷つけてしまうと、炎症をおこし、病が発症するのでは?っと。悪行によって来世不幸になる、、、 という感じよりも、その時代に受けた、あるいは作った心の傷や衝撃による痕(あと)が死後や来世に悪い影響を及ぼすっという感じがするのです。だからこそ、どんな状況、どんな経験をしても 心はぬるま湯 に浸けて心が傷を負わないように、日常生活をやり過ごすことが大事なのでは?っと・・・説明が長くなりましたが、そういうわけでその次、三番目に現実と言われている世界で私が心がけていることは、物事を線で考えるのをやめよう! っということでした。これはどういうことかといいますと、物事を、線ではなく 点の重なりとみるようにしてます。点 とは 瞬間 です。時間 という 間 を度外視するんです。因果関係から、そしてもっと大きな枠の因果関係である、輪廻転生を度外視して、長い・長い・長い時代を経て傷ついている魂、いろんなものに囚われている魂によって制限を受けている、”意識” を自由にしてあげるのです。そのために 瞬間 の連続と考えるのです。これは去年 inspiration のように浮かんできたことです。そして、生も死も、すべては厳密な意味では存在しない、実在 するのは 瞬間 だけ!っと今、私は考えるようになったのでした。もし生死があるとしたら、それは 瞬間 というものの特質からであろう・・・っと考えるようになりました。瞬間は 始めであり終わりでもあり、しかもいつだって完結しているんです。にほんブログ村
2014年01月09日
私が、日常生活という現(うつつ)で最初に始めたことは、感覚を研ぎ澄ますことをやめることでした。感覚や感情、心は、できるだけぬるま湯に浸らせ、ボケっとさせることでした。それは意識が、 ”個人的な独自の感覚や、個人感情の影響を受けて、固定してしまわないようにする”ためでした。今回は、その次に私が心がけていることについて記します。二番目に私が日常生活で始めたことは、”相対的に物事をみないようにする”っということでした。私は 死と生、善悪、自と他 などを相対するものとして意識しておりません。これをもっと卑近なたとえで説明してみますと、私にとって嬉しくない、喜ばしくないことが起こったとします。それは確かにマイナスの事柄でありますが、マイナスというのは、新たなプラスを生み出すことでもあります。そして、マイナスとプラスは相反するものではなくイコールにもなりうるものだと考えるようになりました。逆境にはチャンスがある っと言えば、皆さんもこれをご理解できるのではないかと思います。逆境はチャンスでもある・・・私はそこまで極端でなくとも、物事を個人的な感情や、感覚で、主観的なプラス・マイナスをみるのではなく、物事・現象を ”ボケっと眺める意識”によってみてみると、いろんなもの、いろんな視点が見えて来る のだろう。。。っと理解しています。ある事柄は、別の人の視点からだと違うものに見えているもので、視点が多ければ多いほど、一つの場所を多角的に認識できるのだろうっと思っています。個人的な感情や、感覚というフィルターで物事をみるのは人のサダメでもありますが、できるだけそのフィルターを薄めることが同じ日常の風景をみていても、広く大きな視点(カメラ)を付け加えることになるっと私は感じています。そしてこれは・・・ ”バカとハサミは使いよう”っということであるとも想ってます。いくつか前の記事にも記しましたが、バカは死んでも治らないかもしれないけれど、”バカもハサミも使いよう” でもあるんです。バカも、普通の視点からではバカかもしれませんが、別の視点からみれば、別に見えるかもしれない・・・っと!決して バカだからさ・・・ っと悲観したり、嘆くことはないんです。そのあたりで、私は自分自身に 救い を見出してます。塞翁が馬 という故事がありますが、その先を見てみないと、その前の事柄を判断することはできない、よって幸不幸は一概に言うこと、決めることはできない、幸だったか?不幸だったか?っという判断は、最後までわからないということです。しかしながら、物事の終わりとは、どこをどうもって終わりとするのか?が、人にはわからないものっと私は思っています。したがって、ある事象や現象があったとしても、それをプラスである、マイナスであるとは、決められないのだろうっと思っています。物事の終わりがある っとしたら、失敗した!もうだめだ! っと 人の心が 規定したときが 終わり なのだろうと思っています。しかし 終わりを規定しなければ、まだまだまだまだ、なんのこれしき!!なんです。それが ”押忍” だと私は想ってます。塞翁が馬 は終わりがないんです。結果よければすべてよし! っといいますが、結果を何処と規定するのか?原因が結果を生み、その結果がある原因を生み、そのある原因がまた別の結果を生む・・・・キリがありません。これが因果関係の正体です。IMG_2763 posted by (C)maryam f dにほんブログ村
2014年01月08日
夢は、感情や意識が我が物顔に、生き生きとしている自由自在の世界で,夢の世界の中では、どこまでも伸び、広がっていけるはずの意識が、うつつの世界に慣れきって、無意識に刻み込まれた肉体感覚や、固定観念・論理性によって意識の無限性が抑制・抑圧・限定されてしまう世界でもあります・・・っということはこの前の記事に詳しく記しました。今回は、意識が、自由自在の世界で無限であるために、肉体のあるうつつの世で、どんなことが重要になってくるかについて書きます。なぜなら、私たちはいずれ・・・ 夢の世界のような、思念・意識の世界へと戻っていくからです。死とは肉体の終わりですが、別の世界での始まりを意味しているに過ぎないからです。夢の中では、心や感情、思念ではなく、意識であること、つかみどころがないような、水のような、自由自在に変形可能なような、そんな状態に意識を保って置くことの方が、感覚を研ぎ澄ますことよりも、夢の世界ではず~~~~~っと重要になってくるのです。っともこの前の記事に書きました。以上の理由から、まず私が最初にここ(うつつ)で始めたことは、感覚を研ぎ澄ますことをやめることでした。感覚や感情、心には、できるだけぬるま湯に浸かっていただくことにしました。意識が、 ”個人的な独自の感覚や、個人感情の影響を受けないように” できるだけ心がけています。感情の変化があっても、それを眺めるようにしてます。簡単にいってしまうと、夢の中だけでなく普通に生活しているときも、できるだけボケ~~~~っとしている っということです。それでも、オイ、みてみろよ~、聴いてみろよ~、触ってみろよ~!!などと、五感が強く訴え、心や身体が自ずから動き出してしまうものが、自分が受けている 霊感(inspiration) だと思うようになったからです。現(うつつ)はどうしても身体に縛られ、限定され、五感がフルに活動している世界で意識は、最小限に押さえ込まれ、潜在してしまいます。しかしうつつにあっても、潜在している意識を感じ、意識がキャッチした何かに突き動かされるように心と体を動かすことが大事だと想うようになりました。多くの人には、身体は本能と結び付けられて低次元だと思われてしまいますが、、、、実は心のほうが曲者!! っと私は思います。身体や本能は、その仕組みや、動きを、個人的な感情・感覚抜きにして、眺めてみると、水のように形のない変形自在の意識、高次元の意識と直結しているように想われてきました。身体や本能は正直で、嘘がつけないのです。そこに、おそろしく嘘つきで、偽りに熟練している、心の動きや働きが入ると、身体や本能は恐ろしく混乱させられる場合があるんです。私はそれを、空手の組手をしていて察知しました。組手のように身体に一瞬の隙も許されないような極限・必死な状態であっても、心はぬるま湯に浸からせておく心は使わないほうが、身体が動くし、五感がフルに活動します。そしてこれは、空手とか組手とかの特別な状態にだけ、あてはまることではありません。心象は人に影響を及ぼします。多くの方がご存知であるように、恐怖心、緊張感 などは 身体を硬直させてそれだけで 力が出せない のです。夢の中のような疑似体験においても、また、実際に体験していることでも心象が思い描いたものが ”実権” を握っているのではないか?っと私は思うようになりました。実際に体験したことでも、記憶に残っていなければ、影響力がないんです。実体験であっても、すっかり忘れてしまっている事柄よりも、疑似体験でも強烈な心象を残している出来事の方がずっと ”人の心” は影響されると思っています。心の動きは厄介です。 心は恐ろしく嘘つきで欺くのが上手で、しかも次から次へといろんな、新しい 想い を生成して、意識と同じように、限りが無いのです。その厄介な心象の影響を強く受けないためには弛緩 が大切なんです。心はぬるま湯に浸けておけっと私が何度も何度も記しているのは心象の与える悪影響がいかに大きいものか!っということをお伝えしたいからなんです。(もちろん、心象が良い影響を与える場合も多々あります。)多くの病の原因はストレス っということが言われています。そのストレス・プレッシャーを人に与えているのは 心・感情の動き なんです。にほんブログ村
