マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2014.11.19
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<天理駅までの長い道>

74-1お旅所標識.jpg

 少し話を戻そう。崇神陵を過ぎて暫く行くと、「最古の御社 大和神社御旅所」なる標識が立っていた。最古の社となれば寄らない訳には行かないだろう。そう考えて周囲を見回したら、2つの小さな社があった。


74大和神社お旅所?.jpg75大和神社お旅所?.jpg

 どちらが大和神社で、どちらが御旅所なのだろう。あまり有難味は感じず、後日ネットで調べても、ヒットしたのは立派な他の神社だった。あれは一体何だったのか。何だか「看板に偽りあり」の感が強い。


77お旅所.jpg78柿安売り.jpg

 傍らに石仏があったが、神社と石仏の組み合わせも考えたら変。この付近で柿を安売りしていた。1個10円だと言う。熟してなかなか美味しい。お爺さんが1個おまけしてくれたので40円を渡す。妻は枝から取って食べたが、少し渋かったようだ。売り物の中から少し堅そうなのを選び、妻はお土産用に幾つか買った。小ぶりのミカンも1袋買った。そしてそれが後で夫婦喧嘩の原因になった。

 買ったは良いが妻は持とうとしない。弁当もそうだが、持つのは全部私。リュックはズシリと重くつい文句を言うと、妻は怒ってそれなら自分が持つと言い出した。やがて彼女は不機嫌になり、私と離れて歩き出した。旅の途中で土産を買えばロッカーに預ける訳には行かず、全部自分達の重荷になるだけ。安さに釣られ、先のことまで考えないのはいつものことだ。


81集合墓.jpg 集合墓

 「その先に日本一古い集合墓があるよ」。ある集落でお爺さんが教えてくれた。道を曲がった角にそれらしい墓。確かに墓が密集している。どんな理由で墓が固まったのか奇異に感じたが、先を急いだ。


        フユザクラ  84十月桜.jpg

 妻の様子がおかしい。バス停から1人でバスに乗ろうとしているが、今夜泊るホテルを彼女は知らないのだ。一旦は呼び戻したが、坂道を登り切った所で妻の姿を見失った。一体どこへ消えたのだろう。慌てて坂の下の店で電話を借り、妻の携帯に電話。彼女はかなり先の方まで行っていた。どうやら道は二手に分かれ、妻は別の道を行ったみたいだ。険しい道。淋しい道。こんな道を昔の人は良く旅したものだ。私も必死に後を追った。


87熊保護看板.jpg

 妻は石上(いそのかみ)神宮近くまで行っていた。押し黙って歩くうちに、看板を見つけた。どうやらツキノワグマが紀伊半島にも生息しているみたいだ。その保護を呼び掛ける手作りの看板が珍しい。石上神宮はその看板の直ぐ先にあった。


92石上神社.jpg 拝殿(国宝)

 これが国宝の拝殿。石上神宮は布留山の西北麓に鎮座する式内社で、主祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)。石上神社など9つ以上の別名を持っており、伊勢神宮同様「神宮号」を古記録に認められている有数の古社。伊勢神宮の古名である磯宮(いそのみや)と音が同じ「いそ」を冠するのも偶然ではないようだ。


88石上神社.jpg91石上神社.jpg

 明治7年(1874年)に大宮司となった菅政友は水戸藩で「大日本史」編纂に関わった歴史家。彼は長年禁足地とされていた場所を発掘し、地中から刀を得た。それが「布都御魂剣」(ふつのみたまのつるぎ)。古来記紀にはこの剣に関する記述が多く、皇室との関係も深そうだ。その後本殿を建てた禁足地は、現在も同じ扱いをしている由。私は1人の神官に国宝の七支刀はどこから出土したのか尋ねた。彼は出土品ではなく伝来品だと答えて、由緒をくれた。


    国宝七支刀 七支刀.jpg

 菅大宮司が長年田植えの儀式に使われていた七支刀(しちしとう)を良く観察し、刀身に金の象嵌文を発見したことを知ったのは後日のこと。研磨した結果、剣の両面に刻まれた61文字を発見。文字の一部は錆(鉄製のため)で判読出来なかったが、百済が倭に朝貢した際に献上したものと判明した。昭和28年(1953年)国宝に指定。

 この刀は形状から、どうやら記紀に記された「ななつさやのたち」と判明。石上神宮は元々崇仏派である蘇我氏と戦って滅亡した排仏派物部氏の武器庫であった由。これもまた不思議な因縁だ。


90石上神社.jpg

 摂社出雲建雄神社拝殿(国宝)

 何気なく撮ったこの建物が国宝であることを知ったのはつい昨日のこと。「出雲建雄神」とは草薙の剣の荒魂のことらしい。草薙の剣はヤマタノオロチの腹から出た伝説上の剣で、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の時に使用したもの。話の背後に古代出雲族との関係や皇室との深い関係が偲ばれて、神宮の起源をとても興味深く感じた。


   拝殿内部 93石上神社.jpg

 この日は朝早く大神神社付近から歩き始めて、午後遅くようやく石上神宮に到着した。2つの古社を訪れることが出来たのは生涯の宝で、もう二度と訪れるのは無理。古代史研究の良いヒントになった神宮に別れを告げ、ここからさらに天理駅まで歩いた。これも実に長い道のりだった。


天理教建物1.jpg天理教太鼓.jpg

 途中に天理教の巨大な建物。天理市が天理高校や天理大学、そして天理教の病院を持つ「宗教都市」であることは知っていたが、ここまで巨大であることに正直驚いた。


天理教巫女.jpg天理教建物2.jpg

 天理教は江戸時代末期に中山みきを教祖として生まれた神道派の宗教。教団の名を染め抜いた法被を着た信徒の姿を大勢見かけた。駅まで続く「天理本通り」の長さにも驚嘆。上の太鼓は本通りの店で見かけ、巫子の写真は張られていたポスターから拝借した。

 この日歩いた距離は20km近く。長い道中だったが、ようやく念願の「山の辺の道」踏破を果たすことが出来た。私達が泊ったのは1泊5千円にも満たない安宿だが、夕食は意外にも豪勢だった。誰もいない風呂で旅の汗を流し、酒とビールで祝杯を上げた私だった。<続く>





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Last updated  2014.11.19 11:23:48
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