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お久しぶりのブログ更新がSMAPのことでもマッドマックスのことでもなく、映画『パッセンジャー』の感想ですみません。どうしても長文書きたくてね!そしてかなりのネタバレですので、ネタバレがイヤな方は回避してくださいね。2回目の『パッセンジャー』、初回でも若干の違和感をオーロラに感じていたのだけど、まぁクリプラ沼民なのでどうしてもジム寄りになるのは申し訳ないですが、やっぱりオーロラにイライラした。イライラというか最初から、オーロラのホームステッドllへの移住動機が、金持ち娘の道楽にしか思えなくてね。ジムは、人もモノも溢れ、あらゆるものが使い捨てにされる地球ではなくて、自分のようなエンジニアが必要とされる新しい星で、自分の家を建てたい、という目的があった。それがたとえ夢物語でも、一生収入の20%をホームステッド社に取られるとしても。対してオーロラは、偉大な父を持つコンプレックスから逃れるため、そして、「コロニーから帰ってきた唯一の作家」として認められたい、という自己顕示欲のために、たくさん友だちもいた地球を捨て、往復チケットでゴールドクラスに乗船した。コロニーに1年だけ居てまた120年かけて250年後の地球に戻るって、それってものすごく孤独だよ?知ってる人、誰もいないんだよ?自分の属していた文化も、なくなってるかもしれないんだよ?もしかしたら地球もなくなってるかもしれないんだよ?そういうの、ちゃんと考えてる??とそこからもう、オーロラに感情移入できなくなってきたのだけど。ジムは一人でいた1年間、助かる術を船内中探していた。色々作ったり壊してたりしていた。でもオーロラは、目覚めてから何もしてない。本を書いたり(それも自分の指すら使うことなく!)、プールで泳いだりジョギングしたり、綺麗なドレス着て綺麗に化粧して。自分で気晴らしを探すことすら、しなかった。デートに誘ったのはジムだけど、吊り橋効果で発情してジムを求めたのはオーロラからだからね。その後の何度かも、全部オーロラからだからね!よかったね!気晴らしが見つかって!(やっかみです(笑))ジムはオーロラに拒絶されてから一度も、指1本触れてないからね。力づくでどうこうすることもできたのに(それをしたらほんとに救いようのないゲス野郎だけど)、彼女に詫びて(詫びることさえ許されなかったけど)、自分のしたことを悔いて責めて、自分の存在を諦めて、彼女が憤怒で自分を殺そうとした時も、それを受け入れようとした。でもオーロラは、ジムを殺さなかった。それは愛とか許しではなくて、ジムがいなくなったら本当にひとりぼっちになってしまうから、というオーロラの妥協にしか思えなかった。憎い相手でもいてくれないと、自分ひとりでは何もできないから。「私の人生どうしてくれるの!」と言いつつ、何もしない(何もできない)オーロラ。拒絶され続けても、彼女を少しでも慰められればと木を植えたジム。という諸々からオーロラの立場で見ることがどうしてもできなかったのだけど、決定的だったのは、予告にもある「You die, I die」の前の台詞。字幕ではなく、英語でなんて言ってるか、確かめて!とんでもない自己中だな!ジムが死んじゃって、「愛する人が死んだ!」というよりも、「私が一人ぼっちになっちゃう!」とひしひしと思い知ったから必死で蘇生しようとしたんでしょ?とまでは、歪んだ見方は、しないけど(ちょっとした)。ということで、ジムのしたことは許されないことだけれど(あの状況では、「決して許されない」とは、私は言えない)、ジムだけを責めることはできない。共存ですよ、共存。惹かれあう、というよりも。その後、2人に本物の愛が芽生えたかは、分からないけど。まぁ2人しかいないのだから、どうにかやってくしかないし、ジムのオーロラへの愛と慈しみは、本物だから。となりました。ジムのしたことは酷い、倫理的に許されない、気持ち悪いストーカー野郎だ、という声が多いのも分かるけど、ジムの立場からも見てやってくれ、と。結構色々、頑張ってるよ?(笑) オーロラは自分を起こしたジムに怒りをぶつけるけども、 ジムには怒りをぶつける相手すらいないんだよ。 計画外に起こされて人生を台無しにされたのはジムも同じなのに。 そもそもジムが目覚めてなければ、アヴァロン号は大爆発起こしてみんな死んじゃってたからね。 でも冬眠ポッドは、透明じゃない素材にして欲しいなぁ(笑)。
2017.04.01
私の中でまだ続いています、マッドマックス祭り。あまりに祭りすぎて、とうとうマッドマックスのヴァルハラ(聖地)、立川シネマシティまで行ってしまいました。立川ってどこ?新宿の向こう側だよね?という認識しかなかったのに。ウチから1時間以上もかかるのに。どうしても!極上爆音上映を体感してみたくて!ただ音が爆音なだけではなく、ひとつひとつが鮮明で、遠くのドゥーフワゴンのドラムの音までも聞こえる。フュリオサの声にならない慟哭が聞こえる。それにしても、なんでこんなに好きなんだろ?何がこんなに惹かれるんだろ?それが分からないから、こんなに何度も観に行くのかもしれない。私の人生でこんなにハマった映画、初めてだ。『ATARU』ですら、4回くらいしか観に行ってないのに。それも前売り券があるから、という理由で(爆)。好きな映画はたくさんあるし、『スタンド・バイ・ミー』とか『ローマの休日』とかも大好きで何度も観たけど、それはテレビとかDVDとかであって。こんなにも劇場に足を運んだ映画は、これが初めて。しかも、レディーズデーでもない、超混雑の日曜日に!土日に映画なんて、絶対行かないのに!超混雑、してました。1日3回上映の、一番デカい箱なのに、満員。6/20に公開されてもう2ヶ月以上経ってるのによ?みんな、アタマおかしいよ(笑)。この映画のどこの何がどう好きかなんて説明できないし(それはSMAPもそうだけど)、説明したとこで伝わらないと思うけど、語らせてください!9/9以降はSMAP語りになるから!上映終了予定、9/11だし!ナカイの窓でサブMCをやってる某山ちゃんが観に行って、「何にも考えないで見られる映画」とか言っちゃって案の定炎上しちゃったらしいけど、その表現はあながち間違ってない気がする。「何にも考えないで」というとなんか頭悪いイメージ抱きがちだけど、そうじゃなくて、「考える隙を与えない」んだよ。ぶわーー!っと映像と音が入ってきて、ぶわーー!っと映像に入り込んで、見たままが頭に残ってて、それで見終わった後に、ぶわーー!っと頭ん中ぐっるぐる残る、っていう感じ。カラッポのスポンジが水吸ってたっぷんたっぷん、みたいな。あれ?頭悪そうな表現だな(爆)。特に洋画とかって、「あれ?この人誰だっけ?」とか、「え、これって過去語り?時系列どうなっとんねん!」とかありがちだけど、そういうのがないんだよ。だからって単純なわけではなく、ストーリーはこの上なくしっかりしてるし、登場人物はムダな人は一人もいないし、一人一人のキャラクターは一目で分かるほど立ってるし、何より言葉で説明することが少なくて、全部映像で見せる。それが短時間に詰め込まれすぎてて、頭で考えるヒマがない。っていうことだよね、山ちゃん?(何で擁護)んでも、何回も観に行ってその映像と音のインパクトからちょっと慣れてくると、もういろんなことが見えてきて。散々イモータン擁護してる私だけど、やっぱり妻たちをそれなりに愛していたと思う。妻たちの部屋にはグランドピアノも置いてあるしシャンデリアもぶら下がってるし、綺麗な水がたたえられてる周りには柔らかそうなクッションもあるし、清潔そうなベッドも置いてあるし。ただの「子産み女」だとしか思ってなかったら、そんなの必要ないでしょ。体中に世界の歴史を刺青している「生きる本」のミス・ギディを教育係になんてしないでしょ。下手に知恵つけたらめんどくさくなるのは必然だもの。5人の名前だって、ジョーがつけたんだと思うんだけど、スプレンディド(Splendid:華麗な、見目麗しい)、ケイパブル (Capable:有能)、トースト (Toast the knowing:聡明、物知り)、ダグ (Dag:不器用)、フラジール (Fragile:華奢、儚い)っていうそれぞれの性格に合った名前を付けてあげてるんだよ。家畜同然だと思っていたら、そんな名前つけるかな。ただ、あの金庫のドアこそが、ジョーの残虐さを表しているんだよね。あのドア1枚だけで。ジョーの庇護にあったであろうウォーパプスたちも、ジョーが死んでフュリオサが戻ってきたと喜んでるんだよね。ということはやっぱり、そこまで嫌われるほどヤなヤツだった、ってことか。マックスとフュリオサ、会話がなくても分かり合えてるハズ、と書いたけど、視線を交わすシーンが何度もある。これだけのアクションシーンの連続なのに、この2人が視線を合わせる場面だけ、動きが止まる。ラストシーンの前、まだマックスが上にいる時、一瞬だけフュリオサを見るマックス。その先にいるフュリオサは映らないんだけど、瞳の動きで、あ、今フュリオサ見たな、って分かるという芸の細かさ。群集の中のマックスを見つけるフュリオサ。フュリオサが気づいたことにうなずくマックス。それにうなずき返すフュリオサ。まさに、目で語り合う2人。ほんのわずかな会話の中でフュリオサが「過去を清算するため」と言った時、冒頭で「生者からも死者からも逃げている」と言っていたマックスは、羨ましく思ったのかもしれない。意識に浮上することはなくても、多分心のどこかでマックスもそうしたいと願いつつ、逃げ続けているのだから。それに真正面から向き合おうとするフュリオサを知って、手を貸そうとしたのかもしれない。フュリオサも、うなされて飛び起きたマックスを見て、この人にも悪夢に見るほどの過去があったんだ、と察したのかもしれない。ニュークスとケイパブルも、何回も目を見合わせている。「目を見れば分かるなんて」じゃないけど、荒廃した世界で言葉もロクに通じないかもしれない相手(運良く英語をしゃべる人たちだったけど)のことを知るには、やっぱり「目」であり、「行動」なのかもしれない。私たちだって、言葉をしゃべらない犬や猫の気持ち、分かるもん。いや、犬猫に例えるのはアレだけど、どっちにとっても(笑)。ニュークスとケイパブルが寄り添って星空を見上げるシーンとか、もう(涙)。ニュークスは知ってる単語が少ないから、それこそケイパブルは言葉じゃなくて寄り添うことで気持ちを伝えたんだろう。ほっぺにチューもね。そんなこと、ニュークスはしたこともされたこともなかったハズだから。嬉しい時はこうするんだよ、って教えてあげたのはケイパブル。にしても、ニュークスの体力、ハンパない。輸血が必要なほど半死状態だったのに、砂嵐の中でぶっ飛んでも、チェーンに引きずられて振り回されても、マックスに腹パン食らっても、ウォータンク走って追っかけて乗っちゃうんだもん。どんだけマックスの血、ハイオクなの(笑)。まーそして細マッチョで上半身裸ってね。砂嵐の後で意識失ってて、マックスに埋もれたニュークスカーから引っ張り出されるところの腹のぺたんこさ加減が大好物。パンツん中スルっと手ぇ入れたい(変態)。このニュークス、ヒュー・グラント主演の、『アバウト・ア・ボーイ』のあの男の子ですってよ奥さん!ニコラス・ホルトって俳優さん、まじ美青年だから!まぁこの映画では面影ないんですが。面影ないけど、マックスもヤツを可愛いと思ってたに違いない。ガソリンを口に含んで吹きかけていたニュークスが咳き込んじゃって、マックスが代わる、と言った時、頭をぽんぽん、というか、よしよし、ってしてるんだよね。相手を可愛らしいもの、と思ってなければそんな仕草、しないと思うんだ。同等の相手だと思っていたら、頭じゃなくて、肩や背中をぽん、とかね。ちょっと頭も言葉も足りなくて、でも一生懸命で純粋なところが、可愛かったに違いない。マックスが砦に戻ることを提案した時、ニュークスが口にする、「希望はある」という言葉。ジョーのためにデス・ロードで華々しく死んで英雄になることしか考えてなかったニュークスが抱いた、「生きる希望」。鉄馬の女たちの、黒髪長身のバルキリーのカッコいいこと。ライフルをぶっ放すシーンはもちろんのこと、砂漠の夜にマックスとフュリオサが会話をしている後ろにいる3人の立ち姿、たまらん!そのバルキリーと、フュリオサたちと最初に出会った時にバルキリーの傍に立っている老女の目が、そっくりなんだけど。ほんとの親子かと思った。キャストを調べたら名前も違ってたので、違うと思うけど。マックスと対等に戦ってきたフュリオサが、刺されて痛みを堪える目でマックスと視線が合う。それからのフュリオサは、手負いの獣が巨大な敵に牙を向くような異常な強さを見せる。アドレナリン全開で、最後の力を振り絞って。そんなフュリオサが、ついに危篤に陥った時。篭に入れられて熊手を顔に嵌められて逆さ吊りにされて血を抜かれてとんでもない大群に追われて、どんな状況でもどんな敵が現れても「自分のすべきこと」をハッキリと認識し迷わず行動してきたマックスなのに、その動揺っぷりときたら。「I'm so sorry」からの「I know, I know」の口調の優しいことときたら!意識を失っているフュリオサに自分の名前を言う時の、キョドっぷりときたら!誰にでも噛み付く獣のようなマックスだけど、荒廃する前の世界では、優しい人だったに違いない。それは、フュリオサや5人の妻たちやニュークスと出会ったからだ、なんてのは陳腐だけど、でも彼らの「生きる希望を捨てずに生きる」姿勢に、マックスの何かが変わったんだろう。この立川の後に、丸の内ピカデリーでも観ちゃってこれでV6!V8まであと2回!…行くな。きっと行くな。映画 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』 特集
2015.08.30
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』、V4、4回目観賞です。マッドマックスにマッドな人たちの間では、観賞回数を「V」で表すそうです。その中にはV25とかV30なんていうツワモノがゴロゴロいるらしいので、私のV4なんて、まだまだヴァルハラには程遠いです。ただ車がバーン!となってバーン!となってバーン!となるアクション映画の何にそんなにハマってるのか?分かりません。でももともと、ハマると徹底的にハマる性質では、あるかな。食べ物でも、1度ハマると毎日食べ続けたり。飽きると、まったく食べなくなるんだけど。SMAPはもう20年間ハマり続けてるけど、SMAPは呼吸だから。意識しないけど、息してる。時々深呼吸したり呼吸が速くなったり苦しくなったり息を呑んだりするけど、普段は意識しない。けど、止まると死んじゃう。その中でマッドマックスは久しぶりにハマりまくってます。以前こういう感じでハマったのは、『ブラックジャック』のアニメかな(爆)。それはさておき。4回見てたまらなくヒャッハー!となったところの覚書、というか、自分泣きポインツを。4回目なのに、泣きポインツ来るの分かってるのに、泣く。しかも回数追うごとに、泣き度が激しくなって来てるし。そんだけ入り込んできちゃってる、ってことですかね。ただ車がバーン!となってバーン!となってバーン!となるアクション映画じゃないんですよ。深いんです。表面的に、バーン!と…(以下略)な映画だからこそ、そのド派手なアクションの影で見落としそうになるちょっとした表情だったりやりとりだったりが、とても萌えるんです。その萌えどころ、そして勝手に解釈して感情移入しちゃってるポインツを。ニュークスがウォータンクに忍び込み、フュリオサが殺そうとするのを止める妻たち。妻たちはウォーボーイを憐れんでいるんだろうな、と。憐れんでいるだけではなく、母性も感じられるのだけれど、それはスプレンディッドのお腹が大きいから、というだけではない気がする。ウォーボーイも、自分たちと同じように、ジョーに利用されていることを知っているから。「どうせもうすぐ死ぬ」ことを知っているから。それはニュークス自身も知っていて。だからこそ、ただ死ぬのではなく、「フューリーロード」で、ジョーのために死にたいのだと、輸血が必要なほどぐったりとしていたニュークスが、生き返ったように意気揚々と車をかっ飛ばす。どんだけマックスの血はハイオクなの(笑)。フュリオサを守るため、車のドアから身を乗り出し、文字通り盾になるスプレンディッド。ジョーが撃てないのを分かっていて。撃たれてもいいと思っていたのかもしれない。そこまでしてまで、ジョーから逃れたかったのね(涙)。台詞も少なく、ほとんど喜怒哀楽を見せないマックスとは対照的に、子供のようにくるくると表情の変わるニュークス。ジョーにスプレーされた時のニュークスの、瞳キラッキラでうっとり恍惚とした表情が無垢すぎて(涙)。もうね、分かる。きっと私たちもそういう顔してる。SMAPに逢う時(笑)。やっとジョーに存在を認められ、声までかけられ命令まで託されたのに、取り返しのつかない大失敗をしでかしてしまったニュークスの絶望感たるや。あんなキラッキラな顔を見せられた後だからなおさら。それを救ってくれたケイパブル。ケイパブルの指が腫れ上がったニュークスの唇に触れた時、ニュークスの呼吸が穏やかに変わる。その戸惑いの表情が、たまらない。きっと、自分にそんな風に優しく触ってくれる人なんて、いなかったんだろう。ウォータンクを運転して「興奮したー!」とキャッキャしたり。マックスに、武器将軍から奪ってきたハンドルを差し出され、「俺に!?」みたいな表情とか。そこの、何も言わずにニュークスにハンドルを差し出すマックスも、男前。信頼したのかどうかは分からない。車の腕は確かだし、エンジンにも詳しいし、同行するにはもってこいだと思っただけかもしれないけれど、ウォータンクはお前に託す、ということだものね。チェーンを切ってくれたケイパブルのほっぺにチューしたり。砦で生まれてウォーボーイとして育ち、誰の愛も知らずに、ジョーの存在だけを唯一のものと信じて生きてきたニュークスに、初めて優しくしてくれたケイパブル。それは、それは恋、「恋というもの」なんだよ、ニュークス…(涙)。その感情を「恋」とも分からぬ淡い恋。そんなニュークスを心から信頼して、その腕の中で眠るケイパブル。一瞬の、穏やかなひととき。ジョーの偽の慈愛しか知らなかったニュークスが、初めて人に本当に慈しまれることを知って、それまでの狂信的でしかなかった瞳孔見開きっぱなし(笑)な表情が、自分の意思を持った強い眼差しに変わっていく。自分が英雄の館に招かれるためではなく、ケイパブルのために。死んでまた生き返る、ではなく、誰かのために為すべきことを決意したニュークス。ジョーにスプレーされた時の恍惚とした表情とは違う、強い意志を持った「Witness me!」に号泣。一番幼く、一人だけ砦に帰りたがっていたフラジールが、フュリオサを助けるためにリクタスに手を差し伸べる。命を懸けた戦いを経験した甘ったれちゃんが、男を利用するまでに強くなる。危機一髪のところで助かり、「こんなことで私が死ぬわけないじゃない」と言わんばかりの笑顔を見せるスプレンディッドの美しいこと。出会った時は殺しても構わないと自分が最初に撃ったのに、そんなスプレンディッドを見て、「でかした」とばかりに満足げにそっと親指を立てるマックス。その後の悲劇…。最愛のスプレンディッドを亡くして(しかも自分の車で轢いて)慟哭するジョー。赤ん坊を亡くし、低い声で子守唄を歌うジョー。妻たちのことは単なる子産み女としてしか見てなかった、と思いたくない。妻として、ジョーなりに愛していたと思う。その愛し方が、焼印を押したり監禁したりと、かなり間違った方向ではあったけれど。短躯の息子にも、オツムのちょっと弱いリクタスにも、良き「パパ」だったと思いたい。ウォーボーイズも使い捨てだったけれど、そうではない、お前たちの魂は俺と共にある!と本気で思っていたのかもしれない。コーマドーフだってジョーの子守唄で、あんなに気持ちよさそうに口を開けて寝てるんだもの。