マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2014.11.15
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<道に迷う>


     橘寺にて 1-33橘寺.jpg

 明日香村に滞在したのは7時間ほど。そしてその間に訪れたのが13か所だった。帰宅してから改めて観光地図を見たら、行きたかった個所が半分以上残っていた。それだけ明日香村には歴史的な遺産が多いと言うことだろう。だが、この村を再び訪れることはもう不可能で、頭の中で想像する以外にない。それでも夢を観る楽しさだけは味わえるかも知れない。


1-40橘寺.jpg 橘寺境内

 今回の奈良旅行に際して、私は古本屋で4冊の本を買った。明日香村と山の辺の道を確認したかったためだ。出来るだけ正確な地図を観て、それを頼りにする気持ちが私には強い。現地に行けば詳しい観光地図が得られるとは思ったが、油断は禁物。だが、実際は明日香村でも山の辺の道でも何度か道に迷った。決して強がる訳ではないが、自分ではそれもまた何かの勉強だと思っている。


3文旦.jpg 街道沿いの文旦

 11月7日(金)旅の3日目。桜井駅前のホテルを8時半に出発。いよいよ念願の山の辺の道を歩くのだ。距離は最低でも15kmにはなるはず。朝食は夕食に比べてかなり粗末だった。宿で作ってもらった弁当2個が入ったリュックは結構重たい。駅でコース図を入手。これを見ながら歩き出したのだが、最初から躓いてしまった。地図に書いてあった山の辺の道の入口までの距離を、私はうっかり見落としていたようだ。


1スタート.jpg2大和川.jpg

 1.5kmほど行き過ぎてから違うことに気づいた。最初に道を訪ねたお爺さんが間違って教えてくれたことを、迷子のせいには出来ない。全ては自分の地図の見方が悪かっただけ。最初から往復3kmほどのロス。ようやくスタート地点を見つけた時の嬉しさ。喜び勇んで大和川に架かる橋を渡った。かつては日本一汚れた川だったが、この辺にその面影はなく、むしろある種の清らかさを感じた。


3-1.jpg4仏教伝来.jpg

 それもそのはず、この付近が我が国に初めて仏教が伝来した地なのだとか。海柘榴市は「つばいち」と呼ぶ。交通の要衝で、古代から「市」が栄えていた由。随や百済などの使節が大和川を舟で遡り、ここまで来たようだ。川岸には港があった由。ここから明日香までは馬か歩いて行ったのだろう。この静かな住宅地に、かつてそんな栄光の日々が存在したとは。


  金屋の石仏  6-1石仏.jpg

 付近には「金屋の石仏」があった。平安後期から鎌倉時代にかけて作られたもので、凝灰岩に弥勒菩薩(左側)と釈迦如来(右側)が浮き彫りにされている。それは帰宅後に知ったことで、当日は仏教伝来との関係を考えていたのだ。


5道の始め.jpg古代の道.jpg

 左側が山の辺の道の入口で、右側が古代の街道図。今回歩いた山の辺の道が一番右側の曲がりくねった道で、奈良盆地の東縁を山裾を縫うように通っている。桜井市の三輪山の麓から奈良市の春日山の麓まで続くが、天理市以北は途中から不明個所がある由。これが我が国の歴史に残る最初の道で、さらに明日香へと繋がっていた。

 持統天皇4年(680年)の藤原京の造営に前後して、新しい真直ぐな道が造られた。最初に出来たのが上ツ道で、これにより山の辺の道の通行は激減した。次いで中ツ道、下ツ道が整備され、その後も新たな直線の道が造られた。これらは当時官道として整備されたのだが、平安以降その機能は消滅したようだ。結局はその後に造営された平城京との連絡道路だったのだろう。


7磯城瑞蓋宮.jpg7-2瑞蓋宮.jpg

 間もなく藪の中に1本の標識を見つけた。「磯城瑞籬宮(しきみずがきぐう)」とある。これは面白そうと思って小さな神社の境内に入る。ここは崇神天皇の都があった場所のようだ。天皇の名も宮の名も知ってはいたが、何か嘘臭い。白々しい雰囲気で、全くオーラが感じられないのだ。果たして崇神は何代目の天皇だったか。そう思っただけで、再び山の辺の道に戻った。帰宅後に確かめたら彼は10代目だった。

 歴史学の定説としては初代の神武から第9代の開化までの天皇は実在しないと考えられている。第10代の崇神から第14代の仲哀までの天皇も実在が妖しいと考える研究者は多い。私があの境内で直感的に嘘臭いと感じたのは、きっと古代からそこが本当の祈りの場所でなかったせいだろう。宮跡の石碑は大正時代に建てられたものらしいが、既に100年以上経過した歴史の重みが、私には全く感じられなかった。


7-2磐座.jpg 磐座部分拡大図

 ここは志貴御県坐(しきのみあがたにいます)神社。鳥居の後の岩は磐座(いわくら)であることを、昨日ネットで調査中に偶然知った。磐座は本来山上にある自然石。天から降りた神が鎮まった場所で厳粛な祈りの対象(神社の原型)だが、ここのはいかにも取って付けた急造の感じ。なお付近の三輪山頂には、「本物」の磐座が存在するそうだ。

 我が国最古の豪族と伝えられている磯城(しき)氏も、その存在を疑う研究者が多い由。初期の天皇は磯城氏との関係が深いそうだ。私がこの境内で全く崇高さや厳粛さを感じなかった理由は、案外その辺にあったのだろうか。これは最初から不思議な話だ。<続く>





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Last updated  2014.11.15 06:23:31
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