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小頭(こがしら)町には小頭町地蔵というのがあります。地蔵といいながら結構立派な構えですね。御影石の石碑なんかあって、結構、信仰を集めているのかも。石碑の裏にはこんな銘板があって、小頭町地蔵尊の由来が記されています。おばあちゃんの夢枕にお地蔵さんが表れて、首が折れたまま埋まっているので助けてくれというので、おはあちゃんが地蔵を掘り起こして首をつなげてあげたそうてす。そして昭和2年にこの場所にお堂を立てて安置したところ、太平洋戦争中、久留米の町も空襲をうけ、小頭町一帯が焼け野原になったにもかかわらず、この地蔵堂だけ焼けなかったということから、霊験あらたかなお地蔵さまとして信仰を集めているそうです。これがお地蔵様の安置されている地蔵堂です。そして、このお地蔵さまが小頭町地蔵、よく見ると首周りに修復されたような痕があります。【つづく】人気ブログランキング久留米の町さるき(その10)小頭町地蔵
2018年06月01日
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久留米市小頭町にある「小頭神社」です。扁額にある左三つ巴の紋は、久留米藩主有馬家と同じ家紋ですね。有馬家とは縁の深い神社なのでしょうか。祭神は天手力男命・天鈿女命の2柱が奉られています。赤い社殿は比較的新しそうですね。お参りさせていただました。【つづく】人気ブログランキング久留米の町さるき(その8) 小頭神社
2018年05月31日
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県道を挟んで久留米高校の向かいに立派な石の鳥居がありました。この鳥居から奥に進むとようやく神社らしきものがありました。そして、こんな注意書きがあったので、そのとおりやってみました。神社と反対の方向、最初に見たいしの鳥居から結構、歩いたです。深呼吸はどちらも同じでした。鳥居についていた扁額です。鳥居がさらに並んでいます。拝殿です。意外と大きかったですね。神社の由来が書いてありました。このあたりは有馬藩の鞍師に与えられた土地を開墾してできたところなんですね。それで、バス停の名前が「鞍打」なんですね。拝殿です。ちゃんとお参りさせてもらいました。摂社というのでしょう。神社に一緒に奉られている社です。大宇宙神社というそうです。宇宙のエネルギーをもらうため、ここにもお参りさせてもらいました。【つづく】人気ブログランキング久留米の町さるき(その7) 西町日吉神社
2018年05月30日
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久留米高校前というJR九州久大本線の駅があります。高等学校の名前が駅名になっているって余り聞かないので、行ってみました。まず、久留米市西町にある久留米高校に行ってみました。近くを通る県道758号線からこの道を入った先に校門があります。ここが校門です。県立高校だそうです。調べてみると卒業生に石橋 凌(いしばし りょう)(→→→こちらです)という俳優さんがいるそうです。校門の横に掲示された看板です。確かに気を付けないと危ないですよね。といってここで写真を撮影しているMoMo太郎も不審者と思われているかも。表通りの県道に戻って、南に少し歩くと久大本線の踏切がありました。踏切をやめて歩道橋にすることに反対みたいです。多分、交通渋滞も激しいので、他所の人は高架橋にしてもらいたいでしょうね。まあ、鉄道の方が高架にすることはないでしょうね。踏切から駅のホームが見えました。単式ホーム1面1線ですね。立派な道路標識がありました。こちらが駅舎です。結構新しい感じです。小さな駅舎ですね。一応、駅員さんはいました。駅舎の前にあった石碑です。なかなか凝ったデザインです。右側は腰かけてもいいのでしょうか。石碑に埋め込まれた銘板です。これによると、この駅は久留米高校の卒業生が資金を提供し、近隣の久留米高校、福岡教育大学付属中・小学校、久留米商業高校などの請願で建設されたみたいですね。開業したのは平成21年3月というので、最近のことですね。しかし、駅を建設するという強力な同窓会パワー、歴史のある伝統校ならではのものでしょうか。【つづく】人気ブログランキング久留米の町さるき(その6)久留米高校前駅
2018年05月29日
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5月20日、柳川市の総合保健福祉センター「水の郷」に行ってきました。ここは、温泉の施設もあるのですが、目的はこれ。先ごろ、2018年4月5日に亡くなった映画監督の高畑勲氏の作品の上映会です。故高畑勲氏は、柳川のこの堀をテーマにした「柳川掘割物語(1987年公開)」(→→→こちらです)という作品を監督し、その「柳川掘割物語」が上映されました。高畑勲氏といえば、スタジオジブリのアニメ映画という印象が強いのですが、この作品はどきゅメンターの実写映画です。そして、やたらと長い2時間45分という作品です。上映会が終わって、挨拶する柳川市長の金子健次氏。この市長もちょっと映画に出演していたそうです。そして、今から30年余り前に制作されたこの映画に関係したみなさんによる対談もありました。こちらが「水の会」という柳川の掘割を守る活動している市民団体の立花民雄会長(柳川城主立花氏の子孫。柳川市観光協会会長)です。まあ、映画に関わったというより、この上映会を主催したという立場からです。こちらは柳川市役所の職員で、映画の中で掘割をキレイにするためにゴミ拾いやヘドロ除去の作業をしていた人です。こちらは、下関市立大学の名誉教授で当時は九州大学で水の研究をしていた方で、この映画のアドバイザーをしていたそうです。こちらは、今、掘割の管理を担当している市役所水路課の課長さんです。学生の頃、この映画を見て感銘を受けたそうです。映画の内容としては、この柳川の掘割がゴミ捨て場となって汚れていたことから、幹線水路以外は埋め立てて下水溝をつくることで環境改善をする計画が持ち上がり、国から6割の援助を取りつけて、20億円に上る工事計画が決まった矢先に、都市下水路係長だった故広松伝(ひろまつつたえ)さんが、市長に対して「待った」をかけて、そして広松氏が美しい掘割を再生させていった過程をドキュメンタリーとして映画で綴っています。この広松氏、今も生きていれば、公文書を改竄したり、会った人と会った記憶がないと言い立てるようなの公務員を見てどう思うのでしょうね。人気ブログランキング「柳川掘割物語」上映会
2018年05月25日
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5月20日の日曜日、久留米市六ツ門町にある久留米シティプラザ六角堂広場に行くと、なにやら沢山の人が集まっていました。これは、「うまかっ祭」という久留米のスイーツが一堂に集まるお菓子のお祭りだそうです。久留米中心街にある店だけでなく、善道寺や田主丸、城島といった周辺部の町からも出展されていて、久留米のスイーツ色々あることがわかりました。その場でお菓子を購入して食べたりできるようになっていましたし、また試食もできるようで、MoMo太郎はそれで一通りお菓子をいただきました。さらに、子供向けの菓子づくり体験のコーナーもあって親子連れでにぎわっていました。人気ブログランキングくるめ菓子祭り うまかっ祭
2018年05月24日
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西鉄電車のレールあんどハイク「新緑のアイランドシティ・かしいかえん散策コース」の続きです。空いたかあいたか橋を渡ってこの海沿いの道を歩きます。砂浜が残っていていい散歩道です。こちらが「かしいかえん」(→→→こちらです)の入り口です。正式には「かしいかえんシルバニアガーデン」というそうですね。無事に完歩しました。こちらの「宇宙戦隊キュウレンジャー」のシンレッド(→→→こちらです)がやってきました。こういうヒーローの出てくるアトラクションもやっているのですね。かしいかえん、全体的にユルイ感じの古い遊園地ですが、それなりに小さな子供連れでも楽しめるという感じがいいですね。もちろんこんな大観覧車やジェットコースターもありますよ。でも、元々は「香椎花園」と表記されていたので、お花には力を入れているのでしょうか。こんなバラのトンネルもありました。そして、西鉄が運営してるので、昔、平成12年(2000)に廃止された、北九州市内を走っていた西鉄の路面電車も展示されていました。こちらは西鉄貝塚線「香椎花園」駅に近い出口です。こちらから出て、再びJR香椎駅まで戻って久留米に帰りました。写真でお分かりのとおり、曇り空の下でしたがォーキングが楽しめました。来月もチャンスがあったら参加したいです。そして、香椎宮へま参拝など香椎周辺をもう少し歩いてみたかったので、また香椎周辺に行くかもしれません【了】人気ブログランキングへ新緑のアイランドシティ・かしいかえん散策コース(その4) かしいかえん
2018年05月23日
