マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2012.07.04
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カテゴリ: 読書
 吉川英治著『私本太平記』全8巻を昨夜ようやく読み終えた。彼の著書は初めてだったし、中世に関する本も初めて。文中の言葉が古く、初めて知る地名もあった。地名は地図で、言葉は各種の辞書で、人物や事物はネットで確認しながらの読書だった。だがそれは決して苦痛ではなく、むしろ私にとっては楽しい作業でもあった。

 単純な感想だが、言って見ればやはり「大河小説」だろうか。30年以上に亘って1人の人物を追うのは大変なこと。それが新しい時代を切り開く者であればなおさらだ。時代の寵児足利尊氏を取り巻く人間像の豊富さと複雑さ。ことは後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうとする企てから始まる。幕府側と朝廷側のどちらにつくか迷う武士団。それが寝返りと裏切りの連続で、最終的な帰結が全く読めない展開だった。

 小説を読みながら、私は平成3年に放送された大河ドラマ「太平記」の俳優を思い起こしていた。北条高時(片岡鶴太郎)、足利直義(高嶋政伸)、楠木正成(武田鉄矢)、佐々木道誉(陣内孝則)、高師直(柄本明)などの顔が生き生きと思い出されるのに、話の主役である足利尊氏(真田広之)、後醍醐天皇(片岡孝夫)、新田義貞(根津甚八)の印象が薄いのは何故だろう。

 それはあまりにも錯綜した戦いが続いたせいもある。テレビでは分からなかった歴史的な背景が、今回小説を読んで良く理解出来た。尊氏の戦いは多分30回にも及んだはず。幕府を京都室町に開いた後も、南朝側に何度も都を奪還されている。あれだけ血みどろの戦いだったことを、今回初めて知った。まさに戦国時代、下剋上の先駆けだったと思う。

 私の中では「南北朝時代」と「室町時代」が混在していた。また戦前のいわゆる「皇国史観」があの時代を小説の対象とすることに躊躇させていたようだ。吉川英治がこの本を書いたのは昭和33年1月から36年10月までの3年10カ月間。ようやく書き終えたのは死の1年前でしかない。彼にとっては最後の大作だった。

 この大河小説を通じて、作者は一体何を描きたかったのだろう。多分それは人間そのものであり、権力者の実態だったはず。実弟である直義の毒殺や、敵である正成との交流など、尊氏は杳として捉えることが困難なほどの多面性を見せる。悩み苦しむ姿も、全て真実だったのだろう。変な話だが作者の学歴は高等小学校だけ。それも卒業ではなく中退のまま。

 義務教育すら終えていない人が、とても書ける本ではない。一つには彼自身が人生とは何か、絶えず悩み苦しんでいたからこそ書けたのだと思う。室町時代、2つの皇統の争い、皇国史観、いわばそれまでの小説家が避けて来たテーマに、果敢に取り組んだ精神が至高の文学となった。引き続いて私は『新平家物語』全16巻に手をつけた。さらに吉川文学、吉川史観に魅せられることは間違いない。<続く>





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Last updated  2012.07.04 13:32:04
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