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転職活動等でめっきりブログを書く時間が無かった。。。それでもやっと落ち付いてこうやってブログ再開することできてとても嬉しい。そして、このブログを見てくれている人が案外いる事がわかって、恥ずかしい反面、嬉しいです。■日本と中国日中間が最近、緊張している。テレビでは連日報道している(客観的に見てそれほど偏った報道は無いようだ。)が、多くの日本人は「何を騒ぎ立てているんだ?」と一瞬思って、直ぐに2本立ちのレッサーパンダに目が移るのだろう。しかし、私はそうではない。愛する彼女の国と自分の国がああだこうだと言い合っているを見ていると心が締め付けられる。中国の若者は靖国の場所を知らない。日本の若者はA級戦犯の意味を知らない。経済的に日本と中国はお互いに深く結びついている。日本に来た中国人の留学生の多くは日本を好きになる。国内で重犯罪を起こす中国人留学生は極めて少数だ。中国の人々はユーモアで前向きで、可愛らしい。日本人は真面目で親切である。当たり前の事を書いても、多くの人は理解できないと思う。ここで「中国人と実際に接してみて、一度でも良いから中国に行ってみて欲しい。」と言っても意味は無い。社会的、政治的な話をすれば、いくらでも相手の悪い所を出せる。求めるべき所はそんなところには無い。意味が無い。もっと根本的な、“相手の良い所を見つけ出す”ことが大切なのではないだろうか。恋人、会社の同僚、友人などでもそうやって関係を構築していくものだ。このブログは中国をメインに書いているから、中国の話になるけれど、今回の騒動も根本的な意識が前向きになっていない、建設的になっていないから起こった事だし、関心の薄さの要因でもある。彼女もテレビを見て、小泉首相と靖国神社にあまり印象は持たないようだが、仮に自分が中国人だったら同じ感情を持つだろうかと考えた。おそらく嫌悪感を持つだろう。中国の愛国教育を鑑みずとも日本が過去にしてきた事を連想すれば容易い。ただ、それでも建設的意識を持ち続ければ、将来に向けての眼差しを持てば、前向きな気持ちに変わって行くだろう。実際、彼女の両親は我々の交際を認めてくれた。これは大変な勇気であり、建設的な意識をもっていなければ到底できない事だ。私は常に自分に置き換えて相手の事を見るように努めているが、世界が平和であり続けるには建設的な意識と、相手を知り、そして将来に向かって認めて行く勇気が必要なんだと思う。
2005年05月28日
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私を含め、今や多くの人が「中国にビジネスチャンスがあり」と考えている。実際、日本企業の中で「中国」というキーワードが会議で出ない所はほとんど無いだろう。WTO加盟から中国はもの凄い勢いで成長を遂げている。一方で同時に沿岸部と内陸部とでは経済落差が発生して社会問題にまで発展しるし、都市部では不動産価格が高騰して政府はバブルが弾けないように一生懸命だ。それでもそんな不安はどこ吹く風。大方の見方はこれからも成長を続けて“世界の生産工場”だった中国は“世界の巨大市場”として更なる成長を遂げるであろう。かく言う私もそれを睨んで色々と想いを巡らす者の一人である。ビジネスモデルを創造しては彼女に話してみる。中国の全く酷いトイレ事情でのビジネスから旅行業や貿易に至るまで様々だ。いつになるやら予想もつかないが、将来は何か中国との間でビジネスがができればいいなと思っている。中国への熱い想いをぶつけてみる【中国はビジネスチャンスがありそうだ】終わり
2005年03月04日
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今日は、私が個人的に思う“中国人ってこんなところが面白い”を書いてみようと思う。色々とあるけど、特に思うところ3点を書いてみよう。●好奇心旺盛 なんと言っても中国人はこれのような気がする。とにかく好奇心旺盛で 色んな事に興味を持つようだ。 個人的にこの要因は中国に娯楽が少ないからなのでは?と推測する。 (これには彼女も頷いていた。) 以前も書いたが、人が何かしている(例えそれが掃除でも)とついつい その成り行きを見続けてしまったり、それを見ている人に釣られて 自分も見たり。。。 また、旅行中も見かけたが、街中で口論が始まると直ぐにそれを人が囲む。 私は「何かトラブッてるなぁ」程度だったが、彼女の目はキラキラ輝き 多少首を伸ばして何とか見ようとしていた。 野次馬根性と昔からよく言うが、これは中国人の為にある言葉でしょう。 好奇心旺盛なのは良い事だが、熱し易く冷め易いところもある。 一端、事が把握できると蜘蛛の子を散らすように観客は去る。 老若男女そうだから面白い。集まっては散り、集まっては散る。 見ていて可愛い。●しゃべり好き 中国ではお酒の席が多数あったが、参席した人々はとにかくよく喋る。 ちなみに「いただきます」の掛け声は中国には無い。 席について誰かれとなく話し始める。その間にムシャムシャ食べる。 話題は様々で、政治・歴史・仕事・経済・文化・隣人・儀礼・親戚・・・ 様々な話題が飛び交う。知識の多さに驚きだ。 中にはあまり喋らない人もいるが、大抵の人はお酒が入ると人が 変わった様に話し出す。しかも通常の2倍、声がでかい。 そしてスピーチタイムが必ずある。歳の順で一人一人何か適当な スピーチをしていくのだが、中国語がよく喋れない日本人で、 相手は初対面の方ばかりなので、さながら日本代表選手のような 緊張感が走る。 まぁ話すのは苦手ではないので乗り切ったが、彼女は毎回毎回スピーチ させられるので今では定型文を暗記しているのだそうだ。 とにかくよく喋る民族だが、家族や他人とのコミュニケーションは こういった所でできているのだろうと思った。 日本人は昔から「奥ゆかしさ」などと寡黙な人やおとなしい人が 尊ばれてきた風習があるが、中国はそれとは相対する。 “エネルギーがある”人こそが尊ばれるのだ。これからの時代、徐々に日本も そのようになってくるような気がする。●“適当”が根付く社会 日本と中国を比べて、日本の方が良いと感じる点として“サービスの良さ”が 挙げられる。サービスという観点から捉えると中国全体を覆う適当さが 良く見えてくる。 中国のサービスは酷い。酷いと思えてしまうのは実は日本が良すぎるから なのかも知れない。それにしてもシンガポールやタイなどアジアの他の国々と 比較しても、お世辞にも良いとは言えない。 接客業は基本的に望まれれば対応しましょうかというレベル。 そこにプロ意識は無い。 パートやアルバイトなのかも知れないが、ボーっと突っ立っているだけの 客に関心が無い店員、目を一度も合わせずに「57」と料金の数字だけ 言い渡すレジのお姉さん。車内を清掃しないタクシーの運転手。 みんなそれに慣れてしまいそれを当然のものと思っている。 当然であるならば、逆にそこが差別化やビジネスチャンスになるだろうに。 これから北京五輪や上海万博など大きな式典が続き、先進国の仲間入り をいよいよ果たそうとする大国であるならば、 今まで当然と思ってきた風習なりマナー意識を海外のそれと 同等近くまで向上させなければならないだろう。 流石に上海などの都市部では意識が高くなって来ているように思うが まだまだ全体的に“適当さ”が残っている。他でも同じようにしてるんだから 何も親切丁寧に対応する必要は無い。やるだけ無駄だし余計なエネルギー は使いたくない。そもそもお客を尊重する必要性がどこにあるの? 中国に進出した某宅配業者は顧客第一主義を教えるのに非常に苦労した との話題を耳にしたが、頷ける話だ。 これから都市部を中心に意識が向上し、国内外の人全てが居て、住んで 心地良い国になるように願う。将来は何かそういった所に自分自身が 貢献できればなぁとも思う。中国への熱い想いをぶつけてみる【中国人は色んな意味で面白い】 終わり
2005年03月03日
