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こちらのエントリーで紹介した絶品ジュレ。さすがにDomaine de Peyremaleのジュレのレシピについて知っている方はいなかったようだが、泡立ちと苦味について寄せられた意見の中で一番多かったのが、「シードルを使っているのでは?」というもの。理由は、以下の2つ。1)発泡性2)甘口と辛口があり、辛口を使えば苦味も出るのでは?個人的にもその意見が一番納得できたので、ちょいと実験・・・辛口のシードルを買い、苺は「コンポート」と言って売られている、ジャムより少しゆるいイタリア製の苺加工食品を買い、とりあえず、お皿でふつーに混ぜてみた。苺のコンポート8に対して、シードル2ぐらいの割合。見た目はあまり似ていなかったのだが、一口食べて、Mizumizu+Mizumizu連れ合い「うん、これだ、これだ」味の傾向は確かに同じだった。ただ、絶品でもなんでもないが・・・(苦笑)苺のフルーツソースとしても、かなりいい。苺ジャム(コンポートと言って売られていたが、ふつうの果物のコンポートではなく、むしろDomaine de Peyremaleのジュレに似て、全体がゆるく、アルコールと混ぜやすい)とは別モノになる。しかも、シードルは栓をあけて置いておくと、炭酸がぬけていくのだが、苦味は逆に強く感じるようになった。Domaine de Peyremaleのジュレの、徐々に強くなった苦味の正体はこれだったのかもしれない。コンポート(ジャム)をぐっと少なくして、シードルを多めに入れ(2対8ぐらいの割合)、空き瓶に入れてフタを閉め、シェイクしてみたら、こんなふうに泡立った。シェイクしている間に、フタがちょっと持ち上がったようになり、開けるときに、「ポンッ!」と音がしたのは、Domaine de Peyremaleを開けたときの感覚に同じ。見た目はちょい悪いが、これはこれでアルコールの強いフルーツソースという感じで味は悪くないのだった。シードル ブリュット(辛口)250ml
2010.07.01
パッサーシュ・デ・パノラマを出たあとは、パレロワイヤル公園方面に南下。「回廊通り」の名の通り、回廊をめぐらした通り。狭い裏通りだが、カフェやレストランは人々で賑わい、活気があった。パリの街は、以前にくらべるとずっとキレイになった。以前はパリのシンボルだった(?)、路上にころがる犬の糞も相当減ったように思う。しかし、清潔になるにつれ、あちこち整備されるにつれ、パリにしかなかったハズの魅力がなくなったと感じるのはMizumizuだけだろうか? 街もそうだが、人も。以前のパリジャンやパリジェンヌはとてもお洒落だったのだ。最初にパリに来たときは冬で、大判の四角いスカーフを個性的に巻いて、端を長く後ろに垂らしているフランス人男性を多く見かけた。別に高そうなスカーフではないのだが、抜群にお洒落に見えた。今パリの道を歩いているフランス人男性は、NYやミラノ、東京の男性と比べて、特にファッショナブルということもない。返って小柄なアジアの青年が、気合を入れた(笑)かわいい格好で歩いているのが目立ったりする。なんだか、発見のない、つまらない街になったなあ、パリ。パリで一番美しいと言われるギャルリー・ヴィヴィエンヌ。エレガントで洒落た店も多い。エッフェル塔グッズが・・・ここにも。こちらにも。注:礼儀正しい日本人のみなさま、お店の写真を撮るときは、必ずお店の方に許可を取りましょうネ。ヴェルレーヌとランボーゆかりのパッサージュ・ショワズールは、今は日中韓の料理屋がひしめく。ラーメンのダシの匂いやニンニクの香りが屋根つき空間の一角に充満している・・・うう~ん、これはフランス人にはかなり耐え難い匂いかも。そのせいかアジア人が多いパッサージュ。かつてここをヴェルレーヌは、「昔の香り漂うパッサージュ」と評し、そこではオレンジや珍しい羊皮紙や手袋を売る店があったと書いている。今はすっかりアジアンなパッサージュ。古ぼけた雰囲気は、「昔の香り漂う」というより、一応修理はしたものの、そのまま寂れてしまった感じといったほうが的確か。吉祥寺のアーケード街のよう(苦笑)。パレロワイヤル公園。去年の冬にも来た場所だが(そのときのエントリーはこちら)、すっかり緑で衣替え。まったく別の場所のよう。並木の端整な刈り込み方に、フランスを感じる。パレロワイヤルから地下鉄に乗って、ジョルジュサンク駅(シャンゼリゼ)へ。ショーウィンドウは季節のマカロン、ミュゲ(すずらん)一色。シャンゼリゼのラデュレは、平日だというのに、マカロンコーナーに大行列が出来ていてビックリ。冬に来たときは、ガラガラだったのに・・・日本人はあまり並んでいない。お客はほとんどが白人。みなどこから来た観光客なのか・・・しかし、それにしてもおそるべし、フランスの老舗店の宣伝力。ここのマカロンがいつの間にか、こんなに大人気になっているとは知らなかった。銀座に上陸したときは、すごい行列だったが、今はだいぶ落ち着いている。パリのシャンゼリゼ店の行列は、一時の銀座店を彷彿させた。もちろんMizumizuもお買い上げ。Mizumizu母はオランジェットも買っていた(あとで少し食べてみたが、値段ほどには感動のないオランジェットだった)。マカロンはやはり、日本で食べるより美味しい。口当たりが、さらにはかなくソフトで、フレーバーの主張は強い。しかし・・・「ミュゲ(すずらん)」のフレーバーは、個人的には好みではない。ローズは好きなのだけど・・・ ローズのほうが自然な香りに感じるのは、ただ単に慣れの問題なのか?
2010.06.25
エッフェル塔に登るとパリの街は魅力的に見えない。なぜならエッフェル塔が見えないから――という人がいる。そんな意見に同意する人にお奨めなのが、セーヌ川の観光船バトー・ムッシュ。なんのことはない。エッフェル塔とシテ島の間を往復するだけだが、所要1時間15分と、時間も手ごろで(食事つきのコースだともっと時間を取られる)、1人5ユーロと値段もお手ごろ。大きな船なので、予約なしに行っても問題なく乗れる。パリには15回ぐらい来ているMizumizuだが、いつも美術館やら有名レストランやらに時間を取られ、乗ったのは今回が初めてだった。さほど期待していなかったのだが、案外よかった。とくにエッフェル塔がいろいろな角度からバッチリ見えるのが素晴らしい。船着場は地下鉄駅Alma Marceau(3号線)からすぐで、個人でも簡単に行ける。船着場でお土産店に入ったら、メイドインチャイナの香り高いお土産物がゴロゴロ。そして、船に乗ると今度はお客の90%近くが中国人。昔、日本人が海外に行くと、お土産がほとんどメイドインジャパンだった・・・というような話があったようだが、今はそれが中国になっている。白人の観光客はあまりデジカメを持っていないのだが、中国人はほぼ全員携帯していて、バンバン撮っている。そして、一般の女性がモデルのように身体をひねってポーズを取って写真におさまるのも共通している。日本人はみな「ピース」だが、あれが中国では「モデルポーズ」になるみたいだ。前に座っていた痩せたチョン・テセみたいな青年と長い髪をきれいに巻いてお洒落をした中国美人のカップルに、写真を撮ってくれと言われてシャッターを押した(ちゃんと撮れていたかしらん?)。「中国のどこから来たんですか?」と英語で聞いたら、「○▲◎▽■~」と聞いたこともない中国の地名。漢字で書いてもらえばもしかして見当ぐらいはつくのかもしれないが、音だけでは全然わからない。首をひねると、「北京の北で、ナンタラナンタラ」と、うまいとはいえない英語で熱心に説明してくれた。こういうとき、中国人の男の子はとても積極的で外交的だ。日本人の男の子の内向的で自信なげな態度とは対照的。「パリは初めて?」とか「気に入った?」などと、話が少し盛り上がった。 エッフェル塔が見えてきた。アイスランド火山噴火の影響で空港が長い間閉鎖され、ようやくフライトが再開された当日だったせいか、飛行機がすごい勢いで飛んでいく。遮るもののない快晴の空を切り裂く飛行機雲が、あちらにもこちらにも。こんなパリの空を見たのは初めて。エッフェル塔だけではなく、もちろんアンヴァリッドやグランパレ、ルーブル(上の写真左)や、コンシェルジェリーやノートルダム(下の写真)などが次々見られるのだが・・・セーヌ河岸から遠かったり、建物の周囲の塀が邪魔をしたりして、案外よく見えない。そこへいくと、セーヌ川ぎりぎりに建てられたエッフェル塔の眺めは迫力がある。ちょうど間近で仰ぎ見るようになるので、高さと建造物としての力強さが強調される。そして、船の動きにあわせて、あっという間に遠ざかる。風景の一部に溶け込んだエッフェル塔もいい。最後はちょっと飽きたのだが、思った以上に楽しい気分になって船を降り、地下鉄で1本のGrands Boulevardsに行き、パッサージュ・パノラマ(下の写真)に入り、ここの一角にあるパッサージュ53で、ランチを取って大満足した。パッサージュ・パノラマも賑やかで、歩いて楽しいアーケードだった。この午前中バトー・ムッシュ→ランチパッサージュ53というコースは、ルートも簡単なので、お奨め。ランチのあとはギャルリー・ヴィヴィエンヌやランボーやヴェルレーヌゆかりのルメール書店のあるパッサージュ・ショワズールを見てパレロワイヤルへ南下し、そこからシャンゼリゼへ出たのだった。
2010.06.24
今回パリで泊まったのは、リヨン駅至近のホリデイ・イン パリ バスティーユ。これがなんとなんと、かなり良質のアタリホテルだったのだ。なんのことはない中級ホテルだが、フランスの最高級ホテルは、ホテルの格に見合わない一部の素人っぽいスタッフが高級感を見事にブチ壊すので、それがない分、値段にも納得できる。個人旅行者のニーズをいろいろな面で満たしている。最大のメリットは、値段がリーズナブルなこと。リヨン駅はパリの中心ではないし、南仏に行く旅行者以外にはメリットがないと考えられがちのせいか、値段がかなり良心的だった。フロントはビジネスライクで、ポーターもいないのは、返ってチップの心配がいらず、日本人には気楽だと思う。ホテルは広くもないし、エレベータにのって、指定の階でおり、まっすぐな廊下を歩いて番号を見ながら部屋に行くだけだから、ポーターなんていらない。部屋の内装はこぎれい(改装してそれほど時間がたっていないよう)で、バスルームも清潔で設備も新しく、したがって使いやすい。テレビは壁かけなので場所を取らず、机が広く使える。机が広いのが個人的には一番嬉しかった。早期予約をすれば、予約変更ができないという条件付きだが、安いプランもある(しかし、今回のアイルランド火山爆発のようなことがあったらどうなるんだろう? 予約したとたん「予約変更不可」の条件で決済されてしまい、それはデポジットではないので、天変地異でどうしても行けなくなったらすべてパーかも?)。ちなみに2010年4月の料金は1)2人1部屋(ツイン)で、129ユーロ(朝食なし)2)2人1部屋(ツイン)で151ユーロ(朝食付き)の2種類だった。宿泊時期が違うと部屋代も違うので、朝食が22ユーロということではない。部屋でコンピュータは使わなかったが、フロントに2台、宿泊客なら無料で使えるパソコンがあり、プリンターもついていて、印刷も無料で可。ただし・・・ フランスのキーボードって、アルファベット配置が日本のものと違う。これは知らなかった。細かいことだが、ブラインドタッチが当たり前の人間には、しょっちゅう打ち間違いをしてしまうので、イライラ・・・リヨン駅というのは、実はパリの中心から地下鉄で戻ってくるのにも便利だったのだ。パリの地下鉄で面倒なのは「乗り換え」。乗り換え駅でえらく歩かされることが多い。階段も多く、一駅分歩いているんでは? というような乗り換え駅も・・・ そこに行くと、シャンゼリゼ通りまで1本で行けるリヨン駅は、距離のわりには地下鉄での移動が疲れない。ターミナル駅周辺は猥雑で治安の悪そうな場所が多いのだが、リヨン通りにはそうした雰囲気があまりない。これはリヨン駅からホテルのあるリヨン通りを見たところ。道の奥にはバスティーユ広場の塔が見える。こちらは逆にリヨン通りからリヨン駅を見たところ。リヨン駅のシンボル、時計塔が美しい。リヨン通りの建物も瀟洒な雰囲気。ドゴール空港から来るバスはこのリヨン通りを通って、駅前で左折した先にあるバス停に着く(つまりホテルに行くには、バス停を降りて、進行方向とは逆に戻ることになる)。ドゴール空港に行くときも同じバス停から乗るので便利。バスは30分おきと、オペラ座から空港へ行くバスほど頻繁ではなく、値段も割高なのが玉にキズか・・・だが、バス停からホテルまでは、ほぼ歩道がバリアフリーになっているので、荷物を引きずって歩く旅行者には有難い。個人旅行者にとって大敵なのが、「段差」と「石畳」なので。大きな荷物をもって、階段の多い地下鉄で移動するのは、特に女性は避けたほうがいい。そして、朝食も(バイキングだが)かなり普通に美味しかったのだ。「普通に美味しい」朝食を出してくれるところがフランスではえらく少ない。スクランブルエッグがちゃんと黄身の色をしていることにちょい感激するMizumizu+Mizumizu母。南仏の観光ホテルのバイキングでは、スクランブルエッグは白身ばかりで黄身ちょっぴり・・・というような色をしていたのだ。お菓子に卵黄をたくさん使うので、その残りの卵白を朝食に回した・・・という感じ。生野菜に緑色と赤色があり、そこにかけるのが日本にも馴染みのあるフレンチドレッシング味というのも、妙に有難かった(笑)。どうもヨーロッパを旅行していると野菜不足になる。朝食レストランも日本人好み。モダンでお洒落だが寒々しく居心地の悪い空間ではなく、すっきりしていて清潔。テーブルの間も歩きやすい。クラシカルでもデコラティブでもないが、これで十分でしょう。パリの中心に泊まってしまうと、ボトルの水を買うのにも苦労するが、ここはホテルの数軒先に中国人がやっている小さな食料品店があるので、すぐに水やちょっとした食料が買える。もちろんリヨン駅構内の売店で買うより安い。というわけで、実は今回のフランス旅行で一番気に入ったホテルがこのホリデイ・イン パリ バスティーユ。コートダジュールの高級ホテルは、もちろん思い出作りに1度ぐらい泊まるのはいいが、さりとてリピートしたいというほどのクオリティはない。ホリデイ・イン パリ バスティーユなら、パリの常宿にしてもいいくらいだ。しかし・・・ こんなチェーン店が常宿にしてもいいホテルとは・・・フランスのサービス業が、いかにお寒いかということだ。2011年8月の追記:ここのデラックスルームとスタンダードルームに宿泊された読者の方から情報をいただきました。デラックスルームは、部屋は広く、コーヒーメーカーやクッキーがあるものの、屋根裏部屋のように天井が傾斜していて、何度か頭をぶつけそうになったとのこと。また、7階で廊下が狭く、廊下の壁もほかの階のようにきれいではなかったそういです。スタンダードルームはコーヒーメーカーもお菓子もないけれど、天井が高く内装もきれいで、十分に快適だったそう。朝食もおいしかったとのことです。常宿にしてもいいと思われたとか。M.Mさん貴重な情報をありがとうございました。
2010.06.23
パリのリヨン駅構内にあるレストラン「ル・トラン・ブルー」。絢爛豪華な内装で有名で、映画『ニキータ』や『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』 にも出てくる。「内装は一見の価値ありだが、料理はマズい」が日本での固定評。それでも今回は南仏からパリに戻ってきた夜、ディナーを食べに行ってみた。予約しなくても余裕で入れる。席はいったいいくつあるのか・・・ とにかく広い。お客さんはほとんど外国人観光客で、めかしこんだ人が多い。テーブルとテーブルの距離がやたら狭く、とにかくどんどん客を詰め込むぞという意思を明確に示している。ガラスの向こうはホーム。南仏行きのTGVはここから出る。隣りに座っていたのは、ドイツ人の見るからに上流階級の家族。ここだけ急にヴィスコンティの『ベニスに死す』の時代になったようで、デジカメをパチパチやるのは非常にはばかられた。なので、こっそり写す・・・ といっても隣りのドイツ上流夫人とは目があってしまい、ニッコリとご挨拶。どうせだから話しかければよかったかな・・・ 日本人がドイツ語を話すと、案外めずらしがられて話が弾むのだが(話が弾みだすと困る・・・ ドイツ語はかなり忘れているので・笑)。連れているローティーンのお嬢様は2人は超ウルトラ美形で、なんとまあモノを食うというのに、薄手で大判のスカーフを胸のところにきれいにドレープをつけて巻いている。スンゲー、お洒落・・・ よっぽど綺麗に食べる自信がなくては無理だ。おまけにドイツ上流夫人もその旦那さんも、ウエイター相手には、ちゃんとフランス語を話している。と、通路のほうを見ると、これまたモダンなドレスに身を包んだスタイル抜群の黒人女性がさっそうと(たぶんトイレに)歩いていった。南仏はバカンス客が多かったので、ミシュランの星つきレストランといえど、案外カジュアルな服装の人が多かったのだが、さすが花の都・パリ。ここまで気合を入れてめかしこんだおのぼりさんが集結するレストランがあるとは・・・しかし、天井の装飾のゴテゴテぶりは、聞きしに勝る。フレスコ画もギリシア神話の女神みたいなモチーフから、旅情を誘う(?)南仏の海から、本当にごちゃごちゃのめちゃくちゃ・・・ 壁も天井も柱も装飾しつくされている。空白が怖いんですかね? ここまで来ると一種の神経症だ。とは言え、思ったより装飾品は埃っぽく、壁の絵は色もくすんで、レストランの大空間は暗かった。ウェブサイトでは、キンキラ金のイメージなのに、案外ゴールド感がないのだ。イメージ写真とずいぶん違う。バリ島のホテル並みだ。これじゃ一種のダマシでは?しかし、なんざんしょ、このド派手なシャンデリアは・・・ 隅々まで行き届いた貴族風成金趣味に呆れてしまった。料理は期待しないほうがいいと言われていたので、ハズレの少なそうなものを頼むことに。まずは、イタリアンなら何とか食べられるであろうMizumizu母のためにフェットチーネ。テーブルの上に置かれたとたんに食欲減退。これまでに見た幾多のパスタ料理の盛り付けの中でも栄えあるワーストワンを進呈したい。Mizumizu母は、一口食べて顔をしかめる。「味がない」パリのパスタ料理は味をつけないのか?? 塩をかけたら、多少味がついた(塩の)。しかも、驚いたことに、このフェットチーネはちゃんと手打ち(つまり自家製)のようなのだ。自家製パスタでここまでマズイものを作れるとは・・・ さすがフランス人、芸術的です。同じくハズレが少ないであろう、ホワイトアスパラを頼んだMizumizuだったのだが・・・これまた運ばれてきたとたん、「失敗」の二文字が目の前に浮かんだ。茹ですぎなのか、単に古いのか、アスパラに張りがなく、色も悪い。さらにマヨネーズ風ソースが最悪。「味がない」またも、塩をかけて塩味で食べるMizumizu。これならキューピーマヨネーズのほうが断然ウマイわ。ちゃんと自家製で作ってるフレッシュなマヨネーズに見えるのだが、ここまでボンヤリした味って、シェフは味覚異常なのか?これまた生涯最悪のホワイトアスパラの称号を進呈。東京のツム・アインホルンのホワイトアスパラは、これに比べるとなんと美味しいことか。ソースの深く上品な味わいは職人技だ。隣のドイツ上流家族もホワイトアスパラを食べていた。これじゃ、ドイツで食べたほうがマシなんじゃ・・・?もうこれ以上、ここの料理は口に入れたくないので、「もう終わり? カフェは?」と、なんとか飲み物をオーダーさせようとするギャルソンを押し切って、支払いを終え、さっさと退場した。しかし、不思議なことに、ウエイターの態度は悪くなかったのだ。これだけ食べただけで、カードで回ってきた請求額は6,600円。たけーよ。「値段は高めなのでコースがオトク」などと宣伝しているサイトも多いが、パスタとアスパラでここまで芸術的にマズイんじゃ、コースにしたらどうなるのか想像もしたくない。バーがあるので、コーヒー一杯にしておいたほうが無難です。バーといっても、広いレストラン内のわりあい中央にカウンターテーブルがあってそこで飲むので、内装は十分に堪能できるはず。しかし、ご自慢の内装も・・・ もうちょっと掃除したらどうなんだろう。ここまでゴテゴテじゃ、埃を払うのも難しいのか。お客に日本人がいないのも頷ける。こういうおのぼりさん相手で高いばかりの店をありがたがる時代は日本では終わっている。客にドイツ人・アメリカ人が多いというのも・・・この味じゃさもありなん。『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』 では、ここでMr.ビーンが口に入れた生牡蠣を吐き出したりする、見ようによっては相当に失礼な場面がある。魚介が苦手なのに、フランス語がよくわからず頼んでしまい困ったので、食べるふりをしてこっそり口から出して捨てている・・・ というふうに映画を見たときは解釈したのだが、もしかしてアレ、このレストランの料理が食えんほどマズいってことを暗に皮肉ったのか? レストランの外に出たときは、そんな気さえしてきたのだった。[枚数限定]Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!/ローワン・アトキンソン[DVD]【返品種別A】 【中古】DVD ニキータ/アクション
2010.06.21
<きのうから続く>ヴィルフランシュのサン・ピエール礼拝堂壁画のなかで、Mizumizuがことに心惹かれるのは、この天使だ。天空を自由奔放に駆け回る天使たちの多くには目も鼻も口もないが、地上でつんとポーズを取るこの立像の天使は、冷めた視線を横たわる聖人に向けている。この表情を見て、直感的に思い出したのが、ジャン・コクトーの詩の一節。「君なんて死んでも平気、僕は自分が生きたいよ」こんな不実を詩人に言うのも、彼の天使(=詩神)なのだ。「彼(=詩人)」が「彼(=詩神)」から遠ざかろうとするや、引き戻しにかかり、すぐに突き放し、彼を深い夜の静寂(しじま)に落としこめる残酷な天使。その無垢な残酷性を絵で表現すれば、こんなふうになるのだろう。さらに、このヴィルフランシュの残酷な天使に極めて似た人物像が、コクトーの過去のドローイングの中にある。それは、1949年にジャン・ジュネの『ブレストの乱暴者』の挿絵のために描いた水兵の習作のうちの1枚。コクトー先生、お尻がリアルにエロすぎます。その頭部のアップがこちら。横顔の輪郭の描き方はそっくりだし、身体のポーズにも連動性がある。ほぼ、お尻の向きを逆にし、腕の位置を変えただけだと言える。上半身を覆うタンクトップがなくなり、かわりにむき出しの臀部が布で覆われる。そこにマサカリのような翼が追加される。こうして水兵から天使へのメタモルフォーゼが行われたのだ。同じモデルを使った水兵のドローイングで、ヴィルフランシュの残酷な天使と目玉の描き方がそっくりなものもある。ヴィルフランシュの残酷な天使は、横顔の輪郭は上の作品、目の描き方は下の作品というように、2枚のドローイングを合成させたものだ。俗世そのものである帽子や髪の毛は水兵が天使へと昇華する時点で消滅している。コクトーは『ブレストの乱暴者』の挿絵にかこつけて、あられもない姿の水兵のドローイングを多く描いている。あえて「かこつけて」と書くのは、過激でエロチックなこうしたドローイングの多くを、コクトー自身は世に出すつもりは毛頭なく、死後になって「発見」されたものであること、それに、もともと水兵というのはコクトーにとって、極めて性的な存在であったことが、『白書』を読むと明らかだからだ。『白書』に登場するのは、南仏の港町ツーロンの水兵。彼らは「秋波には微笑で答え、愛の申し出を決して拒まない」魅惑のソドムの住人だ。「君なんて死んでも平気、僕は自分が生きたいよ」こんなことを平気で言って詩人を苦しめる残酷な天使は、同時に、詩人を性的に誘惑する恋の相手でもある。横たわる聖人をシニカルな横目で見やっている天使の原型が、描き手にとって極めてセクシャルな存在であった若き水兵だったとしても不思議はない。そして詩神(ミューズ)とは、表現芸術への渇望の象徴でもある。それは、特定の人間にとっては、宿命でもあり、やむにやまれぬ行為だ。詩神の虜にならなくてすむ者、詩神の誘惑から逃れていられる者は幸いかもしれない。天使とともに描く壮大な浪漫はなくても、深い闇に何度も落とされる精神的危機もない。
2010.06.18
ジャン・コクトーは「天使」のイメージについて、以下のように述べている。「天使は人間性と非人間性のちょうど真中に位置している。それは潜水夫の力強い動作と、千の野鳩のすさまじい羽音に似て、見える世界から見えない世界に飛んでいく、輝かしい、可愛らしい、力強く、若々しい動物だ」「天使にとっては、死は不可解である。彼は生きている者を圧し殺す。そして、魂を平気で奪い取る。彼には拳闘家と帆前船の性分があるに違いない、と僕は想像する」「僕達はここで、合掌し、金と百合の翼を持ち、星を戴いた、砂糖製の両性神(エルマフロディット)からは遠く離れている。<鷲のように天から飛びかかってくる>猛々しい天使、ドラクロアの描いた天使、翼を規則正しく描かなかったために教会から罰せられたグレコの天使たちを見たまえ。僕達は皆、天使たちの墜落や、その子孫である巨人たちの誕生、またリュシフェルの罪などに関する、すべての聖書に欠けているページ、完全なキリスト教神話にノスタルジーを感じる。……無私無欲、エゴイズム、やさしい憐憫、残酷、交際嫌い、放蕩のなかの純真、地上の快楽にたいする激しい好みと、それにたいする侮辱の混合、無邪気な背徳。諸君、間違えてはいけない、これらにこそ僕達が天使性といっているものの印がある」(職業の秘密)」詩人はここで自身の描く天使の身体的イメージと精神性について書いているのだが、コクトーにとっての天使は、シュガーメイドの両性具有的な存在ではない。天使たちはどこまでも強靭で雄々しい男性的な肉体をもっている。そして、人間性と非人間性の中間に位置するがゆえに、「死」を理解せず、結果無邪気に人間の魂を奪い去ってしまう。無私でありながらエゴイスティックで、やさしくも残酷で、孤独でありながらも放蕩児・・・・・・そうした分解不可能な純粋精神、「無邪気な背徳」のなかにコクトーは天使性を見ている。こうした「ジャン・コクトーの天使性」を線と色で表現したのが、ヴィルフランシュにあるサン・ピエール礼拝堂壁画だ。これは、サン・ピエール礼拝堂で売られている絵葉書をスキャンしたもの。現地は内部撮影は禁止。壁面を飛び回る天使は、たくましい四肢をもった成熟した青年の肉体をしている。右側の天使たちは、高速で天空を自由に移動している雰囲気が実によく出ている。「鳥獣戯画」の国の人間から見ると、西洋画家の描く「線」には、無機的な印象を受けることが多いが、コクトーの「線」には、のびのびとした生気がある。あたかも、一気呵成に仕上げたように見えるが、実際には1つのイメージを作るのに、下絵を100枚近く描いては捨てることもあったという。だが、コクトーの「線」はどこまでも自由で、そうした努力をほとんど観る者に気づかせない。衣の襞や、とげだらけのサボテンの乾いた質感、草のしなる風情など、よく描けている。ヴィルフランシュの風俗を取り入れつつ、人物像の目が魚の形になっているなど、マンガチックともいえる発想の面白さも光る。この人物像は、漁師が使う網を衣のように羽織っているのだが、背中を出したその網のはだけ方がなまめかしい。耳飾りをつけているというのも、奇妙なほど今風にセクシーだ。 横たわる髭の人物像(聖ペトロ、つまりはサン・ピエール)を基点にして、天使たちの翼が渦巻きを構成するように配置されいてる。色彩を極力抑えることで、淡い黄色のトーンが生きている。この空中での渦巻き構成は、15世紀の傑作、マルティン・ショーンガウワーの「聖アントニウスの誘惑」(聖アントニウスを邪悪な悪魔が誘惑する図)のアンチテーゼに違いない。しかし、この礼拝堂・・・ご覧のように、ホテル・ウェルカムとは文字通り目と鼻の先の距離にある。ところが、開館時間をホテルのフロントに聞いたところ、「季節によって違う。ドアのところに張り出してあるから見て」と言われたのだ。「普通は10時からなの? 昼休みは2時間?」と聞くと、微妙な表情でなにやら曖昧なことを言っている。こんなに近くの、しかもコクトー壁画の観光スポットの開館時間をコクトーゆかりのホテルが知らないなんてワケはないはずだ。また、何かあるんじゃ・・・そして、それは現場に行って初めて明かされるんじゃ・・・フランス人お得意の「ギリギリまで教えない、こちらにとっては不利な現状」があるのでは、と思って礼拝堂に行ったら、案の定だった。10時から開館にはなっていたのだが、なんとなんと!中がモロに修復中だったのだ!!しかも一部修復なんてもんじゃない。足場が礼拝堂内部のほぼ全体にわたって組まれ、はっきり言ってほとんど見えない状態。「雨漏りが原因」とかなんとか、受付のおばさんが言っていた。これで、2.5ユーロ取って見せるか? 閉めて修復に集中して、それがちゃんと完了してから開館すべきレベルだ。しかも、「修復には、XXXXユーロかかるので寄付を」と、入場料を払った上に、ほとんど壁画を見られないハメに陥る観光客にさらにタカろうとしている!これでホテルのフロントの曖昧な態度も合点がいった。「修復中です」その一言を言いたくないのだ。もちろん彼らは知っている。ほとんど見られない状態であることも。だが、事前にそれを知らせて、文句を言われたくないのだ。こういうことはフランスではしばしば起こる。行ってみたら美術館が開いていない。修復のために閉館という情報が、ホームページをみてもすぐにわからないことが多い。どこかに書いてあるのかもしれないが、それがすぐわかる場所にはない。行ってみて初めて知るということになる。頭にきたので、足場の裏に回って、なんとか見ようとすると、さっそく受付のおばさんが、「そっちはダメ」というようなことをフランス語で注意してきた。「わかんないわよ!」と英語で怒鳴ると、うるさい客の相手はしたくないとばかりに下を向いてしまった。さすがのフランス人も、多少は後ろめたく思っているようだ。あのさ~、ジャン・コクトーの壁画は、フランスのれっきとした文化遺産だと思うよ。これを見るために、はるか東洋の小島から観光客がやってくるのだ。それほど集客力のある文化財の修復ぐらい予算を回しなさいよ。3人子供を産めば働かなくてもいいぐらいの手当てを出すなど、愚民量産政策にバラまく予算があるんなら、貴重な文化財の修復にお金を回すべきだろう。寄付に頼るというのは、アメリカ式のやり方だが、アメリカとフランスでは「文化事業への寄付」に対する土壌が違う。まったく・・・アメリカが嫌いなくせに、都合のいいところだけはちゃっかりマネしている。フランス(イタリアもそうだが)は、かつては美術館の入館料も安く、文化大国の余裕を感じたものだが、今は文化財は徹底的に観光ビジネスに利用し、観光客からは遠慮なくできるかぎりぶったくるシステムになっている。寄付を募っているということは、修復予算のメドが立っていないということかもしれない。ということは、このひどい状態のまま、のんべんだらりと中途半端に修復しつつ公開を続けるのかもしれない。なんて気の毒なジャン・コクトー!コクトーはフランスを偉大な国にした文化人に対する自国民の薄情さを、常に批判してきたが、まさに的を射ている。この礼拝堂は、ヴィルフランシュの漁民に捧げたもので、「コクトーの誕生日には、ここで礼拝を行う」などと美談ばかり流布されているが、実はコクトーは、ジャン・マレーへの手紙で、地元民に対する不満をぶちまけている。コクトーがサン・ピエール礼拝堂の壁画装飾を仕上げたのは1956年のことだが、その翌年の手紙。1957年8月14日 ふたたび梯子に登ってみたものの、自分の仕事が本当にやるだけの価値があるかどうか、不安の頂点にいます。(中略)こうした悩みをますます強めているのが、ヴィルフランシュの漁師たちからこうむった悲しみと失望です。彼らはぼくが贈ったチャペルで豊かになった(入場者2万5000人)というのに、ぼくのことをまるで最悪の敵のように扱います。ぼくにはわけがわからない。ぼくが自由に人を連れて入れないよう、ドアに南京錠をかけることまでするのです。(「ジャン・マレーへの手紙」より)この敵対的態度の裏には、どうやら礼拝堂装飾に借り出された職人に対する賃金不払いのトラブルがあったようで、誰が最終的に報酬を支払うのかをきちんと関係者と取り決めないまま、コクトーが仕事を進めたのがことの発端かもしれない。だが、詩人にとっては、この不払いトラブルは、「誰もかれも、ぼくの贈り物をタダで手に入れようとしている」状況に他ならなかった。自分が精魂かたむけて完成させた壁画で現地の人々が潤ったにもかかわらず、こうした態度を取られたことで、コクトーは制作意欲を削がれてウツになったのだ。「自分の仕事が本当にやるだけの価値があるかどうか、不安の頂点にいる」というのは、そんなコクトーの精神状態を端的に表している(そして、泣きつく先はジャン・マレー)。<明日に続く>
2010.06.17
【中古】DVD アジアンタムブルー「アジアンタムブルー」という映画がある。「イケメン+不治の病+南仏」3点セットの典型的な若い女の子向けメロドラマだが、この作品中にヴィルフランシュのホテル・ウェルカムとサンピエール礼拝堂、それに海辺の遊歩道が出てくる。山崎隆二(阿部寛)が最初に仕事で南仏を訪れたときに、ホテルのベランダで物思いに沈むシーンがあるのだが、そこがホテル・ウェルカムのベランダ。そして、ヒロインの続木葉子(松下奈緒)が山崎と南仏を訪れ、サンピエール礼拝堂のコクトーの壁画を見たあと、海辺の道を歩くシーンもヴィルフランシュだ。そこで葉子が、ジャン・コクトーとラディゲ、それにジャン・マレー(名前は挙げずに、「美女と野獣」に出ていた人、と言ってるが)の話をする。ホテル・ウェルカムのベランダからの港の景色は、臨場感に溢れている。ニースのプロムナードデサングレよりずっと、海の響きを間近に感じることができる。時間によって変化するのもいい。とりわけ黄昏のころが素晴らしい。山は光の首飾りをまとい、港にも煌きがともる。夜もロマンチックだ。ヴィルフランシュは治安がいいのか、真夜中近くになっても、海の見えるホテルのバーで人々がくつろぎ、遊歩道をそぞろ歩いていた。小さな村なので、都会のようないかがわしさもない。海を背に路地を入るとすぐに坂になっている、ここがヴィルフランシュの旧市街。中世の面影が残り、明るく開けた海の情景とは対照的な暗く狭い空間の連鎖となる。そのコントラストがいい。「オルフェの遺言」のロケにも使われた旧市街のオブスキュール通り(Rue Obscure)。ここには昼もなく、夜もない。この路は、日本で言えば、黄泉の国へ向かう「黄泉比良坂(よもつひらさか)」だ。生と死が隣り合っているように、光と影が切り離せないように、オブスキュール通りは、きらきらした海のすぐ近く、人々の生活が行き交う旧市街の一角に、ひそやかに、だが確固として存在している。港で思索にふける銅像のジャン・コクトー。活発さと陰鬱さが隣り合う、ヴィルフランシュは確かに、詩人を魅了するに足るポエティックかつフォトジェニックな町。山と落ち着いたパステルカラーの町並みは、どこかイタリア的な明るさがある。チンクテ・テッレもこんな町だったっけ。街灯の配置が、リズミカルに調和する瞬間。朝の風景。逆光の中に浮かび上がった3艘の舟は、海に浮かんだオブジェ。泳げそうな海岸も少し。波のくだける音は、むしろ思索を誘うのだが。ヴィルフランシュは鉄道駅のホームからも、潮騒のざわめきに心を浸すことができる。
2010.06.14