2014年01月07日
ゆめから覚めて、あの人、、、、私 だ。っとわかるんです。なぜなら、その人の魂の特質は、輪廻を繰り返しても、根本的には変わらないものだからです・・・バカは死ななきゃ治らないっというのはまだ救いがありますが、バカは死んでも治らない っと私は想っている理由はそれです。死は肉体の消滅ではありますが、 私(わたし・ワタシ) は不滅です。もちろんある程度の進化はしていきますし、学びもします。そのための転生ですから。不思議なことに、(絶望的な面もありますが・・・)どんな時代に、どんな名で、どんな性別でも、ある出来事に対して、どう自分が反応するか?っていうのは そう変わらないのです。ある物事への見方、感じ方 が変わらないのです。もちろん激変していくものもありますけれど、根底に流れているものはあんまり変化がない気がします。これは私が自分の過去世を感じて、現世の自分を照らし合わせたときの感想です。これだけ生まれ変わっても、、、、あんまり変化ないんだあ~~~~と・・・(;_;)進化、変化できないのは 私 だけかもしれませんが。時代が変わっても、名が変わっても、性別が変わっても、なかなか変わらないもの魂の本質のようなものを我々は有しています。またそれがあるから、私は夢の中で見たことも、会ったこともない人を識別出来るとも言えます。夢で意識が、いろんなところを飛んでいるのは私が特殊だからか?否、夢を見ているのは私だけじゃないと想っています。誰もがもっている能力なんですが・・・・多くの方は、忘れてしまうのだと思います。毎晩のように 皆さん 夢みているのでしょうけれど、夢の中での意識のあり方 と 目覚めている状態の意識のあり方 とは フェレカンス のようなものが違うのではないかと感じてます。目覚めてしまうとフェレカンスがずれて、(ラジオのチャンネルが合わなくなって雑音になるように)夢を思い出せなくなるのではないかしら?慣れると、、、目覚め切ったあとでも夢の意識の状態に、自分の意識を合わせることができて、想い出せるようになります。動画のリプレイのようなイメージです。私は夢の中では把握できなかったことも、意識を夢のフェレカンス(チャンネル)に合わせることによって、夢を再現し、ああ~~~~~~あそこにはあれがあった!とか あんなことしていた人もいた!っと後から思い返して、気がつくことが多々あります。夢をみることが出来る時は、感覚が研ぎ澄まされているから・・・っと以前は想っていました。でも、そうじゃないな・・・と今は想っています。むしろ、固定観念がない場合の方が、枠に囚われない夢が見られます。夢の中でいろんなこともできます。人は飛べないもの、私も飛べるわけがない!っという固定観念を持っている人は、夢の中であっても、飛ぼうなどとは想わないでしょう。現実のなかで飛べる と想うべし と私は言っているのではないのです。夢の中で飛べること が重要なんです。心や感情、思念ではなく、意識であること、つかみどころがないような、水のような、自由自在に変形可能なような、そんな状態に意識を保って置くことの方が、感覚を研ぎ澄ますことよりも、夢の世界ではず~~~~~っと重要になってくるのです。※ この ”夢の中で飛べることが重要”という記事は、この記事の前に書いた二つの記事”他人様の前世を夢に見る その1・その2” の続編です。にほんブログ村
2014年01月06日
IMG_3526 posted by (C)maryam f d夫には朝の時点でその夢の話をしていました。午後になって彼がやってきたとき、彼の顔をみても思いましたし、感じられる彼のエネルギーも、夢でみた男の子と同じものでした。私は人をエネルギーで識別することが多いです。そのように表現すると、 何、この人わけわからない?っと思われる方が多いと思いますが、最もらしい嘘をついているのではないんです。ネット上で知り合うような人、写真で顔貌も見たこともないし、会ったことも、話したこともない人でも、私は夢の中でその人が出てくるとわかります。なぜわかるかというと、記事やcommentやmailなどから感じるエネルギーと同じものを察知し、識別するからなんです。その人を識別するものは、名や、性別、職業、姿や顔だけじゃないんです。その人から発せられるものには、その人の印が一緒に同封されている感じなのです。家にいらした男性に夢の話をしたら、僕は生まれてこのかた、一度も田舎に住んだことはないといってました。夢で貧しい生活をしていたとは、彼にいいませんでしたが、夫の話では、彼のお父さんは裕福で大きな家をもっていて、人にも家を貸していて、家賃収入も十分あるようでした。でも夢でみた過去世では、父親の姿はなく、その上彼は体力がないので、生活に苦労していました。ですから彼は、現世においても、裕福な環境にあっても、仕事に熱心なのだろう・・・っとそんな気がしたのです。彼のお母様も若い頃から美容師として、そして外国にいって、品物を仕入れて得るなど、仕事熱心な方っということも夫にきいていました。自分がみた夢でその理由がわかった気がしました。そして、彼は原因不明の病を抱えている という話も夫からきいていました。後頭部に原因不明の大きな腫瘍があるようで、現在もロシアやフランスに、定期的に検診にいっています。フランスの医者は、日本で手術するよう勧めているようです。漠然と、根拠もなく私は、、、おそらく原因不明のこの腫瘍は、私が夢でみた、この彼の過去世と関係があるような気がしました。この時の過去世での事故や怪我や病気による心痛、辛苦が現世に影響しているのではないか?と想ったのです。私の一番近い過去世は、江戸末期か、明治の始め頃、子供ができなくて三行半を突きつけられて、出戻ったようでした。私が現世で長いこと不妊症に悩まされたのは、この過去世と関係があるような気がしているのです。輪廻は一回や二回ではありません。私自身も、男だったり、女だったり、ヨーロッパ、中東、日本、中国いろんなところにいたようです。先日偶然にチェコだか、ルーマニアだかの路線電車の映像をNHKワールドでみました。びっくりしました、数年前に、この路線電車に乗っていた夢を私は想い出しました。その時はヨーロッパである、、、っということだけ分かりましたが、私はヨーロッパには、行ったことがなかったからでした。景色も、坂の勾配ぐあいも、、、おもいだしました。私は大きな荷物を持って路線電車に乗っていました。電車の最後部に立っていて、そこから景色を眺めていました。但し、これは前世とは関係なく、私の生霊がフラフラとその場所に惹きつけられ、夢の中で瞬間移動した、とも考えられます。ふる~~~~い時代では、ローマの時代か?とも思うのですが、私は若い男性でした。そして血気盛んで雄弁でした。それで危険人物だと想われて、バスタブの中で血行をよくしたところで左手首の血管を切られました。その場面を夢で見たときに、自殺している?っと最初に私は想いました。でも違いました、私は無実の罪を着せられて殺されたんです。これは夢の状態に意識を合わせて、動画をリプレイするように夢を想い出していくうちに感じました。自分が殺されるのを意識してましたが、私は抵抗はしてませんでした。夢ではその場面を遠くから見て眺めている、撮影カメラのような意識があります。そしてゆめから覚めて、あの人、、、、私 だ。っとわかるんです。なぜなら、その人の魂の特質ってものは、輪廻を繰り返しても、根本的には変わらないものだからです。追記:転生したときに過去と同じような人間関係で生まれ変わることのほうが少ないと思いますが・・・たまにこの男性のように 同じ母親 あるいは、この女性のように同じ息子 という関係で転生することがあるようです。夫と私も別の時代の日本で、夫婦だったように感じています。にほんブログ村