いやまぁ、実際使い捨てなんだけれども。それをそうとは思わせずに、ウォーボーイズに死を厭わぬほど自分を信じさせるのは、まったく心からそんなことこれっぽっちも思ってなかったら、できないんじゃないのか、と。最初は演じていたけれど、演じているうちに、本当に父のような存在になってきたんじゃないか、と。…なんで私はこんなにイモータン・ジョーを擁護してるんだ(笑)。でもそれはやっぱり偽りだったのかな。ジョーが全てだった、ジョーの「愛」しか知らなかった、ジョーの兵隊として死ぬことしか知らなかったニュークスが、自分たち以外の人たちと会い、ジョー的な「愛」とは違う絆や強さを知って、変わったのだから。同じ敵から逃げる。ただそれだけのために手を組んで戦ってきたけれど、次第にお互いの強さ、脆さ、抱えている闇を知る。拳を交われば全てが分かる、なんて、今時汗臭い漫画でもそんなのなさそうだけど(笑)、ひとつの敵に向かった時のお互いの動きの絶妙さが、たまらない。ま、映画だからね、そんなタイミング、いくらでも合わせられるけど(爆)。でも、そういうのがたまらなく好き。2人で背中合わせ銃とかね。ウォータンクの全ての銃を取り上げたほど警戒していたマックスが、運転しながら片手で銃を装填し、それをフュリオサに渡す。お互いを見ずに。ジョーが窓ガラスを割り、すかさずフュリオサが信号弾を敵に向けて撃つ。武器将軍を撃つためにライフルをフュリオサに渡し、肩を貸す。あれは、かなり信頼してないとできない行動。最初見た時は気づかなかったんだけど、最初の格闘でフュリオサが銃のマガジン外したのに、なんでマックスが撃ったら弾が?と思ったら、それを拾ったニュークスが差し出したマガジンに絶妙のタイミングで差し込んで装填してた。たまらん阿吽の呼吸。緑の大地などないと知って、慟哭するフュリオサ。7000日もの間、ただHOMEに帰ることだけを願って生きて来て、何度も脱走を試み、今度こそと妻たちまで連れてきたのに。フュリオサの声にならない叫びに、涙涙…。そんな中で、乳首男爵(じゃない)のカフスって、乳首仕様…?フュリオサがジョーに言った台詞、「Remember me?」は、どういう意味なんだろう?フュリオサは大隊長として認められてたのだから、覚えてるも何も、ジョーが彼女を知っていて当然だろうけど、そうじゃない私を覚えてる?私が何者か覚えてる?と問いたくなる何かが、過去にあったんだろうか。それとも、あんたが私にどんな酷いことをしたか覚えてる?という意味…?って、ニュークスやフュリオサのことばかりで、肝心の主役のマックスは?彼はね、喜怒哀楽も言葉も少なすぎて見落としがちだけど、彼も変化してます。気胸で瀕死のフュリオサを何とかして助けようと奮闘するマックス。最初は砂漠の真ん中に置き去りにしようとしてたのに、銃を全て取り上げるほど敵視していたのに。お互いの力を認めた、とか、そういう生ぬるいものではなくて。ましてや、男と女の感情、なんてものではさらさらなくて。ラストシーン、群集に紛れて去って行こうとするマックスに、「行かないで!行かないでマーックス!」と心の中でどれだけ叫んだか(滂沱)。見詰め合うフュリオサとマックスの心の中には、一体何が去来していたんだろう。きっとフュリオサは、マックスにいて欲しいと思っていたと思う。塩の海を渡る時も、「来るなら歓迎する」って言っていたし。でもフュリオサにも、どうしても目指さなければならないHOMEがあるのと同じように、マックスにもきっと何かがあるんだと、多分全くそういう会話は2人の間で交わされてないだろうけど、戦う者同士、分かり合うところがあったに違いない。マックスは、フュリオサや5人の妻たちやニュークスと関わることで確かに変わった。けれども、砦に留まることは選ばなかった。名前だけを残して。でもどのタイミングで、マックス下に降りたの?まぁそんなこんなで、マッドマックスどハマリ中です。あ、そうだ、今発売中の月刊TV誌で木村くんが新曲『Otherside』のPVがマッドマックス的な感じがあったってインタビュー、私が前の記事で書いた感想もあながち間違ってはなかったんだ(笑)。って木村くん、観たのかな?木村くんは好きそう。中居くんはあんまり好きじゃなさそう。吾郎ちゃんは意外に好きそう。剛は「なんか分かんないけどやっべー!超やっべー!」って言ってそう。慎吾はウォーボーイズ描いてそう。
2015.08.29
舞台挨拶はさすがに当たらなかったので、TOHO日本橋でのライブビューイング。2回目の13:15からの回で、入場するとスクリーンに『HERO』のロゴが。13:15に始まり木村さんが登場すると、ライブビューイングでもサワっと興奮のざわめきが。スクリーン越しでも、ほんとにカッコいい。しかもライブビューイングの方が、スクリーンサイズでのドアップで見られる、という。客席の後ろから登場し、通路を通ってステージへ。1回目はカメラとか取材陣がたくさんいたけど、2回目はいないのですごくリラックスしてる、と木村さん。「○○な人」を選ぶ企画では、「アドリブが一番多いのは?」は満場一致で、八嶋さん。うん、うんとうなずく木村さん。八嶋さんいわく、杉本哲太さんの「なーにー!」が映画にはないから、言うようにもっていった。10回ぐらいチャレンジしたけど使われたのは1回?映画でチェックしてください、とのこと。「1番マイペースな人」で全員一致の小日向さん。リハの5分の3は話を聞いていないと言われると、「だって木村くんがおしゃべりだからー」と人のせいに。スキャンダルとかあってもみんな分かってて聞かのに、景子ちゃんが「拓哉先輩、ハンパないです。直接聞いてきた」と木村。景子ちゃんは「拓哉先輩」と呼んでるのか。木村さんも「琵琶湖のそばにマンション持ってるの?」と聞かれたとか。コヒさんのモノマネをする木村さん、そこから松重さんのモノマネもできるんだよね、と八嶋さんに振られたものの、「見せるんじゃなくて、声なの!」と拒否るも、後ろを向いて声マネ。「今日似てない!セットじゃないし、こんな格好してるし!」と照れる木村さん。HEROには全然関係ない平泉さんのモノマネならできる!と言って始めたはいいけど止めてくれる人もいないから、見かねた八嶋さんが「もういい!ありがとう!」と抱きついて終了。「一番ドSな人は?」では全一致で木村さん。「自分で、『俺、ドSだから』って言ってたから、そうなんだーって」と北川景子ちゃん。「そうなんだー」って(笑)。自己申告かよ(笑)。しかもあなたはMだと中居さんが…。なんか全然吉田羊さんはしゃべってなかったような。そんな感じでわちゃわちゃと出演者の仲良しさが伝わってくる舞台挨拶でした。スクリーン越しだったけど、何よりも本人たちが公開を待っていた!っていうのが伝わってきた。しかし木村さんは、シャツもパンツも顔も(爆)黒で、劇場の闇に紛れてしまいそうだったよ。さて、そこからの映画感想は…ちょい辛口目で(爆)。もともと、『HERO』シリーズに思い入れがないというか、第1シーズンを見た記憶が、あんまりないんだよね。スペシャル版と前回の映画と第2シーズンは見てたけど、なんで記憶がないんだろう?と思ったら、あの時期だった。一番の木村凹期だった、このドラマ。なので、みんながザワつくほど映画の公開を待ち望んではなかったし、まぁ木村ファンとしてそれなりには楽しみにしてたけど、公開いつだっけ?程度。そしてもう一つ。ヒロインが、苦手なんだよね。初代事務官が。一番最初に木村さんとドラマで共演した時から、あんまり好きじゃなかった。まぁなんていうか…え、なにこの子?誰?あんまし可愛くもないし(失礼)。お芝居が上手とかじゃなくて、木村の相手はもっと美人さんじゃないと!っていうね、あの頃ね(何)。その点、北川景子ちゃんは美人さんで満足。だから、第2シーズンのドラマで前事務官の登場を待つ声が多かったみたいだけど、私は全然でした。ま、観た感想としては、正直言うと、映画である必要が?映画のスクリーンだと大きすぎて、2人が向き合うシーンも、遠いよ!(笑)松たか子のお腹を隠してるのが、どうにも不自然で。もういっそ、妊婦の役でよかったんじゃ?なのにまだ微妙な関係で引っ張るんだ。久利生は人の気持ちには鈍感ではないはず、いやむしろ人の感情に寄り添う人だと思うんだけど、なぜ雨宮の気持ちには気づかない?気づいてるけど、気づいてないフリ?それともほんとに女性の気持ちには疎いの?いや、それはないな。そこもなんか、不自然。大使館がうんぬん、治外法権がうんぬんと大きく広げすぎて、久利生の担当事件はそもそも何だったっけ?みたいな。女性を車で轢いた男性の取調べだったよね?彼女がなんで飛び出して来たのか、っていう。海外ロケまで行く必要が?まぁ、2回目はないかな。TV待ちで十分。TOHO日本橋のプレミアムボックスシートで観たんだけど、快適すぎてまるで家で見てるかのようにリラックスしすぎて、時々早送りしたくなった(爆)。プレミアムボックスシート、シートは広々ゆったりだし、荷物置きスペースもあるし、仕切り板があるから隣を気にせず映画に集中できるけど、ただ一つ欠点は、その仕切り板のせいで映画の音がダイレクトに伝わってこないこと。静かなヒューマンドラマなら存分に泣けていいと思うけど、スクリーンサイズで観るべき迫力を求める映画には、向かないかな。
2015.07.19
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』石油も水も尽きかけた世界。元警官のマックス(トム・ハーディ)は、愛する者を奪われ、本能だけで生き長らえていた。資源を独占し、恐怖と暴力で民衆を支配するジョーの軍団に捕えられた彼は、イモータン・ジョーに囚われた女たち“ワイブズ”を率いて反逆を企てるフュリオサ(シャーリーズ・セロン)、全身白塗りの男ニュークス(ニコラス・ホルト)と共に、自由への逃走を開始。凄まじい追跡、炸裂するバトル。絶体絶命のピンチを迎えた時、マックスと仲間たちの決死の反撃が始まる!2回目の映画館観賞です。私の中では、非常に珍しいこと。剛の『任侠ヘルパー』以来かも。いや、『ATARU THE FIRST LOVE & THE LAST KILL』も複数回観たか。でもアレは、ファンとしてのアレだから(何)。とにかく。2回目も大興奮!そして2回観ても、よく分からないディテールに惹かれる。そう、それはまるで何度行っても毎回新しい発見があるディズニーランドのよう!(違)1回目はとりあえずド派手なカーアクションに興奮したけど、音楽もね、たまらないね。一人だけ赤い服を着た盲目の「炎のギターリスト」ってのがいて、それが改造巨大アンプ車に繋がれて火を噴くギターをギャンギャン演奏しまくるんだけど、砂塵のど真ん中を突っ切る追撃車の群れの先頭切って走ってるわけよ。いやもうその状況じゃぁ演奏するのムリでしょ、って場面でもギター弾いてる、っていうね。それがウォーボーイズのみならず、観ている人たちもかき立てる。MADなギターと腹に響くドラムのものすごいパンクな音が上から横から後ろから降ってきて、アドレナリン出まくり。これぞ映画館で観る醍醐味。ていうか、爆音出して群れて暴走って、まるっきり暴走族だよね(爆)。砂漠のど真ん中だから、まぁ。囚われてる今という状況から逃げたしたフュリオサと5人の妻たちと、過去に囚われて逃げ出すことも避けているマックス。彼らが出会った時に、想像を絶する必死の逃走劇と、想像を超えた命がけのバトル。フュリオサたちが目指す「緑の大地」とは。そしてそこにある悲しい現実とは。向き合わなければならない本当の「故郷」とは。というストーリーは、ちゃんとあります。もちろんストーリーはちゃんとありますけど、そこじゃない(何)。もうとにかく、バーン!ってなってバーン!ってなってバーン!ってなるとこがもう(何)。いやでも、マックスが自分の名を名乗るシーンは涙したな。名前を教えるくらいなんてことない行為だけど、名前を教えてしまった以上、その名前を伴った過去はずっと思い出に生きる、ってことだから。過去に囚われてるマックスは、他人の過去に生きることも、苦痛なんだろう。ニュークスが人の本当の愛を知り、「俺を見ろ!」ってシーンも、涙した。イモータン・ジョーの愛情は、本当の愛ではなかったんだ、って気づいたからこそ、反旗を翻し、5人の妻たちのために身を挺して守ろうとした。英雄たちの館に迎え入れられないとしても。でも1回目観た時も思ったけど、きっと多分、イモータン・ジョーは悪いだけの人じゃない気がする。月早く生まれて死んでしまった息子を悼み嘆き悲しんで、子守唄を歌うシーン。あのギターリストも、すやすや眠ってるわけよ。ギターにぶら下がって。やっぱり彼らウォーボーイズにとっては、慕うべき偉大なる父であったんだな、と。5人の妻たちも、色んなタイプの女を選り取りみどり。金髪、赤毛、ブラック系、アジア系っぽいの、大人っぽいの、幼いのと。それだけ選べる余力が、まだあるんだこの世界には。あの搾乳婆とか鉄馬婆みたいなのばかりじゃないんだね。それだけイモータン・ジョーには力がありますよ、というパフォーマンスでもあるだろうけど。こんな映画(失礼)でまさか涙するとは思わなかったけど、思っていた以上に深い映画だった。マックスが、フリュオサたちと一緒に行かず、群集に紛れ消えていくシーンとか。観終わった後も音と映像に頭も体も占められて、冷静にストーリーを後追いする余裕なんてなかったけど。とにかく「ひゃーっ!すげーっ!マジMAD MAX!」としか(笑)。ていうか、武器将軍とか人食い男爵のインパクトもすごすぎて。武器将軍が目をやられて、ヴェルディの『レクイエム 怒りの日』に乗せて両手のマシンガンぶっ放すシーンとかもうマッチしすぎて鳥肌。そして日本版エンディングソングの、MAN WITH A MISSION × Zebrahead『OUT OF CONTROL』も、ものすごくこの世界観にマッチしてるのよ。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』バージョン。犬(じゃない)とシマウマバージョンはコチラ。万人にお勧めできる映画ではないけれど、これを観て同じような感想の人と、語りたい。あそこがあーだこーだ、ほんと心ゆくまで語りあいたい。残念ながら私の周りには、コレ観た人、いないんだよなー。結構勧めたのに(笑)。
2015.07.16
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』石油も水も尽きかけた世界。元警官のマックス(トム・ハーディ)は、愛する者を奪われ、本能だけで生き長らえていた。資源を独占し、恐怖と暴力で民衆を支配するジョーの軍団に捕えられた彼は、イモータン・ジョーに囚われた女たち“ワイブズ”を率いて反逆を企てるフュリオサ(シャーリーズ・セロン)、全身白塗りの男ニュークス(ニコラス・ホルト)と共に、自由への逃走を開始。凄まじい追跡、炸裂するバトル。絶体絶命のピンチを迎えた時、マックスと仲間たちの決死の反撃が始まる!いやぁ超絶最高面白かった!なんだろ、あのMADっぷりは!頭おかしすぎる!でも、こういうのほんと大好き!とんでもない改造車たちがバーン!ってなってバーン!ってなってバーン!っていう映画なんだけど(何)、ディテールがものすごく気になるものばかり。イモータン・ジョーの身体に粉吹きかけてるシーンとか。搾乳シーンとか。ウォーボーイズって何者なの?どうやって生まれたの?とか。ジョーの息子は一体何人居るの?とか。嫁たちは若くて可愛い子たちばかりだけど、そんな人間がまだ残ってるの?どこから連れて来られたの?彼女たちのすごい貞操帯、よく見てみたい。でもなんだかんだ言って、ジョーは嫁たちを大事にしてたよね。たとえそれが自分の後継者を産ませるためだとしても。どこに行っても毒と砂しかない世界ならば、囚われの身であっても、緑と水が豊富にある場所にいられるってことは、幸せなことなんじゃ?と思えないほど、ひどい虐待でも受けてたのかな。まぁ顔や身体に無数の焼印が押してあるってことは、過酷な外の世界の方がいい、と思うほど辛かったんだろう。意外に息子たちへの待遇も、いいしね、ジョー。ウォーボーイたちも、「ジョーのために!」って、そりゃもちろん洗脳されてたんだろうけど。それだけのカリスマ性がある、ってことだもの。というか嫁たちの衣装、ヒラヒラしすぎじゃね?あれじゃぁタイヤに巻きついちゃうよ。強いけどな、嫁たち。あのポールの先にぶら下がって攻撃仕掛けてくるヤツとか、どうなってるの?ヤマアラシのトゲトゲは何が刺さってるの?フュリオサの仲間の婆たちは何者?なんでそんなに強いの?とかね。もう、監督、クリエイターたちが好き勝手に作ってみました、みたいな造形がたまらん。車にしろ衣装にしろ変な人間たちにしろ。搾乳婆たちが抱えてるものも詳しく見てみたいし。炎のギターリストの顔も、じっくり見てみたいし。まぁ前作を見てなくて、ちょろちょろっとyoutubeとかで見てみたその程度で語るな、ですけど、今作の世界観の方が、好きかな。もう、まったく人間が生きてる気配のしない世界。本当に最高MAXアドレナリン大放出。叫んでもないし踊ってもないのに、アドレナリンがドバー!っと出てくるのを感じるくらい。万人にお勧めできる映画ではないけれど、私の中ではコトイチです。
2015.07.10
『ベイマックス』 BIG HERO 6技術分野最先端の頭脳が集まる都市サンフランソーキョーに住む14歳の少年ヒロは、たった一人の身内である兄タダシを謎の事故で失う。心を閉ざし悲しみに暮れるヒロの前に、突如ベイマックスというロボットが現れる。空気で大きくふくらみゆったりと動くベイマックスは、タダシが開発した、人の身や心の健康を守るケア・ロボットだった。ベイマックスの優しさに触れ、次第にヒロの孤独な心は癒され元気を取り戻していく。そんな中ヒロは、タダシの死に疑問を持ち調べていくうちに、恐るべき陰謀に気付く。ヒロはこれに立ち向かおうとするが、唯一の味方であるベイマックスはケア・ロボットであるため戦う意欲すらない。実はベイマックスは、タダシからある使命を託されていた。あなたの心と体を守ります。癒されました。抱きしめたくなるふわふわマシュマロに、抱きしめられたい。ヒーター内蔵のあったかマシュマロに、後ろからぎゅーっと。座椅子にしてもいいな(笑)。一見愚鈍なマシュマロロボット、ベイマックス。戦うためではなく、人の心と体を守るためにヒロの兄が開発したのだから、戦えなくて当然なんだけど、その愚鈍さが、兄を亡くしたヒロを苛立たせる。ヒロの苛立った心を癒すために、ベイマックスは彼なりに、最善を尽くそうとするも、空回りばかり。そんなベイマックスのプログラムを書き換えて、戦闘ロボへと変身させるヒロ。そこは、心のないロボットの悲しさ。無慈悲に敵をやっつけるだけのロボットになってしまう。心のない、プログラムひとつで変わってしまうロボット。だけど、ヒロを守りたい一心のベイマックスの優しさは、亡くなったヒロの兄、タダシのヒロへの愛。真の悪者は、パッと見いかにも悪者ではない人、味方だと思っていた人、というお約束。が、分かりやすくてよい。サンフランソーキョーの町並みも、未来的であり、どこか懐かしくもあり。近代的な高層ビルが屹立している一方で、赤提灯が揺れている裏路地があったり。ごった煮感が、むしろ現実的な近未来感。ロボットであるからこそプログラムに忠実であり任務に真剣なベイマックスが、心ならずも引き起こす笑いも、ヒロとベイマックスの漫才のようで、嫌いじゃない。日本の予告CMはあまりにも本国のと違いすぎる、内容と違いすぎる、そんなにふんわりしたストーリーじゃない、との評判を耳にしていたけれど、日本の予告も、あながち間違ってはいない。戦闘シーンがあるからこそ、ベイマックスの「心」、すなわちタダシの「気持ち」が伝わる。ヒロに伝わったように。同時上映短編の、『愛犬とごちそう』で、すでに号泣してしまったけれど(笑)。犬好きにはたまらない、これ。そして、犬の居ない犬好きは、犬が欲しくてたまらなくなる。オリジナル・サウンドトラック↑パウダービーズのぬいぐるみだって!絶対気持ちいいに決まってる!
