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出光美術館へ、終了ぎりぎりで、「国宝 風神雷神図屏風―宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造―」を見に行った。俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、それぞれの風神雷神図が66年ぶりに一同に会するということで、さすがに人気があって午前中にかけつけたのに、長蛇の列&かなりの混みよう(T_T)俵屋宗達尾形光琳酒井抱一私にとっては宗達のが一番よかったかな。決め手は衣の流れ、その曲線の美しさ、のびやかな強弱のつけかた。非常に魅力的でうっとりしてしまう。また、風神と雷神の視線が、光琳や抱一のは互いを見合っているけど、宗達のは、互いを見ていない。雷神は下界を見下ろし、風神は虚空を見ているように見える。そのことも私好み。時代を下るごとにマンガ的と言われているようだけど、彩色が鮮やかに残っているからかもしれないなあ。宗達のも元の色で見ることができたら、かなりマンガ的だと思う。"ハレ"の色の取り合わせに、そのパワーに、驚くだろうな。見てみたいものだ。メインの風神雷神図屏風の後は、紅白梅、秋草図、かきつばたなど、テーマに沿って数点ずつまとまりよく作品が展示されていた。酒井抱一「紅白梅図屏風」、銀地に、左に白梅、右に紅梅。清冽な白梅がすがすがしい。伝尾形光琳「紅白梅図屏風」、金地に紅白梅。梅の木の足元の、池とおぼしきところと背景との境目に、小さな四角い金箔が散りばめられ、非常にデザイン的で驚く。右の屏風の、真ん中に直線的に小さく差し出された梅の枝も、大胆な構図。余白の部分、ただただ金の空間が、"雄弁な無言"を感じさせる。秋草や、十二ヶ月花鳥図などの繊細な表現はやっぱり抱一が、心憎いまでに素晴らしかった。仙崖の味のある墨絵。やわらかくぞんざいで、かわいく楽しい。出光美術館は初めて行ったが、普段だったらほどよい規模で落ち着いて見れそう。しかし今回は非常な混みようで、どっぷり疲れてしまった。国宝の宗達の「風神雷神図屏風」前では2人の警備員さんが「前列の方は立ち止まらないでくださ~い!立ち止まるなら後列にお並びくださーい」と両脇から叫び続けている。確かにかなり混んでいるから、しょうがないのかなあ・・また、描かれている植物の名前をすべて声に出して数え上げないと気のすまないおばさま、連れの女性にうんちくをたれるおじさま、もうちょっと小さな声でお願いしますでも、美術品をこうしてわいわい言いながら見るのも実はいいことなのかもしれない。堅苦しく見る必要はないしなあ、と思い直したりして。それでもだんだん頭が痛くなってきたので、けっこう並んだ割には、早めに美術館を後に。帰りのエレベーターも並んで待たなければいけなかった。しかし待ってる間、エレベーターホールの壁のさりげない塗りが美しいことに気づいた。波のようなゆらぎの文様が、同色の壁材の塗りだけで描かれており、控えめなだけに、ここちよい。けっこう凝ってる会場なんだな・・・また何かの展覧会で来よう。
2006.09.30
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「モダン・パラダイス展」の感想その2。それぞれのセクションでの心ひかれた作品の感想。感想その1はこちら♪第1セクション「光あれ」・・近代の風景画、光へのこだわり児島虎次郎「ベゴニアの畠」、懐かしい独特の明るい色彩。白亜の家の壁、ベゴニアの色とりどりのあたたかな色にあふれた庭。木漏れ日の中、ベンチに憩う老人と子供。手前にあるサボ、地面に突っ立てられたシャベル。庭作業の合間の休憩時間なのだろうか。安息のひととき。見ているこちらも穏やかな光に心和んでくるような気がする。2年前に倉敷へ行ったとき、児島虎次郎記念館にも行った。画家としての活動だけでなく、海外の絵画の買い付けを任され、大原美術館に大きく貢献した彼は「創作活動をするのと同様に、作品を選別することも重要な芸術活動だ」といったような言葉(うろ覚え(^^;))を残していて、当時の私にはとても大きく響き、「美に関わる仕事がしたい!」と共感したなあ。山中信夫「東京の太陽」「マンハッタンの太陽」と題された写真のシリーズ。黒い背景の真ん中に、丸く風景が切り取られている。瞳に映りこんだ風景のようにも見える。丸の周辺はみずみずしく燃えるようにゆがみ、小宇宙をつくっている。どうやって撮ったのだろう?穴からのぞいて撮ったのだろうか、魚眼レンズともちょっと違うし、不思議な小さな世界だ。マンハッタンのほうの1枚には、今はなきワールド・トレード・センターのツインタワーが写っている・・・第2セクション「まさぐる手・もだえる空間」・・20世紀の抽象絵画、描くという行為アンリ・ミショー「ムーヴマン」「無題」にひきつけられる。ムーヴマンは特に興味深い。ベージュがかった小さな紙に、黒だけで描かれ、まるで文字が並んでいるよう。小さな人々の躍動。小さなエネルギー。書き味を楽しむ。抽象的でかわいい。広い会場では、黒々とした大作2つが並べられていて、どうしても目がいく。1つはスーラージュ、とすぐわかったが、近づいてみるともう1つは横山操の作品だった!彼の墨の作品はぜひ見てみたかったが、初めて出会えて感激。各セクションでそれぞれ、東西の作品を並べ、その相似と相違を楽しむ企画のうちの1つだが、これはなかなか面白かった。ここでは、黒を扱った大胆な抽象的な作品を並べたのだろう。左の、スーラージュ「絵画」は真四角に近い横長のキャンバスに、油彩で直線的に、縦横と塗り重ねている。絵の具の盛り上がり、刷毛目など残しつつ、ひたすらに幅広の黒が重ねられ、どっしりした重量感に圧倒される。それはまるで何かを封じ込めるように重ねられ、求心的な動きがある。緊密な厚みのある黒。"対象"ではなく、造作自体を感じられる。それに対し横山操の、ひどく縦長で大きな作品のタイトルは「塔」、抽象的に見えるが実は五重の塔を描いたものらしい。