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西鉄電車のレールあんどハイク「新緑のアイランドシティ・かしいかえん散策コース」の続きです。福岡アイランドシティと香椎の町の間にある博多湾です。ここに鳥居と海の上に突き出た岩礁が見えました。案内図がありました。この鳥居は御島神社(みしまじんじゃ)という、結構、由緒ある神社のようです。御島神社は、神功皇后が御渡海に際し、神々の神教の当否を占われたと日本書紀にも伝えている聖地だそうです(→→→こちらです)。また江戸時代にはここで日照りのときに雨乞いが行われていたそうです。この橋は、平成25年3月3日に開通した、東区香住ヶ丘とアイランドシティをつなぐ歩行者・自転車専用の橋でです。全長430mは歩行者専用海上橋としては日本最長だそうです。名称は「あいたか橋」。「あいたか」とは博多弁のあいたかあ(会いたい)とソフトバンクホークスへの応援、「愛する鷹」を掛けているのでしょうかね。この橋を渡ります。【つづく】人気ブログランキングへ新緑のアイランドシティ・かしいかえん散策コース(その3) 海の上の鳥居
2018年05月22日
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西鉄電車のレールあんどハイク「新緑のアイランドシティ・かしいかえん散策コース」の続きです。ここは福岡フットボールセンターです。福岡アビスパというサッカーチームが持つ練習場みたいですね。アメリカンの方はここでは練習していないのかな?タワーマンションです。このタワーマンションのあるエリアが「福岡アイランドシティ」ということのようです。この福岡アイランドシティ(→→→こちらです)は博多湾を埋め立てできた土地だそうです。こちらはコンテナふ頭もあるようです。こちらはタワーマンション建設中です。福岡アイランドシティ、東京でいうと「豊洲」みたいなところですかね。これは福岡市立こども病院。小児専門の病院ということですね。環境もいいので子供の病気やケガも早く治りそうな。でもいざ入院となると不便かな。そして、目的地のひとつである「アイランドシティ中央公園」にやってきました。緑の深い公園です。これは中央公園のキャラクター、「GRIPPI(グリッピー)」です。子上の中にはこんな大きな池もありました。ここでキャッチボールをする親子連れです。そして、子供たちが遊ぶ遊具もそろたっていますね。まあ、この街に子供が多い間は人気でしょうが、その子供たちが成長して、大人になってもこの街に住んで、また子供を作ってくれれば、いいのでしょうけど。公園に咲いていたバラの花です。【つづく】人気ブログランキングへ新緑のアイランドシティ・かしいかえん散策コース(その2) アイランドシティ
2018年05月21日
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5月19日、朝8時、ここはJR鹿児島線の香椎(かしい)駅です。そこから歩いて数分で、ここ西鉄貝塚線の香椎宮前駅にやってきました。そして、このピンクのウインドブレイカーを着た人たちが駅前に。そうこれは、西鉄電車のレールあんどハイク「新緑のアイランドシティ・かしいかえん散策コース」というウォーキングイベントが開催されるのです。ということでMoMo太郎はこのイベントに参加しました。ここは香椎宮の近くです。こんな石碑がありました。今回のイベントはどちらかというと福岡の市街地を歩くというイベントです。都市高速の近くをこのように歩きました。都会の象徴ともいえるタワーマンションも見えました。きっと福岡のセレブな人が住んでいるのでしょうね。福岡の都市高速、まだ延びるのでしょうね。大きなショッピングもありました。これはなんか、お洒落なマンションですね。今回のイベントの目的は、「こげんお洒落な街に住みタカ!」と思わせる、西鉄が建設するマンションのPRじゃなかと?【つづく】人気ブログランキング新緑のアイランドシティ・かしいかえん散策コース(その1) ショッピングモール
2018年05月20日
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パンダガラスのお姿、撮影できました。でも、パンダガラスという名前はMoMo太郎が勝手につけているだけで、正式には、鳥綱スズメ目カラス科の「カササギ」という鳥で、別名はカチガラスもしくはコウライガラスというそうです。また、久留米の人はカチガラスと呼ぶのが一般的です。このカササギは、筑後平野や佐賀平野で多く生息しており、「カササギ生息地」が国の天然記念物に指定されています。佐賀県の県鳥にもなっているそうです。さらに、この日は、お食事中のヒヨドリムクドリも撮影できました。人気ブログランキングパンダガラスではなく「カササギ」です。
2018年05月17日
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久留米の町の中をちょっとさるいてみました。 「さるく」とは歩くの意味の筑後地方の方言です。通外町にある「五穀神社」を訪れてみました。この道は、国道322号線(地元では文化センター通りとよんでいます)から続く参道です。しめ縄の先が五穀神社の境内です。五穀神社は、久留米藩第七代藩主で和算家(江戸時代の数学)としても有名で、当時最高水準の和算書『拾璣算法』を著したことでも知られる有馬頼徸(ありま よりゆき)により、創建された神社です。また、この看板にあるように「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれた東芝の創業者である田中久重ゆかりの神社でもあるそうです。田中久重の幼名は儀右衛門といい、幼い頃から才能を発揮し、五穀神社の祭礼でにおいて、当時流行していたからくり人形の新しい仕掛けを次々と考案して大評判となったことから「からくり儀右衛門」と呼ばれるようになったそうです。神社の境内にある放生池という池です。訪れた時は桜が咲いていました。下の写真が本殿となります。五穀神社の名前のとおり、食物・穀物を司る女神である豊宇気比売神(とようけひめのかみ)を主祭神としています。伊勢神宮外宮の主祭神も豊宇気比売神であり、五穀神社は伊勢神宮外宮の分霊とされて、五穀豊穣、商売繁昌の神様として信仰を集めています。また、境内の中には「郷学の森」と呼ばれるには久留米市出身の著名人6人の胸像が設置されています。まず、久留米絣の創始者として名高い井上伝(→→→こちら)です、からくり儀右衛門として知られる東芝創始者の田中久重(→→→こちら)です。また、この田中久重は井上伝の頼みに応え、紺の中に、花や鳥のような模様を織るための糸の染め方の「板締め技法」を考案したそうです。久留米といえばブリヂストンタイヤ発祥の地、その創業者がこの石橋正二郎(→→→こちら)です。ブリヂストンタイヤの前身はゴム底の地下足袋をつくると日本足袋株式会社(現・株式会社アサヒコーポレーション)です、その社長を務めたのが、石橋正二郎の兄であるこの石橋徳次郎(→→→こちら)です。靴メーカーのアサヒコーポレーションとくれば、久留米には、ムーンスター(旧月星ゴム)という靴メーカーもあります。その初代社長がこの倉田泰蔵(→→→こちら)です。6人の胸像があるはずでしたが、見落として5人しか撮影していませんでした。もう1人は、運輸大臣を努めた政治家の楢橋 渡(→→→こちら)です。【了】人気ブログランキング
2018年04月26日
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久留米の町の中をちょっとさるいてみました。 「さるく」とは歩くの意味の筑後地方の方言です。篠山町(「しのやままち」ではなく「ささやままち」と読ます)の方へさるいてみました。この大きな建物は、久留米大学病院。いつも患者さんが多い病院です。こちらが、久留米城址(→→→こちらです)の入り口です。「久留米の桜の名所、全部見に行く」シリーズの時に訪れた時の写真です。入り口のところには、説明板がありました。筑後川に接する葦や笹が生えた「笹原」と呼ばれた低湿地に南から突き出た海抜10m程度の高さの舌状の微高地が久留米城のあったところです。「篠山」とは、その先端部に位置する小高い山(海抜30m程度)のことで、笹(ササ)が生い茂っていたので自然に「ササヤマ」と称されるようになったと言われています。そんなわけで、久留米城は別名、笹原城、篠山城、篠原城、久留目城、来目城、雨城と呼ばれています。こちらは、明治10年(1877年)、本丸御殿跡地に建造された篠山神社です。久留米藩の歴代藩主、有馬豊氏(初代藩主)、有馬頼徸(第七代藩主)、有馬頼永(第十代藩主)、有馬頼咸(第十一代藩主)、有馬頼寧(十四代当主)の5名が祀られているそうです。なぜか建立されている聖徳太子の立像。菊歩兵第五十六連隊とは、久留米に配備駐屯された連隊で、第二次世界大戦では、開戦劈頭のマレー作戦に参加し、その後ビルマ(今のミャンマー)に移動し、連合国軍の中国への補給路を断つ「断作戦」に参加、そして昭和20年には、メイクテーラー会戦に参加し、甚大な損害を受けるも、後退してシッタン方面の防衛に当りながら戦闘に参加し、ニャンカン附近を防衛中に終戦を迎えたそうです(→→→こちらです)。久留米城址から臨む筑後川です。こちらは筑後川を渡る新幹線と在来線の橋梁です。この建物は、筑後城址にある有馬記念館です。有馬記念といっても、年末の競馬レースのことではなく、郷土資料の調査・研究を目的に当時の株式会社ブリヂストン社長・石橋正二郎より1960年(昭和35年)に寄附されたものです。なお、競馬の有馬記念は、有馬家第十四代当主であり、農林大臣や日本中央競馬会第2代理事長を務めた有馬頼寧氏を記念して創設されたレースです。【つづく】人気ブログランキング久留米の町さるき(その3)篠山町