2015.01.14
『美女と野獣』 LA BELLE ET LA BETEバラを盗み、命を差し出せと言われた父の身代わりに、野獣(ヴァンサン・カッセル)の城に囚われた美しい娘ベル(レア・セドゥ)。死を覚悟するも、野獣はディナーを共にすること以外、何も強要しない。やがてベルは、野獣の恐ろしい姿の下にある、もう一つの姿に気付き始める。かつてその城で何があったのか、野獣が犯した罪とは?今、真実の愛が、隠された秘密を解き明かしていく。ディズニーアニメ、『美女と野獣』とはまた趣の違った、いかにも人間臭さ溢れる物語。人間とは、ただ美しく家族思いで他人思いの優しいだけでは生きてはいけないし、恋愛も、ファンタジックなだけでは始まらないし、終わらない。そこには色んな駆け引きがあって。美しいヒロインのベルも、当然駆け引き込みで、野獣の城へと乗り込む。野獣が野獣となってしまったのも、魔法使いの一夜の宿を断ったから、などという、「なぜそれくらいで?」という曖昧(爆)なものではなく、もっと人間臭くて苦悩に満ち、そうなるしかなかっただろう、と思うに十分の理由。もちろんこれもハッピーエンドなのだけれど、2人は末永く幸せにお城で暮らしました、とはまた違った、普通の人間サイズのハッピーエンド。どこまでも、普通。だからこそ、より大人向けの、実感を伴った、野獣にもベルにも父にもベルの兄弟たちにも感情を十分に移入することができる、真実の『美女と野獣』。
2015.01.09
ものすごいヒットを飛ばしているらしい、『アナと雪の女王』。まだ観てないんだけど。観るけど、絶対。その観る前に動画を漁って見つけた、『Let It Go』の25カ国バージョン。すごいわー。どの国の言葉も、いいわー。そして松たか子、いいとこ持ってってるわー。とか感動しつつ、全部同じ人が歌ってると思ったら。そりゃそうだよね。いくらディズニーでも、25ヶ国語をこんなに流暢に歌える人は、いないよね。日本語部分は松たか子だってね。にしても、よくまぁこんなにも声の似てる人たちがいたもんだ。これ、欲しいな↓(爆)
2014.04.16
東海岸の古い漁港グロースター。不漁続きで悩む漁師ビリー(ジョージ・クルーニー)は、カジキマグロを追って大西洋の東側へ出航。しかしその帰路には、前代未聞の大嵐が待ち構えていた。某国の船舶沈没事故のほんの少し前にTVで見たんだけど。船長さんは、一番下っぱの船員と一緒に脱出する風を装いながら、彼が船外に出たのを見届けて、船内に戻っていきました。船長さんなら、そうあるべきだよね。結局その下っ端の彼も、助からなかったんだけど。これ、映画館で見た記憶があるんだけど、これをアトラクションにしたら楽しいだろうなぁ、と思った覚えが。そして船長さんがジョージ・クルーニーで、下っ端船乗りがマーク・ウォルバーグだったなんて。その時まったく気づかなかった。男たちは、上を上を目指して、夢を追いかける。行く手に大きな困難が待ち受けていると分かっていても、きっと切り抜けられると自分の運を信じて。そこを抜けなければ今のままと変わらないと、痛いほど分かっているからこそ、突っ込んでいく。海や嵐との戦いではなく、自分自身との戦い。それはただの夢じゃなくて、もちろん生活もかかってるものであり。自分自身の生活、自分自身の人生、そして自分を信じてついてきた男たちの、人生をも背負って。そんな男たちを待つ女たちも、強く逞しく、そして優しくて。だけども、あんな大きな嵐にぶつかると分かっていたなら、避けるべき手立てがあったろうに。と、残された身になったらたまらん。それが海の男の生き様だ!と言われようとも分かっていようとも、やっぱり戻ってきて欲しい。それにしても溺死って、苦しそう。ギリギリまで息止めて頑張っちゃいそうだもん。どこで諦めるかが自分の意思でなんて、そんなのムリ。
2014.03.19
北極海から南極海、サンゴ礁に彩られる美しい海に、冷たい氷で覆われた海など、世界各地の海にいる生物たち。猛スピードで泳ぎ、ジャンプするイルカ。ゆっくりと海の底へと沈んでいくマンタ。光のない大気圧1,100倍の海底であっても、そこで生きる命は存在している。慎吾のミュージカルではない方の、「オーシャンズ」。海はダイナミック。海で生きるものたちも、ダイナミック。食べられるものと食べるもの。どちらも、文字通り命がけ。食べられ続ける方は、食べられ続けても、消してその種はなくならない不思議。そこに、人間の手が入るまでは。1日300キロほどの餌を食べるクジラが何千頭もいても、その餌のいなくならない海の大きさ。流線型であったり色鮮やかであったり奇抜な形をしていたり。彼らは私たち人間の目を楽しませるためではなく、自身の命を守るため、餌を得るため、厳しい海の中で生きていくために、そうあるべく進化した生き物たち。その生き物たちを、私たちは遠くから静かにそっと見守るべきで、手を出すべきではない。この美しい生き物たちの雄大な姿を、これからもずっと見られるように。
2014.03.12
無法者の一団に、貢ぎ物を強要されている寒村があった。村人は少ない金を出し合い、無法者たちを撃退するガンマンを雇おうと決意する。そして、村人の願いを受け、凄腕の七人の男たちが集まった。西部劇って、馬がカッコいいのよね。この時代、こんなにスタイリッシュな、サラブレッドみたいな馬に、カウボーイたちが実際に乗ってたかは、知らないけど。でも映画の中の馬たちは、本当に綺麗。そして、男たちも。なんでこんなにカッコいいんだろう。実際には、泥臭くて汗臭いハズなのに。ジーンズもブーツもカウボーイハットも、ものすごくスタイリッシュ。たとえそれが、埃まみれ汗まみれでも。無口で強くて情に厚くて。今時いない男だと言ってしまえばそれまでだけど、それだけじゃない。危機一髪の状況に陥っても、眉一つ動かさず、まったく動じない。それは、自分に自信があるから。自分の腕に、自信があるから。自分の信念に、自信があるから。この七人の男たち、無職だったり文無しだったり女に愛想を尽かされたりと、普通だったらどうしようもないダメ男たちばかりなのに。弱気を助け、強きをくじく。もちろん、そんな簡単なことじゃないけど。簡単なことじゃないからこそ、人はそんな男たちに、そんな映画に、惹かれるんだろう。
2014.03.05
指定暴力団「隼会」を抜け、堅気となった元極道者・翼彦一(草なぎ剛)は、コンビニで働きながら細々と暮らしていた。ある日、強盗に入った元極道の老人・蔦井雄三(堺正章)を見逃したことから、刑務所送りになった彼は、獄中で蔦井と再会。元極道であることの生きづらさを感じていた彦一は、出所後、蔦井のツテを頼って「極鵬会」組長・朝比奈(宇崎竜童)を訪ね、そこで再び裏の仕事に手を染め始める。それは、老人相手の闇金と、破産した老人たちを「うみねこの家」という、老人介護施設に入れ、生活保護や年金をせしめることだった。なんの設備もなく、悪臭漂う最悪の環境の中で生活する老人たちを見ながら、淡々と仕事をこなしていた彦一だったが、次第に老人を食い物にする状況に、苛立ちが募るようになっていく。そして遂に彦一は「うみねこの家」の立て直しを決意。だが、貧困ビジネスを目の敵にする市議会議員・八代照生(香川照之)と、老人を金づるとしか思わず、施設の改善など意に介さない極鵬会が、彦一の前に立ちはだかるのだった。2回目、観てきました。同じ映画を映画館で2度観るのは、初体験かもしれない。それぐらい、また観たかった映画。2回目も、冒頭の警官から逃げるシーンから、すでにうるうる。もうそこに、彦一という男の生き様の全てが、現されてるような気がして。すっごく切なくなる。うみねこの家から逃げ出そうとしたおじいさんを、後で家を探しに行こう、となだめる彦一の笑顔。そこだけ、そのシーンだけ、本当の優しい笑顔で。彦一をお父ちゃんだと思い込んでる葉子の母に手を振るシーンの笑顔も、印象的だけど、それはぎこちない笑顔で、それがまた哀しくて。その笑顔もまた、すごいんだけど。あんな表情、どうやったらできるんだろう?彦一というより、草なぎ剛という人物の今までに、思いを馳せてしまうほど。施設に預けた母を無理やり葉子が連れ帰るシーンで子供が駆け寄ってきた時、頭をなでるのかと思いきやそうではなく、頭を上げ、顔を見る。そして、抱きしめるでもなく、ただ立って、泣かせてやる。子供に対しても老人に対しても、突き放すでもなく甘やかせるでもなく、ただまっすぐな彦一。不器用なのか、器用なのか。家に帰りたい、ここは家じゃないから、と逃げ出そうとしていたおじいさんが、燃えてしまったうみねこの家の焼け跡に戻ってきて、歌を歌っている。彦一や、茜や成次と一緒に過ごした生活が、短かったかもしれないけれど、そこを「家」だと認知させたんだろう。そういえば茜とのカラミシーン。あそこまで濃厚なシーンの剛を見たのは、初めてかも?そこもまた、彦一の不器用さが現れてるんだけど。最初の茜とのシーンも、乱暴なんだけど、決して茜には手を上げない。そこが、あんなにキレて殴りまくるアニキとのギャップがより一層強くて。弱気を助け、強きを挫く。そう生きたいけれど、実際にはそう生きることが叶わない男の怒りが、静かに、だけどいつも常に燃えていて。ラストシーン。冒頭と同じように警官から逃げる彦一だけど、冒頭とは違い、笑って立ち止まる彦一。そこに、彦一の中の何かの変化が、見えた気がする。次出てきた時には、何か変わってるだろうか?次のアニキが、また見たい。まだ色々、小さいけれど、グっとくるツボが満載すぎて。また観たい。オリジナル・サウンドトラック『任侠ヘルパー』 DVD-BOXランキング励みになります♪↓ ↓
2012.11.28
指定暴力団「隼会」を抜け、堅気となった元極道者・翼彦一(草なぎ剛)は、コンビニで働きながら細々と暮らしていた。ある日、強盗に入った元極道の老人・蔦井雄三(堺正章)を見逃したことから、刑務所送りになった彼は、獄中で蔦井と再会。元極道であることの生きづらさを感じていた彦一は、出所後、蔦井のツテを頼って「極鵬会」組長・朝比奈(宇崎竜童)を訪ね、そこで再び裏の仕事に手を染め始める。それは、老人相手の闇金と、破産した老人たちを「うみねこの家」という、老人介護施設に入れ、生活保護や年金をせしめることだった。なんの設備もなく、悪臭漂う最悪の環境の中で生活する老人たちを見ながら、淡々と仕事をこなしていた彦一だったが、次第に老人を食い物にする状況に、苛立ちが募るようになっていく。そして遂に彦一は「うみねこの家」の立て直しを決意。だが、貧困ビジネスを目の敵にする市議会議員・八代照生(香川照之)と、老人を金づるとしか思わず、施設の改善など意に介さない極鵬会が、彦一の前に立ちはだかるのだった。やっと公開されて、観て来ました。ライブ前の映像や、番宣や、スポット映像でアニキの姿は、何度も目にしていたけれど。スクリーンで観たアニキは、剛なんかじゃなかった。SMAPの草なぎ剛なんて、どこにもいなかった。彦一がコンビニ強盗を見逃して、警察に追われ走り逃げる冒頭のシーン。そこからもう、なぜだか涙でスクリーンが滲んで。せっかくのやっとのアニキなのに、なぜかもうすでに涙が。それからはもう終始、うるうるっしっぱなし。アニキの姿が、切なくて哀しくて。極道として生きざるを得ない男の哀しみ。全てを搾り取られ生きる屍となってまでも搾り取られる老人たちを見ての、ぶつけどころのない憤り。介護に苦しむ家族の姿を目の当たりにしての、行きようのない怒り。それを、あんなに仕草や表情で、表現することができるなんて。よく知ってるはずの草なぎ剛は、どこにもいなかった。怖くて切なくて哀しくて優しくてカッコいいアニキに、惚れた。映画が好きで、好きだからこそ同じ映画を2回3回って観ることって、あんまりないんだけど。その分、他の映画を数多く観たいと思っちゃうから。でもこれは、また観たいと思った。また、観る。オリジナル・サウンドトラック『任侠ヘルパー』 DVD-BOXランキング励みになります♪↓ ↓
2012.11.21
『シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語』ふらり田舎町に辿り着いた足取りの重いミア(エリカ・リンツ)は、ピエロに渡されたチラシに導かれ、サーカスが行われるテントへと向かう。やがて空中ブランコを行う寸前の一人の青年(イゴール・ザリポフ)が、チラシに載っていた人物であることに気付き、ミアは彼をじっと見つめる。空中ブランコの青年も見つめ返し、二人が互いに目を離さずにいると、青年はブランコを握り損ねて落下してしまう。驚いたミアは助けようと駆け寄るが、青年は地面に飲み込まれるように姿を消し、追うミアも消えてしまう。やがて彼女は、見たことのない不思議な世界で目を覚まし、その異世界をさまよい歩きながら、消えた運命の青年を探し求めるのだった。シルク好きだから楽しめたけど、シルクに興味のない人には、どうかな…?いや、私はほんとに楽しかったんだけど、好きだから。でも好きだからこそあのシルクのすごさ、というのは、やっぱり生で、ライブで見た方が断然にすごいから、逆に映画だと、たとえそれが3Dとはいえ、魅力半減かな、と。でもそれでも、生のライブでは見られない細かい部分の演技や、見たことのない視点からの映像が、迫力満点ですごかった。また、来ないかなぁ。シルク・ドゥ・ソレイユ 公式サイト映画館のイルミネーション。入口のツリーは、フランケンウィニー仕様。小さなツリーひとつひとつに、スパーキーが。ちょっとボケちゃったけど。ランキング励みになります♪↓ ↓
2012.11.14
ひとりは、スラム街出身で無職の黒人青年ドリス(オマール・シー)。もうひとりは、パリの豪邸に住む大富豪フィリップ(フランソワ・クリュゼ)。何もかもが正反対のふたりが、首から下が麻痺しているフィリップの、介護者選びの面接で出会った。他人の同情にウンザリしていたフィリップは、不採用の証明書でもらえる、失業手当が目当てというフザケたドリスを採用。その日から相入れないふたつの世界の衝突が始まった。クラシックとソウル、高級スーツとスウェット、文学的な会話と下ネタ…。だが、ふたりとも偽善を憎み本音で生きる姿勢は同じだった。互いを受け入れ始めたふたりの毎日は、ワクワクする冒険に変わり、ユーモアに富んだ最強の友情が生まれていく。実話に基づいたお涙頂戴映画かと思いきや。なんともフランス映画らしい、ウィットと笑いに富んだ映画。フランス映画らしい、というほど、フランス映画を見てないけれど。この映画を観る数日前、日本のサッカーのゴールキーパーの写真を加工して、フランスの人気テレビキャスターが原発事故のことに言及したことについて、物議をかもしたけれど。この国ならそんなジョーク(?)もさもありなん、と、これを見て思った。チョコレートのお菓子を食べているドリスが、自分にもくれ、というフィリップに、「これは健常者用のお菓子さ!」と、気の利いたジョークだ!と言わんばかりに、大笑いしながら何度も繰り返すシーン。フィリップはもちろんムっとしてるけれど、特別怒っている風でもなく。ドリスの出自の低さを現しているシーンなのかもしれないけれど、これがもし日本映画だったら、こんな台詞はとてもダメないんじゃないか、と。なんていう文化的違いも感じつつ。そんなあけすけなドリスだからこそ、フィリップは雇ったのかもしれない。車椅子の自分を見た誰もに、「可哀想」と同情され続け、文字通り腫れ物に触るような言動に、辟易していただろうから。スラム出身の黒人青年と、大富豪の身障者。あまりに違う人生を歩んできた2人。端から介護の仕事をしようなんて思ってもいなかったドリスは、「身障者だから」という特別な意識なんか、これっぽっちも持ってない。「だから何ができないってんだ?」とばかりに、自分のペースで連れまわす。周りに気を使われ、自分も気を使われることに慣れてしまっているフィリップは、思うようにいかず不満があっても、ドリスに身を任せるしかない。ドリスも偉いよ。なんだかんだ言いながらも、シモの世話までちゃんとするんだから。フィリップが苦しんでいる時には、一晩中付き合ってあげるんだから。そんな、多少乱暴ながらも根は優しいドリスに振り回されながらも、今まで味わったことのないリズムに巻き込まれていくフィリップ。ドリスにとっての「試用期間」は、フィリップにとっても、試用期間だったのかもしれない。身障者と介護者、ではなく、人と人、男と男としての友情。それはフィリップが求めていたものであり、ドリスが求めていたものでもあり。「介護をする」ということばかりに気がいきがちになって、その人が本当は何を望んでいるのかまで、思い至らなかったり。介護される方も、自分の気持ちを抑えてしまったり。そんな、ともすると重たくなりがちなテーマに偏ることなく頼ることなく、人と人が共に生きる時に、何が大切か。こういう友に1人でも出会えたら最強に幸せだろうな、と思った映画でした。オリジナル・サウンドトラックランキング励みになります♪↓ ↓
2012.10.31
