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ネプコに行った日に「明日はネプコのパーティです。あなたも参加してください・」と、突然言われました。今回のモンゴル滞在であらかじめ決まっていたのは、在モンゴル日本大使館の小林大使との食事会くらいで、他はほとんどモンゴルへ来てからです。私は何度も「まだ私の滞在中の予定は決まっていないんですか?」と日本出発寸前まで聞いていましたが、モンゴルではなかなか事前に予定を決めるという習慣がほとんどないのです。私が何度も聞くと「ここはモンゴルですよ。事前に何も決めないのは慣れているでしょう?わかっていますよね?」と逆に諭されるほどです。遊牧民の習慣と言ってしまえばそれまでですが、確かにそういう傾向があります。仕事だからと強くプッシュして予定を決めると、逆に寸前にドタキャンを食らう確率が高くなるのがモンゴルです。モンゴルで仕事をする人は、この辺を十分に勘案の上、余裕をもってお出かけください。私の場合は、結局は予定していたことはほぼ実現し、結果としてはかなり忙しい滞在になりました。で、パーティというのは、郊外キャンプで飲み会をやるということでした。当初の「午後1時ごろウランバートルを出発する」は「午後2時に延期」となり、結局3時過ぎても「ホテルで待っててください」というスケジュール感でした。ま、この辺りは私も慣れているので、1時に出発なんて期待していませんでしたが。場所は、ナライハ方面の先にある巨大なチンギス像周辺のキャンプ地です。こんな感じで、草原の中のキャンプ地です。本格的な大草原とは言えませんが、ウランバートルから車で1時間も走れば、草原気分は味わえます。そこにテントを建てて、パーティをやるわけです。パーティの主役は、もちろん「ホルホグ」です。羊一匹を解体して、熱い石などで蒸し焼きにする、草原では一番のご馳走です。味付けは塩だけですが、シンプルで美味しいです。まさに「肉を食う」って気分になります。テント内の隣のテーブルではカードゲームに興じていました。こんな感じで、モンゴル人は週末に郊外へ出てリラックスするのが好きなんです。もちろん、お酒もあります。中国系のアルコール度高いお酒で始まり、あとはビール、ウォッカ、ワインにウィスキーなどです。テントの外でも飲み会が始まりました。こうした郊外へ駆けつけるのは、ランクルが圧倒的に多いのがモンゴルの特徴です。お酒が進むと、一人の人がギターを取り出して歌いだしました。最初は、ギター好きの社員かと思っていましたが、かなり上手いのです。で、よく聞いたら、このパーティのためにプロのシンガーを呼んだんだそうです。確かに上手いわけです。モンゴル語の歌から、ビートルズまで幅広いジャンルの歌を上手に歌っていました。こんな感じで、夜更けまで楽しみます。ほとんどの人たちは、予約済みのゲルキャンプで宿泊するようでしたが、私たちは夜遅くにウランバートルへ帰りました。短い「なんちゃって草原体験」でしたが、楽しかったです。
2023.06.30
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今回の訪問では、教育関係の方々とも会っています。最初に日本的教育をベースにモンゴル有数の中等学校となった新モンゴル学園に行きました。場所はウランバートル市東部の街の中にありました。ここは2000年に日本の山形大学や東北大学に留学していたガルバドラッハさんが設立された学校で、今やそのグループの学校は9つにも及ぶそうです。その理事長さんであるガルバドラッハさんの学校設立の思いなどを伺いました。日本の教育の良い点を取り入れながらも、モンゴルらしさも生かした思いに、真面目で教育熱心な方なんだと思いました。そこで、日馬富士学校(新モンゴル学園のグループ校です)についても聞くと「今から連絡するから、会いに行けばいい。」と紹介してくれることになり、実際に行きました。場所は、新モンゴル学園が東部で街中にあるのに対して、新モンゴル日馬富士学園は西部にあり、広いキャンパスを持った立派な学校でした。元横綱日馬富士が学校を作ったというのは聞いていましたが、やはり実際に見ると大きくて立派でした。写真では全部を写すことはできませんでしたが、全部で3棟から成り立っています。2018年創立です。ロケーションは、市街地から新空港(及び旧空港)へ向かう途中にある場所で、渋滞がなければ中心部から車で30分もかからないところです。(但し、渋滞はいつもありますけど)10年前のこの辺は、まだ時折遊牧されてる牛や羊がいたほどの、のどかな場所でしたが、今では都市の発展と共にたくさんのマンション、ショッピングセンターなどが立ち並ぶ地域となりました。急なアポイントにもかかわらず、日馬富士不在ということで奥様でManagement Managerのバトトールさんと対外折衝担当の方が校内を案内してくれました。私はあまりモンゴルの中等学校(モンゴルは小中高一貫教育が基本です)を見た件数が多いとは言えませんが、今まで見たどの学校よりも広く快適そうな校舎でした。理事長室の前を通った時、「日馬富士さんは週にどのくらい来られるのですか?」と聞いたら「基本的に毎日です」と岩手大学出身のバトトールさんはきれいな日本語で答えました。「昨日も来ていましたし、本当に毎日来てます。子供たちのことを考えるのが好きなんですね。本当に今日はたまたまいないんです。」と。モンゴルではもう夏安みに入っていますから、理事長が不在だとしても不思議ではないのですが、日馬富士は基本的に100%教育に没頭しているそうです。私が「投資とか、ツイッターとかで忙しいあの横綱とは違うんですね?」というと、「横綱は教育だけです」と言ってました。ちなみに、バトトールさんは私たちとの会話では、日馬富士のことを横綱と呼んでました。大きな体育館を見せてもらいました。この写真ではわかりにくいですが、大きな平らな屋内スペースが少ないこともあり、企業がイベントなどで貸してほしいということもあるそうです。更に図書館にも行きました。なかなか立派な図書館でした。夏休みではありますが、スタッフの方々が本の整理などをやってました。本棚を見ると、モンゴル語の本とは別にかなり多くの日本語の本がありました。そのほとんどは、日本人からの寄贈だそうです。分野的には、いかにも子供向けの本から、普通の小説などもあり、中には「新潟県高校入試」という受験対策用の本もありました。これらは、恐らくいろんな日本人の方々が不要になった本を寄付したんだろうなという感じでした。「でも、本の数はまだまだ不十分なんですよ」と言ってた通り、大きなな図書館の本棚にはまだスペースが空いていました。うーむ、私は今まで何箱も処分のために超安値で古本屋さんで処分してきましたが、こういうところで読んでもらえるなら、その方がいいなあと思いました。本は重くかさばるので、輸送費の問題になるかもしれませんが、考えてみたいと思います。同時に、この学校の生徒らに私が書いた本を読んでもらいたいと思い、5冊寄贈することを申し出ました。日本の感覚では2018年設立と言えばまだ新設校で、評判はこれから徐々に高まるかもしれないという感じですが、現地のモンゴル人に聞くと「いや、もう人気校です。私の親戚の子もここに入れました」と言ってました。わずか6‐7年で今では1500人を超える生徒数だそうです。高校から入学した生徒らは既に卒業生も出ており、日本へ留学した人も多いそうです。先に訪問した新モンゴル学園と合わせて、生徒数は300人以上にもなる大きな姉妹校ということです。学校の案内や会議室でのミーティングを終え、帰るために入口ロビーに出てきたまさにその時でした。上下ジャージ姿の日馬富士が目の前を通りました。私たちが驚いていると、バトトールさんが簡単に紹介してくれ、横綱自らこちらへやってきて、挨拶と握手をしてくれました。急遽、名刺を差し上げてあいさつしました。間にいる方が、バトトールさんです。さらに、「じゃあ、写真撮るか?」と自ら申し出てくれて、一緒に写真に納まりました。3人で撮りました。驚いたことに、横綱は挨拶もそこそこにロビーにあるグランドピアノに歩いていき、そこでピアノ演奏を始めたのです。今は夏休みですし、私たちが今来た時もこのロビーには誰もいませんでした。つまり誰に聞かせるわけでもなく、自分一人でピアノ演奏を楽しんでいるようでした。学園内には、横綱のプロレベルの絵(東京で個展をやったこともあるほどの腕前)や書も飾ってありましたが、音楽もたしなむのを見て、やはり想像通りの芸術肌の人なんだなと思いました。夏休みのだれもいないロビーで上下ジャージ姿でピアノを弾く日馬富士を見て、本当に教育をこの学校を愛しているんだということがひしひしと伝わってきました。非常にすがすがしい気分になった日馬富士学園訪問でした。
2023.06.28
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街に出ました。暑くもなく寒くもなく、いい天気です。そこで見たものは、10年以上前から変わらぬ光景でした。休日ということもあり、街は比較的空いてました。スフバートル広場には、いろんな出店がありました。出店というのは、トレーラーに引っ張られた車体のようなもので、モンゴル流のファーストフードや飲み物を売ってます。これがモンゴル風屋台ですね。ホーショールはいくらかと聞いたら、2000トゥグルグ。確か昔ナーダムで買った時は800トゥグルグだったでしょうか?いずれにしても100円以下で買えます。おそらく、本当のホーショールのような肉たっぷりではなく、ひき肉をまるでマーガリンでも塗るようにうすーく塗っただけのホーショールでしょう。以前は、スフバートル広場の両脇の道路は駐車している車が滅茶苦茶多かったですが、今はすっかりありません。相当な取り締まりがあったんだろうと推測されます。ま、モンゴル人のマナーも良くなったのかな?と思った矢先です。道路上ではなく、駐車場に車が止めてあります。それで何が問題かと言えば、その止め方です。基本的にはこの写真右側の白や黒の車のように駐車するのが正しいのですが、それらの前面を塞ぐように通路に駐車している車が何台もあります。信じられない光景ですが、モンゴルではこれが普通なんです。そうすると、必ず聞かれます。「どうやって、出るの?」と。もちろん、秘密なんかありません。見た通りです。つまり「不可能」というのが答えです。誰が考えても「ここに止めたら、この車出られないでしょ?」と考えるのは日本人であって、モンゴル人は違うのです。「それはそいつが考えること、俺はここに止めただけ。」なのです。このブログでも私が時々「モンゴル人は3秒先のことまで考えられない」と書くことがありますが、それがまさにこれです。「なかなか駐車スペースが見つからない。路上駐車は警察の取り締まりが厳しいから、無理だ。あ、あそこの駐車場、まだスペースあるじゃないか!よし止めよう!」これで思考は終わりです。その先の「いや、でもここに止めると前の車に迷惑じゃないかな?」なんてもちろん、考えないのです。日本人の読者の方々は「なんかモンゴル人に悪意を持って書いてるのか?」「なんか特別な事情でもあるんじゃないか?」などと、私の書きっぷりに文句の一つも言いたくなるかもしれませんが、そうじゃないんです。私はモンゴルで2年間運転してましたが、こんなのは何回も見てますし、自分も被害にあってます。文句を言っても、誰も悪びれたり、「ごめんなさい」なんて言いません。これが本当に普通なんです。じゃあ、普通だから、特別な対処の仕方があるかと言えば、それはないんです。皆さんが懸念している通りの結果です。つまり動かせない、出られない。私が通りかかったちょうどその時、閉じ込められた車のドライーバーがやってきました。黒の車のオーナーのようです。私が興味深そうに見ていると、黒の車の目の前のシルバーの車を指して「これはお前のか?」と聞きますが、もちろん、違います。そうこうしていると、黒の車を邪魔している青の車のオーナーがやってきました。彼女も困った様子です。彼女は、加害者でもあり、被害者でもあるのです。ですが、どうにもなりません。他の車を塞ぐように止めている車のウインドウ越しに、電話番号がかかれており、そこへ電話しますがつながらないようです。仮につながったところで、困っている黒の車が出るには、一台、二台、、少なくとも四台は動かさないと出られません。本当にひどい光景ですし、どうなるかはもちろんわかりません。日本的感覚であれば、犯罪に近いひどさ(急用で出ようとしても出られない。急病の人を搬送しようにもできない)ですが、モンゴルでは「珍しくもなんともない、日常」です。最大の問題は、多くのモンゴル人は「他人に迷惑をかける」ことを気にしないというか「このままでは誰かが困るんじゃないか?」という先のことを考えない人が非常に多いということです。マナー以前の問題なんですが、残念ながら十数年前から何も変わっていないということです。20分後に歩いて戻ってきました。全く同じ光景のままでした。これがモンゴルです。上記の駐車場と別の駐車場の光景です。同じ場所ではありませんが、同じようなものです。つまりこれが普通で日常なのです。
2023.06.27
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今日は在モンゴル日本大使館へ行き、ランチをご馳走になりました。大使館へは何度かお邪魔したことはありますが、日本人の集まりのパーティのような時だったので、あまり良くは覚えていませんでした。ですが、今回は単独(実際にはモンゴル人と2人)でしたので、ゆっくり内部を見ることができました。内部はかなり立派で、確かに正式な晩餐会でもできそうなところでした。ランチとはいえ、メニューは立派な和食のコースでした。モンゴルにある和食屋さんはいくつか行ったことはありますが、どこも食材集めに苦労しているようで、さすがに日本の和食とは残念ですがかなり違います。ですが、大使館はさすがに食材調達ルートを持っているのでしょう、ほとんどモンゴルにいることを感じさせませんでした。ご覧の通り、立派な献立でした。小林大使がモンゴルに赴任されてから「今度お目にかかりましょう。」と知人を通じて連絡していましたが、コロナ禍で私は行けず、昨年モンゴルに来たときは大使の予定と合わず、今回が初対面となりました。私の小林大使に対する印象はなんといいますか、モンゴルを包み込むような優しさがあり、モンゴルに対して本当に愛情をもって接しておられるなという好印象でした。歴代の大使の方々(と言っても、全員良く存じ上げているわけではないですが)の中では、もっとも穏やかでモンゴルに対する知識や興味を一番持っている方なのではないかと思いました。もちろん、モンゴルという国の様々な問題は十分に理解しているうえで、批判よりも応援をするという姿勢に好感が持てました。大使の入省当時の話を伺った時に、なるほどだなと思うことがありました。外務省へ入られる方は当然、海外へ赴任をすることが前提です。その赴任先に大きな影響を与えるのが、語学の選択です。大使はせっかく外国へ赴任するのだから、いろんな国へ行って仕事ができるようにと思っていたそうです。入省時には一応希望の外国語を第5希望まで書けるんだそうです。できるだけいろんな国で使える言葉となると、当然ですが英語、フランス語、スペイン語などになるでしょう。大使は第5希望までモンゴル語とは書かなかったのですが、結局モンゴル語に決まったそうです。当時の大使を知る方によると、「突然決まったモンゴル語ではありましたが、当初からモンゴルに対し非常に前向きに取り組んでいたので、彼はこの仕事(外交官)にも、また、社会人としてもかなり広範囲に活躍できる人」だと感じられたそうです。通常は、その言葉の当該国へ留学するわけですが、当時はまだモンゴルは社会主義国でしたので、モンゴル語を学ぶためにアメリカにあるモンゴル語を教えられる大学に留学したのだそうです。ですが、当然アメリカの大学へ留学するわけですから英語も勉強しないといけないという状況だったそうです。それだからかどうかはわかりませんが、モンゴルへは以前に赴任してきたことは当然ありますが、今回、モンゴル大使としてモンゴルに赴任する直前はアメリカの領事館で仕事していたそうです。というわけで、モンゴル語と英語の達人のようです。モンゴル語に関しては、モンゴル人の友人が太鼓判を押していました。私の方からは、今回の本出版の経緯についてや、日本とモンゴルとの教育分野での交流をもっとできないか、などの話をさせていただきました。大使と話していて、当然ですが本質的な大使の任務は両国の友好関係を発展させることが第一優先だと思いますが、モンゴルのように比較的良好な関係を持っている国では、より具体的な交流も求められるのだろうと拝察しました。要するに、もっと経済交流を発展させるという使命です。経済交流には貿易もあるし、日本企業の進出、投資もあるでしょう。今回、モンゴルに来るにあたって乗ったMIATは満席でしたが、それは日本とモンゴルの往来が盛んだからだから、などとはとても言えないと思いました。MIATの東京便は、この6月でもまだ毎日は飛んでいません。週に5便だけです。それに対して、韓国は何便だと思いますか?聞いてびっくり、なんと毎日5便とかそれ以上で、週になんと65便も飛んでいるんだそうです。これはもう、差があるとかないとかというレベルの話ではありません。こういう現実を見ると「日本とモンゴルの関係は良好ですね!」なんて喜んでいられないということでしょう。日本企業がモンゴルに来ない理由は、私も長年関わっているので、痛いほどよくわかります。「市場が小さい」「信用できるのか?」「インフラは?」などいろいろありますが、これらは全て韓国にとっても同じです。以前より韓国パワーの凄さは感じていましたが、こうして具体的な便数の差を聞くと、言い訳ばかりの日本企業は少し情けない気がします。ビジネスでは難しいかもしれませんが、今年から来年にかけて文化的な盛り上がりは期待できそうです。民放やNHKなどで、モンゴルに関係する番組がいくつか予定されているそうです。この辺を起爆剤にして、せめて往来者数の増加と日本の航空会社の就航に期待したいと思いました。最後に3人で写真を撮らせていただきました。非常に心地よい、大使館訪問となりました。
2023.06.26
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7月8日金曜日からモンゴルに来ているのは、先日のブログでお伝えした通りです。その日が安倍さんが狙撃された日になろうとは、夢にも思いませんでした。前回来たのはコロナ直前の2019年12月ですから、ほぼ2年半ぶりです。成田空港自体は相変わらずガラガラでしたが、MIATのカウンターだけは混みあっていました。ナーダム前であり、数年ぶりのMIAT定期便運航ということで、里帰りを目指すモンゴル人の方が圧倒的に多かったです。機内はほぼ満席でした。機体は大型機ではありませんでしたが、ちょっと新しそうに見えました。そして遂にというか、ようやくというか、飛行状況を伝えるスクリーンが各席への個別モニターになっていました。私がシンガポールエアラインでこの個別モニターを見たのが20年以上前ですから、長い長い時を経て、ようやくMIATにも備わったということになります。ですが、実際にはご覧の通りなのです。飛び立つ前も、飛び立ってからも、スクリーンは真っ黒のまま。電気のスイッチにも反応しません。飛行ルートの表示もなく、共同で見る大きめのスクリーンもありませんから、これでは前よりも却って改悪と言えます。相変わらずMIATは何を考えているのでしょうか?エンターテインメントとまでは言いませんが、せめて必要最小限の情報は流してほしいものです。そして新空港に到着。確かに綺麗です。到着ロビー付近はこんな感じです。空港から外へ出るとこんな感じ。今回は遅い時間に到着ということもあり、空港の全貌をゆっくり見ることはほとんどできませんでした。ゆっくり見れるのは帰りの便でしょうね。でも、早朝なのでどうでしょうか?車は高速へ入ります。これがゲートです。さすがに日本のETCのような自動システムはありませんから、対面で現金払いです。道路は空いていて、片側3車線ですから快適です。他の走行車は、ほぼ前後に1台か2台程度でした。最高速は80kmで、運転手さんはほぼこの制限を守っていました。この高速道路は中国の援助で中国企業の手で作られたようです。高架でもなく、地面にコンクリートを流し込んだらできそうなシンプルな道でした。高速の両側にはこうした柵が設けられています。家畜の侵入をふせぐためでしょう。事前に聞いていましたが、高速は新空港から一気にウランバートル郊外までつながっており、その途中にはなんと一つもインターチェンジがないのです。沿線の利便性向上とか経済発展とかは考えなかったのでしょうかね?高速道路の長さはは32kmです。ウランバートルから新空港が50kmですから、残り20km程度は既存の道路となりますが、これがくせ者です。成田からの都心への感覚で乗ったので、ウランバートルの街が見えた時は「え?もう着いたの?20分かかるかどうかじゃない!こりゃあ便利だ!!」と内心叫んだほどです。ですが、問題はそこからです。旧空港への立派な道へ合流する前から、ひどい渋滞です。旧空港への道へ合流してからも延々と渋滞が続きました。以前はこの道は比較的空いていて、こんなに渋滞したのは見たことありません。結局高速は20分ちょっとで駆け抜けましたが、そこから都心のホテルへは1時間以上もかかりました。翌日「渋滞ひどいね、1時間もかかっちゃいましたよ。」というと「それは良いほうだね。平日昼間は2時間だから。」と言われました。ウランバートルの交通問題はますます深刻になります。空港からホテルまでは1時間半かかりました。夜の9時過ぎなんですけどね。ナーダム前のウランバートルの夜は、少し肌寒いくらいでした。
2022.07.09
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4 車の多様化が一層進んだ。安い中古車は相変わらずプリウス一色だが、高級SUVはランクル一色から変わりつつある。そのためか、高級車ディーラーが立派になった。空港へ行く道沿いにできたポルシェは、当然スポーツカー狙いではなく、カイエン狙い。平和橋のたもとにあったBMWも大きくなって、ポルシェ近くの空港通りに移転した。日本でまだ未発売のX7が既に走っていた。ベンツのGLEクーペの時も、日本より早く売られていた。ベンツの新型Gクラスも多い。どれも日本よりずっと高く、とんでもない値段。国民所得は伸びてないので、それだけ経済格差が大きくなっているということ。5 焼肉食べ放題の「はなまさ」が10数年ぶり(?)に復活した。「はなまさ」と「サッポロ」は、タクシーの運転手に言ってもわかる地名となっているが、かつてはなまさがあった場所に、新規開店した。「はなまさ」のあるビルは日本人オーナーであるが、一時、テナントの不正に苦労していた。その問題が解決して、新しくテナントを迎えた模様。焼肉だけではなく、しゃぶしゃぶも食べ放題。私は行ってないので、値段は不明。6 「東横イン、遂にオープンしました!」という日本人情報もあったが、実際にはまだ工事中。多分、現地へ行かずにネット見ただけの情報でしょう。なぜなら、日本語のガイドブックに宣伝が載っているくらいだから、間違えたとしても仕方ない。建物自体は2年前から完成している。が、見ての通り、玄関前にまだコンテナが置いてある。実際、まだ工事中でした。ナーダム前にオープンできないということは、年内オープンは難しいと思うが、どうなんでしょう?7 高級デパートとして開店したウランバートルホテルであるが、相変わらずの超閑散。店員はどこもほぼスマホに夢中で、客の存在が見えてない。ご覧の通り、店員はほとんど顔を上げずに、スマホしか見てない。テナントの店内でもほとんどスマホいじってた。地下は昔は高級スーパーっぽかったが、今ではSansarになっている。デパートの正面玄関を見ると、スーパーの方が目立つほど。日本橋三越のメインテナントがダイエーって感じ?7 平和橋のたもとの河川敷に馬が6-7頭いた。のどかな風景だが、周りは交通量の多い道路に囲まれている。一体どうやってここに来たのだろう?さすがにおかしいと思ったのか、警察がやってきて馬を調べていた。馬の持ち主は、トラックで運んだのだろうか?こんな狭いところに、何の目的で?2000年代前半ならともかく、少なくとも過去10年間では見たことない光景。とりあえずは、こんなもんかな?(完)