ヴィルフランシュにあるホテル・ウェルカムは、ジャン・コクトーの常宿として有名。位置関係は、このヴィルフランシュの地図で左上の印がバス停(ニースとマントンの間)、海沿いにホテルがあり、右端が鉄道駅。ホテルの全景。ジャン・コクトーは向かって左端にある22号室と23号室を常宿にしていた。予約時に「ジャン・コクトーの大ファンなので」と押しまくり、23号室を手配してくれるように頼んだ(22号室のほうが広いので高くなる)。フランスという国は、とにかく最後の最後までハッキリしたことを言わない。ホテルの部屋指定さえ。「押さえるように全力を尽くす」とメールで返事が来た。希望がないならその時点で押さえて、あとからリクエストがきても先約ありで断ればいいことなのに・・・ 部屋指定でここまでもったいぶる理由がわからない。わからないが、たぶん、何かの手配ミスでダブルブッキングなどしてしまった場合に備えて、そういう言い方をしているのではないかと思う。とまれ・・・ホテルに着いて、再度確認すると、無事23号室が手配されていた。ホテルのエントランスには、ホテルゆかりの文化人・著名人の名前を浮き彫りにしたオブジェが立っている。コクトーの名前のすぐうえに、オスカー・ワイルドの名があるのは・・・(苦笑)。入り口にはジャン・コクトー風のモザイクタイル。フランシーヌとデルミットと一緒に写ったコクトー晩年の写真。こちらはピカソとコクトー。ホテルが唯一所有しているという、コクトーのオリジナルドローイング。他はすべて複製の類いということだ。バーのこの照明もコクトー作品の模写。エレベーターの絵は、近くのサンピエール礼拝堂のコクトーの壁画を模写したもの。エレベーターの扉の絵柄は各階、全部違っている。闘牛士とか・・・竪琴と一緒に描かれているので、これはオルフェ? ちょい、情けない・・・ここまで徹底的にパクって、権利関係はどうなっているんだろう? いくらコクトーが常宿にしていたホテルとはいえ、ここまでやっていいんだろうか??23号室は、レモンイエローで統一された清々しい空間だった。内装はずいぶんと新しい。リニューアルしたばかりではないだろうか。渦巻き型のギボシに、コクトーの筆跡を真似た文字、それにコクトーのポスター。大きな窓を開けると、すぐそばに海。一瞬、潮騒のさざめきが聞こえ、すぐにそれは、目の前の車道を走るクルマのエンジン音にかき消された。ベッドは大きい。というか、部屋が狭い。ベッドサイドの照明は、コクトーのマークの星形。本当に、徹底的にコクトー風のインテリアにしている。ホテルの説明書きの紙の扉も、ホテル所蔵のコクトーのオリジナルドローイングのコピー。ジャン・コクトーには「公式」の部屋と「非公式」の部屋があった。狭い23号室が「非公式」の部屋で、実際にはこちらに宿泊。広い「公式」の部屋22号室は、警察の手入れがあったときのためのもの。つまり・・・23号室でアヘンを吸い、警察の調査が入るときは、何もない22号室に彼らを迎入れた、というわけ。たまたま22号室も空いているということで、中を見せてくれた。こちらのインテリアは赤で統一されており、「美女と野獣」の写真が飾ってあった。角部屋なので23号室より広く、二方にベランダがある。だが、内装は真新しく、コクトーが泊まっていた時代をイメージすることは不可能だった。ホテルのスタッフは非常に感じがよく、シェーブル・ドールとは雲泥の差だった。あとでわかったのだが、このホテル、アンケートがあって客が従業員の評価をするシステムになっている。以前もリヨンで、妙にウエイターやウエトレスが感じのよいレストランだと思ったら、あとからアンケートが回ってきて、なるほど、と謎が解けたことがある。つまり、感じの悪い態度を取れば、チクられる可能性があるというわけ。こういうシステムのもとだと、フランス人もわりあい感じよく働く。フロントのお兄さんが、コクトーとホテルの逸話を話してくれた。「コクトーは、ラディゲを失って絶望していたんだ。とても彼を愛していたからね。このホテルに来たのは、そんなときだ。ここでは誰もコクトーを知らなくて、彼に構わなかった。それでコクトーは、自由にここでものを書くことができたんだよ」。当時はきっと、もっとずっと質素なホテルだったんだろう。クルマも通らなかっただろうし、バカンス客もこんなにいなかっただろう。それでも、コクトーの部屋からは今も、海の響きに混じって、働く漁師たちの声がすぐ下から聞こえてくる。網を直し、舟を出し、やがて魚を積んで戻ってくる。釣った魚はすぐにその場で売られる。こんなにも海と生活の匂いを近くに感じられるホテルも珍しい。どんどん観光地化の進むコートダジュールではもう、ここぐらいしかないかもしれない。朝食は11ユーロ。海のすぐ近くのホテルのバーで。値段のわりに美味しいといえる。これもコートダジュールでは珍しいかもしれない。
2010.06.12
どうせだからと、テラスレストランLe rempartsでランチをしてからニースに戻ることにした。 ランチにはコースメニューがあるというので、それにしたのだが・・・ 前菜の肉は、切り方がザツでMizumizuを怒らせる。厚かったり、薄かったり、素人の切り方だわ、これ。どんな包丁を使ってるだろう?前菜の魚。これまたカルパッチョなのに、このヘタクソな切り方とベチャッとした並べ方はなんぞや? おまけに生臭い。オリーブオイルで臭みを消して食べないといけない。メインの牛肉。これは赤身の美味しさをバルサミコを使ったソースが引き立てていて、マル。赤ワインは、グラスで頼んだらMinutyというシャトーワインを持ってきてくれた。知らないメーカーだったが、昨晩のワインと打って変わった軽やかでフルーティなワイン。これはこれでメインとよく合い、大満足。肉とワインで、いろいろなマリアージュが楽しめる。この多彩さがフランス料理の魅力だ。しかし、この肉の塊で1人前・・・ 「とても軽いランチ」と言っていたのに・・・メインの魚の品評会も、食べる前から量と盛り付けにウンザリ。付け合わせのポンフリは、到底食べきれず、お持ち帰りにしてもらった(冷えたら、ひどい味になった)。デザートは、生クリームと果物の使い方がどことなくイタリア風。この手のデザートはMizumizuは好み。ただし、特に感激するほどでもない。昨晩のマントンのレモンは衝撃だったのに、えらい違いだ。これまた普通すぎるミニャルディーズ。フランスのガレットって、本来もっと美味しいと思うんだが・・・ エスプレッソも7ユーロも取るわりには、まったく何の感動もなかった。家庭で飲んでるものと変わらない。ハーフボトルのガス入りの水、グラスワイン1杯、エスプレッソ1杯にコース2人前で143.5ユーロ。味のわりには、ハッキリ言って高いと思う。ディナーとは味にえらい落差がある。眺望代と考えるべきだろう。というわけで、ここのランチ、コースはあまりオススメできないが、といってアラカルトなら美味しいかどうか・・・? そして、もうひとつ。シェーブル・ドールはサービスがあまりよくない。全体に素人っぽく、スタッフには、お客をもてなす精神的余裕とフレキシビリティが足りない。決められたことならできるが、それ以上は望めない。夏だけ開くホテルだから、ほとんどが季節労働者(笑)なのか。特にランチのサービスをしたオバさんウエトレスはひどかった。値段のないメニューを2つ持ってきて、フォークとナイフの場所を左右あべこべにし、デザートは置いたとたん、ガタッと倒れてしまった(もちろん、謝りもせず、さっさとばっくれていたが)。フロントのオジさんは、フロントマンよりガードマンが似合うような目つきの悪さ(笑)。こちらが入っていくと、一瞬、ジロッとにらむ(本人は意識してないのかもしれないが)。宿泊客のほうが、先に挨拶するって、おかしくないですか? 別に不親切ということではなく、あまり客あしらいに慣れていない感じなのだ(それでいいのか? フロントだぞ)。早めにチェックインして、部屋つきのベランダで座っていたら、下からバーのボーイに、「そこで何をしてるの?」なとど聞かれた(苦笑)。もちろん普通に、「私たちの部屋に座っているの」と答えたが。宿泊客以外も入ってきてしまうような作りなので、警戒しているのかもしれないし、昨今の中国人・韓国人の度外れた厚かましさを見ると、ある程度無理もないと思わないでもないが、小さなホテルなんだから、不審に思ったのなら、いきなりぶしつけな質問などしなくても、ちょっとフロントに確認すればすむ話だ。ディナーのときは、スタッフの数が余っているせいか、やたらとフロアをウロウロし、こちらを見る。なんとなく居心地が悪く感じて、「監視されてるみたいね~」と日本語でMizumizu母と話していたら、こちらの気分を察したのか、ジロジロ見るのはやめてくれたが。ここまでサービスが素人っぽいミシュラン星つきレストランは、初めて。最高級ホテルなのに、スタッフの質はデニーズ並み・・・ お客が外国人ばかりというのは東南アジアのようだし、スタッフの働き方は旧共産圏の国のよう。ド・ビルパンが、26歳以下の若者を2年以内の雇用なら理由なく解雇できるという法案を通そうとしたのは、労働者のヤル気をもう少し引き出そうとしたのだろう。だが、それも首を切られたくないボンクラな労働者の反対で引っ込めざるをえなくなった。働く人間がもう少し危機感をもって仕事を覚えようとしたら、もっとフランスのサービス業の質はよくなるはずだ。歴史と伝統、それにロケーションと備品は最高なのに、今のフランスはサービス業に携わる労働者が全員それに胡坐をかき、変な権利意識と間違ったプライドを振り回している。さらに、このシェーブル・ドールというホテルは、宿泊予約をしたとたん、1泊分をデボジットとして取ってしまう。レストランの予約をしたら、「予約したのにレストランに来ない場合は、100ユーロ申し受けます」などと注意書きを書いてよこした。いくらなんでも、100ユーロはちょっと酷すぎませんか?予約したとたんに1泊分の料金取るというのは、アメリカの人気ホテルが始めたことではないかと思うが、ヨーロッパの高級ホテルは、ずいぶん長くそんなガツガツしたことはしなかったのだ。だが、今やアメリカ以上に、ガッチリしているフランス。しかも、世界中の高級ホテルが、バトラーサービスのような「おもてなし」で、差別化を図っているというのに、フランスでは、まったくサービスという中身がともなわない。インテリアや食器の豪華さが、ますますフランスのホテルの「高級感」を虚ろなものにしている。
2010.06.11
シェーブル・ドールに泊まる客の目的は、ミシュラン星つきレストランでのディナー。レストラン La che'vre d'Orは三方がガラス張り。暮れ行く海辺の景色を見ながら、美味しい料理が味わえる。まずはグラスのシャンパンがサービスされた。お皿には銀のヤギ。バターは無塩と有塩の2種。アミューズはドデカイ皿に一口サイズの白身魚。トマトソースというのがイタリア風。もしや、またシェフはイタリア人なんだろうか? しかし、例によって少し生臭い。今回フランスで、まったく生臭くない魚を食べさせてくれたのは、Passage 53だけだった。Mizumizu母はたいして気にならないというので、これはあくまで個人的な嗜好なのだろう。今回はなんとかデザートまでたどり着きたかったので、前菜、メインとも1皿を2つに分けてくれるように頼んだ。メインまでシェアと聞いて、若干シブイ顔をするウエトレス。「量が少ないから」と言うのだが、アンタらの「量が少ない」は信用できへん。Mizumizu母はそもそも量を食べられない典型的日本人なのだ。それで、「いいから」と押し切る。前菜は、イタリアン好きのMizumizu母に合わせてニョッキ。星つきレストランで食べるようなものかいな? と思いつつ頼んだのだが、これが大・大・大正解。写真はピンボケのうえ、さっぱり美味しそうに写っていないのだが、これが絶品の極上の味。ふわりとしたとろけそうな口当たりのニョッキに、モリーユ(キノコ)のしっとり&しゃっきりした食感が衝撃的ともいえるコントラストになっている。チーズとハーブのアクセントもケチのつけようがない。ニョッキって、こんな洗練された逸品になるのね。まさしく生涯最高のニョッキだった。いやあ、凄いわ。これならシェアではなく一皿まるまる頼んでもよかった。メインはミルク飼育の子羊。ミルク飼育の子牛には目がないMizumizu(こちらの記事参照)だが、ミルク飼育の子羊は初めて食べる。写真の一皿がシェアしたもの、つまり半人前。実際、これくらいで十分だ。付け合わせはシンプルにアンティチョーク。この子羊も最高だった。柔らかい肉を噛むと、本当にぎゅっとミルクの風味が広がる! 外はこんがり、食べ進むにつれて、骨の近くではゼラチンめいた肉質が楽しめる。いや~、素晴らしいでしょう。ワインはグラスで頼んだ。「ローカルなものを」とリクエストしたら、シャトーヌフ・デュ・パプの赤をもってきた。アビニオンのワインというイメージだが、コートダジュールも含まれるということか。黒葡萄を思わせる深い色合い。ほんの少し花めいた香りがあり、力強い果実の落ち着いた酸味と渋み、そこにほのかに土の香りが混ざる(←これが大事)。うう~ん、これは大好きな味。もしや、ラングドックのワインにも多いグルナッシュ系なのか? と思ってセパージュを聞いたら、やはりそうで、グルナッシュ中心に、ムールヴェードルとシラーが少しだとか。キュベ・ジャン・マレーもそうだったが、Mizumizuはこの系統の渋い赤ワイン、だ~い好きなのだ。日本人には、あまり好まないような気がする。色味が嫌いなのかな?デザートはMizumizuはバニラのスフレに。これは・・・いや、味といい焼きかたといい、テクニックは最高でしょう。全体にふんわりしながら、表面はパリリと締まり、中はしっとりとクリームめいた食感も残っている。伝統的なデザートをここまで完璧に作ってくるシェフの腕には、まさに脱帽。なのだが・・・なんといってもデカすぎる。甘みが脳天まで来て、最後はちょい苦しかった(笑)。デザートでは、こちらに軍配をあげましょう。Mizumizu母が選んだ、「マントンのレモンのミルフィーユ」。レモンで有名な近隣の町、マントンの名を冠しているところもいい。これはオリジナリティ溢れる、極上のデザート。ハーブ使いとレモンの風味が限りなく洗練されている。甘すぎるものも酸っぱすぎるものも苦手なMizumizu母も、「美味しい」と大満足。レモンのシャーベットは少しきつかったようだが。ミニャルディースも美味しいのだが、ハッキリ言ってスフレでとっくに甘み限界だった。それでもまだまだ続く、甘み攻撃。うやうやしい木の箱に入った、宝石のようなチョコレートを見せらせ、おもわず取ってしまった。もちろん、普通に美味しいチョコレート。グラスシャンパン2杯、グラスワイン1杯、ガス入りの水ハーフボトルも入れて、全部で240ユーロ。食事を2皿ともシェアにしたせいか、案外安かった。レストランから出たら、夜のエズ村は無人。「鷲巣村テーマパークは、本日は閉店しました」。夜は何もやることがないエズ村。ゆっくり食事をしたら、あとはゆっくりお風呂に入り、寝るだけだ。こんなところに何泊もしたら、退屈でしょうがないだろう。朝のシェーブル・ドールはとても静か。景色は同じだが、光が違う。天空のテラスにいるようだ。ジュースと温かい飲み物、それにフロマージュ・ブランとパン。これで1人28ユーロって、高すぎ(笑)。特注のカワイイお皿の使用代と眺望代という感じだ。バターにはヤギさんマークが型押しで入っている。しかし、フロマージュ・ブランは最高。簡単に言えば、乳臭いヨーグルトだが、Mizumizuはフロマージュ・ブランには目がないのだ。「味がない~」と、食べつけないMizumizu母。だから、ジャムとどうぞ。それにしても、このリモージュの特製の食器はカワイイ。Mizumizu母も大いに気に入り、中央の小さなお皿を2つご購入。1つ24ユーロ。ゆったり朝食を取り、またゆったりとエズの村を歩いてみた。が・・・テーマパークに深みはない。いつまでも散策していたくなるような味わいはゼロ。泊まるとしても、本当に一晩で十分だろう。
2010.06.10
ホテルで一休みしたあと、エズ村を歩いた。生活感のまったくない「中世の小道」。確かに雰囲気はあるが、いかんせん整いすぎている。旅人を迎えるのではなく、観光客相手に商売するだけの鷲巣村。まさにテーマパークだ。エズ村には特産物は何もないが、狭い路地はフランス中から高級お土産品店を集めたようなショッピングストリートになっている。素朴なしっくい壁におしゃれにディスプレイしている。こうした「見せ方」が、フランス人は非常にうまい。ゴブラン織りのカバンを売る店。思わず買いたくなった。よく考えればパリにだってこの手の店はあるのだが。おかしいのは、バリ島のウブド郊外で見たガラスモザイクを使った工芸品が売られていたこと。エズの店一店まるまるに、派手なガラスモザイクの鏡や写真立て、それにランプになった仏像まで置いてある。一見すると東洋趣味のここらのアーティストの作品のように見えなくもない。どこで作っていることにして売っているんだろう? はるばるバリ島から南仏まで運んできて、こんな絶壁の村まで引っ張り上げるとはご苦労なことだ。元来エズとはなにも関係のないバリ島産の工芸品が、さも南仏ゆかりの品のようにして売られている。これもグローバル化の産物か。こういうダマシが、旅をますますつまらないものにしている。なにもここで買う必要は全然ないのだが、思わず買ってしまったGien社のプレート。ホテルで休んだら、買い物パワーが沸いてしまった(笑)。プロバンスから来たばかりなのに、なぜかここ、コートダジュールのエズでMizumizu母が買ったプロバンスファブリック。地味な緑の色合いとオリーブの木や実を象ったデザインが気に入ったよう。Mizumizuも以前、リモージュでこのプロバンスファブリックを買ったことがある。そして、今回はエズでリモージュボックスに目が留まった。リモージュに行ったときは、逆にこうしたものは目に入らなかった。不思議な話だ。観光地エズに合わせた絵柄になっているものも多い。「シャート・デズ」と架空のエズ産シャトーワインのボトルを作ったアイディアが気に入って、即座に購入決定。いくつか同じ形のものがあったのだが、絵付けが全部微妙に違う。こうやって留め金をあけて中にアクセサリーや薬などを入れる。中は職人のサイン入り。値段は128ユーロで、安くはないが、エズのイメージに合わせた、ありきたりではないお土産品をリモージュの職人に作ってもらうという発想がいい。こういうお土産なら「ほかでは買えない」という希少価値もある。日本も観光地と伝統工芸の職人が協力して、こういうお土産を開発したらいいのではないだろうか。大量生産の手ごろなお土産品ばかりを売ろうとしても、みなもうそういうモノには飽きている。数ははけなくても、アイディアとクオリティを気に入ってお金を出してくれる客もいるはずだ。エズ村のてっぺんにはサボテン公園がある。入園料は5ユーロ(本当に、いちいち高い)。サボテンはたいしたことないが、エズでもっとも高い場所にあるので、360度の眺望が楽しめる。サンジャンカップフェラ方向を見下ろしたところ。シェーブル・ドールから眺めがほうがずっと迫力があるが・・・こちらはイタリア方面。山側、つまり村の入り口のバス停付近。ゴテゴテしたサボテンと彫像の向こうに、地中海が広がっている。ホテルに宿泊しない人は、このサボテン公園から海を眺めなければエズに来た甲斐はないというものだ。つまり旅人、もとい観光客はタダでは帰れない。ちゃんと5ユーロ徴収されるようになっているというわけ。リモージュボックス「バラのつぼみ」リモージュボックス「ブックエンド」【送料無料】リモージュボックス 開いた本とフライパン フランス製 Limoge Box【10P11May09】【rich】【25%OFF】ジアン ミルフルール デザートプレート21.8cmジアン ミルフルール シリアルボウルUS
2010.06.09
シェーブル・ドールは崖にはりつくようにして建てられたホテルだが、狭い敷地の中は紺碧の海を借景にした美しさに満ちている。こちらが入り口。右がフロントで左がバー。テラスレストランやバーを利用したいようなら、右のフロントで聞いてみるといい。奥に見える扉の向こうは宿泊客専用空間で、外部の人間は立ち入り禁止。こちらが扉を抜けたところにある中庭。中庭から一段下がったところにテラスレストラン兼バーのLes rempartsがある。右側のパラソルの広がっているエリアがレストランで、左側がバー。中庭から見上げたMizumizuたちの部屋。部屋のカテゴリーはかなり細かく分かれている。Mizumizuが今回選んだのは海の見えるChambre Lux(部屋代は560ユーロ)。タックスが2人で3ユーロ、朝食代は別。部屋のインテリアは、同じカテゴリーでもそれぞれ違うよう。部屋についたベランダからの眺望。目の高さまで海。ここの滞在は天気に左右されると思う。晴れなければ魅力は半減。下は中庭。ランチの時間はテラスレストランにご馳走を運ぶウエイターが上から見えて、「落ち着かないかな?」と思ったのだが、下からこちらは見えないし、人の動きが見えるこの部屋のロケーションも案外珍しくていいな、と途中で考えが変わった。部屋の窓を開けると、ホテルのシンボルである黄金のヤギ(シェーブル・ドール)と紺碧の地中海。サンジャンカップフェラが遠くに見える。Mizumizuたちの部屋は、入ってすぐがリビングになっていた。狭い廊下でバスルームとベッドルームがつながっている。カーテンは赤と黄色の明るいプロバンスカラーのストライプ。生地そのものは高級ではないが、南仏ではこの洒脱さが映える。ドアにはピンクと薄緑のペインティングが施されている。ベッドルームの棚も同じ意匠。どちらかというと素朴な塗りで可愛いのだが、子どもっぽくも安っぽくもならないのは、さすがにフランス。気持ちのよいベッドルーム。ベッドカバーにはさりげなく、極上のファブリックを使っている。しかも、色は白。エクスのVilla Galliciの部屋のテーブルクロスもそうだったのだが、フランスの高級ホテルは、カバーファブリックに惜しみなくピュアなホワイトカラーを使う。部屋でコーヒーだのお茶だの飲んで欲しくない気持ち、よくわかる。部屋は清潔で快適そのもの。少し休むと、また歩き回る元気が沸いてくる。テラスレストランをさらに下るとまた庭があった。海とヨットが借景。どこも絵になる。秘密めいた通路は、むしろ海へそのまま続いているよう。Mizumizuがこのホテルでもっとも気に入ったのが、この狭く暗いパッサージュ。階段を右に折れて、パッサージュに入ったとたん、白い帆を浮かべた青い海原がぱっと目に入ってくる。ここは完全にプライベート空間。宿泊客以外は通らない。観光客でごったがえすエズの小道とは別世界の静謐がある。やはりフランスも純然たる階級社会だ。ニースから1ユーロのバスで往復でき、何も買わずに「中世風」の小道を歩けば、安くエズを楽しめるが、隠された場所に本当の贅沢がある。そして、そこはバカ高いお金を払った客だけにそっと公開される。この一瞬の豪奢は、フランスでは特に高くつく。
2010.06.08
中世の鷲巣村、エズ――うねうねした細い路地の続く、ひなびた小さな古い村を想像してニースからバスで出かけたMizumizuだったが、そのイメージは実際にエズ村に足を踏み入れてみて見事に覆された。村の入り口まで2車線の広い道路が通っている。大型路線バスで運ばれてきた観光客が吐き出されて向かうのは、要は石畳の路地と石造りの建物の並ぶ中世の村をきれいに修復してテーマパーク化した、高級ショッピングストリート。おみやげ物屋とちょっとしたレストラン、観光客向けのサボテン公園、エズ村にあるのは、それだけだ。住んでいる人さえいないかもしれない。店のマダムに話を聞いたら、なんのことはない。彼女もニースから通ってきているという。そんなエズだが、おそらくはコードタジュールで最高の景色を堪能できる場所がある。ただし、そこは公共の場ではない。シェーブル・ドールというホテルのテラスレストラン兼バーLes remparts。日曜日は予約をしないと席の確保は難しそうだが、平日ならホテルのフロントに聞けば、宿泊客でなくても利用できると思う。ガラス張りのミシュラン星つきレストラン、その名もホテルと同じLa Che'vre d'Orもあるが、肌で絶景を感じられるのはLes rempartsのほう。予約をするなら間違えないように。ただし、Les rempartsはLa Che'vre d'Orより味はグッと落ちる。宿泊客だったMizumizu+Mizumizu母は、まずはバーで水分補給。ひたすら酸っぱいレモン水を飲んだ。天気がよくてよかった。絶壁を見下ろすこの眺めは、イタリアのソレント半島を思い出させる。岬であるサンジャンカップフェラが島のように見える。Les rempartsからの眺望は、今回のコートダジュールの旅のなかでも最高だったし、シチリア・タオルミーナの名門ホテル、サン・ドメニコ、あるいはポジターノの豪華ホテル、イル・サンピエトロにも匹敵する、地中海でも指折りの絶景ポイントと言っていいだろうと思う。エズの道を歩くのも、この手の中世の町がはじめてなら楽しいかもしれない。だが、暖かい季節の天気のよい日に来て、シェーブル・ドールのテラスレストランに座る。そこで初めてエズの魅力は最大限輝くはず。
2010.06.07
マントンからニースに帰って来たときは、もう日が暮れかけていた。バスターミナルはちょうど旧市街の近く。旧市街にはレストランが多い。やはり、ニースに来たからには、一度ぐらい旧市街のレストランで食べてみたい。ということで、道をわたって旧市街に入った。野菜好きのMizumizu母にはラタトゥイユ(野菜のトマトソース煮込み)などいいのではないかと思い、南仏の家庭料理を食べさせてくれるようなレストランを探したのだが、そういう店はそもそもあまりニースにはないようだ。いや、あるのかもしれないが、観光客が何も知らずにウロウロしてすぐに見つかる場所にはないということ。ラタトゥイユなんて、ニースあたりならどのレストランでもあるんじゃないか、などと考えていたのだが、とんだ見込み違いだった。旧市街に入って、賑わっているカジュアルなレストランをのぞいても、またもピザだのパスタだのを出すイタリアンの店。フランスでイタリアンはできれば避けたい。ふと見ると、その横に、エスニック風の店がある。メニューを見ていると、東洋人がかった白人というのか、白人っぽい東洋人というのか、不思議にミステリアスな初老のウエイターが出てきて、「どうぞ」と愛想よく誘う。プロムナードデザングレのホテル、ウエストエンドで食べたエスニック風のスープも地中海的アレンジが面白かったし、よし、じゃあ、ここにしてみようと入ることにした。ウエイターはとても親切で、東洋的なサービス精神を感じた。メニューは何がなんだかよくわからいのだが、カレーつきの子牛のケバブと野菜スープ、それにハーフサイズの赤ワイン(ボルドーのメルロー+カルベネソーヴィニヨン)を頼んだ。これは、ごくごく普通の爽やか系。以前は、フランスは日本に比べてワインは格段に安くて美味しいという印象だったが、今は日本にも南米あたりの安くてそこそこのワインが多く入ってきているせいか、レストランで普通のワインを頼む分には、フランスのほうが安いとも美味しいとも思わなくなってしまった。ヤレヤレ。デイリーワインを生産しているフランスのワイン製造業者が、最近こうした第三国の安いワインに押されて商売が苦しくなってきているというのも頷ける。で、料理はと言えば・・・結果として、かなりアタリのレストランだった。子牛は柔らかくクセがない。カレーソースも野菜たっぷりでマイルドな酸味が上品。サラサラした長米に非常によく合う。米にはラタトゥイユ風に料理した野菜と干し葡萄がのっていた。さらに、カッテージチーズをまぜたほうれん草のソテー(手前)とすりおろしたリンゴ(奥)、それに生野菜が添えられ、実に健康的なプレートになっている。野菜のスープも、エスニックというよりアラビックと呼びたい逸品。煮込んだ豆の食感とヨーグルトの風味が新鮮。どこか懐かしいようでいて、これまで食べたことのない味だ。「どう?」と聞いてきたウエイターに、「素晴らしい」と褒めちぎるMizumizu。「シェフはフランス人なの?」と聞くと、「ノー、アフガン」だという答え。そして、「私も、半分フランス人、半分中国・ベトナム人だ」とのこと。へ~~~~そう言われて周囲を見ると、お客も白人にまじってアラブ系らしい人も多い。なんともインターナショナルな、不思議空間だった。料理に大満足したので、デザートも追加で取ってみた。「カルダモン風味のミルクプリン」ということだったのだが・・・これはカルダモンをふった甘いミルクをゼラチンで固め、アーモンドを散らしただけ・・というシロモノだった。しかもゼラチンの量が多すぎて、固まりすぎやあ。デザートは素人臭かったけれど、全体としては非常に満足。値段は41ユーロ(5244円)。めずらしくチップをテーブルのうえに置いてきた。向こうは全然気づいていないようだったけれど。フランスのレストランはカード決済のときにチップを書き込む方式でないのがいい。あの書き込み方式、Mizumizuはどうにも信用できない。レストランのチップは元来給料の安いウエイターへの心づけだ。いや、それだって基本的に変な話だと思う。アメリカあたりでは、この「習慣」あるいは「洗脳」は社会の隅々まで行きわたっていて、誰もかれも、チップを払うのは、「あの人たち(ウエイター)は給料が安いから」だと口を揃える。この件に関しては、みな同じことを言うのだ。どれだけその理屈がアメリカ人に刷り込まれているか、よくわかる。だが、よく考えてみて欲しい。決まった価格でサービスを客に提供する、そのためのスタッフに適正な給与を支払うのは経営者の義務なのだ。もし売上げが少なくて給料を十分に払えないというのなら、スタッフを少なくするか、経営の取り分を少なくするか、あるいは値段を上げるのが筋だ。客から正規の料金を取り、そのくせ労働者の給料をめいっぱい安くして、その埋め合わせを客にさらに負わせるなど理屈が違うだろう。チップではなくサービス料として一括に客から徴収するほうがよほど透明で公正だ。実際に、アメリカでもNYのような都会ではレストランはそうなってきているが、それでもサービス料を15%だの17%だの取った上に、できればチップもよこせ、という店も多い。チップを直接ウエイターにわたすならともかく、上乗せ料金をカードに書き込んでしまったら、経営側に売上げの一部として入ってしまい、肝心の「給料の安い」ウエイターにちゃんと行く保証がなくなってしまう。実際に、寿司を売り物にしているアメリカの高級和食レストランでは、チップをマネージャーや寿司職人に多く振り分けていたとして、ウエイターから訴訟を起こされた。こうしたレストランのチップはとっくにチップでなくなっているのだ。バンコクのオリエンタルホテルでは、宿泊客がレストランで食事をすると、チップ上乗せをしない請求書が部屋に回ってくる。ところが宿泊しない客がレストランで食事をしてカードで払おうとすると、ちゃっかりチップを客が書き込む方式になっている。宿泊客と非宿泊客で請求方法を変えているというわけだ(苦笑)。イタリアでは、チップ書き込み式している観光客相手のレストランもあるが、老舗のレストランに行くと、常連客がウエイターのポケットにお金を突っ込んでいるのを見かけることもある。ああいうのが、本当の「チップ」だろう。店を出ると、あたりはすっかり夜で、ライトアップされた旧市街の古い建物が美しかった。マセナ広場からプロムナードデザングレを通ってホテルまでは徒歩でも、10分ほどだし、特に危険な道でもないのだが、できれば近くまでバスで行きたいと、サン・ミッシェル通りのバス停(バスターミナルではない)で、若い黒人のお兄さんに、「ホテル・ネグレスコのほうに行くバスはあるか」と聞いてみた。ネグレスコの名前を出せば、知らない人はまずいないはずだ。すると、驚いたように、「すぐそこだよ。歩いて2分」などと言い、熱心に身振り手振りで、「まっすぐ行って、海に出たら右に行って・・・」と教えてくれる。おかしいのは、その仕草がすでにラップダンスになっているということ。いや、カモシカのようななが~い足のキミには歩いて2分かもしれないけどね、我々が歩いたら15分はかかるわ。親切な天然ラッパーの黒人のお兄さんをやりすごして、バスの運転手に聞くと、「XX番のバスが近くまで行く」と教えてくれた。教えられたバスに乗り、「ホテル・ネグレスコのそばに来たら教えて」と頼み、例によって忘れられないように、運転席のそばに座った。バスはプロムナードデザングレではなく、2本入ったBuffa通りを西に走る路線だった。だいたいのところで、「降りるのは次?」と聞くと、「そうだ」と言われ、次で降りた。結局プロムナードに出るのに、2ブロック歩き、そこからまた2ブロックほど歩いたので、たいしてラクにはならなかったのだが。
2010.06.05
ニースからマントンへは、豪華1ユーロ路線バス(笑)で日帰りした。ニースのバスターミナル。マントン行きは頻繁に出ている。海の際を走る路線バスからの眺めは素晴らしい。海岸沿いの小さな町を抜けて走る。海に散らばるヨット。バスはこのあとモナコを抜けてマントンに着く。マントンの鉄道駅まで行かずに、海の近くのカジノの前で降りた。前回マントンに来たのは、たぶん10年以上前なのだが、町の変わりようにびっくりした。海沿いには、新しいホテルがこれでもかというくらい立ち並んでいる。「こんなにホテルあったっけ?」とMizumizuが聞けば、「なかったわよ~。レストランもなくて困ったぐらいだったじゃない」とMizumizu母。そうだ。記憶の中のマントンは素朴な漁村の名残りを感じさせる小さな町だった。たぶん次回訪れても、どのホテルに泊まったかすぐわかるだろうと思うほど、ホテルもレストランも本当に少なかった。今はニースよろしく、海沿いのプロムナードに布のかかったレストランのテーブルが並んでいる。完全に観光地化し、町から生活の臭いが消えている。また何やら建設するらしく、工事現場を木材の壁が囲っている。そこにちゃっかりジャン・コクトーの写真。マントンは生前のジャン・コクトーとさほど深いつながりのある町ではない。ジャン・コクトーが一番南仏で一番時間を過ごした場所は、サンジャンカップフェラだ。エクスアンプロバンスの老舗カフェもそうだが、なんだかあっちでもこっちでもジャン・コクトーゆかりの場所が沸いてきているようで、若干気味が悪い。10年以上前にマントンを訪れたときは、ジャン・コクトーはむしろ、フランスではかなり忘れられた存在だったのに。キャロル・ヴェズヴェレールは、著書「ムッシュー・コクトー」の中で、コクトーの映画「オルフェ」は、フランスでは入りが悪かったと書いている。「オルフェの遺言」(キャロルの母親が資金援助をした)も興行的には失敗で、「コクトーの映画は、しばしばフランスでは評価されなかった」と。恐らく「オルフェ」は、日本ではコクトー映画でもっとも高く評価されていると思うのだが、本国ではあまり好まれなかったというのも意外な話だ。こうやって町興しにジャン・コクトーを利用しているフランス人って、本当にジャン・コクトーの作品を愛しているんだろうか? 詩も読まない、映画も見たことない、でもどうも世界的に人気があるみたいだから、ジャン・コクトーと言っておこう、そんなところじゃないだろうか。ジャン・コクトー美術館の周囲も賑やかにひらけ、港にはレジャー用とおぼしきヨットが無数に係留されている。以前は片田舎の辺鄙な場所にひっそりと立っている、孤独な美術館という雰囲気だったのに。コクトーが生きているころは、この防塞周辺は廃墟同然だったというのに。美術館の前のカフェもコクトー一色(呆)。「ジャン・コクトーを利用しようとする人が多すぎる」と、ジャン・マレーは著作で憤っているが、その気持ち、よくわかる。美術館の入り口。「ノー・トイレット」と書かれている。またか~ 有料の美術館なんだから、トイレぐらい作れって。それとも目の前のカフェとの談合なのか?とはいえ、ジャン・コクトーのモザイクは、どこまでもカワイイ。写真撮影可なのは周囲だけ。美術館の中は、撮影禁止。小さな窓越しに海が見え、そこにコクトーの陶器や油彩画を飾っている。小さいがセンスあふれる美術館だ。コクトー作品のコレクションがもっと充実していれば言うことないのだが・・・ 便利な場所ではないにもかかわらず、心地よい程度のお客さんが入っていた。ジャン・コクトー人気の根強さがわかる。売店には、ジャン・コクトー研究書、コクトーの著作、絵葉書、アクセサリーなど充実している。絵葉書や小物に加えて、分厚い本を3冊も買いあさるMizumizu。それを見て、さらに「この本もいいわよ」と4冊目を売りつけようする売店のマダム・・・重いっちゅーの。全部自分で日本まで運ぶんだから、そんなに持てんっちゅーの。そのときに買ったジャン・コクトーのマグネット。左はコクトーのお好みのモチーフ「牧神」。右はいかにもパリなエッフェル塔。エスプレッソカップも買いました。マントンで残念だったのは、市庁舎の「結婚の間」のコクトー壁画が見られなかったこと。土曜日だったせいだ。土・日・祭日は市庁舎が開かないからということらしい。Mizumizuが持っていたガイドブックには書いてなかったのだが、日本に帰って別のガイドブックを見たら、確かにそう書いてあった。過去に1度見ているので諦めたが、「結婚の間」も入ったとたん、のびのびとした線画の自由さに心が浮き立つような場所。再訪して、どんな化学変化が自分の中に起こるのか観察したかった。コクトーの壁画は、なぜか人を幸福感で満たしてくれる。ウツっぽい人はコクトーの描いた壁画のある空間に身をおくといいんじゃないだろうか――Mizumizuは半ば本気で、そう考えている。マントンからニースへもバスで帰った。カジノの周辺でバス停を探したのだが、見つからない。そこでカジノの人に聞こうと建物の中に入っていったら、ちょうど出てきた老婦人が、カジノのおじさんと話しているMizumizuの声を聞いて、「ニースへ行くバス? 知ってるから案内してあげる」と言ってくれた。フランス人らしからぬきれいな英語だと思ったら、今度はカジノの出口で向こうからやってきた友人らしき人たちとイタリア語で会話している。マントンはイタリア国境に近い。イタリア人なのかと思って、イタリア語でそう聞いてみた。すると、イタリア系アメリカ人で、サンフランシスコから来たという。「姉がイタリアに住んでるから、遊びに来たけど、今年は寒くて、天気も悪いし、それにイタリアや南仏って何でもかんでも高いのよね」カジノから駅方面に北上するヴェルダン(Verdun)通りを歩きながら、そんな話をしてくれた。リビエラはあまり気に入らなかった様子。やっぱりアメリカ人から見ても、物価高いのよね。そりゃそうか。ニース行きのバス停は、ヴェルダン通りを左に折れたティエール通りにあった。カジノの前は通らないでニースに戻るということだ。これはわかりにくい。案内してくれる人に会ってラッキーだった。バスは10分ほど待ってやってきた。ニースまでの道は渋滞して、1時間半ぐらいかかってしまったが、1ユーロで戻ってこれたことは言うまでもない。ただ、時間を考えると、鉄道のほうが速いから、往復バスではなく、行きはバス、帰りは鉄道にしてもよかったかもしれない。