2018年04月25日
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久留米の町の中をちょっとさるいてみました。「さるく」とは歩くの意味の筑後地方の方言です。これは久留米市役所の本庁舎。20階立ての高層ビルです。市役所の20階からみた久留米市街地です。市役所の横にある医大通りを北に向かって歩いたところにある石橋迎賓館(→→→こちら)です。城南町にあった鳥居、多分、久留米城跡にある笹山神社に続く参道の入り口ということでしょう。久留米で有名な進学校県立明善高校(→→→こちら)の正門です。【つづく】人気ブログランキング久留米の町さるき(その2) 城南町
2018年04月24日
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久留米の町の中をちょっとさるいてみました。「さるく」とは歩くの意味の筑後地方の方言です。こちらは、JR久留米駅と西鉄久留米駅の中間くらいにある文化街商店街です。商店街といいながら、どちらかというと夜の街なんですね。文化街近くにある三本松公園にあるこの道、むかしの柳川と久留米を結ぶ「柳川往還」という道だそうです。この道に面して建っている、レトロな建物、旧久留米市立中央図書館西分館だそうです。【つづく】人気ブログランキング久留米の町さるき(その1) 文化街
2018年04月23日
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ようやく、「レールあんどハイク 小郡の街並み・歴史散策コース」も終盤にさしかかってきました。目的地の「九州歴史博物館」の案内板が見えてきました。こちらが今回のゴールです。このあたり、宅地開発されたところのようで、公園も整備されていますが、木が植えられていないのに「木漏れ陽公園」と名付けているところなど、ちょっとおかしいネーミングですね。そしてここがゴールの「九州歴史博物館」です。ちなみにここの無料観覧券も得点に入っていました。こちらが九州歴史博物館の入り口です。ここでみなさん完走記念の写真を撮影されるようです。また、小郡の物産展も開催されていましたよ。このあと、九州歴史博物館を見学して、近くの「九州歴史博物館」を見学して、三国が丘駅から電車に乗って帰りました。今回は特典のプレゼントも沢山もらえてラッキーでした。【了】人気ブログランキング小郡の街並み・歴史散策コース(その5)
2018年04月19日
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次のポイントは、「小郡からあげ げん」と「福田ファーム ベリー畑」です。ここでは、「小郡からあげ げん」の揚げたてコロッケと「福田ファーム ベリー畑」の摘みたてイチゴがもらえました。こちらは先程、訪れた「森山酒造」でもらった酒粕です。酒粕の調理方法が書いた紙もついていました。こちらで一服したあと、県道88号線沿いを北に向かいます。長い隊列ができていますね。つぎのポイントは「如意輪寺(かえる寺)」(→→→こちら)です。その前に、ここに寄って、「レープ・ド・ヘベ」の「つこっコクッキー」をもらいました。「つこっコ」というのは調べてみると、小郡市埋蔵文化財調査センターのイメージキャラクターで、市内にある津古生掛古墳から出土した鶏型土製品をモデルにしたものでそれをクッキーにしたというものだそうです。如意輪寺が「かえる寺」とも呼ばれるようになったのは、住職が集めたカエルの置物て境内に無数に置かれるようなったからだそうです。、そして、丁度この日は4月8日のお釈迦様の誕生日、つまりお花祭の日でしたから、このように甘茶が振る舞われていました。当然、お釈迦様にも甘茶を掛けましょう。こちらが本堂、先ほどは御勢大霊石神社にお参りしましたが、仏様にもお参りさせてもらいました。しかし、神様と仏様の二股をかけたせいでしょうか。お参りする時に7年間愛用していた帽子を脱いだら、ここで落としてしまいました。こちらにあったぼけ封じ観音像にも参りしておきました。こちらが、ここでもらった特典品、おみくじもありました。で結果は「中吉」でした。でもカエルのお守りも入ってましたよ。ここでは見事な枝垂れ桜が咲いていました。赤い日傘と桜の花、ちょっときれいだなと思って1枚撮影しました。【つづく】人気ブログランキング小郡の街並み・歴史散策コース(その4)
2018年04月18日
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小郡市には「七夕神社」(→→→こちらです)という神社があるので、小郡市野球場のある通りにはこんな銅像がありました。牽牛とくれば、当然、織姫ということで、道路をはさんだ向かい側には、織姫の銅像がありました。県道88号線に戻って、北に進むと御勢大霊石神社(「みせたいれいせきじんじゃ」と読むそうです)(→→→こちらです)という神社がありました。レールあんどハイクに参加の皆さん、こちらの神社にお参りされていました。この神社の由緒は、第14代仲哀天皇が、熊襲征伐のためにこの地に行宮を設け、戦線を巡視した時に敵の毒矢に当って崩御。しかし、神功皇后は兵士の士気の衰えることを恐れて喪を隠して、熊襲征伐の後に香椎宮でその死を発表したそうです。そして、その後、仲哀天皇の神霊が宿った御魂代の石を軍船に乗せ、石に仲哀天皇の鎧と兜を着せ朝鮮半島に出兵したそうです。戦勝し凱旋した後は、その石は天皇の御魂代として、この神社に奉られたそうです。次に訪れたのは、小郡市内唯一の醸造所「森山酒造」です。丁度、酒蔵開きの日でした。酒蔵らしく「杉玉」がつるされていました。吊るされたばかりの杉玉はまだ青いのですが、やがて枯れて茶色がかってきます。この杉玉の色の変化が新酒の熟成の具合を知らせているそうです。酒蔵開きということで、やっぱり蔵の中で試飲大会が開かれていましたが、呑み助のMoMo太郎も今日はウォーキングということで、試飲は遠慮させていただきました。【つづく】人気ブログランキング小郡の街並み・歴史散策コース(その3)
2018年04月17日
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さていよいよ出発です。目的地まではこの県道88号線を北上していけばいいのですが、途中寄り道しながら歩くのが「レールあんどハイク」です。目の前に見える高架橋は、甘木鉄道の路線です。この甘木鉄道の高架下を歩いていきます。昼間だからいいけど、夜だったらこわいかも。大板井駅の下を通ります。この階段を登れば大板井駅のホームです。ちなみにエレベーターやエスカレーターは設置されていない、足腰の鍛錬をしたい人向きの駅です。大板井駅を離れ、このような田園地帯を歩きます。このあたりの水田では、小麦が栽培されていました。青い麦の穂ができていますね。遠くに見える山は背振山系の山です。所々に、このような札が設置してあり、これを確認しながら歩かないと、迷子になりますよ。この道の東側を流れる宝満川と取水堰、水を取り入れる時は、水路の底にある堰板が上がってきて川をせき止めて水位を上げる仕掛けです。今度は左手、西側に小郡市野球場が見えてきました、この球場で全国高校野球大会の地区予選が行われるという立派な野球場です。こちらが野球場の正面入り口。福岡ソフトバンクホークスのマスコット、ホークファミリーのハリーホークの人形が飾られていました。ホークファミリーって色々キャラクターがある設定になっています(→→→こちら)。この球場ホークスのファームの2軍の公式試合にも使われているそうです。ホークスのファームといえば、最近、こんな動画を発見しました。「恋のファーム♡Chiku−Go!」筑後市公式のPRソングのようです。【つづく】 人気ブログランキング小郡の街並み・歴史散策コース(その2)
2018年04月16日