2019.07.06
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久しぶりのモンゴルでは、いろんな変化を感じましたので、いくつか取り上げます。順番に重要性は関係ありません。思いつくままです。1 コンビニができた。もちろん以前からコンビニはありましたが、残念ながら単なる「小さな便利屋さん」でした。が、CUとKマートが本格的に展開してます。CUじゃNice to see youを文字ったようです。共に韓国系だそうです。本当は日系に出てほしかったそうだそうですが、日系3社は最低でも1000店くらい(?)の出店可能性のある国を狙っているようで、残念ながらモンゴルはその候補ではないようです。でも韓国系も洗練されていて、見た目だけでは日本と大して変わりません。おにぎりも出来立てコーヒーもあります。従来のモンゴル系とは明らかに違います。2 ハーン銀行の本店が、平和橋ザイサン側にできた大きなビルに引っ越した。今度のビルはご立派で、いかにも大銀行という雰囲気です。日本の地銀の本店より立派かも。日本人相手の居酒屋「ととや」が、ザイサンに昨年引っ越したとのこと。店名も鳥ひろ(だったかな?)に変わったそうです。まだ行けてません。やはりザイサンはスフバートルエリアからすとると不便です。ちなみに、オーナーのママさんも、電話番号も変わっていません。3 渋滞レベルが半端ない。だからみんな歩くようになった。もちろんウランバートルの渋滞は私がいた当時からひどかったですし、その後もずっとそのひどさを見てきました。が、今のレベルは経済運営に明らかに悪影響するレベル。平和通りでもソウルストリートでも、朝も昼も夜の9時、10時になってもまるで駐車場状態。上記のザイサンの新店へ行くのをあきらめたのも、あまりの渋滞のひどさでいつ着けるかわからないほどだから。昔は、市内のちょっとした移動は車で移動していたが、今回は会う人みんな「どこかに止められたら、市内はほとんど徒歩移動」だそうです。レクサスもベンツも使い道がないほど。モンゴル人ビジネスパーソンは以前より歩くようになった。3 レッカー車を初めて見た。シャングリラの近くで駐車している車をレッカー車で移動させていた。が、違法駐車は半端なく多いので、効果の面では疑問が出る。そもそもレッカー車は、引っ張るためにクルマの前にスペースが必要なので、たくさんの違法駐車(縦列駐車)の中で、先頭の車しか対象としない。このずらりと並んでいる違法駐車の中で、先頭の車だけがレッカー移動させられる。それ以外には、レッカーは使えない。これに関連してだが、駐車マナーの悪化が半端ではない。もう犯罪レベル?私が運転していた時もひどかったし、実際に駐車場の出口をふさがれたこともある。が、当時は2-3台レベル。セントラルタワーの駐車場の一番奥に止めた車は、10台動かしても出せないレベル。でもこれが日常だというから驚き。これは駐車場内で移動中の車ではない。全部運転手不在で駐車中。この一番奥の車は駐車場を出るためには、手前の10台の車を移動させても出られない状態。これは「異常」ではなく「通常」というから、驚き!(続く)
2019.07.05
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初日に発覚した2大懸念への対処を終え、友人のUさんとランチです。新しい店希望と言ったら、じゃあペルー料理に行きましょうと、連れて行ってくれました。店には白人女性を含むスタッフがいました。聞けば、ペルー人だそうです。なんで遠いペルーからこのモンゴルにお店をやりに来たのかは不明ですが、ウランバートルにはメキシコ料理はもちろん、キューバ料理などなぜかラテン系の店が結構あります。ここで軽くビールで乾杯。美味しいランチを終えると、東京で会った政府関係者のTさんに連絡したら、オフィスではなくランチ中だというので、そこに行きましょうということになりました。そこは25階建ての新しいビルの最上階にあるレストランで、4人が食事していました。皆Uさんの友人ですが、全部違う会社の人です。タバコを吸うために外へ出るというので、私も「外の景色が見たい!」と付いていくと、そこはびっくりするほどの360度のパノラマです。UBが一望できます。屋上がヘリコプター基地になっているので、遮るものもなく眺めは抜群。ご覧のように、UBを取り囲む山まで良く見渡せます。ビル群の後ろには、びっしりとゲル地区の家々が見えます。こちらは、モンゴル国立大学外国語学部方面が見えます。やはり山の方はゲル地区です。ご覧の通り、塀など遮るものはありません。ヘリコプター基地となっています。こちらは、よりゲル地区がびっしり見えます。こうして見ると、改めてウランバートルの市街地はゲル地区に囲まれていることがよくわかります。ビルの数は明らかに増えました。中央右は、モンゴル国立大学本館です。中央の黒と茶色のビルは、チンギスハーンホテル。私が初めてモンゴルに来た時に泊まったホテルです。その左にあるのが、ウランバートル最大のスーパーとなったEマートです。
2019.07.04
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今日は朝から昨日の問題解決のために動きました。まず向かったのは銀行です。私が口座を作っていた支店が引っ越したとのメールを思い出し、シャングリラモールに向かいました。シャングリラホテルへは食事などで行きましたが、隣のモールへは行ったことはありませんでした。イオンモールを小さくし、高級にした感じです。入口にあるパンフレットを手にして銀行を探すのですが、書かれていません。おかしいな、確かシャングリラモールと書かれていたはずと、うろうろしました。午前中だからかなのか、ほとんどモールのスタッフがいません。とにかくその辺をうろうろしているスタッフと思われるような人に聞いてみました。「ハーン銀行はどこにありますか?」と聞くと「8階です」というではないですか。エレベータを探して、8階に向かいました。ですが、エレベーターは4階までしか行きません。4階で降りて乗り換えようとするも、ありません。しかたなく再び1階へ。するとインフォメーションセンターにお姉さんがいました。「ハーン銀行はどこですか?」「ありません」・・・得意の「バフグイ」です。これはモンゴル人のサービス業に多い対応で、自分が知らないことを「わかりません」とは絶対に言わないし、もちろん調べる「努力」もしません。あろうがなかろうが「バフグイ」つまり「ありません!」と強弁するのです。そんなことには慣れているので、私がもっと強く聞くと、通りがかったスタッフらしきお兄さんがその経緯を聞いて、いきなり「あなたはVIPですか?」と聞きました。友人のUさんは「モンゴルでは謙遜とか必要ありません。偉いですか?と聞かれたら、偉いです。VIPですかと聞かれたらVIPと答えてください」と言われてますので、恥ずかしげもなく「はい、VIPです」と答えました。すると態度がコロッと変わり、この人があなたをエレベーターまでお連れします、と警備員を私につけてくれました。どうもモールのエレベータは4階までですが、それとは別のオフィス用エレベータがあるようで、そこまで連れて行ってくれました。場所も当初聞いた8階ではなく、6階でした。早速そのオフィスに入ると、私にメールで対応してくれる日本語堪能なBさんが相手をしてくれました。事情を説明すると、すぐに手続きをしてくれ、明日の午後には新しいカードができますので、取りに来てくださいと言われました。なかなか迅速でいいサービスです。これが通常の支店だったら、まず無理でしょう。以前、ゴルムト銀行で同じようなケースがありましたが、結局私にはカードは作れないと言われたくらいです。ま、そのこともあって、ハーン銀行にしたのですけど。次は、電話の問題です。同じビル内にモビコムがあると聞いたので、早速行きました。私の携帯は受信は出来るのに、発信ができないという症状です。調べてくれた答えは、お金の残高がないと言います。2008年から使っていますから、もう10年以上も使っているのに残高がないとはおかしいです。基本的に請求に対して支払ってきたわけで、前払い方式ではありません。ですがその人が言うには、ハイブリッド方式とか言って、残高が必要だとパンフレットを見せます。私にはさっぱり意味は分かりません。が、要するに今お金を払えば(過去の請求書の分ではなく、これからの分)すぐ使えるというので、その場で即払いました。すると、あっという間に手続き完了で、電話もSMSもできるようになりました。共に午前中に完了し、インフラ基盤も見通りが立ったのでほっとして、友人のUさんとのランチに向かいました。
2019.07.03
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今日からモンゴルです。ちょっと久しぶりということもあり、到着早々トラブル続出です。まずは私のパスポート。成田でのチェックイン時に「有効期限が6か月以内のパスポートは、原則入国できません」と言われてしまいました。私はチケットはいつもMIATの東京支店で買うので、「なぜその時に行ってくれなかった?」と聞くと「MIATの人がそこまで注意して見ているかわかりません・・・」だって。ですが、そこはなんとか乗り切ってチェックインしました。が、案の定というか、モンゴル入国時の審査でも「パスポートの期限が6か月以下はだめ」と言われてしまいました。でも、もうモンゴルに来ちゃってますからね。帰りのチケットを見せて納得はしてもらいましたが、それでも入管ブースから出て上司に確認すると行ってしまいました。私の後ろに並んでいた人たちは、大迷惑です。不満そうに、他の列に移動しました。「ごめんなさいね」と心で謝りました。結局、これもなんとかパスで、無事入国しました。迎えの車に乗り込み、モンゴルの携帯を取り出してSMSで友人らにメッセージを送りました。この携帯は、モンゴルに住んでいた時から使っているノキアです。モビコムとの契約は続けています。が、SMSを送れない。他の友人へも送れない。電話をしてもつながらない。こんなことは初めてです。さて困りました。日本から持ってきたスマホで連絡を試みるも、なかなかすぐには返事が来ない。電話も出ない。更にホテルに到着し、チェックイン。モンゴルのバンクカードを出すと、なんと有効期限切れ!モンゴルではほとんど日本円を両替することもクレジットカードを使うこともせず、モンゴルの銀行のカードを使います。デビットカードとしてレストランなどでも使えるし、ATMから現金も出せるので、大して日本円の現金は持って来てないのです。電話の方はいろいろ試したら、モビコムの問題ではなさそうです。なぜなら、電話もSMSも受信は出来るのです。モビコム側もこの番号での問題はないと言っているそうです。というわけで、明日はモビコム行って確認したり、銀行行ったり、生活インフラ整備をしないといけません。皆さんも、パスポートの期限、銀行カードの期限(実は前にもモンゴルで期限切れがあったのです)、携帯電話の維持管理には注意してください。もっとも、モンゴルのカードや携帯を使っている在日日本人はあまりいないとは思いますが。そして友人のUさんから電話がありました。11時から会いましょう、と。日本時間の夜中の12時になります。ちょっと疲れ気味ですが、まあいいでしょう。ですが、やはり11時には来れないそうです。何時に来るんでしょうかね?
2019.07.02
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「今日の午前は内閣官房長官への訪問です」との声でスタートしました。前日と同じように、政府庁舎へ入り、案内されるままザンダンシャタル官房長官と会いました。前日の大統領と同じように、私が英語のプレゼン資料を見せながら日本語で話し、それをUさんがモンゴル語に通訳をする、という形で進めました。すると、12―3分ほど私がプレゼンし続けていると、官房長官が資料をパタリと閉じ「実は、昨日のうちに資料を拝見し、勉強させていただいておりました。また今朝はK先生にも会い、田崎さんのことを教えてもらいました。」と言うではないですか。要するに、内容についてはもうわかっていますよ、ということです。そして基本的には私の考え方に賛成だというのです。その上で、官房長官のご意見も伺いました。結構、ざっくばらんに話してくれましたし、政府として困っていることも話されましたが、もちろんここでは書けません。ま、私の考えに賛成だからすぐにどうなるということではもちろん、ありませんけど。前日の大統領も今日の官房長官もモンゴルを良くしたいという気持ちの上では、同じ方向であるということはわかりました。ですが、だからと言って、何かが変わるわけではないので、こうした面談が何かにつながるのかどうか、私には全くわかりません。昨日、今日のところは、私とモンゴル政府関係者(大統領と官房房長官)が意見交換をしたという以外には何もありません。今後また会う機会もあるかもしれませんが、そうした話は今後はこうしたブログにも書きづらくはなるでしょうね。この日の夕方は「ダンシャリ」講演会でした。今回モンゴルにて再出版することになった私の本について、1月に来るときに講演をしてほしいと頼まれていました。私は気楽に、いいですよ、と答えていたのです。当然、経営者関係の方々が集まるものだと思っていました。が、わずか二日目に「マーケティング関係者の方々が聞きにきます。」と言われました。「マーケティング?いや、別に私はマーケティングの話をするつもりはりませんよ」と答えたのですが、聞きに来る人達はどうもそうではなかったようです。オーストラリア留学中のモンゴル人のEさんから「今日、マーケティング協会の人向けに講演するんですね。フェースブックに出てました!」とメールが来ました。どうもマーケティングの勉強のつもりのようです。ちょっと違うんだけどなー。会場はコーポレートホテルです。都心のではなく、ジャパンタウン方面にできた新しいコーポレートホテルです。行ってみると、会場で準備されていました。ですが・・・結論を先に言いますと、モンゴルのホテルはやはりひどい、の一言に尽きるということです。とてもじゃないけど、国際会議どころかまともな会場運営も全くできないレベルだということがよくわかりました。私がパソコンの準備をしていると、会の主催者から「あとはホテルの技術者が来てやります」とのことでした。準備と言っても、電源を入れて、プロジェクターの準備をするだけのことです。ですが、そんな簡単なことでも、技術者を待てと言われれば待つしかありません。で、コーポレートホテルのジャンパーを着たスタッフがやってきました。私はすぐに「このスタッフ、怪しい」と思いました。なぜなら、技術者どころか、電源コンセントの場所さえわからずに探しているのです。オーディオやプロジェクター機器がたくさんある中、コンセントの場所すらも知らないのです。いかにもこんな場所、初めてきましたって感じで。新しいホテルですから、当然プロジェクターも天井備え付けです。プロジェクターのコードを私のPCにどう差し込むのかもよくわかっていないのです。それでもなんとかセットしました。でも映りません。いろいろ調整してみますが、全くできません。もう開始時刻は過ぎていますが、全然映りません。別のパソコンでもやってみますが、それもだめ。遂には、コーポレートホテルのパソコンを持ち込みますが、それもだめ。要するに、何を使っても映らないのです。こんなの、普通なら会議室にプロジェクターが置いてあって、2-3分ですぐにやれるようなレベルの話です。このコーポレートホテルが、格好いいパンフレットで宣伝をしているのを知っていますが、こんな初歩の初歩レベルでも何もできないのを見ると、やっぱりモンゴルは数十年は遅れていると思ってしまいます。モンゴル人はこういうのを見ても「いいえ、モンゴルは大丈夫です。こんなのたまたたまです」んどと言いますが、会議をする人にとっては「たまたま」ではないのです。100%機能しなければ、それは「できない」と同じ意味だということをモンゴル人は知らないのです。結局、プロジェクターなしで講演会的にやりました。内容はマーケッター向けではないし、プロジェクターはないし、とても効果的な講演会だったとは思えませんが、なんとか終えました。それでも、なぜかその後展示即売会(?)的になっているのか、私の本を手にした人たちが並んで、即席サイン会となりました。私の本に関しては、モンゴルでの印税は全部放棄しているので、売れたからと言って何か入るわけではありませんが、一人でも多くの人に手に取っていただけるのはうれしいものです。こうした若いマーケッターから、一人でもモンゴルの新市場を切り開くような人が出てくることを祈っています。
2018.01.25
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大統領との面談を終え、次に向かったのは内閣のスタッフへのプレゼン会場です。12時過ぎに終え、次は1時ですから当然昼食ははなしです。私は食事なしには耐えられますが、この外部の寒さには閉口しました。通常は、次の場所へ移動するにはタクシーですが、「歩ける距離ですから」ということで歩き出しました。モンゴル人でも「ここまで寒いのは経験ないなあ」というほどの寒波到来中です。マイナス40℃にもなる巨大超低温冷凍庫(日本では家庭用冷凍庫はマイナス18℃、業務用でもマイナス24℃と「暖かい」のです)の中を歩いていると、鼻やのどが痛くなってきます。そんな中5分以上も歩くと、身体が寒さに拒否反応を示してくるのがわかります。この極寒の地で、強制労働をさせられた日本人のことを思うと、なんとも言えない気持ちになります。たどり着いたのは、以前K先生のオフィスがあったビルで私も何度も訪れたことがある場所です。私がモンゴルに住んでいた頃に首相直轄の国家戦略室というものができ、K先生はそこのトップをしていたのです。当時との違いは、入館方法です。当時は、外から直接入って階段上れば、Kさんの部屋でしたが、今は入館時から荷物チェックにパスポートチェックです。そういう時代だということです。最初は、その国家戦略室室長への挨拶です。そこで会ったのは、以前に会ったったことのあるBさんです。Bさんも私のことを覚えており「昨年のインベストモンゴリアで、席が隣でしたね?」と日本語で声をかけてくれました。その後、講演会場へ。会場には3-40名程度の各省庁からのスタッフが参加していました。聞けば、内閣府、外務省、経済相。。。など、各省のキーマンだそうです。全体では結構な人数の聴衆者ですが、途中の出入りが非常に多く、最初から最後まで通しで聞いたのは、その半分もいないでしょう。多分「空いてる時間にちょっと覗いてみよう」くらいなんだと思います。そういう人相手にストーリーを組み立ててプレゼンしても、なんの効果もありません。プロジェクターへの投影は英語版、私の手元には日本語版を置き、日本語で話しました。それをUさんがモンゴル語に通訳しながら進めます。プレゼンの内容はここで詳細は書きませんが、モンゴルが良い国になってほしいとの願いのある内容です。どの国も同じだと思いますが、役人というのは何事にも無表情、無関心な雰囲気があります。ですが、プレゼン後には興味を持ってくれるような発言もあったので、それはそれでいいかなと思っています。ここでのプレゼンは2時間ほどで終了しました。実は、今朝起きたときあまり食欲なかったので、前日の夜以降全く食事なしの状態でした。が、「では、これからテレビ局に参ります」と再び外を歩き出します。私も再びこの寒さの中を歩きだしました。が、やはりどうしても寒いです。確かに夏の元気な時なら、10分くらい構いませんが、身体が寒さを異常に拒否しようとしています。私はついに「タクシーで行きましょう!」と声を上げました。で、タクシー移動となりました。都心にあるこのテレビ局には何度か来ています。今後の打ち合わせを終えると「上の階へ行っていいですか?」と。早速Uさんによる私へのインタビューが始まりました。時間は15分程度で、明後日のニュース番組の中で流すんだそうです。多チャンネルのUBで、どれほどの人が私のインタビューを見るかはわかりませんが、多少なりとも「そういう見方もあるのか?」と感じてもらえればいいです。というわけで、長い長い一日の「仕事の時間」がようやく終わろうとしていました。結局、ほぼ24時間何も食べていない状態となりましたが、不思議と大して空腹感がわきません。むしろ、風邪による体調不良を感じてました。そのままUさんと二人で和食居酒屋Tへいきましたが、やはり一向に食欲がわきません。結局、今までTに来たどの時よりも少量しか頼まず、しかもそれすら食べるのがやっとというありさまで、そそくさとホテルに帰って寝ました。やはり今年のUBの寒さは異常です。
2018.01.24