2010.06.04
ニースにはいくつか美術館があるが、なかでも行く価値大なのが、マチス美術館とシャガール美術館。行き方はマセナ広場の北から東にのびるGioffredo通りから15番あるいは22番のバスで(さらに詳しい情報は、こちらのエントリーの真ん中あたりを参照)。こちらがマチス美術館。海外旅行をする日本人はめっきり減ったようで、街で日本人を見ることが少なくなったが、やはりこの手の文化施設には必ず日本人が来ている。マチス美術館の前庭は、オリーブ林になっている。もちろん、オリーブ林それ自体なら、カーニュのルノワールの家のほうがずっと見事だが。内部の展示は、大規模なマチス企画展などを見慣れた感覚で入ると、やや期待を裏切られるかもしれない。それでも下にくりぬいたような中央展示ホールの吹き抜けのある大きな空間や、切り絵が効果的に鑑賞できるよう配列された展示室などは見ごたえがある。実は仕事場のロールカーテンをマチス風のブルーにしたぐらい、マチスの色彩がかなり好きなMizumizu。さっそく「いかにもマチス」なマグネットをお買い上げ。絵葉書も・・・切り絵のカードもお買い上げ。シャガール美術館は、モダンで近代的な建物。油絵のほかに、タベストリー、ステンドグラス(ただ残念なことに、ステンドグラス展示ホールは入ることができず、遠くから眺めるだけ)、モザイク(これは外にあるのだが、室内から細長いガラス越しに眺めるだけだった。うっかりすると見逃すので、どこにあるのかわからない場合は、係員に聞こう)もあった。しかも、日本語解説のあるトランシーバーを無料で貸し出している。しかし、その内容を聞いて、裏事情がハッキリわかった。ナレーションはもっぱらユダヤ教の聖書物語と、ユダヤ人受難の歴史解説に終始している。つまり、ユダヤ資本による旧約聖書とユダヤ人迫害のプロパガンダなのだ。こうした解説のスクリプトを書き、さらにそれを日本語にまで翻訳して、日本人に吹き込みをさせるなど、かなりの資金が必要だ。誰がわざわざそこまでの資金を提供したのか。火を見るより明らかだろう。シャガールの絵に、民族的・政治的なニュアンスを感じる日本人はむしろ少数派だと思うのだが、ナレーションはひたすらそうした側面を強調して解説していた。シャガールの芸術世界は普遍的な魅力を備えおり、単なる宗教画、政治画には留まらない夢幻のロマンチシズムが多くの日本人を魅了しているが、それらはユダヤ人という特異な民族性抜きでは成立しえなかったということがよくわかった。そして、芸術は、常にプロパガンダ的側面をもつという現実も。絵画であれ、文学であれ、音楽であれ、なぜ多くのユダヤ人芸術家が世界的名声を獲得するのか? 彼らに才能があり、彼らの作品に人々の心を捉えるパワーがあるのはもちろんだが、それだけでは必ずしも、世に出る理由にはならない。ユダヤ人ネットワークによる宣伝力(つまりそれは資本力だが)が、ユダヤ人芸術家の価値を作り出し、高めているのだ。ダイヤモンドが高値で取引される理由と、根本的には大差ない。人は芸術をほとんど自分の眼で見る能力はない。評判は宣伝で作られる。評判が人々の感動を誘う。それが商業主義に利用され、マチス、シャガールといった確立されたブランドネームをもつ作品は、バカげた高値で市場取引されるようになるというわけだ。いったい優れた芸術作品は、1億円が適正価格なのか? 10億が適正価格なのか? 誰にも証明できない。誰も正しい値段がわからないものを、かつて日本人はバブル時代に主にヨーロッパの画商から破格の高値で買いあさり、バブルが崩壊すると、今度は足元を見られて高値で買ったものをこれまた主にヨーロッパの画商に安く買い叩かれた。つまり彼らは、信じられないような高い値段で、絵画作品を数年間日本に「リース」したというわけだ。すぐれたものに対する価値を自分たちで創造できず、見極めもできず、ユダヤ人や白人の作った「価値という虚構」に振り回されて、石ころをダイヤだと思い込み、ダイヤでも石ころだと信じ込んでしまう日本人は、もうあまり、こうした芸術の商業主義的世界には足を踏み入れないほうが無難かもしれない。
2010.06.03
さすがに世界的保養地だけあって、ニースのショッピングエリアは充実している。マセナ広場をはさんで、東側が赤に、西側が緑に色分けされているが、赤が贅沢品、緑がカジュアルな品物を扱うエリアということらしい。マセナ広場の北から西に延びるマセナ通りとパラディス通りには洒落た店がずらりで、華やかな都会的な雰囲気ふんだん。そんなマセナ通りで、ボヘミアンなお兄さんと彼のワンちゃんに出会った。ワンちゃん、ストリートミュージシャンのご主人のお小遣い稼ぎには眼もくれず・・・どこかを一心に見ている。視線の先には美女が。でも・・・人間の女性の色香より、お目当ては彼女の食べているスイーツのよう。ワンちゃんの前に立ちふさがってみたが(←イジワル)、まん前に立つと横に移動し、またまん前に立つと逆に移動して、おとなしくも期待に満ちた熱い視線を美女に送りつづけるワンちゃん。たぶん脳内イマジネーションの中では、いつかお姉さんが近寄ってきて、自分の口にスイーツを近づけてくれると夢見ているのだろう。犬にとってスイーツは禁断の味らしい。芦ノ湖スカイラインで見かけたワンちゃんも、このニースのワンちゃんと、まったく同じ眼をして、同じ態度だった(こちらのエントリー参照)。ニースのワンちゃんのほうが、哀れっぽい声を出さないだけオトナかもしれない(オトナか?)。パラディス通りで、ラリックのショーウィンドウに飾られたペンダントトップがきれいだったので、思わず衝動買いをしてしまった。お店の売り子は年配の女性。接客態度は親切で、非常に感じがよかった。免税手続きをしてもらえるのかと聞いたら、大丈夫だという。値段は、195ユーロで、TVA(フランスの付加価値税。日本の消費税にあたる)が31.95ユーロ。そのうちRefund額(戻ってくるお金)が25.35ユーロだった。ペンダントトップの値段は163.05ユーロで、プラス31.95ユーロが付加価値税ということだ。 付加価値税19.6%の重みを感じた。日本の消費税一律5%は、日常必需品に対しては高いと思うが、贅沢品に対しては安すぎる。こんな軽い税負担で、国が赤字国債を発行しまくっているなんて、あまりにいびつだ。フランスも大衆に媚びて、やるべき改革ができずにいるが、日本はまったく別の理屈でポピュリズムの袋小路に迷い込み、にっちもさっちもいかないところまで国全体で突っ走ろうとしている。日本の国の財政状況は、フランスの比でなく悪いのだ。間もなく日本では、「消費税をあげなければ社会保障がもたない」キャンペーンが始まるはずだ。日本国の最重要課題は、「財政再建」「財政再建」「財政再建」なのだ。それなのに、高級官僚が天下りで多額の報酬を得ているのはズルい、貧乏な自分たちにも分け前よこせとばかりに、子ども手当てなんていう天下の愚策をありがたかっている庶民は、なんと先が見えていないことか。こんなわずかなアメをもらって財政をさらに逼迫させたら、待っているのは大幅な増税。それしかないではないか? 借金してお手当て配るなんて、根本的に間違っている。案の定、少子化対策のためのはずの子ども手当てをもらって、母親たちは、「ディスニーランドに行きたい」「旅行に行きたい」などと言っている。こうした遊興手当てをバラまくことのどこが「少子化対策」になり、「子どもは社会で育てるもの」という理念(そもそもこの理念は危険で、間違っていると思うが)に通じるのか。まったくバカげている。「消費税アップやむなし」の論調が幅をきかせ始めると、必ず例に挙げられるのがヨーロッパの高い付加価値税。だが、ヨーロッパ諸国の付加価値税は一律ではない。その話をナイナイにしておいて、「ヨーロッパの付加価値税は高い」と都合のいい部分だけの宣伝が始まったら、注意が必要だろう。ところで、このラリックのペンダントトップ、買ったときのレートは127円で、195ユーロ=24,771円だったのだが、タックスリファンドはカード口座への入金にしてもらって、25.35ユーロが日本円で2,646円にしかならなかった。旅行中のユーロは124円ぐらいの仲値で、その後急激にユーロ安になり、今の為替レートの仲値が111円ぐらいになってしまったということもあるが、それにしてもなんだかんだ手数料が高い。こちらは日本に帰ってきてすぐ、日本橋三越の催事場(笑)のジュエリーフェアで衝動買いした碌山(ろくざん)というブランドのペンダントトップ。フェアの目玉商品でチェーンつきで10,500円だと、激しい売り込みをかけられた(笑)。ペンダントとして買ったのだが、ブローチにもできる。その発想、いかにも日本人的だ。「お安いですよ~」と店員さんが太鼓判を押していたが、たしかに、ブルートパーズがつき、シードパールとマルカジットを丁寧にはめ込んだ細工の細かさを見ると、その値段はかなり安いと思う。マルカジットとシードバールについての説明は、こちら。素材と手間を考えれば、ラリックに比べてずいぶん割安だ。あとはデザインをどう考えるかだろう。碌山というブランドは知らなかったのだが、デパートの催事場に並んでいる品はどれも素晴らしかった。アンティーク復刻調のデザインで、その繊細さは日本人によく似合う。長く使える、1つもっていて損はしないアクセサリーだと思った。宣伝によるイメージアップに力を入れ、値段を高く設定することでブランド価値と高い利鞘を維持しようとするフランス。利鞘を圧縮してなるたけ買いやすい値段設定にし、価格以上の価値を間接的にアピールしようとする日本。この対照的な戦略傾向は、日仏のどんな分野のブランドにも指摘できるように思う。丁寧な創りで雰囲気バツグンのアンティーク馬車再入荷!碌山 シルバー ケシパール おとぎの国の馬車チャーム実りのブドウモチーフ碌山(A&M) シルバー 淡水パール マルカジット ブドウモチーフ ブローチ 【tokai1106sale】ちょっと大振りカットのきれいなオニキスブローチこれも一点限りの新入荷!碌山 シルバー オニキス マルカジット ブローチ
2010.06.02
お昼どきにホテルを出て、とりあえず腹ごしらえを・・・と思ったのだが、結局宿泊してるウェストミンスターの隣のホテル、ウエストエンドの赤を基調としたテラス席の明るい雰囲気に惹かれて入ってしまった。あまりたくさんは食べられないので、「前菜2品」とスパークリングウォーターだけを注文。フランスのスープは美味しい。フランス料理が口に合わないMizumizu母も、スープなら大丈夫だし、そもそもスープとパンでかなりお腹がいっぱいになってしまう。日本のレストランでは、スープといえば固形ブイヨンを溶いて野菜を切ってつっこんだだけの単なる添え物扱いが多いが、本来スープというは、手がかかる、難しい料理なのだ。ホテル・ウエストエンドではフェンネルのポタージュが出た。フェンネルと聞くとエスニックな響きがあり、実際パンチのない(←出た! 決まり文句)エスニック風ポタージュだった。バターと生クリームのぽってり感もあり、あえて名付けるなら、フレンチとインドの不思議なフュージョンといったふう。ピリピリした刺激はないが、これはこれで不思議と美味しい。こういうエスニック風地中海料理って、実はフランス以外では食べられない。そんなに何度も食べたくなる味でもないが、一期一会の楽しい味覚体験だった。こちらは鴨のパイ。くずした鴨肉を薄いパイでくるんで焼いたもの。鴨肉が思った以上に野性味があった。悪く言えば臭みが強く、それが野菜めいたソースとからんで、インパクトの強い味になっている。絶品ではないが、個性的でオリジナリティを感じさせる料理だった。お値段はトータルで21ユーロ(2667円)。ウエイター&ウエトレスの感じもよく、雰囲気もよく、味もなかなかで、とても満足。そのままぷらぷらとプロムナードデザングレを歩く。広いプロムナードの歩道からのぞくと、海辺では水色のパラソルがどこまでもオシャレ。だが・・・この砂利の海岸がどうしてもいただけない。結局のところ、南仏というのは、パリとかロンドンとか、ヨーロッパの北の都市に住んでる人たちが保養にやってきて、南国気分を味わうところなのだ。国内に沖縄のような亜熱帯の島がある日本人が、ありがたがるビーチではない。プロムナードデザングレにはインフォメーションがある。そこでバスの時刻表などをゲットしたついでに、旧市街の丘に登るトラムがあると聞いた。乗り場はインフォメーションの近く。ニースには市内をぐるりと一周する2階建てバスも走っているのだが、このバスはえらい高かった(20ユーロだったかな?)。それに全部回るとなるとかなり時間を取られる。この30分おきの旧市街を回る無軌道トレインは7ユーロで、40分ほど。プロムナードデザングレを出たトラムは、まずはマセナ広場へ噴水と赤茶の後期バロック様式の建物。明るくオープンな広場に続く、瞑想を誘うポルティコ(回廊)。この街づくりはどう見たってイタリア。かつてこの街はサヴォイア公国に属していた。公国の首都だったトリノとニースは、双子のように似ている。ただしこの双子は、育った場所が違った。トリノはアルプスに抱かれ、ニースは地中海に抱かれて。それから別々の国に属することになった。そして時間の経過とともに違った性質を帯びて、今存在している。それでもニースを歩いていると、トリノが顔を出す。新しく塗られた壁の奥から、掘りこまれた通りの名前の着色がはげた町角の石のプレートから。街に残る古い記憶が、そこここで、「ここはイタリアだ」と言っている。そういえば、イタリア統一戦争で有名なガリバルディはニースの出身。シチリアまで遠征して、この南の島をイタリアに組み入れることに功績をあげた英雄の生まれ故郷がイタリアではないというのは、皮肉な話だ。のちのちイタリアのお荷物になるシチリアなんて放っておいて、こっちを死守すべきだったんじゃないでしょうか、ガリバルディさん。メセナ広場から旧市街へ入り、そこから港へ無軌道トレインは走る。港からコルシカ島とサルデーニャ島へ向かう大きなフェリーが出航するのを見た。旧市街の丘(上の地図では、ニース港の左の緑がかった楕円の部分)を登ると、山と海の間に開けた大都会ニースの全貌が見わたせる。素晴らしい海岸線。赤い屋根の建築群も美しい。日本の観光地のような乱開発の無秩序さのない、統一のとれた景観だ。丘のあとは海沿いのプロムナードに戻る。青い穏やかな海、沖を走るヨット。地形が少し似ている熱海ももう少しうまくやれすれば、プチニースになれたかもしれないのに。目先の商売だけしか頭にない、街全体の景観や自然との調和などまったく考えない自分勝手な開発によって、熱海はニースとは似ても似つかない下品で安っぽいイメージの街になってしまった。そうした例は日本では枚挙に暇がない。
2010.06.01
ニースで泊まったのはプロムナードデザングレに面したウエストミンスター。4つ星。とは言いながら、それなりに規模が大きく、高級感もあるが気安さもあり、しかも値段が安かった。海側の部屋のツインで、タックス、朝食代込みで1泊 151.2ユーロ(19,200円)。後日、ヴィルフランシュシュルメールのジャン・コクトーゆかりのホテルに泊まったのだが、ここは3つ星で、実際に行ってみたら明らかにウエストミンスターより落ちるうえ、部屋も狭かったのに、値段が高かったのだ(全部で219.6ユーロ)。おかしーだろおかしーだろおかしーだろなんでヴィルフランシュのような田舎町の中級ホテルが、ニースのような世界的観光地の、しかも一等地に建ってる高級ホテルより高いのだ?ジャン・コクトー・プレミアムということか。でも、コクトーはそのブルジョアなイメージに反して、高級ホテルが嫌いな人だったのだ。第二次世界大戦が始まってすぐ、ココ・シャネルに誘われてパリのリッツ・ホテルに一時宿泊するのだが、「リッツは最低」と言ってすぐ出ている。ジャン・マレーは自伝で、コクトーが好んだのは、「質素だが居心地のよい、こじんまりとしたホテルだった」と書いてる。その質素なホテルが今や、ジャン・コクトーの名前を思いっきり利用して、プレミアム価格をのせ、大都会の一等地の4つ星ホテル以上の料金を取るとは・・・。まったく南仏の物価は、意味ワカラン。こちらがウエストミンスターの海側のツイン。部屋は狭めだが、海が見えるし、バスルームも清潔で新しく、それなりに使いやすい部屋だった。この場所でこの値段でこの内装なら、かなりお得感がある。けど、相変わらず、「張り」のないベッドだなあ・・・寝心地は不思議と悪くないのだが(と言って、よくもない)。窓から見る地中海は、絵の具を流したようにペッタリしている。ニース空港を発着する飛行機を座って眺められるので、Mizumizu母は大喜び。窓から身を乗り出すと、プロムナードデザングレはこんな感じ。クルマの往来の激しい道だが、窓を閉めてしまえば騒音も気にならない。カーニュからバスで来て、この道に続くニースの街を見たときは、思わず、「大磯ロングビーチ?」と思ってしまった。カーニュから来るバスは、ホテルのすぐ近くに泊まってくれた。これが鉄道だったら、ニース駅からプロムナードデザングレまで来るのは面倒だった。バスにしてよかった。部屋の前の廊下。豪華な漆喰の縁取り装飾を施したメダイヨンから下がるシャンデリアと金縁の大きな鏡が、いかにも由緒あるホテルだ。エクスアンプロバンスのヴィラ・ガリチもそうだったが、このホテルも趣味がどこかイタリア的。今の時代には広すぎる石の階段。手すりの優美な曲線もホテルの伝統と格式を感じさせる。ホテル全体に、フランスが元気だったころのベルエポックの時代の息吹が漂っている。朝食会場(笑)も豪華だった。おまけに、料理もかなり美味しい。エクスやカーニュで泊まったルレ・エ・シャトーのメンバーのホテルよりずっとマシ。りっぱな円柱と天井画。朝食会場(笑)にしておくのは、もったいないくらいだ。もともとのは何の部屋だったのだろう。サービスはチェックインのときに満面の笑顔で迎えるとか、ホテル内での荷物運搬の手伝いとか、最低限のことはちゃんとできてる。だが、夜、ティッシュがなくなったので1度フロントに電話して補充を頼み、それから寝る前に漢方薬を飲むために熱いお湯をもってきてくれるよう、もう1度電話して頼んだ(そのほかのダイヤルでは誰も出なかったので)のだが、そのときの特に2度目の態度ときたら、信じれらないものだった。同じオバさんが電話口に出たのだが、「アロ~、アゲ~ン」(←「また何か用~?」とでも言わんばかりの、露骨に面倒くさそうな声で)いい年の大人が、よくああいう態度をゲストに対して取れるものだと、心底あきれ果てた。ちょっとしたことを頼むのに、なんでこちらがいちいち不愉快な思いをしないといけないのだろう? こうやって客が物を頼みにくくして、自分がなるたけ働かなくてもすむようにという魂胆なのだろうか?(←本気で考えていそう)観光客相手のサービス業の「雇われ」と口をきかずにすむならいい国なのだが、フランス・・・とはいえ、それは電話口に出たフロントの女性1人が感じが悪かったというだけの話。実際にティッシュやお湯を持ってきてくれた男性は別に普通だったし、他のスタッフに気まずい思いをさせられたこともない。だいたい1人か2人なのだ。こういう感じの悪い「雇われ」は。そして、そういう彼らが彼らの勤務先のイメージをガクンと落とす。こんな労働者に賃金払う経営者も、気の毒といえば気の毒。ホテルを出ると、すぐそこは陽光きらめく大磯ロングビーチ・・・じゃなくて、プロムナードデザングレ。気を取り直して、ニース観光に出かけよう。
2010.05.31
関節リュウマチに悩まされたルノワールが、温暖な地を求め、晩年に移り住んだのがカーニュシュルメール。その邸宅が、今は美術館として一般に開放されている。中は広い。庭はほとんど公園サイズ。この小道はすでに敷地内。母屋の前で撮ったのだが、なぜか勝手にポーズを撮って微笑む見知らぬオッサンが・・・ おちゃめなフレンチおじさんだ(いや、こう見えて、案外若いのか?)奥に見える建物が母屋。キッチンやダイニングといった生活の間とともに、アトリエも公開されている。作品の展示もあるが、ルノワール自身の絵は案外少ない。ルノワールを鑑賞する美術館というより、やはりここは、どこまでも「ルノワールの家」。ダイニングからは、窓越しになだらかに下るカーニュの町が見え、遠くにきらきら光る海が見える。確かに住んでみたくなる場所だ。圧巻は、庭のこのオリーブ林。手入れも行き届いていて、素晴らしい。ルノワールの家そのものよりも、こちらの散策のほうが楽しいかもしれない。向こうの丘の上に見えるのが、昨日紹介したオードカーニュのグリマルディ城。母屋からは海が見え、庭からは鷲ノ巣村と丘の上の城が見える。これほど風景明媚な場所は、なるほど南仏といえど珍しいかもしれない。しかし、この「ルノワールの家」。例によって外国人観光客が個人で非常に来にくい場所だ。一番いいのはニースもしくはヴァンス方面からバスで来ることだが・・・バス停のそばにはインフォメーションがない。地図を入手するなら、バスターミナルからBd Mal Juin通りを500メートルほど下ったところ、もしくはグリマルディ城(44番の無料循環バスに乗って)のインフォメーションに行くしかない。ちなみにグリマルディ城のインフォメーションは、10時から12時、2時から5時半と書いてあったが、午前中は一切開かなかった(苦笑)。ルノワールの家も、午前中は10時から12時まで。午後は14時から(閉館時間はシーズンで違う)と、お昼休みを2時間も取る。さらにバスターミナルからルノワールの家方面に行く49番のバスは非常に本数が少ない。たとえば・・午前中は10:30の次は11:50、逆にルノワールの家からターミナルに戻るバスの時間は11:20、次は12:30と、あまりに使い勝手が悪い。つまり、10時半のバスに乗ってルノワールの家へ行ったとしても、11:20のバスで戻るのではあまりに見学時間が少ない。といってその次のバスは美術館が閉まる12時から30分も待たないと来ないのだ。ふざけてるふざけてるふざけてるバスターミナルからルノワールの家までは1.2キロほどなので、坂道の上りになる行きはバスで行き、帰りは歩いて帰って来るという手もあるだろう。荷物がなく、体力に自信があり、かつ時間があるのなら。体力に問題があり、かつ時間もなかったMizumizu+Mizumizu母はバスターミナルからルノワールの家の往復はタクシーを使った。まずはバスターミナル。タクシー乗り場はあるのだが、例によってタクシーは停まっているのに、ドライバーがいない。周囲に連絡をしてくれるような店もない。困っていると、花を持ったおばさんがやってきて、「乗りたいの?」と聞く。彼女もタクシーに乗りたいのか? と思ったら、なんと・・・!そのおばさんがタクシー運転手だった。まあ、なにはともあれ15分ほど待っただけでドライバーが帰って来たのはラッキーだろう(なんで、こんなことがラッキーなのかわからないのだが)。ルノワールの家まで行ってもらって8ユーロ。帰りはルノワールの家の切符売り場の女性にタクシーを呼んでもらって(これはタダで呼んでくれた)、「10ユーロでどうか」と聞かれ、OKした。クルマで来る人には便利だ。ルノワールの家には駐車場があるし、オードカーニュの細い道に自信がないなら、バスターミナルの近くの駐車場に停めれば44番の無料循環ミニバスで丘の上の城まで行ける。ニースからカーニュは頻繁にバスが出ていて、40分ほどで着く。時刻表に合わせてバスターミナルに行く必要もないくらいだ。たとえば・・・ニース 9:30発→カーニュ(4つ目の停留所) 10:05(これなら10時半のルノワールの家行きバス49番に乗れる)→サンポール村(カーニュから3つ目) 10:25→ヴァンス(サンポールの次) 10:35着というような時間になっている。カーニュからニースに日帰りするなら、19時台まではバスがかなり頻繁にバスがあるが、20時台のバスはないので、それだけ注意。ルノワールの家は昼休みもあるし、フランスの多くの美術館がそうであるように、火曜日が休館。
2010.05.30
<きのうから続く>カーニュシュルメールの2大観光スポットは、グリマルディ城とルノワールの家。このうちグリマルディ城のあるオードカーニュ(Haut-de Cagnes)は、いわゆる「鷲巣村」。丘の上のグリマルディ城の周囲では、中世風の小道の散策が楽しめる。後日行ったエズも結局はこんな感じの中世風の小道がうねっている、観光客向けショッピングストリートだった。オードカーニュのほうが、アーティストが好んで住んだという素朴な雰囲気が残っている。店も少ない。とはいえ、南仏の「鷲巣村」は、だいたいがこんな感じ。こちらは丘の上のグリマルディ城の入り口から循環ミニバス(44番)の通る小道を見下ろしたところ。44番のバスに乗れば無料で、長距離バスが発着するバスターミナルとオードカーニュを循環できる。うねうねした急な坂を上り下りするバスは、乗ってるだけでなかなか楽しい。グリマルディ城内部。一番の見どころは、レセプションルームの奥(わかりにくいので、見逃さないように注意!)に展示されたSuzy Solidor(シュジー・ソリドール、フランスの歌手兼女優)の肖像画群。彼女をモデルにした50枚以上の肖像画が並んでおり、それらはすべて描き手が違う。マリー・ローランサンやジャン・コクトーに交じって、藤田嗣治の作品もある。ポーズは極めて西洋風で、女優の写真グラビアのようでありながら、日本画の美人画に通じるような様式美と、ウィーン分離派を思わせる華やかな装飾性が混在している、なかなか洒落た作品だった。これは一見の価値あり。城の頂上に登ると、360度のパノラマが楽しめる。カーニュの町越しに広がる地中海。緑と青の対比がきらきらしい。逆方向は山がちの地形。海のすぐ近くまで山が迫っているのが実感できる。ニースから日帰りできる村だし、それで十分といえば十分だが、やはり泊まれば、夕暮れの得がたい風景に出会える。こちらの写真は、グリマルディ城の北側の広場から撮ったもの。切り込んだ渓谷に沿って灯りが点り始めた、遠方の山脈を見ていると、海に近い場所にいることを忘れてしまう。どこか懐かしい、山あいの村のような情景。やはり海にも近いのだ。この眺めは、なだらかな海岸線が広がる大都会ニースとも、切り立った崖から海を見下ろすエズとも、生活感にあふれた漁村ヴィルフランシュとも違う。南仏の多彩な空気感をしみじみと味わうためには、やはりここで一泊したほうがいい。しかし、ホテルはLe Cagnardがお奨めといいがたいところがどうも・・・鉄道で来るにせよ、バスで来るにせよ、ホテルに非常に行きにくいし、クルマで来たら、あの最後の私道、タクシーも入らなかったあの超狭いをどうやって走るのか。たぶんメルセデスだったら、もうCクラスでアウトだ。といって駅もしくはバスターミナルまで無料送迎するほど人手はない。というより、その気がない。しかも、今HPを見たら、4/6~4/28と10/1~10/31間のMizumizuたちが泊まった部屋のレートを、5ユーロも上げてるではないか!呆・呆・呆・呆・・・・いくら客が少ないからって、こうやってどんどん値段を吊り上げて利益率を上げようとするフランス人の根性は、まったくどうかしている。ホテルにせよレストランにせよ、客商売の基本は、「リピーターを作ること」なのだ。確かに内装は洒落ているし、一度なら泊まってもいいかもしれないが、あのホテルにリピーターがつくとは思えない。値段を上げるより、バスタブの栓を直すのが先だと思う。でもま、たぶんホッタラカシだろう。ゲストがバスを使うのは夜。たとえ文句言われても、「今日は遅すぎる。明日修理屋に連絡するから」という話にする。たいていのゲストは一泊しかしないから、次のゲストが来たら、また同じことを言えばいい。連泊するゲストには、「今日は修理屋は来ない。明日来る」と言えば、「明日」をどんどん引き伸ばせるというわけ。そんなところだろうと思う。<明日はルノワールの家をご紹介します>
2010.05.29
カーニュシュルメールでの宿は、グリマルディ城美術館のそばにあるLe Cagnard。部屋のカテゴリーは海が遠くに見えて、バルコニーが付いているというSupérieure。料金は部屋代 135ユーロタックス2人分 2ユーロ朝食2人分 32ユーロ合計169ユーロ(カードで払って21,615円、レートは127.9円)こじんまりとしたホテルのインテリアは、可愛らしいアートでいっぱい。エレベーターの内装も凝っている。細い階段には緑の絨毯。ドアにはハンドペインティング。Mizumizuたちの部屋のドア。天井にもハンドペインティングが施されている。机はアンティークだそうで、「重い荷物を置かないで」とクギを刺される。アンティークに造詣の深くないMizumizuには、ただの古くてボロい机にしか見えないのだが・・・ベッドがやや窪んでいるのが気になった。寝心地は悪くないのだが、どうもフランスは高級ホテルでもベッドがよくない。そういえば、ヨーロッパの高級ベッドのメーカーは、たいてい北イタリアもしくはドイツにある。バスルームも南仏の雰囲気ふんだん。一応ダブルボウルになっている。トイレのドアもガラスが綺麗だった。タイルも可愛い。これまた南仏的なストライプ模様のファブリックを張った椅子。しかし、この椅子の上のクッションの置き方は、なんざんしょ・・・ まるでゲストになるたけ座るなと言っているよう。アンティークなチェストは、デザインも美しく、磨かれた木肌もつややか。でも、花が枯れているんですが・・・(笑)。夜になって新しい花をもってきた。ゲストが来る前に替えておけって!バルコニーはとても小さかったのだが、遠くに海が見える窓からの眺めは気に入った。アンティークな家具とハンドペインティングによる内装は、素朴ながら洒落たセンスにあふれている、プチ美術館のようなホテルだった。しかし、例によってサービスと水回りの設備に問題あり。ジャグジー付きバスタブを見たときは一瞬喜んだのだが、ジャグジーはとっくに壊れていた。しかも、最初、シャワーとバスの水を切り替えるハンドルが全然動かず往生した。フロントに電話すると、出迎えてくれた英語を話すマダムではなく、どうもその旦那さんのような老人が出て、しかも一言も英語が通じない。「部屋に来てください」と言っても、わけのわからないフランス語で答えるだけで、そのまま切ってしまった。しかたないので、フロントまで降りて手招きし、部屋に連れて来て、ハンドルが動かないことを伝える。すると、結局力づくで動かして切り替えてくれた。一度動かせば、なんとか女の手でも操作できるようになったのだが・・・ 一体、どれくらい使ってないんだ? こんなに固まっちゃうなんて。さらに、水を排出するバスタブの栓がウンともスンとも動かない。動かないのだが、水は微妙に流れ出していき、逆に言えば、いつまで水を出してもバスタブには水が大量にはたまらないようになっている。中途半端に閉まったままということだ。これにも頭に来て、再度老人を連れてきたのだが、これは男の力でもどうにもならず、ぶつぶつ言いながら出て行ってしまい、それっきり放ったらかしで、この老人とはその後、ホテルでは会わなかった。さらに朝食は悲惨だった。「何時に食べたい?」と聞かれたので、遅めで「8時半」と答えたのだが、8時半に食堂に行っても、誰もいない。客もいないが、ホテルの人間もいない。8時半で誰もいないって、どういうこと?一応用意は整えられているのだが、スーパーで一番安いチーズだろ、というようなチーズとか、これまた一番安いシリアルだろ、というようなシリアルとか、およそ食指が動くものがない。これで1人2000円取るとは大胆だ。マダムが慌てたように食堂に来たのは、8時40分。もちろん、謝るでもなく、おいしくないコーヒーを入れてくれた。生ハムだけはまあまあだったので、集中的に食べてしまった。カーニュの町を見下ろし、海を遠くに臨む、眺めのいい食堂なのだが、中身がこれでは、どうにもならない。タイやバリ島のホテルの朝食に文句をつけてスイマセンでした。フランスの高級ホテル(このホテルは一応、ルレ・エ・シャトーのメンバーなのだ)に比べれば、東南アジアの高級ホテルは、どこでも格段にマシだ。9時過ぎになって、外出するときに食堂をのぞくと、今度はカウンターバーのところに、若めの青年がボンヤリと立っている。身なりだけはちゃんとしている。なんで今頃アルバイトを立たせてるの? やることがずいぶんとチグハグだ。3人ぐらいの老人が食事をしていたのだが、ゲストというより、近所の寂しいヤモメがおしゃべりを兼ねて食べに来た・・・という雰囲気。マダムとさかんにしゃべっている。たぶん、地元の人には安く開放しているのではないだろうか。宿泊したゲストは何組いたんだろう? 夜シニアのカップルを1組見かけただけで、ホテル内で別のゲストにはまったく会わなかった。経営苦しそう・・・チェックインしたときに、マダムに「次はどこに行くの?」と聞かれたので、「ニース」と答えると、「ニースならバスでいけばいいわよ、1ユーロだから」と教えてくれた。そこで、鉄道駅よりは近い長距離バス停まで行き、そこからバスでニースに行くことにした。カーニュの町は、グリマルディ城のあるHaut-de-Cagnesとルノアールの家のあるCollettes Breguieresという2つの地区に分かれ、バス停はその中間にある。バス停からはニースやヴァンスへ行く長距離バスも走っているし、バス停とHaut-de-Cagnesを結ぶミニバス44番とCollettes Breguieresのほうへ行く49番のバスがある。Haut-de-Cagnes地区は44番のミニバスが無料で頻繁に循環していて、交通の便は非常にいい。地元の足という感じだ。逆に観光スポットであるルノアールの家へ行く49番のバスは、めちゃくちゃ本数が少なくて使いにくい。例によって、地元民へのサービスは手厚く、観光客は冷遇されている。ホテルはこのHaut-de-Cagnes地区にあり、城から続く階段がちの坂道を2分ほど下ったところ。44番のミニバスは城の前にも来るが、ホテルに来たとき、私道の前でタクシーを降ろされたところにもバス停があるのが、日中観光をしていてわかった。つまり、そこまでもう一度ホテルの人に送迎してもらえば、44番の無料バスで長距離バスの来るバス停に行き、1ユーロでニースまで移動できるということだ。出発の朝、マダムに、「お昼すぎにニースにバスで行くから、44番のバス停までクルマで連れて行ってくれますか?」と聞いた。来るときに迎えに来た場所なので、問題ないはずだ。ところが、「44番のバスはニースには行かない。ニースに行くバス停は遠い。そこまで送ってあげられるかどうかわからない。お昼に私が忙しくなければ連れて行ってあげるけど。今は約束できない」などと言う。いや、長距離バスのバス停まで行けというのは、ちょっと要求しすぎだろう。それに、こういう言い方をするときは、まず間違いなく、「お昼に私は忙しくなる」のだ。そして、「タクシーを呼んであげるから」という話にするに決まっている。「事前」にダメだと言われれば、別の方法を考えることもできるが、「直前」にダメ出しされたら、相手のいいなりになるしかなくなる。「わからないといって引き伸ばして、直前にダメになる」パターン。これってたぶん、フランス人はワザとやっている。「いや、私はニースに行くバス停がどこか知っている。そこまでは44番のバスで行くから・・・」と言うと、今度は、「44番のバスは上の城から出る。歩いてすぐ」などと言い出す。いやだから、荷物があるっていうの。いくら徒歩2分でも階段を上がるだけの道を荷物をもって行けないでしょ? 「44番のバス停は、私たちがカーニュの駅から来たタクシーの停まった場所にもあるでしょ。あそこまで行ってくれればそれでいいから」ここまで言ったら、もう相手は逃げようがない。わかった、と頷いた。しかし・・・彼女は、44番のバス停がどこにあるかぐらい知ってるハズだ。それなのに、こっちが知らないと思っているのか、「44番はニースには行かない」とか「44番のバス停なら歩いてすぐの城のそば」とか、論点ずらした言い方が実に不親切ではないか。迎えに来たところに送るだけなのに、なんだかんだと言って逃げようとしている。ゲストを招き入れるところまでは、そこそこ親切に対応するが、あとは手抜きで、自分がなるたけ働かなくてすむよう、そっちに知恵を回してる感じだ。お客がいなくてこれなのだから、ハイシーズンになったら、どうなるんだろうね、まったく。カーニュの町を見て回り、お昼過ぎに戻ってくると、マダムはもう黙ってクルマに案内してくれた。ところが・・・!そのクルマ、荷台が大きく、座るところは運転席と助手席の2座しかない。助手席に無理矢理ゲスト2人を座らせ、「今日はこのクルマしかないから」と、マダム。これで長距離バス停まで送れるわけがないのだ。44番のバス停だから、すぐ着いたけれど。南仏のホテルは、だいたいがこんな調子だった。内装は素晴らしいが、スタッフのサービスが三流。というより、サービスの意味も知らない人間が、お高いホテルで働いている感じだ。いったいフランスは、いつからこんな国になったんだろう?
