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(信濃毎日新聞より)"憲法9条をあなたの郷里の言葉にしてくださいー。東京の編集プロダクション「ギャラップ」が、こんな呼びかけをしている。北海道から沖縄まで全国各地の方言に訳された憲法9条を1冊の本にまとめて4月に刊行する予定だ。担当者は「身近な言葉で9条を読んでもらい、平和を望む声を大きくしたい」と話している"。詳細はギャラップ おもしろい試みだよね。正面から9条にぶつかっていくのも方法だし、こんな楽しみを加えてちょっと横から入っていくのもいい。正面しかできない能無しの私には苦手な方法だけど、こんな方法を考える人ってうらやましい。脳みその中を見てまねしたい、本当に。* * * * * * * *明日、新幹線でK市まで行く。入退院を繰り返す叔父を励ましに。私が中学生になるまで、実家にいっしょに暮らしていた叔父。教員試験を受けるための健康診断で結核が見つかり、教員になる道を絶たれ、闘病生活を送った。完治してからはしばらく家庭教師をし、その後福祉大を出てケースワーカーとかソーシャルワーカーをやっていた。私が教師を目指したのは、不遇時代の叔父を見ていて「私が代わりに先生になろう」なんて思ったもの大きな一因。よく父が言っていた「K(叔父の名)が結核になったのは、戦争中の食料不足のせいだ」と。母子家庭のため、祖母は和裁で生計を立てていたが、田舎といえども、田畑のほとんどない家は困窮していたそうだ。長男の父と次男はそれぞれ兵隊や動員に行き、その場で食料にありつけた。小さかったK(三男)はまだ体力のつかない時期に食べるものがなく、結核に罹患したそうなのだ。ある意味では、「戦争マラリア」ならぬ「戦争結核」とも言える。でも、川崎に出てからは仕事も順調、素敵な家庭を築いていたのに、4~5年前から筋力が弱りはじめ、一昨年やっとわかった病名が「パーキンソン病」。この病は薬と上手につきあうことで日常生活を送れるのだが、ここへ来て微熱が続いたり、結核的症状を示しはじめ、入退院を繰り返している。結核菌は何回も検査したが出ていないそうで、原因がわからないらしい。ふるさとの写真をいっぱい撮って今プリントしたところ。ふるさとの味も少しずつ持って。いっぱい笑顔を置いてこよう。いっぱい元気を置いてこよう。小さくなった叔父の声をいっぱい聞いて来よう。表情が弱くなった叔父の顔に、いっぱいしわを作ってこよう。* * * * * * * *HPにリンクする方法は何となくわかったけど、自分の作ったPDFにリンクするにはどうしたらいいのだろう。1 PDFをどこに置いておくの。2 どんなタグを使ったらいいの。どなたか、わかりやすく教えてください。
2004年01月31日
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(いずれも1月30日付の信濃毎日新聞より)1 合併問題研究会の休止 岳北(高社山を境にして北側の飯山市、野沢温泉村、木島平村を岳北、これに対し山の南側の中野市、山ノ内町、豊田村を岳南という)で、木島平村の第三セクターのスキー場を民営化するかしないかで一致点が見出せず、合併問題研究委員会を休止したそうだ。記事によると、スキー場問題に端を発してはいるが、それにとどまらず、新市の構想そのものに不一致点がつながっているという。 …………………… 岳南では、山ノ内町が住民投票で14票差の反対票を受けて、中野市、豊田村との合併から離脱している。2 牟礼村協議会合併問題研究調査特別委員会(議会)は三水村との法定合併協議会に進まず 12月に行った住民アンケート調査の結果で合併反対が多かったことを受けて、合併を白紙に戻した。村長も「三水村との合併が最善と考えるが、議会とよく話し合う」旨の意見書を全戸は配布するという。 …………………… 牟礼村と三水村は、中学校が2村による組合立となっていたり関係が深く、県下でも早くに合併協議会がスタートしてほぼ決まっていたのだと思っていた。ところがここへ来て、牟礼村ではもう一度スタートラインに立って多方面から再考することになった。3 三郷村で、稼動中の堆肥センターで生ごみ処理ができるか研究 三郷村の堆肥センターは酪農家から出る畜ふんを堆肥にしているが、そのセンターで生ごみも処理できるかを、今後半年かけて検討する。検討委員会は、各種団体、公募住民ら30人で構成し、委員長には公募委員が選ばれた。村長は「ごみを減らすのは時代の要請。生ごみの堆肥化が実現できるよう強く希望する」と挨拶。 …………………… 小川村にもある堆肥センターと、三郷村のそれが同一のものかどうかはわからないが、「生ごみを入れるのは無理」と言い続けるこの村とはちょっと違う。「土に返すのが基本」を主張しても、「どうやって返すか」のよりよい方法を常に研究・検討する姿勢がいいなあと思う。********** この3つに共通することは、「頭が柔らかい」という一語に尽きるのではないだろうか。レールに乗ったからといって、そのレールからはずれることを恐れてひたすら走る。いろんな新しい条件が加わっても、それを吟味しないで無視しながら、ひたすら現状維持。まあ、それにもかなりのエネルギーを必要とするだろうけど、上記3つの事例は、もっともっと大きな忍耐とエネルギーを要するだろう。 私のふるさと・山ノ内町、私の職場のあった木島平村。どちらも大変だけれど、みんなの目で、みんなの頭で、多くの状況を判断して、みんなの知力と体力で進めていってね。 そして、半年間にわたる長丁場の検討委員会。経過に期待し、また教えを請いに伺うかもしれません。
2004年01月30日
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夕方、夫が「インターネットに接続しなくなった」と騒ぎ始めた。会社の中で2台のマックからNTTの接続ターミナル(?)「接続するゾウ」を通してインターネットに接続できるようになっているのだが。なるほど、私のパソコンから接続しようとしても、ターミナルまでは行くのだが、その後インターネットにつながらない。同じターミナルを経由しているFAXはきちんと送受信できる。こんな症状は今までで初めて。夫は青くなっていたが、私は「一晩寝れば治るよ!」と存外平気でいられた。というのは、インターネットでは初めてだったけれど、他のソフトで似たような症状を数回経験しているからだ。時間指定されている広報を深夜業で必死に組んでいる最中、何をしても言うことを聞かなくなってしまい、この時は私も真っ青。それまでのデータもすっ飛んでしまうのか!初めからやるならもう間に合わない! と、それこそ夜も眠れなかった。あきらめてそのまま放棄。ところが、翌朝は、昨夜のトラブルなどどこ吹く風で、マックはいつも通りに機能し始めた。だから、夫の心配をよそに、私は「また、あのケースさ」と度量の大きさを見せつけてやったのだ、ふふふ。そして今朝………「おれ、心配で夜も眠れなかった! どうだやあ?」(ええー、そうだったかなあ?!)「ちょっと待ってよ」カチャッ、カチャッ……………………「おおーっ、つながる! 良かったあ~~」「ほらね、言ったとおりでしょ!」全て正常、おはようさん、マック(^o^)「コンピューターもストレス感じるんだなあ。マックって人間的なんだなあ」人間的かどうかは知らないけれど、コンピューターだって、1日に14時間近くも酷使されたのではストレス感じるよね。少しは大事にしてやらなければいけない。(妻もお願い!)まあ、機械のメンテナンスや使いこなしについては、全て夫の方が力量があるけれど、コンピューターの気持ちを図るのは私の方が上だったというわけだ。
2004年01月29日