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これまで書いて来たように、初めての中国旅行は驚きとハプニングの連続で忘れられないものとなった。そして様々な人との出会いも有った。当然、中国に行ったのだから中国人しかいないのはわかっている。そして今では13億人で世界一の人口を誇る国であることも承知していた。しかし、いざ旅行をするとその人の多さに圧倒された。その予想を遥かに越えた人の多さは町の中心地で顕著になる。中国は国土が広いが人が集まるのは町の中心地。娯楽があまりないのでデパートは休日ともなると、人でごった返す。特に最上階にあつゲームセンターは芋洗い状態だ。 実際はこんなもんではない。多くは他人のプレイを眺めている。(好奇心旺盛)人に関してビックリしたのは多さだけではない。その人柄や人情が想像していたものと乖離していたのだ。■彼女のお母さん恥かしい話しだが、私は中国人の日本人に対する感情について、これまで国内外の色んなステレオタイプが耳に入っていたせいか、彼女はともかくとして、他の中国人からあまり歓迎されないのではないか、上辺だけの付き合いで距離をおかれるのではないかと思っていた。しかし、実際は違っていた。彼女のお母さんは中国語があまり喋れない私に対してとても優しく接してくれて、「気に入ったよ」という事を言葉にして伝えてくれる。私の潜在意識を察してか、過去の事は歴史としてちゃんと受け止めて、二人共将来に向かってしっかりと歩むのよとアドバイスをくれた。彼女のお母さんは彼女に次いで、私の中国への印象を良くさせた人物である。お粥を豪快い食べ、美容に勤しむ、お茶目な中国人女性だが、芯の強さが内から滲み出るキャリアウーマンでもある。上海に初めて着陸した私の心は、彼女のお母さんの心温かい人柄に触れてようやく中国に軟着陸できた。■彼女のお父さん次に彼女のお父さんだが、娘に日本人の彼氏ができた事について、やはり元軍人だけあって、反対したらしい。当然だろう。自分自身が彼の立場に立って見れば、国籍に拘らず異国の彼氏を連れて来たら戸惑うし、ましてや軍という政治色の強い環境に在籍していたのならば日本という国に少なからず想いや感情は持つだろう。そんなお父さんだが、娘の気持ちを尊重する点や、ややお母さんが優位(家庭内)な事もあって、理解に努めてくれたのだった。それには本当に感謝している。そしてその理解に応えられるように努力しなければならない。彼女のお父さんは中国の理想的な夫であり、父親として見習う所が多い。とにかく家族を大事にし、素直で真面目なのである。そして一度、相手(私を)を認めた(認めてくれていると願う)後は家族同然に扱ってくれる。気遣い、サポートし、コミュニケーションを取ってくれる。もし、自分が逆の立場であったならばこのようにできるだろうかと考える。人間ができてないとこうはできそうにない。。。私も努力を続けなくてはならない。■運転手さん彼女のお父さんがかかえる運転手のバイさん。バイさんもこれまた家族を大事にする良きお父さんで、心温かい方だった。中国での旅行中、ずっと運転をしてくれたのだが、人に運転してもらってあちらこちら移動した経験が無い私は恐縮してしまった。もし、バイさんが「仕事だからしょうがない」的な感じであれば、車での旅行を楽しめなかったかも知れない。しかし彼は上司でもあり、親友でもある彼女のお父さんの家族として私を歓迎してくれた。そして最後には友人として”友好”の乾杯を交すぐらいまでになった。それは上辺だけではなく、心と心で交友をしてくれた事の証だった。■彼女との共通の友人日本において、彼女を通じて友人となった人が多くいるが、皆一様に愉快で、活発で、人懐っこい。「中国人は一度仲間と認めれば、後はとことん仲良くなる国民」という事があるが、それは真実である。チャンスがあれば中国人と仲良くなってみる事をお勧めする。極稀に性格が悪い人もいるが、基本的にはオープンだし、中国人独特の価値観や意識が新鮮で興味深くなること必至だ。またある時、彼女の仲間で真夜中の湘南の海にドライブに出かけた事があるが、雲の隙間から綺麗で大きな満月が出てきた瞬間、感動の余り泣いてしまった人がいた。 満月の力??これはちょっと極端な例だが、中国人は感情が豊かで、素直なので日本人より付き合い易い(ビジネスとなるとこれは大きく変わる)。隠さずに思った事をストレートに言ってくるし、好き嫌いがはっきりしている。日本人特有の建前とか、遠慮が無いので最初は戸惑うが、相手との間に距離は無く心と心で触れ合う。だから中国人の温かさはダイレクトに伝わって来るのだろう。勿論、なかには中国人は打算的であるとか、表面的だとか、礼儀が足りないとか、時には何の根拠からか暴力的・危険などと思う人がいる。人によって意見や印象は様々だろう。しかし、相手がどの国の人であっても、新聞やテレビにあまり惑わされずにファースト・ステップを踏み出す事が大切だ。そして良い点に焦点を合わせて付き合って行く事が友好への第一歩になると確信している。人は他人の悪い所がよく目に入り、それだけが頭に残ってしまう傾向があるという。ましてや外部からの情報(特にマスメディア)に影響を受け易い。性善説とか性悪説とかいう次元の問題ではない。同じ人間として心と心で触れ合うのが重要であり、楽しいのだ。中国への熱い想いをぶつけてみる【これまで会った中国人は心温かい人が多かった】終わり
2005年02月15日
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「帰国日、空港に向かう直前にパスポートを紛失した事に気がつく」言葉で書くだけでも憂鬱になるのに、実際に体現していまった私。それを救ってくれたのはやっぱり彼女のお母さんだった。■救い様も無い時の救い真夏なのにその場は嫌になるぐらい凍りついていた。顔も上げられずにいる私に対して、彼女のお母さんは中国語で何やら言った。めまいがしそうだった。落胆の言葉を浴びせられても仕方が無い。しかし、通訳をしてくれる彼女の口からは意外な言葉が出た。「神様が我々2つの家、特に彼(私)との別れを惜しんで、更にもう一日一緒にいられるようにしてくださったのよ。」彼女のお母さんから後光が射して眩しかった。無神論者だが、確かにその時、神様からの救いの声を聞いた。 後光(この方は彼女のお母さんではありません。)結局、私の両親は先に帰国し、私は彼女と彼女のお母さんとてもう一日北京に泊まることになった。今度は両親を空港へ“見送り”に行く事となった私は、それでもやはり落ち込んでいた。自分の軽率な行動により周りに心配をかけ、スケジュールを乱してしまった。しかも、私のパスポートは葫芦島にいる彼女の従妹が夜間バスを乗り継いで持って来てくれる事になったのだ。初めての北京で右も左もわからないのに。。。自己嫌悪に陥っていた私を彼女のお母さんは幾度も慰めてくれた。その優しさが身に染みた。■みんな中国に残りなさい空港で親を見送った後、北京にあるホテルに向かう私と彼女と彼女のお母さん。(彼女のお父さんは仕事の為、帰った。)ホテルにチェックインして部屋で落ち着いていた時だった。2部屋あるうちの、彼女のお母さん部屋が何やら騒がしい。すると、突然彼女が呼ばれた。何だろう?と色々と憶測してみる。また、何かハプニングでも起こったのか?私は厄病神なのか。。。真剣や顔つきで彼女が戻って来た。「あなたの両親が飛行機に乗り遅れたわ。これから迎えに来ましょう!」そう言って、微笑んだ。「えっ?本当に!?」信じられなかった。両親は出発の1時間ぐらい前にはチェックインの列に並んだのだから。何かアクシデントでもあったのだろう。彼女と彼女のお母さんはもはやこの状況を楽しんでいた。神様は彼氏の他に、その両親まで中国に残れと言ったのだった。空港に着くと、はにかんだ両親がいた。チェックインの為に列に並んだが、ちょうど中国人の団体客も同時刻に殺到して作業が遅々として進まなかったらしい。結局、時間に間に合うことなくGATEは閉じられ、その他大勢の中国人達と共に空港に残されたのだ。 北京首都国際空港内それを聞いた彼女のお母さんは怒った!空港の管理者に対して激しく詰め寄った。