マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2011.11.12
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 ゆんたく=おしゃべり 

強い日差しを避けるため、極力日影のある歩道を走る。間もなく本部町に入った。駅伝を応援していた集落の人が、私にどこから来たのかと尋ねる。「宮城県から来て、今日は本部半島を一周してる」と答えた。さらに3月の地震で妻の精神状態がおかしくなり、自分も不整脈になったことを告げると、「沖縄に引っ越したら良いよ」との慰め。うちなんちゅ(沖縄人)のゆんたく(おしゃべり)は屈託がない。

14時40分「沖縄そば」と書かれた旗を発見し、店に入る。個人商店ではなく「田空の駅」と言う道の駅で、昨年出来たばかりの新しい建物。豚のスペアリブが入った「ソーキそば」を注文すると、おばあが「食事は終わったよ」と言う。「ええっ、まだ3時前なのに」と嘆きつつ、思わず「楽しみにしてたんだけどなあ」と言うと、「ちょっと待って」とおばあ。

どうやらソーキが一つだけ残ってることを思い出したようだ。3人のおばあは昼食を摂るところだったみたい。ほぼ食べ物が売り切れたのは本当だと思う。そばにはソーキが4つとかまぼこが2切れ入っていた。漬物もついてデージ(かなり)上等。喜んで食べていると、1人のおばあが私に「高校生か、中学生か」と聞く。

こんな白髪頭の中高生がいるはずないが、きっとランニングスタイルなので誤解したのだろう。中学生の駅伝大会が翌日あるらしい。駅伝は元々島の中部で行っていたが、交通事情が厳しくなり本部半島にコースを変更した由。結果的にここでそばを食べたのは大正解。次に食べ物を口に出来たのは3時間後だったからだ。

本部半島一周道路から逸れ、備瀬崎方面に向かう。15時42分に着いた本部半島最北端の浜辺はとても美しく、岬の先の小島には灯台があった。目の前には伊江島のタッチュウ。寺院の塔頭(たっちゅう)が変化し、沖縄では尖がった岩山の意味で使われ、頂上には城もある。第2次世界大戦では、米国の従軍記者アーニーパイルがこの島で戦死している。

浜辺で休んでいると関西弁が聞こえて来た。こんなところに内地の人が2人もいるのに驚き、思わず会話に参加。1人は「かりゆしシャツ」を着た愛媛出身の人で、半年前からここのペンションで暮らしている由。もう1人は淡路島から旅行に来た青年。2つほど地名を言うと愛媛出身の男が驚く。どうやら彼の出身地だったようだ。青年には「大鳴門橋」を渡り初めした際の話をしたが、まだ生れてなかったみたい。

スポーツドリンクを飲みながら「味噌汁の素」を舐める。これが暑さに負けないための秘訣なのだ。16時ちょうど、海岸に沿って走り出す。備瀬の集落には見事なフクギ並木。沖縄でも有数の防風林で、フクギ並木見学用の馬車まで準備されていた。この樹皮から黄色い染料が取れ、著名な染色である紅型(びんがた)にも用いられる。<続く>





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Last updated  2011.11.12 19:20:48
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