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おなじみ、家の裏の土尻川です。今朝は寒さがちょっと緩み、川の流れの面積の方が、氷の面積よりも広くなりました。ほぼ半々です。氷の上に何かの足跡が点々と。岸から出て、川の流れまで行き、そこからUターンして戻っていました。なんだろうなあ。今日は臨時議会があり、法定協議会に進む条例を作るか否かの論議が行われました。その結果は、8対5で法定協議会に進むことに決まりました。で、心が凍りそうなのです。続きは後程。* * * *(明日の新聞-地方紙ですが-に載ります)賛成8 反対5で「法定協議会」設置へ(アンケート結果:賛成34% 反対39% 村や議会に任せる25% 詳細は16日の日記に) 臨時議会で「信州新町・小川村・中条村合併協議会の設置について」の議事が行われた。 村長からは「住民意向調査を元に、自分でもよく考えた。自立の延長としての合併を提案する」旨の提案があった。 これに対し、5議員から出された質問は、1 アンケート結果が出たあとで、どのような判断で「法定協議会へ進む」ことにしたのか。2 法定協議会に進んだあと、最終決定をどのようにするのか。この2点に凝縮されるだろう。村長の答えは1→ 地区説明会の折りにも「判断できないから任せる」という人が結構あった。今回の結果の「任せる」につながっている。 村の現況を見る中で、1村で合併の枠組に入らず、合併研究もせず、果して将来の村のためになるのか。村長としての立場から、「法定協議会に進む」のが、村民にベターだと判断した。2→ 意向調査をどのようにするかは皆さんと協議していきたい。3つの場合が考えられる。 「アンケートなど全くとる必要のない場合(法定協議会決裂ということか)」「住民投票」「アンケート」 質問に立った5議員はいずれも「法定に進む」ことに反対(もう少し考える期間を置くという1議員も含め)の立場の議員。賛成議員は村長と一心同体なのか、全く質問はなし。反対の質問でなくても、村長の考えをより良い、よりわかりやすい言葉で引き出す工夫くらいあってもよかったのではないだろうか。 今日の村長の答弁を聞いていると、アンケート結果がどうあっても、「村民や将来の村にベターな方向」は「法定協議会に進む」ことが既定の事実だったような感じがする。反対が上回ったことで、一抹の迷いも不安も感じなかったのだろうか。 「法定協議会に進む」でも、村長が迷い悩んだ経過がわかれば、もっと納得できるのだ。村長の「いつも、私は本音でいっしょうけんめいがんばっている」という言葉も信じられるのだ。…… 討論は、反対討論3議員、賛成討論4議員。 残っていることば。☆村民の立場に立って考えているか否かを問われる議会(反対)☆村民一人ひとりの気持ちを、選挙のときに立ち返って受け止めるべき(反対)☆足腰の強い自治体を子孫に残す(賛成)☆大岡や鬼無里は周辺地域になることを承知で長野市へ行くことを決めた(賛成) で、投票の結果が、賛成8 反対5。 「足腰の強い」って、具体的にどういうことなんだろう。 役場を出て家に帰る道すがら、大声で叫びたくなった。 「おーい、皆さあ~ん、今、議会で村の歴史に残る決定がされているんだよー」
2004年01月28日
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【学歴詐称】今日、頭に来たことば福田官房長官が古賀議員の学歴詐称について、いつもの含みと嫌味のある言い方で「うそはどろぼうの始まりでしょ」。確かに古賀さんはうそをついたが、福田さんが言うと、「じゃあ、あんたはどうなのよ」とついつい、言いたくなってしまう。 19単位も足りなくて、それでも「卒業していたと思っていた」なんて、普通では考えられないよ。2~3単位なら、まだ間違いということもあり得るかもしれないけど、19単位ですよ。しかも、卒業証書をもらっていないのに、なぜ「卒業した」と思えるのだろう。その感覚が普通の人間にはわからない。 そして、みそぎのつもりで言った3つのこと。どれをとってもバカみたい。この村の議員さんだって、議会閉会中も住民の声を聞いて回ったり、村中を歩いて回ったりと、かなり忙しそうに見える(ただし、全員というわけではないが)。それを、国会閉会中に、単位をとるだなんて、それほど学歴に執着するのは何故だろう。学歴がないと、議員活動はできないとでもいうのだろうか。 それから、学歴詐称のことで、こんなにもメディアが大騒ぎして外国まで取材にいく、こんな日本の様子を、アメリカの大学当局者は奇異に思っただろうな。詐称した方も詐称された(?)も、きつねとたぬきみたいに思う。* * * * * * * * *【ある議員さんの「議員だより】 今日、ある村のある議員さんから、個人で出されている「議会だより」をメールでいただいた。以前にも第1号をいただいていたが、今回のは(多分)A4版8ページからなる力作。ご自身がされた一般質問の内容や理事者側の答弁、合併問題、議会用語、議員以外の活動報告、村民の声などから構成されている。淡々とありのままに、奇をてらわない記述に人柄が感じられる。 私が、この村の議員さんに出してほしいなあと、ずっと思い、ある議員さんにもお願いした「個人の議員だより」。実現していないが、でも今日頂いたこのおたよりはお手本のようだ。HPで満足せず、しかも1軒1軒手配り。議員さんにとって、人と会うことは、まず議員活動の第一歩だと私は思っている。 凍った道を、すべらないように注意深く歩いて、戸口まで行って配布している、この若い議員さんにエール!!!
2004年01月27日
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今朝、いつもの場所に行ったら……いない、わたしのアゲハちゃんが。場所を勘違いしたかと、周辺も探すが、間違えようがない。いないんだ!23日の大雪で心配して見たときはいたんだから、それ以後の事件。石油を入れた時にでも誰かが気がついて取ったのだろうかと、該当者2人に聞く。「えー、そんなのいたの知らなかったよ」強風や大雪で飛ばされるような場所でもないし、そんなやわな蛹でもない。人間でないとしたら、ねずみとか、裏の川岸に巣くっていたたぬきとか(越冬中だよね)が食べてしまった?… モズとか?いずれにせよ、蛹の体を止めていた糸の跡形もないから、かなりの力で引っ張りとられたんだ。 ありし日の私のアゲハの蛹楽しみにしていたのに…羽化する姿をわが子のように、待っていたのに…号泣慟哭
2004年01月26日
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大阪国際女子マラソン、観戦していた人はみーんな、心打たれろう。 実家に雪かたづけ助っ人隊で行った私は、朝早く20センチくらいの雪をかたづけ、もう一度マラソンの始まる前に、更に積もった10センチ弱の雪をかたづける。 そして、こたつに入ってテレビ観戦。 前半はペースが遅くて団子のままの走りに、どうなることか、後半の大きな波乱が予想されて他人事ながらハラハラドキドキ。 案の定27キロあたりで千葉さんがスパートしてレースが動き、結果は1位坂本さん、2位千葉さん、3位大南さん、4位那須川さん、5位弘山さん。 35才の弘山さんがオリンピックの切符を手にすることはもうないだろう。スパートについていけず、距離をあけられてもなおかつご夫君の伴走を受けながら走る彼女の顔は、泣いているように私には見えた。 あの小さい体で、大柄な大南さんにトラックで一度は抜かれたが抜き返した千葉さんに、オリンピックに行きたいという強い意志を見た。 渋井さんだって、みーんな行かせてやりたいよね。 アテネはオリンピック発祥の地。本来は参加したい人は誰でも出られる競技会じゃなかったのかな、きっと。それが、オリンピックは参加することに意義があるとなり、その参加も国内選考会がありで、ちょっとやそっとじゃ出られなくなった。 だからこそ、そこにいくつものドラマが生まれるのかもしれないが、でも、あんなにがんばった人達、みーんな参加させてあげたいなあ。
2004年01月25日