が、しかし流石に先方もどうしようもないらしく、結局翌日の便を手配してその日は北京を再度観光する事となった。彼女曰く、中国の空港のこういったサービスの悪さは最近特に問題になっているとのこと。これも経験か。■最後の夜人数が増え、延泊することとなった我々の為に、彼女のお母さんは王府井近くのこれまた豪華なホテルを手配してくれた。夕刻近くなってホテル近くのレストランで食事をし、王府井で最後の買い物を楽しんだ。オカンは宝石を買ってご満悦だ。それからあの一度は通り過ぎた「王府井小吃街」の横丁にも行った。串焼きしか無いのかと思いきや、結構中は広くて、“タイヤ”の切れ端で水彩画のような絵を描くサービスなど珍しいものが沢山あった。 王府井の夜は10時を過ぎても賑やかその後私のパスポートをはるばる持ってきてくれた彼女の従妹と合流した。お礼の意味でバックを買ってあげた。ブランドはわからないそうだが、従妹は凄く喜んでくれた。中国最後の夜、彼女と二人で人力車をチャーターした。北京の街は故宮から天安門広場の他にも歴史がありそうな建物が幾つもあり、それぞれライトアップされて幻想的な雰囲気だった。 北京の夜生暖かい風と車の排気ガスと生臭い匂いが混ざり合い、舐めるように絡んで来る。タクシーがクラクションを鳴らしながら走り過ぎていく。怪しい夜店の人が大声で叫んでいる。民家の窓からはテレビの音が漏れ、暗い道端で話し込んでいる人達の笑い声がする。二人共喋らなかったが、彼女「中国っていい所でしょ?」私「うん、いいね」と心で会話した。12時を少し回った夜風の中に中国の生活エネルギーを感じ取った。中国への熱い想いをぶつけてみる。【圧倒的な生活エネルギーその8】終わり 次回からは「【3】日本でも中国でも、これまであった中国人は心温かい人が多かったから」について書こうと思います。
2005年02月14日
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私の夢のような中国旅行が残すところ1日となったこの日、名残りを惜しむようにゆっくりとショッピングをした。次の日、予想もしない出来事が起こることも知らずに。。。■北京の銀座、王府井北京にある王府井(わんふーちん)の由来はその昔、皇族が住んでいたこの地(王府)に、井戸があったことから付いたらしい。そのまんまだ・・・。前回も言った通り、上海の南京路の2倍はあろうかと言う歩行者天国になっていて、大勢の人で賑わっている。超巨大な百貨店「新東安市場」や近代的なモールの「東方新天地」などがあり、日本の伊勢丹なんかもある。「北京の銀座」なんて呼ばれている。オヤジはぐったり疲れて、全然うまく無いコーヒーが出てくるスターバックスで待機。私とオカンは色々とお店を回ることに。流石に北京銀座だけあって、そんなには安く無い。ここではサングラスや甥っ子へのおもちゃなどを購入した。中国の大きなデパートは吹き抜けになっている事が多くて綺麗だ。お店の数も多いが、同じような物を売っている所が多すぎて迷うのが玉に傷。王府井の真中ぐらいまでテクテクと歩くと何やら怪しい屋台横丁を発見!「王府井小吃街」と書いてある。後でガイドブックで見ると、結構有名な横丁らしい。 王府井小吃街近くまで来ると異臭が漂ってきた。モワモワとどのお店(屋台)からも灰色の煙が上がっている。店員はイソイソと何かの生き物の肉を焼いている。ただ一つだけ、それが何なのかわかった物があった。「サソリ」だ。「オカン、サソリ焼いてるよ!」と私が言うと、「あらまぁ~」と極普通のリアクションのオカン。もうその程度では驚かないようだ。他にもヒトデみたいなものを焼いていた。二人は自然とその横丁から離れた。。。 サソリとヒトデ。精力つきそうだけど、見た目は星みたいだけど、やっぱり無理。■北京の空の下でオカンが買い物をしている時に私は外で一人で待っていた時、中国人男性に話し掛けられた。「~はどっちかな?それから今何時?」という感じだ。ただ、どっちに何があるのかわからないし、自分の時計は日本時間のままだ。結局、私は「対不起(ごめんなさい)」と言って、時計をしているのにもかかわらず謝ってしまった。その中国人男性は奥さんと子供を連れて田舎から出てきたらしく、次の人に聞きに行っていた。中国人に見られたのは嬉しかったが、ちゃんと答えられなかったのがとても悔しかった。もう夕暮れ時だった。今は中国語の勉強をしている最中だが、中国で道案内をできるぐらいまでになりたい。■それは自分の明日の為買い物タイムが終了と同時に、王府井の中央にある「好友世界商場」というデパートの前でみんなと合流だ。 夜の王府井オヤジが集合場所に来る途中で、ある小さな子供に呼び止められたそうだ。その時のやりとりはこうだ。その子はオヤジが水分補給の為に持ち歩いていたミネラルウォーターを指差して、「欲しい」と言った。何度もせがまれ、オヤジは戸惑いながらも自分の水を渡そうとすると、「そうじゃなくて、そのペットボトルをくれ」という事だったらしい。仕方なくオヤジは中身を全部捨てて容器をあげたのだった。はじめは強引な清掃だなぁと思ったが、彼女曰く、ペットボトルを業者に渡すと幾らかになるから、そうして終わりそうな人の物を回収しているのだそうだ。生活の為とは言え、人が飲んでる途中でも容器を回収しようとするエネルギーは凄い。。。■サプライズ!ホテルに戻って、みんなで施設内にあるレストランで食事をすることになった。それぞれ正装になった。当然だ。ここは最上級ホテルで、そのレストランだ。デニ屋に来ているのとは違う。「歓迎光臨!」レストランの入り口には、ドキドキするぐらいスリッドの入ったチャイナドレスを来たお姉さん方が出迎えてくれる。彼女が一緒にいるので決して見れないが、チラッと見たところでは凄かった。サービスだと確信した。先に来ていた彼女はくびれが強調される黒のドレスに、軽くまとまったソバージュの髪、化粧は軽目で、嫌味の無いピヤスとシンプルな腕時計が光っていた。余計や色が主張が無いコーディネートは細身で長身の彼女の存在感を更に強めた。彼女のお母さんは、深紅の鮮やかなドレスを身にまとい、短く纏まった髪で登場。情熱家であると共に芯の強さを持つ人柄が服装にも表れている。ただ、微笑みが絶えないあたりが仄かに可愛らしさを演出する。彼女のお父さんは、頑強な肉体の上から見るからに上等なシャツを来て、控えめな色のネクタイを締めている。腰に巻いたベルトには携帯ホルダーがついているが、軍隊時代では拳銃があった場所だろうか。歩き方も堂々として風格がり、彼女のお母さんが見初めるのもわかる気がした。オヤジは背広、オカンはドレス。私はシャツにズボンだった。なぜこれほどキッチリとドレスアップするのかと言うと、サプライズがあったからなのだ。本人は覚えていなかったが、実はその日はオカンの誕生日だった。みんなが集って乾杯に移るのかと思ったその時、部屋(個室)が真っ暗になった。中国語版ハッピーバースデーの曲と共に現れたのは大きなケーキ。「生日快楽!」(お誕生日おめでとう!)の文字が自分の前まで来て、初めて気だ付いたオカンは子供の頃に戻ったかのように微笑んだ。 しぇんりーくぁいらー!(誕生日おめでとう!)蝋燭を吹き消したら、今度は彼女のお父さんから立派な花束が。オカンは目をうるうるさせながら感謝の小さな拍手をいつまでもしていた。■もっとサプライズ!!その後は、豪勢な料理と乾杯の嵐でたちまち満腹になってしまった。中国のケーキは不味いという噂だったが、その時に食べた誕生ケーキはたいそう美味かった。期待もしていなかったサプライズを中国最後の夜にプレゼントされたオカンは終始笑顔だった。次の日の朝、荷物を詰め込んでパンパンに膨れ上がったカバンを持って車に乗せた。ドカッとトランクを閉めた瞬間、嫌~な予感が走った。例えるなら、高校の定期テストで試験開始直前に自分だけ勉強範囲を大きく間違えてたのを気づくような感じだ。「あれっ?パスポートどうしたっけ?」瞬時にパニックに陥った!!順繰りに荷物を詰めたからスーツケースには入っていない。それじゃあ違うカバンの中か?親に渡した?いやいや、そう言えば日本から来る時に小さいショルダーをしていたけど、今ここには無いゾ??思い出した!葫芦島で車を乗り換えた時に置き忘れたんだ!直ぐに彼女のお母さんは連絡を取ってくれた。そして北京から高速で4時間の所に私のパスポートはあったのだ。。。 旅行中のパスポートは肌身離さずが原則です。これほんと。よりによって、とんでもない時にとんてもないミスを侵してしまった。彼女は信じられないという顔をしている。周りの人の顔が見れない。ただ、謝るしかなかった。初めての大事な中国で、人生最大の失敗をしてしまった。。。中国への熱い想いをぶつけてみる。【圧倒的な生活エネルギーその7】終わり
