マックス爺のエッセイ風日記

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2020.08.10
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<常設展2 出雲大社のことなど>



 境内から発掘された巨大な柱根などを根拠にして、5人の建築史研究者が推定した古代から中世にかけての出雲大社本殿として考えられる建築物の模型。



 上の模型の裏側を、小窓越しに撮影したもの。物好きではあるが、裏面の理解には持って来いだ。



 現在の出雲大社本殿(国宝指定)で、高さは鎌倉時代の建造に比べて約半分の24m。建築されたのは江戸中期の延享元年(1744年)ですが、「大社造り」と呼ばれるわが国最古の神社建築様式を保っています。



 現在の本殿の一代前の本殿にあった千木と鰹木。千木の手前の物と鰹木は実際に使われた物で、千木の奥の分は模造物です。



 左図は本物の部材(赤)と模造部分(茶)の識別。右図は千木と鰹木の位置関係を示した図です。



                出雲大社神紋

 出雲大社の神紋は「亀甲花剣菱紋」です。一説によれば、剣は草なぎの剣、花は勾玉を、そして中心の「円」は鏡を表すと言われています。天皇家の三種の神器に似ています。出雲の大事な神器を天皇家の遣いに奪われたと言う言い伝えが密かに残されていると言います。元々「草なぎの剣」はヤマタノオロチの尾から出たもの。出雲の有名な神話の一つです。



       <千家国造館>             <北島国造館>

 出雲には2人の国造(こくぞう、くにのみやつこ)がいました。現在の県知事に相当します。2人になったのは南北朝時代と言われますが、第10代天皇が、東出雲で熊野大社を祀っていた出雲氏(出雲臣)に出雲大社の神職となることを命じたのが最初との説があります。それまでの出雲大社の名称は「杵築(きずき)大社」でした。2人の国造が交互に神職を務めていたのが、明治初期に神祇省に「国造」の名称を廃され、千家家のみが神職に就いて今日に至りました。



  <千家國麿氏と高円宮典子さまの結婚式> 平成26年=2014年

 それ以降、千家国造家は「出雲大社教」を、そして北島国造家は「出雲教」を別々に主宰しています。さて千家家の当主國麿氏と高円宮家の王女典子さまが平成26年に結婚されました。古代の国譲り伝説、「神宝強奪事件」、神紋の謎、祝詞(のりと)に秘められた古代の怨念など出雲と王朝にまつわる逸話には事欠かない状況下での婚姻は驚きとも言えます。

 なお、北島国造館で結婚式を挙げた組は離婚が少ないとか。何だかビックリものの話ですね。
<続く>





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Last updated  2020.08.10 00:00:11
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