全5件 (5件中 1-5件目)
1
東京駅に用事があったので、帰りにてくてく日本橋まで歩いて三井記念美術館へ「新春の寿ぎ(ことほぎ)」展を見に行った。初めて行く美術館は、いつもわくわくする。一村雨さんおすすめの、円山応挙の国宝「雪松図」。塗り残した雪の白と対照的に、幹の墨の黒の力強さ。私にとっては、ちょっとコントラストが強すぎて、少々威圧的にも感じられる。しかしふんわりした雪、特に小枝につもった雪が軽くやわらかそうで塗り残しによってあれだけ質感を表現してしまう描写力には圧倒されてしまう。左に割合細めの枝や幹をしならせた若木、右にどっしり直線的で鋭角的な老木を配している。その様子は、若木は蜘蛛の姿にも似て、下から這い登ろうとしているよう。虎視眈々と老木に迫り来るようなしなやかなパワーを感じさせる。対して老木は腕を突っ張ってNO!と拒絶している人の姿に見えてくる。追う側、逃げる側のように見えて、その造形の対比が面白い。狩野常信「寿老人・松竹図」、3幅で1つの作品だが、右の松図が特に素晴らしかった。幹を描く筆が踊っている。かさかさごつごつとした表皮の様子に目を見張る。自在な筆さばきが非常に魅力的。江戸初期の作品、土佐光起「女房三十六歌仙帖」は、平安時代の女房の姿絵とその人物の歌が一首書き散らされている。女房ひとりひとりの十二単の色あいの美しさ、配色の妙、繊細さが楽しいが、それにも増して、御簾に隠れ、髪と衣装のすそしか見えない女房がその奥ゆかしさゆえか、より美しく感じられてしまうというのは不思議なことだ。焼き物では、本阿弥光悦「黒楽茶碗 銘雨雲」、光悦はほんとにマルチ人間だとため息。野々村仁清「色絵鱗文茶碗」、赤と金の三角模様の意匠が、モダンでかわいい。仁清って初めて見たけれど、こんなモダンなものをつくる人なんだな・・国宝「志野茶碗 銘卯花墻(うのはながき)」国宝である焼き物は2つしかなく、その1つを初めて目にすることができた。写真で見るより、予想以上に大きく、またゆがみも大きかった。こんなにゆがんでいるとは・・・写真にだまされちゃいけません。いつものことながら、美術館で見る茶碗にはもどかしさを禁じえない。いいものであればあるほど触りたくなるのに、それは当然叶わない。表面のざらざらやごつごつに触れ、またその重みを味わいたい。しかたがないので、ガラスケースのまわりをぐるぐる回って、視覚だけで白い釉の下に秘められた、じっとりした朱を味わった。楽吉左衛門「焼貫き茶碗 銘●雨(あめにささぐ)」は、現代の作品。(●は"敬"の下に"手"をつけた漢字)モダン&シックで、落ち着いた中にも黒や緑の釉が弾み、交わり、心地よいリズムを感じる。銘が「あめにささぐ」だからか、暗い雨空と、濡れた葉、静かな雨のリズム、水や湿った空気の流れ、など思い起こさせ強引に私の誕生月の6月にぴったりだと、密かに楽しく思ったりする。最後出口近くに、室町時代の絵巻物「放屁合戦」というのがある。男たちの表情がとてつもなく楽しそうで、微笑ましい。かわいく、おおらかで、案外現代的だと感じた。たそがれとともに、ライトアップされる三井記念美術館、その側面は、ルーブル美術館の円柱を彷彿とさせる・・・日本じゃないみたい!国宝2点を見られる「新春の寿ぎ」展は、三井記念美術館にて1月4日(木)~1月31日(水)まで。
2007.01.21
コメント(6)
太田記念美術館「ギメ東洋美術館浮世絵名品展」のあと、上野の東京国立博物館「博物館に初もうで」へ。午後の日差しを浴びる東京国立博物館本館。謹賀新年の垂れ幕や、お正月の生け花の飾りなどがしつらえてあり、ちょっと晴れがましい雰囲気。お正月にちなんでおめでたい企画が開催されていたけれど、それらはさらっと流して、目指すは国宝展示室。昨年見てとりこになった長谷川等伯の「松林図屏風」に今年も会いにきた。(昨年の記事はこちら)昨年は会期ぎりぎりで行ったので、かなり混みあい、全体像を見ることができたのは、閉館5分前になってからだった。今回はそこまでの混みようではなく、いきなり白い全体像がわっと押し寄せてくる。長谷川等伯「松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)」 の右隻全図やはり何か不思議な感覚がやってくる。実体とは何か?こんな問いの言葉がわいてくる。実体である4本の濃い色の松が、亡霊のような影のような魂のような同形の松たちに画面奥へと、彼岸へと誘われとらわれゆくかのように見える。