マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2011.11.11
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 今帰仁城と博物館 

メモを書き終え、お握り1個と魚肉ソーセージを半分だけ食べた。まだ体調は良くない。入場券(400円)を買い、城の入口に向かう。その手前の店で1杯300円のサトウキビジュースを飲んだ。青臭いかと思ったが案外爽やかで美味しい。店主が黒砂糖をお湯で割ったのをくれたのでこれも試飲。お陰で体調が戻った感じ。

ここに来たのは3度目。いつ観ても立派な城だ。他の城と違うのは石の色。同じ石灰岩でも青黒くて堅いため、風格を感じる。また入口の平郎門が防御用に出来てるのも特徴だ。合計で6つの廓があり、このうち御内原には神に祈願する御嶽があった。一番奥の志慶真門まで行って引き返す。帰りはわざわざ旧道を通った。これが本来の道で、築城当時の雰囲気が残っている。

世界遺産に登録されてから、城と周囲の整備が急速に進んだ感じ。ついでに「今帰仁村歴史文化センター」も観覧。意外にも立派な施設で驚いた。城が出来る前の遺跡と出土品、今帰仁城からの出土品、琉球王朝時代の宗教制度と古い墓、戦前の村の様子などがテーマ毎に陳列。私が狂喜する内容だった。

ランの途中で観た「オランダ墓」や、電照菊畑で聞こうとした「百按司(ももじゃな)墓」の説明もあった。百按司墓は北山王国を滅ぼした中山王国の監視役である貴族の墓で、1500年代のものが7基あるようだ。東大理学部が戦前に発掘し、人骨を持ち去っていることは知っていたが、木棺が漆塗りの立派なものであることは初耳。

これらとは別に「大北(うふにし)墓」と言うのが、運天港の近辺にあるようだ。1700年代に今帰仁城付近から移設された按司(あじ)の墓とか。城の麓には、かつてかなり広い水田があったことも初耳。現在の沖縄本島には、ほとんど水田がないのだ。また古宇利島はじめ、沖縄本島と周囲の離島間に烽火のネットワーク体制が敷かれていたことも驚きだった。

これだけ収穫があるとは意外で、一遍に長年抱いていた謎が解けた。お握り1個とソーセージの残りを食べ、14時03分スタート。ここで2時間以上休んだことになる。坂を下る途中に月桃の葉をちぎって匂いを嗅ぐ。私はこの匂いがとても好きで、古宇利島でも葉をちぎった。国道に下りると男子の高校駅伝選手が走っていた。

トップはコザ高校で、北山高校は2位だったはず。ビリの方の選手が長袖を着ていたのにはビックリ。30度近くで長袖を着てては勝てない。これで「暑さ対策」の積りなのだろうが、私には狂気の沙汰としか思えなかった。翌日の新聞によれば、男子の参加校は23チームのはず。<続く>





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Last updated  2011.11.11 15:39:10
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