私には塔というより、船のマストのように見えた。天を突き、海原を突き進んでいく船のマストと、その横木。縦長の大きな四辺に断ち切られているが、それゆえに上へ上へ横へ横へ伸びていく黒、を感じ取ることができる。スーラージュと対照的に、遠心的なエネルギーと、意志のようなものを感じる。そして"対象"を描いているので、その点もずいぶん異なって見える。それにしても、横山操の作品は、墨の荒々しさが魅力的でもあるけれど、墨ががさがさし、でこぼこし、表面がひび割れていたりして、剥落したりしないのだろうか、とちょっと心配もしたりして・・(^^;)第3セクション「心のかたち」・・肖像を中心にアルフレッド・スティーグリッツ「ジョージア・オキーフ:ある肖像」、きりっとしたオキーフの小さなモノクロ写真。彼女の精神性のあらわれている美しい肖像だと思った。彼女に会いたくなる。セバスチャン・サルガド「サヘルの飢饉」シリーズより3点のモノクロ写真。白黒が美しい。美しい、と言っていいものかどうかためらわれるが・・・アフリカの人々の肖像、飢饉に苦しんでいるはずなのに、彼らの表情や姿勢から、ぴんとはった命、心の貴さを写し取っている。細い光、という言葉が浮かぶ。暗くない、優しい黒。絶望や悲惨さや嘆きではなく、崇高さがモノクロの中に焼き付けられている。第4セクション「夢かうつつか」・・無意識や夢、物語、シュールレアリスムフジタの戦争画は「藤田嗣治展」でも圧倒されたのを生々しく思い出す。すごい作品だけれど、今回はここのセクションに入れてあるのがどうしても、疑問。ジョン・フォートリエ「人質」、タイトルの背景にあるものは知らなかったけれど(後ほどTakさんのブログで背景を知りました(^^;))誰もが人質なのだと思った。人間は誰もが生まれながらに死刑宣告を受けているのだ、とかなんとか言ったのは誰でしたか・・・それと同じような感じで。ただれているような黄色い肌の男の、大きな横顔。わなないている口もと、力なく叫んでいるような。声にならない声。そのような絶望と、そこから逃れたい欲求、理不尽な現実から抜け出し、新たなる生命、新たなる世界への渇望、そういったものは、このセクションの後半を占める雰囲気だったように感じる。ここまで、4つのセクションを通り抜け、肌に感じるものがあった。最初は風景、外的世界、世界との関わり、光、次に人間の描くという行為そのもの、動き、躍動、それを純粋にぶつけて創られた作品、その次に、人間の肉体そのもの、人の気配、内面や心情が表れ出た肖像、そして、物語、夢、深層の世界、意識と無意識・・・と、外界から人間存在へ、さらに内面へ内面へと外界の明るい光から、内面の闇までずーっと辿ってきたように感じた。そして第5セクション「楽園へ」、と来れば、じっと見つめたどり着いた人間の深い闇と渇望が、集約された意識が、もう一度世界へ突き抜けて、外へ、上へ、天上へ解放され、世界と内との円環を形作るのではないかとものすごく壮大な、勝手な期待をしてしまって、ひとり異様に?(笑)わくわく。第5セクションの入り口にあった富岡鉄斎「蓬莱仙境図」は、それを、パラダイスを、ちょっと予感させてくれた。けわしい山の上の桃源郷。ほとんど棒のように突っ立つ山の頂上付近に朱の屋根の家々、素朴な雰囲気が味わい深い。山の上にちょこんとのぞく太陽のにじみが、やさしくかわいらしい。山の中腹にはちょんちょんと描かれた、ねこやなぎか、白い花々か・・良い香りがしてきそう。てってってっとリズミカルに塗られているグレーの山道。粗雑そうに見えながら、全体的に淡くまとまり、うっそうとした木々を抜けてこの山をのぼっていけば、いつかパラダイスへ行けるんだと思えてしまう。全体のコンセプトは「?」がつくけれど、第4セクションの終わりで、ここまで気分が盛り上がり、私なりにパラダイス(の、予感)を楽しめたということでいいのかもしれない。いい作品もたくさんあったし。今回の目玉だったゴーギャン、ルノワール、マティス、萬鉄五郎、関根正二、岸田劉生などにまったく触れてなくてすみません・・・どういうわけか、今回、こうなってしまった。自分の中に今、知らないものを見ようという意識があるのかもしれない・・常設展は、いつも通り時間がなくてざーっとだけ見た。ただ、川端龍子「草炎」にはやはりひきつけられ、椅子に座ってぼーっと眺めた。初めて出会ったのは2年前の「RIMPA展」。何度見ても見事で、ため息が出る。2Fで開催されていた「Body in Pieces~ばらばらになった身体」では、満員電車の写真、金山の工夫たちの写真などが面白かった。無機質で不条理的なこわい、アニメのような作品もあった。こわくてあまり見れなかった・・(>_
2006.09.29
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会社帰りに竹橋の国立近代美術館へ、「モダン・パラダイス 大原美術館+東京国立近代美術館~東西名画の饗宴」を見に行った。大原美術館は2年前に行ったので、懐かしい・・!今回の展覧会のタイトル、東の国立近代美術館と西の大原美術館、そして東洋と西洋、その二重の意味での"東西名画の饗宴"ということはじゅうぶん想像できたが、どうやらコンセプトはさらに凝っているらしい。一村雨さんのブログでは「研究してから行けばよかった」と書かれていたが、あえて極力、他の方のブログでの感想は読まないで出かけた。会社帰りで時間が限られている、というのもあるけれどまずはいつも通り、一度ざーっと入り口から出口までひと通り作品を見て回り、興味ひかれる作品をチェックしていく。そしてまた戻って気に入った作品をじっくり鑑賞していくのだ。5つのセクションに分かれており、概要はこんな感じ。第1セクション「光あれ」・・近代の風景画、光へのこだわり第2セクション「まさぐる手・もだえる空間」・・20世紀の抽象絵画、描くという行為第3セクション「心のかたち」・・肖像を中心に第4セクション「夢かうつつか」・・無意識や夢、シュールレアリスム、戦争や死第5セクション「楽園へ」・・プリミティブなもの、芸術家が求め続けたモダン・パラダイスひと通りすべての空間を歩いたのは、今回の場合は特に有効だった。