2010.05.28
マルセイユまで何分なんだ、まったく。乗ってる時間のが断然短い。苦労してTGV駅まで来て、延々と待たされるとは・・・ 切符を払い戻せればマルセイユまでバスで行くことを選択もできたが、前日になっても動くかどうかわからない、エクスの在来線の駅の窓口は開いていないというのでは、手も足も出ない。とにかく、もう時間どおりにカーニュに着く可能性はゼロになった。実は、カーニュで泊まるホテルは不便なところにあり、ホテルの女支配人によれば、道が狭くて行きたがらないタクシーの運転手もいるのだとか。なので、「こちらでタクシーを用意するから」と彼女がメールで言ってきたので、電車の到着時間を伝えて、お願いしてあったのだ。料金はカーニュからだいたい12~13ユーロぐらいだという話だった。待ちぼうけをくらわせて、余計な料金を取られるのも嫌なので、電話で連絡することにした。ええと・・・親切そうな若い男の子はいないかな?いたいた、あそこに腰をおろしている、明るそうなティーンエイジャーに頼もう。「ボンジュー」と、フランスでは必須の挨拶をして、胸に手を当て、「英語できますか? 助けていただきたいのだけど」と丁寧に言うと、座っていた男の子は、パッと立ち上がり、「何でしょうか? 少し英語できます」と、ものすごく礼儀正しい。事情を話すとホテルにかけてくれた。受話器の向こうの声は、低い声のオバさん。ストで遅れるからタクシーをキャンセルしてくれるように頼むと、「今どこ?」と聞いてきた。「エクサンプロバンス」と答えると、「ここに今日来れるのか?」と心配しているよう。「アンティーブまで行けることは間違いない」「アンティーブからタクシーで来れば?」「いくらぐらい?」「たぶん30から40ユーロ」ホテルの言ってくるタクシーの料金はたいてい「安め」に見積もってある。なので実際には50ユーロぐらい取られるかもしれないが、最悪タクシーで行けるということだ。とは言え、鉄道の切符をカーニュまで買ってあるのだし、できれば最初の予定どおりカーニュからタクシーで行きたい。電話を切って、男の子にお礼を言い、例によってコインを2~3ユーロわたそうとすると、「ノー、ノー、大丈夫」と言って受け取らない。いい子や~エクスの駅前の女の子とはえらい違いだ。このようにして、もう10代のころから男の子はどこまでも女性に親切に、女の子はどこまでも図々しくと、性質が分かれているわけね。そのままオバさんになるのだから、フランスに親切で気がきくオバさんが少ないのも頷ける。余計なおせっかいを焼いたり、一方的に自慢したりするときだけヤケに生き生きするオバさんは多いが、愛嬌があって可愛げのあるオバさんが本当に少ない。遅れに遅れたTGVが来て、乗り込むとあっという間にマルセイユに着いた。例によって大混雑の構内に立ってる案内係に切符を見せると、案の定12:59の電車に乗れという。まだ1時間ちょっとある・・・荷物を預けられれば、マルセイユの駅の近くだけでも散策できる時間だ。有人の荷物預けがあるので、行くと、「1回8ユーロ」とトンデモなことを言う。なんで一律1000円も取るのよ、まったく。それじゃ庶民は利用できんじゃん。そう、利用する人はほとんどいなくて、荷物置き場はガラガラ、お兄さんはひたすらヒマそう。仕事するというより、8ユーロと言って客を追い払ってる感じだ。そのうちもっとラクして利益率を上げようと、「10ユーロ」にするかもしれない。フランス人ならやりかねない。ふと見ると、切符売り場の窓口の列はさほどでもない。もしかしたら、12:59の電車の席を指定できるかもしれない。10分ぐらい列に並んで待って、窓口のお兄さんに聞くと、できないという。「でも、この切符で乗れるから」と偉そうに言う。そんなの当たり前だ! そっちが勝手にマルセイユで止めたんだろうが。エクスに行くときは、裏のバス停にかじりついていたMizumizu+Mizumizu母。とりあえず、街方面に出てみると、アテヌ大通りに通じる階段には、荷物をもったまま「ためられている」乗客が大勢いた。羊のように大人しい。みんなよく躾けられていること。普段は文句が多いフランス人だが、ストに対する忍耐強さと寛容さは日本人から見ると、異様ですらある。こういうのも結局、社会をあげての「一種の洗脳」あったればこそなのだ。そうでなければ秩序は守られない。遠くに見えるのは、ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院。マルセイユ、どんな街だったんだろうな。図らずも2度電車から降ろされたのに、駅で待っていただけ。12:59発の電車も、当然遅れてきた。ホームは物凄い人であふれんばかり。乗れるのか一瞬不安になった。とにかく、目の前に来た車両に乗り込んだ。どうやら1等車両だったようで、別の車両に比べれば混み具合はたいしたことはない。たまたま空いてる席を見つけて、すばやく座った。2等の切符しか持ってなかったのだが、知らんわ、もう。出発するころには、1等車両も通路まで人がいっぱいになった。ストのときのこの手の電車には検札が回ってこない。逆に言えば、こういう満杯電車を狙えば、かなりの高確率でタダ乗りができるだろう。それもあって、なるたけ直前まで情報を出さないのかもしれない。実際にこんな東京の通勤電車みたいになった鉄道で移動したいと思う人がいるかどうか不明だが、といって、タダ乗りをまったく誰も考えないかと言えば、そうとも言い切れない気がする。カンヌを過ぎたあたりで、電車はだいぶすいてきた。海が見えてきた。う~ん、暖かそう。苦難の果て(笑)に辿り着いたコートダジュールだ。アンティーブ駅で降り、ホームで接続を確かめたかったのだが、あいにく電光掲示板がない。仕方ないので、重い荷物をもって階段を降り、もう一度階段をのぼって駅舎に行く。はぁはぁ、ゼイゼイ。もっと駅のホームにエスカレーターを作ってよ、南仏! 電光掲示板を見たら、なんと同じホームにカーニュに停まるローカル線が来るではないか。しかも、時間は今!えっ? とさっきTGVを降りたホームを見やると、プロバンスとコードダジュールを結ぶローカル線がしずしずと入ってきた。ゲゲ~! 駅舎から続くホームには下りのエスカレーターがあったのが不幸中(?)の幸い。あわてて地下通路に下り、荷物を引きずりながら必死に走る。日ごろ、「もうお母さんは、走れないから」と言っていたMizumizu母もダッシュでついてくる。はぁはぁ、ゼイゼイ。ホームへ続く階段を早足でのぼり、なんとか間に合った。乗ってしまえば、アンティーブからカーニュまでは15分。カーニュの駅には、タクシーが数台待機していて、運転手もちゃんといた。ヨカッタヨカッタ。しかし、嫌がられたらどうしよう・・・と思いつつ、タクシーの運転手にホテルの名前(Le Cagnard)と住所を書いた紙を見せた。「場所はわかる?」「イエ~ス」別に嫌がるふうでもない。クルマを出発させて、どこやらにケータイで電話している。あとでわかったのだが、ホテルにかけて、狭い道に入る前で降ろすから迎えに来てくれるよう話していたらしい。13ユーロと聞いていたタクシー代、実際には14ユーロちょっとで、切り上げて15ユーロ払った。このくらいなら、まあ別に誤差の範囲だろう。タクシーを降りて、ホテルのクルマに乗り換える。普通のミニバンで、しかも片方のサイドミラーが見事にひび割れている。サイドミラーを破壊するのもわかる気がした。500メートルほど私道のような道を走ってホテルのエントランスに着いたのだが、クルマは小型車1台しか無理そうな「極狭」の道で、しかも道の両脇が石造りの壁になっている。午後1時には着く予定が、もう4時半。朝9時すぎにエクスのホテルを出てから、7時間以上もたっている。あ~、疲れた。エクスアンプロバンスで2泊して身体を休めておいたのは正解だった。
2010.05.27
エクスアンプロバンスの次の宿泊地は、ニースの手前にあるカーニュ・シュル・メール。しかし、ストがどうなったのか、気が気ではない。そこでエクスからTGVに乗る予定日の前日、ド・ゴール広場近くの観光案内所に情報をもらいに行った。カウンターに座っているのはおじさんになりかけの青年。挨拶しながら、女の子のように小首をかしげる。やさしげな声の出し方なども、なんとなく「ソッチ系」の雰囲気。ホッ、この人ならオバさんほど横着ではないだろう。観光案内所のフランス人オバさんは、とっても感じの悪い女が多い。いかにも、「さっさと仕事を済ませたい」雰囲気をアリアリと漂わせている。自分たちのおしゃべりを仕事より優先させるなんてのは、日常茶飯事。まずは、明日鉄道でニース方面に行くという話をして、「ストはまだ続いてる?」と聞いた。すると、続いている、という答え。ガックリ・・・「明日乗る予定のTGVが予定どおり動くかどうか、調べて欲しいのだけど」そう言うと、おもむろにテーブルの下から市内地図を出し、「それなら、鉄道駅の窓口に行くといい。駅はここ」駅の位置を指し示し、さっそく仕事を終わらせようとしている。ここでうっかり、ハイそうですか、と言うわけにはいかないのだ。「鉄道駅の窓口はいつも閉まってるの。たとえ開いていても英語が話せる人がいるかどうかわからないから」するとこんどは、テーブルの下からサッとバスの時刻表が出てきた。「ストを避けるなら、マルセイユまでバスで行けばいい。時刻表はこれ」これで仕事はジ・エンドと言わんばかり。そうはいかんのよ。負けじと、エクス(TGV)10:36 → 13:00カンヌ13:10→13:00カーニュ・シュル・メールの切符を出して、「私はすでにTGVの切符を買ってしまったの。だからあなたに、このTGVが明日予定どおり動くのかどうか調べて欲しいんだけど」「ストの状況はどんどん変わるんだ。明日TGV駅に行って聞けば、動くかどうか分かるよ」そんなことは、誰だって分かるよ!「でもね、モンペリエでストに遭ったとき、その日の時刻表が印刷されて駅に張り出されていたの。つまり、前日にはもうスケジュールは決まっているということだと思う。私が乗るTGVは重要な路線だから、今日のうちにわかるんじゃないの。それにTGV駅はここから遠いから、明日TGV駅に行って電車が出ないと、とても困るのよ」ここまで説得(?)すると、ようやく「わかった」というように頷いて、コンピュータで何やら検索しはじめる、微妙にソッチっぽいおじさんになりかけの青年。やっぱり調べられるんじゃん。それなのに駅へ行けとか、バスで行けとか、どうしてそうやって、自分に都合よく、仕事をできるだけ簡単に済ませようとするのかね?しばらくすると、肩をすくめ、「インターネットには載ってない」「鉄道のインフォメーションに電話できる?」「やってみるよ」案外手際よく、電話をするおじさんになりかけの青年。やっぱり番号すぐわかるんじゃん。そういう作業をさ、外国人観光客が自分でやるのは大変なのよ。ハサミとフランス人(そしてイタリア人も)はうまく使わないとダメなのだ。こちらが理詰めで考えて、向こうがやるべきことをわかりやすく説明しないと、面倒臭がって、「私は知らない」かなんか言ってすぐに投げ出す。これがフランス人の雇われ労働者の行動パターンだ。しばらくすると誰かが出たらしく、「○■△■▼~」フランス語でやりとり始める、おじさんになりかけの青年。「今、調べてもらっているから」とこちらに話す。ニッコリするMizumizu。最初っからそうやって親切にしてよ、まったく。電話しながら、何やらメモを書き留めるおじさんになりかけの青年。しばらくして電話を置き、マルセイユ 12:59→アンティーブ15:17アンティーブ 15:22 ou 16:22→カーニュ 15:35 ou 16:35 と書いた紙を見せた。「明日動くことが決まっているのは、このマルセイユから出る電車だけ。そのあとのカーニュ行きはどうなるかわからない」「エクスプロバンスからマルセイユまでの私のTGVが動くかどうかわからないの?」「わからない」「決まってるのは、このマルセイユからアンティーブまで行く電車だけ? カーニュには停まらないの?」「停まらない。アンティーブのあとはニースに行く電車だけど、カーニュは通過」う~ん・・・MizumizuがエクスからTGVに乗るのが10:36。マルセイユはすぐ近くだから11時ぐらいには着くだろう。万が一、そこでTVGが止まってしまっても、この12:59の電車に乗れば、とりあえずアンティーブまでは行けるということか。もちろん予定どおり10:36のTGVが動いてくれれば問題ないのだが・・・「私のTGVが動くかどうか、明日の朝になれば、インターネットで調べられるの?」「当日なら調べられると思うよ。でもわからないけど。状況はどんどん変わるから」状況はどんどん変わるって? 確かに、国鉄のストをやってる労働者側も、「運行するかどうかは、経営陣との話し合いによる」などと言っているのを新聞で見たが、それはかなり虚構の談話だとMizumizuは思っている。前日に、どの電車をどう間引くかは、ある程度、いやほとんど、決めてあるはずだ。「マルセイユで止めて」「そこで客を待たせて」「満杯に詰め込んで運ぶ」というのはパターンなんだから。それを乗客に事前に知らせないだけだ。しかし、これ以上の情報は、ここで今の段階では得られないことはハッキリした。丁寧にお礼を述べて立ち上がるMizumizu。「ストには、ぼくらみんな苦しんでいるんだ」とソッチぽい仕草で、同情したような声を出すおじさんになりかけの青年。みんな苦しんでるって? 自分と関係ない他人の苦しみに、これだけ想像力を働かせない国民も少ないと思うけどね。たまたま鉄道で移動しなければならないハメに陥った人は苦しむかもしれないが、その「苦しみ」をもし全国民が深刻に受け止めているなら、こんななぁなぁのズルズルのストを許すはずがない。日本で同じ事をして、許されると思いますか? それが国民性の違いだ。誰のどういう権利に重きを置くか。誰のどういう不都合に憤りを共有するか。フランス人と日本人は、いろいろな面で正反対なのだ。とにかく、マルセイユから12:59にアンティーブ行きの電車が動く、ということはわかったので、マイTGVについては、出発の朝、ホテルのフロントで調べてもらおうと心に決めた。そして、チェックアウト当時の朝9時ぐらいに、フロントに行き、チケットを見せて、ストの話をし、「このTGVが今日動くかどうか知りたいんだけど」と相談した。するとすかさず、「ぼくは知らない・・・」オメーが知らないのは、そりゃ当たり前だよ。「ストの状況は刻々変わるから・・・」また同じ台詞だ。フランス人はストとなると思考停止するのか?「TGVの駅に行って、聞けば分かるよ」それで仕事を終わらせる気? もちろん、そうはさせない。「でもね、私のTGVはパリから出ると思う。だから10時半にエクスに来るということは、動くならもうパリを出ているはず。インターネットでそれは調べられると聞いたんだけど?」ここまで言うと、案外素直に働き始めるフロントの青年。Mizumizuの切符の電車の番号をブツブツ繰り返し、コンピュータをガチャガチャやって、「パリからじゃなくて、このTGVはリールから出てる」なるほど、パリより北から来るのね。「今日は動いてる?」「動いてるね。ただし、今のところ15分遅れ。でも・・・」と言ってコンピュータを覗き込むフロントの青年。「あれ? この切符でカンヌまで行くの?」「そう、このTGVはニース行きだから」「ニースまでは行かないよ。今日はマルセイユ止まりになってる」やっぱり・・・!「マルセイユで止めて」「そこで待たせて」「満杯に詰め込んで運ぶ」んだな。でもまあ、マルセイユまで行けることはハッキリした。マルセイユに着いてしまえば、12:59分の電車に、同じ切符で乗れるはずだ。エクスの街からTGV駅までは、バスの切符をすでに取ってある。「バスは動くと思う?」「問題ないよ。今回は鉄道のストだから。バスはストをやってない」そこで、タクシーを呼んでもらい、街はずれのバスターミナルまで行くことにした。来たのは、オバちゃんタクシーだった。最初はメルセデスのタクシーを寄こしたのに、出るときは、バンみたいなタクシーってのは、偶然か?ホテルのボーイから行き先を聞くと、突然オバちゃんが、「お~」と大げさな声を出して、「今日は鉄道のストだから、バスは動いていない」なんて言い出す。フロントのお兄さんと意見が違うじゃねーの。「全然動いてないの?」と聞き返すと、「ふだんよりずっと少ない・・・と思う」いい加減な言い方だ。つまり、バスターミナルではなく、18キロ先のTGV駅までタクシーで行けと言ってるわけね。本当にちゃっかりしてるわ。自分のトクになることとなると、急に気をきかせ始めるフランス人の商売人の特徴ね。「まだ時間は十分あるし、もうバスのチケットを買ってしまったので、とりあえず、バスターミナルに行ってくれる?」譲らないMizumizu。15分遅れとはいえ、TGVは動いているのだから、バスが全然動かないわけがない。いつもはほぼ15分間隔で出てるのだから、多少本数が少なくなっても問題ないはずだ。そこまで言えば、オバちゃんは素直だった。まったく・・・こういうことも知らないと、タクシーのオバちゃんの話を真に受けて不安になっていたかもしれない。情報で武装しないと、フランスで外国人旅行者はいちいち何でも高く払うことになる。タクシーがバスターミナルに着いたとき、メーターは14ユーロちょっとだった。オバちゃん、メーターを止めないまま外に出て、こちらの荷物を出すのを手伝い始めた。こんなことで時間稼ぎされてもなんなので、荷物を降ろすやいなやすぐに、「いくら? 15ユーロでいい?」と言うと、オバちゃんはメーターを見に戻り、「いい」と言うので、切り上げて払った。見ると、「Aix - TGV - Airport」と書いてある大型バスがちょうどバス停に入ってきた。ドライバーに一応確認して乗り込む。ホッ。なにが「バスはとっても少ない」んだか。すぐ来たじゃないの。セザンヌが好んで描いたサントヴィクトワール山を遠くに見ながら、バスは郊外へ向かう。エクスアンプロバンスのTGV駅は、本当に周囲に何もない場所だ。バス停で降り、駅の構内を通って、エレベータでホームに行った。不思議なことに、10:39発のTGVは「On Time」になっている。ホテルで聞いたとき15分遅れだったのに、取り返したのか?・・・ンなわけはないのだった。これが新幹線なら、15分の程度の遅れなら取り返そうとスピードをあげるだろう(そして、かなりの確率でちゃんと時間通りに目的地に着く)が、TGVは世界最速とか威張ってるわりには、遅れは遅れのまま、どんどん遅れる。何のために高速実験をしてるんだろう? 例によって、ギリギリまで「On Time」と表示しておいて、直前にいきなり、「40分遅れ」と出た。40分遅れか!
2010.05.26
エクスアンプロバンスは、バロック風の装飾のある建物やそこここにある広場、噴水などどこかイタリア的な都市だ。広場のカフェはお客さんでいっぱい。しかも、観光客でなく、地元の人が多い。観光客に占領されたフランスの有名都市と違う活気がある。生活感があり、しかも清潔で洒落た街並み。目だった観光名所はないが、エクスアンプロバンスはやはり魅力ある小都市だ。タピスリー美術館の前のカフェも、ものすごく賑わっている。食べているものを見ると、ピザが多い。しかし、フランスのピザは、イタリアのピッツァとはけっこう違っていて、正直、あまり美味しそうではない。Mizumizu母がピッツァマルゲリータを頼み、やはり「トマトソースもチーズもイマイチ」と、しぶい顔をした。地理的には近いはずなのに、なんでアルプスを越えるとパスタもピッツァもこうも味が落ちるのか。日本のほうがずっと本場イタリアに近い(というか、そっくり同じ)ピッツァがある。フランス人がこんなに軽食としてピザを食べているのには驚いた。やっぱりねえ、フランス料理は、マトモな軽食がないのだ。フランス風の軽食というと、クロックムッシュだとか、あんなのもんになってしまう。南仏は美術館も、昼休みを取るところが多くて不便。だいたい12時から2時の間閉まるというのがパターン。エクスのタピスリー美術館も、10時~11:45、14:00~17:45と、時間のない旅行者にとってはかなり行きにくい。午前中に2時間も開かないって、いったいどういう了見? まったく・・・それでもタピスリーには興味があるので行ってみた。入館料は3.1ユーロ。わりと安いと思ったら、展示物があまりにショボくて、がっくり。兎にも角にもタピスリーの保存状態が悪すぎる。ほとんど色が抜けてしまっているし、傷みも目立つ。NYのクロイスターズ美術館やパリのクリュニー美術館とは比較にもならない。タピスリー美術館は建物のほうが面白かった。壷をデザイン化したような洒脱な階段の手すりとモダンな照明器具が印象的。このシャンデリアもなかなかいい。やっぱりイタリア風だ。サン・ソヴィール大聖堂もたいして見るべきものはない。この回廊つき中庭には少し期待していたのだが、なんと閉まっていて中に入れず(写真は柵の外から撮影)。クロイスターズに行けば、こうした回廊はまとめて見られるのだが、やはりちょっと直しすぎているきらいはある。ここはホンモノの聖堂付きの回廊なのだから、近くから見たかった。保存上の理由で見学を制限しているのかもしれない。こちらはプラタナスの並木で有名なミラボー通り。エクスアンプロバンスを代表する通りなのだが、いかんせん季節が少し早すぎて(というか、今年は寒すぎて?)、緑がない。4月後半でまだ樹木がこの状態とは、まったく予想していなかった。ミラボー通りには、セザンヌも通ったという「ドゥー・ギャルソン」という有名なカフェ兼ブラッスリーがある。緑のシーズンなら気持ちがいいであろう路上の席。このブラッスリーは、店内の内装は時代がかった豪華なものだった。それなりに高そうな店。味はどうなんだろう?珍しくアイスクリームサンデーを頼んでみた。しかし・・・量もすごいが、それより味がよくなくて、ビックリ。シャンティー(ホイップクリーム)は、「いけません」。生クリームじゃないな、これ。植物性だろうか。アイスももっさりしていて、これまた「いけません」。これで8.5ユーロ(1,100円)って・・・たけーよ!イタリアでは、フラーゴラ・コン・パンナ(生クリームつき苺)に目がないMizumizu。すっぱい(そして、しばしば硬い)苺に生クリームを盛っただけのものなのだが、それでもかなり美味しい。だいたいどこで食べても生クリームが重いとか脂っぽいということは、ほとんどない。そういえば、フランスのお菓子はバタークリームが中心。イタリアではどこでも見かける、生クリームをたっぷり使ったお菓子をあまり見ない。なんでだろう??しかし、このアイスクリームの味じゃ、食事の味もあまり期待できないかもしれない。由緒ある店なのだが・・・メニューには昔の有名人の写真がずらり。セザンヌはわかるにしても、なぜここにもコクトー(下段中央)とジャン・マレー(中段右端)が・・・?ジャン・マレーは「オルフェ」時代の顔なので、もしかして、映画に出てきたパリのカフェはここで撮影されたのかも? と思って、家に帰って「オルフェ」を見直してみたのだが・・・わかりませんでした。「オルフェ」の冒頭のカフェのシーン。確かにミラボー通りのカフェのようにも見えるが、パリの町角のようにも見える。そして、プロバンスと言えば、ラベンダー。ラベンダーといえば、中富良野のファーム富田かプロバンス(←Mizumizuのアタマの中では)。そこでラベンダーのエッセンシャルオイルを買ってみた。Chatelard社の製品で、5.5ユーロ(700円)。世に「高品質」を謳うものは多いが、このエッセンシャルオイルは確かに、高品質だった。香りがぎゅっと凝縮されていて、東南アジア産のエッセンシャルオイルに比べると、少量で強い香りが楽しめる。液が無色透明なのも、アロマポットが汚れないので助かる。日本ではこちらで扱っているよう。しかし、根源的な問題として・・・ラベンダーっていい香りずらか?この花のアロマの効用としては、頭痛をやわらげるとか。頭痛持ちのMizumizuには、多少のお守り代わりになるやもしれない。こちらはバリ島で買った、粗悪品の見本のようなエッセンシャルオイル。500円弱。きれいな箱に入っているのだが、箱には「レモングラス」と書いてあり、あけてみたら「ジャスミン」で、しかも使ってみたら、「これ、本当にジャスミン?」と思うような正体不明の香り。中身もラベルも全部間違えたとか?(笑)。香り自体も水っぽい。「水っぽい香り」というのは変な表現だが、そうとしか言いようがない。量を増やしても、水で薄めたような香りで、しかも液体は熱するとこげ茶に変色して、うっかりするとアロマポットが汚れてしまう。アロマポット(アロマバーナー)はタイ製のものを使っているのだが、ベンジャロン焼きのものが使いやすくて気に入っている(こちらのエントリーの下から2番目の写真)。使ってみて、初めて使いにくいもの、使いやすいものがわかる。旅先で出会った小物は、ほとんど一期一会なので、本当に、「買ってみなければわからない」ということだ。追記:この記事をアップしてすぐ、読者のかたより情報をいただきました。「ドゥー・ギャルソン」は、コクトーゆかりのカフェだそうです。エクスをモチーフにした以下のような詩があるとか。百余りの青い泉が、セザンヌの賛歌を歌っているまさきつねさん、貴重な情報をありがとうございました。しかし、エクスにコクトーが長期滞在したという話は聞いたことがないのですが・・・ いつぐらいになんのために滞在したのか、ご存知の方は、是非メールにてご教示ください。
2010.05.25
ホテルのスタッフに紹介されてディナーに出かけた、ド・ゴール広場にほど近いLa Tomate Verte。レストランの多いRue des Tanneursにある。メニューを見て、一瞬困惑。「前菜」「メイン」「デザート」という区分ではなく、「私たちは始める・・・」というような文章になっている。「前菜」+「メイン」でいくら「前菜」+「メイン」+「デザート」でいくら、というような選び方ができるようなのだが、「私たちは始める・・・」のところになぜか、普通はデザートである「タルトタタン」などというメニューがある。リゾットがあるのは、炭水化物系イタリア料理が大好きなMizumizu母には朗報なのだが、それがなぜかメインらしき区分のところに書いてある。リゾットがなぜに、メイン・・・????仕方なくウエイターのお兄さんに、「どこまでが前菜で、どこからどこまでがメイン?」と聞くと、指し示して教えてくれた。見開きのメニューで左3分の2ぐらいが前菜で、その下から右半分ぐらいがメインのよう。リゾットはやはりメイン扱いだ。????フランスではリゾットをメインとして食べるのか? なんかよーわからんなぁと思いつつ、デザートまで食べるのは無理だろうからということで、「前菜」+「メイン」コースにして、かつフランス料理のメインが基本的にダメなMizumizu母のために、リゾット(と海老)をチョイス。デザートではない前菜のタルトタタンも、アップルパイが好きなMizumizu母の口に合うかもと頼んでみた。一口食べて、「うん、美味しい~」と頷くMizumizu母。タルトの上に、リンゴのコンポートをのせて、かつ薄切りのチーズをのせたもの・・・のよう(詳細は食べなかったので不明)。ピンク色の髭みたいのは、なんずら? 聞いたのだが、よくわからなかった。Mizumizuの前菜は、フォワグラのテリーヌ。冷製フォワグラは、大好きというほどでもないのだが、これは絶品! ねっとりしているが、どこかベルベットを思わす舌触り、特徴を言えと言われてても難しいのだが、他の素材では味わえない不思議な味だ。上にふりかけたきらきらした粗塩が、ダイアモンド級のインパクトになっている。大量に食べるものではない。このくらいで十分。サラダもバルサミコの上質感に驚く。イタリア以外で、ここまでオリーブオイルとバルサミコを絶妙に使ったサラダにお目にかかることはめったにない。皿を下げに来たウエイター君が、「どうだった?」と聞いたので、思いっきり褒めちぎった。さらに、「ちょっとイタリア風な感じがする。シェフはもしかして、イタリア人?」と聞いたら、「そう」と頷く。なんだ、やっぱりイタリア人か。そういえば、昼間路上でピザを売ってるお兄さんが、いきなり「ボンジョルノ!」と挨拶してきたっけ。もしかして、イタリア人が多いのだろうか、ここは?メインのリゾットは、海老のグリルと一緒に出た。リゾットの中に海老が入っていると思ったら、こういうことだったとは。確かに海老のグリルならイタリア料理でもセコンド(メイン)だ。「ごはんもの」と「おかずの魚介」が並んでるなんて、ちょっと日本風だ。これにも「美味しい」と舌鼓を打つMizumizu母。しかし・・・リゾットをこういう保存容器に入れるというのは、モダンスパニッシュでよく見られる演出なのだが、あんまり美味しそうには見えない。料理をフラスコに入れたり、スープをスポイトを使って食べさせたり、ああいうウザったいのは誰が始めたんだろう? 「エル・ブジ」か?フランスの肉料理がだ~い好きな、Mizumizuは鴨肉のコンフィ。鴨のもも肉のコンフィは日本でもよくあるが、たいていしつこいだけの肉の塊で、気に入らないことが多いのだが、ここのは絶品。ジューシーな鴨肉の中に、とりどりの野菜の煮込みが詰まっている。野菜の水気が肉のバサバサ感を和らげ、しかも重層的な味に仕上がっている。コーヒー牛乳みたいな(笑)見かけのソースをかけると、ますます味わい深くなる。もちろん、カリッとした肉の表面、と柔らかい肉の中身と、肉のもつ食感の違いもきちんと楽しめるようになっている。う~ん、これはウマイ。こういう肉料理が日本にはないのだ。和牛が美味しすぎるのが問題なのかも。ワインはドメーヌ・サン・ティレール(ラングドック)の赤をハーフボトルで。特に上等なワインではないが、かすかな花の香りと胡椒めいた刺激が楽しい、それでいて軽やかなワインで、料理を爽やかに引き立ててくれた。やはり、ラングドックのデイリーワインの実力は侮りがたい。すっかり満足して店を出るMizumizu+Mizumizu母。ちなみに料金はワイン込みで(水はタダのテーブルウォーターにしてもらった)、71ユーロ(カードレートで9,155円)。これだけしっかり作った料理でこの値段なら、安いと思う。デザートを食べなかったのが、今となっては心残り。ここなら独創的なデザートを出してくれたかも。居心地のいい隠れ家的なホテル、美味しいレストラン、上質の名産品。う~ん、エクスアンプロバンス、だんだん好きになってきた。La Tomate Verte15, rue des Tanneurs, 13100 Aix-en-Provence電話: 04-42-60-04-58
2010.05.24
プロバンスの銘菓カリソン。こちらにも説明があるが、13世紀に国王の結婚を記念して作られたと言われている。アーモンドの粉を使ったお菓子で、フランスで有名なお菓子というのはたいていそうなのだが、もともとはイタリアから来たものだとされている。イタリアのパスタ・ディ・マンドルラ(マジパン)は、香料があまり強いとまったく受け付けないMizumizuだが、香料控えめなものは、かなり好き。それも、最初は、「なんじゃ、これ?」と思ったのが、食べなれるにつれジワジワと好きになってきた感がある。カリソンは食べたことがなかったのだが、Villa Galliciのフロントに置いてあったので、試食してみた。「うっ、まずっ」というのが、正直な第一印象。やはり香料が強すぎる。なので、カリソンは口に合わないのかな、と思いつつエクスアンプロバンスの旧市街に出かけたら、サン・ソヴィール大聖堂のすぐそばに、カリソン専門店があるのを見つけた。Roy René (ロワ・ルネ、つまりルネ王という意味)というメーカーらしい。ショーウィンドウのディスプレイは綺麗だが、微妙・・・ 日本人的感覚だと、お菓子のラベンダーカラーは、少し毒々しい色だとも言える。入ってみると、試食させてくれるという。食べてみたら、あ~ら、不思議。ここのカリソンはフレーバーが自然な感じで、ホテルで置いていたカリソンよりずっと口に合う。というか、むしろ、「美味しい」と思う。やっぱり、パスタ・ディ・マンドルラ(マジパン)と同じだ。香料が多すぎるとダメだが、控えめなものは好き。売り子のお姉さんはとても親切で、いろいろ説明してくれた。結局上の3種類を買ったのだが、左上の袋入りカリソンは1粒が小さいのがわかるだろうか? カリソンは小さいものを作るほうが手がかかるので、割高なのだという。大きいカリソンのほうが値段的にはお得だとか。下のカリソンは長方形の箱にきれいに並んでいるが、これは密閉された箱ではなく、空気が入り込んでしまっているので、一番長持ちしないそう。日持ちは2週間弱だと言われた。Mizumizuが自分用に買ったのは、左上の小さなカリソンを1つ1つ袋にくるんだものなのだが、これは、最初に食べたとき、「大きいカリソンはしつこい」と感じたためだ。1つ1つくるんであるから日持ちもするだろうし、あまり進まなくても傷まないで置いておけるだろうと考えたのだが・・・あ~ら、不思議。食べれば食べるほどやみつきになり、「一度に小さいの1つで十分」と最初考えていたハズが、それでは物足りなくなり、一挙に2つ、3つと食べるようになってしまった・・・アーモンドの粉を使ったお菓子には、やみつきになる「何か」があるのかも。だが・・・旅行先でラファイエットのような大型店に入ると、食料品売り場にほとんど必ずカリソンが置いてあって、しかも、エクスで買ったRoy René というメーカーのものもあると気づいた。味を知らないので、試食させてくれない大型店でいきなり買うことはなかっただろうけれど、Roy René のカリソンなら別にエクスにこだわる必要はない、ということだ(苦笑)。しかも、日本に帰ってきたあと、意外なことが書いてあるブログを発見(こちら)。なんとエクスのRoy René の本店には、そこでしか買えないチョコレートコーティングのカリソンがあるとか。はて・・・?あったかなあ? チョコレート色のカリソン・・・色つきのものは、1つ食べてみて気に入らなかった(例によってフレーバーが人工的すぎる)ので、よく見なかったのだが、知っていれば探したのに・・・惜しいことをした。カリソン屋のすぐ近くでMizumizu母がお友達へのお土産として大量購入した紙ナプキン。南仏風の絵柄が綺麗。しかし・・・この紙ナプキンも、ヴィルフランシュ・シュル・メールで見たら、もう少し安く売られていた。絵柄は同じものもあるが、違うものもあるという感じ。なんで明らかに大量生産の同じお土産物がこうも土地によって値段が違うのか・・・ 日本ではそういう価格差はあまりない気がするのだが(あるのだろうか? 実は?)。同じ店で見たマグネット。こうしたものは普通メイドインチャイナだろうと思うのだが、売られている地方によってずいぶん出来に、「いい」「悪い」がある。エクスのマグネットは「いい」ほうの部類。というか、マグネットとしては、かなりよく出来ている。特に小さなワインは熟練の技。「悪い」ほうの部類のマグネットは、ニースのようなモロ観光地で売られているもの。こういうものの質にも差があるというのは、意外のような、案外納得できるような・・・これはホンモノのカリソンではなく、Mizumizu母お買い上げのカリソンのマグネット。ネット上では神戸で、本格的にカリソンを作っているパティシエを見つけた(こちら)。
2010.05.23