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「今日は午後から講演会ですが、その前に午前中はバトトルガ大統領への表敬訪問になります」と言われました。日本にいたときから、日程にもよるが大統領か首相への表敬訪問があるかもしれない、と言われていました。とはいえ、スケジュール変更はよくあるお国柄ですから、たぶん実現はしないんだろうなと思っていましたが、どうやら本当の話のようです。午前10時前にスフバートルの政府庁舎に入りました。「ここは初めてですか?」と聞かれ、ごく自然に「いいえ、来たことあります」と答えましたが、果て、一体いつ来たんだろうか?と思ってしまいました。ですが、確かに内部は見覚えがありました。内部は通路は長く広いのですが、慣れていない人にとっては迷路ともいえるような構造にも見えました。歩いてる途中思いだしました。日本語を教えていた小学生の子供たちの社会見学で国会を見に来た時に、一緒に来たことがあったのでした。いよいよ、大統領の執務室へ。私は普段はほとんどネクタイ着用はせずジャケットだけですが、さすがに今回はスーツにネクタイで来ました。大統領はノーネクタイで、カジュアルないでたちでした。さすがに元サンボ(ソ連時代の格闘技)の世界チャンピオンだけあって、がっしりとした身体つきでした。大統領に会うためには、当然数々のセキュリティチェックを通されます。飛行機に乗るときのチェックのようなものですが、カメラも携帯電話も持ち込み禁止なので「一緒に記念写真でも撮ろうかな」なんて気楽に考えていた私のプランは、当然実現しませんでした。私と一緒に大統領の部屋を訪ねたのは、大統領と私と通訳をしてくれる私の友人であるメディアコーディネーターのUさん、そして政府側での今回の私の一連の行動の窓口をしてくれている内閣府のBさんです。ですが、私が大統領と向き合って話した時には、私たちに加えて大統領側のスタッフが4-5名いました。皆若いスタッフに見えました。私はそもそも表敬訪問と聞いていたので「サエンバエノー」と挨拶して、10分程度で終わるんだと思っていました。私はこの点をUさんに事前に聞いていましたが、Uさん自身も数日前まで「そもそも会談は実現するのか?」「会うのは大統領か首相か?」もまだはっきりしないように聞いていたくらいですから、この表敬訪問に一体何分時間取ってあるのか、わかりません。その場の雰囲気としては「日本から来たコンサルタントの意見を大統領が聞く」のような感じになってきたので、この日の午後講演する予定の資料(英文)を手渡し、私からプレゼンすることにしました。ただ、これを始めると、通訳経由ですから急いでも1時間はかかってしまいます。でも、そんな時間をもらえるのだろうか?中途半端に「はい、そこまででおしまい」と切り上げられるのは困るなと思いながら、とにかく始めました。大統領は真摯に聞いてくれ、大事なところは頷いて資料にも目を通していました。私の印象では、大統領はちゃんと相手の言葉を聞き、ほとんど反発、反論をせず、「まずは相手の言うことを聞こう」という態度に徹しているように見えました。正直言って、格闘技系出身のモンゴル人大統領ですから、もっと大迫力の議論を迫ってくるのかと思っていましたが、全く正反対で、むしろ「静かに聞き入る」という姿勢を感じました。私の話の中には当然、モンゴルの現状に対する批判的な内容や、政治家に取っても耳の痛い内容がたっぷり含まれているわけですが、一切の反論をせず静かに頷いていたのが、とても印象的でした。私の話は結局1時間以上も続きましたが、その間「そろそろ終わりにしようか?」という雰囲気は皆無でした。私の話が一通り済むと、今度は大統領がいろんな話をしました。中にはなるほどと思うのもあれば、やや荒唐無稽とはあ言い過ぎですが、さすがにそれは5年や10年では実現しないだろうというものもありました。ただ強く感じたのは、「モンゴルの将来のことを強く考えているのは間違いない」ということです。あの巨大チンギス像を作った人ですから、モンゴルへの観光誘致には特に関心を持っているように思えました。また大気汚染問題について「現在のUBを再開発によって全ゲルをアパート化するには40年以上かかる、とJICAに言われた」と言い、それなら遷都の方が早いのではないか、と言ってました。面白いのは「明日、官房長官と会ったら、OOのことをあなたから伝えてください」みたいな言い方が、何度かあったということです。私みたいな外国人に頼らずとも、呼びつけて申し渡せばいいのでしょうが、その辺の権力構造(大統領と首相)がわかりにくくなっているのは、外部から見てもそうですが、内部的にもそうなんだろうと感じました。結局、大統領との面談時間は2時間にも及びました。最後に「この国を良くするのによろしくお願いします」と言われました。私のような経営コンサルタントは、有名な企業経営者と会うことはあっても、政治家、特に一国のトップである大統領とさしで話すということはまずありませんので、いい経験になりました。
2018.01.23
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今日はクライアント先へ行った後、都心に出るのは時間がかかるので、ゴビファクトリーに併設されているミラージュでランチしました。ここはケンピンスキーの和食店のシェフSさんが運営責任者としてやっている店です。ビジネスパートナーのBさんに「ミラージュでよろしいですか?」と聞かれたとき、一瞬考えてしまいました。というのは、今晩そのSさんと会う予定があったからです。ま、店も違うし、ミラージュはそもそも行ったことがなかったので、入りました。店内のスペースは大きいです。よく言えばスペーシーでゆったりした空間ですが、別な見方をすれば、倉庫の中にイスとテーブルを置いたような、ちょっと「ガラーン」とした雰囲気です。高級レストランという雰囲気ではありません。というのは、以前からここにミラージュというレストランができたのは知っていましたが、なぜか私は勝手にここをフランス料理店だと思い込んでいたのです。実際には、お手軽和食とモンゴル料理をミックスしたようなメニューが並んでました。ツイバン(モンゴル式焼うどん)にしようかと思っていたら、Bさんが「ここで一番気に入っているのは、鍋焼きうどんとホーショールのセットです」と勧めてくれました。ちょうどその時に今晩会う予定のシェフのSさんが通りかかりました。ここはSさんが運営しているので偶然というほどの話ではないでしょうが、市内に何店舗も運営しているので、まさかここで会うとは思っていませんでした。そのSさんも「ここでの一番人気はこのセットです」と勧めたので、結局それにしました。というわけで、モンゴルに来て3回目のランチでさくらベーカリーに続いて二度目の鍋焼うどんです。モンゴルでの鍋焼うどん人気は、明らかに日本よりは上でしょう。で、夜は予定通りSさんと食事しました。お店は「Little sheep」という店です。私は行ったことありませんでしたが、「小肥羊」というブランド名で、日本で17店舗も展開しているそうです。ですが、日本の店の場合、ちょっと不思議な現象があります。ネットで検索すると、なぜか食べログなどの情報には載っていないのです。2006年に日本上陸ですから、当然載っているはずです。なぜなんでしょうかね?モンゴルのお店はほんの先週オープンしたばかりのようです。店に入るとすぐにあの火鍋の独特の香辛料の香りがします。もともとほとんど香辛料を使わないモンゴル人にはちょっときついかもしれません。聞けば、このチェーンは中国を中心に世界中で1000店舗を超える規模になり、羊肉の世界消費量を大きく増やしたと言われています。また羊肉の調達に対しても厳格な基準を設けて、モンゴル国内で調達しているとのことです。ここではラム肉も扱っていますが、従来はモンゴルではほとんど見ることはありません。ある場合は、高級レストランでニュージーランド産ラムがある程度です。というのは、伝統的にモンゴルでは仔羊を殺していけないとされてきたからです。当然、羊供給者(=遊牧民)からの抵抗はあったでしょうか、安定的に大量購入してくれるとあればそんことも言ってられないのでしょう。キルギスから帰ってきたばかりの大企業駐在員のFさんによれば、キルギスの肉はおいしかったそうです。それはちゃんと血抜きをしているからです。モンゴル人は肉のことになるとどうしても自国最高という意識が抜けないので改善する気が薄く、国際市場では低い競争力しかないように見えます。で、リトルシープの味は?悪くはないですが、私にはブル(シンガポール系のしゃぶしゃぶ屋さん)の方がいいかなと思いました。一番の違いは、ブルは日本のしゃぶしゃぶのように、ポン酢やゴマダレをつけて食べるのですが、リトルシープはスープの味だけで、何かにつけるということはありません。その分、相当スープの味を濃くしないといけないということなのでしょう。でも、この内モンゴル出身の創始者オーナーは素晴らしいと思いました。内モンゴルの遊牧民らへの経済発展の大きな力となったことでしょう。私はこれがアメリカを含めた外国でこんなに人気が出るのなら、札幌の「ジンギスカン鍋」も世界に向けて展開できたんじゃないかと思うのです。ちんみにのジンギスカン料理は、モンゴルとは一切関係なくニュージーランドからの羊肉輸入権利を持つ商社が仕掛けた料理です。本当は、写真をお見せしたいところですが、なぜかパソコン上で写真が開かなくんってしまいました。モンゴルへ来てからパソコンの状態が悪いのです。キーボードまで一部壊れているので、このブログを書くのにも普段の倍以上の時間がかかっています。寒いし、パソコンは不調だし、残る日々を乗り切れるか少し不安です。
2018.01.22
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今日のランチはモンゴル行く前から打ち合わせの予定を入れていましたが、例によってモンゴル式のドタキャンです。モンゴル式というのは、1、非常に頻繁に起こる。躊躇せず、ドタキャンする。2、相手への思いやりは一切感じないやり方で、自己中心的考えでしかない。という意味です。日本だって、やむにやまれぬドタキャンはあるでしょうが、普通は「できるだけドタキャンをしないように注意する」というのが前提です。ですが、モンゴルの場合はそうではありません。ドタキャンの後、相手が日本人だと少しは「申し訳ない」という振りはしますが、そもそもそうならないように努力することは一切ありません。相手への思いやりというのは、こういうことです。今日は12時から一緒にランチを兼ねた打ち合わせ(仕事上の打ち合わせです)をすることになっていました。普通は当日午前10時くらいには場所についての連絡が入りますが、そうではありませんでしたの、こちらから連絡しました。すると、すぐに「後で連絡します」と返ってきました。通常、「後で」というのは、「今手が離せないから、後で」という意味にとります。もし、そうではないなら、今の事情を説明して「30分遅くなる」とか言います。もちろん、ここでの「通常」というのは日本のことであり、モンゴルのことではないのは当然です。が、相手は日本留学経験者で、そういう約束は基本的には守る人でした。ですが、事情の説明もなければ、遅れる時間も言いません。要するに「待ってればいいじゃないか。俺には俺の予定がるんだから、何時間でもそこで待っていろ!」という意味です。案の定、1時間以上も何の連絡もありません。また連絡すると「すいません」だけです。これから更に相手を待たせるのか、それとも目途が立っているのか、すら言いません。「すいません」はだけでは全く意味がありません。これはモンゴル人によくあるパターンで「すべての行動は自分中心であって、相手がそれに合わせればいい」という考え方です。私は、相手が普通のモンゴル人なら「約束を気にしないのはモンゴル人の習慣」だとわかっていますが、あの友人までもがそうなっていることには、残念ながらショックを受けました。モンゴルでは「モンゴル人になる」という言葉があります。日本やアメリカへ留学して、最低限の常識やマナーを身に着けた人も、モンゴルに帰ってくると次第に「モンゴル人っぽくなる」という意味です。そういう意味では、今回の彼も「完全にモンゴル人になった」と言えます。最終的には、午後4時ごろに結局キャンセルされました。相手のことを考えているなら、午前11時にキャンセルすればいいのですが、そこは自己中のモンゴル人ですから、そんな気を遣うことはありません。できるだけ延ばして、相手がどうなろうと知ったことではありません。モンゴルのことを良く知らない方は「いいじゃないか、そんな程度のことでグダグダ目くじら立てるなよ」と思われるでしょうが、そういうレベルでないほどに、そうした約束破りがこの国の習慣になっているのです。それが、国際レベルの話になると「確かに我が国はお金を借りたが、ちゃんと返すとは言ってない」などという政府の態度につながるのです。あるいは「確かに約束はしたが、約束を守るとは言ってない」というもの、常套手段です。というわけで、一人でランチに出かけました。外は昨日に比べても随分寒いです。そしてついに喉がやられてしまいました。冷たい空気を吸い込むたびに、のどに痛みを感じたのでヤバいなと思いましたが、ホテルに帰ってからも風邪みたいな症状になってしまいました。風邪薬のルルを飲んだら、一層風邪を引いた気分になっています。明日から始まる1週間、無事に乗り越えられるのか、まだわかりません。
2018.01.21
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モンゴルに来ています。 成田のチェックインカウンターでは、ほぼ並ばずに手続きできたので「今日は空いているんですか?」と聞いたら、そんなことはないと言われました。実際、乗り込んでみると60-70%くらいは埋まっていました。 搭乗口で並んでいると、後ろからフランス語の会話が。40代くらいの5人グループの西洋人がいました。見た感じはビジネスっぽい感じではありませんが、この時期観光でもないだろうと思っていました。 搭乗手続き開始が遅れ、並んでいるその人たちと目が合ったので「あなたたちは、ここからモンゴルへ行くのですか?」(考えてみれば当たり前の質問ですが、ヨーロッパ人ならベルリンかモスクワ経由だろうと思ったのです) そしてわかったことは、なんとこの人たちはニューカレドニアからの観光客なんだそうです。南半球の太平洋に浮かぶこの国は確かにフランス語圏です。 私が「モンゴルは寒いんですよ、とっても。」というと、ニコニコして「それはいいね」と喜んでました。モンゴル初訪問とのこと。 もちろん目的地は「煙の街」ウランバートルではなく、どこかの田舎と言っていました。ゲルに泊まるのを楽しみにしている様子でしたが、果たしてこの時期もゲルキャンプはやっているのか? 普通はモンゴルのゲルキャンプは10月には閉鎖されます。私は以前、フブスグル湖で行われる氷祭りに行ってみたくて旅行会社に調べてもらいましたが、観光用のゲルは全部閉鎖していると聞きました。 「本当の田舎」は、どこもゲルキャンプは閉鎖だと思いますので、私の予想ではテレルジあたりに行くのではないかと思いました。実際、この時期でも週末などにテレルジへ遊びに行くUB市民はいますから。 それにしても、10月でもゲルで寝るのは、深夜や明け方の「ストーブの火付け」がないと凍えるほどですから、この時期だと1時間ごとでも寒いんじゃないでしょうか? あるいは、本当のゲルじゃなく、ハーンリゾートあたりの快適なゲルホテルなのかもしれません。香港や台湾の人が北海道の雪を見たさに訪日客が急増したように、モンゴルのこの寒さも、一ひねりすれば観光化できるのではないかと思いました。 街を歩きました。為替が弱くなってから1年以上経っています。モンゴルは、鉛筆も大根も石鹸も、なんでも輸入に頼っていますから、トゥグルグ安は物価を直撃します。 いつものようにさくらベーカリーの鍋焼きうどんを頂きました。昨年は「為替きついですけどなんとか1万トゥグルグ以下は守りたい、と言っていた鍋焼きうどんの価格もついに12,000トゥグルグとなっていました。 なんせ食材のほぼ全てが輸入品なので、仕方のないところです。もちろん、味は相変わらずおいしかったです。 MAXモールに新しい店ができていました。4000トゥグルグと大きく出ているので、例の100円ショップ的200円ショップかなと思って見てみました。 従来の4000トゥグルグショップより店はきれいで、とてもおしゃれな雰囲気です。客層も、ほとんどが女性でした。品ぞろえは化粧品からバッグなどまでターゲットは若い女性のようです。 ここの特徴は、4000トゥグルグに限らず、8000トゥグルグや18000トゥグルグなど、均一価格になっていなということです。でも、そんなことは気にせずに、かわいい商品を選んでいるお客さんが結構いました。 更に、ウランバートルデパートの地下にある3500トゥグルグショップ(Japan store)を見てきました。多くの店が3500では立ちいかなくなり4000(または3999)に値上げしている中、3500で踏ん張っています。 場所柄ということもあるでしょうが、店が広くてきれいです。街中にある多くのこの手の店は「安く売っているんだから、内装もそれなり」という感じなのに、ここは違います。明るくきれいで、商品説明のためのPOPもちゃんと作っています。 店員も例の「超やる気のない態度」ではなく、はつらつと働いています。ここでの印象は、お客さんが多いことはもちろんですが、一人当たりの買う量の多さに感心しました。 カートに(カートが通れる通路です)にいっぱい、10個、20個?いやいや50個、100個という感じで買っています。こちらは先ほどの店とは違い、比較的高齢の方、場所柄富裕層とみられる人たちです。 上記2つの店に共通しているのは、従来のような「入口からわかりにくい、いかにもコスト削減している店舗です」という感じではなく、明るく洗練された店舗だということです。 為替が弱含みでも、モンゴル人の「日本品質」への期待は変わっていないか、ますます増えているように思いました。商品のほとんどはもちろん「Made in China」ですが、日本企業の管理下の商品だということの安心感が強いのでしょう。 明日から寒くなるとのこと。マイナス40度は目前のようです。
2018.01.20
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日本への帰国の途、チンギスハーン空港でいつものようにカフェに行くと、こんなスクリーンが張ってありました。ミアットのビジネスラウンジがもうすぐできます、だって。一体これをどう解釈すればいいのか?新空港は、当初の予定では昨年開港でした。それが今年の春になり、その後は今年中になり・・・今では誰に聞いても「よくわからない」と言います。なぜか?日本側がやるべき工事は当然ですが、終えています。新空港建設に当たって、モンゴル側は二つのことをやらねばなりません。一つはUBへの道路建設です。新空港はUBから遠く離れ(60km?もっと?)ているのに、ショボい道しかないのです。なので、UBへの高速道路もどきを建設することになっていました。が、もちろん、モンゴルですからそんなことはやってません。なので、今開港したら、空港から市内まで一体どのくらい時間がかかるのだろうと懸念されています。要するに非常に不便になるということです。もう一つは、新空港敷地内でモンゴル側が行うべき工事があるそうですが、当然それもやっていません。見込みも不明のようです。現地の日本人の声を聞くと「こうしたプロジェクトに、モンゴル人に任せる部分を持たせたら、上手くいくはずがない」との話も。とはいえ、これはモンゴルの空港ですからさすがにモンゴルを外すわけにはいきませんが、そう言いたい気持ちはわかります。計画性ゼロの人たちですから。何度も遅れた上で、新空港は今年開港と言われてたのです。多分来年なのでしょうか?だったら、新空港完成寸前で、ミアットが新ラウンジ建設ですか??一体、このスケジュール感はどう考えればいいのでしょうか?一つ考えられるのは、ミアットも来年開港を信じてないということでしょう。だとすると、一体いつ開港なのか?開港して収入を得てから、それをもとに円借款を返済するのですが、もちろんそんなことを心配しているモンゴル人はゼロでしょう。日本政府からの借金なんて、踏み倒しても気にしないお金でしょうから。UBで聞いた声。「新空港なんていらないんじゃないの?不便だし、遠いし。なんであんなの作ったのでしょうか?」でした。きっとこれがモンゴル人の本音でしょう。やっぱり日本人は「お人好し?」ってことでしょうか?建設そのものには「政治家として価値あり」でしょうが、完成はどうでもいいのかもしれません。(完)
2017.10.22
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モンゴルとの往復では、荷物の量が気になるのはやはり冬です。特に10月は、日本を出る時の服装と気温がマイナスのモンゴルでは下着やコート、靴までもが違うのでどうしても荷物が多くなりがちです。その上、20冊近いプレゼン資料もあるし。今回も自宅でパッキングした時は「パンパン」でした。重量オーバーも懸念されるほどでした。まあ、どうしてもやばかったら、成田でプレゼン資料を手荷物にすればいいや、くらいの気持ちで家を出ました。タクシーを捕まえて、東京駅に向かおうとした時です。タクシーのトランクにスーツケースを入れようとしたら「あれ?閉めたはずなのに・・・」なぜか開いているのです。悪い予感がしてよく見ると、なんとジッパーが壊れて、ジッパー部分が上下に開いているのです。とはいえ、これから成田エクスプレスに乗ってモンゴルに行こうという時間ですから、修理どころか自宅に戻って別のに入れ替える時間もありません。でも、このままでは大きく開いてしまうことになるでしょう。運転手さんに「すいません、そこのローソンでちょっと停めてください」と言って、ガムテープを買ってきました。東京駅に着いてから、ガムテープでスーツケースをぐるぐる巻きにして、とにかく成田空港へ。以前から、成田空港でスーツケースを売っているのを見て「一体誰がこんなところでスーツケースを買うんだろう?それを買う人は、どうやってここまで荷物を持ってきたんだろう?」と思っていたものです。が、まさか自分がその当事者になろうとは!ですが、あれほど目立っていたスーツケースも、本気で探そうとすると意外と見つからないのです。あっても、機内持ち込み用の小型版です。諦めかけた時に、ついに見つかりました、大きいのが。大きいのはいいのですが、ものすごく厚みがあってちょっと不格好です。でもそんなことも言ってられず、結局購入。右が壊れた方で、上にぐるぐる巻きをしたガムテープの残骸が残ってます。左が今回成田で買ったスーツケースです。旧品はお店で引き取っていただきました。聞けば、時々こうして壊れてしまった人が買いに来るそうです。いやー、売ってて良かったです。(続く)
2017.10.21
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モンゴルで感じることの一つが、とにかく海外志向が強いということ。これは10年前もありましたが、最近は特にその傾向が強いように感じます。「海外志向」と書くと、なんだか国際的に飛躍したい人が多いように聞こえますが、私の率直な感想は「国内経済の厳しさから悲鳴に近い声の現れ」とも受け取れるケースが多いです。最近数回のモンゴル出張で耳にしただけでも、非常に多い。特に学生ではなく既に社会人として働いている人にもその傾向が強いようです。一見、立派そうな会社に勤めていても「モンゴルでは先が見えない」という場合や、既に留学経験がある人で企業家となった人も「このままでは、事業継続も大変」という雰囲気なのです。私が「何を勉強したいのか?」と聞いても、マネジメントとか文化とか言いますが、はっきり言って本当の勉強の目的はあまりあるようには見えません。現在のモンゴル経済の先のなさを見据えて、とにかく抜けだしたいという願望に見えます。留学にはもちろん、日本語専門学校も含まれます。私はそれを志向する人たちに「目的もはっきりしない留学なんてそんなに甘くはないよ」なんて批判的なことはとても言えません。モンゴルの現状では、何をどうやってステップアップして行けばいいのかがほとんど見えない人が多いのです。10年くらい前は「外国留学でハクを付けて、モンゴルのいい会社に就職するのに有利になる」という考えが多かったように思いますが、最近はそれすら期待されてないように思います。更に多いのが「外国で働きたい」というものです。「日本で働くにはどうすればいいですか?」と聞かれるのはよくあることですが、日本政府はなかなか労働ビザは出しません。いわゆる「高度専門人材」となると、なかなかモンゴルでは難しいでしょう。他方、相変わらず日本の「外国人技能研修性」というのが、注目を集めているようです。多少なりとも日本語ができる人たちは、多分一度や二度は検討しているんじゃないかと思えるほどです。このブログでも何度も書いている「半奴隷制度のような外国人労働者の受け入れ」です。なので私は勧めることはしませんし「あれはひどい制度だよ」とも言いうのですが、「でもモンゴルよりも給料もらえるでしょ?」と言って、あまり気にしていません。「だって、手取り14万円あれば、お金も溜まるし、モンゴルでビジネスも始められるし・・・」と夢見てしまうのです。日本とモンゴルのの生活コストの違いは、頭ではわかっているのでしょうが、楽観的なモンゴル人は「なんとかなる」としか思わないのです。こうして「日本好き。日本に憧れた人」たちが、このひどい研修制度によって「日本嫌い」に変わっていくのです。私があまりに否定的なことを言うと「日本人はモンゴル人に日本に来てほしくないのか?」と誤解することなり、私も強くは言いません。これらに共通するのは、民主化後25年も経っても一向に飛躍しないモンゴル経済がその原因であり、どこでもいいから留学したい、何でもいいから外国で働きたいと願う若者たちには仕方のない行動だということです。他方、首都ウランバートルへの地方からの人口流入はやみそうにありません。新聞に「モンゴルの貧困率の上昇」という記事が載っていました。貧困の定義はいろいろあるのでしょうが、伝統的に遊牧民国家だったモンゴルは「貧乏」はあっても「食べ物に困る」ということはほとんどないと言われてきました。乳製品や肉は誰もが食べられたということです。ですが、貨幣経済、資本主義の浸透にまともな政治ができていないことが重なり、「基礎的な食事が困難な層」が増えていると書いてありました。私はUBのゲル地区を念頭に「田舎ではそんなことないだろうけど、都会に出てきた貧困層には確かにそういう人が多いのだろう」と思って読み進めました。すると「基礎的な食事すらとることが困難な貧困層」の割合は、ゲル地区を抱えるUBよりも、地方の方がずっと多いのだそうです。つまりUBのゲル地区も大変だけど、田舎の方がもっと大変だということです。これにはモンゴル人も調査にかかわっていますから、外国人の変な誤解に基づく調査とは違うでしょう。そう考えると、将来的にまだまだ地方からUBに流れ込む人は増えるだろうし、そうした人たちが最初に住むであろうゲル地区の膨張はまだ続くということになります。それとともに、失業者が増え、治安も悪くなるという悪循環に陥ります。ある程度教育を受けた若者たちも、モンゴルに希望を見つけられず、外国に行きたがる傾向も当分は続くということです。やはり最終的には経済を立て直さないことには、こうした問題は解決しません。雇用を生み出す企業がもっと生まれないと、解決できません。政治家が補助金出そうが、手当てを増やそうが、そんなことでは何も解決しないでしょう。もっと透明度のある制度の導入で、大いに外国資本を受け入れられる国になってほしいと思います。(完)
