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30日、お医者は午後休診だということに10時頃気づいて、あわてて飛び出しました。だって、お父がお寺の旅行で29、30日と不在。一応、会社ではナンバー2(実際は?)の私は、夕方5時ぎりぎりに間に合うように行くつもりだったのに。社員もみんなわかっていてくれるから、「いいよー」と。ありがとね。血小板 60000白血球 1.9インターフェロンとレべトールという薬を前回から増やしたので、案の定、数値は下がった。でも、まあ、60000なら、「まあまあだね」と、看護婦さんと笑った。本日の注射は、前回と同じで50ug/0.5ml用を50ug。半分の中では最高ランクだけど、正常投与ではもちろん半分。多分、来週は更に下がるだろう。女医さん曰く「最初はあんなに調子が良かったのにねえ」「ええ、自信のあった体力を使い果たしたってとこですね」「どこかにへそくりの体力隠してなあい?」えーっ、まさかッ!「誰かに体力を借りて来ましょうか」「そうよねえ、もう一息アップしたいよね」借りられるものなら、私だって借りたいわよ。へそくり体力、体力銀行、お持ちの方がいらっしゃいましたら、ご一報を!
2007年05月31日
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1時前、テレビ画面に「松岡農相が自殺を図る」のテロップが流れた。刻々と入る情報を仕事をさぼりながら、ネットで見ている。今、「遺書があった」という項目が加わった。国会や委員会で、無表情な顔のまま「法に定められている報告はしている」とのみ答弁していた松岡さん。それをひたすら擁護していた阿倍さん。もちろん、今回の緑なんとかに検察の調査が入ったことが直接の原因かもしれないけれど、阿倍さんの擁護が、彼を追い詰めていった一つの原因にはなっていると思う。死者を鞭打ってはいけないかもしれないけれど、死ぬくらいなら、自分の口から事実を話して欲しかった。日本を愛して、美しい国を作りたかったのなら、闇の部分を残したままで、逝くことは許されなかったと思う。6回当選の松岡さん。1回めはもちろん青雲の志を持って議員になったろう。多分、当時の志はどこかで、少しずつずれていったのかもしれないな。冥福は祈るけれど、死によって全て解決したとは思わないから…。きちんとした解決がなされて、元の「青雲の志」を持って旅立ってほしいです。
2007年05月28日
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朝、緑に誘われて、畑にじゃがいもの「芽かき」をしに行った。朝飯前ならぬ、朝飯準備前の一時を。男爵は勢いがいい。それより遅めだというメイクィーンの芽はまだ10センチたらずで、しかも数カ所、モグラかネズミに味見をされているようだ。帰り道、近所のおばちゃんの畑。整然と並ぶじゃがいもの芽に感歎。「もう、芽かきしたんですか」「芽かきしなくてもいいように、種いもを小さく切るんだよ、私は」私も半分か4分の1には切ったけど、ちゃんと芽を3つくらい数えて切るんだって。来年の仕事だね。ニセアカシアの白い花が開き始めた。ああ、あの花の天ぷらでもしようかしらん。初夏の味だよね、あれは。「おおー、ヘビだあ。やけに細いけど多分シマヘビかな」家に帰ってお父に話したら「つかまえてくればいいのにィ。シマヘビはうまいんだぞ」これも初夏の味なのかよ~。
2007年05月24日
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22日の検査結果 血小板:75000(70000なんて数字、ほんとに久方ぶりだよ) 白血球:2.2 (まだ低めだけど、以前に比べりゃ、なんてことはないね)自分の体調の感じ方と検査数値が、初めてぴったんこしました。先生もにこにこと言いました。「良かったねえ。じゃあ、薬も増やそうね」ということで、減量時では最高量の 50ug/0.5ml用を0.5ml投与しました。もちろん微熱も37.4度まで上昇。頭痛も上昇。でも、そんなことより、血小板上昇と薬の投与量上昇の方が、とってもうれしい。****************************ちなみに23日は、私のうん回めの誕生日。お祝いを言ってくれたのは、母、若い友達、同年の友達、ブログの友人、化粧品会社でした。お父との会話「ねえ、今日は何の日か知ってる?」「えっ、別になんでもないだろ?」ジトーッ「あっ、お母の誕生日か?」「やっと思い出したね。これでお父の誕生日もなくなるからねッ」「また、ディナーに連れてってやるから」フンだっ、毎年そうじゃない!