2005年02月13日
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北京市に来て、まるで外交官にでもなったかのような歓迎を受けた我々。今回の中国旅行もそろそろ佳境に迫ってきていた。■NO.1エネルギッシュホテルの1階にある、バイキングで朝食をとる事となり、テーブル席の数から彼女のお母さんと二人で食事をすることに。そこである確信をした。中国に来て一番エネルギーを感じられたのは何を隠そう、彼女のお母さんである。上海、大連、葫芦島、北京と様々な場所をホテル・レストラン・交通手配等々スムーズに接待してくれて、時には買い物の交渉だってしてくれた。その他には個人的なビジネスも合間合間に行っていたというから驚きだ。とにかくアクティブな女性である。そんなお母さんの食事も豪快だ。私は図体が大きくて食べる方だが、お母さんはそれ以上に食べる。朝はお粥をベースを好き嫌い無く、ガツガツ食べる。食後にも西瓜を3切れぐらいペロリ。これだけ頭と体を使うからにはそれだけエネルギーが必要なのだろう。お母さんは食べながら「これも美味しいから食べなさい」、「これは肌にいいのよ」、「もっと食べなさいよ」と中国語で言う。たまに「はい、いいえ」と日本語でニコニコしながら言ってくる。可愛いくて忙しい人だ。 美容と健康のお供「お粥」お母さんはお世辞抜きに綺麗だ。歳なんて聞かないとわからない。肌もモチモチしているし、服装だってセンスが良い。美容が趣味なところがあるようだが、こうやって精一杯生きてる人は体内が活性化されて、それが若さに繋がってくるのだろうと思った。日本でこれほどの女性と会った事は今まで無い。全くもってエネルギッシュな人だ。■世界の中心、中国は紫禁城天安門広場に到着。車から降りるとカーニバルか何かあるかと思うほど賑やかだった。白人・黒人・黄色人、色とりどりで英語、ドイツ語、フランス語、韓国語、世界各国の言語が聞こえて来る。夏のうだるような熱さの中、水やアイスを売っている人、凧揚げをする親子、記念撮影をする人たち。空から見れば長方形の枠の中で砂糖に群がる蟻の様に見えるだろう。毛沢東の写真をバックにみんなで記念撮影を終え、昔は一般の人は立ち入る事が許されなかった故宮へいよいよ入る。 天安門広場。遠くで毛沢東が人民に微笑む。別名紫禁城とも呼ばれるここは元 (王朝)がつくったものを明の成祖永楽帝が改築し、永楽帝が北京に都を移してから清滅亡(1924年)まで清の皇族がいた。1949年に毛沢東は紫禁城の天安門で中華人民共和国の独立を宣言した。世界遺産であり、一日では回りきれないほどの部屋数がある。日本では「ラストエンペラー」でよく知られる。中に入ると自分が小人になったかの錯覚を覚える。とにかく規模が大きくて圧倒される。柱が太くていかにも頑丈だ。精巧に作られた各建物は気品に溢れ、昔の様子が浮かび上がって来そうだ。 皇帝が執事を取った太和殿。特に驚いた事は、敵の侵入を防ぐ為に紫禁城の地下は一度10mぐらい掘り下げられて石が敷き詰められているのだそうだ!万里の長城といい、抜け目無いと言うか徹底していると言うか、脱帽だ。「紫禁城」の「紫」とは、本来 天の中央に位置するという紫微垣に由来する。中国の天文学的に紫禁城は中国、そして世界の中心として位置付けられていたのである。今でも世界各国から多くの人が訪れ、歴史・文化的見地からしても最重要な場所であろう。皇帝気分というよりは、周りの人々に溶け込んでさながら宮廷兵士のような気分になった我々は昼食の為に移動した。そして忘れられない味に出くわす事になる。■完成された料理北京と言えば「北京ダック」。もともとは宮廷料理でとても高価な料理だった(今でも高価だが)。連れて来てくれたのは超有名店「全聚徳」。136年の歴史を持ち、各国の著名人が来店するお店だった。店内にはアメリカ大統領の写真まであった。いよいよダック様の登場の時が来た。こんがりあめ色に焼きあがったアヒルの皮を薄く丁寧に切り取り、「甜面醤」(特製の甘い味噌)を少しつけ、葱や胡瓜あるいは大根の千切りを一緒に、「荷葉餅」(通常丸くて薄く延ばされた平たい皮のことを言う)で包んで食べる。パリパリッ!ジュワ~!トロトロ~!本当に「パリッ」という音が弾ける。横浜中華街で食べたそれとは比較にならないほど美味しかった。1羽分ぐらい一人で食べたろかと思ったが、結構脂っこくて10切れぐらい食べてダウン。 北京ダック様皮しか食べないこんな贅沢な料理は珍しい。宮廷に献上する米が荷から落ち、それをついばむアヒルを捕って食べたのが始まりだそうで、その後工夫が加えられ今の形となった。世界三大料理である中華料理が生み出した最高傑作の一つだろう。中国人の独創性と研究心はエライ!お腹いっぱいになった我々はショッピングへ。やって来たのは北京の銀座、王府井(わんふーちん)。高級百貨店が軒を連ね、上海南京路の2倍はある大通りには多くの人達が行き来していた。。。 王府井(わんふーちん)中国への熱い想いをぶつけてみる。【圧倒的な生活エネルギーその6】終わり
2005年02月12日
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我々一行は次なる目的地、北京に向かって遼寧省は葫芦島(ころとう)を後にした。■悠久の歴史と洗礼彼女のお母さんは我々の為に、途中で寄り道をしてくれた。中国と言えばやはり「万里の長城」。葫芦島から程無く走ったところにある「山海関(しぇんはいぐあん)」に到着。文字通り山と海に囲まれた天然の要害地であり、万里の長城の東端にあるここは“天下第一関”と呼ばれる。その当時の天子様がまず初めにお通りになる関所だからだそうだ。 万里の長城の第一回目の関所・・山海関それより下痢だ。葫芦島に着いてからお腹の調子が悪くなってしまった。両手で水を持っているような状態だ。感慨に更ける暇も無く、立派な門を足早に通り過ぎてトイレに向かった。非常に情けない。。。しかし、これも中国の洗礼だろう。免疫があるのか、彼女は流石にケロッとしていた。後になって知ったが、私の両親も既にグルグルだったらしい。流石に大人だ。■中国人の偉大さ山海関を一通り見終えた我々はもう少し足を伸ばして「老龍頭」という万里の長城のスタート地点に向かった。ここは素直に感動した。長城はもともと敵の進入を防がん為に建築された物。それ故に海に突き出した形で始まっているのだった。妥協は無い。 海に突き出た万里の長城の“端っこ”抜かりない。宇宙から見える唯一の建築物である万里の長城を作った中国人の偉大さは既に認めるが、ここまで徹底する姿勢は敬服する。■超大都市北京で未知との遭遇その後、北京市へ車を走らせ3時間。首都だけあって、超が付くほど街が大きい。車・人・建物の量が半端では無い。至る所で渋滞になっていた。北京では彼女のお父さんの友人で、今は中央政府の役人の方に晩御飯をご馳走になった。そこでは、よくテレビでA級芸能人が番組制作費で堪能している本場中国の豪華料理が用意されていた。西太后でも出てきそうな煌びやか(きらびやか)な個室に通された埼玉県在住の我々一家は“未知との遭遇”状態だった。オヤジは過去に会社の接待でこのクラスをやった事はあるのかも知れないが、私とオカンは内心、アワワ・・ガクガク・・。以下は遭遇した未知なる事象の数々である(私レベルでの話し)。・個室の奥には、誰も座らない金メッキの王様椅子がある。その横には小さな金の椅子が並べられていた。・3人の専用従業員(帰りは10人ぐらいで見送り)・個室には専用の立派なトイレ・支配人と副支配人の直々の挨拶(名刺をもらい、祝意を示す為にお互いにお酒を一気飲みする。40度ぐらいある白酒を8回ぐらい一気してた。化け物だった。)・最上級マオタイ酒、ツバメの巣、アワビの姿煮、上海蟹(お初物ばかりで、どう食べればいいのかわからなかった) 北京だけど、上海蟹が現れました。美味!などなど、最上級のもてなしを受けた。更には応援の言葉やアドバイスを賜り、大変恐縮してしまった。しかもそれだけでは終わらなかったのだ。レストランを出てから宿泊先のホテルを手配してくれたが、そこは一際目立つ超豪華5つ星ホテルだったのだ。一泊一部屋25万ぐらいの超スイートを二部屋リザーブ。ああ、言葉にできないぐらい贅沢。。。エレベーターでひたすら上り、フランスかどこかの大統領が泊まった部屋にオヤジとオカンは通されご満悦。分厚い古書が並ぶ書斎の隣ではモモヒキになったオヤジが寝てた。中国への熱い想いをぶつけてみる。【圧倒的な生活エネルギーその5】終わり