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4月8日の日曜日、西鉄電車のレールあんどハイク「小郡の街並み・歴史散策コース」に参加するために、ここ西鉄小郡駅にやって来ました。これが西鉄小郡駅、各駅停車と急行列車の接続ができるよう待避線ある駅です。そして、ここが小郡市役所、駅から歩いて5分とかかりません。ここで、撮影していた時は気がつきませんでしたが。今回の最大の失敗を写真で確認しました。なんと写真に黒い影が!!!どうやらデジカメのセンサーにゴミが付着していたようです。この後、すぐにカメラのキタムラに修理に持ち込みました影がついたままの写真でお見苦しいですが、レールあんどハイクの話を続けます。市役所の横にある東町公園が、今回のレールあんどハイク「小郡の街並み・歴史散策コース」の出発地点です。東町公園にある大原古戦場の石碑です。大原合戦(→→→こちら)とは、1356年に筑後川をはさんで南北朝が戦った合戦で、南朝方は菊池武光を主将とする約4万 それに対する北朝方は少弐頼尚を主将とする約6万が激突し、両軍合わせて5,540人余の戦死者を出した激しい闘いの末、北朝方が敗走し、以降、南北朝が1392年に統一されるまで、九州は南朝方に支配されることになりました。そのような南朝の華々しい勝利のせいか、宮家の方もこの土地を訪れていたようです。出発場所ではこのようなホルダーを先着順にもらいます。今回は酒粕、コロッケ、九州歴史資料館の入場券など全部で11の特典プレゼントがあり、その引換券がこのホルダーに入っています。先着500名を過ぎるとこれら特典プレゼントがもらえませんから大事なものですね。この引換券をもらう時に待っていたら、すぐ後ろに並んでいたオジサンが、これを配っている西鉄の社員の人に「車で来たんだけど、車を市役所の駐車場に止めておいてもいいのか」と聞いていました。駐車していてもいいらしいのですが、西鉄電車のイベントなのに西鉄電車を利用してくるのが「たしなみ」ではないのかと、MoMo太郎ちょっと思いましたけど。【つづく】人気ブログランキング小郡の街並み・歴史散策コース(その1)
2018年04月15日
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今年は、久留米市内の桜の名所をほとんど見て回りました。こちらは、久留米市通外町にある五穀神社境内です。池に架かる石造反橋は、久留米市指定有形文化財だそうです。五穀神社は久留米市中央公園に接しています。こちらの枝垂れ桜はその境あたりにありました。こうやって一本だけあるのもいいですね。枝垂れ桜の花です。こちらは、久留米競輪場(久留米市野中町)の中にある忠霊塔子供広場の桜です。そして、久留米競輪場の側には「正源氏池」があり、池の堤の上にはこのように桜が植えられています。正源氏池ぞいの桜並木です。こちらは陸軍橋と呼ばれる橋で、正源氏池に架かっている橋です。かなり桜も散っていて、そろそろ葉桜になりそうでした。桜、日本の花、花見というのは日本人にとっては、やっぱり最大の楽しみですね。来年も桜を楽しく眺められるといいなと思いました。ようやく、久留米市内の桜の名所、ほとんど見て回ることができました。【了】人気ブログランキング久留米の桜の名所、全部見に行く(その7)
2018年04月11日
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今年は、久留米市内の桜の名所をほとんど見て回りました。郊外の桜が続いたので、市街地近くの桜を紹介します。こちらは「成田山久留米分院」の桜です。久留米分院のシンボルは、白い救世慈母大観音様(高さ62m)。そして、赤い色をしたインド村・平和大仏塔極楽殿(高さ38m)です。九州における真の成田山信仰の大霊場として信仰を集めているそうです。ちなみにこれらの拝観料は大人500円となっております。桜は散り始めていました。本当に「花の命は短くて」ですね。成田山久留米分院の近くにあるのが「浦山公園」(久留米市上津町)です。桜がなくても家族連れでピクニックに来るのにもいい場所ですね。浦山公園の周囲には、このようなため池があって、桜並木となっていました。青空をバックに桜の花を撮影したくなるものですね。こちらの桜は、満開でした。久留米の桜の名所、まだまだありますよ。【つづく】人気ブログランキング久留米の桜の名所、全部見に行く(その6)
2018年04月10日
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今年は、久留米市内の桜の名所をほとんど見て回りました。次は、久留米では有名な「浅井の一本桜」。久留米市山本町耳納にあります。本当は、ライトアップされた夜桜が見事だそうです(→→→こちら)。この桜、地元の自治会で維持されているようで、近くにある駐車場では募金の呼びかけがありました。一応、出店もあって花見の雰囲気はありました。ため池に映る「逆さ桜」は一見の価値がありますね。また、花びらが池の水面に散って、また風情がありました。樹齢約100年以上と言われ幹周り4.3m、高さ18mもあるヤマザクラで、久留米市内では一番歴史のあるヤマザクラになるそうです。ヤマザクラというのも、またいいですね。久留米の桜の名所、まだまだありますよ。【つづく】人気ブログランキング久留米の桜の名所、全部見に行く(その5)
2018年04月09日
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今年は、久留米市内の桜の名所をほとんど見て回りました。久留米市東部の郊外、耳納連山の麓にある桜の名所を紹介します。こちらは、久留米市田主丸町森部地区にある「田主丸平原古墳公園」に続く道沿いの桜並木です。この道は、この林道に続く道となっています。平原古墳公園の入り口にあった河童のモニュメントです。見猿に因んだ見ざる河童という意味でしょうかね。このゆうに桜が林立した公園で、これはこれで見事でした。また、久留米市の東端にあるため、あまり花見見物のお客さんも少ないようでした。このあたり、もう葉桜になり始めていて、道には花びらの絨毯ができていました。次に訪れたのは、久留米市田主丸町地徳地区にある「内山緑地」です。実はこの内山緑地は、この内山緑地建設という会社の持ち物で、これを一般に公開しているそうです。ここは、このような枝垂れ桜の名所だそうですが、もう盛りは過ぎていたようです。でも、まだこのように満開の枝垂れ桜もありました。満開、見事ですね。近くには、このような神社もありました。これは、敷地の中にある内山緑地建設の社長のお宅のような雰囲気でした。内山緑地建設では、このようなオシャレなロッジ風のレストランも経営していました。続いては、桜の名所として、久留米市では有名な久留米市草野にある「発心公園」です。このように桜の写真を撮影されている人、多かったです。この発心公園、なぜ有名かというと、、歴代藩主の花見の場所といわれ、春夏目漱石が熊本第五高校教授をしていた頃にこの公園を訪れたそうで、このような「松をもて囲いし谷の桜かな」という句を読んだそうです。有馬藩時代からの桜の名所ということで、桜の古木もありました。発心公園の桜、葉桜に近づいていました。久留米の桜の名所、まだまだありますよ。【つづく】人気ブログランキング久留米の桜の名所、全部見に行く(その4)
2018年04月08日
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今年は、久留米市内の桜の名所をほとんど見て回りました。テレビでも取り上げられる久留米で有名な桜の名所といえば、ここ「久留米百年公園」になります。実際に行ってみると、公園が広すぎて桜の木がなんとなく寂しい感じでした。しかし、筑後川沿いの堤防の上の桜並木は、結構、見ごたえがありました。川沿いにある桜といえば、ここ久留米市長門石地区の古河沿いの桜も見事でした。朱色の欄干の橋で見事な景観になっていました。散り始めた桜の花びらが花筏となって川面を流れて行く様子もいいですね。ちなみに、長門石地区、久留米市街地から筑後川を渡って北西方向にあります。これはもともと蛇行していた筑後川を掘りこんで、直線的にショートカットした河川にしたため、佐賀県側に飛び出た形となってしまったせいで、この古川は元々は筑後川だったわけです。そして今の福岡県と佐賀県の県境もこの古川になります。つまり、朱塗りの橋の上から撮影したこの写真、実は、佐賀県から撮影したことになります。こちらは、久留米市城島町「町民の森公園」の桜です。 手前にある円錐形のものは、公園の近くにある建設業者の資材置き場で砂利を積んでいるものです。この町民の森公園は、城島町酒蔵びらきの会場になり、その時は多くの呑兵衛で賑わっていましたが今は子供たちが元気よく遊ぶ、健康的な公園になっています。このような桜並木も作られていました。散り始めている桜もあるようでした。こちらは、今を盛りと咲き誇っていますね。城島町といえば、城島瓦で有名で、城島町には、城島瓦を使った32騎の鬼面があるそうです。久留米の桜の名所、まだまだありますよ。【つづく】人気ブログランキング久留米の桜の名所、全部見に行く(その3)
2018年04月07日