2007年05月23日
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本日の鹿島槍ヶ岳。雲湧き、新緑が躍動しているね。私も血湧き、肉踊る!これから注射におでかけ。あまりにも山がきれいで、白馬経由長野のお医者(説明:白馬と長野は正反対方向です)へ行こかッ!なんて、いつもの変な私が表面化している。うん、変な私は調子のいい証拠であるから、喜ぶべきことなのです、はい。とにかく今週はよく動き、よく遊びました。(やっぱり金曜日注射で、土・日曜日と休みという生活スタイルは、あんまり良くないね。何にもできないもん。平日に仕事をさぼって注射し、仕事をさぼって休むというパターンの方が、精神的にはいいかもしれない。もっとも暇だったから言える言葉かも…)商工会女性部総会、母の病院診察、取材を兼ねて白馬どんぐり村へ、中学校の15年戦争の授業参観へ…ここに登山まではいかなくても、ハイキングが入ってくれば、もう元の私に近い。と気炎を上げられるのは、鹿島槍がすてきな姿を見せて、エールを送ってくれているからかもしれないな。
2007年05月22日
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15日の検査結果白血球 1.9血小板 53000~60000最初53000という数字を測定器(?)で見たときは、「ああー、やっぱりなあ。結構遊んだもんなー」で、私が処置室で待つ間、再度測定しなおしたらしく、60000。中をとって、本日の血小板は57000で、50ug/0.5ml用を0.4mlを注射。多少低くても、50000を切らずに、わずかでもインターフェロンを体内に入れられればそれでで良しとすることにした。同じ低空飛行でも、これはちょっと恐かった。(Y町でのこと)ものすごいヘリコプターの爆音に驚いて、空を見上げると、(多分)自衛隊のヘリが2機並んで上空を大きく旋回していた。先日、「自衛隊のヘリやジェット機が飛ぶ回数が明らかに増えている。しかも低空飛行で」という話を聞いたばかり。その人も、ヘリが飛んでくると双眼鏡を出して観察するのだそうだ。おっ、仲間がいたと喜んだが、「ヘリが来ると、いつも山の遭難だと思っていた」という私の言葉に失笑を買った。その数日あとだったから、2機の低空ヘリを見つけて、「ああ、ほんとだ」と思った次第。2機のヘリがぴったりと間隔をとって、故郷の空を旋回する姿。確かに、爆音のすさまじさが違う。国民を敵から守るための飛行訓練?でも、あの音と隊形に、安心感は持てなかったわ。
2007年05月17日
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うれしいことがあった。友達のお嬢さんのIさんが、1日遅れの母の日をするからと、私もおまけに呼んでくれた。青ガラスの同級生で、今年から善光寺そばのリニューアルしたF屋に勤め始めた。社員割引できるからと、ディナーに招待してくれたのよ。注射の前日で、夜出かけることにちょっと不安もあったけれど、女の子がしてくれる「母の日」がとにかくうれしくて。年に数回しか身に着けないスカートなんぞをはいて、イヤリングにネックレスもつけて、いそいそと出掛けた。中庭にはかがり火が焚かれ、テーブルの上にはキャンドルが…。椅子を後ろに引いてもらって席につき…もうこれだけで気持ちがうわずっちゃう田舎者。でもIさんが2人の母の意見を聞きながら、前菜からデザートまで選んでくれて、さらみんなで少しずつ味を楽しみたいよねーというわがままな母たちのためにその都度小皿に取り分けてくれた。ワインを傾け(ただし、私はアルコール禁止だから、ダージリンティーなんぞを)、楽しいおしゃべりをして、出されるお料理の一つひとつに歓声をあげながら吟味し、2時間半があっという間に過ぎて行った。最後に出されたデザートには「えっ、この絵文字は食べられるの?」などと、愚問を発していたけれど、私の心の中はウルウルだった。「お母さんて大変だよねえ。日に3回も食事作ってさあ。ほんとにすごいことだと思うよ」というIさんの言葉を聞きながら、自責の念を感じた。「私は青ガラスやお父に、そう感じてもらうほど、きちんと食事を作ってきたかなあ」女の子っていいなッ。早く青ガラスにもお嫁ちゃん(この言い方はしーちゃんの真似です)が来るといいな。いつの間にか支払いも済ませてしまったIさん。おまけの母はそこまでしてもらってはと焦ったが、彼女の好意をありがたく受けることにした。またお返しできるチャンスがあったなら、おっきく膨らませてお返ししよう。今日、私がいただいたあったかーい幸せ返しに。IさんとIさんのお母さん、ありがとう!!