『E.T.』アメリカ杉の森に球形の宇宙船が着地し、中から小さな宇宙人が出てきた。彼らは地球の植物を観察し、サンプルを採集する。1人だけ宇宙船から遠く離れた宇宙人が、崖の上から光の海を見て驚く。それは郊外の住宅地の灯だった。突然、物音がした。宇宙船の着陸を知った人間たちが、宇宙船に向かってきたのだ。宇宙船は危険を察知して離陸する。先ほどの宇宙人は、ひとり地上にとり残された。その頃、住宅地の1軒では、少年たちがカード遊びをしていた。10歳のエリオット(ヘンリー・卜ーマス)は、小さいという理由から、兄マイケル(ロバート・マクノートン)らの仲間にいれてもらえない。ピザの出前を受け取りに外へ出たエリオットは、物置小屋で音がしたと、みんなを呼びよせた。しかし、中には誰もいない。深夜、エリオットはトウモロコシ畑で宇宙人を目撃。翌日の夕食時、エリオットは宇宙人を見たことを話すが、誰も信じない。エリオットがポーチで見張っていると、宇宙人が彼の前に姿を現わす。エリオットは宇宙人を部屋に隠した。翌日、エリオットは仮病をつかって学校を休み、宇宙人との接触を試みた。そして帰宅した兄、妹ガーティ(ドリュー・バリモア)に紹介する。宇宙人は太陽系を遠く離れた星からやって来たことを、超能力でボールを宙に浮上させて説明した。学校で授業をうけるエリオットと家にいるE・Tとの間に心が通いあい、E・Tが冷蔵庫からビールを取り出して飲むと、学校のエリオットも酔っぱらう。E・TはTVを見ながら英語を覚え、家に電話したいといい出し、ノコギリや傘を使って通信器を作る。ハロウィーンの夜、子供たちはE・Tに白い布をかぶせて森に連れ出し、E・Tは故郷の星に連絡をとる。翌朝、E・Tは瀕死の状態となり、エリオットが彼を家に運ぶ。E・Tを始めて見て、驚くメリー。突然、宇宙服を着た科学者たちが家にやって来た。NASAの科学者キース(ピーター・コヨーテ)がエリオットに、「私も10歳の時からE・Tを待っていた」と話しかける。E・Tは死んでしまい、最後のお別れをエリオットがしていると、E・Tの胸が赤くなる。彼は死んでいなかったのだ。エリオットは兄妹、兄の友人グレッグ、スティーブ、タイラーの協力を得て、E・Tを森に運ぶ。久しぶりに見ました。というか、これをリアルタイムで映画館で観た私(笑)。何度もTVではやってたけど、映画館で観て、やっぱりいいなぁ、と。宇宙人が出てくる映画はたくさんあるけど、これほど夢の溢れた、SF映画ってない気がする。満月をバックに、自転車に乗って飛ぶシーン。あれは、名シーン中の名シーン。あのシルエットを見るだけで、「E.T.だ」って分かる。そしてまた音楽が、いい。珠玉の名曲の1つ。一番好きなシーンは、しおれてた花がよみがえって来て、お兄ちゃんが頭を天井にぶつけちゃうとこ。妹のドリュー・バリモアも、可愛いことこの上ない。名画はいつ観ても、いくつになって観ても、いいモンだね。オリジナル・サウンドトラックランキング励みになります♪↓ ↓
2012.04.07
『ファミリー・ツリー』ハワイ・オアフ島。弁護士のマット(ジョージ・クルーニー)は、美しい妻と二人の娘たちを持ち、仕事に粉骨砕身してきて、一見順風満帆な人生を送ってきた。ある日、妻エリザベスがボート事故に遭い、意識不明の重体となる。10歳の次女スコッティ(アマラ・ミラー)はショックから情緒不安定になり、様々な問題を引き起こす。次女の反抗に、これまで家庭を顧みなかったマットは手を焼いていた。さらに、マットはカウアイ島にある先祖代々受け継がれてきた広大な土地を、売却するかどうかという問題を抱えていた。売却すれば自然は失われるものの一族に巨額の資金が入り、妻に楽をさせてあげられる。しかしエリザベスは一向に回復せず先行きが見えない。そんな中、全寮制の学校へ通う長女アレックス(シャイリーン・ウッドリー)の迎えに行ったマットがエリザベスの病状を伝えると、母に対して許せぬ思いのあるアレックスは動揺と相まって、エリザベスが浮気をしていたことを告げてしまう。動転したマットは、親友夫妻を詰問。すると、エリザベスは真剣に離婚を考えていたことを知る。マットは怒り震えながらも、エリザベスのために浮気相手のスピアーに、事故のことや現状について直接伝えようと思い立つ。娘2人とアレックスの男友達とともに、スピアーのいるカウアイ島へ向かうマット。先祖代々の土地の売却を前に、これで見納めになるかもしれないと、キプ・ランチへ彼女らを連れていく。そこは、雄大で神秘的な光景が広がる原野だった。翌日、スピアーに妻の事故を伝えに行くマット。そして、カウアイ島の自然に触れ家族への愛やつながりを感じた彼は、土地の売却を巡る一族の会議を前に、とある決心をする。ハワイって、いいなぁ。ハワイに住んでる人たちって、呑気だろうなぁ。なんて、そんな呑気なハワイに暮らす人々も、色んな問題を抱えていて。自分は幸せな家庭を気づいている、よき夫、よき父を果たしている。と思っているのは、男だけで。女たちは、それぞれに秘密を抱えていたけど、知らぬは男ばかり。母なる大地を目の前にして、人間の無力さを感じる男。しかし、家族の絆、一族の絆は、強くて。ハワイって、いいなぁ。オリジナル・サウンドトラックランキング励みになります♪↓ ↓
2012.04.06
『ブラックサンデー』ベイルート。ミュンヘン・オリンピック以来、なりをひそめていた地下組織が動き出した。女指導者ダーリア(マルト・ケラー)は、次の目標をアメリカにさだめ、ベトナム帰りのパイロット、ランダー(ブルース・ダーン)を、組織にスカウトすることを、仲間に提案していた。突然、彼らのアジトにイスラエル軍特殊攻撃隊が襲撃をかけてきた。リーダーはカバコフ少佐(ロバート・ショウ)だ。アジトより発見したテープを持ち、カバコフはワシントンへ飛んだ。テープの内容は、アメリカのどこかで組織のおこす破壊計画についてだった。しゃべっているのは、女、ダーリアだった。一方、ダーリアもその頃アメリカに潜入し、日本の貨物船から爆薬を購入。この情報をキャッチし、カバコフが貨物船にかけつけた時はすでに遅く、ランダーの仕掛けた爆弾に、彼は危うく命を落とすところであった。FBIがついにアジトを発見するが、ダーリアは脱出。しかし部屋には8万人も集まり、大統領もくるフットボール試合、“スーパーボウル”の案内状があった。組織の標的だ。当日、厳重な警備体制の中、試合は開始された。一方、ダーリアとマイケルを乗せた飛行船は競技場へ向かう。すごい映画だ。飛行船大爆発だよ。スーパーボウルのシーンも、実際に観客を入れて競技場で試合してるところを、撮ったってんだから、すごい。今の時代の、何でもCGでできちゃう映画より、以前の映画の方が、何もかもを手作りの体当たりでしなきゃいけないんだから、すごいよね。でもリアルな仮想敵国もなくなりつつある今、携帯やネットで全てが瞬時に繋がってしまう今、以前より映画を作るのが、難しくなっているのかもしれない。ランキング励みになります♪↓ ↓
2012.04.05
『ダーク・シャドウ』1752年、ジョシュア・コリンズとナオミ・コリンズは、幼い息子バーナバスと共に新たな生活を始めるため、アメリカに向けてイギリスのリバプールを出航した。しかし彼ら家族を苦しめる不可解な呪いからは、海を越えても逃れることができなかった。20年後、バーナバス(ジョニー・デップ)は、コリンズポートの町で、コリンウッド荘園の所有者となっていた。裕福でプレイボーイな彼は、使用人のアンジェリーク(エヴァ・グリーン)を失恋させるが、実は魔女であったアンジェリークは、バーナバスを、死よりも酷い運命に突き落とす。彼をヴァンパイアに変え、生き埋めにしたのだ。200年後、バーナバスは予期せぬきっかけで自分の墓から開放され、劇的な変化を遂げた1972年の世の中へと足を踏み入れる。彼はコリンウッド荘園に戻るが、かつて壮大で華々しかった彼の土地は、すっかり朽ち果て、さらにコリンズ家の末裔は土地同様に落ちぶれ、それぞれが暗い秘密をひたすら隠して生きていた。コリンズ家の女主人エリザベス・コリンズ(ミシェル・ファイファー)は、一家が抱える問題に対処するため、住み込みの精神科医ジュリア(ヘレナ・ボナム=カーター)を呼び入れる。ここには他に、エリザベスの弟ロジャー(ジョニー・リー・ミラー)、エリザベスの娘キャロリン(クロエ・モレッツ)、そしてロジャーの息子、デイビッド(ガリバー・マクグラス)が暮らしていた。バーナバスは、亡父の「唯一の財産は家族だ」という言葉を胸に、コリンズ家の復興を目指す。身から出た錆、と言いますか。自業自得、と言いますか。相手が魔女だったのが運のつきだけど、女は魔物だからね。どんな女でも、弄んで捨てたりしてはいけません(笑)。吸血鬼が出てきたと思ったら、狼女まで(笑)。オリジナル・サウンドトラックランキング励みになります♪↓ ↓
2012.04.02
第3回 午前十時の映画祭にて。『007 危機一発 ロシアより愛をこめて』国際的秘密結社の首脳部は、英情報部のボンド(ショーン・コネリー)への復讐のため、またソ連情報部の最新暗号解読機を手に入れるため、ソ連情報部の殺人機関の課長だったクレッブ(ロッテ・レーニヤ)が、秘かに首脳部に転向したのを聞いて、それを知らぬソ連の下級職員を利用、実行する手筈が整った。英情報部長Mのもとにトルコ支局長ケリム(ペドロ・アルメンダリス)から、ロマノワ(ダニエラ・ビアンキ)というソ連情報部の娘が、ボンドに会わせて欲しい、もしロンドンに連れて逃げてくれたら、ソ連の暗号解読機を盗み出すといって来たが、という電報を受け、ボンドも話がうますぎるとは思ったが、イスタンブールへ飛ぶ。約束どおりロマノワも現われ、解読機も呆気ないばかりに盗み出せたが、彼女は飛行機での脱出を拒み、急行列車を望んだ。ケリムが護衛を買って出たが、ソ連情報部の刺客に襲われて死亡。ロマノワに聞いてもそのことは何も知らなかった。次の駅でMから派遣されたというグランド(ロバート・ショウ)が乗り込む。彼はその夜ロマノワを睡眠薬で眠らせ、ボンドを襲う。彼は、秘密結社の第一級暗殺者だったのだ。ショーン・コネリーがモテすぎというか、美女たちと寝るの早すぎ(笑)。そして出てくるのは美女ばかりだし、その美女たちの露出が高すぎ。キャットファイトになぜあんな服装で。そしてその後の和解は何事(笑)。諜報部員があんなに金髪美人だったら、人目を惹いて仕方ないだろうに。それはボンドにも言えることだけど。あんな美男美女が連れたってたら、なんでもなくても目立っちゃうって。この時代では最先端であったろう武器とかスパイ道具が、今見たらおもちゃみたいだし。携帯電話もあることはあるけど、デカいヤツ。それでもこの時代、携帯電話ってだけで、すごかったろうけど。今のミッション・インポッシブルなんか見ちゃうと、スパイ道具もすごい進化を遂げたんだなぁ、とか思ったり。『ロシアより愛を込めて』とはいうものの、ソ連ロケはなく。舞台はイスタンブール。当然この時代は、ソ連国内で映画を撮るなんてことができなかったからね。そう思うと、今はロシアでもバンバン撮ってるものなぁ。平和な世の中に、万歳!しかしショーン・コネリー、セクシーだわ。どんなに走っても撃っても撃たれても、髪もスーツも乱れないしね。そのままシャワーも浴びずにベッドインだしね(笑)。『007/ロシアから愛をこめて』 著:イアン・フレミングランキング励みになります♪↓ ↓
2012.02.10
『ディーバ』シンシア・ホウキンズ(ウィルヘルメニア・ウィギンズ・フェルナンデス)は、大変美しく、知的で、世界最高の声の持ち主といわれている、黒人のオペラ歌手。しかし、彼女の見事なソプラノは、コンサート以外では聞くことができない。どういうわけか、彼女は自分の歌を決してレコーディングしないのだ。そんな彼女の大ファン、ジュール(フレデリック・アンドレイ)は、しがない郵便配達を勤める18歳の純情な青年。彼の楽しみは、カセット付きのバイクに乗ってシンシアの歌を聞くこと。そして夢は彼女といっしよに街を散歩すること…。そのシンシアがパリでコンサートを開いた。チャンスとばかりそっと客席から歌を録音するジュール。一方、元娼婦の若い娘がある組織の秘密をカセットテープに吹きこみ、復讐を決意して逃亡するが、組織の殺し屋に殺される。彼女の死の直前に偶然居合わせたジュールは、彼のカバンの中に、その告白テープが投げ込まれたのに気がつかなかった。それ以来、ジュールは、そのテープを抹消しようとする組織の殺し屋、それを追う警察などにつきまとわれることになってしまった。しかし、レコード屋で会ったアルバ(チュイ・アン・ルウ)という、不思議な東洋の女の子と、彼女と暮らすゴロディッシュ(リシャール・ボーランジェ)の二人に助けられ、彼は事件から逃れることができる。謎、な映画でした。決して自分の声を録音させないオペラ歌手のコンサートでの歌声を、こっそりとカセットテープに録音した青年。その青年に当然腹を立てながらも、なぜか受け入れるオペラ歌手。組織の秘密を吹き込んだテープを持っていることも知らずに、殺し屋に追われる青年を助ける謎の男。その謎の男と一緒に暮らしている、謎のアジア人の少女。もう、何もかもが、謎謎謎。この映画が公開された当時(1981年)に斬新とされていたもの、黒人女性と白人青年の恋愛だとか、青年のジャンクな部屋だとか、謎の男の無機質な部屋だとか、サトリとかアジア人の少女とか、多分、その当時見たら、スタイリッシュだったのかもしれない。いや、今見てもスタイリッシュなんだけど。青年の、車のスクラップ屋みたいな部屋もエロティックな床の絵も、バイクごとリフトで上がっていく作りとか、なんともオシャレだし。(入口のドアがペラペラのビニールにしか見えないのはアレだけど)謎の男の、ローラースケートで走り回れるくらい広い何もない部屋に、いきなりぽつんとバスタブがあったりとか、波のオブジェとか、女の子がハンモックで寝てたりとか。そういう絵的な部分では、さすがおフランス映画、すごくお洒落だった。けれどもストーリーが…。主人公の青年が、頼りないのがねぇ。だってやってることは、盗聴に盗みにストーキングよ?いくら好きだからって衣装を盗んだり、その衣装に包まって寝たりって、キモチ悪いでしょ。いや、「ストーキング」という概念?がまだなかった時代だから、それが純愛のカタチのひとつ、という表現だったのかも…?そこまで私のことが好きなのね、と、ディーバも受け入れたのかも…?多分、色んな含みのある映画なんだろうな。残念ながら私には、いまひとつ理解できなかったのだけれど。ランキング励みになります♪↓ ↓
2012.01.27
『さよならをもう一度』トラック販売会社の重役ロジェ・デマレ(イヴ・モンタン)と、室内装飾家のポーラ(イングリッド・バーグマン)は5年来の恋仲。2人とも中年だがまだ十分に魅力がある。ところがロジェは最近仕事が忙しく、パリに住むアメリカ人の富豪、バンデルベッシュ夫人の邸の室内装飾にポーラを推薦すると、彼女を同行しながら自分は先に帰ってしまう。夫人を待つポーラの前に夫人の1人息子フィリップ(アンソニー・パーキンス)が現れ、以来、フィリップは25歳の熱い思いをささげるようになった。やがてフィリップはポーラのアパートで暮らすようになり、ロジェは2人の情事を知る。彼女を愛していながら彼には腹立たしさが先に立った彼は、鋭くポーラを問い詰めたまたま彼女の年のことに言い及んだ。心を傷つけられたポーラは、フィリップのもとへ戻っていった。ロジェは酒と女におぼれる。が数ヶ月後、ナイトクラブで他の女を連れたフィリップを見たロジェは、ポーラと会い、改めて自分の愛を告白した。まだ40歳なのに…と、現在39歳の私は思いながら見てました。そんなに自分を縛り付けてしまうには、まだ若いのに、と。この時代だから、ということも、あったろうけれど。恋に年齢に結婚に良識に縛られすぎている女。パートナーと自由な恋愛関係を続けながらも、その「自由」にさえも、縛られていることに気づいておらず。結婚に煮え切らず、約束をすっぽかす恋人。他の女との関係を知りながらも「物分りのいい女」を演じる女の悲しさ。それは、女の年齢のせいもあり。この年で捨てられたら、という不安と、この年で取り乱すなんて、という良識が、女を縛る。そこに現れたのが、ただ熱情だけで愛をぶつけてくる若い男。そのストレートな熱情にとまどいながらも、押されてしまう女。彼には何の駆け引きもなく、ただ愛があるだけ。ただ愛されるということに、再びときめきを覚える女。あぁ、なんて危険な罠(爆)。しかし、そこでまた、女の「良識」が働いてしまう。若くない女の、悲しい「良識」が。若い男との燃えるような恋ではなく、同年代の男との結婚を選んだ女の、「I'm old! I'm old!」という叫びが、切なかった。「私はもう若くないの!若くないのよ!」と、25歳の恋人に叫ぶ女。これは、若い人には分かるまい(笑)。昔の恋人との結婚を選んだものの、男は相も変わらず。約束をすっぽかされた女は淋しさを感じながらも、「これでいいのだ」と自分に言い聞かせるかのような表情をする。若くない自分には、こういう結婚生活でいいのだ、と。それは諦めでもあり、安心感でもあり。にしても、中年の恋人も若い恋人も、どちらもダメンズという(爆)。こんなに美しく良識もある女なのに…。美しすぎて良識がありすぎるからこそ、ダメな男に惹かれる、ダメな男が惹かれるのか…。原作読んでみないと。『ブラームスはお好き』著:フランソワーズ・サガンランキング励みになります♪↓ ↓
2012.01.16