東西の絵画、写真作品、彫刻など入り混じっていて全体的にばらばらな印象だが、セクションの概要をざっと眺め、作品に象徴される"流れ"を感じながら進むと、次第に今回の趣旨に身体が導かれるように感じ、最後のセクション「楽園へ」に、足を踏み入れるときには、「モダン・パラダイス」というタイトルがとても率直に肌に響いてきた。そこを目指してきたんだな、さまざまに表現し、創り、多くの芸術家は究極的にはパラダイスを求めてきたんだ。どんなパラダイスが広がっているんだろう、とわくわくしてきた。しかし、実際は第5セクションの空間に入ったとき、がっかりとまでは行かないけれど、少々期待はずれ・・ああ、男性が組み立てたコンセプトだな、と内心苦笑いしてしまった。結局は女、女神、母性への愛着、と感じた。(私の偏見かなあ・・? 男性がみなこれに共感するという意味ではありませんのであしからず)もちろん女性だって母性、母なるものをパラダイスと感じることも十分あるだろうけど。芸術家として活躍してきたのが男性が圧倒的に多いのだからそれらのモチーフが多く、ここに帰着させやすかったのかもしれない。個々の作品は決して悪くない。それに沖縄や屋久島の写真作品や、象や龍を扱った巨大な絵画もあったし。そうした原初的な生命力、がテーマだったようだが、う~ん・・どうだったんだろう、このコンセプト(^^;)第5セクションでのゴーギャンの裸婦像と萬鉄五郎の裸婦像、のように肖像画、風景画、抽象画など各セクション、それぞれ東西の画家の作品を並べてあって、その相違を楽しむ、という企画があり、それは面白かったので、それ中心でもよかったんじゃないかと思ってしまう・・"東西の饗宴"なわけだし。その"饗宴"からさらに"パラダイス"という表現を引き出して三重に意味を重ねようとしたのかもしれない。私が"パラダイス"という表現に、期待しすぎただけかもしれないけれど。でも、逆に自分ならどんな作品を"パラダイス"というセクションに置くだろうか、と考えた。そういう意味では考えさせられるコンセプトだったなあ。私なら・・・・展示は無理(泣)だけど、パリ・オペラ座のシャガールの天井画かな、"パラダイス"という言葉が私の中でしっくりくる作品は。そんなことを考えてみるのもいいかもしれないな。「モダン・パラダイス展」各々の作品の感想はまた書きます。私にとって、いいものいろいろありました。児島虎次郎、アンリ・ミショー、スーラージュ、横山操、フォートリエ、鉄斎、さまざまな写真作品・・etc.2Fで開催されていた「Body in Pieces~ばらばらになった身体」にはなんと!佐伯祐三のライフマスク(型どりした顔)が展示されていて、びっくり!その端正なお顔、ガラスごしにはりついて見てきましたよ~。キスしたくなりました(*^^*;)<「モダン・パラダイス展」感想その2>
2006.09.29
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昨夜は走墨作品展のあと帰ってばたんきゅー。昼に起き出し、午後は洗濯や片付けなどした。疲れのせいか、頭痛もあり、体調が悪かった。本当は美容院に行きたい、ゆっくりお風呂に入りたい、ブログも書きたい、やりたいことはいろいろあったけど、もうだめだった、夕方寝てしまった。今夜はfucchiEのソロ・ライブなのに・・・ちょっと不安。楽しみにしてるね、と約束をしていたのだから、何とか起き出して準備をした。これまで2回、fucchiEの出演するクラブ・イベントに出かけたけど、ソロのライブは初めてだし、渋谷のクラブも初めて行く。渋谷の"family"はビルの地下にあり、いかにもクラブらしい、穴倉のような小さな空間だった。狭いフロアはすでに混んでいて、圧倒的に男性が多いのが意外だった。前方、一段高いところに小さなステージがあり、さらに一段高くなったところがDJブースになっており、大音量が会場を包んでいた。ジムのダンスのクラスでよく顔を会わせるTさんが友達と来てて、声をかけてくれた、知ってる顔を見れてちょっと安心。会場はどんどん混んできて、すごい、100人いるかな?!と思うくらいほぼ満員状態になった。19時半、定刻より15分遅れでfucchiE登場!前回と同じ女性ダンサー2人を率いて、fucchiEのアルバムの中で私の一番好きな"Just Be Okey"からライブはスタートした。今回は、踊りながら歌うのも慣れたのか、あるいは練習の成果か、声量もほとんど落ちずに、数曲を踊って歌いきっている。ソフトな語り口でのMCを交えながら、次々曲が進んでいく。リズムにのりながら、知っているフレーズは一緒に口ずさむのが楽しい。通常のクラブ・イベントではアップテンポの曲が多いので、今回は"銀杏並木"など一連のバラードを生で聴けたのがとてもよかった。ミラーボールの光。人々の背中に蛍の群れのように灯がともる。私はバラードも全てリズムを取って音楽を全身で感じ、その波にたゆたっていた。中でも、"KARA NO SORA"を聞きながらふと思い浮かんだのは、"浄化"という言葉だった。"癒し"というのとも少し違う。浄化、だ。透明感のある明朗な声だなあとは思っていたけど、そんな作用もある声だったのかと改めて感じ入り、じんわりと感動した。アルバムの曲以外にも、新曲や未収録曲、英語のカバー曲などいろいろ取り合わせて歌った。新曲"DISTANCE"はそんな中で、ちょっと雰囲気の違う、スリリングでシャープな印象を受ける曲に仕上がっていて、イメージは、色に例えるとダークブルーな感じ。都会的。これまで知っているfucchiEの曲はどちらかというとスカイブルーやペールブルー、穏やかなベージュ、あるいは日差しにきらきら光る緑、などの印象だったからまたfucchiEの新たな面を発揮できてるのかもしれない。最後の曲のときだったかな?一度だけステージ上のfucchiEと目が合った。嬉しそうな目の表情だったので、私も嬉しかった。