二重性、多重性。存在のあやうさ。色即是空。すっかり空(くう)にとらわれ、すでに消えかかっている松の幹・・・キャプションにある「連筆(れんぴつ)」という技法のことを読み、かすかに心臓がひきつれ、恐怖に似たような切迫感を何故か感じた。私も昨年の走墨作品展で、筆の2本使いに格闘したことを思い出し、本当に等伯という人が、束ねた筆で絵に向かう姿を、その緊迫感を生々しく想像したからかもしれない。こんな魔物のような作品を、しかし生身のひとりの人間が描いたという事実。今年はそんなことを受け取った。来年は「松林図屏風」と私と、またお互いどんな1年を経巡ってどんな邂逅をすることだろう。中国、日本の書もずいぶん展示されていたが、本阿弥光悦の「和歌巻」に魅き付けられた。みずみずしく流麗、それでいて大胆な力強さとシャープさも持ち合わせて。点をひとつ打つにも、その入り方はため息が出るほど美しい。文字から文字へのつなぎも美しく、穏やかで軽やかな呼吸が感じられる。闊達さ・自在さがなんとも言えず心地いい。あんな書を書くには、心の自在さが要るんだろうなあ・・小林一茶の「自画賛」という掛け軸もよかった。「子ともらを 心ておかむ 夜寒かな」という句と、老人の背。孤独なのだろうけど、どこか自由な、力の抜けた老人の背中を感じる。"お"や"か"などの字はすごくちっちゃい字だし、老人は簡潔な線で描かれ、書も絵も空白だらけの掛け軸なのだ。しかしその空白に、想いのすきま風が行き来しているかのような、滋味深い作品だ。今回は、初めて東洋館へも足を踏み入れた。入り口からすぐの、西方・ガンダーラ美術のセクションに入ったとたん、何故か泣きたくなった。胸がふるえた。遠く西方で息づいていた仏教。東方と違って、白い土地。土の色が違う、仏像の色が違う。ヨーロッパの、ギリシャの影響の混じる仏像。あまり見たことない、胸に両手を握っておし抱く姿の仏像。様式は異なっても、ここにも仏教の空気があり、祈りが捧げ続けられている。はるか古だとしても。はるか砂漠の地だとしても。あまりに整ったすっきりとした美しい仏頭があった。アフガニスタン出土だっただろうか。ギリシャ彫刻の洗練と均等美、東洋的な深い瞑想と静けさ。以前、ゲリラなどにより、バーミヤン遺跡が破壊され失われていく様子を写したニュース映像を思い出す。今では西方やインドでは仏教が廃れてしまっているけれど、かつては仏教によりつながっていた。遠く西方から日本まで。アジア。これまであまり共感も実感もなかったけれど、アジア一帯を、その中の日本を、仏教美術を通じて改めて強く感じた。「博物館に初もうで」や、国宝「松林図屏風」展示は上野の東京国立博物館にて、1月28日まで。
2007.01.08
コメント(8)
「ギメ東洋美術館浮世絵名品展」を見に、原宿の太田記念美術館へ初めて行った。"世界初公開!新発見 北斎の「龍虎」100年ぶりに出会う"とちらしにあるが、パリのギメ東洋美術館所蔵の「龍図」と太田記念美術館所蔵の「虎図」、最近の調査の過程で、この2作品が双幅であることが発見されたとのこと。この2つが同じ表装であることに気づき、発見に至らしめた日本人スタッフはさぞ背筋がびびっとくるほど衝撃を受けたことだろう。確かにすごい発見だ。小規模な館内でも、この「龍虎図」を含め4点はお座敷に展示されていて、靴をぬいで正座してゆっくりと対座することができる。葛飾北斎「龍図」、龍はなぜか哀しいような青い目をしていて、人間くさい表情をしている。虎は龍を見上げているけれど、龍は虚空を見つめているようだ。群青をはらんだ墨の黒雲が、離れて見るとはっとするほど青光りして印象的。葛飾北斎「虎図(雨中の虎)」、こちらは龍図と対照的に虎の毛の明るい茶のグラデーション、足元のつたのようなの葉の赤と緑など色彩が明るく鮮やか。虎も龍同様、なぜか青い目をしていて、不思議な印象を覚える。爪は鋭くむきだしになっており、龍に向かって吠えているにも関わらず、まぶたの縞模様がまるで長いくるんとしたまつげのようで、目の表情が、ワニの目か少女マンガのようにキュートに見えてしまう。・・・こんなふうに見えるのは私だけだろうか?(-.-;)歌川広重の「隅田川月景」、この作品が素晴らしく良くて、何度も戻って見た。近景に小さな屋形船、中景は川に打たれた細い杭がリズミカルに並び、画面両脇へ行くほど淡く消えてゆく。中遠景の杜の木々のシルエット。