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久しぶりの「落とし文」(ごみと環境を考える会の通信)を発行する。第17号。内容は☆1月1回めの可燃ごみの量について 積み残しが出たほど各地区の量が多く、合計 14290キログラムで、長野市に支払った処理委託料は214350円だったこと。☆12月定例議会一般質問で環境関連事項を取り上げた5議員の質問事項。☆村の新成人の優秀賞となった論文から、村のごみに関する部分を抜粋紹介。 * * * * * * * * *「わたしの故郷 『小川村』」K・Mさん(女性)(前略)長期休みに小川村へ帰って思うことは、私が小・中学生のころよりも道に落ちているゴミの量が増えてきているということだ。これでは自然の豊かな小川村も汚れて見えてしまう。私は現在所属しているボランティアサークルで、ある地域のゴミ拾いをした。地元の人にも声をかけていたが、参加しくれた人は少なかった。自分のゴミではない、面倒だと言った理由からではないかと思う。このことを通じて、私は自分の故郷をきれいにしたいと思う気持ちを大切にしたいと思った。ゴミはもしかしたら観光客が捨てて行ったものかもしれない。しかし、自分の地域に落ちている限り、それは自分たちのゴミだと思う。今の小川村でこういった環境問題に対して、どのような処置を取っているのかわからない。でも、もし村民参加型のゴミ拾いがあるのなら、私は進んで参加したいと思う。私だけではなく、小川村村民全員が小川村をきれいにしたいという気持ちを持ってほしいと思う。(後略) * * * * * * * * * 毎月出していた通信が、村議選の際に立候補者に出した例のアンケート以来、ちょっと止まってしまっていた。会の活動自体が止まっているせいもある。関心はあっても、会員自体がそれぞれに忙しくて集れないせいもある。生ごみ処理に対する村の姿勢に疑問を感じたのを発端に、生ごみだけでなく広く環境問題に視野を開き勉強していこうという会なのだが、生ごみ処理の目先の解決がされた(可燃物として出しても良いことになった)せいもあるのか、会員の意識にもばらつきがある。 もちろん自主的に目につくごみを拾っている人も結構多い。 動けない時に無理して会の活動をするよりは、通信「落とし文」を通して、自分たちの生活に密着した問題を載せて、一人でも多くの村の人が環境問題に関心を持ってもらうのも一つの方法かもしれない。役場の住民課が協力してくれているのも、その辺にねらいがあるのかもしれないな。 まあ、焦らず気長にがんばっていこうか…。
2004年01月24日
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大雪になった。朝30センチくらいの雪を汗だくになって片付ける。夕方までに3回ほど、7~8センチの雪をかたづけたから、まあ50センチの総積雪になるかな。でもまだ、雪は降り続いている。今朝、実は私はうれしかった。いつかも書いたけど、こんな暖冬ではいつまで待っても春はこないと思っていたから。大雪に苦労しないと春はこないという習性が身に染み付いているのだ。そうなのだ、私は信州人なのだ、生っ粋の。エヘン!別にいばることはないか…25日までこの大雪は続くらしいから、これを乗り切れば、きっと春は近づいてくるだろう。春の風景を頭に描いて、この大雪を乗り切るかあ。ところで、今日1月23日は、八甲田山で耐寒雪中行軍をしていた弘前連隊が遭難した日だそうだ。1902年、日露戦争開始の2年前だ。死亡者は199人。また、神奈川県では1910年の逗子開成中学の生徒12人が、七里ヶ浜でボート事故を起こし全員死亡。♪真白き富士の嶺 緑の江ノ島…の歌はその鎮魂の歌とも言える。(逗子開成は唐松岳八方尾根でも山岳遭難を起こしているよね、気の毒…) 地球の温暖化は確かにあるのだろうが、この二つの遭難事件のあった日と、今日の大雪とを見ると、やっぱり大きな周期では同じ部分がたくさんあるんじゃないかなと思ってしまう。大雪…今朝のNHKの天気予報で「大雪」の規定を放送していた。地方により大雪の積雪量が異なり、「車が動けなくなる量」とか説明していた。東京あたりは5センチ、雪国では15センチとか(雪かけづけに出る準備をしながら聞き流したため、正確な数字はわからない)。そうなんだよね。雪国に住む私は、つい「え、あの程度で大雪?」なんて思ったりしてしまって、深く反省!ただ、雪に対する心構えはやっぱり差があるよね。初冬になるとスタッドレスにはきかえるか、ノーマルのままでいるかの差だよ。はーるよ、来い、はーやく、来い
2004年01月23日
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新年度から長野県の山岳遭難救助に出動するヘリコプターが有料になるそうだ。 ずっと今まで無料できたが、県財政の改革や、登山者のモラルの低下などから、有料化せざるを得なくなったそうだ。 登山者のモラルの低下 遭難でなく、疲労したからヘリを要請したとか、救助されても感謝するどころか自分の姓名を言わないでドロンしてしまうケース。一番ひどいのは、救助要請を同時に何社にも出して、民間へりが来ると「救助要請してはいない」と利用せず、県の救助隊がくるまで民間へりを断り続ける等々。 費用は1時間で51万円になるそうだ。隣県の岐阜や富山は有料化は打ち出していないので、3県でこれから調整・相談をするそうだが、今度はきっと岐阜や富山の救助隊が忙しくなるだろうな。長野県内で遭難しても、登山者は隣県に救助要請するかもしれない。当然、ヘリの出動は遅れ、救助率も低くなるだろう。 私は、原則的には有料化は賛成だ。民間だろうが、県だろうが、することは同じだし、かかる費用は同じ。無料で助けてもらおうなんて虫のいい話は許されない。二重遭難だって現にあるんだし。ただ、出動要請されたら、どんな登山者でも同じように助けてやってほしい。 もうずーっと昔の話。 白馬駅前にあった北アルプス遭難救助隊の事務所(この辺は記憶が不鮮明、県の方は大町警察署だったかなあ)、いや、もしかしたら民間だったかもしれない。とにかくそこへヘリの出動をお願いしに父と行った。下山予定日をとうに過ぎ、遭難は確実なのだが遭難地点が特定できないという状況だった。その時、後立山連峰だけでも数パーティーが行方不明。かろうじてトランシーバーできれぎれの交信をしているパーティーもあった。 で、その救助隊の副隊長という人が言った。 「生死のはっきりしていないパーティーのためにヘリは出せない。今、連絡のとれているパーティーに救助へりを向かわせる」 わかる、この考え方は理解できる。ヘリの台数が少なければ、こうするのが最悪のベターだということはわかるんだ。私が彼の立場でもそうしたかもしれない。 でも、肉親としては苦しかった。もし、ビバークしていて救助を待っているのなら……だから、出動要請されたら、どんな登山者でも同じように助けてやってほしい。 それが、有料化に対する私の希望条件だ。
2004年01月22日
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今、NHK朝の連続ドラマ「てるてる家族」にパン屋のお父さん役で出ている岸谷五郎さん。 4人の姉妹と母親役の浅野ゆう子さんに押されっぱなしの、人のいい、ちょっととぼけた感じの役柄にぴたっとはまっている。 岸谷さんの存在はもちろん知っていたけれど、強烈に印象に残ったのが「北の国から」シリーズのラスト。何人にもふられた純君(ふられたというよりもう一歩突っ込めなかった故)が、やっと心から結婚を考えた相手の結(ゆい)ちゃん。そのやくざな夫役を岸谷さんが演じていた。心の底では結ちゃんを愛しているがそれをうまく表現できないまま、すごみをきかせて純君を痛めつける。「うわー、嫌らしい恐い人だなあ」とドラマであってもそう感じた。 その岸谷さんの、このほんわかムード。どっちが本当の姿だか知らないけれど、こんなにがらりと別の役を演じられる。いいなあ、岸谷さんて…。 そしてもうひとり。役柄上、すでに黄泉の国へ行ってしまわれた藤村志保さん。美しい女優さんだが、年齢と共にコミカルな役も演じられ、味のある方だと改めて思った。とっても存在感のある演技をされていた。 よく「役者は演じることを通していくつもの人生を体験できる」といわれるけれど、うらやましい限りだ。 いろんな役をこなしながら、そして年齢を加えながら、それまでの殻を一つずつ壊し、新しい衣装を身につけていく俳優さんに、脱帽。 いくつもの人生を体験する………一つの人生の中にも応用できないかなあ。 ん、私も女優になればいいんだ! なろうかしら? ん、ん、ん…(^-^;;)
