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恋(こふ)人・恋(こは)せる人
現代奇譚
恋(こひ)
というものが、
相手のこころを自分の方へ向かせたいっと 乞ひ焦がれる
ことだと致しましたら、
ある意味 結婚 というものとは、
真逆の意味合いをもつのでございましょう。
それ故に、結婚して(相手と恋愛をして、ということではなく)7・8年たっても、
日常生活の共同者となった伴侶に”恋する”気持ちを抱いている夫婦はほとんどない
ということは、ある意味当然であり、自然なこととである、とも言えるのではないでしょうか。
相手に自分を想わせ、恋させておくのならば(その目的は人それぞれ多種多様ではありますが)、
常に相手を不安にさせ、不満にさせておく必要がある
、っと言いかえることができましょうか。
その点からみれば 恋 とは 愛 とも真逆の意味合いを兼ね備えている
、とも言えます。
確かにそこ・・・相手に自分を恋焦がれさせるために、不安にさせ、不満にさせること、
”いじめのような可愛がり”
とも言える行為・・・には、
終わり はござんせん、否 終わりがあってはいけないのでございます。
地獄の果てまで到達しても、それでも終わりがあってはならない
、
鬼(追わせる方)の道・餓鬼(追う方)の道
いくら相手を舐めて、飲んで、食べて、食べ尽くしたつもりであっても、
まだまだ満たされない・・・っと相手にも自分にも、想わせなければなりません。
これは視点を変えれば、
ひとりの人を追いかけて、地獄の果て、天国の果てまでも、
上下、左右に揺さぶられ、引っばられ、しがみつき、夢?!みさせてもらえるほど
恋させてくれる人
と巡りあったのですから
幸せ?! なのかもしれませんけれども・・・・
(私はそこに 幸福 ではなく 修羅=止むことのない執念 をみて、ゾッと致します。)
*** *** ***
オソロシイことに、これは男女の仲だけに当てはまることではなく、
日本だけでなく、イランでも、私の身近な親子関係とか、師弟関係なんかにも
(勿論夫婦関係にも)
同じような 修羅
を目にすることがあります。
それが相手からの情だけでなく、物質的なものに関する執念 だったりしたら、
まさに 現実世界の 魔界
です。
こういう どうにもこうにも執念 を抱いてしまうような存在(者・物)に偶然出会ってしまったら、
可能な限り(それは必然=サダメでもありましょうから、限界はありますが)
離れる、距離を置く、 逃げる
ように努める・・・ っと私自身は思ってます。
(時に、振り切った、逃げ切ったと思っても、相手が後をつけている場合もあります。)
恋 というものはそんなに甘く、優しく、切ないものだけではありません。
恋の道 は 修羅の場(戦場)
でもあると私は思ってます。
己がこころとの戦場
でもあります。
相手がナイフを持っている場合は、どれほど護身術・武道ができても、逃げる。
また相手がナイフを隠しもっている、と悟った時点でもやはり逃げる。
相手が自分よりも、その道に長けている、、、、これも同じです。
逃げるが勝ち
です。
この場合、 自信を持っている人ほど、痛手は大きくなります
。
決して己の力量を過信してはならない・・・っというのが、私個人の鉄則です。
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