2014年01月06日
02072011236 posted by (C)maryam f dこのひとつ前の記事には、夢は私にとっての現(うつつ)なんてことを書きました。そしたら再び今朝も、妙にはっきりと憶えている夢をみて目が覚めました。私はイランの田舎に居ました。なんとなくイランの西、トルコに近い方に感じました。古い、昔風の小さな家が密集していました。日本の長屋のような感じでした。その家の一つに、お母さんと、10歳ぐらいの男の子と妹が住んでました。男の子の顔はイラン人にしては少し目が小さめで丸顔でジャガイモみたいだな~と想ったのでした。その男の子に連れられて、長屋の中庭のような感じの小さな公共の憩いの場みたいなところに行きました。現在の小さな公園のような場所でしたが、何もなく、ただ人が集ってくつろいでいました。話をする人、夜ご飯のための野菜の下ごしらえをしている人などがいました。その長屋と公園は浅い谷間のような場所にあって、公園の周囲にはそびえるような高台の上に高級高層マンションのようなビルが沢山たって取り囲んでいました。どこかの観光地にいったようでした。高級マンションの立っている高台の下の部分にはフェンスが取り付けられていましたが、もしも地震が起きたら、この憩いの場も周囲の土砂、マンションが雪崩のように襲ってきて被害を受けるだろう・・・っと私は感じました。私はこの場所を不思議に面白く想って、男の子に写真に撮りたいのでカメラを持ってくる!っと言いました。その途端に再び最初にいた、母親と子供二人のいた小さな家、6畳ぐらいの部屋が二部屋ある家にいました。その時はもう10歳の男の子は25歳ぐらいになってました。妹さんも二十歳ぐらいでした。お母様も年をとっていました。彼らは3人ともあまり体力がなさそうでした。それでも母親は子供二人を想い、息子も母親の苦労を想い、一生懸命働いて、ささやかな暮らしをしていたようでした。夫が、その25歳ぐらいの青年にそれでは明日お逢いしましょう。家でお待ちしています・・・っといって息子とともに玄関から出て行きました。サヨナラをしたあと、彼らはすぐに布団を敷いて休む支度をしていました。彼らにとっては、ちょっとした接客でも大変疲れることなのだな・・・っと私は想って眺めていました。私も、夫と息子と共に彼らとさよならをしていると想ったのですが、ふと気がつくと、接客に使用した食器を片付け、テーブルの拭き掃除をしていました。とても疲れている人たちをそのままにできなかったのです。掃除をしていると、青年の母親が明日は私の息子があなたの家に訪問します。どうか、息子によくしてやってください・・・っと言ったのでした。そこで私は目が覚めました。それで私はこの男の子は、今日家にやってくる予定の空手道着関連の夫の知り合いの方だ! っとわかりました。夫に今日来る人はどんな人?っと訪ねました。彼のことはいろいろと聴いていましたが、妹さんがいるなど全くしらなかったんですけれど、彼には確かに妹さんがいたのでした。彼が裕福な家で育って、現在も裕福であることは知っていたので、私はこれは 彼の前世だ と感じました。つづく・・・にほんブログ村
2014年01月05日
2014年 夢その2今朝も夢をみた。イランなのか日本なのか?夢の中では曖昧で、その二つの場所のイメージの間を、瞬間移動していたんじゃないか?と目が覚めて想う。私は息子と 空手の合宿 みたいなもので出かけていた。今年は来日予定があって、その時にはお世話になっている空手流派の館長さんにお逢いする予定ではあるけれど・・・・合宿ですることは全て終わって、帰る支度の指示を息子と待機していたようだった。今日帰路へと出発する予定なのに、上からの指示がでないので心配していた。一緒にきていない夫の様子が遠くに、でも、はっきりと見えた。夫は空手とは関係のない、旧友に向かって話していた。今日帰路に向かわないといけないのに、まだ滞在先にいるらしい、今日発たないと、明日も帰るための手段(飛行機なのか、電車なのか?わからなかった)はない。どうにかして二人を予定通り帰宅(帰国)させるようにしたい、浜松までたどり着ければその後は楽に帰れるから、なんとか二人に浜松まで行ってほしい・・・・っと話していた。なぜ 浜松? なのかはわからない。私の出身は静岡だけれど、浜松とはまったく無縁・・・とにかく夫の様子から、夫が非常に心配しているのはわかった。息子が暇しているので、どこやら滞在先の近くを散歩していた。日本なのか、イランなのかわからないけれど、なんとなく日本だったように想う・・・どこにでもある商店街のようなところを歩いていた。疲れたので、道路脇で休んでいたら、どこからともなく現れた知らない男性にそこで休まないほうが良いっと言われて、促されるように少し離れた場所へ移動した。なぜ?っと想っていることがその男性に伝わったようで移動した場所に着いたら、さっきあなたがたが居た場所を注意してみてごらんなさいっといって、電柱だったか、看板だったか、公衆電話置き場の後だったか?わからないけれど、そのちょっとみでは気がつかない影のような部分を示した。そこにはストローなどで簡単に吸引して気持ちよくなるような種類の、違法な興奮剤が少量置かれているようだった。そこからまた数百メートル離れているところ、そこも彼は指差したあの辺りにも同じように同じものが人目につかないように設置されているんだよ。かなり離れたところだったけれど、はっきりと私にはそれが見えた。そんな夢だった。日本かイランか?わからないけれど覚せい剤の種類は、これほどまでに一般の生活空間と密着していて、今後は一層、普及していってしまうのではないか?と想った。ああいうものは一度でも経験してしまうと大変なことになるのだけれど、その一度の体験は、これほどまでに身近なところから得ようとおもえば得られる社会になっているのだろう・・・そんなことを想ったのだった。にほんブログ村
2014年01月03日
IMG_20131231_114644 posted by (C)maryam f dこんなだったのがIMG_20131231_122518 (480x640) posted by (C)maryam f d2014年 初夢今朝は電話で目が覚めたんで、その後30分もバタバタしていて夢で見た内容、かなり飛んでしまったんですが、憶えている部分だけ記しておこうと思います。夫婦でお世話になっている拳真館空手の館長さんの元をわたし、あるいは夫、息子も一緒に?訪れているようでした。館長さんにお逢いしたら、なんと彼は生後1・2ヶ月の赤ちゃんをしっかりと腕に抱っこされて立っていらっしゃいました。私達の他にも訪問客がいるようで、接待にお忙しくしているご様子でした。私は あら?悪いタイミングに来ちゃったかしら?っとちょっと心配になったんです。この間のことは残念ながら忘れました<(_ _)> 場面は変わって、ある建物に夫の姉妹たちと待ち合わせをしていたようでした。義妹3が冗談交じりに私と夫に、あなたたちはアレ(何かわからないけど)の代わりにうちからあの絨毯を持っていったのよね~ っと言いました。(確かに何年も前に、彼女とうちは廊下に敷く安価な絨毯を交換していたけれど、彼女はその後夫を亡くし、そして再婚し、亡くなった旦那さんとの思い出がある家財は引越しを機会にほとんど処分していたので、現在でも、うちにある彼女の絨毯に思い入れがあることは絶対に考えられないのだが)上の義姉が到着するのを待ってました。