朝食も同じサロンで。もう少し季節がよかったら、気持ちのよい中庭のテラスで食べられるのかもしれない。可憐なピンクの小花模様に金彩を施した器は、典型的なリモージュ。銀製のカトラリー。真紅のバラ。食器類は最高級なのだが、サービスしてくれるお姉さんは、アルバイト感アリアリ。泊まっているお客さんは、Mizumizuのほかに3組遭遇したのだが、中国人が2組、アメリカ人1組(若い女の子のグループ)。コンチネンタルな朝食は、お粗末そのもの。こちらのパンはまあ美味しいと言えば美味しいのだが、パリの飛び切りのパン屋のパンを知っている身には感動はない。そのほかにはジャム、飲み物、市販のヨーグルト、それに洋ナシを摩り下ろしてフランボワーズを添えたもの。ま~、なんとも手のかかってない朝食だ。この貧弱さで1人22ユーロとは・・・ナポリのエクセルシオールに泊まったときは、土地の名産品であるモッツァレッラが何種類も並び、トマトや野菜もふんだんにあった。もちろんハード系のチーズやハムもいろいろ出た。カンパーニャ地方の豊かさを実感したのだが、あそこも今は、コスト重視の「コンチネンタルブレックファスト」になってしまったかもしれない。器が貴族的なだけに、それにともなう内容のない食事に、心底ガッカリした。ほとんど一見さんの外国人ばかり相手にしている「高級ホテル」はこうなりがちだ。リピーターが来ないから、宣伝にばかりお金をかけ、立派なホームページを作り、ガイドブックに載せ、テレビに取材してもらって、イメージアップを図る。フランスの高級ホテルは、軒並みこんな調子。ホテル文化でもっとも大切なのは、ホスピタリティ精神だ。どんなにゴージャスな内装でも、立派な器を使っても、スタッフがサービスのプロフェッショナルでなければ、一流とは言えない。プロフェッショナルなソムリエ、プロフェッショナルなギャルソンのいるフランスで、なんでこうもプロフェッショナルなホテルマンがいないのだろう? リピーターになってくれる自国民ではなく、ほとんどが一過性の外国人をアテにし始めたことで、フランスのホテル文化は凋落したのではないか。その点、階級がフランス以上に断固として固定しているイタリアには、まだ高級ホテルにもパーソナルなホスピタリティが残っているように思う。フランス人ほど「偉そうでない」というイタリア人の国民性もあるかもしれない。どちらにせよ、もう高級ホテルはアジアの時代。そういえば、3月のトリノのフィギュアスケート世界選手権で高橋大輔選手が優勝したとき、ドイツの中継だったか、「彼はアジア人初の男子世界チャンピオン。ペアもシングルも、今はアジアが非常に強い」と解説していた。もともとは、ヒマと時間をもてあましている北ヨーロッパの貴族が優越感に浸るために、氷の上で図形を描いて見せたり、クルクル回って見せたりしていた遊びがフィギュアスケートのルーツだと言われている。それも今はアジアの時代。ヨーロッパのものだった「何か」をアジアが模倣し、やがて超えていくとき、その突破口を作るのは、たいていが日本人だ。ホテル文化にしても、ヨーロッパでは風前の灯のホテルマンのホスピタリティ精神は、日本に移植されて、十分根付いている。他の多くのアジアの国の高級ホテルは、支配者たる白人のためのサービスをスタッフに教え込むことから出発したが、日本人はそうした意識をもたずに、「自分を下げて、他人への敬意を表す」ことができる。もうだいぶ昔だが、オーストリアで由緒ある「白馬亭」ホテルに泊まったとき、足を少しひきずっているMizumizu母を見て、老いたポーターが、「どこまで行くの?」と聞き、行き先がすぐ近くの船着場だと知ると、何も言わずにMizumizu+Mizumizu母の荷物を手押し車に乗せ、ホテルから湖までガンガン運んでくれたことがあった。ああしたポーターは、ヨーロッパの高級ホテルからすっかりいなくなってしまった。今ホテルに突っ立っているのは、正装させてそれなりに見せているだけの、「自分が何をしたらいいのかわかっていない」若者だ。とはいえ、エクスアンプロバンスのVilla Galliciは、隠れ家的な雰囲気があり、かなり気に入った。値段も、とにかく「高い」と感じるフランスのなかでは、妥当な価格だと言える(一番安い部屋で1泊300ユーロ弱)。もう1度来てもいい気のするホテルだ。今年は4月になっても寒く、ホテルの中庭にあるプラタナスが緑でなかったのが残念だが、初夏のころに来たら、より美しく、落ち着けると思う。そしてここは、クルマで来たほうがいい。Mizumizu母が、プロバンスではOlivadesの布地を買いたいというので、ホテルのフロントで場所を聞いて出かけた。幸いにも、サン・ソヴィール大聖堂の前の通りで、ホテルから近い。Mizumizu母お買い上げの布。華やかな花柄模様。Mizumizuは薄手のコットンのスカーフを購入。30ユーロ(3891円)。天然コットンのさらっとした肌触りがバツグン。有名ブランドなので、値段は高めだが、質は確かに高い。Olivadesは日本でも買えるのかな? と思って楽天で検索してみたら、結構ある。Les Olivades ボニスストールボートネックのマリン風ワンピLes Olivades レゾリヴァード / rave et Bonis robeLes Olivades ボニスサック日本ではなぜか青系を中心に商品展開しているようだが、現地には赤系、青系、緑系、黄色系と、明るい色合いのテキスタイルがふんだんにあった。
2010.05.22
<きのうから続く>ストのせいか、駅舎に入っても、誰も働いていない。切符売り場も閉まり、切符は機械でしか買えない状況になっている。しかも、タクシー乗り場にタクシーだけが停まり、例によって運転手がいない。しばらく待ったが運転手は戻ってこないし、別のタクシーが来そうな気配もない。駅にタクシーゼロって、一体、どういうこと?あとから分かったのだが、街中のド・ゴール広場にはタクシーはいくらでもたむろしているのだ。ストだからなのか、駅そのものが廃れてるのか、とにかくこんな状態では、待っていてもラチがあかない。ホテルに連絡してタクシーを呼んでもらうしかない。また通行人にヘルプを求めないと・・・最初に声をかけたのは、1人でお迎えを待ってると思しき20歳ぐらいの美人。「携帯を持っている?」と聞いたら、「持っている」と答えたので、「かわりにホテルに連絡してもらえる?」と聞くと、「今は持ってない」と、急にニベもない。警戒されたよう。ダメだ、女は・・・ 若い男の子のほうがよっぽど親切。と、めぼしい(笑)相手を探したのだが、若い男の子はあまっていなかった。ふと見ると、若い男女のカップルが、ややヒマそうに市内バスの停留所に立っている。しかも、女の子のほうが携帯をいじってるではないか。例によって、「ボンジュー」と挨拶し、「英語話せる?」と聞くと、男性のほうが話せるという。そこで、事情を話して、ホテルの電話番号を書いた紙を指し示し、さらにコインを見せてお金は払うからという意思を見せ、かけてくれるかと聞くと、快く彼が彼女に通訳し、彼女からわたされた電話でホテルにかけてくれた。ホテルの従業員が出たところで電話をかわり、「駅にタクシーが全然いないから・・・」というと、「全然いない?」と驚いている。「駅というのはTGVの駅か」と聞くので、「ノー、ノー」と言って英語のわかる男の子に、「この場所を説明してくれる?」と言うと、これまた快く電話をかわり、「▲■□○△~」とフランス語で説明してくれた。「どんな服装してるかってことも話しておいたから」と彼。う~ん、なんて気がきているの?お礼を言って、もっていたコインを全部あげた(たぶん3.5ユーロぐらい?)。すると、「メルシィ♪♪♪」と物凄く嬉しそうな声を出してお金を受け取り、さっさと自分の財布にしまう彼女。確かに、ケータイは彼女のものだが、いろいろやってくれたのは彼のほうだ。彼女は彼にケータイをわたしただけ。てっきりもらったお金を、そんな彼と分け合うのかと思いきや・・・全額自分のものかい!?つくづく・・・フランス男は大変だ。こんな自分勝手で役に立たない女を相手にしなければいけないとは。日本女性のほうがまだずっとマシ。フランスの一般男性の親切さは、あれは人生修業の一環なのか? 逆にフランス人男性が大勢日本に来たら、どんどん日本人女性はフランス人男性になびいてしまうかもしれない(親切ったって、それはどのみち「釣る前」だけに、ほぼ決まってる)。親切な彼とそうでもない彼女に別れを告げ、駅の前に立っていると、2人乗りの小さな車がやってきて、Mizumizuの前で停まった。え? これタクシーじゃないよね。「▲■□○△~」運転席から東洋系の女性が話しかけてきた。「Hotel Villa Gallici?」と聞くと、人違いだとわかったようで、「ごめんなさい」みたいなことを言って向こうへ行ってしまった。彼女も誰かのお迎えに来たのだろう。しばらくしたら、メルセデスのタクシーが来た。さすがに高級ホテルが寄こすタクシーはクルマがいい。メーターは押された状態だったが、3ユーロちょっと。フムフム、これなら別に問題ないでしょ。ホテルは旧市街の北にある。タクシーに乗り込むと、あとはあっという間だった。無人のゲートが開く。すぐに建物は見えない。「マフィアの家に招待されたみたいね~」と、小市民的な感想を述べるMizumizu母。こちらがエントランス。し~んとしていて、Mizumizuたちがタクシーを降りても、誰も出迎えに来る気配がない。「ちょっとサービス悪いホテルかも・・・」と若干不安になるMizumizu。実際にはサービスが悪いというより、あまり人手のないホテル(同じか?)だったのだが。タクシーは7ユーロぐらいだった。もちろん荷物代の上乗せ請求もなし。本当に、エクスアンプロバンスまではタクシーに何も心配することなく乗っていたのに・・・通された部屋は、貴族的な雰囲気。シルクのモスグリーンとライトブラウンで統一されたファブリックは、まごうことなきシルク製。重く垂れ下がった窓辺のカーテンを触って、「重いわね~。なんでこんなに重いの」と、庶民丸出しの感想を述べるMizumizu母。そら、あーた、モスグリーンとライトブラウンのシルクファブリックを2枚重ねて縫って(つまり、裏表がないということ)、2.5メーターはあろうかという大きな窓から下げているんだから、重くもなりますよ。窓からはプールのある中庭と緑豊かなエクスの街が見える。塔はサン・ソヴィール大聖堂。部屋はとても静かで落ち着けた。泊り客があまり近い部屋にならないよう配慮しているのか、プライバシーが守られてる安心感がある。泊り客をとにかく固めて集めて、その結果、別の部屋のゲストのたてる音が聞こえてきたパリのランカスターとはえらい違いだ。マカロンが運ばれてきた(本当は4つあったのですが、1つ食べたあと写真撮影)。ガラスの器に入った、薄いピンクのバラが美しい。ここはとにかく、何かをサーブするときは、必ずガラスに落としたバラの花を添えてくる。マカロンを食べて、「美味しい~」と感激するMizumizu母。そのあと街に出て、「またマカロン食べたい」と言って、チェーン店のパン屋で3ユーロのデカマカロンを買っていた。あ~、高級ホテルで出すマカロンと、そこらのパン屋のマカロンは別物なのに・・・案の定、デカマカロンを食べて、「これはマズイ」と、のたもう母(苦笑)。ま、何事も身をもって知っていただかないと。買う前から、「それはマズいよ」とも言えない。Villa Galliciというイタリア系の名にふさわしく、イタリア貴族の別荘風のホテルの内装。廊下の壁には、フレスコ画。壁紙ではありません。天気がよければ、中庭のオープンスペースも気持ちがいい。中庭とホテルの中をつなぐドアの両端においた彫刻は、いかにもフランス的。泉の街エクスアンプロバンスにふさわしい、水汲み場を象った中庭のオブジェ。色とりどりのバラを置いたところまではいいのだが・・・横のホースをしまえって、使わないときはさ~!とにかく、ここのホテル、ゲストがいようがどうしようが、一切お構いなく、スタッフ各自が勝手な時間にあちこち掃除したり、手入れしたりしている。仕事熱心なのはいいのだが、まるで準備が整わずにオープンした直後のホテルのようで、どうもねぇ・・・とは言え、内装や調度品は素晴らしい。こちらはサロン(バーとして使える)。華やかな壁紙に、惜しみなく飾られたバラの花。磁器製のネコの置物。天井にはプロバンス風のファブリックが帆のようにかかっている。夜にはサロンの暖炉に火が入った。本当に4月とは思えない寒さだった。東洋趣味の磁器をコレクションしている貴族の館に招かれたよう・・・調度品だけ見てる分には。暖炉のそばで、オレンジジュースとショコラ(ココア)を飲んだ。ブラッドオレンジ100%のジュースをこんなところで飲めるとは。フレッシュで甘さと酸っぱさのバランスがよく、文句のつけようのない味。シチリアを思い出した。ショコラもポットにたっぷり。ミルクが多めだったが、あまり濃厚なショコラは夜にはふさわしくないので、ちょうどよかった。例によって、バラの花が添えられている。<続く>
2010.05.21
TGVで、カルカッソンヌ7:42→10.27エクスアンプロバンスTVG駅(1人42.8ユーロ)とラクに移動するハズが、パリ・リヨン駅の窓口で、「その時間に出るなら5回乗り換えで11時間かかる」などと意味不明のことを言われ、カルカッソンヌ11:33→14:42マルセイユマルセイユ15:05→15:49エクスアンプロバンス(Centre)駅という切符を、出発後補償を勝手につけられた50.6ユーロで買わされたMizumizu。カルカッソンヌを11:33に出発する列車は、案の定15分ほど遅れてきた。しかも、ギリギリまで「On Time」表示が出ていたのに、いざ30分を過ぎると、突然「10分遅れ」表示が出る。わざとやってんのかい? と非常に腹が立った(後日、エクスアンプロバンスからTGVに乗るときに、同じ目にあい、ますます「わざとやってる」と確信することになるのだが)。電車はもう立ってる人でいっぱいだったが、幸いなことに座席を指定しておいたので、座ることができた。Mizumizuたちの席に勝手に座っている人がいたので、どいてもらったのだが・・・ここで注意! 「自分が予約した席に、予約してない人間が座ってる」姿を見て、日本人はめちゃくちゃハラを立てる傾向がありますが、これは腹を立てることではありません。むしろ、空いてる席には座っていいんです。ただ、予約している人が来たら席を立つこと。これが向こうの習慣。日本的な感覚で、にらみつけたり、声をあらげたりするのはNG。列車は例によって、遅れ遅れでマルセイユに向かって走る。本当なら、マルセイユでの乗り換え時間は23分しかないので、アセるところだが、「たぶん、乗り継ぎの電車は出ないでしょ」という予感があった。15分ほど遅れてマルセイユに着くと、駅はまたも物凄い人。かきわけるようにして進み、電光掲示板を見たのだが、やはり15:05の電車はない。立ってる係員の人に切符を見せて聞くと、「今日はこの電車はない。16:05に代替バスが出る」という説明。バスは駅の裏口を出て左に来るというので、そちらに移動する。バス停らしきものがあり、大きな路線バスが停まっていた。見ると、「マルセイユ→エクスアンプロバンス→アビニヨン」と書いた紙のボードが運転席の斜め前に置いてある。これかしらん? だったらラクちんそう。と、ややホッとして運転手にSNCF(フランス国鉄)の切符を見せながら、乗れるのかどうか聞いた。すると運ちゃんは、Mizumizuのもってる切符をのぞきこみ、「○△▲■□~」とフランス語でなにやら説明している。全然わからない。「英語を話す?」と聞くと、「ノン」と首を横に振り、「○△▲■□~」と両手を広げている。どうも乗れないような雰囲気だ。だが、それにしては態度が曖昧。「○△▲■□~」身振り手振りで、なにやら一方的にフランス語で話している運転手。乗れるか乗れないか知りたいだけなのに・・・困惑するMizumizu。よ~し、英語のできる通行人を探そう。おっ、ちょうど向こうにフィリップ・トルシエみたいなロン毛のビジネスマンがいる。スーツをびしっと着て携帯電話で話してる。彼ならデキそう。駆け寄って、「英語話せますか?」と聞いたら、「ノン」と首を振る。ああ、なんという見掛け倒しのオヤジだろう。仕方なく、フランス語で長々話す運転手に、もう一度乗れるのか乗れないのか、ハッキリ言ってもらおうとバスのほうへ。Mizumizuが離れている間に、フランス人が数人行列を作って、次々に運転手に質問を浴びせている。列に並んでいると、誰かが肩を叩く。振り向くと、フィリップ・トルシエ。「彼は少し話せるって」と、浮浪者みたいな青年を連れてきた。なんとまあ、Mizumizuのために、彼が別の通行人に聞いてくれたよう。浮浪者君に、通訳してもらったところによると、このバスは国鉄とは関係なく、普通はSNCFの切符をもっていても乗れないのだが、もしかしたら乗せろという話が後から来るのかもしれない。それについてはまだ何も聞いてないのでわからない。ということだった。はあ~、なるほど。浮浪者君(←失礼な)に、ニッコリ笑ってお礼を述べるMizumizu。SNCFの職員ならわかるかも、と駅のホームに引き返し、案内係に、「アビニヨン行きのバスが外で待っている。SNCFの切符では普通は乗れないと運転手は言っているのだが、あれが代替のバスになるのか」という意味のことを聞いた。すると、「ノン。エクスアンプロバンス行きのバスが来る」という話。なんだ、やっぱまだ待たないといけないのか。ガックリしてまた駅舎を出て、バス停に戻るMizumizu。するとさっきのバスの運ちゃんが、Mizumizuのほうへわざわざやって来て、トントンと肩を叩き、「○△▲■□~」だからさ~、フランス語がわからんの。そうやって、オールフランス語でべちゃべちゃしゃべられても、な~んも、ひとっこともわからんの。「○△▲■□~」まだ何やら話してる運ちゃん。だが、とにかく親切に何か言ってくれているのは確か。そこへ小さな子供2人を連れたスレンダー美人のフランス女性がやってきた。物凄く大きなソフトケースを引きずっている。「▲■□○△~」運転手にフランス語で話しかけるお母さん。手に持った切符を覗き込むと、SNCFの切符で「マルセイユ―エクスアンプロバンス」と書いてある。おお、同好の士ならぬ同行の士ができた。フランス人の彼女にくっついていれば大丈夫ね、と瞬時に心を決めるMizumizu。「英語話せる?」と黒髪の若いお母さんに聞くと、「イエス、ア・リトル」と言うではないか、やった~!「彼は何と言ってるの?」と聞くと、「SNCFの切符で彼のバスには乗れないって。あとからSNCFのバスが来るそうよ」と、たった今Mizumizuが駅で聞いてきたのと同じ答え。ウンウン、わかった――と、バスの運転手に笑顔で頷くMizumizu。どうやらこの運転手氏も、バスを離れてSNCFの職員に確認に行ってくれたようだ。Mizumizu母が言うには、Mizumizuが駅構内に戻っている間、そこらをウロウロして、どうやらMizumizuを探しているふうだったそうな。う~ん、フィリップ・トルシエといい、このバスの運転手といい、なんと親切な人たちだ。スレンダー美人のお母さんに自分の切符を見せ、「私もエクスアンプロバンスに行くから」とアピールするMizumizu。こうして同行の士とともに、ロクに座る場所もないバス停で待った。美人ママの連れている小さな子供2人のうちの1人は、まだ乳離れしていないよう。「ちょっと荷物見てて、あっち(と草むらのほうを指差して)でお乳をあげたいから」とMizumizuに頼むスレンダーママ。うんうんと頷くと、草むら方面に行ったのだが、すぐ戻ってきて、「あそこは駅の待合室から丸見え」と言っておもむろに、その場でオッパイを出して、授乳を始めるスレンダー美人。は、母は強し・・・というべきか、しかし、道端で授乳なんて、戦争直後の日本じゃあるまいし・・・16:05発と言いながら、代替バスが来たのは、4時10分過ぎ。しかも、「だ、代替バスって、これ・・・?」と目を疑うような、ボロッちいマイクロバス。今どき旅館のお迎えでも、もうちょっと気のきいたのを準備するんじゃないの?SNCFの職員と思しき制服が現れて、えらそうに誘導を始めた。ちっとは申し訳なさそうにしたら? それにもうちょっと早く来て、代替バスがどこに来るのかわからずに困ってる人間に何か言ってもいいんじゃないの? 客のほうが全部自己責任で、あっちこっちの人に確認しなきゃならないって、おかしくねーか?などと反感もつのはMizumizuだけのようで、スレンダーママは文句も言わず、バスに乗り込んでいる。こんな状態になるのだから、「出発2時間後まで払い戻しが可能な(割高)切符」なんて、買う必要はないのだ。それを知らんふりして、なんの説明もこちらの意思確認もなく、笑顔で売りつけるとは。それでも、思いがけずプロバンス地方を、クルマでドライブすることになったのだから、車窓の景色が楽しめるかも♪♪ と内心ちょっと期待した。だが・・・期待は見事に裏切られた。そもそも高速道路からの眺めというのはどこもよくないと相場は決まっているが、プロバンスも例外ではなかった。「南仏プロバンス」の日本でのイメージとはかけ離れた単なる田舎をただ走り、途中何度か停車したあと、これまたえらく寂れた雰囲気のエクスアンプロバンス(Centre)駅でバスを降ろされときには、すでに時間は午後5時近かった。<続く>
2010.05.20
ヨーロッパの街は、鉄道・バス利用の個人旅行者にとって非常に観光しにくい街としやすい街に分けられる。やっかいなことに、ガイドブックを読んだだけでは、その違いがほとんどわからない。駅・バス停から街の中心への距離や交通手段はどうか、荷物を預けられる場所があるかどうか、タクシーは拾いやすいか、などなど。そうした条件を考えたとき、もっとも観光しにくい街、つまり「個人観光客にやさしくない街」の筆頭に挙げられそうなのが、エクスアンプロバンスだ。ここは小さい街だし、アビニヨンとマルセイユの間にあるから、移動の途中にちょっと寄って半日観光しよう・・・などと日本人らしいことは、考えないほうがいい。とにかく、とっても行きにくい。まずエクスアンプロバンスTGV駅と街に近い在来線のエクスアンプロバンス駅(Centre駅)の位置関係。18キロも離れているうえ、鉄道での直接連絡がない。しかも・・・TGV駅から街へ行くバスは頻繁に走っているのだが、そのバスがCentre駅には来ない。街の中心から数百メートル離れた(正確な数字は失念)バスターミナルまで来るだけ。タクシーが拾えるポイントは非常に限られていて、TGV駅もしくは街中のド・ゴール広場(Centre駅から300メートル街中に入ったところ)に「タクシーのいるタクシー溜り」がある。街近くのバスターミナルとCentre駅にはタクシー乗り場はあるが、だいたいタクシーはいない(苦笑)。クルマが停まっていても運転手がいつ戻ってくるかわからない。公衆電話はなく(もうみんな携帯電話をもっているのが前提になっている)、Centre駅には荷物預けすらなし。ぱっとみた感じでは、駅前に預かってくれそうなホテルもなかった。TGV駅に荷物預けがあったかどうか忘れてしまったのだが、なかった気がする(これは不確か)。だから、うっかり重い荷物をもって、エクスアンプロバンスのTGV駅からバスに乗り、街近くのバスターミナルで降りてしまう(1人片道3.5ユーロ、15分)と、途方に暮れるのではないかと思う。周囲に道路以外何もないバスターミナルなので。どっちへ行けばCentre駅なのかも、すぐにはわからないと思うし、そもそもが遠い。ホテルに泊まるなら、街近くのバスターミナルで親切な人をつかまえて、携帯電話でホテルにかけてもらい、タクシーを寄こすよう頼むという方法がある。語学と度胸に自信のない人は、TGV駅からバスには乗らず、タクシーでそのままホテルへ行ってしまうのが一番安全で簡単かもしれない(タクシー代はかさむだろうけれど、TGV駅にはタクシーはちゃんといるので)。トイレは街に近いCentre駅にはない(確か)ので、TGV駅を使う人はここで。だが、2つしかなくて(2箇所にあるという意味ではなく、文字通り2人分のボックスしかないという意味)、細かいコイン(お釣りはでません)のいる有料機械式。行列は必至。まったくも~! もっとトイレ作れよ、フランス! TGV駅で便器2つって・・・TGV駅からバスに乗る人は、とにかく「建物(近代的な駅舎)のあるほうへ」行くこと。TGVのホームから直接出られる近い場所にはタクシーしかいない。TGV駅のバス停は駅舎を抜けてだいぶ歩く(いちいちわかりにくい)。バスは、エクスの街近くのターミナル→エクスTGV駅→空港と行くので、TGV駅から街に行くときは、空港行きに乗らないように注意。エクスアンプロバンスは、外国人観光客のことなんて考えてない街だと思う。観光客はクルマで来るのが前提のようで、よいホテルは街の外にあるし、クルマで来ない人間は現地に友達がいるのが当たり前のよう。Centre駅では、ほぼ全員のフランス人がお迎えに来てもらっていた。エクスアンプロバンスの旧市街は十分歩いて回れるのだが、ド・ゴール広場から市民向けのマイクロバスが旧市街を20分ほどかけて回っていて、1人0.5ユーロ。例によって市民の足はメチャ安。なのだが・・・ハッキリ言って、エクスって街には、たいした見どころはない。北にあるタピスリー美術館に行って、あまりのショボさにがっくり来た。その近くのサン・ソヴール大聖堂もわざわざ日本人が見に行くほどのものでも・・・。ただ、このあたりは道は狭いのだが、プロバンスファブリックや銘菓カリソンなどを売る店が軒を連ねた上品なショッピングストリートになっているので、買い物には楽しい道。まあ、プロバンスファブリックもカリソンもエクスアンプロバンスでなくても買えるが(それを言っちゃあ、おしまいよ)。プラタナスの並木で有名なミラボー大通りは、Mizumizuたちが行ったときは、まだ芽吹いておらず、これまたガックリ。ここは由緒あるカフェなどがある通り。初夏以降は緑が美しいと思う。街の北にあるセザンヌのアトリエには行かなかった。頑張れば歩いて行ける距離のようなので、セザンヌファンでアトリエを是非見たいという方はどうぞ。直通のバスはなし(観光資源にするつもりなら、公共のバスぐらい走らせれば? まったく)。Mizumizuがここに2泊したのは、南西部のカルカッソンヌから南東部のコートダジュールに移動する間に、一度ゆっくりいいホテルで休める場所が欲しかったからだ。カルカッソンヌとコードダジュールでは、「名所・旧跡ぐるぐる」のハードな観光旅行になるので、その間で休息の取れる落ち着いた街はないか・・・と考え、港町のマルセイユではなく、エクスアンプロバンスにした。ホテルはルレ・エ・シャトーのVilla Gallici。フランス式に言うと4つ星デラックス、つまり5つ星。部屋のカテゴリーはClassiqueで、1泊2人で290ユーロ+シティタックス2.7ユーロ=292.7ユーロ(約38,000円)。朝食は別で1人22ユーロ(2,830円)。しかし、この計画のために、移動が異様に大変なことになってしまった。
2010.05.19
カルカッソンヌの朝市で買った苺ジャム。ソフトケースの中に適当に突っ込んだままにしていたのだが、旅の終わりにパリのホテルで荷物を整理していたら、なんと・・・!フタはあいていないのに、赤い汁が漏れ出しているではないか!! 下着と靴下の一部が被害を受けている。ええ~?しかも、明るいほうにかざしてみると、ガラス瓶の中で2層に分離しているように見える。なんというか、下のほうは濃い色の層になって沈殿し、泡だったような薄い色の層が、フタのほうまで満杯になり、よく見ると、フタが空気圧で押されたように真ん中が膨らんでいる。なんじゃ、こりゃ?これまでジャムを買って、フタをあける前に中身が漏れ出すなんて事態に遭遇したことはない。もしや、本当に素人が作った手作りジャムなんだろうか?それじゃ、もう腐ってるかも?思い切ってフタをあけ、中身を食べてみた・・・あれッ?やっぱり美味しいのだ。確かに分離しているのはしているのだが、ふんわりと軽い。にもかかわらず苺の風味はむしろ凝縮されている。べったり甘い普通の苺ジャムとは一味も二味も違う。ラベルをしげしげ見たら、ちゃんと賞味期限も記載されていて、2010年9月となっている。それなら、フタをあけないうちに腐ったというのも考えにくい。フタをもう一度閉めて、日本まで持って帰るべきか否か迷うMizumizu。一度フタをあけてしまったので、また中身が漏れ出す可能性大。しかも、普通のジャムよりずっと液体度が強い、つまり水っぽいから、汁が漏れ出したら、周囲のものがまた被害を受けそうだ。飛行機に預けるソフトケースに入れることになるから、ガラス瓶が万が一割れてしまったら悲惨かも・・・とりあえずベタベタになったガラス瓶を洗ってみた。するとラベルがはがれてしまい(まあ、水でこすれば当然だが)、ものすごくみすぼらしいジャムになってしまった。洗っているときに気づいたのだが、ラベルにはジャム(Confiture)ではなくジュレ(Gele'e)と書いてあった。ジュレとは普通固めたゼリーのことを指すが、フルーツソースに近いようなジャムのことをジュレと言うこともある(こちらのサイトによると、「果汁+砂糖」で作るのがジュレ、「果肉(裏ごししたもの)+砂糖」で作るのがジャムだそう)。なるほど、中身がゆるいのはジャムじゃなくて、ジュレだったせいか(←今さら気づいてどうする)。せっかく買ったカルカッソンヌでの思い出だし、第一捨てていくには惜しい味。そこで汁が漏れ出しても多少吸い込むようにティッシュで何重にもくるみ、さらにビニール袋を3重にかぶせた。これなら割れてしまっても、周囲に被害は及ばないでしょう。出発の朝までホテルの冷蔵庫に入れて保存しておいた。大混乱のシャルル・ドゴールから直行で東京へ戻り、自宅に着いてさっそくソフトケースをあけてみると、またもフタから汁が漏れ出していたものの、ティッシュとビニール袋のおかげで周囲のモノに赤いシミができることもなかった。しかし、また瓶を洗ったので、見た目はさらに悲惨に・・・つぶつぶとやはり泡立っているように思う。まるでコーラを瓶の中で揺すったときのように色味が2層に分かれてしまったのは、掻き混ぜたら気にならなくなり、しばらく置いておいたら落ち着いた。パンにつけるには少しゆるいのだが、ヨーグルトにかけると絶品。(注:ジュレの表面が一部白っぽく見えているのは、泡ではなく光の反射です)ふんわりとした口当たりで、やはり舌のうえで発泡性のアルコールのような味を感じる。しかも、驚いたことに、Mizumizu以上に、普通は苺ジャムは甘くて嫌いだと言って食べないMizumizu連れ合いが、「うめ~!!」と大絶賛。「なんかこれ、苦味があるよね」へ? 苦味? Mizumizuはあまり感じないのだが・・・ もしかして、それはジュレがちょっとヤバくなってきたということでは? フタをあけたあとパリから東京までフライトしたし・・・ もしや持ち歩いている間に発酵したのか!?「ビールかなんか入ってるんじゃない?」う~ん。シャンパン入りの苺ジャムというのはあるが、ビール入りのジュレというのは、聞いたことがない。しかし、この泡はやっぱり、発泡性のアルコールを含んでいるせいだという気もする。そういえば市場のお兄さんが、一生懸命いろいろ説明していたっけ。でも、ひとことも分からなかったし。そこでMizumizu+Mizumizu連れ合いは吉祥寺まで出向き、シャンパン入りの苺ジャムを売っているGclefで、くだんのジャムを試食させてもらった。「甘いですね」と、店員さんに感想を述べるMizumizu。「そうなんですよね。シャンパンを入れると甘味が強調されるんです」「・・・・・・」カルカッソンヌで買ったジュレは、甘みが強いというほどでもない。むしろ苦味があるとMizumizu連れ合いは言っている。どうもシャンパン入り苺ジャムとの共通点は感じられなかった。ジュレのラベルのDomaine de Peyremaleというメーカー名で検索すると、HPともいえないようなささやかなサイトがヒットしてきた(こちら)。確かに、フタにかぶせてあった布を見ても、ここのジュレに違いない。家庭での手作りジャムではなかったが、小規模農家のプロダクトのよう。3ユーロというのは、サイズから考えると安くはないが、この手作り感のある個性的な味なら全然高くない。さすがウマいモノの宝庫ラングドック地方。そして農業国フランスの底力はやはり凄い。ふらっと立ち寄った地方の市場で、こんな絶品にお目にかかれるとは。ヨーグルトにかけて数回でなくなってしまった。一応、日本に輸入されていないかネットで調べてみたが、当然見つからない。「もう食べれないのか~」がっかりしているMizumizu連れ合い。そんなに気に入るとは・・・パリなら買えるのかしらん、Domaine de Peyremaleのジュレ。探せば置いている店もあるかもしれない。Domaine de Peyremaleのジュレの泡立ちは、なにゆえ? ヒミツを知っている方は是非ご連絡を。
2010.05.18
カルカッソンヌではホテルは駅前に取った。Hotel Du Soleil Le Terminus、3つ星。ネット予約で2人1泊朝付き95ユーロ(12,430円。このホテルはシーズンによってずいぶん値段が違うよう)。外観は旧き良き時代の貴族階級御用達ホテルといった風。今でこそ3つ星だが、昔は高級ホテルだったのかもしれない。ロビーは広々。木材をふんだんに使い、壁や天井に丁寧に漆喰装飾が施されている。アールヌーボー風の階段も豪華な石材を使っている。この広さといい、今どきではもう決して作れない贅沢な階段だ。今はもうほとんど誰も使わない階段がこれだけ広く、その左に2人で荷物をもって乗ったらいっぱいになるような、小さな小さなエレベーターがあるのが皮肉。フランスのこうした古いホテルは、部屋がボロッちくて、水回りが悪い場合が多いのだが、このホテルは、まあまあだった。部屋は昔風にそこそこ広く、バスルームは質素でそっけないが、一応シャワーはホース付きだった。水の出も悪くなかった。バスタブは長いのだが、とにかく古い。フランス人客がこうした古い由緒あるホテルに泊まらず、安く近代的なホテルチェーン「ibis」などに流れる理由がわかる気がする。ibisは豪華なロビーはないが、ベッドもそこそこ新しく、水回りも悪くない。このカルカッソンヌのHotel Du Soleil Le Terminusも、ロビーは確かに雰囲気はあるが、といって隅々までアンティークな魅力のあるホテルとも言いがたいし、値段も部屋のわりには高めだと思う。朝食もまずかった。ただ、駅近なので、鉄道移動する個人外国人客には便利。ホテルの従業員もとてもフレンドリーだった。今回の旅で一番、観光客相手の人間の感じがよかったのがカルカッソンヌ。それだけ田舎だということかもしれない。ストで思いがけずモンペリエ観光などしてしまい、カルカッソンヌには12時半に着く予定が、午後5時近くなってしまった。ラ・シテの「伯爵の城」は午後6時半まで(10月から3月は午後5時まで)。ホテルでチェックインを済ませると、部屋には入らず、フロントに荷物を置いて、タクシーを呼んでもらい、ラ・シテへ向かった(徒歩だと20分ほどらしい、タクシーでは7~8ユーロ)。ホテルの目の前がタクシー乗り場になっていて、メーターを下ろさない状態ですぐ来てくれた。ラ・シテのお土産物屋でMizumizu母の買ったニワトリさん。Mizumizu母はこうした素朴な手作り感のある人形や置物に目がない。「レジン、レジン」と店のマダムが連呼していた。樹脂粘土製ということだろうか? まるっきり木製のように見えるが、言われて見れば、木にしては軽い。カルカッソンヌでは是非カスレを食べたいと思っていたのだが、モンペリエで重いランチをレストランで取ってしまい、Mizumizu母はもうレストランは嫌だと言う。Mizumizuもかなり疲れてしまい、返って食欲がなかった。それで、レストランはやめてホテルまで戻ったのだが、軽く食事のできそうな店がない。「マクドナルドなら安いんじゃない?」と、Mizumizu母。「ハンバーガーにしようよ」とすっかり乗り気。Mizumizu母は基本的に、フランス料理が口に合わないタイプなのだ。イタリア料理は好きだが、それはつまり、炭水化物系のパスタやリゾットが美味しいから。しかし・・・フランスのマクドナルドは日本より高いのだ。案の定、ホテルの前にあったマクドナルドに入って、ハンバーガー+ポテト+コーラのセットを2つ頼んだら、1600円ぐらいかかった。おまけに肉が重い感じで、日本の味と違う。けっきょくポテトは、1つお持ち帰りに・・・Mizumizu母は以来、マクドナルドと言わなくなった(ホッ)。日本のマクドのセットメニューが800円だったら、競争力を失うと思うのだが、フランスのマクドナルドは案外人が入っている。いかにフランスにウマイ物屋が少ないかということだろう。ミシュランなんだとバカ高くて美味しい店も確かにあるが、そこそこの値段で満足できる味の軽食というのが、本当に少ない国だ。やっぱりラ・シテのレストランでカスレを食べるべきだった。こちらのブロガーさんは、フォワグラともども非常に気に入ったらしい。このL'Ecu d'Orというレストラン、「伯爵の城」の手前の道を左手に下ったところで見つけていたのだが・・・カルカッソンヌでレストランに入ろうと思っている皆様、ラ・シテのレストランにしましょう。駅前には美味しそうなレストランはないし、オード川沿いはもっと寂れています。名物はカスレとフォワグラです。ラ・シテ内に泊まらず、夜になってから駅方面に戻る方は、レストランでタクシーを呼んでもらい、ラ・シテの入り口にあたるナルボネーズ門まで来てもらったほうがいいかもしれない(一般のタクシーはラ・シテ内には多分入れないので)。ラ・シテから下る道は夜は寂しいし、バスはなくなってしまう。おまけにナルボネーズ門から出てしまうと、タクシーを呼んでもらえるような場所はない。今回の駅前ホテルは、特にお奨めというほどでもなし。鉄道での移動が便利で荷物の運搬もラクな駅前か、ちょっと周囲は寂れているが城壁を下から間近に見られるオード川沿いか、中世の雰囲気の漂うラ・シテか。目的に応じて選んでください。こちらの意見もご参考に。翌日は、午前中時間ができたので、カルカッソンヌのもう1つの見どころ、サン・ルイ地区をぶらぶらした。ラ・シテは観光客向けの店が多かったが、サン・ルイ地区は地元民向けのショッピングストリートになっている。中世の古い教会や、18世紀に作られたという噴水などもあるのだが・・・まあ、ハッキリ言って、ラ・シテだけに絞ってもいいと思う、カルカッソンヌ。とはいえ、サン・ルイ地区のカルノ広場では朝市が立っていて、一般人の生活に触れることができたのが新鮮だった。ここで、手作り風のジャムを売ってるお兄さんにひっかかり、試食させてもらったら相当美味しいので思わず買ってしまった。まったく、ひとことも英語の通じないお兄さんで、こちらがフランス語がわからないとわかると、なんと通行人をひっぱってきて、通訳させようとした。のだが・・・そのひっぱって来られた通行人も、全然英語ができないのに、できるような顔してわけのわからないことを言うだけだったのだ。(苦笑)「このジャムはどのくらいもつのか」と聞きたかったのだが、さっぱり通じない。まあいいや、そんなにすぐ腐るもんじゃないでしょ、ということで、お兄さんが特にお奨めだという3ユーロの苺のジャムを買った。これがちょっとしたドラマを引き起こすことになる。<続く>
2010.05.16
