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私は不倫したことが無いが、いやこれから先もする予定はないが(笑)、不倫って、そんなにいけないことなんだろうか?いや、確かに人道的には良くないことだとは思う。ただだからと言って、法に触れるものではない。決着は当事者同士で行われるべきものだろう。それなのに不倫したからといって社会的制裁を受けている人が、このところ何人かいる。あるものは仕事を完全に干され、あるものは手にしていた職を辞することになった。彼らが社会的にそれなりの地位や知名度を得ている者だから仕方ない、という説もある。要は世間への影響が少なくない、ということでもあると思うが、法に触れない事柄でここまでダメージを与えられるのは正当なことなんだろうか?不倫を否定すること自体はまっとうなことだと思う。ただ不倫というのも人間の「業」のなせる業であって、芸術や文学の世界ではむしろ寛容に描かれることもある。そういう環境を容認しつつ、いたずらに不倫行為を糾弾する人は多い。特にネットなどを見ると、これでもかというほどの叩きっぷりだ。で、その行為の集積が、前述の「社会的抹殺」につながるわけだ。私は不倫をはたらいた人たちを擁護するつもりはないが、全く関係のない第3者の立場として、彼らを糾弾することには違和感を覚える。だって彼らの人生は、あなたには何の関わりもないのだから。
2016年02月13日
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「アタック25」といえば老舗のクイズ番組だが、いまだに児玉清さんのイメージが強い。児玉さん亡き後は、朝日放送の局アナが何年か中継ぎとして務めていたが、昨年の4月から俳優の谷原章介氏が正式にその席に収まった。ただネットを見ていると、彼の司会ぶりに対してわりと批判的な意見が目につく。ただこれらは額面通りに受け取るべきではないだろう。あれだけ長きに渡って児玉さんが努めた後釜だ、比較して見られるのは仕方がない。そしてその場合、観る側のノスタルジーも手伝って、相対的につまらなく感じられるものだ。ただこの番組のヘビーウォッチャーである私に言わせれば、実に堂々とした司会っぷりだと思う。児玉さんに敬意を払いつつも、自分の色を少しずつ発揮していこうという気概が見て取れる。最初のうちはちょっとおどおどとした様子も見られ、緊張の色も隠せなかったが、半年もすると回答者を適度に弄る余裕も見え、すっかり番組に溶け込んできたようにも思う。彼がこの後長きに渡ってこの椅子に座り続ければ、おのずと周囲の雑音も消えていくことだろう。それだけの実力を持っている人だと思う。
2016年02月07日
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日本の閣僚って、やたら辞任が多いような気がする。ちょっとしたことですぐ辞任をする閣僚が多い。それを世間がどう考えているかは解らないが、対外的に見た場合、決して体裁の良いものではない。閣僚の職を辞するってのは、ある意味“けじめ”なんだろうね。ただ閣僚の職務というのはそれなりの責任もあるわけだから、全うしてもらわないと困る場合もある。総理大臣が閣僚を任命するときには、「このポストにはこの人しかありえない」と考えて任命するはずだから(そうでもないかもしれないが、そうだと信じたい)、ちょっとやそっとの不祥事で交代させるのは国家の損失だとも思う。その不祥事が、今後その閣僚としての仕事の障害になるのであれば仕方ないが、それほどの大事ならむしろ、議員の職を辞するべきである。そうでなければ閣僚の職にとどまり、最後まで職務を全うしていただきたい。ペナルティが必要ならば、議員歳費を向こう1年支給しないなど、辞める以外の方法がいろいろ考えられると思うのだが.....。閣僚の辞任や更迭などがこう日常茶飯事に行われていると、閣僚という職責の重みがずいぶんと軽く感じられていまうのだ。
2016年02月04日
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私もかれこれ10年以上このブログを続け、2000以上の記事を書いてきたが、これだけ書いてれば何かを批判したりするようなネガティブな要素の物も多い。ただ書く時には、私なりに心掛けていることもある。まず、人格攻撃はしない、それから、人の尻馬には乗らない、そして、出来るだけ自分なりの対案を出して言い放しにはしない、とこんなところだ。それはすべて、自分が攻撃される側だと絶対に嫌だと思うことだからだ。無自覚な批判やバッシングほど性質の悪いものもないと思う。ただ今の世の中、特にネットの中なんかはそんなのばかりだ。可能性は限りなく低いものの、自分がバッシングされる立場になったらどうするんだろう、などといらぬ心配をしたくもなる。ベッキーの不倫騒動を見ながら、そんなことを考えていた。彼女や、相手の川谷氏を擁護するつもりはないが、逆にその行為が不適切であったとしても、あえて直接のかかわりを持たない者が、それに対してどうのこうの言う必要もなかろう。一言言わずにはいられない、という人もいるだろう。正義感と言えばそうかもしれない。でもその正義感は得てして、自分を相対的に高いポジションに据えるための道具でしかない。逆にその正義感は他者に向けての刃になる、そのことを心しておかねばなるまい。
2016年02月02日
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