2004年01月21日
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今冬一番の冷え込みだとニュースでは言っているが、さほど冷え込んだとも思わない。TVでも「梅がほころび、水仙も咲いている。確実に春に向って進んでいる」なんてレポートしている。この村でもあちこちの土手におおいぬのふぐりが咲いて…。野沢菜漬けも酸味が出てきた。わたしのアゲハちゃんにとっても、これまでは越冬しやすい冬。まるで、立春のすぎた2月半ばと錯覚してしまう。2月の予定表を見たりして「いけない、まだ1月じゃない!」昨年12月のどか雪以来、雪国らしい雪は降っていない。このまま春になるはずは絶対にない。こわいんだよなー、2月が。これまで楽したしっぺ返しが必ずくるぞー。
2004年01月20日
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NHK大河ドラマ【新撰組or新選組】パソコン「新撰組」&「新選組」広辞苑「新撰組」NHK「新選組」字源で見ると、「選」「撰」は同訓意義語として出てくる。「選」=よりすぐること「撰」=えらぶという意味の他に、「造」という意味あり とすれば、「新撰組」はどちらがいいと思う? やっぱり「造」の意味のある「撰」だよね。 100歩譲って、当用漢字だか教育漢字にない文字だから「選」になったのかな。でも私は「撰」を使うぞ。NHK7時のニュース【国会を召す】思わず、画面に食い付いた。「えーっ!」ついに、NHKもか!意図的か単なる間違いか…。実は少し前までは「召集」はご法度で「招集」が使われていたはずだ。それが、最近は「招集」と「召集」が混在している。私が気がついたのはここ1年半くらいなのだけれど、新聞に「召集」が煩雑に出てくるようになった。「国会はね、もう天皇が召集するんじゃないから、『招集』を使うんだよ」なんて知ったかぶって話していると、「だってNHKも『召集』を使っているよ」と逆襲されそうだ。しかし、けれど、だが、これは「招集」が正しいはずだ。NHK7時のニュース【小泉さんよ、間に合うんですか、それで!】国会での施政方針演説「危険な場面に遭遇したら、銃撃はしない。すぐに行動を停止し避難する。そして防衛庁長官の指示を仰ぐ」危険な場―その場の指揮官へ―派遣部隊の指揮官へ―日本の自衛隊本部へ―防衛庁長官へ素人が考えても、防衛庁長官まで5分や10分で連絡が届くわけがない。長官自身、すぐ状況を把握し指令を出せるのだろうか。何ともはや、ピント外れの発言ではありませんか。こんな首相の施政方針を、イラクで命を張っている自衛隊員は、どんな気持で聞くのだろう。何が何でも逃げてくださいね。その時、アメリカ軍の方には逃げない方がいいかもしれない。
2004年01月19日
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まだ入院中に、義父の様子を見にきた訪問看護婦さんが、3人とも口をそろえていった「あの褥そうだけは何とかしてやりたいね」その褥そうが、自宅介護に入って目に見えて良くなってきている。今日も「ふさがるかもしれませんね」「そうだねえ」という会話を看護婦さんとした。入院中が「クレーター」だとしたら、今はさしずめ作り方の下手な「蟻地獄」のようなものだ。 2週間おきに来診にみえるK病院の医師にぜひ見てもらおうということになった(今まで、医師は鼻の管と人工呼吸機の管を入れ替えるだけだった)。どう思うかな?* * * * * * * * *訪問看護婦が帰ってから、ネタ探しに松代に行く。楽天のネタではなく、会報2月号のネタが全くないのだ。市営駐車場から松代の象山地下壕までは歩いて15~20分。いつも「遠い、遠い」と文句を言う私ではあるが、でもその道々で「へえー」と思うものがいくつもある。でも時間に追われて歩くばかりで、じっくりと見たことがないというわけだ。ついでに「エコール・ド・松代」("松代は遊んで学ぶ大人の学校"の意味)と銘打って地域起こしを始めている松代の町がどんなか見てもみたい。池田満寿夫美術館~真田宝物館~真田邸~真田公園~文武学校と回る。旧白井家、今は真田宝物館に所属する案内ボランティア(地下壕ガイドボランティアとは別)が接待する無料休憩所で休憩。おいしいお茶と漬け物と梅漬けいただきながら、たむろするボランティア(失礼!だって私1人に5~6人も相対してくれるんだもの)といろんな話をしているうちに、佐久間象山の話になり「『新撰組』第1回が放映された翌日に、『松代藩の佐久間象山って知りたい』と早々訪ねてきた観光客がいた」という話を聞くと、私の中でメーンに据えるべきものが見えてきた。そう、「松代と佐久間象山」だ。ということで、いつも定例見学会の集合場所になっている象山神社と、そのそばにあっても一度も入ったことのない象山記念館に行く。神社の中は4日にも歩いたし、記念館に時間をさく。そこでおもしろいことを知った。1 「斬奸状」という今で言えば「犯行声明文」にあたるものが保管されている。 象山が京都で暗殺された時に、三条大橋に張り出された「斬奸状」を、佐久間家の足軽がはがして持ち帰ったものだそうだ。「皇国忠義士」の署名で中味は実は読めなかったのだが「国賊」「開国・公武合体」「斬首」などの文字が並んでいる。2 今でいう「死亡診断書」または「検死録」みたいに、象山の遺体を調べた医者の記録が保管されている。 これも読めなかったが、10箇所以上の傷が書かれているようだった。3 象山の次男「恪二郎」が、父の仇討ちをするために、氏を変えて一時新撰組に入隊したのだという。 願いは果たせなかったようだが、敵地進入した次男の心意気。明治になって松江でうなぎに当たって死亡したという「恪二郎」。 今回のドラマの中では、脇役でこれからしばらくは登場しないようだが、佐久間象山を通してドラマ「新撰組」を視るのもまたおもしろいかもしれない。
2004年01月18日
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やっぱり昨日書き入れた日記がすっとんでいた。この頃、このサイト、ものすごいエラーばっかり出ているような気がする。別に保存してあったので、また書くことはできたけど、でも、「えん」(この漢字はどんな字?)の抜けたサイダーみたいになっちゃった。* * * * * *合併のための「法定協議会」を設置することに対するアンケートの結果が出た。 賛成 968人 34% 反対 1,116人 39% 村や議会に任せる 725人 25% 不明 36人 1% 断っておくが、「合併に賛成・反対」のアンケートではない。議会で「合併に賛成・反対の住民投票条例」を否決されたあとに、村から提示されたアンケート項目が「法定協議会設置への賛否」であり、答える項目が「賛成」「反対」「村や議会にお任せ」の3つだった。 反対が私の予想した以上に多く、3項目の中でトップだったことは、とってもうれしかった。この村の人たちもまだ捨てたもんじゃない(失礼!)と。 けれど、村長はただちに「法定協議会設置へと準備をすすめる」というコメントを新聞に出した。 おいおい、アンケートの結果をどうとらえてのことなの? これじゃあ、アンケートなど、やってもやらなくても同じなんじゃないのかな? 「村や議会に任せる」という項目は、やっぱり行政側の切り札だったの? 今月27日に、議会で村長の「法定協議会設置」の提案を審議するという。 「オレたち議会が責任を持って決定する」と、住民投票条例を否決した議員さんたち、さあ、責任を持って村の将来を決めてくださいよ。さあ、さあ、さあ!!!!!!!