フランス人の誰もが、死ぬまでに一度は行きたいと考えているというカルカッソンヌ。一般には中世の城塞都市の優れた保存例として紹介されることが多い。ユネスコの世界遺産にももちろん登録されている。今回行ってみたが、威風堂々たる城砦は圧巻で、確かに行く価値は大の街だと実感した。こちらは歴史的城塞都市の入り口になっているナルボネーズ門。モンサンミッシェルもそうだが、カルカッソンヌの丘の上の城砦都市も外から見ているほうが「凄い」。まずは遠くから、塔を従えた古い城壁を見て感動する。そして、近づいてみてその大きさ、重厚さに圧倒される。城壁の内部は「ラ・シテ」と呼ばれる、中世の雰囲気を湛えた旧市街。だが、ラ・シテの中に入ってしまうと城壁は見えないし、そこは要するにヨーロッパによくある古い街並みをお土産屋に作り変えた観光地。この印象もモンサンミッシェルに似ている。二重になった城砦の間に立つと、群雄割拠の中世にタイムスリップしたような気分になる。敵の侵入を防ぐために中世人は、ここまで堅牢な建造物で街を囲ったのだ。ラ・シテの中にある「伯爵の城」から見た景色。360度、実に見晴らしがいい。これなら遠くからやってくる敵の軍隊もすぐに見つけることができただろう。今は、のどかな田園風景が広がるカルカッソンヌ。「伯爵の城」の中庭から撮った城の壁面の一部。木組みと窓の配置がおもしろい。城壁の近くでスペインのバルセロナから来たという陽気な学生グループに会った。旧市街の店をひやかして歩くのも楽しかったのだが、やはりナルボネーズ門を出て振り返ったときが、「カルカッソンヌに来てよかった」と思える瞬間だ。カルカッソンヌの城砦はいつできたのか? 最初に城壁が築かれたのは3世紀だという。13世紀に二重の城壁が作られた。フムフム・・・確かに中世の城砦都市だ。だが、よくよく調べてみると、現在のカルカッソンヌを見て中世をイメージするのは間違いだということを知ることになる。19世紀に撮られた写真を見ると、カルカッソンヌの城砦は上部がほとんど崩れ、壁しか残っていない状態だったのだ。それを「修復」したのは、ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・デ・デュクという建築家。ところが、修復時に作られた尖り屋根は、フランス北部の様式で、カルカッソンヌ周辺にはないものだった。そのときに使われた屋根の素材もこの地方産のものではない。これを果たして「修復」と呼べるのか? 様式まで変えてしまっても、「修復」なのだろうか? 常識的には中世の遺跡の上に中世風の城砦を「再建」しただけではないのか? カルカッソンヌで私たちが見ているのは、中世の城壁の上に近世になって築かれた、中世風の建築物に過ぎないのだ。そのせいか、1997年にユネスコにラ・シテが世界遺産として登録されたときの名称は、「歴史的城砦都市カルカッソンヌ」となっている。「中世」とは誰も言っていないのだ。そして、とにもかくにもカルカッソンヌの「修復」は、のちの歴史的建造物の修復に大きな影響を与えたらしい。あまりに荒廃がひどく、かつ古い時代の本当の姿がわからない遺跡というものは多いと思う。だが、もしオリジナルとは明らかに違う様式で「修復」してしまったら、それはそれとして、きちんと周知するのが当然だと思うのだが、どうもカルカッソンヌに関しては、そうした「屋根の話」はナイナイにしておいて、「中世最大規模の城塞都市」と宣伝ばかり大々的にされ、観光客の多くは、自分たちは中世城砦オリジナルの姿を見ていると勘違いしているように思う。この態度は、非常に疑問だ。詐欺と言ったらいいすぎだが、誇大広告だと感じるのはMizumizuだけだろうか?あまりにきれいに「修復」され、返ってありがたくない歴史的建造物も世界には多い。それの端緒が19世紀のカルカッソンヌ修復だったということだろうか。インドネシアのボロブドゥールもそうだ。オランダ統治時代のボロブドゥール遺跡を見ると、上部は完全になくなってしまっていて、ハッキリ言ってしまえば、「もう崩壊してしまった遺跡」に過ぎない。それが今は、きれいに修復され、世界最大級の仏教遺跡として年間100万人もの観光客を集めている。Mizumizuがボロブドゥールにもうひとつ食指が動かないのは、どう見ても「新しすぎる」から。円形壇上にある仏塔などは、まるでテーマパークの陳列物のようにさえ見える。どこからどこまでがどの時代のもので、どこからがいつ修復(あるいは再建)したものか。それをわかりやすく周知する努力は一切払われることなく、ただ「ユネスコ世界遺産」を宣伝文句に、観光客を1人でも多く集めようとする。こうした経済活動が活発化すればするほど、歴史はきれいに塗り替えられ、遺跡がテーマパーク化していく。カルカッソンヌもそうだ。作りかえられた中世の城塞都市を見て、観光客は歴史を学んだと思い込んで帰る。ラ・シテを囲む城壁はたしかに規模が大きく、圧倒的な存在感を丘の上から放っていたが、だからと言ってこれを「修復された中世の遺産」と宣伝していいのか。そこにはどうしても同意できない。駅前のホテルに泊まったMizumizu+Mizumizu母。夜ライトアップされた城壁を見たいと思っていたのだが、ストで4時間遅れになり、座れるはずの電車に1時間半立ちんぼだったこともあって、夕方ホテルに帰ってすぐに2人とも熟睡。夜景を見に出る体力は残っていなかった。そこで朝タクシーで丘の下のヌフ橋(ポン・ヌフ)まで行ってみた。逆光だったが、このオード川のほとりは、ラ・シテを下から見るのにちょうどいい。駅の近くのホテルから、ヌフ橋までは6ユーロ、ラ・シテまでは8ユーロ前後。ヌフ橋からヴュー橋まで歩いてみた。このあたりのホテルに泊まれば、夜景が見られていいかもしれない。ただし、川沿いは人通りがなく、店もなく、夜出歩けるような雰囲気ではない。朝もひと気がなく、さびれた雰囲気だった。 カルカッソンヌのホテル選びは3つの地域的選択肢がある。1 駅前2 オード川に近く、ラ・シテを見上げる場所3 ラ・シテ内部Mizumizuたちは今回1の駅前にした。荷物をひきずって徒歩2分ほどなので、とても便利だった。だが、2の夜景を楽しめるホテルにしてもよかったかもしれない。駅まではタクシーで6~7ユーロ(荷物代を取られるかどうか知らないが、エクスアンプロバンスで取られなかったし、カルカッソンヌはさらに田舎でタクシーの感じもよかったので、今のところは取られないように思う)で行くだろうし。3はあまりお奨めしない。ラ・シテの中はお土産物屋ばかりで夜には閉まってしまうし、なんといってもカルカッソンヌの魅力はラ・シテを「外から見ること」だから。
2010.05.15
<きのうから続く>このあたりはフォワグラが美味しいかも・・・ということで、旧市街でよさげな古いレストランに入った。フォワグラのポワレ(手前)と火を入れた洋ナシ、それにイチジクのジャム。あとは野菜とトーストが出た。ポワレしたフォワグラのねっとりとした食感が、だ~い好きなMizumizu。しかし、フォワグラの量が多いなあ~。日本の倍はある。味つけは、いかにもフランスらしく、ぼわ~んとしたパンチのない味。でも、これはこれで好きだ。洋ナシのすっぱさ、イチジクの甘み、フォワグラの脂、野菜のシャリシャリ感・・・トーストにのせて一緒に味わうと、パンチはないが(←しつこい)、それなりに深い味のアンサンブルに。今回はかなりフォワグラを食べたのだが、温製はここで食べただけに終わった。温製に関して言えば、日本とさほど差がない・・・というか、日本のフォワグラのポワレのほうが、味付けに工夫があるかもしれない。フォワグラは、冷製のほうが当たり外れが激しく(つまり、食材の質がストレートにモノを言うということだ)、温製は差が出にくい。とは言え、モンペリエで食べた、いかにもフランス的なとりあわせと味付けの温製フォワグラは、思いがけないいい思い出になった。まさに郷土料理を食べた、という感じだったのだ。モダンで高級なレストランでは、逆にだんだんなくなりつつある味かもしれない。フランス料理というのは、栄養のバランスがとてもいい。この一皿を見ても、それがよくわかる。フォワグラのほかに野菜と果物とパンを一緒に取る。パンも多すぎず、したがって炭水化物に偏っておなかをいっぱいにするということがない。フランス人に超肥満体形の人が少ないのは、こういう食事のバランスのよさに秘密がある気がする。本当はワインも飲みたかったのだが、移動がまだあるので、アルコールは控えた。今から思えば、ちょっと残念。というのは、モンペリエはラングドック・ルシヨン地方の中心都市。この地方のワイン、少し前まで、「安かろうまずかろう」ワインの見本のように言われていたのが、最近変わり始めたのだ。Mizumizuにとっても、「フランス産で値段のわりには美味しい」と思った赤ワインの産地を見ると、不思議にこのあたりだということが多くなった。以前気に入ったキュベ・ジャン・マレーもラングドックの村で作られている。ストで混んだ電車に乗らなければいけない・・・と思ったので、ワインはやめたのだが、地ワインを味わう絶好のチャンスを逃したかもしれない。フランスの地方には、いかにも貧しそうな暗い町も実は多いのだが、モンペリエは全体的に豊かで、余裕のある街のように感じられた。洗練された店も、それなりにあった。こちらはMizumizu母お買い上げのホワイトコットンのブラウス。50ユーロ(6500円)。シンプルだが上品なデザイン。控えめなフリルとボタン使いが特に印象的。Mizumizu母にも似合っていた。午後2時半ぐらいに戻り、荷物を預かってくれたマダムに、2ユーロコインを2つお礼にわたし、駅へ。「荷物扱い」される人々で、相変わらず混みあっている。電車はやっぱり、14:55分には来なかった。15分程度の遅れだったかな。こんふうに延々と待たされ、狭い電車に思いっきり詰め込まれるなんていう非人道的な扱いをされて、なぜフランス人乗客が怒らないのか、日本人のMizumizuにはまったく理解できない。まあ、理解する必要もないですね。こんなバカげた、なあなあ怠けのスト、日本ではありえない話だし。中曽根康弘が国労を徹底的につぶしたのは、日本の一般人にとってためになる決断だったのかもしれない。JRから組合員が露骨に排除されていくさまはある意味、非常に残酷で、権力闘争に敗れた者たちの悲惨さを見せ付けたが、あのまま組合員がのさばっていたら、「労働者保護」というキレイ事を前面に出してくる、勤勉さに疑問符のつく労働者の論理で、一般人が多大なる忍耐を強いられる国になっていたかもしれない。お互いのエゴでお互いの首を絞めあっているヨーロッパ。確かに日本にも問題は多いが、結局のところ、青い鳥なんてどこにもいないのだ。モンペリエの駅のカフェで飲んだ、ノワゼット(ヘーゼルナッツ)味のコーヒー。脇に写っているカバンは旅好きのイタリア人の友人にプレゼントしてもらったもの。軽くて丈夫で使いやすいので、今回の旅のお供をしてもらった。Grazie, Itala!
2010.05.14
ストとは露知らず、パリのリヨン駅からカルカッソンヌ行きのTGVに乗り込んだMizumizu+Mizumizu母。パリ 7:19(TGV06203)→10:38 モンペリエ10:55(TEOZ 04757 )→ カルカッソンヌ12:20TGVは混んでいた。通路に座っている人もいる。南に行くほど混雑はかなりなものになった。ニームを過ぎて、モンペリエに着いたのは10時45分。まさか遅れるとは思っていなかったので、ホームに降りてすぐ、乗り継ぎ電車のホームを探そうとしたのだが、なぜか電光掲示板に10:55発の電車の情報が表示されない。あせりまくって駅のインフォメーションに行くと、そこには長蛇の列。そこでようやく、「スト」だと気づいた(ハッキリ言って、遅すぎ)。それでも、「遅れてくるのかも」と思い、列を無視して(申し訳ありません、フランス人の皆様。急いでたので)インフォメーションに立っている係員にチケットを見せ、「この電車は?」と聞いた。「今日はその電車はない」と言って、係員のおじさんが14:55とチケットに書いた。「カルカッソンヌに行くのはこの電車」はああああ~? 4時間後!?そんなに来ないなんて話があるのか? 乗ってしまえば1時間半で着く、たいした遠い駅でもないのに、4時間待てってか?すぐには信じられず、駅でウロウロしている案内役をつかまえて、再度聞くと、「ここに時刻表があるから」と、壁に張り出された紙の大きな時刻表のところに連れて行ってくれ、「ウン。確かに14:55だ」と太鼓判を押す。「他に行き方はないの? バスは?」ない、と首を横に振る係員。「今日のカルカッソンヌ行きはこれだけ」。紙の時刻表をしげしげ見るMizumizu+Mizumizu母。その日1日だけのための時刻表で、日付も印刷してある。「この時刻表は、いつ作ったの?」と、Mizumizu母。まったくだ。モンペリエを発着する鉄道が全部、きれいに1枚の大きな紙に印刷されている。この時刻表を入力し、印刷し、駅の掲示板に張るのはそこそこの作業ではないか? いつ張り出したのかは知らないが、きのうのうちに準備しておかないとできない芸当だと思うのだが。Mizumizuがパリでこの切符を発券してもらったのが前の日の夜。予約とカード決済は日本で済ませていたのに、「なぜか」発券ができず、窓口のお姉さんがどこかに行って発券してきた切符だ。同じく日本で予約・決済してきた南仏からパリに戻る切符は、スムーズに出てきたのに。きのうの夜、切符を買ったときには、モンペリエ10:55発のカルカッソンヌ方面行きの電車が出ないことは、もう決まっていたのではないか? だから切符が出てこなかったのでは?教えてくれれば、なにもモンペリエではなく、その前のニームで降りるという手もあったのだ。ニームには有名なローマ時代の円形劇場がある。カルカッソンヌ行きの鉄道は、ニームを通ってモンペリエに来るから、ニームで観光しても悪くはなかった。モンペリエのほうは、ハナっから通過する街としか思っていなかったので、ガイドブックのコピー(ガイドブック1冊は重いから、行く街のページだけコピーして持ってきたのだ)もない。だが、もはや後の祭り。4時間あるから、荷物をどこかに預けて、モンペリエの街を見学し、お昼を食べて戻ってくるしかない。じゃ、駅内の荷物預けかコインロッカーを探そう。インフォメーションもそうだったが、1つか2つだけ開いている切符売り場の窓口も長蛇の列。どこもここも人、人、人でいっぱい。ズルズルと荷物を引きずりながら、混みあう構内を歩いたのだが・・・ない。コインロッカーの表示マークも、荷物預けらしき場所もまったくない。いや~な予感がする。駅構内には案内係が何人か配置されているのだが、どの人にも砂糖に群がるアリのごとく旅行客がむらがって何か聞いている。大人しく順番を待っていても全然話せそうにない(というか、順番そのものがないカオス状態)ので、案内係が誰かと話していて、一瞬会話がとぎれたスキを見はからって、「ごめんなさい、荷物を預けられるところはありませんか?」と聞いた。すると、案の定、明るい声で、「ノー、この駅にはないです」との答え。ヤッパリ!こんなこともあろうかと予想していたので、大きな落胆はなかったが、普通の日本人旅行者だったら怒るんじゃないだろうか?駅なのに、なんでコインロッカーも荷物預けもないわけよ。ど田舎の小さな駅ならともかく、TGVも停まるラングドック・ルシヨン地域圏の首府ですよ。しかし、ないものはない。じゃあ、どっか預かってくれるところを探さなきゃ。人でごった返す駅からとりあえず出てみると、道をわたった右手に小さなホテルがある。あそこで頼んでみよう。小さなホテルだと、経営者がいい人なら預かってくれることもある。断られることももちろん。あくまで相手次第だ。フロントには中年のオバさん。思いっきり善良そうな日本人旅行者になりきり(←脳内で)、控えめな微笑みを浮かべつつ、「ボンジュー」とまずはフランスでは大切なご挨拶。「私は日本人ですが、ストで突然電車が動かなくなりました。ここで荷物を少しの間預かっていただけますか?」すると、あっけないくらいにこやかに、「いいですよ。何時まで?」と聞いてくる熟年のマダム(←中年のオバさんから格上げ)。「2時半ぐらいまで」と言うと、「どうぞどうぞ」と、とても親切。オドロキ~イタリアのソレントで同じような状況になり、唯一駅の近くで見つけたホテルで荷物を一時的に預かってもらおうとしたのだが、「ダメ」の一点張りで、結局荷物をひきずって街を少し歩いて時間をつぶした・・・という経験があるから、このスムーズな親切さには、まさに「地獄で仏」の気分だった。フロントの横に荷物を置き、もしこのホテルにレストランでもあれば使おうと思って、そう英語で聞いたのだが、なんと・・・!今度はこっちの言うことが全然通じない。なんで荷物の話だけは、ああもカンタンに通じたのか? もしかして、駅に荷物預けがなくて困って駆け込む外国人旅行者が多いのだろうか。「ここに食べるところありますか?」と、もう一度簡単な英語で聞いたら、「地図?」とトンチンカンな答え。でも、よく考えてみれば、市内観光するには地図がいる。思わず、「イエス」と頷くと、地図をくれて、「旧市街はこう」と観光名所への行き方まで教えてくれた。小さなホテルで、どうやらランチのできそうな場所もなさそうだし、地図ももらったことだし、お礼を言ってモンペリエの街見物に出発した。駅前から伸びる道は、ゴミもなくとてもきれい。バロック風の装飾を施した瀟洒な建物が並んでいる。街に入ると、駅の混雑とはまったくの別世界。落ち着いた風情の街を、人々が平和に行きかっている。残念ながら途中で雨が降り出した。だが、旧市街の広場には観光用のトラムもいて、そこそこの観光地なのだということを実感。<続く>
2010.05.13
(きのうのエントリーから続く) だからとりあえず、南フランスの交通の要所マルセイユまで本数減らしたノロノロ電車で来させて、そこで客をため、十分にためたうえで間引かなかった数少ない別の路線(あるいは近距離ならバス)で、北あるいは西へ運ぶというわけ。これもあとから分かったのだが、主要路線の間引き方にはパターンがあって、とにかく南仏では「北・東・西の列車が交差するマルセイユまで来させて、客をためる」のがパターン。カルカッソンヌからエクスに行くときは、遠回りになるマルセイユで降ろされ、待たされた。そして、マルセイユからは結局電車は出ず(間引かれた)、フランス国鉄が用意したチンケなマイクロバスでエクスに運ばれたのだ。それなのに、払った料金は、最初に乗る予定だったTGVより1人6ユーロも高く、勝手にまったく不必要な補償の手厚い割高切符にされたので、その分さらに1.7ユーロ高くなった。1人合計7.7ユーロ、2人だから合計15.4ユーロ(2000円)も、当初予定より余計に払ったことになる。ちなみに、エクスTGV駅からバスに乗って街近くのターミナルに行ったとしたら2人で7ユーロかかるから、それを合計15.4ユーロから引けば2人で8.4ユーロ、つまり合計で1000円高だったということになる。2時間半で移動できる予定が、延長された待ち時間も入れて5時間以上かかったのに、ですよ。マルセイユ-エクス間では電車に乗れず、待たされたあげく、豪華1ユーロ路線バスとは似ても似つかない、チンケでボロいマイクロバスに満杯に乗せられたのに、ですよ。これが、あーた、ストの名を借りた、「自分たちは怠けながら利益率をアップする作戦(ただし、総売上はど~~でもいいもんね)」でなくて、なんでしょう?どうして、総売上はどうでもいいのか? 結局のところ鉄道事業というのは、黒字にならないビジネスなのだ。日本のJRだって、民営化されたといいながら、政府からの補助金と税制上の優遇措置を受けている。もし本当に鉄道運行という事業で利益を上げようと思うなら、料金をもっとずっと上げなければムリだが、「公共」交通機関であるかぎり、それにも限度がある。料金を上げれば客はクルマやバス、飛行機に流れ、ますますガラガラの列車を走らせることになりかねない。鉄道はどのみち時刻表どおり走らせても(実際には遅延も多いようだが)利益は出ない。総売上げを伸ばしたって、しょせんは赤字がかさむだけ。労働者の賃金を上げるには、結局は突っ込む税金を増やすしかない。どうもフランス国鉄のストは、経営側にもそういう投げやりな考え――あるいは達観と呼ぶべきかもしれないが――があるから、こうものんべんだらりと続くのではないかと思うのだ。ちなみに、フランス国鉄(および国際列車)の遅延について。フランス国居住者なら払い戻しを受けられるよう(100キロ以上、1時間以上で半額)。ツーリストはダメ。こちらのサイトに情報あり。通常運行でこうとは、まったくどこまでも投げやりな経営だ・・・本来、こんな状態の組織でストをやったら会社がもたない。そして、それを許しているのが、フランス国民全体に行き渡った「労働者はデモとストで自らの権利を勝ち取ってきた」という共通認識(あるいは思い込み)だ。だが、労働者は納税者でもある。そしてフランスは公務員が多い(こちらを参照)。そういう国の行き着く先は? 納税者の負担を軽くして労働者に我慢を強いるのか? 労働者を優遇して納税者に無理を強いるのか? どちらにも行きにくい。前にも後ろにも行けないから、国鉄ストはますますのんべんだらりと続くようになる。まさに社会の悪循環だ。かつて日本の国鉄で労使が真っ向から対立し、労働組合がスト権ストを決行した結果、一般人を巻き込むストという行為そのものを世間から厳しく非難され、労働者側の勤務姿勢にも批判が集中し(これには当時の権力者の意向を受けたメディアの世論誘導があったのは明らかだ)、労組が壊滅状態に追い込まれた状況とフランス(そしてヨーロッパ)はあまりに対照的だ。フランスで遭遇した国鉄ストは、労働者の純粋な権利要求にしては、あまりに経営論的思考で間引き運転が決定されていた。ストと言いながら労使はどこかで結託、もしくは妥協している。南フランス方面に関して言えば、移動客は予定より数時間から半日遅れてしまうにせよ、ちゃんとその日のうちに目的地に着くようになっている。しかも、「客を一箇所にためて、めいっぱい詰め込んで運ぶ」というのは、コストカットの手法そのものだ。「マルセイユで客をためる」パターンは、たとえば北から来る客には以下のように応用される。エクス(北)からニース(南東)方面のカーニュに行く日、Mizumizu+Mizumizu母の乗った直行でニース方面に行くはずのTGVは、急きょ(本当は計画的に)途中のマルセイユ止まりになった。そして、マルセイユで待たせて客を思いっきりためたあとに、間引かれなかったTGVが来て、目いっぱい客を詰め込んでニース方面に運んだのだ。まあ、当然といえば当然なのだが、切符はそのまま振り替えで使える。この切符も、勝手に不必要に補償が手厚い切符を売られたので、Mizumizuは2人で3ユーロ余計に払った。ストの最中に、客の意向を聞きもせず、ちゃっかり1人1.5ユーロとか1.7ユーロとかコツコツ上乗せした切符を売るってどういう了見?フランスで国鉄の切符を直に買う皆様。「前日の夜までなら払い戻し可(当日の変更・キャンセルは10ユーロの手数料がかかる。出発後は補償ゼロ)」という条件で十分だと思う方は、窓口であらかじめ意思を伝えましょう。そして、電車の間引き方は、実に経営側にとって都合がいいようになっている。輸送手段をなるたけ間引き、荷物をできるだけためて、目いっぱい積んで運ぼうという運送屋の発想だ。荷物が着くのが遅くなれば客から文句を言われるから、こういうコストカットは運送屋にはしにくい。しにくいが、文句さえ言われないなら、そうやってどこか交通の要所で荷物をためて、一挙に運んだほうが「儲かる」のだ。フランスのストで行われているのは、まさにこれなのだ。しかも荷物扱いされているのは人間。そして、ストに関しては、フランス人の客は信じられないほど寛容で忍耐強い。毎回毎回ストに巻き込まれたが、一度も声を荒げて怒ってる客を見なかった。いろいろ聞いてる人はいるが、感情的になって文句をつけてる(らしき)人も全然見なかった。信じられません。「ストの状況は刻々と変化するので、その日になってみないと、どの電車が動くのかわからない」と、フランス人は口を揃えるのだが、これも到底そのまま鵜呑みにできない。確かに乗客に知らされるのは当日だが、どの路線を間引くのかは、事前にほとんど決まっているはずだ。カルカッソンヌに行く途中のモンペリエで足止めされたとき、それを実感した。 南仏の地図。南西のカルカッソンヌ。南の交通の要所マルセイユ(海沿い)。その北にエクスアンプロバンス。マルセイユの東にニース。(続く)
2010.05.12
今回のフランス旅行、日程を立てるのがずいぶんギリギリになってしまったのだが、出発数日前には、乗る電車もホテルもすべて決まった。ホテルの予約はネットでつつがなく終わったのだが、フランス国鉄(SNCF)の切符のネットでの購入がなぜか一部うまくいかない。買おうとしたのは以下の路線で、青が何度やっても買えなかった路線。1) Paris 7:19(TGV06203)→10:38 MONTPELLIER 10:55(TEOZ 04757 )→ Carcasonne 12:202)Carcassonne(TGV05301) 7:42→AIX-en-Provence TGV 10:273) AIX EN PROVENCE CENTRE Autocar 9:55→ 10:10Aix-en-Provence(TGV)10:36→13:00Canne Gare 13:10(Ter 86035)→13:35 Cagnes-sur mer 4)Villefranche-sur-mer12:57→13:03Nice13:35→Paris19:18今から思えば、すでにストが予定されていたので、買えない路線があったのではないかと思うのだが、「スト」の文字は全然頭になかったので、ただ単に、「????」という感じだった。別にフランスで買えばいいやと、日本でのネット購入を諦め(直前に日本で買っても、特にメリットがあるわけではない。現地での手間が多少省けるというだけ)、パリに着いて(到着は夕方だった)、ホテルで一休みしたあと、リヨン駅に買いに行った。もちろん、フランスに着いたばかりで、スト中なんてことは知らなかった。翌日の早朝、カルカッソンヌに行く予定で、(1)の切符は席も日本で指定してVISAカードで支払い済み。単に予約シートを見せて、切符を発券してもうらだけなのに、なんだかそこでもうえらく手間取っている。今から思えば、モンペリエからカルカッソンヌに行く電車は間引き対象でなくなってしまうことになるので、それで発券がスムーズに行かなかったのではないかと思う。窓口のお姉さんは英語をきれいに話すので助かったのだが、発券がうまく行かないと、なぜか席を立ってどこかに行ってしまった。何の説明もなく長々と待たされ、やっと戻ってきて切符を受け取る。ついでに(4)の切符も受け取り(これはすぐに出てきた)、(2)と(3)の切符を買おうとした。ところが!(2)の時間を見て、何度かコンピュータのキーボードを叩いたあと、窓口のお姉さんが言ったのは、「カルカッソンヌをこの時間に出ると、エクスアンプロバンスに着くまでには11時間かかる」という、耳を疑うような言葉。「11時間!?」驚いて聞き返すMizumizuに、ご丁寧に「11」という数字を紙に書き、「5回乗り換えなくてはいけない」などと、ますますワケのわからないことを言う。「ストだから」の一言はなし。ただ、「5回乗り換えで11時間」という説明だけ。こちらは狐につままれたような気分。そのときとりあえず思ったのは、「この時間のカルカッソンヌ-エクスを直行で結ぶTGVは、なくなったのかな?」ということだった。今ならわかるが、要するに、その日はストで直行TGVは間引かれることが決まっていたのだ。「なくなった」と言ってもタイムスケジュール変更でなくなったのではなく、Mizumizuが移動する予定の日は、走らなかったということ。11時間もかけてカルカッソンヌからエクスに移動するなんて、バカげている。実は、途中のニームでローマ時代の円形劇場の遺跡を見てからエクスに行ってもいいかな、と日本で考えていたので、Carcassonne(TGV05301) 7:42→9:40NIMESNIMES 13:32→14:42 MARSEILLE ST CHARLES 15:05→15:49 AIX-en-Provence Centreという別案も立てていた。TGVが走らないなんて知らないこっちは、このタイムスケジュールを手でメモ書きして、お姉さんに渡そうと思った。すると、待つのが面倒だったのか、こっちが書き終わらないうちに、「11時半にカルカッソンヌを出れば、乗り換え1回で午後4時ぐらいにエクスに着く列車がある」と言うではないか。なんだ、それを早く言ってよ。コンピュータに表示された詳しい時刻表を見るとCarcassonne11:33→14:42MARSEILLE ST CHARLES 15:05→15:49 AIX-en-Provence Centreとなっている。エクスアンプロバンスの街から18キロ離れたTGV駅じゃなく、街に近い在来線のエクスアンプロバンス駅に着くのね(Centreとはそういう意味)。フムフム、乗り換え1度が面倒だが、さほど悪くない。だが、よくよく考えればこれは実際には遠回りなのだ。最初に予定していたTGVはカルカッソンヌ7:42→10:27エクス(TGV)→10:41マルセイユと行くのだから。だが、そのときはルートが頭に浮かばなかった。エクスのTGV駅とCentre駅は18キロ離れている上に、鉄道路線でつながっていないのだ。そのとき考えたのは、カルカッソンヌ11時半出発と朝早く出なくなった分、午前中にカルカッソンヌの旧市街を見る時間もできるナ、ということ。お昼すぎにカルカッソンヌに着いたら、すぐにシテと呼ばれる城壁内と、別エリアになっている旧市街を両方見てしまおうと思っていたのだが、最初の日の午後に城壁内の散策をゆっくりして、旧市街のほうは翌日午前中にしよう・・・と、さっそく観光スケジュールを頭の中で組み替えるMizumizu。(3)のほうは、特にトラブルなく買えた。そして、(2)と(3)の切符、つまり日本で自分で予約して購入手続きをしたものでない切符を渡してくれながら、なぜかお姉さんが、笑顔で、「この切符は、出発2時間後まで払い戻しができるから」と言ったのだ。へ?http://www.voyages-sncf.com/?rfrr=PropositionAller_header_Voyages-sncf.com%20-%20plus%20loin%20que%20vous%20ne↑こちらでフランス国鉄(SNCF)のネット予約を試みるとわかるのだが、同じ切符でも、変更可なのが「いつまでか」によって値段が違っている。今見たら、たとえば明日パリから7時19分発でカルカッソンヌへ行く場合、出発前までなら制限つきで払い戻しと変更ができ(これが実際には後述する10ユーロの手数料のことを言っていると思うのだが)、出発後の補償がない切符が114.3ユーロ。出発まで自由に払い戻しと変更ができ、出発後の補償も条件つきながらある切符が120.9ユーロ(これがもっと先の予約だと価格も払い戻し条件も変わってくる。たとえば、出発前夜までなら自由に払い戻しと変更ができるが、当日なら変更には10ユーロ手数料がかかり、出発後は補償ゼロの切符が85.1ユーロ。出発まで自由に払い戻しと変更ができ、出発後の補償も条件つきながらある切符が102.8ユーロ・・・というように)。このように価格も条件も一定ではない(条件は表現が多少違うだけで、最終的には同じだという気もする)のだが、Mizumizuがフランス出発前に見たときは、出発前夜までなら払い戻しと変更ができる切符が114.3ユーロ、出発2時間後までという条件で払い戻しと変更ができる切符が120.9ユーロとなっていた。遠い先の予約ならともかく、直前に買う切符なのだから、別に1人6.6ユーロ(850円。この上乗せ料金は路線によって違ってくる)余計に払ってまで出発2時間後補償のある切符など買う必要はない。なので当然自分では114.3ユーロの切符を予約した。ところが、パリの窓口でお姉さんは、こちらに何も聞かず、かつ事前には何も言わずに、勝手に「出発後2時間後補償」のある高い切符を売ったのだ。切符を渡すときに、さも親切そうに、「2時間後まで払い戻せる」などと笑顔を作ったが、その条件は、こちらが上乗せ料金を払って買ったものなのだ。結局自分で買った(1)と(4)は安くすみ、フランスで直に買った(2)と(3)は勝手に高くされたということ。発券にやたら時間がかかってウンザリしていたので、多少のプレミアムはもうどうでもいいや、とそのときは「ありがとう」と笑顔で受け取ったのだが・・・Carcassonne11:33→14:42MARSEILLE ST CHARLES 15:05→15:49 AIX-en-provence Centreこのタイムテーブル↑、カルカッソンヌからマルセイユまではかなり遅れたものの走ったのだが、マルセイユからエクスまでの電車は間引かれてなくなってしまった。そして、15:05発のはずが16:05発の代替バスに急きょ変更させられたのだ。つまり、「出発2時間後まで払い戻しできる切符」なんて買う必要は全然なかったということ・・・じゃないですか?だって、ストなのだから、なくなってしまった路線の払い戻しは「前夜まで」なんて条件に関係なく保証されるはずだ。調べてみたら、カルカッソンヌからエクスの切符代金は、やはり1人50.6ユーロと48.9ユーロの2つがあり、50.6ユーロの高いほうを、勝手に買わされていた。それだけなら1人1.7ユーロなので、まあいいとしても・・・カルカッソンヌからエクスまで当初予定していた直行TGVは、安いほうの切符なら42.8ユーロだったことに後から気づいた。ただ駅が街から18キロ離れたTGV駅に着くことになるのだが、3.5ユーロのバスに乗れば街の近くのバスターミナルまで行ける。Carcassonne(TGV05301) 7:42→AIX-en-Provence TGV 10:27=42.9ユーロ(プラス街近くのバスターミナルまで3.5ユーロ)Carcassonne11:33→14:42MARSEILLE ST CHARLES 15:05→15:49 AIX-en-provence Centre=48.9ユーロ・・・のところを、買わされた切符は、無用の補償のついた50.6ユーロの切符。2時間半で着く予定の路線がストでなくなったため、待ち時間も入れて4時間以上(実際には待ち時間がさらに1時間延長)の、しかも値段の高い電車に、客のほうが変更を余儀なくされる・・・TGVといっても、カルカッソンヌからエクスまでは一部在来線を走るので、速くはない。速くはないが、直行なので、乗っているほうはラクだ。TGVのルートはカルカッソンヌ→エクス(TGV)→マルセイユ。なのに、わざわざ遠回りしてロカール線でカルカッソンヌからマルセイユまで行き、そこで降りて待ち、それから北上して在来線のエクス駅(Centre)に行く「ローカル線乗り継ぎ」になったから、値段も高くなった。ふざけてるふざけてるふざけてるだって・・・移動するほうから考えたら、直行で、しかも安くカルカッソンヌからエクスに行けるTGVのがダンゼン便利だ。だが、運行するほうから考えたら、あまり乗車率のよくないであろう、田舎のカルカッソンヌからエクス(そしてマルセイユ)へ行く便は、間引いてしまったほうがコストカットになる。(続く)
2010.05.11
