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刀と刃・心と忍
Yaiba (366x640)
posted by (C)maryam f d
この画像は、タイの寺院の小窓の雨戸のようなものの意匠でした。
(画像は私の中のイメージに似せて加工してあります。)
タイの、昔の風俗習慣なのでしょうか、ヒゲを生やしていて、
顔の感じは老いて、私には見えるのですが、
体つきは少年のように柔軟で靭やかで、
その何とも言えない不自然さ、アンバランスさと、
刀裁きの鋭さ、的確さ、プロを感じたのです。
プロといっても・・・そのプロの腕をどう使うかは定かではありません。
一刀で切り絶ってくれれば、楽に絶命するところを、
その的確な刀裁き故に、致命傷を与えず、長期間に渡って痛めつけて、
それをじっくりと楽しむようなプロもいますから。
刀というものは、その刃で人を傷つけもすれば、守りもします。
そしてその刃が・・・己に牙を剥くこともあります。
忍 というのは こころの刃 と書きます。
”私の心の剣(つるぎ)
その 刃(やいば)は時に
我 を 彼 を 守るために
我 を 彼 を 傷つけた
(省略)
忍ぶ とは 我慢でするものではない
忍ぶ とは ゆとりでするものなのだ(2011年記)”
ある人、何かを守るために 己は耐え難きを耐え、忍びますが、
人ですから 我慢・限界 はつきものです。
その限界が訪れたときに、その刃(やいば)で、
人を、また己をも傷つけることもあるだろうな・・・っと私は思っています。
忍ぶとは、真剣勝負と同じように、
我慢で(限界ギリギリ、ハアハア息を切らせて)するものではなく、
ゆとりでするものなのだと私は思ってます。
(真剣勝負はゆとりをもって戦う・・・とは相手を徹底的にやっつけ、
むやみやたらに相手の身体に切り込んだり、
感情の赴くままに、死に至らしめることのない、真剣勝負にするためにです。)
人は誰でもエゴという刀を携えているのかもしれません。
エゴとの向き合い方が、その人の刀の扱い方、刀の用途に現れる
ような気がしています。
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