マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2020.08.11
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~2つの遺跡・銅剣、銅矛、銅鐸大量埋納の謎~

            正座する土偶        

 今回も古代史や考古学に関心がない方にとっては退屈な話になるはず。だがに関心があるに方には、「よだれ」が垂れそうな話なのである。ただ必死で撮った私の写真は、話を書くために都合良く並んでいない。展示品が多いために片っ端からシャッターを切ることになり、写真の前後関係が分からなくなったり、何の写真か不明なのもままある。だから文を書くためには、そのジグゾーパズルを解くことから始まる。





 昭和59年(1984年)島根県斐川町(当時)の山中で農道工事中の工夫が地中に文化財があることに気づき、急いで発掘調査が行われた。山の斜面にはおびただしい数の銅剣が埋蔵されていた、こんなことはこれまで国内にはなかった。整然と4列に並べられた青銅の剣。発掘に携わった職員は、一本ずつ丁寧に取り上げ、ガーゼに包んで運び出した。後に荒神谷遺跡と名付けられ国の史跡ともなった。



 実際の埋蔵状態。385本の青銅製の剣が4列になって、整然と並んで埋納されていた。出雲地区の式内社(延喜式に記された古社)は385と言われるがこれは偶然か、それともたまたまなのか。



  1年後遺跡の7m傍から16振りの銅矛(どうほこ)と6個の銅鐸が発掘されている。一か所から16振りの銅矛の出土は日本一。これらの鉾は全てが国宝に指定された。それほど貴重な存在だったのだ。



 整備の上同博物館に陳列された銅剣と銅矛。下部の陳列品は出土した本物。上段4列の光る銅剣類は銅、錫(すず)、鉛の合金である青銅を新たに鋳造して製作した模造品。これでもまだ全体ではない。



      神に祈って大量の銅剣を地中に埋納する古代の出雲族。(想像図)



 驚くのは早かった。平成5年(1996年)加茂町(当時)の山中で農道を工事中の業者が地中に何かが埋まっているのに気付いた。それで慌てて工事を止めて町役場に連絡。驚くべきことに地中には39個の銅鐸が埋納されていた。一か所の数としてはこれまた国内最高で、中には「入れ子」(銅鐸の中に小型の銅鐸が重なって入ってる状態=上の写真にもある。これらの銅鐸も国宝となり、ここ加茂岩倉遺跡も国の史跡に指定された。



 荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の位置関係は上図のとおり。2つの遺跡は山の隣り合わせにあり、この間の直線距離は3.4から3.8km程度。古代豪族の吉備氏が支配した吉備国(現在の岡山県)は地図の下方(南方)にあり、古代出雲は天皇の命を受けた吉備氏などによって神宝を奪われ、権力と権威の失墜につながったとの見方がある。しかし神器でも祭器でもあった銅剣、銅矛、銅鐸が人知れぬ山中になぜ大量に埋められ、長い間発見出来なかったのかが不明。古代出雲最大の謎であろうか。<続く>





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Last updated  2020.08.11 00:00:09
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