一番後ろのほうにいたけれど、確かにfucchiEのいつも言ってる"温度"はしっかり届いていた。アンコール曲は、"PROUD WOMAN"だった。これは母の日に、母のために書いた歌だとMCで初めて知った。私はラブ・ソングだと思っていたから、そう知ってから改めてこの曲、この歌詞に耳を傾けるとまた違った共感がわく曲だと思った。最後、会場からわいた拍手は、"割れんばかりの"とか、"熱狂的な"というのではなく、春の海のさざ波のような、あたたかみのある拍手だったのが忘れられない。全15曲、休憩なしノンストップで1時間以上、ダンスも入れてのパフォーマンスは、かなりハードなものだろう。でもこんなやさしいあたたかいステージを創れる人なんだな・・・アルバム「612」はすでに持っているけど、自宅療養しているKちゃんにプレゼントしたくて、会場でもう1枚買い求めた。まだDJタイムが続き、みんなは踊ったりしゃべったりしていたけれどfucchiEに軽く声だけかけ、私は会場を後にした。本当に来てよかった。頭痛も目の痛みも体調の悪さもすっかりなくなっていて、渋谷の通りを、踊るように弾んで歩いた。いつまでも私の中にfucchiEの歌が流れ続け、私は新しいエナジーに満たされているのを感じた。
2006.09.24
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さてさて走墨作品展、午前編に続き、最終日の午後は、松峰さんが仕事帰りに見に来てくれました!ブログでの交流は2年ほど前からでしたが、まだお会いしたことがありません。会社勤めをされてますが、独特の造形の書をかく書家でもあり、"松峰"という雅号をお持ちです。3時少し前に、小柄な若い男性がスーツ姿で入ってきて、(写真で少し見覚えある・・・!)「もしかして松峰さんですか?」と尋ねると、果たしてそれが松峰さんでした!わ~っ、ちょっとイメージが違う。もの静かな、もしかしたらちょっとだけはすにかまえたような、クールな印象の方だろうと想像していたけれど、快活かつ礼儀正しい、社交的なはきはきした好青年(という言い方がおばさんだ・・)でした。それは社会人としてこの1年半で身につけたものかもしれないし、初めて会うので、やはり多少の気の張りがあるからかもしれない。それでもなんというか、一種透明な明朗さと同時に、タイトなスマートさをかもし出しつつ、どこにでもいる若いサラリーマンのようでありながらどこにもこんな人はいない気のする、不思議な感じを受けました。仙台のお国柄なのか、かすかなイントネーションの違いも、むしろ洗練された軽やかな印象さえ受けます。書家である松峰さんは走墨をどのように見るだろう、と思いましたが作品はもとより、広春先生の作品集も隅から隅まで最後の解説文まで全部目を通されて、その様子はまるで無人の湖のように動物的生気は沈み、イメージしていた、しんとしたもの静かな印象そのものでした。走墨にとても興味を持たれたようです。あ~、よかった・・・初めて話をしましたが、途中からもう片付けの時間に入ってしまい、あまりゆっくりお話できなかった・・・機会があったらぜひ松峰さんの作品も見に行ってみたいなあと思いました。また、夕方、先日聴きに行ったジャズライブに出ていた、大学の先輩のFさんがひょっこり姿をあらわし、びっくりしました。わ~、予想以上にいろんな方に来ていただいて、感激です。今はジャズを歌っているFさんは、大学のときは東洋史専攻で、漢字フリークらしく、漢字に関する本を読んだりしているそうです。そして作品展が終わってからお礼メールを出したら、こんなメッセージを返信してくれました。 「物の躍動感や存在感を記録の為に封じ込めたのが漢字だとしたら、 それを改めて解き放ってやることが君のやってることなのかも知れない。 譜面通りから、崩して演奏するジャズと少し似てるかな?」・・・なんてかっこいい表現なんだ!先輩!感激したので、勝手に転記させてもらいました。先輩、すみません。ギャラリーもばたばたしてき、松峰さんとFさんをお見送りして、片付けモードに入りました。作品を下ろし、それぞれの箱にしまい、名札をはりつけ。先生の作品は特に注意を払いつつ、1点1点丁寧にしまいました。飾り用のイーゼルもばらして梱包し、荷物をそれぞれより分けました。片付け終わって、それぞれ箱にしまわれた作品たち。ちょっとだけ淋しい光景です・・*-*-*-*-*-*-*-*-*-* ご来場ありがとうございました *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*見に来てくださったみなさん、ありがとうございました!私にとっては初めての作品展、すてきな時間と空間を共有できて本当に嬉しかったです。写真を見てると、嬉しさ楽しさがいつまでもふつふつとわいてきます。また、私のいない間に見に来てくださったM Saitoさん、カナダ村さん、おふたりともまだお会いできてませんが、お忙しい中、本当にありがとうございました。その他私の大事な友人たち、どうもありがとう!遅々たる歩みですが、精進していきたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願いします。
2006.09.23