2017.10.20
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先月エルデネバト首相が解任され、1か月以内に新首相を選任することになっていました。そして今月上旬にフレルスフ新首相が決まり、どうやら新内閣も発足したようです。モンゴル人に「新首相はどんな人?」と聞くと、大体は「よくわからない」か、或いはネガティブなコメントばかりで「今度の首相は期待できるよ!」というコメントはゼロです。そもそもこの人は国会議員ではないのだそうです。日本と法律が違うからできるのでしょうが、議院内閣制だと思っていたら、議員じゃなく一般人ても首相がやれる不思議な制度のようです。エルデネバト前首相はこの非国会議員(元国会議員)を副首相に引き上げていたんだそうです。ですが、先月解任。その解任をさせた張本人がこのフレルスフだというのは驚きです。しかも、その解任させた本人が新首相です。私の理解が正しいかどうか確認するために、メディアコーディネーターのUさんに「これって、普通の言葉で言えばクーデターってことじゃないですか?」というと「まあ、そうですね」とあっさり言います。解任理由も、表向きは今夏の大統領選挙で人民党が負けた責任を取るということのようですが、本音はやはりIMFと約束した緊縮財政でしょう。このブログでも何度も書いているように、今春IMFと合意し開発銀行の借換も行われ、最大の懸案だった中国政府とのスワップ継続も決まったので、今のモンゴル政治家には怖いものなしです。一般の国では「約束」とか「国際的合意」というものを大事にするケースが多いですが、この国はもちろん違います。そもそも一般人でさえも約束を守るという概念が非常に薄いので、その権化である政治家は気にしません。「お上意識」があり「外圧」や「体面を気にする」日本人や日本政府からは到底考えられない思考回路を持っているのです。その回路によれば、「当面の問題はクリアした。石炭価格も上がっている。我々政治家は何のために政治家になったのか、原点に戻る必要がある。もちろん、私利私欲で財産を増やすことだ。そのためには、IMFなんか気にして緊縮財政なんかやってる場合じゃない!」となるわけです。でも、エルデネバト前首相はIMFと約束した本人ですから、さすがに半年でそれらを無視するわけにも行かないのでしょう。そうなれば、クビをすげ替えても新しい首相にしないといけないということです。「まさかそんなはずはないだろう。あり得ない」と思う常識人にはわかりにくい交代ですが、「モンゴル人の考え方」を理解している人に取っては当然の交代ということです。「で、実際どういう人なんですか?」と聞いても、よくあるモンゴル政治家の悪いこと以外には、特に新しい情報はありません。つまり普通に「良くない人」ってことです。友人に「だって、スミヤバザルを鉱業大臣にするくらいですよ!」と言われたので「だれですか、それは?」と聞くと「朝青龍のお兄さん」だそうです。鉱業大臣は一番おいしいポジションで、これで朝青龍ファミリーももうひと稼ぎできるということです。「いくらなんでも、元横綱が大統領顧問で、元格闘家が鉱業大臣なんて、ありえないでしょ?」とも。この国は本当に頭より身体の国なんだとつくづく思いますね。負けた大統領候補も確かモンゴル相撲の横綱でしたから、誰が勝っても格闘系ってことです。格闘家がだめだというつもりは毛頭ありませんが、この国の場合はその知名度を生かした怪しいビジネスなどの利権が大きいように見えます。大統領は選べるけど、一番権力のある首相選びには関与できないのは日本と同じですが、日本の場合は少なくとも国会議員ですから、間接的であっても選んではいます。が、モンゴルはだれでもいいってことなんでしょう。今現在の私の結論は、この首相になったからと言って何かが良くなるという兆しはなさそうだというものです。。むしろ、IMF合意をどこでどの程度ひっくり返そうとするのかが気になります。
2017.10.19
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スケジュールは相変わらずバタバタしていますが、仕事としてやるべきことはできているので、ちょっと落ち着いています。東京は台風の通り道になるという天気予報のようですが、ウランバートルは今週は暖かい日(と言っても最低気温はもちろん、マイナス)が続いています。今回は、こちらで一緒に働く若手スタッフが増えたりして、比較的若い世代の人たちと話す機会がありました。その辺での会話から感じたことを書きます。まず、初めてモンゴルで「トルコ」の存在を感じました。モンゴルと縁ができてもう15年になりますが、ただの1度もモンゴル国内でトルコってぽい話を耳にしたことはありませんでした。日本式居酒屋さんでバイトをしていた子が、なんとトルコモンゴル学校の現役学生だというのです。カザフや突厥のこともあり、最近はモンゴルとトルコのことを読んだり、調べたりすることが多くなっており、トルコモンゴル学校があるのは知っていましたが、実際に聞いたのは初めてです。トルコ人の先生がいて、トルコ語と英語の授業が多いそうです。先日の本ブログに書いた通り、モンゴル語とトルコ語の共通単語は多いです。歴史的には「モンゴル・トュルク系言語」と言われるほどです。なのでその子の前で、私が知っている共通語を聞いてみました。すると、水(オス)、黒(カラ)、椅子(サンダル)などやはり反応しました。文法も似ているとのことで、やはりトュルク系言語はモンゴル人にとっては学びやすい外国語のようです。そこで今のモンゴルの若者の語学志向について、聞いてみました。その子は中学高校時代学校の授業で3年間日本語を勉強したとのことでしたが、日本語は非常にたどたどしかったです。日本式居酒屋ですから注文を取るのも日本語ですが、ちょっと苦労していました。そういうたどたどしい日本語を聞くと、なんだか自信なさそうに見えます。私が「トルコ語と英語も勉強しているの?じゃあ、英語で話そうか?」というと、これがびっくり、英語がとても上手なのです。英語で話すとなんだか自信を持って話しているように見えるから、人はわかりませんね。なのでその子は、片言も含めれば、英語、トルコ語、日本語にモンゴル語を話せます。まだ20歳ちょっとでしょうが、大したもんです。モンゴル人の語学能力は本当に高いです。新しく一緒に仕事をすることになった社会人2年目の若手スタッフ。モンゴル語の通訳でサポートしてもらっていますが、英語が上手です。私が「どこのフドゥーの出身ですか?」と聞くと「私はフドゥー出身ではありません!」とぴしゃりと言われました。フドゥーというのは田舎のことです。「私はダルハン出身ですから、シティーです!」と。面白い子なので「へー、確かにいい街だね。で、ダルハンとエルデネットはどっちがいい街なの?」と聞きました。「うーん、それなんですよね。実はこの2つの街はいつもそれで言い争っているのです。私はダルハン出身なのでダルハンと言いたいですが、エルデネットもいい街です」と。モンゴルは人口300万人の約半分が首都に集中しており、この北部の両都市は2位、3位を争っていますが、人口は10万人前後でウランバートルとは大きく離されています。外国語と言えば、中国語の存在感は日に日に高まっているように見えます。若い世代は「親からは、近い将来中国語は今の英語のようになるから、勉強しないといけないと言われてます」と言います。以前からそうした声は聞いていましたが、それがどんどん加速している感じです。なので若い世代は「うちの親の世代は中国が嫌いみたいだけど、どうして嫌いなのかわからない」とも言います。私は思わず「それはもう2000年も前から、モンゴル人のDNAに組み込まれているんだよ。」というと、なぜか納得します。ですが、現実的に取引先や仕事で使う言語は中国語が増えているので、そんなことも言ってられません。ロシア語から英語に変わり、日本語が人気になったものの、すぐに下火。今は中国語、韓国語がアジアを代表する言葉になっているようです。こうした新興国は、個人の嗜好とは別に世の中の動きを見て行かないといけなんだなと、実感しました。(続く)
2017.10.18
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週末からウランバートルに来ています。思ったほど寒くはありません。こっちの人たちは口々に「先週は寒かったけど、今週は暖かくなった。あなたはラッキーですね。」と成田での出発時のドタバタとか、いろいろブログに書こうと思っていましたが、全く時間がありません。スケジュールは変更に次ぐ変更です。モンゴルらしいと言えばその通りですが「いくらなんでも・・・」というレベルです。予約した飛行機、ホテルの変更はもちろん、当日朝どころか、当日のその時間になってからのドタキャンなど、なんでもありの変更です。とはいえ、こちらはそれでもやるべきことはちゃんとやらないといけない立場ですから、波乗りサーファーのように対応してます。落ち着いたら、またいろいろ書きたいと思います。中身のないブログで申し訳ありません。
2017.10.17
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で、なんとか無事に搭乗しました。今回の帰国便はかなり日本人比率が高かったです。特に高校生の団体や年配の旅行者などが多かったです。高校生の団体は、東京の高校生でモンゴルの高校(新モンゴル高校)と提携している関係から、モンゴルの田舎でゲル生活をしたり、市内観光をしたりとモンゴルの高校生と交流をしていたそうです。これは素晴らしいですね。特に都会の高校生には、大草原、家畜を身近に感じる生活、トイレなど日本と大きく違う住環境などに、大きな発見や刺激があったことでしょう。私の席が通路側で、窓際が高校生(その高校生から、交流の様子を聞きました)、真ん中の席が年配の女性となりました。その女性は周りの人たちから「あれ?別々なの?」と聞かれ「そうなのよ」と答えてました。多分仲間と席が離れてしまったのでしょう。するとその女性が私に「すいませんけど席を替わってくださいませんか?」と言います。聞けば、2つ前の席にご主人がおられて、離れ離れの席になってしまったんだそうです。私は即座に了解し、ご主人と席を交代しました。せっかくお二人で来られたのに、長旅を離れ離れになるのは残念でしょうしょうから。奥様の方も「ごめんなさいね、勝手なこと言って。本当にありがとうございます。」とおっしゃってました。いかにもチェックイン時に一緒の席を取れなかったことを残念がっていたようです。私は「なるほど、一緒にチェックインしても、離れ離れにならざるを得ないほど今日は混んでいるんだな」と思いました。ですが、これは私の常識から考えた結論であり、当然のことながら常識の通じないMIATでは通用しない話だと分かりました。なぜか?私は2つ前の席へ移動しましたが、通路を挟んで反対側の席が空いているのです。しかも3席とも全部!そのうち誰かが来るだろうと思っていたら、結局離陸時まで空いたままでした。うーん、MIATの考えることが全くわかりません。3席全部空席なのに、なんで夫婦2人を同席にしないのか?MIATにはMIATの思考回路があるのかもしれませんが、明らかにおかしいです。こんなチェックイン時の初歩の初歩みたいなことすら考えられないのが今のMIATなのです。本当に「なんとかならないのか、MIAT!」と再確認しました。前回のモンゴル出張と同じく、今回も帰国便が白鵬と一緒でした。違うのは、今回は家族も一緒だったということです。出口前の税関検査でも、たまたま同じタイミングになりました。お子さんと奥様が一緒でした。今回は家族を連れての夏の里帰りだったのでしょう。白鵬の表情もいいお父さんという感じでした、さすがに週刊誌でもないので、ご家族の写真を撮るということはもちろんしませんでしたけど。ということで、私の今回の出張は無事終了しました。
2017.07.31
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本ブログにはこの9年ほどの間に1600本の記事が載りました。そんな中で、今も多くの方々にご覧いただいている記事の一つが、 2010年9月の「モンゴル航空(MIAT)はなんとかならないのか?」です。MIATが当たり前の航空会社ではないことは10年前からわかっていましたが、2010年もそうでしたし、それは今も変わりません。世界最悪と評された記事もありましたが、その部分は全く進歩がないと言っていいでしょう。MIAT関係者の方が読者にいて、「とんでもない!私たちは素晴らしい航空会社だ。」と主張される方がいたら、是非主張してほしいものです。私の主張とMIATの主張とどちらを支持する人が多いか、是非見てみたいものです。29日土曜日の午後にチェックインしました。東京行きと表示されたカウンターが3つあり、私はその1つに行きました。荷物を計量器に乗せカウンターの前に立ってパスポートを差し出します。モンゴルのカウンターは成田より少し高い位置にあり、カウンターに座っている人をやや見下ろす感じですが、カウンター職員との距離感は結構近いです。で、カウンター前に立って受付を待ちます。ところが、その職員は全く顔を上げません。こんなに近くにいて、ちらりと見ようともしないのです。私はちょっと驚きました。顔と顔の距離はほんの数十センチです。こんなに近くで私がじっと見つめて待ってるのに、敢えて顔を上げないようにしているのです。隣のカウンターも手続き中ですので、簡単にそっちに移るわけに行きません。意図的に顔を上げない状態が2、3分は続きました。そして、隣のカウンターは手続きを終えて客は誰もいません。私はさすがに、チェックインお願いしますと英語でいいました。するとその女性は、顔を上げず、下を向きながらモンゴルで隣へ行けとジェスチャーします。私が「ここには東京行きと書かれているが違うのか?」と聞くと、黙って何も言いません。これはモンゴル人によくあるパターンですが、都合が悪いとき、わからないときには店員がよくやる手です。デパートの店員で何度も経験していますが、とにかく黙ればなんとかなると思っているのです。仕方なく荷物を取り戻して隣に移動しました。今度は男性職員です。私が「なぜ隣でチェックインできないのか」と聞きました。するとその男性も何も言いません。私が、通路側をお願いしますと言っても、うんともすんとも言わず黙ったままです。最後はただ搭乗券を差し出すのみで、最後まで無言を通しました。さて今まで私は何回飛行機に乗ったのでしょうか?100回?200回?国内線も入れれば、そんなもんじゃないでしょう。その経験を以てしても、客に一言も話さないチェックインカウンターの人は見たことありません。しかも、それがたまたまおかしな人一人であれば「変な人」ってことになるでしょうが、二人続いたということはこれはもうMIATの立派な文化です。客を無視する、客から何かを聞かれても黙って過ごしていいという文化です。まあ、モンゴルを代表する航空会社だから、モンゴルの元国営デパート(現在は民営化でノミンデパート)と同じような接客レベルだと言われれば、確かにその通りなんですけどね。新空港に早く日系航空会社に来てほしいです。とにかくチェックインをして、乗り込みました。(続く)
2017.07.30
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日本で言えば、高度成長期からバブルの昭和末期にかけては、イケイケどんどんでスーパーもコンビニもデパートも成長し、飲料会社も食品会社もアパレルも電気製品もガンガン売れました。その当時は大して経営のスキルは必要なく、「上手な経営者は大きく儲け、下手な経営者もそこそこ儲けた」時代でした。が、その後成熟期に入り、小売りもメーカーも厳しい競争環境にさらされ、伸びるところは伸びるが、淘汰されるべき企業は消えていったという歴史は、日本の皆さんもご存知の通りです。モンゴルの場合、まだその成熟の域まで達していないうちに、4年以上も低成長が続き、結果として成熟期と似たような状況に陥ってしまったのではないかと思います。スーパー一つとっても、モンゴルで有力な「ミニデルゲール」(私の店、という意味)という店は、業態維持の難問に直面しているように見えます。このチェーンは、やや小型のスーパーで、UB市内を中心に100店舗以上を誇っていました。ですが韓国のEマートの開店で、大型店舗化に火が付き、モンゴル小売業トップのノミングループは大型店舗をどんどん出しています。消費者もまるでエンターテインメントを楽しむように行ける大型店は人気です。他方、日本のコンビニのような都心立地型の小型店が増えてきました。そうなると、ミニデルゲールのような従来の中小店舗型スーパーは中途半端な存在になり、小型店をいくつか廃店して大型店を開くという改革に動き出しています。これはもう立派な先進国型構造改革です。当然、消費財会社もそうした変化や成熟化を理解し、トップブランド商品といえども商品リニューアルの努力を怠りません。こうした変化対応ができる企業は業績を伸ばし、従来型のやり方から変わらない企業が落ちていくという、これまた先進国型競争になっているのです。そういう意味では、消費財市場全体がここ1-2年で大きく伸びているわけではありませんが、変化に対応できるかどうかが成長のカギとなっています。ちゃんと対応できれば、まだまだ成長できるということでもあります。人口も増えていますし、周辺地域への輸出も不可能ではない時代ですから。モンゴルの夜の賑わいはどうか?新しいビルもいろいろでき、昔はモンゴルには全然なかったような素敵なレストランも増えています。そうしたところへいくと、結構繁盛しているのがわかります。メニューを見ると決して安くはないのですが、客の多くは若い人たちです。この現象は「モンゴルの7不思議」の代表でもありますが、この若者たちの給料では安くはないレストランですが、若い男女で賑わっているのです。ザイサンのおしゃれなイタリアンも、シャングリラホテル隣のシャングリラモールのパブも、平和通り沿いのペントハウス式のパブも、どこも満席に近い状態でした。少なくとも私には不景気には見えませんでした。お金がどう回っているのかは、5年、10年ウォッチしても未だによくわかりませんが、表面的には消費者行動が萎えているようには見えません。こうしたことを考えると、やはりモンゴルの景気は昨年2016年が底だったと言っていいのではないかと思います。バラ色とは決して言いませんが、今年から来年にかけて徐々に回復し、来年以降は一定程度の成長は期待できると思います。産業財関係は、やはりOT調達が一つのトリガーとなるでしょう。消費財は、人口増加と消費者の成熟化への対応でしょうか。不動産はまだ弱いです。「投資をする外国人」と「モンゴルに住む外国人」の両方が今少ないです。上記の景気回復が実現した後に、これらの不動産市況は回復するでしょうが、それには少し時間がかかりそうです。なぜなら、売るための物件、貸すための空き家の在庫がまだ結構あるようだからです。例外は、中国人投資家でしょう。彼らは実需はあまり気にしません。中国内よりも資産保全に適していると判断されれば、ある時期突然やってくるかもしれません。それがモンゴル人にとって幸せかどうかは別にして。(完)
2017.07.28
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毎日お客さんの会社へ行って、プレゼンしたりミーティングで議論したりばかりなので、「最近のモンゴル経済はどう?」という多くの読者の方々の疑問に答えられるほどの材料も情報もないというのが正直なところです。タウンウォッチングの時間もあまりありません。とはいえ、単なるモンゴル訪問観光客とは違う視点で見ている部分もあるのも事実です。というわけで、あまり客観的ではないだろうという前提で、私なりの見方を書いてみます。マクロ的には、少なくとも昨年よりは良い条件は揃っていると思います。IMF合意がありデフォルトという最悪の状態になる心配は当面は消えました。それに伴い、どこまで落ちるかわからないようなトゥグルグ安も一応ストップしました。とはいえ、例のIMFとの合意破りで7月に入ってから下落を続け、今年の3月時のレベルまで急速に落ちているのは気になります。このままでは再び史上最安値を更新する可能性もあります。ですが、これはモンゴルの政治家による「人災」ですので、モンゴル人の手によって再び修正することができる問題点ではあります。要するに「不可抗力によるどうしようもない危機」ではないということです。先日も書いたように、北朝鮮石炭禁輸措置により、石炭の中国への輸出急増もモンゴルには良い材料です。政策金利を2%引き下げたのも、景気にはいい影響となるでしょう。ちなみに、これによる個人向け定期預金金利の大幅引き下げはないようで、わずかに0.数パーセント昨年より低い程度の14.5%前後です。ドル預金も相変わらず5.5%前後と高いです。(1年定期、ハーン銀行の場合)悪い材料は?「昨年に比べたら」という範囲内でいえば、馬鹿政治家が相変わらず馬鹿な政策をやっているということ以外では、新しい悪材料はないように見えます。少なくともマクロ的には。逆に言えば、昨年まではほとんど悪材料ばかりだったので、そういう材料も底を尽きたということと言えます。もう少しミクロで見てみます。まずは企業サイドです。モンゴルの企業全体の動向はわかるはずもありませんし、そんなのが仮にわかるとしてもそれは今年の末か来年でしょう。ですが私のお客さんには「産業財向け」と「消費者向け」の企業があるので、そこの傾向から多少は垣間見ることができます。幸いと言いますか、私がコンサルティングで経営のお手伝いをさせていただいている会社は、大体の場合、もちろん結果論ではありますが、その後業績は良くなっています。とはいえ、私は別に「上手な売り方」や「もっと売れる商品の開発」のコンサルティングをやっているわけではないし、そんなことは私ができるはずもありませんから、短期的な業績向上と私の仕事の関係は正直、わかりません。ですが、結論としていえば、、産業財向け、消費者向け企業はともに昨年よりは業績を伸ばしています。これが社会全体なのか、お客さん固有の現象なのかは、もちろんわかりません。私の仕事と企業業績の関係で言えるのは、「そもそもモンゴルでは結構成功している会社であるにも関わらず、わざわざ日本からお金をかけて経営コンサルタントにお願いしよう。」などと考える経営者そのものの資質が大きいということです。彼らは、改革志向というか、より経営課題を克服、改善しようという強い意思を持ち、外国人コンサルタントの意見でも受け入れようという謙虚な人たちだということです。なので、モンゴルの他の企業よりも早く業績悪化から抜け出せるのかもしれません。産業財向けで言えば、やはりOTの動きがカギとなります。私のブログを読み返しても、2015年にOTが本格的に調達を始めると言い、それらの入札が現実になるのは2016年、更に決定されるのはその翌年、つまり2017年くらいになるだろうと書かれています。まさに、今年に入っていくつかの入札結果が決まっているようなのです。当然OTは大型入札、大型契約が多いので、業界には活気が出ます。また、そうした動きがあると、直接OTの一時入札には参加できなかったような二次的業者にも良い波及効果が出始めています。なので、「売上計上」という意味での業績回復が見られるわけです。これが現実的な「現金回収」に進めば、本格的な景気回復につながるでしょう。それにはやはりあと、半年か1年くらいでしょうか。消費者向けはどうか?私は、ここ数年の景気停滞でモンゴルは「発展途上国なのに、構造的に半分成熟国みたいになった」と思っています。どういうことか?(続く)
