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こわい夢を見た。私はある男を殺したようで、天で審判を受け、処刑されることになる。2人の黒衣の男女に両脇を固められ、長い無機質な廊下を通り、処刑室に連れて行かれる。「嫌だ嫌だ!」と思うが、そのドアは開けられた。処刑室の中は、一転して木があったり、青や緑のファンタジックな色あいだがしかしやはり暗く不吉な天井の低い空間で処刑人は、少し年配の女性、傍らに少女もいた。彼女たちは殺した男の妻だかきょうだいだか、身内らしい。年配の女性は、「こんなところで、こんなことをしていてもしかたがない」と嘆いていた。私の中にあるものが芽生える。そして急にドラマや映画のように、数時間後に場面はいきなり飛んでいる。私は処刑室にひとり残されていて、先ほどの男女が迎えに来る。処刑人はいなくなっている。きっと私が殺してしまったのだろう。殺られる前に殺ったのだろう。少女ともども。処刑されても生き残ったとみなされたのか、私は解放され外に連れ出される。処刑について、処刑人について何も問い質されない。私は助かったらしい。現世へ戻る。しかし真相を知っているのか、先ほどの悪魔のような男女が、現世に戻り仰向けに横たわった私に、大きな刃のナイフで切りつけてきた。「嫌だ!怖い!やめて!」と思うが、逃げることも抵抗することもできず、胸から腹部へかけて、ざっくり大きく横3本、"Z"の字のように3回切り刻まれてしまう。ひどく痛い。苦しい。しかしそれでもなお私は生きていた。私は起き上がって街へ出てみる。身体の傷はどうなっているのかわからない。背後で、例の男女がほくそ笑み合っているのを感じる。私は人に話しかけてみる。しかし、人には私の姿は見えないらしく、通り過ぎていく。私の実体はあるのに。私は現世ではすでに死者なのだろうか。私が「しかしそれでもなお私は生きていた」と感じたものは何なのだろうか。不吉な、暗示的な、怖ろしい夢だ。
2006.07.30
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身体が重くだるく、朝起きられなかった。いつもは寝坊しても、飛び起きててきぱき支度できるのに、何しろ身体が磁石で重くふとんにくっついているように、動かない。低血圧のせいだろうか、それとも寝不足のせいだろうか?前日の冷房による冷えのせいかな、気をつけなくちゃ。先日の仕事関係の研修&懇親会の疲れがどっと出たのかもしれない。そういうイベントのあとは、案外身体と神経にこたえていることがある。重い身体をやっと起こし、のろのろ準備し、2時間遅れで出社。「申し訳ありませんでした」と謝る。「週末になると疲れが出てくるからね~身体は大丈夫?」と社長。(T_T)こんな大らかな会社はそうそうないから、普段ぶーぶー言ってるけどもっと謙虚にならなくちゃ・・・反省。昼間は仕事モードでてきぱきやり、遅刻した2時間分残業。その後、体調はちょっと心配だったけど、明日は休みだし、走りたくなって、ジムへ行ってマシンで走った。以前「走ること、身体でつかむこと」で書いたように、最近ちょっとずつ走ってる。とりあえずの目標、5kmを30分で走ること。1回目のときは、時速8kmでたらたらとなんとか4km走り切ったが、直後と翌日、筋肉痛や膝の痛みがあって、階段を下りるのが一苦労だった。2回目は、時速8.5kmに上げて、4kmちょっと走った。筋肉痛にならなかった代わりに、靴に押されたのか、左足の親指の爪が内出血したらしく、赤黒くなってしまった。これはいかん。上部も柔らかい靴でないと。そして今回3回目。最初時速5~6kmで1kmウォームアップとして歩き、その後時速9kmで走ってみた。さすがに時速9kmだと、時速8km台のときのような、たらたらぺたぺた省電力モードで、すり足ちっくに走るわけにも行かず、前と違って弾むように走った。私の場合、恐らくジムで走っているまわりのランナーとはちょっと違うフォームなんじゃないかなー?