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今年は久留米市内の桜の名所をほとんど見てまわりました。その続きです。こちらは、久留米市荒木町にある「鷲塚公園」です。住宅街の中にあって、多くの人が桜の木の下で花見を楽しんでいました。ピクニックをしているようにも見えますが、日本人なら「花見」と呼ぶでしょう。まつりと書かれた提灯もあり、夜桜見物もできるのですね。鷲塚公園の桜、満開でしたね。久留米市三潴町西牟田の「十漣寺公園」です。この農業用ため池の周囲に桜が植えられています。ウッドデッキも設置されて池の方からも桜を眺められるようになっています。ため池の横は「十漣寺公園」という公園になっていました。こちらもみなさん花見ですね。公園隅に、立派な石碑が建立されていました。ここも満開か散りはじめの桜が楽しめました。久留米市安来町住吉の「久留米市南部浄化センター」です。お花見の季節に敷地を部分的に開放しています。このような桜並木が敷地の周りにできていました。日曜日でしたが、意外とお花見の人は少なかったです。こちらは外側の道路から桜並木を撮影しました。浄化センターの周囲は、水田ですが、この時期は小麦が栽培されていました。ちなみに、浄化センターというのは、下水処理場のことで中には、下水管が展示されていました。内径1.8メートルということは、普通の人なら立って歩ける大きさですね。久留米市大善寺にある「御塚・権現塚古墳」の桜です。この人のように、桜の木の下でボッンと座って春の日をのんびり過ごすのもいいですね。古墳の側にこのような桜並木が作られ、その下で花見の宴をするグルーブ。また、子供たちが元気よく遊びまわっていました。こちらは、もう葉桜になってきていました。久留米の桜の名所、まだまだありますよ。【つづく】人気ブログランキング久留米の桜の名所、全部見に行く(その2)
2018年04月06日
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今年のお花見どうでした? MoMo太郎は、久留米市内の桜の名所をほとんど見てまわりました。まずは、久留米城址の桜を見に行きました。やはり、桜の名所らしく人出も多いですね。堀と石垣と桜、役者が揃っています。勿論、花見客を狙っての露天商も、ちなみにMoMo太郎は以前、こういう移動販売のたこ焼きを食べてお腹を壊したことがあるので、余り食べないようにしています。広場では音楽祭が開催されていました。春らしく、お琴の演奏がありましたよ。この時の桜です。ほぼ満開でしたね。こちらはお城の前の通りの桜並木です。フェンスの向こう側はブリヂストンの工場です。こちらはJR久留米駅前の昭和通りにある日吉神社です。神社の境内の桜、華やかです。こちらは昭和通り沿いにある両替町公園の枝垂れ桜です。背後は久留米市役所の庁舎です。こちらは三本松通りにある三本松公園の桜です。むこうに市役所が見えます。ちなみに、ここはむかし、久留米市動物園だったそうです。公園内にはこんな噴水もありました。この日の三本松公園は満開の桜が楽しめました。市街地の中の公園ですが、バーベキュウとかやってもいいそうです。こちらは、小頭町公園、久留米では花見の人気スポットのようです。こちらもバーベキュウをやっていい公園です。満開の桜の下、お弁当を広げて花見を楽しまれていました。行ったのは3月25日の日曜日。もうこの時点で満開でしたね。久留米の桜の名所、まだまだありますよ。【つづく】人気ブログランキング久留米の桜の名所、全部見に行く(その1)
2018年04月05日
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3月25日、日曜日に行った西鉄甘木線沿線の酒蔵巡りの続きです。北野駅で電車を降りて、北野天満宮の境内に咲く桜の木を眺めながら、山口酒造場にやって来ました。中にはバーのカウンターみたいなところがありそこでお酒を頂きました。お酒とちょっと塩辛い青菜の漬物がおつまみで付いていました。造り酒屋さんの住居内部の様子も公開されています。立派な神棚です。商売には、やっぱり、なんといっても神信心が大切なんですね。北野には二軒、酒蔵があり、こちらが「千年乃松酒造」です。こんな広い倉庫の中のようなところで、みなさんゆったりと日本酒を味わっていました。菰樽に撒く菰が飾ってありました。折角来たのだからと北野天満宮に参詣しました。やっぱり神信心、大切ですね。こちらは境内にある銀の鷽(うそ)。そして、銀の鷽(うそ)。天神さまが奉られているだけに牛も欠かせませんね。途中、巣を作っているツバメをみかけました。そして、大牟田行の各駅停車に乗って久留米に戻りました。【了】人気ブログランキングくらの細道(その2)
2018年04月03日
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3月25日、日曜日、久留米駅から甘木行の西鉄電車に乗り、甘木線の大堰駅で降りました。駅前には見事な桜の木がありましたが、ここまで花見に来たわけではありません。目的はこれ、「くらの細道きっぷ」という、西鉄甘木線沿線にある、大刀洗町と久留米市北野町にある酒蔵をめぐるという西鉄電車のイベントです。福岡県にはこういうイベントに参加する呑み助が多いってことでしょうか(MoMo太郎もその一人ですが)。参加者のみなさん、住宅街の道を抜け、菜の花の咲く川の堤防を歩き、橋を渡った先にある酒蔵「みいの寿」にやってきました。ここで200円のお猪口を購入し、お猪口で二杯の試飲ができますが、それ以外の銘柄も試飲できます。試飲が終わった後、近くにある大堰神社にお参りしました。この神社、筑後川から農業用水を取水するために江戸時代に造られた堰を記念する神社だそうです。そして、再び西鉄電車に乗り、大城駅で下車、今度は駅前にある「山の壽酒造」に行きます。ここでは、色々なお店が出ていて食事もできますし、コーヒーも売っていました。お酒の後のコーヒー、意外と美味しいかも???酒蔵の中で、こんな感じでみなさん日本酒を楽しんでいました。再び、電車に乗り、次の目的地に向かいます。【つづく】人気ブログランキングくらの細道(その1)
2018年04月02日
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到着しました「恋木神社」。全国でもここ一社のみという神社です。「良縁幸福の神様」「恋の神様」というだけあって鳥居の扁額もハート形の陶板ですね。夫婦雛の恋むすびもあって、良縁に恵まれて、こんな恋の花が咲くといいですね。コウノトリかと一瞬思いましたが、アオサギが、水田天満宮の境内の木の上に巣を作っていました。この二羽は恋木神社で結ばれたのでしょうか、恋木神社、アオサギにもご利益あるんですね。そして、天満宮の近くにはこの「山梔窩(さんしか)」という建物があります。山梔窩は、幕末期に久留米藩の尊王派学者・志士で久留米水天宮神職でもあった真木保臣(真木和泉守)が藩政改革に失敗して謹慎させられ、弟の大鳥居家(水田天満宮神職)に寄寓していた時に住んでいた家です。山梔窩という名の由来は、庭にクチナシ(梔)が植えられたことからとも「口なし」(藩への発言を止められた自分の立場)からとったともいわれているそうです。4畳半と3畳の小さな家です。真木保臣はここに9年9カ月を過ごし、その間、門弟教育に従事し、多くの倒幕・尊王運動家を世に送り出したのち、藩の許可なく薩摩へ脱出したそうです。そうすると久留米水天宮の方は誰が宮司をしていたんでしょうかね。そこまではわかりませんでした。【了】人気ブログランキングへ筑後市を訪ねて(その10) 恋木神社
2018年03月30日
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筑後市の水田天満宮を訪ねました。鎌倉時代の嘉禄3年(1226年)に、後堀河天皇の勅命により菅原為長が建立されたといわれる古いてたといわれています。訪れたのは3月4日の日曜日。境内末社の縁結びの神社として有名な恋木神社の良縁成就祭(3月3日と11月3日の年2回開催されます)の翌日でしたが、境内には恋木神社に良縁祈願で参拝される方がおられました。かく言うMoMo太郎もお金と仕事への良縁を求めてやって参りました。まずは本社である天満宮にお参りしましょう。この石造鳥居は県指定文化財だそうです。こちらが楼門。堂々としていますね。さすが太宰府に続く九州第二天満宮と呼ばれるだけのものがあります。楼門の脇にある休憩室では、華やかな「さげもん」が飾られていました。こちらが本殿です。江戸時代の寛文12年(1672年)に再建され、また平成7年に2度目の再建が行わたそうです。太宰府天満宮の建築様式が受け継がれた、美しい景観です。天神様といえば牛、ここにも牛の像が奉納されていました。もう一つ、天神様に欠かせない生き物といえば、「鷽(うそ)」、水田天満宮では、石像の鷽がありました。ここの鷽の像は、スズメバチをくわえ、足元に蜂の巣がある珍しいタイプです。蜂の大群に襲われそうになった菅原道真公を鷽の群れが蜂を食べて救ったという伝説に基づいているのでしょうね。 また、太宰府と同じように飛梅が植えられていました。そして、このハート形の陶板が埋められて小道をたどっていくけば、【つづく】人気ブログランキングへ筑後市を訪ねて(その9) 水田天満宮
2018年03月29日