それらも杭と同様、画面両脇へ行くほど淡くなっていて、中央のくっきりしたシルエットは、朦朧と淡く消えゆく意識を現実に引き戻しているような感じがする。空には淡い淡い月の輪郭。水墨で描かれた幽玄の世界。かすかな水音さえ聞こえてきそう。何回か見て落款が中央下に押してあることに気づいた。こんな位置に押した落款は初めて見た気がする。珍しいのではないだろうか。通常日本画と言えば、非対称で余白を生かした構図が多いけれど、この作品は、珍しく縦中央に月、木の濃いシルエット、杭、屋形船、と焦点が当たっていて、それゆえより吸引力が強く感じられるのかもしれない。広重の風景画の版画は前から好きだったけれど、こんな素晴らしい肉筆画に出会えて、嬉しい。呆然とお座敷に座り込んで淡い世界に浸った。東洲斎写楽の役者の大首絵をいくつか見ることができて、よかった。印刷物では馴染み深くても、まだ実物を見たことがなかった。大胆な着物の輪郭線と裏腹に、鬢や鼻、指先の思いがけず繊細なラインに舌を巻く思いで見入る。版画とは思えぬほどの繊細さ。背景の黒雲母は肌の白さを浮き立たせ、鼻や鬢などの極細のラインは、太いラインによって縁取りされた目や、眉や口元の諧謔味あふれた表情をシンプルに際立たせている。写楽の版画を見ていて、1枚1枚そのものが舞台であるかのように感じた。暗幕に、白い舞台、小道具によって際立つ主役は目や眉、口の表情、といった具合に。見ていて飽きない、面白い作品群だ。喜多川歌麿「風俗浮世八景 閨中ノ夜雨」、歌麿は特に好きではないけれどたまにいいな、と思う美人画に会えるときがある。この遊女は艶っぽくていい。うなじ、帯を解こうとする手のしぐさ、うつむきかげんの姿勢。帯は結んでいるところかもしれないが、それなら多分手のひらが内向きになると思うからやっぱり解くところだろうなあ。葛飾北斎「千絵の海 総州銚子」も、よかった。爽快感あふれる、藍から水色へのグラデーションと、波しぶきの白。生き物のようにどよめく波と波しぶきの造形は、やはり北斎ならでは。この日はNHKの取材が来ていて、作品や来場者に対してカメラが回っていた。何の番組とかの説明はなかったけど、もしも日曜美術館などで、来場者の中に自分の姿がちらっと映りでもしたら、こっそりほくそ笑むことにしよう。他にもたくさんの興味深い浮世絵が出品されていて、展示替えもあるので、後期も見に行きたいなあ。「ギメ東洋美術館浮世絵名品展」は原宿の太田記念美術館にて2007年1月3日から2月25日まで。このあとせっかくなのでラフォーレや竹下通りをぶらぶらして次に長谷川等伯「松林図屏風」を見に上野の東京国立博物館へ向かった。
2007.01.08
コメント(10)
祝日。天気もいいし、思い立って美術館へ行こうと家を出てきた。家でゆっくりしたり、ブログを書いたり、日記を書いたりしようと思ってたのに。何か考えをまとめるような、膨大なひとりの時間が必要な今。しかし家の雑事の中にいては、パソコンに向かっていては、わからないこと、気づけないこともある。外界にいるほうがより、内面からの声を聞き取りやすいこともある。だから小さな小さな旅に出た。旅では、電車での移動時間も乗り継ぎの待ち時間も、全てが旅の途上であって、無駄もなければ焦ることもない。全ての要素が旅の一部なのだ。そして人生も同じだ。何を焦っているのだろう?全てが旅なのに。全ての時間と事象は、旅の途上のものなのに。何を感じ、何を学ぶか、その材料なのに。そんなことを考える。うらうらと陽のあたる駅のベンチにて。おととし、2005年の私は、ただただ走っていた。興味のおもむくまま、アメリカや沖縄への旅行、名古屋、千葉への小旅行。乗馬にチャレンジし、100kmを完歩し、たくさんの美術展を見に駆けずり回った。華々しかった。昨年2006年はイベント的には地味だった。その代わり、人との新しい出逢い、再会、交流に貫かれていた。大学時代のサークルの人たちとの、度重なる再会と交流。fucchiEとの出逢い、Shihoさんとの出逢い。ブログで知り合った方たちが、作品展を見に来てくださったこと。連絡の途絶えていた昔の友人の近況が、急にいくつか入ってきたりした。Rさんとの再々会。年の終わりには病気療養していたKちゃんが東京に戻ってきて、訪ねていった。何故だろう、何故だろう。突然さまざまな交流や、交流の予感が一気に花開いた。無意識に準備してきたことだろうけど、本当に不思議だ。2007年は人々との交流をさらに続け、本当にいい縁を残していきたい。全て喪ったと感じていた私が、戻っていく。