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1週間続いた走墨作品展も、秋分の日が最終日となりました!今日の午前中は、いつもブログで興味深い交流をさせていただいている、一村雨さんがはるばる千葉からお越しくださるとのことで、10時オープン少し過ぎからギャラリーに詰めていました。今日のウェルカム・フラワー。緑と紫と白の、渋くて粋なアレンジメント。11時前くらいだったかな?一村雨さんとうちゃーーく!わ~、緊張します。昨年、渋谷Bunkamuraスコットランド国立美術館展にお誘いしたときお会いしてから、もう1年近く経つんですね~。早いなあ!美術作品はかなり見てこられてる方なので、どんな反応が来るのか、どきどきしましたが、興味深く見ていただけたようで、ほっとしました。こんな感想を書いて下さいました、ありがとうございました(T_T)先生の作品の中では、サッカーなどの力強いスポーツの絵が気に入られたようです。また、一村雨さん自身も書をたしなまれるのですが、走墨の、しぶきやかすれや筆の2本使いなど、試してみたくなったようで作品を見ながら右手が動きそうでした。同じ時間帯に、劇団やダンスグループでお世話になった先輩Nさんが思いがけず顔を見せてくれて、驚きつつも嬉しかったです。私の作品を見て、Nさんからは「"飛"という字が、背筋のぴんと伸びたピルエット(片脚での回転)のよう」という、ダンサーらしい感想をいただきました。Nさんは、静かに静かに1点ずつを見て回ってました。先生の作品の中では、周囲に墨の濃淡のぼかしをいれ、センターにしっとりしたうすくれないの"花"の字を置いた作品の前に佇み、飽かずいつまでも見つめ続けていました。作品と対話しているかのように。広春先生と同様に、とても右脳的な方なので、今度のダンスや舞台での表現に何か吸収できるものがあったのかもしれません。先生の作品は、力強く墨のほとばしった男性的な作品から、やわらかくはんなりとして、とても艶っぽい女性的なかな作品、のびやかな猫の絵、どっしりした大地を感じさせる作品、躍動的な人間賛歌的な作品、まったく抽象的な作品など本当に多岐に渡っているので、その幅広さに感服してしまいます。お昼どきになり、一村雨さんをお誘いして、またもやお隣のオープン・カフェでランチしました♪向こう側、一村雨さんのは「ハワイアンライスボール」(っていう名前だったと思う)。私のおすすめのマグロとアボガド丼です。アクセントの岩のりが絶妙においしい~。迷ったけれど私は日替わりのロコモコ丼(手前)に浮気してしまいました♪でも量が多すぎて残してしまった・・・(>_
2006.09.23
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走墨作品展・・・と言いつつ、作品のことや作品の写真はちっとも載せてませんけど・・これから見に来てくださる方のためにあえて載せてません♪終わってから載せるかもしれません。さてさて初日のパーティも友人たちとの語らいも楽しくてテンション上がりっぱなしだったけど、翌日は知人の来る予定もなかったので、すっかりダウンしてた。うちの会社、通常は祝日関係なくやってるけど、よかった~祝日、休みを取っておいて♪昼近くまでうとうと寝て夢を見てた。大学のサークルのときの、芝居の師匠S山さんの家の前を通りがかると、S山さんと目が合い、「あれ?どこ行くの?」と聞かれ、「Sくんと、これからサークルの稽古を見に行く約束してるんですよ」と私。プルルルルル・・とそこで電話の音で目が覚め、飛び起きた。何だろう?!滅多に電話かかってこないのに、しかも普通私のいないはずのこんな昼間に。寝ぼけまなこで出てみると、ギャラリーのオーナーからで、Sくんが横浜から作品展に来てくれてるという。わ~、びっくり!嬉しい!夢の中で呼ばれたんだーーー!10分で行きます!と伝えてばたばた用意をして、ギャラリーに出向いた。先日の大学時代のミュージカルサークルの飲み会で同期やら先輩・後輩やらに案内はがきは配ったけど近況報告的な意味合いであって、さほどみんなの来場は期待してなかったのに、Sくんと奥さまのY香さん、一緒に来てくれて感激!メンバーの中ではSくんは同じ宣伝係で、絵がとてもうまかったし今も仕事のかたわら絵を描き続けているし、Y香さんは芸大出身で、磁器の絵付けの先生をしているから、走墨にも一応興味を持ってもらえたのかな?Sくんは私にひとこと、「かわいらしいほんわかした絵かと思ってきてみたら、イメージ違った~」・・・そう、サークルのときのちらしやパンフの絵、それからその後描いていた絵本やキャラクターの絵のイメージが強いんだろうなあ、そのギャップというかイメージ固定は私の中でもいつも問題になっている。それが、走墨という形で、多少とも広がって見てもらえるようになったら嬉しいんだけどなあ。もっともっと内側からいろんな可能性を広げて出してみたいなあ。自分の中の本来的なものを表に出してみたい。これまでのイメージをぶち壊してみたい。そんな新たな想いがわいてきた。2人は午後は知人の出る芝居を見に行くとのこと、じゃあそれまでの間ランチでも、とまたまた隣のオープンカフェにお誘いし、ランチとおしゃべりを楽しんだ。芝居や音楽や映画、サークルや仲間の人の話などいくらでも話がつきない。不思議だなあ。この場所、ここ数年の私の生活圏に、Sくんがいることがとっても不思議。何か、最近の自分と、過去とが、ぎくしゃくしつつも和解していく、融合あるいは交差していく過程のようだ。世界が2倍の厚みに、2倍の鮮やかさになっていくような、とても不思議な感覚・・・やがて時間になり、駅までお見送りした。迷ったけれど、またギャラリーに戻ってしばらくその空間を楽しみ、走墨の仲間の方や、お客さんとおしゃべりして過ごした。走墨の同じクラスの方で、フラワーアレンジメントを教えているHさんが花を持ってきて新たに活けてました。あじさい、大事にとっておくとこの季節には紅葉するそうです。とても味があって、すてきでした!!入り口に、かごのアレンジメントを。紫式部のうすむらさき色の実が、なよやかできれい。木の置物と組み合わせて、まるで花がのぞいているような風情に。すすき、りんどう、紅葉したあじさい、コスモス、といかにも秋らしい、しっとりしたアレンジ。Hさんが次々花を足したり、葉を剪定したりして次第に形になっていくのを見るのがとても興味深く、見ていて飽きませんでした。ひとつ花を足す、葉を引く、それで風情が変わるのが、面白いですね!緑の苔玉と組み合わせて、漆器の商品がたくさん並んでました。赤と黒が、潔くてモダンでおしゃれ♪インテリアにもよさそう。欲しくなっちゃう。織部などもいいなあ。深い深い緑の釉薬に、思わずため息してしまった焼き物もあります。いいなあ・・・ちょっとモダンな和の空間、そして何より走墨の作品たちに囲まれた空間、いつもはお稽古のとき、あるいはお店から請け負ってる仕事の件で、ここに来るけれど、こんなに居心地よく感じたことはなかったです。この波動はなんだろう?走墨の作品に囲まれるとこんなに居心地いいんだ。再発見しました。