ジョージ・ベイリイ(ジェームズ・スチュアート)は子供の頃から、生まれ故郷の小さなベタフォードの町を飛び出し、世界一周旅行をしたいという望みを抱いていた。彼の父は住宅金融会社を経営し、町の貧しい人々に低利でお金を貸し、尊敬を集めていたが、町のボスであり銀行家のポッター(ライオネル・バリモア)は、これを目の仇にして事毎に圧迫を加えた。都会の大学を卒業したジョージは懸案の海外旅行に出ようと思ったが、突然、彼の父が過労のため世を去る。ジョージは、株主会議で後継社長に推され、承諾せねばならぬ羽目となり、弟が大学を卒業したら会社を譲ることにして、海外旅行もおあずけに。ところが4年たって大学を卒業した弟は、大工場主の娘と結婚しており、その工場を継ぐことになっていた。やがてジョージは幼馴染みのメリイ(ドナ・リード)と結婚。豪勢な新婚旅行に出発しようとした時、世界を襲った経済恐慌のため、ジョージの会社にも取付騒ぎが起こる。ジョージは旅費として持っていた5000ドルを預金者たちに払い戻してやり、急場をしのいだ。そのため新婚旅行は出来なくなったが、2人は幸福な結婚生活に入り、次々と4人の子供に恵まれた。住宅会社の業績も着々と上り、それに恐れをなしたポッターは、ジョージ懐柔策に出たが、彼は断固拒絶。第2次大戦が起こり、海軍飛行将校として従軍したジョージの弟は、殊勲をたてて大統領に表彰され、帰郷する。だがその喜びの騒ぎにとりまぎれて、会社の金8000ドルが紛失した。実はその金はポッターの手に入ったのだが、彼はそれを秘して、ジョージを苦しめ脅迫さえした。そのうえ会社には会計検査官もやって来る仕末。絶望したジョージは橋の上から身投げしようとする。と、それより一瞬早く奇妙な老人が彼のそばで身投げし川に落ちる。ジョージは夢中になってその老人を救った。老人はクラレンスといい、自分は2級天使で翼をもらうため、ジョージを救ったのだと語った。自棄になったジョージが、この世に生まれなければ良かったと洩らすと、クラレンスは彼を望みどおりジョージの生まれて来なかった、幻の世界に連れて行った。そこは人情も道徳もない幻滅の世界であった。去年の第二回午前十時の映画祭でも観たけれど、すごく良かったので、今年の第三回午前十時の映画祭でも、また観てきました。やっぱりいい映画は、いいわ。特別有名な俳優さんが出てるわけでも、特別派手な演出や音楽が、あるわけでもないけれど、本当に心に沁みるいい映画。子供の頃から頭もよく、人一倍野心家で、町を飛び出して大学に行き、世界中を駆け回る仕事をしたい、と思っていた青年の夢が、ことごとく破られる。そんな中でも彼は常に、彼のベストを尽くす。町の人たちのことを想い、家族のことを想い、仕事に誇りを持って働く。きっと彼はいつでも、「こんなハズじゃなかった…」という気持ちを、かすかに抱きながら生きてきたのだと思う。その気持ちを押し殺しているわけではなく、「これでいいのだ」「これが自分にとっても自分の周りに人間にとってもベストなんだ」と、彼なりに納得して、ひたすら実直に生きてきたのだと思う。夢は叶えられなかったけれど、決して不幸ではなく、幸せに生きてきた。しかしあるクリスマスの日、どうにもならない事態が起こり、彼の長年の小さな小さな不満は、とうとう爆発してしまう。それでも彼は誰を恨むわけではなく、「自分なんか生まれなければよかった」と自分を責める。それが、彼の優しさであり、生まれ持っての性格であり、だからこそ、クリスマスの夜に奇跡が起こるのだろう。誰も、「いなければよかった」なんてことは、ないのだ。Remember no man is a failure who has friends!なんか気になる本…↓『「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中精神科医がおススメ自殺予防のための10本の映画』著:高橋祥友ランキング励みになります♪↓ ↓
2012.01.06
ロシアのクレムリンで爆破事件が発生。その容疑がIMF(極秘スパイ組織・不可能作戦班)のイーサン・ハント(トム・クルーズ)とそのチームにかけられる。米大統領は政府が事件に関与した疑いを避けるため、「ゴースト・プロトコル(架空任務)」を発令。イーサンチームはIMFから登録を抹消されてしまう。国や組織という後ろ盾を失ったまま、クレムリン爆破の黒幕を追い、さらなる核テロを未然に防ぐというミッションの遂行を余儀なくされる、イーサンたち。失敗すれば彼らは、凶悪テロリストとして全世界に指名手配されてしまう。黒幕たちの取引の現場は、世界一の高さと最新のセキュリティを誇る、ドバイの超高層ビル、ブルジュ・ハリファ。難攻不落の天空城に、特殊粘着グローブと命綱一本で、外部からの侵入を試みるイーサン。幾重にも張り巡らされた罠と、よぎる裏切りの影。そして次第に明らかになるミッションの〈真の目的〉とは。トム様は、やっぱりカッコいい。いくつになっても、カッコいい。ちょいと肉付きがよくなってても、やっぱりカッコいいわー。内容は…ちょっと展開が早すぎたというか、あれこれ詰め込みすぎというか、ドバイならドバイで、ドバイだけで済ませればよかったのに、みたいな。ドバイの高層ビルやらインドの超立体駐車場やら、そりゃすごかったけど。もうちょっとじっくりとトム様たちの活躍を見たかったのに、敵味方入り混じりポンポンポンと進んでいく展開の速さを追うのに必死で。にしても今回のミッションも、インポッシブルすぎたけど。あんなとこあんな手袋一つで、昇れないって!って、窓ガラスってあんなに簡単に外れるの?外れていいの??しかしドバイあんな砂嵐って、ほんとにあるの?あれ、観光客は遭難しちゃわない?あの中であの運転って、一人や二人は轢いてるよね確実に(爆)。最後に出てくるイーサンの元奥さんは、Mi:3で出てきた恋人と、同じ人?覚えてないんだけど(爆)。まだミッションは続きそうな感じだったけど、続くのかしら?トム様の体力が続く限り、やって欲しいな。やっぱりトム様、カッコいいもの♪オリジナル・サウンドトラックミッションインポッシブル 3巻セットランキング励みになります♪↓ ↓
2011.10.26
チャーリー・ケントン(ヒュー・ジャックマン)は、かつて将来を嘱望された期待のボクサーだった。チャンピオンを目指してトレーニングに打ち込んできたものの、時代は高性能のロボットたちが死闘を繰り広げる、“ロボット格闘技”の時代に突入。もはや人間のボクサーは生きる場所を失い、チャーリーは、人生の敗残者も同然だった。辛うじてロボット格闘技のプロモーターとして生計を立てているものの、乏しい資金力で手に入れられるロボットは、リングの上であっという間に、スクラップ状態。人生のどん底にも関わらず、さらなる災難がチャーリーに舞い込んでくる。赤ん坊の時に別れたきりの息子マックス(ダコタ・ゴヨ)が、最愛の母を亡くして、11歳になった今、初めて彼の前に現れたのだ。だがマックスは、そう簡単にチャーリーに心を開くはずもなく、親子関係は最悪の状態。そんなある日、2人はゴミ捨て場でスクラップ同然の旧式ロボット“ATOM”を発見する。それが、彼らの人生に奇跡を巻き起こす“運命の出会い”であることに、チャーリーもマックスもまだ気づいていなかった。ダメ親父とちょっと生意気な息子の、再開と再生の物語。と一言で言ってしまえば、そうなんだけど。近未来では、格闘技はロボットのもので。かつてプロボクサーだった主人公は、昔のジムに住みつき、ジャンクロボットの部品を組み立てては、賭けボクシングで稼ぐ、そんなケチな生活を送っている。そこに、別れた妻が不慮の事故で死んでしまい、残された息子が突然、やってくる。それは、息子にとっても父親にとっても、不本意な出会いで。息子はダメ親父に幻滅し、父親は生意気な息子を鬱陶しく思う。2人は、忍び込んだスクラップ場で埋もれていた旧式のロボットを見つける。そんなガラクタ、という父親だが、どうしても連れて帰ると譲らない息子。ゲームが得意な息子と、元プロボクサーの父親。すれ違っていた父子が古いロボットを巡って、一つの目的に向かって、一つ力を合わせていく。格闘ロボットが、ロボットらしいロボットたちってのがまた、いいよね。いかにも未来っぽい滑らかな人型ロボットではなく、ギクシャクとした、一目で機械と分かるロボット。そんなロボットが、息子と心を通わせる。ように見える、だけなんだと思うけど、その不完全な感じがまた、「そうなんだろうな」と想像させる余白があって。しかし対戦相手が「超悪男子」ってね(笑)。息子っちも、日本のゲームで鍛えた?日本語で、ロボットに命令してたし。なにより旧式ロボットの名前が、「アトム」って。日本バンザイ(笑)。近未来で行われるロボット格闘技に臨む古臭いロボットと、今も未来もきっと変わらない、不器用な父子像。新しいんだけれどもどこか懐かしい、いい映画でした。オリジナル・サウンドトラックランキング励みになります♪↓ ↓
2011.10.25
メジャー経験のあるプロ野球選手から球団のフロントに転身するという珍しい、キャリアを持つビリー・ビーン(ブラッド・ピット)。風変わりで短気なその性格は、アスレチックスのゼネラルマネージャーになってからも、変わらなかった。自分のチームの試合も観なければ、腹が立つと人や物に当り散らすという、癖のあるマネジメントを強行。そんな変わりダネが経営するアスレチックスは弱かった。しかも、貧乏球団のため、優秀で年俸の高い選手は雇えない。チームの低迷は永遠かと思われ、ワールド・チャンピオンの夢はほど遠かった。だが、野球経験はないものの、データ分析が得意なピーター・ブランド(ジョナ・ヒル)という球界の異分子と出会ったことで、風向きが変わり始める。ビリーは後に“マネーボール理論”と呼ばれる、“低予算でいかに強いチームを作り上げるか”という独自の理論を実践。だがそれは同時に、野球界の伝統を重んじる古株のスカウトマンだけでなく、選手やアート・ハウ監督(フィリップ・シーモア・ホフマン)らの反発を生み、チーム状況が悪化。それでも強引に独自のマネジメントを進めてゆく。その揺るぎない信念は、徐々にチームに勝利をもたらし、誰も想像しなかった奇跡が…。球界はビリーの手腕を認め、周囲からの信頼も次第に回復。そしてある日とんでもないオファーが飛び込んでくる。しかし、そこで重大なことに気づいたビリーは、意外な行動に出る。いい映画でした。野球好きには、たまらない映画だろうな。選手たちも監督も経営陣も首脳陣たちも、そしてファンたちも、みんな勝ちたいのに、勝てない。貧乏球団だし、十分な選手の補強もできないし、設備もお粗末。そんな自分たちが勝てるはずがない、という空気が蔓延しているチームに、喝を入れるビリー。お金がない球団でも、勝てる。強い選手ばかりを集めなくても、勝てる。野球とは、ホームランバッターばかりでやるものではない。出塁率が、大切なのだ。という独自の理論を推し進めるも、首脳陣にも他のスタッフたちにも理解されない。綿密なデータをもとにせっかく集めた選手たち(スター選手ではない)も、ビリーの論理のとおりに使わなければその真価を発揮できないのに、今までのやり方に凝り固まった監督にも選手たちは、それを受け入れることができない。データ分析家のピーターが、いい味出してた。経営学や統計学を学び、野球にはこれっぽっちもない彼を、ビリーは引き抜く。そのピーターも、次第に野球の面白さに気づいていく。そして選手たちの、プロ意識たるや。紙切れ1枚で、シーズン中であろうとも、トレードに出される。それを冷静に受け入れる選手たち。自分が、プロ野球選手である、自分の価値を知っているから。なんとシビアな世界。選手たちだけではなく、周りの人間も、クールでドライな。そこには、日本野球界にある甘さや感傷は、微塵も感じられない。ビリーはアスレチックスで、今もワールドチャンピオンを目指しているという。野球って、スポーツって、見てるだけなのになんでこんなに、熱くなれるんだろう。見てるだけしかできず、自分の力ではどうにもならないことなのに、なんでこんなに、みんな一生懸命なんだろう。『マネーボール』 著:マイケル・ルーイスランキング励みになります♪ ★そのほか話題の記事はコチラ→
2011.10.24
『オペラ座の怪人 25周年記念公演 in ロンドン』「オペラ座の怪人」史上、最も豪華で最も感動を呼んだ奇跡の舞台。ミュージカル史上に燦然と輝く最高傑作『オペラ座の怪人』の、誕生から25周年を記念した特別公演(10月1日・2日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて開催)の模様を収録した貴重な舞台映像。2日間3公演のためだけに製作された舞台は、ファン垂涎の超豪華な一大スペクタクル。総勢200人以上のキャストとオーケストラが共演し、サラ・ブライトマンや、マイケル・クロフォードほか、オリジナルキャストも特別出演。日比谷のスカラ座で1週間限定上映ということで、観てきました。ミュージカル『オペラ座の怪人』は、日本でもNYでもロンドンでも観たけれど、これはまた特別。内容はもちろん変わらないのだけれど、背景が書割ではなくて、モニターに映し出されていたりとか、鏡に映るファントムが巨大に迫ってきたりと、最新の技術を駆使した、伝統あるも新しいオペラ座の怪人。オーケストラが下のオーケストラピットではなく、モニターの上にいたのも、新鮮だったかも。音が、こもらなくて。物語はいつものごとく(笑)、あぁクリスティーヌったらバカね、若いからファントムの良さなんて分からないのね、でもせめて愛の歌は、ファントムに聞こえないところで歌おうよ、などと思いつつ涙して終わり、カーテンコールではアンドリュー・ロイド・ウェーバーも登場!そして、歴代ファントムたち4人も登場!その歌たるや、ものすごかった。ショーン・コネリーみたいな渋いおじさまたちの歌が、もう鳥肌モノ。お年を召しているのに(失礼)どこからこんな声が?と思うほど。これだけでも、これを観た価値がありました。サラ・ブライトマンも素敵だったけど、ちょっと太っちゃってたのが(爆)。やっぱりファントムだな、ファントム最高。また、生のミュージカルが観たくなりました。東京に、帰ってきてるんだよねー…。劇団四季ロングラン・キャスト『オペラ座の怪人』映画『オペラ座の怪人』映画『オペラ座の怪人』オリジナルサウンドトラックランキング励みになります♪ ★そのほか話題の記事はコチラ→
2011.10.21
『ライフ いのちをつなぐ物語』カメラは地球上の全大陸に足を踏み入れ、あらゆる技術を駆使して、多様な生き物たちの生態を世界で初めて捉えた。天秤式のアームを使用してステディカムをオフロード車に取り付けたカメラシステム、“ヨギカム”を駆使して捉えたアフリカゾウの大群。肉眼では見えない細部の撮影を可能にしたハイビジョンマクロカメラによる、ハエジゴクの捕食と受粉。ジャイロ式ステディカムによるグンカンドリ対アカハシネッタイチョウの空中戦や、バンドウイルカの泥を利用した餌の捕獲。超ハイスピードカメラも、数々の生き物の珍しい生態を捉える。フサオマキザルのヤシの実割り、ハネジネズミのスピード移動、バシリスクの水面走行、トビウオの海上飛行。特製ボックスを使用したスーパーハイビジョンカメラでバショウカジキの、小魚の群れ追撃を撮影。彼らの行動は早すぎて通常のカメラでは捉えられないので、前例がなかったが、超ハイスピード撮影による80倍のスローモーション映像で初めて、その生態を追うことが、可能になった。この他にも、数多くの生き物たちの姿がカメラに収められた。アイベックスに襲い掛かるキツネ。三匹のチーターが協力して行なうダチョウ狩り。コモドオオトカゲによる水牛への攻撃。ロライマ山に生息するオリオフリネラがタランチュラの攻撃を受けて、岩場を転がり落ちて逃げる様子。木の枝の上で戦うチリクワガタ同士の愛の戦い。ザトウクジラの求愛コンテスト“ヒートラン”の完全撮影。だが、本作が伝えるのは、こういった映像の珍しさではなく、それらを通じて表現される生き物たちの生きるための知恵、勇気、愛なのである。映像が、すごい。それ以上に、動物たちが、ものすごい。みんな、必死。生きるために。命をつなぐことに。生きるということは、命をつなぐこと。その本能が人間よりももっともっとシンプルな、動物たちの行動には、無駄がなく、そして美しい。チーター3兄弟がかっこよかった!萌えた!ランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー
2011.09.21
『ハングオーバー!!史上最悪の二日酔い、国境を越える』フィル(ブラッドリー・クーパー)、スチュ(エド・ヘルムス)、アラン(ザック・ガリフィアナキス)、ダグ(ジャスティン・バーサ)の4人は、スチュの結婚式に出席するためエキゾチックな国、タイに向かう。ラスベガスでの忘れ難い悪夢のようなバチェラー・パーティーを経験したスチュは、トラブルを回避するために、結婚式前には控え目で慎ましいブランチを計画していた。しかし…。必ずしも物事が計画通りに進まないのが世の常。気が付けば翌朝。二日酔いで目を覚ますと、部屋はメチャクチャ。式を控えた新郎の顔にはタトゥー、花嫁の弟は姿を消し、その代わりにベストを着たサルがいた。前夜の記憶だけでなく、髪もパンツも無い。それでも、明日の結婚式は刻一刻と迫ってくる。あちこちに散らばった数々の手がかりを頼りに、彼らは失われた記憶と、花嫁の弟を取り戻すことができるのか…?大人の街六本木ではR18指定の無修正、丸出しでした(何が)。いやぁ、お酒って怖いねぇ。私は全然飲まないから分からないんだけど、飲む人は分かるんじゃないかな。いや、あそこまで酷いことにはならなくても、多少なりは気持ちというか、そのノリがね。もっとも、あそこまで酷いことしちゃってたら、人生終わってると思うけど。どこまでもバッカバカしくて、楽しい映画でした。ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔いランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.09.20