2007年05月15日
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青ガラスの学校のサッカー部が優勝した。K市中学校春季総合体育大会(多分)でのこと。5月5日、ベスト4に残ったというメールをもらい、12日、準決勝に勝ち残り、昨日「優勝した!」というメールが届いた。前半1対0でリードするも、追いつかれて逆転され、やっと1点いれ、同点に。延長戦で1点加えて、辛勝したらしい。サッカー部、始まって以来の快挙(多分)なのだろう。メールをもらってすぐに電話をしたら、「今、生徒との祝勝会を終えて、そのあと、先生たちと祝勝会をして、帰るところ」という弾むような声が返ってきた。「夢は叶うということを、中学校の生徒たちに教えたい」が口癖だった彼。自分でも優勝の体験はないはずなのに、良かったね、ほんとに。「母の日」をしっかり忘れてくれた青ガラスだけど、これがプレゼントだと思うことにするね。勤めて最初の年の連休に、今回と同じ大会をお父と見に行ったことがある。あの時は2回戦か3回戦で敗退したような記憶がある。正規顧問の先生のもと、まだまだ自信なげに生徒と対していた青ガラス。成長した青ガラス先生の姿を見てみたいな。よーし、秋の大会にでも応援に行ってみようかしらん。おめでとう!
2007年05月14日
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今日も晴れ。キユーピーさんや、しーちゃんや、いろんな山好きさんのブログを読んで、ひたすら羨ましがっている私。今年は5月10日の弟の発見命日にも鹿島槍まで行けなかったということで、本日、車での旅を決行した。「決行」なんて言葉を使うほど、大したことじゃないんだけど、今の私にとっては正しく「決行」なんですよ。自宅/サンアルピナ鹿島槍/白馬村という、お馴染みのコース。今日は友人がいっしょで、山を見るうれしさを分け合ってくれた。約3時間の山旅ドライブ。まずは、サンアルピナ鹿島槍高原上からの鹿島槍。やっぱり家から見るのと違って、ど迫力で迎えてくれた。「うわー、雪が少ないなあ」という印象。雪型というか岩型というか、「鶴」も「獅子」も出過ぎの感がある。いつも大きく張り出している布引山(左側の丸ピーク)近辺の雪庇はかなり落ち、大きな雪崩が出ている。荒沢(右端)の雪崩れもすごいぞ。それでもまだまだ雪庇は残っているけどね。ああー、あの稜線にはいつになったら立てるのかなあ……まだ残っている水芭蕉を見ながら、大谷原方面に降りる。コバイケイソウも大群落をなしていたけれど、今年は咲くのだろうか。大冷沢にかかる橋に、こんなにレトロな街灯がついていたなんて、今日まで気づかずにいた。唐松の芽吹きを楽しみながら、二輪草の群落に歓声をあげ…お猿の集団とお見合いして…山のよく見えるレストランで昼食をとって、友人とたくさん話した。いつも突然山を見に来るときは、山に浸れても、どうしようもない寂しさをそのまま持ち帰ることも多かった。でも、今日はとっても楽しかった。これで15日の検査数値がそれなりなら、大満足なんだけどね。
2007年05月12日
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ニュースの中で、飛鳥の高松塚古墳の特集をしていた。カビの発生で、解体して修理することはかなり前から報道されていて、鮮やかな色合いだった女性像なども、かわいそうなくらいに色あせていた。修復に10年かけるというが、専門家は「カビはある程度除去できても、化学変化で変質したものを元に戻すというのは、ほぼ不可能なのではないか」と言っていた。中国には未盗掘、未発掘の古墳が1基残っているそうだが、周恩来元首相は言ったそうだ。「保存する技術が確立するまで、発掘してはならない」と。1000年以上も保存されていたものが、発掘されて30年であんなにも変わってしまうなんて…。しかもその30年間に、調査で入った人の不注意で傷つけられた部分も多いという。こんなに大切な文化財でさえ、この始末。同じようなことが、文化財候補の松代大本営象山地下壕でも起きている。下の写真を見比べてください。(いずれも同じ場所)2006年4月2日2007年1月4日地下壕の管理は長野市観光課。