2006.09.18
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走墨作品展の初日になりました。朝からばたばたキッチンで大奮闘!みんな1品ずつ食べ物を用意して持っていく約束なので・・・12時、オープニングパーティが始まりました!ところ狭しと並んだごちそう。手前のピザを、私は作りました♪ウィンナ・しめじ・たまねぎ×トマトソース、じゃがいも・ツナ×カレーソースの2種。サバ寿司。オリーブオイルとスパイスをつけて食べます。これは専門のお店から取りました。サバ寿司とオリーブオイルが合うし、すごくおいしい~!生徒さんの手作りローストビーフ。これもおいしかった~~♪みなさんお料理上手(*^-^*)手作りパン。かごに入ってるってところがカントリーちっくでステキ♪レーズンやくるみなど入っていて私好み!シャンパン、ナッツ、栗ごはんのぷちおにぎり、ピクルス。その他、ワイン、チーズ、手作りパテ、クラッカー、お赤飯などなど並び、もう食べ切れません・・・デザートの巨峰。・・・と、お客様もお誘いして飲んで食べて盛り上がってしまい、最初は作品をじっくり見ていただく感じではなかったのですが・・(^^ゞ午後ちょっと落ち着いてきて、お客様が次々いらっしゃいました。私の友人も3人、予定通り来てくれました。演劇学校の同期のYとA子、それから介護関係の仕事をしているG。友人たちは初めて見る走墨というものに、興味を持って丁寧に見てくれました。私の作品も、ほめてもらったので照れつつも嬉しかったです~。まだまだ自分では満足の出来ではないけれど、これから精進していきます!先生の画集に見入る友人たち♪その後、来てくれた友人たちを誘って、ギャラリーの隣のちょっとハワイアンな雰囲気のオープンカフェでお茶をしました。表面にバンブーがはってある涼しげなカウンター。小雨だったのが、夕方からどしゃ降りになりました。バナナの木の鉢植えなんかが置いてあるオープンカフェなので、「なんだかスコールみた~い!」とはしゃいでしまった(^^;)今日は嬉しさと、シャンパンのせいもあってテンション高い私です・・気心の知れた友人たちに、初めて走墨作品を見てもらい、こんなふうにお茶して談笑するのは本当に幸福なひととき。みんなありがとう!!走墨作品展2日目走墨作品展、最終日その1走墨作品展、最後の出会い♪
2006.09.17
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明日、とうとう走墨作品展が始まります。私は昨日は行けずに、今日会場準備に駆けつけました。明日ここの白い壁一面に先生の作品が展示されます。どんな作品がくるのか、当日までわからないので私自身もすごく楽しみです。わくわく。位置や高さを調整したり、名前の札をつけたりして生徒たちの作品をさまざまに展示していきます。また、ついたてや棚を移動させたり、通常置いてあるグッズなどを片付けたり、布を使ってシンプルな和の空間を演出したりしていきます。内装の方も入っての展示準備になりました。すてきな和花のアレンジが会場を彩ります。赤い実はバラの実(!)なんだそうです。赤い花はケイトウ。すすきが秋らしくて、すてきでした。根元にあるごつごつしたものはコルクの樹皮で、野趣あふれるアレンジに魅かれました。会場の片隅もちょこっとした緑で潤います。片隅にあるショップ部分では、織部や萩、備前、粉引など作家ものの陶器が夜になって搬入されました。その作業中から、私たちは「あれがすてき」「これが欲しい」などわいわい言っていて、かえって邪魔??夜まで準備は続きました・・・
2006.09.16
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9.11から5ヵ月後、2002年2月のN.Y.グラウンド・ゼロのレポートはこちら。学生時代からず~っと憧れていたN.Y.の街を歩いた。トリニティ教会横の光あふれる公園にて。セントラルパーク。セントラルパークを抜けてメトロポリタン美術館へ。ホテルの前の道。59番街だったか57番街だったか・・・忘れた。N.Y.の建物では、外壁に備え付けられた階段が、印象的。ニューヨーク・シティ・バレエのポスター。このころは写真の暗黒時代で、せっかく憧れのN.Y.に行ったのに、ちっとも写真を熱心に撮らなかった。タイムズスクウェアも、ブロードウェイも、ミュージカルの看板も、エンパイヤステイトビルも、SOHO界隈も、感動したフリック・コレクションも地下鉄構内で演奏していたジャズバンドも、街で踊っていた黒人ダンサーたちも、まったく写真に残ってない。我ながら不思議なほどだ。姉からゆずられたあまり写りのよくないAPSカメラだったせいもあるけどもともとそんなカメラを持っていくという選択自体、写真を撮ることをさほど想定していなかったと言える。しかしそれが当時の心境そのものだったのかもしれない・・またN.Y.行きたいなあ、今度行ったらどんな風景が目に心に映るだろう。N.Y.をノスタルジックにアレンジ・・・ウォール街。トリニティ教会横の墓地。ニューヨーク・シティ・バレエのポスター、再び。
2006.09.14