2005年02月11日
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大連市を出発した我々8人(私、オヤジ、オカン、彼女、彼女の両親、運転手2人)は彼女の実家がある、遼寧省の葫芦島(ころとう)へ向かった。■熱い想いのカタチ葫芦島は最後に日本軍が満州から日本に引き揚げて来る際に使った浜として知られている。 葫芦島の綺麗な海私は彼女と付き合い始めた頃から日本と中国との過去の歴史を学び直した。日本人として過去の歴史を真摯に受け止め、数奇な運命で中国と身近になれた事を機会と捉えて、未来に向かって日中・中日の友好の為に尽くして行きたい。私個人にどの程度できるかわからないが、少なくともそういった意識を持つことによってスタートできると思った。このブログも一種のそういった想いだ。中国の良さは国土が大きい分、人が多い分だけある。それを広い集めて日本人に伝える事は私の喜びだ。■長く、危険?な道のり彼女から「到着まで所要時間は6時間ぐらい」と通告された。日本人的発想で言えば「通告」に近い。それでも、中国の町並みに興味津々で初めのうちは長い間飽きる事はなかった。大連から程なく行くと、ビルは無くなり、生活感溢れるというか、ほったて小屋みたいというか、庶民的な建物が並ぶようになった。畑も出てきていい感じだ。広さからすると「畑」ではなく「ファーム」に近い。 延々と続く田園風景(こんな感じ)50kmぐらい進む毎に町が現れ、夕方の市場が賑わっている。そして、程なくして飽きた。地平線まで続くファームまでは良かったが、夜になって何も見えなくなったのだ。運転手さんには悪いが寝た。そして起きて、また寝た。何度か繰り返すうちにかれこれ6時間ぐらい経った。様子からするとまだまだのようだ。ハァ~ア~などど思っていると次の瞬間凍りついた。前を行くトラックを対向車線に飛び出して追い越して行くではないか!!中国は右側通行だが、片道2車線はある。それでも敢えて対向車線に飛び出して抜いて行くのだ!(後で彼女に聞いたが、中国ではこれが一般的で、外側の車線は主に牛車やバイク、人などが通る為に車は通らないらしい。) 中国はドイツのフォルクス・ワーゲンが非常に多い。そして速い!故障もしにくい高性能な車だ。更に嫌なのは、“追い越す”というより、“すり抜ける”感じに近い事だ。たまにギリギリっぽくなり、対向車が「プワァー!」とけたたましくクラクションを鳴らす。映画「007」の世界だ。隣でオカンはグゲェ~と寝ているから気づかないが、一端気づいてしまった私は居ても立ってもいられない。アワワ。。。と思いながら更に2時間が経過した。私も運転は得意な方だが、中国人の運転には遠く及ばない気がする。何よりも自らの技術への自信と大胆さ、肝の大きさには敬服する。■豪華絢爛にうつつを抜かした葫芦島ようやく葫芦島近くに到着して休憩・晩御飯となった。運転手さんは大変お疲れ様でした。夜中の12時を過ぎていたが、これまた豪華な食事を頂いた。さすが中国、食べるものは最高にうまい!それから更に1時間、車で走って葫芦島に到着。真夜中であったが立派なペンションを用意してくれていて、快適に休むことができた。次の日、目覚めたらビックリ!実はこのペンションは海に面していたのだ。大海(だーはい)と呼ばれる風景は壮観の一言。弓状に伸びる浜辺には人影は無く、高級リゾートそのものだったのだ。感激すると共に、彼女の家はいったいどんなレベルなんだ??と不安になってしまった。次の日は我々の滞在期間のせいもあって、直ぐにこの葫芦島を離れることになってしまった。とても残念だったが、これからも来れると自分に言い聞かせた。今度は葫芦島から北京まで車で移動なので、馬力のある車に乗り換えると彼女のお母さんは言った。“乗り換える”って簡単に出来てしまうことなの??と不思議に思いながら、この時後々とんでもない事に発展する過ちを犯している事には気がついていなかった。 これはとっても大事な物です。特に旅行中は・・・。■アイヤ-!な家彼女の家にお邪魔した。綺麗で広いマンションだ。何インチあるのかわからないテレビが居間にあり、パソコンルームには液晶モニターに斬新なキーボード。寝室にはウォーターベットがあり、うちとは違って余計な物が無く気品が溢れていた。中国的に言うと「アイヤ-!」である。どんなイメージを抱いていたのかは自分でもわからないが、驚いた。■時代の変化と数奇な運命がもたらした贈り物彼女の過去の写真やこちらが持参した家族の写真を紹介し合って和んだ。緊張はしたが、何だか嬉しかった。彼女は勿論、彼女の両親は娘を深く愛し、そして誇りに思っている。連れて来た彼氏は日本人だけど、娘を愛し、そして娘が愛しているのならそれを尊重するという考え方だ。うちの両親も彼女を愛し、向こうの両親の事も気に入った。一昔前の人が見たらこれは“奇跡”に映るかもしれない。今、時代は着実に移りはじめ、そしてそれを受け入れて先を目指すようになった。大袈裟かもしれないが、これは時代の変化と数奇な運命がもたらした素晴らしい人生の始まりであり、歴史のスタートなのだと思った。中国への熱い想いをぶつけてみる。【圧倒的な生活エネルギーその4】終わり
2005年02月10日
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中国に来て、初めての朝は驚きの連続であった。恐れを知らない自転車の大群、朝食の奪い合い、南京路の人の多さ、そして無駄なパワーは決して使わないデパートのお姉さん。(「その2」を参照してください。)色んなところから生活のエネルギーを感じ取る事ができた。軽いショックを受けながらもどんどんと彼らの魅力にのめり込む自分がいた。■買い物には危険がつき物?買い物を進める私とオカン、時間が無いので猛スピードで次のデパートに乗り込む。次なるところは「新世界百貨店」。どーんとそびえ立つこのデパートは上海の中でも一際目立った。ワクワクしながら中へ。 新世界百貨店(夜バージョン)新しい世界だった。通路には適当に服を着せられたマネキンが乱立し、店内は大きな垂れ幕が数本伸び、エスカレーターには人が途切れることなく乗っかっている。ブランドの服の隣に時計屋さんがあったりするが、店員もさっきの所とは違い声が出ている。それもそのはず、来ているおばちゃん達がいかにもお金を持っていそうなのだ。私も知っているブランドもちらほらある。オカンは初め、雰囲気に押されて引いていたが、そこは同じおばちゃんだ。人波の中に入ると一瞬のうちに新世界に溶け込んだ。丁度セールをやっていたらしく、50%引きの文字が目立った。おばちゃん達は嬉しそうだ。もともと声が大きい中国人たちはいっそう声を張り上げて「これ幾らなのよ?」「もっと大きいヤツないの!」と言っている。オカンは足を止めて気になる服を見つけた。50%OFFの様だ。あれこれ見て、迷っているオカンに試着を進めたところ、意を決してドレスルームに入って行った。やや疲れた私は椅子に腰掛けながら、隣で返品させると店員と言い合っている客を眺めていた。