観光課では「壕内の安全のために、年に数回、某建設会社に依頼して管理している」という。昨年暮れまではきれいに残っていた、「トロッコの枕木跡」が年明けには姿を消していた。文化財指定のために、原状維持に気をつけなければいけないのに、こんなことって…観光課へ要望したら…2007年3月多少戻ったけれど、最初とはずいぶん変化してしまった。溝を平らにするために削ったのではなく、溝の中に周囲にあった岩クズや木クズを埋め込んだのではないかとのこと。トロッコ跡だけでなく、地下壕はずいぶん変化している。安全のため、錆止めを塗った鉄柵が林立し、壁や天井からは危険だと思われる岩がどんどん削り落され(作られた時は幅4メートル、高さ2.7メートル)、現在は幅が5メートル近くまで広がってしまった所もある。原状維持を強く願い、またそのために活動はするけれど、もし、地下壕を訪ねてみたいと思われている方は、1日も早く見学に来てください。そして、原状を見て、感想を述べて、力を貸してくださいね。
2007年05月11日
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花いちごの花観賞用ですが、実もちゃんと食べられます。先日、資料作りをしていて、昔懐かしくテーブルの上に置かれた印刷物を1枚ずつとって重ねて、ホッチキスでガチャンという作業をした。中学校の先生が言った。「中学生なんか、簡単に1枚ずつとれるのに。俺なんか、指紋まですり減っちゃってさあ」思わずみんなで指の先を見た。ほとんどの人が「あーっ、指紋ないッ!」もちろん私もその一人。シワはあっても、指紋がない。確か私のは「流れ型」だったはず。ブログを書きながら、朱肉で指紋採取をやってみた。よくよく朱肉をつけて、力いっぱい紙に押し付ける… 2度ほどやって、やっとこさっとこ、浅い溝が白く残った。良かったぁー…何がって、さあ、なんだかわからないけど…指紋もすり減るんだねえ。えっ、指紋がない方が仕事がしやすい?だめだめ、ちゃんと「周波数解析法」っていうのがあって、ちゃんと識別できるらしいよ。ちなみに、百姓野郎さんの指紋はこんなに元気者でした。
2007年05月09日
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5月7日 血小板57,000 白血球は盛り返して2,100 ウィルスはマイナス連休中、ゴロゴロしていたのに、その割には血小板は増えなかったなあ。「注射の前々日から前日にかけては、ひたすら我慢の日々を過ごし、注射した後に微熱があっても多少頭痛があっても、遊んだ(?)方がいい」これが規程の48回を越え50回に突入したペグインターフェロン治療のベテランになった(ん?)私の結論なのである(にんまり)。薬が体内に入りさえすれば、もうこちらのものってことよ。連休中の夜のニュースで、C型肝炎患者をとりあげていた。この60代の女性は金銭的な面で、ペグインターフェロン治療を受けられず、代替薬品(名称忘れ)を週に何回か注射しているという。その薬は肝炎治療には全く関係なく、一時的に体調を維持する薬だそうだ。何度も書いたけど、私の場合は長野県から7割前後の補助を受けている。開始した去年5月から12月までの補助金は約40万円近くになる。ここに大したことはないけれど高額補助を加えると、さらに2~3万円はアップするんじゃないかな。まあ、補助をもらえるにしても、その都度窓口で支払うお金は3万円近く行くこともあって負担にはなっている。ただし、低空飛行が始まってからは、薬の量が半減しているので、料金もほとんど1万円以内なのだけれど。補助制度とやはり、お父に感謝すべきだね、お金に関しては。ニュースで言っていた。安倍首相が肝炎対策と補助制度について何らかの対策を打ち出すよう指示したと。本当ならうれしい。ただし、薬害肝炎だけの話だろうけどね。それでも、なにかの対策が出たならば、安倍さん、多少見直してあげるわよ。
2007年05月08日
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と言っても今日の話ではない。草津白根の火口を一周した記憶は確かにあった。なのに、昨年行った時には通行不可で、私の記憶は何かの勘違いかなと・・・。今日東京から従姉妹が来て、志賀高原の話になり、「前に白根に連れて行ってもらったよ。たかねちゃんとtちゃん/私の弟/は火口を一周しに行って、私とおばちゃん/私の母/は下で待ってたの。大人になったら行けるかなあって」・・・ そうか、やっぱり一周してたんだ!しかも弟と一緒だったのか・・思い出がまた一つ。