2017.07.27
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今日からUB出張です。「今年の夏はかなり暑い、年々温暖化の影響を感じる」などと聞いていましたが、今日空港を出た時にはかなり涼しく感じました。ですが、こちらで聞いてみたら「今日は雨が降ったから、涼しいけど、ここ数日はずっと暑いですよ」とのことです。今日の飛行機は満席でした。日本人団体旅行客がかなりいたように思いました。ま、「モンゴルの夏」を感じる旅行としては今月いっぱいで終わってしまいますから、最後のピークなのかもしれません。日本人的感覚ではどうしても8月も暑いだろうと思ってしまいますが、8月中旬はもう初秋です。ゲルに泊まる場合は、ストーブが必要になることもあるほどです。ホテルにチェックインしましたが、ここ半年か1年で、初めて「何の問題もなく」チェックインできました。ネットも大丈夫だし、セイフティボックスも動くし、コンセントも使えます。こんな当たり前のことでいちいち喜んでるわけにはいきませんが、こういうことまで気になってしまうのがモンゴルなんですね。ところでUBには「キンコース」みたいなサービスってあるんでしょうか?ビジネスサポートステーションみたいな店ですね。もちろん、ホテルにもビジネスサポートはありますが、せいぜいネット環境やファクス、コピー程度なんじゃないかと思います。私が欲しい機能は「プレゼン資料の製本」です。私はコンサルティングの仕事でUBへ来ると、インタビューしたり、ミーティングをしたりしますが、大体の場合プレゼンテーションをします。プレゼン自体はプロジェクターでやりますが、その内容は製本して渡すようにしています。経営幹部の方々にとっては、やはり紙ベースの資料を手元に持っていたいというニーズは強いです。今まではせいぜい4-5人向けの製本で良かったのですが、今回のプロジェクトでは結構な参加者が見込まれるのです。しかも私は「日本語、英語、モンゴル語バージョン」を作ります。今回はモンゴル語版を12冊、他も合わせて全部で16冊も作ったので、とにかく重かったです。計ってみたら、それだけで6.5キロも!スーツケースはギリギリで追加料金なしで済みましたが、これは夏だからでしょう。冬だったら、分厚いコートなどで制限重量オーバーになりそうです。なので、UBにもキンコースのようなサービスがあればと思う次第です。しかもミスしない信頼できる業者があればいいですね。日本でキンコースができたのは、確か虎ノ門に1990年代だったように記憶しています。当時は、そんなところを使うのは、コンサルティング会社や投資銀行くらいでしたが、今では主要な街には大体あります。UBもいずれできるでしょうが、まだそんな需要はあまりないかな、とも思いますけど。明日からも、あまり暑くならずに過ごしやすい気温であることを祈ってます。
2017.07.22
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帰りの飛行機でも白鵬と一緒でした。つまり往復とも私と同じ便だったってことです。と言っても、別に顔見知りで話したりするわけではありません、もちろん。以前はそれでも講演会などで声をかけるなどもできましたが、最近は「大横綱」のせいかとてもそんな雰囲気はありません。付き人もいつも傍にいますから。当然のことながらVIPの白鵬が搭乗手続きやチェックインに姿を見せることはありません。例外は成田の出入国手続きの場です。ここ以外、MIATやモンゴル政府が権限の及ぶ範囲ではほとんど姿は見せません。朝青龍は結構荷物の受取場などにも姿を現していましたけど、白鵬は多分全部付き人がやっているのでしょう。行きは満席で日本人ツアー客も結構いましたが、帰りは60-70%程度の搭乗率で圧倒的にモンゴル人が多かったです。行きは5月で週3便だったのが、帰りは6月で週4便になったのも多少影響しているのかもしれません。私は飛行機に乗るたびに「やっぱりモンゴル人は外国へ行く人が多いよなあ」と感じます。新潟県の人口が240万人なので、モンゴルよりやや少ない程度です。新潟には新潟空港がありますが、国際線は大して飛んでいません。新潟からはソウルと週3便、上海週2回、台北週2便などですが、明らかに東京、ソウル、モスクワ、ベルリン、フランクフルト、北京、香港などへ飛ぶウランバートルの便数の方が多いでしょう。もちろん、この比較はアンフェアーです。日本には成田、羽田があるからそこを使う人も多い。そもそもウランバートルは首都であり、一国の中心として外国との往来が多いのは当たりまえ。人口だって240万人を切った新潟よりも2割以上も多い。などなど、そりゃあそうです。でも、一人当たりGDPは4000ドル程度と日本の9分の1くらいで、半数近くが首都とは遠く離れた草原に住んでいる人たちです。絶対値で見ても意味ありませんが、今のモンゴルは1973年、つまり40年余り前の日本の一人当たりGDPに近い数字です。昭和48年!どう考えても、あの頃の新潟県には「海外へ行ったことがある人が身近に多い」という雰囲気ではなかったように思います。要するに、モンゴル人は日常的にかなり海外とつながっいる感じなのです。大体知り合いでも、仕事上で知った人でも、少し話せば「お姉さんがアメリカにいる」「自分は昔ドイツにいた」「日本に行ったことがある」「韓国に出稼ぎに行っていた」などという話は本当に多いです。むしろ、ウランバートルに住んでいる人の中では「家族や親せきで海外に住んだことがある人は誰もいません」という方が珍しいのではないでしょうか?それを「国際的」と捉えるか「国内に職業機会が少ない」と捉えるかで、見方も変わるでしょう。いずれにしろ、内陸国のモンゴルにとっては飛行機は重要な移動手段です。だからこそMIATに頑張ってもらって、他のアジアの航空会社に比べて非常に高い航空運賃を何とかしてほしいですね。ところで、香川とMIATの関係をご存知ですか?香川はうどん県ではなく、サッカーの方です。ヒントはこの写真。これは今回乗ってきたMIATの機体です。問題:この尾翼の黄色いマークはなんでしょう?これは「Ballspielverein Borussia 09 e.V. Dortmund」通称ボルシア・ドルトムントのロゴマークなのです。そうです、あの香川選手の所属するチームです。なぜかドルトムントはMIATのスポンサーなのです。理由はわかりません。ドルトムントにとって、モンゴルが大きな市場だとは思えませんが、世界の強豪がこうしてスポンサーになってくれるのですから、いいことです。モンゴルの意外な国際化の一面ですね。
2017.06.05
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以前、個人向け金融は確かに儲かる構造であるという旨のことを書きました。実際、日本人で金融未経験の方がモンゴルで個人向け金融ビジネスをやっていて、成功しているようです。その方は「顧客を探すのは問題ない。借りたがる人はたくさんいる。問題は、そのうちの何割に貸せれるかどうかだ。」とおっしゃっていました。要するに貸し倒れリスクが高く、実際に貸し倒れが起こると取り立てとか担保処分とか裁判とか、非常に面倒でコストがかかるということです。客を探すより、客を選ぶ方が成功のカギのだとのことです。今回たまたまクルマを担保にしてお金を貸すという商売の人に話を聞く機会がありました。日本ですと多分(私は未経験なので詳しくは知りませんが)車検等でチェックすれば、車を乗り続けながら借りることができるでしょうが、モンゴルの場合は確かにそんな甘い対応では危険です。金を借りて、遠くゴビやオブスまで行ったらどうなるのか?と考えただけで、難しいのはわかります。一部相当信用置ける場合は例外的に乗り続けられますが、基本は担保として貸し手が保管するそうです。で金利を聞いたら、びっくりです。日本の場合はそういう企業のHPを見ると年率15-20%とのことですが、ここモンゴルではなんと月5%だそうです。つまり年率換算で60%です。日本ならもちろん法定金利を大きく超えるレベルです。確かにこれなら利益は出そうです。実際、粗利は大きいとのことです。問題はオペレーションコストです。まずかかるのは、クルマの保管場所。モンゴルは土地が広いから簡単だろうと思いがちですが、当然のことながら大切な担保なので屋外保管はできません。すべて屋内ガレージです。もちろん、施錠、暖房付きです。その会社は60台を保管できる施設があると言ってました。当然そこにはガードマンも必要ですし、いざという時故障しても困るので、自動車修理工も必要だそうです。融資金額は市場価格の30-40%程度を設定するそうです。なので、査定士(という資格はモンゴルにはありませんが)みたいな人が必要です。クルマを外観だけでなく、下回りなどもチェックしないといけません。そしていざとなったら、売りさばける中古車業者とのネットワークも欠かせません。更に、保管中の車が盗まれたりする事故への保険料もバカにならないようです。などなど、きっちり揃えた上であれば、後は実物のクルマ相手ですから、さほど信用調査には手間取らないので、上手く回せば儲かるというわけです。ただ、実際に使っている自分のクルマを差し出すわけですから、1年以内の短期間目的が多いようです。そうなると、常に新しい客への対応などで、窓口は忙しくならざるを得ないようです。日本にもクルマ担保ローンの会社や個人金融の会社ありますから、もしかしてそのうちそうしたビジネスも目を付ける人が出てくるかもしれませんね。モンゴルの高金利に注目したビジネスは、どこまで継続性があるかはわかりませんが、チャンスであることは確かです。そういえば、半年以上前から完成している東横インですが、未だに閉鎖されたままで開業していません。一番の旅行シーズンを迎えてもできないのは、かなり大きな問題を抱えているということでしょうか?
2017.06.03
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一昨年来、3500トゥグルグショップ(日本でいう100円ショップ)がウランバートル市内でかなり増えたというのは以前にもお伝えしました。が、やはりこのモンゴルで「店のコンセプトを維持する」というのは難しいことなんだとよくわかります。日本で100円ショップがこれだけ人気を得た背景には、「本当にこれ100円?」「この品質で100円なの?」から「こんなものまで100円ショップで扱っているの!」という様々な驚きを与え、しかも店内どれをとっても全部均一価格というコンセプトが受け入れられたんだと思います。都内にはあまり大きな店はないものの、時々郊外にある大型店を覗くと、私には感動すら覚えることもあります。この調達力、交渉力はものすごいんだろうな、と。そしてどんなに困難にあってもこの均一価格というコンセプトは譲れないという強い姿勢も感じます。そんな100円ショップのコンセプトを取り入れたのが、ウランバートルに増えた3500トゥグルグショップです。ここまでは以前本ブログで紹介した通りです。ですがその後トゥグルグ安が続き、最大の売りだった3500トゥグルグという価格ラインを守ることができなくなりました。バイイング・パワーが小さいモンゴル側にとって、日系企業に対して為替差損分の値下げ要求はとても受け入れてもらえなかったのでしょう。今年前半に見た店の多くは、3900トゥグルグや4000トゥグルグショップになっていました。で、今回はどうなっていたか?このブログでもたびたび取り上げた店(当初は大きく3500TGショップと打ち出していたが、その看板が変わった店)を見てみました。結局、最大の売り物だった「均一価格制」は諦めたようです。3500もあれば4000も4500もあるという、言ってみれば普通の値付けの店になっていました。もちろん「当たり前です。仕入れ価格が違うんですから、売値も変わるのは当然です」という声も聞こえてきそうですが、その当たり前を打ち破ってきたのが均一価格コンセプトなのです。が、いとも簡単に崩れてしまっています。残念ですが、これが現実です。この店から200mほど離れたところにある店にも行ってみました。こちらも以前は3500トゥグルグショップでした。こっちの方はもっとびっくりです。入り口看板には「日本製品!」と大きく書かれていましたが、店内は中国品あり、韓国品ありもちろん日本の100円ショップ品ありで混在しています。当然のように価格は完全にバラバラです。先ほどの店はまだ3500とか4000、4500トゥグルグなどとなんとなく価格ラインがありましたが、こちらは完全にバラバラ。3200もあれば5500もありますし、中には3499トゥグルグもあります。ここまでくると、完全に「単なる安売り雑貨屋さん」という風情です。モンゴルにはまだまだ「店のコンセプトをきっちり決めて、それを客にアピールする」という考えはなく、その時々の対応で売り場を変えていくという店が多いのは確かです。こうした店舗展開となると、結局は仕入れが安い商品に偏りがちになり、最終的には韓国・中国品に支配されることでしょう。3500トゥグルグショップが出現した当初の「え、この価格で日本品が買えるの?」というサプライズは消え、安物を買っては「やっぱり中国品って質が悪いんだよね。」と文句言いながら使うことになるのでしょう。モンゴル人は一般的に「ここが我慢のしどころ」という感覚はなく、「これがだめなら、あっちにしよう」と移ろいがちです。ほとんどゴーストタウン化した「ナランプラザ」もそうですが、高級ショッピングセンターで出発したはずの施設が、わずか数年でエスカレーターをもストップさせてしまうような状況になってしまうのです。当然ですが、2階、3階の店は悲惨です。これほど左様に、モンゴルでは何かを始めた後、いろんな外的変化にどう対応するのかが、肝要になってきます。
2017.06.02
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今日は6月1日です。モンゴルでは子供の日(子供とお母さんの日)で祭日です。ですが、モンゴルから離れて久しい私はすっかり忘れていました。日本での仕事の状況やモンゴル側の要望と合わせて今回の出張の日程を決めました。で、その後具体的なスケジュールを打ち合わせるときに私の方から大まかな予定の希望を送りました。インタビューなどのスケジュールが少なくとも10回以上は必要であり、しかも今回はそれぞれのミーティングが長そうです。例によって全て通訳付きでやりますから、日本でのミーティング時間の基本的には倍以上かかります。日本で1時間程度を予定するミーティングなら2時間は必要ですし、2時間なら4時間・・・というわけで、29日月曜日到着後火曜日から金曜日までの予定を依頼しました。ですが、火曜日にはいろいろあるので、実質的には水木金の3日間でこなします。そうした依頼のメールに対して誠に意外な返事が来たわけです。「6月1日は祝日です。いくら幹部といえども、休日に会社に出て来いというのは避けた方がいいでしょう。」と返事をくれたのは、コンサルティングの仕事を手伝ってくれる通訳兼アシスタントのモンゴル人Eさんです。「えーっ!ああ、そうか、1日は休みか!お酒は飲めないのは知っていたけど・・・」と出張日程を決めてから知ったわけです。なので仕方なくただでさえ3日間フルに入っていた予定を水曜と金曜に振り分けて、朝から晩までというスケジュールになってしまいました。日本から見ると8日間出張に出るわけですが、モンゴルでのビジネスデーはわずか3日間という誠に非効率な出張となりました。もちろんMIATの運行日程が大きな原因ですけど。6月1日の子供の日は、祭日の少ないモンゴルでは家族にとっては結構大切な日です。というわけで、この日に会うのは独り身の友人Uさんです。スフバートル広場付近のおしゃれなレストランでのランチを約束し、現地集合となりました。ですが私が実際に行ってみると、レストランのある4階はエレベーターは止まりましたが、一歩も入ることはできませんでした。要するにお店はやっていないということです。恐らく祭日で休みというよりは、お酒の販売ができないから休みというのだと思います。で、場所を変えてスフバートル広場を歩きました。いるいる、たくさんの子供たちが。そして数十もの屋台のような出店がありました。これだけの人出は、モンゴルではなかなかお目にかかれんせん。比較するとしたら、モンゴル最大の祭りナーダム会場くらいでしょうか。カメラも持たずに出ていますので写真はありませんが、多くの楽しそうな子供たち、コンサートや余興などで賑わっていました。別の店に入って、ようやくランチです。数日前にUさんがKさん(私をモンゴル国立大学に呼んでくれたモンゴルで一番有名なエコノミスト)と会った時に「来週田崎さんが来るんですよ」と行ったら「じゃあ、是非一緒に会いましょう」となったそうで、30分ほどしてから合流しました。Kさんは2人の同僚を伴っていました。Kさんの仕事は本来、大学教授、国のなんとか経済委員会そしてモンゴルの上場企業の社外役員などをいくつもやっている、日本で言えば竹中平蔵みたいな立場の人です。なので、今までは会うとモンゴル経済や今後の方向性などをいろいろ教えてくれました。ですが、今回はそういった話はゼロでした。Kさんは今、ドラマ作りに夢中になっています。それも日本との関係を意識したテレビドラマです。要するに彼が今一番頑張っているのドラマのプロデューサー業なのです。全く場違いな世界、もちろん未経験分野です。1本目は14話ある物語で、既にモンゴル国営放送での放送が決定しています。確か10月1日と言ってました。コンセプト作り、脚本家の選定、依頼、プロモーションビデオの作成、主題歌・歌手の選定、レコーディングなどなど、およそ経済学者とは縁のない世界の仕事をここ1年近くやっているそうです。とにかく生き生きしています。そのドラマがどうなるのかは私にはわかりませんが、こんなにうれしそうに話すKさんを見たことがありません。いつもは国の将来を憂うような話が多かったですから。この日Kさんが連れてきた2人の同僚というのは、一人が脚本家で一人が歌手兼女優さんでした。そして既に第二弾を考えており、それはより日本との関係を持つ物語となるようです。脚本は同じ人が手掛けて、原稿も出来上がったようです。Kさんはできれば日本とモンゴルの合作にしたいという希望を持っています。中国や韓国が作る日本関係の映画はほどんどが日本に批判的な内容なのに対し、モンゴルは全く違う、友好的、未来志向の内容で、しかも史実に基づくものにしたいとのことです。こうしたドラマ作りに賛同してくれる日本人、日本企業はいなか探しているとのことです。いい話だとは思いますが、エンターテイメントの世界は、いい話だけでは進みませんから、どうなるのか全く分かりません。Kさんも難しいことは十分承知していますが、それでもリスクを承知で突き進みたいと言ってます。はたから見れば無謀にも見えるほどです。コンテンツの専門家であるUさんも、さすがに簡単には「それは難しいでしょう」なんて言える雰囲気ではなかったです。モンゴル国内では既に地位も名誉も十分にあるKさんですが、畑違いの世界で新しいことに自ら旗揚げしてチャレンジしている姿には感動さえ覚えました。私が力になれるかどうかはわかりませんが、何かお手伝いができればと思っています。「10月の番組発表会(会場はシャングリラ!)にはぜひ出てください」と言われましたが、先のことはわかりません。でも、日程が合うなら出てもいいかなとも思っています。若い人はもちろん、既に実績のあるベテランも、新しいチャレンジを見るのは、嬉しいものです。
2017.06.01