すると、どこからともなく、5才ぐらいの男の子が現れた。彼はツカツカっと一目散に試着室に向かうではないか!!「あっ」と思ったが遅かった。あわれ、オカンは試着中のドアを開けられ40歳以上離れた少年とご対面した。少年は当然の結果になぜかビックリし、ドアを開けたまま逃げ去った。私はポカーンとしたオカンに駆け寄りドアを閉めてあげた。店員はニコッと笑っていた。それが何を意味するのかわからない。オカンは気丈に振舞い?(明るい性格なのでさして気にしていなかったようだ)笑いながら出てきた。結局、ご購入となってホテルに戻った。帰る時も店員と客は返品でもめていた。■最強のビジネスウーマン午後になって、彼女のお母さんは我々を有名なスポットへ案内してくれた。それは豫園(よえん)。昔のお金持ちの役人が個人的な楽しみとしてこの庭園を造った。四季折々の風景毎に分かれていて(どれも同じに見えるが)非常に細部まで凝ってある。上海でも外灘(わいだん)と同格の有名観光地なのだ。 豫園(よえん) 園内には他にも幾つも同じような庭園がある。中に入ってズンズン進むとそこに茶屋があった。小休止しようとそこでお茶を頂く事に。いただいたお茶は、日本で飲むお茶と比べて香りや味の濃さが格段に上だった。流石だと思った。お茶について案内してくれる女性は日本語がいやらしいぐらい流暢で商売上手だった。オカンはたいそう気に入り、茶葉と急須を購入することに。中国人の店員はシメシメと思ったに違いなかった瞬間、同席していた彼女のお母さんが話し(交渉)を始めたのだ。そして店員は逆転負けした。中国政府の役人で重要なポストにいる彼女のお母さんはどういう内容かはわからないが、やり手のキャリアウーマンのように淡々と話しを始めた。途中で自分の手に負えないと気づいた店員は店長を読んできた。すると店長はちょっと引きつりながらニッコリ微笑んで最大限のサービスをすることを約束してくれたのだ。通常の容器にこれでもかと茶葉を押し込み、蓋が閉まらない状態になっても更に入れた。店員は汗をかいていた。そしてセロテープで蓋をその上から【かぶせてくれた】。半分爆発してる茶葉ケースとグレードアップした急須を手に店を出た。彼女のお母さんは物凄いビジネスウーマンだという事が判明した瞬間だった。■緊張のご対面上海をしっかり堪能した我々は彼女の実家がある遼寧省に行く為、空港に向かった(上海には国際線の浦東空港と国内線と虹橋空港がある)。非常に綺麗で斬新な空港だった。そして飛行機に乗って2時間で大連空港に到着。 大連空港 駐車場大連空港では彼女のお父さんが迎えに来てくれていた。日本での事前情報はこうだった。・一人娘をこよなく愛している・もともと優秀な軍人・今は政府の役人(重役)・筋骨隆々出会い頭に、いきなり胸ぐらを掴まれて「私の娘に何さらしとんじゃワレ~!!(なぜか関西弁)」とか言われたらどうしようかと内心ドキドキしていた。そして運命の瞬間。空港の出口に立っていた彼女のお父さんと挨拶を交わす。温かく迎えてくれた。旅の疲れを労い、歓迎してくれたのだ。しかも大学時代の友人である王さんという人(夫妻で)も出迎えに来てくれた(どういう訳かは知らないが嬉しかった)。■近代史が色濃く残る町並み我々は2つの車に乗り込み、大連の港をぐるりと回り、日本租界時代の面影が残る市街へ。 高層ビルと古い町並みからなる大連市中心の中山広場中山市場を通過して星海公園へ到着。緑と海に囲まれた公園はとてつもなく広かった。ここには1999年の大連市百周年記念で作られた『道』と呼ばれる銅の鋳物があった。その上には1000個の足跡があり、1889年から1999年の間に生まれた人たちの足跡が残されていた。歴史を積み重ねてきた事を忘れない為のものなのだそうだ。感慨深いものがある。 星海公園から見た、浅瀬に停泊?する客船そして海には豪華客船が停泊。でも何だか不自然だ。こんな浅瀬に停泊できるはずも無いし、少し傾いている様に見える。聞いてビックリ、なんと座礁していたのだ!!今では解体する事もできずにそのまま名物になっていた。名物になるには最適のロケーションであることは間違い無かった。■長い道のりの始めその後、豪華な昼食を取ってから、一路彼女の実家へ向かうことに。生憎、高速道路が工事中とのことで、一般道を通ることになった。彼女は「今から車で6時間ぐらいかな」と一言。「えっ?6時間??」日本なら東京から名古屋・大阪を越えて下手したら広島ぐらいまで行ってしまう距離だ。。。さすかに中国!大陸の国だ。スケールが違うなぁと感心していたが、その後、過酷な現実に襲われることになる。夕方4時に大連を出発した2台の車はパリ・ダカ-ルのような世界へ。中国への熱い想いをぶつけてみる。【圧倒的な生活エネルギーその3】終わり
2005年02月09日
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目まぐるしい中国の第1日目が終了して、次の日。その日に泊まったのは、彼女のお母さんが手配してくれた上海の4つ星ホテル「RAMADA」。このホテルは南京路という上海の有名な歩行者天国に沿って立てられている豪華ホテルで、ロビーは金ピカ。しかも我々が泊まる部屋はエグゼクティブエリアで中庭まであった!中国人は豪華にもてなすとは聞いていたが、ここまでとは正直ビックリした。 4つ星ホテル「RAMADA」★★★★翌朝は前日が晩かった事もあり、ゆっくり目で起きようということだったが、私は貧乏性なのかわからないが、折角来た上海の朝をチェックしようと一人朝8時にホテルを出た。■朝のフルーツバスケット予想してた通りの風景が目の前に広がった。我先に急ぐ自転車の大群が道路を埋めていた。一応信号機はあるが、ほとんど無視。待っているのがアホらしくなるぐらいみんな飛び出して行く。流石に交通量の多いところは警官が立って誘導しているが、それも無視する始末だった。車も車で、スピードを落とす程度。スレスレでお互いにかわしながら進む様はフルーツバスケットみたいだ。「中国人の人~!」、「は~い!!」てな感じだ。日本人の私はあっけにとられて動けない。。。 自転車の大群、一斉にスタートの図■今すぐ、私に、その人よりも先に、それをください中国人に紛れてようやく渡れるようになり、周りを散策。お目当てのモノがあった。それは露店だ。忙しくお姉さんが大きな切り株のような鉄板?の上に黄色い(恐らくだしの入った卵だと思う)液体を流し込み、クレープ状にした生地の上にお好みの具を乗せて包んでいる。それを順番には並ばない中国人達がお金を渡して出来たばかりのソレをGETしようと躍起になっている。私も試してみたいと思っていたが、土壇場で怖気づいて断念。あの中に入って競い合うにはまだ早かった。中国ではお金以外にエネルギーが無いと食にあり付けないのかと思った。(実際にそんな事は無いけど。)■世界一のやじうま根性また、しばらく行くと今度は朝の忙しい時に、多くの人がある一箇所を見ている。。。何だ?事故か?と思いつつそちらに目を向けると一人の男性がモップのような物で2階の窓を拭いているではないか。朝っぱらから泥棒?と思ったが、どう見ても掃除だ。私もつられて状況を見守ったが、その初老の男性は一通り掃除を終わらせてご満悦の様子になった。はたと周りを見ると15人はじっと見ていた。「掃除」を見ていたのだ。好奇心旺盛な中国人は誰かが何かを見ていると、なんだなんだ?と興味が掻き立てられ、自分も見入るようになる。そしてその連鎖反応がたちまちのうちに起こるのだ。これは飛行機の中でもそうだった。ここまで強くやじうま根性を持つ国民も世界広しと言えど中国人ぐらいだろう。何か悠久の歴史や人類学的に紐解けるような気がするが、それはまた今度にしようと思う。■初めてなら色々と考えるでしょう?またしばらく歩くと今度は「人民公園」という上海市のど真ん中にある公園に辿り着いた。 人民公園 入り口公園なんだから無料だろうと思い、中に入ろうとすると、入り口に軍人らしき人が立っているではないか!!一瞬にして頭の中で計算をした。有料なのか??・・・人民元は持っているが、料金が書いてないし、言葉もわからない。