マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2014.11.18
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<古墳の宝庫>

 一旦山の辺の道と別れ、私達は里へ下りた。古墳を観るためだ。古墳の名は箸墓古墳。纏向(まきむく)には古墳が多いが、折角ここまで来たのだからせめて有名な古墳を何としても観たい。そう思って初めから予定していた。集落の中で場所を尋ね、ようやくその姿が見える場所へ出た。


51箸墓.jpg 箸墓古墳

 これが箸墓古墳。もう一つの呼び名は「箸中山古墳」。箸中は桜井市の地名だ。全長278mで、後円部の高さが30m。全国でも11番目の大きさで我が国最古の前方後円墳。昨年20人近い考古学関係者の立ち入りが初めて許可されている。


   箸墓古墳 50箸墓.jpg

 ここは宮内庁の管理下にある陵墓の一つで、名称は「大市墓」。被葬者は第7代孝霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)。

 日本書紀によれば、夫は三輪山の神である大物主神。神との通婚譚は巫女(みこ)的な要素が強い女性であることを物語る。大物主神の正体はヘビと言われている。もちろん動物と結婚する人間はおらず伝説と言うことになるが、古代の天皇と豪族との関係を思わせる話ではある。


箸墓古墳.jpg ネット借用資料


 現場にあった航空写真 52箸墓航空図.jpg

 古墳の全体像が分からないため、ネットから画像を借りた。全国でも最古級の3世紀中頃から後半にかけての築造と考えられ、これが「径百余歩」とされる卑弥呼の墓に比定する根拠。つまりは邪馬台国大和説に繋がることになる。いずれにせよ地区の古墳群の中核的存在だ。

 記紀によれば、昼は人が造り、夜は神が造ったとされる伝説上の古墳にようやく会えることが出来た私は大満足だったが、妻はどう感じていたのだろう。ここからは来た道を戻らず、少し先から山の辺の道に向かった。人に聞きながら行くと、景行天皇陵に出た。 


53景行天皇陵.jpg 景行天皇陵


54景行表札.jpg56景行外観.jpg

       左側は宮内庁書陵部による表示で、右側は外観

 宮内庁管理による陵墓の名は「山辺道上陵」。山の辺の道のほとりにある陵との意味だ。遠方に見えるのが三輪山。さて景行は伝説上の人物である日本武尊(やまとたけるのみこと=第14代仲哀天皇の父とされる)の父で、第12代天皇。記紀によれば、天皇記の半分以上は日本武尊のことが書かれている由。実在が疑われる要因の一つだろう。

 和風謚号(いみな)は「おおたらしひこおしろわけのすめらみこと」。このうちの「たらしひこ」は第34代舒明天皇、第35代欽明天皇と共通し、彼らは7世紀前半の人なので、4世紀前半とされる景行とは時代が合わない。後世記紀が編纂された際の「創作」と考えられる所以だ。なお、江戸時代までは崇神天皇陵とされていた由。


     航空写真  59渋谷上空図.jpg

 隣の円墳らしい古墳の傍に、この写真が載った標識があった。古墳の名は渋谷向山古墳。私はてっきりこの円墳(外観はそのように見えた)の名だとばかり思っていたのだが、帰宅後に調べるとこれが景行天皇陵の考古学上の呼称と分かった。墳長310m、後円部の高さは23mの前方後円墳で、4世紀後半の築造と考えられる由。


58景行陪塚.jpg60渋谷の地蔵.jpg

 左側が「渋谷向山古墳」と誤解した「円墳」。地図にも名前は載ってないが、景行陵の陪塚(ばいちょう)かも知れない。右はその付近にあった石仏。


64句碑.jpg65奈良盆地.jpg

 左側の句碑には「二た陵に一人の衛士やほととぎす」とある。「二た陵」は景行陵と付近の崇神陵のことだろう。「衛士」(えじ)は番兵のこと。陵を守る人は現在誰もいないので、恐らくは作者自身のことを言ったのだと思う。右側は奈良盆地の風景で、見えているのは天理市街だ。


66崇神陵1.jpg 崇神天皇陵


67崇神陵2.jpg


崇神.jpg


68崇神陵図.jpg 古墳の等高図

 間もなく崇神天皇陵が見えて来る。宮内庁書陵部による管理上の名称は山辺道勾岡上陵。あまり近過ぎて全体像が分からない。ネットから借りた航空写真を参考にしてほしい。等高図は現場にあったもの。

 第10代天皇の彼は、「実在の可能性が見込める初めての天皇」と言われるが反対説もある。第12代の景行に疑義があるのに、それより古い崇神が実在すれば矛盾が生じる。それに第9代までは架空の人物であるなら、その子である崇神も存在しないことになる。

 この陵の考古学上の呼称は行燈山(あんどんやま)古墳。全長242m、後円部の高さは23mの前方後円墳だが、「帆立貝式古墳」と考える研究者もいる。これは前方部の長さが短い古墳のこと。確かに航空写真ではそう見え、等高図とは印象が異なる。築造時期は3世紀半ばから後半と考えられている由。


   中山大塚古墳  80中山大墓古墳.jpg

 この先にあったのが中山大塚古墳。墓の中に古墳らしきものが見えたためたまたま撮った。これが全長130m、後円部の高さが11.3mの前方後円墳で、箸墓古墳に次ぐ最古級の古墳であることを後日ネットで調べて知った。

 この周囲には継体天皇の皇后である手白香皇女衾田陵など、数多くの古墳があるようだ。考古学ファンとしてはまさに垂涎の的だが、時間がないため先を急いだ。<続く>





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Last updated  2014.11.18 21:01:39
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