バレエのときのようになるべく首筋をのばし、前傾姿勢にならないように気をつけるし時速9kmではまさにぴょんぴょん弾んで走っていた。脚の後ろの筋肉、お尻の筋肉、そしてバレエのとき使うような引き上げのインナーマッスルを使っているのを感じた。ももの前面の筋肉を使いすぎないよう、習性がしみついてるんだな・・・走るきっかけをつくってくれた友人Gとときどき報告しあってるけれど私のは"ダンサー走り"だと言うと、元陸上部キャプテンの彼女には「え~?どんなフォーム?」と半分面白がられ、半分はあきれられてるかも。ぴょんぴょん順調に走っていたが、途中3kmくらいで左ひざに痛みがあり、内側に入りがちな左ひざを修正して走り続けたら、痛みはなくなった。ガラスに身体を写して見ることができる点は、ジムのマシンで走るメリットの1つだ。外でひとりで走っていたら、わからない自分の弱点が見えてくる。首が右に寄りがちになること、左ひざが内側に入り、X脚気味になること、右の腰が抜けて脚の蹴り出しとともに前に振れること、それらは身体のバランスを崩し、身体の一部を痛めたり、均等に筋力がつかなかったりする原因になるのだろう。それらを注意、修正しながら走った。また、足首も私の弱点だが、足首に力を入れたほうがいいのか、抜いたほうがいいのか、よくわからない。私は足首に力が入った状態で走っているようで、ときどき意識して抜いたりしてみてるけど。今度スタッフや経験者に聞いてみよう。ほんとは3回目だから、5kmに挑戦したかったが、4km手前で、運動していて熱い身体が、一挙にざわーっと血がひき、低血圧系の貧血に陥る気配を感じたので、無理せず4kmで走るのをやめた。クールダウンで500m歩き、終了。体調の整わないときは、低血圧系の貧血になるときがあるので、体調を見ながら、徐々に距離や負荷を調節して走っていこう。その後ストレッチをじっくりやって、くったりした。走れる、ということに今日も満足した。
2006.07.28
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「花鳥~愛でる心、彩る技<若冲を中心に>」第4期を見たあと、午後は大学のサークルの同期、K美ちゃんの出るミュージカルを見に、吉祥寺へ向かった。会場は、吉祥寺シアターという昨年オープンしたばかりの劇場で以前、演劇人のmasashiさんのブログで知り、興味を持っていた小屋だったので、その点も楽しみだった。着くと、メインカラー白の、清潔感あふれる建物で、入り口脇にはちょっとしたオープンカフェがあり、早めについて待ち合わせしながら、お茶するのもよさそう。わくわくしながら中へ入ると、つくり自体はちょっと華奢かなあ・・キャパはざっと数えて160くらい。小劇場よりはこぎれいで、大劇場ほどはお金がかからなくてちょっとした公演を打つには、このクラスでは破格に安いらしいので、いいかもしれない。そして、いいと思った点は、舞台が広すぎず狭すぎず、また客席が大劇場並みに段差を大きく取ってあり、多分どの席からも、前の人が邪魔にならず舞台が非常に見やすい点。これくらいのキャパの劇場で、こんなのは初めて。これはストレスが少なくていいな。さて舞台では、K美ちゃんは謎のあやしいおばちゃんとして登場、最後に正体がばれるという、とってもおいしい役でしかも懐メロを歌いまくり、踊りまくり、はじけて楽しそうだった♪ミュージカルサークルのメンバーで、大学卒業後も、舞台や映像、ダンス、音楽を続けてる人は多いけど、ミュージカルを続けてる人は彼女くらいだから、その点で素直に感心してしまう。さて、この公演で思いがけず、先日S先輩の出たゴスペルコンサートで一緒だったメンバーがまた集結した。ミュージカルは4回公演で、特にこの回に示し合わせたわけではなかったのだが。さらに、私をサークルのメンバーと再会する手助けとなったのがSくんの結婚式だったが、そのSくんが加わった顔ぶれだった。みんなで驚き、不思議だな、と思った。終演後、お茶をした。とても楽しかった。それぞれの近況も話すが、学生当時の公演についての話がやはり盛り上がる。