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ご無沙汰ですが、表題の通り、きわめて非日常的であるアメリカ滞在の終わりが近づいてきて、なかなかブログをつけるのも難しい状況になってきています。ここでは、週末の状況を紹介したりすることが多く、楽しく遊んでいるような印象をもたれてしまっているかもしれませんが、週日は研究をおこなっており(当たり前ですが)、日本の福祉国家と中央地方関係についてホストの先生と共著論文を書いたり、長年の課題の地方政府の政策についての研究をまとめていたりします。この貴重な機会が失われる前にできるだけ進めないと。同時に見聞を広め、およびアメリカの地方政治行政の感覚を養っておかないと。一方では、『市民ケーン』をパサディーナ図書館で借りて鑑賞したりもしています。ハースト・キャッスルの影響ですね。今年の初めにホーエンツォレルン城を見学して、王様にはまったのとまったく同じです。欧米のお城マイブームか!
2007.08.11
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6日のLA Timesのカリフォルニアセクションには、ちょっと面白い地方の教育政治がらみのネタが載っています。ロスアンジェルス・カウンティの南にあるオレンジ・カウンティの3つの学区で教育委員のリコール運動が起こっているというお話です。まず、なんの選挙運動もせずにオレンジカウンティの学区の教育委員となったというロッコさんをやめさせるべく、署名を集めようものです。このロッコさんは、教育委員会の席に常にニット帽とサングラスで現れるという、ちょっとな人なのですが、いっていることもすごいです。何人かの大物によるザ・パートナーシップというものがカウンティを支配しており、彼を暗殺しようとする陰謀を企んでいるというのです。彼はまた、指紋の採取を拒否しているので、学校を訪問することもできないという状態です。取材に対しては、繰り返し電話を切っているようですが、3月の時のインタビューでは、誰がリコールを起こしているかというと、もちろん、ザ・パートナーシップがやっているとしていたようです。リコールで早く彼をやめさせないと次の選挙の時に、前教育委員と載ってしまうことを運動の人は恐れているようです。というか、こういう人がなるって、あまり教育委員選挙に関心がないのではないでしょうかね。二人目はアナハイムの高校学区のマーティンさんで、不法滞在の移民の教育について、メキシコ政府に費用を請求をしようという提案をしたりする人のようです。選挙で落ちたのですが、現職が急死したので、8人の候補者中、7番目の得票だったのにもかかわらず、任命されたのですね。もう一つの学区の方でも、教育長が公金の不正使用、その部下が共謀と偽証で起訴されたり、ごちゃごちゃしているようです。しかし、パートナーシップがこんなに悪い意味で使われているのは、日米通じて珍しいのではないでしょうか。今や、何はともあれパートナーシップですから、ロッコさんのように警鐘を鳴らす人も必要では、いや、そんなことはないですね。
2007.08.06
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ちょっとあいてしまいましたが、続き。大変な思いをして太平洋岸までやってきて、宿に着きました。日曜日の旅程は、Hearst Castleです。これは、新聞王というか今ならメディア王というべきWilliam Randolph Hearstの建てた屋敷です。すでに彼の父親からして大金持ちだったようですが、彼自身がまた巨大な富を蓄積しました。まず建物の方ですが、本当に彼が泳いでいた屋外プールがあり、ローマ風の室内プールもあります。また現代の金持ちということで、私設映画館もあります。今回参加したのは、最初ということで、体験ツアーです。まあとにかく、すごいということで。この日も前日に続いて、悪夢の霧、略して悪霧がかかっていました。次に、W.R.Hearst本人ですが、ハーバード大学を中退し(asked to leaveとありました)、そのころから新聞社を買っては新聞を売れるものにしていくということをしていたようで、政治的な発言も多かったのですね。さらにはニューヨークから下院議員にはなったものの、ニューヨーク市長、ニューヨーク州知事には落選してなれずじまいだったようです。彼のお金とペンの力をしても、ニューヨーク市のTammany Hallを攻め落とすことはできなかったというところでしょうか。後に、FDRの支持者となるようですが、大恐慌で彼自身の財産も危機的な状況となりました。もう一つ、彼を語るのに欠かせないのが、Orson WellsのCitizen Kane。彼をモデルとしていて、実際Hearstは自らのメディアの力を利用して映画の製作、公開を妨害していたようです。この映画を僕がテレビで見たのはいつごろのころでしょうか。rosebudのdying wordのミステリーとしても面白かったことだけはよく覚えています。やはり強烈な印象の映画で、史上一番という評価もあるようなので、是非もういちど見てみたいと思います。さて、このツアーも午前中に終わりですが、帰りもまた大変です。ルート5で最短距離を通らず、海沿いの道を選んだところ、色々道に迷いながら帰って行きました。ここはどこ?と聞いたシェリフに、You are where you areとかいわれたりしながらも、でもこの人は親切にFollow meといって案内をしてくれました。途中でSanta Barbaraで夕食。カリフォルニアのガイドブックにあった、Enterprise Fish Co.によって、Tuna Tartare、Scallop Risottなどを頂きましたが、これはおいしかったです。Santa Barbaraにお立ち寄りの際には、ぜひとも!しかしここからPasadenaまではまだまだ97.97マイルもあって、この夜のフリーウェイ・ドライブもまあ大変でございます。
