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2024.02.24
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カテゴリ: 手塚治虫
昨日紹介した記事の中にある鈴木伸一の「漫画家とアニメーション(アニメーター)というのは、本質的に違うもの」の好例がある。月岡貞夫と石ノ森章太郎の若き日の短いエピソードだ。

月岡貞夫は小学生の頃から手塚治虫にファンレターを送り、それに返事をもらったりしていた。そして高校二年の時に、手塚からアシスタントにならないかと誘いを受ける。月岡は1年待ってもらい、高校を卒業するとその翌日に父親に黙って上京、手塚治虫のアシスタントになった。

石ノ森章太郎は高校1年生の時に手塚治虫に乞われて『鉄腕アトム』のアシスタントを経験、その後すぐ17歳で漫画家としてデビュー。上京して一人暮らしをするが、生活能力ゼロ。見かねた赤塚不二夫が、同居して食事などの面倒を見始めた。なかなか仕事に恵まれない赤塚と違って、石ノ森にはコンスタントに仕事が入ってきていた。

今では押しも押されもせぬアニメ界、漫画(萬画)界の巨人たちだが、月岡・石ノ森のこの二人、20歳前後の数か月(何か月だったかはっきりしないが、半年以上だったという説が有力)、東映動画で「同僚」だったことがある。

1958年、東映動画が手塚治虫に『ぼくのそんごくう』をマンガ映画にしたい(当時はアニメという言葉はまだなかった)と持ち掛け、そこから始まった「手塚治虫、多忙につき」の迷走が、この二人の運命をほんの短い期間交差させることになる。

アイディアを出した東映の白川大作氏のインタビュー記事が以下にある。

http://www.style.fm/log/02_topics/top041115.html
手塚さんは、アニメーションをやりたくてやりたくてしょうがなかった。それで、ディズニーについても、非常によく研究していたし、知識もいっぱいあった。それで「ストーリーボードから入りたい」と言い出したわけですよ。ストーリーボードを全部描くと言い出したわけ。こっちにしてみれば願ってもない話だった。ところがそれは手塚さんの、いつもの安請け合いだったんです(苦笑)。
 とにかく、その時は手塚さんはアニメーションをやるという事で意気込んだわけですよ。そうすると当然、雑誌の仕事にしわ寄せが行くわけだ。その時、すでに大売れっ子でしょ。本当は漫画の連載だけで目一杯のはずなのに、アニメーションの方にウエイトを置いちゃったから、雑誌の方が全部押せ押せになっちゃうわけですよ。あの人は、連載の仕事にしても話がくるとほとんど断らんわけですよ。それだけの量がこなせる超能力者ではあったんだけどね、人間だからいつも上手くはいかない。どっかで穴が開いたり、編集が待たされたりするわけなんだけど。 ​​​​

漫画界でも、劇的な変化が起ころうとしていたころだ。小学館と講談社が同時に週刊誌の創設を決め、時代が月刊誌から週刊誌へ移ろうとしていた。手塚治虫争奪戦も起こった。

東映動画の『西遊記』(手塚の『ぼくのそんごくう』)は迷走していた。手塚が描くと言っているストーリーボードが完成しない。というよりも、手塚に描く時間がなかった。雑誌の仕事は、それまでは月の後半に集中して月刊誌を描いていけばよかったが、週刊誌連載も始まったので、毎週締め切りが来る事態となっていた。東映動画の打合せにも定刻通りに着いたためしがなかった。
東映動画では手塚への不信感が増していき、雑誌の編集者たちはこれまで以上に原稿の締め切りが遅れるのでいらだっていた。両立は無理だった。手塚と編集者たちの間に立つマネージャーの今井は、「もう大泉(東映動画)へ行くのをやめてください」と言わざるを得ない。手塚もさすがに両立の困難さを痛感していた。(中川右介『手塚治虫とトキワ荘』より引用)。