話し出すと、ほんとに細かいことまでよく覚えていて、当時の、バカみたいに舞台にのめりこんで活動していた仲間たちとその空間、その時間が懐かしい。喜びはもちろん、意見の相違、対立、疲労、失敗、怒り、嫉妬、今ではすべてが笑い話で、そんなふうにバカみたいに全力でひとつのことに取り組めたことをありがたく思うし、それすべてが私にとって、ゆるがぬ財産だ。あの大学でのサークルは、精神的な第2の故郷であり、出発点でもあった。そのことを再確認した。いい時間を過ごした。ここ立て続けに顔をあわせるので、これは引き寄せ合ってると言っても過言じゃないなあと思っていると、それぞれたま~~にやる同期会を、今ちょうど集まっている1こ上の先輩たちと私たちと、合同でやろう!という話が持ち上がった。8月か9月に。横浜のSくんのところで。続いている。巡っている。またわくわくしてきた。こうして次は何がつながっていくだろう。大きな流れを感じる。回帰の年だ、と思った。すべてが巡って私のもとに戻ってくる。私が周りの人のもとに戻って行ってるせいかもしれない。サークルの先輩たち。Sくん。病気で、遠く四国の実家で療養しているKちゃんも、やっとこの秋に、東京に戻れるかもしれないと言っていた。連絡の取れなかったH子のことは、先日Kちゃんから近況を聞き、そのうち直接会えるだろう、と思えた。先日はA子に数年ぶりにこちらから連絡し、一緒にライブに出かけたこと。A子に感謝されたこと。友人のGには、つらいことがあったけれど、それをきっかけに最近、より多く話をするようになり、あらためて彼女と知り合えたことの奇跡に感謝している。どうしてだろう。私は以前の、どのときの私でもないけれど、無数の溝を自分から埋め、相手も歩み寄ってくれ、こうして確かにたくさんの縁を修復している、でも以前の私ではないのに。決して同じ笑顔はできないのに。私は遠くまで来てしまったのに。それでも許される、それでも受け入れられるのだろうか。私も相手を受け入れられる時期なのだろうか。時が満ちたのだろうか。
2006.07.22
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三の丸尚蔵館に「花鳥~愛でる心、彩る技<若冲を中心に>」第4期を見に行った。とびきり楽しみにしていた第4期。第2期のとき図説で見た伊藤若冲「旭日鳳凰図」、今回はそれが見られるということで、わくわくしながら向かう。伊藤若冲「旭日鳳凰図」つややかで華麗、極彩色の鳳凰が2羽。粘着性の感じられる白波、波に洗われた古木に止まっている。どんな構造なのかよくわからない、不可思議な古木には緑に光る苔、細い若竹がぞろぞろと生えている。もくもくした雲から昇る朝日。地平線も水平線もない、海(とおぼしき水)と空が混濁とし、1つになっているように見える。この2羽は、何故か太陽よりも高い位置にいるようにも見えてしまう。長い艶やかな尾で邪気を吹き払い、一掃しているようだ。ここはいったいどこだ?この世ではないのかもしれない。ノアの大洪水後の世界のようでもある。大海にぽつんと、岩のような木に残された2羽。世の始まりを告げ、世の終末を告げている。しかしこの2羽は、どこへでも飛んでいけるのだろう、太陽よりも高く─伊藤若冲の「動物綵絵(どうしょくさいえ)」にも今回は、私がこの中で一番見たかった鳳凰図があった。「老松白鳳図」、つやめいた目つき、尾の先には鮮やかな赤と緑、それぞれのハート模様がほのかにエロティックな雰囲気を漂わせつつも、金を帯びた白い羽毛が、全体をひきしめ気高い印象を与える。裏彩色の手法を用いた、この美しいレース編みのように繊細な白は、何度見てもため息が出る。(裏彩色のことは第1期に説明があります)江戸時代にはハートの形に特別な認識はなかっただろうけど白い羽毛の中で、あまりにも赤と緑が美しく象徴的かつ官能的で何ものかの発露を想像させる。「向日葵雄鶏図」、朝顔の紺と白、鶏の尾の白と黒、羽毛の白と茶、ツートンの不規則なボーダーが呼応しあっているのが印象的。ひまわりはかなり渋い色づかいで、鶏の鮮やかさが際立っている。「大鶏雌雄図」、交差し振り向きあっている雌雄の鶏、色鮮やかな雄に比べ、雌は黒一色できりっとしている。