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筑後市溝口地区にある福王寺です。この福王寺、なかなか立派なお寺ですが、このお寺に建立されているこの銅像も立派です。この銅像の人物は日源上人という人物です。この銅像の背後にある石碑には、「九州製紙開祖日源上人之碑 勲一等子爵榎本武揚」と刻まれています。日源上人は、越前の国五箇村の武士真柄重良左衛門の四男として生まれ、俗名を真柄四郎太景基といい、朝倉義景の家臣だったそうです。しかし、元亀元年(1570)、織田・徳川の連合軍に姉川の合戦で敗れ、19歳の四郎太は日蓮宗の僧門をくぐり、俗名を捨てて“日源”と改め、兄達の霊をつむらうために諸国行脚の旅にでたということです。そして、 旅の途中で筑後市溝口にたどりつき、廃寺同様だった福王寺の再興に尽力し、そこで日源の郷里越前の「手漉き和紙作り」をこの溝口の地に伝えたということです。この溝口の地で和紙が作られるようになり、時の柳川藩主立花宗茂は、溝口で作られた紙を御用紙(藩で使う紙)として、年貢の免除をするなど手厚い保護を行い、その技術は次第に周辺の村々にも広まりました。その結果、その後明治時代になると約2,300戸が紙すきに携わるようになり「水田傘」や「福島提灯」など数多くの伝統工芸品が生まれるきっかけとなったそうです。溝口村出身の医師で勤王の志士だった古松簡ニの遺髪が埋葬されている光讃寺もこの近くにありました。そのことを記した石碑が境内にあります。古松は、天狗党事件に参加するなど勤王運動に奔走した人物であったが、しかし、明治4年(1871)にと長州脱藩者が集団を組み、誕生早々の明治政府を打倒しようとした計画が露見して60数名が粛清された久留米藩難事件(→→→こちらてす)に連座して終身禁獄となり、石川島監獄で48歳で病没したそうです。まあ、維新運動の指導理念であった「尊皇攘夷」を新政府はあっさり捨てて開国主義(欧化主義)へ転換したことに腹をたてた気持ちもわからないではないですが、そういう単純な思い込みがないと明治維新という革命を成し遂げられなかったということですかね。【つづく】人気ブログランキングへ筑後市を訪ねて(その8)日源上人
2018年03月28日
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船小屋温泉の雀地獄の近くに、ちょっと趣のある建物が。船小屋鉱泉場とありました。そして日本一の含鉄炭酸泉とありました。船小屋温泉の温泉は鉄分を多く含んだ炭酸泉だそうです。それで湯治にもいいわけで、日露戦争中船小屋は陸軍指定の転地療養所に指定されましたくらいの温泉地なのです。含鉄炭酸泉を飲めるようになっていました。でも、ちょっとその前に、ということで、この祭壇に手を合わせてからいただきました。飲んでみると、はっきり言って、温泉特有の硫黄の匂いと鉄分の味がして、そんなに飲めるものでもありません。良薬口に苦しというものですかね。この鉱泉場から矢部川へ続く道がありました。進んでいくと矢部川の河原に出ました。以前は対岸の公園へ歩いて渡れる橋が架かっていたようですが、洪水で流されたのでしょうね。矢部川にかかる船小屋温泉大橋です。水位を観測する施設がありますね。こちらは上流側です。船小屋にあったこちらの神社。なにか歴史のありそうな神社ですね。【つづく】人気ブログランキングへ筑後市を訪ねて(その7)船小屋鉱泉場
2018年03月27日
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船小屋温泉というと南筑後では有名な温泉地のようです。このような大きな旅館もあります。天皇陛下も巡幸されたそうで(昭和24年5月28日)、また、この船小屋温泉に宿泊されたそうです。それ以前から、種田山頭火のような歌人も訪れた名湯のようです。そして、あの夏目漱石も訪れたようで、ここにその石碑がありました。石碑には、「ひやひやと雲が来るなり温泉の二階」という句が刻まれていました。そして、その隣には「雀地獄由来記」というスゴイ名前の看板がありました。この付近にブツブツと湧出する水たまりができ、その上を飛ぶ雀がバタバタと見る間に死んでしまったので、湧き水は「雀地獄」と呼ばれるようになったそうですが、病に苦しむ老人が、村人の制止も聞かず、この湧水に浴してみると、不思議にも気持ちがよく、それから一日何回も浴してみるうちに数日たつと病の苦痛がとれてしまいました。これを聞いた村人たちは、天恵の霊現なりとして、病に苦しむ者は続々と浴し、また霊水を飲んだりもしました。野に出て傷をおった者は、この沸水に浸るとたちまち回復する等の著しい効果があることが判明すると、村人の宣伝は他村にも伝わり「船小屋に一大霊泉現わる」ということになったそうです。雀地獄の湧水のあるところが公園のように整備されていました。今もコンコンとお湯が湧き出していました。その横には、船小屋温泉の歴史を紹介する看板がありました。で、どうしてここが「船小屋」という地名になったのでしょうか?元々は東古賀原と呼ばれていたところで、その昔は福岡県筑後国下妻郡下妻村大字尾島でした。藩政時代、柳川立花藩下に属していた場所で、この時代に矢部川の利水治水工事用の小舟をこの地に格納していた仮の舟小屋があり、小屋のあるところは厳重な監視下におかれ、附近の人々も立ち入れないような場所であったそうです。それで土地の人々はこれを「御舟小屋」といって呼ぶようになったことから、今の「船小屋」という地名になったそうです。【つづく】人気ブログランキングへ筑後市を訪ねて(その6)船小屋温泉
2018年03月26日
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筑後広域公園の中にある「川の駅船小屋 恋ほたる」です。川の駅ってあまり聞かないけど、川辺につくる道の駅みたいなお土産物売り場があったり、レストランがあったりする施設です。この恋ぼたるの横には、矢部川が流れています。川の駅だから船で来なくても大丈夫です。ちゃんと駐車場もありました。こちらは矢部川にかかる船小屋温泉大橋。橋のたもとには、「天然記念物船小屋源氏蛍発生地」の石碑がありました。季節になるとゲンジホタルが飛び交うのでしょうね。船小屋地区の周辺案内図です。次はいよいよ船小屋温泉の方へ行ってみましょう。【つづく】人気ブログランキングへ筑後市を訪ねて(その5)川の駅船小屋恋ほたる
2018年03月25日
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さらに筑後船小屋駅周辺には、広大な筑後広域公園が広がっています。中には、水は流れていなかったですが、小川もありました。公園の中にあった八幡神社です。なつかしいガチャポン(手押しポンプ)が残っていました。神社の隣にあった石碑です。耕地整理(→→→こちらです)記念碑だそうです。ということは昔はこのふたりは農地だったんですかね。【つづく】人気ブログランキングへ筑後市を訪ねて(その4)筑後広域公園
2018年03月24日
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筑後船小屋駅の東側には「タマホームスタジアム筑後」という福岡ソフトバンクホークスの二軍、三軍の本拠地と練習場がありました。、施設全体は「HAWKSベースボールパーク筑後」ということかな。どうしてタマホームの名前がついているかというと、タマホームの会長の出身地がここ筑後市で、しかもホークスのダイエー時代からの球団スポンサーだということだからでしょうか。球場のグランドの広さは福岡ヤフオクドームと同じ広さだそうです。また、周辺には何も遊ぶような施設もないので、野球に集中できるでしょう。ここに車を止めて、ホークスの試合を見てもいいですね。駅の西側には、こんな芸術的な建物がありました。「九州芸文館」(→→→こちらです)という施設でした。九州これは「筑紫石人」南筑後地方にある古墳の墳丘に立て並べられた石でてきた人物像、埴輪を石で作ったものようです。【つづく】人気ブログランキングへ筑後市を訪ねて(その3)タマホームスタジアム筑後
2018年03月23日
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春分の日、久留米は残念ながら、雨模様でした。そんな中、久留米の桜はどんな様子か調べてました。これは六ッ門シティプラザに飾られた桜です。久留米市内のメインストリートの明治通りでは一本だけ満開に近く咲く桜がありました。こちらは、明治通りからひとつ奥に入った日吉校区コミュニティセンターにあった桜です。「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」この花は白っぽいですね。こちらは、「久留米宗社 日吉神社」もともと久留米城地の地主神さまといわれていた神社で、現在でも都心部の総氏神さまとして信仰されており、昔も今も久留米の最中心の神さまということです。参拝してみましょう。これが神門ですね。拝殿の扁額です。春分の日の今日、日吉神社では「久留米宝恵かご行列」という伝統行事があり、可愛い衣装の稚児を駕に乗せ、市内目抜き通りを練り歩くのですが、雨天のせいでしょうか、今年は見ることができのせんでした。人気ブログランキング春分の日 桜はどうかな?