2004年01月17日
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一昨日の日記にミヤマモンキチョウの違法採集を怒り狂って書いた。が…、がである。かく言う私もその昔、蝶を採集して標本にしていた時期がある。自分の標本箱の中に、一頭ずつ増えていくのがうれしかった。大学2年の夏に、バイトをして仲間と沖之永良部島へ採集旅行にも行った。なぜ、この島を選んだかというと、理由はただ一つ。ハブがいないこと。そんな「虫愛する姫君(^-^;)」だった私が、なぜ採集を止めたか。私の生まれた所はヒメギフチョウとギフチョウの混棲地帯からわずかにはずれ、ヒメギフの分布する地域だった。4月から5月にかけて、山裾のカタクリの群生地を何箇所か渡り歩いて、花の様子とかそこに飛来するチョウたちをチェックしていた。何度も空振りのあと、カタクリに止まり吸蜜しているヒメギフを見つけた。翅のどこも傷んでおらず、生まれ立てのようなそのヒメギフチョウ。こんなチャンスは滅多にないと、そっと近づいてネットを振った。ネットに入ったヒメギフをそっと取り出して、親指と人指し指でその胸を押さえる。憧れのヒメギフに見とれ、そして指に力をこめようとしたその瞬間、私の指にチョウの鼓動が伝わってきた。正しくは鼓動か否かはわからないけれど、私には生まれ立てのヒメギフの心臓が懸命に鼓動を打っているように感じた。迷った、自分の標本の一つとして欲しい。でもその鼓動が、指に力を入れようとする私に訴えている。指に力を入れて、チョウの命を、その時の私は止めてしまった。翅を広げられて標本箱にピンで止められたヒメギフを見るたびに、後悔の念が湧き起こって…それ以後、チョウの採集はすっぱりと止めた。もちろん、それ以後もチョウたちと接する場を求めて歩いた。クモマツマキチョウタカネヒカゲミヤマシロチョウオオイチモンジ他のたくさーんの、いろんなチョウたち予想した場で会ったチョウ、思いもかけぬ所で出会ったチョウその飛翔する姿を見ていて、標本にするよりたくさんのメッセージをチョウたちにもらったよな気がする。だから、チョウもライチョウも草花も、ヒトと同じように大切にしたい。保護したり補助したりをしないのならば、下手な手出しはしないでほしい。「年老いた虫愛する姫君」(ギョッ!)は、いささかやけっぱちにそんなことを思っている。
2004年01月16日
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【ライチョウ編-国の特別天然記念物】 ライチョウ保護のための調査・研究補助費がバッサリ切られたそうだ。 信濃毎日新聞の記事によると、大町市が受けていた補助費は15年度で250万円。1968年から毎年100~200万円程度の補助が続けられていたそうだ。それが国の「三位一体改革」を受けて、環境省が廃止した。ヒトがした開発で追い詰められ、絶滅の危機から救おうと指定して研究しているんじゃなかったっけ?! 財政改革はもちろんしなければならないけれど、一番大事なところから廃止しているんじゃないの?小泉首相!小池大臣!。250万円という金額は、どうにもならない金額なの? 例えば、思いやり予算からこの位差し引いたって、蚊に刺された程の痛みも感じないでしょう。 例えば、日米軍事演習から、空砲を1発減らしたって、日本は襲撃されないでしょう。 【ミヤマモンキチョウ編-県天然記念物】 やはり信毎の記事より。 根子岳(長野県真田町)で、食草にすっぽり網を被せ、その中で幼虫を飼育している現場を発見したそうだ、環境省自然公園指導員が。 もちろん、卵、幼虫、蛹、成虫と、どの段階でも採集してはいけないのだが、きれいな固体を欲しがるマニアがいるんだよね。そのマニアのために、幼虫から育てて翅が傷む前に標本にしようというわけだ。多分、網の中で蛹になった段階で持ち帰るのだろう。 標本箱の中に、自然界の宝石たちをずらっと並べて悦に入る。こんなマニア…というより"おたく"は許せない。 越冬したり、数年をかけてチョウになり、子孫を残すためにわずか1週間程の間に交尾・産卵をして命尽きるチョウたち。命の大切さを本当に知っているならば、桐箱(標本箱の最高は空気を通す桐製の箱だと言われている)にその命を閉じ込めるなんてこと、できやしないよ~。ライチョウよ、怒れ、怒って雷(いかづち)を呼び起こせ!ミヤマモンキチョウよ、ほんとにごめんな!仲良く同等の立場で生きてこそ、地球の一員なのにさあ。どちらの姿も、子どもたちに伝えることができるだろうか。ヒトよ、奢るなかれ。
2004年01月14日
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またまた雪が降り出して、見る見る間に銀世界になっていく。雪かきのことを思うと、うんざりだけれど、このスピードで世界が変身している様はすごい。それをこの目で見られるのも、またすごいことなんだろう。だけど、やっぱり、うんざりの方が強くておっきいよ~~。先週から思っていて、なかなか行き辛く、やっと意を決して役場に行った。目的の議会事務局長さんは部屋にはおられず、拍子抜け。12月定例議会の一般質問の議事録を見せていただこうと行ったのに。当然見せてもらえるものなんだろうけど、普通の人が行くにはやっぱりそれなりに決意して行かなければ行けないのだ。関係者がいなかったので、総務課の人に「議事録って見せてもらえるんですよね」と聞くと「ええと、どうでしたっけ」という返事。課が違うと専門外なのか。途中で気がついた。「今日は、例の住民投票を否決したその代わりのアンケートの開票日なのだ」議会事務局長もそちらに行っているのかな…。この大雪と共に、村の運命が決まる…なんてロマンチックなこと言ってる場合じゃないよね。明朝は、役場の職員によるブルの雪かきは午前3時頃から。業者はもっと遅いそうだ。合併したら、午前3時からの雪かきなんて、誰もしてくれないだろう。でも、合併したい人は、それも承知の上なんだよね。
2004年01月13日
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連休2日め、朝からきれいに見えている山たちを撮りたくて、午後成就の友人宅へおじゃまする。山は朝でなければきれいに撮れないのは承知の上。 案の定、標高をあげるにつれて山は霞み始める。でも家から見る鹿島槍は空が狭いけれど、ここまであがると空がぐっと広がって、見ている自分まで伸びやかになってくる。 ここは「成就-じょうじゅう」という地区の中の「酒盛場」という名の場所。「ええっ」でしょ。でも、安心して飲めるかな。 対岸左側のくねくね道もすごいでしょ。そこは馬曲(まぐせ)です。 * * * * * * * * * * * 友人から「ハリー・ポッター 賢者の石」のDVDを借りてきた。夜中に半分見た。本の中で、ホグワーツ校の新入生が、それぞれの寮に分けられる時の帽子の歌が、どんな映像になっているか楽しみだったけど、ちょっと拍子抜け。本から自分が創り出したイメージと違うところは大分あるけれど、それでも、楽しく見ることができた。ハリーの顔は、映画の子が私の頭の中にも早々とインプットされていたけれど、その他の「ロン」や「ハーマイオニー」や「マルフォイ」たちはどんな顔をしているのだろうと、楽しみだった。クディッチなる競技もおもしろかった。まだ5巻は日本語訳されていないそうだが、4巻まで読んだ私にとっては、発売がとっても楽しみだ。
2004年01月12日
