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<きのうから続く>
イタリア人振付師で、世界的な名声を確立した人はあまり思い浮かばない。振付はロシアとカナダの2大潮流のようなものが、これまでのフィギュア界では支配的で、重厚で深みのあるロシア的世界が評価されるか、洒脱で繊細なカナダ的世界が評価されるかは、そのときどきのトレンドによっていた。
カメレンゴの作る世界は、そのどちらとも違う。高橋選手の「道」にはユーモアとペーソスがあるが、ロシア的悲劇ほどは重くない。重くはないが、ヨーロッパ的な深さがある。北ヨーロッパにもない北米にもないその独特な味が、今シーズンは稀有なスケーターを得て、一挙に花開いた感がある。他の有名振付師ほど量産態勢に入っていないから、これだけ個性の違う振付を精密に創作できたのかもしれない。
今季はいわゆる「世界的振付師」の作品が、「レベル取りのための振付」「短所を補い長所を目立たせる、やや表現に偏りのある振付」になってしまっているなか、カメレンゴの振付は、そうした作為的なものをほとんど感じさせない、選手にとっては新たな表現の境地を切り拓く挑戦型でありつつ、かつ滑り込むことでここまで芸術性の高いものに仕上がってくる奥の深いものだ。振付師とスケーター、この2つの才能がうまく合致しなければ、ここまでの完成度は望めない。
つまりカメレンゴは、与えられたチャンスを活かしたのだ。成功する人間のパターンにうまく入った。これで彼の仕事が増えることは、間違いない。仕事が増えれば生活が向上する。実に結構なこと。プロフェッショナルは、そうやって道を切り拓いていかなければならない。成功するかしないかは、巡ってきたチャンスを活かせるか否か、結果のちょっとした違いにかかっている。
そして、もう1つ。忘れてはならないのは、コーチ佐藤有香の評価が高まったということだ。全米選手権の際も、アナウンスでさかんに、アボット選手のコーチ、ユカ・サトウの名前が連呼されていた。ワールドジュニアチャンピオンとワールドチャンピオンの称号を2つもち、プロスケーターとしても活躍しているユカ・サトウ。
彼女もアボット選手を全米2連覇に導くことで、コーチとしての結果を出した。しかも、今季非常に強いライザチェック選手を大差で退けた。この結果のもつ意味もはかり知れない。
大事なオリンピックシーズンにアボット選手が佐藤有香につき、上手く行くのか行かないのか。良いシナリオと悪いシナリオがあったと思う。
まず悪いシナリオ。それは昨シーズンの最後に、アボット選手が調子を落としてしまったことだ。全米選手権までは勢いがあったが、その後の国際大会では結果が出ない。オリンピックシーズンにコーチを替えるのは、得策でない場合が多い。しかも、佐藤有香は実績と経験の豊富なコーチではない。昨シーズンの悪い調子から立て直せず、今季ズルズルっと後退してしまう可能性もあった。
良いシナリオとしては、アボット選手が昨シーズン調子を崩したのは、主に疲労が原因だったということ。試合での4回転は決まらないが、地力がないわけではない。また、アボット選手は非常に基礎のしっかりした選手で、エッジ違反や回転不足になりやすいジャンプといった克服すべき欠点がなかったこと。だから、もっている力をうまくまとめ、かつ佐藤有香のもつ高度なスケーティング技術を間近に見て吸収すれば、さらに高い次元にステップアップできる可能性があったこと。
結果として後者になったと思う。これは新採点システムに移行してから顕著になってきたある特徴--実際に自分が滑ってお手本を示すことのできるコーチについた選手が強くなる傾向がある--の良き一例にもなった。
モロゾフにせよ、オーサーにせよ、自分で滑ってお手本を弟子に見せることができる。以前のコーチはむしろ、もっと精神的な面で選手をコントロールできることのできる人が結果を出してきた。この傾向が変わり始めたことをハッキリ示したのは、荒川選手が、タラソワではなく、実際に滑ってお手本を見せてくれるモロゾフを選んだときだったかもしれない。
モロゾフは、フィギュア全盛期の旧ソ連にあっては特別優れた選手ではなかったが、今現在、ときどきテレビで、怒号を浴びせながら安藤選手や織田選手にステップや腕の表現などのお手本を見せている映像を見ると、
「ニコライ君、君が滑ってくれたまえ」(←急に上から目線)
とショーの出演を依頼したくなるほどに素晴らしい。オーサーのほうは、キム選手とときどきショーで滑っていたが、膝を深く使い、体全体を大きく使った伸びのある滑りなど、ソックリだ。
今季のアボット選手の「あくまでスケート技術に立脚した」表現力の向上にも、プロスケーターとしても現役で活躍している佐藤有香の存在があるように思う。事実、アボット選手は、佐藤有香の滑りを見て、弟子入りを決めたと語っている。
なぜ、今佐藤有香なのか。それにも理由があると思う。
不完全なジャンプを徹底的に減点し、所定の条件を満たしたエレメンツのレベル認定とその出来栄えで勝負が決まる今の採点傾向について、伊藤みどりは昨シーズン「規定(コンパルソリー)への回帰」と表現した。佐藤有香はコンパルソリー時代の選手ではなく、むしろ、ジャンプが決まらなければどうにもならなくなった「ポスト伊藤みどりの時代」の選手なのだが、そうしたなかでも正確で質の高い技術力で世界を制したといっていい。アボット選手の言葉を借りれば、「(現行ルールで)成功するためのすべてをもっているスケーター」なのだ。