『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』1969年7月20日。月面着陸に成功したアポロ11号のアームストロング船長とオルドリン操縦士は、人類で初めて月に降り立った。全世界が注目したこの歴史的偉業の陰で、米国政府とNASAは、ある事実をひた隠しにしていた。その事実とは、宇宙の遥か彼方からやってきた、未知の金属生命体である、トランスフォーマーたちの地球侵略の足がかりとなる宇宙船が、月の裏側に不時着していたということだった…。現代のアメリカ・シカゴ。社会人となったサム(シャイア・ラブーフ)の周囲で、異変が再び始まる。オフィス機器に姿を変えていた侵略者・トランスフォーマーたちが、人間を襲い始めたのだ。政府が40年前の事実をひた隠しにしたことが原因で街は壊滅的な状態に陥り、その被害は世界の都市へと広がっていく。一部のトランスフォーマーたちは地球に味方し応戦するが、地球上に潜んでいたトランスフォーマーたちや宇宙から次々とやってくる、新たな敵の圧倒的なパワーに対し、なす術もなく追い詰められていく。バンブルビーが可愛くて!トランスフォーマーたちが、トランスフォームするところが、かっこよくて!ガシャーン!ガシャーン!ガシャーン!!って。わっくわくぞっくぞくしちゃうよね。大好きだ、こういうの。マックのハッピーセットも買っちゃったよ。おまけのトランスフォーマー限定DVDが欲しくて(笑)。で、アポロの月面着陸には、そんな秘密が隠されていた、というね。なんていうか、ストーリーが複雑というか、あちこち飛びすぎて、はて?となる部分もあったけれど。もうちょっと、トランスフォーマーたちがトランスフォームする部分を、見たかったなぁ。だってカッコいいんだもの!車が走りながらさ、ロボットに変身するんだよ!これがカッコよくなくてなんですか!(爆)うちの劇場のエントランスにいた、バンブルビーちゃん。トランスフォームすればいいのに(無理)。オリジナル・サウンドトラック トランスフォーマー/ダークサイド・ムーントランスフォーマー/リベンジランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.09.08
『こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE~勝どき橋を封鎖せよ!』葛飾区亀有公園前派出所の巡査長・両津勘吉(香取慎吾)は、破天荒で豪快で型破り、やることなすことハチャメチャで毎日がトラブル続き。出勤途中に商店街の店主たちから、たまったツケの支払いを求められ、商店街を逃げまくったり、小学生相手に偽造のアイス当たり棒を売りつけたりと、仕事そっちのけ。後輩である秋本・カトリーヌ・麗子(香里奈)や中川圭一(速水もこみち)からは呆れられ、上司である大原部長(伊武雅刀)にカミナリを落とされる毎日。そんなある日、両津は小学校時代のあこがれの同級生・桃子(深田恭子)と、偶然再会する。桃子の娘で小学生のユイとすぐに仲良くなった両津は、桃子がシングルマザーであることを知り、心をときめかせる。両津は桃子が座長を務める旅芸人一座の演出から小道具まで手伝い始め、しまいには日本中を転々としている桃子の一座に入り、桃子と結婚、警察官を退職など、勝手に夢見始めるのだった。一方、桃子は両津の子供の面倒見の良さや、座員たちとあっという間に仲良くなる姿を、そっと見つめているが、ユイの実の父親である光男(谷原章介)のことも忘れられない。そんな中、両津は大原部長を騙して一座の手伝いをしていたが、偶然公演を鑑賞しに来た部長にばれて大目玉をくらう。両津と大原部長の口論が大乱闘となり、勢い余った両津は、「警察辞めて桃子と一緒になる」と啖呵をきって飛び出す。だがその最中、警察庁長官の孫娘の誘拐事件が発生。大がかりな捜査本部が設置されるが、事件の状況が展開するにつれ、実際に誘拐されたのはユイであることが判明する。一気に捜査本部の士気が下がるのを目の当たりにした両津は、誘拐された人の身分によって捜査のやり方を変える姿勢を非難、中川と独自に犯人を追うのだった。犯人の巧みなアリバイ作りによって捜査は難航するが、両津と中川の執拗な追跡により事件は意外な展開を見せる。誘拐事件の背景には、警察が隠蔽していた過去の冤罪事件が絡み、そして犯人が仕掛けた罠によって両津は絶体絶命の危機に。果たして両津は事件の真相を暴き、人質を救うことができるのか。そして両津の切ない恋心の行方は…。慎吾の宣伝文句通り、笑いあり涙あり、そしてちゃんとした警察モノでした。下町のゴチャゴチャ感も、両さんのハチャメチャ感も、犯人とのハラハラ感も、面白かった、ほんとに。映画は、エンターテイメントは、こうでなきゃ!ランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.09.06
『星守る犬』夏。とある山中に放置されたワゴン車から、身元不明の中年男性と、犬の遺体が発見された。だが、男性の遺体は死後半年を経過していたが、犬の遺体は、死後1ヶ月しか経っていないことが判明。犬はなぜ、男のそばに寄り添って死んだのか…。市役所の福祉課に勤める奥津京介(玉山鉄二)は、偶然出会った少女、有希(川島海荷)と共に、死んだ男と犬の足取りを追う旅を始める。旅を進めるにつれ、その男・お父さん(西田敏行)が病気を患い、失業、離婚、一家離散、そして家を失い、唯一傍にいた愛犬・ハッピーと共に、車で旅に出たことが明らかになっていく。奥津と有希の旅は、東京から北海道へ。お父さんとハッピーは、時に可笑しく、時に哀しく、旅の途中で出会った人びとに、忘れられない思い出を残していた。やがて、旅の終着点で、奥津と有希が見たものとは。そして、「星守る犬」という言葉にこめられた願いとは…。犬好きさんには危険すぎる映画です。なんであんたはそこまでして…!と、献身的な犬の姿に、バスタオルなしでは、見られません。自分ちのわんこ(たとえそれが駄犬であっても)と、重ねて見ちゃいます。そして、帰ってから思いっきりモフモフしちゃいたくなります。なんで犬って、こうまでして一生懸命なんだろう。不器用なお父さんとずっと寄り添い、最期まで寄り添い。あぁだめだ、書いてるだけで思い出し泣きできる(涙)。お父さんが劇中何度も「三百六十五歩のマーチ」を口ずさんでたんだけど、その後の両さんの主題歌だったけど、こっちのイメージの方が強くてねぇ(爆)。犬はやっぱり、最高のパートナーだな。『星守る犬』 著:村上たかし 『続・星守る犬』 著:村上たかしランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー
2011.08.02
『手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく』2500年前、インドではいくつもの王国が誕生、日々争いが繰り返されていた。一方でカースト制度により奴隷に生まれた者は一生その運命を背負い、身分の低い者は貧しさに喘いでいた。少年チャプラ(竹内順子)は奴隷市に売られそうになった母親(吉永小百合)のためにも、奴隷の身分を抜け出したいと願っていた。そんな中、コーサラ軍の侵攻で家族を殺されたタッタ(大谷育江)は、ふとしたことで出逢ったチャプラと共にコーサラ軍の宿営地を襲う。だがチャプラは負傷したブダイ将軍(玄田哲章)を助け、彼を担ぎ、撤退したコーサラ軍に合流、将軍を救命した栄誉により、身分を隠したままブダイの養子の地位を手に入れる。その頃、シャカ国では待望の王子が誕生、シッダールタと名付けられた、この王子の誕生を祝福するためにやってきた聖者アシタ(永井一郎)は、「この子は世界の王になるであろう」と予言する。10年後、21歳になったチャプラ(堺雅人)は数々の武勲を打ち立て、コーサラ国はさらに強大な国となっていた。10歳になったシッダールタ(折笠愛)は病弱で、厳しい身分制度に疑問を抱き、人や動物の死に心を痛める優しい少年に成長していた。5年後、チャプラは大臣の娘マリッカ(黒谷友香)と婚約。シッダールタ(吉岡秀隆)はバンダカ将軍(藤原啓治)の訓練を受け、武芸にも秀でた若者に成長していたが、身分差別への疑問は消えず、家臣の目を盗んでは城を出て街をさまよい、懸命に生きる人々を見つめていた。やがて彼は盗賊の少女ミゲーラ(水樹奈々)と出会い、街を案内してもらううちに、互いに淡い想いを抱くようになるが、身分の違いを理由にミゲーラは捕らえられ、二人は引き裂かれる。そんな中、シャカ国とコーサラ国が開戦。シッダールタは人間同士が殺し合うことに強く反発するが、戦わねば国が滅ぶと国王スッドーダナ(観世清和)に一蹴され、望まぬ戦いに身を投じることになる。次々にシャカ軍を斬り倒し、シッダールタへと突進するチャプラ。二つの正反対の魂が戦場で交錯、いま互いの運命が変わろうとしていた。『聖☆おにいさん』とは、趣がまったく違います(当たり前)。ブッダの生涯が、よく分かります(何)。といっても、これは前編?何部作かのひとつだよね。だってブッダがやっと出家しよう、ってとこで終わっちゃったもの。吉岡秀隆の声がね、私はあんまり好きではないので、うーん、な感じでした。なんかひょわひょわ(何)してる感じが、ブッダのイメージじゃなかった。お話としては、面白かったけど。絵も美しかったし。『ブラックジャック』が見たくなっちゃった。いや、ブラックジャックの声が大好きなんです(爆)。ブッダ 〔1~12巻 全巻〕文庫版 著:手塚治虫ランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.07.30
『ブラック・スワン』ニューヨークのバレエ・カンパニーに所属するニナ(ナタリー・ポートマン)は、元ダンサーの母親・エリカ(バーバラ・ハーシー)の寵愛のもと、人生の全てをバレエに捧げていた。そんな彼女に新作「白鳥の湖」のプリマを演じるチャンスが訪れる。だが純真な白鳥の女王だけでなく、邪悪で官能的な黒鳥も演じねばならない、この難役は、優等生タイプのニナにとってハードルの高すぎる挑戦であった。さらに黒鳥役が似合う奔放な新人ダンサー、リリー(ミラ・クニス)の出現も、ニナを精神的に追いつめていく。やがて役作りに没頭するあまり極度の混乱に陥ったニナは、現実と悪夢の狭間をさまよい、自らの心の闇に囚われていくのだった。痛々しい映画でした。観る前から、「痛いよー」と言われてたけど、痛かった。ささくれとかね、苦手だからね。エロスな要素は、思ってたほどでもなく。でもあれも妄想なのかなんなのか、ですけど。ニナが解放されていくプロセスのひとつ、ではあったけれど。ニナの清純さは伝わってきたけど、リリーの奔放さが、イマイチ分からなかった。単に、髪結わずに踊ってるだけじゃん?みたいな。私の芸術鑑賞能力の低さのせいですかね?だから、この2人が相対する感じが、薄かったかなぁ。もっとも、ニナが嫉妬するほどリリーが奔放に見えていたのは、ニナの思い込みだったのかもしれないけど。現に、イっちゃったニナの方が、かなりの野獣系(爆)だったし。最初、ウィノナ・ライダーに気づかなかったよ!ウィノナとナタリー・ポートマンって、雰囲気がなんとなく似てない?似てないか。でも同じ系統のような気がするのは私の気のせい?オリジナル・サウンドトラックランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.07.29
『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』キャプテン・ジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)が漕ぎ出す新たな航海。それは、永遠の生命をもたらすという伝説の“生命の泉”を探す旅だった。禁断の宝を求めて、実在した史上最恐の海賊“黒ひげ”(イアン・マクシェーン)、いまや英国海軍に寝返った、元海賊でジャックの宿敵バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)たちが動き出す。さらに、ジャックの前に姿を現したのは、かつて愛した女海賊アンジェリカ(ペネロペ・クルス)だった。それぞれの野望と裏切りが渦巻く中、伝説の泉の鍵を握る人魚シレーナと、若き宣教師フィリップは出会い、決して叶うはずのない恋に落ちる…。幾重にも仕掛けられた罠と謎を解き明かし、“生命の泉”に辿り着くのは、ジャックか?それとも?パイレーツ4というより、バルボッサとギブスのスピンオフ、といった感じ。バルボッサとギブスが、バルボッサとギブスでよかったー、みたいな(何)。しかしバルボッサが、『英国王のスピーチ』のプロフェッサーだなんて、本気で気づかなかった。なんという変わりよう!オーリーがいなかったけど、「物足りない」感じは、なかったかなぁ。オーリー、大好きですけどね。だからやっぱりこれはスピンオフだ。バルボッサ万歳!(笑)オリジナル・サウンドトラックランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.07.26
『キッズ・オールライト』ニック(アネット・ベニング)とジュールス(ジュリアン・ムーア)は、長年付き合っている(女性同士の)カップル。同じ精子提供者を受けてそれぞれが産んだ子供、ジョニ(ミア・ワシコウスカ)と、レイザー(ジョシュ・ハッチャーソン)の4人で暮らしている。ママ二人と姉弟という少しいびつな家族だが、仲良く、楽しく愛情に満ちた生活を送っている。しかし、18歳になり、大学進学のための1人暮らしを控えたジョニと、15歳のレイザーは、まだ会ったことのない自分たちの医学上の父親、ポール(マーク・ラファロ)に興味を持ち、こっそり会いに行くことに。オーガニックレストランを経営し、気ままな独身生活をするポールに、親しみを感じた二人。しかし、親2人にポールのことがばれたことから、家族に少し異変が起き始める。なんとも楽しげな家族。しかしほんとにいい子たちだ。自分の両親がもしそんなだったら、こんなに素直に育てるか、疑問(笑)。だって親は両方とも「ママ」なんだもの。そんな素直な子供たちも思春期を迎え、ちょっと難しいお年頃。本当の、というか生物学上のパパを知りたい、会いたい、と思うものの、ママたちは大反対。自分たちの幸せな生活がその男の登場で変わってしまうかもしれない、と危惧するママたちの気持ちも、分からんでもないけど。でも子供たちはもうすでに、変化しつつあるんだけどね。ママとしては、それを認めたくないのかも。子供たちとしても、男親、というものへの憧れが、あったのかもしれない。両親としての不満はなくても、やはり「父親」というものに対しての憧れや、期待のようなものが。それにしても、そんなに近くに住んでる人の中から選ぶのかねぇ、精子提供者って。そうか、鮮度が大事だから(爆)あんまり遠くだとダメなのかしら。またこの「父親」なる人物も、いきなりあなたの子供です、ってのが2人も現れても、おおらかな人間で。ママの1人が惹かれてしまうのも、分かる。まぁ、「わが子」という実感が、あまりなかったのかもしれないけれど。でもそれでも、気ままで優雅な独身生活を楽しんでいた男の中の、何か「父性」のようなものに目覚めつつ…。アメリカらしい、明るく突き抜けた、それでいて「家族の形」というものを、ちょこっと考えさせられた、1本でした。ランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー
2011.07.24
『ブルーバレンタイン』結婚7年目を迎え、娘と共に3人で暮らすディーン(ライアン・ゴズリング)と、シンディ(ミシェル・ウィリアムズ)夫妻。努力の末に資格を取って忙しく働く妻シンディに対し、夫ディーンの仕事は順調ではない。お互い相手に不満を募らせながらも、平穏な家庭生活を何とか守ろうとする、2人だったが、かつては夢中で愛し合った時期があった。…まったく内容、覚えてない、というね(爆)。倦怠期の夫婦の物語…というのは覚えているんだが。ダメだ、他人の恋愛や生活に、無関心すぎですかね(笑)。ランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.07.22