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今日も終日ミーティングの連続でした。ま、ミーティングやインタビューが私の仕事と言えばその通りですが、ずっと英語とモンゴル語の通訳だけでやっていると、さすがに疲れます。モンゴル人に多いのが、通訳をうまく使えないタイプの人です。私は通訳してもらうのを意識して、ある程度の長さで区切って話すします。通訳も記憶が鮮明な内に話せますし、相手と話がずれても会話のやり取りが短く行われるのですぐに修正できます。ですが、そういうことには一切お構いなしというタイプが結構います。私が短い質問をしても、延々と話すのです。中には5分以上も話し続ける人もいます。通訳する人も大変ですし、もっと困るのは時間管理ができないことです。私の質問に答えたつもりでも、実はそのほとんどは私が既に知っていることだったり、質問の答えというよりは自分の主張を言うためにこの機会を使いたい、というような内容が多いのです。それはそれでいいのですが、やはり時間が限られているので、こうなると時間オーバーになりがちです。日本人にももちろん、延々と持論を述べたがる人はいますが、その場合は私はその場で適宜軌道修正したり、質問の仕方を変えたりすることで、そういう状態が続くことはありません。でも通訳経由なので、私はその人が何を延々と言っているかわかりませんし、通訳も立場上さえぎったり、質問を変えるというわけにも行きません。日本でもアメリカ人やドイツ人などとの通訳付きの会議にも出ることはありますが、さすがに彼らは通訳の使い方は分かっていて、文章の途中でも適宜ポーズ(合間)を入れて通訳に配慮します。そういう経験からすると、ほとんどのモンゴル人は通訳への配慮というのは正直感じたことないですね。多分相手に正しく伝わるかどうかよりも、言いたいことを言い切りたい、という気持ちの方が大きいのでしょう。通訳をしてくれている、将来経営コンサルタントになりたいEさんもその辺は感じていて、「あんな長い話をしたけど、中身はほとんどわかっていることばかりでしたね」と言ったほどです。ランチタイムに、クライアントの従業員用の食堂に行きました。私はこの食堂は結構好きで、いつも楽しみにしています。基本はモンゴル料理ですが、街のモンゴル料理の食堂よりおいしいです。広い食堂の一番奥にあるテーブルは、役員や私のような外部から来ている人が使うことが多いです。別に個室になっているとか、テーブルが特別だというわけではありませんが、やや一般従業員用のテーブルと距離がある、という程度です。そこに座って食べていると、西洋人2人が同じテーブルに座りました。以前の経験からすると、このテーブルに座る白人はロシア人や東欧系が多いです。モンゴル人の部長さんが、お互いを紹介してくれました。私のことも「こちらは日本から来ている経営コンサルタントで・・・」と紹介し、白人2人を「ロシアから来ているITエンジニアです」と紹介してくれました。2人のうちの1人はかなりハンサムなロシア人で、なんとなく見たことがあるような気がしていました。六本木ならモデルで通用しそうです。するとその彼が「1年ほど前にこのテーブルでお会いしましたね」と英語で話しかけてくれました。私は「ああ、やっぱりそうですか。覚えています。」と答えました。「今回は何日間の滞在ですか?」と聞くと、3日間とのこと。これは相当な偶然じゃないかと思いましたね。1年後に同じテーブルでランチをする確率。方や3日間だけ、私もこの会社に訪れるのは3日間だけ。しかも共にランチタイムからちょっとずれた時間に行ったのです。計算はできませんが、再び同じテーブルに着く確率は相当低いんじゃないかと思いました。そんな風に感心していると、今回の私のプロジェクトの顧客側窓口になってくれるMさんがそのロシア人にロシア語で話しかけました。Mさんは日本語はできませんが、英語は流ちょうです。そのMさんはロシア語もペラペラだということです。Mさんによれば、ロシア語の方が自分はネイティブ並みに話せると言ってました。そう言えば、この会社の社長さんも私との会話では通訳(英語・モンゴル語)を必要としますが、EBRD(欧州復興開発銀行)から来た東欧系の人とは通訳なしのロシア語で話してました。でも私がいたので、結局会話は英語になり、社長さんは通訳に頼らないといけなくなったのですが。やはりモンゴル人の語学能力は高いです。いつも思うのですが、一番は耳が違いますね。我々には聞き取れない、違いが判らない発音が「鮮明」に聞こえるんだそうです。ま、日本語でオやウに近い音だけで4つあるし、もちろんLとRもモンゴル語の中でも使い分けてますから、日本人のような苦労はありません。こういう個人の能力をいかに組織の能力にまで持っていけるかが、モンゴル企業の課題でもありますね。
2017.05.31
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今日はずっと部屋の中でミーティングをいくつもやっていたのですが、昼食時に外に出た時に夏っぽい雰囲気を感じました。やはり皆さん、今年は暑いと言います。というわけで、移動以外の外出はほとんどなかったので街の様子はわかりませんが、新聞等でモンゴルの様子が少しわかります。まずちょっと残念なニュースから。モンゴルの今年のGDP成長率が、モンゴル中央銀行の発表によると年率ー0.2%とのことです。なぜ残念かというと、第一四半期の速報ではなんと+4.2%だったからです。年の4分の1で++4.2なのに通年でマイナスということは、第二四半期以降はかなりのマイナスってことだと言うことです。ただ中央銀行は結構コンサバのようで、元々は年率ー2.1%で見ていたんだそうですが、IMFとの合意を受けてアップしたようです。やあはりIMF合意は、成長にはプラスってことですかね。ビジネスの現場ではやはり一番気にしているのは為替の安定です。モンゴルの私企業は鉱山や建設業者以外はほとんど政府支出や公共事業には期待していませんが、政府に対しては為替の安定が一番望むことです。輸入商社でなく内需型企業であっても、モンゴルのほとんどの企業は輸入に直接・関節で関わっています。ですので、とにかく為替が安定してほしいということです。そういう意味では、IMF合意で遅まきながら外貨準備も増える傾向になり、為替もこのところ1ドル=2400レベルで安定しています。内需型の企業経営者に「どこまでトゥグルグは上昇しますか?」と聞いたら「せめて2,200くらいまでは行ってほしい。そうすれば原材料コストが随分助かる」と言ってました。だからと言って、予算上の設定レートはそんな甘い数値ではありませんけど。ちなみに、同じく中央銀行は現在外貨準備高が12億ドルであるが、今年の年末には16億ドルになり、最終的には40億ドルに達するだろう、と言ってます。いつが最終的なのかはわかりませんが、文章全体から見ると2020年には40億ドルに達したいと言っているようです。40億ドルでモンゴルの輸入支払いの6-7か月分はカバーできるとのことです。現状は2か月分だけだとのことです。おかしな記事を見つけました。見出しは「白鵬が5月場所で優勝」となっています。これは問題ないのですが、その記事の中身です。「白鵬は15勝2敗で優勝した」とあるのです。どう考えてもおかしいですよね?私の英語力の問題もあるので、そのまま書きます。「Hakuho M.Davaajargal had 15 wins and two losses during the tournament.」です。うーむ、こんな記事がそのまま載るのがモンゴルなんですね。15日制で15戦全勝なのに。ではまた明日。(多分)
2017.05.30
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飛行機は満席でした。前日全勝優勝を果たした白鵬も搭乗してました。通常、優勝の翌日には一夜明け会見があるのですが、白鵬大丈夫なのかな?それに出ないとまたマスコミに言われるかなと思いましたが、ネットニュースを見たら29日にちゃんとやってたようです。つまり、午前中に記者会見やって、その足で成田に向かったのでしょう。確かに記者会見の時の浴衣と成田で見た浴衣は同じものでした。千秋楽の翌日の便ということもあるのでしょうが、この日の便に乗っていた力士は白鵬だけだったように思います。多分、今週水曜日や金曜日にはモンゴルへ帰る力士は多いことでしょう。白鵬と一緒にいたモンゴル人男性の身体が大きいのには驚きました。白鵬よりほんの少し背が高かったように思います。浴衣姿ではないので、力士ではないでしょう。白鵬の兄弟か親せきかな?と思いました。白鵬優勝の時に、恒例のモンゴル大使によるモンゴル製優勝カップの贈呈がありましたが、フレルバータル大使にとってはこれが最後の贈呈式となるでしょう。新しい大使が決まったようです。私は4月から変わると聞いていましたが、若干遅れたようです。新しい大使は前外務副大臣のテンゲル氏(Tenger)です。やはり一番のミッションは、日本とモンゴルで結んだEPAなどの「戦略的パートナーシップ」を実のあるものにするということです。満席だった要因は団体旅行のようです。クラブツーリズム主催のようで、成田のカウンター付近でも「クラブツーリズムの方、こちらへ来てください・・・」と大きな声で先導していました。MIATには何度も乗っていますが、こんないかにも「昔の団体旅行的行動」をするツアー客は見た覚えがありません。お客さんは当然のようにほとんどが年配の方でした。モンゴルでいい思い出を作ってほしいですね。夜の7時半過ぎにチンギスハーン空港を出ましたが、かなり暖かく感じました。ここ1週間ほどは、モンゴルからの情報でもかなり気温が高いと聞いていました。地方によっては40℃超えもあったそうです。UBの人も「今日は昼間暑かったですよ」と言ってました。何やら1か月ほど夏が前倒しで来たようです。来る前から「暑いよ」とは聞いていましたが、そうかといって夏用の服装だけで来るわけにいかないのがモンゴルです。なんせ私自身も「6月下旬の雪」を経験していますから。これからの時期「モンゴルは1日で四季がある」と言われます。夜明け前に最低気温がマイナス(冬)で、午前は一転ポカポカ陽気(春)、午後になると30度を超え(夏)、夕方には肌寒くなる(秋)というわけです。今回のモンゴル滞在も何か発見があるといいですが、何もなくとも本ブログに書いていきます。
2017.05.29
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こちらの不動産会社の人から「東横インはいつオープンするのですか?」と聞かれましたが、もちろん私がわかるはずありません。確か以前にも東横インのことは本ブログで書いたと思いますが、建物が完成(しているように見える。内装工事業者などの出入りはもうない)から1年近くたっているのに、なぜかまだ開業していません。ご覧の通り、立派なのが建っています。西のドゥルンザム近くで、隣はラマダホテル&マックスモール、向かいはグランドプラザと、立地はいいです。何の問題もないのに、なぜ開業しないのでしょうか?敷地内はご覧の通り封鎖されています。もしまだ工事中であれば、工事業者などが出入りするはずですが、そんな気配はありません。と思って、ネット検索してみると・・・元々は2016年春、つまりちょうど1年前にオープン予定だったようです。が、2017年2月オープン予定というのも見つけましたが、これも過ぎています。一度ならずも二度も延期なのでしょうか?怪しいですね。恐らくこの建物はモンゴル人所有ではないかと推察しますので、その辺におかしなトラブルがないといいのですけど。暖かくて天気のいい午後、デパートの前付近を歩いていると何やらにぎやかな音がします。人もたくさん集まっています。行ってみると、なんとそこには「ゆるキャラ」が。「日本のゆるキャラは意味が分からない。モンゴルには絶対にいないよ。」と言ってたモンゴルの方もいましたが、ちゃんといるんですね。前で踊っているのは「苺のゆるキャラ」です。後ろのマンガみたいな着ぐるみも、踊ったり話したりしてました。そして子供たちは大喜びです。やはりこうした着ぐるみは日本だろうとモンゴルだろうと関係なく、子供達には大人気ってことです。こっちで気になる話を聞きました。外国語としての日本語の人気が落ちているのは知っていましたが・・・ある小学校では、3年生か4年生から外国語を勉強するらしいのですが、クラス分けための試験をやるんだそうです。もちろん、外国語の試験ではないようですけど。ある人のお子さんが「うちの子、日本コースになったんですよ。試験難しかったのかな?」と言うのです。よく意味が分からないので詳細を聞くと「一番優秀な子供上位40人しか英語コースに入れない」というのです。その親は、英語コースに入れなかったというわけです。なるほど、その上位に入れないと日本語か、と思ったら大間違い!「次の40人は中国語コースに行けるんです。うちの子は、その40人には入ったけど、私は中国が嫌いなので、その下の日本語コースに入れたのです」だって。いやー、厳しい現実です。その親は、日本語もでき親日なので子供を日本語コースに敢えて入れたということですが、要するにモンゴルの今の価値観では「中国語の方が上」ってことなんでしょう。ほんの数年前には考えられない変化ですが、実体経済(貿易や投資など)を見れば、こうなるのも仕方ないとも言えます。残念ですけど。モンゴルに住んでいた頃、よくUBマートで買い物をしたついでに新聞を買ってました。日本語のモンゴル通信です。ですが、その新聞も店頭から消えて何年になるのでしょうか?久しぶりに同じ場所に行ってみたら・・・中国語の新聞がありました。もちろん、以前はなかったです。日本語衰退、中国語躍進は、本当に現実問題として進んでいるんだなと実感した次第です。文句を言う前に、日本企業がもっと進出しないといけないということですね。
2017.04.16
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ゲル地区では「ストーブから出る煙」よりは「水汲み場までいかなくていい水道」や「電気」の方がよりニーズに直結している人たちが大半であり、新しい装置を「1万円円以下で売れるようにしたい」と頑張っていますが、多分「装置を作る」のも難しいでしょうし、それを「1万以下円で作る」のも難しいでしょう。仮にできたとしても、10万、20万戸の人たちが買うとは思えません。1万円=22万トゥグルグ今手元にあったとして、果たしてゲル地区の人たちがそれを最優先で買うでしょうか?それができるなら、そもそもこんな事態にはなっていないでしょう。そういう話をしながら、私が「過去、政府も政治家もいろいろ取り組んできたけど、ほんの少しの効果もなかった。効果はゼロ以下。なぜこんな無理だとわかっていることのために頑張っているんですか?」と聞きました。すると「私たちモンゴル人が頑張らなければ、誰が助けてくれるんですか?このままでは子供たちを育てられない街になってしまいます。なんとかしなければならないのです。」という悲痛な叫びにも似た声を聞きました。うーむ、確かにそうです。政治家はインチキばかりで当てにならない。役人も何もしない。そのまま傍観していては確実にもっと悪くなる。そうした危機感から、解決策すら見いだせないままこうして有志で集まって議論しているのです。技術系の人たちが何やら器具、装置などを考案してやろういう議論の跡が、ホワイトボードからでも読み取れましたが、実験する場所もお金もないのですから、多分単なる空論で終わっているのでしょう。Uさんから「是非、彼らに田崎さんからアドバイスをしてあげてください」と言われましたけど、うーん、簡単に言ってしまえば無理でしょうね、このやり方では。私は大げさに言えば「この地球上に解決できる技術はないか?」と問われれば、そりゃあ、あると思います。公害物質の除去など、仮に東レや京セラが本気で取り組めばできるでしょう。日本の技術陣が本気で取り組めば、という前提です。あるいは、トヨタやそのグループのデンソーが排ガス技術を本気でここで使えば、できなことはないでしょう。ですが、もちろん彼らはやりませんし、多分、問題意識もなければ、検討すらしたことはないでしょう。それは「市場性」もなければ「投資する意味」もないからです。日夜世界中の競合会社と技術競争している企業にはそんな余裕も関心もないでしょうから。ただ、これをCSRと捉えれば別です。味の素は10年以上もガーナの幼児を救う取り組みをやってきました。私の後輩が1円の利益にもならないけど、頑張ってきました。一袋2円か3円かわかりませんが、離乳食に混ぜる栄養補助食品を地道に開発、販売してきました。それにより、現実にガーナの子供たちの死亡率は低下し、成長の助けになったそうです。まさにCSR(企業の社会的取り組み)としての一環です。ここに挙げた日本の企業が、ウランバートルのばい煙除去に助けてくれるかはわかりません。普通に考えていては無理でしょう。私がUさんに言ったのは「本気でやるなら」と前提を置いて言いました。例えば、大統領と安倍さんが会った時に「ウランバートルのばい煙問題は劣悪です。健全な赤ちゃんを育てられない環境になりつつあります。是非、日本の資本と技術でモンゴルの国民を助けてください、と言えば、人道支援としてODAが付くかもしれない。」と言いました。日本の企業が本気で取り組めば、不可能ではない話ですが、今のままでは誰も本気では取り組まないでしょう。なので、安倍さんの掛け声と、政府資金が必要なのです。ただ、今のモンゴル政府は、仮に日本がそれをやってあげたとしても、大して感謝は示さないでしょうね。モンゴルの政治家は「日本は儲からなくても、見返りなしでやってくれる分野」を期待し、中国には「具体的にビジネスに結びつく分野」に期待しているように見えます。でも、それでもモンゴルのために日本がやるべきか?は私にはわかりません。これまで散々モンゴルにODAをつぎ込んできましたが、今は中国寄りになってしまい、日本は存在感は薄いです。こうした中でも、更にモンゴルにつぎ込むべきかどうかは、政府の仕事ではありますが、長期的には日本人としてそれが望ましいのかどうかでしょう。そこを考えると、単純に「そうすべきだ!」と言えないのが残念です。(完)
2017.04.15
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友人のUさんと食事しました。仕事のこと、モンゴルのこと、プライベートなことなどいろいろ話します。「場所はどこにしますか?」と言われ「どこか新しいとこがいいな」と言うと、なんとお寺の名前のレストランでした。その名も「Choijin Temple」。私は一瞬「チョイジン?韓国料理屋?」なんて思ったほどです。チョイジン寺は、ウランバートルの都心にある有名な寺院です。入ってメニューを見たら、なんとイタリアン!雰囲気も良く、広々していて味も良かったです。前菜セットを頼みましたが、モンゴルで初めて「いかにも本格的っぽい前菜盛り合わせ」が出てきた気がします。これはお勧めです。複数できた時でも、一皿で結構楽しめるでしょう。料理もまずます、いいじゃないですか。これではベランダもウカウカしてられないなと思いました。ベランダとは、ちょうどそのチョイジン寺を挟んで反対側にある、UB市内で最も有名(?)なイタリアンレストランです。ところが・・・後で聞いたら、なんとそのベランダにいたシェフが独立してオープンした店なんだそうです。ザイサンにできたおしゃれなイタリアンは、さすがにすぐにベランダと同じ味だとわかりましたが、こちらは系列店ではなく、独立したんだそうです。ベランダ強しですね。IVYのように大した味じゃないのに、バブルのような内装を作って、超高価格にしてしまった店は予言通り潰れてしまいましたが、ベランダ系はそこまで高くせず、味もいいので人気なのでしょう。で、食事を終えて、歩いて数分のとあるオフィスに行きました。そこには遅い時間にもかかわらず若者たちがいろいろ議論していました。若者といっても、30歳は超えているでしょうけど。彼らは何をしているのか?ウランバートルの空気汚染解決のために有志で集まって、いろいろ議論しているのです。それぞれ仕事を持ちながらも、本気で考えています。スウェーデンで工学を学んできた人や東京工業大学に留学していた人など、それぞれが技術やネットワークを持ち込んで、この不可能に近い大気汚染問題にチャレンジしているのです。モンゴルの大気汚染問題は、半端なくひどいです。そして過去10年近くに渡って政府がいろいろ試してきましたが、どれも全く効果はありませんでした。主な原因はゲル地区のストーブから出る煙なので、トルコ製のストーブ、煙ができにくい石炭、石炭液化プロジェクト、最近では煙を浄化するのを諦めて全ゲルをアパートに、という政策もありますが、どれも解決には全く程遠い状態です。先週の米誌ニューズウイークにも載っていました。そのタイトルが「北京を超えた世界最悪の汚染都市ウランバートル」となかなか強烈です。モンゴルに関係している人たちの間では既に世界最悪だというのは広まっていましたが、こうして影響力のある雑誌に明確に書かれると、モンゴルのイメージ低下は免れません。記事には「特に懸念されるのは、人間の健康を脅かす微小粒子状物質(PM2.5)が大量にまき散らされること。ウランバートルでは昨年12月16日、PM2.5が1立方メートル当たり1985マイクログラムという最高値を記録した。」とあります。「WHOが推奨する安全値である1日の平均値25マイクログラムの80倍近い値だ。WHOは、今後10年で状況はさらに悪化すると予測している。」ととても改善しそうなどころか、さらに悪化すると予想しています。「過去10年間、無策により改善はゼロで、どんどん悪化した」「現在、なんら有効な対策は打たれていない」ことを考えれば、確かに10年後に改善する見込みはゼロといっていいでしょうね。こうした状況がわかっていながら、若者たちがとある一室を借りながら環境改善の方策を議論しているのです。主たる議論は、「新しいストーブにする」とか「煙の出ない石炭にする」などの過去の失敗の繰り返しではなく「出てきたばい煙を、新技術を使った煙突(のようなばい煙除去装置)で取り除こうというものです。ですが正直言って、ゲル地区の対象者は20万戸ともそれ以上ともいわれており、そのほとんどが「環境改善」なんかより「明日の仕事をどうするか」に関心がある人がほとんどでしょう。(続く)
2017.04.13
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今回のこの昭和ホールディングを見るにつけ、その解体されたA社の構造と瓜二つに見えるほど酷似しています。1、父親が会長となっており、自社のHP上に「業績をけん引してきた」と自賛するようなことを書くのもA社と似ています。2、息子(推定)は、代表取締役CEOを名乗りますが、社長は別の人に名乗らせます。これも同じ手法で、びっくりです。これは上場企業なので「対外的に何か問題が起こったら社長の責任」とし「社内的に一番偉いのはCEOだ」という自己保全のための詭弁です。本当にA社と同じやり方でびっくりです。A社も上場企業でした。3、社外取締役の選考も大事です。そのA社の場合は、「名前は通っているが、代表の言いなりになる人だけ」というものでした。この会社の場合どうでしょうか?面白いのは、社外取締役のプロフィールに、いちいちキャッチコピーみたいなのがあるのです。「日米仏3か国の弁護士資格を持つ国際コーポレート法務専門家」「アジア経済とアジア進出日本企業研究の第一人者」「企業戦略研究と経営者育成の第一人者」「元初代防衛大臣、閣僚3回歴任衆議院議員6期」プロフィール紹介というのは「客観的事実」なことを書くものであって「第一人者」かどうかなどという超主観的なことは書かないのが常識です。そもそもどう見ても、企業戦略の第一人者とは思えませんね。前に知っていたA社も、世間的には非常識なことも平気で書かせたり、発表していました。社員はちょっとでもオーナーに逆らうと、簡単に首になるので誰も逆らってなかったですね。外から見るとおかしい会社でも、内部の人たちは結構本気なんです。ま、北朝鮮みたいな組織なんでしょう。4、M&Aに脈絡がない点も、A社と共通しています。元々はゴムの会社です、この昭和という会社は。で、傘下の会社を見ると、食品会社、投資会社があります。更に、今回話題となっているゼボラホテルというタイのホテルも買収したようです。・・・と、ここまで調べてみてびっくり。このタイのホテルを買収したのはAPFグループというファンドなのですが、そのファンドは2016年2月に破産していたのです!しかもそのAFPグループの代表は此下益司氏なのです。今回の課徴金を決定された人です。しかも当時の記事を見ると「上場汚れ会社の買収など行い、一応上場企業を擁するAPFグループを形成するまでになっていた。しかし、汚れ会社を買ったばかりに汚れてしまい、ウェッジHの株価操作問題から躓き出していた。」またAFPグループについ「A.P.F.ホールデぺィング 昭和ホールディングス(代表:此下竜矢 ・・・買収後、昭和の33億円がAPFに持っていかれたとして問題となった ウェッジホールディングス(元上場企業、現在は昭和ホールディングス傘下になっている 明日香野ホールディング A.P.F.HOSPITALITY CO.,LTD このほか、山のようにグループ企業を持っている。」と記事にあります。記事の真偽のほどはともかく、やはり相当怪しい集団のようです。金融庁から大きな課徴金を請求される決定に加えて、実際に投資ファンドを潰した経験を持つようなオーナー会長を、現在の上場企業が必死に擁護するような企業集団は、やはり怪しいし、私の経験上からも間違いなく、ガバナンスがまともではない会社だということは明確です。よりによって、こんな会社がモンゴルと提携するのだと思うと残念です。逆に言えば、こんな会社しかモンゴルに来てくれないのかと思うとそれも残念です。この会社がどうなろうと知ったことではないですが、モンゴルのイメージ悪化や、余計な迷惑をかけてくれないことを祈るばかりです。(完)
