マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2020.08.24
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~銅鐸三昧 その1~



 さて、古代出雲への回帰旅もそろそろ終わりに近づいて来た。今日と明日の2回で、「島根県立古代出雲博物館」常設展のメインであった、加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡から発掘された膨大な青銅器を載せたいと思う。写真が中心なので詳細な説明は出来ないため、ご面倒でも過去の掲載分を参照されたい。



 館内にこんな説明文があったので載せておく。古代中国で発祥し、朝鮮半島経由でわが国に伝えられた青銅文化。しかし私たちの先祖である弥生人が選んだ青銅器は、銅剣、銅矛、銅鐸、銅鏡などに限られている。しかも鉄器の渡来に伴って銅剣や銅矛はやがて姿を消して行く。本来は大型の楽器だった銅鐸も、わが国では小型化し水稲栽培における祭器と化して行った。



 俗に言う、銅矛、銅剣、銅鐸の文化圏を図示したもの。だが上の図を良く見ると、そのいずれもの文化を有した唯一の地が古代出雲だったことが分かる。それだけも出雲の特殊性が理解出来るが、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡から出土した銅剣、銅矛、銅鐸の数量が半端ではなかった。さらにそれらの大量の祭器が人里離れた山奥にひっそりと埋納されていた。そしてその理由は未だ解明されていない。謎のままなのだ。



 これは銅鐸が出土した出雲地方の遺跡。1が日本で最大数の銅鐸が発掘された、加茂岩倉遺跡。2が大量の銅剣、銅矛と共に銅鐸が出土した荒神谷遺跡。いずれも出雲大社にほど近く、かつ吉備(現在の岡山県)王国に通じる古道の途中に位置している。



 常設展示の一角に加茂岩倉遺跡出土の「国宝銅鐸」のコーナーがあった。以下に私が撮った写真を載せるが、他の遺跡出土の銅鐸が間違って載ってないことを祈る。なお、ここには理解を助けるため、銅鐸のレプリカや埋蔵状態を再現するセットも混じっていることをお断りする。






 これほど身近に銅鐸を見たのは初めてだった。ただし文様の細部が明確に分からないのが残念だが。



     はっきりとは分からないが、何かの絵が描かれているのは確かだ。



 銅鐸の内側。中につり下がって銅鐸に触れて音を出すための「舌」(ぜつ)は見えない。古代中国の銅鐸は巨大な楽器だが、日本ではいわば「風鈴」のように、稲作に関わる神事の際に鳴らしたようだ。



 わざわざ破壊したように見える銅鐸。銅鐸の祭器としての用い方が変わったのか。それとも他の豪族に渡したくなかったのか。人為的な破壊の理由が謎だ。





 その一方で、美しく整ったままの銅鐸も多い。やはり神聖な銅鐸を破壊した理由が謎だ。<続く>





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Last updated  2020.08.24 00:00:10
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