義姉が来たとき、なぜか建物のマドの上部スペースに満月なのか満月マークだったのか?が10個ぐらい並んでいました。それは満月の運行を示しているようでした。しかし、満月の運行は緩やかな曲線を描いているのではなく頂点に接する前に一つの満月は一度下がってそしてまた上にあがっていくっという不自然な運行をしていて、私はとても不思議に思ったのでした。夢から覚めて、義妹3はおそらく私達との関係に不満が出てくるのかな?っと想いました。それはGive & Take で 私と夫は与えられる部分の方が多いと想っているような・・・だから、今年は不満がでないように、物質的な面でお土産でも、プレゼントでも少し奮発したほうがいいのだろうな・・・ とイメージしました。空手の館長の赤ちゃんについて夫は、きっと館長は新しいこと(去年から話題に登っている)を始めるのだろう と言ってました。気になったので赤ちゃんは夢ではどういう意味があるのか?調べてみました。すると夫がいったように、赤ちゃんは 新しい始まり・成長・愛情に恵まれる・幸福 を意味するようでした。満月も親しい人との円満な関係、家庭愛に恵まれる っということを意味するようでした。おそらく今年は、夫の姉妹とも、離れているけれど親しい方との関係でも、ある部分に注意すれば、そしてある時期だけを除いては、交流が活発で、順調なんだろうと思います。2014年はどうやら 人間関係・交流の年 となりそうな予感がします。そんなことを初夢から感じました。皆さんはどんな夢をご覧になりましたか?にほんブログ村
2014年01月02日
IMG_6596 (507x720) posted by (C)maryam f d木曜日は朝から矯正歯科の予約が入っていた。本当は先週だったのだが、医者の都合と私の都合で今週に。4月に抜いた4本の歯の隙間を埋めるために今週も締められた。最近は、歯が外側にでつつあるので、ほっぺたの裏側の広範囲を傷つけ、食事するのが楽しくない(;_;)まあ、食欲の秋だからこうでもないと 太っていた かもしれないが・・・歯医者のあとは、週末(イランは木金が学校お休み)なので果物・野菜などを市場に買い出しにいった。甘いレモン(すごくすっぱそうなのだけど、ただ甘いレモン)、葡萄(これも甘い!)、バナナ、柘榴を買った。野菜はセロリ、トマト、キャベツ、ブロッコリ、インゲン。そのあとはフルーツドリンク、7アップなどの飲料水、スナック菓子などを買った。肉類、魚類はまだストックがあるので買わなかった。帰宅し、遅い昼食を食べ、ひっくり返って読書していたら眠くなった~~~~~~~~。ホットカーペットの催眠術にふか~~~~く導引されてしまった。(。-_-。)夢を見た現在日本の大学がどのような形態なのかわからないけれど、未来の大学(日本だったと思う)のイメージ映像だった。未来の大学は一つの大きな共同体、それこそ学術都市となりそうだった。それは空間的であるのかどうかはわからないが機能的には一つにまとまり、分業化が進んでいくようだった。6大学が一つの場所に集まって、それぞれがそれぞれの専門分野において担当を任され機能しているようなイメージだった。ひろ~~~い敷地内で私はなぜか? アイスクリームを買おうとしていた。そのアイスクリームは何層にもなっていて、1mはあった!でも途中が崩れていて今にも崩れそうだった。私はそれを私に平気で売りつけようとした店員の男性に文句をいって、アイスクリームを返し、彼から代金を返してもらった。その後、広い敷地の外に出ようとしたら、道に迷っていた。似たような小路があってあれ?ここだったかな?それともその一本先?なんてことをしていたけれど、最終的には出口が見つかった。某大学の時計台が目印となって私は出口を見つけられた。出口に近いところにも売店のような場所があった。そこで、息子のためにスポーツの上下の衣料を買いたくなって覗いた。ズボンは息子のサイズがあったが、上着は私のサイズのセットでまあ、いいか、ズボンは息子、上は私が使えばいいや。。。っと思ってお金を払おうとしたら、お金がなくお金の代わりに私は、カバンの中から文学作品を記したものを100ページぐらいあって、そのページには私がいろいろと注釈したものが記されていた。それをお金の代わりにお店の人に支払おうとしていた。そこで目が覚めたのだった。にほんブログ村
2013年11月28日
元気をもらおう・・・ より画像拝借 久しぶりに ある方 の夢をみた。その方は幼馴染のような、兄妹のような、従兄妹のような、親戚なような、級友のような、気持ちを私が勝手に抱いている全くの赤の他人様。私達はショッピングモールをブラブラと歩いていた。どういうわけか?私は高校生・大学生の時でも、数えるほどしか着たことのないミニ、タイトなスカートを、真っ白なスパッツとともに試着していた!夢の中でその方は、私を安心させ、和ませようと、私を笑わせてくれていたようだった。笑わせるとは、お笑い芸人が意図的に笑わせるのではなく、詳しく表現すると、心和み、思わず頬が緩んでしまうような笑いを誘っていたっというような感じだった。おっ似合うじゃないか!なんていうそのお方の反応の言葉がもう、試しにでもこんな格好をしている我を客観視してみると、私には 笑い そのものだった。私:イラン在住の私にゃ、スパッツ付きでもミニスカート履くのが前代未聞なんだから!って答えたら怪訝な、真面目な顔をしてスパッツ履くの?なんで?っとお返事が返ってきた。私:リュウマチ持ちの身、これなしじゃ試着だって到底無理!そんな我らの会話を一体誰だったのか?定かではないのだけれど、夢の中、周囲にいたおじいさん、おばあさんの耳に自然と入っていたのか、彼らのほっぺたをも緩ませクスクス笑っていた(和ませていた)ようだった。私は目が覚めたときにも 笑っていた。笑っていたのは夢だったのか?!っと気がついてさらに 無性におかしくなった。そんなこんなでその方には、夢の内容は記さなかったが、夢の中で笑うというのは 本当に久しぶりのことだった・・・っと久々にご機嫌伺いとともに、送信したのだが、否、 笑いながら夢から覚めるなんてこと、初めてだったよ!!! にほんブログ村
2013年11月17日
数日前 泥棒のゆめを見ていた。 ***以前住んでいた家のベランダから男女の姿が見えて義妹3があの人達 おかしくない? といったのでワタシは窓に近づき彼らの顔を覗いたら、気がつかれてしまった!男女二人だと思ったが、実はもっと仲間がいたらしく、彼らが侵入してきそうになったので、夫がカレの携帯を この家の外に逃げて、安全なところで 110番通報しろ! とワタシに投げた。 ワタシはなぜか?すごく広い風呂場へ逃げ込み、 そこの窓から戸外へ逃げ出した。 でもそこは日本とか、イランの北のような場所だった。 外へ出てからも、自分の身が彼らの目の届かないところにまで走っていって完全に身を隠した。 そして、さあ、携帯で通報! っと思ったところで目が覚めた。 *** 以前住んでいた家は、建て直しして、今は10戸のマンションとなっている。 建て直しは別の人に依頼したので、建築者が4戸を所有し、義妹3が3戸、義両親・夫が3戸所有となっている。ようやく建築作業が終わり、 つい最近義妹3が貸した3家族が、そこで生活し始めたばかりだった。 そこへ、昨夜泥棒が入って荒らしていったとのこと。舅に ワタシはゆめを見ていた っと言ったら、 すぐに話してくれていたらよかったのに!と言われた。ワタシは夫にだけ話していた。でも夫はすっかり忘れていて、ワタシがいくら ゆめの話したでしょう?と舅の前でいっても (’◇’)?? で、ゆめの中で、アナタ(夫)はワタシに自分の携帯電話を投げて渡して、110番しろ! っていったというゆめよ~ っといったら よ~~~~~やく想い出した(;_;) まあ、そんなもんなのだよね・・・。ワタシにとっては鮮明な記憶に残る夢で、 現実と変わらないような記憶なのだけれどね。 以前はゆめを見たらすごく気になって、 気にして、よけいにストレスになっていたけれど。 最近はもう、 知るか! あるいは シ~~~~~ラナイっと!!!っと思うことにしている。 **********現も夢も 幻影に像に 過ぎない。どちらも、過ぎ去っていったという点で相違なく、ワタシにとっては 瞬間・一瞬 が全てだから。たとえ夢の中であっても、これで110番しろ! っと夫が真剣な顔でカレの携帯を投げそれを受け取ったワタシは、 全力疾走しながら、逃げ道を一生懸命思考した。たとえ夢の中であっても、 ワタシはそれらの一瞬一瞬に必死だったのだから・・・ それでもう、十分! にほんブログ村