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私の作ったほしがきです。結構やわらかくて、味もいいですよ。お茶を入れました。飲みに来てください。 会報の発送作業に行って、期待しないで聞いてみた。「奥平さんの講演会の入場券、余っていませんか」聞いてみるもんだ。都合で行かれない人が「あるよ、行ってきて」と回してくれた。ラッキー、ラッキー、超ラッキー* * * * * * * * *「憲法の想像力」奥平康弘 改憲論がはっきりと形をなしてきている今、 1 自分の問題、個々人の問題として、どうすべきか 2 アジアそして、地球全体の共同体としてどうすべきか 3 歴史体験的な意味を踏まえてどうすべきかという3つの基本的な視点から、現状に立ち向かう必要がある。決定権を「誰か」に委ね、「そのうち誰かが何とかしてくれる」という考えは捨てる。【現状】1 経済同友会の高坂節三憲法問題調査委員長の発言 ●日本の自衛隊はすでに「自衛」の範疇を超えている。これを自衛という嘘が日本には蔓延。この嘘を破壊するためには、憲法改正が必要。 ●21世紀は帝国が帝国らしく振る舞う世紀となる。日本もその中で帝国に変化しなければならない。そのために憲法改正をしなければならない。2 憲法を自分たちの道具として考えている為政者 9条には全くふれず、前文の一部のみを利用した首相。これは権力者が時々やることだが、それを許す状況が今ある。【憲法は委任のマニュアル】 憲法は支配層のためにあるものでないことは明白。主権者は私たちであり、私たちの代理人として、政治家や官僚、裁判官たちにそれぞれの仕事を委任している。その委任の基本的マニュアルが「憲法」である。主人公の私達のためにきちんとやらせるための基本的マニュアル。 作家の高橋元一郎は「なめない政治家を求む」「僕は僕自身に要求するように、政治家たちに汝の仕事をせよ!と要求する」と言っている。【憲法は世代を超えて引き継がれる未完のプロジェクト】●憲法の中味を条文として、さしあたり形をとっている。いわばテキスト。 憲法で規定されているから「表現の自由」はあるのでなく、自分そして共同体にとって表現の自由は大切なことだから、憲法の条文に書かれている。同様に、9条があるから平和なのでなく、自分や共同体にとって平和は必要だから条文化している。●未完のプロジェクトの中で、条文を基本として、「知る権利」も「水俣病の公害認定」なども、徐々に獲得してきている。【「憲法の想像力」】●テキストとして「さしあたりの形」である憲法の条文を、社会の要求に対応させるためには、想像力が必要となってくる。ただし、その基本はあくまでも最初の3つの視点である。為政者の都合であってはならない。 朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)が人々にとって閉じられた国と言われるが、1930年代の日本と全く同じともいえる。日本が変わったのは、敗戦という外圧による。国民の内側から出てきたものにより変わったのではないことが、戦後60年近くもの間、ふらふらとした日本の進路になっているとも言える。北朝鮮の人々も解放されなければならないが、できれば内なる要求の結果であってほしい。そのために私達も支援したい。その方法の1つとして「9条」があると思う。* * * * * * * * *(メモを基にしてまとめたが、一部居眠りしたような気もして、果して正しくまとまっているか自信がない。途中で「経済同友会」を調べたり、「環境権」を調べたり、「13条」や「25条」を見たり、まあ、時間がかかったこと。) 今、私の回りにも9条を支持しながらも、自衛隊派遣が違法であることを明確にするための憲法条文が必要という立場から、憲法改正に賛成している人が結構多くいる。そんな人たちと話すと、私の頭では「おかしいよ」と反論できず。だから今、憲法の話をたくさん聞いたり読んだりしたいと思って参加した講演会。 わかったようなわからないような…。まだ私の中には光明は見えてこない…。 奥平さんをネットで検索したら某人の「時代の変化をまったく理解できていない単なる反戦主義の老人」と酷評している文章も出て来た。私もさしずめ、9条にしばられたおばさんというところか…。 でも今、憲法がまな板に上がったら、政府の思うつぼになると私はこわいのだ。憲法を奥平さんのいう3つの視点から、普通の頭で普通に読んだら、そんな解釈できっこない「日本国憲法」。やっぱり世界に誇るべき「憲法」なのではないだろうか。
2004年01月11日
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休憩中、全教研の話から「右翼」の話になった。 すると、30代前半の社員が言った。 「右翼っていうけど、左翼とは言いませんよね。大体左翼っていう言葉はないですよねえ」 ええー、おいおい、とんでもないこと言い出したね。 夫と2人で 「あるさあ、左翼って。知らないの? 右翼の対語でちゃんとあるよ」 社員「右翼と左翼ってどういう意味なんですか」 私「考えが対極しているからそういうんだけど、翼ってあるから鳥の両翼に例えているんかなあ。でも、正式には知らないよ。広辞苑、ひいてみて」 ということで、若い彼が広辞苑を引いた。そこには 「左翼」"フランス革命後、議会で左方の席を急進派ジャコバン党が占めたことから、急進派・社会主義・共産主義などの立場をいう" とあった。ちなみに「右翼」は"フランス革命後、議会で右方の席を占めたことから、保守派・また、国粋主義・ファシズムなどの立場"とある。 へえ~である。彼のおかげでいい勉強になりました。 ところで、今の世代は皆そうなのか、それとも彼が特殊なのか。「右翼」「左翼」のことばの存在を知らないって意外だった。小林よしのりの「ゴーマニズム」(だっけ?)でも読んでいれば、知らないはずはないけど。 そういう世代があるという事実が、私には隔世の感だった。* * * * * * * * * その全教研の記念講演、奥平康弘さんの「憲法の想像力」を聞くことができた。まとめはのちほど。
2004年01月10日
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数日前から長野駅周辺で、「皇国……」と書かれた黒塗り装甲車が何台も、スピーカーで音をまき散らしながらアジっている様子が見られた。それに対して県外からの機動隊の応援を得て、長野県警も厳重警戒をするという。検問をしている映像もニュースで流れた。 息子を送って長野駅まで行く途中、免許証を置いてきたことに気づき、「わぁー、検問に引っ掛かったら免許不携帯で減点される!」と、とっておきの安全運転(普段でもそうですよ、言っとくけど?)。幸い駅周辺では検問はしていなかった。 が、空にはへりが舞い、交差点には「POLICE」と書かれた盾(今の盾は相手が良く見えるように透明なんですよ、知ってた?)を持った機動隊員がズラリと並ぶ。会場となる県文化センターへ行く道路にはさらに機動隊員がうじゃうじゃと。こういう様子を嫌って、全教の集会を断る自治体もあるという。右翼の思う壷だろう。 息子の質問「何があるの?これ」「教員の全国研究集会が10日からあるんだよ」「なんで右翼が邪魔しに来るの?」(おいおい、お前さんも教師になりたいんだろ? 教育界周辺のこと、少しは知識に入れておいてよと思ったけど、かく言う私もよくわからない。良く知っている人、わかりやすく教えてください)詰まるところ、「皇国史観」の人たちが「自虐史観」なるものを批判するのと同じようなものだと思うけど。「日本が過去の戦争でしてきたことは悪いことだ、という意識を植え付けて、自分の国を嫌いにさせるような教育はやめさせよう。そんな教師は粉砕しよう」とアジ演説でもやっていた。意外と静かな語り口調で、あのにぎにぎしい音楽とは別物。思わず「えっ」と耳を傾けた。 でも、やっぱりおかしい。事実を事実として認め、その上できちんと謝罪して新たな日本を築かない限り、「靖国に参拝」したからと抗議を受け、「自衛隊派遣」を決めたから軍国日本の再来と警戒され…。何をしても信用されないで、真の好意ですら疑いの眼で見つめられることになるんじゃないかなあ。 はてさて、明日から始まる全教研、無事済んでほしいな。 先生たち、がんばれ! 明日は奥平さんの憲法の講演会がある。何とか聞きたいなあ。
2004年01月09日