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今日は私にとって、プレゼントがあった。久々にHIPHOPのクラスにfucchiEが顔を見せたのだ。ここ3ヶ月ほど姿を見なかったので、もうジムをやめてしまったか、昼の会員とかに替わって、歌のほうに集中する生活をしてるのかと思っていたから思いがけず顔を見れて、とても嬉しかった。もともとインストラクターも参加者も元気なクラスだけれど、fucchiEがいるとスタジオがより活気づき、空気がしまったように感じられた。それは私の意識だけかもしれないけれど・・・私の意識は確かにはっきり変わった。軽くクールに、しかし熱をもって自分を表現すること。fucchiEがいなくなってから忘れかけていた感覚が一挙に甦る。レッスンで隣にいて、その空気に引っ張られるのを感じる。まだまだHIPHOP初心者の私がおこがましいけれど、負けられない、負けたくない。それでいて同じ空気に同調し、同じアップダウンの波の中にいて踊るのはひどく楽しい。fucchiEはますます自己表現の熱が、静かながらも強くなったのを感じた。レッスンには来てなくても、生活の中で、歌の活動の中で彼自身が人間的にも大きくのびてるのを感じ取った。以前と同じだけど、空気の異なる背中、になった。私はこの数ヶ月、どうだっただろう?ふと自分に問うてしまう。もやもやと踊っていたような気がする。走り始めたのや人との交流再開も関係あるけれど、疲れすぎていてこんなに、踊りにリズムに入り込めていなかった気がする。もっともっと音を感じ、リズムを感じ、身体を感じ、空気を感じ、踊る。この呼吸、この緊迫と弛緩、流れ、の先にあるもの。それを自分のものにし、自然と発散できるようになりたい。踊る生命体、となって。以前のfucchiE出演のイベントのレポートはこちら♪クラブイベントレポート・その2クラブイベントレポート・その1
2006.09.13
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先日、田舎で自宅療養しているKちゃんから嬉しいメールが来た。"うさきょんグッズ"をまた作ってくれない?と。いいよ~と返信すると、夜さっそく電話で打ち合わせをした。長いこと療養しているKちゃんは、以前、リハビリもかねて、自宅で小さな小さなショップを開きたい、そして私の描くキャラクターのグッズを売りたいと言ってくれた。私は喜んで引き受け、つたないけれどたくさんのグッズを作ってKちゃんに送った。ポストカード、レターセット、シール、Tシャツ・・・絵本も送ったが、絵本製作はさすがに手間がかかるので、値段がつけられずにほとんど参考品としてお店においてくれてたみたい。自分の描いたキャラクターでグッズを創るのは本当に楽しかった。Kちゃんも、送られてくるダンボールをあけるたびに、おもちゃ箱をのぞくように、わくわくしながらきっと喜んでくれたと思う。そうした喜びが、Kちゃんの回復に少しでも役立てばいいなあ、そしてできれば私の絵を好きになってくれる人が増えればいいなあと願いつつ、その夏私はグッズを作っては送り続けた。しかしその秋、私はグッズを作り続けることができなくなり、その夏を彩ったふうわりとした2人の小さな夢はいったん閉ざされた。5年経ち、Kちゃんはやっとこの秋か来年の春、東京に戻ってくるというところまで回復できた。地元での同窓会に、記念品としてグッズを配りたい、それ以上に、自分の手元にグッズがなくなってしまったので、欲しくなったのだと言ってくれた。私もここ数年自分なりに格闘してきたけれど、Kちゃんも格闘し、私の絵を見て慰めにしてくれてたのかなあと思うと、自分のことで手一杯だった自分が痛感される。そして、封印してあった当時のグッズの材料を引き出しから何年ぶりかで出してみた。当時の原稿やデータも、古いHDDから呼び出す。それらは封印してあればあっただけ、またたくうちに過去を呼び覚まし、私を引き戻す。思い出は痛く、まだ優しくはない。しかし、また作ると約束すると、痛い思い出だけでなく、自分のものを創るという喜び、生き生きした感覚も同時に懐かしいほどに湧き上がってくる。とりあえず、ポストカード作成を引き受けたが、それと別にKちゃんには何か作って送ってあげよう。また私の描くラインと色とで、Kちゃんの心が少しでも元気になれたらいい。そして私自身もひとつずつ自分の手でものを創ることで前に進めたら、いい。うさきょん
2006.09.12
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9.11から5ヵ月後、2002年2月、グラウンド・ゼロに行った。手すりにいくつも供えられた花束。工事が進むグラウンド・ゼロ。周囲のビルには、網がかけられ、まだ傷跡も生々しかった。自由の女神。厳戒態勢のため、体内に入ることはできなかった。自由の女神と飛行機雲。ツイン・タワーのないN.Y.の摩天楼を海から見る。N.Y.の街に、残照。2001年秋、私自身も崩壊し、多くを捨てた。自分で自分についていけずに過呼吸に陥った。黒い大きな川を、流されそうになりながら渡った。ようやく向こう岸に着けたとき、ここが私のグラウンド・ゼロだと思った。
2006.09.11
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つくつくほうしの乱れ鳴く中、いつものように平川門をくぐり、三の丸尚蔵館「花鳥~愛でる心、彩る技<若冲を中心に>」第5期を見に行った。第1期を見に来たのは桜の季節だったのになあ・・・まず若冲以外で目立つのは、森徹山の「孔雀図」、構図がすごい!潔いほど。閉じた長い羽根を斜め上にしゃきっと伸ばした雄の孔雀、余分なものが描かれず、大胆なほど斜めに画面を区切っている。でも色がちょっときついかな・・その意味では、隣に展示されている円山応挙の「牡丹孔雀図」のほうが発色が繊細で美しく感じる。目の覚めるようなブルーの羽根、首の羽根1つ1つの黄から緑へのグラデーション、牡丹のピンクや白の花びらは、いかにもやわらかそうで、見事だ。さて、伊藤若冲の「動植綵絵(どうしょくさいえ)」全30幅も、6作品ずつ、5期に渡って見てきて、今回が最後。「老松孔雀図」こちらは珍しい白い孔雀、羽根先の黄と緑のもようがユニークだけど見事な真っ白な身体の中では、まるで錘(おもり)のように見える・・重いものを身にまとった孔雀。「芙蓉双鶏図」、若冲お得意の鶏と、植物の組み合わせ。ダンサーでも体操選手でもこんな格好しないよ!というくらい、雄鶏が上体を前に倒し、片足を上げ、脚の間から後ろを"きっ"と見ている。その動きの勢いに乱れなびく羽根は、細かな模様が描き分けられ、ただただ呆然と目で追ってしまう。