2013年10月20日
40733740_2007715474_52large posted by (C)maryam f d 火曜日、空手の稽古の後買い出しをして、手間暇かかるイランのライスボール料理の下ごしらえした。晩御飯のあと1時間半!そして次の日はまた2時間以上、作る作業でした。(;_;)イランのライスボールには米黄色いお豆7・8種類の香り高いハーブ卵小麦粉少々ミンチ肉玉ねぎターメリック・塩真ん中に乾燥杏を戻したものを入れます。を捏ねてトマトソースで煮込みます。私がライスボールの具をマゼマゼしている時です。息子は・・・・いい夢見たんだ~~!ってご機嫌で起床。その後、朝ごはんも食べずに1時間も夢の話してました~~~~~~。母: 30分たったところで、 あんた30分喋ってるよ?(-。-;息子: (^O^) いいから、いいから・・・・結局きっかり、1時間話してました。学校の友人と4人でドイツ旅行へいった夢。試験を受けながら、ヴィザの更新をして、お金までもらって2年間もドイツで暮らしたそうです。高校卒業資格をとったということでした。彼にしてみりゃ、2年間のドイツお楽しみライフをたったの1時間に凝縮してやったぜ~~~~~ ってな感じだったのか?追記:ライスボール小さく見えますが、直径7センチはあります_(_^_)_
2013年10月09日
夢のことを書かなくなって久しいのだが、今朝はかなり気にかかる夢をみたのでノート代わりに記して置くことにした。 ***************** イランではなかったようだが、夜のコンサート会場のようなところの前列左の席に私は座っていた。他にも人がたくさんいた。あまり大きな会場ではなかったが、公園のようなところは、それなりの大きさだったと思う。夜空を見上げると、夜空は曇り勝ちだったのに、なぜか雲のヴェールの向こう側にたくさんの星が輝いているのがみえた。私は嬉しくなって星座を見つけるように、じっとみつめていたら、流れ星がひとつ、ふたつ、みっつ・・・・流れた。ますます私は嬉しくなって、大きな声で人々に空を見て、あんなに沢山の流れ星が!っと言った。しかし、見ていくうちに流れ星は流星群どころか、あちこちから降って来るように流れてきた。私は 大変不安 になった。そしたらなんと 月が・・・やはり雲のヴェールの向こうに見えて、その月さえもゆっくりとでも、決して遅いという速さではないけれど、星が流れるよりは遅い速度で、落ちてきた。私は 月が地上にぶつかるのではないか?! とますます不安になった。隣の席には私より20歳年上か?と思われる男性が座っていたのだが、恐怖のためなのか?何なのか?私に抱きついてきた。私は反射的に、その男性を跳ね除けた。こんな夢なのだが、最後の男性が抱きつくところは野暮だけれど、星と月が落ちてくるのは 気がかり 。エジプト・シリアあたりの国の状況がますます不安定になりはしないか?と・・・・そんなことが頭をよぎった。にほんブログ村
2013年07月30日
体調不調が続く・・・。夫がタイに行っていた頃からどうも、頭痛はひどいし、疲れやすくなっていた。夫不在の間は、空手の稽古に行っていないのに、怠くて一体どうしたんだろうか?といった状態だったが実は、現在も続いている。以前のように週三回きっちりは行けなくて、週1・2回だけれど、稽古にもいっているし、稽古に行かないときはできるだけ、家でもランニング、柔軟、筋トレしてるけれどとにかくすぐにだるくなって家事・炊事・育児の合間も頭を抱えるように横になってしまうし、睡眠を欲してどうしょうもない。私はもともと体力がないので、不調だとすぐに怠くなるし、眠くなる。虚無感を精神で感じるというよりは、身体で感じてしまうのだ。頭痛がひどいときは、できるだけ痛みを感じないように、自分がすべきことを淡々と、何も考えずにこなしてやり過ごす。時間があったら、できるだけ身体を横にする。私の頭痛はたいていアスピリンを1錠飲むと治るのだけれど、今回の頭痛はちっとも治らない。いつもの倍の量飲んでも効果なしに近い。。ここんところほとんど朝は、頭痛で目が覚める。口内炎ができやすくなっているし、それ以外にも免疫機能低下を感じている。半年の間、良くなっていた肌と髪の乾燥もここ1週間はっきりと、感じられるようになってきている。いろいろヴィタミン剤やら、果物やらチョコレートやら、鉄分がありそうなナツメヤシとかピスタチオとか食べてはいるけれど今ひとつ、ビシッとできない。一体どうしちゃったの、私の身体? って感じ。その上にここ3週間ぐらい歯の矯正のために食べたいものも痛くて、食べられないというか食欲もあまりない。(否、一般の日本人女性以上には喰らうが・・・)そういうことで今夜は苦手な羊のliver(レバー)を串焼きにして食べた。少し元気が出てきた・・・ように感じる。追記半年ぐらい夢の話は書かない、気にしない方針でいるのだけれど、相変わらずほぼ毎日夢を見ている。実に煩わしい・・・。二日続けて10年後の自分の夢をみた10年後の私は真っ黒ストレートの長い髪をしていて、なんと真っ青な眼球をしていた。そして あってはならない ことを口走っていた。そしてそれは 私は悪気もなかったし、そうしたくなかったけれど回避できなかった・・・と悲しそうに言っていた。目が覚めて全身が震えた。そうならないようにこの10年、精一杯日々をやり過ごすのみ。そしたらあらぬことが実際に起こってしまっても、もう私には本当にどうしょうもなかったときっと私は夢のように言っているのだろうと思う。いつでも最悪の事態を想定していることは悪くない。ショックが緩和されるだろうから、どうしょうもない事態の先にも、私の歩む道は続いているのだから。我が命ある限り・・・ コメントはこちらへにほんブログ村
2013年02月23日
夢の中に於いては想いというものは生者の想いも死者の想いもほとんど違いがないように私には思われます私は今朝互いにこの世にいるけれど決して顔を合わせることはないであろう人がなんとか私とつながりを持ちたいと強く願っているのだろう、、、という夢を見ましたあの世とこの世には隔たりはあれど夢でその隔たりは希薄になりそしてまたこの世の時と場所 という 壁 も希薄になるようです夢の中で私の心は揺れ目覚めて夢で揺れた自分の心に 動揺 しました動揺した自分を知りそれを冷徹・非情に眺める自分を傍らに控えさせていればいい己の限界が見えていればいいとにかくまだまだこの足で踏ん張り自分を支えていなけばいけないのだからコメントはこちらへにほんブログ村
2012年10月25日
昨日夢のことを書いて・・・そうだこんなことがあったなあ・・・と思い出しました。私は去年10月12日にこんな夢を見ていました。以下その日の記事の引用”昨夜は月ではなく、私の目が冴え冴えとして午前5時近くまで眠れませんでした。昨日は朝から掃除にいそしみ、午後は空手があり決して疲れていなかったわけではないのです。いつもと変わらない生活でした。4時半すぎてから、、、もう寝ないといけないと自分を寝かしつけ、ようやく眠れました。さて5時から2,3時間それでも寝ていたのですが、、、その間も夢をみていました。夢は寝すぎだから見るとか、疲れているとみないとかおっしゃる方もいますが、、、私は関係ないです。見るときは見るし、見ないときはみない。ネットで10ヶ月ぐらい前からお知り合いになった顔もしらない方の夢をみました。私の夢の中でも危険な現場で働いていました。その方はここ数ヶ月仕事上で不運に見舞われていると記事にかいていらっしゃるのですが、それが感じられました。何をなさっていらしたかというと、、、山の急斜面になんとか足場を作って同僚の方かどうかわかりませんが二人で植樹をしていました。現場はかつては森だったのでしょうけれど1本の木もなくなっていました。