マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2014.11.16
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<神の正体は?>

8平等寺1.jpg 平等寺

 暫くするとコンクリート造りの明るいお寺に出た。平等寺と言うらしい。寺伝によれば聖徳太子の開基とのことだが、旧町史によれば空海開基説があり、奈良興福寺の末寺だったようだ。しかし何故こんな近代的なお寺になったのかが不思議。


    平等寺の塔  9平等寺.jpg

 ここは神仏混淆時代、当時三輪明神と呼ばれていた大神(おおみわ)神社の神護寺だったようだ。それが明治になって神仏分離が進められた時に、寺は破壊されたそうだ。ようやく再建出来たのが昭和52年。それでコンクリート造りになったのだろう。これは帰宅後の調査で知った。


10平等寺.jpg

 境内の一角に聖徳太子の立像があった。太子が建立した7つの寺の中にこの寺の名前はないが、「由緒」など所詮そんなものかも知れない。


12杉玉作り.jpg11杉玉作り.jpg

 暫く行くと、街道の傍で「杉玉」を作っている店があった。大神神社に捧げる由。杉の枝は脇に積まれていただけだが、私が丸く加工して遊んでみたもの。

 さて、杉玉は新酒が出来た際の酒屋の目印だとばかり思っていたのだが、どうやらそれだけではなかったようだ。これも後日知ったのだが、元々は酒の神様に感謝して捧げるものらしい。そして大神神社は酒の神であり、杉玉は神社の杉にあやかったのだとか。ふ~む。

 大昔、酒は炊いたご飯を乙女が口で噛み、それを吐き出して作ったと言われている。恐らくは唾液に含まれる酵素が発酵を促したのだろう。日本語の「醸す」(かもす)は「噛む」から変化したとも言われている。そうして出来上がったのがお神酒(みき)。つまり神様に捧げる酒だ。それだけ米は人々の暮らしにとって尊い存在で、それを原料にした酒も先ずは神に献じたのだろう。


13大神神社.jpg

 やがて鬱蒼とした杉木立の中に、大神神社の境内が見え始めた。ここは大和国一宮。わが国でも最古の神社の一つと伝わっている。神殿はなく、標高467mの三輪山そのものが御神体だ。頂上には磐座(いわくら)があり、昔から磯城(しき)氏の族長自身が祭祀を行って来た由。神官は代々三輪氏が務めているが、三輪氏は古代豪族である磯城氏の末裔と称している由。


29-2三輪山遠望.jpg 三輪山遠望

 山頂は境内からは見えず、写真は6kmほど先で撮ったもの。姿が美しい山は太古から神奈備(かんなび)山と呼ばれ、日本人の尊崇を集めて来た。富士山、筑波山、岩木山、大山などがそうだ。社殿が無く、山自体が信仰の対象と言うのは神社の最も古い形で、その後時代が経つと祭祀した頂上に奥宮が建てられ、中腹の中社、麓の本社と次第に里へ下りて来る。きっと人間が楽に参拝出来るよう変化したのだと思う。


  拝殿  21大神神社.jpg

 こちらが拝殿で国の重要文化財に指定された堂々たる建造物。静まる境内には我が国最古とされるだけの雰囲気が漂っている。


20大神神社.jpg18-1大神神社.jpg

 境内の一角に柵で囲まれた場所があり、そこに苔むした岩があった。これは頂上の磐座を模したものだろうか。昨日の写真と比較すれば、磐座の畏さは一目瞭然。白砂の上には御幣が鎮まっていた。


18-3大神神社.jpg19大神神社.jpg

              拝殿内部とヘビのいる手水舎


 祭神は大物主神で、その正体はヘビなのだとか。また大物主は大国主命(おおくにぬしのみこと)の別な姿とされていて、出雲大社の祭神でもある。記紀によれば少なくとも6人以上の妻を持ち、生まれた子供の数は180人以上。それらは神話であるとしても全容を把握するのはなかなか困難だ。つまり日本一古い神社は、それだけ各地の伝説を取り入れる必要があったのだろう。それは古代の天皇が有力豪族に協力を頼まざるを得なかったことと良く似ている。


18-4大神神社.jpg25大神神社.jpg

         祀られた石(左)と枯れた大杉のご神木(右)


 ヘビは今でもご神木の杉の根元に棲んでるそうだが、そこへの立ち入りは禁止されている。酒の神でヘビ。頂上の磐座とそれを祀った古代豪族。天皇や出雲との関係や、摂社檜原神社と伊勢神宮との関係。記紀の神話にある妻子の数。日本の神とは一体何者なのかは分からないが、その混沌がきっと日本らしさなのだと思う。


        なにごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる

 西行法師が伊勢神宮で詠んだ歌だが、漲る聖気に思わず涙をこぼす霊力が神域にはあるのだろう。


30街道.jpg30-2街道.jpg

 土の坂、そして石畳の坂。厳しい山の辺の古道はさらに先へと続いている。<続く>


5サザンカ.jpg

 昨日のブログに、明日香村の方がわざわざコメントを下さった。私にとってはとても嬉しい出来ごとで、心から感謝している。また「山の辺の道」を書き始めて驚いた。まだ写真をほとんど整理してなかったのだ。そこで昨日は200枚以上の写真を慌てて整理した。1枚毎にサイズと名前を決め、時には形を変える作業はなかなか辛いものがある。それに歴史的な事実などの確認が加わる。旅日記も、旅と同じくらいのエネルギーが必要だ。





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Last updated  2014.11.16 11:30:42
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