2017.04.12
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日本の知人から「モンゴルコンテンツサミットに出ている昭和ホールディングの社長が大変なんなことになっていますが、知ってる人ですか?」という連絡が来ました。調べてみると、結構怪しい内容が出ています。どうもこの社長さんという人の個人的なトラブルとモンゴルとの提携話がほぼ同時に発表されたので、知らない人にとってはちょっとごっちゃになっているようなのです。これでモンゴルのイメージダウンにつながるのは勘弁してほしいです。ちょっと整理してみます。まず「モンゴルとこの会社」についてです。昭和ホールディング(東証二部上場)のHPを見ると、4月6日 モンゴルで最も有名な漫画作家エレデネバヤル氏と専属契約を結んだとあります。但し、日本側の契約会社はウエッジホールディングスという会社で、これも東証JASDACに上場しています。昭和ホールディングの子会社のようで、社長は昭和ホールディングの代表でもある此下竜也氏です。4月10日 モンゴル生命科学大学と昭和ゴム(社長は小川和豊氏)と共同研究に関する覚書を締結したとあります。研究内容は、農畜産業用製品及びウランバートルの大気汚染縮小のための製品開発とのことです。ゴムの会社と大気汚染がどう結びつくのかはちょっとわかりませんね。4月10日 上記と同じ内容で、日本側企業が昭和ホールディングとなっています。社長は、上記の代表の此下竜也氏ではなく重田衡氏となっています。同じ内容なら、一緒に発表すればいいと思うのですが、なぜかプレスリリースは違います。ここには昨年9月にモンゴル駐在員事務所を開設し、モンゴル市場を様々なアプローチで試しているとあります。4月11日 ウエッジホールディングスの名前で、当社元取締役此下益司氏に対して金融庁から課徴金約41億円の納付を命じる決定が出されたとあります。但し、これは個人への決定であり、当企業グループとは関係ありません、と主張しています。4月11日 上記と同じ内容で、昭和ホールディングの名前(社長は重田衡氏)でプレスリリースされています。こちらは元取締役ではなく、当社取締役とあります。やはりこれは個人的なことで、当社の業績とは関係ないと言いながら、一方では「本件の決定は全く不当です」と弁護しています。ただ、これらを読んでも、なんでこんな大きな課徴金を命令されたのかの原因はわかりません。文章から推測するに、ゼボラホテルという会社に関係しているようにも見えます。とまあ、確かにこう並べると、ほんの数日の差で、モンゴル関係のニュースと金融庁の課徴金のニュースが重なっているので、なんだかこの両者に関係があるのかな?と疑問に思う人も出てきてもおかしくはないですね。この昭和ホールディングという会社ですが、前述のとおり東証2部上場の歴史ある会社のようです。ですが、私の過去の経験でいえば「ああ、この手の会社は今までもあったな」と思われます。私が直接知っていた「この手の会社(A 社とします)」というのは、先代が会長になっており、相当な手腕あるいは剛腕で伝統的に地道にやってきた会社を、まるで投資会社のように変えてしまった、のでした。そこにその息子が代表になります。ここがポイントで、社長ではなく代表になるのです。社長は子飼いのイエスマンを置いて、M&Aだ、金融だ、新規事業だ、と突っ走るのです。その結果?会長への脱税容疑などが明るみに出て、そのグループは実質的に解体され、今は全部バラバラになり、名前も残っていません。このストーリーだけで、もしかしてピンと来る人もいるかも知れませんね。今回のこの昭和ホールディングを見るにつけ、その解体された会社の構造と瓜二つに見えるほど酷似しています。(続く)
2017.04.11
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ちょっと足を延ばして、以前から時々訪れているソウルストリート沿いにあるナランプラザに行ってみました。ここはウランバートルでは珍しく、1階にソニー製品を多く展示しています。2006年以前は、家電の主流は圧倒的に日本ブランドで、一部フィリップスがあった程度ですが、ご多聞に漏れず、ここモンゴルでもほとんど韓国勢に駆逐されてしまいました。ここは一応「高級ショッピング店のビル」ということになっています。土曜日の午後という、こうした店にとっては一番大事な日であるにもかかわらず、客はほとんどいません。エスカレーターは数年前からストップしたままです。2階はどこも営業はしているのですが、客ばかりか店員もゼロなのです。これは2階フロアーの様子ですが、このフロアー全体で私以外誰もいないのです。カメラはあるんでしょうが、保安上の観点でも問題ありですね。この靴屋さんも・・・ご覧の通り、誰もいません。一番の稼ぎ時である土曜の午後でこれですから、まあ、ほぼ全店赤字だと言っていいでしょうね。多分、閉店したいけど契約上支払い義務が残っているので、仕方なく店を続け、店員もカットしてしまったんじゃないでしょうか?とはいえ、この惨状は今のモンゴルを象徴しているというのはちょっと言い過ぎでしょう。そもそもこのビルは開店時から不人気でしたし。更に、上客であるザイサンに住む金持ち用に、ザイサン方面に駐車場付きの立派なショッピングセンターがたくさんできたことも大きな要因だと思います。この街は、とにかくプリウスが多いです。一説によると、全輸入車(中古を含む)の7割がトヨタ車で、その7割がプリウスだと言われています。つまりクルマ全体の5割くらいがプリウスということになります。これはこの日のソウルストリート上で停められていたクルマです。手前から一番向こうまでの6台は全部プリウスです。しかもこういう状態は珍しくないのです。あるモンゴル人の知人が「去年クルマを買いました」と言ったので、私が「プリウスでしょ?」と言うと驚いて「どうしてわかるの?なんであなたは何でも知っているの?」と妙に驚かれました。あたかも「コンサルタント」ではなく「シャーマン」を見るかのように。(笑)要するにあてずっぽうでも、かなりの確率で当たるほどプリウスが多いってことです。モンゴル経済は厳しいけど、消費財分野は結構健闘していると以前本ブログで書きましたが、長期間のトゥグルグ安(=物価上昇)などで、徐々に影響が出てきているのでしょう。最後に。ドコモの携帯は、空港に降り立った瞬間だけつながりましたが、その後はずーーと圏外です。これではモンゴルが観光立国になるとかや外国人ビジネスマンに来てもらいたいというのは無理ですね。モビコム関係者の皆さん、KDDIさん、何かコメントできますか?無理でしょうね、言い訳以外は。(完)
2017.04.09
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土曜日の午後、気温はプラス5℃くらいとかなり暖かさを感じました。所用もかねて、ちょっと街を散歩しました。(ちなみに、ドコモの携帯は、今日も終日圏外でした)まず目についたのが、本ブログでもたびたび紹介している100円ショップのモンゴル版3500トゥグルグショップです。一昨年辺りに多くの店がオープンしましたが、その後のトゥグルグ安で経営は厳しいんだろうなと思っていました。で、デパートの近くにあった3500TGショップの前を通った時に「あれ?」と思いました。以前の店は、こうなっていました。一目で3500tgとわかりますね。ところが、今目の前にあるのはです。そうです3500の文字が消えているのです。で、中に入ってみると、確かに3500TG均一ではなくなっていました。3500のままのもあれば4000も4500のもあります。しかも3500より安い3000TGもあります。要するに均一性を止めて、個別の価格表示に変えたってことです。一応、念のため店員さんに「ここは3500ショップじゃなかったんですか?」と。すると、何やら早口で説明したので、私が「価格が上がった?」と聞くと「そうだ」と答えました。店内はガランとしていて、私以外に客らしき人はいませんでした。以前は常に数人はいたんですけどね。ま、最近はやや安定してきたとはいえ、開店時の為替からするとかなり下落していますから、いずれ価格の変更はしなくてはならないだろうとは思っていました。なるほど、ここが均一価格制を止めたってことは、他もそうなのかなと思い、デパートの前の通り(さくらベーカリーのある通り)にあった3500TGショップに行ってみました。すると・・・こういう看板が出ていました。もともと外からはわかりにくい場所でしたが、今もそれは変わっていません。ここは均一価格は維持していますが、3900TG均一となっていました。そして以前は「ダイソー」とはっきり書いてあったのですが、今は東京とか日本というだけで、ダイソーとは書かれていません。経営主体が変わったのでしょうか?店内は以前と変わっていませんが、例によって超やる気のない店員(一人だけ)が私が入店してから出るまでずーーっとスマホとにらめっこして、客のことは全く気にも留めてないようでした。とはいっても、これはモンゴル式のスタンダードなので、ここだけがやる気がないというわけではありません。どこの店も店員は、笑顔なし、やる気なし、なのが普通です。ちょっと足を延ばして、以前から時々訪れているソウルストリート沿いにあるナランプラザに行ってみました。(続く)
2017.04.08
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ウランバートルにやってきました。さすがに4月、寒くないです。前回はツァガンサル直前で2月でしたから到着時はマイナス28℃でしたが、今回はプラス4℃です。東京で4℃は真冬ですが、こっちだと「あれ?やっぱ暖かいな」と感じるほどです。出張時は基本的に毎回クライアントの運転手さんに迎えに来てもらうのですが、今回はちょっとスケジュールが合わず、ホテルの車が迎えに来ることになりました。ホテルの迎車は、同じ事情で以前Cホテルで利用したことがあります。空港出口を出ると名前の書かれた紙を掲げていました。今回は違うホテルですが、多分同じやり方だろうと思って探しました。ですが、出てみると見当たりません。まあ、ちょっと遅れるのは良くあることなので、気にせず待ってました。その間は、たくさんの白タクの運転手がうるさいほど「タクシー?」「UBまでいかがですか?」なと声かけてきます。まさに「五月蠅い」とういう表現がぴったりです。次第に、周囲は迎えの人らと一緒に空港を出ていきます。私は予約をしてくれたEさんにメールを送ると共に、ホテルに電話しました。すると・・・ま、モンゴルですから「想定内」なんですけどね。「お名前は?・・・ああ、はい、今晩からお泊りの予約は入っています。」「え?車ですか?はい、大丈夫です。」「え?予約?・・・ああ、確かにありますね。でも車は出ていないです。」「車必要ですか?はい、大丈夫です。ではこれから行かせますので、30-40分ほどお待ちください。」というようなやり取りですね。要するに、予約があろうとなかろうと、全然対応はせずに、電話をもらってから車を出すということのようです。不思議でしょ?これがモンゴルなんですね。電話を受けた受付嬢は、私が何で怒っているのかさえもわからないようです。「ちゃんと車はあると言っているし、これから迎えに行くと言ってるのに、なんでこの日本人は怒っているんだろう?」ってとこでしょう。迎車の概念がわかってないのです。私は頭に来て「いいえ、いりません。」と切って、タクシーを捕まえてホテルに行こうと思いました。。ここ数年、空港でタクシーを拾ったことがなかった上に、以前メーター付きのタクシーで嫌な思いをしたことがある(メーターの上がり方が異常に早く、白タクのぼったくりよりも高かった!)ので、どうしようかと思っていました。白タクは交渉すれば値切れますが、面倒だし、時々変なドライバーがいるので気が進みません。ですが、キャンペーンか何かでしょうか、モンゴル語で「ウランバートルまで20,000トゥグルグ」と書かれた看板を持っている女性がいたので、「UBまで2万?本当?」と聞くと、ニコニコしながら「はい、そうです」と言いました。それでヒュンダイ(エラントラ)のメーター付きタクシーが並んでいるところへ行って運転手に「20,000でOK?」と聞くと「ああ、あれか。大丈夫。」という感じで言いました。乗せてもらうと、メーターは倒さず、そのままホテルに向かって走ってくれました。料金はもちろん20,000トゥグルグ(900円程度)で大丈夫でした。これなら安心ですね。白タクは25,000やそれ以上で交渉しようとしますし、時々ぼったくりもいますから、こっちの方が安全で安いと言えるでしょう。ホテルでのチェックイン時に、プリントアウトした迎車予約確認書を見せながら迎車が来なかったこと告げると、さすがにまずいと思ったのかマネジャーがやってきました。交渉の結果、満足のいく補償で合意したので、私はチェックインしました。(補償の内容は、ちょっとここでは書けないほどですね)部屋に入って、まずはチェック。過去の経験では、部屋に入って何の問題もなかったのは、5割の確率もないでしょう。インターネット、電源類、ヒーター類、テレビ・・・何かの問題はあります。前回は確かセイフティボックスでした。で、今回もまたです。エラーしか出ません。係りの人を呼ぶと、何度やってもできません。私が「前回は電池が切れてたからですよ」というと「電池を持ってきます」と言って、取りに行き、再び挑戦。バッテリーの問題が多いんだから、最初から持ってくればいいのにと思いますが、それは日本人だから少し先のことを予測するのであって、モンゴルでは3分後のこともほとんど予測はしません。ですが、何度やってもダメです。で、今度は別の人を呼んで同じことを繰り返しています。確か、前回?前々回?はセイフティボックスごと取り換えたこともありました。要するに、このセイフティボックス、相当高い確率でエラーが出るのです。中国製の品質をこういう時に感じてしまいますね。20-30分ほどで作業終了。なんとか動くようになりました。このホテル、一応外資ブランドでインターナショナルなチェーンなんです。それでもこのありさま。しかも「たまにはそういうこともあるさ」ではなく「ほとんど毎回トラブルあり」でも改善は見られません。「そんなこと言うなら、他のホテルにしたら?」という問いへの答えは「他も同レベル」としか言いようがありません。実際、何度も似たような経験は他でもしています。ホテル以外では、今回は到着後何時間も日本から持ってきた携帯は、圏外のままです。私はモンゴルの携帯があるから大丈夫ですが、外国人訪問客には辛いですね。以前、どうしてこのような問題が起きるのかモビコムの人に聞いたことがあります。「原因の95%以上は、モンゴル側の問題でしょう」と言ってました。モンゴルのホスピタリティ、お客様を迎えようとする姿勢だけは、社会主義時代のまんまのようです。困ったもんです。明日からのウランバートル滞在、マイナス20-30℃ではないので、ちょっと歩いてみようと思います。
2017.04.07
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24日金曜日に無事日本へ戻ってきました。早朝7時前にチンギスハーン空港に到着し、チェックインカウンターで手続きを始めたのですが・・・「紙に印刷したチケットはありますか?」と聞かれました。いつもは私は手荷物にコピーを入れておくのですが、今朝ホテルで確認したのちに、スーツケースに入れてしまったのです。以前は、Eチケットのコピーをいつもチェックイン時に出してはいたのですが、もう長い間それを見せろと言われたことがなかったので、手元に持っていなかったのです。しかも成田でのチェックイン時に「お帰りは24日ですね。」と帰りの便の予約も確認されたので、安心していたわけです。なので「紙が必要?なんで?」と聞くと「あなたの名前が予約リストにないのです」と言うではないです。仕方なく、スーツケースを開けてEチケットのコピーを取り出しました。ところが後でわかったのですが、この日はどうもチェックインした人全員がチケットコピーの提出を要求されたようなのです。しかもその理由は全部同じで「あなたの名前が予約リストにはありません。」だって。さすがMIAT!予約者全員のリストを消し去ってしまってことでしょうか!?もし、コピーを持っていなかったら搭乗できないってことなんでしょうか?とにかくやることなすこと、当たり前のことができないのがMIATです。早く民営化してほしいところですが、政治家のおもちゃなので利用価値が高く、政治家は民営化に反対のようです。おもちゃというのは、CAや現地駐在事務所などへのコネ入社に自分の家族や親せきを押し込めるということです。途上国特有の現象で、国内の賃金水準が低い中、CAや海外駐在員の給料は突出していますから。まあ、JALだって昔はそうだったですけどね。もう一つ、席が取りにくい時にも政治家が駄々をこねれば、事前予約している民間人を追い出して、政治家優先で座席を獲得できる。こうしたことから、MIATは企業価値が低いにもかかわらず、政治家に重宝されているというわけです。もちろん独占企業ですから、顧客の視点、お客様へのサービスという概念はありません。あるのは「乗せてやっている」という四半世紀前の社会主義のままの精神です。これはMIAT東京事務所の対応ぶりでもわかります。彼らにとって一番大事なのは本社。それより大事なのは政府役人や政治家。ヒエラルキーで一番下が、乗客なんですね。搭乗手続きを終え中に入ると、今までの数十回あるチンギスハーン空港でも経験したことのない光景が!ま、驚く話ではないのですけど・・・知っている日本人のオンパレードです。Sシェフに建築資材会社のYさん、行列のできる人気カフェオーナーのMさん一家に日本人会リーダーのKさんなど、他にもたくさんのモンゴルに住んでいる日本人がいました。彼らは特に示し合わせてこの日を予定したのではなく、すべてはたまたま日が重なっただけとのことでした。たまたまと言っても、当然理由があります。それは来週かがツァガンサルの週だからです。ツァガンサルになると、その週はビジネス的にはほぼ休業です。日本の正月と一緒ですね。なので、彼らはこの休みを利用して日本へ一時帰国しているというわけです。「せっかくモンゴルに住んでいるのだから、ツァガンサルを経験した方がいいのでは?」という声もあるかもしれませんが、彼らは皆モンゴルに住んで10年以上のローカライズした人たちばかりですから、ツァガンサルについては何度も経験した人たちなのです。その上で、このモンゴルの長期休暇週間を狙って、日本で商談したり、家族のもとへ帰ったりするというわけです。先週は乗客はほとんどモンゴル人ばかりでしたが、帰りは日本人が目立ちました。とはいえ、やはりモンゴル人が過半数であることには変わりありません。同じのは、往復ともに満席だということです。これだけ満席なんだから、飛行機を大きくする必要はないけど、もっと就航日を増やしてほしいと思います。せめて土日のどちらかで運行してもらえたら助かるのですが。でももちろんMIATは客の声なんて気にしません。新空港ができたら、本当に日系空港会社に参入してほしいと切に思います。そうなったら、日本人は100%日系航空会社に乗るでしょうけど。そんな話をしたら、モンゴル人も「私たちだって、そうなればMIATなんか乗りません。」だって。MIATはそれが怖いんでしょうね。そういえば、新空港はどうなったのでしょうか?現地で聞いたのをまとめると、既に日本側はやる工事はすべて完了した、とのことで一部にはモンゴル側への引き渡しも終わったとの情報もあります。でも、今年の空港オープンは難しいだろうとのことです。なぜか?それはモンゴル側が担当する工区の工事が全然進んでいないからだそうです。私が「ああ、新空港からUBへの高速道路のことですね?」と聞くと、そうではなく空港の一部施設はモンゴル側が工事をすることになっていたんだそうです。それが全然進んでいないそうです。これもよくわる話です。モンゴル人は「日本人は、遅い!何も決められない!」と言ってイライラするのですが、いざプロジェクトが始まると多くの場合「日本側は計画通り」に終えますが、モンゴル側はいつまでたっても「何やってんのかわからない状態」になってしまうのです。今回もその通りの結果になりました。公式には、当初は今年の春に新空港オープンの予定でしたが、今は年内になっています。ですが、現実的にはそれも無理じゃないかという声が多いということです。更には、新空港への高速道路に至っては、いつになるかわからないとのことです。新空港までの既存の道路は片側1車線の一本道ですから、このままでは相当な混雑、渋滞が予想されます。モンゴルでは交通事故が日常茶飯事ですから、そういう渋滞もあり得ます。新空港が「便利な空港」になるには、しばらく時間がかかりそうですね。
2017.02.26
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ようやくウランバートルに到着しました。現在、日本時間で午前5時です。(モンゴル時間で午前4時)空港に着いたのは午前3時半でした。予定より6時間以上もの遅れとなりました。もちろん、こんな時間にモンゴル到着は初体験です。現在マイナス28度です。遅れると連絡したとはいえ、運転手さんも相当な時間待ってくれてたでしょう。本当にありがたいです。機内は文字通り満席でした。日本人は、私が見た限りでは私含めて6人。恐らく見落としている人もいるでしょうけど、10人はいなかったように思います。西洋系の人が1人。こんなにモンゴル人比率が高いのも初体験です。そしてモンゴル人は皆ものすごい荷物でした。皆さん、いいお正月を迎えられるといいですね。もう寝ます。
2017.02.18
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今、成田空港です。15時半出発予定のMIATが20時出発に変更になりました。さすがに4時間半の遅延は厳しいですね。しかもチェックイン受付は17時半からとあるので、それまでこの重いスーツケースと一緒に行動ということになります。ですが、なんとかコインロッカーを見つけ、そこに押し込むことに成功したので、その問題は解決しました。それにしてもかなりパンパンに膨らんだスーツケースが入るコインロッカーがあるというのは、さすが空港ですね。普通はあり得ません。問題はここからです。17時半と看板に書かれてあったので、17時前にMIATのカウンターに行ってみました。するとそこは他社(ニュージーランドの航空会社)がチェックインをやっており、さきほどあったお知らせの看板はなくなっていたのです。なので私は「すいません、MIATは17時半からでいいんですか?」とそのカウンターにいた全日空の職員に聞きました。ところが返事は「すいません、それはモンゴル航空の人に聞いてください。」というのです。私が「何を言ってるの?全日空が受付業務を請け負っているんでしょ?だったら、全日空として答えてください。そもそもMIATの人なんてどこにいるかわからないじゃないですか?」と言うと、渋々調べました。「すいません、17時からDカウンターで始めるそうです」だそうです。で私が、「なんのお知らせもありませんし、このカウンターの周りにはMIAT待ちのモンゴル人がたくさんいるじゃないですか。」というと「ああ、あの人たちみんなモンゴルの人で待ってるみたいよ」とひそひそ話します。結局、全日空の職員がお知らせして、民族移動のようにゾロゾロと列をなして歩きました。で、今度はDカウンターです。Dカウンターへ行くと、何の質問もせず全日空の職員が「お客様、ここはクローズしています。Cカウンターへお回りください」と言うのです。私が「いや、全日空の人にDカウンターへ行けと言われたんです。」というと「誰ですか?」だって。話になりません。そうこうしていると、モンゴル人の集団がぞろぞろDカウンターに集まってきます。要するにDカウンター側は全然連絡を受けてないってことです。・・・まだまだこの話は続きますが、そろそろ飛行機に乗り込まないとけません。UBへの到着は午前零時を過ぎるでしょう。迎えの人らも混乱するかもしれません。私は幸い連絡がついたので、大丈夫だと思いますが。一つ気づいたことが。今日のモンゴル人比率は、私が過去数十回MIATに乗った経験でも一番多いかもしれません。なんせ、チェックインの行列では日本人を見つけることができなかったほどです。そして皆さん、例外なく膨大な荷物を預けています。もちろん、答えは「ツァガンサルでの里帰り」ってことです。とにかく無事着いてほしいです。というわけで搭乗手続きをしようと、カウンターにやってきました。が、20時の出発時刻を過ぎても、手続き開始のアナウンスはありません。聞けば「実は、先ほど到着したばかりなのです。」とのこと。さあ、無事に着くかどうか。