植物学者マーティン・ハリス博士(リーアム・ニーソン)は、学会に出席するために、妻エリザベス(ジャニュアリー・ジョーンズ)と、ベルリンへ旅立つ。ホテルに着いたところで忘れ物に気付いたマーティンは、タクシーで空港へと引き返すが、途中で交通事故に遭遇。彼が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。急いでホテルへ向かい、妻の姿を認めて安心したのも束の間、彼女は自分を知らないと言う。そればかりか、自分の名を名乗る見ず知らずの男が彼女の傍らに。マーティンの所持品は、携帯電話と一冊の本だけ。一方のマーティンを名乗る男(エイダン・クイン)は、パスポートはもちろん、妻との新婚旅行の写真まで持っていた。当然、警察はマーティンの訴えに耳を貸そうとしない。自らの正気を疑い始めるマーティン。だが、何者かに命を狙われたことで、陰謀の存在を確信する。マーティンはタクシー運転手ジーナ(ダイアン・クルーガー)と、元秘密警察の男の協力を得て、謎に立ち向かうことになる。これ最初、邦題『身元不明』だったんだよね。もうすでにチラシもあったんだけど、過日の大地震の影響で、原題そのままになりました。言葉の通じない外国で事故に遭って記憶まで無くしちゃって、身元を明らかにする所持品は持ってなくて。いやー怖い怖い。それだけでも十分怖いのに、やっとのことで妻を見つけるも、妻には、「あんたなか知らない」と言われる始末。有名な学者さんだからとネットで自分を検索しても、そこには知らない男が。必死で自分が自分であることを証明しようとするんだけど、写真にしろ書類にしろ、それが一つもない、という。自分が狂っちゃってるのが、みんながみんなして自分を騙してるのか…。騙してるとしたら、何のため…?巧いことにというか運悪くというか、奥さんと一緒に防犯カメラに映ってる映像が、ない、ってのがね。これだけ世の中傍観カメラで始終見られてるのに。いや、あったんだけど、そこまで思い至らなかった…?そもそも空港に鞄を忘れる時点で、この仕事には向いてないんじゃ?(爆)乗ってたタクシーが川に落っこっちゃって頭ガツンとしただけで記憶無くす、ってのも、実はイヤだったのかも?この仕事が。ほんとはこんな仕事したくないんだよーという深層心理がね、事故のショックで、それまでのイヤだイヤだと思ってた記憶を消しちゃったのかも。奥さんとの結婚生活も、ほんとだったらいいのにと思ってたことが、リアル記憶となって表面化しちゃった、とかね。まぁそんなとこは後からの考察であって。観てる時は、「うわー自分もこうなったらどうしよう」とか思ったり。だってさ、「自分は自分なんだよ!」といくら言っても、それを証明するものも証明してくれる人もいなければ、認められないなんて。凡人の日常生活では、周囲の人間が丸ごと自分を知らないなんてこと、起こり得ないとは思うけど、誰か知ってる人、認めてくれる人がいなければ、「自分」じゃないなんて、「アイデンティティ」って何なのよ?なんて思いながら観る映画では、ないけれど(爆)。どんでん返しというかネタ明かしというか、まぁなんとか思い出して、人間的にはいい人になっちゃったけど、それって仕事的にはダメ人間だよね、という(笑)。最初からそういう目でもう1回観たら、ははーんここね!ここがおかしいのね!という点が、ボロボロ出てくるんじゃないかな。1回しか観てないけど(爆)。アンノウン 公式サイトオリジナル・サウンドトラックランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.06.03
愛する者を全て奪われたベイビードール(エミリー・ブラウニング)は、継父によって精神病院に入れられてしまい、5日後にロボトミー手術を、施されることになってしまう。同じ病院の患者の少女たち、辛口な性格のロケット(ジェナ・マローン)、スマートなブロンディー(ヴァネッサ・ハジェンズ)、気高いアンバー(ジェイミー・チャン)、そしてベイビードールに素っ気無いスイートピー(アビー・コーニッシュ)と共に、脱出のための5つのアイテムを集めるため、バーチャル兵器を駆使してサムライや悪魔が襲いかかる幻想的な戦いに挑む。この想像の世界の中で、ワイズマン(スコット・グレン)の助けを得て、もし成功すれば、彼女たちは自由を手に入れる事ができる。しかし、彼女たちは生き残るために何を犠牲にするかという決断に迫られる。コスプレ少女たちのRPG…と、一言で言ってしまえばそうなるか(爆)。異形の敵が次々と襲いかかる世界で5つのアイテムを手に入れて、ラスボスを倒せばチャリラリラーン!姫ではなく自分を救えるのです!嫌いじゃない、嫌いじゃないよ、むしろ好き(笑)。精神病院に入れられたハズなのに、なぜ娼館?患者であるハズの少女たちは、なぜ娼婦?と混乱しちゃうけれども要するに、ベイビードールの脳内世界、現実に精神病院に入れられてロボトミー手術を受けさせられてしまう!ということから逃避した脳が作り出した世界が、娼館で娼婦で。でもどっちにしろ、逃げられないのだけれど。んでもって、娼婦なベイビードールがもっと深いトランス状態に陥ると、キーアイテムを得るための戦いの場になるわけで。そのトランス状態を引き起こすものが、ベイビードールのダンスなのだけど、見ている者すらを引き込むほどのものすごいらしいダンスシーンは、一切出てきません(爆)。それにしても、ベイビードールの女子高生なセーラー服コスといい、日本刀といいサムライロボットといい、日本的なものがそこかしこに。日本ってまだ、そんなに幻想的な国なんだ、あっちの人たちにとって…。いやそうではなく、ベイビードールが現実世界でまだ幸せに暮らしている時に、日本のアニメでも見たことがあったんでしょうか(謎)。アイテムを1つ手に入れるごとに仲間を1人ずつ失いながらも、残りあと一つ!しかしそれは…。要するに、自由を手に入れたければ戦え!自分を犠牲にしても!ということか。って、自分を犠牲にしちゃったら自分、自由になれないじゃん。精神的に自由、ってこと?ま、精神世界のお話だしね。精神病院の医師であり娼館のマダムでもあったゴルスキーは、ベイビードールの味方だったんだろうか…。もしかしたら自分も囚われの身で、自由を得るために戦うベイビードールを、密かに応援していたのかも…?エンジェル・ウォーズ 公式サイトオリジナル・サウンドトラックランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.05.12
悪友フィリップ(モーリス・ロネ)を、彼の父親の頼みで連れ戻しに来た、貧乏な若者トム(アラン・ドロン)。しかし放蕩息子であるフィリップは父の元へ戻る気はなく、親の金で遊び回っていた。トムはフィリップの金目当てに彼と行動を共にするが、トムやフィリップの恋人マルジェ(マリー・ラフォレ)に対して、フィリップが時折見せる傍若無人な態度に怒り、フィリップを殺害してしまう。死体を海に捨てた後、トムはフィリップになりすまして、彼の財産を手に入れようと画策し、計画を実行していく。午前十時の映画祭で観てきました。アラン・ドロンが美しい!眩しいくらいに美男子。「イケメン」とか軽い表現では表しきれない、本物の美男子。多分、この頃乙女だったら、確実に惚れてるね私(笑)。そのアラン・ドロンがちょいちょい小バカにされてる役なんだから、またたまらん。観てる方は、どうしてもアラン・ドロンに肩入れしたくなっちゃう、というか。金持ちの友人に取り入るというか遠慮するような卑屈な感じも、あんたの方が美男子なんだから、もっと大きく出なさいよ!なんて思っちゃうような(笑)。それにしたってその友人(と本人たち思ってるかどうかは謎だが)にしろ、その彼女にしろ、酷いよねー。あんな狭い船上でさ、2人イチャコラしてトムのけものだもの。そりゃモンモンとしちゃうわ。せめてもう1人女友達でも呼べ、っての。いや、それはトムが勝手にまとわりついて来ただけなのか?まぁこのフィリップとトムの関係も、よく分からないけどね。トムはフィリップの父親に頼まれて、フィリップを連れ戻しに来たのだけれど、それってお金目当てだし。もともと友だちだったとしても、フィリップは常に貧乏なトムのことを、見下していたと言うか、小バカにしてたというか。ジャイアンとスネ夫みたいな関係(違)?彼女とイチャコラするのも、ワザと見せ付けるような感じだったり。トムが横恋慕してそうなのを察していながら。そんな、美男子ではあるけれども、小心者でフィリップに遠慮がちなトムが、一世一代の大仕事をやっつける。しかし…もうちょっと巧くやってたらな、と。あの綱が、もうちょっと短かったらな、と。あと一歩だったのに…。でももしあそこでバレなくても、いつかはバレるような気も、しないでもないけれど。いっそ、さっさと外国にでも行っちゃえばよかったのに。そうしない、そうできなかったのも、彼の性格ゆえか。それとも、友人の彼女を愛してしまったからか。この映画のリメイク(実際はリメイクではない)の『リプリー』では、もうちょっと巧くやってたような気がする。オリジナル・サウンドトラック『太陽がいっぱい』 著:パトリシア・ハイスミス『リプリー』ランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.05.11
牧場主の娘マティ・ロス(ヘイリー・スタインフェルド)の父親が、雪の降るある夜、雇い人のトム・チェイニー(ジョシュ・ブローリン)に、無残にも撃ち殺された。知らせを受けたマティは、遺体を引き取りにオクラホマ州境の、フォートスミスへとやってくる。一方、チェイニーは、わずか2枚の金貨のためにマティの父を殺した後、逃亡者となってインディアン領へ向かい、お尋ね者のネッド(バリー・ペッパー)率いる悪党達の仲間入りをすることになる。フォートスミスで父親の形見の銃を譲り受け、犯人に罪を償わせることを、心に誓った彼女は、“トゥルー・グリット(真の勇気)”があると言われる、大酒飲みでアイパッチをした連邦保安官ルースター・コグバーン(ジェフ・ブリッジス)に犯人追跡を依頼。子供扱いで相手にもされないマティだったが、決して諦めない執念と、報酬の魅力に負け、コグバーンはマティの依頼を受けることにする。その後、別の容疑でチェイニーを追ってフォートスミスへ来ていた、若きテキサス・レンジャーのラビーフ(マット・デイモン)も加わり、犯人追跡の過酷な旅が始まる。酒や女やギャンブルには弱いけれど、自分の信念でやる時はやる。漢の中の漢!よりも強い女の子!蛇に咬まれたって平気だからね。いや、平気ではなかったんだけど。砂漠での乾きよりも殺し屋への恐怖よりも死への恐れよりも、父親の仇を取る、罪を贖わせることしか考えていない少女。その上頭が切れるときた。数々の修羅場を潜り抜けてきたであろう片目のコグバーンを説得し、商売人を言い負かして馬を取り戻し、テキサスレンジャーをも煙に巻く。このテキサスレンジャー、マット・デイモンなんだから(爆)、いい人なんだろうけどさ、どことなく胡散臭いというか(笑)。まぁ彼も彼なりに、殺し屋を捕まえたい算段があって。でも彼の手に渡してしまうと、自分の父親の仇は取れないわけで。コグバーンにもラビーフにも信念があって殺し屋を追ってるのだけれど、マティにだって揺ぎない信念がある!それが顔にも表れている、というか。すごい女優さんです、ヘイリー・スタインフェルド。一見素朴な西部の女の子なんだけども、先にも書いたけれど、ほんと強いからね。普通の女の子なら泣き出す場面でも、平気だからね彼女。それはもちろん、父親を殺された仇を討つ覚悟であるからなんだけれども。お話的には、あぁやっぱりそうなるのねーという予定調和どおり、だってこのお話、アメリカの教科書に載ってるのでしょ?とんでもないどんでん返しがあるワケもなく(笑)。古きよき西部劇、悪は去り、正義は勝つ!それでも心に響くのは、マティにとって忘れられない経験だから、というのを、観ている私たちも感じて観ているから。まぁそりゃあんな経験が重なったら、忘れようにも忘れられないだろうけど。ラスト、マティがコグバーンを訪ねる場面が、その全てを語っている。その表情は、少女の頃と変わりなく、強く美しい。ああいうラストで、よかった。あそこでハグなんかしちゃってたりしたら…なんかちょっと違うかもね。トゥルー・グリット 公式サイトオリジナル・サウンドトラックランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.05.08
新聞社で郵便仕分けの仕事をしながらジャーナリストを目指す、ガリバー(ジャック・ブラック)は、ウソとハッタリで生きているが、出まかせがきっかけで、謎のバミューダ三角地帯を取材するチャンスを、つかむ。取材のため、航海の旅へと出たガリバーだったが、大海原で嵐に見舞われ、気が付くと小人が暮らす国、リリパット王国にたどり着いていた。ただただ面白い楽しいだけの映画。そういう映画って、必要だよね。特にこんな時期の今は。終わった後、「んー、あれってどういうことだったの?どういう意味が?」と考えちゃう映画も面白いけれど、ゲラゲラ笑いながら観て、「あー面白かった!」という映画も、好き。だって映画は娯楽だもの。問題提起する映画ばかりじゃぁ疲れちゃう。この映画だって、確かに問題提起してるんだけど。体の大きさと心の大きさは同じではないとか。裏切りだとか思いやりだとか正義だとか。どこの国でも争いや裏切りはあるんだとか。ウソつき主人公がまっとうな人間になるとか。でもそんなことは、どうでもよくて。ひたすら、面白かった!だって、ジャック・ブラックだもの。大きいけれど小さい人間と、小さいけれど大きい人間(小人?)の、友情物語。だけども、ことはそんな簡単に運ばないのが、ジャック・ブラック。スマステの月イチゴローで吾郎ちゃんは「主人公がきれいじゃない」と散々に評してたけども、まぁ確かにね、あのメタボ腹は…。それが有意に働くんだけれども(笑)。まったく異次元の世界だということをいいことに、大統領だとウソついたり。自分のなりたい自分になれる国に、ご満悦のガリバー。自分を主人公にした劇では、色んな映画やTVドラマのワンシーンを、パロってヒーローになりきってみたり。NYにまねて作るリリパットの町並みには、色んなミュージカルに扮した、ガリバーの看板が飾ってあったり。一時停止して、全部見てみたいくらい(笑)。働き者のリリパットの国民たちが作ってくれたガリバーの家は、とんでもなく豪華だし。まぁ3Dでなくてもいいし、DVDでも十分な感じではあるけれども、でも楽しいよ。子供はものすごく好きだと思う、こういう、ただ見て楽しい映画って。もちろん、大人の私も楽しかったよ。ガリバー旅行記 公式サイト『ガリバー旅行記』 著:ジョナサン・スウィフトランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.05.07
1861年、南北戦争が始まろうとする直前。ジョージア州タラの大地主ジェラルド・オハラ(トーマス・ミッチェル)の娘、スカーレット(ヴィヴィアン・リー)は、樫の木屋敷と呼ばれるウィルクス家で、明日開かれる野外宴会で、そこの嫡子で彼女の幼馴染みであるアシュリー(レスリー・ハワード)と、彼の従妹メラニー(オロヴィア・デ・ハヴィランド)の婚約が発表されると聞いて心おだやかでなかった。激しい気性と美しさを併せ持つスカーレットは、多くの青年の憧れであったが、彼女の心はアシュリーとの結婚をかたく決意していた。しかし、彼の心は気立ての優しいメラニーのものだった。スカーレットは、チャールズトン生まれの船長で素行の評判の良くない、レット・バトラー(クラーク・ゲイブル)に会い、彼の臆面のない態度に、激しい憎しみを感じながらも、何か惹きつけられる。そして突然、戦争の開始が伝えられ、スカーレットは失恋の自棄から、メラニーの兄チャールズの求婚を受け入れ結婚した。メラニーと結婚したアシュリーもチャールズも戦争に参加した。だがチャールズは戦争で病を得て死に、スカーレットは若い身を、喪服に包む生活を余儀なくされたのだった。なんと気の強いスカーレット!その我がままっぷりすらが、美しさを増すものとなり。女王然とした輝きをまとい、男たちを惹きつけてやまない。が、男はやはりメラニーのような従順で寛容な女の方が、好きなのだろう。そのことに気づいていないのか、気づいているけれども、自分はそうは生きられない、生きたくないと思っていたのか。泣いたり喚いたり媚びたり、大好きな人が違う人と結婚しちゃったからって、自分も腹いせで結婚しちゃうなんて、なんと子供っぽいことよ!と思ったけれど、今となってはうんと年下なのよね、スカーレットのみならず、バトラーでさえも。いくつの設定だかは知らないけど、スカーレットなんて二十歳超えるか、超えないか、ってとこじゃないの?ならばしょうがないか、あんなに強気なのも短気なのも若さゆえか、とは思うけれども、あのしたたかさと強さは、いくつになっても憧れる。自分が美しく強いということを十分分かっていての、あの強さだもの。弱いところなんてない、あっても見せられない。涙を見せるのは、男を落とす時だけ。またあの、ヴィヴィアン・リーの美しさ!そして表情に表れる気の強さ!スカーレット・オハラは、ヴィヴィアン・リー以外ではあり得ない。何人もの男性に取り巻かれても、望みの人を手に入れることのできなかった、スカーレット。そして、そんなスカーレットの腹の内を見透かしてるかのようなバトラー。今まで自分をそんな侮辱するような目で見る男なんていなかったから、それがまた、悔しかったのか。「悔しい」という気持ちはある意味、ポジティブなものなのかも。男も富も子供も、何もかも手に入れることができるようでいて、その実、何ひとつ完全に自分のものにすることができなかった。得ようとするものは全て、指の間から滑り落ちてしまう。それは、時代のせいなのだろうか。それとも、彼女の強さゆえのものなのだろうか。そのことに気づいていながらも、負けるわけにはいかなかったスカーレット。それは、彼女のプライドでもあり、生き方でもあり。文字通り何もかもを失ったけれども、タラの地に力強く立つスカーレット。きっと多分、これからも何かを得て、そしてまた失うのだろうけれど、彼女が彼女の強さを失うことは、ないだろう。明日は、明日の風が吹く。オリジナル・サウンドトラック『風と共に去りぬ』 著:マ-ガレット・ミッチェルランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.05.05