夢の中の私の脳裏には木々がどういうわけか、化学薬品を散布したために枯れ果てたようなそんなイメージが見えました。そして現在は何もないところにその方と同僚の方は一生懸命危険を冒して植樹なさっていました。何度も彼らの足場が崩れそうになるのですが、彼らの足場は絶対に崩れませんでした。彼はとても心が清らかできっと誰かが彼を守っていらっしゃるから堕ちることはないと思って見ていました。彼の辛い仕事は、彼のいう不運はおそらくこれからもしばらく続くのかもしれませんが、それは枯れ山に植樹をするような尊いお仕事なのでしょう・・・そして彼はとても温かい何物かにしっかりと守られているのでしょう・・・”以上引用。そしてその方は一ヶ月以上たった11月21日にこんな記事を掲載しました。命綱私が夢で見た景色にそっくりでした。私は海側の上空からこの景色を見ていました。命綱の記事をご覧くだされば、その方は北海道在住の方であることがおわかりになりますが、私は北海道には行ったことはありません。その方のご職業は存じておりますが、内容までは存じあげません。その方のお顔も身長さえもしりませんが、どういうわけか夢ではわかるんです。私はその方の夢を見たんだろうな・・・と。実際私はご本人様にこの夢の内容と、危険はあるけれど、守護されているから大丈夫。そして守護してくださる方にいつも感謝の気持ちをもってくださいねと伝えていました。多分魂は北海道へ行って、その景色を見ていたんだろうな~~~と思ってしまうのです。その方の夢はこれ以後も2回ほど見ましたが、どちらもその方がご病気になられた時でした。なぜこのようなことが起こるのか?私のほうが質問したいぐらいなんです。ただ、、、私が感じていることは多分その方と私は過去世に於いて多分家族のような、親友のような、そんな関係だったような気がしてます。本当に兄弟だったのか、人生における同胞だったのかはわかりませんけれど。なぜなら私はこの方に対してほとんど面識も何もない段階からほとんど幼馴染のように接してしまうからでした。イラン在住でイスラム教徒で被り物している私が、最初から気軽にコメントなんかしてくるのでさぞこの方は面食らっただろうと思います。早く奥さんもらいなよ~~~って私が書くと、セクハラだ!!と申し立てるミント氏。否、セクハラではなくて老婆心だ!と私。もしかしたら過去世で私は、彼の祖母だったのかも??しれません。コメントはこちらへにほんブログ村
2012年10月18日
私は頻繁に夢をみる。予知夢のときもあるし、単なる夢のときもある。ここ2週間ぐらい毎日夢を見ているのだけれど、目が覚めてもしばらく夢の中にいるようなんで思い出すけど、どうも霞がかかったようになってその先を歩けなくなる。でも最近あんまり夢には煩わされたくないからもういいや!知らん!!になっている。断片は思い出したりすることがある。誰が出てきていたとか、どこにいたとか。去年も一時期こんな感じが続いた。目が覚めると、シャッターが閉まったようにもう思い出せなくなった・・・と記事したと思う。楽プロで知り合った炎(ほむら)さんに夢のことを相談してみたら、夢だと良いにせよ、悪いにせよいろんなエネルギーとコンタクトしてしまうということ。だから、夢は見ても気にしないこと、忘れてしまうのが良いとおっしゃられた。”『夢』とは、 寝ている間、 三千世界あると言われる、 霊界や幽界へ旅をしている状態を言う。 霊幽旅行だ 笑!! 幽体離脱して行う旅(幽体旅行)と、 感性を司る奇魂(くしみたま、くしたま)だけ飛ばして、 イマジネーションで見る旅(奇魂旅行)と、2種類ある。”(””は炎さんの記事から引用)と彼の今朝の記事には記されていた。これは私も感じていた。夢の中で確かに幽体離脱のようなことが頻繁にあったから。私の魂は日本に何度も行っていたから。そして不思議なことに全く縁もない 北朝鮮 とか新潟県とか そういうところの風景や人々なんかもはっきり記憶していて、夢と思うには余りにも生々しいことがあった。ヨーロッパのどこかにも!!(私は欧米には行ったことない!)一度などは目が覚めている、息子の部屋で寝ている、そこからの景色も見ているのに肉体の重力を感じないで焦った、焦った。さすがにマズイと思った。臨死体験のときの異次元では全くなにも見えなかったけど、この時ははっきり息子の部屋の景色は見ていた。何度も私は今、息子の部屋にいる!!って強く念じて肉体を感じられるようになった。無重力というのはなんとも、ゾッとするような感覚だった。最近見た夢ではっきりと憶えているのは、私はどうやら、、、異次元世界に行っていたようだった。多分亡くなった人の世界なのだと思う。亡くなってもこの現実世界とあまり変わらない風景があったし世界が広がっていたし、死者には死者の世界が広がっていることがわかった。だから死を良い意味で恐れないで欲しい。周囲の人の不慮の死でどうか心を傷めないで欲しい。彼らは向こう岸の世界にいらっしゃると思ってほしい。そして生あるものは、この世で精一杯に生きなければいけない。それを私は断言しておく。なぜ異世界であるとわかったというとすれ違う人、この世ではたとえ、一期一会のような人生でたった一度、新宿駅ですれ違うような人でも同じ次元のこの世界で生活していると私ははっきり認識できるのだけれど、私が夢でいった世界では、誰をみても、誰とすれ違っても、それとは違う雰囲気、エネルギーを感じたのをはっきり憶えている。一体私はどこへ来てしまったんだろう???と強く疑問に思っている私の姿だけを妙に記憶している。去年、、、夢で仏教徒の死者の集会のようなところへ行ったときもそうだった。彼らの衣服には小学生の名札のように私にはわからない文字で名前のようなものが書かれていて(多分戒名か?)そして数字が書き込まれていた。あれは亡くなった時の年齢なのか?亡くなった年を表していたのかは定かではなかった。でもその仏教徒の死者の集会に集っている人々と私は会話ができたし、意思の疎通もできた。そして彼らが私に注目していたのを感じた。なんかそれこそ鼻の頭が赤いから?って思うぐらいに彼らの目が集まっていた。その後私はその集会の警備員のような人に見つかって竜巻のようなエネルギーで吹き飛ばされそうになった。その竜巻から逃れるために、自分で空を飛んで逃げてきたんだけれど。炎さんには以上かいた私の夢のことなどは一度も伝えたことはないのだけれど、今朝彼のブログを拝見したら夢のことが書いてあって驚いた。そしてその内容は、、、私が夢に対して感じているものとほぼ一致していた。炎さんの夢の記事ご参照くださいませ。コメントはこちらへにほんブログ村
2012年10月17日
夢の話が前後するのですが・・・宇宙人のような人に両手を握られて背後から洪水に襲われる夢を見る前にも不思議な人物(異形の人)の夢を私はみていました。私は高い山の麓のようなところにいました。そこである女性を、今にも懲らしめようとしている不思議な人物がいました。修行僧のようにも、乞食のようにも浮浪者のようにもみえる体格の良い男性でした。薄汚い身なりもしていました。ただ、目が普通の人と違うのです。(夢から覚めて思ったことですが、異形なんですけど、どうも人じゃない感じがしました。)その男性が女性を懲らしめようと襲いかかってきてこの大男に張り手をくらったらきっと・・・女性は大怪我をするだろう、立ち直れない程だろう、と思ったのです。私は彼らの間に入りました。張り飛ばされるのは覚悟の上でした。吹っ飛ばされると思ったけれど、心の中では、この男性は私を吹っ飛ばすことはできないとも私は思っていました。私は顔をさげながら(殴られないように)彼女を庇いました。異形の大男は私の頭を両手で押さえました。彼が私の首を折ろうと思えば折ることは簡単でした。私の頭を殴り倒すことも可能でした。彼の両手が私の頭をしっかり抑えているのを感じましたが私は身動きもしませんでした。その後、彼は私の頭から手を離しました。私が上を向くと彼は背を向けて去っていきました。ここまでがみた夢です。夢に出てきた異形の男性は私が度々記事に書いているからか、夢の中に現れたようでした。彼は夢の中で、私を試されたのでしょう・・・にほんブログ村
2012年09月23日