2007.08.05
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朝早く起き、7時からホテルで朝食。アメリカのホテルの朝食はいいですね。Wawonaはヨセミテ国立公園の入り口に近いほうで、ツアーの出発点まではさらに1時間弱かかるので予約していた8時半からのグレーシアポイントツアーに間に合うため、車を飛ばしました。なんとか間に合ったバスは結構満員です。横はドイツ人、後ろはフラン人家族でした。UCLAでアメリカ外交を専攻したけれども、ヨセミテに魅せられて今はツアーバスの運転手をしているという人が運転しながらもずっと説明をしています。本当に好きなんでしょうね。途中で熊の親子と遭遇しました。小熊は本当にちいさくで可愛かったです(ところで、大熊とか小熊とかいう苗字はどこから来るんでしょう)。さて、グレーシアポイントからの雄大な地形にはびっくりです。ハーフドームといって、ドームを半分に切り取ったような巨大な岩が見ものです。氷河の侵食でできたということですごいですね。巨大なものを見ると感動してしまうのはなぜなんでしょう。次の写真は下からの眺め。真ん中の奥のほうに上で大きく写っているハーフ・ドームが見えます。昼前にツアーは終わり、昼食。ヴァレーをしばらく運転して、岩の写真を撮り、再びWawonaを目指し、ヨセミテを出ます。一所懸命走って、疲れたので再びフレズノで車を停めました。外に出るとなんと熱風が吹いています。なんと110度、って今調べたら摂氏43度ではないですか。フレズノおそるべし。今日の旅程も長いです。226マイル、363キロ、4時間14分の予定。フレズノのモールで早めの夕食にして、一路、太平洋沿いのモッロ・ベイを目指します。41号線を150マイル南下、その後、南西に進みます。 この道、5号線を越えたあたりで地形が変わり、月面のような風景となりました。退屈していたところでしたので、なかなか興奮ものです。46号線から1号線に行くのはちょっと遠回りですね、とマップクエスト(どの道を通れば行けるか、道案内をしてくれるうれしいネットサイト。今の車にはカーナビがないのでこれでスタート・エンドを入れてプリントアウトしてもっていきます)が選んでくれたのが、Old Creek Road。これが信じられない経験でした。なんとかすれ違うことができるほどの細く、くねった坂道、もちろん真っ暗。しかも入ったとたん、濃い霧が立ち込めてきて、前がほとんど見えなくなるではありませんか。死にそうでした。ハイビームにして(しかも左手で押さえ続けないとダメな車なんです)、くねくね曲がった道を時速5キロで。この濃霧の中をスピードをあげて後ろから追い抜く車が2台ほどあったり、対向車が3台ほど来たので、この道は地獄に続いているのではないと言い聞かせました。それが9マイルも続きます。200マイル走った後でそれはないよ!なんとか抜け出て1号線では、キャンピングカーの後を、低速で走りました。宿泊するインのあるMorro Bayの町も霧に包まれています。
2007.08.04
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この週末には遠出をしました。金曜日の朝早くから車に乗り、ヨセミテ国立公園までドライブ。そして公園内のホテルで一泊して、森林・観光行政の視察後、さらに太平洋沿岸までドライブ、ハースト・キャッスルを見に行くという旅程です。がんばって早起きして、車に乗り込みます。目的地までは300マイル、480キロの行程。5時間は飛ばさなくてはいけません。途中フレズノでランチを取り、ヨセミテ公園の入り口に2時過ぎに、たどり着きました。車を駐車場に入れ、シャトルバスで上へ。3時半からMariposa Groveのビッグ・ツリー・ツアーのチケットを買い、トラムでツアーに出ました。ここはジャイアント・セコイアがたくさん見物できるところです。セコイアツリーの下の部分がトンネルになっていて、そこを車が通り抜けている写真を、昔の百科事典などでみたことがある人がいると思います。あれもここにあります。いえ、ありました。その木は1967年に倒れてしまいったのです。樹齢2300年、といわれていますが、セコイアの年齢の測定はなかなか難しいという説明がありました。ただ、セコイアはなかなか倒れた後もなかなか腐敗せず、いまでも倒れたままの姿を見せています。現在でも、人間が通れるトンネル・ツリーはあります。これがその写真。Wawonaホテルで夕食、ここで飲んだSamuel Adamsの美味しかったこと。そこに泊まりました。
2007.08.03
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