2018年03月22日
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筑後市には九州新幹線の停車する筑後船小屋駅があります。築後船小屋駅、在来線改札口と新幹線改札口は離れており、連絡改札は設けられず、改札外に設けられる広場を通っての乗換えとなります。こちらが在来線の筑後船小屋駅です。こちらが在来線の改札口です。ちなみに、この駅はもともと在来線(鹿児島本線)の船小屋駅として1928年(昭和3年)7月20日 に開業したのですが、2011年(平成23年)3月12日の鹿児島ルート全線開業に合わせて、もとあった場所から約500メートルほど南に移設されたうえで新幹線併設駅(乗り換え駅)となり、「筑後」が付け加えられ同時に現在の駅名に改称されたそうです。こちらは観光案内所です。地元のホークスが使われているのはわかりますが、顔ハメに「恋のくに」とありますね。また、「恋むすび」と刻まれた石柱もありました。どうして、こんなに「恋」が強調されるのかというと、ここ筑後市には、恋木神社(→→→こちらです)というのがあるからだそうです。在来線ホームと新幹線駅舎です。こちらは新幹線駅舎です。新幹線駅舎の前には、五葉松が植えられたモニュメントがありました。【つづく】人気ブログランキングへ筑後市を訪ねて(2)筑後船小屋駅
2018年03月21日
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久留米市のお隣にある筑後市を訪ねてみました。筑後市の玄関口といえば、JR鹿児島本線にあるこの「羽犬塚(はいぬづか)」です。背後にあるのは九州新幹線の高架橋ですが、この駅の近くに筑後市役所や筑後警察署などがあるにもかかわらず、停車駅はありません。しかし、羽犬塚って変わった地名ですね。駅前にはこのようなモニュメントがありました。犬の背中に羽根が生えているという、羽犬ですか?この筑後市には、羽犬伝説(→→→くわしくはこちらです)というものがあります。伝説には2つあり、(1)昔この地に羽の生えたどう猛な犬がいたが、薩摩の島津氏討伐のため九州に遠征してきた豊臣秀吉に退治された。(2)豊臣秀吉が九州遠征に羽が生えたように跳び回る犬を連れて来たが、この地で死んでしまった。です。どちらにしても豊臣秀吉に関係しているのですが、この土地が豊臣秀吉の家臣であった田中吉政(→→→こちらです)や秀吉に取り立てられた小早川秀包(→→→こちらです)そして有馬豊氏(→→→こちらです)に統治されていたということも関係しているのでしょうか?秀吉の九州遠征以来、この地が羽犬塚と呼ばれるようになったとしても、それ以前にもなんか地名があったはずであるが、それはなんという名前だったんでしょうかね。筑後市を南北に貫く国道209号線沿いにあるポケットパークです。この羽犬塚は薩摩へ向かう街道の宿場町と栄えていたところのようです。そして、このポケットポークにも羽犬の像がありました。こちらは躍動感のあるモニュメントですね。また、このポケットパークの近く、国道208号線の免許試験場交差点近くにある宗岳寺です。豊臣秀吉が寄贈した六地蔵尊がまつられています。そして羽犬を弔った犬の塚があります。小ぶりなお寺ですが、右が、羽犬を弔った犬の塚です。左が豊臣秀吉が寄進した六地蔵尊です。この犬の塚の横に説明版がありました。もとはこのあたり「葛野(クズノ)」というい地名だったんですね。【つづく】人気ブログランキングへ筑後市を訪ねて(1)羽犬塚
2018年03月20日
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3月18日は「柳川雛祭りさげもんめぐり」のイベント「おひな様水上パレード」があり、MoMo太郎も見物に行ってきました。午前11時出発というので出発地点の沖端水天宮付近には11時30分頃には着いたのですが、もう見物の人で一杯でした。人をかき分けて、なんとか撮影した出発前の様子。人の肩越しに撮影したのでちょっとカメラ傾いています。こちらがメインのお内裏様とおひな様。地元の人のようでした。こちらが先頭の船に乗る、柳川市にある日吉神社の宮司さま。今年で宮司さんを引退されるとの噂を聴きました。結構、そんなお年には見えない美しい方でした。ということで、菜の花を入れて撮影できるポイントに移り舟を待ちます。ちょっとテストに川下りの船を撮影。先頭の宮司さんの乗る舟がやってきました。続いて、おひな様や稚児として参加している近所の幼稚園のお子様たちが乗る舟がやってきました。こちらは、雅楽を演奏する五人囃子的な皆さんです。おひな様の舟に乗っている官女のお姉さんと稚児のみなさん。河岸の見物客に手を振ってくれました。こちらの乗船者は一般参加の方。参加申込金は母娘1組につき2,500円(女の子1人追加につき500円)だそうです。また 参加条件としては、お母様とお子様(7歳以下)和服(着物)にて参加で、お手持ちの着物を着て参加だそうです。知り合いの人がいたのか、お子さんが舟の上で思わず立ち上がっていました。ゴール地点の三柱神社の舟着場です。舟のスピードはそんなに速くないので、歩いて追いかけてきました。最後まで元気に手を振っている稚児衣装のみなさん。多分、同乗しているお姉さんは幼稚園の先生だと思われます。稚児の大役を務めた良い子のみなさん、並んで、三柱神社の境内でお母さんに記念撮影してもらっていました。人気ブログランキング柳川さげもんめぐり おひな様水上パレード
2018年03月19日
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西鉄レール&ハイク「柳川さげもんめぐり散策コース」のつづきです。こちらは掘割に飾られたお雛様です。柳川藩主立花家の邸宅の「御花」です。現在は料亭旅館として使われています。商店の壁にもひな壇飾りがありました。もうツクシが顔を出していましたよ。これは掘割のゴミを回収する船です。こちらは婚礼?それとも雰囲気を出すための演出だったりして・・・。掘割沿いの道にはこのような顕彰碑が。こちらは四手網ですね。どんな魚がいるのでしょうか。柳川市役所です。こちらは柳川市商工会。柳川市出身の琴奨菊関を応援しています。立派な建物が、柳川みやま土木組合とありました。どんな組合なんでしょうか。こんな看板がありました。治水をする組合???川下りの船がのんびりと掘割を進んでいきました。北原白秋の短歌がありました。柳川も柳河と書くのが文学的なんですね。ちょっとお城をイメージさせるようなこの建物、柳川子文書館です。ここにお雛様とさげもんが飾れていました。柳川市、またゆっくりと散策してみたい町ですね。【了】人気ブログランキング柳川さげもんめぐり散策コース(その2)
2018年03月15日
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3月10日、西鉄が主催するレール&ハイクの「柳川さげもんめぐり散策コース」に参加してきました。西鉄柳川駅に飾れた「さげもん」(→→→こちら)です。西鉄の柳川車庫です。白壁のシブイ建物が「つるみそ」という味噌屋さんです。ここで、豚汁が無料でいただけます。これが豚汁、暖まりました。当然、味噌も販売しています。つるみその裏を流れる掘割です。柳川にはこのような水路が町中を流れています。こちらの足湯で一休みしました。足湯に無料で入ることができます。掘割にかかった木橋。端にはこんな垂れ幕が。ご結婚おめでとうございます。沖端(おきはた)にある掘割です。観光写真なんかでよく使われそうな風景ですね。川下りの船です。シブイ感じの鰻屋さんです。絶滅危惧種のニホンウナギを食べるというのも、環境保護の観点からはいかがなものでしょうか。掘割の横にあるこの神社。沖端水天宮という神社です。かなり歴史のある水天宮のようです。【つづく】人気ブログランキング柳川さげもんめぐり散策コース(その1)
2018年03月14日
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やはり、この時期、太宰府天満宮といえば、学問の神様、天神様にお願いするのは受験合格、学業上達ですね。この御神牛の頭を撫でると知恵が授かりるといわれています。まだ見ぬ孫には是非この御神牛の頭を撫でさせたい。この子も東大を狙っているのか。そして、やっぱりおまもりや絵馬は受験の必須アイテム購入ですね。もちろん、梅の花も咲いていました。しかし、なぜ天神様というと梅なのでしょうかね。道真公がまだ5歳の時、初めて「梅の花 紅の花にも 似たるかな 阿呼がほほにも つけたくぞある」という和歌を詠んだそうです。また、13歳の時には、「月夜に梅花を見る」という次の漢詩を詠んでいるそうです。月燿如晴雪 梅花似照星 可憐金鏡転 庭上玉房馨 このように、小さい頃から道真公は梅の花を好んでいたようです。そして、道真公が住んでいた京都の屋敷には多くの梅が植えられ、別名「白梅御殿」、別邸は「紅梅御殿」と呼ばれていたそうです。このようなことから、天神様には道真公の愛された梅を植えるのでしょうね。これは本殿前に咲く「飛梅」です。この梅は、道真公が九州の大宰府へ左遷が決定し、「紅梅御殿」から出発しようとした時に、庭の白梅を見て「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな」と読んみ。そしてこの梅の木が、道真公を追って九州の大宰府まで飛んでいきたという伝説の梅の木です。飛梅も見事に咲いていました。こちらは、ロウバイです。ロウバイは、クスノキ目ロウバイ科ロウバイ属に属する落葉樹で、ウメはバラ科サクラ属の落葉樹ということです。こちらは本殿前に貞明皇后が大正時代にお植えになった皇后の梅(きさいのうめ)。まだ開花していませんでした。境内には、寄贈されて植樹されている梅も多くあるようです。こちらは歌舞伎の15代目片岡仁左衛門の奉納された梅ですね。太鼓橋の架かる心字池のほとりに植えられていました。こちらはピンク色の梅です。紅梅ですね。西鉄が運航する太宰府観光列車の「旅人(たびと)」に乗って帰りました。「旅人」という名前は、太宰府の地で多くの歌を残したとされる歌人・大伴旅人より付けられたそうです。また、旅人は“たびびと” と読めるのも、観光列車にはふさわしいネーミングでしょうか。ちなみに、菅原道真は右大臣から太宰府に左遷されてそこで終わった役人ですが、大伴旅人は太宰府から大納言従二位(左右大臣相当の官位)となって帰京したという意味からも、列車の名前を「道真」ではなく「旅人」にしたのはではないでしょうか。【了】人気ブログランキング太宰府参拝(その2) 学問の神様