8月27日にこんな記事を書いた。この数日立て続けに変な夢をみた。メモがわりに記事として残しておく。中略******************今朝は幅25mぐらいの大きな河はどこかの国、イランなのか、日本なのか?どこかの国がダムのように統制している人工的な雰囲気だった。水がたくさんでしかも激しく流れていた。そこにオレンジ色の竹やりのような筒が2・3万本設置されていて水かさと水流でその筒は水中から人を攻撃するミサイルのように次々に放たれては再び自動的に設置されて放たれていた。私はそれをオレンジ色のやりが放たれる逆の側から見ていた。あまりの光景に、カメラのシャッターを押したくなった。1度おしたのだかきちんと撮影できなかった。私は多分腰までその河の中に入っていたようだった。義父が私の後ろから大声で私を叱った。いい加減にしろ!と義父のそばにはたぶん夫と義母がいた。私はその剣幕におそれもし、反発もしたけれど河の外へ上がった。目が覚めて、多分この河は 三途の川 だと思った。私は義父の怒鳴り声で救われたのだと思った。水かさがあり流れの早い河は三途の川だ。私が夢でみたのはこれで3回目。初めてみたときは、今日みた河の十分の1弱の大きさの小川だったこの水の中で私は泳ぎ水が少し口に入ってしまったが、すぐに岸へあがって水を吐き出した。それで命拾いした。今回のはものすごい大きさだった。どうもこれはどこかの国が戦争のために自動ミサイル発射装置を準備しているような気がしてならない。それによってたくさんの人をこの三途の川の中に引き入れるのではないかと・・・2010年11月20日頃に私は海底の中の夢をみた。海水が澱んでいて、泡とともにゆっくりとゼリー状にかたまっていった。そのあと天の大きな刀がその海の中に上下、左右、そして斜めに*型を刻んだ。そしてそのあといろんな国で政変や改革、革命がおき、日本は大震災に見舞われた。一週間ほど前イスラエルはイランを煽り、イランもイスラエルの攻撃にたいして自己防衛戦をする準備があると声明を出した。まあ、この二国はいつもこんな状況ではあり、本当はどの程度に険悪な状況であるのか政治に疎い私には全くわからない・・・・世界の平和を心から願っている。何事もないことを願い、自分の妄想が描いた夢であることを切に願っている。以上引用こんな夢を見ていたのだけど、数日前イランが今まで伏せていた事件を公表した。1ヶ月前に聖地GHOMの近くにある原子力施設に送電し、大規模な作業があったようなのだけど、それを阻止するように電気を送る施設と原子力施設の間を数カ所爆破されていたとのことその爆破事件の直後にIAEAがこの施設を訪問したのだけど、イラン政府は、IAEAの中にはこの爆破事件を犯した組織に通じているスパイがいる、スパイは爆破がどの程度この施設に影響を与えたかをチェックするために訪れたのだ。もう二度とこのようなことは許されない!という内容だった。つい最近イランのカナダ大使館も閉鎖するし、イスラムを冒涜する映画は製作されて公開されて世界各地のイスラム教徒はデモ起こすし、不穏な雰囲気が漂っている。インド占星術の義姉は、10月の半ば頃にまた緊張が訪れそうと言っている。そんなことがないことを切に祈っている。にほんブログ村
2012年09月19日
ここ数日、お客がきたりで忙しかった。ネットが繋がらなくなった。私は指を切るし(お客を接待後でよかった)携帯はおかしくなって、リセットせざるを得なくなった。子供達をプラネタリウムに連れて行った。翻訳の仕事をするのが精一杯でネットまで手が回らなかった。今朝は不思議な夢を見た。家は今とは別のところで、もっと広かったけれど、ものすごくたくさんお客がきて私たちに会うためだった。ものすごい人数で、客間と居間のスペースのために荷物を部屋に詰め込んでいた。部屋はごった返していて、そこにも客が入っていた。義妹2の息子が使っていたピアノがその時貴方が使って!というように届けられていた。(夢の中で物をもらうのはその人の問題を請け負うことを意味する。)こんなんじゃとてもじゃないけど接客できない!って思った。しかも夢の中で私は接待続きで疲れていた。それでも接待しようとするけどどうしてもルサリー(髪を隠すスカーフ)がみつからない。ウロウロ、オロオロする。部屋はごったがえしていてとても見つからない!それでもショウガナイよ手伝わないと、なんでもいいよ!見つかってくれ!っておもった。そして食事の支度を手伝おうとしたらスカーフはクビについていた。私はスカーフをしていたのだった?!私が手伝おうとしたときすでに客はお茶と果物を食べただけで帰っていた。あんなにたくさんいた客は一人残らず帰っていた。そこへ義母が気が狂ったように戻ってきて私は気でも狂ったのか?こんな格好をして、それに気がつかずに近所の人の前にでてしまった。あの人もみていた、この人も見ていた。みて!私はこんな格好をしていたのよ!!!どうしよう!!みると義母はビキニの水着だけど金でできて装飾がしてある、アラブのダンサーが着るような服装をしていた。その後夫と息子と私はタイにいたようだった。なぜか義妹2の旦那さんが私と息子のそば居た、現実で一度もそんなこと感じたことなにのになにかとても嫌な感じを彼から受けた。タイの大衆食堂のようなところで各種串焼きを売っていた。私がたまたま口にしたのは焼きイカだった。私は義妹2の旦那がぴったり私にくっついているのが嫌で息子を大声で呼んで、焼きイカがあるよ~~~!串が2本突き通っているのがイカだよ!と言った。息子の方へ私は向かって、義妹2の旦那さんと距離を置いた。夫と何処かへ向かっていた。これもタイだったように思う。夫は私の先を歩いていて、見失った。そして夫らしき人の後をついていった。その人が振り返ったら夫ではなく全身、髪の毛も黄土色で地球人ではなく宇宙人のように感じた。その人はなぜか私に話しかけたけれど言葉がよくわからなかった。公園にいたようで、息子が走りながら赤い靴履いてた女の子~~~と歌った。そしたら周りにいた70歳ぐらいのおばあさんが、この歌なんだっけ?といい、赤い靴を思いだし、懐かしがっていた。私は、ああ、この人たちは日本人だったのだ!と思った。宇宙人は、目の前に立っていて、傍に高校生ぐらいの男の子と女の子の兄妹がいた。彼らの言葉はわかった。僕たちはタイ人とイタリア人の混血なの、貴方の息子さんと同じ。彼らはどうも、息子を気に入ったようだった。宇宙人らしき人は私の両手を握った。そしたら突然洪水が、ものすごい水の勢いを後ろから感じた。あっという間にそれは私の丈に膨れ上がった。苦しくはなかったが、こりゃ、無理。水の上には出られないと思った。宇宙人は、洪水がくるのを知っていたようだった。私の手を離さなかったし、固く握ってはいたが、どういうわけか、水の外へ出してくれようともしなかった。そこで目が覚めた。多分、このタイの夢は未来の出来事のように思った。多分前半はきっと義父が亡くなった時の様子なのだろうとも思った。お布施をした。夢が現実にならないように祈った。コメントはこちらへ義姉2にこの夢の話をしたら。喪服を着ていなかったから葬式ではないだろう。とのこと。(あ~~~~よかった)彼女の夢の解釈もここに追記します。にほんブログ村
2012年09月19日