妻(メリル・ストリープ)の妊娠を機に泥棒稼業から足を洗った、Mr.FOX(ジョージ・クルーニー)。親子3人、穴ぐらでの生活から丘の上の大木の家に引っ越したことから、Mr.FOXは近所に住む農場主3人の家に盗みに入ることを思いつく。しかし、大事な家畜や食べ物を盗まれた農場主たちは、キツネを追い込むことに。Mr.FOX一家と仲間たちは結束し、穴を掘って逃げようとする。毛の質感が、なんとも気持ちよさそう。声優陣も豪華で。泥棒家業をしていたMr.FOXは、罠の中で妻から妊娠を告げられる。それを機に盗みはやめる!と決心したMr.FOX。妻と子もおり、念願の?丘の上の大木での生活を手に入れた。しかし、野生を忘れられない。そこにニワトリがいるならば、盗まずにいられようか。だってキツネだもの。昔の血が騒ぎ、こっそりとやってたハズなのに、妻にバレ。反抗期の息子にも、父親が盗みをしているなんて手本にもならない。そしてMr.FOXに荒らされた農場主たちは、大憤慨。Mr.FOX一家を追い詰める。丘の上の大木を切り倒し、穴を掘って地下に潜って逃げたと知るや、重機をかき集め、丘を切り崩す。Mr.FOXののせいでこんな事態になってしまったと責めていた仲間たちも、ここまで本格的に自分たちの棲家が壊されるとあっては、仲違いなどしている場合ではなく。そこからは、野生動物vs人間のバトル勃発!人間たちの追っ手をかわすべく、野の動物、森の動物たちが、必死に穴を掘り、逃げる。しかし捕まってしまったMr.FOX、間一髪のところで逃げ出せたが、自慢のしっぽがちょん切られてしまう。居候の従兄弟キツネが気に入らなかったり、気になる女の子がいたりの、父親に反抗的だった息子も、ネクタイにされた父親のしっぽを取り返すべく、人間たちの世界へと勇敢にも飛び出していく。人間たちに捕らえられてしまった従兄弟を、助けるために。してやったりの彼らを、遠くから見つめるのは、Canis lupus、野性の姿を忘れない、一匹の優雅なオオカミ。が、彼らが新しい棲家としたその上はなんと…スーパーマーケット!夜な夜な排水穴から入り込んでは、加工食品を食べ漁っての、どんちゃん騒ぎ!人間でありながらも、なぜかキツネたちの方を応援したくなる(ここに出てくる人間たちが、揃いも揃って腹黒そうな3人、ということもあるが)、そんな楽しいストップモーション映画でした。ファンタスティックMr.FOX 公式サイトオリジナル・サウンドトラックランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.05.04
1990年代、アルジェリア。人里離れた山間の小さな村の修道院で、修道院長クリスチャン(ランベール・ウィルソン)を始めとするカトリックのシトー会に所属する、修道士たちが共同生活を送っていた。戒律を厳格に守り、貧しい人々とともに働き、病める者の面倒を見て過ごす日々。修道士の1人、リュック(マイケル・ロンズデール)は医者でもあり、近所から訪れる多くの人々を診察していた。修道士たちはイスラム教徒の地元民と良好な関係を築いていたが、アルジェリアは内戦の真っ只中。暴力行為やテロがこの土地にも暗い影を落としていた。イスラム過激派による市民の虐殺に加え、アルジェリア軍との衝突で、多数の犠牲者が出る。やがて、修道院から遠くないところでクロアチア人が殺される事件が起きる。軍が修道士たちの保護を申し出るが、クリスチャンはこれを辞退。クリスマス・イブの夜、ついに過激派グループが修道院に乱入する。負傷した仲間の手当てのために、リュックを連れ出そうとする過激派に対し、彼は診療所を訪れた人を診察するためにいるのだと断るクリスチャン。そしてコーランを引用し、キリスト教徒とイスラム教徒が隣人であると説く。一難去った後、アルジェリアを去るべきか否か、議論が交わされたものの、意見はまとまらない。各自で考える時間を与えられ、独り物思いにふけるクリスチャン。やがて修道院に戻った彼は、自分の気持ちを手紙に書いて残すことにする。大使館からは内務省による帰国命令が出ていることを告げられるが、地元住民からの強い残留要望を受け、クリスチャンは迷う。殺される恐怖との戦い、断ちがたい人生への執着。それぞれに異なる考えや事情を抱え、ひとりの人間として、悩み苦しむ修道士たち。この土地を出て行くか、残留するか。やがて彼らは、採決の時を迎える。なんとも静謐で、そして悲しい映画。これが実話だとは。信じる神は違っても、小さな村でお互いを尊重しあって生活している、キリスト教の修道士たちと、イスラム教の村人たち。宗派の違いなど、助け合い思いやって生きていく上では、ほんのささいな違いに過ぎない。同じ人間であり、同じように働き、同じように食物を必要とし、同じように医療を必要とする。しかし内戦の暗い影は、この平和な村にもやって来る。そんな中でも信仰に生きる毎日の生活を変わりなくすごす修道士たち。修道士たちの身を案じた大使館は、彼らの帰国を促す。しかし、ここには彼らを慕う村人、彼らがいないと困る病人たちがいる。大使館の命令という大義名分で、危険地帯から遠ざかることもできた彼ら。あちらが敵だと言うのなら、敵である村人など捨てることもできた彼ら。しかし、それは、神の意にかなうことなのか…。苦悩し、祈り、また苦悩し、また祈る修道士たち。神は、彼らになんと答えたのだろうか。最後の晩餐の時。普段は粗末な食事の修道士たちが一堂に会し、ワインを飲み、料理に舌鼓を打つ。そこで、一人の修道士が「白鳥の湖」のテープをかける。この世の喜びである食事、酒、そして音楽。美しい音楽が流れる中、修道士たちは、何を思うのか。何を決意したのか。そこに言葉はなく。一人ひとりの修道士の表情だけで語らせる。そして、過激派に連れ去られる彼ら。そうなると分かっていたのに、逃げも隠れもせず。その先に何があるかも知っており、修道士といえども恐怖を感じずには、いられないだろうに。信仰を得た者というのは、こんなにも強いものなのか。殺された7人の修道士たちは、頭部しか見つかっておらず、その犯人や目的は、いまだ捜査中なのだとか。神々と男たち 公式サイトオリジナル・サウンドトラックランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.05.03
緑豊かな自然に囲まれた寄宿学校ヘールシャム。そこで学ぶキャシー(キャリー・マリガン)、ルース(キーラ・ナイトレイ)、トミー(アンドリュー・ガーフィールド)の3人は、幼い頃からずっと、一緒に過ごしてきた。しかし、外界と完全に隔絶したこの施設にはいくつもの謎があり、“保護官”と呼ばれる先生のもとで絵や詩の創作に励む子供たちには、帰るべき家がなかった。18歳になって、校外の農場のコテージで共同生活を始める3人。生まれて初めて社会の空気に触れる中、ルースとトミーは恋を育んでいく。そんな2人の傍にいながらも、次第に孤立していくキャシー。複雑に絡み合ったそれぞれの感情が、3人の関係を微妙に変えていく。やがて、彼らはコテージを出て離れ離れになるが、それぞれが、逃れようのない過酷な運命をまっとうしようとしていた。やがて再会を果たしたルース、トミーとかけがえのない絆を取り戻した、キャシーは、ささやかな夢を手繰り寄せるため、ヘールシャムの秘密を、確かめようとする。だが、彼らに残された時間はあまりにも短かった施設の「秘密」、そこに暮らす子供たちの「秘密」が、やたらクローズアップされて宣伝されていたけれど、まぁそんな事情だろう、と思ったとおりの映画。同じようなテーマの映画が、以前にもいくつもあった気が。原作はまだ読んでいないけれど、原作の方が面白そう。と言ってしまっては、元も子もないけれど(爆)。それを「運命」として受け入れてしまっている、受け入れるしかない子供たちの、無邪気で無垢な瞳や表情。そして成長し、思春期を迎え、人を愛することを知り、そこから自分のアイデンティティや、存在意義を問い始める、その戸惑いなどが、美しい風景とともに、静かに描かれる。自分ひとりならば、誰かを愛することなどなければきっと、自分の運命のその先に何が待ち構えているかなんて、どうでもいいことだったのだろう。食肉処理を待つ子牛たちのように、その先に何があるかも知らず、知りたいと思うこともなく、ただ生きて成長して、「提供」されるだけ。しかし、かけがえのない人を得てしまった子供たちは、自分の人生を生きようとする。自分の人生の意味を、見つけようとする。愛する人たちと、ずっと一緒にいたいと願うために。外界から切り離され育てられているとはいえ、人間である以上、心はあるのだから、まるで物のように管理し出荷することなど、不可能だろう。それを知っていただろう校長もきっと、苦悩したに違いない。彼らも心がある一人の人間だ、ということを知っているがゆえに。風の吹きすさぶ草原や寂寥の海や、鉄条網を揺らす風、どことなく物悲しい風景が、美しい映画でした。わたしを離さないで 公式サイトオリジナル・サウンドトラック『わたしを離さないで』 著:カズオ・イシグロランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.04.26
暑さに耐え兼ね涼みに行ったドラえもんを追いかけ、雪山へとやってきたのび太。のび太は、そこで見つけた青いボールと空から降ってきた謎の部品を、家に持ち帰った。すると、青いボールからの電子音とともに、形状の違う謎の部品が、庭に落ちてくるではないか。それらの形からのび太は巨大ロボットの部品だと確信した。そして、ドラえもんのひみつ道具『逆世界入りこみオイル』と、『おざしき釣り堀』で作った鏡面世界へと部品を持ち込み、そこで組み立てることにする。完成した巨大ロボットに「ザンダクロス」という名前を付け、のび太たちはしずかちゃんと一緒にザンダクロスで遊ぶことにした。しかし、ザンダクロスは危険なロボットだと知ったのび太は、ドラえもんの提案であのロボットを鏡面世界に隠し、このことは秘密にすることに決めた。数日後、のび太は巨大ロボットの持ち主を名乗る謎の少女リルルに出会う。彼女いわく、ザンダクロスには頭脳があり自分で判断して動けるのだという。しかしその頭脳をなくしてしまったのび太は、許してもらう条件として、おざしき釣り堀をリルルへと渡してしまう。のちに、彼女たちの恐ろしい計画を知ったのび太。そして、偶然見つけたザンダクロスの頭脳と話し合ってみようと、ひみつ道具「おはなしボックス」でひよこロボットに改造する。声優さんたちがね、ちょっとやっぱり違和感というか。ドラえもんは、記憶の中のドラえもんとまったく声が違うし、のび太たちにしても、誰がしゃべってるのか分からないんだもの。まぁそれはそれとして、一言で言えば「友達っていいな」ってことですかね。ドラえもんてのは、大抵そういうお話だとは思うけど。ドラえもんの秘密道具を使いながらも、結局は勇気だとか友達を思う心だとか、そういうのが何よりのパワー。あのジャイアンでさえ、映画ではのび太側だものね。相変わらずオモチャのロボットをスネ夫に見せびらかされて悔しいのび太。僕も欲しいー!とゴネてたところに空からデカいロボットの部品が、庭にぼっこぼっこ落ちてきて、それでも気づかないさすがのび太ママ。つかさ、ドラえもんというロボットを持ってるだけで、みんなに羨ましがられる存在だと思うんだがのび太。もうみんなドラえもんには飽きたのか?(爆)ドラえもんがいることが当たり前すぎて、ドラえもんがロボットだってこと、忘れてるのか…?それが友好的なロボットじゃなくて、世界を人類を征服しに来た、ってんだから、さぁ大変!ドラえもんの便利な道具を駆使して、あの手この手でロボット軍団の襲撃を、かわそうとする。でもさ、一発タイムマシンで未来に行って、ドラえもんの仲間の、強いロボットたちを、呼んでくればいいのに(爆)。いや、ドラえもん型ロボットは、戦闘には向いてないのかもしれないか。そんなこんなで、地球人たちの友情や勇気に触発されたロボット美少女も、地球侵略という計画に疑問を抱き始める。ロボットにも心はあるハズ!だって、ドラえもんがいるんだから。ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 ~はばたけ 天使たち~ 公式サイトランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.04.24
18世紀イギリス。ウィリアム・ウィルバーフォース(ヨアン・グリフィズ)は、交易で富を築き上げた裕福な家に産まれ、父と叔父が残した財産を、多くの慈善プロジェクトに使う優しい心の持ち主として成長していく。そんな中、イギリスの主たる収入源となっていた奴隷貿易に心を痛めるが、聖職者として世のために祈るか、政治家として世を変えるか、2つある選択肢の狭間で彼の気持ちは揺れていた。そんな彼の後押しをしたのは、師であり、かの名曲『アメイジング・グレイス』を、作詞したジョン・ニュートン(アルバート・フィニー)だった。21歳という若さで議員となった彼は、英国最年少の首相であり友でもある、ウィリアム・ピット(ベネディクト・カンバーバッチ)と共に、政治家として、奴隷貿易廃止を訴えるという辛く苦しい茨の道を歩む決心をする。イギリスでの奴隷貿易を廃止しようと奮闘した、一人の若き政治家。しかし例にもれず、それは困難で険しい道のりで。古い慣習、保守的な議会、金にまみれた老獪な政治家たち。「奴隷を使って植民地で富を増やすのは当たり前」とされていた時代に、それを真っ向から否定するのは、それだけでも並大抵のことではなく。何度も鼻であしらわれても議会に挑み、何年も奴隷貿易廃止を訴え続ける、あまりの激務に体を壊し、アヘンチンキの多用により、精神も崩壊しつつある。そんな彼を支えたのは、一人の牧師が作った歌。その牧師は、奴隷船の船長だった。毎夜、航海途中で命を失った2万人の奴隷の亡霊に悩まされ、自分が死ぬまで悔い改めても足りないと語る牧師。そして、その時代にしては先進的で理解のある女性に出会えたことも、幸運だった。「あなたの意見はどれも私と同じ考えなのよ!」と怒るツンデレ女子(笑)が、彼を再び立ち上がらせる。議員たちの中にも、実はウィルバーに賛成のものもいる。けれど表立って賛成ができない、それが政治というものだから。生真面目なウィルバーは人道的な面から彼らの賛同を得ようとするが、それだけではとても法案を通すことはできない。そこで、国家にとっても金の亡者たちにとっても利となる案を思いつく。頭の固い議員たちの裏をかく作戦なのだが、ちょっとしたスリリングさに、まるで映画のような、という形容がぴったり。ウィルバーフォースの眠るウェストミンスター寺院で、バグパイプで『アメイジング・グレイス』が演奏されるラストシーン。歌はないけれど、なんと哀しく、そして優しい響きか。驚くほどの神の恵み なんとやさしい響きか私のようなならず者さえも 救われたかつて私は失われ いま見出された盲目だったが 今は見えるランキング励みになります♪↓ ↓ 【参考】 アメイジング・グレイス 公式サイト映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.04.23
1950年代のパリ。場末の劇場やバーで手品を披露していた老手品師のタチシェフは、スコットランドの離島にやって来る。この辺ぴな田舎ではタチシェフの芸もまだまだ歓迎され、バーで出会った少女アリスはタチシェフを“魔法使い”だと信じるように。そして島を離れるタチシェフについてきたアリスに、彼もまた生き別れた娘の面影を見るようになる。孤独な人生での、一瞬の出会い。言葉少なに語られる、時代遅れの老手品師と少女の交流。バグパイプの音色に煙る田舎町で、静かに暮らす2人。しかしそこにも、少しずつ変化はやってきて。そして最期は、やはり人は一人。それでもそのひと時だけでも、誰かと時を共に分かち合う、食卓で一緒に食事をする、そんな瞬間が大切なのかもしれない。女の子ズルくない?と思わなくもないけど(爆)。おじさん、それでいいの?と思ったりも。それでよかったんだろうな、きっと。ファンタジックな中にも、ブラックなユーモアとシビアさの漂う、アニメーションでした。ランキング励みになります♪↓ ↓ 映画レビュー ※楽天ブログはトラックバックができなくなってしまいましたのでgooブログ *モナミ*にトラックバックよろしくお願いします♪
2011.04.22
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