こうした事態を打開するために派遣されたのが、実家が映画館を経営していて子供のころからアニメの研究をしていた月岡貞夫。手塚のラフなストーリーボードを完成させる役割だった。しかし、いかに作画の速い月岡でも一人では手が足りない。そこで追加派遣されることになったのが、手塚と同じくらいディズニー好きで、手塚をして「ディズニーが放棄していった抒情性を、突き詰めるだけ突き詰めたような作品」を描くと言わしめたを石ノ森章太郎だった。

彼らの人件費も自分が出すと手塚は申し出ている。



上の絵は、数ある手塚関連本の中でもバツグンの面白さを誇る(笑)『ブラック・ジャック創作秘話』から。月岡貞夫(左)と石ノ森章太郎が東映動画にバス通勤をしている情景。

もともとはストーリーボードを完成させるだけの短期間の派遣だったのだが、東映動画に通ううち、二人はどんどんアニメ制作にのめり込んでいったという。石ノ森章太郎は仕事に迷いを感じている時期だった。もともと漫画をステップに映画監督になりたいという希望をもっていたのもある。当時の漫画家という職業は世間的にはまだまだ認知されておらず、社会的な地位も低かった。

赤塚不二夫は東映動画にマジメに通う石ノ森章太郎の姿を見て驚いたようだ。「ストーリーボードを描くために、毎日サラリーマンのように東映に出勤していく君に、また驚いたものだ。自由業で不規則、生活はかなりワガママいっぱいに暮らしていた君が、あんなにキチンと通うことは不可能だと思っていただけにね」(赤塚不二夫『石森章太郎氏への手紙』)。

月岡・石ノ森の両人は、ふたりとも東映動画に就職したいと白川氏に相談したようだ。ここで白川氏は二人の才能の方向に見合った決断をする。

のちに「天才アニメーター」の名をほしいままにする月岡貞夫に関しては、白川が保証人となって東映動画に入社。石ノ森章太郎はそれについて、「アニメーションに向いた体質だったというか、才能があったんだな」と、『ことばの記憶』で書いている。

石ノ森に対して白川は、漫画を続けたほうがよいとアドバイスする。

http://www.style.fm/log/02_topics/top041115.html
白川  ​月岡くんと石森は、最初は手塚さんが連れてきた助手なんだけど、やってるうちに2人とも「このままアニメーションをやりたい。東映動画へ入りたい」と言い出したわけ。その時、僕はまだまだ入って2年目ぐらいのペーペーだけど、僕が保証人の1人になって、月岡君を東映動画に入れたんですよ。 石森は個性が強すぎて、上手いんだけどアニメーターには向かないと思った んです。​
──  石森さんの後の活躍を考えると、正しい判断でしょうね。
白川  ​「やめろ。あんたは、ちゃんと漫画をやれ」と言ったんですよ。「もうちょっと漫画を描いて、漫画が売れるようになったら、その頃は、俺ももうちょっと偉くなってるだろう。その時はお前の原作買いに行くから」って。それが後の『サイボーグ(009)』になるんですよ。その後ですよね、石森が段々売れ出したのはね。もし、その時に彼が東映動画へ入ったって、途中で辞めたと思うけどね 。あの東映のアニメーションの制作システムの中で、石森章太郎が、大工さんや森さんの下についてアニメーターになれたかって言ったら、多分、なれないですよ 。だけど、月岡君は天性のアニメーターだったから。

月岡氏を「天性のアニメーター」と呼び東映動画に引き入れた。 石ノ森 ​氏 ​のことは​​「 ​個性が強すぎて、上手いんだけどアニメーターには向かないと思った」​​ 「東 映のアニメーションの制作システム の中で、石森章太郎が、大工さんや森さんの下についてアニメーターになれたかって言ったら、多分、なれない」と判断して、自分の世界だけで勝負する道を奨めた。

