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千駄木にある大正時代の邸宅、旧安田楠雄邸でNちゃんの琵琶演奏会があるというので出かけました。千駄木の駅から団子坂をのぼり、右へ曲がると閑静な住宅街の中に旧安田邸はひっそりとありました。立派な木の門。大正当時のままだそうです。庭へ入ると、うっそうと茂る木々。玄関で受付を済ませ、演奏会の前に安田邸の見学が始まります。ボランティアの方が熱心に丁寧に説明してくれました。これは玄関脇にある電話室。古めかしいですね!お客様用の大きな玄関の横には住人用の小さな玄関。上に並んでいる家紋つきのカゴには、提灯が入っているそうです。いわゆるすきま収納ですね。襖に、繊細な藤の絵が金泥で描かれています。唯一洋間である応接室。日本家屋と違和感のないよう、入り口は竹の網代編みの天井になっています。洋間、漆喰ぬりの天井。応接室にはだんろがあります。家具は基本的にクルミ材を使用。庭に面しているのはサンルーム。ガラスもほぼすべて当時のものだそうです。奥へ長く続く廊下。雁行型という細長い様式の建物だからだそうです。廊下の右側はお客様用の畳、左側は家人用の板敷きと、歩く場所が分かれているのには驚きました。細い廊下。廊下の途中に、こんな灯りと網代編みの天井が。庭に突き出た廊下の角。私のお気に入りの場所です。客間から庭をのぞみます。この庭は内観式という様式。客間の畳は、備後表(びんごおもて)といってNHKの番組「美の壷」で取材を受けた実績のある、最高級の畳。瀬戸波(せとなみ)というイグサを使っていますが、残念ながら、このイグサを作れる名人が亡くなられたので、このように高い質のものはもう作れないそうです。午後の日差しに庭がきれいでした。心が安らぎます・・・客間の向こうに茶の間があり、さらに奥へ進むと、台所。天窓になっています。当時としては斬新!!さんさんと明るい台所は、奥様や使用人たちへの主人の心づかいを感じますね。これは当時の冷蔵庫です!氷を入れて食べ物を冷やしたそうです。化粧室の窓。向こう側はお風呂になっています。木の薄い長押に彫られた透かし彫りが、なんとも言えず風情があります。水たまりや水滴をかたどっているのでしょうか。階段をのぼって2階へ。琵琶演奏会の会場となる大部屋の床の間。この前で琵琶演奏が行われます。この部屋の畳は、案内係の方の説明でなるほどと思いましたが、1階の客間のぴしっとした畳と違って、少々弾力のあるやわらかい畳で、座ると足やお尻にしっくりなじんでくる畳でした。ありとあらゆるところにまでこだわって各々の部屋にあったしつらえをしていることに感心しました。天井から変わった電灯が下がっています。これも大正当時の鋳物でつくられた電灯です。床の間脇の小さな部屋。2階のベランダ。部屋との仕切りに御簾(みす)がかかっています。これも当時の御簾で、品がよく涼しげでした。とても素晴らしい邸宅でした!こうした古く、木でできていて、慈しみをもって長く住まわれた家というのは、日本人の心と感性にしっくりきますね。旧安田楠雄邸の一般公開やイベントについては「たてもの応援団」のサイトに詳細がありますのでご参照ください。
2007.09.22
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年始に「今年は仏教を学びたい」と書いた。私は宗教は好きではないが、以前に比べ日本の美術や文化が好きになったせいか、日本人に深く根付いている仏教について、ここ数年気になっていた。日本人独自の時空への意識や美意識、死生観に大いに影響を与えている、その思想を知りたく思った。仏教とひとことで言っても幅は広く、奥も深く、どこから手をつけていいのかよくわからなかったけれど、アマゾンのレビューを参考にしたり、実際本屋でぱらぱら見たりして初心者でもわかりやすそうな本を選んで3冊読んでみた。ジャン・ボワスリエ「ブッダの生涯」創元社水上勉「『般若心経』を読む」PHP研究所中村元・田辺祥二「ブッダの人と思想」NHKブックスまず、宗教としてとか、私の好きな美術の方向から、ではなく、人間ゴータマ・シッタータがどんなふうに目覚めてブッダとなり、どんな行動をし、何を言ったか、をシンプルに知りたかったのでまず彼の生涯を知ろうと思った。ジャン・ボワスリエ「ブッダの生涯」「ブッダの生涯」は、なかなか魅惑的な書だった。仏画や仏像の写真が盛りだくさんで、見ていて楽しい。訳者が序文で述べている通り、このフランス人研究家による書は南方の資料による解説が中心で、北方や日本を含む東方の資料や言及がほとんど扱われてないという傾向はあるけれど、それにしてもここに展開されている世界は、これまで日本史などで教わった世界とはまるで異なっていて、鮮烈で絢爛で興味深い。仏教はインド生まれなのだから、当然ではあるけれど、南国から出たものだということを、まるで初めて知ったかのように実感した。仏画では、南方らしい、黄や橙や赤など暖色をふんだんに使い、神や動物も生き生きと描かれているものが多い。"人間ゴータマ・シッタータが・・"と先ほど書いたが、この書は、多分に神話的な要素も強く、彼の前世が猿だったときの物語や、女性だったという仏画や、神と対話し地上に戻ってきたときの物語と熱狂的な仏画や、分身の術を見せる奇跡の物語など、さまざまな物語を含んで展開されている。少々猥雑な感じもあったりして、おおらかで豊かな、躍動的な南方の息吹を感じることができる。とても面白い。水上勉「『般若心経』を読む」まったく1から仏教を少しずつ学ぼうとは思ったけれど、よく知られた短い般若心経については先に学んでみたいと思い、水上勉「『般若心経』を読む」を選んでみた。