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ニュースで言ってた。「長野県市町村長会が、長野県知事に『県民の意向をよくつかんで、それに添った県政をしてほしい』と要望した」というような内容だった。おかしくて、ふっふっふ…。市町村は県に、市民は市に、町民は町に、そして村民は村に、同じようなことを要望したいだろうな。どんな時代にも、どこの行政も、管轄する人々の意向を把握してないということなのだろうか…。考えれば不思議なことだよね。* * * * * * * * * *息子が帰省してから、初めて雪らしい雪が降った。と言っても、10センチくらいだから大したことはないのだが。それでも「オレが帰ったら雪を片付けなきゃ」という意気込みがあったのか、朝と夜が逆転していたのに、この日は7時に夫と共に起きてきて、2人で朝飯前の雪かたづけをしてくれた。おかげで私はやらずに済んだ。いつも思ってた。私が朝御飯の用意。その間に夫が雪を片づけてくれる(但し、持病のある夫が滑って転んだりしたら命とり。だから1人でやってもらうのも心配なのだ)。そんな風景が願いだった。もちろん、この逆でも私は厭わないよ。要するに1人で同時に両方は無理だということだ。えっ、その分早く起きろって?それができれば苦労はしない。もっとも大雪ならば、どちらも無理で会社始業前の全員の雪かたづけとなるが。朝飯前の仕事をした2人の御飯は、きっとおいしかっただろう。夫の大好きなハムを特別いっぱい盛り付けたし…。お代わりはしなかったけど。えっ、その後? 息子はまたしばし寝ました。夫? 張り切って仕事しました。その息子が明日帰っちゃう…。
2004年01月08日
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七草の今日は、この村では「どんど焼き」(道祖神祭)。 実家の方では「どんどん焼き」と言い、15日にやっていた。野沢温泉のそれは有名で、全国生中継されるくらいだけれど、この村のはかわいい。もともとは15日だったけれど、さほど豊かでないこの村では、「早く正月気分から抜け出して働く」ために1週間ほど速めたと聞いた。 常会がいくつかいっしょになって、午後から門松を各戸から集め、5メートルくらいのやぐらの回りに「どんど焼き」(はて、これでいいのかなあ)を作る。 以前は子どもたちが集めて、大人が助っ人でやぐらを組み立てていたが、今、大人がすべてやっている。子どもがいないのだ。 どんど焼きもぐっと小型化した。生活改善で門松も印刷したものを村で推奨するようになったせいもある。まあ、この地区は商店が多いからいっとき生活改善が主流になったが、やはり店先には松を置きたいという気持ちが強く、今も印刷した門松は我が家くらいなもの(自分のとこで印刷したんだから仕方ないよね)。だから、何とか写真くらいの「どんど焼き」が出来上がる。 いっしょに書初めやおもちや、米の粉で作った絹玉を焼く。書初めは高く舞い上がる程上手になるというのは全国的な言い伝えだろうな。 けれど、最近は書き初めを持ってくるような子はいない。ちょうどその年代の子どもたちがこの地区にはいないせいもある(ちなみに二十歳前後が、今多い)。 私の息子が小学生の頃は、同世代が20人近くいて、学校へ提出した残りの書き初めを持ち寄り燃え上がらせた。はりがねに巻いたもち、小枝の先につけた絹玉をどんど焼きの火で焼き、香ばしい味を楽しんだものだ。子どもたちに引かれて各家からも夫婦で出てきて、お屠蘇代わりの日本酒を酌み交わした。このお酒は今でも続いている。また、どんど焼きの火でつけたタバコを吸うと虫歯にならないという言い伝えもあるとかで、子どもに無理に吸わせようとした男性陣と私達はけんかもしたものだ。 炎が最高潮になると、年男や年女が1年の幸せを祈って硬貨を火に投げ込む。この硬貨を翌朝灰や燃え殻の中からたくさん拾うと、その人にとっていい年になるそうだ。息子は、朝まだ暗いうちに起き出して、5枚も6枚も拾ってきた。 そんな昔の「どんど焼き」を思い出しながら、小さな「どんど焼き」の炎を見つめた。 2年前に「どんど焼き」のためにお借りしていた場所に、若者定住住宅が建ち、それ以後、ご覧のとおり、道路脇のコンクリートの空き地でやっている。 場所も変わり、風習も変わり、この「どんど焼き」もいつまで形を保っていられるだろうか。* * * * * * * * * M.Rさんへ 急性白血病でたった1ヶ月の入院で亡くなられてしまったMさん。あなたの死を悼みます。 だって、うちに年賀状印刷の注文にいらしたのは12月10日でしたよね。それなのに新年早々の3日に旅立たれてしまうなんて…。 12月5日の発病だそうですが、ではあの日は一時退院されて、わざわざ顔を見せに来て下さったのでしょうか。そう言えば、いつもはコーヒーなどを飲みながら四方山話をされるのに、あの日はご主人の運転でみえて、「今日は、あちこち回って来たら今頃の時間になっちゃって」と上がってもらえませんでしたよね。 「もう役場とは関係なくなったから、普通の友達として飲みに行けるよ」と笑顔で話していたのに…。 Mさんは隣村の役場で広報を担当されていて、その仕事を通して親しくさせていただいた。私よりもかなり先輩のMさんは、話し好きで、ご自分の介護の体験や地域の話などをいつも笑顔で話された。 ワープロやパソコンによる入力が増えてきてもMさんは手書き原稿で、温かい文章が多かった。 やがて人事異動で広報担当を外れ、その後はベテランの女性が突き当たる「差別」に何度も合いながら、最後は教育次長で早期退職された。しばらく時間をおいて、村の出先機関の嘱託をされたが、それも止めて、「役場とは全く無関係」の人になった。 広報を止められた時に、「一晩、いろいろ飲みながら話そうよ。○○温泉で泊ってね」と約束をしてもらっていた。それを果さずに永久の別れ…。 今、いくつかの広報をやっているが、文字データや写真データはメールで送信。校正もFAX やPDF。一つのものを作る過程で親しくなるなんてことは、ほとんどない。いい時代の最後 にMさんと出会えたということだろう。 Mさん、ありがとうございます。でも、あまりにも早い旅立ちに、悲しみと共に憤りも感じています……………合掌
2004年01月07日
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今日は、「小寒」。北部山沿いは雪。ここは、ぼたん雪後小雪後部分青空。 今日6日は、昨年12月22日に、可燃ごみの最終収集をしてから約2週間ぶりの収集日。いつもより1回収集が少なかっただけなのだが、どの地区も収集場所からごみ袋が溢れ出た。年末年始のお祝い、お客さま、そして大掃除の置きみやげ、といったところか。 我が家の場合も、なんと7袋も出した。この地区の5分の1くらいを我が家で出したことになる。おむつ1袋(他に年末年始には、おむつ収集所に2度出している)、介護関係のごみ2袋、義母が以前作った牛乳パックのイスが壊れたので分解したもの2袋(ガムテープなどがベタベタ張ってなければ当然牛乳パックリサイクルの方に回せるが)。そして家庭ごみ2袋というわけだ。家庭ごみだけみれば、1週に1袋のいつものペースだから多いとはいえないかもしれないが、7袋はぐっと地球の温度をあげてしまうだろうな。反省だァ… ヨーロッパアルプスへ行った友人からも「温暖化の影響か、マッターホルン全体の雪も緩み、クレバスが多くなっています」という賀状が来た。 人口の増加が温暖化の根本的な原因だと言われても、命を減らすことはできないし…。人間の持つ知恵で何とかしたいよね。 村の収集車も、普通なら午後には収集してしまうのに、量の多さに四苦八苦しているとみえて、このT地区3箇所はまだそのままだ。
2004年01月06日
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山岳会の先輩Yさん「おい、湯田中のおふくろさんのとこへ行ったかや」「ええ、2つ泊ってきましたよ」「それは良かった。じゃあ、親孝行もしてきたな」「……、はい」「そうか、そうか。ところで欲しい野菜あるかい」松代関係の先輩Fさん「実家のお母さんに会ってきた?」「ええ、息子と2人で2晩泊ってきましたよ」「良かったねえ。大変だけど、今年もがんばってね」「はーい。ガイドなかなかできなくて残念だけど」同じく先輩Aさん「『お母さん』って呼んでもらっていいよ。ちと照れるけど」「実家の母と同年生まれだから、ついつい甘えちゃってすみません」ウェブのお仲間「一生懸命、全力でがんばらなくてもいいんだよ」「がんばらないでください」支えてくれる人、見つめていてくれる人、応えてくれる人…。なんか、すごく幸せな気持ちに浸っている。だから、○○○(自分の名前)、続けられるようながんばり方でいこうよ。たまには、カメラを持ってふらふら出歩くのもいいし、友人のおいしいコーヒーを飲みに行ってもいいし。時間の細切れでもいいから、自分の世界をなくさないようにしようよ。今、とっても前向きです。問題はいつまで続くか…です。まっ、それでもいいか!