​その後の漫画界での石ノ森章太郎の超ド級の大活躍を見ると、白川氏の目の確かさには、唸る。

​​
​​ ​​さて、手塚制作のキャラクターについて、東映動画のアニメーターはケチョンケチョンにけなしたらしい。

白川 
『西遊記』の話に戻ると、キャラクターも手塚さんが全部作ったんですよ。ところが、これが東映のアニメーターから総スカンだったんです。要するに「デッサンがなっちゃない」とか「前と後ろが違う」とか、画としてしっかりしてないと描けないというのが、アニメーターの意見だった。
──  このパンフレットに掲載されているのが、その時の手塚さんのデザインなんですか? これが総スカンを食ったものと考えていいんでしょうか。
白川  そうそう。これが総スカンを食ったものですよ。それでね、清水崑さんの画をみんなが直したのと同じように、みんながそれぞれ修正を始めたわけです。だけど、そこに月岡君がいたから。彼は東映動画の中では全くの新参の若者だったわけだけど、才能もあったし、鼻っ柱も強かったからね。キャラクターデザインのかなりの部分を月岡君が担ったんです。 ​​

白川氏は手塚漫画のファンだったということもあり、東映動画の中では「手塚寄り」のスタンスだった。「手塚の回し者」などと悪口も言われたそうだが、才能を見抜く目の確かさは、東映動画アニメーターが束になってもかなわない。

内部にいて見えた東映動画の悪い点も冷静に指摘している。

白川  ここで、あえて東映動画の悪口を言いますとね。
──  (笑)。
白川  後に虫プロは、手塚治虫の画をアニメーター達が描いたわけですよ。ディズニーも最初はディズニーの画をアニメーター達が描いたわけですよ。ところが東映動画は全然違ったんですよ。どっちの結果がよかったかは別として。『白蛇伝』も最初は岡部一彦のデザインで、それは後になって大工さん(大工原章)や森さんが描いたものは、かなり違うんです。
──  そうですね。
白川  あの頃、日本のアニメーターは、人の画に合わせて描こうという意識があまりなかったんですよ。


ちなみに、 白川氏は東映本社の人物で、東映動画の社員ではなかった。だが、 東映動画の企画部で働いていた人間。だからといって、東映動画内の声ばかりを代弁するような人だったら、その後の白川大作の活躍もなかっただろう。上の発言を読むと、当時の東映動画に何が欠けていたかを冷静に見ているのが分かる。

月岡氏にとってはもちろんだが、石ノ森氏にとっても白川氏との出会いは、その後の「自分にもっともふさわしい道」を選ぶきっかけとなったという意味で、非常に貴重だ。そして白川氏は約束を守る。石ノ森章太郎の『009』をアニメ化したのだ。そこから今日まで続く009伝説が始まったのだと思うと、その業績ははかり知れない。

手塚治虫に倣うように早世してしまった石ノ森章太郎とは対照的に、月岡貞夫は日本人の「国際的アニメーター」の草分けとも言える存在になり、長くアニメ業界で活躍する。後進の指導にもあたり、アニメーションの技法書も多く執筆している。現在は大学でも教鞭をとり、2024年2月6日には中国で作品展も開き、本人(80歳超え!)も現地に飛んでいる!

https://www.takara-univ.ac.jp/tokyo/news/2024/02/0206news.html
アニメーション作家として活躍し、本学の特任教授を務める月岡貞夫氏による展示「不行不至-月岡貞夫作品展」が良渚文化芸術センター(中国・浙江省杭州市)にて、1月8日(月)から2月3日(土)まで開催されました。 月岡氏は、2009年に中国美術学院伝媒・動画学院(現:動画・遊戯学院)の客座教授に任命されており、日本と中国のアニメーション教育に深く携わっています。

のちに業界を代表する存在になる月岡貞夫、石ノ森章太郎、そして白川大作の3人の若き日の出会いとエピソードは、「どうやって自分にもっともふさわしい、自分の道を切り開いていくか」のお手本のようにMizumizuには映るのだ。
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最終更新日  2024.02.25 19:15:50


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