Mizumizuがパリに行くと聞いて、ブログ仲間(?)のParis+Antiqueさんから直々のメールが・・・!「パリのレストランなら、Passage 53に行ってみて!」ご自身のブログでも大絶賛(こちらの記事)。「ヴェネチアではマドンナ」でも意見が一致したことだし、これはぜひとも行かなくてはと、パリでまるまる1日使える最終日の前日に、ホテルから電話でランチを予約。予約しておいてよかった。20席あまりの小さな店ではあるが、平日のランチが45ユーロからという、決して超安値段ではないにもかかわらず、行ってみたらほぼ満席。ここのメニューは、「おまかせ」。45ユーロと65ユーロから選び、それぞれにメニュー記述はなし。食べられないものは事前に聞かれるので、ぱっと聞かれて答えられるように心の準備を(笑)。まずは第一のアミューズ。ブロッコリーの青臭さが、不思議に洗練されている。タダの野菜でないことは確か。味が濃く、大地の香りを感じさせる力強さがある。そしてその野菜の旨みを生かしながら、エレガントな逸品に仕上げるシェフの並外れた力量は、もうこの一皿の一口でわかる。パンもサックリ、モチモチ。「今日のパンは、わりとモチモチ度が強いですね」とウエイターの日本人男性。日によって違うのだろうか? フランス人相手の店で、やたら硬いパンばかり食べさせられたMizumizu+Mizumizu母は大満足。硬くて、噛めば噛むほど味わいの出てくるパンも、それはそれで素晴らしいのだが、やっぱり日本人は基本、柔らかいパンが好きなのかも。ちなみに、Mizumizu連れ合いは、モチモチの柔らかいパンより硬いパンが好きだという非国民(笑)。この白いの、何だと思いますか? 答えは薄くスライスしたカリフラワー。その下にはヤリイカが隠れている。ヨーロッパで食べるイカなんて、やたら火を通しすぎていて、味もそっけもなくなったものが多いが、さすが日本人シェフ。薄いカリフラワーの食感と噛み応えのあるイカの風味が、うまく溶け合っている。下に敷かれたクリームソースも軽やか。まだまだ続くアミューズのオドロキ。こちらのホタテは、表面をカリッと焦がし、オレンジで風味づけしている。ホタテの寝ているベッドはなんと春菊のソース。センセーショナルな素材の組み合わせが、モダン・フレンチの醍醐味。オレンジと春菊というのは、十分にセンセーショナルだった。調和しあっているか、お互いがお互いを引き立てあっているか、と聞かれると、正直ちょっと苦しいが、ほんのり舌に広がるオレンジの爽快感と、青臭くないのにしっかり感じられる春菊の苦味は、まさに唯一無二の味。平凡なホタテという素材を、ここまで個性的に仕上げるシェフの創意工夫と技量は本当にたいしたもの。第一メインは、銀むつ(メロ)。ソースにはなんと、日本のゆずを使用。ウマすぎるでしょう、このゆず風味のソース。最後にパラパラと落とした粗い塩の加減も、まさに職人技でしょう。いや~、素晴らしいでしょう。やっぱり、魚を調理させたら、日本人シェフの右に並ぶものはいないでしょう。野菜と貝類の取り合わせも、見た目にも美しく繊細で、主張しすぎないにもかかわらず、それぞれの茹で加減が絶妙。この芸術性は、最高の日本料理以外では、ほとんどお目にかかれないのだが、Passage 53は見事にパリで、日本料理の真髄をフランス料理に融合させた。フランス人シェフが日本の懐石料理に大いに啓発されたのは、よく知られているが、逆に日本料理の伝統を、ここまでフランス料理に調和させた日本人シェフは珍しいように思う。入っている客も、日本人よりフランス人のほうが多かった。Mizumizuはフランスではまず魚料理は食べない。フランスの魚料理って、火を通しているのに生臭いものが多いからだ。元来魚があまり好きでないせいもあるのかもしれないが、ちょっとでも魚が生臭いと、もうダメなのだが、フランス人はあまり気にしないのか、あれが風味の一種だということになっているのか、日本のフランス料理店でも、やや生臭い魚料理が出されることがたまにある。Passage 53の魚料理に、生臭さは一切なし。火入れもこれが最高でしょう。皮の周囲だけこんがり、中はしっとりした食感を残しつつ、決して生焼け感がない。もちろん、これもかなり日本人的な嗜好であって、味覚の非国民Mizumizu連れ合いは逆に、魚はきっちり火を通してなくてはダメで、バサバサに近い食感が好きなのだ(信じられないヤツだべ)。これは、南仏エズの「シェーブル・ドール」というホテルの、絶景のテラスで食べたランチのメイン(このホテルのレストランはミシュランの星つきなのだが、それはガラス張りの室内レストランのほうで、テラスのレストランは別。星つきレストランのほうは、さすがに素晴らしかった)。この美的感覚ゼロの魚の品評会みたいな盛り付け、なんなんでしょうね? 厚めの切り身にも中までしっかり火を通すためか、皮はかなりコゲが目立つし、こんなふうにドドド~ンと魚介類「だけ」を大量に出されると、逆に食欲減退してしまう日本人のほうが多いと思う。だが、この魚料理には、フランス人の考えがよく表われていると思う。つまり、シーフードは、タンパク源なのだ。彼らはタンパク質をきっちり取らないとダメなのだ。この傾向はフランス人だけに留まらず、白人全体に当てはまる。チェンマイなどに行くとよくわかる。あんな高地で魚を食べたいなんて思う日本人はそうはいないと思うが、シーフードレストランには白人が大挙して押し寄せる(アジア人はゼロに近い)。そして、たいして新鮮でもない魚介類の「かたまり」をバクバク食べている。さてさて・・・こちらがメインの子牛なのだが・・・残念ながら、おなかがいっぱいだったせいもあるが、この子牛は、Mizumizu+Mizumizu母の口にまったく合わなかった。メインの肉料理がハズれたのは、正直ちょっと痛いのだが、まあ、そういうこともあらぁな。子牛は基本大・大好きなMizumizu。フランスに行くと子牛を食べるのを楽しみにしているのだが。しかし、これは・・・なんつかーコーンビーフみたいで・・・しかもずいぶんと脂っぽい。メインは鴨か子牛になる・・・と聞いていたのだが、もしかすると脂っぽい肉を好む日本人客ということで、子牛になってしまったのか。フランスの肉料理は、ワインと一緒に流し込めば、なんとかなる場合も多いのだが、まずいことに、ワインのチョイスで失敗(自爆)。昼はワインを飲みたくないMizumizu母。なのでMizumizuだけグラスで頼むことにしたのだが、料理の組み立てを全然知らずに、最初のうちに「赤にしますか、白にしますか?」と聞かれて、「赤」と答えてしまった。用意してくれたピノノワールは、さっぱり料理と調和しなかった。そもそもメインが魚と肉の2種ということも知らなかったので。トホホ・・・ 別に白が体質的にダメということではないのだから、もっとよく相談して選ぶべきだった。Mizumizu母も、他の料理は大絶賛していたが、この子牛にはほとんど手をつけず。脇役たちは、申し分なし。特に黒っぽいキノコ(キヌガサダケと言われたように記憶しているのだが、アミガサダケじゃないかと・・・ あるいは、こちらの聞き違い?)。これはエズのミシュラン星つきレストランでも食べた。食感がおもしろく、味も見た目よりずっと淡白で、フレンチの濃厚な個性の主役と合わせても、お互いを引き立てあう最高の脇役になっていた。季節のホワイトアスパラが添えられているところもニクイ。小さなジャガイモは、皮までウマイ。デザートは、ビターなチョコレートタルトにコーヒー風味のアイス。マンゴーとパッションフルーツのムース。信じられないぐらい滑らかなチョコレートとサックリしたタルト地の食感のコントラストは、ありそうでなかなかないフレッシュな仕上がり。コーヒー味のアイスの口どけもチョコレートのアクセントになる。タルトのチョコレートはねっとりと溶け、アイスはさっと惜しみなく溶ける。この対比が楽しい。ふわふわのムースは一転して南国風。甘さと苦さと酸っぱさを一度に味わう、ある意味とっても日本人的なデザート。締めにはエスプレッソを頼んだ。プチフールは暖かなマドレーヌ。しかし・・・、フランス行って指折りだと思ったレストランのシェフは日本人。日本人にはヤッパリ日本人の店が合うのか、いや、もうそういう時代だってことですかね。個人的感想をもし一言にまとめるとするなら、「野菜と魚料理が特に光る店」。そして、その一皿ごとに、「美味しい!」以上の感想を述べたくなる店でもある。Passage 53住所:53 Passage des Panoramas, ParisTel: 01-42-33-04-35(ホテルからかけるときはこの前に0をつければいい、と思います。日本語を話すスタッフがいます)地下鉄の最寄り駅:3号線のGrands Boulevards(旧Rue Montmartre)から徒歩5分。アーケートになってるパサージュ・デ・パノラマ の中にあります。Mizumizuのとった超おのぼりさん的行動は・・・地下鉄3号線のAlma Marceau近くのバトームージュで午前11時からセーヌ川の船旅を楽しみ(所要1時間15分、5ユーロ)、そのあとすぐ地下鉄で1本のGrands Boulevardsへ。12時半の予約に「ちょっと遅れ」ぐらいで間に合ったのでした。これはいいルートなので、バトームージュに乗ったことのない方にはお奨めです。食後はパレロワイヤル方面に南下しつつ、パッサージュめぐりをするという手もあり。
2010.05.03
今回、フランス旅行から帰ってきて、為替レートがこれまでと違う「地殻変動」を起こしていたことを知った。去年行ったときは、VISAよりJCBのほうがレートが(こちらにとって)よかった。問題はJCBが使える店が少ないこと。ところがところが、今回はVISAのほうがレートがいい。たとえば同一日に使ったVISAとJCBの為替レートを、回ってきたカードの請求書から計算してみると・・・4/6(このときはまだ日本にいて、予約したホテルがデボジットとして先に引き落とした)VISA=128.021円、JCB=129.53円4/11(このときはすでにパリにいた)VISA=127.819円、JCB=129.5円だが、JCBのレートがいつもVISA以上に悪いかというと、そうでもない。4/15 VISA=128.991円、JCB=127円という日もあった。もっと驚いたことに、カード利用の為替レートより、VISAカードでフランス現地でキャッシングしたときのレートのほうが良かったのだ!!キャッシングは利息を含めれたカードよりもレートが悪くなるというのが、長きにわたるMizumizuの常識だったのだが。ユーロ導入以前の為替レートの有利さはカード→現地の銀行での両替→日本の銀行での両替→カードでのキャッシングだった。ところがいつの間にか、ドルやユーロは日本の銀行で現金を両替していったほうが、こちらにとって有利になった。日本の銀行で一番いいのは三菱東京UFJ。しかし、今回はカードのレートがずいぶんと(こちらにとって)悪い。フランス滞在中一度だけVISAカードで100ユーロキャッシングしたのだが、レートが126.91円で、利息が26日利用で130円。この「26日利用」というのは、キャッシングした日からカード会社の締め日までの日数で、日本に帰ってきてすぐ「臨時返済」したので、この130円が60円(苦笑)ですんだ。60円を上乗せしてレート計算しても、1ユーロ=127.51円だった。キャッシングした同じ日にVISAカードで買い物もしていて、そのレートは128.97円。たとえ、キャッシングした日が締め日の直後という悪いタイミングで、かつ臨時一括返済をせずに放っておいたとしても、引き落としのときの最高利息は130円÷26×31日=155円ということになるはず。この利息を入れたうえでレート計算しても128.46円とカードのレートよりよかったことになるのだ。為替の仲値の動きを見ると、どうもキャシングのレートが良くなったというより、カード決済のときのレート換算が悪くなったということだと思う。キャシングというのは、要はMizumizuの大嫌いな借金なので、なるたけ避けてきたのだが、今回のレートを見ると、これまではあったカードの有利さ(つまり現金に両替してモノを買うより、カードで買ったほうがこちらにとってレートがいいということ)がなくなってしまった。最後に残った疑問は・・・日本の銀行でユーロに両替していったら、どうだったんだろう? キャッシングよりレートがよかったのか悪かったのか。今回は成田では両替しなかった(ユーロ現金が手元にあった)のでわからない。ユーロの場合、フランス現地の銀行での現金の両替がレートが悪いというのは、変わってないと思うのだが・・・(そう思い込んでいたので、今回はチェックしなかった)。次回の旅行のときは、成田空港と現地の空港で両替レートをメモして計算してみようかな。いつもやろうかなと思いつつ、面倒なのでチェックしないのだが。
2010.05.02
先日のエントリーをアップしたあと、ちょくちょくお邪魔していてコメントの常連になっている俳優のジュード・ロウのファンブログに行くと、なんと・・・!この冬に行かれたアルルでの性悪タクシードライバーの話が載っていた。こちらから。読んでビックリ! このBMW野郎の態度はもはや、立派なレイシスト。ヴィルフランシュのベンツ野郎を超えている! 下には下がいるものだ。これが「自由・平等・博愛」の国フランスなのだ。ローマのタクシー会社や当局ですら反省した(こちらの記事参照)というのに、フランス人が反省する日は来るのだろうか? 日本人ほど世界中でありがたがられる観光客はいない。大人しいし、金払いもいい。なのに、なぜフランスという国の人間は、そういうお客様をいつまでたっても敬意をもって「まとも」に扱えないのだろう?日本人にも、もちろん悪い部分はある。郷に入っては郷にしたがえ。フランスでは、「ボンジュー(ル)」という挨拶がなにより重要なのに、店に入っても、全然自分から挨拶しないし、挨拶されても言葉できちんと返さない。無言。これはとても感じが悪い。「私はシャイな日本人だから、自分からハキハキと笑顔で挨拶なんてできない」という方は、個人旅行ではなくツアー旅行にしたほうがいい。マトモに挨拶もせずに勝手に店に入ってきてジロジロ物色したり、挨拶もなしにいきなり質問するようなぶしつけな人間の相手をさせられるフランス人が気の毒だ。ニースでの「観光のための移動」は、鉄道駅よりMasse’na広場の近くのバスターミナル(Gare Routie're)が中心になるので、ホテルは鉄道駅より広場の近くに取ったほうがいい。Mizumizuのお奨めは、先日書いたようにPromenade des Anglais沿いのホテルの海側の部屋(海側の部屋のほうが値段は高いが、その価値はあると思う)。Nice Villeの鉄道駅に着く人は、駅を出てすぐ左にあるインフォメーションで、市内地図と行きたい町のバスの時刻表、それにニースで行きたい場所へのバスでの行き方を聞こう。長距離列車が着いた直後はインフォメーションは行列になってしまうので、それがイヤでホテルでとにかく一休みしたい人は、たとえばプロムナードザングレにホテルがあるなら、とりあえず以下のように行ける。(ただし、時間はかかる)。Nice Villa駅→Promenade des Anglais沿いのホテルまず駅を背にして、左側へ歩く。2分ほど(荷物を引きずりながらゆっくり。荷物はひきずりやすい道)でトラムの駅に着く。トラムの乗り方は以下のサイトをご参考に。http://africanbazaar.jp/newpage69.htmlちなみに、水を買いたいアナタ。ニース駅の売店で1.7ユーロの水が、トラム停車場へ向かう途中の小さな食料品店(店先に果物を並べている)で、0.7ユーロで買えますので。駅からは徒歩で1分。4つ目のトラム駅Cathe'drale-Vielle Villeで降り(大きなMasse'na広場を過ぎて左折したあと2つ目)、トラム駅のすぐ北にあるバスターミナル、Gare Routie'reに入る(屋根のある大きなバスターミナル)。http://www.lignedazur.com/ftp/plans_FR/Nice%20Centre%202010prot.pdfを見てもわかるとおり、プロムナードを通るバスはたくさんある。ありすぎてわからないぐらいだが、とりあえず100番のVence行きなら確実だし、本数も多い。長距離バスは、日本のリムジンバス同様、座席の下が荷物入れになっている。個人個人で荷物入れのボタンを押して自力入れる。海岸沿いのまっすぐな道、プロムナードに出たら、2つ目のバス停(バス停で乗り降りする人がいないとバスは通過になるので、とりあえず、プロムナードに出て少ししたらボタンを押そう)Congre'sで降りよう。ここならインフォメーションも近くにある。バスの中からバス停の名前はなんとか読める。ここで降りれば、ウエストミンスター、ウエストエンド、ネグレスコなどのホテルはすぐ。万が一乗り過ごしてしまっても、次で降りれば「ネグレスコを通り過ぎたぐらい」で降りられるので、たいして問題はない。ちなみにネグレスコは現在改装中でクローズ。Mizumizuの泊まったウエストミンスターは、シーズンオフのせいか、ニースではホテルの競争が激しいせいか、値段(朝食含めて海側のツインで1泊150ユーロ前後)のわりには、満足度が高かった。プロムナード沿いのホテルがネグレスコホテルより東にある場合、荷物がさほどでないなら、トラム駅から2つ目の駅、Masse’na広場で降りて、あとは歩いてもたいしたことはないはず。Niceのマチス美術館、シャガール美術館へ行くには・・・詳しくは市内地図をもらうついでにインフォメーションで聞くとよいと思うが、簡単に説明すると、Masse'na広場から東にのびているGioffredo通りから15番もしくは22番のバスで。マチス美術館のほうが遠いので、まずはそちらを目指そう。市内地図をもっていれば、バスの走る道がよくわかるし、バスの中からバス停の名前も見えるので、降り方はさほどむずかしくない。ただ、帰るときにマチス美術館から出て、うっかり別の停留所に行かないように注意(1つ別方面のバス停がある)。帰りも15番もしくは22番のバスで帰る。だから、15番もしくは22番のバス停かどうか、きちんと確かめよう。 ニース市内に戻る途中にシャガール美術館がある。15番と22番のバスは頻繁にあるので、さほど時間を気にする必要はないと思う。ただ、ここでMizumizuは20分ほど待った。バスの時間が気になる人は、降りたときに、反対車線のバス停で時間を確認しておこう。ただし、けっこうバスは遅れてくるので、あまりアテにならない。帰りのバスは行きのバスと違い、Gioffredo通りの1つ北のPoste'通りに入る(もしかしたら、ルートの違うバスもあるかもしれないが、Mizumizuの乗ったバスはそうだった)。どちらにせよMasse'na広場のほうへ突き当たる道なので、Masse'na広場で降りる人はそんなに気にしなくてもいいと思うが、Gare Routie'reで別のバスに乗りたい場合は、Poste'通りに右折したら(フランスの道は、通りの角に通りの名前が貼ってあるので、バスの窓から見ていれば、通りの名前はなんとか見える)、郵便局のあたりで降りるとよい(右手)。どちらにしろ市内地図を片手に乗っていれば、だいたい降りるべき場所もわかるので、ボタンを押せると思う。とにかく、インフォメーションでもらう市内地図は必携! Masse'na広場からプロムナード並びのホテルへなら、荷物がなければよい散歩道になるので、バスに乗る必要はなし。Niceから近郊の町はすでに書いたように、Gare Routie'reから各方面に出ている。インフォメーションで、あらかじめバスの時刻表を入手しておこう。Masse'na広場からトラムのMasse'na停留所を見たところ。アーチ型の回廊の続く道。広場の少し手前に停留所がある。Masse'na広場。広々とした空間、中央奥の噴水、赤茶の湾曲した建物の風情は、明らかにイタリア風。高いポールのうえの黄金の人物坐像は、なんぞや?シャガール美術館のバス停で撮った15番と22番のバスの時刻表(市内へ戻るバス)。頻繁にあるが、時間はあまりアテにならない。
2010.05.01
ニースのオバちゃんタクシードライバーで懲りたので、ヴィルフランシュまではバスで行った。 ホテルからバスターミナル(Gare Routie're)まで行き、バスターミナルからマントン行きのバスに乗ってOctroi(ヴィルフランシュのバス停)で下車。2人で計4ユーロで来た。バス停のあるOctroiから海沿いのホテル(Hotel Welcome)までは、直線距離にすれば300メートルほどなのだが、急な坂を下りなければならず、荷物を引きずって歩くのは難しい。なので、直線距離にして300メートル、急カーブの道を走ったときの総距離にしたって500メートルぐらいの間だけ、タクシーに乗ることにした。南仏のタクシーってのは、タクシー溜りに車だけ置いて、ドライバーが長々とどこかに行ってしまっていることも多い。ヴィルフランシュでも、バス停のすぐわきに、メルセデスのタクシーが停まっていたが、ドライバーがいない。しばらく待っていたのだが戻ってこないので、仕方なく近く店に入って別のタクシーを呼んでもらおうとしたところに、人相の悪い男のドライバーが帰って来た。行き先を告げると後ろのトランクを開けてくれた。荷物はソフトケースが2つに、それよりさらに小さなキャリーバックが1つ。キャリーバックをMizumizuがトランクに入れようとすると、車体の一部を指差して、「当たった」みたいなことを言っている。指差してるところを見たが、別にキズをつけたわけでもない。奮発してメルセデスを買ったもんで神経質になってるのか? えらく感じ悪いオッサンだとは思ったが、まぁ、女2人だとこうやってナメる輩は世界中にいっぱいいるし、こっちも別にキズつけてもいないのに謝る必要もないので黙っていた。乗り込んで、走り出したところでメーターを確認しようとしたのだが・・・あれ? メーターがこっちを向いていない。しげしげ見ると、ドライバーがメーターを自分のほうに向けていた(あんなふうに回転するとは知らんかった)。一応2.9ユーロになっている。急な坂をくだったところで、もうホテルの看板が見え、あっという間に到着。んで、Mizumizu+Mizumizu母が降りたら、荷物を降ろしたあと、人相の悪いドライバーったら、「15ユーロ、プリーズ」と言うではないか!はああああ? 15ユーロ!? ほんの数分、乗っただけだぞ。「10ユーロでいいんじゃない?(←冷静に考えれば、10ユーロだって相当高いと思うのだが)」と一応交渉(?)したが、「メーターで10ユーロ。荷物が3つもあるから5ユーロ。だから15ユーロだ」などと言い出す。はあ? メーターがもう10ユーロに上がったって? ありえんわ!と思ってみると、なんとなんと、ドライバーの奴、メーターを自分のほうに向けてこっちが見てない間に、こっそり操作して10ユーロに上げたらしく、赤字数字できっちり10と表示されている。メーターのウラ操作! まるで昔の香港じゃないの!でもって、座席の前に、荷物1.3ユーロ・・・と書いてある紙を指差して、いかにも「規定どおり」というような顔をする悪質ドライバー。1.3ユーロに3をかけたって5ユーロにはならないんだけど、ほかはチップというアタマらしい。Mizumizu+Mizumizu母と抗議したが、譲らないので、仕方なく投げつけるようにしていい値を払うと、「サンキュー、ハバグッデイ」などと急に変に丁寧に挨拶始めたドライバー。こちらはもう顔を見る気もしない悪徳ドライバーを押しのけるようにして、日本語で、「ドロボウ!」と悪態をつき(ついでにツバ吐きのマネでもするかと思ったが、それじゃキム・ヨナだと自制した・笑)、思いっきり怒った態度でホテルに入ろうとしたら・・・「そっちじゃない、向こう」と、ご丁寧に指差すドライバー。悪質ドライバーの常だが、ホテルのまん前ではなく、ちょっと手前につけていたというワケ。声を出せない典型的日本人のMizumizu母も全身で怒りを表現して、つんつん立ち去った。後ろでまだ挨拶してるドライバー。なぜかこういうボッタクリに限って、最後は「丸くおさまったフリ」をしたがるのだ。15ユーロったら、日本円で2000円ですよ。乗ってた時間って、2分? それとも3分?ニースに近づくにつれて、タクシーはこんなになった。遠いカルカッソンヌでは、メーターが6.1ユーロになったら、「6ユーロでいいよ」とドライバーが言ってくれて、ちょうど20セント硬貨があったので、「いえいえ、これをどうぞ」とあげて、「メルシィ」とお互い気持ちよく別れたのだ。エクスアンプロバンスではタクシーを呼ぶと、最初からメーターが押された状態で来たが、それでも街中だったら8ユーロぐらい。ちょっと遠くのTGV駅行きの長距離バス停まで、街はずれのホテルから行ってもらってメーターで14ユーロちょっと。それを切り上げて15ユーロ払った。もちろんそのときは荷物代などとは言われなかった。ニース近郊のカーニュのルノワールの家から、(バスの便が悪いので)タクシーを呼んで、そのとき初めて、「10ユーロでいい?」と聞かれた。同じバス停から行きはタクシー8ユーロで来たが、呼んでもらうのだし、2ユーロぐらいの上乗せは別にいいと思い、OKした。このくらいまでは、特に気分が悪いということはなかったのだ。ところがニースに入ったら、これ。1回乗せて10ユーロぐらい欲しいという気持ちはわかるが、それなら何のためにメーターがあるのやら。ニースの遠回り+2ユーロ切り上げのオバさんで怒っていたら、ヴィルフランシュのベンツ野郎は、こそこそメーターを隠し、操作までして「正当性を偽装」してきた。どこまで外国人観光客をバカにしているのやら。ケチなフランス人(というか、たいがいは豊かでないのだ。だから極力安くすませようとする)は、はなっからタクシーなんかには乗らず、バスを活用する。タクシーのお客は当然、トラムやバスの活用方法を知らず、言葉も地理もわからない外国人観光客が中心。どうせ一度限りの客だし、ニースまで来て遊べるくらい金持ちなのだから、多少吹っかけたってどうってことないだろう(と、タクシードライバーはおそらく思っている)。こうやってタクシーは評判を落とし、ますます客が乗らなくなる。客が減るから、たまの客にはここぞとばかり吹っかけるようになる。自分たちで自分たちの首をしめているとも知らずに。ニースから隣町のヴィルフランシュまで2人で500円ちょいで来たのに、タクシーにちょっと乗ったら、いきなり「荷物代プラスアルファ」などと言って2000円取られる。これが観光大国フランスの実態だ。南仏だけなのか、全国的にそうなのかは知らないが、荷物預けのない駅が多いなど、外国人の個人旅行客には実に不親切。街中でトイレが少ないのは、皆さんもうご承知だと思う。そのうえタクシーでの、メーター無用の「ぼったくり」。日本人がだんだん行かなくなるのも、当然だろう。しかも、バス(ニースはトラムもだが)の料金支払いシステムが、実にいい加減。ハッキリ言って、タダ乗りし放題だと思う。バスの切符は運転手から買えるのだが、そのあと機械に突っ込んでバリデーション(刻印)しなければいけない。この刻印をしなければ、買った切符は次でも使える。たいてい運転手が、「バリデーションして」と言うのだが、混んでいると目が届かなくなる。切符がなくても乗れてしまうのはいうまでもない。たぶん検札官が乗ってきて乗客の切符をチェックする制度なのだろうけど、イタリアでは頻繁に来た検札官、ニースおよびその近郊では一度も来なかった。これでは事実上の「放任」だと思う。バスやトラムはたった1ユーロだし、その不正を発見するために検札回数を増やしたら、人を使う分おそらくそっちのほうがコスト高になるのだろうと思う。しかし、それは「ちゃんと払っている人間」に対して不公平ではないか。こうした「アンフェアなお目こぼし」は、日本人には非常に気になるのだ。モノを知らない観光客は水にしろ、タクシーにしろ、やたらめったら割高な料金を払わなければいけない「仕組み」になっていることも含めて。フランスと比べると、日本は実に「公平さ」にこだわる国だということがよくわかる。それが結果として本当に皆に公平になっているか、人にやさしくなっているかどうかはともかくとして。たとえば日本のホテルでは、チェックインの前には客をなにがなんでも部屋に入れないところが多い。チェックインが「3時」という規則だったら、その規則は誰に対しても公平に適用される。規定の時前に来た客だけ先に入れてしまったら、「不公平」になるからだ。ヨーロッパでは、そういうホテルもあるが、部屋の掃除が出来ていれば、たいていは早い時間に来ても入れてくれる。疲れている旅行者にはそのほうが「やさしい」し、荷物をいったんフロントに預けたりしなくてすむ分、ホテルのスタッフにとっても「仕事が減る」というメリットもある。さてさて・・・帰りは鉄道を利用するつもりだったので、ヴィルフランシュのホテルでタクシー代について聞いたら、「鉄道駅まで500メートルぐらいで、歩いても5分。タクシー呼んだらたぶん10ユーロから。荷物によっては15ユーロかかる」と言われた。長距離バスのバス停までの道は坂なので、歩くのは大変だが、鉄道駅までは平坦な道。ただ、「狭い歩道」「段差」「石畳」の3点セットで荷物は引きずりにくい。だが、また2000円もふんだくられたうえ、鉄道駅のホームに上がる長く急な階段(これが荷物を運搬する個人客のヴィルフランシュ鉄道駅での最大の難所wwwになっている。エレベータなんて気の利いたものはない)は自分たちで荷物を上げなければいけなくなりそうだし、シニア世代のMizumizu母が、タクシー運転手の悪辣ぶりにいたく立腹して、「歩く!」と宣言しているので、ニース方面へ向かう帰りは、ホテルから荷物を引きずって歩いた。手ぶらなら5分だという道、20分ぐらいかかったのだが。ヴィルフランシュ駅へ向かう道。ちぐはぐな舗装の歩道は、この先で途切れ、やがてまたさらに狭くなって始まるのだが、いちいちある段差が荷物をひきずる女の身にはきつい。最後にして最大の難所(笑)、ヴィルフランシュ駅のホームへの階段。 こういう悪質なタクシーを避けるためには、どうしたらいいだろう?残念ながら、フランス語のできない、いたいけな日本人観光客には事前に防ぐ手立てはないと思う。メーターを使ったって、ニースの街中は、いくらでも遠回りができる。やはり「タクシーは、なるたけ使わない」しか手はない。だからこそ、事前に情報をゲットして自己防衛しよう。 (明日簡単な主なバス・トラムの使い方を説明します)
2010.04.30
ニースを中心に、コートダジュールの村を訪ねたいと思う方は多いと思うのだが・・・その際は、大いにバスを活用しよう!今回ニースに行って驚いたのは、路線バスの安さとタクシーの悪質さ。まずカーニュ・シュル・メールという町からニースに行くのに、「バスなら1ユーロ」と聞いて、はっ? そんなに安いの?とビックリ。カーニュ(Cagnes)からニースまではバスで30分かかるのに、1ユーロですむとは。しかし、しかし。ニースからエズ村に行っても、ニースからマントンに行っても(ニースからマントンまでバスだと、渋滞もあって正味1時間半ぐらいかかってしまうのだが)、やっぱり1ユーロだった。ニースのバスターミナルは、鉄道駅とは離れたところにあるが・・・http://www.lignedazur.com/ftp/plans_FR/Nice%20Centre%202010prot.pdf↑こちらの地図参照。SNCFが鉄道駅、赤いぶっとい線がトラム。下の囲みの拡大図のGare Routie'reが近郊の町へ行くバスターミナル。逆に言うと、感じのよいホテルが立ち並んでいる海岸沿いのプロムナードザングレからなら、東行きならだいたいどのバスに乗ってもバスターミナルの中(長距離バス)、あるいはそのすぐそば(市内バス)まで行くので、とても便利なのだ。海を眺められるプロムナードザングレにホテルを取り、バスを活用して近郊の町を回る・・・というのがMizumizuのお奨め。なんなら、大きな荷物をニースのホテルに預けて(ホテルのランクによるかもしれないが、ふつうは別に何日預けようとタダ)、1泊分の荷物だけもった身軽なカラダで、ひなびた町の感じのよさそうなホテルに1泊してきてもいい。ニース市内を走るバスはミニバスが多いが、近郊の町まで行くバスはとっても立派。問題は本数。ほぼ20分に1本と、非常に頻繁にある路線(ニースからマントン行き、あるいはニースからヴァンス行きなど。ヴァンス行きに乗れば、ルノアールの家のあるカーニュやサンポールなどの村へも行ける)と、1時間~2時間に1本とあまり便のないバス(ニースからエズ、あるいはカーニュのルノアールの家を通る市内バス)の差が激しいこと。逆に空港行きのバスや在来線の駅とTGV駅を結ぶバスなどは割高。通勤などの生活路線は安く、旅行に使う路線は割高ということか。実に徹底している。カーニュの村では無料の循環ミニバスまであった(こういうバスは観光名所のルノアールの家には行かない)。しかし・・・1駅乗っても70分(だったかな? 基本は)乗っても、バスが1ユーロというのは、いくらなんでも受益負担の面で不公平だと思うのだが。通勤などに使われる生活路線のバスを1ユーロに抑えるというのは、一種のセーフティネット、つまり社会保障の一部という考え方なのかもしれないが、あんな豪華なバスに乗客を1ユーロで1時間も乗せたら、利益なんてモチロン、当然、はなっから出るわけない。こうした住民サービスは当然税金でまかなわれる。杉並区にも「すぎまる」という短い路線の循環ミニバスがあるが、これだって一応100円を取ってる(もちろん、それで利益が出るワケはないのだが)。ニースの住民向けバスのサービスは杉並なんてもんじゃなく手厚い。で? バス運行会社の労働者がまた「賃金上げろ」とストをやってゴネたら、その希望をかなえるためには、結局はさらに税金を突っ込まないといけなくなると思うのだが? フランスのバス会社は、鉄道ほどには運営形態が複雑ではないかもしれず、経営母体がスリムなら、「やりくり」はある程度可能なのかもしれないが、それにしたって、乗る側が、「1ユーロで乗せろ(どうもニースのバス・トラムの初乗り運賃は1ユーロに「値下げ」されたらしいのだ。1駅でも1ユーロ超と考えると、確かに高い)」、働く側が、「もっと賃金よこせ」とお互いにエゴったら、行き着く先は税金での穴埋めしかないワケで、そうなるとこうした住民サービスにかかる費用はどんどん上がる。フランスの行政がどういう打ち出の小槌を持っているのか知らないが、国民の税負担と住民サービスのバランスをどうやって取るのか、これからも取り続けることができるのか。選挙で政権交代させてから、1年もたたないうちに国の借金が7兆も8兆も(もしかして、もう9兆いってますか?)増えてしまったアホな国の人間が心配するのもおこがましいが、フランスの社会保障政策には、どうもある部分で行き過ぎ感があり(そのわりには、猛暑でお年よりがバタバタ亡くなるのをどうにもできなかったことなど、日本人からすれば「なんですぐにエアコン入れることさえできなかったの? 本気になればエアコン設置工事なんて数時間で済むじゃん」と思う部分も多いが)、「大丈夫か? 一体、こんなこといつまで続けられるの?」と疑問をもたずにはいられない。フランス人と日本人は考え方や価値観が180度近く違うので、社会のコンセンサスの作り方も国の運営の仕方もまるで違うのだが、国民が「そこそこの暮らしができている」という部分では共通している。だが、増大するばかりの対住民サービスの財源をどうやって持続的にまかなっていくつもりなのか。どちらの国の現状も、古代ローマ帝国末期のようだ。国の財政を見ると、先進国で日本ほど悲惨な国は少ないが、日本の場合は、まだ国民のほうはお金をもっている。貧困層が増大しているといったって、まだまだ世界的に見ても日本は貧富の差は少ない国だ。日本では、フランスのプラスの面ばかりを強調してメディアが伝える傾向があるが、頻発するストで蒙る一般市民の迷惑を考えたって、日本のほうがマシな部分も多いのだ。日曜日に店の多くが開かない不便さを、そもそも日本人が我慢できるだろうか? 今日もテレビで、現政権の子供手当てに対する日本国内での批判をかわすためなのか、出生率を回復させたというフランスの子供手当て政策のプロパガンダ番組をやっていた。「3人産めば、仕事をしなくてもいいくらいの手当てが国からもらえる」というフランスの現行政策を聞いて、「それはちょっとおかしいんじゃないの?」と思わないとしたら、実にどうかしている。こういう政策を取ったらどうなるか? 子供をせっせと産んで、さらにせっせと働いて税金を納める? もちろん、そういう真っ当な親もいるだろう。だが、「子供たくさん産めば、手当てが増えて働かなくてもよくなるじゃん」と考える輩だって出てくるハズだ。子供は親の背中を見て育つ。こういう親が育てた子供がどうなるか。フランス人だって批判している人は多い。子供を産めない人だっている。ただ、日本のメディアがこの政策による負の側面や反対意見を伝えないだけで。出生率が上がったからといって、国にタカる人間を増やしてしまえば、そのツケはあとから社会全体が払うことになる。そんなことさえ予想できないのか?とにかくフランス人は、つまらないことでもやたら自慢する傾向がある。10%のインテリが作り上げた文化大国フランスのイメージに惑って、フランス人になろうとしたって、無理ってものだ。日本人は日本人。それ以上でも以下でもない。フランス人も日本人も気位が高いが、プライドの持ち方が正反対といってもいいくらい違っている。彼らと同じ価値観を持てといっても無理だし、そんなことをする必要などないのだ。ニースで思ったのは、この安すぎるバスがタクシーのような民業への圧迫になっているのでは、ということだ。ニースのタクシーの悪質さには、心底たまげた。http://4travel.jp/overseas/area/europe/france/qa/16772/↑こちらの、「タクシーはメーターがテープで隠されていたりするので、バスで行きたい」という日本人観光客のコメントを読んで、「はて? なんのことじゃ?」と思ったのだが、行ってみて納得。とにかく、ニースでタクシーは使いたくない。どこでもバスで行きたいし、実際にほとんどどこでもトラムとバスで行ける。Mizumizuがニースでタクシーに乗ったのが1度、ニースの隣町のヴィルフランシュ・シュル・メールで乗ったのが1度。どちらもトンデモだった。まずはニース。夕方Masse'na広場の北のギャラリー・ラファイエットで買い物して、Mizumizu母が疲れていたようなので、プロムナードザングレのホテル(ウェストミンスター)まで、距離にしたら500メートルちょっとぐらいなのだが、軽い気持ちでタクシーに乗った。それまでもタクシーは使っていたが、メーターは2.9ユーロから始まって、日本に比べると割安感があった。ニースでは距離も近いから、せいぜい6ユーロぐらいですむだろうと思ったのだ。タクシー溜まりで乗ったタクシーの運転手は女性で、英語を話し、結構お調子がいい。メーターを動かし始めてから、「日本人?」かなんか聞き、さらにゆっくりしたモーションで(笑)エンジンをかけて、ようやく発車。あとから地図で見たら、ホテルまでの最短ルートは、Liberte通りからBuffa通りを直進し、一通のCongre's通りでプロムナードに出て、西へ行く。これならホテルの目の前にすぐつけられるのだが、オバちゃんの取ったルートは、Liberte通りからBuffa通りを直進、ホテルのあるブロックを過ぎて、一通のRivoli通りからプロムナードに出、わざわざホテルとは反対車線の東行きの道を走り、ホテルを過ぎたところで、ユーターンするという実に無駄なルート。反対車線からユーターンするだけで、待っている時間が長いのでメーターが1ユーロ分ぐらい動いた。その間も、「お母さんに、着いたら左側のドアを開けないように言って。とても危険だから」と、変に繰り返す。それでもホテルの前に着けたとき、メーターは8ユーロだったのだが、「10ユーロ、プリーズ」と平然と言う。は? メーターは8ユーロじゃん。「ミニマム、10ユーロ」と、これまた当然のごどく言い放つオバちゃん。おいおいおい、タクシーのミニマムレートは2.9ユーロでしょ。遠回りしたあげく、2ユーロ切り上げるとは、なんつーコスい奴や。これですっかりウンザリし、ニースではタクシーに乗らないと心に決めた。ニースのあとは、ヴィルフランシュまで荷物を全部持って移動しなければならない。ヴィルフランシュのホテル(ウェルカム)のパンフには、「ニースからタクシーで40ユーロ(ただし荷物による)」と書いてあったのだが、ニースの道は混むし、こんな様子じゃ、ヘタしたら60ユーロぐらい取られるかもしれない。よし、ヴィルフランシュまでバスで行き、バス停からちょっとだけタクシーを使ってホテルに行こう――そう話し合ったMizumizuとMizumizu母。だがだが、ヴィルフランシュのタクシードライバーは、さらに悪質だったのだ!