わかりやすい言葉で解説しながらも、反論し、持論を展開している。正直な人だな、とは思ったけれどう~ん、私情が入りすぎ?家族の不運・不遇はわかるけれど、イコール不幸と断じていいものだろうか・・家族は違った感じ方や見方をしているかもしれないのでは?と疑問に思った。中村元・田辺祥二「ブッダの人と思想」大まかなブッダの生涯や、神話的な逸話はわかったから、今度は基本的な思想について知ろうと思い「ブッダの人と思想」を読んでみた。こちらは人間ブッダの印象が強く、穏やかな話し方や、門徒への優しいふるまいや言葉、賢明な態度などが伺える。この時代、インドでも西洋哲学の原点と近いことがさかんに議論されていたことも興味深い。西洋でソフィストたちがたくさんいたのと同じようにインドでも懐疑論や道徳否定論、唯物論などさまざまな教えを説くものがいたという。時代が下がると唯識論というのがあって「すべてを空と考える自分自身は空ではない」という理論などはデカルトの"我思う・・"とまったく同じではないか。そんな中で、さまざまな形而上の問題、「時間の有限性・無限性」「空間の有限性・無限性」「肉体と霊魂の同一・非同一」「人間存在の死後の世界の有無」これらにはブッダは一切答えなかったという。しかしそれは有用性の問題で、彼なりに"言葉にできないもの"として何か示されているものがある気がする。他にも、人間存在における自己、我(アートマン)について「説似一物即不中(ひとつでも取り上げて説明したら、もはや真実から外れてしまう)」と答えており、それでいて人々に「アートマンを求めよ」と説き続けている。アートマンについては、何度か読み返して自分なりに咀嚼してみたいと思っている。これまで漠然ととらえていた"空"についても少々ニュアンスが異なることがわかり、これについても考えていきたい。初めて知ったことも多かったが、特に印象深かったのは川の向こうに渡るのに舟は有益だけれど、向こう岸に渡ったら舟に執着する必要はなくなるという例えを用い、ブッダの説く教えも捨てるべきときは捨て、前進しなさいと弟子たちに説いたこと。これこそ、ブッダが神でも宗教家でもなく、1個の、道を指し示す道標であり、一修行者であり続けたという証であろう。まだブッダの教えを理解したとは言いがたいが、基本的な仏教用語や人物名に少しだけ通じたような気がする。次に進むなら、興味深いのは龍樹の"空"の思想だ。それから、禅の世界。密教もちょっと面白そう。浄土宗や日蓮宗など日本で広く信仰されている各宗派についても余力があれば読んでみてもいいけれど、あまり気が進まない。仏教を学ぶと言っても、手軽な本を読むだけだけど、楽しい。これからは毎年1つテーマを決めて学ぼうかなと思った。哲学とか歴史とか。少しずつでも、世界が広がって楽しそう。
2007.09.15
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8月いっぱいでジムをやめた。前から考えてはいたことだけど、本当にやめてしまった。不思議なくらいだ。やめてすぐのころは「本当にやめちゃったんだ・・本当にやめちゃったんだ・・」と家でつぶやいたりしていた。そして、夢にまで見た。やめようとして引き止められる夢。ささいなことかもしれないが、私の中では大きなことだ。私の人生の一部となっているダンス、そして身体づくりの拠点をどこに置くか、どうやって続けていくかの選択だからだ。このジムは5年も通った。入るときはネットで調べ、パンフを集め、あちこち見学に行き、ようやく条件の揃ったところを見つけ、体験レッスンもし、やっと納得して入会した。何かを始めるときは、とても慎重なのだ。そして何かをやめるというのは、私にとってはさらに大きなことだ。目的の1つであるバレエのクラスが、条件に合わなくなってきたことが一番大きな要因だが、ほかにも理由がある。楽しく気楽にやってはきたけれど、少数ながら仲のよくなった先生やクラスの人もいたけれど、私の中ではいつからか閉塞感があった。惰性で通っているところもあった。もちろん、得たものもいっぱいある。個性的なインストラクターの先生たちの姿。ダンスやバレエのクラスで一緒だったいろんな人たち。fucchiEとの出会い。100km大会の挫折も、100km完歩も、ここがあってこその出来事だった。失いたくないものもあったからこそ迷ってきたけれど、私はまた次の一歩を踏み出すことに、突然さらっと決めた。そして実行した。5年前の私に必要だったことと、今の私に必要なものは違う。しかしやめると決めてからわかったこともある。最後にHIPHOPのクラスに出たあと、先生やクラスの人からかえってきた言葉。一匹狼であまりべたべた仲良くしたり話したりはしなかったけれど、意外にも私のことを見ていてくれてたんだな、とあらためて感じた。ほんとに一瞬やめたくなくなるくらい。H先生に「ダンス好きなんだから!」とぽんと肩を叩かれた。H先生やI先生の出る11月のイベントを見に行くことを約束した。何かがつながっていくのかもしれない。これまで踊ってきたということ。これからも踊り続けるということ。とりあえず次の一歩の行く先は、一応目をつけてある。しかしそこも終着点では決してない。そこでいったい何を感じ、何を得、どんな人に出会えるだろうか。流れは、その先いったいどこへ向かうのか。不安と自由の風の吹く、夏の終わりだった。
2007.09.01
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