マットな黒があいかわらず端正で上品で美しい。若冲の黒は本当に好きだ。この作品は「動物綵絵」の中では珍しく背景はなく、いや、すっと一本斜め下から地面の線が入っているだけで通常描かれる植物や月や他の動物などがまったく描かれていない。こうした極限まで背景を省き、しかし無背景にせず一本ラインを入れる手法は私好みだなあ。また、今回は酒井抱一の「花鳥十二ヶ月」12枚も一挙に見られ、とてもよかった。先日の「プライスコレクション」でも同名同様式の作品があったが、月ごとに描かれている花鳥は多少異なっていたりしてこちらもじっくり堪能した。春から夏へかけての花々、桜、かきつばた、立葵、あじさいなどすっくりして気品があり、美しい。10月の柿の実と小禽の絵がプライスコレクションと同様、非常によかった。かわいい鳥のしぐさや表情と、柿の実の充実した色つやがなんとも言えず魅力的。こうした酒井抱一の味わい深い作品を見ると、なぜかとてもほっとし、日本人でよかった、と思う。環境は変わっても、こうした精神風土の中に今なお生きていることを感じる。第4期はやはり、1点1点質が高く、とても充実していて大満足だった。このあと、友人の出るミュージカルの舞台を見に吉祥寺へ。「花鳥~愛でる心、彩る技」第4期は皇居東御苑内・三の丸尚蔵館にて、7月8日(土)~8月6日(日)まで。その後展示替えして8月12日(土)~9月10日(日)まで第5期が開催されます。入場無料なので、ぜひ足を運んでみてください!第4期は特におすすめです!
2006.07.22
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先週の金曜日は、ジムで久しぶりにジャズのクラスに出た。楽しかった!ジャズはやっぱり好き。身体になじむ。その後、いつも金曜はバレエとの2レッスンの日だけど、ここのところ体調がすぐれなかったし、どうしようかな~とちょっと不安。とりあえず、レッスンの間の時間に、軽くマシントレーニングをした。そしてふと、先日の友人Gのことを思い出し、走りたくなった。彼女は1ヶ月ほど前から、毎日ではないけれど5kmずつ走っているという。最初は私が言いだしっぺだった。昨年の秋、100kmを完歩し自信がついたので、「今度は走ってみようと思ってるの。市民マラソンなんかで10km走れたら、すごく自信もついて満足しそう」そう話したことがあった。学生時代はいやがおうでも、体育の授業や部活や持久走大会などで走る機会があるけれど、大人になると、朝かけこみ乗車するくらいで(してはいけません(^^;))長く走る機会はなかなかない。自分でつくらないと、ない。昨年100km大会に出る前に、ランニングマシンで少し試しに走ったけれど1kmさえも、ぜえぜえ疲れて歩いてしまった。普段争いごとが苦手で軟弱な私だが、この日なぜか突然、むくむくとチャレンジ精神がわいてきた。Gが走れて、私が走れないなんて悔しい。でもこの日はジャズシューズとバレエシューズしか持ってきてない。どちらも底が非常に薄い。HIPHOPのときはくシューズだったらよかったけど、これらのシューズではいくら室内のマシンでも、脚を痛めるかもしれない。でも今走りたい、思い立ったときやらなければ、と強烈に思った。痛みを感じたらやめればいい、それ以前に息があがって走れなくなるかもしれないし、ととりあえず、軽い気持ちで始めてみることにした。まずは5分、時速5kmにマシンを設定して、ウォームアップに歩いた。Gが見せてくれた、30分で5km走ってみよう!という初心者用のランニングの雑誌が思い出され、"30分で5km"というと時速10kmだから、それで設定して走り出してみた。超きつい!時速9kmでもきつい。そこで時速8kmに落として、30分も5kmもまるで自信はなかったけど無理のない速さで走ってみた。とりあえず5kmは無理でも、30分走り続けることを目標にしてみた。こんな長く走ったのは何年ぶりだろう?高校のとき以来ではないだろうか?30分走った。バレエの時間になってしまったけれど、バレエをさぼって走った。