そして全て喪ったものが戻ってくる、私のもとに。何ひとつなくしていなかった。そのことに静かに感じ入る。私とは何だろう?私というものがひとつの筒となって、全てが通り抜け、何度でも戻ってくるようだ。その縁の流れ、悦びの流れに、自分が透明に洗われていく。つなぎとめずとも、それらは戻ってきて私を通り、私を洗い、砂金のつぶを残していってくれる。今年は、仏教を学びたい。もともと無神論・無宗教な私なので、我ながら意外な指針だが、昨年初めに長谷川等伯の「松林図屏風」を見に行って以来、漠然と考えていた。(虚実の境に紛れ込む~国宝:長谷川等伯「松林図屏風」)体系的にがっちり学ぶことまでは考えていないし、どちらかというと、イメージをとらえたり、感覚的に知りたいという感じ。日本の感性をより理解するためと、自分自身の想念の海をより大きく形作るために。日本の感性に取り込まれた仏教。あるいは本当にシンプルなところの仏教の世界観。その感性や概念、時空への意識、実体と観念のとらえ方。日本語や文字や言葉の音(おん)とも関係が深いだろう。文章を書いたり、走墨をやったりするのにも、奥行きが深くなりそう。しかし仏教も範囲が広いので、どんな本を読めばいいかまったく見当がつかず、さっそく哲学科の院生だったKちゃんに相談。こんな私にも染み込んでくる本が見つかるといいなあ。今年は、本も創りたい。昨年カナダ村さんのブログで「本にまとめるとおもしろい」という記事があり、刺激を受けた。最近は人のものばかり苦労して製本していたが、やはり自分の作品も製本したい。カナダ村さんのおかげで、わくわく楽しみになってきた。今年はダンスもしっかり続けていきたいし、身体づくりも毎年のことだが大きな課題だ。昨年からは走ることも課題に加わった。走墨も精進していきたいし、いつもながら気持ちだけは欲張りな年始。しかしなんと言っても今一番重要な目標は、自分の仕事のこと。早くもプレッシャーになってしまっている。どうやって前向きにやっていけるか、闘いだなあ。でも、あまり構えるとつらくなってしまうので、すべて旅の途上、と思うようにしよう。
2007.01.08
コメント(12)
あけましておめでとうございます。いい年末年始を過ごされましたか?(^-^)私は、お正月は実家でのんびり。母と姉と近所へあちこちお買い物に出かけたり実家でテレビを見たり、本を読んだりしてました。妹はサービス業なのでいつも私たちが休みのときは仕事でなかなか一緒に遊べません。昨年の振り返りや今年の指針などをじっくり考えよ~、と思っても実は考える余裕はまったくなし。母や実家のペースに合わせて過ごすので、何してるわけではなくても、何かを集中して考える時間はありませんね~。でも、お天気にも恵まれ、のんびりほっこりいいお正月でした。母も姉妹も元気でありがたいです。4日から仕事に入り、5日はジムでバレエの初レッスン。昨年秋ころから体調がすぐれなかったため、ダンスはなんとか続けていても、筋トレをだいぶさぼってて久しぶり。今年はちゃんと筋トレやっていきたいです。あと、走るのもね♪今は5kmをひーひー言いながらやってますが、目標は20km!ハーフマラソンです。昨年のテーマのひとつが「右脳」だったので、読書よりは音楽に親しもうと思い、本を読みませんでした。(あさのあつこの「バッテリー」は5巻が出たので思わず読んでしまった・・)今年のお正月は、実家にあった松本清張「ゼロの焦点」を読んだ~。あと、文庫が出てたので「ダ・ヴィンチ・コード」を一気読みしました。面白かったけど、羊頭狗肉・・売るためのタイトルじゃん!と苦笑してしまった(^^;)でも、キリスト教についての話を読みつつ、日本の精神とか日本の宗教についてずっと引き比べて考え続けていたように思います。そのことは今私の中で大きいことなので、その点でよかったと思います。今日8日は成人の日のお休みでしたね。思い立って太田記念美術館「ギメ東洋美術館所蔵 浮世絵名品展」と、上野の国立博物館へ国宝・長谷川等伯「松林図屏風」を見に出かけました。今年の初美術展鑑賞です。その感想はまた後ほど書きます。美術展へ行きながら考えたこと、昨年の振り返り、今年の指針、などもまたあらためて書きたいと思います。なんだかまだとりとめなくて・・・少しずつは言葉と形になってきてますが。そんなこんなの年始でした。とりあえず今年もよろしくお願いします★
2007.01.08
コメント(6)
全5件 (5件中 1-5件目)
1