2017.02.17
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撮っても超ピンボケです。とてもブログに載せるような写真ではありません。結局、帰り際に日本の携帯(ガラケー)で撮ることしかできませんでした。写りは今一つですが、こんな感じです。メニューも日本では常識のサンプルがたくさん並んでました。モンゴルにもあるかもしれませんが、ここまできれいに並んでいる食品サンプルはないでしょう。いかにも日本のお店って感じです。で早速、メインの味千ラーメンをいただきました。確かに日本の味です。日本のチェーン店の看板を掲げているだけのことはあります。私は九州にも住んでいたことがあるのでわかりますが、確かに熊本ラーメンの味です。もちろん、熊本でも有名な桂花ラーメンと同じかと言われれば、そりゃあ違いますが、それはチェーン店による差の範囲内と言えます。但し、九州のとんこつラーメン(博多や熊本、鹿児島など)に慣れてない方だと「なるほど、これは日本のラーメンと同じだ!」とは感じることないかもしれません。メニューはまずモンゴル語、次に日本語、次そして英語です。韓国人がやっている日本風和食屋さんは韓国語優先ですが、さすがにそれはないです。まず驚くのは客が多いことです。午後2時すぎの平日水曜日なのに、ざっと見ても40人は超えてます。キャパシティは80席から90席くらいでしょうか。カウンター席ではなくほとんどが4人掛けのテーブル席ですので、ほとんどのテーブルにお客さんがいるという状態です。一人客の私も4人掛けテーブルを占拠するわけですから、テーブルベースではほとんど満席です。標準的な味千ラーメンが13500トゥグルグ(650円)で、他のラーメンは15000トゥグルグ(720円)から18500トゥグルグ(890円)です。他にはすき焼き丼13500などご飯ものもあります。ざっと見回すと客単価は15000トゥグルグは十分いってるでしょう。モンゴルでは食事と一緒に飲み物を頼む習慣があるので、もっと高いかもしれません。ですので、客単価は日本のチェーン店のラーメン屋さんに見劣りしないばかりか、一部の安価な有名チェーンよりは高いくらいです。更に私が店側に日本人はいるのか?と聞くと、いないと言われました。これだけの規模の店を日本人なしで回せるのはすごいです。中国をはじめ多くの海外店舗を運営してきた経験が生きているのでしょう。こちらで聞いた話では、日本からモンゴルへの進出というよりは中国展開の延長のようなので、中国で経験のあるマネージャーなのかもしれません。確かに日本語ができるマネージャーらしき男性は普通のモンゴル人っぽい雰囲気ではなかったです。私の推測では内モンゴル人ではないかと思いました。 以前から友人のBさんや多くの日本帰りのモンゴル人が言っていましたが「本物の日本のラーメン屋さんがモンゴルに来たら、絶対に人気が出る」と言ったのは、とりあえずは証明されたような気がします。味千ラーメンも先日本ブログで紹介した富山県の「麺家 いろは」も地方出身の店としての狙いは一緒です。東京などへ進出するより、モンゴルへ進出する方がよほど市場があると睨んだのでしょう。他業界でも、こうした動きが出てくることを期待します。
2016.12.16
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昨日はランチの時間帯に少し余裕があったので、新しいお店を訪ねてみました。先日、日本人向け居酒屋のTOで一緒になった方々にラーメン屋さんの話を聞きました。ラーメン屋さんの数自体は増えたものの、なかなか日本の味に近い店はないという話題でした。そこで私がモンゴル国立大学の近くにできた「はし」(箸のこと)というお店について聞いたのです。(そこはなんと「ちゃんぽん」があるのです)「最近、日本料理屋さんが増えているのは大変結構だと思うのですが、あの「はし」というお店は本当に日本人シェフまたは日本人オーナーと言いますか、どういう形であれなんらかの形で日本人が関わっているのでしょうか?」と。というのは、お店の形態は完全に日本料理屋さんなのですが、味があまりにも日本離れした味だったからです。どんな風に?と聞かれても困るくらい「違う」のです。もちろん好き嫌いの嗜好は人によって違うでしょうけど、はっきり言って「日本に行ったことがない人が作ったの?」と思うほどだったので、聞いてみたのです。するとそこにいた何人の方々(皆さん、ウランバートルに住んでおられる日本人の方々)が「ああ、あそこはオープンの時1度行ったきりで、その後は行かないな」という感じのことをおっしゃっていました。要するにオーナーは韓国人の方で、お客さんもほとんどが韓国人のようだということです。実際私がお邪魔した時も、日本人は私一人で、あとは韓国人のお客さんでした。なるほど、日本食も各地で人気を呼び、韓国風日本食、中国風日本食が登場しているのでしょう。それはそれでよいことだと思いましたね。ですが、日本人が日本風を期待していくときは確認した方がいいかもしれません。更に教員養成大学の近くにあったチヨダ(千代田のこと)というラーメン屋さんもなくなったとのこと。ここは開店当初から知っていただけに、残念でした。ですが、どうしてそうなったのかは大体見当がつきます。開店当初は、日本でラーメン作りの勉強をしたモンゴル人オーナーは非常にやる気満々でした。店に行くと元気よく「製麺機械も買って頑張ってますので、よろしくお願いします!」とお客さんに挨拶していました。もちろん、毎日店で自らせっせとラーメンを作っていました。そのおかげで、いつも結構なお客さんが入っていました。ですが、しばらくして行くと、店主はいるのですがお客さんと話したり、トッピングを勧めたりするだけで厨房には入らなくなりました。中ではアルバイトさんと思われる中年の女性がせっせと作っていました。更にしばらくしていくと、もう彼の姿は店で見ることはなく、彼以外のモンゴル人女性たちだけで作っていました。最初はほんの少しなのですが、やはり段々味が変わっていきますが、味をチェックする人もいないのではっきり言って味のレベルが落ちていき、私が出張でこちらへ来ては入った時には、店はガラガラでした。そして、今回聞いたのが閉店です。本当の原因はもちろんわかりませんが、流れとしてはわかりやすい流れです。モンゴルでは食の現場でいいものを作り続けようという職人気質の人は非常に少ないと聞きますし、現に私はまだ会ったことも聞いたこともありません。(もちろん、いることはいるのでしょうけど)そんな話をしていたときに、味千ラーメンがモンゴルにできたと聞きました。味千ラーメンといえば、熊本のラーメンチェーンで、中国で最も成功した日本の飲食店として有名です。中国の人にとっての「日本のラーメン」のイメージはこの味千ラーメンであるとさえ言われるほどです。それがモンゴルにできたと聞き、昨日の空いた時間に行きたくなってしまったというわけです。場所は平和橋から空港方面とザイサン方面に分かれる分岐点近くの新しいビルの中でした。食前の運動にも良いと考え、ホテルからマイナス20度の中30分かけて歩いていきました。なるほど、これが味千ラーメンか、と写真を撮ろうとカメラを操作したら、なんとカメラのオートフォーカス機能が働きません。(続く)
2016.12.15
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冬のウランバートルは、やはり全体に街での人通りが少ないように感じます。当然と言えば当然ですが、特に夕方以降はマイナス20度以下になりますから、あてもなくブラブラという人は少ないでしょう。日本企業がモンゴルでビジネスを考える時にいつも障害となるのが、人口の少なさです。が、少ない人口を前提に何ができるかを考えていたときに目に入ってきたのがこれです。「セブンイレブン、沖縄で300店を予定!」というニュースです。ちなみに沖縄県の人口は142万人です。しかもたくさんの離島を持ち、商品の輸送面でハンディがあるのも事実です。このニュースを見てモンゴルの潜在的な小売市場は結構あるんじゃないかと思いました。まず人口ですが、モンゴルは300万人と沖縄県の倍以上います。しかもその約半分がウランバートル市に集中していますから、ウランバートル首都圏を対象市場として考えれば離島が多い沖縄県よりももしろドミナント出店(地域集中出店)しやすいんじゃないかと思えるほどです。競合はどうか?最近は私が住んでいた頃より小売店が増えているのは確かですが、目立って増えているのはいわゆる「ちょっと高級そうなスーパー」が多く、コンビニっぽいのはありません。日本でイメージするコンビニはまだありませんが、ミニスーパーみたいな存在としては「ミニデルグール」(私のお店、という名のスーパー)が一番多いです。一番多いと言っても、数年前でモンゴル全体でFCを含めて100店ちょっとでした。確か、UB市内では60-70店程度だったと思います。ま、現在であれば市内で100店と考えていいでしょう。他は?エブリデーや小さめのノミン(モンゴル最大のスーパーチェーン)があるでしょうが、店数としては知れています。共にコンビニではなくミニスーパーと言ったところですが、まあせいぜい各20店未満でしょう。あとは個人店がありますが、これは沖縄でも東南アジアでも同じです。それ以外では、バス停付近などにあるキオスクがありますが、たばこ、新聞、飲料、ガム・チョコなど、窓口でおばちゃんが対応するタイプですから、品揃えには限りがあります。こう見ていくと、ミニスーパーでせいぜい150店程度、あとは個人商店やキオスクと言ったところが競合と考えられますが、全部足しても潜在的な競合は200店あるかどうかじゃないでしょうか?沖縄県はどうか?ローカル勢力を一切無視しても、ローソンやファミリーマートの2チェーンだけで既に460店もあるのです。そこへセブンイレブンが300店!ローソンもファミリーマートも競争激化したからといって簡単には撤退なんかしないでしょうから、近い将来は沖縄県だけで7-800店にも膨れ上がります。モンゴルでは各地に伝統的なザハがありますが、沖縄だって古くからの市場(いちば)があります。モンゴル全体を視野に入れれば、広大な面積での輸送面の難しさはありますが、ウランバートル市及びその周辺のトゥブ県(中央県、という意味)だけを対象にしていれば、離島の多い沖縄県よりはむしろ効率的とさえいえるかもしれません。何が言いたいのか?要すれば、人口142万人の沖縄県で800店ものコンビニが存在できるなら、150万人のウランバートル首都圏に現在コンビニはゼロなんですから、ここへの進出を考える日本企業があってもいいのではないかということです。コンビニの海外市場開拓といえば、やはり現在主戦場となっているのはタイなどを中心とする東南アジア市場でしょう。この地域には、日本のビッグ3チェーンがなだれ込んでいます。バンコックなんか、少なくとも東京の私の自宅周辺よりもセブンイレブンの密集度は高いんじゃないかと思えるほどです。こうしたビッグチェーンは、当然人口を基準に進出先を決めるに違いありません。では、このビッグ3以外に、海外へ出る能力のあるコンビニはあるのか?サークルKもサンクスも、もうありません。残る独立系大手といえば・・・そうです、北海道の雄、セブンにも負けない、セイコーマートでしょう。セイコーマートは北海道で約1000店、札幌市内だけでも約300店舗を有しており、全国各地でビッグ3に地域のコンビニが淘汰されてきた中、唯一勝ち残ってきたコンビニなのです。そのセイコーマートは今後どうやって成長するのでしょうか?北海道以外?関東?確かに、関東は市場規模は大きいですが、ここはビッグ3の牙城です。ビッグ3同士が潰しあっている中に、果たしてセイコーマートが成功できるんでしょうか?現に、茨城県や埼玉県に既に進出しているようですが、当然苦戦していることでしょう。当然です。コンビニの生死を決める用地確保だって、セイコーマートの方がビッグ3より良質な情報が速く来るなんてことはないでしょう。ブランド名も知られてないですし、ドミナントといえる店舗数でもないでしょうから。報道によれば、既に閉店した店も散見されるようです。私の個人的推測でいえば、「しばらく頑張って何店舗か出店するけど、どこかで限界が来てまとめてビッグ3のどこかに売却」となるのが最終的な姿ではないかと思います。そんなコンビニ超過密地地帯に進出するのではなく、関東なんてさっさと引き上げ、モンゴルという空白地帯に進出するのが筋ではないかと思います。札幌市(人口191万人)で300店?沖縄県(142万人)で300店?なんかいいじゃないですか!ウランバートル首都圏150万人ですよ。しかも現在コンビニとしての競合ゼロ。セイコーマートさん、聞いてますか?ま、私のブログを読んでいるとは思えませんが、どなたかセイコーマートの方をご存知の方はこのブログを転送してください。セイコーマートの成長戦略(田崎の勝手な提案):・北海道の強化は引き続き続けるが、関東などの本州出店は即刻取りやめる。ビッグ3がなだれ込む東南アジアも対象としない。広大で寒冷のモンゴル市場を今後の成長のキードライバーとする!・店舗設計・建築は北海道の建設会社を軸に現地のローカルパートナーと組む!モンゴルは人口密度が世界一低い国ですが、ウランバートルに限れば278人/㎡です。ちなみに北海道は68人ですから、人が少ないと心配する必要はないのです。是非とも真剣に検討してほしいものです。
2016.12.14
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モンゴルはもちろん寒いですが、オフィスなどは暖かく快適です。ですので、日本のOLさん(?)のようにオフィス内では半袖姿という方もいるほどです。もちろんそんな恰好で一歩でも外へ出たら大変なことになりますけど。先週金曜日から数日過ごしただけですが、日本関係でいろいろ耳に入ってきます。私は先週9日にモンゴルに来たのですが、そのわずか2日前に東京であった「インベストモンゴル」についても早速耳にしました。モンゴル人の友人が言うには「こないだあったセミナーで、最後のセッションに厳しいことを言う日本人がいたって聞いたよ。」「名前はわからないと言ってたけど、私はそのことを聞いて、そういうことを言えるのは田崎さんしかいないでしょう、とその人に言ったんですよ。」と。私は「セミナーの流れがあまりにも予定調和だったので、確かにそういうことを言ったよ」と言うと「まあ、本当のことですからね。」とそのモンゴル人の友人も同意しました。で彼は続けて「でも、田崎さんの発言の後の次の人、外国人の人・・・白人の人がモンゴルのことフォローしたんだってね。その人はヤバいと思ったのかな?」と言いました。「ああ、Nさんのことだね。彼は優しいし、モンゴルに住んでいるからね。私と違って、偉い人たちを知っているからフォローしたんでしょう。」と答えました。それにしても短時間でセミナーの様子が結構伝わっているんだなと感心した次第です。「モンゴルは素晴らしい国ですよー!」って言わないと、そのうちこうしたセミナーにも呼ばれなくなるかもしれませんね。(笑)もう一つは、もっと明るい話題です。それは清水大使に関することです。このブログでもお伝えした通り、私がモンゴルへ出張で来た9日に大使は日本に帰任されました。モンゴルの若いスタッフらがランチの時にこういうのです。「あの・・日本の大使の名前なんでしたっけ?」と。「ああ、清水さんのこと?」「ああ、その人。あの人は素晴らしい人ですね。」と。理由を聞くと、清水さんはモンゴルの新聞(?)に何かを書かれたようなのですが、それが素晴らしい文章だったというのです。モンゴルの歴史のこと、モンゴル人の特徴、そして今後進むべきことなどについて。恐らくは厳しいんだけど、深い愛情と知識に基づいたお話みたいなのです。その話を聞いた別の若いスタッフが「ああ、あれは素晴らしいね。Webでもアップされているけど、続々と「素晴らしい」というコメントが続いているよ」と言うのです。更には、そのモンゴル語自体も素晴らしいらしく「あれは大使自身が書いたのですか?それとも日本語をモンゴル語に誰かが翻訳したのでしょうか?」とまで私に聞きました。もちろん私がわかるはずないですけど、「大使本人がモンゴル語で書いたんじゃないか?」と思われるほどに、清水さんのモンゴル語が素晴らしいということなんでしょう。残念ながら、今のところは英語版も日本語版も見つかっていないので、私には内容はわかりません。でも、大使が本国へ帰任するくらいで、若い人たちがこんなに話題にするなんてちょっと考えられません。ちなみに、この話に参加していた若いスタッフ4人は全員日本留学組でもなければ、日本語ができるわけでもありません。つまり基本的には日本とは関係のないモンゴル人の若者なのです。これはすごいことです。日本を離任するフランス大使でも中国大使でも、関心持ったことありますか?その人たちがどんなコメントや文章を残したなんて、少しでも考えたことありますか?私は全然ないですし、特に若い人たちであれば、ほとんどだれもそんなこと考えたこともないでしょう。モンゴルだって、基本的には同じです。そんな中に、モンゴルの若者たちに強い、そして良好な印象を残すことができた清水大使は、モンゴル大使という枠を超えて、世界中にいる日本人大使の中でも非常に稀な方なんじゃないかと思いましたね。東京でお目にかかるときの土産話ができた気分で、少し嬉しくなりました。
2016.12.13
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モンゴルの女性経営者のBさんとメディアアドバイザーのUさんと3人で久しぶりの食事をしました。3人での食事はちょうど1年ぶりです。BさんもUさんも日本留学組なので、モンゴル語のできない私でも問題ありません。当然ですが、私も含め皆モンゴルの景気が良くなってほしいと願ってはいます。彼らとの話や私のクライアントの状況などから拝察するに、全体に景気は悪いとはいえ、業種によってまだら模様でもあります。データの裏付けはありませんが、モンゴルの景気状況を少しでもお伝えできたらいいと思いますので、私なりの理解を書いてみます。まず言えるのが、消費財関連は底堅いということです。特に生活必需品となると、鉱山がどうの、政府に外貨がないのといっても、消費者ニーズはさほど変わらないということです。当然と言えば当然ですが、このモンゴルでも消費財関連は「ディフェンシブ」な業種と言えるでしょう。も少し具体的に言うとどういうことか?現在の多くのモンゴル企業の悩みは、売上云々は当然ですが、それ以外では運転資金増加による金利負担の上昇があります。モンゴルの場合は、一般人向けの定期金利が年利15%もあるので、企業が借りる金利は概ね20%前後です。日本の1-2%と比べると考えられないコストとなります。つまり運転資金が増加して借り入れが増えるとそれだけキャッシュが金利支払いで無くなるということです。じゃあ運転資金はどうして増えるのか?増える場合の大きな要因は二つあって、一つは在庫です。在庫を1年間持っただけで、コストが20%も上昇するというわけですから、粗利が20-30%しかない商品はあっという間に赤字要因となるのです。ですが、消費財会社の場合は在庫過多になりそうになるとディスカウントをすることで処分できます。その分利益が減りますが、そのまま置いておくコストが高いので処分セールをした方がましなのです。生活必需品であれば、値段を下げればとりあえずは在庫は減ります。もう一つの運転資金増加要因は売掛金の増加ですが、これは不景気で大して売り上げが伸びてないのに売掛金が増えるという場合は不良債権と言いますか、要するにちゃんと払ってくれない客が増えるということです。その点でも、消費財会社の場合は、最終消費者は無数の個人であり、販売先の小売店も現金収入があるのでお金は回ってますから、極端に回収が遅れるということはありません。ですので、消費財会社は不景気でもなんとか利益は出せているのです。他方、産業財関連は厳しいです。モンゴルの場合は、直接間接にかかわらず、産業財の売り上げ動向は鉱山ビジネスの影響を受けています。建設機械はもとより、鉱山開発周辺機器なども当然影響を受けます。なのでまずは売上が落ちるという現実があります。売上が落ちると当然ですが、在庫が増えます。上述のように、在庫が増えると金利負担が大きくなります。なんせ20%もかかるのですから。消費財の場合は、安売りをすればなんとか処分はできるのですが、産業財の場合は「根本的な鉱山関係ビジネスが改善しない限り、安くても誰も買わない」状態になるのです。また売掛が増えるということもあります。多くの場合、特定少数向けのビジネスが多いので、払いが悪い会社が出てくると簡単に売り掛けの増加につながります。ですので、在庫は増えるは売掛は増えるはで、運転資金が雪だるま式に膨らんでいく危険があるのです。その膨らんだ運転資金には20%ものコストがかかるのですから、一度このサイクルに入るとなかなか抜け出れないのです。営業利益がちゃんとプラスでも過大な金利負担により赤字になってしまう会社が多いのはこのためです。産業財会社は、鉱山ビジネス低迷の影響をもろに受け売り上げは低迷し、在庫・売掛増加による運転資金が増え、その金利負担が営業利益を飲み込んでしまうという構造になっている場合が多いのです。特に内陸国であるモンゴルの場合は、注文から入荷までの時間が長いので、在庫リスクが大きいと言えます。では、ちょっと角度は違いますが、サービス業はどうなっているでしょうか?これは2極化していると言えます。サービス業といっても色々あるでしょうが、レストランや美容、健康、更には学校経営などが含まれます。特定少数の金持ち相手のサービスと一般庶民相手のサービスはまずまずといえるでしょう。一番厳しいのがその中間的な価格帯のサービス業です。ハイエンドは、そもそも少数なので客が増えた減ったの影響を受けにくいのです。一般庶民向けは、多少の節約の影響は出るでしょうが、これまた一種の必需品的市場であり底堅いです。問題は「ちょっと高くとも、サービス内容はもっといい」という中間層狙いのサービスです。ここのほとんどが一般庶民向けサービスに吸収されてしまい、若干の付加価値程度では振り向いてもらえない状態となっています。これらは現状のモンゴルの状況を言っているだけで、今後の傾向がこうなるというのではありません。ただ、モンゴルでビジネスを考える場合に避けて通れないのが運転資金コストが異常に高いということです。ここは日本の経営感覚と大きく違うところです。
2016.12.12
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