途中脚が痛かったが、100km歩いたときの教訓で、痛みは移動するのを知っていたから、様子を見ながら一定で走り続けた。ガラスに映った自分の姿を見ながらフォームを直したり、ももの後ろからお尻、背筋へと筋肉の流れを感じたり。私も負けず嫌いだなあと苦笑しながら。30分間の最後は、ひどく気持ちが盛り上がった。マシンのカウンターに出る数字を見ながら、カウントダウンするのが楽しかった。30分。やったー!30分、時速8kmで4km走れた。ひどく嬉しかった。去年は1kmも走れなかったのに。目標があるとずいぶん違うんだなあ。その後また時速5kmで5分歩き、さらに2~3分クールダウンして全部で5kmになった。トータルで45分弱かかって5kmを終えた。すごい充実感と達成感。軽くストレッチをしてから、休んだ。軽い気持ちで始めたけど、目標があるのはすごくいい。Gに感謝する。これなら5kmは思ったよりすぐ走れるようになれそう。わくわくしてきた。脚も予想ほどは痛くないし、弱点である右足首、右付け根、左ももなどは気をつけなければいけないけれど、自分で守るくせがついているようだ。バレエを休んだだけの収穫は十分あったように感じた。スタミナ不足な私は走るべきだったんだなあ。今頃気づくなんて。じっとり毒素を出すような汗をかいた。Gに報告するのが楽しみだ。そのうち、5km、10km走って、ハーフマラソンくらいはやれるかなあ?といきなり気が大きくなってしまって、我ながらおかしい。ハーフはともかく、10kmは走ったらきっと満足するからそうしたら今度は泳ぐかもしれない。ジムのプールを眺めおろす休憩室で休みながら、そんな妄想が膨らんでしまった。そうしてプールの水を見ているうちに、さらにいろいろ思いをめぐらせていった・・・昔からひとりで黙々とやるのが好きだったなあ。そのことを身体で思い出した。Gが思い出させてくれた。子供のころ、庭でひとりでハーモニカを吹いていた。誰もいないプールでひとり黙々と泳ぎ続けた。高校の吹奏楽部では、ひとりでトランペットの朝練をしていた。大学のサークルでは、休みの日に稽古場へ行ってダンスの練習をしていた。努力っていうのではなく、そうするのが好きだったのだ。それが満足だったのだ。喜びだったのだ。そして今日は昨日より少しうまくなる。少し長く泳げるようになる。できなかったことができるようになる。人と一緒にやることも楽しくて大好きだけど、身体の感覚のにぶい私は、一緒の練習のときはすぐにはできない。じっくり頭で考えながらでないとやれない。とても不器用な身体、鈍い感覚が少しずつ少しずつ磨かれて世界となじむようになる。そうしてひとりであることを克服し、世界の中に溶けいる。飛べるようになる気がする。その感覚を味わうのが、生きてることの実感だったのかもしれない。時間をかけて何かを身体でつかみ、少しずつ理解していたと思う。あの春の夕差し、あの夏の青空、あの冬の朝の通学路、それらを覚えている。空間と、自分の身体、感覚、それらが鈍い不協和音から、やがてじっくり対話するようになるまで。そして、身体が青空に開かれ、歓喜する瞬間。あの感覚を改めて思い出した。強烈に、強烈に。Gに感謝している。そして私はまた先へ進むことができる。
2006.07.18
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上野の国立博物館へ「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」を見に行った。伊藤若冲をこんなにまとめて見られる機会も少ないし、海外からやってきた100点以上もの江戸絵画が見られるので楽しみにしていた。まずはやはり伊藤若冲、六曲一双の「花鳥人物図屏風」に感嘆する。打ちのめされる。力のみなぎっている充実した墨の黒色。ひょうたんを背負った仙人のほうっとした表情を描く淡い墨の色。コントラストがはっきりしている。仙人の衣をぐるっと一筆の楕円で描いてしまう大胆さ。植物の葉の力みのないのびやかさ。枝のしなりと呼応する鶏の尾。