2004年01月05日
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1月4日、松代大本営象山地下壕へ2004年の1番のりをした。4年前まではずっとナンバー1を維持していたんだけど、ここしばらく行けなかった。 今年は、会報の表紙写真にするべく、まだ見学者が来ない時間をねらったので、必然的に1番乗りになった。デジカメと私用の軽い三脚を持って、地下壕へ。管理人さんに新年のごあいさつをしながら聞いたら、まだ誰も来ていないって。ふふふ~ 6日間の休みを経た壕内部は、見学者の騒音もなく、ピーンと透明な空気が張り詰めていて、思わず「今年1年、またお世話になります」と最敬礼。 年末の安全維持工事とかで、また鉄柵が増えている。サビ防止のために真っ赤な色が塗られ、伏見稲荷の鳥居を思い出させる。むきだしの岩肌が連続する場所は、だんだん少なくなってしまう。 200メートル進んだ所で左に直角に曲がる(壕全体は約10キロだが、公開部分は500メートル)と開口部がなくなるため、外気と遮断されて空気が淀むようになる。淀むと言ってもきたないという意味ではなく、水蒸気が飽和状態になって空中に漂い、壕内は霧がかかったように見える。壁をつたって水蒸気が露となって滴り落ちている。ポトーンポトーンと落ちる音が耳について、この空間に一人だけと思うと、ちょっとびびる。ガイド仲間内では「ここで働いた人の思いを伝えているんだから、彼等も喜びこそすれ恨んで出てくることはない」と言われているが…。 カメラのレンズに水蒸気がついて、ぼやけてしまう。レンズふきを持って来なかった私は、仕方なくハンカチでレンズを軽くぬぐう。これが家に帰って夫に見つかり、大目玉。「だって、写真撮れないじゃない」「そんな水滴のつくような所へカメラ持ち込むな!」そんなこと言ったってねえ…。 あっちを向いて、カメラの角度を修正してパチリ、今度はこっち。30枚ほど撮って、戻り始めると、曲り角から懐中電灯の光が見えた。ナンバー2に入壕したのは、同じ会のSさん。ホッ… 情報交換して、私は舞鶴山の壕へ。地上御座所の全体像を撮りたくて、小高い所までぶらぶら歩いていく。途中、たんぽぽが雪の割れ目に咲き、おおいぬのふぐりも小さな青い花をつけ、おまけに梅の花もほころび始めていた。この前の「どか雪」が最後じゃないんだよ。これから冬本番になるのに、あんたたち、ちょっと気が早すぎるよ。でも、せっかく咲いた花たちもカメラに納める。 2時間の予定が4時間にもなり、結構ルンルンになって家に帰る。
2004年01月04日
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噂に聞いていたからすの知恵をまともに見せてもらった。千曲川沿いの堤防道路。大きな落葉樹にからすが10羽くらい集団で止まっている。からすの成る木じゃあるまいし。からすの集団は何となく恐い。ときどき1羽2羽と道路に舞い降りている。やだなあ、フロントガラスでもつっつかれたら…。からすを轢かないように、スピードダウンして前へ進む。ガタン! ショッーク!えっ~、轢いてないよ、からす。からすに復讐されるようなこと、してないよ~。車を止めて、前方を見ると、からすが何かを嘴で持ち上げようとしている。よーく見ると、なんと、くるみの半分に割れたもの。半分のくるみの実があちらにもこちらにも。ん、ん、すると、さっきのショックも…。後ろを見る。おーっ、私の車が轢いたのもくるみ。見事真っ二つだ。頭いい! 自分では割れない固い殻を持つくるみも、人間の車に轢かせれば、おいしい実にありつけるというわけだ。なるほどねえ、噂には聞いていた烏の知恵。「おお、よくやるよ。あんたたち、お利口さん」そんなからすなのに、別の場所では、とんび1羽に追い掛けられていた。とんぴをおいかける集団からすは見たことあったけど、1対1の場合は、やっぱり体の大きさに強さは比例するのかな。でも、知恵者からすは、だんだんに1羽でもとんびを追い回す方法を考えつくかもしれないなあ。
2004年01月03日
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年末の雨と暖冬で、実家の屋根の雪も減り、雪おろしの必要はない状況だったけれど、山仲間が5人ほど、新年の挨拶も兼ねておろしに来るというので、私も息子を連れて、長靴とスコップを車に積んで実家に向かったのが元旦のお昼。 屋根の雪は案の定ザク雪で、厚いところで25センチくらい、3~4日晴天が続けば自然に消える状態だ。でもおろしてもらえれば、それはそれで次の降雪があっても安心ではある。 息子も入れて男性4人は母屋と車庫と物置きの屋根に登り、女性3人は下に落とされた雪をお湯の流れている前の小さな川へ捨てる。ただならぬ作業に、近所もびっくり。 軽く1時間ほどで終了。畑にいけた大根までのルートをつけて、さあ打ち上げ。 仲間は温泉へ汗を流しに行き、私は母といっしょに新年会の用意。 夕方5時頃から始まった新年会は、9時頃まで続いた。たくさんたくさん話をしてから、仲間は帰って行った。 「今度は2月の上旬頃、様子を見て来るよ」と言い残して。ありがとうね。
2004年01月02日
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雪でなく雨降りの新年ですが、穏やかです。2年参りに行く人たちの足音を聞きながら、年賀状を書いていました。足りなくなって、今増し刷りをしているところです、この真夜中に。「1年の計は元旦にあり」で、今年も仕事に追われることを暗示しているのかもしれませんね。(^-^;;)
2004年01月01日
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