激しい動きの一瞬を描いてはいるが、なぜか静止しているような静かな黒であり、茶である。5期通して見てきて、若冲の色彩にも目を見張ってきたけれど、私はこの鶏の羽根の、マットな上品な黒にいつもため息をついてきた。墨絵のときの黒ともまた異なるニュアンスの、貴族的な黒。「薔薇小禽図」おびただしいピンクと白のバラもすごいけど、バラの枝か幹なのだろうか?黒い幹のようなものがうねうねいて、ぶつぶつの細かい模様が描かれており、その存在が気になる。細い枝には、小さな小鳥が片足を跳ね上げ、とまっている。ふっと左を振り向いており、その視線の先には若冲の落款が。落款までもが絵の中のモチーフのようで、小鳥と絡んでいるのが興味深い。小鳥がクレジットを紹介しているみたい。若冲の確信犯的な遊び、に思え、ほほえましい。「群魚図」大きなタコの脚先にちょこんとしがみついている子ダコがなんと言ってもキュートでユーモラス。ゆら~っとのびやかにのびる親ダコの脚もいい。「群魚図」群れ泳ぐ魚たち、でも静止しているように見えて、魚の苦手な私には、魅力的に映らない作品・・・「紅葉小禽図」枝枝が平行線になって垂れており、ほとんど効果線となっている。(第2期の「雪中鴛鴦図」でも同じような平行線状の枝の描写があったな・・)画面いっぱい覆い尽くす紅葉が、燃える秋を予感させる。小鳥の空色の背中、画面下のウルトラマリン(岩だか川だかよくわからないが)、それらと紅葉との対比が強烈で、赤と青の世界をつくっていて、印象的。三の丸尚蔵館「花鳥~愛でる心、彩る技<若冲を中心に>」第5期は9月10日までで、すでに終了。あ~、これで半年かけて伊藤若冲「動植綵絵」30幅見終わった!今はもう"傑出"という言葉しか浮かばない・・やはり同じく三の丸尚蔵館に通われた方、お疲れさまでした!これまでの感想はこちらに・・3期が抜けてます、見たけど書けてない(^^;)・第1期・第2期・第4期半年通った皇居東御苑もしばらく行くこともないなあ・・ちょっと感慨深く、緑と江戸城の石垣とお堀を眺めながら歩いた。平川門近くの塀と石段。こういうところを見て、毎回わくわくしていた。いつも竹橋駅から出て、渡っていた平川橋。かわいい(?)擬宝珠(ぎぼうし)。これを見ていて突然思い出した。昔、演劇学校の学生時代、ほんの数ヶ月、小さな設計事務所でトレースのバイトをしていた。何の技術も知識もなかったので、ペンや定規の使い方、線の引き方から教わり、大手軽金属メーカーの下請けの、図面の直しなどをやっていた。大きな製図台に向かうのが好きだったな、製図台が欲しくなるくらい。1度だけ、橋の欄干と、上の写真のような擬宝珠のデザインを任された。え~~っ!こんな始めたばかりの素人が?!と思ったけれど何度も直しで見てきたものを参考に、いいと思う曲線で描いてみた。その図面が採用になったかどうかはわからない。もし採用になってたら、日本のどこかの川、どこかの橋に私の描いた擬宝珠がちょこんと座っているかもしれない・・・そう思うとちょっぴり楽しい。
2006.09.09
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大学の先輩のジャズ・ライブに行ってきました。隠れ家的な、屋根裏部屋みたいなこぢんまりした店で、レンガの壁が雰囲気よかったな~。ボーカル・F先輩と、ピアノ、ベース、ドラムスのトリオ。カウンターにて。夏の終わりにはなんだかカンパリが似合う・・♪第1部はテーマは"夏"だったのかなあ、"Summer Time"から始まり、F先輩のMCをはさみながら、ゆるやかなテンポの幾曲で、行く夏を惜しむような気配・・かと思うと1部ラストの小気味よいリズムの"Night and Day"が、とてもよくて、軽やかな雰囲気も先輩に意外と合ってるんだな~と発見。第2部は"Paper Moon"から始まり、"月"がテーマだった。かなりアップテンポの"How High the Moon"にしびれた!いきなりピアノが狂ったように駆け出し、ベースが追いかけるように息をつかせぬようリズムを刻み、ドラムが腹に容赦なく響きを打ち込んでくる。この曲は好きだな。懐かしい・・昔この曲で踊った。黒レオタードに黒タイツ、色とりどりの帽子。私は赤の帽子だった。M美先輩にしごかれながら、Jazzを踊った。今でも私のダンスの原点、と思っている。その後歌われた"Fly Me To the Moon"もよく知られた曲だけど私にとっては昔母の持ってた銀色のオルゴールによって染み付いている曲なので、あらためて懐かしい・・ノスタルジーを掻き立てられる。忘れてた。あの古色然としたオルゴールは、どうなっただろう・・・そして2部のラストは、なんと"Lupin the Third"、ルパン三世のテーマを英語でかっこよく歌って締めくくり!サプライズ!!でもあとで聞くと、F先輩、毎回歌っているんだそう。アニメの曲とは言え、Swingのリズムがかっこいい名曲だよね★もう身体が心地いいリズムに揺れっぱなしでした。やっぱりJazzはいいなあ!だんだんアルコールでもろ~っとほぐれてきた頭の中に音がつややかに輝きながら、むき出しの状態で入ってくる。リズムが腹に落ちてくる。どんな音楽でもそうなんだろうけど、Jazzは格別に"今"というものを実感させ、酩酊させてくれる音楽だと思う。"今"に満たされる。"今"と自分が渾然一体となる。そこが好き。ステージの合間には、F先輩と話もして楽しかった。第3部まで聞きたかったけど、用事があるので2部で失礼してきてしまった。「じゃ、また明日ね~」とF先輩に手を振る。明日は横浜で大学の合同同期会(?)、で飲み明かす予定・・・F先輩も参加する。10数年会ってなかった人、何人かとも顔を合わせる。どきどきするなあ。最近、急激に学生時代の仲間との再会の機会があり、何か新たな予感にふつふつと静かにエナジーがわいてくるのを感じる。行く夏を惜しみつつも、淋しくない。私の大好きな秋が始まる。
2006.09.01
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