今朝も夢をみた。実家にいた。なぜか大学の講義に行く支度をするところだった。(私は大学入学を期に上京して、それ以後実家に戻ることはなかったのに)訪問者が来たのを感じたのか?ブザーがなったのか?わからないけれど、doorの穴からみてみると、3人の女性が私がdoorを開けるのを座ってまっていた。その人たちはなんとなく日本人じゃなかった。イラン人だったみたいだけれど、知らない顔だった。全て女性だった。doorを開ける前にふと下をみると、そら豆が1・2キロ、牛乳配達の牛乳をいれるところに入っていた。私は不思議に思った。彼女たちを招き入れると、彼女たちは漢方薬の包のような薬を飲みたいので水をくれといったので台所で一人料理を作っていたお手伝いさん(私はお手伝いさんに仕事をしてもらっても、掃除しか頼んだことはないのに)がいて彼女は台所に食材を広げて作業していたので彼女にコップに1杯水を頼んだ。女性のひとりに渡したら、彼女は咳き込みながら薬を飲んだ。私が、ぬるま湯の方が良いのかしら? と尋ねるとこの薬は水だと咽喉に張り付いて飲みにくいといったので、2杯目はお手伝いさんに少し温度を高めにしてと頼んだ。振り返ったら同じ実家だけど、別の場面に移っていた。私は3着新しい服を買っていたようで、そのひとつ真っ白じゃないけど茶色がかったクリーム色のワンピースを着ていこうと思ったら、母だったか、姉だったかがそれを着ていて、私にとても似合うから自分のものにしたいと言っていた。私は え!私それ今着ていこうと思ったのに・・・と言ったら、母がそれは私が一部お金を払ったからいいでしょう?と言ったので。残念だけどしょうがないね。とそれは母の方に分があると諦めた。母が別の部屋で大きな音でカセットを鳴らしていた。それは私のカセットテープでガンガン・ギンギンのハードロックが最初から最後まで一杯入ったテープだった。なんでそんなのかけているのかな?と私がそばに行くとそのテープはなぜか勝手に先送りして、最後まで終わってしまった、テープを取り出してみるとそれには 虚しさ と書いてあった。私は、、、ああ、母には私のなかに 虚無 が住みついているの気がつかれてしまった、知られてしまった・・・と夢の中ではっきりと認識した。こんな夢だった。*************両親は亡くなってから私の全てがみえるようになってしまった・・・とは思っていたけれど、やっぱりな~~~という夢だった。ただ、もしかしたら私の 虚しさ が取り除かれるのを母が望んでいるのか?とか取り除かれるのかもしれない? と思った。母が私のことも、姉のことも心配しているのは確かだった。にほんブログ村
2012年08月28日
大河の夢を見た日、果樹園に行く前に多分15分ぐらいウトウトとした時にまた変な夢をみた。私は夢の中で医者にかかっていた。医者は男性だったが、私を診ようとはせず彼はセムシのように小さく背中をまるめて、私に背を向けていた。私は彼が振り返るのを待っていたが彼の横の診察ベッドをみるとその上に黒い布(イランの女性がかぶるヴェールのような)にしっかりと包まれた、身体を縮めて横たわっている人がいた。姿は全くみえなかった・・・医者は最後まで振り返らなかった。夫がその後帰宅してこんなことを言った。義妹3もその日の朝夢をみていたと。その夢とは、彼の亡くなった旦那が夢に出てきて彼の携帯メッセージがきてそれは彼の母親と姉からの呼び出しなので出かけてくると言ったそうだ。義妹3は 私も一緒に行きます と答えたら彼は否、絶対についてきてはいけないと言った。以上が義妹3の夢。私が感じたように、亡くなった旦那さんは義妹のすぐ近くに来ているんだ、6日間ぐらいずっとそばにいるんだ!と思った。義姉2も・・・その日の朝不思議な夢をみていた。彼女は絶対にこの夢の話を誰にも言わないで欲しいと私に言った。彼女の母(私の義母)が顔を異様に赤くさせていた。具合が悪くない?と訪ねたら、どこからともなく 次はこの人 次はこの人という声が聞こえてきたという。先週の水曜日に30年来のご近所の奥さんがなくなってここ一週間は初夜・三日のお弔いの儀式があった。義姉2は霊感が強い人だけれど、今一つ私はこの夢は信じ難い。多分信じたくないのだと思う。ただ、少し前から私も親戚の誰かが亡くなるような気がしている。義父の姉はかなりの高齢なので90歳以上かも。。。だからいつ亡くなってもおかしくない。義母の兄も然り。ただ私の夢にでてきた黒い布に包まれていた人は女性であったように思う。今日はたくさん祈祷した。果樹園の作業しながら祈祷した。車に乗っていても祈祷した。ひとつだけ言えることはあの世とこの世の境はそんなにハッキリしてないんだろうな・・・ってこと。心身が弱るとその境界線がなんか透けちゃう感じかな。気を付けないといけない。うたた寝でみた セムシの医者 彼が振り返らなくて良かったのかも、助かったのかも・・・と。彼はもしかしたら Death かもしれないって思った。私は彼の顔をしっている。彼の目を知っている。だから彼は顔を見せなかったのかな・・・とも。にほんブログ村
2012年08月28日
この数日立て続けに変な夢をみた。メモがわりに記事として残しておく。木曜日の朝義妹3が臨月のようなお腹をかかえている夢をみた。私は2010年12月に同じように義妹3が大きなお腹をかかえている夢を見たあと入院していた彼女の夫が急逝した。妊娠の夢はお腹の大きさと比例して問題を抱える意味だから。今回もきっと亡くなった旦那さんの母や兄弟・姉妹との間の問題が浮上するんじゃないかと心配になり、すぐに夢を無効にするよう願って礼拝し、お布施をした。**************その次の日には義妹3の一族と再婚相手の親戚が会席するところへ私は入っていった。日本の料亭のような造りの場所に洒落た木戸をフスマを開けるように中へはいっていったら中に入ってすぐの右側に亡くなった義妹3の旦那さんが裸で座っていてとなりにピッタリ寄り添うように義妹3が座っていて彼のお腹をさすっていた。私はそれを見てだまって左側の奥へ入っていった。義妹2の旦那さんが誰かと座っていたのだが、彼に”いつ元義妹3の旦那は生き返ったの、どうやってここに?”と尋ねた。彼は、指差して”あそこに座っているってことは生き返ったんだ。4日前に生き返った”と答えた。再婚相手の二人の姉が疲れたような年齢より老けた様子でも礼服を着ていたが、”会が始まらないのなら退席する”といって立ち上がった。義姉1(美容師)が長女を連れて、義父に”会がまだ始まらないのなら、この近くにバーゲンしているブティックがあったからそこへ行ってきてもいいか?”と尋ねていた。義妹3の亡くなった夫は多分彼女のそばに来ていた・来ているのだと思った。私は彼に話しかけなくて良かったと思った。この後も夢が無効になるよう願って礼拝をした。******************今朝は幅25mぐらいの大きな河はどこかの国、イランなのか、日本なのか?どこかの国がダムのように統制している人工的な雰囲気だった。水がたくさんでしかも激しく流れていた。そこにオレンジ色の竹やりのような筒が2・3万本設置されていて水かさと水流でその筒は水中から人を攻撃するミサイルのように次々に放たれては再び自動的に設置されて放たれていた。私はそれをオレンジ色のやりが放たれる逆の側から見ていた。あまりの光景に、カメラのシャッターを押したくなった。1度おしたのだかきちんと撮影できなかった。私は多分腰までその河の中に入っていたようだった。義父が私の後ろから大声で私を叱った。いい加減にしろ!と義父のそばにはたぶん夫と義母がいた。私はその剣幕におそれもし、反発もしたけれど河の外へ上がった。目が覚めて、多分この河は 三途の川 だと思った。私は義父の怒鳴り声で救われたのだと思った。水かさがあり流れの早い河は三途の川だ。私が夢でみたのはこれで3回目。初めてみたときは、今日みた河の十分の1弱の大きさの小川だったこの水の中で私は泳ぎ水が少し口に入ってしまったが、すぐに岸へあがって水を吐き出した。それで命拾いした。今回のはものすごい大きさだった。どうもこれはどこかの国が戦争のために自動ミサイル発射装置を準備しているような気がしてならない。それによってたくさんの人をこの三途の川の中に引き入れるのではないかと・・・2010年11月20日頃に私は海底の中の夢をみた。海水が澱んでいて、泡とともにゆっくりとゼリー状にかたまっていった。そのあと天の大きな刀がその海の中に上下、左右、そして斜めに*型を刻んだ。そしてそのあといろんな国で政変や改革、革命がおき、日本は大震災に見舞われた。一週間ほど前イスラエルはイランを煽り、イランもイスラエルの攻撃にたいして自己防衛戦をする準備があると声明を出した。まあ、この二国はいつもこんな状況ではあり、本当はどの程度に険悪な状況であるのか政治に疎い私には全くわからない・・・・世界の平和を心から願っている。何事もないことを願い、自分の妄想が描いた夢であることを切に願っている。にほんブログ村
2012年08月27日
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