日本人はカモにされるって彼女が言っていたな。。。いや待てよ、軍人=政府管轄。しかも前に彼女が「中国人は民族やIDを示すカードを全国民が持たされていて、事ある毎に提示を要求される」と言っていた。という事はここは中国人の身分証明が無いと入れない所なんだな。後から、彼女と彼女のお母さんに笑われた。誰でも入れる所で、入園料は1元(=15円)だったらしい。恥かしいかな。色々考えた私はこれまた怖気づいただけだったようだ。。。次に行ったら必ず入る。しかも一人で。■中国版 渋谷センター街ホテルに戻る途中、南京路を通った。流石にお腹が空いてしまった。キョロキョロと見渡すと色々とある。マクドナルドにケンタッキー、サブウェイにピザーラ、吉野家だってある。そしてローソンも。コンビニが手軽なのでローソンへ。中は品揃え豊富であたり前だが日本の商品が多い。惣菜コーナーにはおにぎりがあって嬉しかった。2つ買った。同じ列には日本の2倍はあろうかというデカさの太巻きがあり、中身はえびやら春雨やらが詰まっていたがそれには手を出せなかった。デパートもそろそろ開店する頃、どこからともなく人が溢れて一気に賑やかになった。若いカップルが多くてFF店も軒並みだ。何となく渋谷センター街のような雰囲気だが、ここは中国。2倍にも3倍にもそのスケールは大きく、高層ビルの合間を自転車の波が通って行く。 カップルが賑わう南京路■買う時は言ってね、袋に入れておくからその日のスケジュールもタイトだった。ホテルに戻って、朝ご飯を食べた後、時間はほとんど無かったが、折角という事で私と私の母親(以後オカンと呼ぶ)の二人で近くのデパートに買い物に行った(私の父親(以後オヤジ)は前日の疲れが取れずにホテルで休憩していた)。事前に中国語を多少勉強したいたので値段やサイズ、色などの交渉はできた。早速、近くの百貨店に入った我々はあれこれと見ていた。しかし、そこで目に付くのは定員のやる気の無さだった。日頃日本で慣れてしまったサービスとは雲泥の差だった。定員同士でしゃべったり、ひたすら自分の爪の状態をチェックしてたり、流れるBGMを口ずさんだり、、、。日本の必要以上の接客には辟易するが、中国のこれには腹が立った(その後慣れたけど)。サービス提供という考え方が定着していないのだ。これにしようとオカンが決めて、これくださいと私が言う。すると支払いカウンターが各コーナーに設けられているからそこで支払ってきてと言う。中国のデパートではどこでも同じようにしている。会計専門のコーナーがあるのだ。そこで支払うわけだが、50元・100元札はレジの人が必ず透かしてチェックする。おそらく偽札の為だろう。そして支払いを終えて戻ると商品を袋に入れて店員が支払い証と引き換えにくれる。それで終わり。結局、あなた袋入れ係??と思ってしまうのだった。。。中国への熱い想いをぶつけてみる。【圧倒的な生活エネルギーその2】終わり
2005年02月08日
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彼女との交際開始から2年が過ぎる頃、彼女は自分の両親とも仲良くなって(うちの両親も息子が外国人の彼女を連れてくるなんて思ってもいなかっただろうが。。。)、いよいよ今度は彼女のホームタウンである“中国”に彼女の両親に会いに行く事になった。■成田から飛行機に乗ると、もうそこは中国だった。あちらこちらで中国語が飛び交って、どこかの市場にいる様だ。搭乗の案内がされると我先にと入り口に殺到し(席は逃げないが)、飛行機に乗ると荷物を積める。一通り落ち着くと今度は他の人の動きを観察する。ジロジロ見る。必要な荷物を取り出し、残りを棚に入れ終わるまで見る。ターゲットが作業を完了すると他のターゲットの作業を見守る。何とも意味不明な行動だ。彼女曰く、中国人はとにかく好奇心旺盛だから何でも見ちゃうのだそう。■ちょっと可愛い中国人の行動パターン飛行機がいよいよ離陸。私は疲れと緊張でもう既に眠たかったが、多くの中国人は離陸時に外の景色を食い入るように窓から見てる。真剣な様子だ。通路を挟んで中央の列に居る人も何とか見れないか頭を伸ばしてる。そして、離陸して1分後には見向きもしない。何事にも熱し易く、冷め易いのも中国人の特徴のような気がする。何だか子供のような好奇心と素直なところが可愛らしく映った。■少しでも早く、我先に、時間は有効に、3時間後、中国は上海の空港にその他大勢の中国人と共に着陸した。スチュワーデスから「着陸後も危険防止の為、シートベルトの着用サインが消えるまで席に着いていて下さい」と事前のアナウンスがあったが、そんなのは中国人にとっては全く関係無かった。飛行機が着陸して減速するやいなや、あちこちで「カチャッ」「ガチャッ」と始まった。一人が立ち上がった瞬間にほぼ全員が立ち上がって荷物を取り出し始めたのだ。その次は出口への殺到だ。スチュワーデスと日本人は席に座っていて、中国人は手に荷物を抱えて通路に立ち、ドアが開くのを待っているという異様な光景があっという間に出来上がってしまった。しかも携帯で「今、着いたよ~」と話している人もいる。あっけにとらわれるばかりだ。。。ポカーンと周りを見渡していると“降り待ち”の中国人から逆に凝視された。待っている間、やることがないから近くに居る人を見ているのだ。カルチャーショックだった。こうも行動パターンが違うとは思ってもみなかった。でも考え様によってはハングリーだなとも感じた。小学校の頃にした、カレーのお代わりの為の早食いをを思い出しながらスゴスゴと降り立った。■緊張の瞬間、ドキドキとな~んだ手続きが終わって、いよいよ彼女の親と初ご対面だ。会う前にトイレに行って身だしなみを整え、彼女に中国語の挨拶を聞き直して、空港出口に向かった。彼女のお母さんは事前に写真を見せてもらっていたが、実際に会ってみると写真以上に綺麗で知的な感じがした。おどおどしながら「初次見面、我是○○ 精多グエン照(初めまして、どうぞ宜しくお願いします)」と口ごもりながら話した。そしたら、お母さんはニコニコしながら「ようこそ中国へ!会えて嬉しいわ」という感じの言葉を返してくれたのだ!。本当に嬉しかった。「何なんだお前!私の娘に言い寄りやがって!」とかいきなり言われたらどうしようとかとほんの少し思ってたけど、ホッとした。しかし、それもつかの間、その後の彼女のお母さんの行動でまた不安に逆戻りしてしまった。通常日本で初対面でしかも家族になろうかというような相手との挨拶では何度もお辞儀したり労いの言葉を掛け合ったりするはず。でも彼女のお母さんは挨拶もそこそこに「迎えの車が駐車場に用意してあるから」と言い、ツカツカと歩き始めるではないか!急いで荷物を入れて運転手さんと「ニーハオ」の一言挨拶してレッツゴー。車に乗ってもドキドキが続き、熱烈歓迎なんて風には行かないか。。。と思い始めた時、そんな私の気持ちを察してくれたのか、彼女のお母さんは「車で来てて、出口が込み合うから急いでたんだよ」と話してくれた。見るとなるほど、駐車場の出口には車が我先に殺到して渋滞気味になっている。そうか、飛行機の時と同じように早く行動しないと人が多いからスムーズに行動できないんだなとわかった。空港から上海中心地までの車中では改めて挨拶し、お母さんが夜の上海を指差して色々と案内してくれた。ショックとドキドキ感の中で初めての中国体験が始まった。■長い上海の夜夜9時ごろに上海に着いて、車で上海の有名な外灘(ワイダン)に到着。東方明珠広播電視塔(テレビ塔)に上って上海の夜景を一望。とっても綺麗だった。うっとりした。 東方明珠広播電視塔(長細いタワーと外灘の景色)我々家族(自分の両親も一緒に中国に来た)に色々と説明をしてくれる彼女のお母さんの話しをなぜか隣の子供一緒に聞いて指差す方向を一緒に顔を向ける。抜け目無い。。。電視塔の出口では、待ち構えたようにピカピカ光る電視塔のおもちゃを50歳ぐらいのおばちゃんが薦めて来る。「不要了」と一人に言ってすり抜けると、次はおじちゃんが全く同じモノを日本語で「どうですか?」と聞いてくる。商売根性がたくましい。。。