自在な筆さばきに目がくぎづけになり、心地よい波動を感じる。丸みを帯び、簡略化されたラインには、呼吸を感じる。こんなラインを描くには、呼吸と、緩急がすごく大事だ。三の丸尚蔵館で展示されている「動植綵絵」もくらくらするほど素晴らしいのだが、こういった墨絵の、生の呼吸の感覚は、緻密なカラーの作品群では味わえない。墨の濃淡と、見事なラインだけでこれだけのものを描いてしまうなんて。自然観察だけではおさまらない。事象のエッセンスを感覚的に独特につかんでいる。もののとらえ方の問題なのだろう。墨と筆を持つ者のはしくれとして、ただただ驚嘆し、幸福を味わいつつも遠くジェラシーを感じる。無力を感じる。酒井抱一「十二か月花鳥図」、日本の季節の情緒を正統的に表現しつくしていて、心が和む。半円形の空間に展示してあるのが、包まれているような感覚がして心地よかった。季節の花も美しかったけれど、私は10月の柿、11月の白鷺に雪のしぶき、12月のおしどりなどが好きだったな・・第4室はガラスケースなしで、光の当たり具合の変化によって、絵画も見え方が変わる楽しみを味わわせてくれる。ぜいたくな空間だった。狩野柳雪「春日若宮御祭図屏風」狩野柳雪「春日若宮御祭図屏風」、確かに光の加減でずいぶん変わる。朝の光のような白色光から、西日のような暖色の光に変わると、奈良の春日若宮御祭の行列の合間を覆う、金泥と金箔で描かれた雲や空間が、不意にまさに光そのもの、光に包まれた世界そのものとして浮き立ってくる。昔の人々の夢見た西方浄土とは、まさにこのような風景であったかもしれない。深く心に響くような、優しい懐かしい永遠の輝かしさ、憧憬。と同時に空(くう)、豊潤な空を感じさせ、その金色は幽玄でもの哀しく、栄えと滅び両極を象徴しているようだ。そこに描かれている祭りのかれこれを通り越して、光の移り変わりの中で、そんなものばかりをぼーっと見ていた。「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」は上野の東京国立博物館にて、7月4日(火)~8月27日(日)まで。
2006.07.17
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6月25日分闇の深さ、光の果てしなさ「高島野十郎展」7月12日分友人Gと語り明かす夜7月16日分この1ヶ月のつれづれ・・・アップしました~。最近、なかなかブログが書けなくてもどかしい毎日です。先日、走り始めて感じたこと、走墨のこと、今日は東京国立博物館へ行ってきたこと、などなどまた後日アップしまーす。
2006.07.17
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きつく閉じたまぶたを、つり革を握る手の甲に押し付ける。空調の音、急行列車の轟音のただ中にいながら、なぜか私の中には無の空間が芽生え、ふと、"闇にやすらふ"という言葉が浮かぶ。こうやって今日一日のことも過去になり、置き去られ、フィルターでろ過し、美と、さまざまなシーンの一瞬ごとの印象だけが残る。変えたい、すぐ変えないといけない。今日から今から変えないといけない。このままでいいと思っていない。ただ手当たり次第に走って走って、疲れてる。楽しいけれど雑然としている。真に望むところへは向かって行けてない気がする。深い安息を求めている。Gの話を聞いて、恐らく同じことを感じているんだとわかった。言葉と、言葉によるコミュニケーションの不可能性、理解と、不理解について。噴水の水の音を聞き、広々した公園、サルビアの花壇、手入れされた並木をながめながら、ぼーっとしている。何か変わっていくのだろうか。昨夜、久々にA子に電話した。明日のfucchiEのライブに、A子を誘って一緒に行くことにした。こちらから誘うのは何年ぶりだろう。お互い環境に変化があったし、少なくとも私はぎくしゃくして話してたが懐かしいような心やすい親和感もあり、悔しく複雑だった。時が流れていく。私の身体を通り抜ける。それは蒼い川のように。ゆったりとそして軽く俊敏に。私はその流れを止めることもつかむこともない。私の身体自体が蒼い川そのもののようだ。変化し、そして常に流れ行くという本質は変わらない。昨夜久しぶりにKの夢を見た。とても嬉しかった。私ははしゃいで話しかけるのだが、彼には目がなかった。それでもずうっと話しかけていた。目覚めて、今思うと哀しい夢だと思う。彼にはもう私は見えない。私も彼の目を見ることができない。