2007年05月04日
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つい最近、小学校の社会科教科書から、旧石器・縄文時代に関する記述がなくなり、弥生時代から始まることを知った。ためしに、中学校に勤める青ガラスにも「ねえねえ、社会科の先生に何時代から教えるか聞いてみてよ」と頼んだ。昨夜、「弥生時代からだってさ。その前の時代は、教える人もいるし教えない人もいる」と返事があった。「やっぱりねえ、なんで弥生時代以前がないのか、今度はそれを聞いてみてよ」と再度頼んだ。4.17付けの「赤旗」に載った勅使川河原 彰さんの記事コピーを戴いた。それによると、1998年に改訂された学習指導要領で(現場では2002年実施)で大きく変わったそうだ。要するに、〈歴史を学習する第6学年では、「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」ことなどを目標に掲げて、「自分たちの生活の歴史的背景、我が国の歴史や先人の働きについて理解と関心を深めるようにする」ことなどを内容としている。そのうえで、指導内容の厳選を図る観点から、「我が国の歴史を学習する際に調べる具体的な対象」として、「農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による国土の統一の様子が分かること。その際、神話・伝承を調べ、国の形成に関する考え方などに関心をもつこと」を定めている。しかも、実際の指導にあたっては、「示された歴史的事象の範囲にとどめ、それ以外のものは取り扱わないようにする」とを明確に指示しているのである。要するに農耕が始まる以前は教えるなということであるから、当然、小学校の社会科の教科書から旧石器時代と縄文時代の記述が削除されてしまったということである〉〈記紀の神話と考古学による歴史とは、たとえば記紀で第一代とされる神武天皇が橿原宮で即位した紀元前660年は、まだ石器時代であったというように、真っ向から対立するものであることから、神話を教科書で取り上げさせるためには、考古学による歴史叙述を教科書からできるだけ締め出す必要があるからである〉(なるほど~、石器時代に天皇の存在はおかしいのか~。ふーん)で、考古学者はじめ各方面から抗議があり、本文以外のコラム欄などに「縄文時代」とか「旧石器時代」とかいう言葉として復活したらしい。が、コラム欄は扱っても扱わなくてもよく、指導要領に、「示された歴史的事象の範囲にとどめ、それ以外のものは取り扱わないようにする」とあるならば、できうるならば余計なことを教えたくないととばすことも大いに考えられるし、青ガラスが教えてくれたことも、それを如実に物語っていると思われる。よほど歴史に関して意識の高い教師(社会科の先生はみんなそうだと思うけど)でないと、教科書の字面を追うだけで終始してしまう。恐いというか、悲しいというか…詳細は、こちらのHPにわかりやすく書いてあるので、参考にどうぞ。本当に縄文時代の記述はなくなったのか上のHP内にある教科書会社の件で、ちょっと追記。「東京書籍は教科書におけるシェアは全国トップで、もっとも「普遍的」な教科書といえる。教育出版は第3位だ」の記述。例の扶桑社の教科書が出版され、採用率は決して高くはないが、思わぬ効果(?)があったという。扶桑社の対極にあった「日本書籍」の教科書採用率が激減し、扶桑社と日本書籍の中間に位置する東京書籍の採用率がぐっと上昇したのだそうだ。(扶桑社採用はしたくないけど、さりとて、対極にある教科書も採用しにくい状況が生まれたのね)だから「普遍的」というのは、「作為的普遍性」とも、「真ん中大好き-つっつかれたくない」ともいえる。まあ、そのおかげで「日本書籍」は倒産し、心ある人たちの支援で「日本書籍新社」として復活したのだそうだが…実情はまだまだ厳しいらしい。
2007年05月02日
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