2018年02月27日
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2月25日は日曜日でしたが、福岡県地方は雨にもかかわらず、ここ太宰府天満宮には多くの栽培者が訪れています。MoMo太郎もこの日、参拝したのは、「そだねー」(カーリング女子に影響されています)、もちろん、まだ見ぬ孫の東大合格の祈願のためもありますが、実は2月25日は天神さまの御神忌(ご命日)で、太宰府天満宮では、「梅花祭」と「飛梅講社大祭」という斎典が行われるからです。だからこの日にお参りすれば、いずれ将来生まれてくる孫も東大合格間違いなしでしょう。いよいよ「飛梅講社大祭」に向けて神職の方が本殿に向かわれます。すでに、氏子会や信徒団体(「学業講社」・「崇敬会」・「飛梅講社」などの集まりがあるそうです)のみなさんも着席して斎典の開始を待っています。御本殿には神職や氏子会、信徒団体代表のみなさんが上がります。いよいよ斎典が始まりました。菅原道真公(天神様)がこよなく愛された梅の花を神職が冠に挿し、お供えとして梅花と古来より伝わる特殊な神饌をご神前に捧げて御神霊おみたまをお慰めするそうです。この梅の花を神前に捧げます。太宰府天満宮の宮司による祝詞です。なんといっても、恨みを持って亡くなられた道真公、その御霊を慰めなければ、祟りがあると信じられていたわけですから、その御霊を慰め、祟りが起こらないように、若い巫女さんによる舞踊が奉納されます。普段は、ピップポップでも踊っていそうな若い巫女さん達も祟りが起きないように、真剣にかつ厳かな舞を披露しています。しばらくはその舞姿を見て下さい。舞踊りが終わると神官の皆さんによる玉串奉納です。こちらは氏子会と信徒団体による玉串奉納です。これも信徒団体のみなさんによる玉串奉納です。斎典が終わり本殿から退出される神職のみなさん。二番目の黒い服を着た人が宮司さんのようですね。こちらは、さきほど見事な舞を披露された巫女の皆さんです。梅の花に劣らず美しいお姿ですね。【つづく】人気ブログランキング太宰府天満宮参拝(その1)梅花祭・飛梅講社大祭
2018年02月26日
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「ゆくゆく行橋」という駄洒落ですかね。行橋市になんなとく行きました。これが行橋市役所です。行橋市は、福岡県東部に位置し、今川、長峡川、祓川の3本の川が周防灘に流れ込み、市のほぼ全域が平野という町です。こちらはJR日豊線の行橋駅です。なかなかモダンな感じの駅舎ですね。今度、ゆっくり時間をかけて行橋にゆくかな?人気ブログランキングへふらり立ち寄りました行橋市
2018年02月03日
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ふらりとここまでドライブしてきました。ここは「北九州空港」です。ずい分、たくさんの車が駐車していますね。それはこの北九州空港が埋め立てられた人工島の上にできた海上空港で、自動車かバスで、この新北九州空港道路を渡ってこないといけないからです。ちなみにこの橋は通行料無料です。こちらがターミナルビルの内部です。2006年(平成18年)3月16日に開港なので、まだ新しいですね。二階の出発ロビーには小倉祇園太鼓が展示されていました。三階は展望ロビーとなっていて、関門海峡を挟んだ向こう側は山口県です。こちらは韓国の格安航空会社(LCC)の「ジンエアー」ですね。日本のLCCのスターフライヤーの本拠地も北九州空港にあるので、北九州空港はLCCのための空港みたいな感じですね。ジンエアーの飛行機、飛び立っていきました。北九州空港の中にセブン・イレブンがあったので、ここでピーチ味のコカコーラ買って飲みました。人気ブログランキングへふらり立ち寄りました北九州空港
2018年02月02日
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高良大社に参詣した理由は、やはり、人事を尽くしても最後は神頼みというということで、今年一年つつがなく仕事できるように、お祓いを受けるということです。初穂料の相場も示されていました。一番安いコースで。この日は高良大社の鏡開きの日だったようで、ぜんざいが振る舞われているようでした。料金は、お志で、先ほど中一枚を出したので、ここは控えめに。このお餅をいいだきました。鏡餅を割ったものでやや大振りでしたね。高良大社からの臨む久留米市街地です。やはり、お参りすれば清々しい気持ちになりますね。今年一年いいことがあるといいですね。【了】人気ブログランキング筑後国一の宮高良大社に参詣(その2)
2018年01月23日
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筑後国一の宮とされる「高良大社」に参詣してきました。急な石段も今はこちらのスロープカーで登れます。料金はお志で結構です。とはいえ、足腰鍛錬のためこの石段を上がってきました。高良大社は、別名「高良玉垂宮」とも呼ばれています。仁徳天皇55年または78年鎮座、履中天皇元年創建と伝えられ、古代から筑紫の国魂と仰がれてきました。社殿は国の重要文化財に指定されており、神社建築としては九州最大の大きさだそうです。扁額は、「高良玉垂宮」と記されていました。【つづく】人気ブログランキング筑後国一の宮高良大社に参詣(その1)
2018年01月22日
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暖をとる氏子若衆です。たき火だけではなく身体の芯から温まるために御神酒もいただいていました。本殿への参拝客も増えてきましたね。午後7時30分,いよいよ鬼夜の本祭が始まります。汐井かきと呼ばれるお清めの水を汲みにいきます。先導の松明を持つおじいさん、寒そうです。拝殿前の参道に並んだ参拝客のみなさんは脇によけて、汐井かきの一行を通します。松明が掲げられるといよいよ出発です。こちらは大松明を引っ張る氏子若衆も境内に集まってきました。掛け声は「オイサ~、エイサ~」です。汐井かき(玉垂宮の側を流れる広川の水を汲んできます)の一行が戻ってきました。この桶に水が入っています。続いて、広川で禊を済ませた氏子若衆が参道にやってきました。威勢の良い掛け声で興奮が抑えきれないといった様子です。手々振とい書いた提灯を持った人が先導役です。また赤い鉢巻の人は交通整理係りみたいで、前の組との間隔などを気にしながら隊列を止めたり進めたりしています。不覚にも、ここでMoMo太郎の持ってきたデジイチのバッテリー切れ!・・・。サブで持ってきていたいたコンデジでの撮影に切り替えました。午後9時、境内の灯りが一斉に消され、ちなみに露店の照明も消されます。そして、本殿の中で灯されていた御神火が運ばれて大松明に火が灯されます。そして、すべての大松明に火が灯されて、境内は明るくなりました。大松明の上で火がよく燃えるよう、竹を縛った縄をほどく氏子若衆、熱いでしょうね。こちらも火を加減している氏子若衆。スマホで撮影しているのはこの若衆の知り合いさんでしょうか。火の粉がふりかかる若衆、でもこの火の粉をかぶると今年一年の無病息災が叶うというのですから、火の粉を浴びるのも大切です。ちなみに離れて撮影するニワカ写真愛好家のMoMo太郎や観客の皆さんには灰が降りかかってきます。その上、段々雨も降り始めてきました。熱くて近寄れないのか。ガンバレ氏子若衆。やがてこの太鼓が打ち鳴らされると、大松明が移動し始めました。その様子をスマホで撮影するみなさん。インスタ映えしますよね。本殿の脇に向かって移動する大松明。ここで大松明が地面に落ちると不吉とされることから、みなさん慎重にかつ大胆にカリマタを使って大松明を移動させていきます。本殿の西側で大松明はいったん置かれて、そして、境内を回っていきます。最後まで見ていると午後11時までかかるとのこと、その上雨もいよいよ本降りになり、デジカメのバッテリー切れもあり、このあたりでMoMo太郎は引き上げました。来年は、予備バッテリーや三脚等、準備を整えて撮影に行こうと思いましたが、しかし、観客が広い境内に溢れ返っていて、なかなか祭りの全容を撮影するのは難しいこともわかりましたので、撮影ポイントを決めて撮影するしかないかもしれませんね。【了】人気ブログランキング鬼夜(その2)
2018年01月11日
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