2006.07.16
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昨夜は友人のGが泊まりに来て久々に夜中まで話し込んだ。まだまだ話し足りなそうなので、ふとんに寝転び、電気を消して話し続ける。闇は、人の口を滑らかにする。朝が来るまで話が尽きなかった。5歳年下のGとは、7年もつきあいがあるのに、知り合ってすぐにいろんな問題があり、いつもお互い目の前の問題のことで相談したりされたり、だったので過去のこと、ざっとは知っていてもじっくりとは聞けてなかった。Gの過去の話。10代の多感な時期に、人間の醜さをいやというほど見たようだ。そんなにどろどろあったとは知らなくて、あまりにひどい話で驚き、泣けてきた。私は私で、やはり暗黒時代だった昔のこと、そしてそれ以上に自分の内面で抱えていた問題について話した。お互い、とても濃くどろどろした環境で育ったみたい。そんなことがあって、Gは高校生のころは、とても冷めた目でまわりを見ていたらしいが根本的に人間が好き、ということが大前提にはっきりと存在しており、その後そうした本来の性質が戻り、今では生き生きと介護・福祉関係の仕事をし、人にまみれている。私は逆で、10代のころから虚無を生きなければならないところに立ち、そこから精神的土壌が形作られていると自覚している。20代後半からずいぶんと肯定的にはなったけれど、それでも虚無を生き、孤独を生きることが前提なのは変わりない。社交的でなくはないが、自分の何かを創ることだけをいつも考えている。そんな大前提も、性格も、趣味も、年代も異なるのに、友人と呼ぶにも少し躊躇するくらいなのに、彼女には何か通じるものがある。彼女も同じことを感じてくれてることが先日わかってとても嬉しかった。それは"言葉"に関することだ。彼女は思いっきり体育会系で、私は文化系だけれど、非常に言語的なタイプの人間だということが共通している。普段、お互い使う言葉は多少異なったとしても、私の語る言葉、よく人から誤解されがちな私の言葉さえもそれが示すもの、その奥にあるものを、ニュアンスを彼女は正確に感じ取ってくれているように感じて、なんてセンスがいいんだろう!と最初のころから感心していた。考え方が似ている、言葉の使い方が似ているのかもしれないが、それだけではない気がする。彼女は言葉を大事にするけれど、言葉の無力さ、虚しさもよく知っている。そして本当に人を理解することの困難さも知っている。そして言葉のコミュニケーションの不可能性を感じつつも、なお言葉をあきらめない、理解しようとすることをあきらめないところも共通する。そうして言葉を発し、この7年間、交流してきた。とても支えられた。物理的にも精神的にも。友人と呼ぶのをためらうのは、それを超えている存在といえるからかもしれない。彼女には最近、つらい出来事があった。大きな転機を迎えている。私にも地殻変動が起こり始めている。あらためてこうしてお互いのルーツを振り返る機会を持てたのは、とても深い意義があったと思う。いったいどこへ向かっていくのだろう、彼女も私も。すべては何かにつながる、準備なのだと思う。彼女は彼女の場所で飛び、私は私の場所で飛ぶための。今は、つらい出来事を乗り越えようとしている彼女を見守っている。
2006.07.12