ジャンプというのはすぐに跳べなくなってしまうが、基礎のしっかりしたスケーティング技術はそうそう色褪せるものではない。現役時代の佐藤選手は、ルッツ、フリップをなかなかきれいに着氷できなかったが、そのかわりステップワークで会場を沸かせることのできる稀有な存在だった。
伊藤みどり 、 クリスティ・ヤマグチ 、 佐藤有香 の3人の世界女王が競った「チャレンジオブチャンピオンズ」という競技会の動画がある。
画質は悪いが、三人三様の強さがよくでている動画だと思う。まずは「100年に一人出るか出ないかの天才」と解説の佐野稔が絶賛した伊藤みどりのジャンプ。驚異的な高さと飛距離だ。最後にスロー再生が出るが、トリプルアクセルにせよ、セカンドの3回転トゥループにせよ、これだけピタッと降りて、ス~ッと流れる降り方をされれば、ジャッジは絶対にダウングレードなどできない(もちろんこの当時ダウングレードなどという概念はないが)。完璧に回りきって余裕をもって降りてきているから、「ピタッ+ス~ッ」となり、佐野稔の言う「ランディング、つまりは降りた姿勢の完璧さ」が生まれる。
キム・ヨナ選手もダウングレード判定に文句をつける前に、このぐらい完璧に着氷してみせてほしいものだ。多くの場合、「グルン」と回っていってしまったり、「ガッ」と氷のカスが飛び散るキム選手のセカンドの3回転は、Mizumizuにはかなり疑わしく見える。
それにしても、伊藤みどりのジャンプを見ている佐野さんの興奮ぶり・・・「凄いッ!」「うまいッ!」と叫ぶのは、先のロシア大会でのプルシェンコ選手のジャンプを見たときのテンションにそっくり・・・(苦笑)。これだけ長く解説をやっているというのにも驚くが、1994年と2009年に、同じノリで叫んでるというのにも驚いた。進歩・・・もとい、老成せずにこれだけのアツさを保っているところが、佐野稔という人が天才だった証左かもしれない。
今でこそ世界トップで競える男子選手が複数いる日本だが、1970年代に、「スタイルのよさ」がどうしてもモノをいうフィギュア界で世界相手に台にのぼるということは、佐野稔選手とはどれほど並外れた華の持ち主だったのかと思う。佐野選手の次に世界選手権でメダルを獲得した日本人男子選手は本田武史。その登場までには、実に25年もの年月を要したのだから。
そして、クリスティ・ヤマグチ選手。彼女はジャンプの成功率も安定して高く、かつ表現力もある、非常にバランスの取れた選手だ。ことに手の表現が美しい。ひらひらと何かが舞い落ちる様子を片手で表現している部分などは秀逸。
解説の女性アナウンサーは、「ヤマグチ選手は、スケーティングが非常にきれいですねぇ」などと言っているが、それは佐藤有香に対して言う言葉だと思う。同じ競技会で見ているのなら、一目瞭然だと思うのだが。アナウンス担当者が、「わかってないくせに、評判だけ聞きかじって適当なことを言う」のは、今も昔も変わらないらしい。しかも、その佐藤有香に対しては、「ステップは世界トップ。でもジャンプは得意ではない」などとわざわざマイナスのことを言って、佐野稔を憤慨させている。
ステップも見事だが、佐藤有香は「ただ単に滑っている」ところがずば抜けてきれいな選手なのだ。膝の使い方の深さ、柔らかさは他の選手の追随を許さない。Mizumizuもショーを見に行ったことがあるが、佐藤有香はどんなに遠くにいてもわかる。滑っていると氷が柔らかく見える。そして、スタイル自体にはさほど恵まれていないにもかかわらず、滑る姿が非常にエレガントだ。スローにしてみると、エッジ捌きがいかに速くても、まるで氷をいたわるように丁寧にすべての動作をこなしているのがわかる。
それだけではなく、スピンのポジションも正確で、かつスピンから出て行くときの足の位置、身体の使い方が素晴らしい。この動画で一番注目したのはスピンの部分。佐藤選手は柔軟性が飛びぬけているわけではなく、ビールマンスピンを試みて、「腰の骨が折れそうになった」と言っているのを聞いたことがあるが、ポジションを決めてきちんと回り、スムーズにフリーレッグの位置を換え、かつ丁寧に降ろして滑り始めるところまで、一切の無駄な動きがない。これこそまさしく、お手本のような動作だ。
さらに腕を含めた上半身の動き。ヤマグチ選手のような個性はないかもしれないが、腕の動かし方からポーズの作り方まで、スピードのコントロールも含めて、すべて卓越していて、かつまったく嫌味がない。ときに細やか、ときに伸びやかな足の動きと連動しているのもいい。
そして、顎から胸にかけての身体のラインには、流れるような上品さがある。これはフランス人の舞踏批評家が、「日本人の優れたバレリーナに、ほぼ共通して備わっている神秘的な魅力」として挙げている特長なのだが、不思議なことに佐藤選手もその魅力をもっていた。今なら安藤選手に、その魅力を感じる。顎から胸にかけての上半身に流れるような魅力があり、クイッと顎を突き出して腕を下から上に押し上げるようなポーズを取ると、その優美さが際立つ。今季の安藤選手の振付(特にステップの部分)をみると、モロゾフもそのラインの美しさを際立たせるポーズを、さかんに入れているように思う。
<続く>
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