10時半頃にお腹も空いたという事で南京路から少し入った所にあるレストランへ。入ってびっくり!生簀(いけす)の中には活きのよさそうな魚がウヨウヨ。貝がパカパカ。うみうしがモゾモゾ。中国で高級なレストランでは活きの良さをアピールするように、水槽を指差して注文するらしい。ここは彼女のお母さんに注文はお任せして席へ。通されたのはなんと個室!大切な客人をもてなす際には個室を使うそうな。当然丸テーブルで奉仕人付き。夜11時からスタートした歓迎会は12時頃まで続き、エライ強い中国の伝統的なお酒(茅台酒(マオタイ)と言って度数はおよそ40度ぐらい)で何度も乾杯をした。中国ではめでたい時にはこれでもかと乾杯する(これが結構楽しい)。彼女のお母さんはこの殺人級に強いお酒をグイグイと飲んでいた!正直あせった。しかもお父さんはもっと強いらしい。。。!! 歓迎の言葉(我々日本人にはちょっと大袈裟なぐらいに感じる程度)と大学時代以来の一気飲みで酔いしれて長い中国一日目が終了した。とにかくパワフルな初日だった。見るもの全てが新鮮で面白かった。とりわけ感じられたのは、いつでも全力(抜け目無く)で行動しているんだなぁという事。中国人の力強さに感心した。【圧倒的な生活エネルギーその1】 終わり
2005年02月05日
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日記というか、コラムなのかよくわかりませんが、やっとこさ、これまで内に秘めて悶々としていた自らの中国への想いを発散する場所を得ましたので後は好きなように書き捲くるぞ。さて、何から書こうかな?まずはなぜ中国が好きになったかだなぁやっぱ。ランク付けするとこんな感じでしょうか。【1】中国人の彼女ができたから。これは人生最大の喜びであり奇跡だ。【2】中国に行って、圧倒的な“生活エネルギー"に触れたから【3】日本でも中国でも、これまであった中国人は心温かい人が多かったから【4】中国人は色んな意味で面白いから【5】中国はビジネスチャンスがありそうだから【6】悠久の歴史に惹かれたから【7】食事がうまい!もっともっとあるけど、こんなところからスタートだ。【1】中国人の彼女ができたから。これは人生最大の喜びであり奇跡だ。彼女は中国遼寧省出身で一つ下。自慢じゃないが容姿端麗で熱情的な女性だ(自慢だ)。以前勤めていた先で知り合って、後少しで付き合って3年だ。そして私の中国への想いは3年前、彼女と出会った事から始まった。。。正直、彼女と付き合う事には初め相当迷った。誰しもそうだと思うが生まれてこの方、国籍が違う異性(しかも文化や考え方が大きく異なりそうな国の方)と付き合うなんて考えた事は無かった(それは彼女も一緒だったとのこと)。また、自分は真面目に付き合う人間なので年齢的にも最後の女性になると思った。かなり慎重だった。勤め先の会社で初めて彼女を見たときは月並みだが、ドキッとした。でも、その当時付き合っていた人がいたのでそれ以上は意識しなかった。それはあるプロジェクトを任されて、アルバイトだった彼女と一緒に仕事をする時間が増えた時。そこから徐々に彼女に惹かれて行った。会社で働き初めて3ヶ月が過ぎ、突然それはやってきた。実家の経済状態が悪化し家族離散の危機に陥ってしまったのだ。住んでいる家を出なくてはならず、仕事も続けられるかわからない。同時にそれまで付き合って来た(元の)彼女との間もうまく行かなくなっていた。元々わがままだったのが爆発したのだ。「沖縄に住きたい」の次は「イタリアに行く」。私の精神状態などお構い無しだった。精神的にかなり弱って、もう何もかもどうでもよくなってしまっていた。。。それでも何とかやれたのは同じ職場で働く中国人女性(現彼女)の存在だった。鮮明に覚えているのは昼休みに何気無く置いて行ってくれるお菓子やコーヒー(周りのみんなにもあげていたけど)。何気無く置いて行く彼女に救われたような気がした。仕事も的確でスピーディな彼女のお陰で頑張れた。働いている時は社外の様々なトラブルを忘れられた。そんなある日、事件は起こった。担当するプロジェクトは苛烈を極め、同じプロジェクトに拘っていたSさんが突然痙攣を起こして意識を失い、直立不動のまま床に倒れた。顔面を深く切り、大量に出血した。救急車に運ばれその時は一命を取り留めたが、後日自宅で同じ発作を起こして冷たくなってしまった。その人とは共にプロジェクトを遂行し会社に泊り込んだりもした。私はあまりにもハードな運営管理に対し、スケジュールの見直しを訴えた矢先だった。彼女は丁度現場の真横に居たらしく、私が駆けつけた時には倒れたSさんを抱え、服に血を付けたままどうすればいいかわからず怯えていた。こんなショッキングな出来事があってから、私はこれまで支えて来てくれた彼女に対して、今度は自分が心のケアをしてあげる番だと思った。同時に彼女とプロジェクト完了の為にどうすれば良いか相談し、時には休日返上で共に働いた。その後仕事も落ち着いた頃にはお互いに尊敬し合うようになり、パートナー以上として意識するようになった。その時から急激に惹かれるようになった。“寝ても覚めても"状態に入った。彼女を恋愛対象として見ていることに気づくのは早かった。(後から彼女に聞くと彼女もそうだったようだ。正直に書き綴っていると「のろけ」になっているような感じが・・まぁ順番があるからね。)しかし!ある会社帰り、二人が雰囲気良く歩く川辺の小さな公園で、ほのかな告白タイムが訪れた時に、私はとんでも無いことに、彼女に対して「付き合えない」と言い放ったのだ。(今でも彼女からこの事で怒られるけど) モノレールの上から見た、川辺の小さな思い出の公園その時の気持ちを整理すると、家がゴタゴタしていて精神的に新たな恋愛をするような状態ではないという事と、その当時付き合っていた彼女とは、愛がもはや無いにしろ形上は付き合ってた事が要因だった(瞬間的にでも二股になってしまうのはどうしても嫌だった)。ところが、その直後、彼女の言葉によって私は電撃に打たれたのだった。確かに背筋にビリビリッと電気が走った。彼女「それでも待つ」 私「えっ?何を?」 彼女「付き合えるのを」 (電撃走る) 私「えっ?でも、もしかしたら3年、いやもっと先かもしれないんだよ?」 彼女「それでもいい。待つ」正直、「もしかして私を試してる?揺さぶり?」「そんなに私が魅力的?いやみてくれ良くないし」「財産?いやそんなの無い」etc瞬時に頭の中で、これまでのつたない恋愛経験や知識の引き出しをひっくり返してみたが、このような返事が返ってくるパターンは無かった。びっくりした。泣いた。嬉しいのか、悲しいのかわからず泣いた。「付き合えない」とついさっき口にした自分がとてつもなく愚かしく感じたのと、何だかわからない生暖かい空気に巻き込まれてしばらく呆然としてしまった。そして3度聞き返した後で、彼女がこれまでの事や現状、全てを慮った上でこの言葉を口にした事がわかった瞬間、心の底から救われた気がした。人生最大の喜びが沸き起こり、目の前の奇跡に感謝して空を見上げた。モノレールがガタンガタンとうるさく響いて祝福してくれた。それから間もなくして、私はケジメをつける為に前の彼女とお別れをした。そして中国人の彼女とお付き合いがようやくスタートした。付き合う前には二人で色々と真剣に相談した。言葉の問題、国際結婚の難しさ、両方の親の事、文化の違い、そして後悔しないのか・・・。でも、彼女の誠実さ、愛の深さ(こんな表現を使って恥かしいがこれしかない)に国境なんて関係無なった。これらの事は確かにそれぞれ重要で難しいかもしれないが、奇跡の人と巡り会えた事に比べれば些細な事だった。長くなったが、私が中国に対して熱い想いを持つようになったのは間違いなく彼女の影響だ。昨今は日中・中日間の意識があまり良くないようだが、私自身「中国」に対してこのような入り方が出来たことを幸せに思う。そして彼女に感謝したい。ありがとうね。我愛ni!【人生最大の喜びであり奇跡】終わり
2005年02月03日
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