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大学のミュージカルサークルのときのS先輩が出演するゴスペル・コンサートに行ってきた。同期のK美ちゃんと、S先輩と同期の先輩2人と、4人で見た。ゴスペルなんて生で聴くのは久しぶりだなー。でも生声ではなく、すべてマイクを通してたのがちょっと残念。あんなに大合唱団なのだから、生で聴いてみたかった・・・そのほうがびんびんと身体に心にもっと響いたかもしれないなあ。団員の、慣れてないMCもほほえましかったけれど、指揮をやっていた先生が最後にやったMCの巧みさ面白さはやはり真のプロのエンターテインメントは違う!!と感じさせ、考えさせられた。大勢の団員の中、S先輩はソプラノのパートにいて、特にラスト近くはノリノリで身体を動かしながら歌っていた。S先輩の自然なソウルがあふれているように感じられた。笑顔がなんとも言えずすてきで、もっとあの笑顔を見ていたかった。S先輩は、大学時代はずっとスタッフだった。照明として入り、プロの方に創っていただいた照明プランを前にいきなりミスの許されないオペレーターをやらなければならない。照明オペレーターは、劇場に入ってからしか稽古ができない。というか、機材を運び込み、舞台をつくって照明を吊って、もういきなり照明合わせ、ゲネプロ、本番、とほとんどぶっつけ本番なのが実情だ。そんな中で黙々と仕事をこなしていた。普段はるんるんふわふわした感じの女性だけど、ほんとはものすごいプレッシャーやジレンマと闘っていたかもしれない。卒業公演のときは、S先輩は初めて脚本を書いた。照明スタッフのときと違い、同期の先輩たちと初めて、最初の稽古からずっと一緒に舞台を創っていた。S先輩も、本当はずっと舞台に立ちたかったのかな・・初めて見る舞台上のS先輩の笑顔は、とっても輝いてた。至福の天使のようだった。私はそれだけで嬉しくなって、何度も何度も手のひらの痛くなるような拍手を送った。
2006.07.08
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fucchiEの出演するライブイベントに行ってきた。前回はひとりで行き、途中のDJタイムで帰ってしまったけど、今回は友人も誘って行ったので、最後までたくさんのシンガー、ダンサーのパフォーマンスを見、刺激を受けた。踊りたい!という思いに熱くなってしまう。歌い踊るfucchiE&ダンサー。今回fucchiEは、踊りながら歌うことにチャレンジしてて汗だくですごくがんばってた。そんなfucchiEを間近で見ていて、不思議な感覚に打たれた。高揚するこの空間、この一瞬の"時"、今ここにいる私という存在は杭を打たれたようにここに固定されているのを感じた。この一瞬ずつはあまりに目の前に大きく生成されつづけるので、すべてを見逃さないように広角レンズで目の前を見ているような感覚で向き合いながら、また、すべてが流れ去っていくことに愛惜の念のようなものがわいてきてたまらなかった。それは最近起こっている一連の、私の周りの友人たちのことと、無関係ではないかもしれない。今、私のまわりには不思議な流れがある。感動している。感謝している。愛情に気づかされる。私の言葉に感じ入ってくれる人がいて、さらには言葉にあらわせないものを同じように感じてくれる人がいる。私と出会ったことに感謝してくれる人がいる。私は本当に友人に恵まれているし、私自身も友人を大事に選び、関係を育ててきたと思っている。一時的に離れたり、安定してたりしていたいろんな友人たちとの関係が私自身の意識も含め、今あちこちで地殻変動のようにうごめき始めた。それぞれの友人との関係の、それぞれの唯一性。それらの中で私は、より強く生を人を感じ、自分自身を感じることができる。何か変わっていく予兆なのかもしれない。そんな予感が、しかし定まりもせず自分の中に浮遊したままの状態でfucchiEのライブを見に行き、彼が"今"というものを象徴的に体現して見せてくれたのかもしれない。それを最大限受け取ってしまったのかもしれない。彼も、せっかく知り合った彼も、来年は東京を去る。頭の中まっしろになってるんだろうな・・と思うくらい踊って明朗で透明感のある声で歌う、そんな彼の姿を、"今"の瞬間を、私は写真の中におさめた。
2006.07.02
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