2010.04.29
アイルランド火山噴火だけではない。今回のフランス旅行には、最初から最後まで「鉄道のスト」がつきまとった。しかも、ちょうどMizumizuがフランスに来る直前から始まり、8日間の予定が延期になり(苦笑)、移動する日は全部ストにかぶるという不運に見舞われてしまった。さらにさらに、こんなときに限って、北のパリから南のニース、さらには南西部のカルカッソンヌまで訪問予定地に入れていたのだからたまらない。悪名高きヨーロッパの鉄道ストだが、ここまで完全に巻き込まれたのは生まれて初めて。「1日まるまる動かなくなる」ということはないのだが、「間引き運転」になり、結果、どの列車も乗車率100%をはるかに超えたうえ、(乗り降りにその分時間を取られるためか)時間も遅れ遅れになる。朝7時のパリ・リヨン駅。すでにこんなに人でごった返している。まだストと知らず、「平日なのに、ずいぶん南へ行く人が多いんだな~」などとノンキに構えていたMizumizu。目指すは、カルカッソンヌ。TGVでモンペリエまで行き、そこから乗り換え。ところが、モンペリエで降りたら、乗り換えるはずの電車の案内がない。インフォメーションで聞いて、電車が間引かれたことを知り、はじめて、「これって、スト?」と気づく。モンペリエでおもいのほか時間ができてしまい、しかたなく急きょ市内観光などして過ごし、やっと来たカルカッソンヌ行きの列車に乗ったら・・・中はこんな状態。前の電車は座席は指定してあったのだが(もちろん座席指定料金を払って)、当然パーに。いや、もちろん再度指定することはできたかもしれないが、なにせモンペリエ駅の切符売り場には半端じゃない行列ができている(しかも、ストなので、開いてる窓口が1つだけだった)。並んだところで、もう席はないかもしれないので、席料は捨て、当然Mizumizu+Mizumizu母もモンペリエからカルカッソンヌまで通路に座った(車両内の通路には絨毯が敷いてあるので、座りやすい?)。別の日のマルセイユ駅の外。カルカッソンヌからエクスアンプロバンスに来て、エクスから直接ニース方面(のカーニュ・シュル・メールという小さな町)に行く予定が、TGVが遅れたうえ、行き先が変更になりニースのはるか手前、マルセイユ止まりになってしまった。モンペリエやエクスアンプロバンス・センター駅にはなんと荷物預けが駅になかった(どこまでふざけてるのだ、南仏!)。マルセイユ駅にはあったのだが、なんとなんと1回8ユーロ!(つまり1000円以上)。こんなに高いから、だれも預けない。係員もえらくヒマそう(係員のいる荷物預けね)。間引き運転されて待ちぼうけをくらってる客は、駅の外の大階段に荷物ともども腰を降ろしている。やっとこさ、ニース行きのTGVが来るというのでホームに集まった乗客。長いホームの先まで、人でいっぱい。当然・・・フランスの誇る新幹線TGVも、難民輸送列車に。TGVで感心するのは、荷物入れが多いこと。頭上にも、席の間にも、車両の端や真ん中にも荷物を入れることができる。いくらでも入る感じ。でも、やっぱりここまで乗客が多いとどうにもならない荷物が人とともに通路に。フランス人って、なんだか日本人なら海外旅行にも持って行かないような大荷物をもって国内移動している人が多い。どこに行くんだ?ニースからパリへ帰る日。ニース駅の構内も難民避難所状態に。切符売り場にも長蛇の列。このときばかりは、先に切符を買っておいてよかったと胸をなでおろした。ストは最後まで終わらなかった。Mizumizuたちの旅の後半では、飛行機が飛んでいなかったから、鉄道で移動したい人も多かっただろうに、「それはそれ」。飛行機が動かないから、困ってる人たちに配慮してストやめて鉄道を動かしてあげよう、なんて考える人は皆無のようで、逆に当初8日間の予定だったストが延期された模様。しかし、フランスのスト。「間引き運転」だったから、到着がいちいち4時間ぐらい遅れるものの、目的地には一応その日のうちに行けるようになっていた。これだと、労働者が経営者に圧力をかけてることになりにくいと思うのだが?つまり、経営側にとっては、間引き運転というのは、乗車率がハネ上がる分、利益率から見れば、「もうかる」はずなのだ。列車を増発するのは大変だが、間引くのはある意味コストカットするのと同じ。ガラガラで運行する電車がなくなるというのは、経営側にとっても必ずしもデメリットにはならない。つまり払い戻しや予定キャンセルなどで総売上は減るにせよ、乗車率がハネ上がることで利益率は上がっている。ビジネス経営にとって大事なのは、実は総売上よりも粗利(利益率)のほうだ。1台車両を動かして(つまりそれがコスト)、どれだけ人を乗せられるか。その割合が増えれば増えるほどコストに対する利益が増える。徹頭徹尾損をするのは、駅でえんえんと待たされる乗客だけ。車で行ける人間は鉄道キャンセルすればいいのだから、割を食うのは、むしろ「鉄道以外に移動手段のない」一般市民ということになる。どの国も、ある程度国民は洗脳されて、あるいはお互いに洗脳に手を貸して、社会の秩序や習慣を守っている。日本では「時間遵守」がなによりの美徳だ。むしろ強迫観念に近いと言ってもいい。鉄道も含め、キチキチのきついスケジュールを組み、その時間を守るために命さえかけてる。電車が遅れたりすると、だれも彼も「どうしよう」「困った」とイライラする。よくよく考えれば、絶対に延ばせない予定など、そうはないハズなのに。こういう国ではストは一般市民の理解を得にくい。「他の多くの人たちにかける迷惑」と「自分の主義主張を通すこと」をはかりにかけて、後者を選択する人に世間の目は冷たい。日本というのは基本的に昔からそういう社会で、このメンタリティはそう簡単には変わらない。そうやって日本という国は社会的秩序を保ってきた。一方のフランス。フランス革命から続く、「労働者が自ら働きかけて、権利を勝ち取ってきた」という広く信じられている「常識」。この社会的コンセンサスがあるからこそ、一般人はデモやストに寛容なのだ。だが・・・日本人であるMizumizuから見ると、この常識も一種の洗脳に近いように思う。「フランス革命は、まだ完全に成就していない」と言う人がいる。つまり、フランス社会に根深い「階級差」は、革命後200年を経ても完全に解消されたとは言えず、さらに近年は移民から生じた社会問題(移民してきた外国人がフランス社会に馴染めず、低賃金ゆえに教育の機会も得られず、社会の貧困層として再生産されている状態)もあいまって、逆に深刻化しつつある。もし、フランス人が信じるように、デモやストによって労働者の地位や所得が上がっていったとすれば、デモやストが社会的に嫌われる日本人労働者以上に、フランス人労働者は豊かなはずだ。フランス人労働者は日本人労働者より豊かだろうか? ある意味で豊かかもしれない。休暇の取りやすさという観点から見れば、間違いなくフランス人のほうが恵まれている。社会保障についても、少なくとも表面的にはフランスのほうが手厚いようにも見える。だが、経済的には? フランスの地方の一般人の暮らしなどを見ると、Mizumizuにはどうしてもフランス人が日本人以上に豊かで、日本人以上に活発な消費活動を楽しんでいるようには見えない。家でさえ、日本の地方の一般人の家のほうが、フランスの田舎の古い石造り(で窓の小さい)の家より立派に見える。世界中で一番よく見るヨーロッパ人はドイツ人で、ドイツは確かに経済大国なのだろうと思うが、フランス人に対してそうした印象はない。「別の国にいかなくても、いいものは全部フランスにある」などとフランス人は言うが、それこそやせ我慢というものだ。リッチになれば、海外に行って遊びたいと、誰だって思うもの。そして、労働者が自分たちの権利を主張するためにやっているはずの鉄道スト。完全に鉄道を止めるのではなく、間引き運転するというのは、一般市民への配慮なのかもしれないが、Mizumizuが経営者なら、むしろ内心、「コストカットになるから、どんどんやってくれ。主要路線の乗車率が1週間にもわたって100%超えるなんて、ある意味結構なことじゃないか」と思うのではないか。これが労働者と経営者のなぁなぁの出来レースなのか、国をあげての壮大な勘違いなのか、よくわからないのだが、一番割りを食ってる乗客、つまり一般市民が、これだけ「大人しく」我慢しているというのは、社会をあげての一種の「洗脳」がなければありえない。「フランスは10%の超エリートと90%のバカでなりなっている国」という説もある。フランスを動かしているのは、10%の超インテリ層。彼らが優秀だからフランスは世界の一等国として認められているという話。それは本当かもしれない、と内心かなりMizumizuは思っている。「デモとストで労働者は自ら社会的地位を向上させ、権利を勝ち取ってきた。フランスはそうした開かれた平等な社会」と一般に信じ込ませ、労働者には休暇を与え、ある程度の保障も担保しつつ、経済的にはさほど豊かにさせない。デモもストも資本家は自分たちが痛手をなるたけ蒙らないように暗にコントロールし、そのうえで労働者側に少しずつ譲歩したフリをする・・・超インテリのエリートが考えそうなシナリオだ。余談だが、Mizumizuはフランスの核実験反対のデモに参加したことがある。そのときもフランス大使館へのデモに対し、大使館側が、「今日はパーティがあるから、あまり近づかないで」と事前にデモ隊に「要望」してきたのだ。もちろん、平和的なデモなので、デモ隊のリーダーも大使館側の要望に「配慮」した。苦笑・・・
2010.04.28
25日に帰国された方からの情報ですと、なんと・・・!一転して、空港はガラガラだったとか。とりあえず、よかったですね。
2010.04.25
おまけに横にいた男性が(コイツは、途中割り込み臭い)、「急いで日本に帰るの?」なんつって、英語でヘラヘラ韓国人に話しかけているので、「いや、彼らは日本人じゃない。彼らは韓国人。彼らはずっと後ろにいたのに、黙って他の人を抜かしてここに来た。日本人はこういうアンフェアなことはしない」と言い放っておいた。一緒にされたら迷惑だわ、まったく。「お~」などと言って黙る、割り込み臭いオッサン。韓国人は無言。思いっきりにらみつけたので、Mizumizuの先に行くことはしなかったが、にらまれても、「こいつら韓国人。日本人はこんなアンフェアなことはしない」とまで言われても、女性のほうも平然としている。本当に英語がまったくわからないのか?若いのに、どこまでふてぶてしいのやら。カウンターエリア内に入ったところで、別の係員が来て、「10時半出発の方はあちらに」と誘導しはじめた。10時半出発といっても、もう時計の針は11時半をすぎている。どうやら遅れてるのは本当のよう。さっそくその係員に、予約シートを見せて、「11時半の便はどっち?」と聞くと、「あっち」と指差される。「あっち」へ走ると、こんどは別の係員が出てきた。予約シートを見せると、今度は一転して、「もう搭乗口は閉まった。出発時間の10分前には閉まるから。あっちのカウンターに行って次の便を予約しろ」などと言い出す!はあ? だって、乗れるって言ったじゃん。抗議すると、しれっとした態度で、「待ってるのは皆同じ。ミスフライトはミスフライト。私はコンピュータじゃない。あっちのカウンターでコンピュータに聞け」などと言う。ゲロゲロ~。やっぱり乗り遅れたのか。絶望的な気分で、別の係員に聞いたら、またも同じことを言う。「明日の便のチケットをあそこで予約しろ」と。心底ガッカリして、翌日の便の予約をするつもりでカウンターの前に並んでいたら、日本人の若者が5人くらい固まってやってきた。聞けば同じ11時半の出発で、午前8時から待っていたという。Mizumizuたちより1時間も前。それなのに、最終的にカウンター前に来たのは同じ時間になってしまった。どうやらミスフライトになってしまったらしいと話すと、知らなかったらしく驚いている。「ミスフライトで明日になるんですか? あ~あ、でも、こういう状況じゃ、しょうがないですよね。8時じゃ、ちょっと遅かったんですかね~。これを教訓にしないと」3時間半前に来て並んだあげく乗れないと直前に言われたにもかかわらず、とても冷静に、状況を素直に受け入れている。すっかり、明日以降の便の予約をするつもりになっていたMizumizuと日本人の若者グループ。ところが・・・!カウンターの向こうで、「JAL?」と聞いてくるではないか。荷物をここに載せろと指差していて、いかにもチェックインできそうな様子だ。エールフランスとの共同運航便なのだが、MizumizuはJALとして予約した。8時から来て待っていたという日本人の若者を当然先に行かせるべきだと思って、「JAL?」と聞くと、「いや、ぼくたちはエールフランス」だという。なので、先に搭乗手続きをして、「乗れるの?」と聞くと、窓口の向こうで頷いている。エールフランスで予約したという日本人若者たちは、まだ待っている。彼らが乗れるのかどうか、気になったのだが、とにかくもう出発時間を1時間すぎているので、搭乗券をにぎりしめて、「じゃあ、お先に行きます」と言ってその場を離れた。「あ、よかったですね」と最後まで礼儀正しい日本人の若者。しかし、エールフランスの機材を使って飛ぶのに、JAL予約客のほうが優先とは驚いた。あとで別の日本人のおっさんに聞いたら、エールフランスはしばしばオーバーブッキングをしているので、JALのほうが確実なのだという(本当かどうか、わからないが・・・)。セキュリティの前に行くと、またここでも長蛇の列。通常なら、係員が誘導してくれるような状況だと思うのだが、今回はだれもいない。完全なる自己責任。荷物が飛行機に来てるのに、あまりに長い時間乗客のほうが来ないと、テロ扱いで、荷物まで降ろされて飛行機が飛んでしまうかもしれない。係員に11時半のチケットを見せると、「割り込め」と指を差す。ところが、Mizumizu母を呼びに行っている間に係員は向こうに行ってしまった。並んでいるのは日本人の団体客。なので、「すいません、時間がないので、割り込ませてください」と日本語で叫んだ。ところが、日本人団体客の中のオヤジが、「ダメだ、ダメだ。並んでいるのは皆同じ」などとにらみつけてくる。あのさ~、こういう状況のときは、時間のない客を先に行かせるのが、むしろ常識なんだけど。団体旅行しかできないオヤジに言っても仕方ないので、「11時半の便なんです。もう出ちゃうから」とひたすらアピール。「私たちも同じよ」と言ってくる団体客の中のオバさん。え? そうなの。こんなに団体客が待ってるなら、大丈夫でしょう。「あ、同じですか11時半ですね」「11時半?」と何度も聞くと、別のオバさんが、「え? 11時半? 私たちは12時半」と、最初のオバさんが間違っていたことに気づいた。ヤッパリ!!団体ツアー客には個人客とはカウンターが違い、チェックインはマトモに並ばなくてもできるシステムになっているのだ。ツアー客に対しては当然そうするに決まっている。なので個人客の苦労がわからないのだ。「11時半はもうすぎてるわよ」「出ちゃったんじゃないの?」とオバさん。「いえ、たった今、チケットもらったんです。2時間以上並んでやっと。で、まだ出てないから、急いでいるんです」ここまで話すと、オバさんのほうが物分りがいい。「ええ~? 2時間も並んだの?」「じゃ、入んなさいよ」と先にしてもらった。どうもありがとうございます。ついでに言うと、あなたたちの便も12時半には出ないと思います、ハイ。割り込みさせてもらってセキュリティを通ると、なんと・・・!さっきのふてぶて韓国人がいるではないか!Mizumizuの姿を見ると、コソコソ向こうへ行ってしまった。その卑怯な後ろ姿を見て、心底腹立たしい気分になるMizumizu。だってこの韓国人は9時より遅くきたのだ。ところがスルスル順番を抜かして、Mizumizuの後ろにつけた。怒鳴られたので、Mizumizuを抜かすことができなかっただけだ。それがもうここにいるということは、セキュリティの行列も抜かしたとしか考えられない。しかも、8時からちゃんと並んで待っていた日本人の若者のほうは、カウンターで足止めされ、(おそらく)ミスフライト扱いで、「次」もしくは「翌日」になってしまった人が出ているのだ。日本の若者が予約したエールフランスがオーバーブッキングをしていたのかもしれないが、1時間も前に来てちゃんと順番を守っていた日本人が乗り遅れで、遅く来て順番抜かしをした韓国人がすでに搭乗口エリアにいるなんて・・・こんなアンフェアがまかりとおっていいものか。いや、実際にはまかりとおってばかりなのだ、世界中で。走って飛行機に乗り込むと、ほとんど最後の客だった。「まだ来られるお客様がいらっしゃいます」と乗務員が言っていたので、あの待たされていた日本人の若者が来るかな、と思って見ていたが、わからなかった。しかも、ビジネスもエコノミーも満席だったので、ファーストクラスにアップグレードしてもらわないかぎり、乗れたとは思えない。日本に着いて、荷物をピックアップするときに、団体客らしいオッサンが、「満席でしたね~」などとノンキに言っていた。当たり前じゃ~! こんな状況で、空席アリで飛んだら怒るわ。ドゴール空港がいつ本当に「正常化」するのかわからないが、個人客はこんな不条理な状況に置かれている。近日中に帰国予定の方、くれぐれも「早め」に行ってください。
2010.04.24
4.21、成田へのフライト前日。シャルル・ドゴール空港が再開されたということで・・・パリ市内から空を見ると、飛行機が澄んだ青のキャンバスにひっきりなしに白の線画を描いていた。これなら飛ぶでしょ、とホッとするMizumizu。日本のMizumizu連れ合いからのメールでも、翌日Mizumizuが乗るはずの便(JALとAFの共同運航便)は、この日はほぼ定刻どおりに出発したらしい。しかし、パリで確認しようにも、JALフランスの電話は何度かけてもつながらない。どちらにしろ、飛行場に行かなきゃわからないので、翌日は早めに出ようと、今回一緒にフランスに来たMizumizu母と相談。ホテルはパリのリヨン駅の近く。空港行きのバスは朝6時半から30分間隔で運行しているらしい。でもね、ホテルの朝飯が午前7時半からなのよね。しかも、事前予約で、朝食つきのプランを安め設定ですでにカード決済していたのだ。朝食代は捨てて、「食べないで行く」という選択肢もあったのだが、ホテルの食事は(フランスにしては)案外おいしかった(笑)し、朝抜きで行って空港で何が食べられるのかわからない。Mizumizu母はことに、フランスの立って食べられるような軽食(フランスパンにチーズやハムをはさんだものだとか、甘いような菓子パンだとか)が、まったくもって口に合わない。Mizumizuもあの手のフランスの軽食にはウンザリしていた。なので、ちょっとだけ食べていこうということになり、7時30分に朝食会場にダッシュし、10分で食事を終えた(笑)。すぐにチェックアウトし、荷物を引きずって、近くの空港行きのバス停へ。今回リヨン駅のそばにホテルを取ったのは、旅の目的が南仏で、南仏行きの列車の出るリヨン駅を選んだのだが、ハッキリ言って、個人旅行者にとってはリヨン駅周辺のホテルはパリで一番便利な場所じゃないだろうか。個人旅行で大変なのが荷物の運搬。あまり大きくないコロつきのソフトケースで来るのが定番なのだが、パリという街は、「石畳」「段差」「狭い歩道」「渡りにくい大きな車道もしくはロータリー」が荷物を引きずる個人旅行者にとっては大敵。空港からバスで来て、オペラ座のそばで降りるにしろ、凱旋門の近くで降りるにしろ、「石畳」「段差」「狭い歩道」「渡りにくい大きな車道もしくはロータリー」がすぐに待ち構えている。ところがところが、リヨン駅は、とても旅人にやさしい道のつくりになっていた。駅まではゆるいスロープがついていて、横断歩道は短く、車道に降りるときの段差もスロープでバリアフリー化している。空港行きのバスは駅の「たもと」から出るので、リヨン駅の前のホテルから逆に近い(駅からだと迷うかもしれない)。パリの真ん中のいい場所のホテルだと、水を買うのにも店がなくて苦労するが、リヨン駅のホテルにそばには、果物が店先に並んだ小さな食料品店があって、ちょっとしたものが安く買える。小さなペットボトルの水が、売ってる場所によって1ユーロ(つまり130円)も違うなんて、日本人には信じられない話だが、駅や観光客向けの店のペットボトルの水は、ふつうの食料品店の値段とは段違いなのだ。しかも、ホテルもよかったのだ! これについてはまた後日に譲るが、なんということもない中級のホテルが居心地最高。南仏で泊まった最高ランクのルレ・エ・シャトーは・・・ ハッキリ言って、フランスの最高級ホテルって最低。インテリアや備品は最高だが、サービスは「ニコニコ顔の挨拶」以上のものは特段ないといっていいし、水回りはオシャレなだけで使いにくいし、朝食は高いだけで、味はたいしたことがない。食器だけは虚ろなくらい最高級だが。さてさて・・・空港行きのバス停の前には、もうだいぶ人が溜まっていて、「30分以上は待っている」と、イライラした様子。やっと来たバス(モンパルナス駅から来るのだが)には、すでに乗客がいっぱいで、バスの下の荷物入れも満杯の状態だった。こんな朝早くから・・・みんな、考えることは同じ、「なるたけ早く空港に行こう」ってことなのね。空港に着いたのが、8時半すぎ。TAX FREEのスタンプを押してもらって、ポストがどこにあるのかわからずウロウロしてしまい、出発カウンターのほうへ行くのが9時ちょっと前になってしまった。出発カウンター以外は、たいして混んでいなかったシャルル・ドゴール空港だが、カウンター近くに行ってみて、仰天!人、人、人・・・で、とんでもないことになっている。対面するようにカウンターが並んでいるのだが、その間のエリアには人があふれ、カウンターエリアの外にまで長い行列が伸びて、どこが最後尾やらわからないほど。なんとか最後尾を見つけて並び、横のオジサンに聞いたら、「午後2時のフライト」「午後3時のフライト」だと言っている。早く来すぎじゃないの~? こっちは午前11時半のフライト。いや、やっぱり、ウチラが来るのが遅すぎたのか。しかし、何人も立っている係員にいちいち聞いたが、全員、「大丈夫。飛行機は遅れるから。ここで並んでいれば乗れる」と変に自信たっぷりに太鼓判を押す。本当か~? 確かに空席のまま飛ぶことはなさそうだけど、オーバーブッキングしてた場合はどうなるわけよ? 絶対に「予約したのに乗れない人」だって出ると思うのだが。だが、係員は全員、「落ち着いて。飛行機はすべての乗客が乗るまで待ってるから」と繰り返すのみ。しかしね~、それだったら、なんで「来た順」に並ばせるのよ。せめて午前の便の客のカウンターは別にするなり、方法があると思うのだが。どう考えたって自己責任で早めに来ていなければ、乗り遅れ客が出るとしか思えない。しかも、人垣の隙間からのぞくと、開いてるカウンターは案外少なく、「例によって」仕事がのろい。そこらをうろうろ歩いて、「大丈夫、乗れるから列に並んで待っていて」と同じ台詞を繰り返すだけの係員はやたら多いのに、なんでカウンター業務をやっている人間があんなにも少ないのだ?今から考えれば、あのうろうろ係員は、待ってる乗客にパニックやヒステリーを起こさせないために、空手形を切っていただけだと思う。しかも・・・!行列に「割り込む」人がやたら多いのだ。カウンターエリア内に入るところが「割り込みポイント」になっていて(ちょうど動き出すし、並んでる客はどこのカウンターに行けばいいのか迷って前のほうを見るので、割り込みに注意がいかなくなる)、ちゃんと並んでいる人間が、さっぱりエリア内に入れないという事態になっている。それに気づいたのは、「列(キー)」に厳しいイギリス人。さかんに英語で係員に、「割り込みが多すぎる。あそこに立ってチェックしろ」とクレームしてるのだが、なんつーか、完全に「のれんに腕押し」というか「カエルの面にナンタラ」というのか・・・「まあまあ・・・」というような仕草をして、頷くだけで何もしないウロウロ係員。そこらに立ったり、散歩したりしてるだけなのだ。何人もの英語圏の乗客が、割り込みに腹を立てて係員に訴えている。とうとうMizumizuの斜め後ろにいたフランス人のオジサンも、猛烈にフランス語で係員にクレームしはじめた。もちろん対応は同じ、「まあまあ・・・」という態度でクレームしてる乗客をなだめて、あとは無対策。Mizumizuが英語で、そのオジサンに、「あなたの気持ちはよくわかる。これはとてもアンフェア。私たちはノーマルに待っているのに、割り込んでくる人が多すぎる」と話しかけたら、そのオジサンはきれいな英語で、「まったくだ。これがフランスだよ。ぼくはフランス人だけど、本当に腹立たしい。だれもルールを尊重しない。勝手にやりたい放題だ」とまくしたてた。「君は日本人? 日本だったらこんなことはないでしょう?」「うーん、まあ。人間はだいたいどこも同じだけど、これほど悪くはないと思う」「日本人はパーフェクトだよね。日本人はいつもパーフェクト。忍耐強くて、静かで、ルールを守るよね。韓国人は最低。今日の朝ナイジェリアから来たんだけど、韓国人はいつも怒鳴っていて、ぼくも巻き込まれた。あっちに行けばって言ってやったけどね」韓国人というのは、世界中で評判が悪い。あっちでもこっちでも韓国人の悪口を聞くのだ。最初はMizumizuが日本人なので、あえて言っているのかな? と思っていたのだが、海外経験の豊富な人に聞いても、だいたい同じことを言う(韓国人が現地で評判が悪いということ)ので、実際にそうなのだろう。さもありなん。イタリアで目撃した、「列車が3時間遅れたから100%払い戻せ」と、ちゃんと目的地に来たのに、インフォメーションで怒鳴ってる韓国人カップルやら、空港の免税店でわれ先にと人を押しのけてレジに殺到し、あげく、「お金が足りずに買えない」という事態に陥り、レジで「じゃあ、これは買わない」とその場でより分けてる韓国人のオッサンやら。かつては、日本にも「農協ツアー」とかいう、世界中に日本人の悪評を広めた団体がいたやに聞くが、ヨーロッパで見る韓国人のヒステリックでエゴイスチックな振る舞いには、ホント、何度となく唖然とした。日韓開催のワールドカップのサッカーの試合のあとは、イタリア人の若者に韓国人と間違えられて、遠くから、「コリア! べ~!」などと野次まで飛ばされたのだ。トホホ。日本では、「なぜか」日本人が世界で評判が悪いことになっているが、Mizumizuの実感とは大いに違う。日本人は世界中で信頼されている。「東京って中国だっけ?」というレベルの人も多いが、この英語を話すフランス人オジサンのように、日本と日本人を大いに(多少、過剰気味に)評価してくれる人もだいぶ増えたように思う。そして、この英語を話すフランス人オジサンの「韓国人は最低」という言葉は実に正しかったのだ。オジサンはMizumizuの後ろにいたのだが、そのはるか後方に、大学生ぐらいの韓国人3人組(男2人、女1人)が並んでいた。ところがところが、カウンターエリアに入ったところでふと見ると、なんと、その英語を話すフランス人オジサンはさらに後ろに後退してしまい、もともとはもっと後ろにいたこの韓国人3人組がスルスルと順番抜かしして、Mizumizuの直後につけているではないか。彼らの手口は、1人がさりげなく先に進み、スキをみて他の2人がくっついて間に入ってくるというもの。さらに列が動き出したところで、横からMizumizuの前に出ようとする韓国人男。当然、Mizumizuは大声で英語で注意。「あなたたちは、後ろにいたでしょ! ここじゃなくて、そっち!」思いっきり激しく怒鳴ったのだが、なんとまあ、この韓国人大学生のあつかましいこと。ヘラヘラしながら、「まあまあ、どうぞどうぞ」というような仕草をして、どくわけでも、下がるわけでもない。英語が一切しゃべれないのか、わからないフリをしているのか不明だが、悪びれた様子は一切なし。さらにスキをみて、またもMizumizuの前に出ようとする。再び大声で注意するMizumizu。すると同じようにヘラヘラし、後ろの別の男は笑い出してごまかそうとしている。どこまで根性腐ってるんや?
2010.04.24
日本に無事帰って来ました。1時間半遅れの出発で、1時間遅れの到着ですんだので、結果オーライ・・・でしたが、シャルル・ドゴール空港の混雑は半端じゃなかった!明日にでも、また詳しく書きますが、ハッキリ言って乗れたのが奇跡。ほとんど最後の乗客でした。朝から、夕方発の便の乗客も含めて、すべての客が窓口に殺到し、長蛇なんてもんじゃない行列ができています。せめて午前発・午後発で乗客を分ければいいものを、全部自己責任で並ばせ、しかも途中までは、「大丈夫。飛行機は遅れる。すべての乗客を乗せてから出るのでここに並んで」とウソを言って安心させ、いざ窓口が近くなると、「ミスフライト。もう搭乗口は閉まってしまった。次の便になる」「明日の便を予約しろ」と言い出します。しかも、それもウソだったりします(つまり、乗れてしまう場合もある)。パリから日本に帰る予定の個人客でインターネットチェックインができない方、各種優待券種でない方は、空港が正常化したとは言っても、こんな空港のコントロールの悪さでは予約があっても乗れない人が絶対に出ています。「次」とか「明日」とか言われても、信用できるかどうか(つまり席があるのか、あったとしてもちゃんと乗れるのか)わかりません。最初に予約した便に意地でも乗れるよう午前の便ならとにかく、朝一番に行くこと。午後の便であっても、5時間前(できればもっと早く)空港に行くことをお奨めします。今のMizumizuなら、たとえ夕方の便でも、たぶん朝イチ(午前6時)のバスで行くことを選択したでしょう。団体客は大丈夫。チェックインは個人枠とは別にできるので、ちゃんと乗れます。ただ、待たされるとは思いますが。ヨーロッパの主要空港はどこも同じような状況かと。近日中にヨーロッパの空港から個人で帰国予定の友人・知人がいらっしゃる方は、「早すぎるくらい早く空港に行って、とにかくチェックインしろ」と、アドバイスしてあげてくださいまし。パリでは、午前11時半の便を予約していて、午前8時に来たのに、どうやら乗れなかったらしき人もいました(これについてはまた明日にでも、詳しく)。旅行中で、しかも今回はパソコンをもっていかず、ネットも見てない浦島太郎状態だったので、読者の皆様からの情報が大変役立ちました。GAULOISES1111さん、プロフェッショナルらしいタイムリーかつ適切な情報とアドバイスをありがとうございました。おかげで帰って来れたようなものです。shoukoさん、ご家族は無事帰国されましたか? 南回りでは、死ぬほど疲れたと思います。いや~、お互い大変でしたね。その他、ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。阿鼻叫喚のドゴール空港ネタは、また改めて。
2010.04.23
フランスに行くと買ってくるシャンパンは、ドゥーツ(Deutz)。理由は単純。東京でも、普通の酒屋さんで入手しにくいから。東京のデパートで入手しようと思ったら、「ペニンシュラ」ブランドで売っているシャンパンを買うのが一番早いかもしれない。ペニンシュラ・ブランドのシャンパンは、よ~く見ると、ラベルにAy(アイ)村のDeutzの文字が見えるハズ。他にも有名レストランが採用しているドゥーツのシャンパン。タイユバン・ロブションもその1つ。フランスなら、空港の免税店でヴィンテージものが買える。Cuvee William Deutzで99ユーロ、Amour de Deutzで120ユーロぐらいだったかな。ただし、お安いのは空港にはない(と思う)。こちらは、マドレーヌ広場の酒屋さんで買ったDeutz Brut 2002。2002年はシャンパンの当たり年だったとか?パリの一等地のショップで買ったせいか、お値段はそれなりにして、47.7ユーロ(今のレートだと6,000円ぐらい)。日本に持って帰る方、必ず店でビニール袋にボトルを入れ、それからシーリング、つまり密閉処理を施してもらいましょうね。でないと、機内に持ち込めず、空港で10ユーロの専用ボックスを買って、ドキドキしながらカウンターで預けなければならなくなります。肝心のDeutz Brut 2002の味のほうは…? ウン、すっきりと爽快な辛口。Cuvee William Deutzほどの「突き抜け感」はないものの(注:Amour de Deutzのほうは、飲んだことありません・笑)、この値段なら十分にリーズナブルでしょう。案外、「えびせん」とピッタリ(苦笑)。一緒に食すと、えびせんの味が一段階上がった感じがした(再苦笑)。ところでDeutzはドイツ系の名前だが、ドゥーツというより、普通にドイツ語読みしたら、「ドイツ」になっちゃう。ちなみにドイツ語で国のドイツはDeutschland(ドイチュラント)、ドイツ語はDeutsch(ドイチュ)なのだ。なぜ日本では、ドイチュラントを「ドイツ」と言うのだろう? 推測するに、landを取るとドイチュとなるのだが、「チュ」の語感が悪かったので、「ツ」で置き換えたのではないだろうか…ドイチュラントから来たドイツさんが、日本のカタカナ表記では、ドイツから来たドゥーツさんになっている。なんか、変…(ま、基本的には、まったくどうでもいい話だけどね)。
2009.05.15
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