Free Space
20150311夢覚書
下宿先にいるようだったけれど定かではない。
両親と母方の祖母(3人とも故人)が何処かへ先にいっていて、
私と二人の姉は一緒にいくことができず、
それでは後からそこへ向かうからという感じだった。
何処へ行くのか憶えていないが、
何処かボーリング場のようなところへ遊びにいくイメージがあった。
私は下宿の部屋に戻っていた。
どういうわけか私はその出かける場所へ布団だか、
ベットを持って行きたかったようだった。
しかしそのベット(セミダブルぐらいの大きさだった)は
ところどころ水たまりがあった。
あらら??濡れている・・・
っとふと上をみると上の明り取りのような窓が開いていて、
青空が見えていたが、
おそらく昨夜は雨が降ってその窓からベットへ降り注いだのだろう
っと私は思った。
これでは無理ねっと、濡れた布団を片付けた。
片付けが終わって外出着に着替えようとした。
ズボンを履き替えはじめ、ふと誰かに覗かれている気がした。
後ろを振り返ると、壁の隅に小さな窓があって、
男性二人と目があった、すぐにズボンを上にあげたけれど、
ああ、太ももを見られたかな・・・っと思った。
(この夢に限らず、私は夢の中でシャワーを浴びたり、
着替えたりするときに、誰かの視線を感じ、
見られているということが度々ある)
部屋を出て姉二人のところへ向かう途中で、
二人の若い女性にお金をかしてほしいだったか、
助けて欲しいと言われた。
私は、これから出かけるのであまりたくさんは
渡せないなあ・・・っとおもいつつも
3万円ぐらいもっている裡の3千円ぐらいは渡したように思う。
姉二人とおち合ったときは、両親と祖母が出かけてから、
かなり時間が経っていて、今いっても間に合わないか・・・
今回はもう遅くて無理ね。
っと思っていた。姉二人の方が私よりも、両親・祖母の方へ
先に向かっているような気がしたけれど・・・
そんな夢だった。
今振り返ると、想うことはいろいろある。
でもそれは予想の域を出ないものだけれど。
おそらくお金が足りないからと頼まれたときに
もっとお金を与えていたほうがよかったのだろう・・・
夢の中でお金というのは、苦労や辛苦、重荷なんだろうな
というのはずいぶん前から感じていた。
所持金全てを与えていたら、
私の苦労やストレスは全てなくなっていたかもしれない。
しかし・・・お金は辛苦・苦労ではあるが、
なんというか、おそらく現世と己を引き止めるもの
執着心でもあるのかもしれない・・・
っとこの夢をみて初めて感じた。
執着という言葉は、ほとんど良い意味には取られない言葉だけれど、
私はこの執着心によってこれまで3度命を助けられたことがある。
おそらく、、、両親と祖母の向かった先とは死後の世界なんだろう
私はそこを、、、娯楽施設かなにかだと感じているらしい。
布団というのは財だろうと思う。
死後に財なんて持っていけるわけがない。
また濡れていてもっていけなかった、その処理で
死出の旅に出遅れて見送ることになる。
所持していた全てのお金を、若い女性に与えることができなかったのは、
先行きを案じたためで、まだまだわたしは現世でやるべきことがあるのだろうし、
そしてそれを私自身なんとなく意識しているのだろうな・・・
っと想った。
おそらく、、、執着心、金銭を含めた財というものを軽視している私に
夢は、、、あんたこれがなかったら、
あっという間にあの世行き、あるいはこの世にいたって、気分はあの世で、
生きてるんだか死んでるんだか、
わかんなくなっちゃうじゃない。
もうちっと執着心と欲をもって、
この世の苦労と背負って、
苦労と裏表の楽しみも感じて生きなさいな~
ってな感じの夢なのかもしれない
っと勝手に想った。
今日は3月11日。
大震災で亡くなられた方々のご冥福を心から・・・
ただし、亡くなった人のためにも精一杯わたしは生きる
ということは全く思わない。
なぜなら、大震災があってもなくても、
わたしという命も亡くなった方々と同様、
一瞬先には命が奪われるかもしれないから。
そしてまた精一杯生きることにも対して、
さして(まったく?!)重要性を感じていないから。
わたしはわたしができること、することをして日々過ごすのみ。
そしてそれこそがおそらく
わたし以上でも、以下でもない、等身大の生き方
ということなのだろう
っと想うから。
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